したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

戦争と性−進駐軍慰安婦より

857中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/06(火) 18:00
慰安所の開設は、上海から南京への侵攻途上および南京での強姦の多発に起因していました。もう少し、この状況を笠原十九司著『南京事件』(岩波新書)などによって補足します。(一部割愛しています)。

(南京への)入城式がおこなわれた一七日前後から城内の強姦が激増したことを、フィッチは日記に記している。

十二月一七日、金曜日。略奪・殺人・強姦はおとろえる様子もなく続きます。ざっと計算してみても、昨夜から今日の昼にかけて一○○○人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は三七回も強姦されたのです。別の婦人は五ヶ月の赤ん坊を故意に窒息死させられました。野獣のような男が、彼女を強姦する間、赤ん坊が泣くのをやめさせようとしたのです。抵抗すれば銃剣に見舞われるのです。(『英文資料編』)

一二月一六日には、「敗残兵狩り」のため民家や難民収容所に捜索に入った日本兵が、婦女子を見つけて凌辱する事件が多発した。「敗残兵狩り」は、兵隊がグループに分かれて中国人の民家に一軒一軒侵入し、徹底的に捜査するかたちをとったため、押し入った部屋の奥に隠れている婦女子を発見すると、強姦や輪姦行為におよぶことになった。そのため自宅にいて恐怖にかられた婦人が何百人と街頭に逃げ出し、安全な場所を求めて彷徨した。婦女子だけを収容した金陵女子文理学院のキャンパスは、すでに一万人近い難民で、渡り廊下まであふれ、足の踏み場もないほどにふくれ上がっていた。

翌一七日、金陵女子文理学院の婦女難民キャンパスの開設責任者のミニー・ヴォートリンは、街頭に出て、それらの女性避難民を集め、あらたに婦女、子ども専用の難民収容所に設置した金陵大学寮へと引き連れていった。日本兵の凌辱から女性をまもるためのヴォートリンらの闘いがいよいよ正念場をむかえることになった。

一二月一六日までに難民は四千人以上にふくれあがり、もう収容限度を超えていると思われました。
しかし、私たちは収容を四千人でストップしませんでした。それは私たちが、女性が家に残っていることが大変危険であることを知っていたからです。日本兵たちは若い女性を探しては野蛮にふるまっていました。そこで私たちは大学の門を開けて婦女子の難民の流入を受入れたのです。その後数日間、状況はますます悪くなり、女性の避難民は夜明けとともに流れこんできました。(中略)

最高時には、わたしたちのキャンパスに一万人の婦女子を受入れなければなりませんでした。避難民たちはキャンパス内に入れてさえもらえれば、室内に宿泊することを求めず、室外でも満足していました。市内では、一二歳の少女も、五○歳さらには六○歳の老女でも日本兵の凌辱から逃れられなかったのです。

一七日も城内で一千件を超える強姦事件が発生したため、一八日も恐怖にかられた婦人が助けを求めて街頭にあふれた。ヴォートリンは彼女らを集め、午後になっておよそ五○○人を金陵大学の構内に連れてきた。その日彼女らは露天で一夜をすごさねばならなかった。それでも、民家にいて凌辱されるよりは、安全なだけまだましだったのである。

しかし、日本兵は金陵女子文理学院に避難している女性もねらってくるので、夜は安全区国際委員会のメンバーが入り口で眠って、日本軍の強制侵入を防がねばならなかった。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板