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1469SAKURA:2012/10/20(土) 18:10:47 ID:rwd7gX3g
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自分のメッセージを聞く ) 
―――――  ►► 自分のメッセージを聞く ◄◄ ―――――

|❤わたしはなにか恐ろしいことも聞くのではないかという気がします。
|わたしたちのこころのなかにはなかなか取り出しにくいものがたくさん
|ひそんでいるのでしょうね。それが表面にあらわれると、あまりに多す
|て扱いにくくなるのでしょうか。そのために精神分析医というものが
|存在して、隠れているものを掘り起こさせ、ふるいにかけ、そして終局
|的には、そこからわたしたちを解放しようというわけですね。

 もちろん、精神分析医は人がなぜ自分自身を虐待しているかという理由を
明らかにさせるという点では、おおいに役に立つことができます。多くの人
のなかには自分が自分に害を与えていることにこころを奪われていながら、
その理由がわからない人たちもおります。精神分析医はそうした人たちの自
己破壊的な悪循環を断ち切る方法を提示する唯一の存在です。

 人間の成長期にはいくつかの障害があります。それはときには他人によっ
てすえつけられたものもあり、わたしたちがわざわざ努力して保存しておく
ものもあります。この障害物を乗り越えさせてくれるのも精神分析医の仕事
なのです。

                        (つづく)

1470SAKURA:2012/10/20(土) 18:13:35 ID:rwd7gX3g
トキ様 へ  観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1469からの投稿の続きです…。

 ですから、精神分析は解放された人生を送るためのひとつのすぐれた方法
なのです。はじめて患者が寝椅子に横たわったとき、それは人類にとってま
ことに大きな一歩でした。しかし、あなたは分析を受けるためにかならずし
も、寝椅子に横たわる必要はありません。わたしは電話による分析に成功し
たこともあります。また、たとえ分析医にかかっていても、自分自身でも分
析を行なわなければなりません。分析がときどきかなり長期にわたるときが
ありますが、その理由は変化というものが本質的に患者自身には必要だとい
うことを患者が理解してくれないからです。なかには、どんなに深い洞察力
を体得しての、またどんなに多くの情緒的なカタルシスをとげたとしても、
変化が生じないことがあるのです。

                           つづく
PS;トキ様 へ
今回の様に、自分自身にとって“マイナス要素”のものは、多々なるこじつけにより、
それを受け付けない?仮に受け付けたとしましても…逆に“マイナス”ダウン!ダウン!
転げ落ちて…落ちるところまで落ちる?その様な道しかないのかと…そのように不安材料
にもなりますでしょうか??
しかし、この時だからこそ【信仰…真理…】素なのです〜〜〜ョネ!
【心の法則…】にて、ポジティブなる感情に持っていけるその事を、導くのが…
「生長の家…」の信者の皆様の「使命…」でしょうか?
ですから、以前以上に多々なる条件下でも“救済…”出来ます己自身に成る必要性と、
日々の【真理…探究心】でしょうか??
この点は?如何なるお考えをお持ちでしょうかしら〜〜〜ン??

1471ハマナス:2012/10/20(土) 22:44:15 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

苦痛も「妄心」にある  (『新版 生活の智慧365章』P.267)

 胃潰瘍を手術する場合に。患者にクロロフォルムをかがせますと、脳髄を機関として働いて
いる「妄心」が麻酔します。「妄心」が麻酔しますと、もう潰瘍の痛みが感じられなくなります。
肉体に潰瘍はまだ依然として存在しているのに、潰瘍の痛みが感じられないのは、「妄心」が
麻酔しているからなのです。痛みは肉体そのものにはないのであって、「妄心」にあるのだと
云うことがわかります。
 麻酔からさめて「妄心」のはたらきが蘇生(よみがえ)って来ますと、手術した後の痛みが
感じられて来ます。「妄心」を「真心」に置きかへ「真心」が表面にあらわれて、人間の実相が
「神の子」であり、霊的実在であり、未だ嘗て病まざるものであり、これからも病まざるもので
あり、仏身、金剛身、不可壊身であると悟ることがきでるまでは、本当の健康は永続しないので
あります。

感謝合掌

1472ハマナス:2012/10/21(日) 23:19:14 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

エーテル体と妄心(「新版生活の智慧365賞P.268」)

「自分」と普通みとめている「身(しん)」は、物質身ではなく霊身、金剛身、不可壊身であります。それに、「エーテル体」「幽体」等の知覚身、感情身がからみ合い、その表面に知覚と感情によって動かされ行動する「肉体」が包んでおります。エーテル体は物質的自覚を生ずる「妄心」の“座”でありまして、行動便宜上、自分を物質として感ずると同時に、肉体を物質としてあらわしているのであります。そして幽体は感情を生ずる妄心の“座”でありまして、その感情の動揺が肉体面に表現されて病気となります。

肉体を物質としてあらわしているのは、これらの「妄心」でありますから「妄心」の“座”である「エーテル体」や「幽体」が、臨終によって肉体から去りますと、肉体としてあらわしている体は、それを持続する力が去りますから、その姿形が崩壊してしまうのであります。しかし金剛身、不可壊身たる霊身は「本当の自分」であって、肉眼には見えないでも、壊(くだ)けないで永遠の存在であります。

感謝合掌

1473a hope:2012/10/22(月) 07:49:07 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦腹立つ事を止めると胸が丈夫になる


一八七九年、ハーバード大学のゲーツ教授は、或る患者の呼吸から出てくる沈殿物(したにたまるもの)について研究した実験録を発表しました。

その報告によりますと、患者にゴム管をくわえさせ、ゴムの管(くだ)を通して、
或る薬品(ある元素の沃化物〈ヨードとほかのものとのかこいしたもの〉)の液体の中に導き入れます。
そのゴム管は氷をもって冷やして、息の中の瓦斯体が凍って液体となり、薬の水の中へ入れるようにしてあるのであります。

患者の心が静かで気持の好いときには、いくら時間がたってもその薬の液体には何の変化もありません。
ところが、患者が急に怒りはじめたとき、五分間ほどしましたら、その薬の液体の中に褐色の沈殿物が出来たと云うのであります。

この褐色のおりをとって人間や動物に注射しますと、その人間や動物が、怒ったように、興奮したようになったと云うことです。
すなわち、怒ると云うことは、そういう毒素を身体から製造し、息の中からまでも、その毒素がでていると云うことをあらわしております。
その毒気が息から出るとしますと、毒気は肺臓を通って出るのですから、肺臓に害を与えているのは明らかなことであります。
肺を病んでいる諸君、胸が弱いと云う諸君、腹立てていることを止めると胸が丈夫になります。

またゲーツ教授は、愛する子供が死んで非常に悲しんでいる婦人の口に、ゴム管をくわえさせて、
同じような実験をして見ましたところが、薬の液体の中に灰色の沈殿物が生じたと発表しています。

そこでゲーツ教授は、色々の実験の末、次のように申しました。
「腹立ちや、悪意や気鬱(こころがふさぐ)は人体内に害の有る化学薬品をこしらえる。その中には非常に毒性のつよいものもある。
これに反して、楽しい、愉快な感情は、生理作用をととのえ、細胞のはたらきを活発にする栄養剤となる薬品を身体の中で製造する。」
(つづく)

1474ハマナス:2012/10/22(月) 23:49:20 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

病気は夢である  (『新版 生活の智慧365章』P.269)

 人間それ自体は、金剛不壊の存在でありますから、病気は一つの夢にすぎません。薬物で
治ることもあるが、それは「薬で病気が治る」と云う信念で、夢の中で「治ると云う夢」を
見るのです。「夢である病気」が夢によって治ったとて不思議ではありません。しかしまた
夢の中で再び夢を見るのは止むを得ません。何故ならその夢が覚めていないからであります。

 真に自分が「金剛不壊なる霊的実在」であると悟るならば、その悟りにバックされて、
たとい夢を見ても、今後は、病気の夢など見るものでありません。「人間は金剛不壊であって
病気はない」と信じなさい。そして元気を出しなさい。元気を出せば、体力はそれに比例して
元気になります。肉体を動かしているのは「エーテル体」と「感情体」ですから感情が滅入っ
てしまって、元気を出さない限り、肉体は健康になり切れません。

感謝合掌

1475a hope:2012/10/23(火) 07:13:00 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦世の中は自分の心の鏡


『世界は、人々に人々自身の払っただけの貨幣を支払う』と云う諺があります。
あなたが世界に対して微笑(ほほえ)みかければ、世界もあなたに対して微笑みかけるのであります。
あなたが世界に対して渋面(にがいかおつき)すれば、世界もあなたに対して渋面するのであります。
あなたがやさしく世界に対して歌いかければ、世界もあなたに対して歌いかけるのでありましょう。

「もし、もし」と呼びかければ、「え、何ですか」と答えますが、「おいこら」と呼びかければ「え、何じゃ?」と鋭い顔でこたえるでしょう。
「坊ちゃん」と呼べば、「ハイ」と答え、「坊や」と呼べば、「ウン」と答える。
「お前馬鹿だな」と云えば、「お父ちゃんだって馬鹿だよ」と答えます。
売り言葉に買いことば、こちらの出した価(ねだん)だけのものが帰ってまいります。

あなたが世界を愛すれば、世界はあなたを愛してくれるのです。
あなたが世界に貢献(ためになることをする)すれば、世界は貴方によい待遇(もてなし)を与えるでしょう。
この世界をつまらないと見れば、つまらないことが、世界から貴方に帰って来るでしょう。

あなたが人類を愛せば、人類が集まって来ます。
あなたが友達を愛せば友達があなたを愛してくれます。
こちらが世界に何ものもささげないでいて、世界から何か自分に都合のよいものを貰おうと思ってもそうはまいりません。
(つづく)

1476「訊け」管理人:2012/10/23(火) 08:24:50 ID:???
『希望実現の鍵』84頁より謹写――

 天地一切のものと和解するという事は、ただたんに表面の心で、自分は彼を赦しているというような浅い赦しようでは足りないのであります。
 詳しく言えば、赦すなどという観念がすでに相手の悪をみとめていることになっているのであって、それでは、すべての人間が吾が子として愛し給う神の霊波に波長が合わないのである。心の隅のどこかにでも、誰かが自分に悪意をもっているとか自分に害を与えるとかの考えを捨てることができないでいる限りは、神は創造に何かまだ不完全があると信じているということになっているのであるから、それはまだ神と完全に和解しているということができないのである。
 祈りがきかれる為には神と和解しなければならない。神と和解するためにはこの世の中に、赦すべき必要があるような人間をまだかつて神は造り給うたことがないという深い信念にまで到達しなければならないのである。もし「赦さねばならぬ人間」が自分の目の前に現れていて消えないとするならば、それは、神がかくの如き人間を造ったのではなく、自分がまだ神の造り給うたこの世界にそんな不完全な人間があるという迷いを持ち続けている証拠であるから、間違いは自分の方にあるのであって、神の創造に間違いがあるのではないのである。
 だから吾々は相手を赦すどころか自分を赦し給へと祈らなければならないのである。「神よ、吾が信仰浅きを赦し給へ」と祈ったイエスの弟子のように、「神よ吾信仰うすきを赦し給へ、あなたのお造りになりましたこの世界には不完全なものはないのであります。あなたの造り給ひしそのままの完全なる世界が、どうぞ私の目にみえるようにして下さいませ」と祈ってから、しばらく黙して「神の無限の智慧が流れ入り来て一切の悪とみえるものが自分の目の前には消えてしまった」と念じて感謝をもってその祈りを終わるようにすればいいのである。

1477「訊け」管理人:2012/10/23(火) 08:28:15 ID:???

『希望実現の鍵』71頁より謹写――

 数週間の間、何事も順調に進んでいる様に見えました。所が突然、或る日その映画会社の作品を配給していた会社との契約が切れ、その作品のことは継続されませんでした。そこで彼は再び解雇されることになりました。けれども彼は失望しませんでした。素直にその運命を感謝して受け、更に一層よくなる始めであると信じていました。
 所がその映画会社のプロデューサーが一通の紹介状をニューヨークの某映画会社宛に書いてくれたのです。その映画会社は有名な映画会社でした。突然彼の収入は増加し、彼の権威は、彼の位置は益々重要となりました。一年たたない中に彼は嘗て編集者として受けていた最高のサラリーの2倍以上を得るようになりました。3年経たない中に当時の3倍以上となり、年々歳々その収入は増加し、3年経つと最初のサラリーの5倍以上のサラリーとなり、6年経った頃には、小説編集者として解雇された時の10倍以上も収入のあるようになりました。

 そこで皆さん考えてください。この人にとって悪いニュースというのは一体どこにあったのでしょうか?考えて見まするに、すべては尚一層よくなるために神が導いていられる事を見出すのです。

 それは唯偶然と思われるかも知れませんが、それはすべて偶然ではありません。自分の周囲に出てくる所のすべてのものを自分を生かす神の深切なる導きとして感謝して受ける時、すべてのものは好転してくるのであります。子供の教育も矢張りそれと同じことがあるのであります。子供に現はれるどんな悪しき状態でも結局それは、よくなるより仕方がないところの神の導きであると信じて実相を拝んで居れば、きっと子供はよくなるのであります。一見悪と見えることも決して悪と見てはいけません。そのまま素直にそれをうけて、きっとよくなる始めである、神の造り給うたこの世界には決して悪はないのである、神の造り給うた人間は必ずよくなるより外に仕方がないのであると素直に信じて拝んで行けば、如何なる境遇でも運命でも子供でも全部よくなるより仕方がないのであります。

1478「訊け」管理人:2012/10/23(火) 08:29:06 ID:???

『希望実現の鍵』79頁より謹写――

「ユニティ」の1948年10月号の週刊誌より――

 紙の上に一方に人間を描き、一方にその人間に飛びかかろうとしているライオンが描いてあるとする。人間を善であるとし、ライオンを「悪」であるとする。しかし、本来「人間」もなければライオンもないのである。善もなければ悪もないのである。それはただ同じ紙の上に描かれたる絵にすぎないのである。鉛筆で描いた輪郭を消してしまったらライオンも人間も結局同じ本質の紙にすぎないのである。そこで人間がもしライオンの外形を見るならば恐ろしいかもしれないけれども、そのライオンの本質を見てライオンにこう言えばいいのである。
 「私は紙である。キミもまた紙ではないか。ライオンなんて存在しないのである。自分の生命とキミの生命とは本来一つのものである。だから私はキミを恐れたりなどしないよ。キミと私とは本来一体なのだからキミはキミ自身を害することはないし、又私は私自身を憎むことはないのだ。」
 こうわかってしまえば、世の中に恐ろしいものはないのである。すべて世の中に現われている形は吾々が「想念」でその輪郭を描いた所の影にすぎないのである。そしてその本質は皆神の生活であるから、互いに害し害されることはないのである。この真理を知れば如何なる場合にも恐れることはないのであり、あらゆる難問も解決され、憎み、恐怖、嫉妬、猜疑等の如き悪循環は悉く消えてしまうのである。そして一つの兄弟であると感謝できる筈である。この真理をしることが即ち「汝は真理をしらん、真理は汝を自由ならしめん」とのキリストのいい給いし所以である。あらゆる人生の善と福との実現すると否とは、この真理を知ると否とによって別れるのである。

1479SAKURA:2012/10/23(火) 23:40:57 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424に関しましては【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自分のメッセージを聞く ) 
―――――  ►► 自分のメッセージを聞く ◄◄ ―――――

|❤しかし、わたしには変化はときには簡単にやってくることがあるよう
|に思われます。わたしにはそういう経験があります。突然、周囲のこと
|がこれまでとまったくちがって見えるときがあるでしょう。たとえば、
|重荷が軽くなる、ドアが開く、いままで苦闘していたものがたちまち楽
|になる、というようなことが起こるのです。

 まさに奇跡が起ころうとしているわけですが、これは大変よいことです。なぜなら、こう
した奇跡は人が生きていくうえでおおいにプラスになるからです。しかし、そのためにはま
ず葛藤がなければなりません。ゆきづまりがたくさんあることは、奇蹟をつくり出すことに
通じます。奇蹟はその受け入れ態勢ができている人によく起こるのです。

 しかし、人生に変化をもたらすためには、このような突然の飛躍以上のものが必要なので
す。そのためには、ちゃんと自分でそれを意識した行動、自分に人生を自分の手におさめよ
うとする決断を必要とするのですが、たいていの人はこの決断をあえて行なおうとしないの
です。彼らは精神分析医のことをこれまで夢にも見なかったほどのやさしい父親か母親のよ
うに思い、これからずっとめんどうをみてもらえると決め込んでいます。それはかならずし
も悪いことではないでしょうが、分析医がもたらしてくれる重要な成果のひとつは、愛情あ
る配慮ということなのです。ところが一般の人は、ほんとうによい両親とは、子どもが自分
で、自分自身の世話をしていけるようにしつけてくれるものだということに気がつかないの
です。ある人がつぎのようにいいました。「もしあなたがある人に食物を与えれば、その日一
日は食べさせることができますが、自分の食べ物をつくる方法を教えてあげるなら彼らは一
生自分の力で食べていくことができるようになります」と。

 あなたが自分でみずからの世話をし、自力でやっていく決心ができると、つぎにまた大き
な仕事が待っているのです。悪い習慣を断ち切るときには分別と努力が必要です。いま、あ
なたのこころのどこかであなたがこれから挑もうとしている変化に異議をとなえているとし
ても不思議ではありません。

古い慣習のなかにいれば、きわめて快適ですし、なにもわざわざ変わったやり方で物事を
見たりやったりする気持ちが起こらないからです。しかし、そういうときにあなたのこころ
は、まさにある闘争が展開されるのです。
                   (つづく)

PS:トキ様 へ
「雅春先生」の言葉より……『人間は努力しただけの分だけ“奇蹟”が起こる』のです。
そして、次のステップの踏み台にも〜〜!!此の“言葉”からも、同様な解釈がありますから
改めまして、悪い時程…良い事の始まり〜♫〜でしょうか。
さらに!【飛 躍 の 前 触 れ 現 象】です〜〜〜ョネ!!私も前以上に引き締めて?
信じて?行動で〜〜〜す。さぁ〜〜〜頑張ろう!!と、ちょっとリズム〜♫〜が出来てきました。
…が?〜〜「トキ様」も如何でしょうか??
素晴らしい文章を読みまして【前向きになれる!】のは〜〜やはり【言葉の力…魔術師??】
でしょうか??
                            再合掌

1480ハマナス:2012/10/23(火) 23:59:59 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

病気に思い軽いはない  (『新版 生活の智慧365章』P.270)

「生命」は物質そのものにはないのであって、「生命」が物質を支配するのである。物質を

生ぜしめ、それを仮に物質として、吾々に感ぜしめているのも「生命」の力である。物質は
「生命」の影であって実体ではないのである。 「生命」は霊的実体であって金剛不壊であり、
細菌やヴィールスに冒されざるものである。それが冒されるようにあらわれるのは、本来の
霊身を「物質身」として翻訳して感ずるところにあるのである。

 自己を「物質身」と見、病み且つ死するものであると見るのは、「妄心」の夢であるのである。
夢は醒めるものであり、「夢の病気」には重いも軽いもないのである。軽い病気が治るならば、
重い病気も、同じ軽さで治る筈である。どちらも夢であるのだから、その夢からさめさえする
ならば、病気に重い軽いはなく、どんな病気でも消えてしまうのである。

感謝合掌

1481うのはな:2012/10/24(水) 00:12:43 ID:mbxezudY

 忘れ得ぬ人 榎さん 『光の国から』 渋谷晴雄 先生著

 榎さんは日に焼けた肌の、骨太いつくりで、顔はつやつやしている。六十歳ぐらいの感じで
とても八十歳とは思えなかった。
 私が榎哲太郎さんとはじめて会ったのは、生長の家本部からハワイ州本部駐在講師を命ぜられて赴任した
一九六五年(昭和四十年)のことである。榎さんは当時。カウアイ島の講師会長であった。
カウアイ島というところは、ガーデン・アイランドともいわれ、美しいハワイのうちで、とくに緑の多い、あまり
文明開化の波をうけないようなのどかなところだった。

 教化部のあるホノルルから、はじめてカウアイ島に巡講に行ったときである。
地元の信徒の方々が大勢で歓迎会を開いてくれた。翌日講演会が終ったあと、講師会長の榎さんが、会場で、私を引きとめて
言った。「先生、私は生長の家のみ教えのお蔭ですばらしい体験をいただきました。先生、ぜひ聴いて下さい」
以下は、榎さんの体験談である。

 数年前榎さんは、身体の調子がわるく、疲れやすく、尿の出る回数がやたらに多くなった。
しかたがないので、病院に行って診察してもらった。しかし、カウアイ島には日本人の医者はいなくて、白人の医師にかかった。
ところが、榎さんは日本からハワイに行って数十年になるのに、英語が満足に出来ない。
そしてその医者はまた日本語がわからない。医者は診断してダイヤベーティズ(糖尿病)だ、といった。
しかし、榎さんにはその病名がわからない。

「ウォチュー ミーン?」(それ、どんな意味ですか?)
「ウェル・・それは、ユウのシーシーからシュガーが出る病気だ」と医者は、おしっこをする身振りをして教えた。
榎さんはシュガーという英語が砂糖だということは知っていた。榎さんは思った。
“なんだ、そんな病気か。おしっこから砂糖が出る病気か。どおりで。それじゃ砂糖を食べればいいんじゃないか”
医者が薬をやる、というのを断って、榎さんは、“なるほどダイヤベーティズ、よくわかりました。センキュウバイバイ”
榎さんは、家に帰る途中で、大きな砂糖袋を二つ買って車のトランクスに入れた。

 家に帰ってから、榎さんは、“砂糖さえ食べればいいんだ”と、コーヒーには砂糖を四杯も五杯もかけ、また、御飯にも砂糖を
かけて食べた。効果はテキメンであった。翌日からぐんぐん元気になった。一ヵ月たって見違えるように元気になった榎さんは、念のために、またその
医者に会った。医者は榎さんの尿の検査をして言った。
「おや、糖尿が全然出ていない。完全に治っている。ところで、きみ、病院はここしかないはずなのに、あんたは、いったいどこへ行って治ったんだ?」
「砂糖をいっしょうけんめい食べた」という榎さんの言葉に医者は大きく眼をむいて絶句した。
糖尿病で砂糖をとるのは、御承知のように医学的にはいちばんわるいのである。しかし、榎さんは“砂糖を食べれば治る!”と堅く信じていたのである。

 この体験談を話し終って、榎さんは私を見てニッコリ笑った。
私は、感動したというよりは、あっけにとられた。これが講師会長である。講師会長といえば、日本では大抵知識人である。医学の常識などは持ち合わせて
いるのが普通である。それなのに......というわけで、私は榎さんの顔をまじまじと見るよりほかなかった。
 しかし、私はここに深い真理があるということを知った。
私たちは医学や科学の常識がありすぎるのではないか。ありすぎるために、これはいけない、こうしなければならない、と、自分自身を束縛している。
自己限定する。そして、いちばんわるいことには恐怖心によって生命力をさまたげている。
“知らぬが仏”というが、何も知らない榎さんは“砂糖を食べれば、糖尿病は治る!”と信じた。
その信ずる力は、医学の法則を上まわった。なぜなら医学の法則というものは生命の働きの痕跡を法則化したものであり、生命というものは、その法則を法則にしている
元のものではないか。だから、一見奇蹟と思われるものも、そこに高次元の生命の法則が働いているのではないか。

 私はハワイに三年いて、日本に帰った。日本で、個人指導のとき、生半可な医学の知識があるために自分の病気が難病だと信じこんでいる人に会うと、ニコニコ笑っている
榎さんの顔を思い出す。そして榎さんの体験談を話すのである。

 榎さんは、その後ずっと元気だったが、やがて九十歳の天寿を完うされて昇天された。
今でも天国でニコニコ笑っている榎さんの顔を私は忘れられないのである。

1482ハマナス:2012/10/24(水) 14:06:14 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんにちは。

実相の覆いを取り除け  (『新版 生活の智慧365章』P.271)

 怒り、憎み、悲しみ、恐怖、悪意、貪欲、嫉妬などは、自己が物質的存在であり、何物かに
奪われたり、傷つけられるかも知れぬと云う予想から、それを防御する感情として起って来る
ものである。従ってそれは「実相」の円満完全さを覆い隠してしまって不完全な肉体を表現
するようになるのである。その覆い隠された状態が病気であるから、その病気を消滅せしめる
方法は、二つの面から考えられる。即ち、一つはその覆い隠しているもの――怒り、憎み、
悲しみ、恐怖、悪意、貪欲、嫉妬などの感情を取り除くことである。

 怒り又は、憎んでいる相と心の中で和解しなさい。「私はあなたを赦しました。私はあなたに
感謝しております。私はあなたを愛しています。」と云う言葉を、目をつぶってその相手の人に
呼びかけるような気持で心の中で繰返し繰返しとなえなさい。

感謝合掌

1483「訊け」管理人:2012/10/24(水) 15:20:09 ID:???

『希望実現の鍵』66頁より謹写――

(脚本家チェーズ氏は、その能力を嫉妬され周囲からのいじめに遭っている)

 彼をとりまくところの彼に好感をもっていない人々は恐らくチェーズがこの四面楚歌の中に憤激し、抵抗し、反抗するだろうと思っていたのに、彼が悶々としてそのまま、それに無抵抗であるのに驚かされました。彼自身は何等憤激することなしに普通に忍耐と機嫌のよさとを以てそれに対していることが、不思議に彼に悪くあたっている人達を沈黙せしめ、不思議がらせているのに驚く程でした。
 ここに他のあらゆる方法が失敗すべき時にも、今まで気にもとめなかった法則・神・無抵抗の真理が、斯くも素晴らしく働くものであるということが解って来たのでした。「悪に抗することなかれ」となぜイエスが山上の垂訓に於いて教えたのであろうか。此は最も科学的な相手に対する征服方法なのです。その結果は実に驚くべき結果があるのです。
 次に述べようとするのはその結果である。そのスタジオの有名なプロデューサーがスターのためにシナリオの続きを書くようにチェーズに申し込んできたのである。此のプロデューサーはあらゆる出来事に神経過敏で色々の批評をする男なのである。チェーズはこれはなかなか大変な仕事であると思ったが、「抵抗するなかれ」の真理を実践するために、それを素直にうけたのである。チェーズの心の中には古い格言が思い浮かんで来た。「汝の最善を尽くせ。しかし、その余は神に委ねよ」此は無抵抗を裏書きするものであったのである。彼は自分自身を忘れて、その映画製作に没頭した。しかしあせりはしなかったのである。すると今まで低迷していた暗雲から一条の光が差してきた。そのプロデューサーがチェーズに向かって言った。「君、君はなんて素晴らしい卵だ。こんな素晴らしい辛抱強い人を見たことはない。君と仕事することは全くうれしい」やがてチェーズの作品はこのスタジオの最も有名なディレクターにも認められた。このディレクターは勿体らしく頭をふって「これは小さな宝石だ。全くの傑作だよ!」と賛嘆したのだった。こうして素直にあたえられたものを無抵抗に受け取るとき自ずから道が開けてくるのである。

1484「訊け」管理人:2012/10/24(水) 15:22:36 ID:???


『希望実現の鍵』58頁より謹写――

 パウロは「神を愛するのは神を霊として愛さなければならない」といったが、人間も「神の子」である以上はそれを霊として愛さなければならないのである。吾らは時として人間を愛する道を誤る。そして彼を肉体として愛する。そこに時として間違いが生じる彼や自己を見るのに肉体として見るのである。吾々の祈りがきかれない場合には、以上に述べた色々の原因が交錯しているのである。

 まづ第一に注意すべきことは、自分或いは自分の子供をその他すべての家族達を神の子として霊としてみているかを反省してみるべきである。もし治らない恐怖心や、死の恐怖があるならば、それは人間を霊として見ていない証拠である。霊は病もなく死もないからである。

 第二には、自分は誰か恨んでいないか、憎んでいないかを反省して見ることである。時とすれば、もう記憶にも残らないほど誰かを憎んだままで赦していないでそのまま忘却していることもあるのである。できるだけ過去を記憶によびもどして、もし不調和な人があるならばその人を赦して彼と和解する事である。憎むべき原因、色々の争い等は本来実相の世界には存在しないのであって、すべての人間は、皆善き人間ばかりなのである。従って憎み恨みということは結局は根拠のないことだと悟って、すべてを赦してしまうことである。それには坐して目をつぶり、目の中に相手の姿を思い浮かべその名前を数回となえて相手を呼び出すような気持ちになり、「私はあなたを赦しました、私はあなたを愛しています。私は貴方に感謝しています。もし私があやまってあなたに気に入らないことをしていましたならばどうぞお赦し下さいませ。あなたと私とは神の愛の中に渾然と溶け込んで互いに一体でございます」というような言葉を心の中で幾回も繰り返し、数十分その思念に精神を集中し、心の世界で相手と和解するのである。

 第三には吾々は業の観念から解放されなければならないのである。過去に何か誤った業をおかしてその報いを受けなければならないというような罪の観念を捨ててしまうことが必要である。多くの不幸・病気・災難等は自己処罰の観念の具象化として現われている事が多いのだから自己処罰の観念を捨てなければならないのである。そのためには瞑目合掌神想観して、「神の光吾に流れ入り給うてすべての過去の罪と業とを浄め給うたのである。今吾は完全に洗い浄められて、本来罪なき所の円満完全清浄無垢なる神の子に生まれ変わったのである。もう自分は如何なる罪の束縛も業の束縛も受けることはないのであって、自分は自由自在である」というような言葉を心の中に繰り返し念ずることが必要である。

1485「訊け」管理人:2012/10/24(水) 15:24:26 ID:???


『希望実現の鍵』82頁より謹写――


 宗教を信じ、神を信じ、神に祈り求めていながらその祈りを成就することができない場合に注意しなければならないのは、人を赦していない場合が多いのであります。祈りがきかれないのは実は自分が神の霊波と波長の合わない心をおこしているからである。キリストは主の祈りに於いて「吾々が人の負債を赦すかの如く、吾が負債をも赦し給へ」と祈れと教えているのであります。もし吾々が人のあやまちを赦さず憎む心をもちつづけているならば、吾々の祈りがきかれないのも無理はないのであります。その実例は日本にも沢山あります。飛田給の生長の家道場に来て練成を受けた青年がこういう体験談を発表せられたことがあります。
 彼はエディポス・コンプレックスに陥って父を激しく憎んでいたすると父は妾を一時に3人もこしらえているので益々憎んでいました。飛田給の練成会に来て、父が他に愛情を求めるのは自分が父を愛しないからで、父を憎む心をすてる様に教えられた。そして私は父を絶対憎むまいと決心した。心では赦す気持ちになっていたのである。ところがどうしても父の前へでるとぴったりしないし、又どうしても父を尊敬する深い愛情が湧いて来ない。従って父の妾狂いは止まらないのである。そこで再び飛田給の練成会へ来た時に練成担当の徳久克己博士に、「どうしたら父と調和できるであろうか」ときいてみた。すると、徳久さんは、
 「それは君父を赦さなければいかん」といはれた。
 「赦しているんですが」
 「赦している積もりでも潜在意識の底では赦していないんだよ。もっと深く赦すことだ、潜在意識の底から赦すことだ。そのためには祈りの部屋へ行って私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。あなたと私とは神に於いて一体でございます。あなたも私を愛しております。あなたと私とは神に於いて一体でございます。私はあなたに感謝しております。あなたも私に感謝しております。お父さんありがとうございます。お父さんありがとうございます。とこう心の底深く念じて神想観をやんなさい」と教えられた。

 この青年が練成を終えて帰郷した時、その長い間不調和であった父が、息子である其の青年を、上座の床の間に坐らせて、自分は下座に坐って、父は両手を畳の上について低頭して「いままで、わしが悪かった。心得違いをしてすまなかった」といって涙を流して真実溢れて息子に詫びるのでした。青年も「お父さん僕が悪いのです。赦して下さい。」といって、こみあげてくる涙と共におわびをしたというのである。それ以来同君の家庭は天国浄土のような温かい春風駘蕩の家庭になって、いつとなく3人の妾も解消したというのであります。

1486「訊け」管理人:2012/10/24(水) 15:25:55 ID:???


『希望実現の鍵』24頁より謹写――


( 貧しい母親が赤ん坊への乳母車を欲しいと思った。ある日新聞の三行広告に「乳母車」の文字があった。早速広告主に電話したところ「貴女が来るまでに真に欲しくて受け取りに来る人があるならばその人に渡すが、もしそれまでに買い手がつかなかったら貴女に売りましょう」というものだった。 )

 それから彼女は神様に祈った――「神様、もしその乳母車が私に与えられるものでしたら、どうぞ私の手に入りますように。あなたは私に乳母車が必要だと云うことを知っていらっしゃいます。あの乳母車を受け取りにやらせる人が私には見つかりません。もし私の願いが正しゅうございましたら、あの乳母車を手に入れる方法をあなたは知っていらっしゃいます。神様、私はあなたに全てをお委せいたします。」この祈りは誠に典型的な祈りである。だから私は祈りの典型的な実例としてここに引用したのである。この祈りの「乳母車」と云う名称を、他のどんな物の名称に、書籍であろうと、衣服であろうと、装身具であろうと、また「恋人」であろうと、それに置き換えて祈れば好いのである。その祈りになくてはならない要領はすなわち次の5つである。

1、もしそれが私に与えられたものでしたら、
2、あなたはそれが必要だと云うことを知っていらっしゃいます。
3、もし私の願いが正しゅうございましたら、
4、あなたはそれを私のものとする方法を知っていらっしゃいます。
5、あなたに全てお委せいたします。

 「広告主様ありがとうございます。乳母車様ありがとうございます。その持ち主様ありがとうございます。」彼女はこう念じながら眼を閉じて眠ろうとした。

(後略:その後彼女の元に持ち主が車を飛ばして乳母車を持参してきたのであった。何かに突き動かされて持ち主は見ず知らずの彼女の元まで乳母車を持参してきた。)

1487SAKURA:2012/10/24(水) 23:30:57 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自分のメッセージを聞く ) 
―――――  ►► 自分のメッセ−ジを聞く ◄◄ ―――――

|❤わたしたちの多くはどちらかといえば、変化を好まないのがふつうで
|す。しかし、真剣に考えてみると、快適な慣習を変えることよりも、ず
|っと重要な問題があるのです。このことはたしかにそのままに捨てては
|おけません。

わたしたちが話し合ってきたことは、すべて重大な問題です。錯覚や虚構
も世のなかやわたしたち自身について正しいと感じていることも重要な問題
だといえます。深い意味を考えれば、わたしたちはこころのどこかで、いま
自分の存在そのものが脅かされ、自分が生きるための闘いをつづけていると
考えています。しかし、それはそう感じているだけで、じつは誤解なのです。
わたしたちの闘いの相手は、自分がもつ悪い習慣、すなわちわたしたちの人
生をこれまで毒してきた思考と行動の悪循環なのです。

 これを取り除くには多大な忍耐を要します。変化を望むだけでは不十分で
す。変化したいと思うようになろうと、望まなければなりません。変化した
くないことですら変化したいと望まなければなりません。

 それを試みる方法はいくらでもあります。たとえばつぎの格言のような、
一見古めかしい方法もあります。「自由の代償は永遠の警戒」(訳者注――完全
に自由になると、いつも警戒していなくてはならない)とか、「七転び八起き」と
いったものです。それは古くさいけれども、真実を物語っています。あなた
はいま自分がしていることを見つめるべきです。自分を卑下していることに
気がついたら、ただちにその場で立ち止まり、方向転換してみずからを上昇
させなさい。

 現実主義も必要です。人は往々にして完全でありたいと望み、そうでない
とガックリくるものです。そんなことはもうやめなさい。完全という言葉
は人間のためにあるのではなののです。芸術作品にはたしかに完全といわれ
るものが、いくつかあるかもしれませんが、それにしてもかぞえるほどでし
ょう。完全な人間とは、それがどんなものであるにせよ、とうてい耐えられ
ない存在でしょう。あなた自身を超人のものさしで判断することは、みずか
らを傷つけることになります。それはまた同時に、そういう判断のしかたを
あきらめるよい口実となります。あなた自身に判定を下すことはやめなさい。
まず、いまの自分をよしとし、そこから前進すべきです。

                             (つづく)

1488SAKURA:2012/10/24(水) 23:35:49 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
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こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
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・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自分のメッセージを聞く ) 
―――――  ►► 自分のメッセージを聞く ◄◄ ―――――

|❤それでは、混乱と過失を受け入れなさいというのですか。わたしは混
|乱も過失もいっさいしないようにすることこそ、いま重要だと思うので
|すが。

 もしあなたが、ほんとうにそうするならば、あなたはそのような唯一の人
間になるでしょうね。

 *【自分のメッセージを開く】を終わりました。
次回は【自発的に物事を考える】に入ります。〜〜〜(つづく)

PS:トキ様……
『人生は?“心との闘い”!』です〜〜〜ョネ!【こころの悪循環を断ち切る!】には、
やはり、今現状に置かれています処の私の環境は、やはり【意志=意識】からでしょうか?

“ネガティブな感情”が進入されますと?それを“ボディティブ感情”に切り替えるのも
そうです〜〜〜ョネ『心・・・』ですモノ!
有名“コピ−ライタ−”が言っていましたが・・・【意志=根性】とか?
意志が出来ますと、それにむけて“根気よく”して行くモノ!それが【根性に繋がる!】と…
それと同じく…前に進む事は【今を!やはり、今!を活かす事】でしょうか??
今日もまた“おもしろい事”を、記載されていました。…が???
「トキ様」今回の【自分メ−セ−ジ…】如何思われましたでしょうか〜〜〜??
“アドバイス…”頂きますと、幸いです。…が?
                                 再合掌

1489a hope:2012/10/25(木) 07:43:31 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦絶えず不幸を見出す人になるな


ところで、貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。
微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は常に楽しくないことに取りかこまれるのでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱(うっ)とうしいと云い、雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、
晴れていると暑くるしいと云う。

何が来ても不平を云い、面白くないと云う。
御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、人からはきらわれ、
世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行いなさい。世の中は屹度(きっと)幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいおしめりです。これで水力発電が沢山とれます。畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落着いて宜しい」と云いなさい。
晴れていれば「まことに朗かな快晴(きもちよくはれること)で結構です。気分まで晴ればれします」と云いなさい。

この通りに云わなければならぬのではありません。
これは一例です。何でも好い方面を見て、讃(ほ)めたり、感謝したりするようにしていますと、
しまいには、ほめたり、感謝したりすることばかりがあなたの周囲に集まってくることになるのです。
(つづく)

1490トキ:2012/10/25(木) 11:48:08 ID:9G9F8IBU
 すばらしいご文章を投稿して下さり、感謝申し上げます。

1491SAKURA:2012/10/25(木) 22:31:48 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
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初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自発的に物事を考える ) 
―――――  ►► 自発的に物事を考える ◄◄ ―――――

|❤もうひとつ、わたしの悩んでいる問題があります。それは、このよう
|にいつもそれを見つめて取り組んでいるということなのです。もうそれ
|について考えるのもいやですし、どう考えても、楽しいこととはほど遠
|いのです。わたしたちが最初のころに話し合っていたあの情熱はどこへ
|行ってしまったのでしょう。自分からやろうという気持ちはいったいど
|うすれば起きてくるのでしょうか。

 人はすぐ自発的になりたい、感情のままに生きたい、などといいます。そ
ういう人たちは自分を知性の殻のなかに閉じこめてしまって、なにを感じて
いるのかほとんどわからなくなっているのです。ですから、自分の平凡で単
純な感情を体験したくなります。そして、もし自分のこころを外に投げ出し
てしまえたら、さぞかし自由になれるだろうと、考えるようになります。D
・H・ロレンスの考え方と同じ主張です。

 しかし、自由にしても、感情にしても、いずれもそんなに単純なものでは
ありません。わたしたちのこころのなかには、ひとつの引き出しがあって、
そこにはこれまでの人生で見せた反応がちゃんと整理されて入っているので
す。たとえば、叱られたこと、教科書のなかの格言、ノスタルジア、愚かな
迷信などが、わたしたちの本来の感情といりまじって入っているのです。
 
(つづく)

1492SAKURA:2012/10/25(木) 22:34:17 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1491【自発的に物事を考える】シリーズ投稿の続きです…。

ですから、現実問題として考えてみると、あなたのいわれた「自分でつく
り出していく情熱」、つまり自発的というものは、ふつうはこころのなかに
最初に浮かびあがってきたものをとらえて、それがあたかもこころの深層部
から送られてきたメッセージであるかのようにしくんだ作用と考えられてい
ます。しかし、この深層部はかなり汚染されています。そこで、そのメッセ
ージがどこから送られてきたかを見極めるために、表面にあらわれた反応を
吟味しなければなりません。どのメッセージにもとづいて行動したらよいか、
どれが真実の気持ちをあらわしているか、決めなければなりません。
              
 だからといって、一秒の休みもなく自分自身を見つめていなければならな
いということではありません。歩き方を忘れたムカデのように気にする必要
はないのです。しかし、自分自身の真実の感情にもとづいて生きることはか
なりの努力を要します。あなたがすすんでこういう努力をしようとするとき、
真の生きる情熱があなたを訪れるのです。

 人は「解放」されたいといいます。しかし、必要なことは逆に、自分をつ
かまえることです。自分をほんとうにしっかりとつかまえているときにのみ、
あなたは解放されるし、自発性も生まれてくるし、すばらしい人生を期待す
る余裕がもてるのです。おとなの場合、セックスがより充実しているのもこ
のためです。成熟した人間だけが、自己をつきはなす冷静さをもっているし、
またそこから傷つくことなく立ち直ることを知っているのです。これは一見
逆説的に聞こえますが、愛の秘密のひとつなのです。
                             再合掌

PS:トキ様 へ
“感情…”も“意志…力”が入ってきますと当に【夢の一直線…】でしょうか???
“感情”も“意志”に繋いで参りますと〜〜〜そうしますと【感情=意識=意志】に変化して
いきますので??最終的には【私自身の繰り返しの力…】でしょうかしら〜〜〜ン???
【祈り…】も、当然!そうなっていくのです〜〜〜ョネ???

❤〜「アンソニ−・ロビンスの言葉…」から…とても“素敵な言葉”なのです。
「何度も何度も繰り返す。行動を変えるためには繰り返しである。
習慣を変えるためには繰り返しである。」【「反復はスキルの母」】

「トキ様」は、どう思われますでしょうか???

1493ハマナス:2012/10/25(木) 23:52:48 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

無い病気の恐怖 (『新版 生活の智慧365章』P.271)

「言葉は神である」と言われている通り、コトバに発したことは、その通りに事物を動かす
力があります。あなたが相手を「赦しました。感謝しています。愛しています」と言葉で
繰返し念じているうちに、実際に相手に対する怒りや憎みの感情がやわらいで来、相手の
立場に立って考えてやる心の余裕ができ、そして本当に相手を愛することができるように
なります。これで病気を起こしていた第一の原因は除かれたのです。

 次には病気に対する恐怖を除くことです。病気の恐怖は、病気を実在すると思うから
起るのです。神は病気を造らないのであるから、病気などは存在しないのです。存在し
ない病気は進行する筈もないのです。「無い病気」があなたの生命(いのち)を奪う
筈もないのです――この真理を繰返し自分の心に言ってきかせるが宜しい。これには
『続々甘露の法雨』を読むか、人から読んで聞かせて貰いなさい。

感謝合掌

1494a hope:2012/10/26(金) 07:42:07 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦始終、楽しい話をせよ

始終、仕事の景気のよい話をしていますと、屹度しまいには自分の仕事がよく繁昌し、景気がよくなってまいります。
いつも不景気な損する話ばかりしていますと、だんだん仕事がひっそく(せまりふさがること)し、景気がわるくなり、
することなすこと面白く行かなくなります。貧乏の話をしていると、貧乏が集まって来ます。

「僕は屹度えらいものになるのだ」と毎日云うようにしなさい。屹度えらい者になって来ます。
尤も、そのえらいと云う意味は色々ありますが、とも角(かく)世のためになり、世の中の人に喜ばれ、人から、
「あの人がいてくれたので助かった」と云われるような人になるには、毎日、「わたしは、そう云う人になれる」と思うことが大切です。
思うとおりにあらわれるのがこの世界なのであります。
(つづく)

1495るん:2012/10/27(土) 01:41:07 ID:NS71OwS.
>>1457 >>1458
うのはなちゃん

そう、そうですよね。 
どんな時も、結局雅春先生の教えである『実相は完全円満』の自覚が大切なのですよね。

しかし、エドガーケイシーも実相を知っていたのか・・・・(*・○・)ビックリ

1496SAKURA:2012/10/27(土) 02:06:37 ID:xBP3lXis
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日はしごとで、やっとパソコンを、時間を見ますと、
深夜ですが、雅春先生の言葉より

■谷口雅春著  『新版 栄える生活365章』より

【神は「自己の努力」の中に 顕れたまう】
魂の底の底なる深き願いは必ず成就するのである。
併し、「屹度、神様が成就させて下さる」 と信じて、それが成就するに必要な

「自己の努力」を棄ててはならない。
「神はみずから助くる者を助く」という古諺があるが、
「あなた自身の努力」のすがたとあらわれて「神の力」が迸り出るのである。

                             再合掌

1497a hope:2012/10/27(土) 07:39:00 ID:8tjYhMb6
>>1496 SAKURAさま

すばらしい雅春先生のお言葉を紹介してくださりありがとうございます。

【神は「自己の努力」の中に 顕れたまう】

座右の銘にしたいと思いました。

感謝 合掌

1498a hope:2012/10/27(土) 07:43:38 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦人間は怒ると損です


人間は怒ってはならない。悲しんではならない。心配してはならない。暗い気持ちにしずんではならない。
怒りや、悲しみや、心配や、暗い気持は、自分を殺すものであります。自分の身体の中に毒素をつくります。

ある有名な法学博士は京都で講演会があると云うので出掛けましたが、
駅に誰も出迎えていないと云うので腹を立ててカッカになって怒りながらやっと講演会場にゆきましたが、
その講演会場で脳溢血と云う、あたまに血がのぼせて起こる病気で倒れて死んでしまいました。

永い間心配したために、気がついて見ると頭の毛が全部真白になった人もあります。
長い間の嫉妬心(やきもち)が原因でバセドー氏病と云う眼玉のとび出る病気になった人もあります。
グジグジ小さい小言(こごと)や不平を心の中で思っている人には水虫がよく出来ます。
長い間の悲しみをこらえていたために、腹膜炎や、腎臓結核になった人もあります。
このような腹立ちや、心配や、嫉妬心や、不平や、悲しみは人間の生命(いのち)を殺すことになります。

キーツと云う詩人はその作品があまり感傷的だといって激しい批評をせられた為に、心をなやまして死んだと云われています。
モーパッサンは、神を呪う小説を書いているうちに気が狂ったと云われています。
芥川龍之介は、怪畸(かいき)な神経質な小説を書いているうちに、あまりに神経をとんがらせて毒をのんで死んだのです。

心のなやみや、呪いや、神経質的なものはすべて人間を害するものです。
多くの歌よみは、歌と云うものは悲しいことを歌わないと値打ちがないように思って、
悲しいことを常に思うようにしていますので、始終身体が不健康でいるのです。
石川啄木が肺病で死んだのなども其の一例であります。

ショーペンハウエルと云う哲学者は、人生は生きる値打ちがないなどと、
悲しみの哲学を常に考えていましたので、一生涯胃病になやまされていたと云います。
夏目漱石はその小説『道草』にあらわれているような激しい家庭内の心の暗闘(あうらでのあらそう)で
血を吐くような思いをしていたので胃潰瘍をわずらって血を吐いて死んだのです。

死ぬほどでなくとも、心の激動(はげしくうごく)は食欲をなくし、消化をさまたげ、或は冷汗を出させ、
顔を青ざめさせ、溜息や喘ぎをおこさせ、夜眠れなくさせると云うことは、誰でも知っていることであります。
母親の悲しみや心配で、胎(おなか)子供が流産することがあり、またお乳が出なくなったり、お乳の中に乳児脚気を生じたりいたします。
心は常に楽しくしているように心掛けねばなりません。
(つづく)

1499a hope:2012/10/27(土) 07:49:24 ID:8tjYhMb6
>>1498訂正
下から8行目

心の暗闘(あうらでのあらそう)→心の暗闘(うらでのあらそい)

1500SAKURA:2012/10/27(土) 15:35:30 ID:zhRcXJMw
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日は、パソコンの前に、やっ〜〜と打ちます事が出来ましたのが?【深夜…】
…今日は、ふと「雅春先生の本」を、パラ〜パラ〜♫めくるっていますと……
【 続・真理の吟唱 】から“素敵な言葉”が!目にとまりましたのが、何と!
「雅春先生の四無量心の解説」が、あるのではありませんか〜〜〜???
では!今日は、これで…“投稿”とさせていただきます…。

■ 続 真理の吟唱
―――――❖ 慈悲喜捨の四無量心を完成する祈り ――――――

 『観無量寿経』には、「仏心とは四無量心是なり」と示されているのである。
四無量心は慈悲喜捨の四徳をいうのである。無量の衆生を縁として生ずる仏
の心である。そして功徳また無量であるのである。「慈」は「めぐむ」とも読
む字であって、その人の徳乏しくして貧、病い等の苦難を負いて苦しめる人
に恵みを施してその苦しみを除ってやりたい仏心である。「悲」は「かなしむ」
とも読む字であって、人が悲痛な災厄を受けて悲しみ嘆いている気の毒な状
態を見て、倶に悲しみ、その悲しみを脱却させて常楽の境地に住まわせてや
りたい心が仏心である。親鸞聖人の和讃を見れば「超世の悲願ききしより、
われらは生死の凡夫かは」という聖句がある。

 この超世の悲願を建立して、世間を超え、現象の生死を超え、世俗の凡聖
を超えて、その人の実相が仏であり、如来であり、“神の子”であるというこ
とを悟らせるよう誘引することが本当の慈悲であるのである。ひとから憐れ
まれて、なにがしらの物質又は財物の施しを受けたことが習慣となって、常
にひとから憐れまれ、同情されるために弱さを装い、病いをあらわして見せ
ることが如き「甘え」の心を起こさしめるのは、永遠の抜苦与楽に程遠いもので
あって、慈悲心の失敗である。

 如来の慈悲心は時として峻厳である。「飢饉の年には農家に托鉢せよ」と釈
尊は仰せられたということである。その農家の所有地に飢饉が起こるという
ことは、その農家が豊饒なるときに供養することも恵与することもしないで、
ただ天与の賜物を壟断(ろうだん)し、私的享楽のために浪費したる如き彼の過去
の業が循環して、飢饉の状態を招き出しているのであるから、その農家が救わ
れるためには、その農家の主人が一転して“修行僧に恵む”というような慈悲
心を起こす心境にならなければならないのである。

                          (つづく)

1501SAKURA:2012/10/27(土) 15:41:31 ID:zhRcXJMw
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1500投稿の「慈悲喜捨の四無量心を完成する祈り」からの続きです…。

 だから飢饉で自分が食うや食わずにいる際に、鉢を託して食を求める貧僧
に一握の米麦でもよい“恵む”心を引き出してあげるために釈尊は「飢饉の
年ほど農家に托鉢せよ」と仰せられたのである。そして、乏しき農人がその
乏しき中から自己の飢を凌ぐ食を割いて托鉢僧に施し得たとき、その農人
は、「汝、よくやった」という賞讃の声が自己の内部から起こるのを 魂 の底
から聞くことが出来、その賞讃の声をきいて彼の内に“喜心”を生ずるのである。

 このように峻厳なる慈悲行為は相手に「甘える心」を起こさせることなく、
却って“喜心”を呼び起こす。その農人に喜心が起これば類を以て集まる法 
則に順って、喜び事がその農人に集まって来るのである。その翌年、その農
人が所有する田畑の作物は豊饒なる収穫を得るのである。而もその豊饒を自
己のわたくしの手柄と思わず、天地の恵みであるとして受け、公の所有を、
かりに今あずかれるものとして、公けの必要に応じて惜しみなく散ずる。す
べての富を有たずして持ち、空を行じて引っかかることがないから、常楽の
喜心はつねに失われず、万物を放ち去って自由自在を得る捨徳を完成するこ
とになるのである。われ今、神の導きを受け四無量心の完成の道を知り、歓
喜無限であります。神に感謝し奉る。ありがとうございます。
(谷口雅春著)
再合掌

PS:トキ様
昨日は…帰宅途中に「浮浪者…」の御年配が、目にとまりました。…が?
その人が、或る“ベイカリ−店”の前に、たたずんでいるのです…。ふと!私達は、
その「浮浪者…」の行動を、ジ〜〜〜ッと見守っていました。…が?もしかしますと?
“お腹がすいているのでしょうかと〜〜〜”随分その人の行動を、遠くから?
見守っていました…。反対口からその“ベイカリ−店”に入り…場合によっては?
パンをさし上げないと…そう考えて見守っていますと?その御年配の「浮浪者」の
方は、場所を移動して…口をもぐもぐさせ、何か口の中に入れて…??
その時、二人して、どなたかが“食べ物?”差し上げたのでしょう…その様に、判断
しました。そして、その場を…立ち去りながら、まだ!私の故郷(北九州)には、まだ?
“慈愛の心”をもった方が〜〜〜そう思いながら、立ち去りました。

今日は【今!活かされている私自身に…“感謝”と共に改めて「自他一体」の意味を、
認識しながら「必要に応じまして惜しみなく…】と思い、その勇気・行動…を、
「信仰…」者として“行”じる事を『神との約束』と。。。させて頂きました。【感謝…】

1502ハマナス:2012/10/28(日) 00:47:46 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

心の馬を支配せよ  (『新版 生活の智慧365章』P.272)

 肉体の症状に心を引っかからせてはなりません。症状を心に描いて、それに恐怖を集中
していますと、心が描く通りに象(かたち)が現れると云う原則にしたがって病気が一層
増悪するものです。心が「馬」であり、「病気」とう云う厄介な荷物を搬(はこ)んで
くるのも、この「馬」ですから、「馬」さえあなたが支配したならば、「病気」と云う
荷物を搬び去らせることができるのです。だから「心」に注意しなさい。

 まだ人を憎むこころが残っていないか、本当に天地一切のものに感謝する心になれて
いるであろうか。まだ病気を実在だと思って恐怖していないだろうか。本当に明るい心に
なれているだろうか。そして「実相」の完全さをのみ心に描いて、実相の完全さに自分の
心の波長を合わすことができているだろうかと反省して、実相の完全さに自分の心の波長を
合わすように努力するが良いのです。

感謝合掌

1503うのはな:2012/10/28(日) 22:49:41 ID:f2bwKGw2

実相を観ずる詩

 これはフェンウィック・L・ホルムス博士の『沈黙の詩』“Songs of the Silence”という

『ただ善のみを観よ。されば汝は人生に悦びを見出すのである。最悪の事態があるというのか、
 ・・・われらが多くの病を見るとき、善を見るのは至難だと言うのか。しかし善は必ずそこにあるのだ。
 ・・・現実を超えた精妙なるかたち、雄大率直にして真実なる霊の表現、
 神は自己をすべてのものに表現す。
 すべてを貫き、全ての中に、神の御わざ、神の御いのちは満ちているのだ。
 そして神みずから観たまいけるに、それは実在なるがゆえに、至るところに善はあるのだ。

 <中略>

 美しき花の中の女王、豊かなる薫りとともに
 今を盛りと咲きほこる、その芳しき吐息は、
 にごりえの水面いっぱいに漲りわたり、陽光をその胸の中にふくらませ、
 百合は清楚に輝き、へりくだりて満ち足れるつつましき花、

 人とてもこの美しき花と同じこと、すべてのものの内に善があり神がある。
 すべてのものの内に、神おんみずからの力が 切実に表現を求めて動いているのである。
 それを見て我々は知る、神はそこに、“神の子”我らの内にあると。
 みずから罪の子として神の子を嘲り ひとりみずからの説を正しとする輩に対し、
 キリストおんみずから宣いし如く、いまここに善が在る。
 みごとなる善が在るのだ・・・・』

 このみごとなる善が本当に在るんだ。それは『旧約聖書』の「創世記」の第一章の終りに、
「神その造りたる緒の物を視たまいけるに甚だ善りき」と書いてある。神様がすべての物を視給うて、
 自分の造った物を全知全能の力で点検なさって、「どこにも悪はない、これが実相だ」
 と、それらを視られたのです。

 そして人間は神の肖像(にすがた)として、神のイメージの実現としてここに現れているのであるから、
 皆んな善なる人間ばかりであると。

 これが生長の家の自然に対する、また人間に対するものの見方であります。
 悪はナイ、一切は善であると。

 『新たに生まれるための講話』 谷口雅春 先生著 P45-49

1504ハマナス:2012/10/28(日) 23:14:00 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさまv
こんばんは。
今日は、本部で谷口清超大聖師の4年祭が行われました。平成20年に98歳で昇天されてから、
もう4年が経ちます。
総裁先生は、さっそくブログ「唐草模様」にお書きになられていらっしゃいます。

妄心の自壊作用  (『新版 生活の智慧365章』P.273)

 「実相の完全さ」に波長を合わすように「心」をどりょくしていますと、「妄心」がみがかれて
中の「真心」が現れ、「真心」が「実相の完全さ」を現象界に現すことになります。「実相の完全
さ」が現象界に現れて来ますと、日常の生活も調和したものになり、生理作用も非常に完全になって
来ます。

時として、「妄心」が消滅するときに「妄心」の築き挙げた病的症状が急激に自壊する結果、所謂る
自壊作用と称して症状に急激な 変化が起り、却って一見重篤な状態を呈するころがありますが、
そんな時に心が周章(うろた)えてはなりません。「実相に於ては自壊作用もなく、重篤な症状も
ない、ただ神のみが一切の創造者であり、悪なる症状は決して存在しないのである。自分は完全に
健康である」と念じなさい。こうしていっさいの恐怖心を消滅せしめなさい。『天使の言葉』には
「恐怖滅すれば一切の不幸と病(やまい)おのずから滅せん」と示されております。

感謝合掌

1505うのはな:2012/10/29(月) 00:02:54 ID:esvyfr1E

 『生命の實相』読誦の功徳について

 『生命の實相』を読んで病気が治る。これは無数の礼状が実証するところである。
しかしこれは谷口雅春の功績ではない。「わが神殿は既に成れり、名づけて『生命の實相』と称う」
と神は仰せられているのである。

 『生命の實相』は神がその御栄えをあらわしたまうための道具である。其処に奇蹟を生ずるのである。
しかし、心が頑固で其処に書かれている真理を素直に受容れることの出来ない人には治病の奇蹟は起らない。
神の力が及ばないのではない。

 光は充ち満ちていてすらも、眼を瞑じている人には光を受容れることができないのと同じことである。
しかし、眼を瞑じている人にも光があれば明暗ぐらいは分るのである。
明暗をたよりに、其処に光があることを自覚して眼をひらけよ。

 『真理』第9巻 生活篇  谷口雅春 先生著 P334

1506SAKURA:2012/10/29(月) 02:43:42 ID:RIOFtJIE
ハマナス様 へ

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1504投稿に関して…?

■【ハマナス様…投稿文章中の「清超先生」の亡くなられた“御年齢”が、
違っております。…が??
今は亡き「清超先生」は、“89歳”で、おしくも他界されましたが???
……此処の処が?気になりまして“一言…メッセ−ジ”をさせて頂きました。
御了承下さいませ…。

                                再合掌

1507SAKURA:2012/10/29(月) 03:17:55 ID:RIOFtJIE
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■【10月28日…亡き谷口清澄先生…4周回忌】でしたかと〜〜〜
昨日は、恒例の如く【原宿本部での…行事】が〜〜〜開催でしたかと、思います。…が?

TYO在住でしたら、原宿本部にての“行事”開催には、参加しておりましたでしょうが?
私は、今回【山口…講演会】に昨日は?まいりました。…が?(別の形にての追悼と…)
その中で「貴康先生」が【亡き清澄先生…荒地家】に事を、少しお話されました事が、
印象的でしたかと?思います。

昨日にちなみまして「亡き清超先生…」の“言葉”から抜粋させて頂きます。
❤〜【 「心に強く描く」ことは、全てが「祈り」である 】

……祈りは叶えられる。それは「心」によってこの現象界がつくられて行くものでありますから、
「心」さえしっかりと求めるものを描いて放さなかったならば、やがてそれがある時間の経過の
後に実現して来るようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は「祈り」なのであります。……
                      ( 谷口清超先生『「愛」は勝利する』より )

                                 再合掌

1508SAKURA:2012/10/29(月) 03:50:38 ID:RIOFtJIE
a hope様 へ
>>1496【SAKURAの投稿】から>>1497の【a hope様 宛】への“投稿”です。

■「a hope様」へ…
お返事が遅くなりました事を…お詫び申し上げます。唯!唯!“恐縮”です。
いつも先生の“言葉”を投稿して頂き、更に!こちらこそ“朝の貴重な時間”に、“言葉”を、
頂きまして、ありがとうございます。

❤〜本当に【努力した価だけの価値が、人間の人格につながる様にも思えるのです。】
今では、世の中が不安?ファン〜〜ファン〜〜ファンな感じで【人格否定…】しますような方が、
増えて来ているように思いまして、このような時こそ【信仰=宗教の在り方】が〜〜〜?
問い直されるモノではないか?改めまして、思う次第です。…が?

■毎日の【聖典投稿…】をしていらっしゃいます「「a hope様」の抜粋投稿を、毎朝!
楽しく拝読させて頂いております。今後とも、宜しくお願い申し上げます。

                               再合掌

1509商人:2012/10/29(月) 07:10:02 ID:TCt66b8E
神は吾が手をとりて、今や吾を完全なる平和と豊かなる世界に導き給う。

谷口雅春 先生著 祈りの科学より

1510a hope:2012/10/29(月) 07:42:36 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦怒(いか)る毒蛇の毒素


恐怖や憤怒(いかり)の時に身体(からだ)から出る毒は、
丁度、毒蛇が怒って人にかみつく時に、その歯の所から毒が出るのと同じような毒が出るのです。
併し毒蛇の場合には、その毒をためて置く袋があり、その袋から出た毒は体外へ出るようになっているのですが、
人間には、そのような毒をためて置く袋はありません。
だから怒ったり恐れたりして出来た毒素は、自分の身体の中をまわるより仕方ないのです。
だから怒ったり恐れたりすれば自分を害する事になるのです。
だから諸君は決して恐れたり、怒ったりしてはなりません。
(つづく)

1511神の子さん:2012/10/29(月) 08:51:08 ID:AWG1OEtw
>>1506
ローマ字のSAKURA様

総裁のブログでは以下のように書かれています。

“谷口清超先生は、今からちょうど4年前の平成20年10月28日に98歳で昇天されました。”

私はどちらが正しいかわかりません。
SAKURAさんを信じるか、実の息子さんを信じるか…???

1512さくら:2012/10/29(月) 09:08:12 ID:ItctBh/.
>>1509
商人さまへ

ますますのご繁栄をお祈りしております!

「仮相には実相をもって相対せよ

"悪"は本来"非存在"なのであるから、悪があらわれたとき、興奮したり、激怒したり、取り乱したりする必要はないのである。心を鎮めて、静かに「そのような状態は存在しない」ことを念じ、その見せかけの"悪"の奥に、慈悲の神、愛の神がましますことを瞑想し、悪なる"見せかけ"が消えつつあり、すでに"善なる実相"があらわれて来つつあることを繰り返し念ずるがよい。そのようにして心が落ちついた後に、自分の心に「その問題をいかに処理するがよいか」について思い浮かんできた通りに処理すればよいのである。現象界の悪と見える問題を「なし」と考えるだけで、それを手を拱いて傍観し、「処理する必要はない」というのではないのである。その処理する場合に、まず心を平和にして「実相のあらわられる智慧」を呼び出してきて処理すれば、現象に対して現象智をだして処理するよりも、現象に対して実相智を出して処理する方がすみやかに現象が好転するからである。聖経には「仮相に対しては実相を以て相対せよ」と示されているのである。」

如意自在の生活365章P250より

1513神の子さん:2012/10/29(月) 09:45:13 ID:???
>>1511

ウイキぺデイアによると89歳での御逝去となっています。

1514神の子さん:2012/10/29(月) 10:00:14 ID:???
>>1513
元本部講師様も自信がないのですか?
ちょっと悲しいかもです~_~;

1515トキ:2012/10/29(月) 11:31:28 ID:W4kD3vME
>>1511

 「唐松模様」誤植ですね。

1516ハマナス:2012/10/29(月) 12:17:59 ID:x2zmnlqw
SAKURA様、神の子様、トキ様
ありがとうございます。

SAKURA様と神の子様のご指摘通り、89歳が正しいようです。
そのまま投稿してしまい、申し訳ございません。お詫びいたします。

4年前の総裁先生のブログをご紹介いたします。

2008年10月28日
谷口清超先生、ご逝去される 
 
生長の家総裁、谷口清超先生は、10月28日午後10時21分に老衰のため、東京・渋谷
の生長の家総裁公邸にて亡くなられました。満89歳でした。
ここに謹んでご生前のご法恩に篤く深く感謝申し上げるとともに、これからの
生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動を高き霊界からお導き下さる
ことを心から祈念申し上げます。先生、永い間、本当にありがとうございました。
 
 谷口清超先生は、2005年2月20日に長崎・西彼町(当時)の生長の家総本山で
行われていた団体参拝練成会の際に倒れられ、長崎市の原爆病院に入院され、
その後帰京して静養生活をされていた。先生は静養中も、生長の家の普及誌や
機関誌の原稿を執筆されていたが、機関誌3誌の本年4月号に掲載されたご文章
「本当の愛について」が、発表されたものとしては最後のものとなった。このご
文章の末尾には、「平成二十年一月十日」という日付が書かれている。
 
 谷口清超先生は、1985(昭和60)年に生長の家創始者、谷口雅春先生のご逝去に
ともなって2代目の生長の家総裁を襲任され、以後23年間、全世界の生長の家の
中心者として、世界では20世紀末から21世紀にかけて、日本では昭和から平成へ
移る激動の時代に、不変の真理を説き続けられた。特に、1948(昭和23)年9月から
1994(平成6)年3月まで46年間続けられた生長の家講習会では、毎年日本の全教区を
回られるなどして、大勢の人々に真理を宣布され、数多くの救いを成就された。海外
にも1956(昭和31)年にハワイ・北米・南米へ、1970(昭和45)年にブラジルへ、1977
(昭和52)年には南北アメリカ大陸へご巡錫されるなど、万教帰一の教えを世界に述べ
伝えられるとともに、海外の信徒に多くの救いと励ましをもたらされた。
 
 また清超先生は、国内の組織運動を改革されることで、女性信徒の組織である生長
の家白鳩会が飛躍的に伸びる体制を作られた。これは、かつての単位組織だった誌友
相愛会が、男性が女性を使う形で運営されてきたことで、女性の個性を生かした運動が
生まれにくかった点を改革されたもの。これによって女性信徒が自立し、主体性をもって
真理宣布の運動に取り組むことが可能となり、教勢は大いに拡大した。また、地方講師会
を“組織の血液”として位置づけられることにより、相愛会、白鳩会、青年会の三者協力
体制と「教え」との関係を明確化された。さらに先生は、政治活動に偏っていた1970年代
の運動の弊害に気づかれ、1983(昭和58)年、政治団体であった生長の家政治連合の活動停止
を決意されたことで、今日の生長の家の「信仰運動」としての基盤を確立された。
 谷口清超先生は、執筆、講話、組織運営以外の方面でも、今日の生長の家の運動発展に
多大な貢献をされている。それは、生長の家の聖歌の作詞・作曲である。谷口雅春先生は
多くの素晴らしい聖歌を作詞されているが、作曲はされなかった。清超先生は自らバイオリン、
ピアノ、オルガンを弾かれ、作曲もされた。今日の生長の家の聖歌の3分の1弱が先生の作で
ある。詳しく言えば、2003(平成15)年発行の『新版 生長の家聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録
されている68曲の聖歌のうち、20曲が清超先生の作詞であり、そのうち15曲は自ら作曲もされて
いる。先生の作品は形式に囚われず、独特の宗教性に溢れていて、歌うものに深い感動を与える。
これは歌詞のことだけではなく、曲そのものについても言える、と私は感じている。
 
 清超先生は音楽だけでなく、写真や書もたしなまれた。特に写真では、生長の家の講習会で
各地を回った際などに撮られた写真が多くあり、自著の表紙カバーに使われたり、写真集
『何となく写した 谷口清超写真集』(1991年、世界聖典普及協会刊)として残っている。また、
日めくりである『ひかりの言葉』の表紙写真も毎年担当されてきた。その日めくりの「平成21
年版」の表紙写真が、発表されたものの中では最後の写真となった。この写真は、昨年秋、
ご自宅の書斎の外に車椅子で出られて、南西の竹林方向にレンズを向けて紅葉のある風景を
撮られたもの。
 (谷口 雅宣先生)

1517ハマナス:2012/10/29(月) 12:21:12 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

実相の活力を体得せよ  (『新版 生活の智慧365章』P.274)

 「心」が「実相」に波長が合い、「実相」の光が肉体を全領するとき、暗黒が影をうつして
いた「病気」はその影を消してしまうのです。光は暗黒を消し、実相は仮想を滅し、真理は
非真理を破壊せしめてしまいます。怒りが感謝に変り、憎しみが愛に変り、心の不調和が調和
に変りますと、その心の波長に同調してあらわれて来るものは唯、善きもののみとなるのです。
寿命が尽き、霊界に移行するとき以外には、どんな衰えも肉体には現れないのです。
この真理を信じなさい。信ずることは力です。信念を動揺させてはなりません。

 「実相の完全さ」に波長の合う心の状態は、肉体に実相の活力を賦与してこれを健康なら
しめます。どんなに重篤な症状であっても、病気と寿命とは異なるから失望してはならない。
「実相の完全さ」のみ実在であるから、どんな現象悪よりも強力であることを信じなさい。

感謝合掌

1518うのはな:2012/10/29(月) 12:50:50 ID:sERBKLDk

『祈りの科学』を読みなさい

 祈りと云うことは懇願することだと間違えられているために時々間違えられた祈りが
行われるのです。或る人は自分の良人が死んだときのことを想像しますと、迚(とて)も
たまらないものですから、「神よ、私の良人を死なせないで下さい」と一心に祈りました。
やがて其の良人は死にました。

 祈りはきかれなかったようです。併しこれは祈りがきかれたのです。
「祈り」と云うことは「心の内に常に深く念ずる」ことなのです。
「良人が死にませぬように」と一心に念じた人の心のなかには「良人の死」が深く念じられていたので、
「良人の死」が実現したのです。

 これと同じように「この病気を癒したまえ」と祈りながら癒えないことが随分あるのは、その祈りによって
「既に癒えたり」の観念が得られないで、却って「吾は重き病なり」と念ずることになっているからです。


 『真理』第9巻 生活篇 谷口雅春 先生著 P324

1519神の子さん:2012/10/29(月) 13:16:31 ID:AWG1OEtw
>>1515
トキ様 ありがとうございます。
今総裁のブログを見たら直っていました(^J^)

1520うのはな:2012/10/29(月) 13:58:55 ID:HwTu0TYs

だいたい前篇に書いたような、時間を定めた放尿の習慣をつけますと、条件反射によって寝床の中では
どうしても放尿しにくくなるものなのです。絶対安静を命ぜられている重病の人のくせにどうしても寝床では
小用を達することができないで便所に行くのなども習慣による条件反射です。

 ところが、だらしなくおむつを濡らしてほうっておく習慣をつけますと、最初は濡れた股ぐらを気持ち悪がった赤ん坊が、
習慣によって股ぐらを温かい液体でぬらすことに快感に思うようになり、放尿は寝床でやるのが一番気持ちがよいと感ずるようになります。
こうなればなかなか寝小便の癖はやまなくなります。寝小便を叱って直そうとするのは、悲しませて涙を止めようとするのと同じで、逆効果しかありません。

 寝小便は親夫婦の精神的葛藤から来る悲しみの感情的泪が、子供に具象化して排泄されていることもありますから、親夫婦が仲良く愉快な人生を送っていないで
絶えず夫婦げんかをして悲しんでいるようなことでは治らない場合が多いのです。抑圧されたる感情はそのままでは生命の障礙物でありますから、それで生命の自浄作用は
常に排泄して生命の健全さを保とうとしているのです。

 その排泄の方法が表現であります。感情は常に言葉や行為となって表現され排泄されつつありますが、その全部が完全に表現されきるものではない。
その表現されないで内部に溜まっている見えざる感情の残渣が、自分の病気や、子供の病気または悪癖と表現され具象化して消えるのです。

 『新しい結婚』 谷口雅春 先生著

1521うのはな:2012/10/29(月) 14:19:05 ID:t6MuUMSM

    実相十全の恵みを見よ 『生命の實相』第6巻 P113〜

「実相」において本当に与えられている神の恵みーー「実相」において本当はすでに受けているわがあらゆる善き物ー
を認めえないで、現象界にあらわれた個々の出来事に感謝しているのでは、蟻を探し出して、象を見のがしているのと同じであります。
それは神様から見れば見当違いの感謝であります。

 神様は「お前にはもっとよいものが与えてあるのに、それには感謝しないで、人間はつまらないことに感謝するものだな」とおっしゃいましょう。
また実際それほどありがたいとも感じないのに、神様は讃美や感謝の言葉でおだて上げれば、いっそうよき恵みを与え給うであろうと思って、讃美歌を
歌ったり、感謝の祈りを捧げている人もあるようですが、何もかも知っていられる神様の目から見たら、人間の心情が見え透いて、
「偽善もいい加減にせよ」とおっしゃるでありましょう。

 そうしますと、われわれは真に神から歓ばれる感謝を捧げるには、どうしても神がすでにわれわれに与え給うている十全の実相を明らかに見て、それに対して
ありがたさを感じなければならないのであります。そうでない感謝は見当違いの感謝になるか、偽善者の感謝になるのであります。
 すでに与えられている「実相」の十全の善さを知ることができない場合に、われらはただ「神想観」をつとめ修して、実相の十全の善さを観ずるようにつとめることが
必要なのであります。

  谷口雅春 先生著

1522うのはな:2012/10/29(月) 15:36:45 ID:3jb./WYM

    神の生命が咲いている

 谷口雅春先生は、『新日本の心』で、ある婦人が、水仙の花を見て、それが神の生命が咲いていると
感じた体験談を紹介して次のように言っておられる。
< 先日、白鳩の集まりの席で或る奥さんが、これは体験談じゃありませんけれども、と被仰って話し出されましたが、
それは実に素晴らしい体験談だと私は思うのであります。体験談と云いますと病気が治ったことだと思っていられる方もあるかもしれませんけれども、
病気が治るだけが体験談じゃないのでありまして、もっと深い体験談があってもいい訳であります。>(一0八頁、原文は正漢字・旧かな遣い)

 たしかに、この『聖使命』紙に載っている体験談はそういった“深い”体験談である。それは“聖なる自己の発見”といっていいと思う。
“聖なる”という形容詞のもつその内実は、この体験によってはじめて体験者にはわかったはずである。ということは、それを理解する私たちにも、
同じような体験がなければ感情移入をすることが出来ないことになる。

 宗教体験を理解するということのむずかしさは、同じような深みや高みを既に体験している人でなければ本来わからない世界があるということである。
しかし、そうした至難のことを、谷口雅春先生は文章の力によって『生命の實相』に流露された。
そのご文章に吸い込まれているうちに、心が浄化され回心が起る。今回の末松さんの体験も『生命の實相』を読んでいて突然訪れた体験である。

 これらの体験は、見る者と見られるものとの対立が見せかけのものであり、心の目を開くと、自他一体のかがやかしい世界が今此処にあるのだということを教える。
見るものは、すべていのちに、輝いている。そしてその輝きを見ている自分自身も光かがやいているのであった。
こうした体験は、深い心境の産物であると同時に、私たちの住んでいる世界の、より深い層が顕われたということであり、あるいはそうした層が認識されたということである。
それはこの世界が「相即相入」であることの認識でもある。

『光の国から』 渋谷晴雄 先生著 P221-222

1523うのはな:2012/10/29(月) 16:44:20 ID:a.OcI.Rc
 
  貧しい青年が豊かに.......

ある日、一人の青年がブラックソンさんの個人指導を受けにやってきた。
「私はゆたかになりたいんですが、どうしたらいいでしょう」
ブラックソンさんは言った。「財布を出してみせなさい」
 お金は五ドルしかなかった。ブラックソンさんは言った。
「このお金を全部愛行に使いなさい。そこにコカ・コーラの自動販売機がある。コカ・コーラは
一ドルだから、五本取ることができる。それを全部、のどがかわいている人に差し上げなさい」

 青年は言葉に従った。自動販売機から、五本のコカ・コーラを取り、その販売機のそばにあるホテルに入っていった。
そしてロビーで憩んでいる人にコカ・コーラをただであげたのである。
 五人目の人は白人の老人だった。彼はこう言った。
「コカ・コーラか、ありがとう。コカ・コーラは世界中どこにでもあるんだな。私はこれが好きでね」
こう言いながら、ふと彼はその青年の顔を見て、「君は大変深切な人だな。ところで君はいま働いているのかね」
青年は答えた。「いいえ、私は失業中です」すると、その老人は、
「そうか、もしよかったら私の会社で働いてくれないか。私の会社は、ホラ、あそこのビルの十二階だ。来週の月曜から
来てくれないか。それにしてもきみの服はきたないね」

 こう言いながら老人はズボンのポケットから百ドル紙幣を三枚出して、
「これで背広を買って着て来なさい」こうして、この貧しい青年は職を得たのである。
ブラックソンさんは、この講話を次のように締めくくった。

「この青年は、のちに私が生長の家の中学校を建てるとき、一人で土地をすべてただで寄附してくれました。
それほどゆたかになったのです」

 この話は、コカ・コーラを他人に与えれば金持ちになれる、という話ではない。ブラックソンさんはその青年のために祈っていた、
その祈りが叶えられたのである。ここには「与えれば与えられる」という法則が働いている。
それは日本でも、アフリカでも、アメリカでも当てはまるのである。

『光の国から』 渋谷晴雄 先生著

1524SAKURA:2012/10/29(月) 20:20:23 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

一昨日にちなみまして「亡き清超先生…」の“言葉”から抜粋させて頂きます。

❤〜【 「心に強く描く」ことは、全てが「祈り」である 】

『……祈りは叶えられる。それは「心」によってこの現象界がつくられて行くものでありますから、
「心」さえしっかりと求めるものを描いて放さなかったならば、やがてそれがある時間の経過の
後に実現して来るようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は【祈り…】なのであります。……』
                     
 ( 谷口清超先生『「愛」は勝利する』より )

■【10月28日…亡き谷口清澄先生…4周回忌】でしたかと〜〜〜
一昨日は、恒例の如く【原宿本部での…行事】が〜〜〜開催でしたかと、思います。…が?

TYO在住でしたら、原宿本部にての“行事”開催には、参加しておりましたでしょうが?
私は、今回【山口…講演会】に昨日は?まいりました。…が?(別の形にての追悼と…)
その中で「貴康先生」が【亡き清澄先生…荒地家】に事を、少しお話されました事が、
印象的でしたかと?思います。

                                 再合掌

1525長州っぽ:2012/10/29(月) 20:57:35 ID:???
SAKURAさん・・・清超先生の名前・・・変換ミスが残念。

それとSAKURAさん・・・擁護派のアナタが山口の講演会に行ったなんて書いて
大丈夫ですかあーー  僕達は行ったらどうなるか判らないぞと脅されていけませんでしたー。

でもね、今日の午前中に萩の荒地家のお墓参りに行ったら・・・

なんと・・・貴康先生が一人で聖経をあげておられた姿を見てビックリ!
やっぱり昨日は参加させてもらえばよかったと後悔しました。
昨日の講演会の様子、もっと教えてください「ワカリヤスク」お願いします。

1526SAKURA:2012/10/29(月) 22:33:45 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424>>1469>>1470>>1479>>1487>>
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自発的に物事を考える ) 
―――――  ►► 自発的に物事を考える ◄◄ ―――――


|❤おっしゃることが」、だんだんわかってきたように思えます。しかし、
|まだ十分でないような気があるのです。さらにどんなことをしたらよい
|のでしょうか。

 自分自身に話しかけること学ばなければなりません。これは非常に大切
なことです。
 自分自身に説明し、自分自身を安心させる必要があります。あなたは自分
との対話を確立する必要があります。そうしておけば、どんなつらい境遇に
追い込まれても、あなたはきっと役立つはずです。
 あなたのこころにある子どもの部分がいたずらをしそうになったら、それ
をやめさせ、まずそれについて話し合うことができるはずです。その子ども
に「いけませんよ」と叱ることもできます。他の方法で行なえる場合もある
でしょう。注意さえしていれば、その機会に自分がほんとうはなにを望んで
いるかをつかむことができます。あなたには自分を制するだけの力がありま
す。このことは知っておいてよいことです。はじめはむずかしいかもしれま
せんが、だんだんやさしくなるものです。


PS:トキ様 へ
私の“こころ”を【マインド・コントロ−ル】しますには……><
やはり!見つめ直す事…でしょうか??それは「良本を読む事」から“始まる”のでしょうか?
そして【心のイメ−ジ・トレ―ニング】を、どこまで…限りになく追究できる“心…”?
人は?それがなかなか出来ない!と言います。……が?
「生長の家」では“自分の深層”を見つめなおしますと…【内なる声…】
自ずから〜〜〜此処に『宇宙〜〜の彼方』が“イマ−ジネ−ション”として現われてきます
かと〜〜〜
やはり【心のレンズ】をあわせて、まず【心の映画館】に入っていく事なのでしょうか??
これなら簡単に、私の“心…”がみえてくるようにも思えます。
なんといっても最後には【精神統一…】に、なりますでしょうかしら〜〜〜ン」??
これは【仏教…】では?出来ない世界カモ??この事は…
実は本日「大住職様」と…討論中です。…が??
「生長の家…」の人なら〜〜〜本当の“信仰者=信者”ならば必ず!出来る事かも?
しれませんです〜〜〜ョネ! 私の表…【表面=側面の世界】でしょうか??
唯今!私は【 “心”の開拓 】で〜〜〜す。

「トキ様」は、処で、この事は、如何思われます〜〜〜か???
                               再合掌

1527SAKURA:2012/10/29(月) 23:13:53 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
長州っぽ 様 ヘ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
「長州っぽ様」 始めまして…【SAKURA】と申します。…が?

>>1525の投稿から〜〜「貴康先生」が、【お墓参り…】なさっていたのです〜〜ネ!
この“情報”ありがとうございます…。
そして「亡き清超先生」のご冥福を心よりお祈り申し上げます…。

■【生長の家…永遠なり〜〜】  そうなのです〜〜〜ョネ!  【真理は一つ…】
私は…今回、大変失礼ながら?【分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」の皆様方々…】
此処の皆様方の“投稿…”内容から?判断しまして…? 「生長の家…の方」…?とか…
人はそれぞれ“捉え方?”・“思考力?”の相違にて、随分第3者からの“イメ−ジ”…
如何なものか?随分悩んでいました。…が?

■今回【貴康先生・前原先生】両先生の講話内容を、拝聴出来ます機会を得ました事に…【感謝】

「皆様…」が、御心配いただきましたが??“パ−トナ−”の筆談によりまして?無事に
…両先生の講話…投稿させて頂きます。(メモっていま〜〜〜す。)
「お言葉…」ありがとうございました。(もうしばらく “お時間”を〜〜〜)

          再合掌

1528a hope:2012/10/30(火) 08:00:52 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第五章 腹立つ思いを捨てましょう
♦民主主義の人間になれ


怒ったり恐れたりする人は、「怒り」や「恐れ」の奴隷です。奴隷には自由はないのです。
怒りや恐れに支配されない人こそ真に、自分が自分の主人公であるところの民主主義の人間であります。

若し人間が怒らなければ戦争は始まらなかったでありましょう。
戦争は他が自分を侵すかも知れぬという恐怖と、相手を憎む怒りとによって起こったのです。

恐怖と怒りのない所には戦争はありません。
だから戦争を起こらぬようにする為には、人間全部が、自分で自分の主人公になり、
恐怖や憤怒の奴隷とならぬ様にならねばなりません。

この自分が自分の主人公となることが民主主義と云うのであります。
そこで戦争の起こるのを防ぐ為には民主主義の教育が必要だと云うのです。

将来の戦争をなくす為に日本を民主化せねばならぬと云うのも、
こう考えてくれば、その理由がハッキリ解るでしょう。
(第五章終り)

>>1312 ♦民主主義とは何か

1529SAKURA:2012/10/30(火) 20:15:55 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424>>1469>>1470>>1479>>1487>>1526
>>に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 自発的に物事を考える ) 
―――――  ►► 自発的に物事を考える ◄◄ ―――――

|❤人間の自由というものは、そのちょっとした判断の瞬間にひそんでい
|るようですね。なんと短い限られた時間なのでしょう。

 いずれにしても、あなたはかならずしもその時間をうまく利用していると
はいえません。あなたのこころのなかにある子どもの部分がいたずらをした
とき、自分自身を罰してはいけないのです。にもかかわらず、あなたはよく
そうしてきたでしょう。あなたのこころのなかの子どもを許しておやりなさ
い。あなたが恐ろしいと思っていることでも、その多くは、はじめはそれほ
ど悪くなかったのです。

 わたしたちはこれまで自分の意にさからって、さまざまなことをしてきま
したが、結果は自分こそ、子どものころに想像していた恐ろしいおとなにな
っているのです。わたしたちには両親にたいする深い愛情もあれば、自分を
なぜもっと成長させてくれなかったのかという怒りもあります。また、弟が
生まれて自分の立場がないがしろにされたときの自信の喪失もあります。こ
うしたことが重なって一種の罪意識がわたしたちのこころのなかに生まれ、
それに悩まされつづけているのです。わたしたちは罪を憎んで人を憎まず、
というように教えられましたが、この意味がよくわかっていないのです。自
分のこころのなかにいる人を憎み、その罪にこだわっています。この過失
をあまり過大視してはいけません。ただ、なぜそういうことが起こったのか
をよく理解し、自分を正しい軌道にもどすように努めることです。

 あなたが、子どもにしてやる親切で思いやりのある行為や、愛情ある手助
けこそ、自分自身にしてやることができるはずです。もしあなたが子どもの
ことをよく知っていれば、いつ子どもに注意したらよいか、いつやさしくし
てやったらよいか、いつなら子どもをほっておいてもよいか、ということが
勘でわかるはずです。あなたのこころのなかにある子どものことをよく知る
ようになれば、自分自身にたいしてそれと同じようなことができるはずです。
自分自身とうまくやっていかなければなりません。自分のこころのなかの子
どもを抱きしめてやりなさい。つまり、自分自身と友だちになりなさい。そ
のことがあなたに必要な力を与えてくれるのです。

                       (つづく)

1530SAKURA:2012/10/30(火) 20:18:20 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1529自発的に物事を考える】シリーズ投稿の続きです…。

 わたしはかって悲しみにうち沈んでいる人を診たことがあります。その人
はもっとも親しい友だちを亡くして、淋しさに打ちひしがれていたのです。
わたしはその人とお話してその悲しみの深さを感じ取ることができました。
最後にわたしは彼にいいました。「あなたはあなたのベスト・フレンドを失
ってしまったように見えます」。するとその人は「そのとおりです」と答え
ました。

 わたしは「あなたは、あなたのベスト・フレンドとは誰なのか知らない
のではないでしょうか」といいましたら、その人はわたしをはっとして見つ
めました。しばらくの間、考えていましたが、やがて目に涙があふれてきま
した。そして、いいました。「『あなたこそあなた自身のベスト・フレンドです』
と先生が以前いわれましたが、ほんとうにそうなのですね」。

    「自発的に物事を考える」は終わりました次回【 ベスト・フレンド 】に入ります。

PS:トキ様 へ
【私の中の私…】・・・改めて、考えさせられます。
昨日は【亡き父の17回忌…“お寺の住職様”と話しを〜〜『四無量心・・・』に関しまして、
この“言葉”には、私自身…多少?反発心がありました。“パ−トナ−”は【お気に入り?】なのです。
…が? 此処で、調べていきます内に❤〜【 慈悲・慈愛精神 】なのです〜〜〜ョネ!
それでも“私の心”は、何処かに〜〜〜??同じ“感情”がある自分自身に気づいていますかと?
何故ならば「相手の喜ぶ事が、自分の喜びにと言う感じ」です〜〜〜ョネ!
そうしますと、その人の【レベルの関係で…人生が決まるの??でしょうか】ならば…
例えば“勉学”しましても“心の中”では、【親がバカ!なら自分もバカになるのは、当たり前?】
それは“環境…”からきますから、もう“惰性的”に繋がりやすくなりますのではないのでしょうか?

■此処が何故そのような“環境”になるのかを見つめ直す時に、やはり“自分の心”を、
深く深層部分まで入っていく事が、次のステップの踏み台?なんです〜〜〜ョネ???

今回!私も聴力が悪い事を物事に対処します時“前面”に出しての考え・悩みますのですが??
そうしますと、その時点で“前に進む”のが停滞気味でしょうか?
此処を、もう一度!【私の中の私…】に〜〜〜問いかけていきたいと…今!久しぶりに思います。
この様に「大住職様は〜〜〜無理な事は“無理”と…」と言って【仏教…は断定】します。…が?

【西洋論では“慈愛精神”を更に超えていきまして…おしみなく“愛”になるようです。……が?】
この本を……『 ベスト・フレンド 』ですが?
「19歳の時…まだ!私は【夢と希望…】があり、今から未来へ“羽ばたく年齢”でした。…が?
そうです。聴力も失う事無く…良かったのですから〜〜〜物事への対処の仕方は、現実問題として、
変わっていたと思います〜〜〜ョネ!〜〜あの頃“此処のポイント”を理解が足りない“私”でした
が〜〜〜><
「トキ様」も、自分自身の【 ベスト・フレンド 】は、どうですか〜〜〜???

                                   再合掌

1531ハマナス:2012/10/30(火) 23:41:56 ID:0pK2MwMg
神の子のみなさま
こんばんは。

病気を消すための思念 (『新版 生活の智慧365章』P.274)

 「一切の悪は、神の創造でないから存在しない」――段々乎として強く心に愬(うった)えよ。
心の眼を悪しき状態より一転して、完全なる実相に転ぜよ。如何なる悪も仮想(みせかけ)で
あって存在しない。それは夢であり、妄想であり、醒めたならば消えてしまう心が、醒めない間
だけ見ている夢だと信ぜよ。「悪はないのだ。罪もないのだ。病気もないのだ。無いものは唯
ないのだ。それは妄想の産物であり、ただ想像が描いている影に過ぎない」自分の心に対(むか)
って斯くの如く繰返し宣言せよ。そうして、想像によって描いた恐怖心が消えてしまうとき、
潰瘍や炎症や腫瘍は消滅しはじめるのです。

 自壊作用を見て、病気の悪化だと考えてはなりません。症状は現象である。現象は変化するの
です。今の状態は次の状態ではないのです。ビールが沸騰するのは隠れているガスが消散する
ためです。症状の増悪と見えるのは病児の消散するためです。

感謝合掌

1532a hope:2012/10/31(水) 06:18:54 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第六章 希望の夢を描きましょう
♦心に夢をえがけ


心に夢をえがくということは何でも大きなことを成し就(と)げるのに大切な事であります。
夢をえがくと言うのは、決して出鱈目なことを考えるのではなく、
「必ず出来る」と未来に起こる善いことを心に思い浮かべることであります。

コロンブスは、これから西へ西へと進んで行けば大陸があると、
まだ肉眼に見えない世界を心にえがいて突進して行きましたから、
とうとう其の心にえがいたアメリカ大陸を発見したのです。

まだ見えないが、心の眼でじっと未来におこって来る善き世界を、
善き状態を、一層よき自分を、心に描くことを「夢を描く」と云うのです。
深く心にえがくことは祈りであります。それが正しい祈りである場合には必ず成就するのであります。
正しい祈りと云うのは、その祈ることが、他を害しないで、自分の本性(うまれつき)にかなうものを心に描くことであります。
その祈りがかなえられたら、誰かに損害になるというようなものを心に描いても、祈っても成就するものではありません。

未来に起こることを心に描くと云うことは結局、すべての心の力をそれに集めるということになります。
しかも自分の心は、宇宙の心の一部分でありますから、自分の心を、或る一つのことに集めますと、
宇宙の心が動きだして、自分が心にえがいたことを成しとげられるように、天地間のすべての力が、
その一点に集められるようになってくるのであります。そうして、ついにそれが本当に成るようになるのです。

しかし、心に強く夢をえがいても、他を害して自分がよくなろうとするようなことを心にえがいてはなりませぬ。
人を押したおして自分が出世するような考えを心にえがいても、その人の心が強く、押しが強い場合にはしばらくそれが成就するのであります。
しかし、そうして出世しても、無理をして出来た出世は、金が出来、地位が出来ても、その金のために悩まされたり、
地位のために色々の人が出入りして、会いたくない人に会わせられたり、家族が病気になったり、色々面倒がおこって来たりするのであります。
(つづく)

1533ハマナス:2012/10/31(水) 13:19:27 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんにちは。

あなたは物質身ではない  (『新版 生活の智慧365章』P.275)

 神は、「霊」であり、普遍的存在であり、神は全ての全てであるとしたならば、存在する
のは悉く「霊」であって、たとい「物質」と見えていようと「物質」なるものは何処にも
存在しないと言わなければなりません。ではあなたの「肉体」は物質ではないのです。
「霊身」なのです。これが真理なのです。これが実相なのです。非真理が如何に自己を
主張して「物質」の如く見えしめようとも、非真理とは結局「ウソ」と云うことです。

 実相が「霊身」であるかぎり、如何に、あなたの体が「肉体」と見え、「物質」と見え
ましょうとも、それは「仮相」に過ぎないのです。それは仮装された相(すがた)であって
本当ではないのです。本当でないものはニセモノであり、ニセモノは「ウソ」であるのです。
見せかけの「物質身」と云う仮装を脱いでしまえば、あなたは金剛不壊の霊身である事実が
現れるのです。

感謝合掌

1534SAKURA:2012/10/31(水) 20:58:56 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424>>1469>>1470>>1479>>1487>>1526
>>1529>>1530>>に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( ベストフレンド ) 
―――――  ►► ベストフレンド ◄◄ ―――――
|❤もしあなたのいわれたことをすべて実行し、理解すれば、実際に人生
|を変えることができるでしょうか。

 もし自分が愛し、自分を養育することが体得できれば、人生は想像したよりも豊かなもの
だということを発見するでしょう。もっとも、わたしたちは相変わらず現実の問題にかこま
れ、現実の敗北に悩みを抱いていきます。人生はピクニックやバラの花園のような楽しいも
のではありません。世のなかはただわたしたちの利益のために動いているのではありません。
苦痛、困難、失意といった人間の宿命から逃れるすべはないのです。

 しかし、生きていくうえでの困難に耐えるためには、お互いにどんなことでもできるし、
人生が与えてくれるものを、最大限に活用できるのです。自分を妄想から解放し、自分自身
の真のよりどころがどこにあるかをしるとき、全世界がわたしたちの眼前に開けてくるのです。

 人はよく、自分自身をあきらめてしまったかのように、あるいは自分はもう精魂つきはて、
最善をつくし、自分のもっているものを全部使いはたしたかのように思いたがるものです。
しかしながら、自分の可能性を自分のために利用しはじめるときには、未開拓のエネルギ−
意識を目ざして試掘するような感じがするものですし、まだ手をつけていない銀行貯金を見
つけたような感じにもなるのです。それは、もっとも気楽で安上がりな楽しみともいえます。
あなたはけっして疲れはてることはないし、人生にあきることもありません。

 あるいはまた、それは養老保険のようなものともいえます。かって美術評論家のパ−ナ−
ド・べレンス・氏が九〇歳にもなろうとしたころ、「わたしなら喜んで街角に立ち、帽子を手
にしながら通行人に向かって、あなたの使わない時間を帽子のなかに入れてくださいと頼む
でしょう」といったそうです。べレンスン氏はほんの一瞬の時間でもそれをフルに活用する能
力を、けっして失っていなかったのです。「彼の場合は例外だったんですよ」といわれるかもし
れません。しかし、それはわたしたちすべての人ができることなのです。
                           (つづく)
PS:トキ様 へ
❤〜【人生は、苦しい中から…生み出す…】此処の【宝石?】は〜〜〜
その人の【個性の試金石??】でしょうかしら〜〜〜ン??
これは私の【無限力を意識】すれば〜〜〜まるで【アラジンのランプ…】のように、
【照らし続ける“こころ”…宝石】なのです〜〜〜ョネ!
私は私自身の【試金石…】!!今から来る憂しい時こそ【意志=意識に集中!】でしょうか?
このような時こそ、今の【生長の家…お家騒動】もいい意味で言いますと、
必ず!必ず!よくなります前触れの様に見えますかと……
「トキ様」は、この件に関しまして、如何思われますでしょうか??

1535ハマナス:2012/11/01(木) 12:19:44 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんにちは。今日から、新しい月、11月に入ります。早いもので今年も、残すところ、
2ヵ月になりました。時間がとても早く過ぎていきます。


月の実相は常に円満完全である (『新版 生活の智慧365章』P.276)

 人間は神の最高の自己実現として、神の無限内容の「理念」を内に包蔵し、その無限の
「理想」を永遠に一層広く、一層高く表現するのが人間の生活なのである。人間の意識の
最も深層には「神の心」があって、神の有(も)ち給えるすべての「善き物」が其処に横
たわっており、私たちが瞑想によって、それを発掘しさえすれば、そのすべての「善き物」
が形の世界にあらわれて来るのです。即ち、健康、繁栄、幸福等・・・です。

所謂る「五官」の感覚は、外界の事物だけをするための作用ですから、此の内在無限の宝に
ついては無感覚です。「霊的実在」であり、「神の子」である実相については、五官の感覚は
知ることが出来ないのです。五官の感覚は、三日月を見て、月が虧(か)けたと思い、三日月
に見えるときにも、月の実相は円満完全であると云うことを見ることが出来ないのです。

感謝合掌

1536トキ:2012/11/01(木) 14:03:50 ID:pkKjz4yE
>>1535

ハマナス様、すばらしい御文章をご紹介下さりありがとうございました。

 あと2ヶ月ですが、大晦日まで、笑顔で過ごしたいと思います。

1537トキ:2012/11/01(木) 14:07:07 ID:pkKjz4yE
>>1532

 確かに、人の道から外れた方法で出世をしても、後で寂しい人生を送る人は
多いです。その事にはやく気がつく事が大事ですね。

1538a hope:2012/11/02(金) 07:21:42 ID:8tjYhMb6

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第六章 希望の夢を描きましょう
♦サービスが成功の基(もとい)


すべて、金とか、権力とか、名声(なまえがでる)とか、贅沢とか、
利己的(じぶんのみによい)なことを心に描いて成就(なしとげる)した場合には、
多少とも自分を悩ますものがつきそうて来るのであります。真に悩みのない生活を送るには、
そんな利己的なものを心にえがかず、人につくすこと、世につくすこと、どうしたら人のために、
また世のためになるかということを考えてサービスをつとめて行くようにすれば、
金も名誉も地位も自然に得られてくるのであります。

金や名前や地位などは目的にすべきものではなく、
世のため、人のためにつくした誠が自然にあらわれた結果でなければならぬのです。
(つづく)

1539SAKURA:2012/11/02(金) 18:55:29 ID:jH5uEFzM
トキ様へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

久しぶりに「雅春先生…」の書物であります処の…
■■「生命の実相」  第37巻から“抜粋投稿”です。

「人間の親切にも物施と法施とがある。物を与えることも時には必要であるが、あまり物
のみを与えすぎるとかえって依頼心を起させ、貰うことが権利のような感恩の無い状態
にまで相手の心を荒ませることがある。」

 物を与えるならば、心もちを添えて贈らなければならぬ。紙に包み、水引を掛けるのは
心持ちを添える方法の一つである。人間は心もちによって生かされているのである。機械的
な「与え」の前には感恩の心は起こるものではない。与える側からいうならば、物を贈るの
に相手に感恩の心を起こさせようと思ってするのは不純ではあるが、相手の心を依頼心に
満ちたり、忘恩的な荒んだ心にまでならなせないためには機械的な与え方をしてはならない。

 勤務時間以上に働きをサ−ビスする社員に、上役が感謝して夜食をおごったりしてくれ
る場合には、いかにも上役の好意が身に沁みて感謝されるが、規則によって夜勤手当とい
うものを定めて、一定時間の夜勤をする者には一定の夜勤料を支払うことに機械的に定め
てしまうならば、もう誰も夜勤料をありがたく思わなくなるものである。それどころか、
時としては夜勤料が少ないといって零すようにさえなりがちである。与える悦びがなくな
って、奪い足りないという不平に代わるのである。生活に困っている失業者に仕事を紹
介してやったら、その当座は命を救けてもらったように感謝するが、毎月月給を貰うと
いうことが器械的に度重なってくるならば、もうぼつぼつ月給の不足を零しがちである。

感恩の心は機械的になるとしだいに薄れてくるのである。子供の愛情に養われる老人は幸
福であるが、社会保障度で養老院に養われる老人には前者ほどの喜びはない。われわれ
は毎日空気を吸っているが、機械的に空気を供給されているがゆえにありがた味を感じ
ない。われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、太陽は機械的に毎朝地
平線から顔を出すから太陽のありがた味をさほど感じない。

 しかし、これでよいだろうか。目ざめて立て! わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生
きているのである。

「 ありがたさは物の分量にあるのではなくて、心の【“目ざめ”】にある。【心の目ざめて】
いる人を悟っていると言う。一かど悟っていると自負している人が常に不平を唱えているの
は何を悟っているのか、訊いてみたい。」
                      (谷口雅春著)

1540SAKURA:2012/11/02(金) 19:33:39 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
>>1358>>1373>>1376>>1378>>1412>>1424>>1469>>1470>>1479>>1487>>1526
>>1529>>1530>>1534>>に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( ベストフレンド ) 最終回
―――――  ►► ベストフレンド ◄◄ ―――――

|❤それこそ生きるための技術のようですね。わたしたちはすべて、その
|ように生きることを学べるのだと信じたいものです。

 つぃかにそれができるのです。わたしは実際にやった人々をたくさん知っ
ており、現実にそうした人々はよみがえりました。誰でも自分を変化させ、
成長させ、本来の自分を完成させるために自分に力をかしてやることができ
るのです。わたしたちはみずからのベスト・フレンドになることを学ぶこと
ができます。そうすれば生涯の友をもつことになります。一人ぼっちのとき
でも、自分自身をはげまし、慰め、栄養を与えることができます。わたした
ち自身が、激励とすばらしい助言を生み出す最良の源なのです。わたしたち
には誰かが親切な言葉を与えてくれるのを待つ習慣がついてしまっているの
ですが、わたしたちは、ほんとうはそういうやさしい言葉を多くもっていて、
自分自身のために役立たせることができるのです。
         ――――――― * ――――――――
|❤いろいろと生きるための技術を学びとり、多くの賢明なご意見を聞く
|ことができましたが、これから永くこころに銘じておきたいと思います。

 もちろん、あなたは忘れることはないでしょう。これらのことはあなたが
とうの昔からずっと知っていたはずですよ。

PS:トキ様 へ
【今日で最終回…】になりました。…が?私は今更ながらですが、これを“20代の頃”と
同じように、前以上に精神面が強くなったようです。…が?
私は、内なる心に問いかけます…。
【私 の 心 は そ れ は ベ ス ト フ レ ン ド…祈 り】です〜〜〜ネ!!
最後となりましたが…「生長の家…御教え」では?いかようかと??お考えでしょうか?

PPS:【20代の頃…】フォ−クに熱中していました時……
「アリスの谷村俊二…」さんから紹介して頂いたのです。…が?当時の私の“理解力”…ウフフ
要約〜〜〜今!“理解しつつ〜〜〜”でしょうか??やはり…【良書との出会い】は大切
ですが…【理解力…」これが最終的には〜???         再合掌

1541うのはな:2012/11/02(金) 21:22:06 ID:3jb./WYM
  見る立場によってちがう

善福 こういう時にハッキリさせなければならないと思いまして、おたずねの形で私の
考えを申し上げたいと思います。“生命の実相”というのは、生命の本当のすがたと考えております。
私、誌友会で「霊こそ尊し、善のみの世界」というテーマでよくお話いたします。
生命といいますと魂のことであり、『甘露の法雨』では“心”ということで出て来たり、『天使の言葉』では
“念”という語で出て来ます。これは内在の神、内在の神性、内在の仏性だと思います。
個生命は大生命とつながりがあって、大生命のうちに個生命がある。
“神の世界”のうちに“私の肉体”があり、その“肉体”のうちに私の“魂”がある。

 それはちょうど、ラジオの電波の中にラジオの“機械”があり、“機械”の中にも“電波”があるのと
似たようなことだと言っています。“実相”というのは“本当の相”。”本当の魂の相”はみな“神の子”でありますけれれども、
これがいろんな意識によって覆われて(包まれて)いる。たとえばよごれており。かすみがかかり、波があり、雲にかくれている。
それらをみんなとりのぞいてしまえば、それこそ即身成仏、いま仏の心、神の心になる、というふうに解釈しておりますんです。
いかがでございましょうか。

谷口 それは、現象の方からのぞいてみたら、そういうふうに解釈できるというだけだ。

林 表現が悪いかもしれませんが、そうなると二元論の残渣が少しあるような気がするんですね。

谷口 現象からのぞいての説明になってるわけだからね。

『實相研鑽』第一集 谷口雅春 先生監修 P183-184

1542うのはな:2012/11/02(金) 21:47:06 ID:a.OcI.Rc
    富は“信”を中心に集り来る

 富は常に信念なくして動揺する者には来らない。たとい富が一時来ることがあっても磯に来る波の
ように常に動揺して去ってしまうものである。先ず自己の信ずること、そして他を信ずること、そして自己の
たずさわる事業に対して将来の一層繁栄を信ずることである。

 そして“わが為すは神が為さしめ給うのであるから、窮極に於いて必ず自分の計画する事業は栄えるより仕方がない”
ことを信ずることである。自己にこの信念がなければ、他の人々からその人は信頼をかち得ることができず、多くの人々から
真に協力を得ることができないで結局その事業は大きく成功することは不可能となるのである。

 また自分自身を信頼せず、自分自身に劣等感を持つ者は、自分の持っている能力の半分も完全に発揮することができないのである。

 『新版 真理』第9巻 生活篇  谷口雅春 先生著 P158

1543トキ:2012/11/02(金) 21:53:44 ID:R6Vk4plg
>>1542

 良い文章ですね。

1544ハマナス:2012/11/02(金) 23:03:12 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

あなたは常に健康である  (『新版 生活の智慧365章』P.277)

 瞑想又は神想観によって霊的直観力を発達させることによって、あなたは人間の神聖性を

知ることが出来るようになります。人間は肉体によって互いに孤立している存在でもなく、
肉体が死ねば、個人の霊は宇宙の大海に没し去って「何もなくなる」と云うような存在でも
ありません。個々人、ひとりひとりの霊が、神の各々異る理念の表現でありますから、それ
は普遍と一体でありながら、「個」として永遠に存続するのであります。個にして全、全に
して個、此の不可思議にして広大無辺な存在が人間なのです。

 先ず神の完全さとその無限の力とを信じなさい。その無限の力にて、その「完全」さを
最高度に表現すべくつくられたのが、「人間」なのです。一度神が「完全」につくった
ところの人間が不完全に変化すると云うことはあり得ないのです。だから貴方は完全であり
健康なのです。

感謝合掌

1545うのはな:2012/11/02(金) 23:42:32 ID:Z48Us0zE

 神さまの教えをひろめるには、“純粋な献身”が要求されるのでありまして、ただの「売れたら好い雑誌」
の出版とは異なるのであります。それがただ「栄える企業」としてはじめるのだったら、無論、その収入の中から
自分の生活費も、休養費も娯楽費も出してよいのでありますけれども、“純粋な献身”が要求されるところの宗教の伝道に
於いては、少しでも利慾的又は利己的動機が含まれておりますと、宗教というものは、その伝道者が神様からの放送を受信する
アンテナになり、それを発声するラジオ・セットのスピーカーにならねばならぬのでありますから、伝道者の精神態度が一寸でも
不純になると、完全に神さまからの教えの放送を受信できないおそれがあります。
そして神様からの純粋の放送が受信できないで、他の低い霊魂などからの放送を混信することになるならば、その宗教は生命なきもの
となり崩れ去るのであります。

『到彼岸の神示』149頁 谷口雅春 先生著

1546志恩:2012/11/03(土) 02:50:42 ID:.QY5jUA6
『生長の家五十年史』324頁〜325頁 
「天皇信仰」から・・・・」
 
 谷口雅春先生は昭和十五年の『生命の教育』九月号の巻頭言に
「天皇信仰」といふ生長の家の教義の根本である文章を発表された。

天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は、天皇より出でて天皇に帰るなり。
天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの、天皇より流れ出て、天皇に帰るなり。

わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと言ひて、『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。

私なきが『忠』なり。天皇は、天照大御神と一体なり。天照大御神は、天之御中主神と一体なり。

斯くして、天皇はすべての渾てにまします。忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して
再び天之御中主神に復帰するなり。

天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず
『我』となるなり。全ての宗教は、天皇に帰一するための前提として存在の意義があるなり。

すべての宗教が、『我』を捨つるを説き、『無我』を説き、富を捨つるを説き、
『無所有』を説くは、『この世は何も無いものだから諦めよ』と云ふ意味に非ず。すべてのものは、天皇の一元より
発現することを教へたるなり。

すべての森羅万象、天皇の大御いのちの顕現ならざるはなきなり。
天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず。

 わたくしの『生命』を愛護すること勿れ。
『生命』が尊きは、天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。
寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。

『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり。
 愈々日本も政治新体制の曙は近づけり。

一切の政党は解党せり。新たに党を結ばんがための解党にては意味を成さず、この事肝に銘ずべきなり。
挙国一党なりとも、党のある限りは、『無我』に非ざるなり。
大みごころあるのみなり。
大みごころへの無我随順あるのみなり。

若し新党を樹つるとも、新政体を建つるとも一点の『我』ありて、大みごころを晦ますとき、
天皇の御徳を遮して、自分の都合をはかる無道の徒となり了るなり。

 無道とは、道の無きことなり。
道は宇宙にミチてあれども、『我』のあるところには、道は遮られてあらはれぬなり。
大海原に海水は満ちたれども岩石の固まりたるところには海水は満ちをること
能はざるが如きなり。

『我』がなくなりて、はじめて『道』は生きるなり。私の『善』、私の『道』、
私の『宗教』などと言ふものあるべからざることなり。

 すべて宗教は、天皇より発するなり。大日如来も、釈迦牟尼仏も、イエスキリストも、天皇より発する也。
ただ一つの光源より七色の虹が発する如きなり。

各宗の本尊のみを礼拝して、天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して、太陽を知らざる徒なり。すべてのもの、
太陽にて生くるが如く、すべてのもの、天皇の大御いのちにて生くるなり。

 生長の家が、一宗一派を樹てざるは、宗派と言ひて党を樹て、閥に籠りて、相争ふことが『忠』に非ることを知る故なり。

特に『一宗一派に非ず』と言ふことを教義の『七つの光明宣言』に記入して、宗教であることを許されしは、文部当局の賢明なる処置なり。
文部当局が一宗一派にあらざる宗教をみとめたるなり。

宗教が正しくなりたるなり。すべての宗教は私のものにあらざるなり。すべてを、天皇に帰一し、天皇に奉還し奉る宗教なり。

1547志恩:2012/11/03(土) 02:55:37 ID:.QY5jUA6
 (つづき) 
宗はオホモトなり。天皇なり。すべての教も則も範も矩も規も法も、悉くスメラミコトより発するなり。

宗教は宗派と言ふものに立ち籠りて、宗祖と言ふ一人の国民に過ぎざる人間を尊崇するは邪道なり。
されば我は夙に喇叭に過ぎずと言ひたるなり。すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。

宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。
 釈迦在世のとき、金波羅華を拈じて衆に示すに、迦葉のみ微笑す。

金波羅華は『空』の象徴に非ず、宇宙がコスモスであり、中心帰一である象徴なり。
日本国体の象徴也。迦葉のみ微笑す、とは悲しいかな。

他の大弟子皆解せざる也。今の仏教者はいかほど金波羅華の秘密を解せりや。
仏教を以て『空』を説くとなす者、百尺竿頭に坐する底の者なり。

百尺竿頭に達せざる者よりは優れり。されど『空』の百尺竿頭より進一歩して、中心帰一世界を見ざるものは、
外道の仏教にして、日本仏教にあらざるなり。

 東大寺の大仏は中心帰一の蓮華蔵世界を彫刻にあらはせるなり。中心座にましますは、光明遍照者(ヴェーローシャナ)にましまして、
それを守護し奉るために、千葉(せんよう)の蓮華その御足の下にありて、各々の蓮華に、悉く釈迦牟尼仏ゐまして、

光明遍照者(ヴェーローシャナ)の御徳を讚ふるなり。
ヴェーローシャナと言ふ梵語をば、大日如来などと、仏教が如来の如く訳したるは誤謬にはあらざれども、人をして外国の仏様の如く誤解せしめたるや久し。

 ヴェーローシャナとは、単に『光明遍照』の意なり。宇宙の中心座に在す『光明遍照』なり。

畏くも天照大御神にましますなり。
天皇は天照大御神と一身にましますが故に、釈迦は、天皇信仰を教へたるなり。

それを知らずして、迦葉のみ微笑す。善い哉。迦葉微笑せり。今は日本人悉くが微笑せざるべからざる時なり。
天皇信仰を知らざるべからざる時なり。

今はすべての宗教が天照大御神を礼拝すべき時なり。そのほかに宗教ある筈はなきなり。

1548神の子さん:2012/11/03(土) 09:57:58 ID:uEcp2dog
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65694013.html
訊けさんブログより。

『常楽への道』(吉田國太郎著)210頁より謹写――


 私達が本当の喜びを生きますには、今まで『自分』だと思っていたその『自分』へ点数を附けようとしたり、その自分を大切にしようとしたり、その自分をどこか安穏なところへ持って行こうとしたり、先程地震の揺れている話をしましたが、どこか揺れないところへ持って行こうとしたり、そう云うようなことを追いまわしていたりしましたなら、いつまで経っても吾々は幸福を戴けないのであります。恩師は『生命の實相』の中に、本当の人間と偽物の人間と云うものを別にお分けになって説いておられますが、今迄『自分』だと思っていた『自分』は『本当の自分』でなくて偽物の人間だったのであります。そして本当の人間と云うものは神の子なのだ、本当の生命はこの『神の子』で、神の生命に生かされていたのに、それに気が着かずに偽物を自分だと思って来たのです。そして理窟(りくつ)を云い、自己弁解し、こう云う訳で、ああ云う訳で、そう云う訳でと云ってこの『偽物の自分』と云うものを振廻そうとするが、それは実体のないものだ、それは非実在の人間だと云うことが説かれております。吾々は御教を戴きました時に、そうした今まで『自分』だと思っていたところの『偽者』を何とかしてどこか安穏なところへ持って行こうとしたり、それを握って箔をつけて何とか生きて行こうと云うような風にしていなかったかどうかと云うことを反省せしめられたのであります。そうやってはいない積もりであっても、よくよく反省して見ますと、一番私達の肚(はら)の奥、一番どん底のところに、やはりその『にせもの』が本物の様な顔をして生きていて、その『にせもの』の上に『生命の實相』の法話を載せたり、一寸(ちょっと)ばかり行ずると云うことを乗せたりしておったということに気がつくのであります。こんなことでは自分の本当の生命は生きて来ないと同時に、人も随(つ)いて来ない。私達が一番世の中を動かせる時は自分の生命を投げ出した時であります。自分の生命を投げ出したら一番働く。私なら私が許されている限りの一番大きなことが出来るのは私が生命を投げ出した時であります。だから私がよりよく生きたかったら、好い意味に於て世界を動かし人を動かしたかったら、即ち地上に生れて来た使命を完全に果たしたかったら、私が一番『自分』を投げ出すこと、『自分』が死ぬことであります。古来本当に人類の生命を揺り動かして来た人は、『自分』をなげ出して死んでいる人です。『自分』と云う『にせもの』が死に切ったときそこに動いて来るものが『神』の力であります。

1549SAKURA:2012/11/03(土) 10:37:09 ID:jTinNDNM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1529>>1530>>1534>>に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?
そして、投稿中、間違いがありましたので、此処にて修正しましたので【再度投稿…】です。

・・◆【ベスト・フレンド】  ( ベストフレンド ) 最終回
―――――  ►► ベストフレンド ◄◄ ―――――

|❤それこそ生きるための技術のようですね。わたしたちはすべて、その
|ように生きることを学べるのだと信じたいものです。

 つぃかにそれができるのです。わたしは実際にやった人々をたくさん知っており、現実にそうし
た人々はよみがえりました。誰でも自分を変化させ、成長させ、本来の自分を完成させるために自
分に力をかしてやることができるのです。わたしたちはみずからのベスト・フレンドになることを
学ぶことができます。そうすれば生涯の友をもつことになります。一人ぼっちのときでも、自分自
身をはげまし、慰め、栄養を与えることができます。わたしたち自身が、激励とすばらしい助言を
生み出す最良の源なのです。わたしたちには誰かが親切な言葉を与えてくれるのを待つ習慣がつい
てしまっているのですが、わたしたちは、ほんとうはそういうやさしい言葉を多くもっていて、自
分自身のために役立たせることができるのです。
         ――――――― * ――――――――
|❤いろいろと生きるための技術を学びとり、多くの賢明なご意見を聞く
|ことができましたが、これから永くこころに銘じておきたいと思います。

 もちろん、あなたは忘れることはないでしょう。これらのことはあなたがとうの昔からずっと知
っていたはずですよ。

PS:トキ様 へ
【今日で最終回…】になりました。…が?私は今更ながらですが、これを“20代の頃”と
同じように、前以上に精神面が強くなったようです。…が?
私は、内なる心に問いかけます…。
【私 の 心 は そ れ は ベ ス ト フ レ ン ド…祈 り】です〜〜〜ネ!!
最後となりましたが…「生長の家…御教え」では?いかようかと??お考えでしょうか?

PPS:【20代の頃…】フォ−クに熱中していました時……
「アリスの谷村新司…」さんから紹介して頂いたのです。…が?当時の私の“理解力”…ウフフ
要約〜〜〜今!“理解しつつ〜〜〜”でしょうか??やはり【良書との出会い】は大切ですが?
【理解力…」これが最終的には〜???でしょうか         

再合掌

1550うのはな:2012/11/03(土) 11:36:08 ID:SXwG/Idc

   万教帰一の意味するもの

 私(谷口雅春先生)が昭和四十八年にペルーに行ったとき、そこでの記者会見で、
「この生長の家とは、万教帰一だといいますが、凡ゆる宗教を生長の家の教えで統一してしまって、
その他の宗教を抹殺する意志を有っているのと違いますか」という意味の質問がありました。

 生長の家の万教帰一というのはそういう意味じゃないんです。生長の家では、「この神を“七つの灯台の点灯者”と
呼ぶがよい」という神示がありまして、神みずから灯台に灯をとぼす者だと仰せられているのであります。灯台というのは
世を照らす光のことでありまして、宗教は人々の魂を照らす光の灯台であります。
で“七つ”というのは、七日間で神様が天地の創造を完成されたという神話に基づいて、“全ての渾て”というような意味で、
世のなかの全ての灯台すなわち宗教が、現代はキリストが行なったり釈尊が行なったりしたような奇蹟が現て来ないのは、何故であるかと
いうと、それは、釈尊の教え、キリストの教えは立派であるけれども、それが次から次へと伝えられている間に、だんだんと元の教えから
遠ざかって、自分の考えというものが入ってくる。

 恰度それは灯台の窓に埃が積って、折角灯台は在りながら、その灯台の窓ガラスがほこりで曇って、光が完全に航行する船を照らして導いてやるには
燭光が足らんというようになっている。或は灯台の中の油がもう燃え切っているのもあるかも知れないが......
兎も角、現代の宗教は“末法の宗教”といわれていて世を照らす光が曇って来ているのは事実であります。

 そういう灯台を、われわれ生長の家はそれを潰してしまうんじゃないんです。
すでに在る灯台の窓ガラスを拭いてあげて、そして「こんな曇があるから光が遠くへ届かないんだ」と、その曇りを除ってあげ、
或は灯台の灯火の油がもう無くなって火が消えかかっているのには、油を注いであげて、そして、その灯台を教祖の時代のように
光が明らかに出るようにしてあげる。これが生長の家であるぞよ、という神様のお示しに基づいて、私は自分のことを、いつも教祖と
称わないんです。「私は教租ではない」「教祖は神様である」というのです。

 即ち「われ自らにては何事をも為し得ず」であります。「私は教租でない。ただラッパである」と常にいっているのです。
ラッパというのは、中が空っぽであります。もし中が空っぽではなくて詰っていたらラッパは鳴らないということになるわけでありますから、
私はパイプのように空っぽでばくて詰っていたらラッパは鳴らないということになるわけでありますから、私はパイプのように空っぽで、
私はただ取次いでいるというだけのことなんであります。

 (私はこんな話を、この通りの言葉で言ったんじゃないんですけれども、そういう意味の話をしたのでした)

 すると、次の新聞記者が、「いろいろの宗教が、種々の教説を有っており、異る教義をもっているのが、どうして
それが一つに一致するんですか」といって質問するんです。
 それで私はこんな話をしました。十年前にも私は世界旅行して、世界各国の人類にお目にかかったんだが、皆などの人種の
顔を見ても、横目縦鼻で、目が横について、鼻が縦についている。口はその下に横に開いている。
耳は左右にある。顔の道具一つとってみても、みんな平等である。顔だけじゃないんです。
内臓の形から構造から骨格から人体全部に至るまでその設計が同じである。

 設計が同じであるとすると、これは、その製造元が一つであるということの証拠でなければならない。
そして製造元が一つであれば、その一つの製造元によって造られた人間が救われる真理も、一つの共通的な
真理でなければならない というのが、私の根本的な考え方なんです。だから、もし人間を救い得る宗教と
いうものが本当にあるならば、その宗教の奥には、必ず共通の真理が在って、同じ神に創造られた人間なのだから、
その人間が救われる真理はどの宗教にも一つの共通のものでなければならない筈なんです。

 その共通の“救いの光”を指し示して、点し、その各々の灯台に、輝く光を出させようというのが生長の家であって、
決して他宗排斥ということはいわないのであります。

 『精神科学』四十八年十月号

1551SAKURA:2012/11/03(土) 12:12:43 ID:jTinNDNM
トキ様 へ  観覧者の皆様 へ
こんにちは……。   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日、投稿しました【ベスト・フレンド…】…なのですが、“間違い…”がありました事に、
気づき>>1549にて投稿…更に【ベスト・フレンド…】最終となりました次第です。…が?

はやくも?皆様方の“投稿言葉…”それも兼ねて、既に奥の方へ参りました様で、
此処にて、訂正致したく【再度…投稿】の形式を取らせて頂きました次第なのです。…が?

■いつになっても【人間の心の意識力】が生みだされない限りは、いつまでも同じ状態でしょうか?
繰り返し?繰り返し?反復なる問題を与えられますのでしょうか?とこの頃思います。…が?
更に!投稿文でもその人の【心の念…想念】も、入って来るのでしょう〜〜〜かと!
【念の法則…】そうです〜ョネ!その念が?“ネガティブなる念”属にいます【呪詛・密教…】も
ありますから〜〜〜怖いです〜〜〜ョネ!
後に「雅春先生」が、それに近い文章内容を、載せていましたので…次回また投稿させて頂きたい
との思いです…。
                                 再合掌
                          つづく

1552うのはな:2012/11/03(土) 14:26:11 ID:.iGF2jO6
「個人指導の指針」 徳久克己教務局長『生長の家』誌昭和三十三年三月号

「生長の家」の講師として、また幹部として、個人指導する時には、私たちは先ず「生長の家」の御教えに
従って個人指導をするのだ、ということを再認識し、いつの間にか、我流になっている仕方を、もう一度反省してみる
必要があります。その為には、谷口先生の御講習を受け、また『生命の實相』及び先生の御著書を繰り返し拝読し、神誌を
拝読しなければなりません。

「『生長の家』は決して病気を治さないのであります。病気を心から放さしめるところなのであります。
病気と云うものを心に握っていて、『此の病気を治して呉れ』と言うのでしたら、そういう方はお医者さんへお出になるが可いので
あります。『生長の家』はお医者さんと商売争いをしようと云う気はさらさらないのであります。
お医者さんは病気を治そうとして色々と処置工夫をめぐらせてくれるのですから、病気を治して欲しい人はお医者さんへお出かけになるように
お勧めします。」

(『生命の實相』新修版第十四巻、携帯版第二十七巻十九頁)

1553SAKURA:2012/11/03(土) 18:07:37 ID:jH5uEFzM
トキ様へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日投稿しましたが、以前『ボランティアについて』と『浮浪者について』ですが…?
偶然…本を開きますと「谷口雅春先生の著書」ですが…素晴らしい解説です。

■■『生命の実相…』 第37巻 から “ 抜粋投稿 ” です。
============================================
「人間の親切にも物施と法施とがある。物を与えることも時には必要であるが、あまり物
のみを与えすぎるとかえって依頼心を起させ、貰うことが権利のような感恩の無い状態
にまで相手の心を荒ませることがある。」

 物を与えるならば、心もちを添えて贈らなければならぬ。紙に包み、水引を掛けるのは
心持ちを添える方法の一つである。人間は心もちによって生かされているのである。機械的
な「与え」の前には感恩の心は起こるものではない。与える側からいうならば、物を贈るの
に相手に感恩の心を起こさせようと思ってするのは不純ではあるが、相手の心を依頼心に
満ちたり、忘恩的な荒んだ心にまでならなせないためには機械的な与え方をしてはならない。

 勤務時間以上に働きをサ−ビスする社員に、上役が感謝して夜食をおごったりしてくれ
る場合には、いかにも上役の好意が身に沁みて感謝されるが、規則によって夜勤手当とい
うものを定めて、一定時間の夜勤をする者には一定の夜勤料を支払うことに機械的に定め
てしまうならば、もう誰も夜勤料をありがたく思わなくなるものである。それどころか、
時としては夜勤料が少ないといって零すようにさえなりがちである。与える悦びがなくな
って、奪い足りないという不平に代わるのである。生活に困っている失業者に仕事を紹
介してやったら、その当座は命を救けてもらったように感謝するが、毎月月給を貰うと
いうことが機械的に度重なってくるならば、もうぼつぼつ月給の不足を零しがちである。

            つづく

1554SAKURA:2012/11/03(土) 18:10:31 ID:jH5uEFzM
トキ様へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553の投稿の続きです。…が??

感恩の心は機械的になるとしだいに薄れてくるのである。子供の愛情に養われる老人は幸
福であるが、社会保障度で養老院に養われる老人には前者ほどの喜びはない。われわれ
は毎日空気を吸っているが、機械的に空気を供給されているがゆえにありがた味を感じ
ない。われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、太陽は機械的に毎朝地
平線から顔を出すから太陽のありがた味をさほど感じない。

 しかし、これでよいだろうか。目ざめて立て! わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生
きているのである。

「 ありがたさは物の分量にあるのではなくて、心の【“目ざめ”】にある。【心の目ざめて】
いる人を悟っていると言う。一かど悟っていると自負している人が常に不平を唱えているの
は何を悟っているのか、訊いてみたい。」  『生命の実相…』 第37巻 (谷口雅春著)
============================================                      

■上記の“言葉”…それを此処に“投稿…”致しましたが、…もう“奥殿特急便”ですネ!
更に、閲覧された方達は、変?に捉える方達なのでしょうか…??私自身は、ためになりまして、
今後の“物事への見方?捉え方?”にて…更に、深めていく上で、今後の“テキスト”にして、
いきたいのです。〜〜〜そして、まだ…閲覧されてない方も、それは【SAKURAの仲間?】…
つまり■【類の法則】でしょうかしら〜〜〜ン!昨日の地下鉄で、見られていました方も……
(偶然…2チャンネルの閲覧が、チラリ?)いますでしょうし、此処にて“再投稿”させて頂き
ます。久しぶりに【谷口雅春先生…】の書物であります処の……抜粋となりました。…が?

PS;【捉え方…】でしょう〜ネ!私は、ここ数年間、精神の状態は、以前より進歩でしょうか??
更に、仕事の苦労面も、まだ続投中です。…が?世間にもまれた人の考え方?・捉え方?
まだ!一人一人の捉え方???色々あるのでしょうか??
今回、私は【物施…法施…の捉え方と見方?】が、良く解りましたので…私自身は、有益になる
ようですが、「管理人…トキ様」側から見られますと…現職員サイド?の見解でしょうか?
こうして見ますと…ある面!世間一般の捉え方?として考えますと、職員としての料簡の狭さの
考え方とも?ある面では…???捉えてしまいますかと思います。…が?
私は「うのはなさん」・「志恩さん」の抜粋投稿…時としては「共有性」出来ないのです。…が??
一人一人の“投稿時の心境…念の具象化”でしょうか〜〜〜??今回、随分考えされました。
いろんな意味で、最後に…
【一人一人の観覧者様が、閲覧して頂きまして、それなりの『真理…』を、掴む事が大事ですネ!】

                                    再合掌

1555ハマナス:2012/11/03(土) 22:50:09 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

本来存在しない迷い
(新版『生活の智慧365章』P.278)
夢の中にあなたは色々な事を見ます。それは目覚めてみれば本当には存在しないのです。それは心理学的に言えば潜在意識が心に描いたことの投映であります。また脳髄のオートメーション的な作用によって、目覚めているうちの記憶を自動的に組み立てて、それを客観化してみているのであって、実際に存在する事ではないのです。それと同じような過程を私たちは目覚めている間にもやっているのです。即ち「五官の心」の想念によって描いたところのものを「本来は存在しないのに」存在するかの如く如実に見るのです。

感謝合掌

1556SAKURA:2012/11/04(日) 18:47:01 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>投稿の続きです…。❤〜『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』

ア〜〜ア〜〜“人の捉え方”にも、“七色〜〜??”当に【不思議…世界】でしょうか??
昨日ですが?“投稿”しましたのも、以前「トキ様」が【施し…】について、
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■そして思いながらも〜〜「谷口雅春先生の言葉」から〜〜引用させて頂きます。…が?
【 生命の実相 】より
===【抜粋文】======================================
❤「憎みながら叱るこころで軽く子供を打つ子供は泣く。同じ強さで打っても愛撫する心で
愛慰すような形で打ったら子供はかえって喜ぶだろう。痛さは心にあるからである。」(抜粋)
==============================================

この様に私はライティングを打ちます時は、やはり閲覧者の皆様が“心の安らぎ感”をと…
思いなが…更に!似た者同士の“考え方”もあり【類の法則】でしょうか…??
あちらサイド側に取りまして“良い文”でも?…こちらは“気分の悪い文”に、見えるのも?
私の【心模様…】でしょうか???それはどこから来るのでしょうかと?考えて行きます内に…
今日の「雅春先生の言葉」が、出て来ました。先程!投稿しましたのも含めて、気が向かれた方が
閲覧されましたら、幸いに思います。【四無量心・・・】とは〜〜〜
■「拘らない…つかまらない…“こころ”とも言えますのでしょうかと…」只今!!修行中です。
                                  再合掌
 
つづく

1557うのはな:2012/11/04(日) 19:09:53 ID:0OK1Hwak

    物質は実相から出る蛍光である

 盲人は象に触れて、これを四斗樽のようなものだとみとめ、それ以上に一歩も認識が進歩することが出来ない。
唯物論者もそれと同じであって、存在(もの)を五官の感覚で触れて見て「物質」だとみとめ、それ以上に一歩も
認識が進歩することがないのである。唯物論者は“霊盲”とも称うべき一種の盲人であって、紅緑色盲が紅緑の色彩を
感じとることが出来ないように霊的存在を感じとることができないのである。

 実は、物質と見えているものは「霊的存在」から発する一種の「蛍光」みたいなものである。
その「蛍光」だけをみて、その本体たる「霊的存在」を知らないのは本末顚倒の甚だしいものである。
実相を知ることが出来るならば物質はただそれから出る「波動」を、感覚器官と云うブラウン管に映し出して、
「翻訳して見ている」ものに過ぎないことが判るであろう。

『真理』第10巻 実相篇 谷口雅春 先生著 P 206

1558SAKURA:2012/11/04(日) 20:59:36 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556投稿の続きです。…が

昨日ですが?“投稿”しましたのも、以前「トキ様」が【施し…】についてですが、もっと深く、
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻」より……
==【抜粋文】======================================
❤打つ心は打たれるこころである。打つことを心に描けば、その念は形と表われて相手を打つ。
相手の気魄がつよければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つのである。
阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手がうけなかったら、その憎んだ心はどこへ行きますかと
尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け取らなかったら
その贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った人に返って来ます」
と答えた。釈尊は「人を憎むこころもそのとおりだ」とおっしゃった。
==============================================

■これが、ある方の“捉え方”はと申しますと?その人の“心…次第”にも繋がるのでしょうネ!
私は【いい言葉の表現…】と、思いますので〜〜【再度!投稿…】します。…が?
ある人達一部の方は、“ネガティブ感情…ライティング”に、見えます。…が?
「雅春先生の言葉」…一つでもその人の中身の問題にての【抜粋投稿……】でしょうか??
本当に【心 模 様】です〜〜〜ョネ!!
これも「私の心の捉え方?」でしょう〜〜〜ネ!
【人、それぞれ…でしょうか??拘らない“心…”にて〜〜四無量心の世界観…】

■パソコンも、相手が見えないだけに「自分の世界観」での判断でしょうかしら〜〜〜ン?
もしかしますと【心の種まき…】は???「良い表現…言葉」も大事です〜〜ネ!
【言葉は神様の表現としての…近道!!文章体も…大事です】??
ます!ます!「表現の大事さ…」を、今日は学ぶことが出来ましたかと?思います。【感謝…】
再合掌
                つづく

1559ハマナス:2012/11/04(日) 22:06:13 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

真心現るれば妄心消ゆ  (『新版 生活の智慧365章』P.278)

 映画の画面に色々の喜劇や惨劇があらわれて見えようとも、そんな喜劇も惨劇も存在しない
のです。それは映写機械が光の波動をスクリーンに送っているに過ぎないのです。波動は如何
に巧妙なすがたを現そうとも、それには生命がないのです。病気もやはり「迷いの心」の誤れ
る信念が放送している「波動」が姿をあらわしているものなのですから、それ自身、生命はなく、
それ自身進行するものではないのです。

 病気が進行したように見えるのは、それに波動を送って或る病的症状を現わしめている
「妄心の動揺」によるのです。そんな妄心を捨てなさい。病気の症候に目をとじなさい。
そうして瞑想によって「真心」をよび出し本来完全なる神の自己実現なる自己の「生命の
実相」を観なさい。「真心」は実在であり「妄心」は仮妄(こもう)ですから「真心」
現るれば「妄心」は消えてしまいます。

感謝合掌

1560a hope:2012/11/05(月) 07:13:45 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第六章 希望の夢を描きましょう
♦苦難の道だと云うな


あなたが現在の苦しみや乏しさや貧しさになやんでいられるならば、
それは「人間の生きる道はどうせ苦難の道だ、思うようにならぬ」と云うことを前から考えて来たからです。

「苦難が来るぞ、荊棘(いばら)がくるぞ」と云っていると、「苦難」が来、荊棘が来るのです。
これを言葉の力と云うのです。ことばは神であり、ことばは心に思っても、口に出しても、それはいずれも「造る力」をもっているのです。
思ったとおりにあらわれ、言ったとおりに出てくる世界なのです。

明るい言葉、たのしい言葉、ゆかいな言葉、希望に燃える、前途(ゆくさき)のよくなると云う言葉を出していると、
そのとおりに、人生は明るくなり、たのしくなり、愉快になり、希望に燃えるとおりに何事もよくなってくるのです。
(つづく)

1561ハマナス:2012/11/05(月) 13:09:03 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

心の仕事場に良いモデルを  (『新版 生活の智慧365章』P.279)

 醜婦をモデル使いながら、美女を彫刻することはできません。美女を彫刻するには美女を
モデルに使わねばなりません。心に描く姿をモデルにして、私たちの生命は、肉体と云う
栄養物物質の素材上に、健康の姿でも病気の姿でも彫刻するのです。

 あなたが今健康であるならば、今まで、あなたは心の仕事場に「健康の姿」をモデルに
してそれに随って肉体の上に「生理作用」の鑿(のみ)を加えたのです。あなたが今病気を
しているならば、今まで貴方は心の仕事場に「不健康の姿」をモデルにして、それを心で
みつめて「病気の肉体」と云う作品を制作したのです。その「病気の肉体」がお気に召さ
ないのでしたら、一つあなたが毎日見詰めるモデルを取り替えて、「不健康の姿」を去って
「健康の姿」をモデルとして見つめなさい。即ち神想観して、目を瞑(と)じ、心の眼を
もって、じっと自分の「健康の姿」を描いてそれを凝視するのです。

感謝合掌

1562SAKURA:2012/11/05(月) 21:43:32 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556投稿の続きです。…が

昨日ですが?“投稿”しましたのも、以前「トキ様」が【施し…】についてですが、もっと深く、
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻」より……

==【抜粋文】======================================
これは神話であるから「大和理念」の地上顕現が悠久であることの象徴と見るべきである。
日本の建国の歴史をわざわざ長くないように考証している人もあるが、それは結局自己侮辱
であり、自己破壊本能の展開にすぎない。人間には「生」の本能と「死」(自己破壊)の本能
とがあって、「生」の本能が旺んなるものが栄え、「死」の本能が「生」の本能に打ち勝つとき
衰えかつ滅びるのである。自己の卑小に言うことに誇りを感ずるような悪い趣味はやめた方がよい。
=============================================

■人間には「生」の本能と「死」(自己破壊)の本能とがありまして…【 生=天  死=悪 】
と置き換えまして考えますと、人間の心の中は『ジキルとハイドで、まず二重人面=二重人格』と
いいますから、そこの“こころ”が何処に振り向くかと言いますと、その人の“こころの測り”
になるのでしょうか〜〜〜??

心が天に向いた時は、精神は“正しい理念”に目ざめ=芽が出て来まして、スクスク伸びていきま
すが…?逆に申しますと……悪に心を振り向ける事は、目ざめ=芽が伸びなく…停止状態!でし
ょうか?それこそ…【 精神は枯れる! 】のです〜〜〜ョネ!!

人間とは、「甘露の法雨」で申しますところの本来【善のみ…】と…つまりは“悪に打ち勝つ”
ものを持っています。…が?ある時【霊界に一本の車輪の棒…】を、置いていたら??
それは【業…車輪の棒】ですから、やはり、相当の【祈り…】が必要かと思う次第です。
精神に正しい理念をと…集中するべきでしょう!!まず、今の私は、人への“悪口・中傷…”を
論ずる事に、喜びを抱く事によりまして…
【魂の目ざめた“こころ”…】で“明るい理念”さらに“感謝・報恩のこころ”で、今!活かさ
れていますことに【集中…】でしょうか???

そして【祈り…】が素晴らしい〜〜♫〜〜爽やかな朝の時間に【感謝…】でしょうか?
ますます【 意識=意志 】でしょうか…?このように考えますと
【 捕われない心=四無量心 】に、入っていく “ 私 ”ですが〜〜〜?

                                  再合掌

                       (つづく)

1563SAKURA:2012/11/05(月) 22:01:20 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1562>>投稿の続きです。…が

>>1562の箇所の【 訂 正 事 項】……

① 「今の私は、人への“悪口・中傷…”を論ずる事に、喜びを抱く事によりまして」 ×
                 ↓↓↓↓↓
② 「今の私は、人への“悪口・中傷…”を論ずる事に、喜びを抱くことより」、ましては、逆に
【魂の目ざめた“こころ”…】で“明るい理念”さらに“感謝・報恩のこころ”で、今!活かさ
れていますことに【集中…】でしょうか???

① から ②に訂正です。                 再合掌

1564<削除>:<削除>
<削除>

1565a hope:2012/11/06(火) 07:55:56 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著


第六章 希望の夢を描きましょう
♦自分の運命は自分で造る


吾々は自分でわれわれの前途(これから)の運命をつくるのです。
運命と云うのは運がよくてまわってくる天からの命令と云うものではなくて、
われわれの心でどうにでもなるものなのです。
われわれの心で常に思っているとおりに世界は運転してくるのです。

世界の運転のしようを自分の思いどおりにしているのが人間なのです。
だから人間は運命の主人公であって、人間は運命の奴隷ではありません。
奴隷には自由はありませんが、主人公には自由があるのです。

自由と云うのはなんでありましょうか。
自由と云うものは外から自分のやることを邪魔しているものを取りのぞいてもらうことも自由であります。
それは自動車が走るのに邪魔になる石塊(いしころ)や溝を取除いて貰うようなものです。

しかしそれだけでは本当の自由はないのであります。
本当の自由は、どんな石塊があっても、どんな溝があっても、それを自由に避けて通れるような、
中からの舵取(かじとり)が自由に出来る事でなければならないのです。

吾々は、こうありたいと思うように自分の心を、自分の言葉を、舵取することによってのみ、
自動車がどんな石塊道でも、山道でも、自由に走れるのと同じように、
どんな難しい世の中でも自由に楽しく愉快に生きることが出来るのです。

吾々は何よりも、自分の心を自由に楽しく愉快に明るくする自由を得なければなりません。
これこそ「中」からの自由であって「外」にどんな石塊や溝があっても自由に楽しく走れる自動車のようなものです。
(つづく)

1566コピペ:2012/11/06(火) 11:22:57 ID:???
生長の家は住吉大神が始められた信仰運動であるNEW (3276)
日時:2012年11月06日 (火) 10時53分
名前:中村晃生

マサノブ氏および八ヶ岳教団が犯している根本的な間違いは、こ

の信仰運動が谷口雅春先生個人が創設されたのは間違いの無い事

実ですが、実は本当は住吉大神が起こされた運動であることが分

かっていない。だからこそ路線を全く外れても何とも思わない。

ケロッとして大自然賛歌などという教えとは全く関係の無いシロ

モノを、堂々と信徒に聖経代わりに使わせようとするのです。

我々がキチンと認識しなければならないのは、先生は現世を去る

まで一貫して「私はパイプに過ぎない」と主張してこられたこと

です。「自分の教えだ」などとの不遜な言葉は一度も述べられた

ことがない。それどころか「果たしてパイプ役として神様の言葉

を正しく伝えたののだろうか」と日々反省し、お気遣いをされて

こられた。神様に対しての、そうした謙虚なそして真摯な態度は

最後まで一貫しておられたのです。

「今の教え」などとして、自分の浅薄な環境主義をおしつけよう

などのマサノブ氏のような不遜な態度は、微塵も示してこられな

かった。

私たちも、雅春先生のように、常に大神を礼拝し、大神に対して

真摯で真剣であらねばならないと考えます。「八ヶ岳教団」を正

す原点はここなのです。

1567ハマナス:2012/11/06(火) 23:55:59 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

迷いの心の第一歩  (『新版 生活の智慧365章』P.280)

 病的症状を心に描いて思い煩うこと勿れ。「心に描いた通りに肉体は造られる」と云う
原理が判るならば、病的症状を心に描いている限り、いくらその症状を薬剤で中和しても、
心が描いて、次から次へとその症状を再創造して行けば、病的症状の消えようはないでは
ありませんか。大体、人体を「物質体」だと見ているのが、人間を不健康にする「迷いの
心」の第一歩なのです。即ち「自分の体は物質だ」と思っている限り、「やがては摩耗する
もの」「朽ち果(は)つべきもの」即ち病気になるべきものとの思想が先行しているのです。

 人体を「物質」とみとめるな。霊身であるとみとめよ。「神の子」であるとみとめよ。
常に、暇ある毎に短時間ずつでも瞑目して、「われは神の子である。霊的実在である。無限
力である。永遠に老いず病まず衰えざるものである」と念ぜよ。

感謝合掌

1568a hope:2012/11/07(水) 08:25:17 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第六章 希望の夢を描きましょう
♦自分の心の支配者


自分が自分で自分の主人公である人は、先ず自分の心の支配者となって、
面白からぬ感情や想念(おもうこと)を自分の心の中から追放しなければなりません。

追放とは追いだすことです。
怒りや、心のいらいらしさや、憎みや、嫉(ねた)みや、陰気くさい想いや、悲しみや、
ずるい考えや、取越し苦労や、持越し苦労を追い出さなければならぬのです。

自分の心一つを、自分の気持ちのよいように掃除出来ないで、
世の中のことを支配しようと思っても出来るものではありません。

先ず自分の心の中から憎しみや悲しみや、怒りや取越し苦労を捨てなさい。
外の世界はわが心の影ですから屹度よくなるに相違ありません。
(つづく)


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