貧困層向けの住宅と土地を求めて闘っている団体「ソウェト無産者運動(Landless People’s Movement in Soweto)」の広報担当者、モーリーン・ミニシ氏は、「アパルトヘイトの時代には、少なくとも雇用はあった。どこへ行けば仕事がもらえるか、みんな知っていた。役人が責任を持ってくれた」と語る。
その一方、種々の社会運動団体は、W杯開催期間中のデモ行進敢行をちらつかせてきた。ヨハネスブルグにあるシンクタンク、南アフリカ人種関係研究所(South African Institute of Race Relations)の推定では、今年に入り、25の「主要抗議行動拠点」が浮上してきたが、そのほとんどは黒人居住区にある。W杯は抗議団体を活性化させてきた。同研究所のフランス・クロンイェ副所長によると、これは、円滑な大会運営を切望する国に対して抗議団体が持つ影響力によるところが大きい。
ズマ大統領は群衆に、自分も貧しい育ちであり、彼らの不満は分かっていると念押しした。大統領は、政府が公共サービス改善計画に取り組むことを約束した。演説の締めくくりには、人気のある反アパルトヘイトの歌、『わたしにマシンガンを持ってこい(Bring Me My Machine Gun)』を歌った。群衆は歓声をあげ、大統領と共に踊った。
統計局の発表によると、開票率が99%の時点でスメルの得票率は34.87%となり、62議席を獲得した。連立パートナーのスロバキア国民党(Slovak National Party、SNS)と合わせると71議席を獲得した。
議席獲得には5%以上の得票率が必要で、立候補者を出した18政党のうち6政党がこの基準を満たしたが、もう1つの連立パートナー、人民党/民主スロバキア擁護運動(People's Party-Movement for Democratic Slovakia、LS-HZDS)の得票率はこの基準に達しなかった。投票率は58.8%だった。