レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
戦争と性−進駐軍慰安婦より
-
まだまだあるのですが、事例としては同じような感じもしますし、
HPで証言集として一括するのではなく掲示板では相応しくない
ようにも思いますので、あと数回投稿した後まとめます。
フィリピン慰安婦の証言
レメディオス・ヴァレンシア
一九四三年の十月ごろ、マニラのパコ市の市場で魚を売っていたとき、三人の日本軍兵士に手を引っぱられて抱きかかえられるようなかっこうで、近くの空き家に連行されました。そこは、ニッパヤシで造ったような建物で、十二平方メートルくらいの広さでした。一人の兵士が何か言った後、他の兵士は外に出ていきました。そこで、一人の兵士に強姦されました。そのとき、市場で働いていて別の兵士グループに連行された女性もいました。
その後、うしろに堅い座席のあるトラックで、マニラ市内のダコタ地区にある大きな家に連れていかれました。その家は二階建てで、一階は大きな応接間で三十平方メートルくらいあり、二階は、ベッドを一つおけばあまり余裕もないくらいの部屋が四つありました。
そこには、テルミという名前の日本人女性がおり、四人の若いフィリピン女性もいました。テルミは、二十八歳くらいで、私より少し背が高く一五五センチメートルくらいで、その家の一階に住み、食事の世話や医者を連れてくるなど、その家を管理していました。また、日中は、民間の日本人男性が二人ほどいて、私たちを監視していました。家には鍵がかかっていましたが、部屋にはかかっていませんでした。
その家があった場所は、現在マニラ動物園構内の入り口付近です。そこでは、毎日のように、一日六人から多いときは十五人くらい、兵士の性行為の相手をさせられました。食事のときだけ下の部屋に行き、あとは、大体二階にいました。他の四人のフィリピン女性も同様でした。性行為に対してお金や物をもらったことはありませんが、医師による性病検査が毎週土曜日にありました。兵士たちはほとんどコンドームをつけていなかったのです。
あるとき、兵士が外に連れだそうとしたので、抵抗したところ、銃剣で右足のすねの部分を刺されました。今でもそのあとが残っています。
一九四四年十一月ごろ、私たちは解放されました。米軍がマニラに進駐する前に爆撃があり、皆いなくなったのです。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板