したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1541うのはな:2012/11/02(金) 21:22:06 ID:3jb./WYM
  見る立場によってちがう

善福 こういう時にハッキリさせなければならないと思いまして、おたずねの形で私の
考えを申し上げたいと思います。“生命の実相”というのは、生命の本当のすがたと考えております。
私、誌友会で「霊こそ尊し、善のみの世界」というテーマでよくお話いたします。
生命といいますと魂のことであり、『甘露の法雨』では“心”ということで出て来たり、『天使の言葉』では
“念”という語で出て来ます。これは内在の神、内在の神性、内在の仏性だと思います。
個生命は大生命とつながりがあって、大生命のうちに個生命がある。
“神の世界”のうちに“私の肉体”があり、その“肉体”のうちに私の“魂”がある。

 それはちょうど、ラジオの電波の中にラジオの“機械”があり、“機械”の中にも“電波”があるのと
似たようなことだと言っています。“実相”というのは“本当の相”。”本当の魂の相”はみな“神の子”でありますけれれども、
これがいろんな意識によって覆われて(包まれて)いる。たとえばよごれており。かすみがかかり、波があり、雲にかくれている。
それらをみんなとりのぞいてしまえば、それこそ即身成仏、いま仏の心、神の心になる、というふうに解釈しておりますんです。
いかがでございましょうか。

谷口 それは、現象の方からのぞいてみたら、そういうふうに解釈できるというだけだ。

林 表現が悪いかもしれませんが、そうなると二元論の残渣が少しあるような気がするんですね。

谷口 現象からのぞいての説明になってるわけだからね。

『實相研鑽』第一集 谷口雅春 先生監修 P183-184


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板