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聖典引用 板
1484
:
「訊け」管理人
:2012/10/24(水) 15:22:36 ID:???
『希望実現の鍵』58頁より謹写――
パウロは「神を愛するのは神を霊として愛さなければならない」といったが、人間も「神の子」である以上はそれを霊として愛さなければならないのである。吾らは時として人間を愛する道を誤る。そして彼を肉体として愛する。そこに時として間違いが生じる彼や自己を見るのに肉体として見るのである。吾々の祈りがきかれない場合には、以上に述べた色々の原因が交錯しているのである。
まづ第一に注意すべきことは、自分或いは自分の子供をその他すべての家族達を神の子として霊としてみているかを反省してみるべきである。もし治らない恐怖心や、死の恐怖があるならば、それは人間を霊として見ていない証拠である。霊は病もなく死もないからである。
第二には、自分は誰か恨んでいないか、憎んでいないかを反省して見ることである。時とすれば、もう記憶にも残らないほど誰かを憎んだままで赦していないでそのまま忘却していることもあるのである。できるだけ過去を記憶によびもどして、もし不調和な人があるならばその人を赦して彼と和解する事である。憎むべき原因、色々の争い等は本来実相の世界には存在しないのであって、すべての人間は、皆善き人間ばかりなのである。従って憎み恨みということは結局は根拠のないことだと悟って、すべてを赦してしまうことである。それには坐して目をつぶり、目の中に相手の姿を思い浮かべその名前を数回となえて相手を呼び出すような気持ちになり、「私はあなたを赦しました、私はあなたを愛しています。私は貴方に感謝しています。もし私があやまってあなたに気に入らないことをしていましたならばどうぞお赦し下さいませ。あなたと私とは神の愛の中に渾然と溶け込んで互いに一体でございます」というような言葉を心の中で幾回も繰り返し、数十分その思念に精神を集中し、心の世界で相手と和解するのである。
第三には吾々は業の観念から解放されなければならないのである。過去に何か誤った業をおかしてその報いを受けなければならないというような罪の観念を捨ててしまうことが必要である。多くの不幸・病気・災難等は自己処罰の観念の具象化として現われている事が多いのだから自己処罰の観念を捨てなければならないのである。そのためには瞑目合掌神想観して、「神の光吾に流れ入り給うてすべての過去の罪と業とを浄め給うたのである。今吾は完全に洗い浄められて、本来罪なき所の円満完全清浄無垢なる神の子に生まれ変わったのである。もう自分は如何なる罪の束縛も業の束縛も受けることはないのであって、自分は自由自在である」というような言葉を心の中に繰り返し念ずることが必要である。
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