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戦争と性−進駐軍慰安婦より

666中田 </b><font color=#800000>(riQdTYdc)</font><b>:2004/06/10(木) 17:29
中国では軍が自ら慰安婦を集めたケースが多かったのですが、
師団経理部の主計将校が慰安所建設と慰安婦集めを行った記
録です。

宮谷重雄『わが戦記 恥さらし』

新京陸軍経理学校第五期生記念文集編集委員会編『追憶 上巻』収録

宮谷氏は、経理部所属で大学の建築科出身ということで、野戦倉庫のパ
ン釜を作らされたり、野戦での仮小屋作りの演習をさせられていた。あ
る時、経理部長に呼ばれた。

「見習士官、将校用の慰安所を作ってくれ」
私は驚いた、慰安所と言う言葉も耳なれないし、だいたい見当はついた
が、これらはエライコトになったと正直思った。学校の時、勿論待合設
計などしたことはない。

しかし、命令であるので、やむを得ず学生時代の悪所通いの経験などを
下にして、なんとか十数部屋の日本間をデッチ上げたのである。経理部
長には「良くやった」と誉められたが、何をかくそう、この業績が後々
まで尾を引こうとは、神なら身(ママ)、気が付くのが遅すぎたのであ
る。

やがて洛陽作戦が始まった。月余で洛陽が陥落してホッとしていると、
数日後、師団の後方参謀が直接呼びに来たので、何事ならんと出頭する
と、
「宮谷少尉は、至急民家を改装して兵隊用の慰安所を作れ。ついでに洛
陽で女も集めて来い」という命令である。

もうこれは、メチャクチャである。大学を出て、なんの因果でピー屋造
りをさせられるのか、その上女衒(ぜげん)まがいの女集めまでさせら
れたのである。何とも情けない思いであったが、命令である。

同行していた大工上がりの軍属に慰安所造りの指示を与え、塩を二、三
俵トラックに積んで、洛陽市内に女狩りに赴いたのである。どうもこの
作命は、後で聞いたとこによると、包頭での慰安所造りの成功が効いた
そうである。

ともかく、洛陽をトラックでグルグル回り、私のカンも良かったのか、
二、三軒で十数人の女集めに成功して、部隊に連れてくることができた
のである。




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