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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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フィリピン慰安婦の証言
ルシア・ミサ
一九四四年十月のある日、朝九時ごろ、家族と朝食をとっていたところ、突然銃剣を持った軍服姿の日本兵五人が家のなかに物も言わずに押し入って来ました。そして日本兵は私と姉の身体を捕まえ戸外に連れ出そうとしたのです。父は、私と姉を日本兵から引き離そうとして抵抗しました。一人の日本兵がその父の首を銃剣で刺しました。母が倒れた父のもとに駆け寄ると、その日本兵は母の腹を銃剣で刺しました。さらにこの日本兵は抵抗しつづける姉の首と腹を銃剣で刺し、乳房を切りました。私はその一部始終を見ていました。日本兵を見たのはこれが最初でした。
私は戸外に連れ出されました。日本兵一人が私の前、別の日本兵二人がうしろ、さらに別の日本兵二人が両横という位置関係を保ちながら、コンクリートの道や畑のなかの道を歩かされました。朝から昼までは特に暑い日でした。途中井戸があって水を飲んだものの食事はなく、歩きどおしで夕方五時ころ日本軍の駐屯地に到着しました。
日本軍の駐屯地は、ノルサガライの郊外のビクティと呼ばれるところにありました。そこは山がちであり、また洞窟がたくさんあるところでした。日本軍は、その洞窟の一つとそこから約十メートル離れたところにあった高床式の家に駐屯していました。家には将校クラスの日本兵が約二十人いました。洞窟には兵卒が約百人いました。
私は、駐屯所に着くと、すぐこの大部屋に入れられました。そこには十四人のフィリピン人女性が詰めこまれていて、私は十五人目でした。私が大部屋に入るとすぐ、私を連行して来た日本兵のうちの一人が大部屋に入ってきて、部屋の隅のほうで私を強姦しました。その日の朝、日本兵が両親と姉を殺害しているところを見ているので、恐くて抵抗することはできませんでした。最初の日本兵が終わると、やはり私を連行してきた日本兵が大部屋のなかに入ってきて強姦しました。こうして私を連行してきた五人の日本兵がつぎつぎと強姦しました。この五人の日本兵は、終わると洞窟に帰っていきました。その日はさらに、三人の日本兵が強姦しました。この三人の日本兵も終わると洞窟に帰って行きました。八人目が終わったころ鶏の鳴く声が聞こえました。私が強姦されているあいだ、他の十四人の女性はそれを見ているだけでした。八人目の日本兵は終わると、毎日水浴びをするように言って帰っていきました。その後私は眠りましたが、約二時間ほどした後、朝食を作るためほかの女性に起こされました。
ほかの女性とともに三度の食事を作りましたが、これは自分たちが食べるためのものでした。しかし日本兵の衣類を洗濯しなければなりませんでした。洗濯は近くの泉で朝八時ころから二時間かけてしました。このあいだに水浴びをしました。昼食が終わると午後は大部屋にいるだけでした。私語は禁止されていました。日本兵の見張りは特にいなかったのですが、大部屋の上には将校クラスの日本兵、十メートル離れた洞窟にも日本兵がいて、しかも洞窟の入口の前には日本兵がいつも立っていました。ですから逃げることはできず、逃げようとした女性もいなかったのです。
二日目は午後八時ころ、日本兵が大部屋にやってきました。私に対しては、まず三人の日本兵が来て順番に強姦しました。続いて別の三人、さらに別の三人の日本兵が来て強姦しました。この日は九人の日本兵が私を強姦しました。九人目の日本兵が帰るとすぐ朝食の準備がはじまりました。
こうして私は、一九四四年十月から一九四五年一月までの三カ月、日本軍が駐屯所にしていた家の床下に閉じ込められて、日本兵に強姦されつづけました。一九四五年一月のある日、日本兵がザワザワしているのがわかりました。女性たちは、アメリカ軍が来たものと期待しました。翌日の午前十時ごろ、大部屋にいた女性のうちの誰かが、家のなかや洞窟に日本兵がいるかどうか確かめました。日本兵はいませんでした。それで誰かがまず逃げました。それから私と同年齢くらいで話を交わしたことのあるワニタ・カルバケルという女性が逃げました。私も後につづきました。私ははだしで、走ったり歩いたりして家に着いたのは暗くなるころでした。家はもとのままでしたが、両親と姉の死体はありませんでした。
私は、近所のアニタ・レイエスという人の家で約二カ月間お世話になりました。日本兵に最初に強姦されてからずっと性器に痛みと痒みがあったので、アニタにグアバの葉とハーブの葉による治療を受けました。一、二カ月で治りました。
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