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Awake
1
:
月輪ネタ書いた人
:2013/09/20(金) 04:45:08
かなり遅くなりましたが…完成させたので
作品の傾向を……
・ ストーリーラインはゲーム本編をなぞる形で進行
・ イメージとしてはGBAパッケージの艶っぽい作画
・ 前半ネイサン→ヒュー 後半ネイサン×ヒュー
・ カーミラたん大活躍。原作「女吸血鬼カーミラ」(レ・ファニュ著)の設定が入っている(少女に対する
同性愛癖など)のでもちろん男女間のエチーは無し
・ 軽いガチレズ描写とエチーは未遂ならあり
・ 前の討伐の話が出てくる(ネイサンの両親が命を落とした後の話)
・ 姓名は英語圏だが国教会管下のイギリス・アメリカ両国で偶像崇拝禁止を敷いていた1830
年前後に、神話偶像があるDSSを使用していることからカトリック教徒とし、DSSカードの
「ブラックドック」の伝承があるイギリス国内の人間にした。(アメリカのほうがイギリスよ
り偶像崇拝に関しては厳しいし)
・ 史実を踏まえてやっている所がちらほら。
・ ネイサンが最初は頼りない、でも全編通してピュアっ子
・ ヒューがネイサンに突っ掛るのにはそれなりに正当な理由があるから。だけど本当は頼りがいのあ
るお兄さんだったりする。
・ ドラキュラ討伐にベルモンド一族でなく、何故彼らだったのかというのを捏造している(ベルモンドと
は書いてはいないけれど)
・グロ描写アリ
では投下します。
166
:
Awake 14話(11/18)
:2013/12/19(木) 03:13:56
そう回想しながら、ヒューの脳裏にネイサンとの実力差が明確にあった頃の問答が浮かび上が
ってきた。
――「あの時点で指揮権を強奪するように取ったら、誰だって文句の一つでも言いたくな
るぞ」
――「じゃあ、側面に回り敵の視界を一瞬でも消失させなければ、正面から突撃するばか
りではこちらがダメージを被ってしまう。お前だって判っていただろうに」
――「それは……」
――「やり方と言い方が拙かったと言いたいのだろう? 俺も本当は精一杯だったんだ。
外から見ていたから判断できたのであって、当事者だったら俺でも動けたかどうか……そ
の上、己の役割の中で、今回は補佐の立場で彼を援けなかったと言うのが最大の失敗だっ
たな……はっ、今のは誰にも言うなよ!? 恥ずかしい上に外聞が悪いから」
――「お前が他人にその手の事を言わないのは知っている。そして俺が誰かに言うなんて
思っているのか?」
――「言い訳したばかりか気まで遣わせて悪かった……」
……いつも俺の傍にいて俺のために諫めてくれた人間の存在と言動を忘れてしまっていた
とは、いよいよ持って焼きが回ってきたな。
人は一人では事を成せない、だからこそ三人のチームで魔を狩る事が出来るのだ。と、こ
の状態になって親父の言葉が痛烈なまでに身に沁み入るとは、何と辛辣な皮肉だ。
補佐してくれる大事な仲間が傍にいないだけで、どれだけ周りが見えなくなった事か。そ
して、補佐をする者の重要さを長きに渡って軽んじていた自分自身の愚かさが、どれほど
滑稽でおかしな姿を晒していたか。
そんな今にも泣きそうな顔をするなよ、お前も傷を負っているが俺はそれ以上に血が流れ、
お前に打擲された傷は服に触れるだけでとても痛いんだ。俺の方が痛みでまた気絶しそう
なくらい痛いのに。
それから今まで勝てなかった俺に完勝したんだ。もっと喜べよ。それが出来ない奴だから
お前の存在に安堵するのだろうな、我ながら情けない感情だ。
167
:
Awake 14話(12/18)
:2013/12/19(木) 03:14:58
「フッ…これ以上、俺に恥をかかせるな。」
一瞬、瞼を軽く閉じ首を下へ傾げたが直ぐにネイサンの顔を仰ぎ見て微笑んだ。しかし、そ
の両頬には赤い豪奢な絨毯の繊毛を赤黒く染めるほど止め処もない涙が伝い、まるで光を
見つめているようだった。
そう見られる事に後ろめたい感情を抱いていたネイサンはヒューの眼差しを直視できず、聴き続
けるには心苦しかった。
むしろ、何も言われず押し黙ってくれていたほうが、幾分かましな心持ちになっていた。
「お前は俺の告解を何故押し止めようとするんだ。初めてこれだけ曝け出した俺の弱い部
分を聞けないというのか? そうか……親父を助けるのに無駄な時間を取らせてしまった
ことに腹を立てているのか。そうだな、責められても仕方ない」
「違う! 俺が原因でお前が自分自身を卑下して傷つけている姿を、これ以上見たくない
んだ! それに断罪なんてもっての外だ!」
――告解だと? お前の体を傷付け、矜持を粉々に打ち砕いた俺はお前の後悔を受け止め
るに値しないと言うのに、それでも青眼を向けてくれるのか? あぁ、そんな貌をしない
でくれ、俺はお前を――
「……ただ、愛したいだけなのに、愛しているのに……手を差し伸べたいのに、お前が自
分自身を傷つけているのを知っていても俺がどうすることも出来ないのが悔しい。それな
のにお前が俺に自分を卑下している科白を吐けば、側にいるのに援けられない事実に打ち
のめされるから……」
「……愛している?」
想いの丈を叩きつけた言葉の中に、己の苦衷と恋情が溢れ出てしまったのをヒューに聞かれ、
ネイサンは一瞬にして青ざめた。
この想いは自分の心の中に秘匿しておくものであって、一生曝け出すつもりはなかった
とそう思っていただけに、言葉を回収したい心境が次の瞬間には言葉を詰まらせてしまっ
た。
168
:
Awake 14話(13/18)
:2013/12/19(木) 03:17:00
「言葉を濁そうとするな。もう一度訊くぞ。愛していると言ったのか?」
「……」
――答えるべきか? 迷うな。ここまで訊かれているのに。だけど後ろめたい気持ちはあ
るが愛しているのは間違いない感情だ。それに自分がこの先、言えるチャンスは無いかも
しれない。それなら……
「……そうだ。お前を愛している。その気持ちと言葉に嘘偽りも、躊躇いも無い」
直接本人から「愛している」と言われ、ヒューはどう言葉を返していいものか、無論、泣き
そうな表情をして青褪めた顔で、切なく呟いている彼の想いを即答で拒絶するつもりはな
かった。
「知らなかっただろうが、お前が俺に師匠の事で嫉妬していると言うのなら、これが俺の
お前に対する感情だ」
「……知っている」
「……え?」
ネイサンは己が秘匿していた感情を事も無げにヒューが理解し認識していた事に、全てを見られ
ていたからこそ嫌悪を向けられていたのかと心が抉られた。
どこまで知られているのか分からない事にネイサンは不安を感じ、生唾を飲み込んで冷や汗
が顔から流れた。
「この状況で鳩が豆鉄砲を喰らった様な間抜けなツラをして俺を見るな。お前が毎朝、謝
りながらも俺の寝覚めを掠め取っているくらい思いつめた恋情を抱いている事なんて知っ
ている」
「人が悪いな。いつから知っていた?」
――あれだけ長い間、朝から唇だけとは言え求めたんだ。寝ていても気付かない訳ないじ
ゃないか……我慢していたのか。
高ぶった感情を抑えるためとは言え、ネイサンは自分が行った所業を思い出し今度は一気に
顔面が紅潮した。
169
:
Awake 14話(14/18)
:2013/12/19(木) 03:19:35
その様子を見て、ヒューは軽口を叩いた自分の言葉が彼の挙動を変化させている事に気付き、
意地悪が過ぎたかと内容を濁して言葉を続けた。
「……さあな、だが、お前がその恋情と思慕を言う相手は違うのではないか?」
「は?」
「その感情と言葉は俺ではなく生きて親父に言ってくれ。何故俺なんだ」
それから息をのみ、一呼吸置いてからやっと、長年の疑問をヒューは声を出して尋ねる事が
出来た。
それに対し、何故そのような事を考えるのか意味が取れないネイサンは、逆に自分はヒューにそ
う言った感情を抱かせるほどモーリスに接触していたのかと、混乱して彼に聞き返した。
「何……だと? 俺は! お前しか見ていなかったのに。どうしてそこで師匠が出てくる
んだ!?」
「だけど、お前は毎日『ごめん』と謝ってから……」
「謝っていたのはお前と師匠を巻き込んでしまう後ろめたさがあったからだ。それ以外に
理由は無い」
「そうだったのか? 親父の依代としてではなく俺自身を見ていてくれただと?」
ヒューはその言葉を本人の口から直接聞くまで懐疑的な感情で、絞り出すようなネイサンの告白
を聞いていたが、ネイサンが感情を顕わにし、見据えるように人と対峙する様子を見せた事で
本気なのだと認識した。
「人を依代にするほど俺は人でなしじゃない。何故そんな風に思ったんだ?」
「俺は自身の人格と精神に自信が無かった。人は能力と実績だけで対面している人間の価
値を判断する。自ずとそのように振舞って来ただけで、それを差し引けば俺には何も残っ
ていない事は自覚していたから誰も人格など愛してくれる人間はいないと、心の奥で思っ
ていた」
同時に自分に向けられた純粋な愛情を受けどう返していいのか、ヒューは正直困っていた。
だが、困惑した表情を見たネイサンは、自分の行動を知られている以上に歪んだ形でその恋情
を認識されてしまっていたかと思うと、ふつふつとやり場のない腹立たしさを覚えて、一
気に自分の想いを彼に対してまくし立てた。
170
:
Awake 14話(15/18)
:2013/12/19(木) 03:20:21
「だから俺の想いをお前自身に向けたものじゃないと判断した……? ふざけるな……」
「ネイサン……?」
「十年前のあの日、カルパチアの麓でお前が俺のために泣いてくれた優しさは忘れない!
修行中、そして戦闘になった時、死にそうに怯えている俺に、いつも手を差し伸べてくれ
たお前の安堵した貌は本物だった! そんなに自分を卑下しないでくれ。必要以上に虚勢
を張らないでくれ」
もっとも殆どの他人には、ヒューが自分自身を卑下しているとは到底思われないだろうが、
己の能力に恃み、誇示し続けるのはまさしく他者の評価を懼れ、自身を否定されたくない
と思っている者の証左であると、ネイサンにとっては解っていた事であった。
しかしそれはヒューの本来の人格さえも覆い隠してしまうほど、周りの期待が幼い身を徐々
に蝕んでいった結果によるもので、やがて己の行動規範すらも他人の目から見て違和感が
無いかどうかで判断する様になって行く過程を、ネイサンは十年間共に過ごした事で何度も見
てきた。
だからこそ自分よりも優っていても守りたい、必要とあれば諫めてでも援けたいと思う
ようになったのを、言葉を紡ぐごとに改めて感じていった。
「俺がお前の傍にずっといるから。外に向けて虚勢を張るんだったら……いつでも聞くか
ら」
「お前、それは友情の中で考えても良いんじゃないのか? 何も恋情が介入するものでは
無かろうに、同性だぞ? 死刑が怖くないのか?」
「駄目なんだ、何度もそれは考えた。だけど俺は他人には見せない俺にだけ見せるお前の
姿が愛しい。独り占めしたい。お前と生きていく時間が長ければ長いほど、お前の痛みが
深まれば深まるほど救われた立場なのに護りたいんだ、欲しくなるんだ」
渇望した。狂おしいほど渇望し手に入れたいと何度も願った。自分でも驚くほど言葉を
詰まらせず言えた事にネイサンは、目の前の相手がどのような表情を見せようと長年の苦衷を
込めて切々と言葉を重ねた。
「それに、独占したいなんて感情のどこに友情が介入するように見えるんだ? 確かに俺
は常にお前との間に対等で理性のある関係を持ちたいと思っているけど、それだけじゃ済
まないんだ俺にとってのお前という存在は」
171
:
Awake 14話(16/18)
:2013/12/19(木) 03:21:48
――城内で見せられた幻惑こそ、自分自身の欲望だと改めて気づかされた。どう足掻いて
も俺はお前に恋情を抱いているだけじゃなく、明確な性愛をも抱いていることを。
「気持ち悪いと、下種だと罵ってくれてもいい。だけど、これ以上俺はお前に自分の気持
ちを隠したくない。最後まで……聞いてくれてありがとう」
――最後までか。ネイサン……死ぬ気か?
「そのまま儀式の間へ行くのか?」
「?」
「あの扉は呪術だけで封印されているのでなく、物理的にも封印されている。だから鍵は
存在する。奥の扉に黄金色の鍵が置いてある。行け。俺に構うな」
ヒューは傷ついた自分を心配して、動けるようになるまで待っているような風情がネイサンの態
度に見えたので、その感情は嬉しいが敢えて念を押すように、傷ついているのは自分だけ
ではないと認識させるためモーリスの名前を出した。
「親父を…師匠の手助けをしてくれ。頼んだぞ。」
「分かった。」
そう言って、ヒューに背を向けゆっくりと宝物庫へ歩き出すネイサンは振り向き、全てのわだか
まりが消えた静かな笑顔をもって彼を見た。
「答えはまだいらない。だから、今はそこにいろよ! 一緒に生きて城から出よう! も
ちろん全員で!」
「……ああ」
――そうは言うが、足手纏いの俺を連れて敵と対峙しながら移動できるほどお前には余裕
など無いはずだ。甘いな。
ネイサンが儀式の間に通じる鍵を取りに宝物庫へ入った後、ヒューはどう考えても戦力として役
に立たない自分の身を彼の前から消さなければ、意地でも行動を共にしたいとネイサンが願う
事で結果、共倒れになる虞があると予想し、すぐに展望閣から駆け出した。
それから、ある事の準備をするために、傷だらけの身体を庇いつつワープゲートへと急
いだ。
172
:
Awake 14話(17/18)
:2013/12/19(木) 03:23:43
「戦って判った。ネイサン……お前は人の身で在りながら魔性の力を己の物にして、くっ……」
断裂しかけた足を庇っているせいで真っ直ぐ走る事が出来ずに、時々壁の方によろけな
がら、だが今までとは違い自分を愛してくれる者を助けるため、そして自分以外の人間を
心から救いたいという明確な目的を持って、一歩、また一歩を迷い無く己を信じて踏み出
していた。
「いや、向かってくる力そのものを受け流し自壊させる術を、いつの間にか習得出来てい
たんだな」
――人の世界ならいざ知らず、魔性の跋扈する世界では人の力に毛が生えた程度の力で感
情の赴くままに立ち向かう事自体が愚かだ。
俺は知らない世界で卑小な感情を以って粋がっていただけに過ぎん。
「だが、後悔している暇は無い。俺は俺にしか出来ない事であいつを、ネイサンを援ける」
――そして……生きてあいつの想いに今度は俺が応える。
親父以外に兄弟でも無いのに俺の我儘も暴言も全て包み込んで、あんなに成った俺を殺さ
ずに目覚めさせたあいつの想いを無駄にしないためにも、今ここでくたばる訳には……
胸に手を当てヒューは切にネイサンの身を案じ、微かに笑いながら一瞬立ち止まった。
「それに、今は俺の事など気にせずに早く親父の許へ向かってくれ」
だが、その隙を突いてダークアーマーが彼の背中に向けて黒い煙を剣から発した。
察知した彼は振り向き様に黒煙を躱わして、ダークアーマーの腹部の鉄帷子に剣を素早
く刺し貫くと、思考を中断された苛立ちをぶつけるかのように、その身体を足蹴にして剣
を引き抜いた。
「退け! 塵に還れ!」
そして、迫りくる魔物を蹴散らしワープゲートの間へ辿り着いたヒューは、天井を仰ぎ見な
がら自嘲した。
「親父……あんたの目は慧眼だったよ。何時ぞやは不見識だと散々詰ったが、その馬鹿で
蒙昧な暴言を吐き必死に諭そうとした気持を汲み取れなかった俺を、あんたは赦してくれ
るだろうか?」
言い終わった後、穏やかな顔でワープゲートの光の水面に指先から浸し、そのまま己の
全身を委ねるように決戦の場所、全ての始まりの地へと続く凱旋回廊へ向かうため、ヒューは
光の渦の中へ呑まれていった。
173
:
Awake 14話(18/18)
:2013/12/19(木) 03:24:34
ヒューの存在を背に扉を開けたネイサンは扉を閉めると急に足が震えてきた。
「言った……とうとう言ってしまった」
――戦闘中に陥る不安感から言ってしまったのだろうか? 死を覚悟した状況から吐露し
た言質か。いや、この場合は遺言といった方が正しいか。
「俺は卑怯者だ。もし俺が死んでヒューが生き残ったら、あいつの心に楔を打ったまま逃げて
しまう事になる……これでいよいよ持って生き抜かないといけなくなった」
――師匠、申し訳ありません。あなたに育てられた恩を、とうとう仇で返してしまう事を
行いました。
ネイサンは軽く頭を垂れると両眼を細め眉根をひそめて、最後の宝物である黄金色の複雑な
形をしている鍵を見た。
手に取ってみて自分の掌に納まらないくらいの長さと重さがあった。そのさまは一人の
人間の生命と人々の命運を握るには軽過ぎるかも知れないが、自分の想いと自分と共に過
ごしてくれた人々の事を想いながら強く握りしめると、愛する者が待っているであろう空
間に足を踏み入れた。
「待たせたな、ヒュー。あれ?」
広間に彼の者の姿は見えなかった。最後の戦いに不安を感じていたものの、一緒に脱出
できると半ば安堵と嬉しさを噛み締めていた後だったのでネイサンは落胆し、小声で呟いた。
「おい、どこへ行った?」
――くそっ! あんな身体で人の手を借りずに動き回るなんて死ぬ気か? もし死んだら、
俺は何のためにお前と戦って傷を負わせてまで正気に戻したんだ!?
「師匠……ヒューを死なせてしまったら俺は、あなたを助けた後に何と言っていいか分からな
い。だけど、もう直ぐです。とにかく、それまで正気を保っていて下さい! 師匠!」
鍵を握り、歯を食いしばると、そのまま儀式の間を目指しネイサンは駆けだした。
174
:
Awake 15話(1/14)
:2013/12/20(金) 23:10:52
――師匠!
「はっ」
――幻聴か……今は何時だろうか? 何時間も術で身体を拘束されているから既に感覚が
痺れてきている。
このままでは身体を傷付けられなくとも寒さも相まって身体全体が壊死してしまう。若
い頃ならいざ知らず、年老いたこの身体にはかなりの拷問だ。
覚醒したモーリスはドラキュラが眺めていた水晶球をぼやけた両眼で知覚し、少しの間目を向け
ると、それに気付いたドラキュラがまだ魂が肉体にあり、精神が消失してなかったモーリスの存在
に不快を感じ、皮肉を放った。
「気が付いたか? 貴様が無様に伸びて無ければ面白いものが見物出来たろうに……」
「……」
「如何在っても我と言葉を交わす気には為れぬか、残念な事だ、ボールドウィン。その点、貴様
の息子は我に対して友好的で在った」
――言葉を交わしたのか……ヒュー。何と愚かな事を。我等はどうあっても彼奴らのような弄
言する輩に口では克てぬと言うのに。
「貴様の息子が我と契約し、貴様が後継者と目したガキの父親と同じ状況に陥った様は見
物だった。あの時の操り人形と同じく人の狂気と言う物を、存分無く我に見せてくれた良
い玩具だった」
――ヒューよ……ネイサンの父親と同じ道を辿ったか。血気に逸った感情を利用されドラキュラと対峙
したその場で魔手に堕ち、一瞬前には共に戦っていた夫人を己が剣で切り刻んだあの男の
ように。
吸血され、錯乱したグレーブスを救うためには術者である真祖を塵に還すしか方法は無い。
無論、魔力だけで非力な彼女がグレーブスの攻撃を防げるはずもなく、儂もその間、ドラキュラの
攻撃を受け闘い、彼女を助ける事が出来なかった。
躊躇無く夫人を屠り尽くした後、儂に刃を向けるグレーブスの容赦無い攻撃を受け、何度も攻
撃を躱わすために仕方なく突進して来る彼の胸部を鉄靴で蹴り飛ばしながら防いでいた。
儂は、あの二人を助けることが出来なかった。心を最後まで救う事が叶わなかった。
175
:
Awake 15話(2/14)
:2013/12/20(金) 23:12:15
「親父。より強い力を求めて何が悪い。俺は親父のように仲間を己の力不足で死なせたく
は無い!」
力……退魔の能力は遥かにグレーブスが儂より上回っていた。そして、ヒューより高い矜持を有
し他者を見下すことにかけては、ヒューなど足元にも及ばないほど苛烈だった。
その彼が魔に堕した時、儂に吐いた言葉は未だに忘れる事は出来ない。
「グレーブス! 止めてくれ! お前……何という事を! 彼女はお前のために、お前の事を
常に思ってどれだけその身を焦がしていたと思っている!? その彼女をお前は……グァ
ッ!俺にまで剣を向けるのか!?」
「……ボールドウィン。貴様はその惰弱な憐憫の情を以って、どうやって幾人の者達を心から救
えることが出来た? 俺は力を誇示して言葉を尽くしても大勢の人間を助けても誰も……
俺に心を許してくれなかった!」
残忍な目付きでグレーブスは無残な姿で息絶えている夫人を一瞥し、まなじりに憎悪を醸し
出した皺を作りその視線をモーリスに向け微かに笑いながら言葉を続けた。
「……そこに転がっているその女も同様だ。俺の妻で俺の血を継ぐ息子もあるのに……そ
の女が貴様にだけは心から微笑んで俺を嘲笑う。だから消してやった!」
「誰もが貴様に対して心からの賞賛を与える。じゃあ俺は、俺は一体何のために無力な衆
愚共を救い続けているんだ!?」
――衆愚!? そんな事を思っていたら心を開く者も開く訳が無い。
当たり前じゃないか、同じ人間同士言葉を尽くさずとも感覚で判る。
「グレーブス……お前のその高すぎる矜持が己の身を焼き、己の心を自分自身の狂った陥穽に
嵌めて汚している事さえ気付かないのか……? 人の夫、人の父となっても己の事しか考
えられぬ者に真の賞賛を求める資格は無い!」
「言ったな貴様ぁああぁ――!!」
――実際、真の賞賛などというものは存在し得ない。それすらも感じる事が出来ないほど
不自由な心で生きていたのか……グレーブス……。
176
:
Awake 15話(3/14)
:2013/12/20(金) 23:13:17
――冬の波間の様に美しい灰銀のウェーブを靡かせた彼女が、寂寥漂う灰青の瞳を持つ青
年の永久凍土とも呼べるくらいに硬い猜疑心を融かしたと思っていたのに。
それに俺は二人と出会う前から妻がいた。その俺が何を好き好んで姦通を犯さねばならん
のか。
彼女の想いすらもこの男は平気で踏み躙るほど、己が愛された事を理解せず受け入れられ
なかったのか……
どうしようにも解決できない状況にモーリスは、吸血され術に堕ちたグレーブスを見て失望の念
を拭いきれず罵ろうとしたが、ふと先刻まで温かい血潮を巡らせ戦っていたグレーブス夫人の
無残な姿が視界に入った時、彼女がグレーブスに対してモーリスに吐露していた会話の内容が蘇っ
てきた。
あたかも彼女が哀れな夫のように怒りに任せて術に堕ちそうになった、たった一人の僚
友を全力で護り尽くすかのごとく。
――「ボールドウィンさん。あの人の言った事を許してあげてね」
――「あの人が他人を傷つけ遠ざけるのは、自分自身が大っ嫌いだからよ。でも自分自身
の所為じゃないのにずっと否定されてきたんだから、自分を守るためには仕方の無い事か
も知れない」
――「私も彼やあなたに会うまでそうだったんだから、言う資格は無いかもしれないけど、
自分の半身の様に思えてならないの。だから今まで大事にしなかった自分自身の心を繋ぎ
合わせるように愛しみたいから、あの人の傍に居るの。身勝手かしら?」
――「不器用だけど最近じゃ顔を赤らめながら花をくれたりするの。でもこの前は……う
ふふっ、ずっと茎を握り締めていたせいで花がクタクタになったのに気付くと、いつもの
調子で勝手に怒りはじめて勝手に悄気返っているの」
177
:
Awake 15話(4/14)
:2013/12/20(金) 23:13:55
――「おい! どうやったら泣き止むんだ? 何か苦しそうだぞ? 痛いのか? あ?
腹減ったのか?」
――「あらあら、どうあやして良いか分からないのね。貸して。お父さんが慌てたらます
ます不安になるわよ」
――「参ったな……お前には敵わないよ」
――「当然よ。今は私の手元にあるけど、いつかはあなたが全てを教えることになるのよ。
それまでは私の領分であって欲しいわ」
――そうだ! グレーブスは出会った頃とは違って彼女を心から愛し、息子のネイサンを慈しむ穏
やかな目で見ることが出来るほどまで人としての温かさが快復してきたのだ。
以前はそうだったとしても現在は違う。過去は過去だ。
しかし、覆い隠されたとはいえ本人の通ってきた道でもある、その欠片が一片たりとも残
っていないことなどあろうものか。
それを本人が望まぬとしても増幅させれば獣性が滲み出すのか!? 何と非道な!
「ドラキュラ……貴様だけは許さない。心の隅に眠る切片の記憶と感情を己の愉しみの為だけ
に弄り回して惑わせた貴様の罪は、煉獄に堕ちても漱がれる事は叶わぬと思え!!」
モーリスは歯を剥き出し、さながら狂犬のように己を屠ろうと待ち構えている血塗れの狂戦
士に――それも最も愛する者の血を浴びた外道と成り果てた僚友の姿を見やり、声になら
ぬ叫びを挙げて術者であるドラキュラに幾度と無く不死者を屠った聖鞭を向けた。
そして、度重なる疲労で充血した目から血涙のような濃い涙を流し、くぐもった声を出
しながら徐々に悲しみを帯びた唸り声を上げると、強大な異種の魔性に鞭を鋭く振るい挙
げた。
「何故己を害する者の為に涙を流す? 貴様自身の状況を考えればそんな余裕はあるまい
に。ククク……望むも望まぬも人の皮を被ったその狂戦士は貴様を消し去る迄、ありとあ
らゆる手段を駆使して屠る悦びを求め続けるぞ! そぉら如何した! 逃げろ、逃げろ!
無様に!クハハハハッ! 愉快だっ!」
178
:
Awake 15話(5/14)
:2013/12/20(金) 23:14:33
「ボールドウィン! 力の覇道の為に礎となれ! お前の力も合わされば誰も俺に冷笑をしない!
更なる力を! だから死ねぇええぇ――」
「来るな! グレーブス――! 俺はこの手でお前を塵に還したくない! 止めろ――」
だが、いくら大声で制止を促してもモーリスを攻撃する切っ先に微塵の躊躇も見られないグレ
ーブスの猛攻は、モーリスが鞭を振いグレーブスの身体に牽制程度に中てるなど、全ての力を防御に
注いでも、モーリスの正面ほとんどの致命傷となる部位の薄皮に血が滲むぐらい的確に捉えた。
そのため相手を殺害せずに解呪したいと考えていた自分の甘さに怒りを覚えると共に、救
う道を断たねばならない苦衷が心の中に溢れていた。
現に防御するため聖鞭を振うも既にグレーブスは灰青の眸から濁った灼眼――吸血された兆
候が出始めていた。その証拠に鞭が彼の体を掠る毎に硝煙の様な煙と回復しない傷が徐々
に増えていったからだ。
これでは剣技と膂力が勝っていても肉体の欠損により崩壊するのは明白である。モーリスがグ
レーブスを屠るのは時間の問題になってきた。
――肉体が崩壊しようとも、それでも立ち向かう狂気。俺は彼の心を救うことはできない
のか? なぜそんな笑みを湛え、快哉しながら俺を殺そうとする?
ラテン語聖句……駄目だろう、既に傷口が灰と化している。魔性の者になりつつある証し
だ。
と言って真祖に近づくとしても彼の攻撃を無視して突撃したら両者に嬲られる。
モーリスの胸中を知ってか知らずか、玉座より冷笑を眼下に向け両者の対決を真祖は眺めて
いた。
彼が防戦一方で苦しみ、グレーブスが残忍な笑みを向けながら血液が灰になっても攻撃し続
ける異常さに段々面白みを感じ始めたのか、ふてぶてしく両足を組み玉座の肘掛にもたれ
て両者の戦いを剣闘士の試合のごとく観戦し始めた。
「ほう……疾風の如き動きと其れとは反対に隙の無い剣捌きだ。此処まで均整が取れて居
るのは一種の芸術でも在る」
179
:
Awake 15話(6/14)
:2013/12/20(金) 23:16:10
しかも独りごち、批評まで行う始末。盤上の駒を弄んでいる感が見受けられた。モーリスの
耳朶に心ない科白が掠めると、怒りに震え落涙した。
――貴様の様な外道のためにこれ以上人々の命を落とさせてたまるか!
それからモーリスは己の置かれた立場に改めて絶望し、グレーブスと対峙しつつも今一度、許し
を乞うため夫人を見た。
「……済まない。俺には友を殺す事でしかこの世を救えないようだ。許してくれ」
小声で呟いた瞬時、グレーブスが剣をつがえモーリスに突進して来た所を聖鞭で彼の剣を絡めと
り攻撃する手段を失わせ、同時に対峙していたグレーブスの許から薄笑いを浮かべ観戦いてい
た真祖の玉座へ駆けあがった。
当然、血肉を求めていたグレーブスが攻撃の手を緩めるはずもなく、素手でモーリスの体に飛び
掛かって首筋を噛み切ろうとしたが、その気配にモーリスは彼の胸部に聖鞭を振り下ろし、玉
座に向かう階段から叩き落とした。
その一撃でグレーブスの行動が停止した。血と灰が混ざった奇妙な光景が眼下に広がったが、
微かに動いていたため死んではいないと確信したモーリスは、真祖と雌雄を決するため今度こ
そ一対一で対峙し闘争した――
「……終わった、やっと終わった……」
モーリスは真祖の消滅を確認してから糸が切れた様にその場にへたり込もうとしたとき、空
間全体に振動が走った。
「城の崩壊は案外早かったか」
心を奮い立たせ、ぐらつく足元をものともせずグレーブスを抱えて脱出しようと試みた。グ
レーブスを支えようと自分の肩に彼の腕を回しながら、玉座下の階段で息絶えているグレーブス
夫人を見た。
――今、グレーブスの体内から流れている血液に灰は見当たらない。多分、グレーブスの魂は人
の世に留まったと思う。安心して君は一足先に眠っていてくれ。父と子と聖霊の名におい
て。アーメン……
物言わぬ夫人の躯に別れを告げ、モーリスは意識が飛んだグレーブスを支えながら城外へと脱出
するため、歩みを進めた。
180
:
Awake 15話(7/14)
:2013/12/20(金) 23:17:07
やがて、脱出直後に入り口が押し潰されると、暗闇の中に崩壊した城を復活しないだろ
うかと確認しながらモーリスは、正気に戻ったかどうかわからないグレーブスの傷ついた身体を抱
えて城外へと向かった。
しばらくして焼ける臭いがした。振り向くと崩壊した城から燭蝋の火でも木材に燃え移
ったのだろう、小規模だが火の手が上がり空を朱に染めていた。
グレーブスの重みを感じてまた彼の夫人の事を考えたが、無数の瓦礫にガラスの破片が飛散
し完膚なきまでに崩壊した城を見て、グレーブス夫人の遺体は瓦礫に埋もれて押し潰されてい
るだろうとモーリスは想像した。
しかし、遺体の状態を確かめなければ村に戻って報告する際、ある程度損壊すべきかど
うか報告できなければパニックに陥った村人たちが自分達に何をするか分からない。
だから、一旦グレーブスを村へ置いた後、遺体を引き揚げようと考えた。
崩壊しながらもうもうとあがり続けた土煙がある程度おさまり、城跡が現れ始めた時に
振り向くと遠目で確認できるくらい離れていたが彼女の遺体はすぐに見つける事が出来た。
悪魔城の天守閣跡にグレーブスが贈った指輪を嵌めた白い手が瓦礫から突き出ていた。
モーリスはその状況に当初の目的を忘れてしまうほど動揺し、グレーブスを介抱しつつすぐさま
その場所に歩いていった。それから膝を付いてグレーブスの体を横向けにし、その場に寝かせ
ると夫人の手を取ってから彼女の名を呟いた。
手はもちろん冷たく、瓦礫もある程度遺体に堆積していたので生き返る事は最早ないと
考えた。それよりも一刻も早くグレーブスを村に連れ帰ろうと彼のもとに向かった。すると、
背後で咳込む音が聞こえた。グレーブスの意識が戻ったのだ。
「ブバッ……ゴボッ……ケハッ……はぁ……はぁ、く……る、し……い……あぁ、ボールドウ
ィン……俺は……? それに彼女は?」
――見たら忘れられないくらい酷い有様で息絶えていた彼女の状態を忘れたと言うのか?
記憶が混濁しているのか。無理もない、お前の心と体はほぼ死地に立っていたのだから、
おかしくなっても……それに、俺もどうかなりそうなくらい神経が張り詰めている。
意識を失っていたグレーブスは覚醒すると、いきなり大量に喀血して口角からとめどなく血
を流した。
181
:
Awake 15話(8/14)
:2013/12/20(金) 23:20:09
それから口中に溜まった血液がグレーブスの喉頭に浸入し、肺腑からの出血も相まって喉頭
に流れて詰まり呼吸が出来なくなり、やむなく意識が遠退くのを防いだと言った方が正し
いだろうか、いずれにしろ瀕死の重傷を負ったグレーブスが文字通り身を引き裂かれた苦痛を
伴う、ひと時の生を噛みしめる最後の機会を得ることが出来た。
もっとも、その生を安寧な状態で享受する事はグレーブスには許されなかったが。
モーリスは息も絶え絶えの姿で自分に向かって血塗れの手を差し出すグレーブスを見て、その手
を両手で強く握ると、生きる希望を持たせるために嘘を吐こうかどうか迷ったが、もし彼
女の遺体に浄化の裁定が下れば、グレーブスにとって最大の辱めを受けるだろうと予想した。
それにショックは小刻みに与えられた方がまだましだと思い、だが、簡潔に真実を述べ
るだけに留めようと努めた。
「死んだ」
と一言だけ重く。グレーブスは一瞬息を呑むように、たった数文字のこの世にあるもっとも
残酷であろう言葉を受け止めた。
「村に行こう。グレーブス」
「そう……だったな。愚かな俺が、愚かな感情を以って殺してしまったんだったな。全く
持って救い難いクソ野郎だよ、俺は」
モーリスはこれ以上の時間の経過と会話はグレーブスの命を縮めると判断し、外に繋いで置いた
馬に乗せるため背中を向け、抱え上げようと体を背けた。だが、
「目を背けるな、あんたはこんな……時でも言葉一つ掛けないんだな」
「違う。無意味な問答を続けるなら一刻も早く村へ急いだほうがいいと判断したからだ。
泥のように眠り、泣くのはここでする事ではない」
モーリス自身、酷い言葉を吐いていると心を痛めたが、言葉をかけると彼自身も心が折れそ
うになるので苦悶の表情を浮かべて己の心情を遮った。
「俺はここで死ぬ。もっとも彼女は天国ヘ……俺は真祖と共に煉獄へ直行だが」
「何を気弱な……馬鹿を言っている暇があったら俺の背に身体を預けろ」
182
:
Awake 15話(9/14)
:2013/12/20(金) 23:21:11
「フッ……胸骨の破片が皮膚を突き破っているこの姿を見てそう抜かすのなら、よっぽど
の阿呆だな。あんた」
グレーブスが自嘲するように軽く笑うと、血まみれの自身のコートを剥ぎシャツをおもむろ
にたくし上げた。モーリスは振り返ると近くに燃えている手頃な角材を松明にし、グレーブスの上
半身付近に翳した。
微かな明かりによってその無残な姿を確認すると、吐き気を催すのに数秒もかからなか
った。いや、その状態で話しながら表情を変えることの出来る姿に、恐怖と戦慄さえ覚え
たのが最大の理由かもしれない。
「うっ……俺のせいだ。俺が……お前を打擲し階段から叩き落としたから……」
「仕方ねぇよ。俺相手に手を抜いたらあんたは今頃この世にはいねぇ。自惚れんなよ。解
ったなら俺に末期の言い訳でも吐かせてくれ」
グレーブスは眉根と目頭に悲愁の漂う無数の皺を寄せながらも、喀血した血液を流しつつ口
角を緩ませ微笑した。その様は人としての生を全うするには歪な姿であったが、痛みに対
してグレーブスが尋常ならざる耐久力の持ち主であった事を改めてモーリスは思い知った。
本人の意思や、体の状態から、助かる見込みが全くないと判断したモーリスはグレーブスを抱き
かかえ、彼の夫人の所まで連れて行くと少しの間横に寝かせた。
それから、残された力で瓦礫を取り除き夫人の遺体の8割くらいを引き揚げた。8割と言
うのは膝から下は無残にも瓦礫によって潰され、見るも堪えないほど肉片が細切れになり
消失していたからだ。
しかし上半身はグレーブスが切り刻んだ痕以外は、埃に塗れていたとは言えほぼ無傷と言っ
ていいほど綺麗な姿で残っていた。
既に立って歩く事さえ叶わず、自らの力で座位を保てない状態まで弱ったグレーブスをその
まま冷たい地面に寝かせるのは可哀想だと思ったモーリスは、抱きかかえたままの態勢で地面
に腰を下ろした。
グレーブスは夫人の姿を横目で確認すると、震えながら片手の指を絡ませてその手を取り、
少し握りしめた後、握力が失血で奪われたのか、すぐに力なく冷たくなった手を取り落と
した。
183
:
Awake 15話(10/14)
:2013/12/20(金) 23:22:12
「ごめん。結局、君を幸せにするどころか俺は……君を殺しちまった。許さなくていい、
どうか、天国に行ったら俺の事なんて忘れて心穏やかに居てくれ。もう、力もしがらみも
全て、君を苦しめるものはないのだから……だから、口づけはしない。愛していても、俺
にはその資格がないから」
それからグレーブスは天を仰いで嘆息し、死に逝く者として惜別の情を吐露し始めた。
唯の人間であれば白目を剥き、喀血した血液が咽頭に逆流して呼吸もままならないが、
それでもすべて吐き出さないと安らかに逝けないと思ったのだろう。
「モーリス……。俺は力なんて要らなかった。もし出来得るなら平凡に生き、彼女に愛される
事に引け目を感じないで愛し、ネイサンを教え導きたかっ……ぐばっ……はぁはぁっ……普通
の家に生まれた俺だけに退魔の力があったせいで、家族共々奇異の目で見られバラバラに
なった……代々その能力を連綿と受け継ぎ、その状況を少なくとも一族だけが奇異としな
いあんたの環境が羨ましかった」
彼は痛みに耐えつつ今度はモーリスの手を震えながら握り胸元に引き寄せると、荒い息を常
人の様に弾ませて苦痛に満ち引き攣った笑顔を見せたが、その眼には清々しい輝きが宿っ
ていた。
「同時に俺と同じ力を持つ者と出会えた事がどんなに嬉しかったか。そして心からこんな
俺を愛してくれる彼女も……オブッ……グフッ……同じ力を持っていた事にどれだけの運
命を感じたか……」
そう言うと、グレーブスは再び夫人の手を取り、嵌めている指輪を確認するかのように彼女
の手に優しく触れた。そして、また咳込むと、大量に喀血し鮮血が大地に迸った。
「……ゼェゼェ……だが、この能力のせいでどこへ行っても風聞によって気味悪がられ、
まともな仕事を得ることさえ出来ず、食うに困って己が忌避している能力を嫌々ながら使
わざるを得なかった。だからその対価として……唯一無比の限りなき栄誉と賞賛が欲しか
った」
モーリスは悔恨を口にした彼の淀みない言葉に、今まで過ごしてきた時間を思い返すと自然
と双眸から涙が溢れた。
184
:
Awake 15話(11/14)
:2013/12/20(金) 23:26:36
「だけど、あんたや彼女と一緒に過ごした時間は、そんな葛藤や渇望をも忘れさせてくれ
る程とても幸福だった……僥倖を享けた自身が死ぬ事に未練は無い……心残りが無い訳で
はないが……その前に……」
グレーブスは瞠目し、ぎこちなくモーリスに微笑みかけると、一筋の涙を流して血でむせながら
も明朗な声音で懇願した。
「ありがとうモーリス。最後に人の心を取り戻してくれて……それから、済まないがネイサンを頼
む。愚かな俺のように、力だけで孤独に生き抜く事の無いよう教え導いて……くれ」
「グレーブス!?」
「……」
遺言を残したグレーブスは最後の言葉を紡いだ後、消え入る様に穏やかな相貌で逝った。そ
れでも温かい血が流れ続けていた。瞳孔を開いたまま絶命したグレーブスの遺体をモーリスはひし
と抱きしめ、次第に無念が込み上げると廃墟の真っただ中で咆哮した。
「……俺はお前達を助けられなかったんだ! 謝辞を言われる理由など無い――!」
魂はこの世にない、もう二度と照れ隠しのつもりで捻くれた表情をして言葉を発する皮
肉屋の声を聞く事が出来ないのは分っている、分かっていたが、それでもいつも一緒に戦
ってきた仲間を一度に失った悔しさと悲しみは、すぐに拭い去る事など出来る筈もなかっ
た。
「起きてくれ! 目を……っ、覚ましてくれぇー! お前まで逝ったら誰があの子に能力
を引き出させる事が出来るんだ!?」
モーリスは心ならずも力を求道しなければ己の精神の均衡が保てなかった僚友と、力を持ち
ながら共に生き、愚かなまでの抱擁を是とした僚友の妻の生き様に、言い様の無い空虚と
憐憫を以って生き残った己の道を思い、どの様な声を出して泣いているのかさえ分らない
くらい哭いた。
――こんな道を残された子供達に歩ませていいのか? 俺は……強制したくは無い。
だが、俺達のような力を持っている者がこの世にどれだけ居ると思っている? 人の力だ
けで解決できない事態を見過ごして一時の安寧を得たとしても、後悔だけが残るだろう。
グレーブスは力など要らないと言った。
185
:
Awake 15話(12/14)
:2013/12/20(金) 23:29:29
「ならば力を持つ意味を模索し己の物として体得するのが途では無いのか?」
――子供達……ヒューなどは既に一族の中で成人した者でも負けている者すら居るくらい、退
魔の能力と状況判断の的確さを持っている。
しかし、本当に諸手を挙げて喜んでいいのか? グレーブスのように己が与えられた力を考え
ぬままに使い、自壊して行く道に陥るのではないか――?
――案の定ヒューは嗣子として生きることのみに執着し、己が持ちし能力をあたかも息を吐く
ように存在する事が当然だと考えていた。
嗣子として生きるのも一つの道ではあろう。現に父は自分に誇りと嗣業に矜持を持つよう
儂が物心付いた頃より自身が死ぬまでずっと言い続けてきた。
それから言ったらヒューは嗣業には矜持を持っているだろう。だが彼自身に誇りと自我は微塵
も無い。あるのは他者に取り縋り己が何者かであることを他者の目から見て確認し、その
レールに乗って生きるだけの人形のような生だ。それも相手に対して優秀にこなす人形だ。
それが故に取り返しの付かない事になるまで見抜けなかった。だがそれを儂が指摘したと
してもその望む通りに振舞うだろう。それでは駄目だ。また自分の足で立つ事に遠のいて
しまう。
だからあえて突き放した。己の道に選択を与えるために、思考の結果、職業を放棄しても
いいように。そして職業として選んだ場合は上に立つだけでなく、ネイサンが負ってきた役割
も卒無くこなせる様になってもらいたかったから。
いや、儂自身が同じ職業を選択した我が子の死に様を見たくなかっただけかもしれない。
幸運にも遺児のネイサンは儂と性質が同じだった様なので、あらかたグレーブスの遺言を履行でき
たみたいだが、ヒューの根底は儂と同じ性質を持ちながらも、攻撃の性質は力を飽く事無く欲
したグレーブスと同じであった――
186
:
Awake 15話(13/14)
:2013/12/20(金) 23:30:03
覚醒しても一言も発せず、自分を見ている生贄に神経を逆なでられた真祖は、苛立ちを
顕わにした。
「忌々しい奴だ、貴様は」
「……」
「我の復活の妨げを一度ならず二度までも人間風情が見る事が出来ようとは。何か言え」
真祖は自分に一度打ち勝った人間が無関心なさまに不快を表し、怒りのままに片手で首
を絞めた。
一方、対話する気など一切なかったモーリスだったが、首の関節がミシミシと音を立てられ
るくらい人の膂力では太刀打ちできない力で首を締め上げられ、痛みを与えられた事に恐
怖を感じて、半ば懇願するかのように質問を絞り出した。
「ウグッ……放せっ、はぁっ、カハッ……何故、貴様は己の意思にかかわらず復活する事
を是とし、受け入れる?」
「誹謗するか命乞いするかと思えば質問を投げ掛けるとは無作法な。此れだから下賎の民
は躾が成って無いと言われるのだ。だが、この城に来てから初めて貴様が我に興味を向け
たのに免じて許してやる」
口角を歪ませニヤリと笑い絞める力を緩めると今度は、モーリスの顎を指で掴みグイと面前
に近づけ呪詛を吐くかのように、だが、淀まぬ口調で彼に答えた。
「我にはもう現世に於いて領土と、それに付随する臣民と呼べる者は持ち合せて居らぬ。
しかし魔たる彼等、闇を求める人間はその我を心から要求し、我の願いと憎悪を叶えよう
としてくれる。我の為に動いてくれる新たな臣民の求めに応えるのは領主たる者の務めだ
からだ」
――愚答だな。死人と認識しているのにも拘らず、この世にでしゃばる愚を冒すほど未練
たらしい生き様は無い。
「……これ以上儂が貴様と問答する理由はないな」
「……ほう、今ので我の総てが解ったとでも?」
187
:
Awake 15話(14/14)
:2013/12/20(金) 23:31:53
「貴様の知った事ではない」
「尊大で無礼な奴だ。感情と思考を己の胸中に秘め置いて、他人の問いに答えぬとは」
「……」
「また、沈黙するか。臆病も其処まで来れば寡黙や厳格と謂われるだろうな。だが、貴様
は十年前我を恐れて口も利けぬ程、震えて居たでは無いか」
実際は怒りに震えてモーリスはドラキュラと対峙していたが、その光景すらも相手を弄する糧と
なす浅ましさに、言葉には出さずとも心の中で色をなしてさまざまな言葉をもって中傷し
ていた。
「……」
「フン……まぁ良かろう。貴様と我の力の差は歴然として居るのは疑い様の無い事実。術
で拘束されて居る其の身で何を言うたとしても、我の復活の為の生贄と言う事には相違無
い」
「……」
――発言せず心で聖句を繰り返し、正気を保っている儂を簡単に贄として消費できるか?
いや、されて堪るか。グレーブス達が生命を賭してくれたおかげで生き残ったこの命を、最も
憎むべき相手に捧げて無為に失う事は、彼等から託された総ての未来を消し去ってしまう
事になる。今出来る事は儂が魔手に落ちない事、ただ一点のみだ。
モーリスはドラキュラを鋭い眼光で睨みながら一言も発せず対峙する事に決めた。
188
:
Awake 16話(1/11)
:2013/12/21(土) 06:28:59
「くっ……階段が途中で切れていて移動するにも往生する」
ヒューはブツブツと不平をぼやきつつ痛む足を庇いながら、それなりに息急き切って駆け、
ネイサンより先に儀式の間へ辿り着いた。
――悔しいが俺がこの状態で戦うのは自殺行為と解りきっている、ならせめて邪魔者を排
除するくらいは出来るだろう。どこまで持つか判らないがネイサンと真祖の戦いに雑魚如きが
乱入して堪るか。
彼は殆どのキリスト者が効力を認識できる原始キリスト教の印「☧」を、儀式の間に通
じる扉に聖水を浸した布で塗りつけた。
効果はすぐに現れた。主を護ろうと突進してくる蝙蝠などがその扉に触れるたび消失し
ていったからだ。それを確かめた数分後、ネイサンが儀式の間へと駆けて来ると、その足音を
聞きつけヒューは心配させないよう儀式の間の扉周辺から姿を隠した。
ネイサンは扉の印とその周辺に散乱している蝙蝠の血と肉片を見て、彼より早くヒューが来た
事が分かって目で姿を探したが「早く行け、親父をいや、師匠を助けてくれ…頼んだぞ」
とヒューが彼に膝を折り懇願したことが過ぎり、一瞬にして彼に対する深慮の念は消え失せた。
ネイサンが儀式の間へと進んだ事を確認したヒューは「☧」の記された扉を開き、群がる蝙蝠
や下級の魔物の侵入を素早く遮断するため、スケルトンの腕が挟まっていようと躊躇無く
其の骨が粉砕される軋んだ音を発して力任せに扉を閉めた。
「頑張れよ、ネイサン。頼むから俺のように対峙したドラキュラの弄言と甘言に惑わされないでく
れ」
だが、扉を閉める際にコウモリや有翼の魔物が一気に入り込んできた。物言わぬ彼らだ
が怒りの表情でヒュー目掛けて一斉に飛び掛かってきた。
189
:
Awake 16話(2/11)
:2013/12/21(土) 06:30:08
「畜生! 大切な者を守るのに必死なのはお前らとて一緒か。ならばこの円陣の効力に耐
え、キリエからのミサ曲を最後までその姿を保ったまま聴き通せるかやってみろ! 砕け
散れっ! 何!?」
咄嗟にヒューが退魔のための白い魔方陣を出現させると、一気に室内に入り込んだ魔物が
蒸発し跡形もなく焼失した。
「今頃力が戻るなぞ……フフ……ハハハ」
消失し、床に白煙が薄く辺り一面に漂っている様子を見て、自分がいつも発現させてい
た力を取り戻したのを歓喜したと同時に、畏れを感じ体が震えてきた。
――おかしい、誰かのために動こうと思い始めたばかりなのに、何故このような事が起こ
ったんだ? カーミラが消失した上、洗脳が解けたから力を取り戻したのか?
「そうか、やっと棘が消えたか……だが、ネイサン相手に無様な戦い方をしたのは否定できな
いな」
ヒューはふと儀式の間の上、モーリスが拘束されている部屋の辺りを見た。
「今なら解る。俺の状態がどうあってもお前を信じ意地を張らずに一緒に戦っていたのな
ら、カーミラなんぞに負ける事も時間を無駄にする事もなかったな、間違いなく」
軽く笑いながら自嘲し、真祖が放つ濃厚な魔力が消えうせる時を待つ事にした。
ネイサンが最後であろう青白い扉の前へ来た時、背後で軋む音を響かせながら入口の扉が閉
まる音がした。
その音を聞き背後で彼が守ってくれているのに心安くなった。そして――
両親を殺した敵であり今まさに恩義ある育ての親を生贄として拘束し、その糧で世界を
力で支配し弱者を虐げんとする真祖ドラキュラを打ち倒して、封印するべく儀式の間の奥の扉
を粛々と開いた。
190
:
Awake 16話(3/11)
:2013/12/21(土) 06:31:47
「師匠……!」
――ネイサン……一人か? やはりヒューは魔手に堕ちた後、死んでしまったのか。予想してい
た事とは言え辛い……我が子が自分より先に逝く不幸を味わうとは何たる試練か。
モーリスは覚醒して初めて聞く、扉の開く音に希望と絶望の入り混じった、澱の溜る様な重
い感覚に心臓が早鐘を打ち始めた。
「よくここまで辿り着いたな、若僧。フッ。」
「師匠!」
ネイサンはモーリスが柱に拘束され憔悴し、衰弱したのが判るほどぐったりとしている様を見て、
一気に逆上した。
「ちょうど良い。儀式にふさわしい時も訪れた。」
その表情をドラキュラは嘲る様に含み笑いをしながら言葉を発した。それから口角を歪ませ
モーリスの方へ視線を投げかけた後、力の陥穽へと誘うマジックアイテムを全て付与したネイサン
を見て漲る力が溢れる姿を確認すると、その力を取り込みたいと欲した。
「貴様も我が血肉と化してやろう。」
「そうはさせるか! 師匠!大丈夫ですか、師匠!」
己に向けられた侮蔑を意に介さずネイサンは叩きつける様に反発し、モーリスの身を案じた。
「うるわしき師弟愛か。だが誤魔化すな。」
すぐ縄を解くために近づこうとしたが、真祖の間合いに入ってしまう事に気付いたため、
歯噛みする様な感情を湧かせつつその場で真祖と対峙せざるを得なかった。
その姿を真祖は小馬鹿にし、願望を叶えるような口調で軽く彼の心を誘った。
「貴様も持っているはず。心の闇をな…。」
「なんだと!?」
「全ての上に立ちたい、手柄を独り占めしたい…。」
「!」
――またか、そんな甘言通りの事なんて俺は望んでいない。目の前の師匠を助け、お前を
倒したら終わりだ。
191
:
Awake 16話(4/11)
:2013/12/21(土) 06:32:44
「…愛情を独占したい…仲間を蹴落としたいとは思わぬのか?」
「……」
「貴様の友人は思っていたぞ…。」
――確かに、ヒューはそうだったかも知れない。だけど、それは他人が口にしていい種類の
言葉じゃない。
「我はその闇を増幅し、力を与えてやったのだ。」
大仰に声を抑揚させ、それをあたかも人の感情全てを読み取り、実現させる事が出来た
と言い放った真祖の力にネイサンの心は震え恐れたが、他者を虫や獣かの様に認識し、興味本
位で足や羽をもぐような残酷な子供と対峙しているようだった。
ただの魔物なら一笑に伏すだけだろうが、強大な魔力を有している真祖であれば殆どの
生物に対する生殺奪与の権を簡単に握れる状況を作り出せる事に、改めてこの眼前の敵は
この世のためにあってはならない存在だと激しく嫌悪した。
「貴様っ!!人の心をもて遊ぶとは!許さない!」
内容に迎合や共感を一切覚えず、ネイサンの心の中は憤りだけが広がった。
愛する者を踏みにじり、弄び、その命を軽んじる魔王に鉄槌を与え、煉獄へ叩き落とさ
なければこの世は地獄と化す――若きハンターの双肩にかかった最終決戦はここに始まっ
た。
――師匠。この仇敵を煉獄に送り返したら、皆で生き延びた事を分かち合いましょう!
そう心で宣言するや否や、真祖の体が光の柱に覆われ蝙蝠がその周りを纏った。刹那、
一瞬にしてネイサンの眼前に立ちはだかり手を翳すと蝙蝠が飛びだして来たが、その攻撃には
俊敏さと威圧が見られなかった。
無数の蝙蝠は真祖を覆っているものの、召喚した蝙蝠の数は躱し、攻撃するだけで消滅
できるくらい少なかったからだ。
――今まで戦ってきた魔物や駒に比べると攻撃の質が劣っている。どう言う事だ?
すると、いきなり電流を纏った大量の蝙蝠が不規則な軌道を描いて急襲して来た。
192
:
Awake 16話(5/11)
:2013/12/21(土) 06:33:34
「今までの攻撃は、目晦ましだったのか!」
とは言え、注意するのはその攻撃だけだと踏んだ。カーミラのように幻覚を出すでもなく、
攻撃範囲もダメージを与える場所を考えるまでもなく、ドラキュラの巨大な体に当てるだけで
傷口から灰が毀れるだけだった。
――これが仇敵の力なのか? 否、師匠はドラキュラとの戦いは一度きりではなかったと言っ
ていた。なら、真の姿を晒すまで攻撃の手を緩めなければいい。
無駄なダメージを受けないよう機械的に淡々と遠隔攻撃を躱し、本体に当て続けた。
そのような攻撃をされても真祖は真の力を発揮することなく、やがて、その場に崩れる
ように蹲った。
倒したのかとネイサンは半信半疑で後ずさったが、眼光をぎらつかせていたため諦念を感じ
られなかった。不運にもその予測は的中した。
「力を…完全な力を…。」
無数の攻撃を受け、灰を撒き散らしながら蹲ったドラキュラは、倒したかどうかも分からず
不安な貌で近づけないネイサンを見てふてぶてしくニヤリと微かに笑うと、自らの体を粉々に
崩壊させた瞬間、大きな光の柱を出現させ灰とともにその中に吸い込まれていった。
「なに!?」
「奴を追え!逃がしてはならん!グッ…。」
「!!」
ドラキュラが消えたと同時にそのゲートから今まで以上の魔力の放出を感じたネイサンは、ドラキ
ュラが人間の世界における外皮を生贄にして自分に有利なフィールドを開いたと、モーリスが怒
鳴るようにネイサンに指示をするまでもなく察知していた。
魔力の放出は戸外で待機していたヒューも感じ取り、開くかどうかは分からないが、身体
はある程度回復してきたのでネイサンをサポートするために儀式の間の深部に駆け出した。
もちろん、ドラキュラ自身はすでにそのフィールドにいなかったため、難なく青白い扉はヒュ
ーの侵入を受け入れた。
193
:
Awake 16話(6/11)
:2013/12/21(土) 06:34:55
それから一気に室内に駆け込み、目視してから状況を把握すると、モーリスを拘束していた
縄を解き、すぐにヒューは彼の体を支えてネイサンの補佐より脱出の準備を図った。
「歩けるか? 親父」
「……ゆっくりとなら」
「それで十分だ。脱出しよう」
「師匠……」
「親父の事は俺に任せろ。お前は奴を追え!」
「…わかった。二人は先に脱出しててくれ。」
足が縺れながらも歩行できるくらいの体力がモーリスに残っていると確認できたヒューは、こ
の状況において真祖と戦える体力が残っているネイサンに望みを託すような大声で声をかけた。
声をかけられ、扉の外でいつでも踏み込めるよう待機していたヒューの存在にネイサンは安堵
を感じたが、二人がこの城を脱出する道中で接敵しても逃げられるのだろうかと考えると、
不安になって言葉を詰まらせた。
だが逆に自分に自信を持った顔で微笑んでくれるヒューの強がりに縋る他はないと、静か
にその願いを聞いた。
「奴を倒し、必ず戻って来い。」
「ヒュー」
ヒューは自分とモーリスの背中を見ながら扉まで不安そうに見つめているネイサンに、今は自分た
ちより真祖を打倒することが先決だと、それから、戻ってきた時には彼の恋情に対する答
えを出しておくつもりで待っていると、顔を赤らめながら言葉を紡いだ。
ネイサンは何故顔を赤らめたかは意味が取れなかったものの、自分に対して笑顔を向け、優
しく「必ず戻って来い」言われたことに喜びを覚え、それから人の世の命運を託された事
で再び真祖と対峙する勇気が溢れてきた。
194
:
Awake 16話(7/11)
:2013/12/21(土) 06:36:08
四肢に軋みを感じつつも城内から脱出するためにヒューはモーリスを支え、介抱しながら歩み
を進めていた。
城内は拘束される前と変わらず、生温かい血の匂いを漂わせたような瘴気に包まれてい
たが、モーリスは死んだと思っていた息子が憔悴しきっていた自分のもとに駆けつけ、また共
に生きてこの世に留まれた事に安堵し、僥倖を感じていた。
だが、少しでも気を抜けば意識が飛びそうなくらい魔力を吸い取られていた。しかし、
教会へ報告するまでは意識を保たなければならないと考えたモーリスは、自分が意識を失って
いる間、何があったのかを聞きながら状況の整理をしようと思った。
ハンターは討伐後に宿泊している土地の教会へ赴き、大まかにだが報告しなければなら
ない以上、時間が許す限り情報を集め内容を纏めておく必要があった。
「ヒュー、お前はネイサンと一緒にいたのではなかったのか?」
いきなりそう問われ、これから答える内容に自分の恥部を詳らかにせねばならない事を
察知したヒューは言葉を詰まらせながら、だが、簡潔に答えようと努めた。
「穴に落とされた後、足を挫いたネイサンに早く城から出るよう言ってから、そのまま置き去
りにして探索していた」
「初めから共闘していなかったのか……自ら戦力を縮小するとは、馬鹿な事を……」
「ああ、本当に馬鹿だったよ。それから、ヴァチカンの査問審議に掛けられたら一発で破
門される状態に陥った」
「やはり真祖の魔手に堕ちたのか……」
「……そうだ。しかもご丁寧に真祖のいる儀式の間の鍵の番人にさせられて。正気に戻し
たのがネイサンだった」
軽くヒューが笑ったのを見てモーリスは少し様子が変わった事に気が付いた。正気になったと
言う事はネイサンに敗北したのは確実で、自分が一対一の戦闘においては格下と思っていた相
手に打ち負かされたのである。それをいい意味でも悪い意味でも自尊心の高いヒューが、他
人に対して客観的に話せる心理を見せたのが腑に落ちなかったからだ。
195
:
Awake 16話(8/11)
:2013/12/21(土) 06:36:42
「しかし、膂力はお前の方が上だろう? それは儂も認めるところだが」
「いくら力があっても周りを把握できず使う道を間違えれば、砂上の楼閣のように水をぶ
っ掛けるだけで崩れてしまう物だ。あいつは少しの力で物が壊れるポイントを最適な方法
を用いて的確に突くって事を知っているから、俺の弱点をことごとく破壊できた」
「ほう」
モーリスは心の中で感嘆した。ただ一度の敗北で人はここまで変るものかと。やがて、門を
出て城外へと続く吊り橋まで出た。そこから正面を向けば数刻前に血のような瘴気を漂わ
せる城を眺めた森が見えてきた。見据えた後、また二人は歩を進めた。
その間、ヒューはモーリスの感嘆に満ち、目を丸くし驚いた顔を見て、逆に面食らった様な表
情をして報告を続けた。
「今回は特殊だったがネイサンが俺にラテン語聖句を掛けながら、俺の通常攻撃範囲すれすれ
で確実に打撃を与えていたから、俺の攻撃の本領である遠隔攻撃を殆ど喰らう事無く余裕
を持って倒す事が出来た」
「他人の存在に縋るのではなく認める事がお前に出来るとは……いやはや」
「何か言ったか?」
「いや、こっちを向いて見ろ。ふむ……犬歯は針のように尖ってはいないな」
「ふわっ! 止めてくれ」
モーリスは橋を渡りきった後、森の入口で立ち止まり、眼前の息子の口中におもむろに指を
差し入れた。
急に口腔内を観察された事にヒューは驚いたが、しばらくなすがままに任せていた。
「それから紛れも無く晴眼だ。ここ数ヶ月見たことの無かった澄み切った目だ。本当に解
呪された人間の目だ」
「……そう言われると何か面映いな」
「よく……生きて戻ってきた。生きていてくれてありがとう……ありが……とう」
「親……父?」
196
:
Awake 16話(9/11)
:2013/12/21(土) 06:37:51
再度、生き延びられた喜びに目を潤ませながらヒューを抱きしめたモーリスだったが、安堵で半
分糸が切れたかのようにヒューの体から崩れ落ち、その場で腰を下ろした。ヒューもまた、つら
れて傾れ込むかのように一緒に座った。
「すまん、歩いているだけでも辛いらしい。横になってお前と話をしていいか?」
「ああ、それより目を閉じて寝ていたほうがいいぞ」
「それは出来ない、儂は見届けねばならんのだ。城が崩壊し、消滅する希望と恩寵を。だ
が陽光が時間になっても射さない時には希望は消え失せ、儂が命を賭してグレーブスの遺児
の骸を踏み越え力及ばずも戦うだろう」
「親父……言うな、それ以上言葉を続けないでくれ。それに何故俺を先兵として奴の元へ
向かわせない? 親子としての情で俺を見ているのならお門違いだ、それとも同業者とし
て俺はそんなに信用できないのか」
数刻前に敵の術中に落ち、仲間に刃を向けた自分が言える筋合いではないと理解してい
たが、苦痛と疲労が見える年老いた父の姿を前にして、予測でも想像したくないと思い咄
嗟にヒューは口にした。
モーリスはヒューが自分に言っている言葉と状況に矛盾を感じたのか段々顔を赤らめ、目を伏
せながら尻すぼみになって行くのを聞いて一瞬微かに笑ったものの、すぐに厳しい表情に
戻してから答えた。
「そうではない。少しでも力のある方に回復させる時間を持たせるのが優先だと思ったか
らだ。だが、儂やネイサンが力を与えるような事態になったらその時は……ヒュー、お前が我等を
彼奴に渡さぬよう生きていても聖剣で刺し貫け」
「……以前の俺なら『判っている』と躊躇なく受けただろう。だが人の情の温かさを思い
知った今の俺にその言質は酷過ぎる」
「だからこそ徒に軽々しく力に恃み、死に急ぐ言動を儂は忌避したのだ。己と他人の生命
を軽んずる事は力と自己の存続の諦念に他ならない」
197
:
Awake 16話(10/11)
:2013/12/21(土) 06:38:34
モーリスはヒューの相貌が徐々に青ざめ、自分から目線を逸らして口もとを震わせながら怯え
ている様に気づいたものの、念を押す心持で言葉を続けた。
「それにそんな事態になったらお前とて……分かるな?」
「ああ。奴と対峙した後に身体の機能が奪われた場合、身体が貪られようとする事態に陥
る前に、意識があるうちに……自裁する」
「そうだ。しかしキリスト者として自ら命を絶つ事は背徳者、排教者の汚名を着る事にな
る。お前の魂は煉獄に入る事も、人の世界に留まる事も許されない辺土の住人となる」
話をしている内に寂寥と悲しみが込み上げてきたヒューは、仰向けで空を見ながら生き延
びた息子と数刻後に起こる悲観的な予測を語る父親の胸に静かにうつ伏し、子供の様に滂
沱の涙を流しながら自分の途と宿命をこの時、初めて呪った。
「そんな事、死ぬほど聞かされたと言うのに……親父。俺、今死ぬ事とあんたやネイサンが居
なくなる話をしただけで震えているんだ。死んだらあんた達の魂と一緒に居る事は出来な
い。孤高ではない、一人ぼっちで存在と概念は永久に許されない者になってしまう恐怖に」
「泣け。今まで流せなかった涙を思う存分流せ。己の無力を自覚し改めて他者と交わり、
人間としての力を死ぬその時まで構築し続ける土壌と気概を心の中に準備出来るまで」
表情の見えない息子の涙を感じながら、モーリスは咽び泣く嗚咽が途切れるまで彼の頭を撫
で続けた。その仕草にヒューはただ「済まなかった」と何度も嗚咽の合間に漏らした。
己の不安定さゆえに、徒に死なせたくなかったモーリスの苦悩と決断を言葉ではなく肌で感
じ、余計な理屈や言い回しをされずとも、最も信頼している二人から愛されていた事に心
からの感謝と、謝罪をささげずには居られない心境になったからだ。
モーリスはふと、頭を撫でながら唐突にヒューに尋ねた。
「お前、他の世界を見る気はあるか?」
意外な言葉を投げかけられ、一瞬ヒューは戸惑って顔を上げると、己の立ち位置をもう一
度確認するかのように懐疑的な口調で聞き返した。
198
:
Awake 16話(11/11)
:2013/12/21(土) 06:40:07
「おかしな事を言う。俺が今この職を放棄したとして何が出来る?」
「お前はまだ若い。職人の徒弟としては年が行き過ぎているとしても、どこに出しても恥
ずかしく無いくらいの教養は与えたつもりだ。幸いスコットランドの殆どの大学は宗派に
関係なく門戸が開かれている、お前さえ望めば……視野を広げるために学問の世界に身を
投じても遅すぎる事はあるまい」
今度は自分が今まで考えた事すらなかった提案を出され、ヒューは少々面食らい自分の希
望とこれまでの経緯を踏まえた予測を絡め、意見を出した。
「止してくれ。もし、そうなったとしても今のままの俺では学資の無駄になるのは目に見
えている。身近な者からさえ学ぶ事を軽んじていた人間が、他人に混じって急に求道する
事など出来ようものか」
――嫌だ、まだあんたに教えてもらいたい事がいっぱいある。ネイサンからも学ばなければい
けない事がいっぱいある。教えを請う事は問題ない。だが、一緒に居るなら告解のような
俺への想いを答えにして導き出さないといけない。断るにしても熟考しなければ。それに、
もし承諾したとして受け入れられるのだろうか? 性愛も含めて。前よりは嫌悪を感じな
いのは事実だが、今は判らない。でも、状況が想いを決めるのは確実だろう。
「それに、折角伸ばした髪も切らないといけなくなる。ハイランドではともかく、大学へ
行くにはこれでは野蛮人の姿だからな」
変化を望んでいない事を訴え、自嘲するように髪に触れた。
「だけど俺の処置は親父、あんたが決めてくれ。またしても己の所在を人に委ねる愚かさ
は百も承知だ。それに、職業としての適性だけは、俺の希望だけで判断できる物ではない
と思うから」
「……解った。ただし、儂の決定に従う事を約束できるか?」
「ああ」
暗闇の中に浮かぶ月輪が風に流された黒い雲に覆われた。二人の会話は途切れ、奇跡と
恩寵を待った。
199
:
Awake 17話(1/7)
:2013/12/22(日) 21:12:03
「何だ……この荒れ果てた世界は?」
光のゲートに入るとすぐさま伝承や、聖書に記されているような地獄と思しき異世界が
ネイサンの視界に広がった。
だが、伝聞と伝承と違うのはその大地に立ち辺りを見渡しても、死者の魂どころかそこ
に居るはずの悪魔すらいない奇怪な場所であったからだ。
何度も流され凝固した血の様に赤黒く、暗澹たる邪悪としか思えないような瘴気が空一
面を覆い、山も河もなく、どこまでも果てしなく続く荒漠たる大地がネイサンを出迎えた。
そして、その空には邪眼の様に二重の円を以って浮かぶ禍々しい紅月があった。
その周りをプロミネンスが覆い、輪郭となしていた。その他にも中空に浮かび、開眼し
た目玉が張り付いている岩はあったが、ただ、それだけがこの世界の変化だった。
やがて、その空間に巨大な悪魔が歪みながら出現した。
儀式の間で対峙した血色の無い傲岸な貴族の出で立ちとは違い、全ての吸血鬼の真祖と
呼ぶに相応しい存在となったドラキュラである。
全身を鋼鉄のような筋肉で形成された外殻に覆われ、その肉体は鈍い紫紺に光り、巨大
な蝙蝠の羽を両翼にしてはためかせた姿は、まさに異界の魔物そのものであった。
「くくく……」
「!?」
「良い場所であろう? 此れが我の望み、我以外の存在が消滅した世界だ。実現すれば、
総ての者が死ぬ苦しみも、生きるが故の処々の煩わしさを味合わずに済む」
その荒唐無稽な願望を耳にした瞬間、ネイサンは心の奥底から絶望と恐怖、そして虚無が去
来した。
――ただ、全ての存在を消すためだけに、この城にその糧となる生贄を誘い込み、弄んだ
と言うのか。馬鹿馬鹿しい! 人の心と体を玩具のように弄んだ外道に相応しく、存在の
消滅と言う鉄槌を打ちつけてやる!
200
:
Awake 17話(2/7)
:2013/12/22(日) 21:13:41
「鬱陶しい御託を並べるな! だったら、その言質の通り貴様が消滅しろ!」
「……小僧! 来い! この期に及んで言など弄さん。貴様の力、我に見せよ!」
ドラキュラが両腕を動かしその体が発光すると、瞬時に轟音が響きわたり空から無数の隕石
が落下して来た。
天空から降り注いでくる無数の隕石はネイサンの体ぐらいの大きさがあった。その上、速度
を付けて落下してくる物体が地面に激突し、大地を抉った衝撃で広範囲にわたって砂埃が
立ち昇った。
――あんなものに当たって押し潰されたら身が持たないぞ!
心中で震えながら攻撃の方法を探し逃げ回っていたが、目測を見誤り隕石に押し潰され
た。
抉り込む前に後ろへ飛び退いたが、それでも内臓を圧迫され攻撃のタイミングをずらさ
れた。
――痛たた……っ。これほどまでの威力、何度も食らったら命が幾つあっても足りない。
皮膚が焼けている。歩くだけでヒリヒリする。
隕石が回転して摩擦した後の傷を見て、真祖の力を垣間見た。
しばらくすると隕石の落下はおさまったが、たった一度の攻撃を受けただけで、冷水を
浴びせたように冷や汗が出るくらい戦慄した。
――まずは体に当てないと話にならない。試しに遠隔攻撃でダメージを見てみよう。
ネイサンはクロスをドラキュラの外殻に投げつけたが、ダメージを受け体液が迸るわけでも抵抗
する訳でもなく、むしろ攻撃が透過して投擲武器を無駄にする形となった。
「まるでカーミラみたいだ。本体のみに攻撃しないとダメージを受けないのか? でも、その
本体はどこだ?」
そう考え、また全体を観察した。前に攻撃を受けた時には気づかなかったが、今度は両
肩が発光した後、腹部が裂け、その中から内臓が抉り出されるかのように禍々しく大きい
目玉が現れた。
201
:
Awake 17話(3/7)
:2013/12/22(日) 21:14:45
そして、血走った眼球から身を切り裂くぐらいの威力を持つ光線が発現し、己を狙い大
地に無数の光が照射してきた。
光線と言いっても、目で追えるほど範囲が狭かったので逃げおおせる事は出来たが、光
線が通過した後はその熱量で炎が発生し、何もない大地は劫火の如く燃え盛っていた。
――鋼の様な筋肉の中から現れたのが魔力を掌る本体か。直接間合いに入れば一蹴される
のは目に見える。さっきの様な攻撃を何度も食らうなんて耐えられない。
だけどあの攻撃は広範囲じゃない。隕石が来たら全力で逃げおおせるとして問題は、どこ
で攻撃を与えるかだ。
彼は目玉の位置から少しずれて、側方に回ってから攻撃したらどうかと考えた。真祖は
体を動かす事なく攻撃を繰り出しているのを、二度目の攻撃で把握し確信したからだ。
――自分を囮に使って攻撃している隙に後方へ回り攻撃するか。そのかわり隕石が降り注
いできた時は全力で逃げ切る。
そう結論付け、攻撃と防御を開始した。
だが、そこからが至難の技だった。攻撃しようにも隕石は何度も落とされ、逃げるしか
なく、いつ隕石に接触してもおかしくない状況だった。
その他にも毒の泡が自分に纏わりついてきたので、泡を取り除くのに必死で攻撃どころ
ではなかった。
光線を繰り出す攻撃は中々繰り出して来ず、攻撃の機会はその間に絞られていた。
それでも与えられたチャンスを無駄にする事なく、攻勢をかけていたため攻撃を殆ど受
ける事なく着々と力を削って行った。
やがて、真祖の肉体に変化の兆しが現れた。外殻の色が鈍い紫紺から、毒を含んだ死体
が腐食する前のような気味の悪い薄暗い緑青に変化をした。
すると、今まで見た事がないパターンの攻撃を繰り出してきた。
目玉を隠し、腹部が固く閉じられると巨大な両手を広げて前に翳し、全身が光を帯びて
発光したと同時に、巨体とは思えないような速さでネイサン目がけてワープしてきた。
202
:
Awake 17話(4/7)
:2013/12/22(日) 21:16:30
身構えたが急襲されて攻撃の種類が見極められず、ネイサンの体は巨体に巻き込まれて全身
の骨が軋む音がするほど激しく引き摺られた後、盛大に吹き飛ばされた。
「うわぁぁぁぁぁ――!?」
――何だこれは! 何だこれは! 何だこれは! 一気に骨が砕けたように痛む!
空中に放り出され、なす術もなく無様に岩だらけの大地に勢い強く叩きつけられた。
あまりにも激しい力を受け、その場に這いつくばったが、体勢を立て直すためすぐに立
ち上がろうとした。
だが、一瞬にして関節に痛みが走ると、バランスを崩してまた大地に倒れ込んだ。
その上、落下した衝撃で一気に口中がズタズタに切れて吐血し、一撃で全身を打ち据え
られた痛みが心に戦慄を植え付けた。その状況に一瞬にして全身が粟立ち、寒気が走った。
「がはっ……ぐぁ……ぁっ」
――強い、力そのものを凝縮した存在だ。だけど永遠に光が射さない地が存在しないよう
に、人の世に不変の力なんて存在してはいけないんだ。
「……ぐぶっ、はぁ……はぁ、でも、戦わないと、何も変わらない!」
力強く叫んでも孤独は心の中に広がった――戦い、そして斃れても責められるべき肉体
が消滅したら、人々が己を罵倒し、怨み、嘆いても声は魂には届かない。
それでも、自分自身として生きるため、愛する人たちを守るため、今度こそ城内には仲
間は誰一人としていない、孤独な戦いを制するために心を奮い立たせた。
突撃された後、もう一度同じような攻撃が来たら空へ逃げようと構えていたが、いつの
間にか巨大な体が一瞬にして消散し、どこからともなく現れた大量の蝙蝠が固まって飛び
交っていた。
「何だ? あれは?」
よく見ると、蝙蝠が固まっている中心に巨大な目玉が浮遊していた。
「真祖の核……?」
――姿が不安定だ。もしかすると力が保てないくらいの打撃を与える事が出来たのか!
もうじき消滅する兆しなのか……? それなら、この痛みも、恐怖も解放される時は近い。
神よ。今一度の恩寵をお与えください!
203
:
Awake 17話(5/7)
:2013/12/22(日) 21:17:40
「今度こそ、貴様を煉獄に叩きこんでやる! 消え失せろ!」
真祖の核に直接攻撃を加えるにしても、蝙蝠の群れが邪魔をして打撃を与えられないな
ら、いつも通り投擲武器で弾数を稼ぎ、数が費えても攻撃を受けない限り直接攻撃が出来
る隙を見つけ確実に叩く。
それに突撃した時に腹部の肉は開く事はないので逃げる事に専念する。普通に飛び越える
だけでは防げないが、手に入れた人外の力で天空へと飛び上がれば真祖に接触する事はま
ずないだろう。
――よもや自分が俺を惑わすために与えた力によって対峙される所まで追い詰められると
は思ってもみなかっただろう。
厄介なのは目玉にまとわりついている蝙蝠が、自分に向かってバラバラに突進してくる
ことだけだった。
蝙蝠を掃討するためにクロスを投げたところ血を吹き出しながら消散したため、蝙蝠の
姿が黒く変化して真祖の幻影が現れるまで、投擲武器を繰り出した後に聖鞭で攻撃し続け
た。
だが、すでに限界以上の体力と気力を使い果たしたせいで、何度か蝙蝠の突撃を避けき
れず鋭い歯牙で血を貪られるようにその身を食われたが、ここまで身体を変化させられな
いほど魔力が低下したドラキュラに対し、攻撃されてももはや必要以上に怯むことはなかった。
やがて、一夜の闘争に終焉の時が訪れる瞬間がやってきた。
幾度となく大きく聖鞭を振るい続けると、ようやく蝙蝠を巻き込みながら、真祖の核が
血と肉片を撒き散らして大地に叩き落とされた。
しばらくの間、果実が割れたような姿で核は血液を流出させながら細かく痙攣していた
が、ネイサンはその場にたどり着くと、躊躇なく核を踏み潰しその場に大量の血が飛散した。
瞬時に強大な魔性の幻影が現れると、大地を大きく揺らしがなら靄が晴れるようにその
姿がゆっくりと消え失せた。
204
:
Awake 17話(6/7)
:2013/12/22(日) 21:18:30
それから直ぐに空間全体に白く強い光が発現した。その清浄な光に「これで終わったの
だ」とネイサンは静かに目を瞑ったが、数秒して瞼に感じる光が軽減した頃に目を開けた時、
儀式の間にその身体はあった。
そして眼前には灰と腐臭を放ちながら凝固しかけた血液を止めどもなく体中から垂れ流
しているドラキュラの姿があった。
だが、対峙しても魔力を全て削がれたドラキュラの無残な姿に、もはや何も思うことはなか
った。ただあったのは両親、そして仲間二人のことだけだった。
――父さん、母さん。敵を取ったよ……師匠、そしてヒュー。みんなで生き残れたんだ。俺
達は再び人の世に光を取り戻したんだ。
「無駄だ。我は滅びることは無い。」
カーミラが消滅した時のように消滅することに何ら抵抗を見せないドラキュラの様子を見て、ネイ
サンは強大な魔力を持っていた不死者に再び底知れぬ恐怖を感じた。
魔王ドラキュラの復活を待ちわびる魔性と人間はいつの時代にも存在し、その度に復活させ
られているのを思うと、その意味を理解した。
「余を求めている者の血の叫び、心の中の闇の叫びにより、何度でも目覚め蘇る」
「そのときには、また俺たちがいる。…安心して消えるがいい。」
――哀れな。死者の復活は復活した者のみが責められるものじゃない。世の潮流が人の心
を蝕み、闇を求めるものだとすれば俺達だけでは対処しようがない。永遠の命題だ。
彼は不敵な面構えで笑みを浮かべながら、陽炎のようにゆっくりと揺らめき消失してい
く真祖の姿を眺め、同情とも不安とも付かないような奇妙な感情で仇敵が消滅するまで対
峙した。
そして――
205
:
Awake 17話(7/7)
:2013/12/22(日) 21:23:13
「!?」
ドラキュラが消滅した瞬間、転倒するくらい強い地鳴りが起こった。彼は戦闘の疲労や余韻
など物ともせず生き延びるため、生き残るため至る所が崩落していく恐怖に慄きながら崩
壊していく城から脱出した。
無数の瓦礫が頭上より降り注ぎ落下してくる。
城内の構造が崩落によって変化し、脱出ルートが分からなくなってきた。それでも駆け
るのをやめれば瓦礫に押しつぶされるのは明白。城内の生温かい瘴気が薄れ、冬の冷たい
外気の割合が増えてくるまで彼は脱出ルートを見落とさないよう眼球から涙があふれてく
るくらい見開いて疾走した。
やがて城門に出て吊り橋を渡りきると森へと抜けた。そして、息急き駆けてきた先には
疲労感が漂う表情をしながらも、毅然とした態度で迎えている二人がいた。
「師匠! ヒュー!」
朝焼けに照らされた二人は青年の声と姿を認めると、様々な想いが込み上げて来て何時
しか双眸が潤み始めた。
「おかえり……。神よ、我らに恩寵と奇跡を与えられた事を心より感謝いたします」
モーリスとヒューはネイサンに駆け寄ると、お互いに彼を支えあう様に抱きしめた。
そして、宿敵を打倒し生還した事を心の底から祝い、誰一人欠ける事なく生き延びられ
た喜びに胸を詰まらせながら抱き合うと、ネイサンは微かな嗚咽を漏らしながら滂沱の涙を流
し続けた。
206
:
Awake 18話(1/10)
:2013/12/23(月) 02:35:24
再び地鳴りが辺り一面に轟くと、三人は音のした方に目を向けた。
ネイサンは二人から離れてから体を視線の先に向けた。討伐前の状況と重ね合わせて感慨深く
その様を崩壊する悪魔城を見つめながら、しばらく無言で冷たくも心地よい風に頬を、体
中を撫でられる清々しさを感じていた。
やがて、峡谷の孤島から悪魔城は完全に瓦解し瓦礫の山と化すと、すぐに大量の灰とな
り一瞬にして風に攫われ消滅した。
再びネイサンが後ろを見るとモーリスは疲労困憊の表情をさらに険しくし、脂汗をかいて唇を引
き締めていた。
「師匠、大丈夫ですか?」
「ネイサンか。ありがとう。よくやった。」
立っているのもやっとの様だったが、耐えるように自分を見据えているモーリスの様子にネイ
サンはそれ以上声をかけられず、ただ粛々と師の言葉を受けるしかなかった。
「…一人前のハンターとして成長したな。」
モーリスは改めてネイサンの精悍な姿を見て、亡きグレーブス夫妻の遺児をひとかどのハンターと
して育て上げた事に充足を感じた。
そして――魔手に一度は絡め捕られたものの、晴眼を以って生還した我が子に希望と期
待を見出し、言葉を紡いだ。
「ヒュー。お前にも礼を言おう。だがお前は、もう一度修行をやり直しだぞ。」
「わかっているよ、親父。生まれ変わった気分で鍛え直してやるさ。」
――本当に、いいのか? 本当に……
一瞬モーリスから睨めつけるような視線を感じたが、ヒューは微かに笑った父親の表情を見逃
さなかった。
柔和な表情を見せたモーリスの姿に安堵し、また三人で歩む事を許された事に気づくと神に
感謝するとともに、朝陽を浴び精悍さが漂う姿を持って生還したネイサンの存在に心が高鳴る
と、他者を愛すれども神の教えと人の世には背き、戦いの中で愛を囁いた者と共に悲しき
想いを抱え生きる事を決意した。
207
:
Awake 18話(2/10)
:2013/12/23(月) 02:36:19
――俺達の想いが白日の下に晒され罪を得ても、お前のためなら罪人の名を帯びよう。
お前はずっと俺の事を思って言い出せずに居たのだから。
惰弱を払拭し、他人のために誰も成し得なかった事を成功させたお前を、俺は心から愛し
たいと願った。
世間では罪であろう。だが、強く人から愛される事は決して悪い感情じゃない。俺自身の
足りない所を埋められるのはお前だけだ。だからお前の想いに応えたい――
「よお、ネイサン。ちょっとでもたるんだところを見せたら、いつでも代ってやるからな。」
ヒューは対面しているネイサンの前に拳を握った腕を差し出すと強い口調で宣言した。
それに対しネイサンは己に腕を差し出すよう求めている事に気づき、お互いの対面に腕を絡
ませた。
するとヒューはモーリスに聞こえない程度の小声でネイサンに覚悟の程を訊ね、諒解を求めた。
「……もしそうなっても気後れすることなく、お前に俺が御せるか?」
「え……本気で言っているのか……?」
「こんな事、お前以外に誰に言う? 改めて訊こう。俺と共に生きてくれるか?」
ネイサンは一気に顔と言わず、全身が紅潮したように熱くなった。冬の冷気が一瞬にして全
身を駆け巡る血潮の熱によって感じられなくなるほどに――これは夢ではないのかと己に
かけられた言葉に何度も疑念を持ったが、絡ませた腕の感触は現実だった。
「望むところだ!ヒュー!」
朝日を浴び然りと自信に満ちた笑みを持って対峙するヒューの様子に、ネイサンは嬉しさの余
り破顔し、やっと自分が生きて帰った事を実感出来た。
208
:
Awake 18話(3/10)
:2013/12/23(月) 02:37:07
空を覆っていた薄暗い瘴気を朝焼けが溶かすと、モーリスは報告するため滞在している村に
向かって歩を進めた。
「さて、瘴気が晴れたところで報告に戻るとするか。御者が森の入口で痺れを切らして待
っている頃だろう」
「親父……報告を任せていいのか? そんな状態では途中で力尽きるだろうから、俺達二
人で……」
「でしゃばるな。お前が儂の体を気遣ってそのような事を言うのは分かる。だが、報告者
としての責務を果たさねばならないのは分かっているだろう? そのためにお前から状況
を聞いたのだ。分かったのなら訊かれない限り口を噤んでおけ」
「……悪かった」
そう言ってからしばらく無言のまま歩き、馬車が待っている場所へとたどり着いた。
御者は三人の姿を見ると一気に破顔し喜びの言葉をまくし立てると、それを見た三人は疲
れた顔を見せながらも柔和な表情で御者を労った後、馬車に乗り込み、報告の擦り合わせ
を行った。
その頃、一昼夜、魔族と闘いながら夜警をしていた町の男たちが、魔物の姿を見なくな
って一刻、真祖の消滅を感じつつも三人のハンターが無事に戻って来ることを期待して、
今か今かと手の空いた者が町の郊外で胸を弾ませながら待っていた。
しばらくして、町人の一人が蹄鉄の響きが街に近づいてくるのに気付くと、隣に声をか
けた。
「おい、馬が走って来る音がしたぞ。双眼鏡で見てみろよ」
「お、おう……ん! 帰ってきた。馬車が帰ってきたぞ! それに御者が笑いながら馬を
御している! ハンターたちの姿も見える!」
「やった! どんより雲が無くなったのはやっぱり倒したからだ!」
209
:
Awake 18話(4/10)
:2013/12/23(月) 02:37:51
「司祭様たちを呼んでくる! おーい! 馬車が戻ってきた! 吸血鬼を倒したんだ!」
「あの者たちに神の御加護があらん事を。多大なる恩寵あらん事を。父と子と聖霊の名に
おいて……あぁ、喜ばしや、一夜にして脅威を取り除く業を生きて見られるとは……」
町にいた男たちや起こされた町の人間が次々と郊外に集まりだし、護られた事を確認し
合うとその場で歓声を上げてお互いに腕を組んで踊り回った。
「旦那方が! 旦那方が悪魔を倒した! 生きて帰ってきたぞー!」
御者が郊外の人だかりを見ると大声で叫び、人々に馬を御しながらもう一方の手を大き
く振った。
その声を聞いて群衆はまた興奮し、盛大な歓声をより大きく上げ空気が割れるくらい轟
いた。
やがて、到着した馬車が郊外の人混みに囲まれ、人々は英雄の姿が現れるのを今か今か
と押し合いへし合いして心待ちにしていた。
「……これは」
モーリスが馬車から下りて群衆を見てその光景に驚き、弟子二人はここまで歓待された事が
無かったせいか、ただまごついて言葉が出ない様子だった。
三人が地面に降り立った時、重厚で豪奢な典礼衣を身に纏い、群衆の先頭にいた修道司
祭と修道士が膝を折り、祈る格好で頭を垂れていた。
同時に彼らに倣って群衆が同じ格好で彼らを出迎えた。
その様にまた驚き、三人は頭を上げるよう頼んだが司祭は「礼を述べるまではこの格好
を許して下さい」と言って崩さなかった。
「貴方がたは我々だけでなく、近隣の町や、いいえ国すらも守り通したのです。これくら
いの虚礼など大した事ではございません。それに他のハンターとは違って必要なもの以外
は何も要求してこなかった。それだけでも我々は貴方がたに信を置いて感謝の意を表すの
は当然と考えているのです」
「司祭……」
「それに、お疲れのところ心苦しいですが、貴方がたはすぐにでもこの町の聖堂に赴き、
報告の義務を果たさなければならない。功労者に無体な事を言っているのも分かっていま
す。ですが、今から御同行願えますかな?」
210
:
Awake 18話(5/10)
:2013/12/23(月) 02:38:42
「無論です」
モーリスは誠実な人々を少し騙すような報告をする事に心を痛めたが、わざわざ瑕疵を広が
す事もないだろうと敢えて追及されない限りは口を噤もうと思った。
「汝らに、父と子と聖霊の名において祝福をせん。アーメン」
「アーメン」
司祭が十字を切ると人々もそれに倣って三人に祈りを捧げた。
三人は歓声を上げ、祝福の言葉を投げかける熱狂冷めやらぬ人々に見送られながら、司
祭と共にこの町の修道院内にある聖堂へと足を進めた。
聖堂に入るとすぐさま扉は内側から閉じられ、静謐が支配する空間が一気に広がり空気
が張りつめた。全員、祭壇に祈りを捧げた後、司祭は祭壇に向かい、修道士数人が祭壇の
両側を背にして三人と対面した。
「本来こういった規模の討伐であれば司教が諮問するのですが、今回は特殊な例でしたの
で司教、修道院長代理として司祭の私が担当させていただきます」
組織として認知はすれども状況は内密に。という事だろう。実際、一部の聖職者やハン
ター以外は真祖が復活したとは知らないのだから、この対応は当たり前の措置である。
知っているハンターも、漏らせば自分たちが倒せないのに尻尾を巻いて逃げている事の
証左になるので、恥知らずな者でない限り口外する事もないだろう。
町人が誰一人として討伐後も伝承の真祖の名をあげていないことから、情報管制はある
程度敷かれているのは明白で、もし漏れてもヴァチカン側は情報を握りつぶす事ぐらい容
易にできた。
それにエクソシストの司祭が滞在地に選んだこの土地は、穏健なカトリックの信徒で形
成されているため、信徒である三人にとってはギスギスした雰囲気をほとんど感じない静
かな町だった。
先ほどまで熱烈に彼らを取り囲んでいた人々が聖堂前で大人しく待っている事に安堵し、
間違っても信徒の暴動など起こらなさそうなのが三人にとって救いである。
211
:
Awake 18話(6/10)
:2013/12/23(月) 02:39:23
「では始めます。汝、マウリシウス、父と子と聖霊の名において虚偽の無きよう聖書に手を触れ
宣誓されよ」
ラテン語で司祭がモーリスに対し宣誓の儀を執った。
町は穏やかでも聖職者の諮問内容が苛烈で無いとは限らない。三人は固唾を飲んで質問を
待った。
だが――
「……これにて諮問は終了とする。答弁に瑕疵を認められず、様態も不審な点が見られぬ。
諸兄弟よ、この者に不明な点があれば発言されよ」
「内容に瑕疵認められず。精神、身体も悪魔に侵食された形跡を認めず」
「同じく」
諮問は厳しいものではなく、むしろ概要を訊ねられただけで半刻もかからなかったので
ある。
すっかり拍子抜けした弟子二人だったが、平静を保ちながら答えていたモーリスもまた心境
は二人と同じであった。
だが、最後の関門を突破した訳ではない。聖別された物をこの身に当てられる儀式が残
っていたからだ。
聖体拝領や交わりの儀で司祭が、ワインに少し浸したホスチア(聖餅)を三人の口に含
ませた。
ネイサンはこれで皮膚が焼け、その音と煙が発生し、拒絶する行動が見られれば間違いなく
ヴァチカンに召喚されるだろうと内心、震え慄いていた。
――敵の手に落ちたヒュー、生贄にされかかった師匠、魔が残した爪痕が肉体に現れはしな
いだろうか? 分からない。だけど神よ、生き延びた喜びを俺から奪わないでください。
その懸念は二人とも感じていた。しかし、三人ともホスチアを拝領した時に何の変化も
見当たらなかった。
奇跡だ、聖寵だと思った。
212
:
Awake 18話(7/10)
:2013/12/23(月) 02:40:01
三人はその状況に心から喜び破顔しかけ小躍りしたい気持ちになったが、儀式の妨げと
なるような行為をすべきでないと興奮を静めた。
そして、最後の交唱を聖職者側と共に唱え全ての儀式が終わった。
モーリスは概要のみで済み、修道司祭が内容を詳らかに聞くことがなかったのは、過程はど
うあれ、三人が生きて帰って来た事と、言質の取れない予測だが、エクソシストの司祭
――いや、本来はただの司祭ではなく司祭枢機卿の手回しもあったのだろうと考えた。
ともあれ、最後の関門を通過したことで息子と、恩義ある僚友の遺児の事を思い、今度
は誰一人欠けることなく生還できた事実を噛みしめた。
それから、祭壇から歩み出た修道司祭に促された三人は、翼廊近くの身廊まで来ると、
彼の合図で聖堂の門扉が一気に開いた。
開扉した所から徐々に陽の光が差し込んで来た。白亜の身廊を一直線に照らすと、彼ら
の足許まで光の道が煌々と広がった。
その眩しく皓々たるさまは、人々の脅威を取り除いた英雄の前途を指し示しているよう
な清浄さに満ちていた。
そして、外に出ると報告の際にはざわめきながらも大人しく待っていた人々も、彼らの
姿を見た途端、割れんばかりの歓声を上げた。
三人はその様に嬉しくなり、疲れた体と心が癒されるようで握手を求められたらそれに
応え、修道院の前に止めていた馬車までの距離は短くても人々の輪が集い、囲まれ、歩み
は遅々として進まなかったが、馬車に乗り込んでからもその声は聞こえていた。
「師匠、人の喜びはどんな時に見ても心穏やかにするものですね……」
「その通りだ。儂等はどんなに忌み嫌われ、名誉が得られずとも人の世がある限り、魔を
打ち払い続けるだろう」
「ですが、教会で報告した内容で本当にいいのでしょうか? 実際、師匠やヒューが魔手に
落ちかけたとはいえ、お二人の話を詳しく聞けば聞くほど魔性との密な接触を許している
のは明白です。取り様によってはヴァチカン側からの召喚も免れないかと」
213
:
Awake 18話(8/10)
:2013/12/23(月) 02:41:05
――そして俺自身も。
最功労者であるネイサンが、神や世間、もっとも裏切ってはならないモーリスに対して背信行為
をしているのは自分自身でも理解している、そう思っても、己の倫理に照らしそれらも含
め尋ねずにはいられなかった。
「お前は魔を討伐できるようになったが、職業人としてのハンターにしてはまだまだ甘い
所があるな」
職業人としてのハンターと区別した意味でモーリスから論を聞いたことが無かったネイサンが訝
しげな表情をして質問した事に、モーリスは諭すように答えた。
「プロであれば過程はどうであれ、相手とこちら側、第三者に対して結果より大きい瑕疵
が無ければ内容を真正直に晒す必要などない。より大きな信用を得たければ口を噤むのは
決して忌避される事ではないぞ」
「師匠。結果はどうであれ、己の名誉と成果のために過程を欺き通すのは、今まで培って
きた力と信用を放り投げるようにしか思えないのです。俺の考えは間違っているのでしょ
うか?」
不安げにモーリスを見る視線に真っ直ぐさが見えると、その清純さに心が清々しくなる心地
がした。
「いや、その考えは間違いではない。確かに己の力を把握せず戦い方も工夫出来ないうち
に己を偽り過大もしくは過少に見せる事は、他者だけではなく自分に対して物事を不明に
してしまう虞がある。偶然とはいえ荒療治だったが、今度の事でお前たちは状況によって
は無力になる事を理解してそこから立て直しを図り、結果を出せる術を身に付けたのだ。
それは己の能力に金銭と価値を生み出せた事を意味する。お前はもっと己の能力と価値に
自信を持って動け」
二人のやり取りをじっと静かに見ていたヒューは、ネイサンが自分より重鈍だが堅固な土台を
もって仕事に対し堅実なスタンスで臨んでいる事を理解し、改めて己が生き急いで他者の
理解を強引に得ようとした傲慢さを恥じた。
214
:
Awake 18話(9/10)
:2013/12/23(月) 02:42:05
――同じ仕事をしているのに俺は嗣子として期待され、なまじ年齢より高い力を持ってい
たが故に目が眩み、認められたいがため早く名声を得たい一心で穴だらけの不完全な意識
で物事に臨んでしまっていた。
考えを聞いたらますます人生を共有したい同志はお前以外には考えられなくなったじゃな
いか。
軽く頷きヒューは目をつむって微笑んだが、モーリスはこの場に参加している弟子として彼に
も目下の目標を与えた。
「何を以って笑うのかは知らんが、お前は逆に他者と交わり独善を薄めろ。それまでは仕
事でも私事でも突出する事は許さん。角を矯めよ」
今まさに自分がそう生きようと思い始めた所に、父親から見透かされた様に言われた事
で恥ずかしさのあまり顔を赤らめてしまった。
「……善処する」
「……いい加減、意見を受け入れる事に素直になれ。父子であるから許される事でも他人
であればとっくに愛想を尽かされる態度だ。もっとも、他人に対しては意見された事に表
層的に従い、相手が望む表情で首肯する狡さがあるから性質が悪い。だが、身内に対して
は前より殻に閉じこもらず解りやすい態度で対面するから、本当は嬉しかったりする」
「真顔で言うなよ、恥ずかしい」
「ふ、そう照れるな」
「ばっ……親父! な、な、何を!」
「ははははは」
モーリスが面白半分にからかっている状況に、ヒューは居心地悪そうに頭を掻いていたが、ネイサ
ンは助け舟を出すかのように話を変えてヒューに問いかけた。
「ところで、帰ったら何をしようか」
「俺とお前の立場は逆転したが、それでもいつもの様に日々を進めるだけだ」
215
:
Awake 18話(10/10)
:2013/12/23(月) 02:43:16
そう言ったヒューの表情は捻じくれた嫌味のあるものではなく、日の光が差すような温かい
微笑を持った柔和な顔付きだった。
それを見たネイサンは改めて何もかもが元に戻ったと思った。ヒューが見せた静かな笑顔に、
遠い少年の日にカルパチア山脈の朝日に照らされ、顔を赤らめながら見つめるほど綺麗で
慈愛に満ちた笑顔を持つ少年だった頃のヒューの姿が重なった。
――少し状況は違うけどな。お前の心が側にある、それだけで日々の姿が違って見えてく
るから不思議なものだ。
「そうか……そう思うなら有難い」
「俺は何があっても、立ち止まらないぞ。生きている限りな。手伝えよ? ネイサン」
「もちろんだ――ありがとう……」
ふと、意図せずにネイサンは小声で呟き、自分の愛した人の姿を見て幻想ではなく実際に存
在し手に入れた上、共に生きられる事に多大なる喜びと幸せを感じずにはいられなかった。
――帰ろう、故郷へ。二度とこんな危機が起こらないよう祈りながら――
一行は逗留地に戻り、数日かけて荷物をまとめた後、一路、フランスへ向かい故郷を目
指し、帰途に着いた。
彼等がこの後どうなったのかは判らない……ただ、公的な記録にその戦いと功績は残さ
れていないため、その足跡は後人に辿られる事はなかった。
――End
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