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聖典引用 板
1548
:
神の子さん
:2012/11/03(土) 09:57:58 ID:uEcp2dog
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65694013.html
訊けさんブログより。
『常楽への道』(吉田國太郎著)210頁より謹写――
私達が本当の喜びを生きますには、今まで『自分』だと思っていたその『自分』へ点数を附けようとしたり、その自分を大切にしようとしたり、その自分をどこか安穏なところへ持って行こうとしたり、先程地震の揺れている話をしましたが、どこか揺れないところへ持って行こうとしたり、そう云うようなことを追いまわしていたりしましたなら、いつまで経っても吾々は幸福を戴けないのであります。恩師は『生命の實相』の中に、本当の人間と偽物の人間と云うものを別にお分けになって説いておられますが、今迄『自分』だと思っていた『自分』は『本当の自分』でなくて偽物の人間だったのであります。そして本当の人間と云うものは神の子なのだ、本当の生命はこの『神の子』で、神の生命に生かされていたのに、それに気が着かずに偽物を自分だと思って来たのです。そして理窟(りくつ)を云い、自己弁解し、こう云う訳で、ああ云う訳で、そう云う訳でと云ってこの『偽物の自分』と云うものを振廻そうとするが、それは実体のないものだ、それは非実在の人間だと云うことが説かれております。吾々は御教を戴きました時に、そうした今まで『自分』だと思っていたところの『偽者』を何とかしてどこか安穏なところへ持って行こうとしたり、それを握って箔をつけて何とか生きて行こうと云うような風にしていなかったかどうかと云うことを反省せしめられたのであります。そうやってはいない積もりであっても、よくよく反省して見ますと、一番私達の肚(はら)の奥、一番どん底のところに、やはりその『にせもの』が本物の様な顔をして生きていて、その『にせもの』の上に『生命の實相』の法話を載せたり、一寸(ちょっと)ばかり行ずると云うことを乗せたりしておったということに気がつくのであります。こんなことでは自分の本当の生命は生きて来ないと同時に、人も随(つ)いて来ない。私達が一番世の中を動かせる時は自分の生命を投げ出した時であります。自分の生命を投げ出したら一番働く。私なら私が許されている限りの一番大きなことが出来るのは私が生命を投げ出した時であります。だから私がよりよく生きたかったら、好い意味に於て世界を動かし人を動かしたかったら、即ち地上に生れて来た使命を完全に果たしたかったら、私が一番『自分』を投げ出すこと、『自分』が死ぬことであります。古来本当に人類の生命を揺り動かして来た人は、『自分』をなげ出して死んでいる人です。『自分』と云う『にせもの』が死に切ったときそこに動いて来るものが『神』の力であります。
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