レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
戦争と性−進駐軍慰安婦より
-
フィリピン慰安婦の証言
オルテンシア・マルティネス
父はサツマイモ、バナナ、トウモロコシなどを作っており、食物が豊富にあってお腹がへるということはありませんでした。
一九四三年十一月頃、十六歳のとき、日本軍が軍艦でマスバテにやってきました。そして、マスバテの町のタバコの乾燥工場(それは、セブ島のトテイング氏の所有)に駐屯所を設置し、アメリカ軍の潜水艦を監視するようになりました。
ある日の午前十時ごろ、日本兵が私の家があるパビコンプスにゲリラ掃討のためやってきました。パビコンプスは、マスバテの駐屯地から車で二時間ほどのところにありました。そして、日本兵は鍵をかけてあった戸をこじ開け、父と私を連れだしました。母と他のきょうだいは家に残りました。私は、「コラコラ」と言いながら銃剣を突きつける日本兵に殺されるのではないかという恐怖で一杯だったので、抵抗することなどできず、兵士の一人に服をつかまれて駐屯所まで歩いて連行されました。
近所の人もゲリラと疑われて連行されました。
父は一日で返されましたが、私は駐屯所で他の四人の女性(初めて会った女性で名前は知りません。私とだいたい同じ年齢にみえました)とともにタバコ乾燥倉庫の一部屋に押し込められました。他の部屋もほかに十人ほどの女性が閉じ込められていたようです。
その部屋は、木でできた建物の中の二メートル・四メートル四方のサワリ竹で仕切った部屋で、窓がなく、戸は一つありましたが、内側から鍵をするように命じられていました。部屋の外ではたくさんの日本兵が歩きまわっていました。
最初の夜、四人の日本兵が部屋に入ってきて、私たち五人は横に並ぶように命令され、そして、押し倒され、次から次へと強姦されました。私は二度強姦されました。強姦されていないときは部屋の隅で恐怖におののきながら見ているだけでした。
その部屋には約1カ月のあいだ監禁されていましたが、一日おきぐらいに、一晩二、三人に強姦されつづけました。私は恐怖にかられて目をつむっていたので、詳しくは覚えていませんが、強姦していたのはちがう人ばかりだったようです。
駐屯地は木の柵(木の先は尖っていた)に囲まれていて、私たちは、その部屋から七、八メートル離れた洗濯場で水を浴び、トイレにも行くことができましたが、駐屯所には多くの日本兵がいて逃げられる状態ではありませんでした。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板