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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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>>757 にて、大神さんの慰安所内での感想を書かれていますが、
それではフィリピンで慰安婦にされた女性の手記を読んでみま
しょう。
日本軍「慰安婦」にされる
その翌日、自分がたくさんの兵隊たちに性の相手をしなければならないのだと知りました。最初に一二人の兵隊がたてつづけにレイプしました。それから三○分くらい間があり、またもや一二人の兵隊です。私はひどく出血し、身体がめちゃめちゃに傷つけられたと感じました。翌朝には、立ち上がることすらできませんでした。
一人の少女が朝食を運んでくれました。彼女に質問したかったのですが、警備兵がさえぎり、言葉さえ交わせません。食事は喉を通りません。性器が腫れ上がっているのでしょう、痛くてたまりません。ひとり、泣いて泣いて泣き続け、母の名を呼びました。日本軍に殺されるかもしれません。抵抗しようがありませんでした。
昼の二時から夜の一○時まで兵隊たちが行列をつくって私をレイプする日々が始まりました。他の六人の少女の部屋にも、兵隊たちが行列をつくっていました。
どうしようもありませんでした。日本兵の性的欲求に従うより仕方がなかったのです。
(中略)
慰安所の日々
午後の二時になると、大勢の日本兵がトラックでやってきて、各部屋の外に並びます。レイプされるという「仕事」のスタートです。我慢のならない苦しいことですが、性的サービスの提供が私たちの「仕事」にされたのです。
私はお産をするときのように膝を立て、脚を高だかとあげてマットに横になっています。行列をつくった兵隊たちが、後から後からレイプするのです。
部屋の外の兵隊たちは自分の順番を待ちかねて壁をドンドンとたたいてせかしたものです。
兵隊たちはずいぶん若く見えました。一八歳くらいでしょうか。髪の毛は短く刈り込んで、たった半インチくらいしかなく、こぎれいにしていました。三○歳くらいの兵隊はわずかだけでした。
兵隊が息せききって部屋に駆け込んでくることもありました。
やみくもに私に襲いかかり、脚の間や肛門に挿入してしまう兵隊もときどきいました。兵隊たちの乱暴な扱いのため、膣やクリトリスが三日間も腫れ上がり、湯で洗うと激痛が走りました。
やってきて一分もたたないのに射精してしまう兵隊もいました。そんな兵隊はひどく腹を立てて、暴力を振るったものです。
ある兵隊はセックスをしないうちに射精してしまったのに怒り、私の手をひっぱって自分の性器を愛撫するように求めましたが、勃起しないうちに、部屋の外で次の兵隊がどんどんと戸を叩きました。部屋を出なくてはならなくなった彼は、私の胸を殴り、髪をわしづかみにして乱暴をしました。そんなことはしょっちゅうでした。
私の身体の外で射精し、ズボンが精液で汚れてしまったと憤慨し、部屋から出て行くまえに私の脚や腹を殴りつけていった兵隊もいました。まだ満足していないうちに部屋の外で待ちかまえている他の兵隊にじゃまをされて、その腹いせに、私を殴ったり蹴ったりしてゆくのです。頭を叩いたり、脚を殴ったりされ、どんなに私は惨めで、痛かったでしょう。
性器を握ると兵隊が満足し、早く出て行ってくれることを知り、あるとき私は兵隊の性器を握ろうとしました。ところが、その兵隊は、私が彼の性器をつぶしてしまうとでも思ったのでしょうか、私を殴りつけて暴行しました。
竹を編んだ仕切りだけが、隣の部屋と私の部屋を隔てていました。ときどき、隣の部屋の少女が悲鳴をあげているのや、バタンバタンと大きな音がするのも聞こえました。その少女も、日本兵にレイプされ殴られていたのでしょう。
それでも他の女性たちは、生理のとき、一カ月に四、五日の休日がありました。でも生理がまだない私には、そんな休みすらもらえないのです。
マリア・ロサ・L・ヘンソン著 藤目ゆき訳
『ある日本軍「慰安婦」の回想 フィリピンの現代史を生きて』
岩波書店刊行
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