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戦争と性−進駐軍慰安婦より

1イカフライ:2003/10/14(火) 13:06
 このスレッドは、立てようか立てまいか、迷ったのですが。

 別の掲示板でこんな話が出ました。

 終戦直後(これは、日本の戦後です)米軍が日本に駐留し、その際に、治安悪化、特に、基地周辺での女性に対する性的暴力が頻発しました。
 この対策として、当時のお偉いさん達が、そういう商売を生業としていた女性たちを集めて、基地周辺に米兵の為の慰安所を作りました。
 それによって、といえるかどうかは、断言できませんが、一般女性への性暴力は減り、敗戦国としては、かなり治安は守られた。
 また、それによって日本に流れたドルは、戦後復興の一助にもなったかもしれません。
 マクロでみればそうかもしれませんが、実際にそれ(米軍相手の慰安婦)に従事した女性たちの中には、性病を煩ったり、望まぬ子供を身ごもった女性も少なくないでしょう。
 数々の悲劇はあったと思います。
 けれど、この方法によって、多くの女性が守られた、ということも事実でしょう。

 こういった内容でした。

 私は、当時としては、そうするしかなかったと思います。

 軍隊において、特に戦時に於いて、こういった問題は、おこりがちです。
 従軍慰安婦問題をそうですし、ベトナム戦争の時にも、米兵とベトナム女性との間での問題がありました。
 戦争ではないですが、カンボジアでのPKOでも、同種の問題がありました。

 戦争と性、答えの出る問題ではありませんが、これについて、考えたいと思います。

 いろいろなご意見、お願いします。

788大神:2004/06/27(日) 09:14
>>786 中田さん

>女衒稼業をするには、>>649
>第二条により警察に申請して許可を受けなければなりません。ところが、
>軍の許可書で代用しているのが、問題だと指摘しているのです。木片
>ではなく紙片です。
 
 そうですね。許可証ですね。ひょっとすると「大日本帝國御用達」という
木片ということを書いた人が以前いたので、まさか中田さんも同じ事を
言われるのかと思いお尋ねしました。で、前にした質問と同じになるの
ですが、占領地において

           中田さんがいう所の法解釈に則って

問題があると言うのはどこですか?それとこれはイカフライさんあてへの答えに
なりますが、慰安婦になる場合は住んでいる所の警察署に届出をすることと
ありますね。慰安業者が現地において警察権を持っている日本軍に許可を受
ける。内務省の警察署がそこになく、官公庁といえば軍隊しかない。
そこで中田さんに再さんお尋ねしているのは

           中田さんの法解釈で正しいのですか?

ということです。で、そこに関してはお茶を濁していますね。参考にしながら
は分かりましたが、具体的にどのようになっていたのでしょうか?
ちなみに吉見教授の場合は中田さんと同じところには全く触れていませんね。

>歴史的な事象を対象として議論を進めています。

 論理的には内部に注意を促す文書以上のもので以下でもないので、中田さんが
こういう文書をわざわざ持ってくることの必要性が分かりません。
この文書は別に真新しいものでは無く、またやはり軍規を守れ以上のものでも
以下でもないので、誰にでもわかるように掲載しても意味が無いことを
例を持って示しました。中田さんでも分かるように。お分かりになりました
かな?

>前段は意味がよく分からないです。後段は、食料の補給が足りないよう
>でしたら、もっと広範囲に略奪するしかないでしょう。
 中田さんの主張は補給が現地調達だそうです。補給とは食料だけを意味
するものではありません。ですから当然食料以外のものも無くなれば補充
するしかないので、武器弾薬も補充しなくてはなりません。
 自分で意味が判らないと書くくらいなら最初から補給は現地調達と
訳の分からないことは書かない方が宜しいでしょう。

789大神:2004/06/27(日) 09:29
>>786

>後段は、食料の補給が足りないようでしたら、もっと広範囲に略奪する
>しかないでしょう。

 進撃路は決まっているので、数個師団の軍単位が食料を求めて行動していたら
必然的に隊形は大隊単位、のばらばらなものになったでしょうな。で、
そんな行動は取りません。
そして「〜なら」という仮定のものならそれこそ中田さんの主張である
「補給は現地調達」と言う主張は間違いとなります。

 中田さんが数学が得意でないということですが、中田さんが知っている
略奪の件数が1/20なのか、1/10000000良く考えてから主張なされるが宜し
いでしょう。再三目に付くのが、突っ込まれるとお茶を濁す、傾向的な事すら
示さないと言うことでしょう。それゆえに

 あ あ 、 学 校 で 刷 り 込 ま れ て い る ん だ な

と同情している次第です。相手から食料を現地調達して損失91%の
インパール作戦の事例を紹介してもらって、自分は類似のものを大陸戦線
で示せないようなら、

               変 な 主 張 は 
慎まれるが宜しいでしょう。

>南京への進軍の過程で、どのような事が行われたのか数多くの証言、
>手記などがあります。但し、この問題それ自体は議論としたくありま
>せん。

 まぁ、それがご自身のためでしょうね。

>このお答えはまだ頂いておりません。
 
 見落としていましたが、強姦事件を無くすためでしょう。
戦地における強姦事件は国民党軍、共産党軍、匪賊、日本軍に限らず起こり
ます。特に日本軍の場合は現役兵よりも、召集兵の方が女の味を知っている
ので起こす事があるそうです。それ故に、その種の事件を無くすためにも
対策を求められました。そこでアイデアを出したのが日本軍です。街を
占領すれば中国の公娼、私娼があるわけですが、ホワイトチイチイや病気を
もらわないためにも、またなるべく現地人と接触させないためにも慰安所と
いう形式のアイデアを出しました。それは中田さんが示されている通りですね

         軍 は ア イ デ ア を 出 し た と

790大神:2004/06/27(日) 09:40
>>787

 今頃気付かれる神経もさる事ながら、ただの個人の強姦事件なら時効ですね。
そしてすでに賠償は済んでいますね。日本政府とフィリピン政府には。

時効の事件で金をもらうには慰安婦問題に便乗するしかないですな。
穿った考えをすると。ですから証言だけを信用するのはいけないんですよ。
証言だけをもってくるのはいけないんですよ。イカフライさんも言われて
いますが証言には信憑性というものがあることを中田さんに紹介して
あげましょう。
>787
 スマラン市事件の場合は、トータルでオランダ人慰安婦300人で、
現地部隊による無理矢理に慰安婦にされたのはオランダ側も認める通り
65人です。そして、軍命令で閉鎖後はまた民間の業者がオランダ人慰安婦
を募っています。
 つまり、最初は民間でオランダ現地人から募った慰安所があり、1944年に
現地部隊が無理矢理させた事件があり、その後はまた元通りに民間業者が
慰安婦を募っていますね。

 中田さんは虚数と実数の計算を知らなかったのかも知れませんが、
軍は強制連行や無理矢理による慰安婦を許可していない、またそれが軍組織の
方針でなかった事がこの閉鎖命令で示せます。裁判に関しては戦争末期で
あることもあり、軍法会議にかけなかったからといって、
日本軍は強制連行や、無理矢理による慰安婦徴募を認めていたことにはなり
ません。

 で、中田さんは実質的命令の話に関してはあれはどうなったんですか(笑)?

791大神:2004/06/27(日) 10:19
>>790

 少し誤読を誘いそうなので、

 スマラン市の場合はオランダ人慰安婦は300人でそのうちスマラン市事件
による被害者は65人。スマラン市事件の閉鎖前後では民間業者による
通常の慰安所。

792中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/29(火) 17:26
>>757 にて、大神さんの慰安所内での感想を書かれていますが、
それではフィリピンで慰安婦にされた女性の手記を読んでみま
しょう。

日本軍「慰安婦」にされる

 その翌日、自分がたくさんの兵隊たちに性の相手をしなければならないのだと知りました。最初に一二人の兵隊がたてつづけにレイプしました。それから三○分くらい間があり、またもや一二人の兵隊です。私はひどく出血し、身体がめちゃめちゃに傷つけられたと感じました。翌朝には、立ち上がることすらできませんでした。

 一人の少女が朝食を運んでくれました。彼女に質問したかったのですが、警備兵がさえぎり、言葉さえ交わせません。食事は喉を通りません。性器が腫れ上がっているのでしょう、痛くてたまりません。ひとり、泣いて泣いて泣き続け、母の名を呼びました。日本軍に殺されるかもしれません。抵抗しようがありませんでした。

 昼の二時から夜の一○時まで兵隊たちが行列をつくって私をレイプする日々が始まりました。他の六人の少女の部屋にも、兵隊たちが行列をつくっていました。

 どうしようもありませんでした。日本兵の性的欲求に従うより仕方がなかったのです。

(中略)
慰安所の日々

 午後の二時になると、大勢の日本兵がトラックでやってきて、各部屋の外に並びます。レイプされるという「仕事」のスタートです。我慢のならない苦しいことですが、性的サービスの提供が私たちの「仕事」にされたのです。

 私はお産をするときのように膝を立て、脚を高だかとあげてマットに横になっています。行列をつくった兵隊たちが、後から後からレイプするのです。

 部屋の外の兵隊たちは自分の順番を待ちかねて壁をドンドンとたたいてせかしたものです。

 兵隊たちはずいぶん若く見えました。一八歳くらいでしょうか。髪の毛は短く刈り込んで、たった半インチくらいしかなく、こぎれいにしていました。三○歳くらいの兵隊はわずかだけでした。

 兵隊が息せききって部屋に駆け込んでくることもありました。

 やみくもに私に襲いかかり、脚の間や肛門に挿入してしまう兵隊もときどきいました。兵隊たちの乱暴な扱いのため、膣やクリトリスが三日間も腫れ上がり、湯で洗うと激痛が走りました。
 やってきて一分もたたないのに射精してしまう兵隊もいました。そんな兵隊はひどく腹を立てて、暴力を振るったものです。

 ある兵隊はセックスをしないうちに射精してしまったのに怒り、私の手をひっぱって自分の性器を愛撫するように求めましたが、勃起しないうちに、部屋の外で次の兵隊がどんどんと戸を叩きました。部屋を出なくてはならなくなった彼は、私の胸を殴り、髪をわしづかみにして乱暴をしました。そんなことはしょっちゅうでした。

 私の身体の外で射精し、ズボンが精液で汚れてしまったと憤慨し、部屋から出て行くまえに私の脚や腹を殴りつけていった兵隊もいました。まだ満足していないうちに部屋の外で待ちかまえている他の兵隊にじゃまをされて、その腹いせに、私を殴ったり蹴ったりしてゆくのです。頭を叩いたり、脚を殴ったりされ、どんなに私は惨めで、痛かったでしょう。

 性器を握ると兵隊が満足し、早く出て行ってくれることを知り、あるとき私は兵隊の性器を握ろうとしました。ところが、その兵隊は、私が彼の性器をつぶしてしまうとでも思ったのでしょうか、私を殴りつけて暴行しました。

 竹を編んだ仕切りだけが、隣の部屋と私の部屋を隔てていました。ときどき、隣の部屋の少女が悲鳴をあげているのや、バタンバタンと大きな音がするのも聞こえました。その少女も、日本兵にレイプされ殴られていたのでしょう。

 それでも他の女性たちは、生理のとき、一カ月に四、五日の休日がありました。でも生理がまだない私には、そんな休みすらもらえないのです。

マリア・ロサ・L・ヘンソン著 藤目ゆき訳
『ある日本軍「慰安婦」の回想 フィリピンの現代史を生きて』
岩波書店刊行

793中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/29(火) 17:32
>>779-783 大神さん

重複している箇所が多いので、まとめてレスします。

>>783

>  で、中田さんに尋ねた質問に関連するのですが、
> 特別陸戦隊、根拠地隊、警備隊これらの言葉は何を示す言葉でしょうか?
> 連隊、守備隊、兵団、支隊これらの言葉は何を示す言葉でしょうか?
>
>  で、陸軍中佐が率いたのが警備隊なんですね?

日本軍に関する事典・用語集を繙くと分かる事です。

>>737 は、日本政府による「慰安婦」問題に関する第一次調査結果に基
づいたものです。その中に、「セレベス民政部第二復員班員復員に関す
る件報告」があり、第二軍司令部の「売淫施設ニ関スル調査報告」に上
がっています。

責任機関 「パレパレ」警備隊
責任者  陸軍中佐

責任機関 「ケンダリー」海軍部隊
責任者  海軍大尉

このように記されています。
業者経営の場合を参考に示しますと、次のようになっています。

責任機関 第二軍司令部
責任者  一般邦人

>>782

>  中田さんは自分で出したものは出しっぱなしにしているのか、
> 主計士官のところでは交渉形態、営業形態がわかりません。公娼にこっちに移って
> きてくれとしているのか、人買いから女を買ったのかも分かりません。
> 攫ってきたのかもわかりません。それを私が訪ねたのに対して
>  御自身で分かりませんねと開き直られても困ります。

>>666 に関しては、>>766 にて説明済みです。

> 現地軍が業者の介在無しで慰安婦を徴集した事例を上げたのです。
> 具体的な交渉内容は、この文章からは読み取れません。しかし、
> 軍が慰安婦を集めたことは、分かると思います。

>>780

> そして、それをもって中田さんの言っていることの主張を証明できますか?
> >>699が仮に真だとして、1/20か、1/10000000なのかが分からないでしょう?
> こういうところが数学的な考え以前に論理的に物事を考えられるかなんですよ。

出来ましたら、半角で番号を示して下さると便利です。

>>699 は、日本軍が中国人を拉致して慰安婦にした事例です。

これは >>685 にて、大神さんが、「業者を募集したのが日本軍であり」
という見解への反論として投稿したものです。「仮に真だとして」ならば、
慰安婦徴集には、日本軍が自ら手を下したこともあり、>>685 は間違っ
ていた事になります。

> そしてまた
> >慰安所を設営、慰安婦を徴集したのは日本軍だったこと
>
> これは違います。制度を発案し、業者を募集したのが日本軍であり、慰安所に使われる
> 建物を作った場合もあるというだけです。

>>779

> それとインドネシアでは軍人の総数が何人か分かってのことでしょうか?

インドネシアで日本軍の総数は何人なのですか?

残りのレスは、次回にします。

794中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/29(火) 23:07
>>779 大神さん

> 個人犯罪、やただの職権乱用で犯罪を犯したことの区別が出来ません。

私が投稿した中に、犯罪行為であると認定された事例があるとの
ことですが、具体的にどれを指しているのでしょうか。番号で示
して頂けますと幸いです。


>>766

> >  ですから、発案時はこうであっても儲かると踏んでから集まってきたので
> > 「追軍娼婦」と言われた所以です。
>
> 文脈から、当時に於いて「追軍娼婦」と言われていたと読み取れます。
> それで宜しいのですか?

795中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 00:04
フィリピンで慰安婦とされた女性の証言です。全文を掲載しますと、かなりの長文となりますので、適宜割愛してあります。

私はマリア・ロサ・ルナ・ヘンソン、六十五歳です。

一九四一年、第二次世界大戦がはじまったとき、私は十四歳の誕生日を迎えたばかりでした。

母と私は親戚と一緒に地方へ疎開し、ほら穴にかくれていました。一九四二年のはじめごろのことです。家から数キロメートル離れた先で薪を集めていると、タナカ大尉をはじめとする日本兵三人に強姦されました。それから二週間後、再びタナカに強姦されたのです。何度も強姦されるなどという不幸がどうして私にふりかかったのでしょう。

この後、私は志願してフクバラハップという抗日ゲリラになりました。私を強姦した日本軍に対する怒りからだったと思います。それから約一年がたち、検問で日本軍に足止めされました。病院を接収した日本軍の駐屯所に私は連れていかれました。そこには女性が六人いました。次の日から毎日、日本兵の性的な相手をすることを強いられたのです。ほかの六人の女性も同じです。
以上が >>792 の前段となります。

その駐屯所では、十二人の兵士に一日中強姦されることもありました。また将校用の兵舎や家へ連れていかれることもありました。ほかの女性には生理のときには休みが与えられましたが、私にはまだ生理がなかったので、一日として休めたことはありませんでした。

この、性奴隷としての、辛く残酷な体験は九ヵ月続きました。拘留の最後の時期に私は脳性マラリアにかかりました。また、村人に日本軍の攻撃を知らせたかどで拷問されました。鎖につながれていたところを、囚人の救出にきたゲリラに発見され、助け出されました。こうしてやっと過酷な苦難から生還できたのです。ゲリラが来たときに私はマラリアの熱と拷問のため意識を失っていました。二ヶ月後、意識を取り戻したときには母の家にいました。母の顔を見て私は泣きました。

一九九二年六月のある日、ラジオを聞いていて衝撃を受けました。第二次世界大戦中、日本軍によって強姦され奴隷化された女性のことが話題になっていたのです。体中が震えました。血が真っ白になるようでした。「フィリピン人元『慰安婦』のための調査委員会」(以下タスク・フォースと略)というグループが、私のような女性を捜しているということを知りました。そのときの言葉が忘れられません。「恥ずかしがらないで。性奴隷になったのはあなたのせいでなく、日本軍の責任なのです。立ち上がって、自分の権利のために闘いましょう」。

一九九二年九月十三日、私はタスク・フォースにすべてを話しました。それはまるで、肩に乗っていた山のような重荷を下ろしたような、悲嘆にくれた心からいばらのとげを抜き去ったような、そして長いあいだ失われていた力強さと自信を取り戻した気持ちでした。公の場に出ることも決意しました。名乗り出て自分の経験を話すこと、つまり、かつての私のように恥じ入っているほかの被害者の先例となることが、私の役目だと自覚したからです。

私は先頃、日本政府をその人権侵害のかどで提訴しました。日本はフィリッピン人女性とそのほかのアジア女性に対して行なった、性奴隷制度という犯罪と残虐行為の法的責任に、正面から向きあわなければならないと信じます。日本政府は元「慰安婦」が生きているあいだに誠意をもって謝罪し、正当で適正な補償を行なうべきです。

日本軍による性奴隷制度を生きのびた私は、戦争と軍国主義が生みだす性奴隷制度および暴力の生き証人です。戦争が二度とくり返されないことを望みます。私たちの子どもたち、そして子どもたちの子どもたちのために。フィリピン人と日本人が真の友情で結ばれた平和な新しい世界を、私は夢に描き続けています。私は日本の将来を担う新しい世代が、歴史を正しく理解することを希望しておりますし、必ずそうしてくれると信じています。

796中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 17:23
>>788 大神さん

> で、前にした質問と同じになるの
> ですが、占領地において
>
>            中田さんがいう所の法解釈に則って
>
> 問題があると言うのはどこですか?それとこれはイカフライさんあてへの答えに
> なりますが、慰安婦になる場合は住んでいる所の警察署に届出をすることと
> ありますね。慰安業者が現地において警察権を持っている日本軍に許可を受
> ける。内務省の警察署がそこになく、官公庁といえば軍隊しかない。
> そこで中田さんに再さんお尋ねしているのは
>
>            中田さんの法解釈で正しいのですか?
>
> ということです。で、そこに関してはお茶を濁していますね。参考にしながら
> は分かりましたが、具体的にどのようになっていたのでしょうか?
> ちなみに吉見教授の場合は中田さんと同じところには全く触れていませんね。

>>713 にて、私の見解を説明しました。他にも何度も似たような事を
書いてあります。

大神さんは、慰安所は遊廓であると考えられているのですか?
それとも別のものであると思われているのでしょうか。
まず、この点をお聞きします。

>> 慰安婦になる場合は住んでいる所の警察署に届出をすることと
>> ありますね。

そのような法律はありませんでした。あるのは、娼妓取締規則です。

第二条(娼妓名簿) 娼妓名簿に登録されていない者は娼妓稼ぎをする
ことができない。

第三条(娼妓名簿の登録) 娼妓名簿の登録は娼妓になろうとする者が
自ら警察官署に出頭し、左の事項を具えた書面をもって申請しなければ
ならない。

何度も書いていますが、これによって自らが娼妓となる事をはっきりと
意志確認する手続きとなります。

> ちなみに吉見教授の場合は中田さんと同じところには全く触れていませんね。

>>768 で次のように私は書いています。

> 同誌を繙きますと、上杉聰氏が著述していました。同論文を参考にしつつ、
> 条文を追いながらまとめたのが私の意見です。

吉見教授の論考を参考にして私の意見を書いたのでは無いと分かって
いるのに、敢えてそのような言い方をするのは、どうしてでしょうか。
ちなみに、公娼制度と従軍慰安婦制度との対比は、吉見教授も行なっ
ています。

>  論理的には内部に注意を促す文書以上のもので以下でもないので、中田さんが
> こういう文書をわざわざ持ってくることの必要性が分かりません。
> この文書は別に真新しいものでは無く、またやはり軍規を守れ以上のものでも
> 以下でもないので、誰にでもわかるように掲載しても意味が無いことを
> 例を持って示しました。中田さんでも分かるように。お分かりになりました
> かな?

まず、>>762 は、 >>724 に対する反論として投稿しました。

> 次の冊子は、陸軍省が作成したもの
> ですが、「掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多
> ノ犯行ヲ生シ」ているとして、その対策を講じています。陸軍では苦慮
> していますが、その実態は何なのか考えて見られてはどうでしょうか。

しかも、附録を作成し、「重要性ニ鑑ミ重複ヲ厭ハス一部ノ観察ヲ記シ参考
ニ資セントス」とまで記されています。

> 附録
> 主要多発犯ノ若干ニ対スル一部ノ観察
>
> 対上官犯、掠奪、強姦、賭博犯、経理上ノ非違行為等戦時多発犯ニ対シ注意スヘキ事項ハ本文ノ記述スル所ニ依り概ネ尽キアルモ其ノ重要性ニ鑑ミ重複ヲ厭ハス一部ノ観察ヲ記シ参考ニ資セントス

大神さんが書かれているように、「軍規を守れ以上のものでも以下でも
ない」のではなく「聖戦」遂行に困難ならしめる事態が発生していると
陸軍省は認識しているのです。

797中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 17:26
>>790 大神さん

>  今頃気付かれる神経もさる事ながら、ただの個人の強姦事件なら時効ですね。
> そしてすでに賠償は済んでいますね。日本政府とフィリピン政府には。

まず、ここで「個人」と書かれていますが、強姦したのは「日本軍兵士」
だったことは、無視しないで下さい。フィリピンでの一邦人が強姦をし
たのと同一視できません。

それに、フィリピンの事例は、強姦に還元できる問題ではなく、業者が介在
しない従軍慰安婦制度であり、剥き出しの暴力が発現しています。

時効は歴史を眺めるには、全く意味の無いことです。誰がどのように何を
行なったのか等が究明される事が大切です。

> 軍は強制連行や無理矢理による慰安婦を許可していない、またそれが軍組織の
> 方針でなかった事がこの閉鎖命令で示せます。裁判に関しては戦争末期で
> あることもあり、軍法会議にかけなかったからといって、
> 日本軍は強制連行や、無理矢理による慰安婦徴募を認めていたことにはなり
> ません。

慰安所を閉鎖する事態を招来しながら、その実行者は処罰されていません。
これは、強制連行および強制売春を軍は、黙認していたことになります。
少なくとも重要犯罪であると判断していなかった証左です。

戦争末期であることをもって、軍法会議を開かなかった理由としていますが、
閉鎖したのはいつの事なのか分かった上ですか。一年以上お咎め無しと言う
ことは慰安所の閉鎖で事を収束して、実行者を処罰する意向が無かった事に
なります。

> で、中田さんは実質的命令の話に関してはあれはどうなったんですか(笑)?

>>752

> >>719
>
> > 「軍じゃ命令とはいわないが、まあ半分命令のようなもんだ。まさか誰
> > も行き手がありませんて訳にはいかないじゃないか」
>
> 結局、要請を受けた組合長が上記の判断から一人で責任を全うした訳です。

玉の井の国井組合長が、陸軍省からの要請を断ったならば、実質的な命令
では無かった事になります。しかしながら、事実は組合長が一人で請け負
いました。

798中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 17:28
>>784-785 スライムベスさん

大神さんの芸風なのでしょう。
腹を立てているかどうか自問しますと、笑っちゃっていることが
多いです。

799中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 17:32
フィリピン慰安婦の証言

私はトマサ・サリノグです。

一九四二年に日本がフィリピンを占領したときには私は十三歳でした。私は父と山へ疎開しましたが、州知事が州都は安全になったと宣言したことを機に家へ戻りました。山から家へ戻る途中に初めて日本兵を見ました。サンホセは日本兵であふれていました。

日本軍の駐屯所が家のすぐ近くにあったので通りを行く日本兵をよく見かけました。兵士たちは私のじゃまをすることも、私たちを傷つけることもしませんでした。少なくともしばらくのあいだは。

しかし、二週間後、父と私が寝ているところへ、日本兵が押し入って来ました。外にはほかに二人が待機していました。二人の兵士が私を連行しようとしたため、父は抵抗しました。するとそのうちの一人、後でヒロオカ大尉と知るのですが、彼が剣で父の首を打ちました。父を助けようと駆け寄り、抱き起こすと頭がなくなっていました。あまりの悲しさに泣き叫ぶ私を日本兵は容赦なく家から引きずり出しました。私は父の亡骸につきそいたいと、放してくれるよう頼んだのですが、日本兵は気にもとめませんでした。首を切り落とされた父の亡骸はそのままに放置されました。

私はサンホセのゴビエルノ通りにある二階建の家に連れていかれました。日本軍の駐屯所がすぐ近くにありました。日本兵は私をなかに入れ、鍵をかけて出ていきました。夜中に私は父のことを思い、泣き続けました。

夜明け前にヒロオカ大尉と他の兵士が部屋に入ってきました。彼らは、弱っていて、打ちひしがれている私にセックスを強要しました。私は強く抵抗しましたが、ヒロオカは私を強姦してしまいました。ヒロオカの後に次の兵士が強姦しようとしました。私は弱っていましたが、再び強く抵抗すると、その男は何かで私の頭を殴り、私は気絶しました。意識が戻ったときにはだれかが私の頭の傷をお湯で拭っていました。

その後三日間は部屋のなかに一人でおかれ、日本兵は来ませんでした。しかしその後は日本兵が来て私を強姦しました。私は何度も気を失ったので何人に強姦されたかは覚えていません。毎日二人から五人くらいの兵士に強姦されました。

どのくらいその家にいたかは覚えていません。自分が正気を失ってしまったと思えることもありました。部屋のなかにただ座って何時間もぼんやりと宙をみつめていました。いつも父のこと、どうやって殺されたかを思い出していました。父がどこに埋葬されたかもわかりません。

ある日兵士が部屋のテーブルの上に鍵を忘れたのを機に逃げ出しました。ある夫婦の家へ逃げ込み、かくまってもらい、私は家事の手伝いをしていましたが、長くは続きませんでした。オクムラという日本兵が来て、引き渡さなければ殺すと夫婦を脅し、私を連れ出しました。

800中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/30(水) 17:36
フィリピン慰安婦の証言

N・ヘルテルデス・バリサリサ

一九四一年、父のパートナーだった男性と結婚し、夫と共にビコール地方へ転勤しました。日本占領下でも、夫は南カマリネス州の地方エンジニアとして仕事をしており、家には多くの使用人がいて、豊かな生活を維持していました。子どもは、娘二人を一九四二年と四三年に出産しました。

ところが、このような幸せな生活は一九四三年までだったのです。そのころ、南カマリネス州とレガスピ市を結ぶ橋がゲリラによって爆破され、夫が疑われました。日本軍は夫を拘束し、橋の再建を命じました。その橋が再建されたあとも、夫を信用していない日本軍は、車に夫と私をいっしょに乗せ、橋の上を何度も往復させましたが、それが私が日本人と会った最初でした。

その後、夫がレガスピ市に転勤になり、父も遠方の建設事業に駆り出され、家には私と子どもと使用人しかいなくなりました。一九四四年二月ごろ、日章旗を掲げた軍用車が家にやってきて、私を連行しました。いったん、アルバイのレーガン兵舎に入れられた後、他の若い女性らとともに、南カマリネス州のジャングルのなかにある日本軍の駐屯地に連行されました。そこには六人の女性がいました。

指揮官は、コバヤシといい、肩章に星が二、三個ある将校で四十歳くらいでした。そのコバヤシが、私を自分の官舎に連れていきました。最初その将校は、私に自慰の手伝いをさせようとしましたが、私が拒否したため、ステッキで手といわず足といわず殴打しました。その後私は歩くのが不自由になりました。

その士官は、「これがお前の仕事だ」と叫んでいました。コバヤシは、他の女性との会話を禁止し、建物の外を歩かないように厳命しました。日光浴のときも部屋のなかから出られません。あるとき、三十歳の仲間の女性が外へ出たため、射殺されたのを見たことがあります。コバヤシという将校はアメリカの大学を出ていると言っていましたが、英語の発音が悪く、私が英会話を教えることもあったので、後には好意を示すときもあって乱暴なことはなくなりましたが、ほかの士官は極めて乱暴でした。

私は、ここで一年二カ月くらいのあいだ、奴隷生活を強いられることになりました。昼は洗濯や食事の世話を命じられ、夜はコバヤシやほかの士官の性的対象となりました。毎日、三人から五人の相手をさせられました。コバヤシ以外の士官はしばしば暴力をふるい、モノのように私を扱いました。私は、いつもそのように扱われるのを拒否していたため、毎日拷問と強姦が続きました。週一回医師の検診がありました。お金は一切もらえませんでした。ほかの女性たちがどうなっていたかわかりませんが、ときどき悲鳴や泣き声が聞こえていました。

801大神:2004/06/30(水) 21:41
>>792,>>795,>>799,>>800
中田さんに一ついいことを教えてあげましょう。

             証言だけでは証拠となりません。
>>793
>日本軍に関する事典・用語集を繙くと分かる事です。
つまり紐解いてないわけですね。
>>>666 に関しては、>>766 にて説明済みです。
だから、そう開き直るところに対することを批判しているのに、また開き直るかごとく
同じことを言っても仕方ないでしょう。つまり突っ込まれたら開き直る程度なんですね。
分かりました。

>>>699 は、日本軍が中国人を拉致して慰安婦にした事例です。
 何故、強姦ではなく慰安婦と言えるのですか?そしてこれが本当だという証明は?

>。「仮に真だとして」ならば、
>慰安婦徴集には、日本軍が自ら手を下したこともあり、>>685 は間違っ
>ていた事になります。
仮にこれが真だとしても慰安所ではなく、現地部隊が軍法に違反しているので
それは慰安所とはなりません。間違っているかどうか以前にもう一度読まれた方が
宜しいでしょう。

>インドネシアで日本軍の総数は何人なのですか?
婉曲的にではありますが、これは私が中田さんにした質問です。
ちなみに2万人がいつ、何に登録されたか中田さんははっきり書いていませんね。
これは何故か大いに疑問に思えます。何故ですか?

802大神:2004/06/30(水) 21:42
>794
>私が投稿した中に、犯罪行為であると認定された事例があるとの
>ことですが、具体的にどれを指しているのでしょうか。番号で示
>して頂けますと幸いです。

 挙証責任からして中田さんの方が区別をつけなければならないということを
理解して頂けますと幸いです。

> 文脈から、当時に於いて「追軍娼婦」と言われていたと読み取れます。
> それで宜しいのですか?
 当時は従軍慰安婦なる言葉はありませんでした。
戦後になって従軍慰安婦と間違えた日本語の使い方をしている人に対して、
それが誤りであると分かりやすく理解できるように
            
              「あれは追軍娼婦だ」

と反論されました。従軍慰安婦と言っている人に対して。
失礼ながら中田さんはこういういきさつもそろそろ知っていてもいい頃では
ないかと思いますが。

803大神:2004/06/30(水) 21:43
>793
 
 前後しますが、
>その中に、「セレベス民政部第二復員班員復員に関する件報告」があり、
>第二軍司令部の「売淫施設ニ関スル調査報告」に上がっています。
>責任機関 「パレパレ」警備隊
>責任者  陸軍中佐
>責任機関 「ケンダリー」海軍部隊
>責任者  海軍大尉
>このように記されています。
>業者経営の場合を参考に示しますと、次のようになっています。
>責任機関 第二軍司令部
>責任者  一般邦人
 
 第二軍は陸軍部隊ですので海軍とは別系統です。で、これは第二軍司令部が調査
したということを示します。
 ただ、第二復員班ということは海軍系統かと思われますが。
そうなると第二軍からの調査報告を受けた際に、第二復員班が海軍で使う警備隊
という用語を当てはめたのではないかと思います。それで中田さんに質問したのですが
どうやら中田さんは紐解いていないようですね。

 で、民間人の場合は責任機関が第二軍司令部になっていますが、
上記二つは現地部隊になっていますね。そして、慰安婦の就業規則などから、
慰安婦と業者の取り分が、借金がある場合は4:6で借金返済後は5:5となるの
ですが、この海軍部隊の場合は9:1で、しかも1は施設維持費となります。
 こうなると現地の売春婦にこっちに移ってくれと現地部隊が独自に交渉した
のでしょうね。ちなみに攫ってきて押し込めたのなら金を払う必要はありませんね。
 
 前に書きましたが、中央で決済したのは業者を介在させた慰安婦制度であり、
現地部隊が独断でやることは中央では承認していません。それは中田さんが
示された資料が結局業者を介在させることという資料からも分かりますが。 

で、個別にしたことに対する反論は私は前に書いた通りですね。 


 それと法解釈に対する質問を適当にお茶を濁しているように見えますが

             何 故 で す か ?

804大神:2004/06/30(水) 21:43
>>796
>>>713 にて、私の見解を説明しました。他にも何度も似たような事を
>書いてあります。

          それは質問の答えになっていません。

 私が尋ねたのは貴方の主張を繰り返されるのではなくて、

        貴方の主張が法律的に見て正しいかどうかです

で、貴方は上杉氏のを参考にしたと述べてそれ以上はお茶を濁しています。

>そのような法律はありませんでした。あるのは、娼妓取締規則です。
通達がありますね。しかも21歳以上と。一つお聞きしたいのですが法的根拠は
法律と憲法だけと考えているのでしょうか?

>どうしてでしょうか。
吉見氏は国際法まで持ち出していました。しかも、その国際法は実効力が甚だ怪し
いものでした。その吉見氏ですら貴方と同じ主張はしていませんね。
で、具体的に上杉氏のどれを参考にしてどれが中田さんが「考えたのか」
わかりません。

             お茶を濁すのは何故ですか?

>「聖戦」遂行に困難ならしめる事態が発生していると陸軍省は認識しているのです

 どうも中田さんは字通り受けてしまう人のようですね。先に印象操作と被害者ぶって
いましたが、数字を列挙しないでインパクトのある一文を持ってくるだけで
一般化しようとするところに中田さんの手法が見えますね。で、相変わらず

              数的な部分をお願いします

と尋ねると一例を挙げたまでです。で誤魔化していますね。

現地人とのトラブルの元であると認識していているだけでしょう。あまり
突飛な表現を使うと実質的命令の時のようにまたおかしなことになりますよ。

       で、実質的な命令の部分はどうなったんですか(笑)?

805大神:2004/06/30(水) 21:45
>>797
>強姦したのは「日本軍兵士」
>だったことは、無視しないで下さい。フィリピンでの一邦人が強姦をし
>たのと同一視できません。

国家の組織的関与かどうかは無視できるでしょう。兵士の個人的犯罪なら、
あくまで兵士の個人的犯罪であってそれはどこの国の軍隊でもあっている
ことですので取り立てて問題にすることでもないでしょう。慰安婦問題で。

>業者が介在しない従軍慰安婦制度であり、剥き出しの暴力が発現しています

で、
         そ の 根 拠 が 証 言 
なんですね(笑)。
 現地部隊が独断でやったこと、兵士個人が複数でやったことでなく、
国家や軍の組織的な犯罪なんですか(笑)?

>誰がどのように何を行なったのか等が究明される事が大切です。

 で、それに対して証言を持ってくる中田さんの考えには全く恐れ入る次第です。
もし中田さんがもう少し早く生まれていれば、情報統制国家での証言に一発で参っ
てしまっていたでしょうね。あと、中田さんに

                証言を考える

と言うことも大事だということをお伝えします。で、相変わらず裏は
取ってきてないですね(笑)

>これは、強制連行および強制売春を軍は、黙認していたことになります。
黙認してたら閉鎖しません(笑)。中田さん少し落ち着きましょう(笑)。
日本軍の場合は士官の場合は軍法会議にかかるよりも潔く自決を求める
不文律がありました。前は陸軍の法律にも書かれていたのですが、これは早い
段階で削除されましたが。ですから、自決を期待していたとも考えられます。

>玉の井の国井組合長が、陸軍省からの要請を断ったならば、実質的な命令
>では無かった事になります。しかしながら、事実は組合長が一人で請け負
>いました
         実質的な命令なら誰一人断れないでしょう

プライドが高いのも大事ですが、ご自身の行き過ぎた言動を改めないとどんどん
無理なごり押しになりますよ。

806大神:2004/06/30(水) 21:47
>>798

 笑っていられるというなら心の平静を保てるでしょう。ただ、心の平静さを
自分の意見を自分で検討するという方向で考えればもっとよいと思いますよ。
 中田さんの場合は高校数学以前に、数的なことも考える
一般例、特殊例の違いを考える。類似だが違うものと意味のあるものを考える。
そう言ったことから貴方はもっと奥深くなると思いますよ。嫌味じゃなくて。

 プライドが高い点はスライムベス君と同じでしょうが、まだ貴方の方が
バイタリティがありますから。ただ、少し落ち着いて再反論されたらいいと
思います。

 県庁食堂の時と同じですが、同じことを再反論されるような反論を繰り
かえすぐらいなら落ち着いて再度読み直した方が良いでしょう。

 あと、失礼ながら私は印象操作をしようと思ったことはありませんが、中田
さんの主張の方にこそ印象操作が見受けられますよ。
それが「実質的命令」とかいう言葉だったり、ショッキングな一例だけで
語ろうとするところでしょう。
それは直された方が良いと思いますよ。

>スライムベス君
 君の場合は余計なことだったと思うよ。基本的に話している当人が相手を
判断することであるし、既に数百も続いている中で横からあんなことをここで
言うとは少し失望しました。
 注意にかこつけた先入観を植え付けるよりも、中田さんの陰に隠れてただ
便乗しているだけにしか見えないからね。

 せめて2chかどこかで言うならまだしも。

807中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/01(木) 23:57
>>801 大神さん

> >>792,>>795,>>799,>>800
> 中田さんに一ついいことを教えてあげましょう。
>
>              証言だけでは証拠となりません。

江戸時代を考察するには、古文書が鍵となります。しかしながら、近現代
史に於いて歴史を考察する際に、証言は重要な証拠となります。問題は、
その証言の真贋の検証に存します。

フィリピンの慰安婦の証言を子細に検討していきますと、日本軍の行動パ
ターンの類型が自ずと表出してきます。

> >>793
> >日本軍に関する事典・用語集を繙くと分かる事です。
> つまり紐解いてないわけですね。

元は、>>783

>  で、中田さんに尋ねた質問に関連するのですが、
> 特別陸戦隊、根拠地隊、警備隊これらの言葉は何を示す言葉でしょうか?
> 連隊、守備隊、兵団、支隊これらの言葉は何を示す言葉でしょうか?

この掲示板で、特別陸戦隊、根拠地隊、守備隊、支隊などの言葉は
使われているのでしょうか。番号で教えて下さい。

>> >>666 に関しては、>>766 にて説明済みです。
> だから、そう開き直るところに対することを批判しているのに、また開き直るかごとく
> 同じことを言っても仕方ないでしょう。つまり突っ込まれたら開き直る程度なんですね。
> 分かりました。

提示しました文書からは、「具体的な交渉内容は、この文章からは
読み取れません」と書きました。

>>766

> 現地軍が業者の介在無しで慰安婦を徴集した事例を上げたのです。
> 具体的な交渉内容は、この文章からは読み取れません。しかし、
> 軍が慰安婦を集めたことは、分かると思います。

軍が慰安婦を集めたことを認めたくないので、文章に書かれていない
事を、どうなんだと無理難題を押しつけて、あまつさえ開き直りだと
勝手な独断を下しています。

残りのレスは、次回にします。

808中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/02(金) 00:06
フィリピン慰安婦の証言

ロシータ・パカルド・ナシーノ

一九四四年の収穫期、祖母のいたエスタンシアに戻りひとりで生活しようとしましたが、その途中で日本兵に捕まりました。祖母の家から歩いて二十分くらいのところに日本軍の駐屯地がありました。祖母の家に向かって歩いているとき、五人の日本兵が私を捕まえました。そのなかの一人は、「タカシ」と呼ばれていた軍曹でした。私が連れていかれるところを、たまたま友人のルース・デラクスルが見ていました。

連れていかれたところは、エスタンシアの製氷工場で、日本軍はそこを駐屯所として使っていました。そのなかの小さな部屋に入れられ、タカシという日本兵から服を脱ぐよう指示されました。じっとしていると、タカシは銃剣で私の太ももを刺しました。言うとおりにしないと殺されると思い、抵抗はしませんでした。

タカシに強姦されているあいだ、他の四人の日本兵は部屋の外に出ていました。タカシの強姦が終わると、今度はタカシより年上のタケモトという将校が強姦しました。その後別の部屋に連れていかれ、他の日本兵につぎつぎと強姦されました。タケモトは、そのとき近くに立って見ていました。

私は、その部屋に一ヶ月ほど閉じ込められていました。日本兵は、私が入れられていた部屋の二階に寝泊まりしており、一階の五部屋には、私と同じように、フィリピン人の若い女性が各部屋二、三人(全部で十五人くらい)入れられていました。

私のいた部屋にもほかの女性が一人いましたが、この女性はしばらくしていなくなりました。廊下には見張りの男が一人立っており、やってきた兵士にどの部屋に入るかを指示していました。何度か逃げようと思いましたが、周りはコンクリートの壁で窓は小さく、とても逃げ出すことはできませんでした。

女性たちは、交替で日本兵のために食事を作る手伝いをしたり、服の洗濯や部屋の掃除をさせられました。当番の日は朝四時に起こされ、朝食を作る手伝いをさせられ、午前中は部屋の掃除をさせられました。日本兵は、当番でない女性のところには朝から強姦しにきました。また、当番の女性が仕事が終わって部屋に戻ると強姦しにきました。私たちは、兵士たちが寝静まるまで強姦されました。日本兵は、言葉が通じないため話しかけることはなく、部屋に入るなり強姦し、終わると出ていきました。そのとき日本兵からお金や物をもらったことはありません。

私は、当時は、生きて帰れるとは思えず、毎日のように神に祈っていました。

私にとって、監禁、強姦された一カ月ほどは今も忘れることはできず、やはり同じ経験を持つローラ・ロサがテレビで名乗り出るように呼びかけているのを見て、名乗り出る決意をしたのです。

809大神:2004/07/02(金) 07:28
>>807

 戦後50年近く経った証言。さらに被害者からの証言。そして抗議団体寄り
からの証言。証言は大事ですが、それには検証が必要であり、先ず中田さんには
それらの検証がありません。
 そして慰安婦問題においては証言だけでは証拠となりません。

>この掲示板で、特別陸戦隊、根拠地隊、守備隊、支隊などの言葉は
>使われているのでしょうか。番号で教えて下さい。
 ??。軍事用語について中田さんが分かるようにヒントとして私が
出したのですが、それについて

>この掲示板で、特別陸戦隊、根拠地隊、守備隊、支隊などの言葉は
>使われているのでしょうか。番号で教えて下さい。
 とは失礼ながら少し読解力が不足しているのでは?

>提示しました文書からは、「具体的な交渉内容は、この文章からは
>読み取れません」と書きました。
 とまた開き直られた訳ですが(笑)、つまり突っ込まれたらその程度の
引用しかしませんし、中田さんはご自身で裏を取ろうとしませんね。
 そして、中田さんの主張、中国大陸では女性を拉致してきてにあうように
「軍事力で威嚇しての交渉だった」と書かれていますが、中田さんはそれに
ついては根拠を示されません。また「中田イメージ」で

                  実質的命令

と同じで貴方の根拠の無い推測、思いこみなんですね。よく分かりました。

>軍が慰安婦を集めたことを認めたくないので、文章に書かれていない
>事を、どうなんだと無理難題を押しつけて、あまつさえ開き直りだと
>勝手な独断を下しています。

 文章に書かれていない事を主張するのが元々無理なんじゃないですか(笑)?
そして

    引 用 し た の は 貴 方 な ん で す よ ?

認めたくないんじゃなくて、どこにも書いていないでしょう?それに
貴方は再三、フィリピンの話を出していますが、元の朝鮮、日本の慰安婦の
話はどうなったんですか(笑)?
>>735
>証拠はないから
 挙証責任から言って朝鮮、日本で強制連行や軍が業者の犯罪に関与をして
いるとは言えませんね。寧ろそう主張するなら「創作している」の謗りは
免れえないでしょうね。

810大神:2004/07/02(金) 07:39
>>809の追加

>あまつさえ開き直りだと勝手な独断を下しています。

 実際、挙証責任からいって検証の一つもしないで、それについて尋ねられると
さぁ、分かりませんねというのは開き直り以外の何物でもないでしょう。

     実際中田さんは自分で私が質問した事や引用した証言に

       一 つ で も 検 証 し ま し た か ?

ついでに>>808を見ると「○○さんが名乗り出たので私も名乗り出ました」
とありますね。で、中田さんは「一つのパターンがある」と言われている
わけですね。よく分かりました。

 あと、証言を検証もせずに羅列するのは拙いですし、それらを繰り返して
議論するのは、私の印象からすると、もしそれがおかしいと判別した場合に

      「証言した人間が間違っているんだ。俺は悪くない」

と予め責任転嫁のための予防線を張っているように見えます。私の印象から
すると。
 それと1944年のフィリピンの収穫期から配置してある部隊を調べたら如何
でしょうか?特に>>808などは

811スライムベス:2004/07/02(金) 16:05
>>798中田さん

>腹を立てているかどうか自問しますと、笑っちゃっていることが
>多いです。

あー、確かに笑っちゃうという面もありますね。
でも具体的に書くのはやめておきます。
大神君は彼が中田さんに書いているようなことを
自分に対して書かれるのは我慢ならない人だと思いますので
その気持ちを汲んで^^;
(中田さんももうこれに対するレスは結構です)

といっても、これだけの書き込みでも既に
大神君にとってはやり過ごすことが出来ないのかもしれませんが。

812中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/02(金) 23:29
>>801 大神さん

> >インドネシアで日本軍の総数は何人なのですか?
> 婉曲的にではありますが、これは私が中田さんにした質問です。
> ちなみに2万人がいつ、何に登録されたか中田さんははっきり書いていませんね。
> これは何故か大いに疑問に思えます。何故ですか?

敗戦時における配備・残留軍人数

スマトラ陸軍   59,500
    海軍      100
ボルネオ陸軍   18,600
    海軍   10,900
セレベズ陸軍   17,700
    海軍    8,800
モルッカ陸軍   51,900
    海軍   19,400
ジャワ陸軍    40,400
   海軍     9,700
小スンダ陸軍   17,500
    海軍    3,000
ニューギニア陸軍 30,200
      海軍  3,600
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

厚生省援護局昭和39年3月1日作成資料
桑田悦・前原透編著『日本の戦争ーー図解とデータ』
原書房所収より作成されたのを孫引き

上記の内、ボルネオの一部が現在はマレーシア、
ニューギニアは一部だけがインドネシア

正確には算出できませんが、敗戦時の残留軍人軍属数は二十数万人
となります。

登録は、兵補協会です。正式名称は、元兵補連絡中央協議会。

> これは何故か大いに疑問に思えます。何故ですか?

疑問に思うのは、大神さんの勝手ですが、登録先を書かなかった
のを疑問に思い何故なのだと問うのは、イチャモンでしかありま
せん。最近、この手法が多いです。

813(=~o~=):2004/07/03(土) 00:01
自分側には実証責任が全くなく
相手側には完全無欠の実証責任がある
というのが
大神氏の立場です

814中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 00:31
>>809 大神さん

> >この掲示板で、特別陸戦隊、根拠地隊、守備隊、支隊などの言葉は
> >使われているのでしょうか。番号で教えて下さい。
>  ??。軍事用語について中田さんが分かるようにヒントとして私が
> 出したのですが、それについて
>
> >この掲示板で、特別陸戦隊、根拠地隊、守備隊、支隊などの言葉は
> >使われているのでしょうか。番号で教えて下さい。
>  とは失礼ながら少し読解力が不足しているのでは?

ここで使っていない用語を持ってきて、「何を示す言葉でしょうか?」と
問う方がおかしな質問です。

> 貴方は再三、フィリピンの話を出していますが、元の朝鮮、日本の慰安婦の
> 話はどうなったんですか(笑)?

>>740

> 酷いのになると中田さんが抱いているイメージを先行させて議論しています。
> それは「中国やフィリピンでは多数を拉致して無理やり慰安婦にした」
> というものでしょう。
>
> 中田さん。一つお聞きします。
>
>          証 拠 は ど れ で す か ?

>>742

> >中国・フィリピンなどでは、日本軍は女性を拉致によって慰安所に連
> >れ込み、強姦を繰り返していました。
> その証拠をお願いします。

>  戦後50年近く経った証言。さらに被害者からの証言。そして抗議団体寄り
> からの証言。証言は大事ですが、それには検証が必要であり、先ず中田さんには
> それらの検証がありません。
>  そして慰安婦問題においては証言だけでは証拠となりません。

身体は一つしかありませんので、現在は大神さんのご要望に応えて
フィリピンの事例を投稿しているのです。証言のみで論理を組み立
てるつもりはありません。しかし、大枠としての実像は証言を通じ
て焦点を浮かび上がらせるでしょう。

他のレスは、次回にします。

815㌧㌦平賀源内:2004/07/03(土) 00:36
>>813
アホ。
告発する側に挙証義務のあるのは当然だろ。
それが重大事件であればあるほど、厳しく求められる訳だ。
犯罪者と認定するのに、慎重であるのは当然。
証言というのはだな、事件から時間が経ち、周囲の環境が
変われば変わるほど、変質しやすいものなんだよ。
それが意図するせざるに関らずな。基本的な事は、
一々指摘されるまでも無く、自分で勉強しとけやヴォケ。

816中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 00:44
まだまだあるのですが、事例としては同じような感じもしますし、
HPで証言集として一括するのではなく掲示板では相応しくない
ようにも思いますので、あと数回投稿した後まとめます。

フィリピン慰安婦の証言

レメディオス・ヴァレンシア

一九四三年の十月ごろ、マニラのパコ市の市場で魚を売っていたとき、三人の日本軍兵士に手を引っぱられて抱きかかえられるようなかっこうで、近くの空き家に連行されました。そこは、ニッパヤシで造ったような建物で、十二平方メートルくらいの広さでした。一人の兵士が何か言った後、他の兵士は外に出ていきました。そこで、一人の兵士に強姦されました。そのとき、市場で働いていて別の兵士グループに連行された女性もいました。

その後、うしろに堅い座席のあるトラックで、マニラ市内のダコタ地区にある大きな家に連れていかれました。その家は二階建てで、一階は大きな応接間で三十平方メートルくらいあり、二階は、ベッドを一つおけばあまり余裕もないくらいの部屋が四つありました。

そこには、テルミという名前の日本人女性がおり、四人の若いフィリピン女性もいました。テルミは、二十八歳くらいで、私より少し背が高く一五五センチメートルくらいで、その家の一階に住み、食事の世話や医者を連れてくるなど、その家を管理していました。また、日中は、民間の日本人男性が二人ほどいて、私たちを監視していました。家には鍵がかかっていましたが、部屋にはかかっていませんでした。

その家があった場所は、現在マニラ動物園構内の入り口付近です。そこでは、毎日のように、一日六人から多いときは十五人くらい、兵士の性行為の相手をさせられました。食事のときだけ下の部屋に行き、あとは、大体二階にいました。他の四人のフィリピン女性も同様でした。性行為に対してお金や物をもらったことはありませんが、医師による性病検査が毎週土曜日にありました。兵士たちはほとんどコンドームをつけていなかったのです。

あるとき、兵士が外に連れだそうとしたので、抵抗したところ、銃剣で右足のすねの部分を刺されました。今でもそのあとが残っています。

一九四四年十一月ごろ、私たちは解放されました。米軍がマニラに進駐する前に爆撃があり、皆いなくなったのです。

817(=~o~=):2004/07/03(土) 05:22
>>815

弁護側証人の証言に矛盾があるのであれば、
その証言を検証するのは、検事のほうです。
検事側の証言の矛盾は
弁護側が検証すればよい。
判断は我々裁判員(ヲチャ)が下します。

818大神:2004/07/03(土) 07:24
>>812 中田さん

 それは戦後に収容されてた人数であり、戦時中の配備数ではありません。
私がお尋ねしたのは戦時中の配備数です。慰安婦が必要なのは戦時中なのは
当たり前でしょう。お分かりですか?

>疑問に思うのは、大神さんの勝手ですが、登録先を書かなかった
>のを疑問に思い何故なのだと問うのは、イチャモンでしかありま
>せん。最近、この手法が多いです。

 中田さんが挙げた登録された慰安婦の人数がいつ、何によるか書いて
いないので疑問に思うのは当然でしょう。それについて結局書いていないの
ですが、インドネシア人の慰安婦2万人はいつ何に登録されたのですか?
知ってて書いたのですよね?別にこれはイチャモンとは言わずに不鮮明なことに
対する当然の質問です。相手に「イチャモンつけてる」と言えば言わずに
済む事ではありません

819大神:2004/07/03(土) 07:33
>>814
>ここで使っていない用語を持ってきて、「何を示す言葉でしょうか?」と
>問う方がおかしな質問です。

 ヒントですから多く書いたのは私の親切ですし、それでこれらの用語を
中田さんが辿っていけば用語について調べられやすいでしょう。別段おかしな
質問では無く、字句だけを受け取るのは失礼ながら中学生以下の国語力
でしょう。

>しかし、大枠としての実像は証言を通じて焦点を浮かび上がらせるでしょう。

 それは証言が信憑性を持っている場合の話であり、これだけ慰安婦問題に
ついて議論していれば、先の大戦における「日本に対する被害者」の証言には
信憑性を吟味しなければならないのはいい加減気付く事でしょう。

                  で す が
中田さんは

           た だ 列 挙 す る だ け で す


犯罪があったと告発するサイドに立つ側は挙証責任と言うものがあります。
それを果たさないのはただ端に意味無く貶めているということです。
証言を持ってくるなら予めどれだけ信用できるか検証するべきでしょう。

820大神:2004/07/03(土) 07:45
>中田さん

 で、
           実質的命令はどうなったんですか(笑)?

あと
       法解釈の正しさの保障はどうなったんでしょうか(笑)?


それと、中田さんは近現代史には証言が重要な証拠と言われていますが、
そうなると文革の時には中国が用意した証人で文化大革命は大成功ということに
なりますね。近現代史では史料が大事なんじゃないですか?

それと証言類を

    な ん で 一 つ も 検 証 し な い ん で す か ?

それは私がする事なんですか?

 昔、ある人と議論していた事があるんですが、その人もあまり自分で
持ってきたものを検証する人ではありませんでした。分かり易く言えば不誠実な
人ですね。何故なら、自分が出したものを人に見せる前に自分で見ていないわけ
ですから。

          小学校でも「よく見なおしして出しなさい」

と言われますが、彼はそれが出来ない人でした。ですから、中田さんも
くれぐれも同じ轍を踏まないように注意して下さいね。老婆心ながらの忠告です

821㌧㌦平賀源内:2004/07/03(土) 08:16
>>817
客観的証拠を欠く証言で有罪にされたら困るんだよ馬鹿。
アメリカの誤判研究によれば、その約半数は証言が原因のを知ってるか?
当てにならないのが証言だ。人間の記憶は当てにならない。
偽証するつもりがなくてもそうだから、為にする証言、誘導された発言は
どれだけ信頼性に乏しいか、馬鹿なお前でも分かるだろ?

だから大神は検証しろと言ってるんだ。それとな、日本側が無罪を証明する為に
証人を立てる必要は無いんだよ。投稿して板を汚す前に、議論に必要な
基本的知識を学ぶ事だな。

822大神:2004/07/03(土) 08:58
>>インドネシア
 
 誤読を誘いそうなので、ジャワを占領した第十五軍は当初約五万人ほど
でしたが、その後別の戦線に兵力を転用されたので1/3ほどに兵力は
減少しました。インドネシアには第十五軍、第十六軍、海軍部隊といたの
ですが、兵力不足のためにインドネシア人からPETAという軍隊を作り、
またインドネシア人から日本軍への兵補を募りました。

 それとニューギニア戦線は「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬ
ニューギニア」と呼ばれていました。派遣時の約10万から終戦時までの
損失率は90%以上に達し、生き残りも飢餓、病気に苦しむ有様でした。

 そしてインドネシアでの日本軍部隊は少数のために、情報戦で偽電文を
盛んに発して、米軍はインドネシアには日本軍の大部隊が相当にいると思い
込ませてインドネシア方面へは積極侵攻は行われませんでした。

 それと中田さんは故意に慰安婦の登録先、年を言わないので確認という
形を取りますが、

 平成5年に東京のT弁護士ら3人の弁護士が
「保障のために慰安婦は名乗り出て欲しい」と新聞に広告を出して、
兵補協会のラハルジョ会長が保障要求のやり方の指示を受けたのが始まりで
すね。その際に慰安婦一人頭200万円(日本だと2億円に相当)と喧伝して
たので2万2千人が「私は元慰安婦」と殺到しました。

               相違ありませんね?

823中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 09:09
>>820 大神さん

>            実質的命令はどうなったんですか(笑)?
>
> あと
>        法解釈の正しさの保障はどうなったんでしょうか(笑)?

これも何度も書いてきていることですけど、即レスできることと
調査のために時間が掛かることがあります。

>>814

> 他のレスは、次回にします。

同じ質問を繰り返し投稿して最後に「(笑)?」を付けるのは
こっちが笑ってしまいます。

824大神:2004/07/03(土) 09:13
ニューギニア追加

 ニューギニアには第一八軍が展開しておりその派遣員数は96944名で、生還者
は8,827名です。

 陸軍部隊だけで約9万人が死亡しまして、その他の船舶関係、海軍部隊の
死亡数を入れると約15万人になります。海軍にしろ、陸軍にしろ航空部隊は
早い段階で壊滅しており、船舶関係は輸送途上で撃沈していたりしています
ので、戦力の主力は第十八軍というのが正直な所でしょう。

 ニューギニアでも一時期慰安婦問題が起こったのですが、

結局
・混血児が確認されていない
・補給途絶のために栄養状態が悪く慰安婦を抱く体力が無い
・戦闘(空襲)が激しく、また山越え転進が多かったので慰安所を開く
 余裕が無い
・生活習慣の違いから抱く気が起こらない(日本人から見て不潔なため
 汚い。尻を拭く時など:日本兵の証言)

など反論が起き結局しばらくして立ち消えになりました。

825大神:2004/07/03(土) 09:20
>中田さん

 あれだけ他のことを書く余裕があるならいい加減これを書いたら〜

という意味で(笑)をつけています。

 調査に時間がかかると言っていますが、一人しか応じなかった
というのは実質的命令ではなかったというのは論理的帰結でしょう。
何を調査する必要があるのでしょうか。

少し前に中田さんは私に「誤りですね?」といわれていたのですが、
実質的命令はいい加減誤りじゃないんですか?

そもそも法解釈にしてもあれだけ時間が経っているのにまだ調査中なら
ある種中途半端なものを出して、人から突っ込まれると慌てて時間稼ぎ
しているようにしか見えません。それに上杉氏のどこを参考にしたのかも
未だに書いていません。

           笑 う 余 裕 が あ る な ら

           後 ま わ し に し な く て 

          い い の じ ゃ な い で す か?

826大神:2004/07/03(土) 09:33
>>824追加

 輸送途上で輸送船を沈められた場合もあります。ダンピールの悲劇などは
良い例でしょう。駆逐艦4隻、輸送船全隻が沈められました。陸軍だけで
約4000が溺死しました。

 こうなると、派遣員数は多くても海没や輸送関係で一度も地に足をつけら
れなかった人も多数いたでしょう。

827大神:2004/07/03(土) 09:42
 試しに中田さんの証言を一つ検証してみます。

慰安所にしろ別のの淫売屋にしろサックをつけないと、処罰の対象に
なります。バレたら初年兵なら半殺しでしょう。また病気をもらうと営倉
行きでしょう。そして当分は外出止めになるでしょう。ですから制裁も
さることながら、本人自身も病気をもらうのが嫌でしょうから
突撃一番をつけない猛者は少ないと言えます。特に監禁して不特定多数と
した女を相手にする場合なら。それと、サックをつけないといい加減
妊娠するものですが、妊娠、中絶の話はありませんね。それとマニラが
空襲されたぐらいで日本軍は撤退していません。

 確かに山下閣下は米軍上陸後にマニラから撤退するように命令していますが、
一部の陸軍部隊は無視し、それと海軍部隊は留まり続けたために米軍と戦闘を
起こしています。そのために戦後山下閣下は処刑されました。

 中田さんの最新の証言ですが、これを見ただけでもおかしいなと思う所が
一杯出てきます。ですから、羅列する前に検証しましょうといっているのです。
それをしないのは人に見せるのに不誠実も良い所でしょう

828中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 09:42
>>818 大神さん

>  中田さんが挙げた登録された慰安婦の人数がいつ、何によるか書いて
> いないので疑問に思うのは当然でしょう。それについて結局書いていないの
> ですが、インドネシア人の慰安婦2万人はいつ何に登録されたのですか?
> 知ってて書いたのですよね?別にこれはイチャモンとは言わずに不鮮明なことに
> 対する当然の質問です。相手に「イチャモンつけてる」と言えば言わずに
> 済む事ではありません

>>801

> >インドネシアで日本軍の総数は何人なのですか?
> 婉曲的にではありますが、これは私が中田さんにした質問です。
> ちなみに2万人がいつ、何に登録されたか中田さんははっきり書いていませんね。
> これは何故か大いに疑問に思えます。何故ですか?

「いつ」の答えは抜けていました。この点は申し訳なかったです。
1995年8月以降です。

書き方の問題です。

> これは何故か大いに疑問に思えます。何故ですか?

「2万人はいつ、何に登録されたのですか?」とレスすれば
良かったのです。ところが、「何故ですか?」と最後に付記
したのが、単なるイチャモンだと思いました。

どうも私にウラがあって、敢えて書かなかったように考えて
いるようですが、それは違います。

829大神:2004/07/03(土) 09:52
>>828 中田さん

 証言が大事と言っている人が、いつ何に登録されたか最初にはっきり
示さないのは。

>書き方の問題です

 で片付けられるものではないでしょう。失礼ながらよほどの間が抜けて居られ
るか、「登録された」の一字だけに絞ってあとはお茶を濁したと取られて当然
でしょう。書き方の問題ではありません。

>「2万人はいつ、何に登録されたのですか?」とレスすれば
>良かったのです。ところが、「何故ですか?」と最後に付記
>したのが、単なるイチャモンだと思いました。
 普通にあの質問なら中田さんがいつ、何に登録されていたか書いていな
いから、「2万人はいつ、何に登録されたのですか?」と異音同義語で
しょう。高校生の読解力があれば直ぐに示しますよ。

>どうも私にウラがあって、敢えて書かなかったように考えて
>いるようですが、それは違います。

 中々登録先や年度や経緯を書かなかった事から、敢えて隠したように見えても
仕方ないとだけ申しておきましょう

830大神:2004/07/03(土) 10:02
 それと中田さんにお尋ねしたいのですが、インドネシア人の二万二千人の
元慰安婦と称する人達はインドネシア全土から集まった人達でしょうか?
それともジャワ島かどこかだけでしょうか?もし知っていたら教えて下さい。

ちなみに「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は
当時ジャワ島にいた日本兵が約二万である事から

「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたとい
うのか」と述べています。

831中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 10:08
>>809 大神さん

> >提示しました文書からは、「具体的な交渉内容は、この文章からは
> >読み取れません」と書きました。
>  とまた開き直られた訳ですが(笑)、つまり突っ込まれたらその程度の
> 引用しかしませんし、中田さんはご自身で裏を取ろうとしませんね。
>  そして、中田さんの主張、中国大陸では女性を拉致してきてにあうように
> 「軍事力で威嚇しての交渉だった」と書かれていますが、中田さんはそれに
> ついては根拠を示されません。また「中田イメージ」で
>
>                   実質的命令
>
> と同じで貴方の根拠の無い推測、思いこみなんですね。よく分かりました。
>
> >軍が慰安婦を集めたことを認めたくないので、文章に書かれていない
> >事を、どうなんだと無理難題を押しつけて、あまつさえ開き直りだと
> >勝手な独断を下しています。
>
>  文章に書かれていない事を主張するのが元々無理なんじゃないですか(笑)?
> そして
>
>     引 用 し た の は 貴 方 な ん で す よ ?
>
> 認めたくないんじゃなくて、どこにも書いていないでしょう?

ここが、突っ込みに最適だと思っているのかもしれませんが、
大神さんが書かれた後半は、そのままお返しできます。

元々は、 >>666 を巡ってです。

> 中国では軍が自ら慰安婦を集めたケースが多かったのですが、
> 師団経理部の主計将校が慰安所建設と慰安婦集めを行った記
> 録です。

>>782

>  中田さんは自分で出したものは出しっぱなしにしているのか、
> 主計士官のところでは交渉形態、営業形態がわかりません。公娼にこっちに移って
> きてくれとしているのか、人買いから女を買ったのかも分かりません。
> 攫ってきたのかもわかりません。それを私が訪ねたのに対して
>  御自身で分かりませんねと開き直られても困ります。

>>766

> 現地軍が業者の介在無しで慰安婦を徴集した事例を上げたのです。
> 具体的な交渉内容は、この文章からは読み取れません。しかし、
> 軍が慰安婦を集めたことは、分かると思います。

「交渉形態、営業形態がわかりません。公娼にこっちに移ってきてくれ
としているのか、人買いから女を買ったのかも分かりません」

この文章には、その点が書かれていません。ですから、「具体的な交渉
内容は、この文章からは読み取れません」と書いたのです。大神さんの
レスを再転載しますと、次のようになります。

>  文章に書かれていない事を主張するのが元々無理なんじゃないですか(笑)?

> 認めたくないんじゃなくて、どこにも書いていないでしょう?

そう、具体的な交渉形態は、どこにも書いてないのです。

> ともかく、洛陽をトラックでグルグル回り、私のカンも良かったのか、
> 二、三軒で十数人の女集めに成功して、部隊に連れてくることができた
> のである。

しかしながら、軍が慰安婦を徴集したことは述べられているのです。

大神さんのレスを再掲します。よくお考えになられたら宜しいでしょう。

>  文章に書かれていない事を主張するのが元々無理なんじゃないですか(笑)?

> 認めたくないんじゃなくて、どこにも書いていないでしょう?

832中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 10:16
>>822 大神さん

>  平成5年に東京のT弁護士ら3人の弁護士が
> 「保障のために慰安婦は名乗り出て欲しい」と新聞に広告を出して、
> 兵補協会のラハルジョ会長が保障要求のやり方の指示を受けたのが始まりで
> すね。その際に慰安婦一人頭200万円(日本だと2億円に相当)と喧伝して
> たので2万2千人が「私は元慰安婦」と殺到しました。
>
>                相違ありませんね?

不承諾です。そのように主張される根拠を示して下さい。

833大神:2004/07/03(土) 10:30
>>731
 実質的命令は文書ではなくて、大日本帝国憲法と時代背景じゃなかったの
ですか(笑)?中田さん
 
>この文章には、その点が書かれていません。ですから、「具体的な交渉
>内容は、この文章からは読み取れません」と書いたのです。大神さんの
>レスを再転載しますと、次のようになります。
 
 中田さんは軍が慰安婦を集めたとありますが、交渉形態、営業形態が
不明ですので私はどうとでも取れますよという意味で書きました。

          引 用 者 の 中 田 さ ん に 

意味判ります?

それと中田さん、洛陽作戦では二師一旅団に第三戦車師団が作戦に参加
しています。中国軍の被害は戦死約二万、負傷約三万、捕虜約一万五千です。
戦場掃除、捕獲武器の整理、捕虜の取扱、戦利品の管理、残敵掃蕩があり
ます。ちなみに日本軍は戦死約1000、負傷約3000を出しています。

とてもではないですが慰安所どころではないと思いますが如何でしょうか?
それと手記と文書、資料は違いますねね。言うまでも無く。

834大神:2004/07/03(土) 10:31
>>832

             どの点が不承諾なのでしょうか?

835中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 10:36
>>805 大神さん

> 日本軍の場合は士官の場合は軍法会議にかかるよりも潔く自決を求める
> 不文律がありました。前は陸軍の法律にも書かれていたのですが、これは早い
> 段階で削除されましたが。ですから、自決を期待していたとも考えられます。

>>797

> 慰安所を閉鎖する事態を招来しながら、その実行者は処罰されていません。
> これは、強制連行および強制売春を軍は、黙認していたことになります。
> 少なくとも重要犯罪であると判断していなかった証左です。
>
> 戦争末期であることをもって、軍法会議を開かなかった理由としていますが、
> 閉鎖したのはいつの事なのか分かった上ですか。一年以上お咎め無しと言う
> ことは慰安所の閉鎖で事を収束して、実行者を処罰する意向が無かった事に
> なります。

戦争末期論が破綻したので、今度は自決期待に変更ですか。
同じことです。自決するなら閉鎖の時にするべきでしょう。
閉鎖後、一年以上生きていた人間に「自決を期待していた」
などと妄言を弄する方がおかしいです。

836中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 10:44
>>834 大神さん

>   どの点が不承諾なのでしょうか?

ですから、まずそのように主張される根拠を示して下さい。
かくかくしかじかの事実がありますと提示されている訳です
から、それはどのような資料に基づいているのですかと、
聞いているのです。

挙証責任は大神さんにあります。

837大神:2004/07/03(土) 10:45
>>835
>戦争末期論が破綻したので、今度は自決期待に変更ですか。
>同じことです。自決するなら閉鎖の時にするべきでしょう。
>閉鎖後、一年以上生きていた人間に「自決を期待していた」
>などと妄言を弄する方がおかしいです。

 戦争末期というのは時期的なものであり、自決は士官の不文律ですので、
両方を挙げても別に矛盾しませんよ。中田さん大丈夫ですか?

尉官においても2・26事件の時には自決しろと迫られたのに対して、
「裁判で戦う」となったのは有名な話です。ノモンハンの捕虜となった士官にも
自決をさせました。

 結局、その種の犯罪を犯す人は自決する事すらしない人であったということ
でしょう。それと閉鎖かしばらくすると本土は捷号作戦、決号作戦準備で
南方総軍はビルマ方面関係で火がついていました。別に破綻も何も、ただ
その人はその程度の人物で自決しなかったということでしょう。

838大神:2004/07/03(土) 10:47
>>836
 ??

 犯罪告発から言って、中田さんに挙証責任があるので、
二万二千人登録の経緯などは中田さんが先ずははっきり示すんですよ?
何か勘違いしていませんか?

            悪魔の証明じゃないんですよ?

839中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 10:53
>>796

> 大神さんは、慰安所は遊廓であると考えられているのですか?
> それとも別のものであると思われているのでしょうか。
> まず、この点をお聞きします。

この質問のご返答をお願いします。

840中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/03(土) 11:17
>>838 大神さん

>  犯罪告発から言って、中田さんに挙証責任があるので、

この点も何度も言ってきてますように、犯罪告発をするつもりなど
ありません。事実は何であるかを調べたいだけです。

> 二万二千人登録の経緯などは中田さんが先ずははっきり示すんですよ?
> 何か勘違いしていませんか?

>>832

> >>822 大神さん
>
> >  平成5年に東京のT弁護士ら3人の弁護士が
> > 「保障のために慰安婦は名乗り出て欲しい」と新聞に広告を出して、
> > 兵補協会のラハルジョ会長が保障要求のやり方の指示を受けたのが始まりで
> > すね。その際に慰安婦一人頭200万円(日本だと2億円に相当)と喧伝して
> > たので2万2千人が「私は元慰安婦」と殺到しました。
> >
> >                相違ありませんね?
>
> 不承諾です。そのように主張される根拠を示して下さい。

>>822 で「相違ありませんね?」と私に問うておられるので、
「不承諾」であり、「そのように主張される根拠を示して下
さい」とレスしました。

大神さんのことですから、資料を慎重の上にも念を入れて検証・
吟味して投稿されたはずです。上記のような事実経過を書かれた
のですから、それを参照してみたいと思います。

その資料をお教え下さいませ。

841大神:2004/07/03(土) 12:29
>>839

 遊郭は民間人が入れる民間が経営する淫売屋で、慰安所は軍人・軍属
しか入れない施設です。この点から見ると同じじゃないですね。
ですが、金をもらって性サービスを行う所は同じです。

>犯罪告発をするつもりなどありません。事実は何であるかを調べたいだけです。

 貴方が犯罪告発をするかどうかに挙証責任の有無があるのではなくて、
貴方の主張から中国や南方では数多く拉致したとの貴方の主張から挙証責任が
貴方にあります。
「事実を知りたいだけ」と言ったからと言ってそれを免れ得ぬものでは
ありません。

>>>822 で「相違ありませんね?」と私に問うておられるので、
>「不承諾」であり、「そのように主張される根拠を示して下
>さい」とレスしました。
 
 不承諾は分かりましたから、どこが不承諾なのかを問うています。
私のレスは自然ですね。ですがそこには中田さんは回答なさっていませんね。

>大神さんのことですから、資料を慎重の上にも念を入れて検証・
>吟味して投稿されたはずです。上記のような事実経過を書かれた
>のですから、それを参照してみたいと思います。
>その資料をお教え下さいませ。

 中田さんは兵補協会からの登録と時期を御存知(だったけど書かなかった
ことは前後のレスで容易に推察され得る)ですが、中田さん自身はどういった
根拠で兵補強会が登録したと言われているのでしょうか

      そ の 資 料 を お 教 え 下 さ い ま せ 。

どうも、中田さんは人に自分の宿題を押し付けるのが好きみたいですね。

842大神:2004/07/03(土) 12:57
 ついでにもう一つ検証
>>808
 フィリピン防衛の第14方面軍は19年末ごろには13師5旅団を
擁していました。山下閣下はルソン決戦のために兵力をルソン島に
集中配備するつもりでしたし、それは最初は中央でも了解を取っていました。
ですが、米軍はレイテに10月に上陸したので、第一師団以下ニ師一旅団が
派遣されました。では他の部隊はどうだったのでしょうか?

>>808を見ますとイロイロ島でのことですが、ミンダナオ島には第百師団が
いますが、他はルソン島に配備されています。つまり旅団単位以上で
イロイロ島には部隊は配置されていませんでした。

 こうなると、この話が仮に真でも単なる現地部隊の犯罪でしょう。
ただ、銃剣で刺されたのですから当然手当てをされないと死にますが
そこら辺の話はありません。また収穫期と時期をボカしていますが
レイテに米軍が上陸した10月以降は遊んでいる暇はありません。
それにどうやって解放されたのかも書いていません。
 
 中田さん、ちょっと読んだだけでも摩訶不思議ですね

843大神:2004/07/03(土) 13:03
 それとふと思ったのですが、慰安所でも遊郭でも今の風俗でも女性に
直接お金を手渡ししないで入り口でお金を払うでしょう。

 業者が浚ってきて全くのピンはねならそれは業者が悪いのであって軍とは
関係ありませんね。

 中田さんはご自身で引用していて

・何故妊娠しなかったのか?
・何故刺されて、死ななかったのか?
・それは軍の慰安所なのか?

ということを一度でも考えたことはあるのでしょうか?熱帯で怪我をすると
熱帯性の潰瘍になってしまいます。中田さんがそういった事を注意書きでも
された所をいまだ一度も見たことがありません。そうすれば何でもかんでも
書いてしまうよりも、時間も効率に使えると思います。

844大神:2004/07/04(日) 08:48
訂正部分と追加

 イロイロ島ではなくパナイ島でした。

ざっと調べただけで第14方面軍には19年8月以降だけで5個師団が台湾や
満州から来てますね。

 それと、第100師団の他にミンダナオ島には第30師団と第54独立
混成旅団が守備についてますね。

 あと第102師団の場合は一部をレイテに出して主力はセブ島となってい
ますね。

845大神:2004/07/04(日) 09:31
パナイ島

 独立工兵第二連隊がいましたが、19年2月に海上機動第一旅団輸送隊になって
いますね。そして海上機動第一旅団本隊に追求しようとしていましたが、
旅団主力がマーシャルで玉砕したために、第14師団とともにパラオ方面の
任務についています。

 恐らく、パナイ島には歩兵一個中隊か一個大隊基幹の守備隊がいたのでは
ないかと考えます。
 
 島の面積が明らかに違うのですが、ルパング島の場合は歩兵一小隊に飛行場
大隊一小隊、他の部隊や海軍部隊を合わせても約200名。

 ルソン集中を考えていたのであまり大部隊は置けなかったと思われます。
前にも述べましたが旅団単位以上の部隊はいませんでしたし、上述のように
19年2月には独立工兵一個連隊も別の場所に移っています。これは山下閣下が
来る前ですが。

 そしてパナイ島では視察に来た将官をゲリラが襲撃する事件が1943年の
段階で起きており、数名だけで女を攫いにくるとは考えられません。危険
ですから。それに製氷工場を屯所とするかどうかも考えてみると不思議
です。空襲の的になりやすい工場をパナイ島の守備隊が駐屯所にはしない
でしょう。もう少しマシな場所を選び、またゲリラの攻撃を警戒して
最低限の陣地を作るでしょう。そして上述のように一中隊基幹か、一大隊基幹
としたら、将校の数はそんなに多くないですから、分哨程度には使いそうな
工場には下士官だけ置いておけばいいので、わざわざ将校がそんな所に
いたとは考えられません。

846大神:2004/07/04(日) 09:48
>>845
つまり、
 レイプの被害者でなく慰安婦問題として扱ってもらうには

ィ) 無理矢理連れ去られた
ロ) 逃げ出せなかった
ハ) 軍人の個人犯罪ではなく組織的犯罪であった

 ということを訴えないと訴訟団体でも見向きもしませんし、裁判で同情を
買えません。ですが、ロ)を示すために銃剣で太ももを刺されたというのは
普通に考えて怪しいです。理由は前にも書きましたが。

これは中田さんは書いていませんが、他のフィリピン人慰安婦の話でもそう
ですが、「腕を捻じ曲げられて骨折して逃げ出せなく、(略)2週間で骨折
が直った」などいくら逃げ出せなかったということを訴えたくてもこれでは
普通に見れば嘘臭い話です。

またハ)ですが、必ず何故か将校が出てきます。恐らく下士官兵だけなら
ただのレイプ事件と取られてしまうので将校を出すのが良いと考えたの
でしょう。そしてィ)攫われる時は小人数です。
確かに中田さんが言うようにパターンがありますね。真似したのでは無いかと
思うくらいパターンがありますね。

 ただ、いつも不思議なのは解放された時が不自然です。一年間ゴム無しで
妊娠すらしなかった女性の場合は、一度の空襲でみんな逃げ出したとあり
ますし、あの人は1ヶ月で何故か終わっていますし、解放の経緯が書いて
いません。
パナイ島に米軍が上陸したのが45年の3月18日ですので、44年の収穫期に
攫われたのなら1ヶ月というのは時期的に見てあいません。

 失礼ですが、中田さんは掲載する前にこういう事まで考えましたか?

847大神:2004/07/04(日) 10:14
慰安婦の証言パターン

 ついでにいうと北朝鮮の慰安婦の証言も独自のパターンがあります。
ィ)必ず犯される前に「お前に犯されるくらいなら死んだ方がましだ」と
  日本兵を罵る。これは北朝鮮によく見られる精一杯の抵抗を見せる仕種
  ですね。
ロ)言う事を聞かなかった同僚が必ず惨たらしく殺される。場合によっては
  日本兵が鍋に入れて食べてます。
ハ)やっぱり傷つけられます。ですが、妊娠したから腹を剣で裂かれて中の
  胎児を取り出された。今でもその時の傷が残っているなんてのは
  「お前は不死身か!」と突っ込みたくなります。

 つまり、言葉の問題があるでしょうが、同じ日本兵なのに訴えている国の
女性によってベースパターンがあると思えます。

 
 北朝鮮の場合は別として、他の国の女性の場合は記憶のスリカエが起き
ているのでは無いかと思います。生涯の中で経験した別のことを他の女性が
言った言葉を見て、その女性と同じような経験をしたかのように自分でも
思いこんでしまう。それが戦後50年近く経ったのなら余計に尚更だと
思います。しかも慰安婦問題で女性から名乗り出たのは80年代後半。
 そして、よく証言をコロコロ変える有名な韓国人慰安婦の人の場合は
一種の心の病気では無いかと思います。

 もっとも、フィリピンでも韓国でも北朝鮮でも元慰安婦だと名乗り出て、
しかも無理矢理させられたと訴える人はそれぞれの国で多くて100人程度
しかいません。慰安婦の数が数万〜数十万と言われるわりにはこれは
少ない。ですから前にも書きましたが、私はわざとやっている場合は別として
他の人は記憶のすり替えが起きているのではないかと思います。
 それゆえにインドネシアの2万2千人の登録が抜きんでているために
目立つのですが。

 また体験した事が本当でも、それを検証していくと軍や国が組織的にやった
ことかどうかはまた別の話でしょう。

848(=~o~=):2004/07/04(日) 11:35
大神さんは「思います。思えます。突っ込みたくなります。考えられません。考えます。」が好きですね。

849中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/05(月) 23:20
>>845 大神さん

パナイ島への日本軍の最初の侵攻は、第二次バターン戦終了間もない
一九四二年四月一六日のことでした。主力が南のイロイロに、一部が
北のロハスに上陸しました。当初の上陸予定には無かった西のサンホ
セ近郊への上陸は、護衛艦の出動が間に合わず、一日遅れて翌一七日
になったようです。

>  そしてパナイ島では視察に来た将官をゲリラが襲撃する事件が1943年の
> 段階で起きており、数名だけで女を攫いにくるとは考えられません。危険
> ですから。それに製氷工場を屯所とするかどうかも考えてみると不思議
> です。

1943年2月下旬視察に来島した田中静壱第一四軍司令官はゲリラの
襲撃によって生命の危険にさらされました。それ故に、日本軍によるパ
ナイ島統一討伐を行なっています。

フィリピンの人々には、フクバラハップの抗日ゲリラとこのパナイ島の
ゲリラは侵略軍への頑強な抵抗として誇りとなっているようです。>>808
の事例は、おそらくゲリラ討伐部隊によるものでしょう。

製氷工場を駐屯所にしていた件は、地形的にどのようになっているのか
分かりませんし、接収した建物として適していたのかもしれません。

>>842

>  こうなると、この話が仮に真でも単なる現地部隊の犯罪でしょう。
> ただ、銃剣で刺されたのですから当然手当てをされないと死にますが
> そこら辺の話はありません。また収穫期と時期をボカしていますが
> レイテに米軍が上陸した10月以降は遊んでいる暇はありません。
> それにどうやって解放されたのかも書いていません。

銃剣で刺された後の治療方法が述べられていないからといって
別に不思議ではありません。たとえば交通事故に遭遇したとし
て全ての事柄を過不足なく正確に状況説明することは難しいこ
とです。

850中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/05(月) 23:40
>>837 大神さん

>  結局、その種の犯罪を犯す人は自決する事すらしない人であったということ
> でしょう。それと閉鎖かしばらくすると本土は捷号作戦、決号作戦準備で
> 南方総軍はビルマ方面関係で火がついていました。別に破綻も何も、ただ
> その人はその程度の人物で自決しなかったということでしょう。

>>805

> 日本軍の場合は士官の場合は軍法会議にかかるよりも潔く自決を求める
> 不文律がありました。前は陸軍の法律にも書かれていたのですが、これは早い
> 段階で削除されましたが。ですから、自決を期待していたとも考えられます。

「自決を期待していた」と考えているのは大神さんが考えていることです。
今度は、「その人はその程度の人物で自決しなかったということでしょう」
とこれまた大神さんがそう判断したに過ぎません。

851中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 00:16
>>825 大神さん

> そもそも法解釈にしてもあれだけ時間が経っているのにまだ調査中なら
> ある種中途半端なものを出して、人から突っ込まれると慌てて時間稼ぎ
> しているようにしか見えません。それに上杉氏のどこを参考にしたのかも
> 未だに書いていません。

>>768

> 公娼制度・私娼を法律面を含めて調べていました。一方、従軍慰安婦との
> 比較検証も進めていましたら、『歴史地理教育』1997年1、2月号に
> この問題に関して論考が掲載されていることも分かりました。
>
> 同誌を繙きますと、上杉聰氏が著述していました。同論文を参考にしつつ、
> 条文を追いながらまとめたのが私の意見です。

この論考を該当する箇所だけでも入力するのは、時間が掛かりますし、
たいへんだなと思っていました。でも一安心しました。ネットでその
論文が上がっていたのです。

http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm

>>713  私が要約したものです。これと上記の「公娼制の延長か?」
の箇所を以下に転載しましたので比べて下さい。逐条的照合を希望
されるのでしたら、レスをして下さい。

一度、投稿したのですが、本文が長すぎると警告がでましたので、
以下に分割して投稿します。

852中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 00:18
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm

たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれる定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許されたのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(同六条)とされていた。
これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押されて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白である。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、藤岡氏などの言うように、それは公娼制度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しかし、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたのである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁し、強姦したことになる。藤岡氏のたとえを借りるならば、文部省の建物に私娼窟や賭博場が開設されたに等しいのである。

853中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 00:19
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm

このようなとき、軍や文部省に責任はないのであろうか。誰でも直感的にそうでないことに気づくはずだ。まず、慰安所の経営を藤岡氏は一律に「民間業者」としているが、正確には資料が少なくて不明だが、かなりの数が軍による直接経営であった。それ以外を民間業者が経営していたのである。だがその場合でも設置の要請は、あくまで軍が行なったものであり、業者は軍の意向を受けて慰安所を開設し、女性たちを集めた。したがって、その場合、最終責任者は軍であった(前掲吉見資料集「セレベス民生部第二復員班員復員に関する件報告」)。軍が経営を民間に委託する場合があったにすぎない。

こうして、慰安所の設置は、軍自らが行なうか、民間業者に設置を要請するとともに、その開設許可を軍が与えたのである。ならば軍は、警察つまり当時の内務省に対して貸座敷を開設する許可を自ら得るか、そのように業者を指導する義務があった。もし許可を得ることができなければ、あるいは許可を得ていない業者であれば、設置を中止し、業者への経営委託も取り消す必要があった。また、そこで「働く」女性や、彼女たちを斡旋する口入れ業者についても、警察に登録した公娼や正式な斡旋業者を使う必要があった。だが当然にも軍はそうしなかったし、指導した形跡などない。

もう一つの方法として、少なくとも公娼制度に抵触・矛盾しない「軍用娼妓取締規則」とか「軍用貸座敷規則」、「軍用口入業者取締規則」などの法律を新たにを陸海軍省が主導して作り、そのもとで慰安所を開設するという選択が有り得た(その場合、もともと民間人である「慰安婦」を、軍の要員とするか否かがあらためて問われることになる)。しかし、そのようなことが行なわれた形跡はない。

とすると軍は、当時の公娼制度に違反して慰安所を作り、犯罪を行ったことになる。「慰安所が公娼制度の延長」というのは真っ赤な嘘なのである。そして、これら軍政全般を処置する役割をもっていた陸海軍省と内閣は、違法なことが行われていることを知りながら(法律を無視、あるいは新しく作らなかったことだけでなく、強制連行などの違法行為の事実も数多くつかんでいた)、新しい法律を作ることなく放置し、その結果膨大な被害者を出したのであるから、やはり大きな責任を問われることになる。軍は女性たちを強制することで、強姦など様々な犯罪を犯した。これを「作為」の罪というならば、当時軍政全般をあずかっていた陸海軍省とそれを含む内閣全体(とりわけ内務・外務省)とその責任者は、公娼制度に従うか、あるいは公娼制に準拠する軍法などを新しく制定すべき義務がありながら、それを怠ったのである。これを「不作為」の罪という。HIVウィルスをばらまいて発病させたのはミドリ十字であるけれども、それを止める義務と権限を持っていたにもかかわらず放置した厚生省は不作為の罪を犯したのである。どちらも刑事罰が科せられる。

854中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 00:53
>>841 大神さん

> >大神さんのことですから、資料を慎重の上にも念を入れて検証・
> >吟味して投稿されたはずです。上記のような事実経過を書かれた
> >のですから、それを参照してみたいと思います。
> >その資料をお教え下さいませ。

結局、>>822 にて書いた根拠を示すことができない訳です。
意見を述べるには、、その出典元を丹念に調べてみること
も必要となります。

雑誌でも書籍からでもいいです。雑誌ですとバックナンバーを調べますし
書籍ですと図書館で閲覧します。教えてください。

>>825

> 少し前に中田さんは私に「誤りですね?」といわれていたのですが、
> 実質的命令はいい加減誤りじゃないんですか?

>>597 が元文です。

> 当時、陸軍省からの出頭命令を無視したり、出掛けて話を聞きな
> がら要請を拒否することは出来なかった事情を考慮するべきです。
> 実質的には、陸軍省による業者への命令でした。

では、陸軍省からの出頭命令に従わないで、無視することは
できたと大神さんはお考えでしょうか?

855中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 17:52
フィリピン慰安婦の証言

ルシア・ミサ

一九四四年十月のある日、朝九時ごろ、家族と朝食をとっていたところ、突然銃剣を持った軍服姿の日本兵五人が家のなかに物も言わずに押し入って来ました。そして日本兵は私と姉の身体を捕まえ戸外に連れ出そうとしたのです。父は、私と姉を日本兵から引き離そうとして抵抗しました。一人の日本兵がその父の首を銃剣で刺しました。母が倒れた父のもとに駆け寄ると、その日本兵は母の腹を銃剣で刺しました。さらにこの日本兵は抵抗しつづける姉の首と腹を銃剣で刺し、乳房を切りました。私はその一部始終を見ていました。日本兵を見たのはこれが最初でした。

私は戸外に連れ出されました。日本兵一人が私の前、別の日本兵二人がうしろ、さらに別の日本兵二人が両横という位置関係を保ちながら、コンクリートの道や畑のなかの道を歩かされました。朝から昼までは特に暑い日でした。途中井戸があって水を飲んだものの食事はなく、歩きどおしで夕方五時ころ日本軍の駐屯地に到着しました。

日本軍の駐屯地は、ノルサガライの郊外のビクティと呼ばれるところにありました。そこは山がちであり、また洞窟がたくさんあるところでした。日本軍は、その洞窟の一つとそこから約十メートル離れたところにあった高床式の家に駐屯していました。家には将校クラスの日本兵が約二十人いました。洞窟には兵卒が約百人いました。

私は、駐屯所に着くと、すぐこの大部屋に入れられました。そこには十四人のフィリピン人女性が詰めこまれていて、私は十五人目でした。私が大部屋に入るとすぐ、私を連行して来た日本兵のうちの一人が大部屋に入ってきて、部屋の隅のほうで私を強姦しました。その日の朝、日本兵が両親と姉を殺害しているところを見ているので、恐くて抵抗することはできませんでした。最初の日本兵が終わると、やはり私を連行してきた日本兵が大部屋のなかに入ってきて強姦しました。こうして私を連行してきた五人の日本兵がつぎつぎと強姦しました。この五人の日本兵は、終わると洞窟に帰っていきました。その日はさらに、三人の日本兵が強姦しました。この三人の日本兵も終わると洞窟に帰って行きました。八人目が終わったころ鶏の鳴く声が聞こえました。私が強姦されているあいだ、他の十四人の女性はそれを見ているだけでした。八人目の日本兵は終わると、毎日水浴びをするように言って帰っていきました。その後私は眠りましたが、約二時間ほどした後、朝食を作るためほかの女性に起こされました。

ほかの女性とともに三度の食事を作りましたが、これは自分たちが食べるためのものでした。しかし日本兵の衣類を洗濯しなければなりませんでした。洗濯は近くの泉で朝八時ころから二時間かけてしました。このあいだに水浴びをしました。昼食が終わると午後は大部屋にいるだけでした。私語は禁止されていました。日本兵の見張りは特にいなかったのですが、大部屋の上には将校クラスの日本兵、十メートル離れた洞窟にも日本兵がいて、しかも洞窟の入口の前には日本兵がいつも立っていました。ですから逃げることはできず、逃げようとした女性もいなかったのです。

二日目は午後八時ころ、日本兵が大部屋にやってきました。私に対しては、まず三人の日本兵が来て順番に強姦しました。続いて別の三人、さらに別の三人の日本兵が来て強姦しました。この日は九人の日本兵が私を強姦しました。九人目の日本兵が帰るとすぐ朝食の準備がはじまりました。

こうして私は、一九四四年十月から一九四五年一月までの三カ月、日本軍が駐屯所にしていた家の床下に閉じ込められて、日本兵に強姦されつづけました。一九四五年一月のある日、日本兵がザワザワしているのがわかりました。女性たちは、アメリカ軍が来たものと期待しました。翌日の午前十時ごろ、大部屋にいた女性のうちの誰かが、家のなかや洞窟に日本兵がいるかどうか確かめました。日本兵はいませんでした。それで誰かがまず逃げました。それから私と同年齢くらいで話を交わしたことのあるワニタ・カルバケルという女性が逃げました。私も後につづきました。私ははだしで、走ったり歩いたりして家に着いたのは暗くなるころでした。家はもとのままでしたが、両親と姉の死体はありませんでした。

私は、近所のアニタ・レイエスという人の家で約二カ月間お世話になりました。日本兵に最初に強姦されてからずっと性器に痛みと痒みがあったので、アニタにグアバの葉とハーブの葉による治療を受けました。一、二カ月で治りました。

856中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 17:54
フィリピン慰安婦の証言

オルテンシア・マルティネス

父はサツマイモ、バナナ、トウモロコシなどを作っており、食物が豊富にあってお腹がへるということはありませんでした。

一九四三年十一月頃、十六歳のとき、日本軍が軍艦でマスバテにやってきました。そして、マスバテの町のタバコの乾燥工場(それは、セブ島のトテイング氏の所有)に駐屯所を設置し、アメリカ軍の潜水艦を監視するようになりました。

ある日の午前十時ごろ、日本兵が私の家があるパビコンプスにゲリラ掃討のためやってきました。パビコンプスは、マスバテの駐屯地から車で二時間ほどのところにありました。そして、日本兵は鍵をかけてあった戸をこじ開け、父と私を連れだしました。母と他のきょうだいは家に残りました。私は、「コラコラ」と言いながら銃剣を突きつける日本兵に殺されるのではないかという恐怖で一杯だったので、抵抗することなどできず、兵士の一人に服をつかまれて駐屯所まで歩いて連行されました。

近所の人もゲリラと疑われて連行されました。

父は一日で返されましたが、私は駐屯所で他の四人の女性(初めて会った女性で名前は知りません。私とだいたい同じ年齢にみえました)とともにタバコ乾燥倉庫の一部屋に押し込められました。他の部屋もほかに十人ほどの女性が閉じ込められていたようです。

その部屋は、木でできた建物の中の二メートル・四メートル四方のサワリ竹で仕切った部屋で、窓がなく、戸は一つありましたが、内側から鍵をするように命じられていました。部屋の外ではたくさんの日本兵が歩きまわっていました。

最初の夜、四人の日本兵が部屋に入ってきて、私たち五人は横に並ぶように命令され、そして、押し倒され、次から次へと強姦されました。私は二度強姦されました。強姦されていないときは部屋の隅で恐怖におののきながら見ているだけでした。

その部屋には約1カ月のあいだ監禁されていましたが、一日おきぐらいに、一晩二、三人に強姦されつづけました。私は恐怖にかられて目をつむっていたので、詳しくは覚えていませんが、強姦していたのはちがう人ばかりだったようです。

駐屯地は木の柵(木の先は尖っていた)に囲まれていて、私たちは、その部屋から七、八メートル離れた洗濯場で水を浴び、トイレにも行くことができましたが、駐屯所には多くの日本兵がいて逃げられる状態ではありませんでした。

857中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 18:00
慰安所の開設は、上海から南京への侵攻途上および南京での強姦の多発に起因していました。もう少し、この状況を笠原十九司著『南京事件』(岩波新書)などによって補足します。(一部割愛しています)。

(南京への)入城式がおこなわれた一七日前後から城内の強姦が激増したことを、フィッチは日記に記している。

十二月一七日、金曜日。略奪・殺人・強姦はおとろえる様子もなく続きます。ざっと計算してみても、昨夜から今日の昼にかけて一○○○人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は三七回も強姦されたのです。別の婦人は五ヶ月の赤ん坊を故意に窒息死させられました。野獣のような男が、彼女を強姦する間、赤ん坊が泣くのをやめさせようとしたのです。抵抗すれば銃剣に見舞われるのです。(『英文資料編』)

一二月一六日には、「敗残兵狩り」のため民家や難民収容所に捜索に入った日本兵が、婦女子を見つけて凌辱する事件が多発した。「敗残兵狩り」は、兵隊がグループに分かれて中国人の民家に一軒一軒侵入し、徹底的に捜査するかたちをとったため、押し入った部屋の奥に隠れている婦女子を発見すると、強姦や輪姦行為におよぶことになった。そのため自宅にいて恐怖にかられた婦人が何百人と街頭に逃げ出し、安全な場所を求めて彷徨した。婦女子だけを収容した金陵女子文理学院のキャンパスは、すでに一万人近い難民で、渡り廊下まであふれ、足の踏み場もないほどにふくれ上がっていた。

翌一七日、金陵女子文理学院の婦女難民キャンパスの開設責任者のミニー・ヴォートリンは、街頭に出て、それらの女性避難民を集め、あらたに婦女、子ども専用の難民収容所に設置した金陵大学寮へと引き連れていった。日本兵の凌辱から女性をまもるためのヴォートリンらの闘いがいよいよ正念場をむかえることになった。

一二月一六日までに難民は四千人以上にふくれあがり、もう収容限度を超えていると思われました。
しかし、私たちは収容を四千人でストップしませんでした。それは私たちが、女性が家に残っていることが大変危険であることを知っていたからです。日本兵たちは若い女性を探しては野蛮にふるまっていました。そこで私たちは大学の門を開けて婦女子の難民の流入を受入れたのです。その後数日間、状況はますます悪くなり、女性の避難民は夜明けとともに流れこんできました。(中略)

最高時には、わたしたちのキャンパスに一万人の婦女子を受入れなければなりませんでした。避難民たちはキャンパス内に入れてさえもらえれば、室内に宿泊することを求めず、室外でも満足していました。市内では、一二歳の少女も、五○歳さらには六○歳の老女でも日本兵の凌辱から逃れられなかったのです。

一七日も城内で一千件を超える強姦事件が発生したため、一八日も恐怖にかられた婦人が助けを求めて街頭にあふれた。ヴォートリンは彼女らを集め、午後になっておよそ五○○人を金陵大学の構内に連れてきた。その日彼女らは露天で一夜をすごさねばならなかった。それでも、民家にいて凌辱されるよりは、安全なだけまだましだったのである。

しかし、日本兵は金陵女子文理学院に避難している女性もねらってくるので、夜は安全区国際委員会のメンバーが入り口で眠って、日本軍の強制侵入を防がねばならなかった。

858中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 18:01
鼓楼病院には、臨時に養成されて看護婦がわりに活躍している十数人の少女たちがいた。一八日の夜、日本兵は病院に侵入し、看護婦まで強姦したのである。現場に踏みこんだウィルソン医師は、その日本兵を蹴りだしたが、その兵士に銃口を向けられるという恐怖も体験した。ウィルソンは翌日、南京日本大使館宛に抗議と善処を求める文書を提出した。

入城式以後のマギー牧師の日記には、強姦された一一歳の少女を病院に連れていく話、「少女狩り」の現場へ行って一八人の少女を救急車に乗せて鼓楼病院に保護する話、等々、まさに強姦、強姦また強姦の話で埋められ「まるでホラーの夢でも見ているようだが、目が覚めるとそれが現実だった」と記している。

酒に酔っぱらって、凶暴化した兵士が強姦や殺傷をおこなう場合が多く、彼らの残虐行為を止めにいくのは、命の危険がともなった。安全区国際委員たちは一人で二役も三役もこなしながら、日本兵と「たたかい」続けた。日本軍の入城式前後から急増した強姦事件が、一日千件以上も発生し、最初の一週間で八○○○人以上の女性が犠牲にされるなかで、彼らは婦女凌辱にたいする闘いに大変な時間を費やした。

被害の多さを考えればイタチごっこの観もあるが、通報され救助を求められた現場へ駆けつけて、強姦行為を阻止すること、強姦により傷害を負った女性を病院に運び治療させること、そしてもっとも多かったのは、強姦された女性を早く病院へ連れて行き、妊娠しないように膣の洗浄をさせること、などであった。夜は夜で婦女の難民の近くで警備しながら眠る必要があった。

「クリスマスがきた。街には、いぜんとして殺戮、強姦、略奪、放火がつづき、恐怖が吹き荒れている。ある宣教師は”地獄の中のクリスマスだ”と言った」とヴォートリンは日記に書いた。
-------------------------------------------------------------------
南京戦に参加した第三十三聯隊第一大隊に所属していた皇軍兵士の証言です。

「中国では、女の人を何度も強姦しました。南京では女性をやりたり放題だった。寝台の下とかカーテンの裏に隠れていても女はどこにでもいるので強姦は何度もやった。自分らは第一線なので憲兵に怒られたり止められることはなかった。南京に入った自分の部隊の兵隊は、誰もが強姦を目当てにしていた」

859大神:2004/07/06(火) 19:04
>>852,853
慰安婦は警察署に届出を行うようになっていたのですが、上杉氏はそれについては述べていません。これだけでこの人の論文の意味は大幅にカットされます。
 ついでに言えば植民地除外規定についても無視しています。これは悪質でしょう。

戦地において軍が警察権や行政権を持つことについての考察が一つもありません。
また領事警察のりの字も出てきません。警察権や行政権を持つことは既に中田さんも分かっていることでしょうが、既存の法律で手続きが行えるのならば新たに法律を制定する必要はありません。ちなみに先に述べたとおり中央から達や規則が示されています。
 上杉氏はそれについての考察がありません。

それと中田さんが示した「占領地において全てのものに日本の法律が適用される」
という法律が戦地において軍が警察権や行政権を公娼関係において行使するのに
違法かどうかについて述べていません。

 ついでに言えば中田さんが挙げた法律は占領下の人間を裁く際の法的根拠には
なるのであって、それが軍が警察権や行政権を持つことを制限することを意味する
ことは述べていませんが。もし中田さんが言うとおりなら軍は平時における業務以外
他省庁の管轄などは行えなくなります。意味分かりますよね?中田さん。

860大神:2004/07/06(火) 19:05
>>854

結局、兵補協会が登録先や時期的なことの根拠を示せないわけです。スライムベス君が
わざわざ立てたスレッドに書いていますが
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1088845452/18
 人に聞く前に先ずはご自身が示されては如何でしょうか?

>では、陸軍省からの出頭命令に従わないで、無視することは
>できたと大神さんはお考えでしょうか?
 ??
 実質的な命令なら全てに従わないといけないでしょう。
そもそも。中田さんが言うところの実質的な命令とは電報で来られたしということ
を意味することではなかったのはつい最近までの遣り取りを見ればわかりますが。

 いくら反論不可だからといって、話をスリカエるのは感心しませんな。中田さん。
潔くないよ。

861大神:2004/07/06(火) 19:10
>>855,856

 私がやったように中田さんもご自身で検証されるが宜しいでしょう

>>857,858

 印象操作でしょうか?中田さん。南京を絡めるなら別スレでやった方が
いいでしょう。
 失礼ながら中田さんには手におえないと思いますので。

862イカフライ:2004/07/06(火) 20:16
>>861

>南京を絡めるなら

南京の時に日本軍で強姦が多発し,それによって性病が蔓延したので,その抑制の為に慰安所を作った。
  という話は聞くのですが,違うのですか?
(以前,他の掲示板で売春は性犯罪の抑制になるんじゃないか。といい意見を言ったら,軍隊の発想ですね,と反論されたのですが。
どうなのでしょうか?)

863大神:2004/07/07(水) 00:09
>>862
 南京戦では難民区には一般の兵士の立ち入りは制限されており、また南京戦
のような数個師団の軍単位の戦闘後では軍規は保たれていました。

 寧ろ小部隊になった時に憲兵や上官の目の届かない所で犯罪が起きることの
方が多かったと言えます。あと強いて言えば現役兵は色気より食い気で、
応召兵の方が女の味を知っているのでこの手の犯罪を犯す傾向が高かったと
あります。

 ただ、強姦が日本軍の所業によるものとは限らず、
敗走した国民党軍や匪賊によるものもあります。
 また南京戦後にラーベが匿った中国人の高級士官二名は、難民区から少女を
攫って強姦してそれを日本軍の仕業に見せかけたことを告白しています。

864大神:2004/07/07(水) 00:22
 また南京戦について延々と極東裁判で証言したマギー神父などは
弁護側から「実際に貴方が見た事件は何ですか?」と尋ねられ
「二件です。誰何された男が逃げたのを撃たれたのと、
女が日本兵と二人で建物に入っていくのを見ました」と答えて検察側、傍聴席の
人間を呆れさせたことがあります。また、ティンバリーなどは国民党軍の
情報戦の一端として日本軍の悪行を捏造するように配信していました。
ですから、ティンバリーやティンバリーからの配信を受けての記事はあて
になるものではありません。これは当然強姦、虐殺に関してそうですが。

 安全区委員会などは便衣兵が難民区に入りこむのを阻止できなかった
ばかりか、難民区と他の区域に策を設ける事すらせずに、
「日本軍兵士の悪行」を実地に行って検分する事すらせずに伝聞をタイプして
記録に残していたような団体でしたのでこれまたあてになりません。
 例えば米国所有の物資を日本兵が勝手に運び出しているという情報を
実地で検分したら全くのデタラメだった、というのは安全区委員会について
調べたらすぐ判ることです、こういった事からも安全区委員会の性質、
記録の信憑性について容易に理解できます。

865大神:2004/07/07(水) 00:36
 マギー神父の話を載せている事からわかるように、南京関係を絡めるのは
彼の手に負えることではないので忠告しました。

 証言を検証しましたか?と尋ねたら私と同じことを意味無く詳細に書い
ていて、また関係無い攻略時の話を記載するなど負けず嫌いな性格から
無意味なことをしています。

 今あることすら満足に出来ない人が南京戦まで絡めるのはよほど自分の
能力を客観視できないか、話を拡散させてウヤムヤにするのが目的かの
どちらかでしょうから、後者で無いならそれには手を出さない方がいいと
忠告しました。また、自分で出している事すら検証せずに新しいところ
を始めるのは相手に対して失礼でしょう。

 中田さんはかつて私に再三印象操作と言っておられていましたが、
「事実を知りたいだけ」というなら自分で出したものの詳細な検証に入るのが
当然であり、それもせずに検証をせずにただ羅列している今の中田さんは、

紛れも無い事実だと言わんばかりに

     中 田 さ ん の 方 が 印 象 操 作 の 手 法

を取っていると言われても仕方ないでしょう。
 このように中田さんが南京のことに手を出すのは今まで出したことの検証が
終わってからの方が良いと思いますが、イカフライさんはどう思いますか?

 主義主張に関係無く、今あることですら検証を全くやってないのに
新しいことを始めるのは適当でないと思われませんか?
「大神と中田」ではなく「AとB」と見て考えてみてください。

866中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/08(木) 18:00
>>859 大神さん

> 慰安婦は警察署に届出を行うようになっていたのですが、上杉氏はそれについては述べてい
> ません。これだけでこの人の論文の意味は大幅にカットされます。

>>852

> 貸座敷と呼ばれる定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録
> されている女性だけに許されたのである

> したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察署に出
> 頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、

大神さんは、「上杉氏はそれについては述べていません」と書かれている
のですが、上記のように「慰安婦は警察署に届出を行うようになっていた」
ことを述べています。

> ついでに言えば植民地除外規定についても無視しています。これは悪質でしょう。

「植民地除外規定」とは何を指しているのでしょうか?
「これは悪質でしょう。」といきなり結論だけを書かれていますが、
もう少し具体的に説明されなければ、意味が分からないです。

> ちなみに先に述べたとおり中央から達や規則が示されています。

おそらく中央からの通達や規則でしょうが、何が示されたのですか。
「先に述べたとおり」も具体的に教えて下さい。

> ついでに言えば中田さんが挙げた法律は占領下の人間を裁く際の法的根拠には
> なるのであって、それが軍が警察権や行政権を持つことを制限することを意味する
> ことは述べていませんが。もし中田さんが言うとおりなら軍は平時における業務以外
> 他省庁の管轄などは行えなくなります。意味分かりますよね?中田さん。

>>713
「占領地に於いて法令の罪を犯した時は、国内に於いて犯したものと
見なす」という条文が引用文の前段と対応するものです。そうします
と、公娼制度の枠内に於いてのみ、軍政なり憲兵の警察権が存在する
はずです。

娼妓稼業をする意志を確認する手続きとして警察署への自らの出頭が
条文化されています。遠隔地のために、警察署に出頭できない場合、
法律を新たに成文化することで、この問題に対処でき合法化できまし
た。しかし、おそらく軍は体面を考慮してでしょう、そのような動き
をしませんでした。

また、軍なり憲兵が、これを行政として代行したとするならば、売春
をする意志の無かった女性が、慰安婦とされた事例に対して、きちん
と意志確認を行なっていなかったことに繋がっていきます。

他のレスは、次回にします。

867大神:2004/07/08(木) 21:37
>>866
>中田さん

>大神さんは、「上杉氏はそれについては述べていません」と書かれている
>のですが、上記のように「慰安婦は警察署に届出を行うようになっていた」
>ことを述べています。
これは見落としていました。有り難う御座います。私の誤りですね。

>植民地除外規定
>「植民地除外規定」とは何を指しているのでしょうか?
>「これは悪質でしょう。」といきなり結論だけを書かれていますが、
>もう少し具体的に説明されなければ、意味が分からないです。
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm
>それは未成年者について言えることである。先ほど紹介し、日本も加盟していた
>「婦女売買に関する国際条約」の1910年締結条約

未成年の売春は禁止されていましたが、植民地については除外されていました。
吉見教授がテレビでそれを解説し、そこをわざわざ隠していたため相手から
突っ込まれて恥かきました。上杉氏は吉見教授関連から引用しているなら、また
慰安婦関連を扱っているなら「未成年で違法性」は言いません。
 
>おそらく中央からの通達や規則でしょうが、何が示されたのですか。
>「先に述べたとおり」も具体的に教えて下さい。
遣り取りから前の方に出ていたことと普通に分かるかと思ったのですが?

>娼妓稼業をする意志を確認する手続きとして警察署への自らの出頭が
>条文化されています。遠隔地のために、警察署に出頭できない場合、
>法律を新たに成文化することで、この問題に対処でき合法化できまし
>た。しかし、おそらく軍は体面を考慮してでしょう、そのような動き
>をしませんでした。

それは中田さんの主張で、それが正しいが示されていません。
中田さんの言うとおりなら「平時業務」以外出来ません。
既存の法律の枠内でどう具体的に対処できないか上杉氏は書いていません。

 主張の繰り返しとは別の方法でご自身の主張が正しいことを示してください

>売春をする意志の無かった女性が、慰安婦とされた事例に対して、きちん
>と意志確認を行なっていなかったことに繋がっていきます。
先ず、その根拠が証言というのもさることながら、軍としては
「軍の名を騙る誘拐まがいの業者、悪質業者に注意せよ」としています。
軍としては。
 個別である地域、ある時期の担当者があるケースにおいて職務において
不適切なことがあったとしても、それを持って軍や国の責任になりません。

 中田さんに要望ですが、
a 人に聞く前に自分がするべきことはして下さい。「事実を知りたいだけ」
 と仰っている貴方が、何故証言の検証をしないのですか?私がするのは
 アベコベでしょう。
b 結構飛ばされている箇所がありますが、飛ばしてしまえば終わりではないので、
 プライオリティもあるでしょうが、きちんとした形で書いて下さい。
c 意味のないことはしないで下さい。「将官視察中に襲撃」と私が書いて、中田さんに
 「中田さんはこのような検証をしましたか?」と尋ねたら、意味無く詳しく書かれ
  ていますが、そういったことでお茶を濁すことをしないで下さい。

868大神:2004/07/09(金) 21:01
>中田さんへ

 オランダ人女性の慰安婦の場合はスマラン市事件以外の女性は意思確認して
免許を与えていますね。それ故にオランダ政府は戦後の調査においてこの
スマラン市事件以外については通常の売春と変わらないと特に問題とは
していませんね。これは中田さんは御存知だと思いますので余計でしたね。

869中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/10(土) 11:18
>>860 大神さん

> >>854
>
> 結局、兵補協会が登録先や時期的なことの根拠を示せないわけです。スライムベス君が
> わざわざ立てたスレッドに書いていますが

>>822 での下記の根拠、若しくは出典を示して下さいと言ったのは私です。

>  平成5年に東京のT弁護士ら3人の弁護士が
> 「保障のために慰安婦は名乗り出て欲しい」と新聞に広告を出して、
> 兵補協会のラハルジョ会長が保障要求のやり方の指示を受けたのが始まりで
> すね。その際に慰安婦一人頭200万円(日本だと2億円に相当)と喧伝して
> たので2万2千人が「私は元慰安婦」と殺到しました。

この文章を書くには、何かを参照しているはずです。雑誌・書籍の出典
元を教えて頂ければ、図書館で調べてみますとも書きました。ところが、
私からの要望に対してお返事がありませんでした。雑誌ですと発行年月・
号数、書籍ですと著者・書名・出版社を提示することぐらい簡単なこと
です。そうしますと、文献ではなくネットから拾い集めたのだろうと推
測できます。

このところ、検証をキーワードとしているご本人が、検証も無くネット
情報を鵜呑みにして上記の文章を投稿したので、出典元を示せないのだ
と思われます。

          相違ありませんね?

ネットからの情報を下敷きにしているらしいので、私も検索エンジンを
活用してこの問題を検証してみました。結局、同じことが繰り返しカキ
コされていまして、以下の文章が元になっているようです。

>  日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
> つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
> 対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
> てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
> は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]
>
>  兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
> 高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
> 材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
> 万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
> えると宣伝している模様であった、と言う。

>5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
>  祖国と青年、H8.12

雑誌『祖国と青年』で中嶋慎三郎氏が「日本人が捏造したインドネ
シア慰安婦」と題した論考が元になってネットで流布しています。

疑問点は多々あるのですが、新聞広告を出したのは、高木氏なのか
他の団体名なのか不明なのです。高木氏である根拠は、どこにある
のでしょうか。この雑誌であるなんて冗談は止めて下さい。その広
告の文面も「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り
出て欲しい」という内容だったのですか? この証拠も提出してく
ださい。

中嶋慎三郎氏に対してラハルジョ会長が「慰安婦に2百万円払え」
と怒号したのは事実だとしましょう。そこから、「名乗りでれば、
2百万円もらえると宣伝している」と導き出せるものですか。しか
も「模様であった」と憶測・推測しています。実際の問い合わせに
対して即座に200万円貰えると喋っていた場面に遭遇した訳でも
ありません。

870中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/10(土) 11:45
>>860 大神さん

> >では、陸軍省からの出頭命令に従わないで、無視することは
> >できたと大神さんはお考えでしょうか?
>  ??
>  実質的な命令なら全てに従わないといけないでしょう。
> そもそも。中田さんが言うところの実質的な命令とは電報で来られたしということ
> を意味することではなかったのはつい最近までの遣り取りを見ればわかりますが。
>
>  いくら反論不可だからといって、話をスリカエるのは感心しませんな。中田さん。
> 潔くないよ。

>>597

> 当時、陸軍省からの出頭命令を無視したり、出掛けて話を聞きな
> がら要請を拒否することは出来なかった事情を考慮するべきです。
> 実質的には、陸軍省による業者への命令でした。

元々の出発点を検証してみただけです。文章の大意を把握することなく、最
後の言葉を「実質的命令」「実質的な命令」と略称して、ここまで引っ張っ
てきたのは大神さんの方でした。忘却とは忘れ去ることなりですか。

>>790

> で、中田さんは実質的命令の話に関してはあれはどうなったんですか(笑)?

>>804

> 現地人とのトラブルの元であると認識していているだけでしょう。あまり
> 突飛な表現を使うと実質的命令の時のようにまたおかしなことになりますよ。
>
>        で、実質的な命令の部分はどうなったんですか(笑)?

>>805

>          実質的な命令なら誰一人断れないでしょう

>>806

> それが「実質的命令」とかいう言葉だったり、ショッキングな一例だけで
> 語ろうとするところでしょう。

>>809

> 「軍事力で威嚇しての交渉だった」と書かれていますが、中田さんはそれに
> ついては根拠を示されません。また「中田イメージ」で
>
>                   実質的命令
>
> と同じで貴方の根拠の無い推測、思いこみなんですね。よく分かりました。

>>820

>            実質的命令はどうなったんですか(笑)?

>>825

> 少し前に中田さんは私に「誤りですね?」といわれていたのですが、
> 実質的命令はいい加減誤りじゃないんですか?

871中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/10(土) 14:10
>>861 大神さん

>  印象操作でしょうか?中田さん。南京を絡めるなら別スレでやった方が
> いいでしょう。

「印象操作」の概念が私と大神さんとでは違っているようです。

>>731

> 大神さんは、印象操作を行うのがお好きで、議論する相手をある型に嵌
> める事に執着されておられます。

議論している相手をこういう風な人物である、このような傾向を有している、
このような弱点がある等、一定の枠組みに嵌める傾向を印象操作していると
私は考えています。

別に南京事件を扱うつもりはありません。強姦と慰安所設置との関連性を
再確認しただけです。

872中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/10(土) 15:24
>>862 イカフライさん

>>857

> 慰安所の開設は、上海から南京への侵攻途上および南京での強姦の多発に起因していました。

少し訂正します。

> 慰安所の大量設置は、上海から南京への侵攻途上および南京での強姦の多発に起因していました。

> 南京の時に日本軍で強姦が多発し,それによって性病が蔓延したので,その抑制の為に慰安所を作った。
>   という話は聞くのですが,違うのですか?

強姦事件が頻繁に起こったので慰安所を設置したのですが、慰安所がある
ために強姦事件も止まなかったのです。相互補完的な関係にあります。中
国やフィリピンの事例は、軍の駐屯地には慰安所があるのが当然視される
中で、無ければ地元の女性を拉致して駐屯所(及びその近場)に監禁する
方策が生みだされました。日本軍の構造的特質としてまとめてみたいと考
えています。

873中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/10(土) 17:23
>>863-865 大神さん

以下、イカフライさんへのレスともなっています。

南京の日本軍の軍紀頽廃問題は、陸軍中央でも密かに問題にするようになった。そのころ予備役になっていた元教育総監真崎甚三郎大将は、上海派遣軍を視察してきた衆議院議員の江藤源九郎予備役少将の報告を聞いて、「軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」と日記(一月二八日)に記している(『南京戦史資料集ii』)。
笠原十九司著『南京事件』(岩波新書)から引用

-----------------------------------------------------------
「第四編 武漢攻略前後」より

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。

一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/okamura.html

-----------------------------------------------------------
強姦についても、「部隊長は兵の元気をつくるに却って必要とし、見て見ぬ振りに過ごしたのさえあったほどである」と述べ、むしろ奨励するような姿勢でした。

「日本の軍人は何故に此の様に、性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に、直ちに痛嘆し、戦場生活一ヶ年を通じて終始痛感した。然し、軍当局は敢えて是を不思議とせず、更に此の方面に対する訓戒は耳にしたことがない」

「軍経営の慰安所を盛んに設けて軍人の為に賤業婦を提供した」「然し強姦は甚だ旺んに行われて、支那良民は日本軍人を見れば必ず是を怖れた」慰安所設置により強姦を減らすことはありませんでした。

http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA02.html#sex_slave

>>865

>  証言を検証しましたか?と尋ねたら私と同じことを意味無く詳細に書い
> ていて、また関係無い攻略時の話を記載するなど負けず嫌いな性格から
> 無意味なことをしています。

大神さんが関係無いと判断されておられるだけです。

>  今あることすら満足に出来ない人が南京戦まで絡めるのはよほど自分の
> 能力を客観視できないか、話を拡散させてウヤムヤにするのが目的かの
> どちらかでしょうから、後者で無いならそれには手を出さない方がいいと
> 忠告しました。また、自分で出している事すら検証せずに新しいところ
> を始めるのは相手に対して失礼でしょう。

>>857 を投稿したのは、>>786 の補足とともに中国・フィリピンの
事例をまとめる為の前段としてです。南京事件のうち、強姦に限定
しています。

「話を拡散させてウヤムヤにするのが目的」のような卑劣なことは
考えていません。

>  主義主張に関係無く、今あることですら検証を全くやってないのに
> 新しいことを始めるのは適当でないと思われませんか?
> 「大神と中田」ではなく「AとB」と見て考えてみてください。

大神さんのレスは、私の投稿に対していつも限定していますか?
新たな問題点を指摘したり、新たに議題を広げたことはありませ
んか? 別にこの点を難詰しているのではありません。掲示板と
いう性格上、新たな要素を抱えながら展開していくのは避けられ
ないと思います。

874大神:2004/07/10(土) 23:14
>>869

 あのう、中田さん。少し頭冷やして書いて下さい。

どこが「不同意」なのか書いていませんし、先ず貴方自身が出典を書いて
いないでしょう?自分が先にすることしないで、出典明らかにすれば自分は
するんだと、さも誠実ぶるのではなくて、どこが「不承諾」なのか書くのが
先じゃないのですが?それとも私には重複したところでも書かせる労は
惜しませても良いとの考えと取っていいのですね?

                相違無いですね?

>870
>元々の出発点を検証してみただけです。文章の大意を把握することなく、最
>後の言葉を「実質的命令」「実質的な命令」と略称して、ここまで引っ張っ
>てきたのは大神さんの方でした。忘却とは忘れ去ることなりですか。
 高校生程度の読解力があれば、慰安所設置の方が大分を占めることと読み
取れますが?それに中田さん自身も「組長が動いた」と発言されていますが。
それに陸軍省に出てくるだけを中田さんが「実質的命令」の主要部分で
あったと主張するなら、それはあまり慰安所設置、慰安婦問題に関係あり
ません。「忘却とは忘れ去る事ですか」と言ってそういうなら、

    一 体 貴 方 何 書 い て い る ん で す か ?

と言えますが。最初に遡って開き直りの材料見つけたつもりでも、やり取り
から実際そうでないですし、もともとそのつもりだったというなら
意味無いことを強調して刷り込み、あるいは先鋭化の手法を取っているだけで
余り感心しませんね。控えめに表しても。普通の人なら、不見識も甚だしい
と言うでしょうが。

875大神:2004/07/10(土) 23:23
>>871
>別に南京事件を扱うつもりはありません。強姦と慰安所設置との関連性を
>再確認しただけです。
 南京事件には虐殺もさる事ながら強姦が多数起きた、例えば女子校の生徒が
多数強姦されたなんてのも話の的になっています。

     貴 方 は そ の つ も り で は な く て も   
       (つもりで無いと言えばいいと思っているのかも)
     
              知 れ ま せ ん が
     
           や っ て い る こ と は

            絡 め て い る 事 で す

>強姦事件が頻繁に起こったので慰安所を設置したのですが、慰安所がある
>ために強姦事件も止まなかったのです

 警察があっても犯罪は起きる。だからといって警察があるから犯罪が起きる
のではない。少し論理的に物事を考えてみましょう(笑)。

876大神:2004/07/11(日) 00:09
>>873
>岡村閣下

 噂を総合ですね。伝聞は意味無しですね。

>略奪強姦
第十軍参謀吉永少佐:十二月十三日入場「中国人家族が普通に歩ける
 位安全でした。場内に入れる兵隊は制限されていました」
上海派遣軍特務部員岡田少佐:十三日入場「城外で(中国人の)泥棒市が
 あった。四日間南京にいたが治安は一応落ち付いていた」
上海派遣軍大西大尉「強姦は何件かあった。自分も一件見たが、第十六師団
の兵士だったので、直ぐに捕らえて第十六師団に渡した。(その他)強姦、
略奪は見ていない」
東京日々新聞佐藤カメラマン:十三日早朝入場「十三日はまだ戦闘があって危険
だった。14日には難民区の近くの通りでラーメン屋が開いており、日本兵が
10銭払って食べていた。14日頃は中国人の略奪が続いていた」

           「南京事件」日本人48人の証言より

 他にも色々ありますが略奪、強姦の大部分は中国人や中国敗走兵で、
それも件数数万は多すぎるでしょう。

>大神さんが関係無いと判断されておられるだけです。
 どのように関係があるのでしょうか?しかも既に書いていることを中田
さんは名前を書いたり余分な付け足しをしただけです。攻略しても他の島を
占領しないといけないので部隊は他に転用されます。特に攻勢期は。
こういう事を書く暇があったら他のことをしたら如何でしょうか?中田さん。
貴方は相当に飛ばしていますから。この程度お茶を濁しても仕方ないでしょう。

>別にこの点を難詰しているのではありません。掲示板と
>いう性格上、新たな要素を抱えながら展開していくのは避けられ
>ないと思います。

 一般論で誤魔化さないで、「事実を知りたい」と仰った当の貴方が
実際に証言の検証をしていないでしょう?逆にアベコベに私がしている
でしょう。小さな枠内で広がる事と、南京事件も絡む大きなことを絡めることは
同じでは無く、また収拾を図ろうとするのが建設的な方向でしょう。

 ですが、貴方自身は

           証言の検証一つも満足にしていません。

それについて言われるのは仕方のない事でしょう。

877大神:2004/07/11(日) 00:17
>印象操作

>議論している相手をこういう風な人物である、このような傾向を有している、
>このような弱点がある等、一定の枠組みに嵌める傾向を印象操作していると
>私は考えています。

 別に印象操作はしていませんよ。実際に貴方が軍事について疎いのは
事実でしょう。マギー神父の話を掲載していることからも軍事以外についても
疎いのも事実でしょう。そして、「慰安所があるから強姦が起きる」と
「警察があるから犯罪が起きる」と言わんばかりの非論理的な主張をするのも
事実でしょう。県庁食堂の時のように繰り返し同じことを言っても理解でき
ない中田さんの理解力に問題があるのも事実でしょう。着眼点がズレていたり、
必要条件と十分条件の違い、次元の違いが認識できないのも事実でしょう。

 直接的に善意で忠告したこともありますし、間接的にそれらが指摘されてし
まうこともあるでしょうが、中田さんがそう言ったことが恥ずかしいからと
「大神が印象操作している」とは情けなくないですか?
端を発しているのは貴方自身ですよ。

878大神:2004/07/11(日) 00:27
と言いますか、中田さんは

 「ゴム無しで一年間やってたのに妊娠、性病の話が出ない」と言っても
無視なんですね。自分でおかしいと思わなかったのですか?そう言うところ
を私が指摘しても、パナイ島の攻略時の話を書いて、
「意味無いでしょう」と私が言うと「大神さんが判断しているだけです」
と返されていますが、そんなことを調べる暇があるなら、どうやったら
ゴム無しで一年間やって妊娠しないか書いたらどうですか?

 それを無視して、攻略時の話を書いていても単なる知識面で負けず嫌い
を発揮しているだけにしか見えませんよ。しかもパナイ島もあれで終わり。

で、また証言の羅列。「事実を知りたい」と仰った中田さん。
ご自身で私がした程度の検証したらどうですか?竹下って将校は実在する
んですか?それになんで軍曹がファーストネームで呼ばれるのですか?
それにどうやって階級の区別がついたんですか?サージェントとかルテナント
とか言うんですか(笑)?数人から攫われて恐怖に震えている人が階級章
まで見ているんですか、そしてそれが理解できるのですか(笑)?
おかしな事だらけでしょう?

879大神:2004/07/11(日) 18:09
>中田さん
>>873を再度見て思ったのですが、
 以前中田さんは人の褌で相撲は取らないと言われていましたが、
どう見ても人の褌で・・・・してません?

先ず、インドネシア人の女性がどうやって日本人と会話が出来るのですか?

それと日本軍にジープはありましたか?しかも六人ほど乗っているという。
それに女を足すと7人になりますな。これだけ見てもおかしい。

 それに、強姦事件の数の数的根拠が不明ですし、陸軍軍医中尉が強姦事件に
ついて報告していますが、どうやって相手の女性の年齢が分かったのでしょ
うか?さらにどうやってこれらの事件が露見して、この軍医中尉が知り得た
のか。摩訶不思議ですね。

 それと、捕虜に関する取り扱いは国際法関係と、状況により負担が大きい
場合はやむを得ないので
>一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
 と書くと南京に絡めていると取られても仕方ありません。
それと、第一線の一部以外は食料の補給を現地調達にはしていません。
そんな状態なら進撃が滞ります。「中田イメージ」の
「日本軍は補給は現地調達」を裏付けると思っているのかも知れませんが、
再三書いた通りそれは間違っていますよ。ご忠告までに

880中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/12(月) 00:35
>>876 大神さん

阿羅健一著『「南京事件」日本人48人の証言』は、文庫化される際に改題していまして、元版は、『聞き書南京事件──日本人の見た南京虐殺事件』(図書出版社、一九八七)でした。『正論』に掲載され、その後『昭和史の謎を追う(上)』に収録された秦郁彦氏の同書に対する意見を引用します。文中で「クロ」と言うのは、南京大虐殺があったとする立場で、「シロ」は無かったとする立場を指しています。

-----------------------------------------------------------
 問題の本の構成も、それ以上に奇々怪々である。「十二年十二月と十三年一月に南京にいた人に聞けば本当のことがわかるのではなかろうかと考え」(あとがき)て、軍の幹部一五○人、報道関係者三○○人、外交関係者二○人ぐらいを探し、うち六六人をヒアリングの対象者にしたとある。

 その精力的な東奔西走ぶりは敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。

 筆者の経験では、将校は概して口が堅く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。

 昭和十二年十二月十五、十六日に実施された有名な難民区の便衣狩り作戦(第九師団の戦闘詳報には「七千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」とある)を調査するため、実行に当った金沢歩兵第七連隊の生存者に当ったときも、戦友会経由だったせいか、なかなか率直な証言がとれず困惑した。しかし、その一人がこっそり筆者に教えてくれた他県在住の兵士二人と会え、虐殺の生々しい光景を記した日記と証言を得ることができた。

 同じような手法を応用してクロを立証する相当数の日記、写真、戦闘詳報などを収集した成果は、拙著の『南京事件』に活用しているが、阿羅は最初から兵士にアプローチするつもりはなかった、と宣言しているのだ。

 その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」、「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張している人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで、喜劇じみてくる。

秦郁彦著『昭和史の謎を追う(上)』(文藝春秋)より。

881中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/12(月) 22:48
>>757 大神さん

>  本人の意思がどうとか言っていますが、最初は誰でも客を取るのは嫌な
> もんです。そりゃ当然です。ですが一月もすると慣れますし、腰の使い方を
> 覚えれば3分とかからずに終わらせる事が出来ます。それで高収入。
> 最初はビックリや嫌々でも、時間が経てば普通に仕事としてしています。
> 人間そんなもんで、60年近く経って最初の時の記憶を持ち出されて
>
> 「私はいやいやだったと」言われでも、それは都合が良すぎだよ
>
> としか言えませんね。

日本人の元従軍慰安婦だった女性が、ラジオと手記で当時のことを回想しています。大神さんの個人的な思いとは全く違う体験者の声に耳を澄ましてみましょう。

日本人「慰安婦」はその姿が見えないことは事実だが、しかし、公的に名乗り出た日本人「慰安婦」が一人もいなかったということではない。戦後四○年を経た一九八五年、自らの「慰安婦」体験をラジオを通して語った日本人女性がいた。

城田すず子(仮名)さんがその人である。城田さんは当時の過酷な「慰安婦」体験や、パラオから引き揚げる時、「こんな体で祖国に帰ることはできない」と最後の引き揚げ船に乗ることを拒絶して残った女性がいたこと、「慰安婦」生活に耐えられずに自殺したり空襲で亡くなった「慰安婦」のことなど、当時の悪夢が頭から離れず眠れぬ日々を送っていた。その思いを、彼女はラジオを通して日本人に訴えたのだった。

「若い人で従軍慰安婦を知らない人は幸福よ。ほんと幸福。従軍慰安婦の女の子たちのこと、いっぺんも、一言も、どこでも言ったことはないのよ。終戦から四○年にもなるのに、兵隊さんや民間の人のこと、原爆のこととかは、みんな言ってるよ。だけど慰安婦だとか性の提供者だとか、その人たちが大勢死んでいるってこと、いっぺんの慰めもないし……。四○年経った今、バカヤローって言いたくなっちゃう。ほんとに……」。

番組は、城田さんのこの言葉で始まった。

城田さんは、手記にこんなことを書き記していた。

「……中国、東南アジア、アリューシャン列島で性の提供をさせられた女性たちは、さんざん弄ばれて、足手纏いになったらおっぽり出され、荒野をさ迷い、凍てつく山野で食もなく、野犬か狼の餌食になり、骨はさらされ、土になった。兵隊さんは一回五○銭か一円で列を作り、私たちは洗う暇もなく相手をさせられる。地獄の苦しみ……。

何度、兵隊の首を絞めようと思ったか。半狂乱だった。死ねば、ジャングルの穴の中に捨てられ、親元に知らせる術もない有様だった。それを、私は見たのです。この目で。女の地獄を……」。

引用者注:澎湖島馬公の「海軍御用」という看板がかけられた常盤楼という慰安所に入った。

「軍艦が入るたびに海軍の兵隊さんがやってくるのよ。次々に……。びっくりして泣いてばかりいたわよ」。

「兵隊さんたちは列を作って待っているんだからね。梅毒で目が見えなくなっても、ヨロヨロしていてもお客をとらされるのよ。私なんかも手当たり次第にやられたから、これじゃ体がもたない、東京に帰りたいと、ある男性を騙して逃げ帰ったのよ」。


引用者注:パラオからの「特要隊」の募集に応じた彼女の回想。海軍の従軍慰安婦は、特要員と呼称されていた。

回りを駆逐艦に守られた船は、南洋群島パラオ諸島のコロールの港に横づけされた。

「着いた途端に、兵隊さんたちがガーッと押しかけてくるでしょう。上へ下への大騒ぎよ。元いた女の子と特要隊の女の子と合わせたって間に合わないわけよ。慰安所といっても掘っ建て小屋で、ベニア板一枚で仕切ってあるだけ。三畳ぐらいのところに畳みが一枚敷いてあり、入り口はカーテン一枚が下げてあるの。一人が済むのを待って一人が入る。みんなたらいみたいなのを部屋に置いておくの。それで洗うのよ。でも、顔を洗う暇はなかったね」。

城田さんは海軍慰安所で帳場を任されることになった。そこにいた「海軍特要隊」の「慰安婦」は、朝鮮と沖縄の女性だった。

一九四四年、南洋省のあるパラオも空襲が始まった。コロールの町は火の海になった。慰安所は部隊と共にジャングルに移された。

「椰子の木なんか集めて慰安所を作ったのよ。女の人はみじめだったわよ。ほんとにみじめだった。水平さんだって痩せっこけて骨と皮ばっかりになってうろちょろうろちょろしているのに、それでも女の所に来るのよ。耐えきれなくて自殺しちゃった女の子も一杯いたわよ。死体はジャングルの中にほっぽり投げておくの。そうすると野良犬だとか見たことのない動物が来て死体を食べるんだから。それで骨ばっか散らばっているのよ」。

882中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/12(月) 23:00
>>881

『日本軍性奴隷制を裁く──2000年女性国際戦犯法廷の記録 第3巻
「慰安婦」・戦時性暴力の実態Iー日本・台湾・朝鮮編』(緑風出版)より
引用

883大神:2004/07/12(月) 23:01
>>880

 結局南京を絡めてるね。

 秦氏の場合は主張が数万の虐殺があったとするものでそれに則って話を進めている。
そしてその主張の根拠に対して犬飼氏などは反論しており、また阿羅氏の場合は
山本七平氏と論戦を交わした鈴木氏との聞き取り調査を行っている。
そして、虐殺があったと主張する人にも聞き取り調査を行ぅている。
 であるから、秦氏が言うように不公平であったとは言えない。

「見ていない」、「聞いた事がない」というのは別に奇怪な証言ではない
見ていないもの、聞いたことが無いものはそうとしか答えようが無いからだ。
 また死体があったというのはそれは虐殺を意味するものではない。


 
 中田さんは人の褌は前に嫌だって言っていましたけど相変わらずですね(笑)。

884大神:2004/07/12(月) 23:12
>>880続き
 それとあの本は軍人だけでなく、領事館員、新聞記者などに聞き込みを行っ
ています。軍人だけでなく第三者から多くの証言を取ってきていますが秦氏は
それについては述べずに、自説が兵からの話に依ったことを誇示していますが、
例の本が将校だけならまだしも、新聞記者というのは多いに参考になるところ
大でしょう。もし中田さんが人の褌を外す事が出来たら御覧になると宜しい
でしょうね。秦氏の批判が少しズレているというのが分かりますから。

>>881
>大神さんの個人的な思いとは全く違う体験者の声に耳を澄ましてみましょう。
 別に私の個人的な思いではないのだが。中村氏の著書からの話なんですが。
当然中田さんは御存知だと思いましたが(笑)。

 で、また証言で検証は無しですか。中田さんはご自身の
理性の声に耳を傾けられたら如何かと思います。

    中田さんは、検証すると都合の悪い証言は無視しまくりですよ。

885中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/14(水) 17:42
>>809 大神さん

>  そして、中田さんの主張、中国大陸では女性を拉致してきてにあうように
> 「軍事力で威嚇しての交渉だった」と書かれていますが、中田さんはそれに
> ついては根拠を示されません。また「中田イメージ」で
>
>                   実質的命令
>
> と同じで貴方の根拠の無い推測、思いこみなんですね。よく分かりました。

最初の文章は、意味が判読不可です。「軍事力で威嚇しての交渉だった」
というのは、>>771 を指しているのだと思います。

>>771

> 現地軍が慰安婦を集めた中には、軍事力を背景に地域の住民に依頼して
> 慰安婦を現地調達した事例から、もっと直接的に拉致した事例まであり
> ます。何もことさらに強制連行のみを問題視しようと考えている訳では
> ありません。そのような事実があった事を踏まえて、従軍慰安婦を検証
> しなくてはいけないと思うのです。

その事例と根拠は、>>736 で示してあります。

>>818

>  それは戦後に収容されてた人数であり、戦時中の配備数ではありません。
> 私がお尋ねしたのは戦時中の配備数です。慰安婦が必要なのは戦時中なのは
> 当たり前でしょう。お分かりですか?

『アジアの声 第13集 インドネシア 侵略と独立』(東方出版)
討論に於ける龍谷大学名誉教授木坂順一郎氏の発言から引用します。


 インドネシアへどのぐらいの日本軍が行っていたかについてですが、開戦時の日本軍の兵力は五十一個師団、そのうちの十一個師団を南方作戦に使いました。しかし、いつの時点でどのくらいの兵力がそこに常駐していたのかを確定することは困難です。たとえば、一九四二年三月にジャワ島へ上陸した仙台の第二師団は、後にガダルカナル島への移動を命じられて全滅します。第二師団がジャワ島から抜けた後、補充の部隊はどうなったのかという話になってくると、実際いくらの人員が常駐していたかを判断するのはたいへん難しいことで、私もはっきり答えられません。

 それからもう一つ申し上げておきたいことは、五十一個師団中十一個師団と言うのですが、平時編制の一個師団はだいたい一万人ちょっとぐらいなのに、戦時編制で一個師団というと、二万人前後、あるいはもっといろいろな部隊をつけると三万人にもなりかねないのです。したがって、一個師団といっても、その人数を正確に確定することは極めて困難だというのが実状なのです。また、インドネシアといっても、ボルネオ、セレベス、スマトラ、ジャワと、たくさんの島があり、正確な数字はわからないのが実状です。

886中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/14(水) 17:44
>830 大神さん

> ちなみに「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は
> 当時ジャワ島にいた日本兵が約二万である事から
>
> 「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたとい
> うのか」と述べています。

「当時」というのは、一体何年を指していることなのでしょうか。
日本軍が占領していた期間を通してということですか。
そうしますと、占領時から終戦時まで2万人の日本軍が駐留して一切移
動が無いことを前提としませんと、後段の発言が意味を有しません。

ところが、大神さんは >>822 で次のように投稿されています。

>  誤読を誘いそうなので、ジャワを占領した第十五軍は当初約五万人ほど
> でしたが、その後別の戦線に兵力を転用されたので1/3ほどに兵力は
> 減少しました。

ジャワ島に占領当初に約5万人いたのでしたら、当時2万人いたという
事との整合性はどのようになるのでしょう。

> それと中田さんにお尋ねしたいのですが、インドネシア人の二万二千人の
> 元慰安婦と称する人達はインドネシア全土から集まった人達でしょうか?
> それともジャワ島かどこかだけでしょうか?もし知っていたら教えて下さい。

兵補協会会員は遺族もふくめて七万六○○○人、インドネシアに一三四の
支部があります。ジャワ島だけでなくインドネシアの各支部を含めての登
録です。

川田文子著『インドネシアの「慰安婦」』(明石書店)

887中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/14(水) 23:23
>>827 大神さん

> 突撃一番をつけない猛者は少ないと言えます。特に監禁して不特定多数と
> した女を相手にする場合なら。それと、サックをつけないといい加減
> 妊娠するものですが、妊娠、中絶の話はありませんね。それとマニラが
> 空襲されたぐらいで日本軍は撤退していません。

>> 妊娠、中絶の話はありませんね。

流産、妊娠した女性もいましたし、性病にも感染しています。

日本軍性奴隷制を裁く二○○○年女性国際戦犯法廷の各国起訴状からフィリピンを一部抜粋

一週間から三年に及ぶ期間、日常茶飯事のように体験した多数の強姦のために、彼女たちの多くは、フィリピンの慰安所医療報告書に述べられている梅毒や淋病といった感染性の性病を患った。流産、膣の出血や炎症、子宮の摘出や不妊に苦しむ者もいた。劣悪な栄養状態や不健康な状況のみならず、繰り返される強姦や暴力行為にたえまなくさらされることは、多くの女性たちを病気がちにし、肺炎やマラリア、その他の病気に罹らせた。強姦の結果、最後には妊娠した犠牲者たちもいた。戦後結婚した女性のうち二人は妊娠することができなかったことが分かっている。
>> それとマニラが空襲されたぐらいで日本軍は撤退していません。

>>816 の最後の文に対応しているのだと思います。

> 一九四四年十一月ごろ、私たちは解放されました。米軍がマニラに進駐する前に爆撃があり、皆いなくなったのです。

1944年9月中旬に米軍はマニラへの爆撃を開始しています。監禁されていた慰安所からの解放は、それから二カ月後のことです。ここでの「皆」というのは、当事者にとっては、大神さんが考えられたように日本軍全体という意味では無く、慰安所で彼女を監禁していた人びと及び強姦を行なっていた日本軍将兵を指していると考える方が妥当です。




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