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Awake

1月輪ネタ書いた人:2013/09/20(金) 04:45:08
かなり遅くなりましたが…完成させたので

作品の傾向を……
・ ストーリーラインはゲーム本編をなぞる形で進行
・ イメージとしてはGBAパッケージの艶っぽい作画
・ 前半ネイサン→ヒュー 後半ネイサン×ヒュー
・ カーミラたん大活躍。原作「女吸血鬼カーミラ」(レ・ファニュ著)の設定が入っている(少女に対する
 同性愛癖など)のでもちろん男女間のエチーは無し
・ 軽いガチレズ描写とエチーは未遂ならあり
・ 前の討伐の話が出てくる(ネイサンの両親が命を落とした後の話)
・ 姓名は英語圏だが国教会管下のイギリス・アメリカ両国で偶像崇拝禁止を敷いていた1830
 年前後に、神話偶像があるDSSを使用していることからカトリック教徒とし、DSSカードの
 「ブラックドック」の伝承があるイギリス国内の人間にした。(アメリカのほうがイギリスよ
 り偶像崇拝に関しては厳しいし)
・ 史実を踏まえてやっている所がちらほら。
・ ネイサンが最初は頼りない、でも全編通してピュアっ子
・ ヒューがネイサンに突っ掛るのにはそれなりに正当な理由があるから。だけど本当は頼りがいのあ
 るお兄さんだったりする。
・ ドラキュラ討伐にベルモンド一族でなく、何故彼らだったのかというのを捏造している(ベルモンドと
 は書いてはいないけれど)
・グロ描写アリ

では投下します。

64Awake 5話(1/8):2013/09/20(金) 06:02:08
 その頃、儀式の間を目指して上へ行くため、奈落階段を駆けあがり足場に張り付いてい
るボーンヘッドの冷たい炎を避けつつ、ヒューは足場の先に見える扉を確認しながら探索して
いた。
 階段の半ばにある扉を開けると明らかに侵入者が立ち入る事を拒むかのように、天井と
床に動かせないよう密着させ配置してある一体の血塗れのアイアンメイデンが立ちはだか
っていた。
「アイアンメイデンとはまた悪趣味な物を」
 血が滴る処刑道具を前にヒューは苦笑したが進路を妨害しているのは変わりないので、とり
あえず蹴り飛ばす事にした。
 だが、
「――!?」
 鉄靴とアイアンメイデンが接触する鈍い音を響かせただけで、後はヒューが鉄靴からの衝撃
で仰け反り背中から倒れ込んで悶絶するのみだった。
「畜生っ! これならどうだ」
 さすがに聖剣その物を道具として使うわけにはいかないので、その剣身を包む鉄の鞘を
使って天井と床の石を削り隙間を作ろうと思ったが、チマチマと愚直に周りの状況を見ず
にするのはどうかと考えなおし、他に移動できる場所を改めて探すことにした。

65Awake 5話(2/8):2013/09/20(金) 06:02:50
 やがて儀式の間がある凱旋回廊に到達したヒューはネイサンと同様、一心に目指し扉を壊そうと
したがやはり剣が透過するばかりで押しても引いても進む事ができず、扉の形状や魔法陣
や魔力が付いていないかどうか確かめた。
――鍵穴があるから物理的な方法で解除できるだろうが、微かに魔力が感じられる。鍵自
体を生成して施錠したのか。
なら、鍵を探すのが先決だが……この広い城内を無闇に駆けずり回るのは無謀だ。 


「仕方が無い、ここは後回しだ。それにしてもあいつは生きているのだろうか?」
 ふと、不安そうに自分を見つめる表情をしたネイサンの顔が浮かんできた。
 やがて己が突き放し先ほどまで嫌悪を持って悪態をついていた相手の身を心配できるほ
ど落ち着きを取り戻した。
――そうだ、我を張った所で状況が一変する事は無いが、いくら腹が立ったとはいえ討伐
をしているのにも関わらず、何故共闘する意思を俺は持たなかったのだろうか? 止そう。
今更考えた所でどうしようもない。とりあえずネイサンを探して行動するとしよう。
 
 気を取り直し、ヒューは障壁となる敵を倒しながら進んでいくことにした。
 敵が攻撃しようとする前に進行に邪魔であれば一撃で屠り、それ以外は通過して無視す
るなど殆ど無駄な時間を取らずに探索していった。

66Awake 5話(3/8):2013/09/20(金) 06:04:53
 じきに破壊できない岩が通路を防いでいるエリアが目立つようになってきた。
「打破しなければならない敵が近いのか?」
 とうとうネイサンは自分が踏破出来る通路の全てを駆けずり回り袋小路に追い込まれた。
眼前にはケルベロスが居た部屋と同じ青白く光る扉が見えている。
「またか」
――死にたくない。今まで戦う時も誰かが一緒に居た。師匠、この期に及んで状況を受け
入れられない自分の怯惰に吐き気さえ覚えます。
一人で死ぬのは嫌だと心が、体が扉を開けるのを拒もうとしています。
「だけど、何もしないまま手を拱いて悔恨を残したまま死ぬのはもっと嫌です!」
 解らないままに戦った時は今ほど恐怖を感じなかったのだが、やはり時間が経つと体に
受けていた痛みが蘇りこの世の存在でない物と戦う恐怖が身を竦ませた。
 だが、その恐怖と怯惰は自分の身を守るために培われた手段だと言う事も彼は自覚して
いる。それを理解した上で固唾を飲み前進した。
 扉を開けた先には中空に浮かぶ濃紺の布が浮遊していた。否、実体のない人型に膨らん
だネクロマンサーの姿である。
 その異様な姿にネイサンは息を呑み凝視していたが、やがて肉体を持たない魂魄だけの存在
が白く炯々とした不気味な双眸を点滅させ、嘲った口調で洞穴から響くような声を発し始
めた。
「あの奈落に落とされて生きていたとは。悪運の強い奴…。」
「邪魔をするな!」
 微かに笑ったように見えた風情にネイサンは緊迫した場にそぐわないと違和感を覚えたと同
時に、何も見えない魔性より見える魔性は恐怖の対象とならない安堵を感じて徐々に慣れ
てきたと思った。

67Awake 5話(4/8):2013/09/20(金) 06:05:38
 だが微かに残っていた恐怖心を掻き消すかのように大声で恫喝した。
「小僧、冥土の土産に教えてやる。貴様の大事な師匠は既に我らの手中にある。」
「!!」
「…あの老いぼれは、我が主の血肉となる運命だ。儀式の支度が整い、月が満ち次第な。」
「何だと!」
――嘘だ! そんな事があってたまるか。魔性は嘘を並べる。人の表情と感情を糧にし
て言葉を次々と繰り出し人の心に入り込む。
 会話が途切れた刹那、ネクロマンサーは彼に向って両手を翳し光の輪を解き放った。
――チャクラム? 何が出てくるかと思えばただの投擲じゃないか。何っ
「うわあぁぁあぁっ!」
 相手がただの人間であれば投擲されても躱せば済むだけだが、死者の魂を弄ぶ悪魔にそ
の常識は通用しない。
 投げられた光の輪は存在が対象物に接触するまで追尾し続け、ネイサンは断続と連続を繰り
返して投擲された光の輪を躱しながら攻撃の機会を待ちつつ駆けていたためバランスを崩
してよろけてしまった。
 それを察知した輪が彼を狙って接触してきた。
さながら旋風を受けた鋭利な刃物の如く高速で回転しながらネイサンの身を切り裂き、肉を抉
る所であったが間一髪で薄皮一枚に止めた。
 それでも鮮血が床に迸り、彼は一瞬何が起こったか解らずその場に尻もちをついて硬直
していたが、
「怖気づいたか? 無理もない。生物というものは魂の消失を恐れる限り痛みを与えれば
弱くなる上に闘争の気概さえ削られていくものだ」

68Awake 5話(5/8):2013/09/20(金) 06:06:24
「……!」
 見透かされたかと想像しネイサンは青ざめた。しかし、その様子をあざ笑うかのようにネクロマ
ンサーは彼の大切な者達を、あたかも己の操る死者を扱うようになぞらえ始めた。
「だが、ただそれを甘受するのは愚かなことよのう? この世界はあらゆる事象に対応で
きる可能性が無数に存在すると言うのに、人は禁忌だと言うだけで魂のない器を創造する
のを拒絶する。貴様も強情な奴よ何故抗う? 血肉と化しても器さえあれば何度でも蘇り、
魂を強化して補填出来るのだ。一時の消失で狼狽する物でもあるまいて」
「許されるか。そんな方法で生きたとしても師匠は苦悩されるだけだ!」
 彼は憤りこれ以上人の体と魂を弄ぶ文言を聞きたくないとばかりに突っぱねた。
「……心弱き者。頑なに我ら魔族との会話を終わらせる為に敢えて語気を強めるは愚かな
り」
 ネイサンは迎撃するため身構え瞬時にナイフを投げたが、横に躱わされ揚句に接近を許して
しまった。
 だが、それに気づき直接鞭で打撃を与えようとした瞬間、無数の風を纏いネクロマンサーは再び
中空へ舞い上がった。
「当たらんぞ小僧。脆弱な攻撃など我には通じない」
――しまった。ナイフでは斜め上に投げたとしても手や体の向きで軌道を読まれてしまう。
かと言って鞭ではどう考えても数回に一回接近した時にしか当たらないし、確実な方法で
はない。浮遊する敵は攻撃を避けつつ投擲できる武器で打撃を与えるのが上策だったが……
同じ読まれるなら少々機動性は劣るが威力はある斧で魔性の者が真の姿を発現させるくら
いまで体力を少しずつ削り取って行くか。
 見下ろすネクロマンサーを下から睨みつけ鞭と斧を握りしめて、床から無限に湧き出てくるグー
ルを屠り攻撃の機会を待ちつつ中空からネイサン目がけて追尾してくるチャクラムを躱してい
った。

69Awake 5話(6/8):2013/09/20(金) 06:07:17
「分を弁えよ小僧。次で貴様の気力を挫いてやる」
「ほざくな! 実体のない者に弄ばれるほど俺は弱くない! 喰らえ!」
 ネクロマンサーが己の身体の前面に青白い防護と思われる魔方陣を展開している間に動きが停止
したと見たネイサンは連続で斧を投擲すると、詠唱に時間を取られていたのか数発命中した。
「やるな。しかしこれ以上時間をかけるのは愚策というもの。我が真の力を喰らいてこの
強さと己の脆弱さを煉獄まで引きずるがいい!」
 ネクロマンサーの姿が炎を纏い法衣が焼け落ちると、骨だけになったガーゴイルの姿が現れた。
――炎が発現した。浄化され剥き身になったか。勝機は見えた!
「キシャアァァアァア――」
 突然の不快な咆哮に身を竦め、何が繰り出されるかと身構えたと同時にネイサンの身の丈の
数倍はあろうかという弾力のある緑の球を放たれた。
 彼は警戒したものの目測を見誤り無様に吹き飛ばされ、跳ね返ってきた球体にまたもや
接触し今度は押しつぶされると内臓が出るくらいの圧迫を感じた。
 しかも周りには次々にグールより攻撃力の高いスケルトンが床下から現れ、行動しよう
とするたびに骨を投げて攻撃してきた。
 飛ぼうとしても投擲した骨に当たりタイミングがずれてしまうから厄介である。
 ただクロスなどで潰してしまえばある程度の時間は確保できるが、延々と床下から蘇っ
てくる不完全な生者をいちいち相手にしてクロスの無駄遣いをする余裕は彼には無い。
 使うのであればネクロマンサーがスケルトンを召還している滞空時間を利用しクロス一つを断続
的に利用するほうがましだろう。あとは攻撃のタイミングを計りながら回避する。

70Awake 5話(7/8):2013/09/20(金) 06:08:39
――クロスでの攻撃は受けた敵が動かない限り、ずっと攻撃し続ける特性があったな。
体を押しつぶされた圧迫で咳込みながら口角に滲み出た血を拭い、広間の中央にある足場
を利用しネクロマンサーが詠唱している間を見計らってクロスを投げつつ、動いたと同時に攻撃せ
ず回避する事に集中した。
 攻撃の強さは変化が無いものの徐々に球体の動きを読めるようになると、殆ど言って良
いほど相手の攻撃を回避できるようになったが、やがてクロスの数が尽きてしまった。
 だが、ネクロマンサーは依然として自分に対して攻撃を続けている。
――攻撃の手段が尽きてしまった……聖鞭はリーチが短すぎて有効打になるかどうかさえ
判らないのはさっきので解ったが、カード……そうだ炎の鞭は範囲もリーチも通常より大
きい。
 いつ倒せるか判らないが少なくともダメージを最小限に抑え攻撃するため、回避しなが
らスケルトンの放つ骨を鞭で焼きつつ足場にネクロマンサーを誘導して近接攻撃の形を取った。
 そして、ついに聖鞭の与える聖なる力によって魂魄の維持が出来なくなったネクロマンサーは、
断末魔を上げ聖なる炎に浄化され、消滅した。
 それから当然、術者を失った不完全な生者がその肉体を自ら維持できるはずも無く、消
滅した瞬間、大量の灰を撒き散らして焼失した。

71Awake 5話(8/8):2013/09/20(金) 06:09:22
 一人残されたネイサンは敵が居ない状態に安堵し急に震えが襲ってきたが、
「師匠はまだ生きている!待っていてください、師匠。」
 戦闘に勝利した後に自分の存在を再度確認して人心地ついたのか、様々な事を考えられ
るようになった。
「…しかし、ヒューは一体どこへ?」
――ここにもいなかった。広い城の中をお前はどんな様子で、どんな貌で、どんな想いで
駆けて戦っているんだ? お前の姿が見えない事がこれほどにも辛いなんて。
 お前の息遣い、立ち居振る舞い。どれもが愛おしくいつも傍にあった。
どんな言葉を掛けられてもいい、ただそこにいるだけで俺はどんな障壁にも困難にも立ち
向かえそうな気がする。
「ヒュー……」
 名前を呟くと自然に涙が溢れてきた。次第に何度も何度も切なく名前を呼び、求め、あ
がく様に吐息を洩らし呟きながら探索を再開した。

72Awake 6話(1/13):2013/09/20(金) 06:10:18
目の粗い岩のレンガに覆われ、水が轟音を上げている空間があった。
 ネクロマンサーが発していた魔力が消えた時、カーミラはその空間をさらに隔てた小部屋でその音を
扉越しに聞きながら配下のサキュバスに己の体を許し、一時の情交に身を委ねていた。
「……気配が消えた」
「如何なさいました? カーミラ様」
 カーミラの身体に絡みつくようにサキュバスが気だるい嬌態を晒し、甘えるような仕草で彼女の
腰回りに顔を埋めながら問うた。
「お前が気にする事は無い。しかし、今度の人間は中々にしぶとい」
「もう、終りになさいますか」
 名残惜しいが「今度の人間」と言った事で主人が敵に目を向け、享楽の時間が終わった
事を悟ると気を回して得意げに言葉を出したが、カーミラはまなじりに不快を表わしつつ下僕
の唇に人差し指で触れ、口を噤ませた。
「黙りなさい。お前が私に対して意見するのを許した覚えはなくってよ」
「……申し訳ございません」
「よい。それより、もっと体を近づけなさい」
 許された事にサキュバスの顔面には喜色が現れ、主人の命に従いじゃれる様にカーミラの胸元に
口づけをし、彼女はその態を愛しく思ったのか胸元にある頭を撫で、また体を重ねた。

「ふ……私の快楽を邪魔したのは苛立つ事だ。私の掌で踊ってもらおうか……人間」
――人間風情がどこまで我らに対抗できるか。楽しみだ……
 カーミラはサキュバスを抱きながら城内の様子と敵の位置を探り、弄ぶ算段を講じた。 
 人である以上どこかで何がしかの罪を犯しているであろうとカーミラは踏んでいた。

73Awake 6話(2/13):2013/09/20(金) 06:11:15
――清廉の志や行動を伴っていたら、自分より劣っている人間に対して途を正そうとする
人間がほとんどだろう。
しかしそれこそが罪。
己を恃み、頼まれもしない他者に対する不遜を振りかざす事はどんなに正しくとも「隣人
に対する傲慢」と言う罪を犯している。
しかもこの手合いは己の罪を自覚しない信仰の無知者である、だからこそ穢して堕とし哀
れな姿を見るのは私にとって最高の快楽。

「見えてきた……何と、追い詰められた貌をしているのかしら?」
 そこには必死の形相で敵を撃破し、城内を探索しているネイサンの姿があった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 ネクロマンサーを撃破したネイサンは、ショルダーアーマーで今まで壊せなかった岩をタックルで打
ち砕くと、道に迷った時間を取り戻すかのように城内を駆けていた。
「壊れた。これで先に進める」
――だけど、人の力では壊れなかったものを簡単に壊せるなんて、自分の力で無いにせよ
当り前の様にあるのが恐い。

 青ざめた顔を見せながらも得心した面持ちで静かに肯くネイサンの様子を見て、カーミラは嫌悪
を催した。
 二律背反の意識ほど純粋に欲望を求める彼女にとって唾棄すべき感情だからだ。
「自らの肉体に取り込んでいない力を見て慄いたか。弱い。こんな人間にネクロマンサー様は消滅
させられたと言うのか」
――いや、力に対して明らかな恐れが見える。と言う事は逆に厄介かもしれない。己の領
分を知り誘惑に対してそれなりの準備が出来ているとも予想できる。こ奴は後回しだ、そ
う言えばもう一人、険の強い男がいたな。

74Awake 6話(3/13):2013/09/20(金) 06:12:26
そう考えながらヒューの所在を探り当てた時、カーミラはサキュバスをより強く抱きしめ体を仰け反
らせるくらいに高らかな声を上げて喜んだ。
 岩を破壊する事が出来ず、その近場にとどまって道を探していたヒューは、自分を屠ろうと
飛び掛かってくる魔物に笑みを湛え一撃にして薙ぎ払い、その血を浴びる事の穢れを厭わ
ず駆け進んでいた。
 彼はなかなかネイサンと合流する事が出来ず、と言ってモーリスを救出するのに寸暇を持て余せ
るほどの時間は無いと考えながら顔にかかった血を拭い、軽く前方を見据えると当てもな
く突き進む事に少し苛立ちを感じ始めていた。
 その血塗れの凄惨な様態にカーミラは、攻撃する事に何ら躊躇を持たない人間に肩入れした
いと思った。
「攻撃に対し恐怖を覚えるどころか、他者を捻じ伏せる事に快楽を覚えているようだ。何
と美しい姿か」
「カーミラ様……?」
 抱いている己から興味が移り、ただの人間に対して賛美したカーミラの心境に不安な面持ち
で彼女を見上げたが、カーミラは意に介さず、
「先ほどは差して興味もなかったが、元々あの方から下賜された物。ここまでやってきた
ら暇つぶしに私が力を試してやりましょう。もしかしたら面白い展開になるかもしれない」
 カーミラは閉ざされた空間の中で嬉しそうに呟いた。

75Awake 6話(4/13):2013/09/20(金) 06:13:21
「ここまでふんだんに鉄を使った建造物は今まで見たことはない」
 ショルダーアーマーで破壊する岩の数が多くなるにつれ、新たに進む事の出来るエリア
が近付いているのに気づいた。すると今まで踏破してきたレンガや石に覆われた所とは打
って変わり金属と金属が犇めきあう広大な空間が現れた。
 ネイサンは半ば敵の根城であることを忘れ感嘆の眼差しで周りを見渡した。
 上を見ると何重にも起動する鉄の歯車が潤滑油を垂らして人力に依らず永遠に稼働し、
至る所にガラスで保護していない剥き出しの状態で電気が走っていた。
 もちろん触れば無傷では済まないだろう、だが、どういう原理で稼働しているのだろう
かと恐怖心よりも好奇心が勝った。
「――上へ、上へ昇り踏破するか」
 よくよく見ると空間の中途に他の部屋へ続く足場や、部屋の最上には鉄の扉が見える。
 上下に起動する剥き出しの昇降機を伝い、その中途に存在する互い違いの滑車が運ぶ台
車を経由して空間の階上へ出ようと試みる事にした。
「クソッ、こんな状態じゃ敵に打ち落されもおかしくはない」
 機械だらけのこの空間でも悪魔城である。至る所に魔物は蠢いていた。
 そして、その不安が加速するかのように、怪物ゴルゴンかメデゥサの様な頭部が浮遊し
てこちらめがけて纏わりついてきた。

 動く足場に気を取られてメデゥサに接触し、叫びながら落下するとともに体が徐々に石
化した。
――また、下から昇り直しか。とりあえず石化した体を元に戻さないと

76Awake 6話(5/13):2013/09/20(金) 06:14:01
「痛たっ。いつもより痛みがひどい」
 石化した体に容赦なくメデゥサが体当たりしてくる。それを避けようと必死になって体
を揺さぶったが、体を覆っている石が壊れ体に突き刺さる。
「……何とか動けるようになったけど、こんな調子じゃいつ斃れるか判らない。それに出
血が酷い」
 露出している腕についた無数の擦過傷から筋肉をなぞるように血が滴り落ち、その様に
死の恐怖を感じて背筋が凍りつくような感覚に陥ると膝が震えてきた。
――得体の知れない事象。在るがまま受け入れようとしても更なる事象が襲ってくる。
だけど師匠、師匠も一人で囚われているんだ、助ける者が怖気づいてどうする。確かに一
人よりも二人の方が断然いい。
俺が待っていても状況は無情にも進む。なら、一人でいる事を当たり前の様にして振舞お
う。
そして、ヒューに出会ったら僥倖と感じよう。
 彼は剋目し、打倒必至の敵を屠るために眼前の敵を出来るだけ回避するよう神経を研ぎ
澄ませた。
 ある程度探索した所で馴染みの青白い扉が見えた。打倒必至の敵と対峙し勝利する事で
この城を踏破するためのアイテムを手に入れる事が出来る。
 いつしかネイサンは己の見知っている事象以外には、宗教上の足枷などから来る拒絶が恐怖
として影響しているものの、独りの力で敵を屠る事に躊躇する事はなくなりつつあった。
 ヒューの心境に近付いたのかと本人は思ったが、徐々に己自身が持っている力で踏破できた
という自信を己の心に持てるようになったからだ。
 とは言うものの頼るのは自分自身であるのは変わりない。扉に触れると、どのようなモ
ノが待ち構えているのかと思っただけで鳥肌が立っていた。

77Awake 6話(6/13):2013/09/20(金) 06:14:57
 扉を開けると最初は薄暗かったものの一気に燭蝋の光が燈り、空間の奥には鉄の塊が徐
々に姿を現した。
 それは佇むように静止しているただの物体だったが、ネイサンが確認のために近付くと急に
地鳴りを上げながら起動した。
 人の様な体の構造だが鉄に覆われ、起動する音に金属が擦れる音が聞こえた事から人で
は無いと彼は判断した。
「鉄のような体を持った生物だと?」
――いや、生物ではなくまるで人工物だ。ユダヤ伝承の土塊人形ゴーレムの様な人であり
人にあらざる奇怪な“モノ”か。
「作られた目的はどうあれ、こいつを倒さない事には先には進めない」
 身構えて攻撃の種類を見極めようと思ったが、ゴーレムが腕から地面に体を叩きつけた
と同時に、天井から人の大きさほどある無数の歯車が的確にネイサン目がけて落ちてきた。
 よもや眼前の敵から攻撃されずに、頭上から圧死するくらいの落下物が降ってくるとは
思いもよらず咄嗟に後方へ飛び退いたが、動きは遅いものの確実に前進する重鈍な躯体に
似合わず攻撃を繰り出す速さは予測がつかないものだった。
 確実に攻撃できるようになるのにさほど時間は掛からなかったが、しばらく経つと、攻
撃によって皮膚の様に剥離し損壊した鉄板は見る見るうちに塞がるのを確認した。
「なっ……自己修復するとは……!?」
――今まで与えたダメージが全て無駄になったと言うのか? 
「所詮、補佐に徹していた人間は膂力で勝ちうることは出来ないか……」
 青白い扉の入り口で唇を噛みしめ、悔しそうに静かに微かな呟きを発する男の姿があっ
た。
 自分が先に進めない苛立ちで逡巡していた頃、ネイサンが自分に壊せなかった岩を軽々と壊
し、先に進んでいったのを目視できるくらいの距離で見て、合流するために後を追う事に
したヒューだった。

78Awake 6話(7/13):2013/09/20(金) 06:15:31
 後から機械塔に侵入したもののマジックアイテムを駆使し、人間では短縮できない場所
を踏破して来たネイサンとは違い、身一つで切り抜けたヒューはやっと追い付いた先で初め、ネイサ
ンの邪魔にならないよう、そして彼が戦闘不能になるのを待たずに助けようかと様子をうか
がっていたが、逡巡しているうちに彼の耳に女の声色で軽やかに囁く声が心地良く聞こえ
てきた。
――「お前の矜持を彼に見せつけなさい。さすれば彼はお前の存在に心酔しすべてを投げ
出してお前に委ねるだろう」
 その言葉と声色は少し考えれば魔性が発した声だと気づくはずだが、体力を消耗し目的
と思考を狭めたヒューには、己の心情を復唱した耳触りのよい内容で心の中にくまなく響き渡
った。
――奴が俺に対して性愛を向けていようが知った事ではない。命が危機に晒されてから俺
の姿を仰ぎ見るがいい。貴様が下種な想いを二度と抱かせないくらいの優位を見せつけて
やる。
 己の尊大な感情にぞっとして無意識に口元に指を触れると、軽い情交に浴した事が蘇り
俄かに心が痛みだしたが、もう一度唇に指をやると今度は羞恥が込み上げて指をきつく噛
んだ。
「……思い違いも甚だしい。その相手は俺では無いのに。馬鹿な事を考えるな。それに、
何だ? この声は?」
 聞き覚えのない声を記憶から手繰り寄せたが、その声が儀式の間の手前で鋭い声を発し
た女の声と違い、ゆっくりと誘う声色だったので一致しなかった。
 そのため誰だか判別できなかったが、己の心根と共鳴したと勘違いしてやり過ごした。
 だが、影響されたのは事実で、複雑な心境で彼に対する嫉妬と情を受けた記憶が絡まり、
動くべき所を何度も見誤っていた。

79Awake 6話(8/13):2013/09/20(金) 06:17:04
「くくく、馬鹿な男だ。己の心を認め思うようにすれば良いものを。力だけならお前が憎
み、なおかつ庇護しようとしている相手を倒せるのに」
――だが、私はお前の様な者は嫌いではない。その軟弱な男よりよっぽど清々しい。それ
に彼奴のように脆弱な考えであれば途中で誰かに斃されるだろう。気にする事は無い、先
ずはお前の望む道を指し示してやろうではないか。
「力を持たざるが故にそれを補助する力を知らぬうちに手に入れし者、対し、力を持つが
故に己に固執し得うるべき力を拒絶する者――美しく正しいものしか知らないその心は孤
独に苛まれた脆い孤高。お前の名はヒューと言ったな、古い言葉で心と言う意味……人と認識
する限り身分も関わりなく力を持つ名」
 カーミラは手駒を見つめつつ侵入者の行動を常に感知できるよう、城内すべてに透過の目を
構築した。城内の壁と言う壁に微かだが一瞬にして光が駆け巡った。
「そして――完全に把握した! 聖鞭を持ちし後継者よ、そなたは正道のためにダビデ王
に諫言した膂力を持たぬ預言者、ナタンの名を冠している……忌まわしき偽善者!」
――互いに補えば脅威となる。だから、人としての意思を持ったままお互いに助勢する事
もさせる事も許さない。
「……留まれ。そこで彼奴が倒される姿を見届けよ」
「……動かない! 畜生、怖気づいたと言うのか? この俺が!」
 カーミラはヒューの足に拘束をかけた。状況を把握しただけで行動全てを無効化することはでき
ない。その上、真祖でさえ致命傷を与えれば灰燼に帰す聖鞭に対抗できるほどの力を有し
ている訳ではないが、教会で聖別されている程度の剣を持っている者を完全とはいかない
までも、心に楔を打ち込み操る事は彼女にとって容易なものであった。
「術にかかった事に気づかないとは……未だ敵陣に侵入した不利を認識できていない傲慢
さがもたらす無知よ。己が人である事に何ら疑問を持たない癖に、魔性の声を受け入れた
が故に心に私の意識が入り込んだ事すら微塵も感じていない」

80Awake 6話(9/13):2013/09/20(金) 06:18:02
目の前に邂逅すべき仲間と打倒すべき魔性がいる。近寄ればいいだけなのに動けない。
その状況にヒューは焦りが湧いてきた。
「動け!……あれくらいの敵なぞ怖いはずがないのに! 指を咥えて見ている場合ではな
いと言うのに!」
――「あの聖鞭さえあれば、こんな呪縛すぐにでも解けるのに。うふふ……」
「誰だ!」
 俄かに女の声が聞こえたが幻聴だと納得させ、また、もがく様に足を動かそうとしたが、
足首に蔦が絡まったように身動きが取れなかった。
「これはこの城の主の声か。真祖では無い、術者のあの女か」
 ようやく術にかかった事を理解したヒューは、色々な言語を駆使して解呪しようと試みたが、
全て徒労に終わった。
「……はぁ、はぁ、戦いが終わるまで待つしかないのか。精神に楔を打たれたから解呪出
来なくなったのだろう。油断した! 一刻も早く術者を倒さなければ、俺の精神は蝕まれ
てしまう」
 もちろん、「助けてくれ」と戦闘中に声をかける事など出来る訳もなく、ヒューは唇を噛み
しめ、地団太を踏む心持でネイサンとゴーレムの戦いを見守るしかなかった。
 
――ダメージが回復するのなら回復量より多く、早い時間でダメージを与えればいい。
 ネイサンは活路を見出した。力はないものの回復する隙を作らなければいい。そう結論を出
し行動に出た。
――力は強いけど行動が遅く、攻撃も注意すれば躱わせるくらいの速度なら……倒せる!
さっき、ネクロマンサーに立て続けでクロスをぶつけ続ける事が出来たんだ、動きが速いのならと
もかく、遅ければその場で硬直する事も考えられる。
 考えるが先か、彼はクロスをゴーレムの動きが停止したと同時に投げつけると、予想通
り、投擲した速度のままある一定の威力を以ってゴーレムに対し回復する隙を与えなかっ
た。

81Awake 6話(10/13):2013/09/20(金) 06:18:45
近接攻撃の隙が出来たのならとネイサンは炎の鞭で打撃を与え続けた。
「何だ……あの攻撃は? あんな力、奴にあったのか?」
 攻撃の手段を見てヒューは唖然とした。同時に魔城であるが故に聖鞭の力が発動したと予想
した。
――聖鞭にあんな力があるとは聞いたことが無いぞ。いや、俺が知らないだけかもしれな
いが、何にせよ、人が持ちえる力では無い。しかも、奴はその力を躊躇なく使いこなして
いる。そうか、確かに力が劣るならあれを使わないと魔物の攻撃が防御できないと言う事
か。
「それでも納得がいかない。聖鞭を渡すと言う事は後継者であると言う証左だ」
――「もし、聖鞭の力でどうこうなるのなら、どうしてすぐに助けに行かないのかしら?
名声のために、今まで己が踏破出来なかったほどの敵を倒し、力を誇示するために聖鞭を
振っているかのよう……」
「……確かにそうだ。くっ、俺に話しかけるな!」
――「あははは! 声を掻き消したければ、急いで私のもとへ来る事ね。もっとも、今、
貴方は動けないでしょうけど、しばらくあの力を見つめ続けていなさい……!」
「魔性に心を許しかけるとは……やはり、ネイサン、お前とは共闘できないようだ。今、お前
と話したら心が折れそうになるから、それに、操られ、お前を攻撃しようものなら共倒れ
もいいところだ」
 ネイサンが戦っている姿にヒューは半ば嫉妬と羨望も一緒に、より深く心に突き刺さった想いで
一杯になった。

82Awake 6話(11/13):2013/09/20(金) 06:20:10
――力はあっても動きが単調だから、ネクロマンサーなどに比べたら脅威と感じない。これはクロ
スが尽きない限り簡単に倒せるだろう。
 敵の特徴を捉えたら、後はネイサンの独断場だった。
 聖鞭を振り下ろし、相手が消滅する兆候を見せるまで、淡々と攻撃を行えばいいだけだ
った。
 しばらくすると徐々に体内から炎を内包したように外殻が赤く膨張を始め、やがて風船
の様に破裂し、ゴーレムを形成していた土塊と金属が部屋中に飛散した。
「……粗製のゴーレムとはいえ、ただの人間に力で倒されるとは。だが、力を見せつけら
れたお前がどう動くのか見物だ」
「……終わったか」
 そうヒューが呟いたと同時にカーミラは蔦の様に絡まっていた彼の足元の呪縛が解き、動けるよ
うにした。
 その事象に少々驚いたが、それよりも身勝手だと思いつつもネイサンが自分の手を借りず、
敵を簡単に消滅させた事に少し苛立ちを覚えると、魔性が送り込んだ負の感情も作用して
後ろ向きに考えてしまった。
 もちろん、今の自分と共闘した場合、そのような感情で対応したら戦闘時に乱れが生じ
るため、あえて一緒に行動しないよう言うつもりでネイサンのもとに近づいた。だが、
「ヒュー!無事だったのか!」
 戦いの後、生きてまた出会えた事に喜びを隠せなかったネイサンは、抱き付かんとばかりに
駆け寄ろうとしたが、その姿を目の当たりにした瞬間、ヒューは自分に向けられた想いを垣間
見る心持となって嫌悪を生じた。
 そう思うと冷やかな視線で一瞥し、勝利を讃えなかったばかりか彼を労う事なく辛辣な
言葉を浴びせてしまった。

83Awake 6話(12/13):2013/09/20(金) 06:20:49
「こんな所で何をしている?手柄を横取りしに来たのか?」
 ネイサンはようやく合流できたと喜び心が高鳴っていたところに、冷水を浴びせたような言
葉と表情を受けて、なぜそのような科白を吐かれるのか分からなくなった。
――手柄だと? 本来、共闘しなければならない状況なのに、それに功を競っても何の意
味も持たない戦いなのに、何を訳の分からない事を言っているんだ……?
「…こんな時に何を?俺も師匠を助けたいんだ。」
「邪魔だ。俺は一人でドラキュラを倒す。そして…。」
「ヒュー…。」
 彼の苦渋に満ちた顔を見て、これ以上言葉をかけられず追いかける事も出来なかった。
 先程「どんな言葉をかけられてもいい」と思っていた自分が気圧されるほどの拒絶を実
際に顕されると身も心も凍てついた。
――追いかけた先であんな冷たい表情を向けられたら、俺は身を竦めてしまう。そうした
ら心が折れてしまって、体が満足に動かないような気がする。敵が犇めいている城内でそ
んな状況に陥るのは殺してくれと言っているようなものだ。

 しばらく心を痛めて無言でいたが、また室内に青白い扉が佇んでいた。
 時間がないのに心無い言葉に動じている場合ではないと、気を取り直して扉を開けてみ
た先には台座の上に乗った青い靴があった。

84Awake 6話(13/13):2013/09/20(金) 06:22:10
 その靴は踝のところに羽根飾りが付いており、童話の妖精が履くような何とも微笑まし
いデザインをしていた。
「まいったな、これを履けってか……」
 一瞬ためらったが、マジックアイテムを駆使しなければ城内を踏破出来ないのは解かっ
ているので、敵が進入していないのを確認すると、その場で鉄靴を脱ぎ装着してみた。
 他のマジックアイテムの様に装着したところ、すぐ身体に吸収された。
「魔性の道具と分かっているけど、使わないとどうしようもないな」
 力を当てにしている。それはネイサンとて解かっていたが、この城の魔性は非力を自覚して
いる自分が戦闘後に得られる道具の持つ、人にあらざる力を自らの肉体に刻んでいく事で
呪縛の様に力に溺れ、心に隙を作ろうとしているのではないかと考えを巡らせた。
――力がないのを自覚しているからこそ、かりそめの力を与える事で、更なる力を渇望さ
せて思慮を持たせないよう仕向けられているかもしれない。
だけど、自らの本来の力を把握していれば、かりそめの力がもたらす効果なんて取るに足
らないものだと自重できる。
 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている――力と他人を侮る事なかれ。己の
身を守るための臆病さに、これほどまで救われた事が無かった。

85Awake 7話(1/13):2013/09/22(日) 12:47:52
ゴーレムを倒し小休憩をとった後、ネイサンはモーリスの救出はおろか、共闘すべき仲間に邂逅
するも去られた事で自棄にはならないものの、何も考えないように城内を疾走していた。  
だが、時間が経つにつれ、ヒューの自分に対する動向の意味が判らず、いくつかの疑念が頭
の中でもたげ始めた。
――何故、己の優位と俺の状況を後ろ向きに捉えるような見苦しい科白を吐いたんだ?
「もう、歪んだ姿のお前しか見えない。師匠。どうしてあいつを連れて来たんですか?
 今まで師匠が教え体得して来た概念や、思想を根底から否定する考えで攻略しようとし
ている」
 だが、考えても仕方がないと思考を振り切るために上を見上げると、城内の所々に足場
の様なものが見えるのに気づいた。まさか部屋があるとは思ってもみなかったが、怪しい
所はくまなく探索しないとどこに儀式の間の鍵があるか判らないので、新たなマジックア
イテムを使い駆けあがる事にした。
「他に踏破出来ないなら上に登るのみか。うん?」
 壁を蹴り斜めに跳び上がった時、対面の壁に吸着するように靴底が貼りついた。
「すごいな、鉄靴を履いているのに滑り落ちる事なく駆けあがれる。だけどこの力は自分
の物じゃない。急に能力が消えても慌てる事が無いよう注意しないと」
 駆けあがった先には頑丈な鉄の扉が目の前に現れた。

86Awake 7話(2/13):2013/09/22(日) 12:48:56
「……なんで階段がないのに扉があったりするんだろう? 古城を再構築しているからこ
んな奇妙な造りになっているのだろうけど……」
 とにかく移動できる手段を手に入れた事に安堵し、そのままの勢いで扉を開いた。
 開くと同時に見たのは、牛と無数のエクトプラズムが犇めきあって侵入してきた獲物の
血肉と精力を啜ろうと待ち構えている光景だった。
「牛?……え、砂!? えっ……あぁっ!」
 状況を確認する前にゴルゴンの口から放たれた砂塵に接触し、一瞬でネイサンの全身は石化
してしまった。
――出だしからこれか。先が思いやられるな。
 幸いにもメデゥサと同様に体を揺らすと皮膚に張り付いた石は剥がれた。
それから今度は砂塵に触れないようゴルゴンの砂が届かない足場まで後退し、周りと状況
を確認しながら接触してくる敵を鞭とクロスで掃討しつつ回避した。
 その場所は長い廊下だった。敵を排除して鉄の扉を開けても、また開けても廊下が続い
ていた。 
 そのエリアは前の部屋と同じく下になだらかな坂があり、その一角にはワープゲートが
あった。今度はどこに行けるのだろうかと光の水面に体を預けたが、自分が踏破した事の
あるエリアしか行けない事が分かり、その場所の探索を諦めて先へ進むことにした。

87Awake 7話(3/13):2013/09/22(日) 12:53:52
 丁度そのすぐ後にヒューがそのワープゲートから出てきた。外に出て自分が進んだことの
ないエリアだとすぐに分かったが、ここに来られると言う事は自分の前にネイサンが通過した
事の証左だと予測し、そのまま近場を探索した。
 ネイサンの方は、色取り取りのステンドグラスが填った窓が壁一面に広がっている空間に進
んだ。
 その空間にはバラ窓や、聖書の一節を題材にした色彩豊かなステンドグラスが鏤められ
ていたため、この城内における礼拝堂だと判った。
 だが、この場所においても荘厳に輝く室内に見とれている暇は無かった。
 城内に侵入する前に対峙した炎を纏った鎧兵と、先ほどの廊下で当たらない曲刀を振り
下ろしてくるスケルトンが同時に攻撃して来たものだから堪らず上方へ逃げたが、今度は
間髪置かず、意思を持つ無数のナイフがネイサンめがけて襲ってきた。
しかも、性質の悪い事に攻撃を捌こうとしても動きが素早く、追ってこられないよう中途
の遮蔽物に隠れながら、上へ逃げるだけで精いっぱいだった。
 その上、中途の部屋で空中移動をしながらこちらに向かってくるマリオネットに接触し、
攻撃しようとしたら一定時間、聖鞭を握ろうとしても手が弾かれたため、攻撃できず逃
げ回るかのように移動するしかなかった。
 聖鞭を握れなかったことから呪いにかかったと予測できたが、同時に清浄な場所に何故
そのような効果を持つ魔性が存在できるのかと疑念に思った。

88Awake 7話(4/13):2013/09/22(日) 12:55:03
 その答えをネイサンはマリオネットに追いかけられながら、このエリアで見つける事が出来
た。
 流石に聖なるものを模しているとはいえ、ここは悪魔城である。中途に十字架など見当
たらないばかりか、東方三賢者の一人がステンドグラスから欠けているのを確認すると納
得がいった。
――わざと欠けさせる事でキリストを否定し、聖域を毀したのか。そう言えば謁見の間に
行く途中の廊下にあったルーベンスの『キリスト降架』は模写で見た構図じゃなく反転し
ていたな。つまり、この城に元々あった宗教的なものをすべて否定するつもりでいるのか?
 そうと判ればこの城に完全な安息地は存在しないと結論付け、死の恐怖が深まると暗澹
たる思いで移動に邪魔な敵を排除しながら逃げ回るように進んでいった。
 程なくして、鐘楼がある廊下から上方へ駆けると、眼前に駒がいる青白い扉を見つけた。
 だが、駆けだしたと同時にありえない事が起こった。
 扉に近づこうとした途端、扉からヒューが無残な姿でこちらに向かって弾き飛ばされて来
たからである。
 ネイサンの後を追いかけていたヒューだったが、ネイサンが必死で逃げ回り遮蔽物に隠れていた頃、
彼は敵の追尾を無視して進んでいたため、ネイサンと邂逅する事なく先に駒と対峙できたので
ある。

89Awake 7話(5/13):2013/09/22(日) 12:55:59
とにかく自分より先に目的地に辿り着いて、いつの間にか血だらけで弾き飛ばされて来
たのに驚愕を以って一瞬、体と思考が硬直した。
「ヒュー!大丈夫か?」
「貴様!引っ込んでいろ。俺の獲物に手を出すな!」
 ネイサンはあまりの無残さに駆け寄ろうとヒューに声をかけたが、ただでさえ精神に楔を打ち込
まれ思うように行動出来ない上に、異形の敵に軽くあしらわれて無様にも吹き飛ばされた
姿を一番見られたくない相手に晒した事でヒューは一気に逆上した。
 ヒューもまた儀式の間の前に行き、鍵となるアイテムを手に入れるためには駒を倒さなけれ
ばならないと知った。それは、ネイサンが確実に各部屋の駒を倒しアイテムを手に入れ、踏破
しているのを先の戦いで確信したからだ。
 だが共闘していなかった事で現在のネイサンの力を知ることが出来ず、自分が倒せなかった
魔物にネイサンが太刀打ちできるはずかないと考えたため、その感情も手伝ってか強い口調で
彼の行動を制止した。
 強く言われたのでネイサンは少し怯んだが、よもやヒューの精神の手綱が他者に握られた状態に
なっているなどとは想像できず、血まみれの姿で吼えている状況にヒューに聖鞭さえあればこ
んな苦しい貌をさせずに済んだだろうと一瞬思ったものの、それでは何の解決も見られな
い現実に心が痛んだ。

90Awake 7話(6/13):2013/09/22(日) 12:56:45
「何だ……この異様で禍々しい羊は?」
 そこには壁一面を占めるほどの巨大な羊のような生き物の頭部が剥製のように首から顔
を出していた。
 それだけでも異様だが、その顔面を目の周りを中心に黒い革のバンドで雁字搦めに拘束
されていた。
 よく見ると、頭は羊だが壁から人の両手が突き出ていた。しかし、壁に手首から先しか
出ておらず、それも拘束されていた。
「何奴だ? さっきの人間は吹き飛ばされたお陰で運良く助かったみたいだが、お前はそ
の身を喰わせてくれるのか?」
「……」
「その怒りに満ちた目。お前はさっきの人間の仲間か?」
 壁から突き出た両の手先と口以外、黒い革で縛られ、ネイサンの姿は見えていないはずなの
に彼のほうへ頭を向け怪物は言葉を発した。
「我が名はアドラメレク。かつて異郷の地で太陽と等しい神であった。だが屠った生贄の多さ
に人は我を煉獄の宰相などと嘲り悪魔の化身になった訳だ。しかし嘲った人間を屠り喰ら
い尽くすのはいいものだ。数世紀振りに溜飲が下がった思いだ」
「よく喋る羊だ。羊なら羊らしく肉を喰らわず、牧草でも食んでいればいいものを」
 軽口を叩き、無遠慮に言葉を発する畜生にヒューが嬲られたかと思うと、ネイサンは腹立たし
さのあまり、震えながら呪詛を吐いた。

91Awake 7話(7/13):2013/09/22(日) 12:57:58
 無論、吐かれた畜生は怒りに震えた言葉ごときでは意に介すことはなく、侮った口調で
彼をからかった。
「言葉数は少ないくせに中々に口が悪い。人間、それほどまでにあの人間を大切に想って
いるのか……面白い。その身を喰らってやる」
「――!?」
 アドラメレクの口元が微かに歪み瞬時に殺気立つと、間髪置かず無数の青白い炎がネイサン目掛け
て降り注いできた。ある程度異形の敵に慣れてきたため素早く躱せたが、最後に追尾して
きた炎の塊に直撃し出鼻を挫かれた。
「どうした人間! 我の攻撃はこれだけでは終わらぬぞ!」
「うっ、これでは近づけない」
 炎の塊に吹き飛ばされて背中から叩きつけられた痛みで蹲った隙に、アドラメレクは自分の肉
体の範囲に毒の球を展開しネイサンに頭蓋骨の群れを放った。
 運悪く頭蓋骨に衝突しまたもや吹き飛ばされて仰向けに倒れた後、すぐ体を起こし跪く
体勢を取ったが、間髪措かずアドラメレクから炎を放たれ、動きが取れない彼の肉体は劫火の如
き熱量を以って焼かれた。
――攻撃が早い! ヒューでさえ倒せなかった敵に、独りで立ち向かわなきゃならないなんて!
怖い、膝が震える、歯の根が合わない。死にたくない。
「だけど今は、俺が戦ってこいつを倒さないと誰も助からない!」
 吼えてもネイサン自身、相手に対して余裕を以って屠る力を持ち合わせていないのは理解し
ている。だが、青白の扉は進入した以上、駒を倒さなければどんなにあがいても開く事は
出来ない。

92Awake 7話(8/13):2013/09/22(日) 12:58:55
そうこうするうちに頭蓋骨の群れがネイサン目がけて急襲してきた。しかし、攻撃のタイミ
ングを見るために下手に動く事が出来ない状況においては、逃げ続ける方法しか取れなか
った。
――とにかく落ち着いて攻撃の種類を見極めよう。体は動かず、頭部だけが可動領域内で
動く程度だから、遠隔攻撃が中心だろう。今まで壁から体を出す気配はなかったから、直
接攻撃の可能性は低い。
 そう思案を巡らせ骸骨の群れを観察すると、展開範囲は広いものの地面に接触せず、あ
る一定の位置まで来たら自ら発火し、消滅している。この場合はスライディングで回避し、
反対側に回って炎の鞭などリーチが長く、攻撃力が高いカードの効果を使って攻撃できる
と踏んだ。
――あの羊は俺がいる方向に頭を向けた後に遠隔攻撃を繰り出してくるようだ。炎は追尾
してくるから移動しながら弾数を消費させるために逃げる事に専念する。毒の弾は当たっ
た瞬間に消えていたからクロスで掃討しながら本体を直接攻撃できる。
 気づけば何の事は無かったが、それでも本来の自分の技量では到底、倒せるような魔性
ではないし、むしろ自分より先に身一つでここまで辿りついたヒューの力に感嘆した。
 ともあれ、回避と攻撃を続けていくうちにアドラメレクの方に焦りが出てきたのか、軽口どこ
ろか言葉さえも発さなくなり、ダメージが強いのだろう、次第に唸りながら涎を撒き散ら
し始めた。

93Awake 7話(9/13):2013/09/22(日) 12:59:33
 やがて、頭部が炎のように赤く染まると、皮膚から業火が溢れだし燃えながら首から分
かたれ床に落ちた瞬間に燃え尽きた。
 その様を見て既に敵を屠った事に躊躇すら覚える事はなくなった。ただ、勝利を確信す
るために青白い扉を開ける事だけがネイサンの脳裏にあった。
 傷つき今でも扉の外で蹲っているであろうヒューの姿を確かめるため、急いで彼のもとへ駆
けつけるために。
 
「くっ!誰が助けてくれといった?」
「ほっとけるわけ無いだろう?」
 ヒューの元に辿りつくと、依然として満身創痍で血や埃が白地の衣服にこびり付いている薄
汚れた姿のまま痛む体を抱えて床に蹲っていたが、決まり悪そうに表情をネイサンに向けた後、
本当に迷惑な様子で悪態を吐いた。
――こんなに傷ついているのに、まだ虚勢を張るつもりか? そんな状態で戦力を分散さ
せる事がどんなにも愚かか、いつものお前だったらこんな思慮のない蛮勇を振るう事はし
なかっただろうに! 目を覚ましてくれ!
 ネイサンは火傷した体を庇いながらヒューの様子を見ようとしたが、彼が己の矜持と自尊心から
発した嚇怒に対して流石に腹を立て、少々強く言葉を発した。
 だが、その態度に反駁するかのようにネイサンの功績を踏みにじる言動に出られた。
「貴様、勘違いするなよ!そのムチの力で勝っただけだ!」
「ヒュー…?」
「…修行中、一度も俺に勝った事がないお前を、親父は後継者に選び、ハンターのムチを
与えた。」

94Awake 7話(10/13):2013/09/22(日) 13:00:30
 確かにネイサンが持っている実際の力では、今までの敵は一人で倒す事は出来なかっただろ
う。
 だが、どんな形であれ打倒しない事にはどの道、ヒューも彼も助かる道は無かった。それな
のにこの期に及んで現在に至った過程を問うのはあまりにも幼く、浅墓にも程があった。
「貴様の両親が、俺の親父と共にドラキュラを封印したと言う事で、目を掛けられているに過
ぎん!それを忘れるな!」
 
 ヒューはネイサンが持っているモーリスに対する恩義を逆手にとり徹底的に詰った。
 それは負の感情にのまれかけている彼の状態で共闘すれば、近いうちに操られてしまい
ネイサンの足手まといになるのは自分でもよく判っていたからだ。
 それならばいっそ彼を傷つけ怯ませてでも追って来ないようにして別行動をとり、自分
の状態を正常に戻す。
 この場合は術者であるカーミラを倒す事だが、説明してもネイサンが自分との共闘を望むのは目
に見えていた。
 現に作戦行動に関してネイサンは何ら間違った行動は取っていない。それなのに己の矜持が
許さず、戦場の真っただ中で妬心さえ曝け出す見っとも無い感情が燻っている。
 ともかく悲愁を帯びた表情を向け、己の根底にある承認欲求に抗う事が出来ないまま激
高した口調でネイサンを詰り、邂逅するも共闘の道をまた自ら放棄したヒューは逃げるように彼の
もとから走り去った。
「上手く諌められない自分の後ろめたい感情が、恩義ある人の血族を守る盾となり損ねた。
 お前の心身を想う事さえ許してくれないのか? もしかして」
 引き留めようと手を翳そうとしたが躊躇して動けず、悔しさのあまり歯を食いしばると、
悲しそうに悔恨の情を醸した顔の双眸には涙が溢れていた。

95Awake 7話(11/13):2013/09/22(日) 13:01:55
「何と言う狂気。何と言う傲慢。人も魔物もこうあるべきだ! 純粋に己の事しか考えて
いない、己の父親の救出すら己の矜持を証明するための道具にしかしていない」
 己の操作による誘導があったにせよヒューの矜持から来る振る舞いを見て、カーミラは喜色を全
面に出し魔性の如きその性根を心から賞賛し、自ら社会悪を標榜して行動している者より
も、己の未熟な承認欲求を満たすためだけに他者を攻撃する純粋な剥き身の感情に好感を
もった。
 反面、ネイサンに対しては後にも先にも不快感しか覚えなかった。
 カーミラはネイサンの怯えた顔を思い出すと、蟖たけた美しい容姿に似合わず悪鬼のごとく歪ん
だ表情で彼に毒づいた。
「私は力や欲望に怖れを抱いて、聖人君子のような振る舞いをする偽善者を見ていると反
吐が出る思いになる!」
――倒されたネクロマンサー様、デス様、そして私が中心となって伯爵を復活させたまではいいが、
彼奴が……聖鞭の力を借りていたとしても、こうも易々と駒を毀してくれるとは思っても
みなかった。
 この一ヶ月半、私が復活後の力の増幅に関して直接指揮をとっているとはいえ、術者の
一人であるネクロマンサー様に先鋒を任せ、この城に向かってくるハンター達の相手をし続けた事
で我々二人より疲弊なさっておられたとすれば……分からん話でもない。
いや、力なく倒された者の事を憐れみ、考えるのは止そう。これから先の事を考える方が
有益だ。
術者としての主導権は私が握っている。たとえデス様が斃されようと、伯爵に与える力の流
れが滞るだけでほとんど影響は無い。
だが、あの軟弱者が私のところまで城内の駒を倒し、踏破した場合、こちらの身の振り方
を考えねばなるまい。

96Awake 7話(12/13):2013/09/22(日) 13:03:02
「だが、気になる。あの君子然とした偽善者があの男に向けた貌と、切なげに何度も彼の
名前を呼んでいたのは……まさか……」
 カーミラは想像したものの、いくら幻覚を見せる術者とはいえ、確証が持てない事象を相手
に突きつけるような愚を犯すつもりはなかったが、その貌はどう考えても相手に対して恋
情を抱いている様相を呈していた。
「ソドムの恋か。それならば人間らしい感情ではないか。そう思うと少し、不快感が和ら
ぐ」
 カーミラはその予測が本当なら面白い事になりそうだと喜び、徐々に表情が柔和になった。

 死闘の後に二度も詰られ、しばらく意気消沈していたネイサンは気を取り直し、部屋の先に
ある扉を開いた。
 鍵があるかと期待したが、凱旋通路前のワープゲートにあったスイッチがあるだけだっ
た。
 躊躇なく台座に乗ると、部屋の中にあった血まみれのアイアンメイデンが潰れたと同時
に、その破片が四方に散らばり体がよろめくぐらいの地鳴りが空間に轟いた。
 崩壊した先に部屋が現れたが、四方を見渡してもマジックアイテムは見当たらなかった。
――とにかくアイアンメイデンが壊れて新たな空間が広がった。城全体に地鳴りが轟いた
から他の場所にあったのも同じようになったのでは……?
 そう考えを巡らし、礼拝堂に入る前のエリアにアイアンメイデンがあった事を思い出す
と、そこだけではなく他にも封鎖されていた所が通過できるだろうと予想した。
 先は長いかもしれないが、着実に自分はモーリスの救出に向かって歩みを進めている。そう
思い、先ほどアイアンメイデンが道を塞いでいた場所が開けていることを確信し、そこを
目指して駆けて行った。

97Awake 7話(13/13):2013/09/22(日) 13:03:39
 同じころ、己の状況と放言した内容のアンバランスさを自らの意思で露呈した事に、ヒュー
は再び嫌悪を抱いて赤面しながら、奈落階段を無我夢中で駆けていた。
 
 ちょうどアイアンメイデンのあった場所にたどり着き、敵の侵入しない場所で少し体を
休めて冷静になろうと扉を開けた時、城内に轟音が鳴り響いた。
 その威力は彼を取り巻く空間自体が縦に大きく揺れるくらい強いものだった。
「アイアンメイデンが砲撃を喰らったように壊れている」
 ヒューは今まで通れなかった所を探索できるかと思うと心が高鳴った。
 その上、偶然にも己の心に楔を打ち込んだ術者の魔力が微かに感知できるほど、その場
所の周辺から魔力が放たれていた。
 だが、それはわざと相手に魔力を感じさせ、ヒューを誘き寄せるために撒いたカーミラの罠で
あった。
 そのため、ヒューは難なく魔力を感知でき、汚染した精神を取り除くために行動しようと
息巻いたが、心の楔のせいでカーミラの操作に気付かないまま、冷静になれるどころか正体を
失ってしまった。
「行ける。行けるぞ! ははは! 一刻も早くあの魔性を斃し、精神のくびきを断ってか
ら奴より、ネイサンより早く親父の元に辿りついてやる!」
 相手を躊躇なく詰り、身勝手な承認欲求を他者に認めさせるような未熟な行動を恥と思
わないくらい、その思考は徐々に歪んでヒューの心を蝕んでいった。

98Awake 8話(1/9):2013/09/24(火) 09:30:54
「行ける。行けるぞ! ははは!」
 大量の水の音が濁流の如くどうどうと響き渡る空間を掻き乱すかのように、地下水路の
深遠部をガシャガシャと金具が軋み合う音を立てながら、荒い息遣いで駆けているヒューの姿
があった。
 体力を削る毒の水が流れるその場所はひどい悪臭を放っていたが、己が倒せなかった魔
物をネイサンが打ち倒した事で冷静さは完全に消え去り、本格的に自信を見失った彼の心は怒
り感情のみで突き進んでいた。
 いつもの彼ならいったん退避して己に有利な方法を探すのだが、カーミラが感情を増幅させ
てしまったせいで今まで感じた事のなかった、他者が見せた力に対する焦りといった感情
を上手くコントロール出来ず、その感情の先には術者のカーミラを倒す事しか考えられなかっ
た。
――何故だ。何故だ!何故だ! どこでどう奴との力の差が生まれたんだ!? 親父が前
に話した通り「人の住まう場所でない城は通常の概念が通用しない」と言うことか。
だが、精神に楔を打たれたとはいえ、数刻の間で力関係が変化する事がこの世にあってい
いのか? そんな莫迦な!
ならば、俺は……俺は如何したらいい!? 俺はネイサンより膂力も剣技も知識も持ち合わせ
ている。先ほどの鞭捌きを見ていてもそれは確かだ。
俺はこの城の中では役立たずなのか? それだけは認めない。いや、認めるわけにはいか
ない! 俺の研鑽の日々を無駄な時間だと思いたくない。

「そんな不条理が在って堪るかああぁぁあ!」 

 ヒューは錯乱したような叫びを上げながら、中途にあった階段のギミックを利用し、体力の
消耗を抑えるために無駄なルートを通らないよう、目測で判断しながら進んでいった。

99Awake 8話(2/9):2013/09/24(火) 09:35:23
 やがて、駒となる魔物が待機している部屋を示す青白い扉を見つけた。彼はグッと歯を
食いしばると、苦痛に歪ませた顔を目指すべき最深部の扉に向け、その表情のまま扉を乱
暴に蹴り飛ばし、ずかずかと奥の部屋へ入って行った。
そこは、外の水路とは対照的で壁一面に伝うように清浄な水が流れ、清々しい空気が辺り
に満ちていた。
 広さは他の部屋と同じくらいだが、足場ほどの大きさがある突起物を備えている簡素な
石柱が一定の間隔で配置されている。その奥にはもう一つ扉があった。

 そこには新たなる通路があるのだろうか? とヒューは考えたがその前に、その部屋は石畳
の落窪になっており降りるために着地地点を見下ろすと、謁見の間にいた女が涼やかな顔
でこちらを見て微笑んだ。
「案外、早かったのね」
 女は赤い唇を花が咲くように緩やかに開き、自分を見下ろしている不遜な表情をした青
年を見て、程よく肉付きの良い均整の取れた左足を誘惑するかのように桃色のペチコート
の裂け目から太腿が見える寸前まで右足へゆっくりと動かした。
――その声は、俺の心に響いていた声そのものだ。
 彼は斎戒していたせいもあってか少し、艶麗な態をなした女の色香に気を向けたが、そ
の女の役割を思い出すと――つまり、死者復活の直接的な指揮を執った術者を打ち倒せば
死者もろとも崩壊させる事の出来るネクロマンシーの法則により「塵に還すべき相手」と
認識した。
 その上、自分の心に楔を打ち、力を奪ったかと思うと何が何でも倒さなければならない
相手であった。
「淫魔が」 
 そう考えたら一層その女の表情と仕草を穢らわしい物を見るかのように、侮蔑をこめた
眼差しで見つめた。

100Awake 8話(3/9):2013/09/24(火) 09:36:06
 それから、打ち倒した瞬間の湧き上がる征服感と、それに付随するハンターとしての名
誉と父親からの賞賛、そしてネイサンに対する変わり無き優越感と立場。
 それらを想像しただけで胸が高鳴り、快楽に酔い痴れる心持になって「ククク……」と
喜びを隠せずに野卑た低い声を満面の笑みで漏らした。
「貴様を消滅させれば俺は、この苦しみから解き放たれる。貴様は俺の生贄になるのだ」
 ヒューは先ほどの表情と格好を崩さずに対峙している女に指を指し、キリスト者にあるまじ
き言動(他者を自分だけの生贄と認識すること)を悪びれも無く言い放った。
 それに対して彼女は「傲岸だが実力を測れないほど狂ってしまったのか……」と内心、
己の術がここまで効いていた事に満足を覚えながらも、玩具の気分を損ねては元も子もな
いと思い、あえて礼節を重んじて対応する事にした。
「私の名はカーミラ。貴方の名は?」
「貴様に名乗る名など無い! 名乗れば貴様の術に利用されるのが落ちだからな!」
 案の定ヒューは頑なに魔と対話する事を拒否した。

――そう、その目と顔付き。やはりそうでなくては、面白味が無い。
カーミラは炎のように赤い舌で薔薇色をした己の唇を舐り上げた。
「……無礼な男。でも私は貴方の名を知っていてよ、ヒュー・ボールドウィン」
――やはりな……さすがに上級の吸血鬼は知恵が回る。名を持つ本人に言霊を語らせ感情
を盗んで利用するつもりだったか。だが、そこまで精神が浸食されていたとは思わなかっ
た。
 彼は腹立たしさからカーミラを射抜くような冷たい目で見た。しかし、彼女はその視線を無
視して軽やかな口調で更に続けた。
「貴方は今、何故自分の名を会話もしたことの無い私が知っているのか、疑問に思ってい
るのではないかしら?」

101Awake 8話(4/9):2013/09/24(火) 09:36:39
 彼女は含み笑いをして舐るような眼差しを無表情で冷ややかな眼光を自分に向けている
彼に対し「ふふふ……」と妖艶な声色で漏らし、
「それは、謁見の間で貴方の父親が真っ先に貴方の名を呼んだからよ」
 と言を弄した。
「知らんな。そうだとしても俺はもう一つの名前のほうかも知れんぞ」
「嘘をつかなくても判っていてよ。何故なら、この城自体が私の物だから。それに、貴方
と一緒にいた髪の短い彼が貴方の名前を切なげに何度も、何度も愛しそうな貌と声色で呟
いていたのを、この城の目は見逃さなかったから」
――俺は城内の透視機能を警戒して出来るだけ名を呼ばないようにしていたが、思い返す
とネイサンは何度も俺の名前を叫んでいたな……
「如何したのかしら? 怖い顔。もしかして私との問答で操られるとでも思っているの?」
 ヒューはカーミラに対して無表情で問答しているつもりだが、そこは年の功というべきか一世紀
以上の長きに渡る不死の生命を持ちし吸血鬼の経験には勝てるはずも無かった。
 無論、眉根を軽く顰めているさまを見逃すはずも無く、カーミラは己に向かってくる玩具を
いかに弄ぶか考えていた。
「ふふ……アドラメレクに吹き飛ばされた程度の力で私と戦おうとしている貴方の愚かしさを拝
見しましょうか」
 そう言うとカーミラは巨大な頭蓋骨に乗った赤黒い女怪の姿に変化した。

「無駄な口上をこれ以上吐かせられない様に貴様の身体を切り刻んでやる!」
 言うか言わざるかのうちにヒューは抜刀し、その勢いでカーミラを直接攻撃しにかかった。

102Awake 8話(5/9):2013/09/24(火) 09:37:44
 それに対してカーミラは紫煙の珠で彼を弄び、彼はその玉を避けるのに必死だった。何度も
避けながら石柱に駆け上がり本体とは言わず頭蓋骨をも攻撃していたが、いかに聖剣とい
えどもリーチが足りなければ無用の長物でしかなかった。
 その上怒りに身を任せて精神力が散漫としているため、遠隔攻撃、聖水、斧、十字架、
ナイフを駆使しても彼女の体力を奪うことも出来ず、徐々に落窪の壁に追い詰められて身
動きが取れなくなった。
やがてその小競り合いも、防戦一方で嬲られ放題の状態でいたヒューの左腕の関節が脱臼し
た音によって終止符が打たれた。
 それでも彼は剣を取り、関節が外れた左腕を添えて両手でカーミラの身体まで接近したが、
頭蓋骨から発した光線により彼の体は紙のように吹き飛ばされた。
「愚かな……まだ立ち向かおうというの? その意気だけは高く買ってあげてもよくって
よ」
 そして強かに背中を石柱の突起物に打ち付けられ、抉られて大量の血が石柱と床に流れ
た。
 ヒューは痛みのあまり気絶しようとしたが、女に負ける事を是としたくない一心で今にも息
が絶え絶えにもかかわらず虚空に手をかざし立ち上がろうとした。
 だが頭も同時に打ちつけていたため脳震盪を起して場が暗転し、渦のような石畳の水場、
カーミラの赤黒い肉体と征服しようとしている充足感あふれる表情。それらが重なって言いよ
うの無い吐き気と、魔を捻じ伏せる事の出来なかった屈辱が彼の心の中で綯い交ぜになっ
て、絶望から無意識に涙が溢れ出たままその場に崩れ落ち、少しの間意識を失った。

103Awake 8話(6/9):2013/09/24(火) 09:38:57
 次にヒューが気付いたときは、ズボンの留め具を引き裂き下半身を剥き出しにされた上、座
ったまま股を開かせて後ろ手を交差させ,石柱に術で創造された呪縄でがんじがらめに縛ら
れている状態だった。
 カーミラは女怪の姿ではなく初めて出会った時の姿に戻っていた。
 依然、意識は朦朧としていて未だ吐き気と、今度は体中の震えが止まらなくなって来た。
 カーミラが大量の出血で仮死状態になり体温が低下して気絶した彼に、術を終えたと同時に
平手打ちを食らわせて無理やり起したために急激な血液の流動が始まり、それに体が対応
できなかったからだ。
「目覚めたわね」
 そして、カーミラは術を唱え朱色の魔法陣を虚空に出現させた。ヒューはそれを召喚の黒魔術だ
と認識した。
 自分が気絶していた間に上級悪魔を出現させる準備を行っていたのかと、身構えれば現
れたのは何の事は無い、燃えるような紅い長髪を湛え、魔物らしく灰色の肌をしたサキュバス
一体だった。
「ふん……何をするかと思えば淫魔一体だけか? 俺は幾ら弱っているとは言え聖句でそ
んなものは地に還すのは簡単だ」
 ヒューは眉根をひそめ、カーミラに向かって嘲笑した。
――自分は死ぬのだ。ここで何を言ってもどうともならない。しかし、ハンターとしてネイ
サンに聖鞭を預けたまま死ぬのは心残りだが、仕方が無いだろう。
 さすがに、自分の死ぬ姿は見る気にもならないから目を強く瞑り、歯を食いしばって攻
撃を待った。

104Awake 8話(7/9):2013/09/24(火) 09:40:26
 だが、数秒間待っても身体の痛みは感じない。如何するつもりかと一気に目を見開いた。
すると、目の前には在り得ない者が立っていた。
――ネイサン!?
何故、奴が? さっきいたサキュバスは何処へ行った? ――まさか……? 唖然とした彼が
目を白黒させていると、
「ヒューか……?」
 ネイサンと思しき姿形をした者が、いつも自分に見せている何かを窺うような表情をして、
声も同じ人物の声色でこちらを立ったままの姿で見ていた。
「貴様……何をしている? ここにいる女を倒せ。今回は貴様に聖鞭を預けたのだからな、
それだけの働きをしてもらおうか」
 彼は唇を捻じ曲げ目を据えてから目の前の青年を睨み付けると、彼に対して矜持を保つ
ため強い口調で言葉を発した。如何に自分が無様な姿になっていようとも、偽者と解って
いても彼の姿形をしている者にだけは弱っている姿を見せたくなかったから。
「“彼”は私の言う事しか聞かないわ。その上、何人たりとも彼には私以外の者の声は聞
えなくってよ。残念だったわね」
 カーミラはほくそ笑み何事かを傍にいる青年に語り掛けると、グレーブルーの眸を朱色に染
めた青年がヒューの面前に近づいて跪き拘束している縄を解き始めた。解いたと同時に上半身
の動きが戻った事を知覚したヒューは、サキュバスに気付かれないよう後ろ手でウェストポーチの
中身を探り、十字架と聖水がまだ存在していることを確認した。
――しめた!
「Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum, benedicta tu in mulieribus, 
et benedictus fructus ventris tui Jesus. Sancta Maria mater Dei, ora pro nobis
peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae  Amen!(めでたし聖寵充満てるマリ
ア、主 御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せ
られ給う。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために今も臨終の時も祈り給え)!

105Awake 8話(8/9):2013/09/24(火) 09:41:03
ラテン語の退魔聖句である天使祝詞を早口で必死に大声で言い始めるや否や、彼はネイサン
に扮したサキュバスに聖水を振りかけ、十字架を顔面に押し付けた。だが、
「何をしているんだ……? 気でも違ったか?」
 サキュバスは悲しそうな微笑をヒューに向けると、緩やかな口調で彼に問いかけた。
――効かない……? 何故?
――カーミラ様ノ意思ヲ、ワタシハ実行シテイルダケ。カーミラサマノ言ウトオリ、聖ナル物ヲ中
テラレテモ、ナントモナカッタ。
 そして、聖水で濡れた髪をかき上げると、自分とネイサンしか知らない過去を再現し始めた。
「昔、両親が死んだ時に、体の震えが止まらない俺を抱き締めてくれたよな。だから今度
は俺と『傍にいて、ずっと一緒に生きて行こう』それから俺を頼ってくれ」
 そう言いながら人とは思えない膂力でヒューを抱き締め押し倒した。
――何なのだ!? 此奴は? 俺にはカーミラに打ち倒されてから反撃する体力も残っていな
い。ならば呪力で補おうと思ったが……その頼みの力さえも消え失せたと言うのか。
しかし聖水と十字架は本物だった。それは自分の扱っている得物を何十回も何百回も手に
しているのだから間違える事はない……何故?
 彼は自分の体が冷えていくのを感じた。それは死よりも苦しく、彼が人に対して力を誇
示するために繋いでいた自信――ハンターとしての力が消失したことを意味する。
「自分の力をやっと自覚したようね。ヒュー・ボールドウィン。信仰心が無ければ、どんなに言葉を
尽くし、紡ぎ出しても私達は斃せなくてよ」
 カーミラは押し倒された彼を凍るような表情で見下し、サキュバスにおぞましい命令を下した。

「その男を――知識と膂力のみで信仰心の欠片も無い恥知らずな無知者を、男の体で犯せ」

106Awake 8話(9/9):2013/09/24(火) 09:41:36
貴様……っ! グウッ……!?」
 ヒューはけたたましく嗤っているカーミラに首筋を向けて、思う限りの罵詈雑言を捲くし立てよ
うとしたが、ネイサンの容貌をしたそれが力任せに彼の頤を利き手で押し上げると、露になっ
た首筋に唇をきつくあてた。
――吸血される! 吸血されたら俺はもう、人ではなくなる。希望は本物のネイサン一人の双
肩に掛かる事になる。果たして奴に出来るのだろうか……?
「……生憎、私が本当に愛せるのは美しい少女だけ。男同士の交合いなど気持悪くて興味
なぞ無い。サキュバス、この男の精神を毀すまであらゆる手段で責立てよ。頼むわ」
 カーミラは最早、ヒューに対して興味を失った玩具を投げ捨てるかのように褪めた視線でしか見
ることは無かった。
「快楽に堕ち、汚らわしい体液と恥辱に塗れた身体と心を呪いながら、膝を抱えて自分自
身を慰めていると良いわ……うふふふ……」
 言い終わるや否や、カーミラは紫煙の霧となって完全に消え失せた。
 残された人間は己の体に圧し掛かっている魔性の者の行為を、体をくねらせる事で回避
し続けていたが、その様子に魔性の者は朱色の目を見開き嗜虐心を覚えて、組み敷いてい
る人間と同じ体に変化させた。

107Awake 9話(1/10):2013/09/27(金) 02:23:48
「人間の癖に他人を愛する事を知らないお前には相応しい趣向だろう?」

 己と同じ声色が放った科白に、ヒューは生理的な嫌悪を憶えて一瞬にして冷たい汗を体全体
に吹き出させた。
「貴様ぁっ! よくも! よくも! 俺には……! 自分と交合う趣味は無い!」
 彼は完全に怒りに任せて面前の己を退かそうとしたが、圧し掛かっているそれは両腕に
より一層力を入れて抱きすくめると、あろうことか同じ顔をしたターゲットに深く唇を重
ねた。
――不覚!
 ヒューはサキュバスの唇を噛み切ろうと前歯を力強く合わせたが、紙一重の差でかわされ逆に己
の下唇に傷を創ってしまった。
 そして己の反応の遅さに腸が煮え返り、血が口角、顎から滴り落ち首筋に流れてもなお
咬み続けた。
 眉間に無数の皺を寄せて漆黒の瞳を怒りに滾らせたまま、快楽に酔うように目を蕩かせ
ている同じ顔を見つめて体を強張らせたが、その表情を尻目にサキュバスはヒューの首筋に舌を這
わせ血を舐めると、ほう! と感嘆の声を上げ急に首筋から顔を離した。

「お前……同性どころか女と交わった事すらなかったのか。道理であのカーミラ様が男にも拘
らず殺さなかった訳だ」
「黙れ。このソドミア。く……っ、これ以上俺を愚弄すると……」
「愚弄すると……何だ? その先を言え。まさか組み敷かれているのに俺に克とうとでも?
 生殺与奪はこっちが握っているのに? ククク……現に」

108Awake 9話(2/10):2013/09/27(金) 02:25:24
――会話が成立していると言う事は? 聞えている? いや読唇術か……? 
「!? グオアァアアアァアアア!」

 サキュバスはヒューの背中に指先を這わせ下からシャツの中に滑り込ませると、直接傷口を指で
グチョッと音が聞えるほど強く抉り押し拡げた。
 そして背中から暖かい血がサキュバスの指から手から流れ出て、石畳に夥しいとは行かない
までもある程度の量の血溜まりが出来上がった。
――背中に傷を受けたと言うだけでも俺にとっては屈辱なのに、それ以上に好き勝手に俺
の体を弄びやがって! 
 
今まで味わったことの無いほどの痛みではなかったが、それは敵に立ち向かった向こう
傷とは違い彼にとって背中の傷は、己の技量不足を示す証と常に捉えているので余計痛苦
を感じていた。
 しかし、カーミラと戦った後に無様にも気絶して現在に至ることを考えたら、そうおいそれ
と意識を失うわけにはいかないと苦痛に顔を歪ませ、双眸に涙を溜めながら奥歯を食いし
ばり、どうにか痛みに耐えた。
 だが、身を引き裂かれた痛みで体全体が一瞬、抵抗するために力を入れていた気力が失
せ、それに気付いたサキュバスは力強く抱き締めていた両腕の力を緩めた。
それから股を開き両膝と脛だけを床に付けて体を浮かせ、ヒューの体を仰向けの状態から手
早く乱暴に引っくり返してうつ伏せの体勢にし、素早くサキュバスは彼の背後に体重をかけて
圧し掛かった。

109Awake 9話(3/10):2013/09/27(金) 02:26:07
ヒューは引っくり返された衝撃で、強かに顎を含む正面全体を冷たく表面の粗い石畳に叩き
付けられた。その上、己の流した血の匂いに直接触れてしまい気分が悪くなり、吐き気を
催した。
「この気違いがっ! 俺が聖鞭を持っていたら貴様なぞ一瞬にして塵に還してやる!」
「憎め。この状況に陥った己の無力を憎め。だが俺は傷みだけを与えるわけではない、そ
して安心しろ。カーミラ様は吸血の指示までは与えてはいない」
「何故に!?」
 ヒューはサキュバスの科白に疑念を持ったが、そう言えばカーミラは一度も牙を立てる行為をしてい
ない。術で動けなくしていたのにも関わらずだ。確かに何度もチャンスはあったのに、と
思った。
「つまり、俺をドラキュラの生贄にするために敢えて眷属にしないつもりか?」
 彼はうつ伏せになっても背後の己に不羈の意思を見せようと、首筋を後ろに捻り横目で
グッと睨みつけた。
「そんなことは俺も知らん。それよりお前と同じ顔の俺と一緒に快楽に喘ぐ姿と、嬌声を
楽しもうじゃないか。なぁ?」

 事実、サキュバスがカーミラから受けた指示は男の体に変化させた上で吸血、死亡以外の選択肢
で精神を毀せと言われただけで、それ以外であれば何をしても指示に反する事は無い。
 だから、秘所も含む体全体を縛って人形のように弄ぶもよし、逆に仰向けの状態にして
己の後庭に彼の下腹部を挿し入れて騎上位で彼の体を嬲るのも、その他の選択をしてもい
い。

110Awake 9話(4/10):2013/09/27(金) 02:28:28
そしてサキュバスは久しぶりの純潔の血を飲みながら、その代償として彼と快楽を共有する
選択肢を取った。
 うつ伏せにしたヒューの背中は血溜まりが出来るほど流れていた時より出血はおさまってい
たが、血を舐めようとサキュバスはシャツを捲り上げるために下から右手を掛けて傷口をなぞ
り、濡れた指先を口に入れた。
 そして恍惚の表情で涎を垂らしながら徐々に下腹部が脈打ちつつ硬く膨らむと、それを
享受するかのように血の匂いがしなくなるまで舐り尽くした。
 彼は己の臀部に硬い物が当たっている感触が生々しく、剥き出しになっている下半身に
厭というほどの不快を感じた。
「はぁっ……血の味だけで俺の方が蕩けそうだ。なにもしていないのに竿の先が濡れてき
た……」
 そしてサキュバスは己の両膝をヒューの脹脛に乗せ体重を掛けると、彼は更なる痛みに両足が麻
痺して動けなくなった。
 ヒューは上半身を後ろに捻って一心不乱に両腕に力を入れ、両手でサキュバスの首を絞めたが力
及ばず、サキュバスは「フッ」と軽くヒューに対して嘲笑してから左手で彼の首根を掴んだ。
 それから右腕で彼の上半身を持ち上げて腰を浮かせると、目の前の石柱に上半身を押し
付けた。
「よくもまぁ、そんな気力があるものだ。嬲り甲斐があるよ、お前は」
 サキュバスは目の前のターゲットを御そうとより強く左手に力を込め、苦痛に歪ませながら
眉根を寄せて横目で睨みつけ自分を見ているヒューをより強く押した。

111Awake 9話(5/10):2013/09/27(金) 02:29:29
「グアァッ! ほざけっ。倒錯した雌豚が」
「フン、今にも女のように竿をぶち込まれそうになっている奴の科白とは思えないくらい
威勢だけは良いな。だがな、苦痛に歪ませた顔をずっと眺めているほど俺は狂っちゃいな
い」

 そう言うとサキュバスはカーミラが残していった拘束用の呪縄に拘束の命令を出し、呪縄自らヒュー
の両手首を後ろ手にきつく縛り上げた。
 それに対しヒューは解呪のスペルをつむぎ出したが少しだけしか緩まず、気付いたサキュバスが
彼の右側の太腿の前方を掴んで己の下半身に彼の臀部が当たるよう密着させると、彼の上
半身を石柱に押し付けたまま今度は己の膝を彼の脛の内側にずらし、彼の引き締まった足
を己の膝で広がして臀部の割れ目を挿入しやすいようにした。
「さあ、力を抜け。なに、自ら求めて来るぐらい馴らしてやる。しかもお前が求いで来た
ら俺は永遠に応えよう。約束する。だがまずは俺にそうさせる活力を与えてくれ」

 そしてサキュバスは己の腰筋に力を入れて腿でヒューの臀部を固定すると、早速右手でシャツを
めくり、露になった血まみれの背中に吸い付くと喉を鳴らすぐらいに血を貪った。

「俺は断固拒否する。貴様のような薄汚い輩にこれ以上弄ばれる義理は無い。例えこの身
が得も言えぬ苦痛に苛まれようとも、他人に己の快楽と想いを委ねる気もな!」

 ヒューはサキュバスが脇目もふらず自分の血を飲んでいるいるために、自分に対しての注意力が
薄れた事に気付き拒絶の意を伝えると同時に渾身の力を込め腰に力を入れた。

112Awake 9話(6/10):2013/09/27(金) 02:31:00
それから足の麻痺を物ともせず下半身を捻り返し、右上腕を床に着け瞬時に両足を屈め
ると、跪いた格好で血の味を堪能し口角からだらしなく血を滴らせ、酔って茫漠としてい
るサキュバスに向かって、地面に着いた反動を託した鉄の靴底を斜め下から顎に向かって突き
上げた。
「グファアァアアアァアアァ!」
――シマッタ! 時間ヲカケ過ギタヨウダワ。明確ニ意識ヲ取リ戻シタ今、私ハスデニ彼
ニ勝ツコトハ出来ナイ。ナラ……私ノ身ヲ犠牲ニシテデモ生贄トシテノ体面ヲ保タセナイ
トカーミラ様ト伯爵ハ満足サレナイ。
 思考はあってもなす術もなく吹き飛ばされたサキュバスは、両腕をだらしなく浮かせ口の中
に残っていた血液をしぶかせながら、にやけた表情のまま仰向けで地面に叩きつけられた。
 術者の力が殺がれたため呪縄が解け、すかさずヒューは足首の付近で留まっているズボンを
穿き上げるとベルトで固定した。
 それから素早くサキュバスの頭部を捻じ切るつもりで、左足をサキュバスの喉元に軽く乗せた。
「クヒャヒャヒャアァッハァッ! まだそんな余力があったのか! グフャ!?」
 そして下卑た表情で口の周りについている血液を嘗め回し、背中を仰け反らせて腕を伸
ばしヒューに指先を向け、部屋全体に響き渡る甲高く下品な声色で笑い出すのを聞いた瞬間、
ヒューは汗と血に汚れた長髪を掻き揚げながら、無表情で鉄靴の先をサキュバスの喉仏にねじ込ん
だ。
――ソウ、ソレデイイノ。オ前ハ己ノ身ガ一番カワイイ人間。体面ヲ保ツタメナラドンナ
事ダッテスルヨウナ。ダカラオ前ノ姿デ下品ニ振舞イ挑発シテアゲル。ソノ先ニアル結末
ヲ考エラレナイ位ネ。

113Awake 9話(7/10):2013/09/27(金) 02:33:11
「黙れ、淫売。俺のツラでその様な下品な表情と口調は断じて許さん」 
「哀れだ。哀れだよ、お前は! 人を愛する事も理解しようとする術を得ようとしない。
己の獣性を認めずに自分だけは……自分だけは綺麗な身体、精神を保つ事がハンターの資
格だと思い込んでやがる!」
「黙れ」
――血を舐められて、俺の情報全てが盗まれたか。
「ネイサンのことにしてもそうだ、あいつがお前に無償の愛を与え、その上ハンターの称号を
継ぐ数日前まで寝ているお前に毎朝口付けをしていた事も知らない訳ではあるまい?」

「……貴様に奴のソドムの罪を聞かされ、平静を保っていられるほど俺の神経は太くない。
特に自分と同じ顔をした貴様から奴の事を“あいつ”などと呼んで貰いたくはない。安ら
かに煉獄へ堕ちろ」

 ヒューはさらにサキュバスの喉に強く鉄靴を食い込ませ、とうとう喉を潰したので血飛沫が辺り
一面に広がった。だが、なおも口角から血を垂れ流しながらヒューを誹謗し続けた。
「グフッ! 知っていたんじゃないか。毎朝重ねられる唇に気付かない振りをして、あい
つを振り回しているお前は人でなしだ」
「貴様、先程から思っていたが何故反撃しない? 首を半ば踏みにじられても声が出せる
貴様の事だ。何を待っている?」
――やはり物理攻撃は効果がないか。それとも俺の血にまだ酔っているのか? まさか!?
「早く……殺れよ……さあ! どうした?」

114Awake 9話(8/10):2013/09/27(金) 02:34:12
意外にもサキュバスは血を飛ばしながら、ヒューに対し己の消滅を冀う科白を放った。
「断る。貴様と俺は今や同じ躯体、体内に流動するのは同じ血液、ただ違うのは貴様が正
常な状態で生を受けた者でないという事だけだ」
 彼は痺れる足に更に重心を掛け、残っている聖水を鉄靴の先に垂らしサキュバスの流れ出る
血液と同化させた。
 すると、聖水が注がれた肉片から硝煙のようなものが発生し、白く変化すると灰になっ
て風化した。
「な……何……故? カーミラサ……マハ、聖水ガ効ナイッテ、私ニ……」
 白眼の部分を血走らせて口角を捻じ曲げ、半ば女体に戻りかけている体に動揺を隠せな
いサキュバスにヒューは勝ち誇った表情を見せた。

「俺の体を良い様に弄んだ貴様に教えてやろう。今、貴様は出血多量を起し依代である肉
体を捨て、血液に意思を持たせる準備をしていただろう」
「ダカラ……ドウシタトイウノ?」
「その血液、液体は意思を持たせれば水にも氷にも、霧にだって変化させる事ができる。
つまり、血を飲んだ貴様は俺と同じ血液を持ち、俺の体の傷口から何の拒否反応もなく同
化できるわけだ」
――ワタシハ夢ノ中ニノミ存在スル生キ物。夢ノ中ニ簡単ニ堕チル人間ニハワタシハ倒セ
ナイケレド、苦痛ヲ一身ニ受ケ止トメラレル人間ハ夢ノ世界ニハ来テクレナイ。
時間ガ経テバワタシノ存在ガ薄レテクルノハ明白。夢ダモノ。アーア、彼ヲ痛メツケルノ
ニ時間ガ掛リ過タノネ。
ソレニ気付イタワタシガコノ身ヲ賭シ、セメテ彼ニ成リ代ワロウトシタノガバレチャッタ
カ。

115Awake 9話(9/10):2013/09/27(金) 02:34:50
「……イタ……イ……イタイ……ヨ」
「そうだ。俺は今まで聖水はかければ効果があると思っていたが、どうもそれだけでは無
いらしい。貴様のように身体を変化させられる者は、表層にはそれなりの耐性が附いてい
ると気付いた。そこで内部を抉り、その中から侵食してゆく方法を考え付いた。もっとも
一か八かの賭けだったが」
「ク……ガァアァ……アァ……」
 サキュバスは充血した両眼で肉が徐々に焼け爛れ消失して行く様を見つめながら、肺腑が消
失したと同時に呻く声すら聞こえなくなったが、やがて頭部だけを残し全て風化してしま
った己の姿にただ涙を流すしかなかった。

――このようなザマになっては何も出来まい。普段の俺なら此処までの手間を掛けて消失
させるなど考えられなかったが……まあいい、先に進めるのだから。

 ヒューは痺れた足を引きずりながら己の剣を探し始めた。しかしサキュバスが未だ生きている事
に不安を感じて彼女の元へ戻り、彼女の髪を掴み叩き潰そうとしたが彼女の頭部に目線を
合わせると、何事かを口にしているのに気付いた。
 自分への呪詛でも呟いているのか? とヒューは思ったが判読してから彼は眉間に皺を寄せ
振り上げた拳をゆっくりと降ろした。
「魔物も人も変わらぬということか。ならば人として冥府に送ろう。少し待っていろ」
 それからまたサキュバスの髪を掴んだまま部屋を歩き回り、やがて部屋の隅に放置されてい
た剣を見つけ手に取ると、跪いて彼女の頭部を自分のほうを向かせて石畳に安置した。

116Awake 9話(10/10):2013/09/27(金) 02:35:29
 そして切先が綻んだ剣に聖水を染み込ませ、彼女に無表情のまま視線を向けてその細い顎
を動かないよう固定させると、

「許そう。そして汝の魂に安息を与えん」

 ラテン語でそう謂った。彼女は軽くヒューに微笑み「あ、り、が、と、う」と口にして涙を
流し静かに瞼を閉じた。
 それを見届けた彼は聖剣をサキュバスの眉間から一気に深く刺し貫き消失させた。

――本当は死にたくない。でも私を、私のままで逝かせて……。か。俺は何人ものヴァン
パイアに成った人間を煉獄へ送ったが、皆一様にして同じ様な言葉で俺達に懇願して消失
して逝った。このサキュバスも元は人だったのだろうか?
 そう思案を巡らせながら自身の緊張が解けてくるのを感じずにはいられなかったが、や
がてその様態が意識を奪っていくのにそう時間はかからなかった。
「そんな……馬鹿な……俺の体……力が……う、失せるなぞ……持ってくれ……頼む」

 ヒューは周りに自分を害する者がいない事を再度確認すると、瞬時に安堵し過度の外傷と消
耗を認識してサキュバスが残して逝った灰の上に倒れ込み、望まないまでも意識が遠退いた。

117Awake 10話(1/9):2013/10/09(水) 01:20:40
 月光を室内に取り込むための明かりとりが部屋を照らしているだけで、あとは初老の男
が精気の抜けた姿で祭壇の簡素な柱に縛られ、その下の床に構築された黒い魔法陣が青白
い仄かな光を放っているだけの部屋があった。
 そして、そこにはじっと禍々しい光を放つ紅玉の目で、柱を見つめているドラキュラが佇ん
でいた。
 真祖ドラキュラは不完全な復活をした場所から少し奥まった部屋で、モーリスを生贄として魔力
の増幅を図る儀式を行っていた。
 もっとも、ドラキュラは覚醒しているものの、未だに術者であるカーミラとデスから魔力を分け与
えられている状況に変化がなかったため、自らの手で魔力を増幅させられない苛立ちを覚
えていた。
「また、気絶したか。無理もない。一刻以上、我の魔力を増幅するために強制的に精力を
放出させたのだ、普通なら既に死んでいるがこ奴、体力は衰えても心と精神は一段と強固
な物になりおったわ」
 物言わぬ仇敵――覚醒と意識消失を繰り返しているモーリスを前に低い声色で微かに笑いな
がら、彼の命の灯をどうやって潰えさせようかとドラキュラは半ば喜びに心踊りながら対峙し
ていた。
 しかし、その一時の愉悦も彼の背後に赤黒い魔法陣を浮かび上がらせて出現したカーミラに
よってかき消された。

「うふふ……長い時間、仇敵を眺めていても面白くないでしょうから、退屈凌ぎになるも
のをお持ちしました」

「カーミラか。己の持ち場はどうした? それに何だ、これは? これはお前に与えた物だ。
散々甚振った挙句、残滓を捨てに来たのか? 無礼な。それならば己のフィールドに持ち
帰り、下僕の餌にすれば良い。不愉快だ」
「まさか。ただそれだけの者ならわざわざここへ運びませんわ」

118Awake 10話(2/9):2013/10/09(水) 01:22:28
 地下水路で敵を待ち構えているはずのカーミラがドラキュラの元に現れた。
 それだけでも命令を遵守していないと彼は思ったが、それ以上に下僕に投げやったはず
の物の長髪を掴んで引きずって運んできたものだから不快感は一層濃いものになった。
「心配なさらなくても継承者はまだ、禍々しい古の死竜と死闘を繰り広げているところで
すわ。それにアドラメレクを倒し、鉄の障壁を破っても毒の川がある限りダンピールも人も簡単に
私の元へは来る事は出来ません」
 ドラキュラの忌々しげな視線を躱しながら、その場で床に叩きつけるように落としたヒューの
方へカーミラは視線を向け見つめた。
「ほう、己が下僕に投げやった人間に興味を持つとはどう言う心算だ。カーミラ」

「……ご存知でしたか。ならば、話が早い。私が持っているこの部屋の鍵は唯一、この空
間に足を進める事が出来る物です。しかし、念を押しすぎると言うことはこの状況におい
てない筈です。すでに三人の術者のうち貴方に魔力を与えていたネクロマンサー様が倒され、その
手が屠った血糊を拭い去らないうちにデス様に向かいつつある。もし、あの方が食い止める
ことができなければ私の身とて危うい物となり、そうなれば鍵を持っている私を屠ったら
次は魔王……貴方のもとに駆け付けるでしょう。しかし、未だ完全なる復活を遂げられて
いない今、ここで聖鞭を振るわれたならば我等の宿願を果たす確率は低くなります。失礼
ながら断言出来るくらいに確実です」

 ゆっくりとだが説明をしながら消沈していく声色とともに、徐々に眉根をひそめ、焦り
とも諦めともつかぬ眼差しと歪んだ貌をするカーミラの様子に、優勢を誇り蠱惑の微笑を湛え
た彼女の面影は既に消え失せていた。
 同時に己の存在の消滅という予測が、チリチリと刺すような感覚となり悪寒を持って彼
女の全身を侵食していく。

119Awake 10話(3/9):2013/10/09(水) 01:24:11
「つまり、可能性を高めるためにここへ打診しに来たと?」
「その通りです」

 ドラキュラは意識が消失しているモーリスと、気絶しているヒューを見比べて彼らの血縁と仲間意識
を鑑み、余興を思いつくと嬉しそうにカーミラに言い放った。
「よかろう。この者に鍵を守る番人となってもらおう」
「それは面白い趣向でございますわ。仲間同士、どのような貌で、どのような戦い方をす
るか見物ですわ」
「唯の人間が過ぎた力に心を呑み込まれず、独りあそこまで踏破して来るとは思わなんだ。
相手が人ならば人としての情に訴え惑わすのが最上。彼奴の感情と考えを増幅し利用させ
て貰う。そして共に朽ち果てるが良い」

 魔性二人はヒューを見て高らかに哄笑し、これからの展開に楽しみを覚えていた。
 気絶しているモーリスが血と汚れを纏っているヒューの姿を見たうえ、その内容を聞いたら絶望
と失望が入り混じった感情を持ってしまい、いとも容易く心の壁を崩壊させてしまったの
だろうが、気絶していた事でその不幸は防がれた。
 ともあれ、魔性二人もその効果に気付かないほど切羽詰まっていたものの、それなりに
手を打つ事は忘れていなかった。
「それと侯。私も全力を以って継承者と対峙する所存ですが、私が持っている術者の権限
をお渡しします。これで私が屠られたとしても貴方が消え失せる事は無いでしょう」

「あい解った。お前達の忠心に感謝する」
「ありがたき幸せ」
 カーミラは劣勢になりかけている状況に苛立ちを覚えているドラキュラが、そのせいで己に威圧
を与えるくらい重々しい感覚をぶつけがらも礼を言った事で、もう一人の侵入者を屠りつ
くし、必要とあれば、半死半生の状態で生贄として捧げようと誓った。

120Awake 10話(4/9):2013/10/09(水) 01:25:00
 カーミラが儀式の間から地下水路に戻るために移動していた頃、古の死竜を倒し、新たなマ
ジックアイテムを手に入れたネイサンは、木箱が邪魔をして通れなかった凱旋通路を目指して
歩んでいた。
「……はぁ、はぁ……かはっ、さすがに死ぬかと思った」
 口中が切れ、何度も腹部を突きあげられたせいで、移動するたびに咳込んで口角から血
が滲み吐血していた。
 今にも倒れそうなくらい痛めつけられていたが、それでも休まずに安全な場所で少し体
を癒すため、このエリアから一刻も早く脱出しようとしていた。足許がふらつき、壁にも
たれかかりながらの歩みだったが、襲ってくる敵に対してのみ攻撃しながら通過していた。
「今度こそ師匠のもとへ行けるための……助けるためのアイテムが手に入るといいけど…
…」
 やがて、エリアの外に通じる扉までたどり着くことができた。
「ここは……奈落階段」
――そうか、地下回廊前のアイアンメイデンが破壊されていたから、階段中途にあった人
形も破壊されているかもしれない。
 そう結論付けると、ネイサンは新たな通路を探り出せる事に希望を持たずにはいられなかっ
た。
 だが、地下水路に辿りついたものの、扉を開けたと同時に腐った血液や腐食した匂いが
ネイサンの鼻腔を駆け巡った。
 その悪臭に一瞬にして気分が悪くなると、その場で床に蹲ってそのまま嘔吐した。
「……酷い、酷過ぎる! こんなところにいたら瘴気で鼻と頭がおかしくなる! ここは
後回しだ」
 しばらくして嘔吐するための内容物がほとんどなくなったところで、ネイサンは口と鼻をハ
ンカチで抑えながら立ち上がり、地下水路から逃げるように駆けだした。

121Awake 10話(5/9):2013/10/09(水) 01:27:29
「ウゥッ……」
――暗い。何と暗い。む? 風? 冷たい風。こちらへ向かってくる? それにこの破裂
音は何だ? あぁ拍手か? 拍手だと? 知覚出来ているという事は……俺は生きている
のか!?

「見事だった。カーミラやサキュバスの甘言や手管に堕ちず正気を保っていられるとは」

――聞き覚えのある声。それに此処はどこだ? そして先程まで感じていた不快感と、身
体の痛みが殆どと言って良いほど消え失せている。
 靄が懸かっているように周りがぼやけて見えないが、徐々に蝋燭の明かりと悪魔崇拝者
が必ずと言っていいほど儀式に使用する悪魔の偶像、バフォメットの像が見えてきた。
「儀式の……間?」
 ヒューはまどろんだ眸だけで周りを見渡し、誰に言うわけでもなく掠れた声で小さく呟いた。
「その通りだ。そして我がお前を回復せしめた」
「ウッ!? 貴様は……! ドラキュラ!」
 眼前の人物を確認すると、眉間に皺を寄せて叫ぶや否やヒューは立ち上がろうとしたが、足
が縺れて尻餅を付いてしまった。
「そう無闇に身体を動かすでない。我の話を聞け」
 ドラキュラは血色の無い顔をヒューに向け、軽く微笑むと言を弄し始めた。
「その前に今までお前を苦痛に晒させていた事を謝ろう。しかしカーミラは哀れな女なのだ、
生前のあれは常に他者から心も身体も奪われ続け、故に得る事の無い純潔を求め続けたの
だ」
「それが如何した。俺の事には関係が無い筈だ。何故その話を此処でする? それに、こ
こはどこだ! 親父をどこにやった!?」

122Awake 10話(6/9):2013/10/09(水) 01:29:57
 ヒューは訝しく思い強い口調でドラキュラの話を遮るとドラキュラは、彼を横目で見て己の話を続け
た。
「だが、魔性の者もハンターも穢れなき身体で我に挑んで来た者は居らぬ。何処かで他者
と身体で交わりその腐臭を撒きながら、我の前に恥かしげも無く様々な言葉で我を封印す
る口上を捲し立てていた」
「他者は知らん。俺は俺自身の信念で持って貞潔を保っていただけだ。貴様が言を弄しよ
うが聴く耳を持つと思っているのか?」
「お前は気を失って知らないと思うが、お前をここまで運んできた下級の魔物が何体お前
の体に触れようとして消失したか知っているか? お前の身体が為せる業だからこそだ」
「だが、俺はカーミラに負けて身体を弄ばれた」
「それはカーミラだからだ。百年以上掛けて純潔の血肉を喰らい続け、図らずともその力が身
に附いたのだろう」
――どう見てもこれは弄言の類だろうが、この男は生前、ワラキア公だった時、巧言令色
を用いる者は平民であれ、臣下であれ許さなかったと言う。また、この男自身も幾度と無
く虜囚の身になっても敵に心から屈する事が無かったとも。
いや、死してなおその公正さが残っているとは信じがたいが。悪魔は事実と共に嘘を織り
込ませるのが得意だ。話半分に聞くのが上策だろう。

「それにだ、我はお前の様に力を持ち乍ら、周囲の者達に因って目的を達せられない者の
苦悩を知っている」
「……」
「ハンター以外には殆ど知られていない我の故国――ワラキア公国の歴史を知っている者
なら我がどの様な生を送って来たかは知っているであろう。我は幼き頃、あの忌まわしい
オスマンの虜囚と為った。我は力を持たずお前の様に力を得るまで時を待った」

123Awake 10話(7/9):2013/10/09(水) 01:30:56
 ドラキュラが虚空に顔を向け遠くを見つめると一気に土埃の戦場が眼前に広がった。
ヒューはその情景に瞬時に身構えたが、彼のすぐ横でターバンを巻いたムスリム兵が、落馬し
た騎士と思しき豪壮な鎧を纏った者の首を蛮刀で刎ね飛ばし快哉をあげていた。
 首を断たれた肉体からは噴水のように血液が噴き上がったが、近くにいる彼の衣服に一
切付かなかった事から幻覚だと認識したものの、どうドラキュラが自分に対して手を打ってく
るか見極めるために言葉を挟まなかった。
「しかし、同じく虜囚と為った弟のラドゥ――奴は美男公などと綽名されていたが、その
実は後宮に入り浸った上おぞましい事に、己の身体を娼婦のように異教徒に委ねる背徳者
となり果てていた」
「……」
「其れだけでも非難されるべきであろうに恥知らずにも、故国に帰った我に対してオスマ
ンの手先となって刃を向けおった」
 場面が変わった。凄惨な戦場はノイズのような砂塵が辺りを覆い砂粒によって掻き消さ
れ、目の前に現れたのは無数の騎士を引き連れた馬上の美丈夫だった。
 だが、豪奢な鎧を身につけていても遠目からも解るくらい華奢な身体は、象牙細工のよ
うに脆そうだった。

「……何が言いたいか、お前には解るな……? 目的も手段も選ばず実を手に入れた人間
に自由など無いのだ」
――ネイサンの事を言いたいのか。状況は似ているかもしれないが少なくとも現在の奴は自分
の身を守れるくらいの力はある。詭弁に惑わされるな。

「そうであろう? ラドゥが勝ち得た我が領土は結局オスマンの領土と為り、弟弟子とて
お前を打ち倒した上で勝ち得た名誉と実では有るまい」
「……与えられた実と名誉ということか?」
――しまった! 精神の楔を取り除いていない状態で不確定な事象を肯定する声を漏らし
てしまった。撥ね退けなければ。

124Awake 10話(8/9):2013/10/09(水) 01:31:39
ヒューはこれ以上の対話を拒絶するため、心を閉ざしドラキュラと対峙することを決めた。
「実力の無い者が実を取れると言う事は何を意味するか。卑怯な手段で手に入れたのに相
違あるまい。お前の想像通りだ」
「黙れ!」
「ではそ奴がお前におぞましい肉欲を振り撒いていたのに、急に止んだのはどう言う事だ?」
――知るか! 奴から直接聞いて無いのに推察する道理も無い。何とかして状況を打開し
ない事には活路を見いだせない。詭弁は全て撥ね退けてやる。
「我はお前の身も心も自由だと言うのに、つまらない対抗心で小人に怒りを向けている事
が哀れで為らんのだ。哀れと云うのはお前の自尊心を傷付けるな。為らば単刀直入に言お
う――力を貸してやる」
「は!? 敵である貴様が俺の体を回復したのも腑に落ちないというのに、力まで与える
だと!? 酔狂も大概にしろ!」
「だが今は吼たえてもお前は我に勝てぬ。そうであろう?」
――痛い所を突いてくれる。
「それに力は与えるとは云うて居らぬ。貸すとは云うたが」
 ドラキュラと問答している間に徐々にヒューの目は薄暗い蝋燭の光に慣れ、上方を見ると駒が控
えている青白い扉を発見した。
――扉! あの上の扉に親父が居るんじゃないか? 一か八かだが奴を倒すのではなく勢
いで突破して扉にたどり着いてやる。それから態勢を立て直して再度突撃する。
「これ以上御託を並べるな! 俺はそのような甘言を受け入れるほど堕ちてはいない! 
死ねぇえーっ!」
 
 この状況で足掻いても仕方ないが、何もしないよりはましだと思い、彼は拳を握り剋目
して掌に聖属性の小さな魔方陣を発現させると、そのままドラキュラに突撃した。
 もちろん力任せに打倒する気は毛頭なく、モーリスを奪還するために即席でもドラキュラの攻撃
を躱すための防御壁を身に纏い、ドラキュラに接触する寸前で軌道を変えながらすり抜け、青
白い扉に向かって壁を駆けあがると指先に扉が触れた。

125Awake 10話(9/9):2013/10/09(水) 01:32:44
 だが、扉が開ききる前にヒューの背後にドラキュラが迫り、彼の首に腕を回すとそのまま締めあ
げた。
「……なっ?」
「痴れ者が」
「ぐぁっ……!」
「他者を利用する事を受容れられぬ其の無意味な自尊心程、度し難い愚かさは無い。我に
刃を向けた事は万死に値するが、人としての稜線を保って居る事は賞賛に値する」
「稜線? 何を……言ってやがる……?」
 ヒューは首を絞め上げられながらも、ドラキュラが自分を軽く褒めたことになぜそう言ったのか
意味が解らず、なんとか思考をまとめようと首に巻き付いた腕を剥ごうと必死にもがいた
が、
「……気に入った」
「あ?」
「人としての稜線を保ったまま我の手足と為れ」
「ふざけた事をっ……! グファッ!」
「またぞろ敵意を向けられたら堪らんから、少しの間眠って貰う。血など吸わぬ。其の様
な事をしたら幾ら人としてあの弟弟子より膂力が有ったとしても、聖鞭が掠っただけで塵
に還ってしまう。そうなっては困るのだ」
 より強い力で彼の首を潰すかのように圧迫すると、すぐに酸欠状態になったヒューの意識は
消失した。ドラキュラはそれを確認すると目の粗い床に叩きつけ、痙攣している様を見下ろし
ていた。
「カーミラにくれてやると言った手前、興味などなかったが、共食いする様を見るのもまた楽
しかろう」
 やがて、四肢が弛緩し仰向けに倒れ込んで白目をむいたヒューの苦悶の表情を見つめると、
ドラキュラは床に赤黒い魔方陣を一瞬にして出現させた。

126Awake 11話(1/8):2013/10/09(水) 23:03:51
――俺は強い。強くあるべきだ。何故なら俺は聖鞭の継承者たる家系に生まれ、貴族でな
いにしろそれなりの羨望と賞賛を勝ち得てきた家系の嗣子だからだ。
その証左に常に他者に対して圧倒的な力を示し、誰も俺の指揮や攻撃方法に適う者はいな
かった。
なのに……あの臆病者! 俺が物心ついた頃からずっと普通の子供達が遊んでいる時間さ
えも削り鍛錬に励み、夜には常に知識を求めた努力さえ踏み躙って後継者の地位に収まろ
うとは! 
確かに、俺より力と統率力は劣るものの他の連中と組んだ時より滞りなく、俺の望む方法
で敵を撃破させられる事で唯一俺の好敵手として認めているが、ただそれだけだ。
事実、補佐しかしたことが無いのに聖鞭を継承した奴は、指揮系統の手順は違えるわ、己
が止めを刺すべき所を見誤るわで全く役に立たなくなった。
所詮、補助に徹していた人間は上に立つことなど出来ないのだ。
「その通りだ。生まれながらの将器を持った者こそが人の上に立ち、総てを差配する事が
可能だ」
「誰……だ? その……声は?」
 ヒューは聞いた事があるような威厳のある声の主を、自分の記憶を手繰り寄せるかのように
思いだそうとした。
――死んだ祖父か……。いや、それよりもここはどこだ? 窓が開いている。
窓の傍に立っているのはネイサンか……朝日は眩しいが風が心地いい。
今、見慣れたベッドに潜り込んで寝ている……ここは故郷の我が家だ。
そうか、これは真祖が見せる幻覚か、幻覚など見ている暇はない! 起きろ! 目を覚ま
せ! また、いつもの様にこちらへ歩いてくる……朝から俺をからかうのか? 夢の中ま
でこんな光景が再現されるのはいい気がしない。

127Awake 11話(2/8):2013/10/09(水) 23:06:28
――お前が求めている相手の依代にするなと、毎日、毎日言いたかった。
今なら言える、これ以上、人を勘違いさせるような行為で惑わせないでくれと、悲しそう
な目で俺を見ないでくれと。
「頼むから、止めてくれ。お前は一体俺に何を求めているんだ?」
 だが、起き上がり、懇願する心持で勇気を振り絞ってネイサンに問いかけたものの、彼はヒュ
ーを気にする事なく通り過ぎて部屋から出ていった。
「幻覚の中だから俺の存在や意識とは関わりなく時間が過ぎて行っているのだな。馬鹿馬
鹿しい、こんな意識の中からとっとと出て行きたい」
 一人残され、彼は力なく呟くと状況の解決のためにネイサンを追う事にした。
 徒弟用の屋根裏部屋から一階の食堂に降りると、ネイサンとモーリスが深刻な面持ちで会話して
いた。
「おはようございます師匠。ヒューはまた書斎にいるのですか」
「うむ、内面を見つめるのは構わん。だが、己を全て否定した訳でもないのに焦燥感が漂
うあの顔は何だ? やはりお前に聖鞭を渡したのは正しかったと見える」
「そんな事を仰らないで下さい。誰だって自分が後継者たる素質を持って周りからも認め
られていたのに、格下の人間が継承したら心が塞がれます」
「だから駄目なのだ。状況は刻々と変化する。戦況の変化を感知できても己の存在を不変
だと思っていたら何時かは足元を掬われる。無論それはお前にも言える事だ」
 ヒューは会話の内容を見た事はないものの、いつも考えたくないが妄想してしまう内容を見
せつけられて改めて嫌悪を催した。
「そんな事は言われずとも分かっている。俺が焦っていたのは聖鞭を持っていたのにもか
かわらず何度も死にかけていた奴と俺との差を確かめたかっただけだ」

128Awake 11話(3/8):2013/10/09(水) 23:08:01
――そうか、この時の俺は奴との接触を避けるためにいつもより早く起きるようになった
頃か。だからベッド上に俺の存在は無かった訳だ。
 考えを巡らせている間に、今度は自分が最も嫌悪に思い忌避しても、なおもちらつく光
景が現れた。
「……師匠」
「師匠ではなく、昔のように呼んでくれ」
 ネイサンが口を開き、自分に向けるような悲しげで蕩けるような眼差しを父親に投げかけた
時、ヒューは状況に耐えきれず大声を出してから頭を抱えて、全ての事象を否定するために耳
目を塞ぐような心境で目を強く瞑った。
 しばらくして声も存在も感知できなくなったところで瞼を開くと視界が暗闇に包まれ、
自分の体だけがその場にあった。
「窺い知れない物事を弄するのは止めろ! 嫌だ! これ以上見せないでくれ! そんな
おぞましい光景など……」

「だが、お前に向けられた行為は即ち、他者に視点を移せばお前自身が耐えられずに声を
荒げてしまうほどの憎むべき愛情なのだ。しかし摂理に合わぬ情を受けていたのにも関わ
らずお前が拒否出来なかったのは、奴の与えるアヘンの如き甘き毒のような快楽に引き擦
り込まれて思考を奪われたからではないのか?」

 暗闇の中からドラキュラの声が木魂した。どの方向に居るのか感知できないのにヒューは苛立ち、
姿を確かめるように声を張り上げた。
「嘘を抜かすな! 俺は一度もあらゆる肉体の快楽の虜になった覚えは無い!」

「人は肉体だけで快感を得るのではない。行動と行為によってほとんどの人間は快楽を受
けた事を知覚するのだ。お前は気付かぬうちに奴の行為を受け入れる事で他人から存在を
求められていると言う快感を享受していたのではないのか?」

「黙れ!」

129Awake 11話(4/8):2013/10/09(水) 23:09:03
 一気に嚇怒したと同時に羞恥が込み上げてきたヒューの心の鼓動は激しく高鳴った。
 明確な拒絶を示さなかった自分の心境は、表層では否定していても暗にネイサンを受け入れ
ていたからからでは無かっただろうか? 
 薄眼でしか確認しようがないが、他人には見せない彼の切ない眼差しと、互いに頑強な
肉体を有しているのに潰れやすい水蜜桃を食むかのように、柔らかく己の頬と唇を求めた
姿と想いの儚さが去来すると、モーリスに対して叶わぬ想いを抱くネイサンの行為を受け入れてき
た自分の心の在りかは、孤独の中に佇んでいたのにようやく気づいた。

 打倒すべき敵にそれを指摘され、揺れ動く己の心の危うさに対峙するための気力を削が
れて感情を顕わにしたが、それは己が知識として体得していた「悪魔と対話すべからず」
という原則を忘れるほどの動揺だった。
「貴様、御託を並べ嫌悪を催させて奴との殺し合い望んでいるのは解っているぞ。浅墓な」
「あの男もお前のように面白みのある奴であれば良かったのに」
 からかうように言葉を淀ませ口許を歪めたドラキュラの皮肉に、ヒューは自分の感情よりモーリスの
安否に一抹の不安を覚え口にした。
「親父……親父をどうした!? 答えろ!」
「生贄の生死なぞ関知しておらぬわ。身体は儀式の間にあるがうんともすんとも云わぬ。
ただ魔力が未だに感知出来るから生きてはいるのだろう。大した物だ」
「な……生殺しの状態にあるわけか。非道な。放せ! やはり死力を尽くして貴様を倒す!」
――この空間が俺の精神なら意識は俺のものだ。少なくとも剣を構築できるだろう。
術者の幻影を振り払えれば意識は俺の手に戻るはずだ。

130Awake 11話(5/8):2013/10/09(水) 23:09:42
 その予測通り聖剣がヒューの手元に構築された。それから聖剣と己の魔力を用いて大剣を作
り出し光が発現したと同時に空間から闇が消滅してドラキュラの姿が現れた。
 すかさずその方向に剣を向けドラキュラを両断しようと瞬時に構えたが、振り下ろした剣身
を片手で容易く止められた揚句に圧し切ろうとより一層力を込めても、ドラキュラは涼しい顔
をして軽く剣身を弾くと、その衝撃でヒューは吹き飛ばされ床に叩きつけられた。

「う……」
「縋る対象の喪失を懼れた故の身勝手な憐憫に流され自身を見失ったか。人の愛とは業の
深い物だ。仮令その本人を大切に想う事を知らず、ただ縋るだけの身勝手な愛でもな。膂
力の差を弁えず闇雲に刃向かうは矢張り下賎の者よ!」
「何! 貴様、今何と言った!?」

「お前があの光景を見て嫌悪を感じたのは、人倫に悖る行為と捉えただけでは在るまい。
愛を無限に与える二人が己に見向きもせず、互いに愛を語らう事で一人にされるのが怖い
のであろう! 人を信用せぬ癖に、人の感情を貪って己の存在の立脚点としている浅まし
い小人が!」

「黙れ! これ以上妄言を吐いても陥落などせんぞ」
――認めたくない! 認めてたまるか!

「妄言か……ならば何故、己の論を言い立てず言葉を切るように吼たえておるのだ? そ
うだ、いい事を教えてやろう。お前の精神はすでに我が手中に収められている。心の中で
這いずり回り、抗っても何の意味も為さんのだ。その証拠に」

131Awake 11話(6/8):2013/10/09(水) 23:11:32
 床に叩きつけられた痛みで座り込んだまま動けないヒューの体は、ドラキュラに一瞥されただけ
で両手の肉が瞬時に融けるように崩れ落ち止め処なく血が流れ出た。

「馬鹿な……痛みを全く感じない。ではこの空間は、この体は、俺の精神であっても貴様
の支配下にあるのか……畜生っ、止めろ、精神が崩壊したら魂のない器になってしまう」

「確かに人ではなくなるな、それもいかなる様態もこなせる肉体に構築できる。例えばそ
うだな……」
 ドラキュラは指を鳴らしヒューの肉体の崩壊を止め一気に肉体を再構築した。だが、服装は変わ
らないものの少し丸みを帯びた女そのものだった。
 彼は女体に戻りかけたサキュバスを思い出し全身に怖気が走ったが、ドラキュラは表情を崩さず
ヒューの視線の先へ瞬時に移動すると、己の目を彼の眼と合わせ眼球を見開いた。
 一瞬にして眼光を浴びた彼は咄嗟の事で対抗できず、防御の呪文を詠唱したものの防護
壁の構築が間に合わなかったため、精神の奥にまで呪文を具現化した黒い膜を纏ったドラキ
ュラの侵入を許してしまった。
 接触した直後に刺すような痛みがヒューの全身を駆け巡り、呪詛が体中の皮膚を赤黒く盛り
上げながら刻まれていった。
「しっ……しまった!」
「目覚めよ! 同情と憐憫を用いて人の心に入り込む卑劣な背徳者を消し正道を貫くのだ。
その責はお前のような貞潔な人間にしか出来ぬ仕事なのだから」
 その瞬間、閃光とともに引き込まれるような空間の歪みによって、ヒューの体はもとあった
場所から引きずり出された感覚に襲われた。

132Awake 11話(7/8):2013/10/09(水) 23:12:14
「ここはどこだ……?」
 瞬時にして誘導された場所を見渡すと、そこには深紅の絨毯、一つの玉座、月輪の全体
が見える壁の様な広く大きなガラス窓があった。

 ヒューは自分の体を触ってみると、胸の脹らみや腰から骨盤にかけての扇情的な括れと、な
だらかな腰つきは消え、馴染みのある自分自身の体そのものだった事に安心したが、逆に
何もない事に焦って聖剣の剣身をまじまじと見つめ、細かい変化を見逃さないよう確認し
ていた。
 何度見ても眼の色はいつもと変わらない漆黒を湛え、犬歯が鋭利な形に変化したことも
認められなかった。
 ここはどこなのかと確認するために体を起こし立ち上がり、すぐに探索を始めた。
 だが、調べるまでもなく壁一面に広がるガラス窓から満月と対面する尖塔が見え、己の
現在地を然りと認識した。

「尖塔の屋根が同じ目線にあると言う事は……城の最上部、展望閣か。何故ここに俺は居
る?」

 状況が飲み込めず辺りを見回したが、自分の周りに敵どころか生き物の息遣いは感じら
れなかった。
 また自分が受けた傷はすっかり消え、むしろ力が漲っている様子だった。体も本来の自
分の姿のままだった。
 が、誰も居ないのが少々不安になってきたのか誰かに問いかけるように独り言をつぶや
き始めた。

133Awake 11話(8/8):2013/10/09(水) 23:12:52
「ドラキュラに捕まったのは幻覚だったのだろうか?」
――いや、背中は微かに痛みを感じている。それなのに傷が塞がり、体が満足に動くよう
だ。
「力を与えられたと言うのか。だが」
――フン……気のせいか。生きているのならさっさとここから出て儀式の間の鍵を奪取し
てからドラキュラと対峙しないと……?
 ふと見ると自分の目の前にもう一つカーミラが居たフロアと同じく青白い扉があった。出口
だと思い扉に触れると出口ではなく行き止まりの空間が現れた。
「鍵? これは……」
――儀式の間の鍵か? 何故こんな所に。
 ケルト文様の台座の上に鎮座していたのは、魔力が微かながらも放出している黄金色の
複雑な形をした鍵だった。ヒューはその複雑な形状と掌に収まるか収まらないほどの大きさを
見て一瞬で判断した。
 だが鍵に触れた途端、どこかで聞いた事のあるような声が自分の耳元に木魂した。
――「目覚めよ! 同情と憐憫を用いて人の心に入り込む卑劣な背徳者を消し正道を貫く
のだ。その責はお前のような貞潔な人間にしか出来ぬ仕事なのだから」
 その文言に頭を揺さぶられ一気に何かを屠りつくしたい衝動に駆られた。
「そう言えば……ネイサンはどこにいる? 真祖は俺を弄する時に奴の死を言わなかったな。
となれば奴は生きている。そうだ、聖鞭でなければ真祖は倒せない。だが奴がいる限り籠
絡された親父が奴にまた渡すのは目に見えている。ならば奴をこの世から消し去るのが俺
の望み」
 自分の妄執と催眠術によって偽りの記憶と想いを植え付けられたヒューの心は、ついに殺戮
の炎を点してしまった。

134Awake 12話(1/7):2013/10/13(日) 15:16:20
ヒューが力なく魔性に潰され洗脳されている間、ネイサンは他のエリアより崩壊している感を覚
える地下保管庫をひた走り、鍵を探し続けていた。
 何かを貯蔵するためにほかの場所よりも区画ごとの空間が広く取られていたが、建築、
いや、城内の構築中だったのだろうか、未完成の支柱を木箱で固定している箇所や、レン
ガや床などを切り出すために正方形に整えられた岩がほかのエリアより多くみられた。
 とにかくそれらの物が散乱しており、前に進むにも壊して回るしか方法が取れなかった。
それに進むにしても階段などどこにも見当たらず、恐る恐る足を挫かないよう下へ降り
て行った。
やがて壁に大きな書架がある部屋に出た。
全てで無いにせよ古今東西の書籍が相応の冊数を持って配架されていた。もちろん、部
屋の状態が上の区画に比べて変化していても、部屋全体を見とれている余裕はない。
敵は部屋にもおり、障害物があるとはいえ前より難なく倒す事は出来たが、途中すぐに
侵入した部屋で行き詰っていた。
「……敵は倒したけど、いちいち木箱を動かして足場にしないと先に進めないのが面倒く
さい」
――城内にいる敵を難なく倒せるくらいにはなったけど、死に対する恐怖はいつまでたっ
ても払いのけられない。
独りごちる間も部屋から出た途端、サキュバスがまとわりつくように襲ってきた。
 サキュバスが誘惑せずに敵意を向けて攻撃すると言うのも滑稽な姿であるが、彼にとっては
誘惑が自分の心を掻き乱す要因になりえるので、ある意味助かっていると思いながら探索
を進めていた。

135Awake 12話(2/7):2013/10/13(日) 15:17:42
実際、地下保管庫にいる敵は攻撃も、耐久力も弱いと思えるほど易々と倒されるものば
かりであった。
多くの不可解な敵と対峙した後だから余計そう感じられたと言うのもあったが、攻撃パ
ターンとマジックアイテムの恩恵をうまく利用できるようになった証左である。
 ただ、倉庫の扉を開け吹き抜けに出るたび、サキュバスが纏わりついてくるのが鬱陶しいだ
けで難なく攻略出来ていた。
 しばらくすると、駒が鎮座する青白い扉が見えてきた。
「また、青白い扉。こんな片隅で何が待ち構えていると言うのか」
 侮っているわけでもなかったが、少々、敵の攻撃に慣れた上での放言であることは否め
なかった。
 それでも、駒と対峙するためには勢いだけで戦える訳ではないといった思慮はある。休
憩を取った後に挑む事にした。
――ここまで一気に駆けて来たけど、師匠を助け出せたとしてもどうやって真祖と対峙し
ようか? それに、体力が残っているとは思えないから、城外の安全な場所で一時休息し、
作戦を練り合わせてから体勢を立て直す他ないだろう。
それから、ヒューの動向も気がかりだ。生きていればいいけど、あの様子だと満身創痍なのは
間違いない。
「自ら共闘を放棄するとか何を考えているんだ、あいつは。それに、あんな偏狭な人間だ
ったのだろうか」
 だが、また自らの感情に迷っても仕方がない。生き延びられなければ、そんな感情を抱
く事さえ無意味なのだからと、心を引き締めた。

136Awake 12話(3/7):2013/10/13(日) 15:18:28
――魔城は人の心をいかようにも変え、人が伺い知らない姿を見せる。
まさか自分にヒューが倒せなかった魔物をギリギリとはいえ、倒せる事が出来たと言うのも
未だに腑に落ちないものがある。それでもあいつより力が強くなったのは自分自身が体得
した力じゃないから、あんな姿を見せられたら……とても、心が痛い。
 ネイサンは短い休息を終えると再び青い扉を前にして、慢心しようとしていた甘さを払拭す
るように固唾を飲み、扉に触れた。
 開いた先には真祖の腹心と伝えられている死神がいた。
その姿を見た時一目でわかる程、伝承の姿そのものでこちらに体を向けていたからだ。
 紫のフードを被った骸骨――浮遊して、城に迷い込んだ慮外者を排除し主を守るため容
赦なく屠りつくす忠実なる配下。
 死神のシンボルである処刑用の大鎌は肩に担いでいなかったが、真祖現れる所に死神の
陰あり――今まで踏破した部屋にネクロマンサー以外、いかにもな出で立ちをした魔物を見なかっ
た事からそう判断した。
 どう攻撃しようかと少し様子を観察していたが、一向に攻撃を繰り出さない。ただ浮遊
して何かを伝えるだけに居るのかと考えたのもつかの間、いきなり四方八方に骨でできた
鎖を放射して来た。
「……いきなり攻撃してくるとは!」
 運よく後ろに飛び退いて回避できたが、少々攻撃に対して警戒を解いていた自分の甘さ
に気づき、攻撃の種類と威力を観察しようと思った。
――行動が大きい。けど、攻撃している時に立ち止まっている。それに死神とは思えない
ほど威圧を感じられない。

137Awake 12話(4/7):2013/10/13(日) 15:19:44
攻撃を見極めるために動きを止めた。すると空間一杯に鎌が発現し、回転しながらネイサン
目がけて追尾して来た。
「……痛っ、だけど聖鞭で消散するのが救いだ」
 一斉に切り刻んできた鎌に対応できず、腕や首筋の数か所を切られたが聖鞭で鎌が消え
るのを見て脅威にはならないと判断した。
 今までの敵より倒しやすいと思ったが、慎重に行かなければ死に直結するのは目に見え
ている。
――今度は遠隔攻撃か。雷球が自分を追尾してくる。この時に攻撃するのは無謀だろう、
球体は俺の体と同じくらい大きい。これが来たら消えるまで逃げよう。試しに当たってみ
るほど体力があるわけじゃない、無理に間合いを詰めるのは無茶だ。

死神が両腕を広げると、掌から強さが感じられるくらいの魔力を持った光の球が放電し
ながら襲ってきた。それは聖鞭で叩いても消える事はなく、その上、小鎌も同時に繰り出
して厄介な攻撃を展開されていた。
 しかし、この程度のパターンを持った敵の対処に困惑する事は最早なかった。
 城内に侵入し、ヒューに見捨てられた後に一人で魔を屠らなければならなかった時は、まさ
か真祖の右腕とされる死神と対峙し、力量を測る事など予想すらしなかっただろう。
ある程度、攻撃すると死神の周辺に光の刃が立ち上り、力を蓄えるかのように身を屈め
て紅く染まると、ローブを纏った姿はたちどころに消え失せて、巨大な鎌を前足にした重
鈍な亀のような魔物に変化した。
「何だ、この奇怪で醜悪な姿は」
 本当にこれは死神なのだろうかと、また疑問に思ったが倒すのに躊躇はなかった。

138Awake 12話(5/7):2013/10/13(日) 15:20:24
――要はあの大鎌の間合いに入らず攻撃すればいいだけの話だろう。通常攻撃ではぎりぎ
りの位置だけどカードを使えばリーチが伸びる。ただ、攻撃の種類を見ないと分からない
方法だけど。
だが、重鈍な躯体にも関わらず逡巡している暇はネイサンになかった。
 死神が魔法陣を前面に発現させた後、重鈍な上半身と大鎌を振り上げた。間合いに入ら
ないよう後ろに飛び退いてからその場で攻撃を待ったが、振り下ろした瞬間、地響きとと
もに骨が砕けるような強い振動がネイサンの全身を襲った。
 一度喰らっただけでも足元が縺れるくらい酷い衝撃を受けてから考えたのは、魔法陣が
出現した瞬間に飛び上がる方法だった。 
 相手の攻撃を侮った事で要らぬダメージを受けたため、遠隔攻撃を中心に展開する事に
決めた。
――飛び越えて背後に回ろうとしても大鎌で身を割かれる事は目に見えている。真正面で
戦う方がリスクは少ないけど、手持ちのクロスが底をつき、そこからの持久戦になったら
こちらが不利だろうな。
不注意でダメージを食らえば、近いうちに血だるまになって切り刻まれた死体の出来上が
りだ。
 そこからは攻撃のパターンを注視しつつ、死神の巨躯に向かってクロスを投げつけてか
ら効力が消えるまで次のクロスを投げないなど、慎重すぎるくらいに消費を抑えた攻撃方
法をとる事にした。
 ダメージを受けないよう、死神の挙動に変化があれば攻撃の手を緩めて逃げることに専
念していくと、やがて動きが止まった。
 だが、復活するかもしれないと次の事象を待つために死神の姿を観察していたら、虚空
に暗黒の渦が空間を巻き込むように拡大した。

139Awake 12話(6/7):2013/10/13(日) 15:21:14
体が吸い込まれる。と彼は身構えたが、すでに動かない死神の肉を引きちぎりながら吸
い込み、やがて全てを飲み込んでしまうと同時に渦が収縮して消えていった。
「……吸い込まれている。しかし、あの召喚された空間は一体何だったのだろうか」
――まさか、己の肉体を生贄として異界への門を開いたのか。だとしたら真祖が復活する
時間を早めてしまった事になる。まずい、一刻も早く残りの駒を倒してしまわないといけ
ない。
 そう思いネイサンはいつものように宝物庫の扉を開けた。
 見ると宝物が置かれている台座の上に、手の平に収まるくらいの小さな藍玉があった。
「鍵じゃなさそうだ」
 少しがっかりして肩を落としたが、手に取ると不透明な藍玉が少し青い光を帯びて半透
明に変化し輝いた。
 清浄な光に変化したのには驚いたが、この藍玉をどう扱っていいか分からず不安な心境
で見ているのを汲み取ったかのように、自分の使い道を示すイメージがネイサンの頭の中に流
れ込んできた。
「……俺たちがこの城に入る前に命を落としたハンターが身に着けていたマジックアイテ
ムだったのか。穢れた物を浄化させる力があると、そう教えたのか? ありえない。俺に
過去を見る力は無い。まやかしだ」
――それが本当なら喜ばしいことこの上ないが、魔性はこういった幻覚を見せ、新たなギ
ミックを手に入れる事で屠る魔物の数を増やしてより強い力を得させ、生贄としての力を
高めようと誘っているんじゃないのか? 
俺は非力だ。思考の間隙に精神に対して呪詛を織り込まれるかもしれない。けど、誘われ
ても聴かなければいいんだ。
一切取り合わず撥ね退ければ問題はない。
 ネイサンは思考を纏め、上空以外に踏破出来なかった場所、毒の川が流れて進路を妨害して
いる地下水路に向かって歩を進めた。

140Awake 12話(7/7):2013/10/13(日) 15:23:39
死神――デスの消滅とそれによるドラキュラの力の増強を確認したカーミラは、地下水路の奥深くで
静かに考えを巡らせていた。
「生贄にするための力を増幅させているとはいえ、力の陥穽に嵌らずに私の城を駆け抜けて
こられる人間がいようとは思いもしなかった」
――デス様は消滅したと同時に伯爵の力を増幅させるよう、自ら術をかけられていたのか。
術者の権限は三つに分かれていたとはいえ、主導はこの私。
デス様が倒されても伯爵が消滅することはあり得ないが、今まであの方が吸収してきた力を
削がれる事態は発生する。
そこで、わざと自らの肉体に術をかけ生贄としてその身を差し出されたか。
何という忠心。
魔たるものが、特に己を復活させた者に対して捨て駒としか思っていないような主に、そ
のような清々しい性根を見せる事が必要とは思えないが、あぁ……混沌を望むが故の犠牲
と思えば私も納得がいく。

「何にせよ、私のフィールドに入り込んでくるお前の力を、見せてもらおうか」
 カーミラは己を倒そうと迫ってくるネイサンを待つ間、彼が抱えている精神の表層部分を読み取
るために力を放出させた。
 礼拝堂で感じた内容によっては弄ぶ材料になり、己の領域に侵入してきたネイサンに対して
表層部分の同調と、彼が聖鞭を持っているために侵入できないかもしれないと言った危惧
はあるが、あわよくばヒューに行ったように精神の楔を打ちつけるため幻視を行った。

141Awake 13話(1/15):2013/10/14(月) 00:17:20
全て己の足で踏破出来る所を廻った。もう奈落階段の中途しか道が残されていない。
だが、薄暗く濁った水脈が前に来た時と同様、有機物が腐敗した臭いと血に似た臭いが混
ざった悪臭をところ余さず放っていた。
 ネイサンは無意識に掌で口と鼻を覆い、悪臭が漂っているこの場所に嫌悪した。
――このマジックアイテムが毒の水を浄化するとは思えないけど、賭けてみるしかないだ
ろう。
 冷やかな青が薄暗い空間の中でも燦然と輝いているネックレスを、彼は不安な面持ちで
見つめてから、それから勢いよく毒の川に飛び込んだ。
「!? そんな……」
 見る見るうちに血に似た色と腐食した臭いが瞬く間に消散し、目で確認できる辺りを過
ぎても澄んだ水の流れが広がっていた。
――これで判った。侵入者はすべて生贄としてこの城に誘われている。
俺の戦いに対する目標は、己の身を守るくらいの力を持って他人を補佐し、皆と勝利を分
かち合う事だった。だけど、仲間に勝ちうる力を持ちたいと願った事がないかと言えば嘘
になる。
それを自らの身体能力で補うのではなく、マジックアイテムを用いる事に躊躇が薄れ始め
ている。
 ネイサンは自問自答することで、独りよがりな結論を出す事に躊躇を覚えながらも、魔性の
問い掛けに口頭では問答する気は無く、心が読みとられた場合、仮の防護壁を築く事で精
神に楔を挟みこまれないようにした。
 ともあれ腐食の空間から薄暗いまでも、滾々と清浄な空気を湛えた場に変化した場所を
突き進むことにした。
 入ってから気づいたが、この地下水道は生温かい城内の中で一気に体を冷やすくらい冷
気が張りつめている。

142Awake 13話(2/15):2013/10/14(月) 00:18:24
「他の場所より無駄に体力を消耗したら、恐らく生きては帰られないだろう」
 白い息を吐きながら、投擲されたものに接触しないよう遮蔽物になる壁と場所を見つけ
つつ、通行に邪魔な敵を一体ずつ排除していった。
 中途に金属の滑車と歯車が内蔵している物体が見えた。よく見ると同じ物体でも階段状
になっているものと、鉄塔のように横に真っ直ぐな状態で壁に設置してあるものがあった。
 歯車の接続部分とその下をよく見ると、寒さで固まった潤滑油の塊が茶色く接続部分に
こびり付き、そこから小さな滓が上からぽろぽろと落ちてきた。
 滓が現在も落ち続けているという事は、自分が進入する前に誰かが――この状況におい
てはヒューぐらいなものだろうか? 彼が動かしたのだろうと思うと、彼に近づいた心持にな
り凍て付く寒さから一転して温かい希望がわいてきた。
 
 ネイサンが地下水道に侵入し敵を屠りながら突き進んでいるのを察知したカーミラは、地下水道
の落窪の広場で敵が侵入してくる青白い扉を見上げ、諦念とも血の高揚ともつかない奇妙
な感情を覚えていた。
「……また、倒されるのか。主の魔力が蓄積したと同時に復活し続けるこの身が」
――何度も生かされ、何度も傷めつけられ、何度もたった一人で暗闇に閉じ込められ、魂
の救済すら受けられないこの身の所在に、あるときは嘆き、あるときは残虐に他者を屠る
快楽に身震いしながら恍惚となり、今度は……
「己の消滅に対しては何の感慨もない。流石にここまで絡みついた宿命に対して最早、感
情を沸き立たせる事さえ億劫だ。ただ戦い、相手を屠り、逆に屠られればそれで終わりだ」
 そう逡巡したあと、今度は己の消滅よりも己と対峙する者に対し、カーミラは満たされない
想いに怒りとそれを屠る喜びを沸き立たせた。

143Awake 13話(3/15):2013/10/14(月) 00:22:53
「だが、正道を以って私と対峙する者の浅ましさは、何度見ても唾棄すべきものだ。今度
の獲物は少々ましだが、大望を持つでもなく小さな幸せをかき集めて自分のものにしたい
と願う貪欲さ……私には望んでも得る事の出来ない、他人との関係を紡ぎたいと願う腹立
たしい欲望。どんな大望よりも、ただある当たり前の幸せを護りたいと思うその心が私を
苛立たせる……それなら己の欲望にのまれて、潰えるがよい」
 そう言うとカーミラは静かに目をつむり、己の魔力を解き放って幻覚の結界を展開した。
 魔力を放出され、ただでさえ凍てつく空気に、ネイサンは己を屠ろうとあらゆる方法で攻撃
してくる敵を避けながら息を上げるくらい必死に駆けているものの、纏わりつく瘴気のよ
うな魔力によって深淵に近づくにつれ幻が見えてきた。
「……? 誰かいるのか?」
 敵を察知するために気を張っていたネイサンは少々、周りに対して敏感になっていた。
 その虚をカーミラが突き、己のフィールドに侵入してきた獲物をいたぶるための罠に彼は絡
め取られたのである。
「幻を追いかけるがいい」
 カーミラは己がボロ布のように散々いたぶり、真祖に投げやったヒューの姿を遮蔽物に隠れてい
た魔物の表層に一時的に固着させた。
 先程まで血と汗に塗れて重く汚れた姿とはうって変わって、黒い鴻毛の如き長髪をたな
びかせて走るヒューの後ろ姿をネイサンは確認すると、再び自分より先にこのエリアに侵入してい
たと思い、今度こそ説得し、共闘するために呼びかけた。
 だが、聞こえないのか、そのまま走り去り、いつしか消えてしまった。
「待ってくれ! どうして何も言ってくれないんだ! 応えてくれ!」
 見失った事に落胆しつつも息せきかけて辿り着いた場所を確認して、ようやく走り去っ
たのは幻影だと理解した。

144Awake 13話(4/15):2013/10/14(月) 00:23:41
遮蔽物のない水路の中途で質量を持った人間は消えない。厳しい寒さの中で邂逅した事
で状況判断ができなくなっているのに嫌でも気づかされた。
「……しっかりしなきゃ」
 そう言いながら歯の根が合わないくらい震えていたが、無駄な攻撃を受けて死なないよ
う敵の攻撃を躱しつつ、ネイサンはこの城のどこにあるのか分からない安全な空間を探し求め
た。
 しばらくすると、また幻覚が見えてきた。
 今度は捕えられたはずのモーリスが物陰から姿を現し、無言でネイサンを詰るように険しい顔で
見ていたが、瞬時に消え失せた。
 先ほど、ヒューを求めて大声を出した事を思い出し、幻覚だと解っていてもモーリスに対する罪
悪感と恥ずかしさのあまり赤面したが、すぐに冷や水を浴びせられたかのように心根が消
沈した。
 その様をカーミラは意地の悪い笑みを湛え「惑え、惑え」と楽しげに見て、自分の元に来た
時はどのような情景を見せて羞恥に悶え、絶望させるかを考えた。
「このままでも幻視に惑わされ手下に倒される事は必至だが、あの手駒のように精神に楔
を打ち込んでやる。用心に越したことは無い……何っ! 入り込めないだと!?」
 彼女は手を翳し、心眼を用いてネイサンの記憶と思考が絡まった表層から精神の手綱を掴も
うとしたが、寸前で白い結界が張り巡らされていたため、その手は痺れる痛みを以って弾
かれた。
「聖鞭が強固な結界を張っているのか……忌々しい! 奴の精神が霧に覆われたように見
えない。ならばもっと惑い、狂うがいい」
 カーミラが苦々しい顔で罵った時、ちょうどネイサンが通過している場所にて、人を惑わすセイレー
ンが飛び交っていた。

145Awake 13話(5/15):2013/10/14(月) 00:26:02
セイレーンの発する声を聞いた者は幻視と幻聴に惑わされ海中に引きずり込まれるという。
この城に巣食うセイレーンもまた簡単に海中に引きずり込ませるくらいの力を持っていたが、カ
ーミラはその能力に確かな質量を持った幻視を見せる力を付与した。
 言葉と能力を与えられたセイレーンは歓喜するように、カーミラが命じたターゲットに向かい一斉
に群がると悲鳴のような鳴き声を上げながらネイサンの心に侵入してきたものの、瞬時にネイサン
の下から離れ、彼の攻撃の範囲外まで退避すると、その場で円を描くように飛び回った。
――オ前の心ヲ探シテイル。オ前ヲ求メテ浅マシイ姿デ
――カワイソウ。オ前ニ助ケテモライタイノニ、声ヲアゲラレナイナンテ本当ニカワイソ
ウ。
 セイレーンがネイサンの心の表層に語りかけている隙に、フローズンシェイドが氷弾を放ち追尾してきた。
 逃げ回りながら鋭利な羽根に追尾機能を持たせて武器にしているセイレーンとは違い、本体は
その場から動かないので楽に掃討できたが、進もうとしたと同時にセイレーンがまたネイサンを急襲
して来たため、今度は体勢が取れず交互に繰り出される遠隔攻撃と直接攻撃を躱すのに必
死になり、やがて誘導されるようにネイサンは壁際に押しやられた。
 しばらくの間、激しい波状攻撃による羽搏きでネイサンは視界を遮られたが、羽の隙間から
ヒューの幻が見えた。
 セイレーンはネイサンがヒューの姿を知覚できたのを確認すると、再び手が届かない範囲に逃げて効
力が切れないように、その近くで飛び交い始めた。

「なんでまた、お前がここに……」
 共闘を呼び掛けてもヒューが何度も撥ね退けた事は嫌でも覚えている。そんな彼がこの期に
おいて自分に対して態度を軟化させるとは信じがたいし、間違いなく魔性が見せる幻とは
理解している。

146Awake 13話(6/15):2013/10/14(月) 00:27:42
 それでも礼拝堂で見た彼の危うさを心配し、なおかつ自分が存在と心を渇望している彼
の姿に、疲弊した心身は甘き妄執に目を向けないではいられなかった。
 その上、衣擦れの音や、質量のある鉄靴の音を響かせながらネイサンに歩み寄って来た事で
正常な判断ができなくなった。
――幻のように姿は揺らめいていない。それに、幻覚だとしてもこんな質量を持った幻覚
なんてあるのだろうか? もしかしたら操られているのか? 俺を絡め取るつもりなのか?
だけど本物ならむやみに攻撃できない! 
 ネイサンは彼に声をかけ、どう反応するのか確かめようとしたが、口を開く前に真剣な眼差
しでヒューがゆっくりと彼の方に寄ってきたので鼓動が高鳴り、硬直した。
 やがて、動けない体を強く抱きしめられると、絡みつくように体を重ねてられて、立っ
たまま壁に押し倒された。罠と分かって試していても切ない欲動を感じ、天を見上げるよ
うに頭を静かに上げながら目を閉じて深く嘆息した。
 だが、深く唇を重ねようと迫ってきた時に、ネイサンの目は完全に覚めた。
――人の匂いがしない! やっぱり幻覚だ! 現実を思い出せ、俺の姿を見てヒューはこの城
で嫌悪を顕にしていたじゃないか。辛くとも、いろんな状況が俺を救ってくれる。幻想な
んて捨ててやる!
「これは俺だけの感情だ。あいつの心と体は俺を許していない! 消え失せろ!」
 吼え、幻視を強く押し退けてセイレーンのもとまで近づくと、飛び回って逃げ惑う怪鳥を一体
ずつ始末したと同時に幻は瞬時に消え失せたが、自分でも叶わぬ想いである事象が目の前
に現れたことで、否応なくヒューに対する感情に虚しさを覚えてしまった。
 幸いにも聖鞭の力で己の精神が操られないことに安堵を感じつつ、自分勝手な欲動に指
向している心の脆さに腹を立てられずにはいられなかった。

147Awake 13話(7/15):2013/10/14(月) 00:28:27
 この怒りを他者に擦り付け、相手を中傷したのであれば、カーミラはすぐさま感じ取って利
用するつもりでいたのだが、ネイサン自身に向けたので聖鞭の力で精神が保護されてしまい彼
の心の深淵に入り込む事が出来なかった。
 ともあれ、ネイサンに対して感情の揺らぎを与えた事は間違いなく、その証拠に死と生の渇
望が入り混じり彼の下腹部が膨張した。
 それから己の欲望を含め一気に羞恥心が沸き立ち、近くの遮蔽物に隠れて気分と感情を
抑えるために小休憩を取った。
 だが、安堵からか座り込んだと同時にズボンが下腹部を撫でるように擦れて、気持ちよ
さに小さく抑えた嬌声を漏らした。
「ふ……うっ……くっ、はぁ……はぁ……何を考えているんだ……クソッ! 疼きが治ま
らない……落ち着くんだ」
 その状況に耐え難い嫌悪が掻き立てられると、耳目を塞ぐように頭を抱えた。
――いったん抜くか? いや、駄目だ。道中にセイレーンやウィッチがいた。精の匂いを嗅ぎつ
けて奴らが寄ってきたらひとたまりもない。
 ここまで濃い幻視は、強大な魔力が作用して見せる事象であることは明白である。より
強い魔力を放つ場所を抑えないと何時までたっても幻覚を見続け、その間に完全に迷って
しまうだろう。
 そう考えるとネイサンは奮起して、性欲を抑えてから魔力が放出している場所を探しだした。
 道中、幻視が何度も見えたが、退魔の原点に立ち返り祈祷文を無心に口唱しながら駆け
ていたため、深淵に向かっていても立ち所に消え失せていった。
 やがて、青白い扉が見えてきた。
 今から自分をこれ程までに惑わした魔性と対峙するかと思えば緊張し、少し立ち止まっ
て双眸を閉じてから気分を落ち着かせると、一気に刮目して扉に手を触れた。

148Awake 13話(8/15):2013/10/14(月) 00:29:25
 その瞬間、室内から今までに感じた事がないほどの禍々しい濃厚な魔力が噴出してきた。 

「お前は確か、ドラキュラと儀式の間にいた…。」

「私はカーミラ。私がドラキュラ侯を復活せしめた。」

 扉を開け、広間の落窪にいる姿を確かめたと同時にネイサンは、地下水道で見た幻視の正体
が判った。術者である彼女が見せる幻術に自分は酔わされかけていたのだと。
 彼はそう結論を出すと、己の精神の手綱をカーミラに握られかけていた事に、戦慄と羞恥が
込み上げてきた。
 曲がりなりにも退魔の能力を有している自分が覚醒状態で惑わされるのだから、この事
象が力を持たない人々に向けられたらと考えれば、この世が混沌の坩堝と化すのは時間の
問題である。 
 だが、その恐怖に慄いたとしても、対峙した以上、自分が倒さなければ誰もその魔手を
止める事は出来ない。
 その事実を受け止め、ネイサンは改めて上位の魔性に恐怖したが、怯んだ事をカーミラに悟られ
ないよう恫喝するように真意を問うふりをした。
「何故、奴の復活を願う!? この世界を地獄に変えようというのか?」
 もっとも、本気で答えを求めているわけではないので、別段何を言われようとネイサンは耳
を貸す気も概念を受け入れるつもりもなかった。

「この世が既に地獄だとは思わぬか? 人は皆、闇に憧れ混沌と力を好む、汚れた利己的
な生き物。それにふさわしい世界に変えるだけの事。大した違いは無い」

「勝手な事を言うな!」
――人々が各々の欲望に忠実に生きるって事は、第三者を傷つける必要のないのに為しえ
てしまう行為だ。人として許されるか!

149Awake 13話(9/15):2013/10/14(月) 00:30:40
 カーミラと対面してネイサンは己がいかに惑わされやすい感情を持っていたのかと改めて自覚し
たが、それでも自分だけではなく、無数の人間が利己的な感情を以って行動したらどうな
るかと想像し意識から感情を切り離した。

「あなたも心に潜む闇を開放すれば、素晴らしい世界を感じる事ができる」
「うるさい!」

 しかし、どんなに吼えても術者カーミラの見せる幻覚は、会話をすればするほど脳に焼き付
くぐらいの確かさを以ってネイサンの心を惑わせた。
 触れる手、絡みつく足、柔らかい唇と舌の感触、拒絶されない永遠と思える時間の共有。
誰にも邪魔されず抱きすくめ漏らした声にときめき、肉と肉をあわせ互いの重みを感じ独
占し、解放しながらしなやかに波の様な態で身体を弄り抱きとめて深く、深く滾らせた物
を幾度も迸らせ、それから……
――だめだ、この女の声と内容を聞いていると欲望が肥大してくる。頑なに撥ねつけないと。
 ネイサンの心は欲望を肥大させられた欲動の発露に苛まれ、弄ばれた怒りに震えていたが、
カーミラは表情から察知されたらたまったものではないと微かに眉根をひそめた彼を嘲笑する
かのように、一方の口角を微かに釣り上げ、表情を昏くした。
 カーミラは他者に対して優越を求めるでもなく、固執する独占欲を見せないネイサンの感情に苛
立ち挑発するために幻覚の度合いをまた強めた。

「あなたといた彼…。彼は自分に正直だったわ。我が主も彼を気に入った様よ…。フフフ」
「なに? お前らヒューに何をした!」
 その言葉を聞き、ネイサンは真租とヒューが対面して自分と同じように彼の野望や欲動を増幅さ
せ心身を弄ばれたのなら、忌々しき事態である。
 彼はそう考えを巡らせて自分のこと以上に焦って叫んだが、カーミラは片手を彼に向けると
強い光を発現し、辺り一面が一瞬光に包まれ何も見えなくなった。

150Awake 13話(10/15):2013/10/14(月) 00:32:00
 ネイサンはその光を見ないように目をつむり、すぐに状況を確認するために開眼したが、目
の前にはすでに桃色のペチコートを着た艶麗な女の姿は無く、巨大な頭蓋骨に乗った赤黒
い女怪――変化したカーミラが浮遊していた。
 カーミラはネイサンを見降ろし彼が開眼しているのを確認すると、彼の心を手に取るかのように
言葉を紡ぎ始めた。
「見える……あなたは今苦しみの真っ只中にいる」
「なんだと?」
 ネイサンは己が道中を含め、今も淫媚な妄想に惑わされているのをカーミラに見られていたかと
思うと、一瞬、肝の冷える思いをしたが、己の世界に何人たりとも踏み入らせる気がない
彼は、思考を遮断し眼前の敵の動向を観察することにした。
 だが、人の身で幻覚を見せる魔性に克てるはずもなく、聖鞭の法力で彼の深層に侵入さ
れないまでも容易く感情を読み取られ言葉を弄された。

「でも、なんと甘美な痛みを伴った苦しみなのかしら」
「……」
「誰にも言えない苦しみは、己の状況を悲劇に変えて陶酔する事の出来る身勝手な感情」
――欲望を認めろ。身近にある幸せを肥大させて渇望しろ。黙っていても私はお前をいた
ぶる。反論してきたら言葉尻をとらえて幻覚とともに弄んでやる。
「黙れ」
「あら、恥じる事など一つも無くってよ。むしろ愛する事はどの様な形であれ美しいもの
なのに。私の手を取りなさい。私の手に掛かればあなたの想いは夢で無く現実にする事だ
って訳も無いわ」
「……」

151Awake 13話(11/15):2013/10/14(月) 00:32:45
「お互いに見つめ合い、甘い口付けを気が済むまで交わして、それから……その息遣いに
戯れた後、言葉にならないくらいの絶頂を確かめ合うために、身体をまさぐりながら相手
の奥にある全てを曝け出して何度も何度も愛しむ事は……まさにあなたにとって素晴らし
き世界」
 カーミラは沈黙を選んだネイサンを嘲笑うため言葉を重ねた。聖鞭の力により彼女の本領が発揮
できない状況に対して苛立ちをぶつけるかのように、言葉だけで彼の羞恥心を煽るだけ煽
ろうとした。
 その言動自体、彼女がすでに相手に対して無傷では王手をかけられない焦りの証左であ
るが、解っていても後は近接戦でしか彼を生贄として手に入れられない事にカーミラは自尊心
が傷つけられ、腹立たしさを感じていた。
「何故自分の想いを隠して生きようとするの? 大切に育ててくれた師匠の息子を穢す事
になるから? それとも下らない決まりで二人とも死刑になる恐怖から? だったら、そ
の元となる師匠を混沌の救世主に捧げればいい。それなら師匠もいなくなって、そのうえ
下らない決まり事など無くなり全てが丸く収まるわ」
 
――しまった! 師匠や世間に対する考えまで読み取られた! 俺は本当に弱い。そして、
この女は人の心を甘く包み込むのに相当長けている。ともすれば負けた後、本当に手を取
り、この身と思考をすべて委ね預けてしまうくらい魅力的な提案を与えるこの女の下僕に
なって、思うままに実行するだろう。
だけど、ここまで来てそんな真似を許してたまるか! 
「聞く価値も無い。お前を打ち倒せばそれで終わりだ」
「そう……ならば死になさい。薄汚い、おぞましい体の合歓なぞ私の許容の外よ」

――薄汚いか……魔性の者にさえ否定されるか。いや、最初から判り切っていた事じゃな
いか。
「我等の手中にある大切な者達を意のままに出来る機会を与えてやったのに。愚かな」

152Awake 13話(12/15):2013/10/14(月) 00:33:31
――与えてやった? 俺は師匠に対して申し訳なさを感じた事はあっても邪魔に思った事
は一度も無いし、それに与えられた中でヒューを求めた覚えは全く無い。
それを……いくら道に外れているとは言えだ。
「痛みと幻想を与えてやる。せいぜい抗う事ね……ふふふ」
 純粋に力だけであればカーミラが勝っているものの、真租が戯れに与えた力のせいでまさか
ネイサンが自分を追いつめられるくらいの魔力を有しているとは、あまりにも相手を侮り過ぎ
たと彼女は彼と直に対面して初めて後悔した。
 カーミラがその変化に気付かなかったのは、カードの効果によって魔力の変動があったため、
完全に彼の力を把握できなかったのが原因である。
 ともあれ、雌雄を決しなければ互いの状況が進まないのは両者とも一致していた。
 ネイサンはカーミラの攻撃方法を見極めるために回避行動を行い、カーミラは彼の力を量るため軽く
攻撃を仕掛けた。
「まずは、逃げ回りなさい……」
 カーミラは幻覚の作用を練り込んだ紫弾を展開し、頭蓋骨の下に大きい電流を放出すると、
足場を伝いながら彼女の攻撃の種類を見極めるために回避して、安置を求めているネイサンを
弄ぶように追い回し始めた。
「当たってたまるか!」
 頭蓋骨の下の放電は避ければ当たる事は無いだろうが、問題は自分を追尾している紫弾
が消えるかどうかで戦術を立てないと、いつまでたっても本体に攻撃を加えられないとネイ
サンは踏み、近づいてきた紫弾を聖鞭で叩くと、幸運にも触れた瞬間に消散した。
 これにより遠隔攻撃の一つは封じられる事が分かったネイサンは、この攻撃を無効化できる
カードを使って戦端を開いた。
「……小癪な」
 紫弾を無効化された事で攻撃手段の一つを失ったカーミラは、腹癒せにヒューに放った巨大な光
線をネイサンに向かって発射した。

153Awake 13話(13/15):2013/10/14(月) 00:34:17
 光線が発射された事に気付いたネイサンは、後方に飛び退き足場を使い上方へ逃げたが、不
幸にも照射時間が彼の滞空時間より長かったため、為す術もなく全身を焼かれた。
「うふふ……死ななかったの? あの男より強靭なのは認めてあげる。でも、あははは!
服が全部焼けおちればもっと面白かったのに! 残念だわ!」
 カーミラはしてやったりと、ネイサンが床に叩き落とされ痛みで蹲りながらも自分を睨む彼の顔
を見て、純粋な嗜虐心を湧き立たせた。
 紫弾を封じられた事で言を弄し幻覚を見せるより、自分の力で捻じ伏せてから半死半生
の状態で命乞いをさせ、懇願しても聞き届けることなくその体をドラキュラに捧げ彼の師匠で
あるモーリスの目の前で吸血させ眷族にするか、肉片になるまで嬲るといった残虐な行為を想
像して、震えるような快楽を覚えると心が高鳴った。
――何だあれは! あんなものとヒューは戦ったのか? 今までの駒とは格が違う。だけど、
体は鞭のリーチだけで当たるくらいの大きさだ。遠隔攻撃の種類と挙動さえ間違えなけれ
ば確実に攻撃できる!
 そうネイサンは考え頭蓋骨に接近したが、間合いを詰め過ぎて直進してきた頭蓋骨に撥ね飛
ばされた上に、反対側から無数の衝撃波を繰り出された。
 だが、落窪の壁に邪魔されて攻撃範囲が狭かったため、後方に退避するだけで回避でき
た。
 そこから頭蓋骨が幻視ではない事を確認し、今度は逃げられる範囲で聖鞭を振るったが、
完全に当てが外れた。頭蓋骨に聖鞭を当てても攻撃が透過したからだ。
「そんな……馬鹿な」
 当てているはずなのに当たらず驚愕しているネイサンの表情にカーミラは気付くと、侮蔑を表情
に出し盛大に哄笑した。
「私に触れられるとでも思っていたのか、愚か者! 死ぬまで堂々巡りをするがよい」
「クソッ」
――頭蓋骨はカーミラの幻影なのか。しかし、その体当たりは質量があった。いや、頭蓋骨は
攻撃範囲に含まないでおこう。そうなれば赤黒い方が本体だ。

154Awake 13話(14/15):2013/10/14(月) 00:35:17
「……そう言えば衝撃波も光線も放出時には背後がガラ空きだった。試してみるか」
 出来るかどうか分からない予測を試してみるには、ネイサンの体力と気力は耐えられないく
らい消耗していたが、それでも何もしないで嬲られるよりは有益だと思い、部屋の中心に
ある足場の中段でカーミラの攻撃を待ち構える事にした。
「正面で戦うつもりか? 私との力の差がまだ解らぬか」
 突進してくるカーミラの嘲りを無視してネイサンは遠隔攻撃の挙動を待ちながら、彼女の本体に
クロスを投擲し、衝撃波を放ったと同時に足場を伝って彼女の後方に移動して攻撃が終わ
るまで聖鞭を振るった。
 彼女の肉体に攻撃した時に打撃音が響き、腐った血液が混じった体液が流れている事か
ら、ネイサンはダメージを確実に与えているのを確信すると、あとは紫弾や突進に気をつける
だけで一定の攻撃で彼女の肉は削がれ、体液を辺り一面に迸しらせることができた。
――攻撃方法がわかったとしても、こいつは体力がある……耐力が相当高い。
 やがて、カーミラの肉が崩れ体中から血を噴き出し、その魔力が微弱なものになった時、ネイ
サンの鼓膜が破れるくらい甲高い咆哮とも悲鳴ともつかない不快な叫び声が上がった。
 それから彼女の全身が浄化の炎によって燃え盛ると、すぐにその体は陽炎のように揺ら
めいた。
 そして、陽炎もその場から消散し強い光がまた空間全体に瞬いた。
 それから間を置かず、光が収束すると打撲痕や裂傷が体中におびただしい数を以って刻
まれ、ペチコートがところどころ裂かれ、焦げた様態で石畳にへたり込んだカーミラが現れた。
 口角から血をとめどなく流し、艶麗な容姿を苦痛に歪ませながらも自分を凝視し、血涙
を流しながら睨みつける灼眼に、ネイサンは勝者とはいえその悪鬼の表情に全身が粟立った。
――これで術者は掃討した。魔力がほとんど感じられない。真祖が消滅するのも時間の問
題か。
 ネイサンはそう考えたが、カーミラはその安堵した表情を見て口角を歪ませると、喉を鳴らす音
を出して吐血しながら彼を馬鹿にした歪んだ笑顔を見せた。

155Awake 13話(15/15):2013/10/14(月) 00:35:55
「…もう遅い。儀式の支度は整った。後は月が満ちるのを待つのみ。我が主が完全に力を
取り戻されるのは、もう時間の問題…あなたの大事な師匠と仲間は…」

 そして、ネイサンの心に楔を打ち込むかのように言葉足らずな科白で彼の不安を煽ると、そ
のまま体を揺らめかせてカーミラは消滅してしまった。
「師匠! ヒュー! クソッ!」
 ネイサンはその言葉の真意を測りかねて、いや、最悪の形――二人共、すでに真祖によって
贄とされてしまい、いくら死闘を繰り広げても、自分だけが生き残っても二人がこの世に
おらず真祖が完全な力を取り戻したらと想像して、絶望と諦念、何もかも阻止できなかっ
た自分に対してやり場のない怒りを湧き出たせた。
――だけど、確認できない以上は言葉にされても惑わされちゃいけない。進もう。
まだ終わっちゃいない!
 そう彼は気を取り直し、次に進むためのマジックアイテムを手に入れようと最奥の宝物
庫へと足を進めた。
 そこは、宝物庫というにはとても寂しく薄暗い何もない空間だった。
 ただ、木の台座の上に大きい鳥類の片翼が鎮座していた。鍵ではなかった事にまたネイサン
は落胆したが、どういったものか調べるために手で触れた瞬間、そのまま跡形もなく消失
した。
 何が起こったのかと唖然としたが、気のせいか体が軽くなったような心持ちがした。試
しに飛び上がったところ、急に体が引っ張られるような速さで天井に向かって垂直にジャ
ンプした。
 その状況に彼は驚き、頭を天井にぶつけないよう体を回転させ、天井に足底をつけて衝
突を回避した。そのあとはすぐに石畳に着地したが、急激に着地した時の関節の痛みや痺
れは全くなかった。
 ともあれ、とうとう人にあらざる高さで移動できるようになったネイサンは、展望閣へと続
く天空の未完成な階段を目指し、敵に接触しないよう高く跳びあがりながら進んでいった。

156Awake 14話(1/18):2013/12/19(木) 03:02:02
「来たか…ネイサン。」
 幻覚に惑わされながらも術者カーミラを倒した事で全ての術者を掃討したネイサンは、階段のな
い不完全な建物をひた走り、やがて行き止まりの空間にたどり着いた。
それを示すかのように駒がいる馴染みの青白い扉を開くと、深く沈む様な声とともに展
望閣の玉座の下で静かに振り向く者があった。
 何度も城内で邂逅し共闘を望むも、己の矜持を守るため自ら状況を放棄したヒューの姿だっ
た。
 その様子に身体を傷付けられておらず、難敵が多いこのエリアで何時もの如く剛毅を誇
った剣技で敵を屠りながら探索していたのだろうとネイサンは考えを巡らせた。
 だが、同時に幻覚ではないかと疑ったが、惑わせるような柔和な表情でも様子でもなく、
拒絶された時と変わらぬ険のある表情だった。
 とにかく声をかけられた事にネイサンは、アドラメレクに惨敗した時の無残な格好から立ち
直ったのを見て顔面が喜色に覆われた。
「ヒュー!良かった!無事だったのか。俺はてっきり…。」
「てっきり……何だ? 俺が死んだとでも思っていたのか? ……その方が貴様にとって
好都合だろうよ」
「何を言っているんだ!? まさか!?」
「ヒュー、何をする!?」
「…俺の方がお前より優れている…。」
 微かに笑い眼をぎらつかせると、有ろうことかヒューはネイサンに向かって抜刀し脅した。
 眼の輝きの中に尋常ではないものを読み取ったネイサンは寸での所で躱したが、身を傷付け
られそうになった事よりヒューが己に躊躇なく剣を向け、しかも人を嬲る様な目つきで自分を
見たことに驚きと失望を隠せなかった。
 だがヒューは直ぐに笑み掻き消し、頭を横に振り次第に苦悶を表した貌で対峙し始めた。
「お前を倒し、それを親父に証明して見せる…。」
「操られているのか、カーミラに?いや、ドラキュラにか!?」

157Awake 14話(2/18):2013/12/19(木) 03:02:59
――俺を攻撃しておきながら悔悟の表情をするとはおかしい。
人の言葉と行動はここまで噛み合わなくなるものか? 操られていたり、吸血されている
とすれば辻褄は合うが、さっき術者であるカーミラを消滅させたんだ、もしカーミラに因るものだ
ったらヒューは解呪されているはずでドラキュラも消滅しているはずだ。
だけど、今現在を鑑みればドラキュラの復活の主導権はカーミラから本人に委譲されたと見るべき
だろう。一度もお前に勝った事が無いのにどうすれば救えるんだ!? 
師匠! 魔手に落ちた仲間を救うことはこんなに途方も無い感覚に陥るのですか? 
こんな苦しい事……教えて貰ったって理解出来るものじゃない!
「……何故、お前は俺の心をそこまで掻き乱すんだ……?」
 自分勝手な感情を口にしていたが、その心は自分が死ぬか、ヒューを誤って殺してしまうか
もしれない予測に対しどうしていいか判らなくなってしまっていたからだ。
「どうした? 来ないのならこちらから行くぞ!」
「止めろ! 何故お前と戦わなといけないんだ!?」
「俺の途に邪魔だからだ。それ以外に何がある?」
「……俺が、お前にとって要らない存在だったのか? そんなの信じたくない!」
 ネイサンの叫びもヒューの耳朶をかすめただけで一向に介する事無く冷笑され、ネイサンは二度三度、
追い詰められた獲物の弱腰を嬲る様に切りつけられた。
「消えろ」
「……っ!?」
――本当に容赦ない。修行中の模擬試合とは格段に違う気迫、殺す気だ。

 どう攻撃してくるか判断が付かないままヒューの攻撃にたじろぎ、ネイサンは彼の直接攻撃が及
ばない距離まで後退りしつつ攻撃の種類を見極めようとした。
 敵に操られている以上、己が知っている方法以外の攻撃を繰り拡げるだろう。

158Awake 14話(3/18):2013/12/19(木) 03:04:02
決断したら迅速に行動を起こさなければ時間が足りない。
 展望閣に駆け上がる途中の回廊から見えた月は深夜に差しかかっていた。ネイサンがまずい
と思い急いだ理由は、殆どの人間が無意識の世界に引きずり込まれる深夜が一番、魔が人
々を襲うには格好の時間となるからだ。
 それまでに復活した真祖がサキュバスなどの夢魔を放ち、人々をほしいままに餌食にしたら
どうか――
「逃げるか臆病者!」
「……!」
――許してくれ。お前を試すような事はしたくないけど、それが嫌なら目を覚ましてくれ!
「うぐっ!?」
「対峙している相手に背を向けるとは格闘の基本すら忘れたようだ。お前にしては珍しく
慢心したか」
「……少し、黙れ。人を嬲るような者に堕したお前の声なんて聞きたくない」
 間合いを取るために危険とは思いながらも全速力で駆けだしたが、案の定、クロスを投
擲され背中に数本突き刺さった。
――早さと力は変わらない。与えられたのは何だと言うのか?
 
クロスを引き抜き、痛みに耐えながら起き上がるや否や、一直線に剣をつがえたまま突
進してきた。だが、まともに食らえば大打撃となる太刀筋も大味過ぎて切れが無く、少し
体を後方へ移動しただけで難なく躱す事が出来た。
――どういう事だ? 動きが大きすぎる。とっさの判断すらできなくなっているのか?
もう一度離れてみるか……何!?

 再び駆けだした時、ヒューの剣が残像を帯びて天をも突かんとするくらいの大きさと質量を
もって振り下ろされた。

159Awake 14話(4/18):2013/12/19(木) 03:05:16
「うわぁあぁぁぁ!?」
 今度は避けられず額に切先が直撃した。瞬時にして肉を抉り出されるかのように粗く裂
かれ、血が噴き出した。止め処なく流れる血を見てネイサンは戦慄した。
「初めて見た……あれは人が与えられる攻撃でもなければ、力でもない。飛び道具だけで
は推し量る事が出来なかったか……見誤った」
 流れる血を手で押さえながら視界がぼやけてくるのを感じるも、ヒューの動向を窺い見た先
に石柱があり、その上方に足場がある事を確認した。
――ヒューを避けながら上へ駆けあがった後、足場で回復するか。あの高さは人であれば到底
届かない高さだけど、今の自分であれば難なくあそこまで飛べるだろう。
だけど、ヒューがあそこまで届いたなら俺は容赦なく攻撃され死ぬ。
こんな悲しい事、いつまで続くんだろう。
悪夢だ、性質の悪い冗談であって欲しかった。お前に嬲り殺されるなんて、嫌だ。

血を拭い、足元をふらつかせたが気を取り直して行動を開始した。自分を攻撃するだけ
で当てもない、焦点が定まらないような攻撃を軽く避けながら足場へと飛び上がった。
足場に向かってヒューの上方を飛び越えて到達した時、石柱を背に振り返って彼の姿を見た。
表情には怒りの表情しか見当たらなかった。これほどまでに激しい怒りを今まで向けられ
た事はなかった。
だが、冷静さを失い悪鬼の表情をして、自分を追い詰めている彼の姿を目の当たりにす
ると、自分が聖鞭を継承した事でこうなってしまったのに、心を痛めた以上に怒りに任せ
て自分を攻撃してくる状況に居た堪れなくなった。
自然と涙が溢れた。失望で心が潰されてしまいそうだった。
「膂力だけ強くても、動きが伴わないお前なんてお前じゃない!」
 その声を聞いたのかは分からないが一瞬、ヒューが歩みを止めビクッと身震いしたように見
えた。
 もちろんヒューが声に応えた訳ではない。だが、ネイサンは彼の深層が動きを止めたと思いたか
った。少しの仕草でも自分の声が彼に届いたと感じた事に少し、心に落ち着きを取り戻し
た。

160Awake 14話(5/18):2013/12/19(木) 03:06:28
一緒に彼も追ってくるかと思ったが、飛び跳ねて斧を投げつけてきたぐらいで跳躍力は
変わらず人のままであった。その様子に嬲り殺される可能性はなくなったと安堵し、カー
ドの力でしばらく傷を治癒していった。
――今まで遠隔攻撃の状態を見ていたけど、今度は近接戦闘であいつのペースをずらして
時間を稼ぐか? 通常なら無理だろう。でも、操られているなら退魔の文言であるラテン
語聖句を詠唱する事で、その隙を突く事は出来ないだろうか? 
さっき突進した時に避けられても進行方向を変えられないほど動きが大雑把だったんだ、
打撃に特化した攻撃のみであれば注意力は散漫になっていると思う。賭けてみるか。

 やがて、額の傷もある程度塞がり痛みも引いた。これで視界が血まみれになる事もなく
なった。
 そのまま床に降りると攻撃されるのは必至なので、ヒューが後ろを向いた隙に静かに降りた。
 無論、瞬時に気づかれて剣で攻撃されたが、予想通り通常攻撃の剣技に鋭さが見られず
剣捌きの間合いに入る事さえ容易に出来た。
――よし、一か八かだ。
 ヒューに聞こえるようラテン語で退魔の聖句を唱え始めた。すると、見る見るうちに動きが
鈍化していった。
「……!」
――やっぱり……効果はある。良かった、吸血された証である灼眼にはなっていない。な
のに、ラテン語聖句を聞いた程度で攻撃速度と膂力が一瞬だけど停止している。
そうか、術者の闇の部分が表出しているから、その綻びから来ているのか。降霊術のよう
な何か代償を用いた一時的な催眠術みたいだけど、効力に関しては人間が行なうより相当
強力な暗示が掛かっている。
それなら身体の動きを徐々に止めて解呪する手を考えよう。
 まずは、攻撃手段である剣を聖鞭で絡め取り瞬時に押し倒して、正気に戻るまで聖句を
耳元で唱え続けたらいいのではないかと考え付いた。それに、組み伏して体重をかけ、羽
交い絞めにすれば首を絞められる事もない。
ネイサンは予測を立て剣身に聖鞭を絡ませたが、引っ張っても腕が伸びるだけで離れない。
「柄と手がくっ付いたように離れない……」

161Awake 14話(6/18):2013/12/19(木) 03:07:10
だが、操られていても無駄な動きをしている間まで止まっている相手ではない。すぐに
剣を振り下ろされ、逆にネイサンが弾き飛ばされた。
「やっぱり、攻撃して体力を削らないと動きが止まらないのか!」
――聖句を唱え続け、あいつの身体を傷付ければやがて動きは止まるだろう。だけど、攻
撃によって命を奪う寸前まで来たら俺はどうすればいい!? ヒューの首筋や胸部を見たら吸
血痕は無かったし、クロスを平気で扱っていた。灼眼にもなっていない。
膂力は借り物でも、人のままだ。その彼を殺したら、俺は人殺しだ。愛する者をこの手で
殺すのだ。失った時の苦衷と後悔はいかばかりであろうか!
だから人として俺に対峙させたのか、ヒューを!
「それに……人の力で無いマジックアイテムを用いている俺に、人として対峙しているお
前を倒すのは、卑怯以外の何物でもない。逆に俺が化け物だ」
――悲しいかな、この城を出るまで外れてくれないらしい。目的を果たしても人の意思に
関わらず、呪いの様に体に絡み付いている。文字通り利便さを持ち合わせた魔性の道具っ
て訳か。

 だが、攻撃しないとネイサンの方が無残にも嬲られてしまう。どうしようもない状況に悲痛
な声を上げ、落涙し、対峙するしか彼には方法が残されていなかった。
「許してくれ……早く……っ、目を覚ましてくれ!」
 対峙し、間合いを詰めて攻撃を始めた。予想通り、ここから先は何の障害もなく一方的
な攻撃が展開されるだけだった。
 ラテン語聖句を唱え、動きを止めた隙に叩きつけるように聖鞭を振った。当然、ヒューの服
は裂け、切り裂かれた皮膚から血が飛び散り、打擲するたびに絨毯に何度も滴った。
それでも彼の洗脳は解けない。動きは止まらない。
 ネイサンによって動きを封じ込められたにもかかわらず、空しい攻撃を続けている。
――もう……嫌だ。どうして気絶してくれないんだ。これ以上攻撃したらお前の骨や腱を切
ってしまうじゃないか……どうして平然と攻撃を受け続けるんだ……?
 ネイサンは泣きながら聖句を唱え攻撃を続けた。それでもヒューは倒れない。失血で顔が青ざめ、
ようと、当たらない攻撃をネイサンに繰り出しているだけだった。

162Awake 14話(7/18):2013/12/19(木) 03:08:37
ヒューが普通で無い姿に変化していくごとに、ネイサンの心は張り裂けそうになった。いや、今
すぐにでもこの状況を終わらせたかった。
 やがて、ヒューの体は失血から動きが不安定になってきた。それからようやく体の軸がぶれ、
崩れ落ちるように昏倒した。
「……これで、これで終わった。ヒュ……」
 声を掛けた瞬間、白い魔方陣が中空に現れた。すると、その魔方陣にヒューの体が吸い込ま
れるように浮き上がった。
 明らかに意識が途切れた状態で発生したので、ヒューが構築した魔方陣では無いのは判った。
「消えろ!」
 真祖がヒューの体力がなくなる前に解呪されないよう仕掛けたものだろうと考えると、確実
に解呪出来ないまま自分にヒューを殺させようと言う肚が見え、人の気力を削ぐ目的で発動し
たと思われた。
 確認が取れない予測だが、それでもそう考えると神経を逆なでされたように憤りを感じ
た。
 もしそうなら闇の部分があるはずだから聖属性のクロスを使えば消滅するのではと思い
魔方陣に投擲したが、さしたる効果もなく全ての攻撃も透過した。
 やがてヒューは再び生気が漲ったように覚醒し、中空から絨毯に降り立った刹那――素早く
剣をネイサンに向って振り下ろした。
 先ほどまで顔面蒼白で、失血による口唇の変色が認められる顔からは想像がつかないほ
ど回復したように見えたが、よく見ると出血や打撲痕は酷く、裂かれた傷を刻んだまま攻
撃を繰り出してきた。
「……もう、止めてくれ。これ以上、動かないでくれ!」
 無残な姿になっても自分を追い詰める狂気に、ネイサンは身も心も圧し潰れそうになった。
 もしかしたら、ラテン語聖句を唱えたことによる拒否反応から、彼の精神が開放するの
を抑制するため防護壁が発動したのかと予測を立てた。
 そう思うと今まで自分がしてきたのは何だったかと判らなくなり、一瞬、気落ちと疲労
でよろめいた後、通常攻撃の範囲内から少し後退してしまった。
 だが、間合いから外れた一瞬で遠隔攻撃が発動し、今度は無数の剣が彼に襲いかかった。
「……っ、一瞬の油断も見逃さないか」

163Awake 14話(8/18):2013/12/19(木) 03:09:51
その剣も聖鞭で叩き落とせばすぐに消散したが、一つだけ遅れて追尾して来た短剣とナ
イフが体に突き刺さった。
「!? さっきの巨剣と同じぐらい強い……!?」
 ナイフが突き刺さってもそこまで致命傷とはならなかったが、短剣は掠っただけで大量
に血を噴き出させるくらい傷を押し拡げた。
 ネイサンは痛みに耐えながら観察すると、短剣は彼を追尾攻撃した後すぐに球体へと変化し、
ヒューの体内に入り込んでいった。
 その上、ヒューの傷口が硝煙を伴い、少し塞がって行くのが見えた。
――俺を傷付けたらその分、回復すると言うのか……どこまで堕ちたら気が済むんだ……

「それでも俺は、お前を解呪出来る事を信じたい!」
 彼は愕然としながらも今度はヒューの繰り出す通常攻撃を躱し、間合いを詰めるとまたラテ
ン語聖句を唱え始めた。
――魔方陣が発現したのであれば、それなりにダメージを受けているはずだ。現に、さっ
き付けた傷は完全には治っていない。攻撃を続けていたら気絶するかもしれないけど、今
度ばかりは死んでしまうかもしれない。
「体力を削れると判った以上、お前の動きが止まるまでやり続けるしかない……っ」
――お前は人のままだ。だけど解呪出来ないまま死んでしまったら、そのまま遺体を安置
する事は出来ない。真祖がいる限り復活する可能性がある。そうしたら、心臓に楔を打ち、
腱を切ってしまわないといけない。頼むから、お願いだから、俺にそんな事をさせないで
くれ!

「目を覚ましてくれ! お願いだから!」
 目を瞑り、涙を流しながら再び攻撃を始めた。彼の肉体を打擲し、切り裂き、血を何度
も迸らせ、絨毯や服、肉体に流れる血が濃く固まっても力を奪い続けた。
 打撃を与えるたびに何度も同じ言葉と想いを泣き叫び続けた。
 自らの手で傷つけ続けるたびに、自分の心が壊れていくようだった。


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