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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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フィリピンで慰安婦とされた女性の証言です。全文を掲載しますと、かなりの長文となりますので、適宜割愛してあります。
私はマリア・ロサ・ルナ・ヘンソン、六十五歳です。
一九四一年、第二次世界大戦がはじまったとき、私は十四歳の誕生日を迎えたばかりでした。
母と私は親戚と一緒に地方へ疎開し、ほら穴にかくれていました。一九四二年のはじめごろのことです。家から数キロメートル離れた先で薪を集めていると、タナカ大尉をはじめとする日本兵三人に強姦されました。それから二週間後、再びタナカに強姦されたのです。何度も強姦されるなどという不幸がどうして私にふりかかったのでしょう。
この後、私は志願してフクバラハップという抗日ゲリラになりました。私を強姦した日本軍に対する怒りからだったと思います。それから約一年がたち、検問で日本軍に足止めされました。病院を接収した日本軍の駐屯所に私は連れていかれました。そこには女性が六人いました。次の日から毎日、日本兵の性的な相手をすることを強いられたのです。ほかの六人の女性も同じです。
以上が >>792 の前段となります。
その駐屯所では、十二人の兵士に一日中強姦されることもありました。また将校用の兵舎や家へ連れていかれることもありました。ほかの女性には生理のときには休みが与えられましたが、私にはまだ生理がなかったので、一日として休めたことはありませんでした。
この、性奴隷としての、辛く残酷な体験は九ヵ月続きました。拘留の最後の時期に私は脳性マラリアにかかりました。また、村人に日本軍の攻撃を知らせたかどで拷問されました。鎖につながれていたところを、囚人の救出にきたゲリラに発見され、助け出されました。こうしてやっと過酷な苦難から生還できたのです。ゲリラが来たときに私はマラリアの熱と拷問のため意識を失っていました。二ヶ月後、意識を取り戻したときには母の家にいました。母の顔を見て私は泣きました。
一九九二年六月のある日、ラジオを聞いていて衝撃を受けました。第二次世界大戦中、日本軍によって強姦され奴隷化された女性のことが話題になっていたのです。体中が震えました。血が真っ白になるようでした。「フィリピン人元『慰安婦』のための調査委員会」(以下タスク・フォースと略)というグループが、私のような女性を捜しているということを知りました。そのときの言葉が忘れられません。「恥ずかしがらないで。性奴隷になったのはあなたのせいでなく、日本軍の責任なのです。立ち上がって、自分の権利のために闘いましょう」。
一九九二年九月十三日、私はタスク・フォースにすべてを話しました。それはまるで、肩に乗っていた山のような重荷を下ろしたような、悲嘆にくれた心からいばらのとげを抜き去ったような、そして長いあいだ失われていた力強さと自信を取り戻した気持ちでした。公の場に出ることも決意しました。名乗り出て自分の経験を話すこと、つまり、かつての私のように恥じ入っているほかの被害者の先例となることが、私の役目だと自覚したからです。
私は先頃、日本政府をその人権侵害のかどで提訴しました。日本はフィリッピン人女性とそのほかのアジア女性に対して行なった、性奴隷制度という犯罪と残虐行為の法的責任に、正面から向きあわなければならないと信じます。日本政府は元「慰安婦」が生きているあいだに誠意をもって謝罪し、正当で適正な補償を行なうべきです。
日本軍による性奴隷制度を生きのびた私は、戦争と軍国主義が生みだす性奴隷制度および暴力の生き証人です。戦争が二度とくり返されないことを望みます。私たちの子どもたち、そして子どもたちの子どもたちのために。フィリピン人と日本人が真の友情で結ばれた平和な新しい世界を、私は夢に描き続けています。私は日本の将来を担う新しい世代が、歴史を正しく理解することを希望しておりますし、必ずそうしてくれると信じています。
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