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戦争と性−進駐軍慰安婦より

808中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/02(金) 00:06
フィリピン慰安婦の証言

ロシータ・パカルド・ナシーノ

一九四四年の収穫期、祖母のいたエスタンシアに戻りひとりで生活しようとしましたが、その途中で日本兵に捕まりました。祖母の家から歩いて二十分くらいのところに日本軍の駐屯地がありました。祖母の家に向かって歩いているとき、五人の日本兵が私を捕まえました。そのなかの一人は、「タカシ」と呼ばれていた軍曹でした。私が連れていかれるところを、たまたま友人のルース・デラクスルが見ていました。

連れていかれたところは、エスタンシアの製氷工場で、日本軍はそこを駐屯所として使っていました。そのなかの小さな部屋に入れられ、タカシという日本兵から服を脱ぐよう指示されました。じっとしていると、タカシは銃剣で私の太ももを刺しました。言うとおりにしないと殺されると思い、抵抗はしませんでした。

タカシに強姦されているあいだ、他の四人の日本兵は部屋の外に出ていました。タカシの強姦が終わると、今度はタカシより年上のタケモトという将校が強姦しました。その後別の部屋に連れていかれ、他の日本兵につぎつぎと強姦されました。タケモトは、そのとき近くに立って見ていました。

私は、その部屋に一ヶ月ほど閉じ込められていました。日本兵は、私が入れられていた部屋の二階に寝泊まりしており、一階の五部屋には、私と同じように、フィリピン人の若い女性が各部屋二、三人(全部で十五人くらい)入れられていました。

私のいた部屋にもほかの女性が一人いましたが、この女性はしばらくしていなくなりました。廊下には見張りの男が一人立っており、やってきた兵士にどの部屋に入るかを指示していました。何度か逃げようと思いましたが、周りはコンクリートの壁で窓は小さく、とても逃げ出すことはできませんでした。

女性たちは、交替で日本兵のために食事を作る手伝いをしたり、服の洗濯や部屋の掃除をさせられました。当番の日は朝四時に起こされ、朝食を作る手伝いをさせられ、午前中は部屋の掃除をさせられました。日本兵は、当番でない女性のところには朝から強姦しにきました。また、当番の女性が仕事が終わって部屋に戻ると強姦しにきました。私たちは、兵士たちが寝静まるまで強姦されました。日本兵は、言葉が通じないため話しかけることはなく、部屋に入るなり強姦し、終わると出ていきました。そのとき日本兵からお金や物をもらったことはありません。

私は、当時は、生きて帰れるとは思えず、毎日のように神に祈っていました。

私にとって、監禁、強姦された一カ月ほどは今も忘れることはできず、やはり同じ経験を持つローラ・ロサがテレビで名乗り出るように呼びかけているのを見て、名乗り出る決意をしたのです。




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