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素朴な疑問
952
:
ガンコ
:2003/11/22(土) 15:16
このところの議論は、わたくしにとってもたいへん興味深い議論ですので、素朴な疑問をいくつか書いておきます。
「弥勒菩薩は兜率の内院に籠らせ給ひて五十六億七千万歳をまち給うべし。」
撰時抄の冒頭にありますこの御文、大聖人は単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか? ちゃんと聞いたことはありませんけど、顕正会では「弥勒はたとえに過ぎない」と考えているようです。(ちがっていたらお知らせください、モトミナさん・ワラシナさん等)
同じく撰時抄に、
「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。」
あるいは、
「この念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすいしぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。」
前にも書きましたが、もっとも素朴な疑問は、なんで南無阿弥陀仏に対して南無釈迦牟尼仏ではないのか・・・なのです。
「例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向かって大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。」
この御文の背景として、「彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」があるように思えます。つまり、釈尊在世には南無釈迦牟尼仏、滅後・・・ことに末法においては「但題目の五字」が肝要であって、じじつ大聖人御図顕の御曼荼羅は題目を中心にえがかれているわけです。
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