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聖典引用 板
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:
SAKURA
:2012/10/27(土) 15:35:30 ID:zhRcXJMw
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
昨日は、パソコンの前に、やっ〜〜と打ちます事が出来ましたのが?【深夜…】
…今日は、ふと「雅春先生の本」を、パラ〜パラ〜♫めくるっていますと……
【 続・真理の吟唱 】から“素敵な言葉”が!目にとまりましたのが、何と!
「雅春先生の四無量心の解説」が、あるのではありませんか〜〜〜???
では!今日は、これで…“投稿”とさせていただきます…。
■ 続 真理の吟唱
―――――❖ 慈悲喜捨の四無量心を完成する祈り ――――――
『観無量寿経』には、「仏心とは四無量心是なり」と示されているのである。
四無量心は慈悲喜捨の四徳をいうのである。無量の衆生を縁として生ずる仏
の心である。そして功徳また無量であるのである。「慈」は「めぐむ」とも読
む字であって、その人の徳乏しくして貧、病い等の苦難を負いて苦しめる人
に恵みを施してその苦しみを除ってやりたい仏心である。「悲」は「かなしむ」
とも読む字であって、人が悲痛な災厄を受けて悲しみ嘆いている気の毒な状
態を見て、倶に悲しみ、その悲しみを脱却させて常楽の境地に住まわせてや
りたい心が仏心である。親鸞聖人の和讃を見れば「超世の悲願ききしより、
われらは生死の凡夫かは」という聖句がある。
この超世の悲願を建立して、世間を超え、現象の生死を超え、世俗の凡聖
を超えて、その人の実相が仏であり、如来であり、“神の子”であるというこ
とを悟らせるよう誘引することが本当の慈悲であるのである。ひとから憐れ
まれて、なにがしらの物質又は財物の施しを受けたことが習慣となって、常
にひとから憐れまれ、同情されるために弱さを装い、病いをあらわして見せ
ることが如き「甘え」の心を起こさしめるのは、永遠の抜苦与楽に程遠いもので
あって、慈悲心の失敗である。
如来の慈悲心は時として峻厳である。「飢饉の年には農家に托鉢せよ」と釈
尊は仰せられたということである。その農家の所有地に飢饉が起こるという
ことは、その農家が豊饒なるときに供養することも恵与することもしないで、
ただ天与の賜物を壟断(ろうだん)し、私的享楽のために浪費したる如き彼の過去
の業が循環して、飢饉の状態を招き出しているのであるから、その農家が救わ
れるためには、その農家の主人が一転して“修行僧に恵む”というような慈悲
心を起こす心境にならなければならないのである。
(つづく)
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