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聖典引用 板
1503
:
うのはな
:2012/10/28(日) 22:49:41 ID:f2bwKGw2
実相を観ずる詩
これはフェンウィック・L・ホルムス博士の『沈黙の詩』“Songs of the Silence”という
『ただ善のみを観よ。されば汝は人生に悦びを見出すのである。最悪の事態があるというのか、
・・・われらが多くの病を見るとき、善を見るのは至難だと言うのか。しかし善は必ずそこにあるのだ。
・・・現実を超えた精妙なるかたち、雄大率直にして真実なる霊の表現、
神は自己をすべてのものに表現す。
すべてを貫き、全ての中に、神の御わざ、神の御いのちは満ちているのだ。
そして神みずから観たまいけるに、それは実在なるがゆえに、至るところに善はあるのだ。
<中略>
美しき花の中の女王、豊かなる薫りとともに
今を盛りと咲きほこる、その芳しき吐息は、
にごりえの水面いっぱいに漲りわたり、陽光をその胸の中にふくらませ、
百合は清楚に輝き、へりくだりて満ち足れるつつましき花、
人とてもこの美しき花と同じこと、すべてのものの内に善があり神がある。
すべてのものの内に、神おんみずからの力が 切実に表現を求めて動いているのである。
それを見て我々は知る、神はそこに、“神の子”我らの内にあると。
みずから罪の子として神の子を嘲り ひとりみずからの説を正しとする輩に対し、
キリストおんみずから宣いし如く、いまここに善が在る。
みごとなる善が在るのだ・・・・』
このみごとなる善が本当に在るんだ。それは『旧約聖書』の「創世記」の第一章の終りに、
「神その造りたる緒の物を視たまいけるに甚だ善りき」と書いてある。神様がすべての物を視給うて、
自分の造った物を全知全能の力で点検なさって、「どこにも悪はない、これが実相だ」
と、それらを視られたのです。
そして人間は神の肖像(にすがた)として、神のイメージの実現としてここに現れているのであるから、
皆んな善なる人間ばかりであると。
これが生長の家の自然に対する、また人間に対するものの見方であります。
悪はナイ、一切は善であると。
『新たに生まれるための講話』 谷口雅春 先生著 P45-49
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