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戦争と性−進駐軍慰安婦より
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http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/uesugi01.htm
たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれる定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許されたのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(同六条)とされていた。
これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押されて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白である。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、藤岡氏などの言うように、それは公娼制度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しかし、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたのである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁し、強姦したことになる。藤岡氏のたとえを借りるならば、文部省の建物に私娼窟や賭博場が開設されたに等しいのである。
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