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Web誌友会 板/2

222復興G:2013/02/16(土) 18:55:04 ID:AB6RqYXc

>>217 :るん様

>>その内容が載ってるブログを見つけました<<

その<「21世紀生長の家研究会」のブログ>、初めて見ました。

これは本当に“下品な”、女性蔑視の俗語で書かれてますね。でも、下品な表現は、谷口雅春先生が書かれた御文章でないことはおわかりですよね。
(←は当研究会のコメントです)
と注釈してある“当研究会のコメント”部分に下品な俗語が書かれているだけですからね。

「21世紀生長の家研究会」というのは、生命の実相哲学なんかわからない、下品な野次馬さんのブログのようですから、そんなものに惑わされることなく、私たちは本物の真理を求め学んでまいりましょう。

この地上に、神は人間を男と女とにつくられた。

せっかく男と生まれ、あるいは女と生まれたのに、男だか女だかわからないような、どっちでもいいような生き方より、男は男らしく男の天分を生かし、女は女らしく女の天分を生かした生き方をする方が、生き甲斐があるような気がしますが、そうではないでしょうか。

これは、谷口雅春先生が言われるから――とかではなく、私自身の思いなのですが……。

223復興G:2013/02/16(土) 19:12:28 ID:AB6RqYXc

あ、それから、私も>>220で謹写させていただいた、谷口雅春先生の引用されているアインシュタインの言葉について、

<「アインシュタインの予言」として知られている言葉は元来、アインシュタインのものでもシュタインのものでもなかった。国体思想家・田中智学のものであった」>

という説があることを、上のブログで初めて知りました。
(谷口雅宣先生のブログで取り上げられていたそうですが、見逃していました)

まあ、しかし
「吾々は神に感謝する。天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを。」
というアインシュタインの言葉はなかったとしても、「久遠天上理想国実現の神示」は神示ですから、これを深く受け止めて、神意実現の使命に邁進すべきことに変わりはあり得ませんね。

224a hope:2013/02/16(土) 19:36:06 ID:TqpbsVIM
みなさま

この掲示板でわたしが一言、発言するたびに、初心者さまとさくらさまがすごい勢いでわたしの批判をされます。

また、復興Gさまがわたしの投稿文を再掲載しても、お二人は同じことをされます。
これ以上、復興Gさまやトキさまにご迷惑をおかけすることはできません。

わたしごときの発言に、お二人がどうしてそのような反応をされるのか、今は理解できませんが、
すべての現象はわたしの心の影ですので、反省のためしばらく自粛させていただきたいと思います。

初心者さまとさくらさまをそんなにも怒らせてしまったことを、心からお詫びいたします。


復興Gさま トキさま 

しばらく、発言は控えますが、 a hopeは今回もしっかりお勉強させていただきます。
引き続き、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

225トキ:2013/02/16(土) 19:57:56 ID:9wlISb0c
>>224

a hope様

 ご投稿、ありがとうございます。

その点は気にされずに、ご投稿をお願いします。全然、迷惑になっていません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

226SAKURA:2013/02/16(土) 21:08:47 ID:1meWUCC2
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218 SAKURA投稿の続きです…。

>>224「a hope様」の投稿に関しまして…(横スレにて……失礼とは思いましたが…… )

>この掲示板でわたしが一言、発言するたびに、初心者さまとさくらさまがすごい勢いでわたしの
批判をされます。<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■せっかく「真理…勉強」にて【魂の向上…】をなさっていらっしゃいます「a hope様」ですから、
第三者の言葉に惑わされずに…(如何なる中傷・非難の言葉)…etcであろうとも、
【神様と一体】…神様にすがる〜〜「自己意識を強く!」持たれた方が宜しいかと…思いますが?

個人的には、随分と私【SAKURAもタタカレ】ました。そして、これは「魂の成長する過程」と!
痛切に【魂の向上…】をとの思いが…今振り返りますと致します。…が?

❤Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ,the mercifull Father and the God
who gives evry possible encouragement;
he supports us in every hardship,so that we are able to come to the support of others,in
every hardship of theirs because of the encouragement that we ourselves receive from God.
(2 ORINTHIANS THE SECOND LETTER OF PAUL TO THE CHURCH AT CORINTH
INTRODUCTION
Address and greetings.Thanksgiving 3,4)
P.1339

❤私達の主イエス・キリストの父なる神、慈悲の神、すべての慰めの神がほめたたえられますよう
に。神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私達も、自分
自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
(コリント人への手紙第2 第1章 第3節、4節)
                               再合掌

PS:
「a hope様」の投稿を楽しみに閲覧されていらっしゃいる方が、いらっしゃいますモノと…
思います。…が?

227復興G:2013/02/16(土) 21:19:30 ID:AB6RqYXc

>>217 :るん様
>>我を通すのは良いことだとは思えませんが、それは男女ともに言えることで、女性だけにそれを強いるのは違うと思いますのです。
ストレスがたまって、病気になってしまいそうです。<<

生長の家は、人間解放の宗教であって、女性に何かを強いるなんてことはありませんよ。
妻は夫に「ハイ」と従わなくてはならない、ということに縛りを感じている人には、榎本恵吾先生はよく「ご主人を蹴っ飛ばしたっていいんですよ。ご主人は自分だ、と思えばわがままも言えるし、神様なら甘えてもいいんですよ」というようなことを言っておられましたね。

228復興G:2013/02/16(土) 21:33:06 ID:AB6RqYXc

a hope様
皆々さま

困ったときには、神様を呼びましょう。
神は遠くにいらっしゃるのではなくて、私たちの内にいらっしゃるのですから。

何があっても、大丈夫です。

「堅信歌」を歌いましょう。

一、われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝を奪わん。
  大いなる我れ汝を抱けば。”

二、われは聴くわが内なる声を
  “われ常に汝をまもれば、
  われ常に汝を導けば、
  何時のとき何処にあるも、
  汝は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。
  われは汝の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”

ありがとうございます。

229rei:2013/02/16(土) 21:33:29 ID:bo95azFI

a hope様

私はあなたの投稿楽しみに見ておりますよ。
真理を生きようとされて「愛してます」と、一生懸命書き込まれてるのがわかります。
私のココロと通ずる部分もあります。
私は読むのと書き込むのに時間がかかりすぎるので、あなた様が書き込んでくださると大変助かります。

合掌

232復興G:2013/02/16(土) 21:49:33 ID:AB6RqYXc

さて、少し私の勉強しながら考えていることを書き込ませて頂きましょう。

 (テキストp.142から)
 ≪それでは現代人は何によって神の実在(おられること)を知ることができるのでしょうか。わたしの考えではわれわれが神を知ることができるのは、われわれおのおのの内に神と同じものがあるからであります。≫

――創造の神、本源の神は、時空(次元)をも創造し給うた無限絶対者である。その絶対者なる神の具現が、わが生命なのである。だから、わが内に無限が宿っている。だから、われわれは無限絶対なる神の実在を知ることができるのである。

 (テキストp.148から)
 ≪外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。≫

――肉体には誕生日があり、「ご臨終です」という時が来る。
しかし、本体は不生不滅――いや、「本来生・不滅」――というのは、生命の本体は時空の中に生まれてきたのではなく、時空を生み出したものだということ。だから、人間の本体は生まれたこともなく死ぬこともないのである。

 (テキストp.139から)
 ≪哲学的には神とは「大生命」だ生命の大本源だ、といってしまえばなんでもないようなものの、神とは必ずしもそんな抽象的なものではなく、活ける愛の神、生命の神、知恵の神、美の神であって、それを見る目さえあれば、人と人とが相対するように、人格的にさえもあらわれたまうのであります。キリストの神がそうであった。旧約の預言者にあらわれた神がそうであった。そのほかいろいろの宗教の開祖たちには神さまのみ声を直接にお聞きになった方が多いのであります。
 「われ神を見、神より聞きしところをなんじらに伝う」そこにこそ真の宗教の教祖たる権威があるのであります。≫

――谷口清超先生作詞の聖歌「ああ わが神よ」を歌いたくなります。

233復興G:2013/02/16(土) 21:55:36 ID:AB6RqYXc

なお、もう少しテキストの続きを謹写させて頂きましょう。

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<5>

 以上の説明によってわれわれがみんな神の子であり、われわれのうちには無限者を宿していることがおわかりになったことだと思います。

 「無限者」なる神は絶対であって一つであります。この点はキリスト教で説くところが真実であります。

 ところが日本には「八百万の神々」といいまして無数の神々がある、仏教でも護法の神として、持国天(じこくてん)だの、毘沙門天(びしゃもんてん)だの、帝釈天(たいしゃくてん)だのといって多数の神々があります。一つの「無限者(かみさま)」のみを説くキリスト教徒にはいろいろの神々を説く教えが迷信だと思えるのも無理がないのであります。誰でもこの一神か多神かの問題にはつまずきがちであります。そこで神を知るには一神か多神かの問題をまず解決してかからなければならないのであります。

 この一神か多神かの問題を解決するには「神」という言葉の意味をはっきりさせておかなければ混同するのであります。

 日本語でカミと申しますのは、第一に創造神のことをカミと申すのであります。この語源は「醸(か)む」といって「上」と「下」とが和合すること、天と地とが結び合うこと、陰と陽とが触れ合うことによって事物を生み出す愛の働きをいうのであります。歯で噛むということも上下相会するという同じ語源からきたのであります。
 ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる「創造の原理神」が第一義のカミであります。

 第二に、われわれがカミと申しますのは「輝く身」すなわち一つの発光身をいうのであります。
 一燈園などでは「お光り」といっています。
 仏教では「不可思議光」といったり「無礙光如来(むげこうにょらい)」といったりしています。
 キリスト教では『創世記』に「神、光あれといい給いければすなわち光ありき」と書いてあるのがそれであります。
 この神は本来それは真如法身(しんにょほっしん=観自在原理)そのものであって相(かたち)がないのであります。ただ救うてくださいと呼ぶ者があるので、真如界から救いの求めに応じて発光身となって観世音菩薩のごとく機に応じていろいろの姿に顕現せられる如来であります。
 キリスト教でいうエンゼル(天使)の多くはこれで、唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。
 みなさまが霊眼に同時に御覧になった「生長の家の神さま」もこの「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。

 いずれも元は一つ、そのお働きによって名前が違う。
 たとえば観自在菩薩というのは観察自在のお働きをして衆生を教化(きょうげ)になるので、そうお名前を申し上げ、阿弥陀如来というのはアミダすなわち無量寿無量光の働きとあらわれ、死後までも衆生を摂取し給うからそう申し上げ、天照大御神と申し上げるのは「渾珠(あま)」すなわち「宇宙」を、限りなく遍照し給い一切のものをはぐくみ育てたまう働きとなって顕われていたまうからそう申し上げ、「生長の家の神」というのは、狭義においては家々、家庭家庭を生長さす一つのおはたらきであり、広義においては「宇宙(いえ)」全体に満ちみちている普遍的真理を世界に宣布し給う救済力として顕現になっているから、そう申し上げる。

 神そのものの本質本体からいえば一つでありますが、その救いの働き(すなわち霊波の種類)からいえば異なるわけでありまして、霊波が異(ちが)うから霊眼で見てもお姿が異なるわけであります。

 ちょうどそれはもとは一つの太陽光線でも、プリズムで光を分散させて見れば七色にも八色にもなり、そのおのおのの光波は別々の作用を人体に及ぼすようなものであります。

 第三にわれわれがカミと申しますのは幽(かく)り身の略称であります。すなわち肉眼で見える体(たい)を備えてはいないけれど、体(たい)がないのではなく幽微(かすか〉な身を備えているのであります。
 この階級の神の種類は千差万別であって、低きものにはまだ悟りを開かない人間の亡霊や動物霊などがあり、高きものにはズッと高い神界に住む神格を得た人霊があるのであります。
 仏説ではこの世で善因を積んだものは「天」に生まれると申しますが、この諸天にいます神々はすべてこの幽り身に属する神々であります。
<つづく>

234復興G:2013/02/16(土) 21:56:30 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<6>

 まだ詳しくいえば日本語の神という言葉を語源的に解釈しますと、いろいろの意義を包含しているのでありますが、まあだいたいふつうはこの三種のカミをいうのであります。
 そして神が一つだと主張する人は、神という言葉で宇宙の創造者としての唯一つの神を指していわれるのでありますから唯一つということに決してまちがいがないのであります。
 そして神は多神だと主張する人は救いの化身たる第二類以下の神々を含めていわれるのでありますから、これもまちがいがないのであります。同じ言葉で別々のものを指して、互いに「一神」だ「多神」だと論争していても結局解決のはてしがないのであります。

 さてこのように神は一神であるとともに、時と所と人とに応じて、場所しだい、時代しだい、救われる相手しだいで、そのあらわれ方が千差万別してくるのでありまして、時代により、そこに住んでいる人間の発達程度に応じて、いろいろに変化して現われ給うて人をお救いになるのであります。「一神教」のキリスト教にあらわれた神でも、旧約にあらわれた神エホバのある部分は怒りの神、復讐の神、嫉みの神、国粋論者の神であって、ほかの神を拝んではならぬ、イスラエルの国はぜひともユダヤ人に回復させねばならぬなどと非常に執着の強い狭いことをいっているのでありますが、新約の神になってくると、ズッと大きな地方色のない広い神になってきています。「心の清きものは、神を見ることを得ん」とか、「神の国はここに見よかしこに見よというべき性質のものではない。なんじらの心のうちにあるのだ」とか非常に普遍的な大きなものになっているのであります。ある新興宗教の神論というのを読んでみても「神は叱ったり、すかしたりして人間を改心させねばならぬからなかなか骨が折れるのであるぞよ」などとあって、一つの神でも救いのために、いろいろの相(すがた)であらわれる必要のあることを説いてあるのであります。そこであらわれから見れば多神、もとから見れば一神ということになるのであります。

 そこでこの神と通ずるすなわち神と感応霊交するにはどうしたらよいかといいますと、それには精神統一ということが第一であります。
 祈りも読経も静坐も坐禅も、生長の家で行なう「神想観」の修行も、すべてこれ精神を統一して、神と自分とを感応しやすくし、神の啓示に導かれて日常生活上に、できるだけ強く深く完全に神をあらわすためなのであります。
 霊媒による心霊現象研究も有料で実験に応ずる霊媒では、料金をとる手前、本当にその霊魂がこないときには霊魂がでてきてしゃべるかのごとくつじつまを合わせねばならぬので、虚偽や詐術がまじりがちで、ことごとくは信じられませんが、次に掲げるのは古河鉱業大連支店の青年社員、浅野新樹君が死んでから、その母多慶子(たけこ)氏を霊媒としてその父和三郎氏に通信せられて来た霊界の状態であって、職業霊媒でないから、大部分は信じえられます。そのうちに、こんな一節があります。

  問い「前にもいく度も聞いたが、幽界における身体の感じをモ一度きかせてくれないか? 呼吸や脈搏はあるかね?」

  答え「そんなものはてんで気がつきませんネ。内臓などもあるのか無いのかわかりません……。」

  問い「地面を踏む感じは?」

  答え「自分の室にいる時は歩くという感じがしないでもありませんが、地上の歩行とはだいぶ異(ちが)います。歩くといっても何やら軽い柔らかい気持です。また足音というものもしません。遠距離に行く時には一気呵成に行ってしまうのでなおさら歩くという観念が起こりませんね……。」
<つづく>

235復興G:2013/02/16(土) 21:57:18 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<7>

  問い「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか、一つその実況を見てきてくれないか?」

  答え「承知しました。一つ守護神さんにたのんでみましょう。――(五、六分の後)
 ただ今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながらわれわれと同様修行させられて心も姿も発達するのですネ。地上の子供のようには迅速ではないが、やはりあんなぐあいに大きくなるのですね。僕の行った所では五十歳ぐらいの婦人たちが二、三人おって、それが子供たちの世話をしていました。子供の人数ですか――人数は五、六人で、三歳から四、五歳ぐらいの男と女の児が一緒にいました。抱かれたり何かしている具合は現世とちっともかわりません。場所はあっさりした家の内部ですが、ドウも幽界(こちら)の家屋はどうも皆軽そうに見えます。ずっしりと重そうな趣がなく、なんやら芝居の道具立てのような感じがしますネ。僕は守護神さんに向かい、これらの子供が学校へ行く年齢になればどうなるのかと尋ねてみましたら、守護神きんはさっそく僕を学校のような場所へ連れて行って見学させてくれました。一学級の生徒は二十人ぐらいで、やはりここでも男女合併教育をしていました……。」

  問い「他にも組がいくつもあるのだね?」

  答え「いろいろの組に分れています。何を標準として学級を分けるのかというと、それは受持の教師のする事で、主として子供が死ぬ時に因縁によりて導いてくれた神とか仏とかに相談して十分調査の上で実行するらしいのです。もっとも宗教的区別などはある程度までの話で、上の方に進めばそんな区別はぜんぜん消滅するそうです。」

  問い「科目はどんなふうに分れているか?」

  答え「現世とは大分異いますね。算術などはぜんぜん不必要で、そのほか地理も歴史もありません。幽界で一ばん重きを置くのはやはり精神統一で、これをやるとなんでもわかるのです。音楽だの文芸だのも、子供の天分しだいでワケなく進歩するようです。学問というよりもむしろ趣味に属しましょう。趣味があればいくらでも進歩するが、趣味がなければまるきり駄目です。ですから子供たちは一室に集まっておりながら、その学修する科目はめいめい異います。」(下略)

 この霊界通信は他の信ずべき霊界通信と一致するところも多く、真実性を認めることができるのであります。この霊界通信にもあるとおり宗教的区別というものは上層の霊界へ行けば無くなるので、「この宗教でなければ救われない」と偏頗(へんぱ)に片寄った執着をもっている間はそんなに高い霊界に行くことができないということをすべての霊界通信は一致していっているのであります。

 それから、霊界へ行っての修行が何よりも精神統一が第一だというのはおもしろいではありませんか。「霊界では精神統一をやるとなんでもわかる。音楽だの文芸だのも子供の天分しだいでワケなく進歩する」と新樹青年は霊界の事情を見てきて話しているのですが、われわれの住んでいる地上の生活もやはり原則は同じことで、精神統一によってあらゆるものが上達し、われわれの境遇運命も徐々に精神力によって支配できるようになっているのであります。
 「心が一つの目的物に統一して注意がそこに集中すると、自分と周囲の一切とがその目的物を実現すべき方向に自然に動き出す」というのが最近発見された精神科学の原理であります。
<つづく>

236復興G:2013/02/16(土) 22:00:16 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<8>

 かりにわれわれが絵を描こうと思って、絵に精神統一をしていますと、その精神集中力が磁石的な引力となって絵を完成するに必要な霊界の波動が、「類をもって集まる」または「類は類を招(よ)ぶ」という心の法則に従って集まってくるのであります。
 絵でも文学でも発明でも皆同じことであります。
 インスピレーションというのが、霊界の波動を感受することをいうのであります。われわれのいう精神統一とはポカンとして無念無想になってしまうことではなく、一心不乱に一つのことに精神を純粋に集中することであります。

 われわれは何も思わなくなるということは決してできないものでありまして、たとい表面の心がポカンとして何も考えていなくとも、奥底にあって「隠れている表面に浮かばない心」は一つの習慣的なリズム(調子)をもって常に活動しているのであります。
 だからわたしはこの「隠れている心」を「習慣の心」といっているのであります。
 ラジオの受信機が波長の合った放送だけを感受するように、われわれの心の習慣的なリズムは、そのリズム相応の精神波動を霊界から感受し、それを現実世界の形あるものとするのであります。

 だから心の習慣的リズムの清まり方しだいでわれわれは最高(いとたか)き神界から発するリズムにも感ずることもできるのであります。
 「心の清き者は神を見ることができる」というのはこのことをいったのであります。
 心の習慣的リズムの清きものは神を見ることができますが、心の習慣的リズムが芸術家であるものは、霊界の大芸術家から放散するリズムを感受して、それを現実世界の芸術としてあらわすのであります。

 ダッフェ女史の自動書記にあらわれた霊界旅行記には、霊界の大芸術家を感受していかにこの地上の芸術家が芸術を完成するかの手続きがかなり明瞭に示されてあります。

 ある日小児に誘われて近隣の人々のありさまを見に出かけたことがあります。最初に訪ずれたのはある画室で、そこでは一人の画家が心血を注いで力作中であった。
 彼の刷毛(はけ)の先から出てくる巧妙な色彩、眼の前の画布に現われてくる物象は実在のごとく思われるほど生命の満ちたものでありました。
 私は画に親しむ時間を持たなかったため自分で描く事はできないのですが、心中に潜む趣味は鑑賞家としての資格だけはわたしに与えてくれました。
 けれども生前数多く見た名画のうちにもこれほどの感銘を見出しえなかったのです。恍惚とその画の前に立ちつくしたわたしを遮らずに、しばらくわたしを審美の世界に楽しませてくれたこの画家は最後に口を開きました。
 「あなたはまだ半分だけしか見ていられません。他の半分も御覧になりませんか。」

 彼の画は完成しておったので、わたしには彼の意味が受け取れず、なんのことかと迷っていると見る見る彼の姿もその作画も画室もろとも消滅して、とって代った光景は、現界のある画室の内部、なかに一人の若者が熱心に絵筆を動かしつつあるところでありました。
 わたしにはその画家の心中が読めるのでしたが、彼はわたしが今賞讃した偉大な画を幻に見たのです。そして比べようもなくつよい衝動にかられてその美しい印象をありのまま描こうと懸命の努力をしているのでした。

 この不思議な光景をわたしに示した画家がこの時傍(そば)におったので、わたしは尋ねました。

 「これはいったいどうした事なのでしょう?」

 「現界の名画というもののすべては、霊の世界にその本体があるということをおめにかけたのです。
 あの画家はああして筆を動かす前にすでにわたしの描いた絵の幻影を心中に捉えておるのです。
 そしてもしあなたが御質問なされば彼は必ず自分の筆が心中の画想を完全に表現しえぬことを嘆くに相違ありません。
 こうした人々を地上では天才と呼んでいるのです。」彼は会心の微笑を口辺に浮かべておりました。
<つづく>

237復興G:2013/02/16(土) 22:02:54 ID:AB6RqYXc

あらゆる芸術の根源は霊界にある、とも言われていますね。

高級霊界に波長が合うよう、心をきれいにしておきましょう。

238SAKURA:2013/02/16(土) 22:09:45 ID:1meWUCC2
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>> SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (2―5) 】からなのですが……
>>179の「復興G様」の投稿から……

===【抜粋文】======================================
>>そのようにわれわれは自分の心のうちにあるものしか見ることができません。またたとい
触れてもそれを感ずることができません〜〜略〜〜
>>あまり現在の境遇に満足し切っている人は
神をもとめる必要がないから、神を見ることも感ずることもしないのであります。 
それは神を見ることができないのではなく、しないのであります。<<  (一部抜粋)
==============================================

■神をもとめ…神を見るは……♫
【背 水 の 陣】をひいた方なのでしょうか……??それも含まれますかと思います。常日頃から
それよりもひたすら【 神にすがる心 = 祈り 】ではと思います。
人は、神様から各自への“テレパシ−”を頂いておりまして、それぞれのアンテナにて受信する
ことが出来るのですから、但し、そのチャンネルはキチンとしていませんと…正確なる
“テレパシ−”は受信することが出来ないかと。それに答えるためにも……
やはり【 祈り・神想観 更に“イメ−ジ” 】だと思えます。…が?

まだ!まだ!私も【祈り…】が足りないのでは…?と思いながら、本格的に『神地一体に融合』で
しょうか??私も〜〜♫〜〜ジャン・ジャン・ジャン・ジャンと【祈る事…】…

それが“宇宙…への遭遇……邁進”で〜〜〜す。…が??
                                再合掌

                          つづく

PS:引き続き…「頂きましたテキスト…」からの閲覧にての感想を順次投稿させて頂きます。

239復興G:2013/02/16(土) 22:59:26 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は今夜はこれにておやすみさせていただき、明日日中はリアルの世界で予定行事がありますので、次は明晩お目にかかります。
では心の友なる、生命の兄弟なる皆さま、神様の祝福を受けてハッピーな日夜をお過ごしください。
おやすみなさい。

240るん:2013/02/17(日) 00:02:12 ID:pic01rm6
復興G様

有難うございます

>>榎本恵吾先生はよく「ご主人を蹴っ飛ばしたっていいんですよ。ご主人は自分だ、と思えばわがままも言えるし、神様なら甘えてもいいんですよ」
>>というようなことを言っておられましたね。

 そうなんですか?よかったです。自分には「絶対、ハイ」なんてできそうにないですんで。

とはいえ、いつもこういう事を考えてるわけではないです。

実相独在、人間神の子、物質無しの真理を感激しながら、噛みしめて読ませて頂いてます。

この真理を教えてくださった雅春先生には、もう感謝しても感謝してもしきれません。この縦の真理がなかったら

これから先、生きていけないです。この世界が終わっても霊界もありますし。

ご教示、いろいろ有難うございました。明日のご予定、お気をつけて行ってらっしゃいませ。

a hope様
 んな事いわないで、明日から、また書き込み、よろしくお願いいたしますね。

SAKURAさま
 神我一体の境地を目標にされていらっしゃいますか?
 凄い!すてき!がんばってくださいね。

241さくら:2013/02/17(日) 00:11:53 ID:yIRd12ZI
誌友会ご参加のみなさま

わたしはweb誌友会はじまってから、一言も発言しておりませんので、
誰に対しても、発言のたびに、すごい勢いなどで、批判しておりません。
誤解があれば、ご理解頂きたくお願い申し上げます。

ここの主役の方がいなくなり、わたしのせいなら、ご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。

「虚説レポート」の件で、なぜかわざわざお呼びかけを受けましたので、
それに関連し、前から気になっていたことについて、個人的感想をのべましたが、
…個人的感情にすぎ、偏見がありまして、皆様には大変失礼な発言がありました事は、深くお詫び申し上げます。
…未熟な自分を、深く反省しております。
不快な想いをさせましてすみませんでした。

それぞれの学び方があるのですから、ここでの発言や学び方も強制されず、
各自の場で、真も偽もない生長の家を、それぞれの真実の体験として学べばよいと、わたしは思っています。

これからは掲示板には参加はしませんが、様々な面で、学ばせて頂きます。

ありがとうございました。



242志恩:2013/02/17(日) 07:56:35 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、テキストを謹写して下さったり、貴重な体験談もWEB誌友会のおかげで
お聞き出来まして、大変幸せに 存じております。

昨日、復興G様が貼付して下さいました私もお気に入りである「堅信歌」を、
今日は、昔なつかしく 早朝神想観後に、小声で歌ってみました。
これを歌うと、純粋な少女の頃の私の気持ちになれます。

今朝、早朝に、皆様の書き込みも 大急ぎで拝見させて頂きました。
ありがとうございます。

復興G様は、今日はお出かけだそうですね。
行っていらっしゃいませ。
私も、娘一家が昨日から来ていて、泊まっておりますので、今日も昼間は入れません。


   「堅信歌」

1、われは聴くわが内なる声を
  “みひかりを常にもとめて
  わが御手をしかと握れよ
  安らなれすべて善ければ
  とこしえに此処極楽に
  なれは今まもられてあり。
  何者か汝を奪わん。
  大いなる我れ汝を抱けば。”

2、われは聴くわが内なる声を
  “われ常に汝をまもれば、
  われ常に汝を導けば、
  何時のとき何処にあるも、
  汝は完たく清くけがれず、
  行く道に迷うことなし。
  われは汝の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで、
復興G様とa hope様の生長の家に触れられた動機は、知る事ができましたが、

トキ様の場合は、一白鳩会員様からのご縁からでしょうか?

SAKURA様は、ご両親がご熱心でいらしたからでしょうね。
先日,SAKURA様がお話下さったハーフの黒人のお子さんを持たれた女性への、SAKURA様のお母様の真心こもったご指導とご行為、
こころ温まる実話ですが、感動しました。いいお話をありがとうございます。

るんさんは、どんなことで、生長の家に触れられたのですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回のテキスト156頁あたりから、霊界通信のことが、書かれてありますが、
以前、トキ様がご紹介下さった浅野和三郎著「新樹の通信」についても、雅春先生は触れられておりますね。

私は、浅野和三郎著「小桜姫物語」もSAKURA様同様に読んでおりますから、一層、興味深く今回のテキスト部分を拝読しました。

生長の家のおかげで、人間は神の子で生き通しのいのちであると、教えて頂いておりますので、いつも大安心の境地で過ごせますこと、
本当に有り難いことだと思っております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨夜は、娘は、娘の子が通っている幼稚園の役員と、子が習いに行っているバレーの方の役員と2つの役員をしていることで、
娘は、役員のなかまの間での人間関係のストレスを抱えており、
私は、夜11時ころまで その娘の話をひたすら聞いてあげていました。どこにでも課題はあるものです。
でも、娘は自分で話しているうちに、自分で答えを出していました。(笑) 答は、だれでも 自分の内に あるのでした。

243志恩:2013/02/17(日) 08:02:13 ID:.QY5jUA6
娘は、だんなさまが、出張中なので、6歳と3歳の子を連れて、来ている。

244復興G:2013/02/17(日) 08:56:56 ID:AB6RqYXc

出かける前に、ちょっとひと言。
皆さま、ありがとうございます。

a hope様、皆さまからも期待されているようですし、私もa hope様の発言からとても勉強させて頂き、迷惑どころか、とても感謝しています。ですから、どうぞまた神の声を聞かせてください。

SAKURA様、るん様、さくら様、志恩様
コメント、ありがとうございます。

ではまた夜に。
合掌 ありがとうございます。

245トキ:2013/02/17(日) 12:36:05 ID:Jta5Me9g
 復興Gさま、ご指導、ありがとうございます。

 生命の実相の第2巻、浅野和三郎先生の「新樹の霊言」のくだりですね。あの霊言は不思議です。
オリジナルの本を読むと、まだ戦争の気配もない頃に、戦争が起こる、と予言をしたりしています。
 それを考えると、信頼性が高い内容だと思っています。

246初心者:2013/02/17(日) 14:45:05 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

休み時間のようですので、少しだけお邪魔させていただきます。

いきなりですが、宇宙というのは不思議なものです。誕生して137億年ともいわれ
ているようですが、誕生の刹那に発せられたとされる光が(正確には電磁波という
べきでしょうか)、いまだに地球に降り注いているようなのですね。

137億年前に一瞬のあいだ発せられた光が、いまだになぜか地球に降り注いで
いるのです。かりに100億年後にも地球が存在するとすれば、237億年前に発せら
れた光がやはり地球に降り注ぐことでしょう。

降り注いだ光は、地球にぶつかって消滅するか、とおりすぎていきます。消滅した光
やとおりすぎていった光はもはやもどってくることはないでしょう。それでも、一瞬
のあいだに発せられた光が、地球が存在するかぎり降り注いできます。この光は、
いったいどこからやって来るのでしょう。

こうした宇宙の神秘をさぐろうとすれば、「ない現象をつかんでいる」と、生長の家
ではかならず否定されることになります。

本題にはいります。

>>「実相」は時間・空間の中にあらず、時空を生み出した本源世界 すなわち「久遠の今」にある。
また、現象世界は4次元時空間というスクリーン上に投影された映画であって、「実相」はフィルムに当たる、とも説かれています。
フィルムはすでに完成している、そこにすべてがあって完成している。けれども現象世界へのに投影は一コマ一コマ順番に映し出されるのであって、一度にすべてが投影されるわけではないから、現象は無常であって、不完全である。
私たちの五官は、投影された影である現象世界を認識する道具でありますから、その五官によって<フィルム>の世界、「実相」を知ることはできない。現象の言葉をもって実相を説明することはできない。というので「不立文字」とか「教外別伝」と言われてきた。……(後略)……<<

>という説明で私は納得し、「ダブルバインド」とは全然感じておりませんが――。なぜ、初心者様がそのようにおっしゃるのか、よく理解できません。考えています。

唯物論は、「下位のものごとで上位のものごとを説明すること」と定義できます。
この定義によれば、下位のものごとであるはずの物質で、上位のものごとである
はずの精神を説明しようとすれば、これが唯物論となります。

では逆に、上位のものごとで下位のものごとを説明しようとする場合はどうでしょ
う。物質的世界はどのような仕組みで成り立っているのか。これを考えるのは唯物
論なのでしょうか。

「一コマ一コマ順番に映し出される」のたとえは、物質世界がつくりだされるとき
の仕組みを述べたものです。あきらかに、物質世界よりも上位のものごとについて
の説明です。

わたしは、こうした上位のものごとである仕組みによって、下位のものごとである
物質世界の成り立ちを説明しようとしているつもりなのですが、なぜかいつも
「唯物論」として否定されます。雅春先生が説明されても、唯物論として否定される
ことはありません。いったいなぜわたしだけが、唯物論として否定されるのでしょう。

「一コマ一コマ順番に映し出す」仕組みを神によってつくられた仕組みであると
考えるわたしは、こうした神の仕組みと、それによってつくられた物質世界を、たん
に「ない」と否定するのではなく、深く探求したいと考えています。

生長の家では、「一コマ一コマ映し出すのは迷いの証拠であり、そのような迷いに
よってつくられた物質世界はほんらいない」と説明されているようですので、探究
する意味はいっさいないとも考えられているようです。

このような違いがあるということなのでしょうか。

生長の家が「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつく
りだす」と考えているのだとすれば、このように考えなければならない理由とは
なんなのでしょうか。これを神がおつくりになられた仕組みとみなさないのだと
すれば、それはなぜなのでしょうか。WEB誌友会終了後でかまいませんので、お答
えをお聞かせいただければありがたく存じます。

「一コマ一コマ順送り」の仕組みを神がおつくりになられた仕組みと考えても
ぜんぜん問題はないはずですのに、なぜこのように考えることを、人間知、唯物
論、虚説として否定されなければならないのでしょう。このように否定されること
がわたしにはダブルバインドとして感じられます。

ところで復興Gさまは、実相世界は固体と考えておられるのでしょうか、流体と考え
ておられるのでしょうか。固体であれば、これもダブルバインドとなります。どちら
であると考えておられるのでしょうか。

247SAKURA:2013/02/17(日) 14:59:58 ID:d36N9scE
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「a hope様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−1) 】からなのですが……
>>180の「復興G様」のテキスト投稿から……

===【投稿文】======================================>>キリストが「富める者が神の国に入る事のむずかしいのは、らくだが針の孔を通るよりもむ
ずかしい」と嘆じられましたのは、富める者の驕慢な心が神のみ心にかなわないという意味もあ
りますが、現状に満足しているものは、みずから進んで神の国に入ろうとしないことをいわれた
のでもありましょう。

>> またあるときには「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」と
いわれたのも、貧しくして現状に不満足なものほど神の国に入りたいという欲求が盛んになる
ことをいわれたのでありましょう。   (一部抜粋)
==============================================

■「富める者は神の国に入る事は、むずかしい」…“納得”でしょうかと。??反対に……
「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」これも、分かる感じがします。
“宗教の門=信仰の門を叩く”場合は、やはり!窮地に追い込まれた時の【絶体絶命状態…】から、
神にすがる気持ち!ひたすらすがる気持ち!が、益々と強くなるものでしょう。

逆に「平穏!平和!な状態」ですと、何の不自由感もない場合とか、更に“お金…”に執着した
モノとかは……まず“心…”がモノに焦点をあわせていますから「神様…」は現象的な捉え方に
なるのでしょうか。「神の国…」に入るには、その人の【絶体絶命状態…の心理】においては、
その「神の国の門」を叩き、入りやすのです〜〜〜ョネ??
それでも、尚「貧しき者」になってしまいますのは、やはり【感謝の心…】でしょうかと。
【SAKURA…】 は、ますます【感謝探しの冒険の旅〜☆〜】でしょうか???
“ガンバル心…”…“持続精神…”は『感謝…』からかしら〜〜〜ン!!

                             つづく

248復興G:2013/02/17(日) 20:09:49 ID:AB6RqYXc

皆さま、復興Gは只今帰ってまいりました。

>>246 :初心者様

ようこそ、ありがとうございます。

ご質問の、後ろの方から少しお答えさせていただきたく思います。

>>ところで復興Gさまは、実相世界は固体と考えておられるのでしょうか、流体と考えておられるのでしょうか。固体であれば、これもダブルバインドとなります。どちらであると考えておられるのでしょうか。 <<

もちろん、実相世界は固体でも流体でもありません。固体や流体は、3次元空間の中の物質の状態であり、実相世界は次元を超えた(「次元」をも創り出した元のところ)にあるのですから、それは固体でも流体でもあり得ません。「実相は金剛不壊」と言われることがありますが、それは五官の世界に住んでいる人間に、現象の言葉で仮りに表現したもので、本当は不立文字でしょう。
もし実相が固体や流体であったら、「火にも焼けず……」というわけにはいかないと思います。

>>生長の家が「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」と考えているのだとすれば、このように考えなければならない理由とはなんなのでしょうか。これを神がおつくりになられた仕組みとみなさないのだとすれば、それはなぜなのでしょうか。<<

――「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」という表現はちょっとおかしいと思います。「一コマ一コマ映し出す」というのは映画に譬えたわけですが、それは「影を映す」「投影する」ということで、映し出された影は影であって本来ない。だから、「迷った世界」は本来ない、ということでしょう。
「このように考えなければならない理由」なんて、ないと思います。それは、「1+1=2」でなければならない理由を問うようなものでしょう。それは、「神がおつくりになった仕組み」と考えてよいと思います。

もっと前の方のご質問は、むつかしいので、web誌友会終了後(明日以後)に、ご質問の意味が分からないところを質問しながらお答えしたいと思います。
ありがとうございます。

249復興G:2013/02/17(日) 20:11:12 ID:AB6RqYXc

トキ様
SAKURA様
志恩さま
皆々さま

私は霊界のことにはあまり興味がなかったのですが、今回は、なにか納得できるものがありました。

テキスト第5章の最後のところを謹写させて頂きましょう。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章p.165~166より>

 ……この霊界よりの消息にあるように、われわれは心のリズムを浄め上げ、高め上げ、高き霊界のリズムと調子を合わすことによってのみ、いっそう偉大に進歩せる霊界、天界、さらに進んでは実相世界のリズムを感受し、それによって人間界に偉大な芸術や、偉大な発明や、偉大な思想を生み出すことができるのであります。

 われわれが神に近づこうとするには、神と調子を合わすということよりも必要なことはないのであります。

 われわれの心のリズムが低卑であれば、低卑なカミ(すなわち第三種類に属する霊魂神(みたまのかみ)のうちでもいっそう低い階級のまだ悟りを開かない人間の亡霊や、他愛もない動物の霊魂)とリズムが感合しまして、実際生活上実につまらない誘惑を受け、肉欲や、物質欲などの虜になってしまうのであります。

 だから自分の奥底の魂のリズムを高潔にすることほどわれわれにとって必要なことはないのであります。

 で、この奥底の魂のリズムを清く高くするために、われわれは「神想観」のごとき精神統一の修行を行ない、せめて、ある時間に限っていっさいの低い地的な心の思い煩いを去り、一心不乱に心を至上神(いとたかきもの)にのみ注いで、魂の奥底のリズムを高めかつ清めるようにおすすめしているのであります。

 こうして魂の奥底のリズムを高めておきますと、芸術家は芸術家として、いっそう高き霊界の大芸術のリズムを感受し、思想家は思想家として、これまたいっそう高き霊界の大思想のリズムに触れることができ、その人おのおのの天分の種類に応じての最高のものをこの現実世界に生み出すことができるのであります。

 生長の家の「智慧の言葉」に「人間の心は大生命の変圧器」だということがありますが、せっかく、最聖(いとたか)き大生命からの高圧の電流を受けながら、われわれの心のリズムが低卑なために微弱な電流に変じてしまうのは惜しいことであります。

 わたしが皆さんにしっかり「神想観」の実修をしてくださるようおすすめし、一方日常生活においても「生長の家の生き方」を実践して争いや怒りや憎みの心の曇りをとり去ってくださるようにおすすめしているのは、皆さんが霊界、天界、実相界のいっそう精微なリズム(精神波動)を感受し、これを実生活に再現して実人生を生き甲斐のある価値あるものにしてくださることを念願するからであって、「神想観」によって病気が治ることがあるのは、心のリズムが調うとともに、現実界全体のリズムが整うてくるために起こる単なる一作用にすぎないのであります。
<謹写 完>

250復興G:2013/02/17(日) 20:42:38 ID:AB6RqYXc

 また、『生命の實相』第9巻 p.121には、次のような霊界通信が書かれています。

 スピリット自身は「芸術」についてかく語る
 自分はさらに他の問題――芸術――に話題を転じた。霊界の生活には、自分たちが現世で、音楽や絵画や彫刻や詩歌によって得るような歓喜に相応するものがあるか?――とたずねた。
 「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは叫んだ。「芸術の精髄は霊界で創造せられる。地上の芸術的表現はその貧弱な写しにすぎない。余の言わんと欲するところをよく理会せよ。もしある作品にして、高く貴き熱ある作品であるならば、それを心に描き出したのはスピリットであり、その美を認めたものもスピリットである。それで、人の霊魂がその物質的肉体より脱離した時には、かれ霊魂は肉体の枷鎖(つながり)の中にある時よりも芸術創作の神髄にいっそう容易に貫き入るのである。かれ霊魂は、もはや物質的条件によってわずらわされたり束縛せられたりすることはない。明らかに霊界人は弾ずべき楽器をもっていない。しかしかれらは種々無数のバイブレイションを組み合わせて、最も霊妙なる感じの音楽詩歌を創作することができるのである。君たち、現世の人々は霊界(真に存在するもの)から、ただ暗示を、ただかすかな反響を受けるにすぎない!」

251復興G:2013/02/17(日) 20:52:13 ID:AB6RqYXc

 関連する聖典の御文章を謹写掲示させていただきます。


(『生命の實相』第29巻p.125〜)

   十、われらの運命は心にある

 われわれの運命というものは、こういうふうに、どこからともなく、子孫からでも他人からでも送られてくる念波によって変化するのであります。甲を思い浮かべるのでも乙を思い浮かべるのでも、それはちらと頭を掠(かす)める思いであります。ほんのちょっとしたことが癇癪(かんしゃく)にさわって家庭や会社を飛び出す。いつもならなんでもないことが、ある時はとうてい耐えられなくなる。こういうちらと頭を掠める思いが人間の前途の運命を左右するのであります。どういう時に、どういうふうに心が動いてくるか、その神秘を司るものは宇宙を浮遊しているいろいろの念波にあるのです。

 都合の悪い人は悪い念波ばかりを感受して、せっかく、そこにいれば出世するような所を飛び出したり、発明にも資本を出してくれそうな所へは因縁が結ばれないで、なんとなしにその人が行くと毛嫌いされてしまうような所へ、旅費を使って「資本を出してくれないか」と申し込んで、剣もホロロに断わられ、そのためせっかくの発明もなんにもならないというようなことになります。このようにわれわれの運命を支配するものは不思議なちょっとちらっと頭を掠める思いです。

 右するか左するか、滅亡の道か、繁栄の道か、これはちらっとわれわれの頭を掠めるほんの不思議な微妙な閃(ひらめ)きにありますので、この微妙なスイッチを司っているものはなんであるかというと、この宇宙の無数のラジオのような精神波動である。その中のどの波動に感応するかということによって、良い波動を受けるか悪い波動を受けるかが定まるのであります。

 われわれが良い波動を受けるにはどうしてもわれわれ自身が良い波動を受けられる良き波長を出すラジオ装置にならなければいけないのです。念波の感応は波長の共鳴によるのでありますから、自分が繁栄するには、人をよくしてあげたいという深切の良き念波を常に起こしていなければならないのです。「あの人を生かしてあげたい、この人を生かしてあげたい、深切をしてあげたい、喜ばしてあげたい」という念波を常に起こしますと、宇宙にいろいろ満ちている「生かしてあげたい」という念波がまた自分に引っかかってくるのであります。そうして良い考えが浮かんで自分の運命が自然と好転するのであります。まことに、善念は善念を招び、悪念は悪念を招ぶとは真理であります。

252復興G:2013/02/17(日) 20:52:53 ID:AB6RqYXc

   高級神霊の導きを受ける祈り(聖経『続 真理の吟唱』より)

 われは常に欲するところのものがおのずから来り欲せざるところのものが自ら去るのである。それは恰も如意宝珠を掌中にせるが如しである。われ神に感謝し奉る。

 人間の運命は「ふと思いつくことを行動する」ことによって、おのずから結果が展開して行くのである。ある人は、良きアイディアを「ふと思いつく」ことにょって、それを行動に移して大成功したが、ある人は「ふと思いつく」ことを実行したために大火災を起こして大変な損失を蒙ったのである。ある人は、「この自動車で鎌倉へ行こう」とみずからタクシーを呼び留めてそれに乗ったために、その自動車がトラックと正面衝突して重症を蒙ったのである。まことに「ふと思いつく」ということで大抵、人の日常生活は行なわれ、その人自身の運命を決定しつつあるのである。

 まことに「ふと思いつく」という事の中には、神秘な、運命を支配する力が秘められているのである。その「ふと」というものは一体何であろうか。われわれが、考慮せず、計画せず、図らわずして思いつくところの、その「ふと」というものは、人間を幸福の運命にも災禍の運命にも導いて行くのである。

 ふと思いつかせる神秘者は、人間の脳髄の中には居ないのである。それは霊界から何らかの霊がわれわれに霊波を送って来てふと思いつかせるのである。

 霊界からわれわれの行動を支配するためにアイディアを放送して来る神秘者は、大別すれば二種類あるのである。それは、吾々の運命を良化するために正しいアイディアを常に送ってくれている善霊と、われわれの運命を傷つけんがために間違ったアイディアを送って来る邪霊とに分つことができるのである。

 善霊はその人を善導するために神から命ぜられてその人を常に導きつつある正守護神である。これは概ねその人の先祖霊のうち神通力を得たる高級霊がその任に当たっている。そのほかにその人が特殊重要な職務に就くとき、その任務にふさわしきその職能に勘能なる高級霊が特命守護神として追加されてその人を導くことになっている。しかし善霊が守護し導くといっても、それは霊であるからアイディアを霊送してその人を導くのである。その人は放送されたアイディアを「ふと思いつく」という形で感受してその導きに従って行動して善果を得るのである。

 正守護神及び特命守護神の導きは完全であるから、その放送アイディアを感受して、それを"思いつき"として実行している限り、その人の運命は傷つくことはないし、行動に失錯や失敗はないのである。しかし人は往々にして物質的欲望や、肉体の快楽追求の欲望に心の波長を狂わせて、自分の心の波長が正守護神や特命守護神の放送霊波に波長が合わなくなり、守護指導のアイディアを感受し得なくなることがある。そのとき迷える亡霊や怨霊の如きものの放送霊波を感受して、それをみずからの「思いつき」として行動して失敗するのである。その失敗を避けるためには、人は毎日、必ず神想観を実修して自己の心の波長を正しく調律し、神より遣わされたる高級守護霊の導きのみを感受し得る正しき"心の状態"に維持することが必要なのである。

 この尊き真理を知らしめ給いし神に感謝し奉り、毎日神想観の厳修を怠らず高級神霊の導きを受けて行動することを誓い奉る。ありがとうございます。

253SAKURA:2013/02/17(日) 20:59:12 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>
SAKURA投稿の続きです…。

>>249 復興G様の投稿より…。
「復興G様…」お帰りなさいませ。大変お疲れの処を「霊界…についての記載事項」…
ありがとうございます。今日は、私の地方では曇天…寒さがまた?ぶり返すのでしょうか?
くれぐれも…風邪をひかれませんようにと…『お祈り』を〜〜

■>>高き霊界のリズムと調子を合わすことによってのみいっそう偉大に進歩せる霊界、
天界、さらに進んでは実相世界のリズムを感受し、それによって人間界に偉大な芸術や、偉大な
発明や、偉大な思想を生み出すことができるのであります。<<(一部抜粋文)

>>自分の奥底の魂のリズムを高潔にすること…云々…『神想観』…<<  (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
此の事は…『神想観…瞑想』の重要性をつくづく感じます…。まだまだ〜〜時としては、
周囲の“煩わしい煩悩”にいまだにフラフラ〜〜〜(微笑)ですが??
普段の行動が「神の子…」としての自覚ある行動かと考えますと?いまだに【我欲…】あり…
でしょうか??これでは〜〜〜反省しつつ〜〜〜強い「意志力…」にて
【神想観=>実相世界】へ、突入??日々の努力にて【神想観…神地一体】トライ!トライ!
して参ります…。此の決意を、新たにでしょうかと。

つづきまして…(前回の「復興G様」からのテキストからの感想投稿の続きを…)
                     
つづく

254SAKURA:2013/02/17(日) 21:01:50 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−2) 】からなのですが……
>>180の「復興G様」の投稿から……

===【投稿文】=====================================
>> われわれがこのように現実世界の状態や、現実世界の人間の不完全不円満にあきたらない
で、円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはピッタリ調和することの
できない完全円満なあるものをわれわれの内にもっているからであります。
われわれが完全円満なあるものを内部にもっていなければ完全円満な人格や状態を予想する
ことができないのであります。このわれわれの内にある完全円満なあるもの、これがすなわち
神であります<< (一部抜粋)
==============================================

■ですので【感謝…】は“人格の形成”にも繋がるのでしょうかと??
「神の国」に入る事は【 人格=心理=真理 】につながる!心は“イメ−ジ”で瞑想する事です
ので、正しい思考へと導く書籍本を読む事でもあり……更に、それを“実践する行動”は〜〜〜、
【 祈り=実践行動 】でしょうか。それが「神の国に入る入門」でしょう。しかも、
完全な円満な世界観を“イメ−ジ・トレ−ニングする訓練”する事で、これがイメ−ジ化に繋がり
この“トレ−ニングのその延長線”が【神想観…】とも言えるのではないのでしょうか?
何となく〜〜何となく〜〜わかっちょうな感じですが。まずは【実践・行動…】へ!!
                           
  再合掌

                           つづく

255トキ:2013/02/17(日) 21:41:32 ID:Z2ApAsL2
復興G様

 おかえりなさい。実は、私も外出しておりました。いくつかこの点について、体験があるのですが、書けないの
が残念です!

 ただ、波長の世界ですから、どの波長に自分を合わせるかは大事ですね。
本当に復興G様のご指導の正しさは感じております。

256SAKURA:2013/02/17(日) 22:20:14 ID:csPqeQPY
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254
SAKURA投稿の続きです…。

††【 第五章 神への道しるべ (3−2) 】からなのですが……
>>181の「復興G様」の投稿から……
===【投稿文】=====================================
>>外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求
しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っ
ていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。 (一部抜粋)
=============================================

■■「肉体は心の影…」と云いますように、現在の私の?“肉体はふくよかで〜〜〜す。
希望としては?モット!細くなりたいと願っていながらも「ダイエット作戦」を思考錯誤して
も?尚〜〜〜現“ボディ!”はと??つまり五官で見るところの“形”に現れたものだけを見て
行く……これが【有限の世界観…】がある限りは、次なる【無限の世界観…】が見えないのです
〜〜〜ョネ!!そうしますと【無限…】を引き出すには、それは魂の奥の奥の心に入れ込む事で
しょうか?【有限…】で見えても、そう“脳を騙す?”とある方が云いました様に、私の潜在
意識に送り込む“言葉の力”で、それは【有限…】でも【無限…】に広がっていくのですョネ!

【 有限から無限に行く 】には、そうですョ!!“ヒカリ”がピカット!光るように“言葉の力”
を出すことも、それは【神からの伝言言葉】になるのです〜〜〜ョネ!!
❤【神は愛なり〜】と云いますように“言葉から潜在意識に入っていく事”を、別の表現では?
【 有限から無限に、繋がっていく事 】を改めて理解しましたかと。

===【投稿文】======================================
>> われわれのうちに宿っている円満完全性――これをさっきは神であるといいましたが、
今はわれわれに宿っている「無限性」を神であると申すのであります。つまり、「円満完全性」と
「無限性」とは同じものであります。無限であってこそ完全円満なのでありまして有限なものは
それだけに限られていてけっして円満完全でありえないのであります。(一部抜粋)
==============================================

■「生長の家」では、円満完全をよく唱えますが、これも“無限性に繋がる事”で、当に!!一体
になれる言葉でしょうか??完全円満〜♫と、唱えて行くうちに無限性が出て来まして、
【神地一体…】なのです〜〜〜ネ??
❤【言葉は神…さらに神は愛なり】ですから、更に付け加えて【愛…】も必須条件に見えます。
“言葉”から発した“言葉”は、愛の言葉からは、“神は愛なり…”と自覚し、さらに“無限性”が
広がっていくように思えます。!!
【そのままの心は、澄み切った“心…”で、心遣い・やさしさをかける事となり、“言葉”は……
全て「言霊=魂」に繋がりますものと。【 無限性は神の心=神の子】なんです〜〜〜ョネ!!

■すべての始まりは、すべて【言葉…】から始まるのですョネ!! ❤〜“神は愛なり”
                         つづく

257初心者:2013/02/17(日) 23:00:31 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

WEB誌友会の途中ではありますが、せっかくご返信をいただきましたので書かせ
ていただきます。どうか気になさらずに誌友会をお続けになってください。

>もちろん、実相世界は固体でも流体でもありません。固体や流体は、3次元空間の中の物質の状態であり、実相世界は次元を超えた(「次元」をも創り出した元のところ)にあるのですから、それは固体でも流体でもあり得ません。「実相は金剛不壊」と言われることがありますが、それは五官の世界に住んでいる人間に、現象の言葉で仮りに表現したもので、本当は不立文字でしょう。
もし実相が固体や流体であったら、「火にも焼けず……」というわけにはいかないと思います。

「流体」というのは「固体ではない」との意味でもちいたものです。わたしは、固体
とみえているものはすべてが非実在であると考えておりますので、「固体としての
実相世界は非実在であり、ない」ということが確認できればそれで十分です。

ホープ様や復興Gさまが語っておられる真の「生長の家の教え」をうかがって
おりますと、実相世界には固体の大地があり、大地の上には固体の自然や固体
の建物があり、そこでは固体の実相人間がみなすこやかに仲良く暮らしている、と
考えるのが真の「生長の家の教え」であるとの印象をうけたものですから、ホープ
様や復興Gさまは、実相世界を固体の世界と考えておられるものと判断しておりました。

もしも固体の実相世界が実在するとなると、わたしの主張する「本物の宇宙」は
理論的に成り立たなくなるものですから、復興Gさまに「固体か流体か」をおたずね
いたしたものです。「固体の実相世界は非実在であり、ない」との確約を得られるの
であれば、それだけで十分です。確約はいただけますでしょうか。

258初心者:2013/02/17(日) 23:04:17 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>――「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」という表現はちょっとおかしいと思います。

そうなのですね、わたしもおかしいとおもいます。このおかしさこそがダブルバイ
ンドの正体という気がいたします。

生長の家では、現象世界を「迷いの産物」として表現しませんでしょうか。もしも
このように表現するなら、一コマ一コマを現象世界として映し出す仕組みが迷いを
つくりだしているということになってしまいます。

このように考えることはとうていできませんので、もしもこのように考えなければ
ならないとすれば、これがダブルバインドとなって、「神の仕組みがなぜ迷った
世界をつくるのか」とのおかしな問いかけをしなくてはならなくなります。「神の
仕組みは迷った世界をつくらない」と考えるなら、おかしな問いかけをしなくても
すむことになります。

現象世界は迷いの産物ではない。これがわたしの考えるところですが、生長の家
は、現象世界を迷いの産物として説明しているようなところがありはしませんでしょうか。

>「一コマ一コマ映し出す」というのは映画に譬えたわけですが、それは「影を映す」「投影する」ということで、映し出された影は影であって本来ない。だから、「迷った世界」は本来ない、ということでしょう。
「このように考えなければならない理由」なんて、ないと思います。それは、「1+1=2」でなければならない理由を問うようなものでしょう。それは、「神がおつくりになった仕組み」と考えてよいと思います。

わたしは、現象世界を実在と考えるのは迷いであるにしても、人が「迷い」によって
ないはずの現象世界をあるがごとく経験しているとは考えておりません。

ないはずの現象世界をあるがごとくつくりだせる仕組みが本物宇宙にはある
はずなのですね。この仕組みを利用して人類は現象世界をつくりだしている、とする
のが「本物の宇宙」の基本的な考え方です。

したがって、人類が本物の宇宙の仕組みを利用することでつくりだした現象世界を
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えます。現象世界を実在と思い込んでいる人にたいしては「ほんらいな
い」と説明する必要はあるにしても、「実在ではない」と了解した人にたいしてまで
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えるということです。

「このように考えなければならない理由」というのは、「現象は非実在」と了解した
人にたいしても、生長の家は「現象は迷いであり影であるから、ほんらいない」と
なおも言いつづけているとおもえるので、なぜそのように言いつづけなければ
ならないのか、との意味でその理由をたずねたものです。

現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験して
いるのである」というべきではないでしょうか。

生長の家はなぜいつまでも「影だから、ない」の考えにこだわり続けてそのように
言いつづけるのでしょうか。現象世界を、重要な役割を担ってあるがごとくあらわ
れた世界と、なぜ考えようとしないのでしょうか。なぜ否定することばかりを考え
るのでしょうか。

「現象世界は迷いの産物であり影であるので、ほんらいない」とするのが真の
「生長の家の教え」だとすれば、神の仕組みによって映し出された世界を、真の
「生長の家の教え」は、ことさらに「迷いの産物」としてのみ描き出そうとしている
ことになりはしませんでしょうか。

259SAKURA:2013/02/17(日) 23:11:22 ID:csPqeQPY
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>256>>
SAKURA投稿の続きです…。

>>250の「復興G様」の投稿テキスト内容から……  (ジャンプしまして〜♫〜)
■■『生命の實相』第9巻 p.121 〜♫

===【 霊界通信 投稿 】================================
>>スピリット自身は「芸術」についてかく語る
 自分はさらに他の問題――芸術――に話題を転じた。霊界の生活には、自分たちが現世で、音楽や
絵画や彫刻や詩歌によって得るような歓喜に相応するものがあるか?――とたずねた。
 「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは
叫んだ。…<<     (一部抜粋)
==============================================

■頂きました“テキスト”の中から…初めて「生命の実相」を拝読しました時の事です…。
個人的に“霊の世界”…興味シンシン〜♫〜でしたので??特に上記の文章内容のところで…フト!
当時を思い出しました。

❤「霊界の世界…パワ―頂けるのでしょうか??」そうでしたらと…当時……
今は亡き「デザィナ−・ディオ−ル」の芸術感覚を〜〜〜ことさら「祈り…」にての【暗示…】
を頂ければと〜〜〜【暗示=アイデア】を、ひたすら!ひたすら!でしたかしら〜〜〜ン!
実は、その頃は(15〜17年前…ある大阪財界の方の着物のリフォ−ム)を手掛けるに当たり、
初めての挑戦で…「形見の着物…」と言われますと、尚の事〜〜><心臓がドキドキ!でしたかと?

その後!!【出来る!出来る!〜〜〜出来る!】と云い聞かせながら…途中で、多少の弱気なる
“こころ”にもなりましたが…強い“意志力…出来る!”と潜在意識に入れ込みまして…
以前より「神想観…」真剣に〜♫〜させて頂きまして“多少のアイデア…”を頂き、無事に…
「形見の着物」を、よみがえさせる事が出来ましたのです。…が?
あの時の【真剣さ…?】しかし、今!【復興G様のテキスト】を拝読していますと…当時の
私はある面では当時の【弱気の心 = 有限…での心】でしたのかと。人間は「有限にして無限」…
と云います事は【強い意志力にての“出来る心”= 無限…での心】に成っていく!

但し、その方法として「雅春先生…言葉の重要性」を、改めて感じました次第です…。
それで…今回「復興G様」のこのテキストの部分を拝読するなり…思い出深いモノがあります。…が?
                                再合掌
              つづく

PS:「復興G様」に於かれましては?【霊界…通信】この世界を信じられますでしょうか??
私は……と?

260復興G:2013/02/17(日) 23:27:01 ID:AB6RqYXc

SAKURA様、トキ様、そして初心者様。

コメント、ありがとうございます。

皆々さま

聖典からたくさんの御文章を引用させて頂きましたが、みな自分の勉強のためでした。
それで、学んだことをまとめますと――

テキストの最初の方に

≪哲学的には神とは「大生命」だ生命の大本源だ、といってしまえばなんでもないようなものの、神とは必ずしもそんな抽象的なものではなく、活ける愛の神、生命の神、知恵の神、美の神であって、それを見る目さえあれば、人と人とが相対するように、人格的にさえもあらわれたまうのであります。≫

とありましたが、この「哲学的に神とは生命の大本源」とは、時空間をも生み出した、一切現象発生の枢機を握る「久遠の今」なる実相世界であり、
実相の完全円満・無限絶対なる創造の神――ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる「創造の原理神」が第一義のカミである。

さらにその唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現した第二義の神。

幽(かく)り身すなわち肉眼で見える体(たい)を備えてはいないけれど、体(たい)がないのではなく幽微(かすか〉な身を備えている、霊魂神――第三義の神。

――とあって、吾々を守り導いて下さる神は、元は一神であるが、時と所と人とに応じて、場所しだい、時代しだい、救われる相手しだいで、そのあらわれ方が千差万別して導き給う。だからわれわれは、心を浄め、精神統一して愛の神、高級神霊に波長が合うようにすることによって、霊の導きを得て限りない美の創造ができる。

そして、中心帰一万物調和の神の構図を地上の全世界に顕現するために、創造の神の導きによって生長の家は出現した……

われわれはその神から与えられた使命を生きるのが、生き甲斐であり幸福である――と、少し飛躍しましたが、私は私自身の学びをまとめました。

皆さまは、いかがでしょうか。

間もなく終了の時間になりますので、初心者様へのお答えは、web誌友会後、明日にさせていただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

261復興G:2013/02/17(日) 23:38:34 ID:AB6RqYXc

終了時刻の23:30になりましたので、世界平和の祈りをもって、一応誌友会を終了させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ご参加くださいました皆さま、ご協力、ありがとうございました。
 そして閲覧してくださいました皆々さま、ありがとうございました。

 高級善霊のお守り、お導きをいただいて、ますます生き甲斐ある幸福の道を歩まれますように。
 おやすみなさい。

262復興G:2013/02/18(月) 09:01:38 ID:AB6RqYXc

初心者様

おはようございます。

昨夜はすばらしいご質問を頂戴しましたこと、ありがたく感謝申し上げます。昨夜はちょっと疲れてもう目がしょぼしょぼしていましたので、お答えを本日に延ばさせて頂きました。おゆるしください。

さて、
>>257
>>「固体の実相世界は非実在であり、ない」との確約を得られるのであれば、それだけで十分です。確約はいただけますでしょうか。<<

私は、「固体の実相世界」などというものはあり得ないと確信しております。

>>258
現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験しているのである」というべきではないでしょうか。<<

そうですね。
『神 真理を告げ給う』のp.44〜p.49には、次のように記されていました。

     ○

 完全な神の分身であるあなたが何故迷うかと、あなたは問うであろう。“迷いは何処から来たのか”というのは仏教でも重大な設問になっている。「“迷い”本来無し」と一刀両断に截ち切る解答は従来からある。それでも、「では、その本来無き迷いが、どうして恰もあるかの如くあらわれて来るのか」という最後の問が残るのである。その最後の問に“わたし”は答えることにする。

     ○

 あなたは仏教の「煩悩即菩提」という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い”がそのまま“菩提”の道程であるということである。“迷い”という「菩提とは別なもの」があるのではないのである。“迷い”と見えているものが、実は“悟り”が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い”本来無しといい得るのである。
 あなた達が“迷い”だと思っているものは、実は“わたし”が“神の国”を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。

     ○

 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時問の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂わば“画布(カンバス)”として必要なので“わたし”が人間に与えたところの架空的観念である。それは光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために“人間の心”に対して“わたし”が与えたところの概念である。このスクリーン上に生命の波動(心の波)が放射されると、生命の波動(心の波)が固定化されて物質化して感じられるのである。この物質化として感じられる基盤がなければ、地上に天国を建設するという“わたし”の芸術を成就することが出来ないので、“わたし”は人間に時間空間の観念を与えたのである。時間及び空間は“わたし”の創造である。
<つづきます>

263復興G:2013/02/18(月) 09:02:20 ID:AB6RqYXc

(『神 真理を告げ給う』p.46〜p.49より、つづきです)

     ○

 空間の観念を与えられた人間は、恰もスクリーンを与えられた人間が映写機から放射される光の波を、単に“光の波”として感受せずに物質界に起った具体的事象として感ずると同じ原理で、生命の波動(心の波)を単に波動として感受せずに、それを地上世界の物質的事象として感じ、その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。地上が具体的存在だと感ずる精神的地盤が成立しなかったら、地上に天国を実現することは不可能なのだから、生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは地上天国建設の第一歩の成就なのである。

     ○

 しかしながら、また別の観点からするならば、生命的波動を、空間面上の“物質”と翻訳して誤認することは“迷い”の発生ということにもなるのである。そして、それが、その“迷い”の発生は何処から生じたかという常に投げかけられる原因になるのである。“光”がなければ影を投ずることもないように、“迷い”は地上に天国を描き出すための画布として、“わたし”が投げかけた影である。

     ○

 “わたし”は、“わたし”の生命の霊的波動即ち“コトバ”によって先ず「光あれ」と想念して“光”を生み出し、次ぎ次ぎと万物を生み出して最後に“わたし”の最高完全のイメージの顕現としての人間を創造した。それら一切の事物と人間とは“わたし”から出たアイディアの霊的波動の顕現であるから霊的実在なのである。
 それなのに“わたし”は人間の霊的自覚を眠らせて、人間が時間・空間のスクリーン上に顕われている物質的存在なる「肉体」であるという夢を見せたのである。このことを『創世記』では「土の塵をもって人を創造(つく)り」という風に『物質人間』の重複創造として記述しているのである。それは本当に“重複創造”である。

     ○

 それが“重複創造”であるというのは、“わたし”の生命の波動即ちコトバによって創造された霊的存在であるところの“実相人間”と、その実相の自覚が眠りに入って“自己”を“土の塵”即ち“物質”にて創造られたるものと夢みている“物質人間”とが同時にそこに出現しているからなのである。

     ○

 “物質人間”は“本当の人間”ではなく、時間・空間の立体カンバス上に描かれたる“作品人間”なのである。それはテレビの画面上にあらわれた人物の如く動くのであるけれども、それは人間の心が創作した人物であって、“わたし”が創造した“神の肖像”そのままの人物ではないのである。

 しかし“わたし”はその人物の中に“わたし”の地上天国建設の念願を鋳込んである。それゆえに、彼は善悪の差別を考える理智を備えていて、兎も角も、自分の“善”と考える方向に行動しようとする欲望を備えているのである。物質の世界に、物質人間としてあらわされたる人間が、地上天国を描き出すのは、はじめて絵筆をもってカンバスに向った初歩の画家のように、充分完全なる絵を画くことが出来ないで、いろいろ試行錯誤を繰返すのである。そして中々、天国的な状態をあらわすことが出来ないで、“ああでもない”“こうでもない”と試行錯誤を繰返す。そこに善悪を差別する智的修行があるのである。この事を『創世記』第三章にはアダムとイヴとが“善悪を知る樹の果”を食したという風に書いているのである。
   (以上、『神 真理を告げ給う』p.44〜p.49より)

――上記は、とても考えさせられるお言葉ですね。

<つづきます>

264復興G:2013/02/18(月) 09:41:02 ID:AB6RqYXc

>>263のつづきです。

また、『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」の、次の質疑ご回答にも、私はとても考えさせられ、勉強になりました。長文になって恐縮ですが、謹写転載させて頂きます。

       ○

(『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより)

   二、現象なしの自覚について

(問) 病はないことはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)

(答) 生長の家では「現象は実在でない、病は実在でない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とかふりがなをつけたところもあります。が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で直截的簡明に「病気はない」「現象はあるように見えてもない」と力強く言いきることにしているのであります。

 わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、普通とちょっと違う「奇矯に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

 「現象はない」という言葉をわたしが使うようになるには霊感的な導きはむろんありますが、わたしとしては人間的にもよほど苦心したのであります。第一、「実在」という言葉は哲学上の言葉でありまして、普通の人には(少なくとも中学程度卒業くらいまでの哲学的素養なき人には)理解しがたい言葉なのであります。
 「実在」とは何を意味するかということになりますと、大変むずかしいことになりまして、『生命の實相』のような大衆の光明化を目指している聖典には、こんなむずかしい言葉はなるべく少なく使いたいと思いました。

 ある信徒の方はわたしに「生長の家は高遠の真理を驚くほどやさしく書いてありますが、どうもまだ言葉がむずかしいと言う人が多いから、できるだけやさしく書いてくれ」というような注文もせられたのであります。

 いろいろ考えたすえ、この「実在」という哲学上のむずかしい言葉を、わたしはたんに「アル」または「本当にある」という言葉に代えたのであります。これを哲学的に理屈を捏ねて、実在でないというのと単に「ない」とは大いに意味が違うような言葉の穿鑿問題に浮き身をやつすのはまちがっているのであります。

 わたしの使っている言葉にはいろいろ平易化の上に苦心があるのですから、言葉で引っかかって揚足をとらずにその真意を知って実相に直参していただきたいのであります。

 が、「実在」と「アル」とはそんなに問題にするほど違いません。また、その逆、「実在でない」と単に「ナイ」とはそんなに違いません。「実在」という言葉はむずかしそうな言葉でありますけれども、英語では、“Being”すなわち「在ること」という字を使って「実在」と言うのであります。わたしはこの英語の易しさに感心しました。「実在」と言わずに「アルコト」とは平易で要をつくしています。「実在」が「アルコト」であれば、「実在でない」ことを「ない」と平易に言ったら、かえって平易でわかりやすいと思います。

 むろん、英語の“Being”を「実在」と読ませるにはBを花文字にしてあります。日本語には花文字がありませんから、花文字を使うわけにゆかないので、前後の関係で「実在でない」という意味をわからすように苦心した上で「ない」という言葉を使い、また時々、花文字の代わりに、その「ない」という言葉の所に傍点を付したりして、それとなく解るようにしてあるのであります。
<つづく>

265復興G:2013/02/18(月) 09:42:07 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 生長の家で、「現象は無い、肉体は無い」とハッキリ「無い」と言いきることに反対する人に二種あります。その一説は、色即是空の「空」という字は単に「ない」という言葉と異う、アルにはアルのであって何かアル、それは実在でないと言うだけだ、と言う人であり、その二は「諸法実相」という仏教上の言葉を「現象即実相」と解する人であります。

 ところが、仏典には「空」をハッキリ「無し」と断言してあるところもあります。『般若心経』にも「五蘊皆空」と書いてあって、その「空」を説明するためには、「色受想行識もまた無し」とか、「老死無し」とか、「老死の尽くることも無し」とか、仏教でもやはり「無い」という言葉を持ってきて説明するほかに仕方がないのであります。

 「老死」すなわち老いたり死んだりすることは現象でありますが、『般若心経』には「老死というものは単に無いのではない、現象としてはあるのである。実在でないだけである」というように、長たらしい緩慢な表現の仕方をしてないので、端的に簡明直截的に「老死無し」と一喝し、始めから人間に老死は無いのだから、これから悟って無くなるというようなものでないという意味をふくめて「老死の尽くることも無し」と言っているのであります。

 『般若心経』の用語などでも「空」とは単に無とはちがうというような批評をせられる人から見たら、「老死無し」というのは言葉が奇矯である。老死は実在に非ずと言わなければまちがっている。もし「老死無し」というような奇矯なことを『般若心経』に書いたら人心を惑わすものであると経文の結集者に抗議を申し込まねばならぬでありましょうが、その当時は言葉に引っかかる人がなく、用語がまずくても経文の神髄をつかむ人が多くて、その経を読んでも気狂になる人もなく、かえって気狂が治るくらいで、今に至るまで、この経文が改竄されたということを聴かないのであります。

 実際に『生長の家』を読んで「不完全な現象はあるように見えてもないのだ」また「ただ至妙の実相のみがあるのだ」と教えられても、続々と病気が治る、環境が治る、経済状態がよくなる実例があらわれるのはなぜでしょうか。はたして「現象はない」「病気はない」「不幸はない」等々……というふうに「ない」という言葉を使うことが、不適当なのであれば、そういうよい結果が起こることはありません。

 世間普通の人は、現象界の出来事は皆そのままあると思っているのです。それで、現象の一種である病気もあると思っている。老死もあると思っている。不幸も災難もあると思っている。あると思うがゆえに捉われ、捉われるがゆえに病気にかかりやすく、かかった病気が治りがたく、かえって老死を速め、不幸災厄の前に屈服してしまうのです。
 しかしそれらの不完全な現象は、「あるように見えてもないんだぞ」とわたしが掛け声をかけてあげると病気に崩折れていた人が妙に立ち上がり、もう老衰していたと見える人が若返って白髪まで黒くなり、不幸の前に勇気を失っていた人が勇気を回復して事業に邁進成功し、意地悪の姑や、放蕩の良人なども、あるように見えてもないんだぞと掛け声をかけると、そんな悪い姑や良人はない、神の子たる本当に深切な姑や良人ばかりがあると思って姑や良人に隔意なく事えるようになって、今まで地獄状態であった家庭が光明化した実例もたくさんあります。

 「ない」という言葉と「実在でない」という言葉は哲学上の論議を交す場合には、あるいは厳密に区別して使わなければならぬ時もあるかもしれませぬが、生長の家でわたしが「ない」という言葉を現象に関して使う場合は、哲学上の理屈をこねるためではなく、老病不幸等(現象)をあると思って執着していて、かえって迷い苦しんでいる人に、その迷い苦しみを取り去るために、応病与薬的に投げかける喝であって、それが「言葉の薬」として実際的に迷いを去る上に効果を顕わして迷いが去り、老病不幸が治っていれば、それでわたしの目的はとげられ、信徒が『生長の家』や『生命の實相』を読む目的を達せられているのであります。
<つづく>

266復興G:2013/02/18(月) 09:42:49 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 たとえば、薬というものはたいてい毒性をもったものですが、病気に応じて、適当に調合して適量に用いると効くことがあります。現象界をあると思いすぎて執着し、苦しんでいる人に対しては、「ない」という端的直截な言葉が一等よくきくのであって、「ない、ない」と幾度繰り返しても、五官の方では常にあるように見えていて、「ある、ある」と主張してくれているのですから五官の方での「ある」という主張と、生長の家での薬語「ない」とが適当に中和して、迷いや執着を去る上に効果を奏し、事実上、実効上、病気が治り、不幸その他がいちじるしく癒やされているのですから、生長の家で、「現象は無い」という言葉を使うのは、その用法がまちがっていると言われないのであります。

 およそ薬というものは、薬それ自身に毒性があるから使ってならないというわけのものではないのであります。モルヒネは毒薬であっても、本当にそれがよく効いたら人間に適するようにしてそれを使えば、かえって胃腸病が治ったり神経衰弱が治ったりすることがあります。そうすると、モルヒネのような毒薬でも、本来毒であるか薬であるかは容易に分かるものではない、使いようによって毒ともなれば薬ともなるのであります。

 それと同じく、「無」という言葉も下手に使えば、人を気狂にするかもしれない、今まで哲学にかぶれて厭世自殺をしたり、仏教の「空」をさとったと思って隠遁生活をする人が出たりして、仏教は厭世思想だという悪評を受けたのも無を説き「空」を語る言葉の薬剤が、効きすぎたり、効かなすぎたりしたからであります。
 上手にこれを使えば、現に、生長の家のように病を治し、運命をよくするのであります。

 同じヨードでも、ヨードは普通なら細胞を破壊する激毒性がありますが、ある操作をこれに加えておくと強壮剤となります。

 「無」の言葉は今まで「ある」と思っていた現象を「ない」と言いきるのですから、ヨード以上に峻効をもっている。それを適当の効果を持たすように、文章の中にいわばコロイド状に組み込んであるのが『生長の家』であり、『生命の實相』であります。だから『生長の家』を読んで効くか効かぬか、薬になるか毒になるかは、読んだ多数実験者の実際例によって証明せられているのです。

 かくのごとく「無」の字は峻効を有するので、生長の家では、それが人間に働きかけて、生命を生かすので、有効無害の働きをするように、文章中に巧みに他の言葉と混ぜて調合してあるのであります。「無」の字、「ない」という言葉は、生長の家の発明でも発見でもありません。釈迦の昔からある言葉ですが、生長の家の独創的なところは、「無」の字、「ない」という言葉を、文章全体の中に織り込んであるその織り込み方にあるのであります。

 この織り込み方はわたし独特であって、わたし独特のインスピレーションによって書いてゆくので、誰にも真似はできないのであります。思想は真似はできても、言葉の調合は真似ができないのであります。だから、今までお経を読んでも聖書を読んでも治らなかった病気でも、その同じ真理が説いてある生長の家では、聖典を読んだり話を聴いただけで病気が治るのであります。

 「現象はない」とか「病気はない」とかいう言葉は、語法が不穏当であるとかいって注意して下さるのはありがたいが、毒性峻烈なヨードでもヨード剤として特殊の分子構造のうちに結合せしめてヨードを安定せしめたときには無害有効となるがごとく、「無」の字の効果は峻烈であっても、わたしの書きまたは話す特殊の文章組織の中に結合せしめたときに効力が最も卓絶した薬物となるのであります。
<つづく>

267復興G:2013/02/18(月) 09:43:37 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより、つづき>

 それで、『生命の實相』を読む人にはその人の心の中に、こちらで処方した「無」の字の一定刺激を連続的に与える方が効果がよいのであります。それで、生長の家で説いている「無」の字や、「現象はない」という語だけを抽出してその「無」の内容や効能を理屈でいろいろ詮議しても「無」の字の効果は、わたしの執筆全体にひろがっていて、はじめてヨード剤のように効果を現わしますのですから、単に「無」の字や「現象はない」の語句だけを抽出して語句の適否を非難することは見当外れです。ヨード剤でもその成分中のヨードだけを抽出して激毒性であると言って批評してみても、ヨード剤全体が効果を現わせばその薬は優良であるではありませんか。

 薬剤に併用禁忌の薬があります。たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。生長の家で「病気はない、老死はない、不幸はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。

 近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して、包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表わし、「何々会」等という別異の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。

 茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人が、その種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

 「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。生長の家と、それらの宗教とどこがちがうかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の解放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、厭世的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。

 むつかしい複雑な「無」の理論をお読みになりたければ仏典にはいくらでも複雑なものがありますから、『大乗起信論』でも、『大般若経』でもお読みになるとよいと思います。

 この問題については「善き樹はよき果実を結ぶ、果実を見てその樹の良否を知れ」というキリストの言葉でお答えしたいと思います。理屈でその樹は悪い果を結ぶはずだという理論が通りましても、実際その樹が善き果を結ぶ場合には理論の方にまだ気づかれない欠陥があるのです。理論で宗教で病気が治るはずがないと結論されても、実際に治る以上はその理論の気のつかないところに真理があるのです。

 真理というものは多数決の理屈で定まるものではありません。そういう論議を読むのに費やす時間がありますならば、言葉をよく調合せしめたる――「無」字を巧みに調剤してある聖典『生命の實相』を幾度でも繰り返し読んで、少しでもいっそう深く悟りに入られるよう希望致します。

(以上、『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより)

268トキ:2013/02/18(月) 10:07:05 ID:HPyZdUGM
復興G様

 長時間のご指導、ありがとうございました。本当に勉強になりました。
また、投稿者様にも深く感謝申し上げます。

 多数の閲覧者様にとって、有益な内容だったと確信しております。また、web誌友会の開催中は
閲覧数が上昇していた事を考えると、多くの信徒様がご覧になったと思います。

 今後とも、ご指導をよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

269復興G:2013/02/18(月) 10:27:08 ID:AB6RqYXc

>>267のつづきです。

 以上、聖典の引用文ばかり長くなり、申し訳ありませんでした。

 「実相」とか神の御心は限りなく大きいもので、私たちの内にもその無限が宿っているにしても、現象的にはまだまだ未開発の未熟者ですから、私は勉強中であり、初心者様に「こうだ」と断定的に申し上げるようなことはできません。
 上記の聖典などを繰り返し拝読しながら、真理の深さに打たれ、学び、熟慮しているところであります。

 なお、生長の家では「縦の真理」「横の真理」ということも言われ、「縦の真理」は「人間は神の子。実相独在」ということであり、「横の真理」は「三界唯心、現象は心の影」と説かれておりますが、この「横の真理」にとらわれ、思わしくないことが出てくると「これはどういう心の影だろうか」と引っかかって内向きになり、自分を責めて自己処罰してしまう人も結構まじめな信徒さんに多く見られたように思います。それで榎本恵吾氏などはそういう人たちに、「現象は影に過ぎないのだから、横の真理は“ないもの”の法則ですよ、“実相独在”だけでいいのですよ」と強調され、それによって初めて救われたという人もたくさんいます。

 現象は実相が展開中で未完成ですから不完全で、不調和や悪が「ある」と見える。それを善くしよう、「悪」を消そうとして悪を見れば、「見るものが現れる」という法則によって、ますます本来ない悪があるかのごとく出てくる、という悪循環を繰り返して悩んでいることが多いのが現状ではないでしょうか。そこから救出するための特効薬が「現象なし」「実相独在」という言葉であって、このことはもっともっと徹底する必要があるのではないかと、私は思っております。

 だいたい以上のようなことで、お答えになったでしょうか。

270初心者:2013/02/18(月) 12:41:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>私は、「固体の実相世界」などというものはあり得ないと確信しております。

と力強い言葉で確約をいただきましたこと、感謝いたします。

「初心者は雅春先生を否定している」とほうぼうで思われているようですが、
わたしが否定してきたのは「固体の実相がある」とされる雅春先生の教えです。

固体の実相さえなければすべてが説明できる。固体の実相があれば、なにも説明
できない。こうした事情にふれながら、わたしが雅春先生の教えを否定するかの
ような発言をくり返す、その理由を説明してきたつもりなのですが、「雅春先生は
固体の実相があるとはいっておられない」といった反論はついぞみかけることが
ありませんでした。これはいったいどういうことなのでしょう。

みなさまは「実相世界は固体である」と考えておられるのではありませんか。固体
と考えるためにダブルバインドにかけられているのではありませぬか。

復興Gさまもいつぞやわたしに、「実相世界には美女がいて酒が飲める。パース
ペクティヴもある」とこのように説明なされました。パースペクティヴがあるという
ことは、実相世界を固体的三次元世界と考えるしかないということになりはしない
のですか。

生長の家の方々は、「固体の実相世界がある」と思い込んでおられるためにダブル
バインドにかけられています。ダブルバインドを解消することをもって「悟り」と称し
ておられるはずです。真の生長の家の教えとは、固体の実相世界を「あり」とする
教えなのではありませぬか。

271うのはな:2013/02/18(月) 13:37:13 ID:a.OcI.Rc
初心者総裁先生

 総裁のお話は、こことは毛並が違うように思えるのですが?

272復興G:2013/02/18(月) 13:40:04 ID:AB6RqYXc

>>270 :初心者様。

>>わたしが否定してきたのは「固体の実相がある」とされる雅春先生の教えです。<<

――私は寡聞にして、谷口雅春先生が「固体の実相がある」と教えられたことを知りません。どこにそんな教えがあったでしょうか。

273初心者:2013/02/18(月) 14:04:28 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>――私は寡聞にして、谷口雅春先生が「固体の実相がある」と教えられたことを知りません。どこにそんな教えがあったでしょうか。

「固体の実相があるとされる雅春先生の教え」と書くのと、「固体の実相があると
された雅春先生の教え」と書くのとでは、意味がまったくちがってまいります。

「固体の実相があるとされる」とは、たとえば復興Gさまが「パースベクティヴは
ある」と言われたように、弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなさ
れている」との意味もふくめて書いたつもりです。

もちろんどこかで雅春先生が、実相世界には「荘厳なる建築物がある」といった
ような意味のことを説いておられたのを読んだ記憶がありますが、どこであった
のかはさだかでありませんので、これにふれることはいたしません。

弟子たちが「実相世界は固体である」と思い込んでいるフシがある。このことを
問題にしております。

274初心者:2013/02/18(月) 14:07:18 ID:4YcI.wfQ
うのはなさま〜

ホープ様がわたしを呼びだされて、復興Gさまと対話することをのぞまれたのですよ。

275初心者:2013/02/18(月) 14:22:23 ID:4YcI.wfQ
かつてこちらで問題になった、雅春先生と倉田百三氏の「寂光論争」ですが、論争
のなかで雅春先生は「実相世界には形がある」とのご主張で、「実相は寂光であ
る」とする倉田百三氏の主張をしりぞけようとなされていた、との記憶があります
が、あの論争はなにが問われていたのでしょうか。最終的には病気が治るかどうか
が問題にされていたという気がいたしております。

276復興G:2013/02/18(月) 14:38:38 ID:AB6RqYXc

>>273 :初心者様。
>>「固体の実相があるとされる」とは、たとえば復興Gさまが「パースベクティヴはある」と言われたように、弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」との意味もふくめて書いたつもりです。<<

――そんなことを書いたことがあったかなあと探してみましたら、ありました。
≪現象世界にパースペクティブがあるなら、その元の時空間を超えた、時空間を生み出した元の実相世界にもパースペクティブはある。実相世界は「静」でなく「動」でもある。「動」でありながら不変であるという、現象世界では考えられない、一切の根源世界なのです。実相世界は時空以前の世界だけれども、そこには具体的な形も全てあるのです。≫
と、偉そうに書いたことがありましたね。

しかし、そのときも私は「固体の実相がある」とは思っておりませんでした。
「パースペクティブ」とは、「遠近感のこと」くらいの理解しかなく、ともかく実相世界は本源世界でそこにはすべてがデザインされてあるのだから、遠近感もふくまれているはずだ、くらいの思いで、そう書いておりました。

しかし、それは「デザインされている」というようなことであって、「固体の実相がある」となどは全く思っておりませんでした。

>>弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」<< と書かれましたが、そうでしょうか。そんな根拠がどこにあるのでしょう。

277初心者:2013/02/18(月) 15:05:28 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>>>弟子たちによって「雅春先生の教えがそのようにみなされている」<< と書かれましたが、そうでしょうか。そんな根拠がどこにあるのでしょう。

「実相世界には美女がいて、酒も飲める」と復興Gさまはかつておっしゃられまし
た。これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断
する根拠としてあげることができます。

また#25の投稿で、ホープ様は以下のごとく述べておられます。

>とあるように、きっと実相世界では、この世界のすべての人々が病むこともなく、
老いて死すこともなく、怒ることもなく、悲しむことも、悩むこともなく
、完全円満な姿で大調和して暮らしているのだろうな…」と想像しています。

「完全円満な姿」といっておられることから、ホープ様は「固体の実相世界」を想像
しておられるのはあきらかではないでしょうか。

さらに根拠をあげるなら、すでに述べましたように、わたしは「固体の実相世界」を
否定してまいりましたが、「雅春先生は固体の実相世界など説いておられない」と
の反論は皆無であったということです。これを「実相世界は固体である」とみな
さまが思いこんでおられると判断した根拠としてあげることができます。

あとは、それぞれの方に「実相世界には形があるとおもわれますか」とたずねて
みられればよろしいのではないかと考えます。

278初心者:2013/02/18(月) 15:27:54 ID:4YcI.wfQ
「固体の実相世界がある」とするのが、唯一にして最大の虚説です。固体の実相
世界などどこにもあるはずがありません。

かつて「真実の世界は流体である」とするわたしの主張にたいして、るんちゃんは
「そんな世界は人を幸福にしない」といったような意味の反論をなさいました。

るんちゃんにとっても、実相世界は固体的世界でなければならないようです。現象
世界をたとえ否定しようとも、べつの場所に、現象世界とよく似ていて、それで
いて不都合なことはいっさい起きない世界があるとおもえるからこそ、弟子たち
は安心して現象世界を「ない」と否定できるのではないでしょうか。

もしも否定したあとに形ある世界などどこにもないとしたら、それでも否定できる
でしょうか。真実の世界が、固体ではなく流体であったとしても、現象世界よりは
マシだとおもえる人が、いったいどれほどいるというのでしょうか。

現象世界をことさらに否定しようとする人たちの気がしれません。

279復興G:2013/02/18(月) 16:19:21 ID:AB6RqYXc

>>277 :初心者様。

>>「実相世界には美女がいて、酒も飲める」と復興Gさまはかつておっしゃられました。これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<<
――それは、過去ログを探してみましたら。初心者様が

>>わたくしはただ、実相世界はどこが面白いのか?と、このことに疑問を持っております。
むかし、フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」という曲が流行りました。歌詞に「天国よいとこ、いちどはおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」というのがありましたが、実相世界でも酒は飲めるのでありましょうか。長身美形のおねえさまがたはおられるのでありましょうか。<<

 と、問いかけをされましたので、私はお答えして

≪──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。≫

 と、書いておりました。
 それは、>>実相世界はどこが面白いのか?<< に対してのお答えであったわけです。
 実相世界が面白くないなんてことはあり得ない、と思ったからです。

 それがどうして>>これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<< ということになるのか、わかりかねます。

 また、
>>「完全円満な姿」といっておられることから、ホープ様は「固体の実相世界」を想像しておられるのはあきらかではないでしょうか。<<

 というのも、わかりません。「完全円満な姿」とは、限定された姿ではないはずです。もちろん、想像するときには、ある限定された笑顔などを心に描くことはあるかも知れませんが、それがすべてだと限定しているということはないでしょう。

>>わたしは「固体の実相世界」を否定してまいりましたが、「雅春先生は固体の実相世界など説いておられない」との反論は皆無であったということです。これを「実相世界は固体である」とみなさまが思いこんでおられると判断した根拠としてあげることができます。<<

――初心者様の、頭が痛くなるような投稿文を、誰もが読んでいるなどとは思われません。反論がないというのは、みなそれぞれ忙しくて、読んだり反論したりしていられないということだと、私は思います。私自身もある時期以後は読まなくなっていました。

280SAKURA:2013/02/18(月) 16:28:09 ID:sn/vJ89M
復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259 SAKURA投稿の続きです…。

>>260の「復興G様」の投稿内容から〜〜閲覧させて頂きまして
■>聖典からたくさんの御文章を引用させて頂きましたが、みな自分の勉強のためでした。
それで、学んだことをまとめますと  ―云々―   (一部抜粋)
==============================================

■■此の投稿内容の中で【みな自分の為の勉強……】此の言葉…そうなのですネ??
正直申しますと…“スロ−・テンポのSAKURA”ですから、脳内回路がめまぐるしく><
「復興G様…」の次々頂きました“テキスト投稿”を、私は、付いて行くだけで精一杯の私が?
大変貴重なテキスト資料…お忙しい中に転載して頂きまして、それを私なりに消化しますのに、
頭が混沌となる場面も個人的には、多々ありました。

しかしながら…それでも、私なりに“パソコン”を前に、キ―打って行くうちに、更に!読み直す
事によりまして、思いもかけない数々の箇所をひらっていく…また、その箇所での理解力を深め、
文章表現がダンダンひらめいていくのです。
そうこうしますと「断定した言葉は有限…」で、更に!「進む事が無限…」と云いますこの仕組み
が分かり、今までの【迷い・悩み…】が私なりに全てわかるように成りましたかと。
更に、いろんなテキスト資料を、後にて、素直に拝読していくうちに、新たなるいろいろな思考が
浮かびまして【益々…未知の遭遇の世界】に出会った感じです。
もう一度「タイムマシン…タイムスリット」で戻るには、私の固執した“心…”が砕けて行く
ように成りますと“心は戻る〜♫”のではと思いました。

■≪使命≫……此の言葉を自問自答しますと……
まずは【 私の使命は、“愛”足りないのではと?そこから出発の旅でしょうかと。 】
❤〜【真理…】・【光明…】・【智慧…】・【絶対の…“愛”】が要約、今回の頂きました“テキスト”を
自問自答にて、殊のほか【実感…】させて頂く事となりました。…「感謝…」

■遅くなりましたが…
今回の【WEB誌友会】参加させて頂きました事に、深く感謝申し上げます。
                         ❤〜 ありがとうございます…。

PS:頂きました“テキスト…”から、個人的に、随時…勉強をさせて頂きます…。

281復興G:2013/02/18(月) 16:38:20 ID:AB6RqYXc

SAKURA様

たくさんのレスをいただき、ありがとうございます。

お返事をさしあげたいと思いながら、まだできないでいます。すみません。

282初心者:2013/02/18(月) 17:03:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>それは、>>実相世界はどこが面白いのか?<< に対してのお答えであったわけです。
 実相世界が面白くないなんてことはあり得ない、と思ったからです。
 それがどうして>>これを実相世界は弟子たちによって固体とみなされているフシがある、と判断する根拠としてあげることができます。<< ということになるのか、わかりかねます。

復興Gさまは、実相世界は面白いところだと考えておられるということですね。
その根拠として「美女がいて酒が飲める」とおっしゃられたと理解してよろしいのですね。

形のない美女がいて形のない酒を飲んでどこが面白いのでしょう。これが面白い
といわれる復興Gさまのお考えこそ理解できかねるものです。

こういう説明を聞けば、形のある美女がいて、形のある酒が飲めるので実相世界
は楽しいのだと、たいていは考えますよね。そういうつもりで説明したのではない
とおっしゃりたいわけですね。

形のない美女を相手に形のない酒を飲む。これのどこが面白いのか、あらためて
ご説明いただけますでしょうか。

ところで、「固体の実相世界を否定してきた」というのは、「初心者は雅春先生を
否定している」との批判がよせられているものですから、これに反論する形で
「固体としての実相世界だけを否定している」と反論したものです。

こうしたわたしの反論にたいして、雅春先生が「固体の実相世界」を説いておられ
ないということを知っているのであれば、「雅春先生はそのような教えは説いて
おられない」と再反論すればよいだけのことです。そうした反論がいっさいなかっ
たのなぜなのでしょう。これをどのように解釈すればよいのでしょうか。

「わたしを批判する人たちが、わたしの反論を読んでいなかった」という説明は
成り立たないとおもわれます。

283初心者:2013/02/18(月) 17:04:25 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしへの返信はあとまわしでかまいません。

284初心者:2013/02/18(月) 17:20:05 ID:4YcI.wfQ
しつこいようですが、ひと言。

雅春先生は固体の実相を説いておられない、というのはわたしにとって好都合な
ことでありますので、これを否定しようとは考えておりません。

ただ、「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の
共通認識であるのか、ということをたしかめたいだけです。あとになって「そうで
はない」といわれてもこまりますので、共通認識であることを確認したいという
ことであります。

復興Gさまのお言葉から、これは共通認識であると判断いたしますが、それでよろ
しいのですね。

285トキ:2013/02/18(月) 18:06:34 ID:HPyZdUGM
>>284

初心者様

 これは私の頭が悪いせいだと思いますが、「固体の実相」という概念が理解できないと思います。
 おそらく、他の方々もそれを理解するのが難しい状態だと思います。

今、私の縁者の「一白鳩会員」が書いた「詳密講習会」のノートを読んでいます。ノートだけでは
分からないので、「一白鳩会員」が時間のある時に、解説を聞きながら少しずつ「詳密講習会」の
講義内容を勉強しています。

 「詳密講習会」の内容は、かなり高度な内容ですが、今の時点では、「固体の実相」という表現
はもちろん、それを連想させるご指導もないようです。この講習会でも説かれていないという場合
は、かなり古い資料をもひもとく必要があるでしょうが、谷口雅春先生が特に言及されていないか
もしれません。谷口雅春先生はそれをご存知だったと思いますが、率直に言って、講義の実益がない
というのが原因かと思います。生活者である私達にとって、優先順位としては、別のものがあると
思われるのです。

 よく生長の家で説かれるのが、幻灯機というか、スライドの上映の図をもって、実相と現象の喩え
に使われます。ランプがあって、フィルムがあって、レンズがあって、最後にスクリーンに投影され
る、という仕組みです。ランプやフィルムまでが実相世界で、それは完璧だが、レンズに曇りがある
と、スクリーンがおかしくなる、という話になります。このランプは変わらなくても、フィルムが
変わるという発想をするのなら、”個体の実相”を谷口雅春先生は説いておられない、という事は可能
かもしれません。実際には、フィルムではなくて、「流体の実相」が変化をする、という考え方は
可能だと思います。

 ただ、これは私個人の感想で、「これが答えだ」と断言するつもりはないので、ご注意下さい。

286復興G:2013/02/18(月) 19:05:53 ID:AB6RqYXc

>>282 :初心者様

>>復興Gさまは、実相世界は面白いところだと考えておられるということですね。その根拠として「美女がいて酒が飲める」とおっしゃられたと理解してよろしいのですね。<<

――私は
≪──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。≫

 と申しました。
 実相世界の有様を現象界のわれわれが具体的に知ることなどできないのはわかっています。
 しかし、実相世界は「神の無限のよろこびの海……」と基本的神想観でも念じており、無限の智慧・愛・生命・喜び・調和という神の6つの御徳の生かす力に満たされているところである、ということから、上記のような表現を使ったわけであって、その言葉尻をとらえて揚げ足を取るようなことはナンセンスだと思いますが。

>>ところで、「固体の実相世界を否定してきた」というのは、「初心者は雅春先生を否定している」との批判がよせられているものですから、これに反論する形で「固体としての実相世界だけを否定している」と反論したものです。<<

――そうでしたか。

>>こうしたわたしの反論にたいして、雅春先生が「固体の実相世界」を説いておられないということを知っているのであれば、「雅春先生はそのような教えは説いておられない」と再反論すればよいだけのことです。そうした反論がいっさいなかったのなぜなのでしょう。<<

――私は、初心者さまのそのような反論は読んでいませんでした。ほかの人のことは、わかりません。
 しかし、トキ様が
>>これは私の頭が悪いせいだと思いますが、「固体の実相」という概念が理解できないと思います。<<

と書いていらっしゃいますように、「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます。

>>284
>>「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識であるのか、ということをたしかめたいだけです。
復興Gさまのお言葉から、これは共通認識であると判断いたしますが、それでよろしいのですね。 <<

――私は、上記のように“「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます”から、
<「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識になっている>とも思いません。それが私の感想、認識です。

私自身も、初心者様がなぜ
>>「固体の実相世界がある」とするのが、唯一にして最大の虚説です。固体の実相世界などどこにもあるはずがありません。<<

とおっしゃらねばならないのか、理解できていません。

287初心者:2013/02/18(月) 19:42:03 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>その言葉尻をとらえて揚げ足を取るようなことはナンセンスだと思いますが。

復興Gさまには、わたしの問いかけがたんなる揚げ足取りにしか感じられないのですね。

Dブレーンには本物の美女がいて、本物の酒があり、本物の人間が美女を相手に酒
を酌み交わしているとわたしは考えています。もちろん美女にも酒にも形はありません。

わたしは、形のない世界についてもっと知りたいと考えています。復興Gさまから、
形のない世界にかんする何らかのビジョンや新しい着想がいただけるものと期待
して問いかけたつもりなのですが、これをたんなる揚げ足取りとされ、ナンセンスと
されるということなのですね。

形のない世界にかんして何かをつかんでおられると期待したのですが、どうやら
とんだ見込み違いであったようです。

>――私は、上記のように“「固体の実相」という概念は、ほとんどの人に理解できないと思われます”から、
<「雅春先生は固体の実相を説いておられない」というのが生長の家の人々の共通認識になっている>とも思いません。それが私の感想、認識です。

「固体の実相」とは、実相世界は現象世界と似ているのかということです。よく似た
世界と考えてよいのかということです。ほとんどの人に理解できないことを尋ね
ているという認識はありません。よく似た世界であるのか、まったく似ていない
世界であるのかということです。このことにかんしてどのような共通認識があるの
かということをお尋ねいたしております。

288トキ:2013/02/18(月) 20:08:26 ID:HPyZdUGM
 初心者様の投稿を拝見していると、何だか映画のマトリックスを連想してしまいます。
あの映画では、巨大コンピューターに接続された人間の頭脳に、コンピューターから信号
が送られ、脳内では、一種の幻影をみていて、それがその人の人生になっていました。

 ただ、個人的な感想では、以下の点があり得ると思います。

 一つは、固定の実相や流動の実相について、谷口雅春先生は明確なご指導をされていな
い可能性はあります。すると、信徒がこの問題について議論をする場合、共通の考え方
というのは存在しないで、各人の感想とか考えという程度に留まると思います。ですから
この点について、「生長の家の信徒の共通の認識」を得るのは、困難だと考えます。

 もう一つは、この問題について、議論の実益があるのか、という疑問です。
例えば、今、この文章をタブレットで書いているとします。画面上には、文字はならびますが
タブレット内部では、あくまでも信号の状態で留まっています。二進法ですから、
一見したら、無意味な数字の羅列になると思います。が、それが、インターネットで送信
され、この掲示板の運営会社のサーバーに送られると、ある段階で、人間の目に見える形
になります。それは、一つの段階ではなくて、いくつもの段階を経ます。すると、ある段階
では、人間から見たら無意味な信号でも、ある段階を経ると、人間の目でも見ても、理解が
できるものになります。しかし、例えば、閲覧者様のパソコンやタブレットの調子が悪いと
文字化けをして、読めないのも事実です。

 が、文章をうっているタブレット上の画面では、人間が読める状態になっています。

 つまり、タブレット上の文章は、信号なのか、文字なのか、という議論に近くて、それは
両方とも正しい、という答えになりかねない、というのが感想です。

 というのも、私個人の感想で、「生長の家の信徒の共通の認識」ですから、ご理解下さい。

289復興G:2013/02/18(月) 20:11:28 ID:AB6RqYXc

>>287 :初心者様

>>「固体の実相」とは、実相世界は現象世界と似ているのかということです。よく似た世界と考えてよいのかということです。<<

それは、映画の譬えでいえば実相世界はフィルムの中に完成している作者の創作で、現象世界はスクリーンに映し出された映像、ということですから、似ていない別のものということはないでしょう。現象は実相の具体的展開です。しかし、フィルムとスクリーンの映像では、次元が違うといいますか、フィルムにあたる実相の作者はスクリーンそのものもつくった制作者であり、スクリーン(次元)を超えたところにあるわけですから、その意味では全然違うとも言えるでしょう。

実相に形がないことはない。実相に形がなかったら、現象に形が写ってくることもあり得ないわけですから。しかし、前にも申しましたように実相の「形」はデザイン、アイディア、理念の形というようなものであって、固体化した形ではない、というのが私の認識です。

290初心者:2013/02/18(月) 20:29:42 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしは、雅春先生は、神が完全なる実相世界を創造し、完全なる人間を創造なさ
れたと説いておられると考えておりました。「創造はない」と考えたわたしは、
「神が完全なる人間を創ったとは考えていない」と書いたのですね。すると光明
掲示板から「初心者は雅春先生の教えを否定した」との反応がかえってまいりました。

こうした反応からみて、雅春先生が「神が完全なる人間を創造した」と説いておら
れるのは間違いないと考えてよさそうです。では雅春先生は、実相世界や実相
人間はどのようなものとして創造されたと説いておられるのでしょうか。形のない
ものとして創造されたと説いておられるのでしょうか。

ところでトキ様、わたしは現象世界を「マトリックス」という言葉で表現しておりま
す。マーヤとは、ヒンドゥー教で「幻想」を意味する言葉とされていますが、マトリック
スの語源ともなっているようです。マーヤがマトリックスの語源であることを知った
のは、もちろん「マトリックス」という言葉を使いはじめたあとのことです。

「論証の意味があるのか」ということですが、わたしはいまの議論を、生長の家の
人々にみられる「人間知をことさらにさげすみたがる傾向」の根絶へと、できること
なら結び付けたいと考えております。

なにを知り、なにをつかめば人間はあれほどまでに尊大な態度をとれるように
なるのか。これを復興Gさまに教えていただきたいと考えております。

291復興G:2013/02/18(月) 20:47:28 ID:AB6RqYXc

>>290 :初心者様。

>>なにを知り、なにをつかめば人間はあれほどまでに尊大な態度をとれるようになるのか。これを復興Gさまに教えていただきたいと考えております。<<

――私は、初心者様に、異常な「尊大な態度」を感じておりますよ。

>>生長の家の人々にみられる「人間知をことさらにさげすみたがる傾向」の根絶へと、できることなら結び付けたいと考えております。<<

というお言葉にも、それを感じます。

292初心者:2013/02/18(月) 21:04:04 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

いわれるように、わたしはたしかに尊大な態度をとっております。しかしこうした
態度をとるようになったのは、「人間知」とさげすまれるようになったからであると
自分では考えています。

尊大さには尊大さで立ち向かう。これがわたしの流儀です。

293初心者:2013/02/18(月) 21:12:22 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

復興Gさまが最初にこちらにこられたとき、わたしも一緒になって「アホ、アホ」と
いっておったのですよ。それがなぜこのようになってしまったのか、それは理由
なきことではないということをご理解ください。

294復興G:2013/02/18(月) 21:20:25 ID:AB6RqYXc

初心者様。

そうですか。わかりました。

では、永久にこのような戦いは続きますね。

295初心者:2013/02/18(月) 21:29:52 ID:4YcI.wfQ
トキ様

>よく生長の家で説かれるのが、幻灯機というか、スライドの上映の図をもって、実相と現象の喩え
に使われます。ランプがあって、フィルムがあって、レンズがあって、最後にスクリーンに投影され
る、という仕組みです。ランプやフィルムまでが実相世界で、それは完璧だが、レンズに曇りがある
と、スクリーンがおかしくなる、という話になります。このランプは変わらなくても、フィルムが
変わるという発想をするのなら、”個体の実相”を谷口雅春先生は説いておられない、という事は可能
かもしれません。実際には、フィルムではなくて、「流体の実相」が変化をする、という考え方は
可能だと思います。

上記の説明がなされるかぎり、「固体の実相」を想定するのは困難と考えます。もし
も上記の説明を取り入れながら、しかも「固体の実相」を「あり」とするならダブル
バインドがかならず生じます。

「固体の実相」を想定しないのであれば、上記のような説明でなされる雅春先生の
教えの基本的な思想は、それほど特別なものではないという気がいたします。
「固体の実相」を取り入れた瞬間にダブルバインドが生じ、それは特別なものとなります。

本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。

296初心者:2013/02/18(月) 21:37:41 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>では、永久にこのような戦いは続きますね。

雅春先生の教えのなにを知り、なにをつかめば、あれほどまでに自分を偉い人間と
おもいこめるようになるのでしょうか。

297復興G:2013/02/18(月) 22:55:38 ID:AB6RqYXc

初心者様。

>>いわれるように、わたしはたしかに尊大な態度をとっております。しかしこうした態度をとるようになったのは、「人間知」とさげすまれるようになったからであると自分では考えています。
尊大さには尊大さで立ち向かう。これがわたしの流儀です。<< (>>292

という初心者様のコメントに対して、私は

≪そうですか。わかりました。
では、永久にこのような戦いは続きますね。≫

と書きました。

その心を、初心者様は全然くみ取っていただいていないのですね。

<尊大さには尊大さで立ち向かう。>

この流儀を貫いて行かれる限り、永久にこの戦いは続きますね。それでよいのですか、と私は言いたかったのです。

雅宣総裁も、講習会で、生長の家の教義の三つの柱は
1.実相独在
2.唯心所現
3.万教帰一
だと説かれていると思います。
「唯心所現」は、「三界唯心」とも言って、自分が変われば相手が変わり世界が変わる、ということだと思いますが、初心者様はその生長の家の教えを否定して、相手が変わらなければ自分は変わらない、とおっしゃるのでしょうか。

総裁は、「大調和の神示」に回帰しよう、とおっしゃっているようですが、「天地一切のものと和解せよ。ただし、人間同士はその限りにあらず」というのが生長の家なのでしょうか。

「万教帰一」と言いながら、生長の家を信奉する同士が分派をつくり罵りあい争いあっている、生長の家というのはお家騒動の家だ、ということで有名です。こんなことで、それは仕方がない、俺の知ったこっちゃない、あいつらが悪いんだ――とお考えなのでしょうか。

お伺いします。

298志恩:2013/02/19(火) 03:55:23 ID:.QY5jUA6
初心者様

横スレ失礼致します。

初心者様がおっしゃる「固体の実相世界」という言葉は、私も今まで 聞いたことの無い言葉でしたので、

大先輩である復興様やトキ様は、聞かれたことがおありなのかしら?と、お答えを待っていましたら、お二人ともやはり、
お聞きになっておられないようでした。若いメンバーのSAKURA様やるん様の反応もそれについては、ありませんでした。

それで、その言葉は、どこに書いてあったのか、または、どこでお聞きになられたのか、
初心者様に、教えて欲しいなと思っております。

「神様の智慧が、固となって現われ、、」という表現は、確か どこかで聞いた気がしますけれど、
「固体の実相」については、知りません。

雅春先生は「実相世界」については、
「実相世界」は、

無色、無聴、無味無臭、無触の世界では非ず、
無限の妙色、妙音、妙味、妙触を備えている無限次元の世界なのである。

われらが、実相世界を現象界に投影する「念のレンズ」が浄まって、その屈折率が少なくなるにしたがって、
感じる感覚が豊富になり、感覚の種類が増加してくる。。。と説かれておられました。


私も、「実相世界では、」と、言うときがありますが、私は、そういう場合は、実相世界そのものを指しているのではなく
「実相が 素通しで 投影された 世界 であれば」という意味で、使っていました。
皆様もそうなのでは、ないでしょうか。

というより、「実相世界」そのものの捉え方が、異なってるんだという意味だとしましたら、ピントがずれてて
答えになっていませんね。


また、258:で初心者様は、

>>生長の家では、現象世界を「迷いの産物」として表現しませんでしょうか。もしも
このように表現するなら、一コマ一コマを現象世界として映し出す仕組みが迷いを
つくりだしているということになってしまいます。<<

と言われましたが、復興G様が、重複創造のことを謹写下さいましたので
私も大変勉強になりました。

雅春先生は、「現象世界」については、
「生命の實相」の生命篇にも、

「現実世界の眼に見えている存在は、光もあれば闇もあり
『真理』の投影と『虚』の投影とが、相交錯(あいこうさく)しているのが、この現象世界である。
現象はない、と現象を断ち切るのは、そうすることにより、大自在に達するからである。」

とお示し下さっておられます。

ですから、現象世界全体を、迷いの産物だとは、おっしゃっておられませんでしたよ。  

私等は、昔から実生活で、精神的に追いつめられて、切羽詰まった状況におかれたときに、
雅春先生の説かれた教えを、まっすぐに信じ 真剣に行じることにより、

つぎつぎに、問題と見える事柄が、好転してきましたので、つまり、理屈ではなく
実体験の連続で、腹の底から、その ほんものさ を体験し認識していることですので、

それを理屈で説明するのは、困難なのです。  つづく

299志恩:2013/02/19(火) 04:06:01 ID:.QY5jUA6
少し勉強した「波動」言語で お話させて頂きます。

言葉も「波動」ですが、現象世界の物体・物質も波動ですよね。

テーブルを普通に見れば、
そこに固い物質としてのテーブルが見えます。しかし、それは
肉体の波動である肉眼で見れば固体として見えますが、、霊的波動の世界から見れば、隙間だらけの物体です。

つまり、
波動の細かい霊の世界から見れば、波動の粗い肉体世界は隙間だらけの世界と言えます。
だから、霊は肉体に入り込む(憑依)出来ると言われています。

そして、波動の細かい世界からみましたら、粗い世界は見える。人間が修行によって肉体の粗い波動を
霊化し、微妙な波動にしていくことで、霊的な世界が見えてくるようになる。

神想観を行ったりするのは

この肉体波動を霊的波動に 作り替えて行くための修行です。

そうすることで、よりスピーディに微妙な神霊の波動に近づける。
そのために、現象世界はない、ない、ないと、自分に言い聞かせ 肉体感覚を否定していく。

つまり、これは、我の否定により、そして、現象世界を否定していくことにより 本源の実相世界に座するすべです。

そして、自我の意識がなくなりますと、真我(神の子人間)の 真実の姿が現れる。

もともとの生長の家の教えは、人間が肉体であるという「迷妄」を脱却して人間の本体とは何かを頭脳ではなく、
意識を進化させることによって把握しようとする宗教ではないでしょうか。

人間の奥の方にある神様の意識に近づく。これは肉体の頭脳だけで なしうることは困難なことです。

しかし、
人間がこの地上に肉体を持って生まれたということは、誰もがこの修行をなさねばなりませんから,何度も生まれ替わって
来ているそうです。

われわれは、転生を必要としない段階まで魂が進化すれば、この段階から抜け出せるそうです。

但し、イエスキリストや、仏陀等の聖者・救世主として生まれ変わってきた方々は…別。

これらの方々は、生まれ かわらなくても良いのですが

地上の人類の救済のために生まれかわって来ていると聞いています。

雅春先生も、そのお一人で いらっしゃるのかどうかは 存じ上げません

300志恩:2013/02/19(火) 04:12:52 ID:.QY5jUA6
ディスカッションを拝見していますけれど、
むずかしいご質問や会話は、
今後も 復興G様、トキ様と おねがいします。

なにせ私は、アッシ言葉じゃないと、江戸っ子なので さっぱり わからないもんで。。

301SAKURA:2013/02/19(火) 05:26:24 ID:RBq1jPYU
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「志恩様」 へ
おはようございます……。     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280 SAKURA投稿の続きです…。

>>242の「志恩様」 へ
遅くなりましたが“お返事…”ありがとうございます。「WEB誌友会」も名目上終わりましたので…
最初に【別板での投稿内容…志恩様(URL…)】を、間違いまして私が此処の【WEB誌友会】にて
投稿しました事を、深くお詫び申し上げます…。後で気づきまして「お詫びの投稿をと…」
その予定でしたが、タイミングが外れてしまいまして、此処で改めましてお詫び申し上げます。

■さて「亡き母」が、当時の“黒人の方との結婚された方との個人相談”の事を、先日此処にて
投稿【聖典 板】致しました。…が?当時の私は、まだ学生でした。…が?今おぼろげなる記憶を
たどりますと、確かその方の“イメ−ジ”は俳優でいきますと「岸田今日子さんの雰囲気」が多分に
あり、育ちの良さがつたわっていましたかと。当時、私は、座敷にいましたので、その方に“お茶”
の差し入れを持って行きました。その時の「会話…><」はですが、私は、ぶしつけに「奈良県の
生まれですか〜〜〜」と確認するように聞きますと、その女性は「現在在中は…奈良ですが??」と
…それでつい「でしたら、出身地は奈良ではなく?出身はどこなのでしょうか?」つかさず聞きますと、笑って「中心なのですが??中心〜〜〜?」と言われた記憶があります。…が?「中心ってどこ??」と、後日「亡き母」に聞きますと、「亡き母…」が、笑いながら「中心は中心なの〜〜〜?
これで〜〜〜終わり?」今にして考えますと「東京出身…」だったのでしょうか??それとも〜〜
私達の同じ氏族だったのかしら〜〜〜ン!「亡き母」の先祖は「元!京都出身…」ですから、今に
してみれば“モット!モット!”聞いていたらとの思いが、致します。?

その方のシグサは、育ちの良さが見えました。…が?もしかしますと「志恩様」とおなじ年齢前後?
でしょうかと思いました次第です。???
「志恩様」も、横浜?高台の方?とか……以前の投稿にて記載されていましたかと…。

最後に“風邪”…云々…とお聞きしていましたが?もう〜〜〜全快されましたのでしょうか??
“お身体”を、お大事に…♫…
                            再合掌
PS:
「志恩様」の文章中…【固定実相…】此の件の私なりの解釈はありますが…此処での投稿は
記載しましても「初心者様」自身が〜〜〜判断されました場合には、おそらく…???かとの
判断があります。ですから「私のブログ」に…記載する事にしました。但し【実相・現象】は、
【教区会員 板】に投稿させて頂きます…。[かわいい感じのSAKURA流 解釈論]なのです。
そして、予定は未定ですが〜〜〜?ころ合いを見まして「ブログ…」紹介させて頂きます…。

PPS:今から【お祈り…】致します…。

302トキ:2013/02/19(火) 09:49:00 ID:9wlISb0c
>>295

初心者様

 ご投稿、ありがとうございます。

>>本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
>>とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
>>なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。

 うーん、まあ、本流復活派と言われる人達の中には、確かに尊大な人はいます。でも、
教団側にも偉そうな人はいます。さらに言えば、先日書いたように、他の宗教団体になる
と偉そうな人はもっとたくさんいます。宗教団体に関係ない人になると、尊大な人はゴロゴロ
います。

 つまり、誰かが尊大な事は、教義の問題ではなくて、その人の問題だと思うのです。

 だいたい、谷口雅春先生は、生長の家の幹部や講師は威張ってもよい、とはどこにも
書いてないと思います。むしろ、静思集なんて本を拝読すると、先生と言われる事は
危ない事だ、といぐらい書かれています。

 だから、生長の家を自称する人が、尊大な態度を取るのは、その人が実は、信仰という
ものを本当には分かっていない、という事を意味するだけだと思います。

 大事な事は、生長の家を自称する人が尊大な態度をとるのを見たら、自分はそうでないか
と省みる事だと感じます。

 余談ですが、ソルジェニーツィンの収容所群島の中で、「善と悪をくぎる線は、民族の
中にあるのでもなく、宗教の中にあるのでもなく、イデオロギーの中にあるのでもなく、
人の心の中にあるのだ」と書いています。

 と、思いますね。

合掌 ありがとうございます

303初心者:2013/02/19(火) 10:10:58 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>その心を、初心者様は全然くみ取っていただいていないのですね。

「くみ取る」の意味がわかりません(おっしゃりたい意味はもちろん理解しておりま
す)。復興Gさまは、一部外者のわたしに問題があると考えておられるのでしょう
か、それとも生長の家の体質に問題があると考えておられるのでしょうか。

わたしの心が変わったとして、それで生長の家の体質が変わると考えておられる
ということなのでしょうか。わたしは20年間、生長の家とはかかわっておりません
でしたが、教団の体質はいぜんよりもひどくなっております。これがわたしの心の
あらわれだとおっしゃりたいのでしょうか。

先日も、「本流は総裁を利用しろ」と書いたところが、「どのように利用すれば
よいのか、あなたは具体的に書く必要がある」といってこられた人があったので、
なぜわたしが説明しなければならないのか、その理由は判然とはせぬものの、
とにかく答えようとおもい、「本流は具体的になにをなさそうとしているのか」と
これ以上ないというくらいにへりくだった態度で質問いたしたのです。

このあたりまえの質問にたいして返ってきた返事が、「(半端者が)一人前の
口をきくんじゃない。これが社会の一般常識だ」というものであったのです。

どうやら、本流になにかを問いかけるには、雅春先生のご著書を熟読したあと
でなければならないというのが、本流の常識ではなく社会の一般常識であると、
その人はおっしゃりたいようでした。

ひと言でいえば、雅春先生のご著書を熟読して、しかもそれを無条件に受け入れた
ものだけが本流と対等に対話できるということになりますでしょう。これが、本流に
とっては、もはや社会の一般常識でさえあるということなのですね。

このような言われ方をするのは、生長の家的には「自分の心に問題があるからだ」
と考えますね。たしかにわたしにも反省すべき点はあるのでしょう。しかしですね、
一部外者のわたしに反省を求めるのか、先日も学ぶ会の電話の応対の尊大さが
問題になったように、以上のごとき、社会の一般常識とはおよそかけはなれている
としかおもえない対応が常態化しているとおもえる本流に反省を求めるのか、と
なったときに、それでも復興Gさまはわたしに反省を求めるとおっしゃられるので
しょうか。

304初心者:2013/02/19(火) 10:20:54 ID:4YcI.wfQ
志恩様

「固体の実相」とは、すでに申し上げたように、多くの信徒の方々が、雅春先生が
説かれる実相世界を現象世界とよく似た世界と思い込んでいるフシがある、と
いうことです。思い込んでおられないのであれば、話がしやすくなるので問題は
ありません。思い込んでおられるとしたなら、これはやっかいな話です。

305初心者:2013/02/19(火) 11:47:39 ID:4YcI.wfQ
トキ様

わたしがとくに申し上げたいのは、「人間知」という言葉に代表される尊大さ
です。世の中に尊大さを売り物にする輩は少なくないにしても、「人間知」にたい
する批判を売り物にする尊大さは、あまり聞いたことがありません。

雅春先生は、医薬に関係する近代的知性を批判する形で登場なされたはずです。
雅春先生のお考えのなかにも、「人間知」にたいする批判や否定的心情は間違い
なくおありだろうと考えます。

生長の家に根強くはびこっているであろう、人間知をことさらに蔑視しようと
する感情的傾向が雅春先生の教えと無関係であるとは考えておりません。

306復興G:2013/02/19(火) 12:16:04 ID:AB6RqYXc

>>303 :初心者様

私は、
≪「万教帰一」と言いながら、生長の家を信奉する同士が分派をつくり罵りあい争いあっている、生長の家というのはお家騒動の家だ、ということで有名です。こんなことで、それは仕方がない、俺の知ったこっちゃない、あいつらが悪いんだ――とお考えなのでしょうか。
お伺いします。≫

と、お伺いしました。
それに対するお答えは、結局、

<自分は20年間、生長の家とはかかわっていなかった一部外者である。だから、生長の家がどうなろうと、俺の知ったこっちゃない。それは信徒が悪いんだ。谷口雅春先生の教えにも疑問がある>
――とお考えだということになりますか。

307初心者:2013/02/19(火) 12:28:49 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしは以下のようにお尋ねいたしております。雅春先生の教えのなにを知ったと
おもい、なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度が
とれるようになるのでしょうか。この問いかけにたいするお答はいただけないので
しょうか。

これまで、わたしがいったいどれだけ「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」、「五感知」
といった表現で否定的にあつかわれてきたか、復興Gさまはおそらくご存じないで
ありましょう(あとはまあ、人格攻撃に身元詮索、揚げ足取りや重箱のすみをつつく
がごときくだらぬ批判ばかりです)。

否定的にあつかわれるだけならまだしも、具体的にどこがどうだから人間知なの
だ、といった応答は皆無です。いっさい説明なしに否定的な言葉を投げかけられる
だけです。

さくら様とやりとりしている最中にもたびたび割り込んでくる人があり、なにを
いうかとおもえば、「コントだ」、「漫才だ」、「五感知でしか考えられないことを恥じ
よ」というだけで、具体的なことがらについてはなにもコメントなされません。

こうした傾向はホープ様にも見受けられます。「真の生長の家の教え」でまわりを
囲い込み、それ以外は「虚説」として排除しようとしておられます。「人間知」が
「虚説」に置き換えられただけで、あとはまったく変わり映えのしないことを
やっておられるだけです。

「虚説」の内容については、理解できないことを口実に、具体的なことがらはほと
んどいっさいなにもコメントしようともしておられません。反論があっても、理解で
きないのを口実にいっさい応答しようともしておられません。尊大な態度をとり
たがる輩たちとはいささか異なった新バージョンではあっても、まったくの焼き直
しでしかないといえます。

聞くところによると、「虚説」を連発されるホープ様にたいして、復興Gさまは「神の
声を聞かせてください」とおっしゃられたとか。これは事実なのですか。もしこれが
事実であるとすれば、復興Gさま、あなた様はなんとなさけないことをなさって
おられるのでしょう。

「真の生長の家の教え」がなんであるかは存じませんが、雅春先生の教えのなにを
知り、なにがわかれば、それを「真の生長の家の教え」と名乗り、それとは異なる
考えを「虚説」としてしりぞけることできるようになるのでしょうか。復興Gさまは、
いかなるご所存で「真の生長の家の教え」に迎合しておられるのでしょうか。

わたしがいっているのは、以上のごとく、そのほとんどがわたしの個人的なことが
らに属する問題です。「生長の家がどうなるのか」ということまで、一部外者でしか
ないわたしに考える責任があると、復興Gさまはいっておられるのでしょうか。問い
かけの意味がまったく理解できません。もっと明確に述べていただけますでしょうか。

308初心者:2013/02/19(火) 12:59:57 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

尊大な態度をとりたがる輩、しかり、ホープ様、しかり。教えのなかに人をそうさせ
るなにかがある。ちがいますか。

これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてその
ようにさせるなにかがある。これはその構造の問題であるというのがわたしの
予想です(唯心所現で問題を解決しようとしても構造は温存されるだけです)。

教えの構造。日本語の言語構造。わたしにできることがあるとすれば、これを
いくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしに
は荷が重すぎる課題です。

309トキ:2013/02/19(火) 14:22:22 ID:9wlISb0c
初心者様

 「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」、「五感知」というのは、自分を戒めるために使う
用語です。他人を攻撃するために使う時点で、それは谷口雅春先生の教えから逸脱していると
思います。その点は指摘したいとおもいます。この場合、問題にすべきは智慧ではなくて、愛
の問題です。普通、他人にそれを言うのが失礼で、思いやりがない発想であることがわかれば
そういう使い方をしないと思います。

 ところで、初心者様は、生長の家部の掲示板で行われたバトルの原因が、教えの構造にあると
お考えです。まあ、この点は、管理人がいい加減なためである、と考えるのが普通だと思うので
すが(笑)、それならば、疑問に感じるべき点はあると思うのです。

 これは、以前にも申しましたが、他の宗教の掲示板でも、この手のバトルはよくあります。
生長の家以外の宗教でもバトルもあります。宗教以外の世界でもバトルはあります。これらは
生長の家の教義とは全く関係ない場所で行われています。無論、生長の家の世界で、こういう
事が起こっているのは問題ですが、しかし、他の世界でも起こっているのは、教義の構造とは
無関係だという証明になるとは思います。

310初心者:2013/02/19(火) 14:33:31 ID:4YcI.wfQ
トキ様

それでは、「人間知」と批判する人たちに批判の根拠をあたえているものとはなん
なのでしょう。

311復興G:2013/02/19(火) 14:46:08 ID:AB6RqYXc

>>307 :初心者様。

>>わたしは以下のようにお尋ねいたしております。雅春先生の教えのなにを知ったとおもい、なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度がとれるようになるのでしょうか。<<

雅春先生の教えで、生長の家の教えは「常不軽菩薩の教え」であると言われております。常に人を軽んぜず、すべての人に仏が宿っているとして、すべての人を拝む。たとえ「そんなことがあるものか」と石をぶつける人がいても、石の届かぬ所まで逃げてまた「あなた様も本来仏でいらっしゃいます」と拝んだという常不軽菩薩のように、すべての人が本来仏(神)であるとして拝むのが生長の家であると教えられています。

それだのに、「本流」を名乗る人々、「谷口雅春先生を学ぶ」と言っている方たちの中にも、尊大な態度をとる方たちがいらっしゃることは、私も過去において感じたことがあり、「谷口雅春先生を学ぶ会」は「――学ばない会」になっているのではないか、と感じたので、同会に入ろうと思ったたことはありません。今は変わってきているのかも知れませんが。

ですから、
>>なにがわかったとおもえれば、本流やその他の人々のごとき尊大な態度がとれるようになるのでしょうか。<<
に対するお答えは、
「教えのわかり方が足りないとき、尊大な態度がとれる」
のではないかと思っております。

「神は、すべてものものを自分自身として見給う。」
その神のように生きよう、というのが生長の家であると思っております。

そして、総裁もおっしゃっていますように、すべては観世音菩薩の示現でありますから、すべてのものに神のみ声を聴くという姿勢で生きたいと思っております。

初心者様のお言葉にも神のみ声を聴きたいし、a hope様のお言葉にも神のみ声を聴きたい。ですから、a hope様に、「神の声を聞かせてください」と申しました。それがなぜ、「なんとなさけないことをなさっておられるのでしょう」ということになるのか、不思議です。

私は、a hope様に「尊大な態度」を感じたことはありません。いや、とても謙虚でひたむきな信仰姿勢を感じています。

しかし、「迎合する」という気持はなく、私はわが内なる神のみ声に従って行きます。

>>「生長の家がどうなるのか」ということまで、一部外者でしかないわたしに考える責任があると、復興Gさまはいっておられるのでしょうか。<<

私は一度もそのようなことを言った覚えはありません。

312復興G:2013/02/19(火) 14:56:58 ID:AB6RqYXc

私はこれから所用で出かけ、次は夜にお目にかかります。

313トキ:2013/02/19(火) 15:02:04 ID:9wlISb0c
 これは、法律に詳しい友人が話していたのですが、過失犯の問題を考える時に、「直近過失論」という発想をするらしいです。

 例えば、交通事故を起こしてしまった場合、起こした事故の原因となる「過失」を考える必要があります。すると
すると、事故の原因になる事実がありますが、その事実が起こる前には別の事実の存在があります。それをどんどん
追求して行くと、ついには収集がつかなくなります。例えば、交通事故で人が死んだのは、自動車という乗り物が
存在したからだ、というところまで行き着きます。だから、ある程度のところで、切るのが普通になっています。
で、普通は、その直近の過失に限定して、責任を追求するらしいです。

 掲示板で何かバトルが起こった場合、例えば、バトルを起こした人の悪意とか、管理人の過失を問うのは自然で
すが、それをどんどんと観念論的に追求して、生長の家の教えが原因だ、と言われるのは、論理の飛躍があると
感じてしまいます

 昔の唄に、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全部、おいらが悪いのよ」というのがあったそうですが、
その世界になってしまいます。

 つまり、観念論的な責任の追求は、ある時点で切らないと、おさまらないのではないか? と感じる次第です。

314トキ:2013/02/19(火) 15:20:13 ID:9wlISb0c
>>310

 この文章を読む前に先の文章を書きました。

 たぶん、人により動機は異なると思います。安易な文章を書く事は、掲示板の安全上、控えたいのですが、
智慧が足りないか、愛が足りないか、という事でしょうか。その動機をひとくくりにするのは、危険かも
しれません。

 争いはやはり、双方に何かが足りないからだと感じています。

315トキ:2013/02/19(火) 15:54:49 ID:9wlISb0c
>>311

 確かに、本流復活派の人の中には、ものすごく尊大な人もいると感じて事はあります。
その意味では、初心者様の発言は理解できます。

 まあ、かく言う私も、生長の家今昔物語では、総裁=初心者=トキ と同等の扱いを受けているので
すから、初心者様も少しは私の苦労も認めて欲しいのですが(笑)、それは、自分自身の反省の材料だ
と考えるべきだと思っています。

316トキ:2013/02/19(火) 16:20:32 ID:9wlISb0c
 今、少し考えてみました。

 例えば、組織に入って、運動をする。その時に指導者が、先ず、信仰を第1にしなさい、というか、
それとも、活動を第1にしなさい、というかで、差が大きいと感じます。見ていると、信仰を第1にし
なさい(本当は、それが当たり前なのですが)の人は常識があり、円満な人が多いですが、訳が分からず
活動に邁進していた人の中には、どうかという人もいました。

 あと、これは共産党の話ですが、以下の

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/takahasisira.htm

白鳥事件の弁護人岡林辰雄弁護士をめぐって

という文章は考えさせられます。つまり、個人としては、「良い人」なのに、組織が関わると、「暴走」する
という事実です。この傾向が強い人は、「暴走」する傾向が強いと思います。

 つまり、組織の一員である、という自覚(それも大事ですが)、一人の信仰者である、という自覚から
出発しないと、おかしな事になると思うのです。これは、本流復活派、教団側にも言えると思うのです。

 今、問い直すべきは、本流復活派も教団側も、自分が一人の信仰者である、という立場から出発する事が
大事だと感じます。

317初心者:2013/02/19(火) 16:20:45 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>私は一度もそのようなことを言った覚えはありません。

これは「一部外者には言っていない」という意味なのでしょうか。明確な説明を
求めたつもりなりですが、これではなにをおっしゃりたいのかまったくわかりま
せん。謎をかけるような真似はやめていただけますでしょうか。

>初心者様のお言葉にも神のみ声を聴きたいし、a hope様のお言葉にも神のみ声を聴きたい。ですから、a hope様に、「神の声を聞かせてください」と申しました。それがなぜ、「なんとなさけないことをなさっておられるのでしょう」ということになるのか、不思議です。

そうですか、相手が誰であっても神の声を聞こうとしておられるということです
ね。

>>168 >>170 のさくら様のご投稿は復興Gさまに宛てたものですよね。この
書き込みを読んで復興Gさまはなにもお感じにならなかったのでしょうか。

わたしには、

>わたしは、復興Gさまが、なんと素晴らしいことをいうのでしょう、とお認めになる、
ホープ様のご想像の
実相など、わたしは持ち合わせてはいません。
わたしは、神から作られた、
ただ唯一の実相があるだけです。
そこには、虚説もサタンも、ありません。


>わたしにも、否定してもしきれない、誰にも分類されたくない、
真実の体験があります。
誰にでも、真摯に生きていれば、真実の体験がありますよね。
そこには、真だと偽だと、誰かに判断され、分類されることもありません。
否定されれば、怒りも感じことがあります。

といっておられるさくら様の言葉から、さくら様の心のそこからの叫びが聞こえて
くる気がいたします。ホープ様のあの浮ついた決まり文句とは比べるべくもない
悲痛な叫びが聞こえてまいります。

これにたいする復興Gさまのご返信は形ばかりのものでした。復興Gさまには、
さくら様がなにを訴えられようとも「精力的な書き込み」としてしか感じられない
ということなのですね。

浮ついた決まり文句に神の声を聞けても、心の叫びには神の声を聞こうとなされ
ない。復興Gさま、きれいごとでご自分を飾られるのはいい加減になさったらいか
がですか。訊け様はどうしてこちらに出てこられないのでしょう。なぜ参加なされ
ないのですか。なにかあったとは聞きましたが、くわしいことは存じません。

>「教えのわかり方が足りないとき、尊大な態度がとれる」
のではないかと思っております。

そうですか、ではわたしにたいして「人間知」、「頭脳知」、「脳内運動」と尊大な
態度をとった人たちは、全員「教えのわかり方が足りない」人たちとみてもよい
ということなのですね。誰がいったかということを、おそらく復興Gさまはご存じ
ないでしょうけども、「わかり方が足りない」人たちと考えてもよいということなの
ですね。

ところで、ホープ様は、「虚説」、「二元論」、「唯物論」といった言葉で他を批判し
否定するような言動をつづけておられるようにおもわれますが、これは「わかり
方」が十分に足りたうえでの発言であると復興Gさまはみておられると判断いた
しました。

ではお聞きいたします。「わかり方」が十分に足りたホープ様は、教えのなにを知
り、なにをわかったうえであのような言動をつづけておられると復興Gさまは
考えておられるのでしょうか。これをお尋ねいたします。

318SAKURA:2013/02/19(火) 16:45:06 ID:b4gcQJKI
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
おはようございます……。     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>199>>200>>202>>203>>212>>214>>215>>216>>218>>226>>238>>247>>253>>254>>256
>>259>>280>>301>> SAKURA投稿の続きです…。

■此処【WEB誌友会…】 の展開は【有限なる世界観〜〜〜】なのでしょうかと??
そうです〜ネ!【 出口のない討論会 】に、末端信者(献金斜陽族)として個人的には見えます。
閲覧していきますと、果たして【疑問点…】が、浮かんでまいりました。…が?

❤【人を救う哲学…その展開論がみえませんし……唯!空論展開でしょうか??信者は?一般は?】

昨日は「志恩様の投稿」に【固定実相…】についての記載がなされていましたから、私は、正直
仕事の合間に【固定実相…】について考えていきますと、実に“面白い事〜♫〜”を発見致しました。
これに関しましては「雅春先生」も記しているように思いますが、やはり“具体論…”になって
いきます。そして【真理…哲学の門】の1ペ−ジを、ひらく事に成りますのではないかと。

さて、私は此処で“投稿…”をと思いました。…が?ストップ・モ−ションです。何故ならば、今
までの「初心者様の討論内容」を閲覧させて頂きながら?私の知識許容範囲内での判断は、全てに
起きまして【具体論…】が見えませんし、まず一番に感じます事は、閲覧して下さいます方々が〜
拝読されました時に……?

■果たして“幸福感〜❤”はいかがなものでしょうか? 幸福感?失せてしまいますのでは?

更に私などの末端信者が、現在投稿しましても、此処「管理人様…」は?殆どと云っていい程、
現在に於きましては、“スル―”されていますから、こちらも前以上に“投稿…”に関しましては、
それなりの事を踏まえましての投稿内容・タイミングでしょうかとも?こうなりますと…此処での
【WEB誌友会…】の意義は如何なものなのかと…此処にいたり「原点…」つまり従来の【誌友会…】
の意義との比較を否応なしにせざるおえない状況下でしょう?
これでは〜〜〜【人 を 救 済 … 心に残る真理の言葉】は〜〜〜??

最後に、今回のヒント【固定実相論…】は面白いので、私の“プログ…”に載せました。…が?
ただ、これが“引き金…”になりまして、モット専門家であります「哲学者の皆様」が投稿されて
参られますと…私もどうしようかしら〜〜〜ン!(冷汗><)と思っている所存です。何度閲覧
しましても、具体論はどうなるのでしょうか〜〜〜??此処では【大学講義…】なの〜♫でしょうか?

余談ですが、私の聴覚喪失の原因の【タタキ男…】は〜〜〜
【上げ足論法 => 話をドンドン反らしていきます事には“天才”的でしたが〜〜?】ある人の
“言葉…”にこの【タタキ男…】の話しぶりには100%中90%はその話に載せられる人物像と…
個人的に「初心者様」を見ますと【タタキ男…】に“ダブって”みえてしまいます。…が?

                                  再合掌
PS:余談ですが…吸血鬼・ゾンビの中には「学歴詐欺…」が多いのでしょうか?
…特にこの中の「B○という女性」は、すぐさま【東筑…】と二言目に云いまして、以前私の勤めて
いました“オ―ナ―”もこのインパクトが強く…随分とこの人物に関しての金銭的問題で〜振り回
され〜時間の無駄をついやしてしまい…そのような思い出があり…今回も大事な時期【裁判】にて…
当時の事を、思い出させられます感じを抱いてしまい〜〜〜ましたかと。

319a hope:2013/02/19(火) 17:01:22 ID:TqpbsVIM
初心者さま   

謹慎中ですが、初心者さまやさくらさまが、あまりにわたしのこの掲示板での発言を、
いい加減に利用されて、間違ってみなさまにお伝えされているようなので、
そういう、みなさまに誤解を与えてしまうような行為だけはやめていただきたくお願いにあがりました。

たとえば、>>317

>>ところで、ホープ様は、「虚説」、「二元論」、「唯物論」といった言葉で他を批判し
否定するような言動をつづけておられるようにおもわれますが、<<

それは、事実でしょうか?
事実であるなら、わたしの今までのそれに関した発言をすべて、ここに添付してくださいませんか?

さくらさまのお言葉だけ添付されて、わたしの発言をしていただけないのであれば、
初心者さまのお言葉は真実味に欠けるのではないでしょうか?

以上、お願いにだけまいりました。

よろしくお願いいたします。


復興Gさま

初心者さまへのご質問へのお返事は、初心者さまがそれをされてからになさってくださいね。

よろしくお願いいたします。

320初心者:2013/02/19(火) 17:52:26 ID:4YcI.wfQ
ホープ様

>それは、事実でしょうか?
事実であるなら、わたしの今までのそれに関した発言をすべて、ここに添付してくださいませんか?

わたしの言葉をどうやら理解しておられるようですね。「理解できないの」とカマ
トトぶっておられたということですね。

「すべて添付」といわれてもこまります。わたしは、「言動をつづけておられるよう
におもわれる」と婉曲に述べたつもりです。すべてでなくともよいでしょう。

>>79の書き込みだけで十分でしょう。このなかでホープ様は、「二元論」の
表現を二度ほどお使いになられて、総裁の考えを「すべて虚説」と断じきって
おられますね。ご自分の文章です。お読みになってください。

「虚説」ということはたびたび言っておられるのはあきらかですね。「唯物論」
にかんしましてもどこかで使ってはおられるでしょうけども、それがどこかは
わかりません。

いずれにしても、わたしは「言動をつづけておられるようにおもわれる」と
の婉曲な表現をもちいたのですから、「事実でしょうか?」といわれても、
たぶん事実でしょうとしかお答えすることはできません。たぶん事実だと
おもいます。

それとですね、「体調をくずした」とことあるごとにいっておられますが、それは
復興Gさまがいっておられるように、総裁によってダブルバインドをかけられた
結果そのようになられたということでしょう。

これはこちらで述べてよいことはわかりませんけども、おそらくホープ様は、生育
のある段階で強烈なダブルバインドをかけられつづけたのではないですか。

これ以上のことは申しませんけども、なにかが起こったからといって、霊的なもの
ごとやそれに類するものごとに短絡的に結びつけて考えるというのはいかがな
ものでしょう。もっとふつうに考えようとはおもわれないのですか。

321わたし:2013/02/19(火) 17:54:45 ID:CEjZCaQI
>>308 初心者さま

一介の信徒です。

「「これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてそのようにさせるなにかがある。
これはその構造の問題であるというのがわたしの予想です。
教えの構造。
日本語の言語構造。
わたしにできることがあるとすれば、これをいくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしには荷が重すぎる課題です。」」

初心者さまも「言語」に触れておられますが、言葉あるところには対立の可能性があり、傲慢な態度を生じさせる可能性があります。
これは、言葉の根本的な性質です。

ですから、こうした問題を根本的に超えるには、言葉を超えなければなりません。
もっと正確に言うならば、「思考を超える」ということです。
最も正確に言えば、「自己を超える」ということです。

私のこの言葉も、もちろん対立・傲慢の要因となります。

ですから、インドの聖者などは「沈黙」をもって語ります。
自然界のごとくに。

広がる青空、流れる雲、清流のせせらぎ、打ち寄せる波、水平線に映える夕日・・・

自然は、言葉を持ちません。
彼らは、沈黙をもって語りかけます。
それゆえ、自然は美しいのです。
荒涼としているかに見える砂漠でも、生命の住めない宇宙の星でも、そこには神の霊気というべき何かが満ちています。

自然は、対立の言葉にも傲慢の言葉にも、何も言葉を返しません。
自己を持たないからです。
言い換えれば、エゴがない、ということです。
それゆえに、自然は美しいのです。沈黙は美しいのです。

生命の実相といえども、甘露の法雨といえども、言葉をもって語るという問題があるのです。
言葉あるところエゴがあります。
それを超えるものは、沈黙以外にはありません。


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