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戦争と性−進駐軍慰安婦より

885中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/07/14(水) 17:42
>>809 大神さん

>  そして、中田さんの主張、中国大陸では女性を拉致してきてにあうように
> 「軍事力で威嚇しての交渉だった」と書かれていますが、中田さんはそれに
> ついては根拠を示されません。また「中田イメージ」で
>
>                   実質的命令
>
> と同じで貴方の根拠の無い推測、思いこみなんですね。よく分かりました。

最初の文章は、意味が判読不可です。「軍事力で威嚇しての交渉だった」
というのは、>>771 を指しているのだと思います。

>>771

> 現地軍が慰安婦を集めた中には、軍事力を背景に地域の住民に依頼して
> 慰安婦を現地調達した事例から、もっと直接的に拉致した事例まであり
> ます。何もことさらに強制連行のみを問題視しようと考えている訳では
> ありません。そのような事実があった事を踏まえて、従軍慰安婦を検証
> しなくてはいけないと思うのです。

その事例と根拠は、>>736 で示してあります。

>>818

>  それは戦後に収容されてた人数であり、戦時中の配備数ではありません。
> 私がお尋ねしたのは戦時中の配備数です。慰安婦が必要なのは戦時中なのは
> 当たり前でしょう。お分かりですか?

『アジアの声 第13集 インドネシア 侵略と独立』(東方出版)
討論に於ける龍谷大学名誉教授木坂順一郎氏の発言から引用します。


 インドネシアへどのぐらいの日本軍が行っていたかについてですが、開戦時の日本軍の兵力は五十一個師団、そのうちの十一個師団を南方作戦に使いました。しかし、いつの時点でどのくらいの兵力がそこに常駐していたのかを確定することは困難です。たとえば、一九四二年三月にジャワ島へ上陸した仙台の第二師団は、後にガダルカナル島への移動を命じられて全滅します。第二師団がジャワ島から抜けた後、補充の部隊はどうなったのかという話になってくると、実際いくらの人員が常駐していたかを判断するのはたいへん難しいことで、私もはっきり答えられません。

 それからもう一つ申し上げておきたいことは、五十一個師団中十一個師団と言うのですが、平時編制の一個師団はだいたい一万人ちょっとぐらいなのに、戦時編制で一個師団というと、二万人前後、あるいはもっといろいろな部隊をつけると三万人にもなりかねないのです。したがって、一個師団といっても、その人数を正確に確定することは極めて困難だというのが実状なのです。また、インドネシアといっても、ボルネオ、セレベス、スマトラ、ジャワと、たくさんの島があり、正確な数字はわからないのが実状です。




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