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聖典引用 板
1476
:
「訊け」管理人
:2012/10/23(火) 08:24:50 ID:???
『希望実現の鍵』84頁より謹写――
天地一切のものと和解するという事は、ただたんに表面の心で、自分は彼を赦しているというような浅い赦しようでは足りないのであります。
詳しく言えば、赦すなどという観念がすでに相手の悪をみとめていることになっているのであって、それでは、すべての人間が吾が子として愛し給う神の霊波に波長が合わないのである。心の隅のどこかにでも、誰かが自分に悪意をもっているとか自分に害を与えるとかの考えを捨てることができないでいる限りは、神は創造に何かまだ不完全があると信じているということになっているのであるから、それはまだ神と完全に和解しているということができないのである。
祈りがきかれる為には神と和解しなければならない。神と和解するためにはこの世の中に、赦すべき必要があるような人間をまだかつて神は造り給うたことがないという深い信念にまで到達しなければならないのである。もし「赦さねばならぬ人間」が自分の目の前に現れていて消えないとするならば、それは、神がかくの如き人間を造ったのではなく、自分がまだ神の造り給うたこの世界にそんな不完全な人間があるという迷いを持ち続けている証拠であるから、間違いは自分の方にあるのであって、神の創造に間違いがあるのではないのである。
だから吾々は相手を赦すどころか自分を赦し給へと祈らなければならないのである。「神よ、吾が信仰浅きを赦し給へ」と祈ったイエスの弟子のように、「神よ吾信仰うすきを赦し給へ、あなたのお造りになりましたこの世界には不完全なものはないのであります。あなたの造り給ひしそのままの完全なる世界が、どうぞ私の目にみえるようにして下さいませ」と祈ってから、しばらく黙して「神の無限の智慧が流れ入り来て一切の悪とみえるものが自分の目の前には消えてしまった」と念じて感謝をもってその祈りを終わるようにすればいいのである。
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