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創価学会の功罪を考える

1863しゅんかん:2007/04/27(金) 01:40:50
マハーさん、初めまして。
しゅんかんと申します、私は教学面はさっぱりですが、お付き合い下さいませ。

>何よりも学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に
学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

〇私は学会二世でして、活動は行った事がございません。
学会の会合と云うものに参加したのは、もうかれこれ30年以上前を最後とします。
つまり宗門より破門される前で近年の事は把握していません。
小学生の頃は、やはり親の言いなりですから会合にもそれなりに参加しました、
叉、両親はそこそこの地位に席を置いていたようですし(毎夜家に居たと云う記憶がございません)
家でも会合をよくしていました。
その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

学会でも地域差は在るのかもしれませ、一例ですが以前のレスで独歩さんがお寺に参られる
手順として、蓮祖と興尊の墓に先ず手を合わせると記されてましたが、私がおります大阪の寺院では
まあそれらの所有を見掛けたのは一箇所(堺、本傳寺)のみです。
こちらの掲示板を拝見させて頂いて、東日本と西日本では少し温度差があるなあと感じております。

以前こちらでも投稿したと思いますが、私の実家では私のみが信仰をしていないのですが
在る事情で実家が無人となり、両親(父は故人)の仏壇と曼荼羅が置いたままに成っていたのです。
其処には父の遺影も置いたままでした、正宗、学会は過去帳のみです(位牌は置かない)
過去帳も仏壇内に在りました。私の家族は人並み外れた理不尽な理由ではありません。
随分たって姉に聞いた処「どうして置いたままだったんだ」すると「余り意識に無かった」
でした。
「私達は毎朝晩先祖供養をしている、だから過去帳だとか親のご本尊・仏壇の事は全く
頭を過ぎらなかった」との事でした。

1864しゅんかん:2007/04/27(金) 01:57:25
1863続き

この言葉は予想出来ました、彼らともう46年付き合って来ています。
私の細君が彼らの行為を疑問に思い、私に尋ねたのですが私はこの言を以って細君に説明していました。
(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
それから後、姉より聞いた言です「私達は毎朝晩先祖供養をしている」と
ある種、彼らの免罪符の様なものとも云えるのではと愚考しております。
学会の信仰感と云う物の少しでも説明に成りましたでしょうか。
※当然全ての学会の方を指している物ではございません。

1865しゅんかん:2007/04/27(金) 02:07:28
訂正
誤=(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
正=(幼い頃から親にこの言を植え付けられているのでしょうね)

補記、姉兄達は全て自身のご本尊を所持しているので、私が父の遺影、ご本尊その他を
引き取ったのでした。

1866犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:23

マハーさん

> 「日蓮の遺骨のある場所には日蓮の魂(霊)が眠っている」
このような思想が日興にあったのだろうか?と…

どうでしょうか。ただ、この論の立て方は舎利を大切にすることと一概につながらないのではないでしょうか。自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのではないでしょうか。
たとえば、現代人が無宗教で肉親の遺骨に霊をみなくてもゴミと一緒に捨てたり、放りだしたりはしませんでしょう。
ですから、

> 日興にこのような思想がなかった…墓の場所に拘る必要はない

という想定は意味をなさないのではないでしょうか。
また、日興は当初、そのような人ではなかったと思えます、何となれば、墓番のために身延に登山したのですから。

> 五老僧が墓番を守らない理由も納得が行きます。

これまた、遺骨に霊魂が眠っていないと五老が見たかとは別の話ではないでしょうか。
第一、日向は最期まで貫徹したかどうかは判然としませんが、日興が出て行ったあと、遺骨を守っていたのではないですか。

> 「墓を参る」思想などなかった

これは違いませんか。なぜならば宗祖御遷化記録に墓番を定めています。つまり、墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたことを物語っているからです。

> 順修戒名もこの時代ありえません

ええ、戒名は中世に曹洞宗系列で発生したものでしょう。
ただし、法号はありましたし、死後の安泰という点では、漫荼羅にその託した部分もあったでしょう。また、日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託したこともこの関連から窺われます。ただ、それが墓につながるかどうかといえば、それはもちろん、イコールではなかったでしょう。しかし、自分の遺骨の安置場所と護持の仏(釈迦立像)・経(注法華経)を一カ所にまとめて保管することを遺言したことは、自身の遺骨を含めた遺品をもって弟子の信仰と修行の資とすることは意図したことを意味しますから、けっして、遺骨を軽視したということではなかったでしょう。また、しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対する思いを物語るものであると思えます。

> 日蓮は実は似たような「地獄世界」を持っていた

それは当然持っていたでしょう。如何となれば、日蓮は「念仏無間」というのであって、この無間とは無間地獄の略であることはもはや疑いの余地はありません。まして『法華経』には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです。

>> 何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのか
> 一応ここでは全日本仏教会と定義したいと思います。

そうですか。しかし、これでは難しいでしょう。

1867犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:50

―1866からつづく―

> 我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたい

けっこうな問いだと思います。この立案には何ら反対ではありませんが、わたしが記したことは、先のマハーさんの「学会が破壊したもの」という筋です。ですから、これとは別件の記述です。

> 大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろう

どうでしょうか。創価学会の実際勢力は300万人以内といわれています。
1億人を超える日本の人口からすれば、影響力を持つ人数ではないと思えますね。結局、その影響は学会員と、それに拘る反対勢力に限られるでしょう。
わたし自身、この会を離れて生活をしていて、殊仏教ということに限っていえば、何ら伝統教団の僧俗に与えている影響を感じませんし、そんな器具の声を聞いたこともありません。ストレートな言い方をすれば、創価学会のやり方など、「変なことをやっている」という程度で、相手にしている僧俗はいないのではないでしょうか。

> 僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。

キリスト教や、神道であれば、当然のことになりますね。
そのなかで、さらに聖職者によらない葬儀も出てきたということですね。
しかし、僧侶は、本来、葬儀に関わらなかったのであって、一般民衆の葬儀に僧侶が関わるようになったのは行脚する念仏聖からではないでしょうか。鎌倉時代にも遡れない、つい数百年の動向です。それが檀家制度によって定着し、廃仏毀釈を経、また、仏教僧侶と一般民衆の間における葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

> 学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

これは、日本の「伝統教団」の話ですか。
仏教の発祥地、インドに行って「先祖霊」などといったら、びっくりされるでしょう。輪廻転生を取り入れた仏教教団において、先祖の霊は依然として残ると考えるとすれば、それこそ、矛盾します。
仏教のグローバルスタンダードとはいいませんが、先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

別段、学会を弁明する気はありませんが、「生命」という外来思想で、日蓮と仏教をアレンジしたここにおけるアイディアは、この矛盾が底意にあるために、先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということですか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

日蓮の墓(遺骨)も守り、先祖霊崇拝も守るということでなければ、論理は一貫しないと思えますが、どうも、この点をお考えがよく理解できません。補完いただけませんでしょうか。

1868マハー:2007/04/28(土) 18:45:55
しゅんかんさん
長文の御返事ありがとうございます。大変参考になりました。

>その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
>正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

どうもそのようですね。私もそう思います。

>彼らの免罪符の様なものとも

確かに日本人にとって「先祖霊」はある意味重要な問題だと思います。
宗教は生きている人の為と声高々に提唱しても現実には簡単に捨て去られるものではないと思います。

1869マハー:2007/04/28(土) 19:00:32
独歩さん
お手を煩わせて申し訳ありません。感謝致します。
「墓所をおろそかにした五人に対して、遺言も教えも厳格に守り通した方は日興上人だけ」
と言う通りすがりさんのレスに対しての独歩さんの
>日興は、日蓮の墓を捨て去った
と言う御返答は、全くその通りであり、何ら反対の意図はございません。

>よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということで
>すか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

尤もな疑問だと思います。先に少し説明をさせていただき後に意見を述べたいと思います。
創価学会問題に限ることではありませんが、教団とその反対勢力の関りというものは複雑怪奇なものです。(私は犀角独歩さんと言う個人が多大な影響を日蓮系の宗教団体に与えたと思っております。)
シンニョ苑という団体は学会に対して相当に敵対視しております。対して実は当の学会は全く気に留めてないと言う印象です。まさに「なんの影響も与えていない」というところでしょう。
学会員さんでも地域差はありますが苑に対して殆ど知る人がいないのが現状だと思います。学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

それともうひとつ私にとっては、学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問もあります。 大石寺は歴史ある伝統仏教側として捉えるのが一般的であると思われるからです。シンニョ苑は自称伝統仏教です。この辺も昔の学会によく似ています。ですが、いくら学会に「学会は日蓮正宗ではない」と言っても聞き入れなかったのと同じです。
私はこの掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みませんので、すみませんがこれ以上詳しく論じる事は控えたいと思いますが、そのような理由から、「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております。(因みに私は無宗教です。)

1870マハー:2007/04/28(土) 19:06:28

>自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのでは
>ないでしょうか。

仰る意味は解りますが、シックリしません。
肉舎利を大事にすることは確かに仏教的と思います。しかし日興が「釈迦=日蓮」と見なしているとなれば別ですが、日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象でおりました。若しくは、ストーパ信仰的だったとしても重点はやはり遺骨よりもその堂であるべきだと思うのです。

>日興は当初、そのような人ではなかったと思えます。

そうでしたか。私は日興の書をしっかり勉強したのではないので日興がどのような人であったかは想像できませんでしたが「弟子としての誇りと気概ある」人との印象です。
御教授ありがとうございます。

1871マハー:2007/04/28(土) 19:11:22
>墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたこと

墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。
「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

>ただし、法号はありましたし
日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?
若しあれば御教え下さい。

>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した

これが日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になるところなのですが、霊山は法華経、または釈、論に見られる部分からの解釈かと思います。

>しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対
>する思いを物語る

逆に在家に墓がなかったことを物語っているとも言えます。「道場におさめる」のでしょう。
遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

>それは当然持っていたでしょう。

やはりそう思いますか。

>まして『法華経』>には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです

日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違うとも思います。

1872マハー:2007/04/28(土) 19:16:52
>全日本仏教会
「全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体」と自らが宣伝しているのですから
いいでしょう。

>葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

なるほど。そういう見方も出来ますね。
尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。


>これは、日本の「伝統教団」の話ですか

ええ。日本に限った話です。説明不足でした。

>先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

全くその通りです。仏教はその国時々の土着的信仰と融合していくのであって、別段「先祖霊」の思惟自体が有害であるとは思っていないのですが、この「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

>先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

これは私の感想とは全く逆の考え方でした。
「先祖が地獄で苦しんでいるから供養しなさい」という供養の捉え方から寧ろ学会は脱却していると考えていました。
しかし、日蓮自体も回向について功徳を配分する発想が見受けられますから、致し方ないのかも知れません。

1873犀角独歩:2007/04/29(日) 11:27:43

マハーさん

> 学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

この点については、やや複雑な思いがありますが、取り敢えずスルーします。

> 学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問

この疑義から出発していることはご投稿に通じていますね。

> …この掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みません

ここは富士門流信徒から仏教を観る視点ですから、仰る矜持はもっともだと思います。

> 「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております

この視点ですか。なるほど。
仰るところは先祖の霊障というものですね。
では、日蓮に霊障の考えがあったかどうかが問題になりますね。
日蓮の真蹟遺文で調べてみると「霊」語の使用は以下のとおりとなります。(数取りに多少の出入りがあるかも知れません。学術的に転用される方があれば、数え直してください)

霊応2、祟霊1、霊山38、霊鷲山12、霊山浄土13、幽霊1、聖霊17、悪霊3、含霊3、尊霊1、霊験2、霊地2、霊2

(現宗研資料 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_shi.htm

霊山、霊鷲山、霊山浄土は場所。その他は死者に対しての用法と言うことになります。

‘霊’語の用法は『文句』の「識陰如霊」といった引用から考えれば生者・死者の両意に跨っているようですが、主に死者に偏っているのが現実でしょう。
マハーさんが問題にする先祖霊の悪因縁」といった向きは、以上の使用語彙から類型を拾えば「悪霊」「幽霊」がこれに当たるでしょう。ただし、日蓮の用法、先祖の霊「慈父幽霊」は障りをなすような意味では使用されていません。しかし、悪霊は「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつて、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」などと記すわけですから、いまでいう霊障感を日蓮がもっていたことが窺われます。

マハーさんが仰るような「先祖霊」という視点は、もちろん、日蓮は有していたことは複数の文献から明らかです。「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

1874犀角独歩:2007/04/29(日) 11:28:23

―1873からつづく―

> 日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象…ストーパ信仰的…重点はやはり遺骨よりもその堂である

マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないからという脈絡なのでしょうか。

法華経で「仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る」「仏の滅度の後 舎利を供養するあり 又仏子の 諸の塔廟を造る」「舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾」「諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ」「諸仏滅度し已って 舎利を供養する者万億種の塔を起て」「舎利広く流布して 天人普く供養」「人の至心に 仏舎利を求むる」「諸仏の滅後に 七宝の塔を起て 亦華香を以て 舎利を供養」という舎利(塔)崇拝、一方、「皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います」と経(塔)崇拝が前者を打ち消す如くですが、しかし、「全身の舎利に七宝の塔を起てて、高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。諸天人民悉く雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・妓楽・歌頌を以て、七宝の妙塔を礼拝し供養」と舎利塔崇拝の記述はその後にみられます。まして日蓮がもっとも重視した寿量品には「衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず」とあります。さらに、そのあとにも「仏舎利を以て七宝の塔を起て」「舎利を以て塔を起て 七宝をもって荘厳」「我が滅度の後、所有の舎利亦汝に付嘱」「火滅えて已後舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作って、以て八万四千の塔を起ること三世界より高く、表刹荘厳して、諸の幡蓋を垂れ衆の宝鈴を懸けたり」「我今当に更舎利を供養すべし」「我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん」

以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は希薄であったと考えます。

「仏記して云く 我が滅度の後一百余年を経て、阿育大王出生し、我が舎利を弘めん」「八十御入滅して舎利を留めて正像末を利益したもう」

しかし、「仏は法華経に戒めて云く_不須復安舎利〔復舎利を安ずることを須いず〕。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり」とあります。ここで、富士門下では舎利を捨て、経典を採るごとく論法の展開が見られるわけです。ここでこの門下では、舎利を採るか・教えを採るかという二者択一論をもって、日蓮墓を捨てることを正当化していますが、そもそも、日蓮はその択一を述べていません。述べているのは、舎利と経を比べれば、経は仏の師であれば舎利に優れるという順位付けであり、その優劣を論じたうえで両方を採っています。つまり、全身舎利(日蓮の教え)を採れば、砕身舎利(身延宗廟=墓)を棄てて善いなどと言うのは、詭弁以外の何ものでもありません。もし、斯様な考えが日興に基づくとは考えません。

> 墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。

マハーさんは、身延や、石山で、遺骨が、どのような安置されているのかをご存じないのでしょうか。身延の真骨堂は、宝瓶に容れ、かつては参観できた形式でした。それ以前は、宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍らの宝塔に奉納されているのではないですか。
「墓」という点に拘りを示しておられますが、この点については、日興の真筆で明らかです。

1875犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:05

―1874からつづく―

「一御所持仏教の事 御遺言に云く。
仏は釈迦の立像、墓所の傍に立て置く可し云云。
経は(私集最要文註法華経と名く)。
同く墓所の傍に篭め置き六人香華当番の時之を見らる可し」(日蓮聖人御遷化記録)

ここにはっきりと「墓所」とあります。遺骨が埋納されたのか、真骨堂に容器に容れて堂宇に安置されていたのか、それは明瞭ではありませんが、ともかく、遺骨を置き、その傍らに仏(釈迦立像)教(注法華経)を置く様式を、日興は「墓所」と明記しています。また、その前段に

「定
墓所守る可き番帳の事(次第不同)
正月      弁阿闍梨
二月      大国阿闍梨
三月      越前公 淡路公
四月      伊予公
05145
五月      蓮華阿闍梨
六月      越後公 下野公
七月      伊賀公 筑前公
八月      和泉公 治部公
九月      白蓮阿闍梨
十月      但馬公 郷公
十一月     佐渡公
十二月     丹波公 寂日房」

マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさんの思惟でしょう。日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

> 「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

>日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?

ないと思います。法号にせよ、その後の戒名にせよ、それは受戒の段階で弟子・檀那と認められたことをもって授けられるの本来の在り方でしょう。それを死後も使うわけですから、いまの在り方は違っています。
ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展したのではないでしょうか。しかし、この点は日蓮とは無関係でしょう。

1876犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:37

―1875からつづく―

>>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した
> 日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になる

これは真蹟遺文は挙げれば事足りるでしょう。

「後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん」
‘後生’とは生きていた後、すなわち死後のことです。

「死出の山三途の河を越し給はん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき」

日蓮は、死後、共に霊山浄土で逢うことを促しています。
ただし、日蓮の霊山観は、もちろん、実在のインドの霊鷲山を指したのでしょう。ただ、いまの時代とは違い、飛行機もない時代、実際のところ、船と馬・徒歩でインド霊山に行くことは不可能であるけれど、死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

> 逆に在家に墓がなかったことを物語っている

これは在家・出家ということではないでしょうね。
「身分」によったのでしょう。
それが陵・塚・廟・塔、そして、遺体投棄の野であれ、古来よりの風習と大陸文化の集合、宗教で言えば神仏習合という幾重にも折り重なったシンクレティズムがやがて風習、伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。

> 遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?

このような考え方は、日蓮にはないでしょう。
日蓮の観じ用法で言えば「祓」はただの一度も使われていません。
遺骨を日蓮の許にもっていったのは、追善菩提の法要を行ってもらうためでしょう。

「母…舎利を頚に懸け…深洞に尋ね入て一庵室を見る。五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り身心の苦忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり…仏事を為し事故無く還り給ふ」
「父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す」

道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。

> 遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから日蓮の考えを測ってしまっていませんか。上記遺文から再考してみては如何でしょうか。

1877犀角独歩:2007/04/29(日) 11:30:05

―1876からつづく―

> 日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違う

もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指します。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが『往生要集』という時系列になりますね。

ここでマハーさんがいう、「ナラカ」と『往生要集』の地獄の記述と、何がどのように違うというわけですか。

>>>全日本仏教会
> 全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体

わたしが言っているのはそのようなことではなく、一口に全日本仏教会といっても、その考えは区々であり、今回のご投稿におけるマハーさんの二分立:全日本仏教会=伝統仏教vs新興宗教=創価学会の差と、たとえば、日蓮法華と法然浄土経の差は、同じように違うわけだから、全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということです。

また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したという点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与えようもないわけで、この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

しかしながら、創価学会は、一見して石山批判という形を採りながら、実は自分たちの過去を否定する在り方を、では、わたしが肯定的に見ているかと言えば、そんなことはありません。ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまりに簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、時間の無駄という気分があります。

翻って、ここの300万ほどの会員と、それを含む800万ほどの公明党に投票する人々が日蓮法華ブランドで、一番人気のタレント「池田先生」にお熱を上げている様は、心理学的サンプルとして興味はありますし、また、このような組織に呆れていながらも、しがらみから会員であることをやめない人々の心理はまた、興味の対象です。しかし通じて、これらが日本社会に与える影響は伝統仏教の破壊であるとは、実状から感じません。ただし、その政治・経済に及ぼす影響と、会と「先生」を守るために、国家そのものの方向性を誤らせる在り方のほうに、むしろ、注意を払うことが先決であると考えています。

> 尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。

マハーさんは創価学会の在家葬儀が、伝統教団の在り方を破壊するという視点ですが、わたしの記したことは、いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙げている点を留意されなければならないと言うことです。

> …「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

この騙している当事者が創価学会、または真如苑であるという意味ですか?

1878犀角独歩:2007/04/29(日) 12:38:27

【1876の訂正】

誤)伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をする
正)伝統が普遍化し歴史となり、それらが崩壊し、再歴史化をする

誤)日蓮の観じ用法
正)日蓮の漢字用法

1879マハー:2007/05/02(水) 19:29:04
>>1873
独歩さん
霊の霊語の使用の統計、非常に参考になりました。有難う御座います。

>「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつ
>て、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或
>は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」

こういった霊障感ですが、智ギ説天台の他にもう一つ、神道の反本地垂迹へ対抗しての「霊」を考えなければならないと思うのです。「悪鬼身に入る」などと用法が近いと思っているのですが、
必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではないと期待しています。

「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響ですね。日蓮は偽経であることをしりませんでしたから、このような記述は当然だと思います。私が>>1852で記した意図は、十王経が偽経だと定説になりつつある昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?というものからでした。「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?との思いがあります。

1880マハー:2007/05/02(水) 19:34:38
>マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないか
>らという脈絡なのでしょうか。

いいえ。私は五輪塔は墓石の一種に含めてしまっています。墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔だっただろうというのが前述した意図でした。
御堂とは、建築物との意味あいで使用しました。 祖廟、御堂等々、用途と目的によって建築物名を使分ける専門の皆様には分かりにくかったと思います。失礼しました。
堂=入室出来る建築物、塔は、塔婆、廟塔、堂なども含む意味でした。

>以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は
>希薄であったと考えます。

先ず、法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうかと思います。
独歩さんは、(日蓮に二者択一論は希薄であったとしても弟子日興はこの択一論に迫られた状況において)、「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?
私は早とちりしていたかも知れません。私は日興が舎利を捨てて場所を取ったのではないかと汲んだものですから…。

>宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍
>らの宝塔に奉納されているのではないですか。

見物したことはないですが、話は存じておりました。
大石寺の舎利塔は遺骨の有無によらず形式的な塔と思っておりましたが、先程ホームページなどを検索したら遺骨があるとの主張のようですね。これは知りませんでした。奉安堂そのものが廟堂との見方なのでしょうか。

廟所=墓所で良いかと思いますが、
遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もあるのではないかと思います。
その三点セットに重きを置いている点、賛同致します。


>マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさん>の思惟でしょう。
墓石にのみ重視しているのではありませんが、墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分があると思っています。日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節かと思いますので、霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要だと思っています。

>日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る
>門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

そうなのですか…。
日蓮がタントリズム的であったとおもいますが、「遺骨崇拝」とまで行きますか?
しかし、これは参考にさせていただきました。

>ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展し>たのではないでしょうか

諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。ただ、法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。日蓮も伝教や順徳などの諡号を使用するでしょうから諡号を肯定していたと思います。
>イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する
>場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

遺骨に魂の定着機能を見ていたとなればたしかにそうなりますね。
遺骨ではなく曼荼羅に向かい経を上げることが「墓番」を守るという筋なのかと思っていましたが、ニュアンスが違ったようです。

>死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

輪廻生死が前提なのかも知れませんが、善所に生じるその前、中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

>それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。
まったく同意です。

>道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれて
>いますね。

これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?
笠塔、五輪塔、廟塔…

>マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから
>日蓮の考えを測ってしまっていませんか

個人的に日蓮は好きです。その曼荼羅にしても魅力があります。
ですがどうも日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。ですので、この霊魂から測って考察していきたいと思っています。
二分化に拘るわけではないのですが、空海と最澄、顕と密、如苑と学会など…
こういった思想の関連性を探るのに「霊」をひとつのキーワードに試みたいと思っています。

1881マハー:2007/05/02(水) 19:43:00
>もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
>地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指しま
>す。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが
>『往生要集』という時系列になりますね。

地獄の表記は、先にパンナコッタさんからも御指摘があったとおり、信者利用の有効な手法として使われて来たと思います。独歩さんのバラモン教からの摂取の他、道教からの融合や、往生要集の逆輸入など中国思想での変化、肉付けの影響も大きいと思います。また往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
妙法華経ではアビーチ地獄が音写され、正法華経では、無可大地獄と訳されるわけですが、下方への方向性を持つ点は地獄観の共通性とも思えます。「落ちる」語を頻繁に使用する教団は危険度が高いと思います。私の今後、研究課題です。


>全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということ
>です。
島田氏の著書だったか失念してしまいましたが、創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」という点が挙げられていました。「なるほど」と思ったものでした。これは信者にとって実際にその形式によって行われなかったとしても、持っているという点だけでも重要なファクターと思います。またこれは、大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

それともうひとつ、全日本仏教会には、真言宗醍醐派が名を連ねております。
例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?スキャンダルな批判に止まってしまいがちと思うのです。

>また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したと
>いう点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与え
>ようもない
財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?
学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思いますし、長い目で見たら現状サービスでは衰退するのではないでしょうか?

>この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

>ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまり
>に簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、
>時間の無駄という気分があります。

オモチャのような教義ほどより恐いというのが実感です。
単純なほどMCは解けないです。
戒壇本尊と言うオモチャの板に何百年も騙され続けているのが現実でしょう。

>いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙
>げている点を留意されなければならないと言うことです。

其の通りですね。鎌倉仏教も空海から見れば新興です。
では日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違うわけです。
伝統的であることは本来、正当である根拠に無関係である筈です。
伝統色を利用して正統であるが如く吹聴しているに過ぎないわけです。

1882彰往考来:2007/05/02(水) 20:51:38

『別冊宝島Real 072 池田大作なき後の創価学会』2007年、宝島社

面白い表題なので買って読んでみました。定価1260円(本体1200円)です。
聖教新聞の印刷委託先の最新リスト検証など興味深い内容もありました。池田大作氏なき後の創価学会は乱世が現出するという人や分裂はないという人、池田本仏論、池田家による世襲など、まあ、色んな人が色んな事を仰っていますが実際どうなるかは誰もわからないということでしょう。
本書から興味のあった箇所を若干引用します。

今年三十五歳になる二世学会員の女性は、創価中学、高校に通い、熱心に学会活動に励んだという。「子どものころから学会以外の世界はなかった。親も先生もみんな池田先生はすばらしいと讃える。私にも池田先生しか見えなかったですね。池田先生の期待に応えるのが私の人生の目標でした。それをなくしたら、私が今までやってきたことがすべて無駄になる。一番怖かったのはそのことだった。あまりに長い時間を学会に捧げましたから、学会以外の世界に人間関係もない。どうしたらいいのかわからない。脱会できない理由はそこにあるんです。これは二世会員に共通する思い」(109頁、この箇所は与那原恵氏の執筆)

もっとも、この板曼荼羅(引用者注:富士大石寺蔵の本門戒壇の大御本尊)には昔からニセモノ説がささやかれていました。大石寺のなかにあって部外者には見られないので、真偽が確認できないのです。ただ、写真で照合してみると、別の紙に書かれた曼荼羅を下絵にして、後世になってから彫刻したものだと判断できます。最近、犀角独歩さんという方が、その実証的な研究を発表しました。実は、日蓮正宗の側は、板曼荼羅が本物ではないことを知っています。創価学会が日蓮正宗を攻撃するために暴露した「川辺メモ」によると、日顕法主(その当持は教学部長)が「本尊は偽物である」と言ったとのことです。(167頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

池田の死後、創価学会の会員は、そして創価学会の組織は、池田の存在がいかに大きなものであったのかを改めて認識することだろう。だが、そのときには風船のようにふくらんだ池田の偉大さは、すでに消えかかっている。池田という存在は、実はバブルだったのではないか。創価学会の組織が虚像化によって懸命にふくらまし、池田自身がそれを演じることで保たれてきたバブルは、一瞬にして消滅してしまうかもしれないのである。(206頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

1883犀角独歩:2007/05/03(木) 12:39:19

マハーさん、なかなか筆力があって、頼もしいですね。

少しお考えになっているだろう危惧感が見えてきました。
「霊」に係る問題点は、細木、江原といったメディアコマーシャリズムに乗った占いやらなんやらと一脈があり、これが大衆的にはスピコンという流行とも連なっているのでしょうね。

日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね。
むしろ、日蓮門下でいえば、ご指摘の「本地垂迹説」を戦前に天皇本尊論として古来よりの天皇本地/釈迦垂迹とした高佐氏が戦後始めて、一大勢力をなしている九識霊断のほうが「霊」を相手取っているでしょう。

創価学会は霊ではなく、大正生命主義を、十界で説明し、かつまたその上昇志向を価値論でアレンジした戸田さんの生命論です。宇宙生命とのつながりから人間革命とやったのが池田さんでした。この教学の基礎理論は、石山信徒団体としての教学を踏襲しながら、生命論は反対に石山に影響を与えました。
霊という考え方は、石山の坊さんにもみられますし、たとえば、わたしが末寺の役員であったとき、塔婆の推進は主要な「営業活動」で促されていましたが、「先祖供養をしないと、障りをなす」なんてことを、坊さんが口にしたのでぎょっとしたことがありました。

> 「悪鬼身に入る」などと用法が近い

なるほど、この視点は納得がいきます。

> 必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではない

ええ、違いますね。たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

>>慈父幽霊
> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

具体的に、どこを指して仰っていますか。

> 偽経

偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

> 十王経が偽経だと定説…昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?

親鸞の原理主義となれば、そういった方向性はありでしょうね。

> 「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?

「都合よく」はいずこも同じで、純粋に日蓮で考えれば、成り立つ日蓮を掲げる集団は、伝統・信仰の如何を問わずひとつとしてなくなるでしょうね。

> 五輪塔は墓石の一種に含め…墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔

わたしは10年以上前、「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修で、何冊か墓地・埋葬に係る本を書きました。しかし、どうも五輪の形成年代については確かな見識を有するに至っていません。

> 法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうか

先に引用したとおり、釈迦に限りません。だいたい、多宝如来もミイラであるとされたりしますが、全文の整合性からすれば、舎利と見るほうが至当であるとわたしは思います。また先に引用したとおり「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことではありませんでしょう。

むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利の分骨騒動が起きたのでしょう。

> 独歩…「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?

いや、違います。富士門下は、砕身(舎利)を捨てて全身(教え)を取ったということです。

> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った

え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

1884犀角独歩:2007/05/03(木) 12:40:15

―1883からつづく―

> …奉安堂そのものが廟堂との見方

いや、奉安堂、正本堂、奉安殿は、彫刻を祀る厨子一式を蔵として、宝蔵と同義です。しかし、実質的には、参拝料をごそっと集めるための5000席の集金システムです。あんな偽物を、偽物と知ったうえでこんな荒稼ぎをやり続ける様は、まったくの悪徳商法というほかありません。

> 廟所=墓所で良い

もちろん、そう考えます。

> 遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もある

石山とその末寺に置かれる三師塔とう三連五輪塔は、まさにその典型です。

> 墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分がある

そのお考えを採っていらっしゃるわけですね。
土葬の頃は、亡者がはい出してこない重しとしたとか、なにより、動物が掘り返したりしないための蓋のような役割であったりといった実用的な側面から、墓石をあの世とこの世をつなぐゲートのように考えたり、センチメンタリズムとも、宗教的ともいえる解釈であったりと様々ですね。

きゃからばあさんというHNのお使いもありますが、五大、もしくは妙法蓮華経の五字に配当するという発展もあったわけですね。塔婆はストゥーパで五輪塔と同等の意義に対して、家名を刻む墓標は家制度先祖代々の象徴ということになるでしょうか。わたしは個人的に霊魂の「依り代」という発想よりは、今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的なのではないかと思えます。

> 日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節

いや、これはないでしょうね。日蓮は霊は、信心があれば霊山に、なければ地獄、もしくは六道輪廻という発想でしょうね。

> 霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要



墓がでしょうか。とすれば、この点は日本人の霊魂を探るうえでは、たしかに重要ですが、日蓮には当て嵌まらないでしょう。
「みたま」は御霊ですか。日蓮の用法は「御魂」です

先にも引用しましたが、日蓮は『文句』の「識陰如霊」(識陰は霊の如し)と引用しています。ここでいう識陰を五陰世間の識をいうのだろうと思います。では、霊については、同じく『文句』に「靈即神智是般若」(霊は即ち神智、是れ般若)というわけです。ここでいう神は、「たましい」、もしくは心を意味し、それが般若=智であるというわけですね。いま言われるような‘スピリチュアル’な意味とは全然違います。つまり日蓮が霊と言うときは、この線でしょう。先祖の霊を日蓮的に訳せば、先祖の遺志ほどの意味となろうかと思えます。

> 日蓮…「遺骨崇拝」とまで行きますか?

この点は、骨と魂ということで後述します。

> 諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。

これは、わたしの文章が拙(まず)いので、マハーさんは判読を取り違えていらっしゃります。わたしは、死後、名を贈るという風習が、本来、大陸からの影響で日本にはあったので、それが戒名にも適用されたと言いたかったのです。

戒名とは戒を受けるときに授かるのが本来の在り方でしょう。ですから、その成り立ちは、よほど、法号に近いわけです。しかし、近代では、無信仰で、ただ、葬儀といえば、寺に頼むといった有り体ですから、生前の受戒名が廃れたのでしょう。そこで死後の段階で遅ればせながら、引導の段階で戒名授与となったというのが歴史ではないですか。それがいつのまにか葬儀の段階で戒名をつけるのが当たり前となり、さらに高じて「生前戒名」を売るような宗教ビジネスまで興りました。嘆かわしい話です。

1885犀角独歩:2007/05/03(木) 12:41:22

―1884からつづく―

> 法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。

これは、違います。院号とは、院を建立寄進した者に与えられる名です。院号には二段階あり、院、そして院殿(いんでん)です。
道号は先の法号のなかでも出家者に与えられるところで区別があります。日蓮門下では日号・房号のひっくるめた言い方でしょう。

この点については戸田浩暁師の不朽の名著『日蓮宗の戒名の理論と実際』によく整理されています。

○○院(殿)=院号・○○=法号・日○=日号・(大)居士/大姉/信士/信女=位号で、この合称を戒名というのが一般です。

> 日蓮…諡号を肯定

当然でしょうね。

> 遺骨に魂の定着機能を見ていた

この魂と骨を、日蓮は密接な関係で論じています。
もっとも端的に表現されるのは『木絵二像開眼之事』のことでしょうか。

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等][云云]。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等[云云]。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也。」

ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

> 中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。
中間ということでは、先にも挙げたとおり、日蓮は「中有」をはっきりと想定しています。説明する必要はないでしょうが、生前は肉身が‘有’り、再生(いまでいう生まれ変わり)すればまた肉身が‘有’ります。この有と有の‘中’間を中有というわけです。しかし、これと冥界は別です。この日蓮の用法では「冥土」でしょう。霊界という考えはありませんでした。

>> 道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。
> これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?

真蹟遺文に書かれてあるわけですから、造立されたのではないでしょう。疑う余地はありません。ただし、その様式は、どうであったのかは、想像の域を出ませんが、わたしは墳墓のようものであったと考えています。

> 日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。

神教とは何を指しますか。
具体的になにが抜けているとお考えですか。

> この霊魂から測って考察していきたい

この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと認識したうえでが原則でしょうね。
わたしは空海・最澄のことをしっかり述べる力量はありませんが、日蓮、天台がいう霊・魂と、真如苑や、スピコンなどでいわれる霊魂とは、意味が全く違います。創価学会の生命は霊魂+十界+宇宙で、また、違います。まず、この点をしっかり整理したうえから検討しないと徒労に終わりますでしょうね。

> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。

具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

1886犀角独歩:2007/05/03(木) 12:42:12

―1884からつづく―

> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。
先にも記しましたが、わたしは父の葬儀を創価学会を通して「日蓮正宗」で行ったのですよ。院号戒名を寺から取ってくれたのも学会の幹部でした。わずか20年ほど前のことです。大正どころか昭和50年代終わりの話です。創価学会が自前の葬儀を始め、戒名不要を言い出して20年も経っていませんよ。また、2代会長戸田さんの奥さんの葬儀は寺院を通じて行われたという実例もあります。

> 例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?

斟酌しかねますが、一例を引きます。過日、復刊された『創価学会批判』という本があります。この本は3部構成で歴史・教理・思想を分けて批判しています。創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ。

> スキャンダルな批判

安永弁哲氏『板本尊偽作論』はこの愚を犯していました。しかし、全体の半分です。

> 財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?

感じていないでしょう。

> 学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思います

何を根拠にこのようなことを仰るのかわかりませんが、何一つ影響を与えていないでしょう。また、一般人にしても「創価学会で友人葬をやっているし、戒名も要らないというから、うちもそうしよう」なんて話があるのですか。創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか。もし、いたらお目にかかりたいですね。
学会をヨイショする嘆かわしい学者が、ここの出版物にそれらしいことを書いていますが、こんなものはどれも幇間以上の意味はないでしょう。鵜呑みにできるような代物ではありません。オモチャと一緒です。オモチャが悪ければ、喧伝、プロパガンダ、自画自賛へ拍手して、稿料をもらっているだけでしょう。学会から称賛されても、それ以外からは白眼視されているところでしょう。嘘は百編ついても本当になりません。

> 実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

具体的にお聞きしたいものです。

> オモチャのような教義ほどより恐い

まあ、これは言える側面は確かにあります。

> 鎌倉仏教も空海から見れば新興です。

その空海も、その当時からすれば、中国の新興の真言宗を、持ち帰った新興であったわけですね。

> 日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違う、…伝統的…正当である根拠に無関係

これはそのとおりだと思います。

> 伝統色を利用して正統であるが如く吹聴

こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね。

1887犀角独歩:2007/05/03(木) 12:44:51

彰往考来さん

宝島は、わたしのほうへも取材協力を呼びかけてきました。
今回のがそれかどうかわかりません。
島田先生、『寺門興隆』につづき、また、わたしのことを紹介くださっていましたか。

1888マハー:2007/05/07(月) 19:27:11
>>1883
犀角独歩さん
>これが大衆的にはスピコンという流行・・・・
>日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね
>たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

ええ。 私もそう思います。しかし「浄霊」と似た発想となる部分はあります。
レスの後で「逆修」について部分で述べたいと思います。

>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

>具体的に、どこを指して仰っていますか。

第一七日過秦廣王 讃曰。 一七亡人中陰身〜
(省略)
〜第十至三年過五道転輪王 讚曰。
 後三所歴是開津  好悪唯憑福業因
 不善尚憂千日內  胎生産死夭亡身

所謂 十仏事 のことを言っています。

御提示の
「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」

では、日蓮はここで、十三仏事を肯定してますよね。
因みに「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事では、
十三年 大日如来
三十三年 虚空蔵
になります。

>偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

そういうことです。
たしかに偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

1889マハー:2007/05/07(月) 19:33:05
>「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修・・・
すばらしいですね。仏教と民俗学は密接に接近すべきと思います。
特に民衆救済を目標とする宗派においては。

>「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことで
>はありませんでしょう。

確かに釈迦に限ったことではありませんが、そこは、「日月浄明徳仏」と言っても、「釈迦が説く、いにしえ、無量恒河沙劫の如来の舎利」 の供養でしょう。菩薩の舎利ではありません。身軽法重、「法華経を説く仏への賛嘆」としての供養を釈迦が語るのですから…
完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利です。
しかも、焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

日蓮門下に舎利供養の意識があることは理解しましたが、しかしそれは即身成仏義からの 「仏の舎利」だからではないかと思います。 考えようによっては法華経によって誰もが成仏するのであれば地獄もそこへ彷徨う霊も想定する必要もないわけで・・・ 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

>多宝如来が舎利・・・
なるほど。確かに死者を表す面であると思いますし、舎利かも知れないですね。
これは法華経を作った人々が何を言い表したかったかと言う事になると思うのですが、もし多宝如来が舎利であるならば、直接「舎利」であること書けずに比喩を持ちいなければならなかった理由が問題ではと思います。

>むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利>の分骨騒動が起きたのでしょう。

中村元氏よると
釈迦の葬方は古来の葬方に反抗していた 部分もある との見解もありますね。
火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く(身分や地域差はあるでしょうが)あったのではないかと思います。遺骨 sariraniの扱い方となるとよくわかりませんが、廟樹(木の下に埋葬)の下で平気で休んだり、好んで瞑想したり、また、遺体遺骨をガンジス川に流したりする風習からすると必ずしも舎利崇拝の歴史が古いとは思わないのですが・・・
ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れないですね、それなりの宗教的意義を見出して行われるのでしょうから。

1890マハー:2007/05/07(月) 19:39:52
>> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った
>え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
>日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

私(マハー)が前レスおいてに「日興が舎利を捨てて場所を取った」との意見でした。
舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」との意見でした。しかしこれは、日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提であり、私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

>今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的

現代の墓石に関して、遺骨の保管という面から長い目で見ると、本当はあまり好ましい環境とは言えないと思うのですが、記念碑的な認識が一般に広がってきた感はします。

>ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

ええ、確かに浄霊や祓いでない。仏教的な舎利供養ですね。
少し日蓮に対して安心しました。
亦、戒名と諡号の件、独歩さんの仰る意図了解致しました。
順修戒名の普及にはその前の逆修戒名の成り立ちがあるわけです。
戒名に限定せず、「逆じめ修める」という考え方と死後とを考える事は無駄ではないと思いますし興味もあります。日蓮の専門家の方々は、「逆修」についてはどうのように御考えになりますか?
私は、日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ、(例えば、「地獄の責め苦を今に受ける」など)であると思うのですが、どうですか?
例え「除霊」や「悪魔祓い」のような発想が直接的にはなくても、この「逆修」の発想はそれにより近い部分があると思います。


>ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。

そうですね。特に「中間」語句の使用をやめて中陰または中有としましょう。
現代一般用語で「冥土」を解釈すると、「裁判と実刑の期間」のようなイメージになりましょうか。
中有と冥土が別とはどういったことでしょうか?
期間と場所を指す違いこそありすれ、同じように思えますが。

1891マハー:2007/05/07(月) 19:58:28
>神教とは何を指しますか。
>具体的になにが抜けているとお考えですか。

もしかしたら、私が知らないだけの生意気な発言だったかも知れません。
先述の民俗信仰と仏教の関りに重点をおく視点として、例えば古神道として南北朝からの「伊勢神道」やそれ以降の吉田神道の興隆、また八幡大菩薩(八幡系)、稲荷系の勢力の影響などです。
資料不足でしっかりとした提示が出来ませんが、鎌倉時代の「伊勢神道」「吉田神道」とも、反本地(神)垂迹(仏)説を唱えただろう事は容易に想像出来ます。これに対して日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる筈です…八幡神(三神?)はこの時代既に大菩薩号を贈られていて、日蓮もその曼荼羅に菩薩号で勧請していますね。迹=諸天(神)=菩薩とする関係性だと思うのですが、どうもしっくり来ないと勘案していたところです。

>この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと
>認識したうえでが原則でしょうね。

スピコンの源流と考えられるタントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

1892マハー:2007/05/07(月) 20:03:07
>> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
>具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

私は言語学的な専門知識は持ち合わせていないことを先にお断りしておきます。
ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。
法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。
これは法華経で説かれる地獄が「有頂天」→「阿鼻獄」の対比などからも想像がつきます。つまり法華経の成立時点では、多種多様な地獄のビジョンは見えておらず、「法華経最高」に対して、逆は「最も悪い」という関係性です。

涅槃経で説かれるところのnirayaは、
「行いの悪い人は、身体のやぶれて死んだ後に、悪いところ、苦しいところ、墜ちるところ、地獄(niraya)に生まれる。」(中村元訳)
ここでも具体的な先入観は見られません。
また閻魔yamaの方角は南方向とされており、釈尊の遺体運ぶとされた方向などでも
上下ではない水平の方向の意思が散見されます。このようなことからも法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しないことが伺えます。是に対して「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。たしかに、この八大地獄にも其々サンスクリット語で、サムガータ、ラウラバなどが割り当てられていますが、これは玄奘が密教化した教典を持ち帰った為であると思います。
上記が私の、「日蓮が法華経のナラカをそのまま受け入れているのとは違う」と記した意図でした。

しかし、私は現代に言われているように、所謂「地獄絵図」を具体的に信者にプッシュする手法が即「破壊的カルト」の常套手段のような言われ方には少々疑問を持っています。脱会などの際の精神的ダメージからの回復の為には、各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。
真如苑の話に戻して恐縮なのですが、苑ではあまり具体的な地獄世界を教えないようです。そこでは「一闡提に堕ちる」と言うような使い方をします。ではそれが実際にどういう状態を指すのかはあまり明確に語られません。しかし「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまうようです。

1893マハー:2007/05/07(月) 20:16:43
>> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。
>これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。

それこそ私の文章が酷いので伝わらなかったようです。(笑
日蓮正宗創価学会が、日蓮正宗の末寺で葬儀することは、自前の葬儀システムを持つことになります。私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてるのです。 例えば、「親鸞会という宗教団体に所属しているけれども、葬儀の時は菩提寺の日蓮宗で行う」と言った場合は内在的な矛盾を抱えている事になり、2代目、3代目は尚更 連綿が難しいのではないかと言うことを言いたかったのです。
これは、必ずしも信仰と葬儀の形式が一致しなければマズイと言うことではなく、寧ろその教団において「信仰と葬儀形式を一致させることも出来る手段」を持っていることの方がより重要です。つまり、「他宗菩提寺での葬儀は致し方ない」けれども、信仰心が強ければ、「一番良いところでの葬儀を行ってもらえるのよ」と言った具合ですね。つまり新興宗教団体側は葬儀形式を持った伝統仏教側と少なからず水密関係を築くメリットは大きいと私は見ています。

>こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね

伝統仏教がその布教活動を積極的に行わないのが一番の原因であるのですけれども、檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

>創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか

あるでしょうね。例えば、「大山ねずが神教の葬祭を行い、公営墓地で埋葬する」なんてのに違和感がないでしょう。

>> オモチャのような教義ほどより恐い
>創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ

話は脱線しますが、真如苑では「六時教判」なる教学が存在します。法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とするのですが・・・笑ってしまうような話ですが大真面目です。
現代においてどのような教義を説こうがそれは自由です。ただし、それが恰も何百年以来の伝統的教義であるかの如くの教説は嘘になります。そうなれば、例えばそう言った教義を許容した水密関係側にある仏教団も当然批判の的とされて然るべきと思います。私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しいと言ったのはそのような意味です。真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまうのですが、脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

1894犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:05

マハーさん

>>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響
> 所謂 十仏事 のことを言っています。

この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね。

> 「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事

上述の経と、ここで共通するのは「逆修」という点ですね。
マハーさんの論点は、ここにあるのだろうと思えます。
しかしながら、日蓮には、この考えはなかったでしょう。まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。
逆修戒名という脈絡にもなると思いますが、逆修も、戒名も、ともに日蓮には見られません。

> 偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

いや、わたしがいわんとしていることは、そのようなことではありません。
経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたものだけを偽経というのはナンセンスではないかということです。
輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単純なものではないとわたしは思えます。

> 完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利

法華経における舎利崇拝はあり、また、日蓮においては『木絵二像開眼之事』に舎利崇拝が見られることを見たということです。
また、日蓮の門下には親を荼毘に付し、遺骨を日蓮の許に追善供養のために持っていった有様が窺えました。しかしながら、日本は古来より、捨て墓(遺体を投げ捨てる)、もしくは土葬が風習で、荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます。

> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

> 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

そうですね。

> 火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く…舎利崇拝の歴史が古いとは思わない

わたしが記したことは、釈迦を荼毘に付し、その遺骨争奪が起きたのは、その前提として、遺骨崇拝があったから、つまり、遺骨崇拝は釈迦集団以前にあったという点のみです。

> ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れない

ええ、もちろん、そんなことは記していません。

> 舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」

なるほど、そういったご見解ですか。
日興にとって、日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

> 日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提

なるほど。

> 私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

先祖供養に積極的ではないのは、創価学会の特徴であっても、日興門下の特徴ではありません、と言いたいところなのですが、砕身舎利を軽視したのは事実ですから、そのイメージはなきにしもあらずということになりますか。

1895犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:59

―1894からつづく―

やや、話が拡散しているのは、舎利、遺骨、墓、先祖供養は一本の線でつながりますが、それぞれ個別の崇拝でもあるという点でしょうね。

舎利というとき、これは仏舎利を指すわけで、遺骨とは区別されます。
舎利崇拝は釈迦崇拝のひとつの形ですが、その舎利を祀る塔崇拝へ転換もし、さらに経塔崇拝から、話題になってきたような五輪塔崇拝という変遷も見せました。

遺骨崇拝は、日蓮で見る限り、魂の去った遺骨を法華経で供養することによって即身成仏させるという法門を伴う形で尊重されていくわけです。これは舎利崇拝とは一線を画します。

また、墓はマハーさんが仰るように、遺骨を埋納された特定の場所を指すわけですが、このうえに置かれる墓碑の崇拝にはつながりません。しかし、これが五輪塔といった塔を形成するとなれば、先の塔崇拝の習合します。この点は、その後の卒塔婆とも連なっていき、卒塔婆崇拝は、写本遺文で見られることになります。塔は崇拝になっていくわけでした。

また、(霊)位牌、石山では「神座」とも記しますが、故人の戒名を記した位牌崇拝という風習は古くからあり、また、日蓮門下では御影像崇拝ということも興ります。これらは祖霊崇拝のあらわれなのでしょう。道教の影響でしょうか。

ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

日興は、日蓮の遺骨を捨て去りましたが、御影像を造って、それを生前の日蓮のように崇めたわけです。やがて、この日蓮の像は漫荼羅と一体視もされるようになるという変遷もまた見られ、こうなると、漫荼羅は日蓮その人の替わりともなります。この典型が人即法本尊という見地で、これを即断すればもはや日蓮の墓も遺骨もかえりみなくなったのが石山の有様です。

「創価学会は墓園事業には熱心だが墓参りには無関心」というのは、よくいわれることです。創価学会には遺骨に霊魂が宿るという発想は「ない」と言いきってもよいかもしれません。「生命は宇宙に冥伏する」というのが、戸田さん已来の考えでしょう。

やや、話題に上がりつつありますが、すぴこんという奇妙な展開を見せる「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハーさんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

その視点を睨んで記せば、スピリチュアルといわれる亡者の「霊」は、生者を守護したり、災いをなしたりといった働きかけをするととらえられますが、創価学会でいう「死後の生命」は、宇宙に冥伏しているばかりで、生者に影響を与えるとは見なされません。また、この「生命は業を感じる」とし、生前の行いに従ってその生命が苦楽を感じながら、次の生まれ変わりをしていくというのが、創価学会の考え方です。しかし、この死後の生命は、生者に影響を与えるものではありませんから、霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです。ここが、伝統教団がいう先祖供養、またスピリチュアルブームでいう霊の扱いと決定的に違うところでしょう。

1896犀角独歩:2007/05/09(水) 07:23:41

―1895からつづく―

> 日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ

近代の日蓮門下一般を見ると、逆修という考えは根付いています。
『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています。

「預修とも称す。現在では「生前に法号を受けること」の意味に使われているが、本来は死後の往生菩提に資するために、供養を生前に自らの手で行うことをいう。つまり死後の追福はその利益少なく、正前に修する逆修は功徳が大なるものであると考えられた。これらの典拠は『地蔵菩薩本願経』に「若し男子女人ありて、在生に善因を修せず、多く衆罪を造らんに、命終の後、眷属小大為に福利を造るとも、一切の聖事は七分の中にして而も乃ち一を獲るのみ。六分の功徳は生者自ら利す。是を以て未来現在の善男女等、健やかなるとき自ら修するを聞き、分ち分ち巳に獲る」と説くところである。つまり、死後の追福で死者はその功徳の七分の一を受け、七分の六は生者が受けるという。また勝範(九九六−一〇七七)撰の『智無智通用集』などにも見出せる。これによると、逆修忌日を一年間に限定し、三十三回忌まで一三回の仏事を行うものとし、そして「右此日逆修作善七分全得日也」といって、生前みずから逆修すれば、七分の功徳を全得するというのである。このあたりを、その源泉とするものであろう。このことは、日本において平安時代すでに逆修の仏事が行われていたことを物語る。日蓮宗において逆修の仏事が盛んに行われた顕著な例は、中山法華経寺教団にみられる。すなわち一四世紀終末から一五世紀の初頭になると曼荼羅、特に交名部に逆修と刻み込まれた大型の板曼荼羅を始めとして、逆修のために建立した板碑が数多く現出する。このことは中山法華経寺教団の発展過程の中で、逆修の仏事を提唱することで、人々の進行を獲得していったといえる。またこの逆修が人々の中心仏事として定着したともいえると共に、人々の来世への限りない不安感から逆修という仏事が重要視されるに至ったものであろうと思われる。また、檀信徒に逆修法号を授ける場合には単に法号の書付けを渡すのではなく、「授戒式」を行うようにすべきである。式のつとめ方は『宗定法要式』「帰正式」に準ずる。逆修の書式は一例を挙げれば左の如くである。
(表書)=糊入又は奉書を用いて、横二つ折とし、更に、それを縦三つ折にすること。
 法号の内、二文字(日号ある場合には、日号)を朱書する。位号(居士、大師、信士、信女等)は、預修の時に必ず書き入れると限ったものではない。」

日蓮没後100年以降(14世紀)、主に中山法華経寺からとんことです。つまりは、日蓮にその考えはなかったということでしょう。
まあ、ついでに記せば、ここ富士門下では、この逆修は摂取されませんでした。

> 日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる

ええ、これはそのとおりであろうと思います。

> …タントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

これは、非常に簡単明瞭なことです。日蓮にとっては、供養は法華経、それ以外は不要と見なしたからでしょうね。

> ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。

地獄が場所か・状態かというのは、いわば教相と観心のようなものでしょう。
どちらかではなく、両方だと思いますね。。

> 法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。

これは状態ではなく、場所ですね。「地の下一百由旬」などというわけですから。説明するまでもないでしょうが、由旬は帝王は一定の時間に行軍できる距離を指す実数語ですから、つまり、その距離に地底であるという具体的な場所を指していますね。

1897犀角独歩:2007/05/09(水) 07:24:40

―1896からつづく―

> 閻魔yamaの方角は南方向…水平の方向の意思が散見されます

これはすこし混乱がありませんか。
yamaは人で一番最初に死に、一番最初に死の世界に行った人というのがモチーフですが、これが閻魔になって地獄の審判になるのはあとの話です。

yamaの段階では、単に冥府の王で、そこは地獄ではありません。
古代インドでは、冥府も楽園も、仰る水平方向、つまり、歩いていける地続きの場所として想定されていました。しかし、地獄は地の下でした。yamaが閻魔となって地獄と習合した段階で閻魔まで地の下に移動させられたというのが時系列でしょう。また、点は二火道説でも見られるように荼毘に付して煙になった遺体が上る方向ですから、天です。つまり、地から見た上と見なされていました。神が天と同じ梵語の訳であることも頷けます。
冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした。
岩本裕師は『極楽と地獄』のなかで

「地獄の信仰なり思想なりがインドの原住民の宗教信仰の影響で成立したという証拠はまったく知られていない。
ところが、インダス文明の時代以来交流の行われていたチグリス=ユーフラテス河流域には、古くから地獄の思想があったことが知られている。すなわち、この地域には世紀三千年のころから栄えたシュメール族の間には「戻ることのない国」クルの信仰があった。冥府クルは地下の陰鬱な国で、バビロニアおよびアッシリアのアラルルー、ヘブライ族のシェーオールとともに、セム民俗が古くからもっていた地獄思想の表象である…地獄についての信仰は世紀前十世紀ごろよりのちにインドに達したと考えられる」(P163)

といいます。つまり起源の段階で既に「地下の陰鬱な国」とされているわけです。

> 法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しない

法華経では「下至阿鼻地獄」ですね。
日蓮門下で、ヤマ天という発想は希薄でしょうね。

> 「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。

この具体的位置を、日蓮は『往生要集』によったのか、『法華経』に基づいたのかという投げかけですか。なるほど。

>…各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。

これはなかなかのご賢察であると思います。

1898犀角独歩:2007/05/09(水) 07:25:19

―1897からつづく―

> 真如苑…「一闡提に堕ちる」…「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまう

「一闡提」語の用法は独特ですが、特定語の恐怖操作は、ありがちな操作ですね。

> 私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてる

これは了解しました。

> 檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

まあ、ここはどうでしょうか。自治権に関わる問題ですね。
取り敢えず、長くなるのでスルーします。

>> 創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか
> あるでしょうね。

そのご見解ですか。
こう記せば、少しコンセンスが取れるかも知れません。
わたしが創価学会の影響を評価しないのは、特定グループののプロパガンダには引っかからないという前提です。この点はマハーさんも同様ではないでしょうか。要は、創価学会の友人葬は日本社会の葬儀に大きな影響を与えている=創価学会はすごい、という学者を担ぎ出してのお祭り騒ぎには慎重に傍観するという立場だからです。

> 真如苑では「六時教判」なる教学…法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とする

六時教判という言葉は、笑止千万ですが、涅槃最勝は天台が出現した前夜の中国仏教の在り方そのものですね。
故に華厳ばりであった天台が法華最為第一を打ち出すに当たって、華厳経を籍り、涅槃と法華の同時としなければならなかったのであろうと考えています。

> 私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しい

これは当然のことでしょう。

> 真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまう…脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

慎重を期すことはけっこうなことだと思います。
ただ、真言宗醍醐派を批正するという側面は、それなりの興味を誘いますね。

1899マハー:2007/05/21(月) 19:57:46
独歩さん
御返事が遅れて申し訳ありません。

>この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引
>用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね

文献的視点となればそういうことになります。
>>1894
>まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。

確かに文献的視点となれば「逆修」語句そのものの使用はなかったでしょうが、「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います。日蓮にとって「入道」も「十三回忌」も単なる通過儀礼ということではないだろうと思います。
何かしらの宗教的意味があったはずです。
十三回忌に法華経通読するのは、
「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善するもの、入道は「死後に備えて在家のままでの出家」ですよね。(在家の出家は矛盾しますが、そもそも矛盾してるのが逆修ですから)

>経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたもの>だけを偽経というのはナンセンスではないかということです。

文献的視点で言えば偽経となりますが、仏教の発展と見れば、中国で創作されたからとの理由だけで斥けるのは確かにナンセンスと思います。
ただ…この辺の判断は難しいですよね。
日本で作られた同じ偽経の「地蔵十王経」は?
偽経ではないが、偽作の「逆修日記事」、まして日蓮遺文の偽作も多いでしょう。
文化として根付いてしまったのは致し方ないけれども…しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要と思います。

>輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単
>純なものではないとわたしは思えます。

はい。私もそのように思います。そこで「日本人の先祖観」を取り上げなければならないと考えています。日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

>荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます

私も同意です。
しかも、もうひとつかなり特殊だと思えることは、佐渡の住人が身延に墓所を持つと言うことです。

1900マハー:2007/05/21(月) 20:01:24
1899から続き

>> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

>判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

薬王菩薩本事品第二十三での
一切衆生憙見菩薩の焼身供養の件のことです。
「於日月浄明徳仏前。以天宝衣。而自纏身已。潅諸香油。以神通力願。而自燃身。光明遍照。」
「日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す」

布で巻いて油を注いでの点火の仕方は釈尊の葬法と似ていますが、この菩薩の舎利についてはその後出てきません。舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れているのではないかと思います。法華経や涅槃経で提議している舎利供養とは結局、「偉大な仏の舎利」について我々は如何すれば良いかという着地点です。これは、シャーキャムニのサンガが始めてその死に直面して、火葬という方法をとったことを示し、逆に古来からの順当な葬法ではなく、むしろ様々な方法の中から火葬を選択したことが覗えます。

>日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

大石寺の舎利塔が何時頃からなのか分かりませんが、独歩さんはそれこそ偽遺骨と御考えになっていると言うことでしょうか?
もしそうであれば、それこそ客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

1901マハー:2007/05/21(月) 20:03:16
>>1895

>ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの
>一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典
>型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

なるほど。これは現在では日蓮宗と日蓮正宗の違いとも取れますね。

>「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハー
>さんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

これは確かに悩ましいところです。(笑)
しかし、学会の生命論は、「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えているのだと思います。これは、現代の「生命観」が先にあってそれに依って教学を遡ることになりますが・・・・独歩さんの言うように、大正生命主義との新たな習合を見せたと言えるかも知れません。
戦後の成長期に受け入れられやすかったのでしょう。
こういった生命(宇宙)論よりスピコンの方がもっと伝統的で鎌倉以前からのものであり、実はスピチュアルを取り入れた仏教の方が、より正統的であるとも言えるかもしれません。現代人の感覚が懐古的なものを求める傾向になりつつあるといか、一時的にそのような様相を見せているように感じられます。密教的な「不思議」に魅かれているのでしょうか。
そういう意味では、スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思うのですが、日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。
ですが富士派と「スピチュアル」に限っていえば、「相容れない」と言えるかも知れません。これは何故かと考えるに、日蓮が真言師を批判していることに忠実であるからだけではないですね。また、曼荼羅正意だからでもない・・・
私は「守護神」や「善神」の捉え方ではないかと思っているのですが。
一期一会の曼荼羅に若し「花曼荼羅」のような守護神を決めるような意味を持たせていたら、もっと「スピチュアル」的になっていたのではないかと思います。
守護神ではないが、似たような発想があるとしたら同生天・同名天の倶生神ぐらいですかね。

1902マハー:2007/05/21(月) 20:04:51
>>1896

>墓苑事業 〜
>霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです

葬儀法要は宗教色が薄れていき、人生の通過儀礼のひとつとして扱っていくことになるでしょう。

>『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています

非常に参考になりました。
戒名法号についてはまた折を見て投稿します。

>日蓮にその考えはなかったということでしょう。

「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」
種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

>冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした

少し話が逸れますが、古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていたらしいです。

1903犀角独歩:2007/05/23(水) 07:37:38

マハーさん

> 「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います

なるほど、“逆修の文化圏”から御覧になると、そう映じるかも知れませんね。
日蓮宗一般では行われていることですから、同じように考えられているかも知れません。ただ、ここ富士門下、殊に創価学会を含む大石寺圏からすると、回忌法要は回忌法要、入道は入道で、そこに逆修との脈絡を見ないということになります。

> 「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善
> 入道は「死後に備えて在家のままでの出家」

これも創価学会を含む大石寺圏では、このようには考えられてはいません。

> 文献的視点で言えば偽経…偽経の「地蔵十王経」…偽作の「逆修日記事」…日蓮遺文の偽作も多い

まあ、伝承の編纂ですから、それをまとめた方も偽作という認識がないのが経典創作ですね。この点は『日本国現報善悪霊異記』などでも同様でしょうね。
ただ、日蓮遺文、漫荼羅の偽作は、故意であると考えざるを得ない節があります。

> しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要

そうですね。ですから、ここでは徹底した挙証義務を課して議論をしてきたわけです。

> 日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

法華開会ということですね。


> 荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なこと

そうだと思います。

> かなり特殊だと思える…佐渡の住人が身延に墓所を持つ

浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

> 薬王菩薩…舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れている

なるほど。この点は確認していません。少し調べてみようかと思います。
もし、この線から考えると、門下では日蓮を菩薩と考えていたわけですから、その遺骨と墓所の解釈は、では、どうなのかという視点が生じますね。

> 大石寺の舎利塔…偽遺骨と御考え…客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

ええ、もちろん、そう考えています。
そもそも、重須文献では遺骨が富士にないことは明らかです。それがいつの間にかあることになった。それも、その遺骨は半分しかないわけですね。
もう、かなり古い議論ですが、わたしはこの遺骨半分の記載を通じて、石山にある日蓮のものという遺骨は日目のものであると仮説を立てました。

垂井で荼毘に付された日目の遺骨は、半分ずつ、日尊は鳥辺野に埋葬し、一方、日郷は富士に持ち帰りました。ところが、日郷の持ち帰った日目の遺骨はなくなってしまいます。わたしが石山について嘆息を禁じ得ないのは正式な日目の墓所がここにはないことです。つまり日郷が持ち帰った半身の日目遺骨がない、ところが、石山が日蓮遺骨と主張するものもまた、“半身”のわけです。
故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯があったのではないのかと、わたしは考えています。
そして、身延の遺骨を「馬の骨」と悪し様に言うようになる頃には、日興が日蓮の遺骨を持って出たと主張する、得意の嘘つき体質が露わになったと言うことでしょう。

1904犀角独歩:2007/05/23(水) 07:38:06

―1903からつづく―

> 学会の生命論

先だって、松本修明師と話す機会がありました。そのとき、この「生命」語について、話題になりました。この語を日蓮門下ではじめて使ったのは里見岸雄であると、伊藤瑞叡師が語っていたということでした。「国立戒壇」語をはじめて使った田中智学の三男です。つまり、戸田さんは、国立戒壇も、生命も、みなこの系統からパクッたことになります。ちなみに「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。それを見て、戸田さんが「これだ!」と思ったかどうかわかりませんが、この人物、パクリに関しては天才的素養を発揮したことになります。

> 「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えている

まあ、そうとも言えますが、日蓮門下の系譜から考えるとき、「生命」語に該当するのは、むしろ、「霊」です。福重照平の『日蓮本仏論』などを読んでも、「霊」語の使用は頻繁であり、富要でも、この点は同様です。もっと言えば、日蓮その人、天台文献もしかりです。

> スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思う

これは、そうでしょうね。スピリチュアリズムというのは、外来思考ですから。
現在、スピリチュアルは「霊性」と訳されるわけです。しかし、意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。霊歌などもそうです。
日蓮が言う「たましい」は神という字を充てるわけですが、この用法と、いまでいうスピリチュアルは天台学の捌きを差し引けば、よく似ています。

> 日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。

この理由は、前項に記したことと無関係ではないと思います。

> 「スピチュアル」…「守護神」…「善神」…同生天・同名天の倶生神ぐらい

まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもありますね。守護神という考え方は、しかし、実に日本的ですね。唯一絶対の神を立てるような文化圏では、こんな考え方は成り立たないわけです。

> 「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」

これは逆修についての引用だと思いますが、わたしは、文字通り、回向 ― 自分の積功累徳を衆生に回り向かわせるということだと考えます。

> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたものであったわけですね。全文が偽書とは思いませんが、かなり混入があり、全体を信頼するわけにはいかない本であると思っています。

> …古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていた

これは、わたしも、この手の文献を読んだ記憶があります。

1905マハー:2007/05/24(木) 20:57:59
>>1903-1904
犀角独歩さん
大変勉強なりました。御礼申し上げます。

>故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯が
>あったのではないのか

直感的な物言いで申し訳ありませんが、仰られるようなことが充分有得たのではないかと思います。時期的検証や文献的な検証を挙げる能力は私にはありませんが、天文法華の乱や本末制度幕策の影響とか動機がなんとなくですが、ありそうです。

>浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような
>風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

ええ、私も有得ると思います。

>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

なるほど。健康法の本だったのですか。驚きました。
新宗教の大概のものはなんらかのパクリです。
例えば霊感商法などが近年騒がれましたが、伊勢講の御師による御初穂や旦那廻りにその走りを見る事が出来ます。

>意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。

精神 Spirit の意味あいですね。
私は、これからのBuddhismはそのような「Spirit」を選択していくべきと思います。

>まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもあ
>りますね

シャーマニズムや陰陽道などを色濃く反映したものは、神を意識しないように見えますが、根拠立てを求めると最終的にはアミニズムに行き着くと思います。
不思議な体験とか超能力のようなものを喧伝する宗教は、挙証主義からは程遠い世界です。最後には体験がものを言いますからね。
仏教は膨大な資料と論理的な深みがあるので、単純なアミニズム思想の理屈付けに利用して、信者を煙に巻くのには最適ですね。

>> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?
>この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたもの

なるほど。
割合はともかく、功徳が分配できるような思想は日蓮本人のものとは違うかも知れませんね。後世の加筆かも・・・


今回、掲示板に参加させていただいて得るものが大きかったです。
管理人様はじめ、賢学の諸氏さまに感謝致します。

1906東条英機:2007/08/24(金) 19:53:11
戦後、戸田城聖氏が創価学会を再興し隆盛を極め、政界にも進出そして後継の池田大作氏の時代なり衆議院にも進出
第四極の階層に希望を与え続けたのは事実だと思います、『第四極の階層(どの階層にも属さない所謂政治から取り残された人たち)』
しかし現在の創価学会・公明党は国家が衰退するときに必ず生じる少子高齢化現象、それは国民の精神的退行から始まるアブセンチズムが原因
だが、この事象を先取りして根本制度改革を推進する政治力が欠落している、

1907再挑戦者:2007/08/24(金) 23:13:42
、、失礼します。
 お名前が「、、」とは、実在の実名でも御座います。
 お心の御発信には御敬意を感じます。 しかし、ソコハカと無く、、怖い、??、、右翼的な、?? 、、かを感じます、? が、?

1908東条英機:2007/08/25(土) 19:00:23
再挑戦者殿
はじめまして 小生は創価学会・公明党関係者でも日蓮正宗関係者でも児玉・小佐野・笹川ライン関係者でも
ありません。
ごく普通の一般人ですよ。
全てに功罪はある事を伝えたいだけです、

1909再挑戦者:2007/08/25(土) 20:31:28
 ドーモです。
 当該HPの一応のルールでは、初めて御投稿されます場合は、それに先立って「自己紹介のスレッド」、にて、概略の信仰歴、現在までの変遷歴、今後の希望的展望などをご説明されて欲しいものですが、、?
 御気に障られましたならば、御免下さいませ。

1910偶ロム偶ログ:2007/08/29(水) 15:16:42
些細なことですが、

>1904
>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

桜沢如一著「カレル「人間」解説 : 人間革命なくして社会革命なし」東京P.U.C 1947年
のことかと思われますが、戸田氏が流用したのは
南原繁著「人間革命」東京大学新聞社出版部1948年
の方ではなかったかと記憶しています。

1911犀角独歩:2007/08/29(水) 18:10:22

1904はわたしの投稿です。

“人間革命”という用語について大橋慈譲氏の『佛教思想と富士教学』の“日亨上人を偲び奉る(16)”に「亨師は亦大変健康に十分気を付けられた。大浦孝秋の『人間革命』を購読され、青汁療法を永年に亘って実行されていた」(P345)とあったからです。

このことから、わたしは、戸田さんは、この日亨氏の有様を傍らで見ていて、この書名を‘いただいた’のだと類推していました。

ところが、いまネットで検索すると大浦孝秋著『人間革命』は見つかりません。しかし、‘青汁療法’‘大浦孝秋’‘人間’といった条件で探すと『人間医学』という一項がヒットします。

http://www.mishimaiin.jp/sonota8.htm

『佛教思想と富士教学』の誤植か、はたまた大橋氏の記憶違いか、それとも、本当に同名の書籍があったのか、答え保留となりました。
どなたか、この点をご教示いただければ幸甚です。

戸田さんの盗用については1910:偶ロム偶ログのほうがたぶん合っているのだろうと思います。

1912顕正居士:2007/08/29(水) 18:25:23
この「人間革命」という言葉は終戦後一時流行したものです。終戦後初代の東大総長に就任した
南原繁が昭和21年紀元節に行った「新日本文化の創造」と題する総長演説に起源があります。

「日本に欠けているものは『人間意識』であり、『人間性理想』であったと表明。よってその実現を
目指す主体的な人間革命による新たな国民精神の創造こそが世界的な普遍性に立つ、新日本
文化の創造、道義国家日本の建設の道であること、それが日本が世界と自らとに犯した過去へ
のつぐないを果たし、「民族の復活と新生」につながる方向である」
http://www.t-shinpo.com/tokusyu/ijin2.html
書籍  南原繁著『人間革命』東京大学新聞社1948年3月刊

時期内容ともに合致しますので戸田城聖の小説の題は南原繁由来だと考えます。

1913犀角独歩:2007/08/29(水) 19:06:56

1912:顕正居士さん

いつもながら、鋭敏なご教示、まことに有り難うございます。
参考になりました。

1914偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 15:03:00
オフ会および同スレッドでの、「創価学会ひとり勝ち」云々について。

「学会のひとり勝ち」
私は、発表者とは全く違う立場ですが、このタームには似たような感想をもっています。
何に勝ったとのか、発表ではよくわかりませんでしたが、要するに「学会VS反学会」という図式でのことでしょう。
反学会の動きは1974年に表面化した言論出版妨害事件までは、ミニコミでは多少ありましたが、マスコミではほとんどなされていませんでした。
批判のほとんどは、他宗教によるもので、各教団は機関紙誌で批判したり独自に冊子を出版したり、宗教関係や仏教関係の新聞で批判を続けていました。
それが言論出版妨害事件を契機に週刊誌や月刊誌が批判の中心になります。
池田氏は1970年の本部総会で公式謝罪をすることになり、公明党議員の学会内役職兼任をやめざるをえませんでした。
さらに第一次宗創紛争では学会からも批判者・造反者が出て宗門の学会批判僧侶とともに学会批判をはじめました。
このときには山友・原島といった除名幹部が、内藤国夫氏や元学会で檀徒になっていた週刊誌データマンの段勲氏などの協力で週刊誌・月刊誌で批判キャンペーンをくりひろげました。
第一次紛争にいたるマスコミの学会批判は、じつは創共協定が発端となっています。
また池田氏の宗門離れというか距離を置く言動は正本堂建立後に顕著になっていきます。
結果、池田氏は会長辞任と法華講総講頭辞任に追い込まれました。
後任の第四代会長に北条浩氏が就任しましたが、これは池田氏の指名でした。
北条氏の死去にともなって第五代会長に秋谷栄之助氏が就任、これも池田氏の指名です。
その後、池田氏の法華講総講頭再任で宗創蜜月が復活しましたが、これも第二次宗創紛争で完全決裂しました。
第二次紛争とほぼ同時に連立政権をめぐっての反創価公明キャンペーンが週刊誌などで復活します。
この時期は自民党・他教団・一部マスコミ・四月会が連携しました。
これほど長期間にわたり断続的に批判キャンペーンを受けたにもかかわらず、学会員はそれほど減少しているように見えません。
それどころか、各地の座談会では、大石寺に行ったことが無い会員が確実に増えてもいます。
また、公明党も国政では議席を減らしているものの政権与党になり、地方議会選挙では落選者をほとんど出していません。
他の教団はほとんどが政治と直接関与することを回避するようになってしまいました。
マスコミも単発的には批判はしますが、キャンペーンをはるようなことはなくなってしまいました。

こういった流れを、学会では「師弟勝利の歴史」と名づけているようです。
個々には四月会参加教団の分裂や実質的解散、参加国会議員の失脚、一部週刊誌とライターの名誉棄損での断罪、などなど。
これらは創価新報や聖教新聞の座談会で繰り返し続けられています。

つまり、学会は批判にびくともしていない、池田氏の数々の名誉称号受賞、政権与党、地方議会でのキャスティングボートなどが証明している、という論理です。
オフ会の発表者はそのような学会の実状・体質を報告してくれましたが、彼がそのように思っているということではありません。
彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

私は、不愉快になるどころか、あらためて学会に対する警戒と批判の必要性を感じましたし、反省するところがありました。

1915犀角独歩:2007/09/05(水) 18:50:11

> 彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

ここなんですよ、わたしも凝視したのは。
ただ、それが皮肉なのか・本気なのか、わたしはこの方とあまり付き合いがないので、よくわかりませんでした。けれど、偶ロム偶ログさんが、そう仰ったので、「やはり、そうか」という気分で受け止めました。

反学会側のタームは、大きく二つあります。一つは「創価学会には功徳がない」、もう一つは「事実を糾明して、創価学会に打撃を与える」

実はこの二つを総括したのが今回のご発表であったろうとわたしは傾聴していました。

顕正会あたりは、盛んに創価学会は正本堂以降、功徳がなくなった(この功徳という用法は学会を含む石山圏独特ですが、いまはそのまま使用します)というわけですが、モーニングさんが示す学会像は180度逆なわけです。「本尊も、教義も、みな二次的副次的なことだ。事実、創価学会には功徳と福運と実証が溢れている」という反学会の意見を真っ向から覆す意見を以前から述べていたわけです。つまり「創価学会にはほかなど問題にならない功徳がある」ということを「勝ち」と表現しているわけです。

今回は「仇討ち」という点にスポットが当たってしまったために、モーニングさんが述べたもう一つの結論が忘れられてしまいました。こう仰った。「われわれ学会員が伝えるものは、本尊でもなければ、教義でもない。学会精神なのだ。勝つまでやり続ける生命力を一人になって貫くということ。この学会精神がどんなものかは、学会員でなければわからない。教義などという小難しい話で説明するのではなく、会員の魂と情熱に訴える大合唱、『学会歌』という老いも若きも、学も無学も、共に手拍子をし、肩組み合って歌うなかに、端的にみることができる」

これはわたしはそのとおりだと思います、もちろん、賛同するか、否かは各人の見解ですが。

島田先生の学会分析は、外から見た創価学会の分析であり、長時間の熱弁であり、実に精緻なものでした。新たな視点が満載でした。この点は、あとから記そうと思います。
この島田先生の発表に対して、内から見た創価学会分析は、短時間の穏やかにして、しかもまた、違う意味で精緻であったと、わたしは聴きました。

島田先生は講演の終わりに「独歩さんが、いくら本尊の真偽をやっても、創価学会はびくともしないでしょう」と括りました。そのことをモーニングさんは「創価学会は本尊論は一貫している。今後、変更することはない。過去を振り返ることもしない」

そうでしょう。学会員にとっては、まさにそうでしょう。
さて、では、ここから、どうやって、「一本」を取るか、わたしは挑戦をやめたわけではありません。

1916再挑戦者:2007/09/05(水) 22:50:09
 横レス失礼。
 <、、いくら、、真偽、、やっても、、びくとも、、しないでしょう>。
 
 なかなか、含蓄のある考察ではございます。 
 ただ、あくまでも、一度か日蓮曼荼羅さまを拝んだ方では無いようです・・。
 当該のお方は、最高学府の東大の一分野の学徒・研究者に過ぎませんか。
 生きるか・死ぬか・・の修羅場を何十回も体験・実感した我らは、こんなアマチャン・ヤワな考察には、No、、と言わざるを得ません・・。 
 今後とも、諸賢の御提言には、関心・維持だけは、と存知ますが。

1917犀角独歩:2007/09/05(水) 23:01:46

再挑戦者さん

いや、島田先生の分析は、たしかでしょう。
要は、漫荼羅鑑別などでは、創価学会は微動谷もしないという分析については、です。

ただし、今後は、これまでのように、究竟の閻浮第一の本尊などいう調子ではいかない、では、今後、どうするのか、という次段階で、創価学会は動き出していますから、漫荼羅真偽といった単純な攻め口から、こちら側も、さらに新たな視点、新たな視点を睨んで、事に当たろうと思っています。

戸田さんの言葉を奪って言えば「追撃の手は緩めない」といったところです。

1918再挑戦者:2007/09/05(水) 23:54:24
、、、。
 
 ドーモ、、。
 今後には・・・・・???
 タダ、 弱者が、ボコボコ、、と痛められるのは、許容外かも〜〜?

1919偶ロム偶ログ:2007/09/06(木) 00:12:22
真偽スレの1837でこちらへの移動を提案したので、ひとこと。

私は高校時代にはじめてひとり折伏し、彼は学会に入りました。
大学時代には学内組織の春の新勧で一年生、二年生と二回やり、それぞれ数人が入ったと思いますが、これは代わる代わる何人かでの折伏でした。
私は学生時代に学会をやめましたが、卒業までの約二年半は、ある意味ではたいへんでした。
最初は学内メンバーとやりあっていたのですが、二週間たつかたたないうちに私とは一切口をきくなということになり、しかたなく、別サークルで学会批判を続けたものです。
真偽スレにも書きましたが、私は学会からすれば退転者であり謗法となったわけです。
私は幸いなことに熱心な学生部員でもなく、力説して折伏したこともうりません。
高校時代の折伏は、自暴自棄に陥っていた友人に対して、気分転換を勧めるようなもので、彼が入ったのには私が驚いてしまったくらいです。
私は学会、檀徒会、法華講を体験はしていますが元来組織が嫌いでしたから、みなさんのようなバリ活だったことはほとんどありません。
せいぜい、檀徒会のころに親類一家七人を脱会させて法華講に入れたていどです。
その後、私が正宗じたいから離れてから親類一家には本尊論や血脈問題、その他で正宗批判を続けましたが、彼らは反論せず、私の意見を受け入れたうえで、法華講にとどまっています。
「学会をやめて法華講に移ったのに、いまさらどこに行けばいいんだ」
学会では地方組織の大幹部、法華講では総代になった一家です。
受け皿のないままやめさせることはできませんし、いまでは信徒というより檀家というかんじでいるようです。

ほとんど参考にならないですね。すみません。

1920犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:17

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』からの移動を、偶ロム偶ログさんから促されましたが、彫刻本尊に係る内容を少し書いておきたいので、敢えてそちらに記しました。

さて、こちらでは、『創価学会の功罪を考える』という筋から、少々記したいと思います。

このスレッド名で重要な点は功罪ということでしょう。罪過のみではなく、功績も考えるということです。

この二つはしかし、実は肯定的な立場にある人と、否定的な立場にある人では、そのバランスがまことに悪いわけです。

肯定派は、功績を肥大した形で論じますし、否定は罪過を肥大して論じるからです。まずはバランスよく考えること、つまり、実像をしっかり見据えることが第一歩となるわけです。

この点で偶ロム偶ログさんの視点は明晰なのだと思います。
わたしは脱会者としての被害者意識と、脱会後の活動家自体の自画像については加害者意識が、どうやら強いようで、厳正な中立的な分析に欠く嫌いがあったのだと、現時点で自己分析をしています。

しかし、時間というのは最大の治療師のようで、今回の合宿でモーニングさんのご発表を拝聴した際、わたし自身の関心事は、このような創価学会肯定型の内容を自分の感情がどう受け止めるのかということでした。

モーニングさんご自身にも告げましたが、わたしの第一の感想は「懐かしい」というところでした。もはや、二度と謳うこともない「学会歌」の歌詞と、クールではあるけれど、如何に創価学会幹部然とした発表した有様が、脱けて17年にして見聞するとき、どこか青春時代に命がけになっていた自分とシンクロするところがあったようでした。

問答さんとのやりとりとも関連しますが、わたしが半生をかけて何もかもを犠牲にしながらやってきた信仰、本尊と教義は“偽物”であったわけです。しかし、そこから振り返ると、その偽物の本尊と教義を信じ込んだ集団と人々のあの熱烈な信仰と行動力の源泉、創価学会の用語を使えば“生命力”は、では、どこから発生していたのだろうという新たな疑念が生じたわけです。

創価学会には功徳がないという批判はあるものの、今回のモーニングさんのご発表のように、「勝った」という実感を有する会員がいるからこそ、創価学会の現行勢力は保たれているのでしょう。ここには生命力と功徳を実感する人々がいるわけです。

たしかにカルトという言葉は熱狂的な信仰というのが、原意であって、では、その教義は真かといえば偽である、偽であるけれど、熱狂的な感動がそこにあるという反比例があるわけです。

たぶん、このような構造のなかで、感動し、“功徳”を実感する人々の心象は、偽の本尊・教義とは裏腹に、真として存在しているのだろうと思えます。
となると、ある意味、本尊・教義の真偽を問うことはナンセンスということになります。

では、この生命力の源泉、モーニングさんの言い方を借りれば、「勝ち」の源泉とはいったい何なのか、それを発表では「学会精神」だと結論していたわけです。全てを勝ちに変えていくプラス思考、それが学会精神なのだとモーニングさんはいうわけです。

1921犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:56

―1920からつづく―

楠山師は『立正安国論』を現代に読むという視点から日蓮の発想はプラス思考であり、念仏法然のマイナス思考と対峙すると分析していました。島田師は、わたしに対して本尊鑑別を行ったところで創価学会はびくともしないとも語ったわけです。両師によって出そろった結論は、ある面、なぜ、創価学会が日本最大の新興団体になったのか、また、会長が交代しようが何しようが、その勢力を保ち続けているのか、その要員について、モーニングさんの「学会精神」という結論と、実はまったく齟齬を来していないという一連の脈絡が、実が今回の合宿を通じた総体的な結論の一つになっていたことに、開催者であり、かつ、脱会者であるわたし自身がいちばん驚きました。

しかし、このような脈絡については、偶ロム偶ログさんは先刻ご承知なのであって、だからこそ、創価学会の功罪を見る実に長けたバランス感覚がそこにあったのだと改めて思いました。

では、一字三礼さんが仰ったような反対意見が的はずれなのかといえば、わたしは、そんなことを言いたいわけではない。つまり、このような創価学会の有様に「No!」という選択をした側は、罪過面がそこに何ら反映されていないという点を見ているからだと思います。その意味において、一字三礼さんの反応もまた、もっともだと思えます。

この点で、モーニングさんは、「創価学会は過去を振り返らない」、こう仰った。つまり、過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言によって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、やはり、「冗談じゃない」ということになります。

先の学会精神ということに関連しますが、創価学会が言う師弟共戦で、かつて負けを喫した師匠を、逆転必勝に導いてきたのは何か、それが「仇討ち」なのだというのがモーニングさんがいうところでした。

法然は父親の夜襲で失い、その絶命の間際に「決して仇討ちをしてはならない。仇討ちはまた次の仇討ちを生む」と諭して出家して菩提を弔ってくれるよう遺言し、その亡父の逝去の年齢に法然念仏宗をはじめたと物語されてきたわけです。

法然の逸話と比し、いまの創価学会が仇討ちで「勝ち」を取ったという認識をするとき、しかし、メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

わたしは学会・顕正会を含む石山圏から距離を置き、通仏教をみるようになったとき、その寂照とした有様に魅了されました。前者の動的様は、本来、仏教がもっていた静的な部分から見ると、実に生臭く感じたという自分史があります。

この点は、一字三礼さんにご意見をお伺いしたいと思うのですが、漢訳のみならず、サンスクリット語原典も視野に入れて渉猟されてきた該博な知識からすると、この点で、モーニングさんの、というより、学会精神・仇討ちといわれるところに不快感が生じたのではないかと、わたしは観察しました。


雑駁な文章となりましたが、偶ロム偶ログさん、一字三礼さんほか、皆さんから、ご批正を賜れれば有り難く存じます。

1922犀角独歩:2007/09/08(土) 09:29:45

相変わらず訂正、すみません。

【1920】

誤)脱会後の活動家自体の自画像…中立的な分析に欠く嫌い
正)脱会後の活動家時代の自画像…中立的な分析に欠くきらい

誤)如何に創価学会幹部然とした
正)いかにも創価学会幹部然とした

【1921】

誤)その勢力を保ち続けているのか、その要員について
正)その勢力を保ち続けているのか、その要因について

誤)法然は父親の夜襲で失い
正)法然は父親を夜襲で失い

1923パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:36:55
"その後も、深い爪痕を残す宗教"の一つであると言う事は、疑う余地はありませんね。
ただ、必要以上に罪悪感を感じてしまい、その重圧で身動きが取れないような事になっては
良くありませんね。 問答さんの示されたスタンスは、規範にも成りうる物かと思います。

学会歌の仇討ちの件につきましては、当の発表時に
「末端会員の間では歌われておらず、知らない人も多いじゃないか」と、
自分はツッコミを入れましたが、ちと温度差のある対応でしたね。

自分なりに振り返ってみれば仇討ちの復讐心は、牧口初代の獄死に対して
日本国及び日本に向けられていた感情をある意味、教団拡大の推進力に
していたんじゃないかと思えます。
また、第二次創宗紛争以降は、会長勇退→横浜で一人立つ を強調しはじめて、
"その復讐心"と増悪を、事情を良く知らない末端会員にも煽っていたのを憶えています。

勇ましい歌詞をつけた軍歌調の歌で集団の結束を図る というやり方は時代にそぐわなくなってきたのは
おそらく事実でしょう。 しかしながら主観ではありますが、この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、
広布に走れ・紅の歌・威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図る という打ち出しをしそうな気がしますね。

1925パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:44:03
すみません。
 >日本国及び日本 → 日本国政府及び日本
    です。

管理人さん、すみません >1924は、削除してください。
お手数かけます。

1926一字三礼:2007/09/08(土) 23:25:21

犀角独歩さん

私は創価学会の歴史や事情はよく知りません。ただ、日蓮正宗の在家団体から破門・独立の経緯があり、現在にいたるのであろうと思う程度です。

だから、「創価学会は、興門系日蓮法華を奉ずる仏教団体」であるとの認識がありました。

私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。
いったい、何を布教して勝ったつもりになっているのか。
だいたい誰かに‘勝つ’だの‘負ける’だの仏教では否定されるべき価値観でしょう。

私以外の合宿参加のみなさんは、たいへんに博識で、創価学会の特殊な用語や事情を熟知した上で発表をお聞きになったのだと思います。

>メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

私もまったく同様に思います。創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

1927偶ロム偶ログ:2007/09/09(日) 03:10:18
一字三礼さん

>創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

難しいところですね。現在の創価学会は「池田思想」という非常に曖昧なものを信奉し、それを広めることをもって広宣流布と呼んでいるように見受けられます。
それだけであれば確かに「仏教団体」ではないと考えることができ、ある意味すっきりするのですが、、、。
彼らはいま現在も、漫荼羅本尊に向かい略式とはいえ勤行をし、多少は御書を読んでもいますから、「仏教系の団体」ではある、というところではないでしょうか。

>私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、
>仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。

まったくおっしゃるとおりで、三十年前、四十年前の創価学会を知っている私や独歩さんからすれば、まったく知らない違う団体になったとしか思えない、そう感じるわけです。
しかし、モーニングさんが「仇討ちの精神」と発表されたとき、その言葉は、忘れていたけれどたしかに聞き覚えのあるものでした。
その「仇討ちの精神」は戦後、戸田城聖氏が牧口常三郎初代会長の三回忌の席上で発言したことに原点がある、というモーニングさんの指摘は正しいでしょう。
それから現在に至るまでことあるごとに学会員はそれを刷り込まれ続けてきたのです。
当然のことながら、仇討ちは勝たなければなりません、返り討ちにあって負けては「恥」になるわけです。
つまり学会員の公私は「勝利する」という強迫観念に支配されていると私は思っています。
それは池田さんの仇討ちであり学会批判に対する仇討ちであるわけですが、勝利ということについていえば、家庭で、地域で、職場で、学会員でない者には負けてはならない、そういう論理なのです。
独歩さんが指摘された、

>過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言に
>よって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返
>られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都
>合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、
>やはり、「冗談じゃない」ということになります。

という点について言えば、学会員たちは創価学会に入ることで「謝罪から解放」された、ということなのかもしれません。
たとえ謝るようなはめに陥っても、それは池田さんであれば「学会員を守るための屈辱」であり、学会員であれば「池田先生と学会を守るため」にしたこと、そう自分に言い聞かせているのでしょう。
ですから彼らは心の底から反省するとか謝罪するということはない、私はそう思っています。
もし有るとするならばそれは、「池田先生に申し訳ない」という反省であり謝罪でしょう。
反省や自省のない仏教など普通では有り得ません。
ですから私は彼らをせいぜい「仏教系の団体」であるというていどにしか思っていないのです。

パンナコッタさん

>この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、広布に走れ・紅の歌・
>威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図るという打ち出しをしそうな気
>がしますね。

たしかにそうかもしれません。私もそのような気がします。

1928再挑戦者:2007/09/11(火) 20:48:10
偶ロム偶ログさん、
 横からご免下さいませ。
 確か、以前、小生の入信頃では「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。 それが、なぜか、生命の重視に反する、人命の人命軽視をする方向に転換したのか、? 疑義があります。
 選挙の”一票欲しさに、!!!”「、邪宗方との和睦=与同法謗、」に通じる判断力・分析などの欠落こそが、現今の、似ても、似つかぬ、日蓮サンの否定につながった、ようでしょうか、、。
 諸賢様からの貴重な情報提供、いつも謝をいたします所存で御座います。失礼しました。

1929偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 04:22:22
再挑戦者さん

>「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。

おっしゃるとおりでしたね。かつてわが家にはそれぞれ版の違う「折伏教典」が20冊以上もありました。
「折伏教典」は折伏する相手に「勝つためのマニュアル」でしたから、一種の想定問答集でもありました。
創価学会は時代や社会情勢の変化に敏感に対応して、「折伏教典」を頻繁に改訂し続けました。
しかし、それは折伏の現場からの声をくみ取ったものではなく、高学歴の教学陣たちが頭のなかだけで書いたものになっていったように思います。
創価学会の折伏は、いつのまにか民衆救済を目的としたものではなく、創価学会を広めることそれ自体が目的になってしまたように感じます。
かつて「邪宗」と呼んでいたものも、いつのまにか「他宗」になってしまいましたが、その理由は説明していません。
創価学会は、「謝罪」どころか「説明」すらもしない教団になっていますね。

1930犀角独歩:2007/09/12(水) 07:28:50

偶ロム偶ログさん

『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。
最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

1931偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 13:28:21
独歩さん

>『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。

戦前の皇道仏教行道会が出していた『聖衆読本』ともう一冊(ど忘れしてしまいました)を参考にしたと思います。
探し出せば出てくると思いますので、今度コピーをさしあげます。

>最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

大石寺が出したのは数年前の『折伏教本』ですが、最近出たのは
大草一男・編『折伏必携 完成版』(「暁鐘」390号別冊号)平19/04/28発行、713頁、頒価1700円
ですね。まあ、近来まれにみるトンデモ本です。
ちなみに216頁から始まる「第四部疑難破折編第一章本門の大御本尊について」では、
後世の偽作説
日禅授与本尊模写偽造説
脇書接合説
七箇相承違背説
願主不審説
身延無楠説
熱原法難無縁説
その他、全13項目36頁にわたって相変わらずの主張を垂れ流しています。
また241頁からの第二章宗祖本仏義、250頁からの第三章血脈相伝について、でも同様の内輪向け強弁を書いています。
第五部折伏50問50答、270〜379頁
第六部主な邪宗教の破折編、382頁〜688頁
とにかく一冊丸ごと石山体質の塊といったタノシイ本です。

1932犀角独歩:2007/09/13(木) 00:06:52

偶ロム偶ログさん

ご教示、有り難うございます。
『聖衆読本』でしたか。
で、妙観講の本というのは、大石寺すら、その発刊に責任を負っていないという不可思議な本のことですね。
こちらの山では、株式会社大日蓮出版というのを公式に創ったわけで、それはつまり、それ以外の本は、大石寺とは関係ないという表明=妙観発刊物、関係ないという意味ですね。

わたしが大石寺内事部で仕事をしているとき、教学部で許可をしない出版物は大石寺の正式の出版とは認めないと明言していました。
つまり、妙観講の発行物は大石寺の埒外ということ、つまり、内外共に“とんでも本”ということなのですね。
この辺の事情をしっかりと掌握しないと妙観講の出版事業の彼らの販売利益に貢献するだけのことになるわけですね(笑)

1933波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 06:25:08
私の経験から言うと、妙観となんらかのトラブルがあっても石山宗務院は
全く”われ関せず”の態度をとる。

悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、
明言を避ける。

彼らには彼らの僧侶ネットワークがあり、このネットワークの僧侶たちは
裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

1934とおりすがり:2007/09/13(木) 16:45:29
>>悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、明言を避ける。

一言申し上げるが、慧妙は理境坊内にはありません。
一応、富士宮市の住所地を編集地としておりますが、全ては郵便局から転送をし、出版も発送も妙観講本部(西荻窪)で行っております。
しかも、本部の行事の後に、講員を使い発送作業をさせております。
また印刷は共産党の赤旗と同じ印刷所を使用しております。
そもそも慧妙のどこにも「理境坊内」とは書いていない。
根拠不明の論はやめた方が良い。

1935とおりすがり:2007/09/13(木) 16:47:57
>>裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

道心は宗門の通達により廃刊になった。
H師が道心上で慧妙を批判した事も影響している。
つまり上記は似非情報である。

1936波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 18:57:33
>>1934
それは信じがたい。私の調査内容とは不一致。

慧妙には理境坊とは書いていないが編集はこの坊でなされているのは公然の秘密のはず。

>>1935
またねつ造ですか。道心が廃刊になった理由は慧妙とは全く関係のないこと。
あまりにもコジツケ過ぎて君の書き込みは抱腹絶倒ですらある。

だいたいその僧侶は、さかんに道心上でも本覚思想賛美・肯定をやり正宗宗門内でも否定的に
見られていたではないか。

その僧侶もある僧侶グループの片割れであり、道心や慧妙を使い、時には
北海道の法太郎などをその手足として使い謀略的言動や行動すら繰り広げていた
人物の一人ではないか?

旧時局グループのひとつであろうが。

1937阿佛棒:2010/02/22(月) 08:21:35
本日は創価学会禮賛をここにしるし大功徳を得てやろうと
スケベ根性で書き込む次第。

信心というのも要は結果であります。
病気は治らない貧乏である災難に見舞われる念仏者ブキャー

効果なければ信じなくて良し!であります。

現代にいたって創価学会が出現し大ブレイクしたのは
創価学会の教えによって人々が救われた何かがあった。それが思い込みやカンチガイを
含むものとしてもちょっと多過ぎませんか?

今の日本でもっとも悪口雑言を受けているのは池田先生であります。
ヒトラー麻原ビンラディン金正日と並べて世界の大悪人の筆頭であります
全くの善人とは思いませんが
先生がこんなに難を受けるのはもしかしたらオレって本佛って思っても無理からぬ。

一代で本願寺勢力に比肩する一大宗教勢力を作り上げたこの手腕はまさに世界宗教の教祖級であることは
信仰のある無しかかわらず

もっと評価されるべき

1938ちょっと立ち寄りました:2010/04/17(土) 15:45:20
創価公明をすべて悪であるという立場は取らない。何事も功罪があり、その「功」
の部分も冷静に評価すべきである。だが、創価公明の場合はいかにもプロパガンダ的に
「功」のみを過大過剰宣伝し過ぎるからそれが逆効果を生んでいる。
もっと自信をもってどっしり構えるべきではないか?

いずれにせよ池田大作後の創価は大きく方向転換の舵を切らざるを得ないだろう。
もう創価利権ネットワーク体制は縮小していくものと思われる。公明の発展的縮小と撤退、
職業幹部の減少、関連企業の縮小整理等々。

1939悟道掴悟空:2010/05/13(木) 22:47:18
悟道掴悟空と申します。皆さんこん○○は。

別に宗教一派を侮辱するつもりではありませんが、学会は未だに良いとも悪いともいえません。
ただ、天尊を求めているような感じは見受けられます。戸田氏しかり、池田氏しかり。
家系は創価学会なのですが、7〜8年前に、相当幹部のやり方に納得いかず、3度破折、2度手紙でいさめましたが、
未だに念仏僧?のような女々しい題目を送っておられるようで、少し嫌気が差します。
その幹部がとった行動も面白かったですね。当時はあまり問題化していなかった児童虐待動画を私に配布するとか、
増上慢も甚だしい行動を取ってはストーカーみたいにいる。

こういうタイプの人は、たとえば、階段を登っている時に、上段から睨んでいるようなもので、
一言でいうと 「うざい」 。
ハエか何かに集られているのかと思いましたよ、全く…。

池田「先生」にそうメールを送れば忘れ去られるように怒られる。
32歳の男がいうのもなんですが、氏の親の顔が見てみたいです。

しかも幹部を“通さずに”、直接メールを送っても返答なし。
それも一回、二回ではありません。まして十回、二十回でもありません。
百回近くの問答にも、池田大作という男は、一切返答しません。
それにつけて、改竄の寛尊についてどうかと構えれば、師匠の戸田城聖とかいう男は、
何の教育をしてきたのかと思えるほどです。

1940悟道掴悟空:2010/05/14(金) 00:53:29
もう一つ。
日蓮聖人のご教示通りに仏意仏勅(=本門のお釈迦様の本意に準ずる)をこなすと、
世にある全ての不可思議、若しくはその本果を全て開眼できます。
UFOとか霊などの素性も、事象を通して私は説明できます。

また私の仏眼は、その人の過去世を見抜くというものですが、池田大作名誉先生は
○○○良○の後世ではないかと思っていたところ、注法華経にはその三証を垣間見れて面白いです。
総じて、無敵であるかのようにうたい、確かにその通りのかな?という創価学会ですが、
注法華経を仏意仏勅で読むと、何の因行果徳でそうなっていったか垣間見れますので興味ある方はお試しください。
最近になっては確信にいたりました。

口伝である就註法華経口伝には南無妙法蓮華経と火大だけが説かれており、
他にも水大・地大・風大、総じて空大と五つあるのが分かりました。
ちなみに水大は全部書き記しています。空大も一緒のようでしたので書き記しています。

1941悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:37:47
この世の不思議は、全て変易生死(へんにゃくしょうじ)というもので考える事ができます。
分段生死は六道輪廻の狭間で悟れない出世を繰り返すという凡夫にはつき物の生死観ですが、
変易生死は四聖(ししょう)の活発な悟りで、三世自在の時を撰べる生死をする事ができます。
ただ、制限があって、
過去に行く場合はその現在においての定まった条理しか路にする事はできない。
未来に行く場合は、その過去現在を否定できない。
となります。
故に日蓮聖人様の「過去・現在・未来といっても、全く同じである」という理論が確実な結びとなりますね。

オカルトではありませんが、「ノストラダムスは未来から過去に生死を繰り返した」なんてありますけど、そこから考えると変易生死と理論がぴったり一致します。
ただ、弱点があって、時流にそってそうではない場合、簡単に空論になってしまいます。

霊というのは実在します。
「仏の三十二相」といいますけど、三十二相は誰しもが兼ねて備えています。それが不足している場合、人世間に往生できない。そのため霊となってしまう。
善霊は驚かせて精としないために神と同じ働きを生みます。南無妙法蓮華経では、追善供養で作仏するのはこの理論だと思われます。

現在宇宙科学を科学学会では活発に研究されていますが、宇宙の真理は釈尊の悟りであられる「宇宙即我・我即宇宙」を超えていません。過去・現在までの研究はほぼ完了済みで、未来も含まれている事実を完璧に理解すれば、それは悉く自分に過ぎないという生命の働きを鑑みる事ができると思います。

1942悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:59:35
経緯から考えて、像法漢土では南三北七の諸宗がありましたが、内に釈尊を敵とする悟りの法の人が見受けられました。これを諸大師は彼仏(かのほとけ)と皮肉っておられます。

特徴は
・六道の凡夫を超えない
・お釈迦様がだいっ嫌い

というところでしょう。


悟りの法というのは人間の鑑みる随一の方程式であるわけですが、すでに釈尊が体系されておられるので仏を侮って、結局は悟りの法を説こうとしても、円教である法華涅槃には負けてしまう。

うちに極楽寺良観という先生は、その中の代表的な無名の未来成道を誓う人だったと考えられます。
ただ、彼仏に過ぎないので、瞬く間に破られる。

こうして逐一在世につながる時には先立って空気を読み、何かを説いて自分が長者になろうと量る。

悟りの法の肝心は開近顕遠(かいごんけんのん)にすぎません。因んで、これをもって瞬く衆生を広開近顕遠にする人がいる時代を「如来の在世」と言います。
悟りの法が正しくないと、依報も粒子が働いて遠近が乱れてしまい、たまに水彩画のような風景を垣間見るのは、本尊が釈尊ではない題目を唱えていらっしゃる宗教があるからだと喝破します。

正宗で必要な知識はこれぐらいでしょうか?
足りないようなら、知見して書き込みますのでよろしくお願いします。

1943ひきこもり:2010/12/03(金) 21:41:30
>>1938
創価学会には多くの悩める人を救った大きな功労がありますよ。実際に創価の人は強いですよ。
問題は公明党と言う政党を作り、信者に特定の政党に投票を強制した点や特定の政党を非難させ
た点にあると思います。政党の選択を信者から奪い、民主主義とはおよそかけ離れた存在になっ
たために、宗門との離脱になったのでしょう。

1944古沢石日:2011/06/29(水) 22:27:20
お題目の力に功徳があったので布教できたのです。
昔の折伏は相手の幸福を第一に祈念したものです。
無欲の祈りに功徳をいただけた。

今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!とか
組織上でのノルマでの折伏。

創価学会は勘違いしてますよ。
自分達が布教してきたってね。

人を思いやるお題目が同志を増やしてきたんですよ。
早く思い出さないと地球が無くなってしまいます。

1945古沢石日:2011/08/04(木) 01:02:04
>>1944の訂正をさせて頂きます。
>今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!
これは草創期からの定番でした。
折伏の成果は自信の功徳になる。

今一番創価学会が犯している過ちは、日蓮聖人のお名前だけを
看板として使い、御文を学ばず、会長の指導を指針として活動している事です。
私もこの板で学ばせて頂き、少しながら偽書の怖さが解ってきつつあります。
ところが、地域の幹部が指導で使う御書は全て後世に作られた偽書ばかり。
それを指摘すると驚くべき答えが返って来ました。
「大聖人の御書であるか、後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。
 我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、その
 お言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。」
これは私の身辺の幹部の個人的な意見ではないと思います。
これは大変な事になってしまっています。

1946古沢石日:2011/08/04(木) 01:05:50
仏敵民主党 法戦Fどりによる功徳
こんな言葉が平然と語られています。

仏的民主党と連立を組んだら、血眼で民主党候補の応援をすると思います。
創価学会は何に「南無」しているのですか!!

1947問答迷人:2011/08/04(木) 12:57:41

古沢石日さん

>後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、そのお言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。

これを日蓮聖人と入れ替えてみます。

「法華経が釈尊滅後に教団によって創作されたものであろうと、そんな事は問題じゃない。我々は、日蓮聖人が法華経の題目・妙法蓮華経の五字が究極の教えであると説かれた時点で、南無妙法蓮華経は日蓮聖人のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。』

如何でしょうか。池田崇拝と日蓮法華信仰とは、構造としてはそっくりなのではなかろうか、と思います。

1948問答迷人:2011/08/04(木) 19:27:28

追加です

日蓮法華の信仰者である僕は、次のように考えています。

「法華経が釈尊滅後数百年以上経過してからの創作であるとしても、法華経には、釈尊の悟りが正しく受け継がれており、その釈尊の悟りのエッセンスを日蓮聖人は南無妙法蓮華経として説かれたのである。」

これに対して、法華経を単なる創作物語に過ぎない、とする立場の方は、恐らく次のように考えられるでしょう。

「そもそも、大乗経典は釈尊が説いたものではない。後世の弟子の創作であり、いくら法華経が大乗経典の中の最高峰であると言っても、所詮、架空の創作物語の範囲での優劣に過ぎず、それらは釈尊とは直接何の関係もない。」

当然のことながら、考古学の立場からは、後者の大乗非仏説の方に軍配が上がりそうです。しかし、僕は次のように考えています。

「悟りは、悟った人にしか判らず、その悟りを正しく表現することは甚だ困難である。それゆえ、釈尊の弟子の中に、釈尊の悟りを追体験した方が次々と出ておられれば、大乗仏典は創作物語でありながら、物語の形で釈尊の悟った世界を表現しているという事が可能になるのではないか。つまり、非仏説でありながら、その中身は、仏の悟りを解き明かしている、という可能性を十分考えることが出来る。」

これはもう、信仰の世界です。あとは、僕自身が信仰によって、日蓮聖人の体験した世界を追体験することが出来るかどうか、この一点に尽きると思っています。

それから、池田教は当然信仰として成り立つと思います。『このようなマンモス組織を作り上げたリーダーの池田氏が、既に釈尊の悟りを追体験して仏教の精髄に到達しており、民衆を正しく導く事の出来る世界唯一の指導者である」という信仰。この信仰の是非は歴史が明らかにしてくれると思います。

1949古沢石日:2011/08/04(木) 23:14:03
問答迷人さん

ご意見を読ませていただいて本当にびっくりしました!
ご指摘のとおり、まったく同じでございます。
問答迷人さんのご意見を創価学会員は、
「釈尊 日蓮 そして 池田へと 正法は 受け継がれる。」などと
言い出しかねませんね。

しかし私は「お題目」が信仰で、日蓮聖人のご指導が信仰です。
私は釈尊をよく存じません。法華経二十八品もよく存じません。
でも、日蓮聖人が妙法蓮華経に帰命しなさいと仰せですので
それのみを信じ信仰しております。
創価学会の長は、組織の長であるだけで、会社のお偉いさんと同じです。
日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。過去現在未来、いかなる人間が現れてもどうにも
意見批判もする余地のない、最高の師であります。

1950古沢石日:2011/08/04(木) 23:21:15
池田先生には、欠片も感じれません。意見ブレ過ぎです。
先月久々に同中に行って、放送されていた過去映像みたんですが、高等部相手に右手を胸に当てる
しぐさ(アメリカの兵隊の敬礼みたいな動作です)を何回もしてました。
意味不明なのに、あんまり何度も繰り返すから、頭にきましたけど。
ピアノ演奏も見ましたが「この技術で作曲できるかな?」が感想です。
周りが持ち上げて持ち上げて持ち上げて、ヒーローになった感じですね。
私は、どうしてあんなに崇拝されているのか、まったくわかりません。
わたしが以前おまんだら書写の質問を繰り返しさせていただいたのは、
将来「池田まんだら」が出ると思いますので、そのときのためです。

1951古沢石日:2011/08/04(木) 23:22:49
×  問答迷人さんのご意見を創価学会員は
○  問答迷人さんのご意見をもし創価学会員が目にしたら

1952問答迷人:2011/08/05(金) 10:53:55

>日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。

その御一生を支えたのは何だったのか、やはり、一大秘法・妙法蓮華経の五字、という事になると思います。日蓮聖人の生き様は、驚嘆に値しますね。

1954独学徒:2011/08/06(土) 19:35:00

ご無沙汰しています。

私はお二人の意見とは正反対ですが、日蓮聖人はブレまくった人生だったと思います。

御主張もコロコロ代わっており、もって滅後の教団で異見が多数生じていると思います。

凡夫僧ですのでブレて当然、そんな生身の日蓮聖人を自分は慕っています。

最近は台家寺院に出向いて研修していますが、書名失念しましたが金沢文庫所蔵の古記録にあるとおり、日蓮聖人は何度も法論で負け行き詰まり、ご自身の主張を変化されたのだろうと想像します。

日蓮聖人の最大の間違え・謗法行為は、天台真言宗の開祖が伝教大師であったのに、弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗してしまったことだと思います。

今はそのような生身の日蓮聖人像を確認するたびに、宗教間のイザコザほどおろかなものは無いと思います。

1955問答迷人:2011/08/06(土) 20:26:15

独学徒さん

御無沙汰いたしております。ご参加誠にありがとうございます。

>弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし

その後、勘違いだと気付かれて訂正されたという事でしょうか。その辺りをもう少しご教授賜りたく存じます。宜しくお願いいたします。

1956独学徒:2011/08/06(土) 21:28:49

問答迷人さん、以下ご参考になれば幸甚です。

一昨年、京都国立博物館にて開催された、「日蓮と法華の名宝」展に出展された、日蓮宗大本山京都本國寺蔵・日蓮聖人御真蹟「一代五時鶏図」の記述が、それまでの吊り物と変わって台密の系譜に伝教大師の名があります。詳しくは以下の興風談所のコラムが参考になると思います。

興風談所コラム平成22年5月
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_h22.html#h22_5


現在、東京国立博物館にて開催中の「空海と密教美術展」に出展されている、空海真蹟『灌頂歴名』に「最澄」の名があるようです。
http://kukai2011.jp/

伝教大師最澄が、自ら学んだ密教が傍系であることに気付き、弘法大師空海に弟子入りして、奔流の密教を天台宗に取り入れようとしたことは、歴史上の事実としてもはや受け入れざる得ないと思います。

また日蓮聖人が法論に負けていた様子を記す古文書は、以前私がブログで記していました。
以下、該当のブログを復帰させておきます。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-date-200701.html

また日蓮聖人の御主張が変化している点も、興風談所の「興風」掲載の所論が参考になると思いますが、一例としては興風18号所収の大黒喜道師「日蓮聖人の成仏義諸型とその受容」などがあります。

1957問答迷人:2011/08/07(日) 12:22:29

独学徒さん

ご提示誠にありがとうございます。

>台密の系譜に伝教大師の名

何らかの経緯によって、お考えを修正された訳ですね。とても興味深いご指摘です。また、現宗研の真蹟遺文において「随自意御書」と名付けられている書の記述「後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。」(弘安元年)も、恐らくは、ここにも御考えを修正された事が窺がえる、と思いました。

>慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗

ご指摘の通り、伝教大師が弘めたのが「天台・真言の宗」であったとの認識を「随自意御書」を書かれた弘安元年頃には持って居られた訳ですから、それ以前のいずれかの時点で、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化してのではなく、伝教大師にも日本天台宗の教義を密教化してしまった責任はある、と言う風に、日蓮聖人が認識を変えられたという事だと思いました。

>日蓮聖人はブレまくった人生

「随自意御書」の、「但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか」という個所は、慈覚大師に対する批判が、伝教大師を含む日本天台宗に対する批判に変化した事を表明した事になりますから、比叡山に学んだ日蓮聖人に取っては、大きな心境の変化だったと思います。確かにブレたとも言えると思いました。

1958古沢石日:2011/08/07(日) 17:10:02
独学徒さん

ブレまくったとはどういう事でしょうか。
私がブレないという言葉を使ったことにたいしての対義語で
言葉を選ばず「ブレまくる」と使ったのでしょうか。
ブレまくるの意味ごぞんじですか。
あーだこーだ、こういったと思ったらこう言う、
さっきの言葉と今と全然違うよ。
あーーまただよ。あら、昨日と今日と明日全然別だよ。
こんな感じですかね。

日蓮聖人はブレまくっておられたのでしょうか。
是非ブレまくりのまくり部分を現存する文証を持って
事細かくご教示いただけますようお願い申し上げます。

1959独学徒:2011/08/07(日) 20:47:53

古沢石日さん、はじめまして。

「現存」ですか、厳しいご注文で。
「事細か」はご遠慮申し上げます。忙しいので。


かの浅経の読誦等の句に花厳・方等・般若等をいるゝたにも不思議なるに、後八年の大法法花・涅槃・大日経等をはしし入て上品上生の往生の業とするたにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法花経等の読誦はしちには往生せすなんと申て
(文永三年 真蹟断簡 池上本門寺蔵 御書全集未入集)

この時点では「後八年の大法法花・涅槃・大日経等」とあるように、大日経を爾前経としては扱わず所謂「法華涅槃時」の経典として扱っています。


法華経には正直捨方便但説無上道云云。涅槃経には邪見之人等云云。邪見方便と申は、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。
(建治三年 下山御消息 真蹟断簡分蔵)

この時点では大日経を「四十余年の経経也」と爾前経に位置づけています。
少なくとも「大日経」の取り扱いについて日蓮聖人は一期の内にブレました。
また先の投稿の如く、日本天台宗の密教化について、

日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となつく。又天台宗の慈覚・安然・恵心等は法花経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
(建治元年 撰時抄 真蹟玉沢妙法華寺蔵)

と慈覚大師を伝教大師の師子身中の虫と誹謗されていますが、その理由は先に引用の下山抄に「叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。」と、慈覚大師から日本天台宗が密教化に傾倒したと誤解していたからでしょう。その後弘安期の「一代五時鶏図」で渋々日本天台宗の密教化が伝教大師に始まることを認識せざる得なくなっています。

遅ればせながら、本日東博の「空海と密教美術展」展観してきました。
金剛・胎蔵両界の灌頂記の第一番目に「最澄」の名が有り、伝教大師が空海に弟子入りしてまで、天台宗の教義に本場の密教を取り入れようとしていた事跡はもはや否定のしようがありません。両界灌頂の冒頭に記すなど、当初空海も最澄に対して畏敬の念をもって接していたのを感じます。

成仏義のブレに関しては、先に提示した興風談所の論考をご参考になさって下さい。
学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

1960古沢石日:2011/08/07(日) 21:12:44
独学徒さん、ごあいさつもせず不躾なお願いをしまして
まことにもうしわけございません。
早々にご丁寧にご回答いただきまして
まことにありがとうございました。

1961古沢石日:2011/08/07(日) 23:03:51
>日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
>今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、
>時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

御書も先に書かれた内容と後年とではご指導が変わっていくのでしょうか。
もしそうであれば、真蹟、写本の有無だけでなくご執筆年月日の整理も必要に
なるという事でしょうか。

>学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、
>議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

仰せのとおりだと思いますが、ネットからリンクリンク検索検索で得る情報量と
書籍一冊読破する情報量とでは、太平洋と牛蒡ほど差があると思います。
別にお金が無いわけではありませんが、移動もほとんど車でして、電車等で
読書の時間があれば是非読書はしたいのですが、自宅ではテレビも見ず
ネット三昧ですので、結局積読になってしまいます。

1962独学徒:2011/08/07(日) 23:33:42

古沢石日さん、

ネットの情報量は膨大ですが、信憑性を含め問題も多くあります。

本当の事が知りたいのであれば、できるかぎりの文献を収集することと、実際に寺院等に足を運んで自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

安房妙本寺のお虫払い法要などは、事前連絡等無くても誰でも参拝し、万年救護大本尊の御真蹟を拝する事ができます。

不動・愛染感見記も真蹟を拝する事ができます。

今年は土曜日の開催ですから、多くの方で賑わうと思います。


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