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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

617Ken:2020/03/30(月) 10:07:23 ID:AN9ePMUI
>基準05などはあくまでも「これできちんと説明できるのだ」と称して提出された「特定のひとつの理論」に対して適用して、その「特定のひとつの理論」が科学的に妥当なものかどうかをスクリーニングするための基準です。

もちろんです。そして私は、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という「特定のひとつの理論」が基準05でどう判定されるのか、をお尋ねしています。

618diamonds8888x:2020/04/04(土) 18:22:36 ID:Qix9q/lA
「そのような大多数の人の立場に立って、」という前提条件の意味がわかりませんが?
[>>616]はその前提条件が意味がないことを説明しています。

619Ken:2020/04/04(土) 22:13:00 ID:AN9ePMUI
意味がないということはないでしょう。
私は、観察事実にもとづいた理論を問題にしているのですから。

(1)光には粒子としての性質がある
 観察事実:光は直進する(音のように障害物の背後に廻り込まない)
 観察事実:光は真空中を伝わる
ゆえに
 理論X1:光は粒子である

(2)光には波動としての性質がある
 観察事実:光は屈折する
 観察事実:光は交差する
ゆえに
 理論X2:光は波動である

ゆえに、理論X1と理論X2を合わせて

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という結論を出すのは無意味ですか?
そんなことはないでしょう。

なかにはdiamonds8888xさんが言われるように、粒子としての、または波動としての性質のみがあると考えた人がいたかもしれません。でもそれは一部の人で、両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。そういう人の立場に立って、理論Xを基準05で判定してみてください。

620diamonds8888x:2020/04/06(月) 05:39:06 ID:Qix9q/lA
>>619
>なかにはdiamonds8888xさんが言われるように、粒子としての、または波動としての性質のみがあると考えた人がいたかもしれません。でもそれは一部の人で、両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。そういう人の立場に立って、理論Xを基準05で判定してみてください。

 「両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。」は事実ですか?

 という問いも、今は仮定の話だからどうでもいいですが。答えは決まってるけどね。

 大多数だろうが、一部の天才だろうが、「両方の性質があると考えた人」というのはつまりは「3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を古い常識に過ぎないとして否定したのですよ。

621Ken:2020/04/06(月) 23:30:06 ID:AN9ePMUI
・・・どうしても3条件に納得がゆきませんか?

(1)光粒子説を示す事実がある
(2)光波動説を示す事実がある
(3)粒子と波動は背反関係という理論がある

前にも言いましたが、3条件の1つでも否定する見解が多数の支持を集めれば、そこで光の正体論争は決着したはずなのです。そうならなかったのは、3つのどれも否定できない人が多かったからとは考えられませんか?

否定できたと主張した人でも、本当に堅牢な、たとえば今の私たちが地動説を支持するほどの根拠をもって、否定したとは思えません。それほどの根拠があれば、必ず大多数の人を納得させたはずです。


もう少し具体的に、個別の条件を説明します。

(1)光粒子説を否定できるか?
できません。何よりも光が真空を伝わることが決定的でしょう。私自身は19世紀の場の理論でも媒質問題を解決できないと思いますが、18世紀には場の理論もありませんでした。波動とは質量と弾性をもつ物質が力を伝える現象で、真空を伝わるはずがありません。

(2)光波動説を否定できるか?
これもできません。光同士が交差するのは決定的です。あらゆる所であらゆる方向に飛んでる光がもし粒子なら、衝突して目に映る映像が乱れるはずです。あるいは粒子密度が極端に低いと、衝突の確率も低くなるかもしれませんが、それなら映像の解像度が低下するでしょう。

(3)背反関係を否定できるか?
17世紀のガリレオ、ニュートン、ホイヘンス、フック以来構築されてきた力学体系は、広汎な現象を説明し、何よりも事実を正確に予測し、また工学応用されて、大砲、時計、楽器、船舶、すでに出現していた蒸気機関などの製作に貢献していました。その力学体系によれば粒子と波動は全く異なる現象でした。もし両者の背反関係を否定したいと考えても、どういう理論を構築すればそんなことができるのか、何の具体案もありませんでした。

以上のように、3条件のどれも否定できないという前提のもとで、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

を基準05で判定することはできませんか?

622diamonds8888x:2020/04/13(月) 05:41:02 ID:Qix9q/lA
>>621
> 前にも言いましたが、3条件の1つでも否定する見解が多数の支持を集めれば、そこで光の正体論争は決着したはずなのです。

 決着など着かない方が普通なのに、何言ってるのか意味不明です。
 現代でも、普通の進化理論とクリエイター理論との決着はついていないんでしょ? 一定の人々の心のなかではね。

>そうならなかったのは、3つのどれも否定できない人が多かったからとは考えられませんか?

 そりゃあ、一人の人の心のなかでは粒子説と波動説との間で揺れていた人は多いでしょうね。でも、粒子説は(2)の事実を粒子として説明しようとしていたし、波動説は(1)を波動として説明しようとしていたはずです。もちろん、それらの説明がなかなか苦しいものだったかも知れません。苦しくなくて万人が納得するものであったならば、おっしゃるとおりすぐに決着したはずでしょうからね。
 それは単に、万人が納得する理論ができなかった、というだけです。つまり、光の正体は不明であった、というだけのことです。

> 以上のように、3条件のどれも否定できないという前提のもとで、

> 理論X:光は粒子であり、かつ波動である

> を基準05で判定することはできませんか?

 [>>605,>>609]参照のこと。この前提なら違反するので非科学的理論です。
 そして「だから3条件のどれかは間違っているはずだ」というのが論理的推論になります。

 [>>620]をちゃんと、じっくりと、考えましたか?
> 大多数だろうが、一部の天才だろうが、「両方の性質があると考えた人」というのはつまりは「3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を古い常識に過ぎないとして否定したのですよ。

623Ken:2020/04/13(月) 23:11:18 ID:AN9ePMUI
まず、決着しない論争が続いたのは、一般に「専門家」と称される人々のあいだで、進化理論とクリエイター理論の決着がつかない「一定の人々」ではありません。専門家の論争が続いたことはアジモフも語っていますし、diamonds8888xさんが紹介された文献(たとえばwww.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf)からも明らかです。

>粒子説は(2)の事実を粒子として説明しようとしていたし、波動説は(1)を波動として説明しようとしていたはずです。

「説明しようとした」だけで、説明できたとは思えません。そもそも、なぜ、おっしゃるような「苦しい」説明を試みねばならなかったのでしょうか? 光が真空を伝わる事象は粒子として解釈すれば、苦しくもなんともない、すっきりした説明になりますし、交差する現象を波動として解釈するのも同様です。つまり、観察事象を説明するなら、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という主張が最もストレートではありませんか。なぜ、その理論が多くの研究者に支持されて、論争が決着しなかったとお考えですか?

考えられる理由は1つ。粒子であることと波動であることは、¬PとP、理論Xが基準05に違反するからではないのですか?

基準05の内容を明確に明らかにするために、どうしてもこの点に「YES」または「NO」で答えていただかねばなりません。

624diamonds8888x:2020/04/16(木) 05:51:58 ID:Qix9q/lA
>>623
>という主張が最もストレートではありませんか。

 そうかも知れませんね。でも17世紀の常識には反していたわけです。素直に考えれば最もストレートな理論でも、常識に反するがゆえに受け入れ難かったというのが19世紀以前の科学の歴史上の事実ですよね。

>なぜ、その理論が多くの研究者に支持されて、論争が決着しなかったとお考えですか?

 史実では決着しなかった、という認識ですね? で、決着しなかった理由を訊いている質問なのですよね?

>考えられる理由は1つ。粒子であることと波動であることは、¬PとP、理論Xが基準05に違反するからではないのですか?

 そうですよ。「YES」だと何度も書いていますよ。[>>622,>>605,>>609]参照のこと。
 基準05に従えば「3条件のどれかは間違っているはず」です。
 3条件のどれかひとつを否定した理論であれば基準05には違反しません。

625Ken:2020/04/16(木) 23:08:08 ID:AN9ePMUI
>基準05に従えば「3条件のどれかは間違っているはず」です。

重要な局面なので慎重に行きます。本スレッドで論じるべき問題は、間違っているかどうかではなく

〜基準に違反する疑似科学なのか

という点にあるのですから。その違いを3条件を用いて説明します。

(1)光は粒子である
(2)光は波動である
(3)粒子と波動は背反関係にある

(1)と(2)は、それぞれ科学理論として正しいか、つまり現実を反映しているかが問題になります。それを判定するのは通常の科学の仕事でしょうし、実際にこの2つは論争の対象になりました。

これに対して、基準に違反するとは、現実を反映するかどうか以前に、そもそも科学の態をなさない疑似科学ということですよね。私は、18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

diamonds8888xさんは、理論Xを次のように評されました。

>でも17世紀の常識には反していたわけです。

常識に反する、というだけではいろいろな解釈が可能ですが、ここでは、私が上で述べたような、論争の対象にすらならないこと。つまり本スレッドでいうところの疑似科学で、理論が正しいか、現実を反映するかとは、別次元の問題と考えてよそしいですか?

626ゲジゲジ:2020/04/21(火) 01:59:23 ID:KJHm7qsI
diamonds8888xさまへ。
久しぶりにヨコからですが、ちょっと色々と混乱しているように感じます。
今一度、整理した方が良いように思われます。

[A]
 (1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実
 (2)光は波動の特徴を持つ → 観察事実
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

[B]
 (1)光粒子説の根拠がある → 観察事実からの解釈
 (2)光波動説の根拠がある → 観察事実からの解釈
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

[C]
 (1)光は粒子である → 理論
 (2)光は波動である → 理論
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 理論

[A]〜[C]がゴッチャに扱われているように感じます。Kenさまが仰るように重要な局面ですから、ここは慎重に、きちんと区別した方が良さそうです。

さて、[A]の(1)と(2)は観察事実ですから、18世紀であろうと19世紀であろうと、誰もが認めざるを得なかったでしょう。そして[A]の(3)は、やはり誰もが認めざるを得ない「常識」でした。

問題は次です。
例えば[A]の(1)から[B]の(1)が導けるでしょうか?
つまり「光は粒子の特徴を持つ」という観察事実は、それだけで「光粒子説の根拠」と言えるでしょうか?
実は言えないのではないですか?
なぜなら「光は波動の特徴を持つ」事も観察されていて、「粒子と波動は背反関係にある」とされているので、(2)か(3)を否定しなければKenさまが言う理論X「光は粒子であり、かつ波動である」になってしまって、基準05に違反するから。
だから[A]の(1)「光は粒子の特徴を持つ」だけでは「光粒子説の根拠」としては不十分で、もしそれだけを根拠に「光は粒子である」という理論を提唱したならば、「根拠もなにもない妄想のたぐいを語っている(>>610 参照)」ように扱われてしまうのではないでしょうか?

具体的に言うと、「光粒子説の根拠」とするためには(1)「光は粒子の特徴を持つ」事の他に、以下のいずれかが必要だったはずです。
 (2-1)光は波動の特徴を持つというのは観察器具の不備や手順のミスによる誤りである。(観察事実(2)の否定)
 (2-2)光は波動と同じ特徴を持つが、波動そのものではない。(観察事実(2)は認めて光波動説の根拠は否定)
 (3-1)媒質が移動する波動もあり得る。光は粒子であり、媒質が移動する波動である。(粒子と波動の背反関係を否定)
 (3-2)媒質が移動しない粒子もあり得る。光は媒質が移動しない粒子であり、波動である。(粒子と波動の背反関係を否定)

勿論、単に「基準05に違反しないように」という理由だけでこれらを主張したならば、それはまた「根拠もなにもない妄想のたぐいを語っている」と扱われてしまうでしょう。これらを主張するには、別途これらを示唆する観察事実の根拠が必要です。
そして実際に行われたのは(2-2)で、光は粒子であるとしながら、波動の特徴も持つ事を説明しようとする仮説が提唱されたわけですが、しかしそれは、対立する光波動説派を納得させるだけの説得力を持たなかったのでしょう。

光波動説の方も同様です。
(2)「光は波動の特徴を持つ」だけでは「光波動説の根拠」としては不十分で、(1)か(3)を否定しなければ基準05に違反します。
実際に行われたのは、光は波動であるとしながら、粒子の特徴も持つ事を説明しようとする仮説が提唱され、しかしそれは、対立する光粒子説派を納得させるだけの説得力を持たなかったのでしょう。
だから論争になったのです。

整理すると、[A]の(1)(2)(3)は恐らくほとんどの人が全てを認めていて、その上で[B]と[C]の(1)(3)を肯定して(2)を否定する仮説(粒子説)と、(2)(3)を肯定して(1)を否定する仮説(波動説)との論争が続いたという事です。[B]と[C]において(1)(2)(3)の全てを同時に認めた人はいなかったという事です。


最後に、Kenさまの以下の発言は何をどう勘違いされているのか分かりかねますが・・・
 >18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。
勿論、粒子と波動が背反関係にある事を否定せずに否定したら基準05に違反するでしょうが・・・
つまり「粒子と波動は背反系にあり、かつ背反関係にない」という理論は明確に基準05に違反しますが・・・

上記の区別がきちんと付けられる事で、Kenさまがヘンな勘違いに気付いてくださればと思っております。
その辺りをdiamonds8888xさまからもう少しうまく説明して頂けるとよろしいかと・・・

627ゲジゲジ:2020/04/21(火) 21:58:13 ID:KJHm7qsI
もうひとつ、論理からの考察と、史実からの考察とも、ゴッチャになっているように感じます。
以下、使えるようであれば使ってください。

*******ココから**********************
そもそも、ここのところずっと議論してきた事は、以下の条件[A]が与えられた時、どの様な理論が「基準05」に反するのか? どの様な理論であれば「基準05」を満たすのか? それを検討する事で「基準05」を「検証」しようとしていたのではないでしょうか?

[条件A]
 (1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実
 (2)光は波動の特徴を持つ → 観察事実
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

無論、既に「答え」は出ていますよね。以下の理論[C]について・・・

[理論C]
 (1)光は粒子である
 (2)光は波動である
 (3)粒子と波動は背反関係にある

<基準05に違反しない理論>
 ① (2)を否定し、(1)と(3)を肯定する理論(粒子説)
 ② (1)を否定し、(2)と(3)を肯定する理論(波動説)
 ③ (3)を否定し、(1)と(2)を肯定する理論(理論X‐光は粒子であり且つ波である)

<基準05に違反する理論>
 ④ (2)を否定せずに(1)と(3)を肯定する理論(波動説を否定しない粒子説)
 ⑤ (1)を否定せずに(2)と(3)を肯定する理論(粒子説を否定しない波動説)
 ⑥ (3)を否定せずに(1)と(2)を肯定する理論(背反関係を否定しない理論X‐光は粒子であり且つ波である)

実のところ、④〜⑥は同じ事を、表現を変えて述べているだけですね。
いずれも(1)、(2)、(3)のどれも否定せず、全てを肯定する理論です。

史実では、①粒子説と、②波動説とが提唱され、両者の間で論争になったわけですが・・・

勿論、何の根拠もなく(1)粒子説を否定する事はできなかったし、何の根拠もなく(2)波動説を否定する事もできなかったはずです。何の根拠もなく(3)粒子と波動の背反関係を否定する事もできません。
それでは「基準05」以前に、根拠のない妄想になってしまいます。

実際に、①粒子説は根拠をもって波動説を否定しようとしたし、②波動説は根拠をもって粒子説を否定しようとしたはずです。しかしその根拠がどちらも弱く、相手方を納得させるには至らなかった、だから論争が続いたわけです。

ここからは思考実験です。
ではもし、(3)粒子と波との背反関係を否定する、③の理論が提唱されたらどうなったか?
否定する根拠が十分だと認められれば、③理論が受け入れられて論争に決着がついたでしょうし、否定する根拠が不十分であれば、①、②、③の三つ巴の論争になっていたかもしれません。

次に、ではもし、(1)も(2)も(3)も、どうしても否定できない、否定する根拠がまったく見つからなかったらどうなったか?
その時は結論が出せない、理論が提唱できない状態となります。
「光は科学では解明できない摩訶不思議な現象である」という状態が、(1)、(2)、(3)のいずれかを否定する根拠が見つかるまで、ずっと続くのです。場合によっては何十年でも何百年でも。


ですから、Kenさまの以下の発言は明確に間違いです。
>>625
>18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか
>だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

基準05に違反するのは、上で述べた通り(1)、(2)、(3)のいずれも否定しない理論です。
(3)の背反関係を否定する理論は基準05に違反しません。
(3)の是非が論争にもならなかったのは、そもそもそういう理論が提唱されなかったからです。
なぜ提唱されなかったかといえば、誰も背反関係を否定する事を思い付かなかったか、思い付いても背反関係を否定する根拠を見つけられなかったか、そのいずれかでしょう。後者の可能性が高いと思いますが。

論理に基づいて考察している時に、史実からの考察を混在させるから、間違った結論になってしまうのだと思います。
「基準05」を「検証」する思考のプロセスとして間違っていると思います。

628ゲジゲジ:2020/04/21(火) 22:00:04 ID:KJHm7qsI
この投稿は、Kenさまにとっては全くの余談です。
ただヨコから見ていて非常に重要なポイントだと思いますし、ここをKenさまに理解して頂けるかどうかが、今後の議論の重要なカギになると思っています。

Kenさまは第1掲示板でID論を主張されるにあたって、以下の様に述べられました。

>逃げている・・・ 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月22日(金)22時24分58秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18004
>IDの論旨をまとめると、
>1.ダーウィン的な自然選択とIDでは結果として起こる進化が異なる
>2.現実に起こった進化を観察すると、自然選択よりもIDの特徴を示すものがある
>3.よってIDが実行されたと考える

>ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169
>ですからID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。

>すこし疲れてきた・・・ 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月23日(土)07時47分54秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18011
>IDには万人の目に明らかな実例があるのですよ
>他ならぬ人間がそれをやってきたのです。1万年以上にわたる農耕と牧畜の歴史の中で


つまり
(1)自然選択では説明不可能で、人為選択(品種改良)であれば説明できるような進化の実例がある。(観察事実)
(2)人類という、人為選択(品種改良)を行った知的生物の実例がある。(事実)
を根拠として、
人類の有史以前に人類以外の知的生物が存在していて、一部の生物に人為選択(品種改良)を行った。
という理論を主張されたわけです。

実際に(1)で述べられているような進化の観察事実があるのかどうか、Kenさまは具体例を提示されていないので検証できていませんが、今この場では「ある」という事にしておきましょう。

さて、しかし現代の「常識」として、目的意識をもって生物に品種改良を加えるような知的生物であれば、同じように目的意識をもって道具や建築物をつくると思われます。実際に人類はそうしていますし。
しかし人類の有史以前に、人工物の痕跡は発見されていません。
つまりID論は、「人類の有史以前に人工物の痕跡が発見されていない」という事実と背反関係にあるわけです。

従ってID論を正当な科学理論として主張するためには、
(1)人類の有史以前の遺跡などを提示して「人類の有史以前に人工物の痕跡が発見されていない」という事実を否定する。
(2)生物に品種改良は加えるが、道具や建築物は作らない知的生物があり得る事を提示して、背反関係を否定する。
といった事が必要になるわけです。


・・・という事を、基準云々という表現はしないで述べた私の投稿がこちら。
>Ken様のID論が疑似科学である理由 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2018年 1月 2日(火)21時42分24秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18168

そしてそれに対するKenさまからのお返事がこちら。
>ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169
>申し訳ありませんが、diamonds8888xさんとの今の議論に結論を出すことを優先させていただけますでしょうか。

と、いうわけで、私としてはdiamonds8888xさまとの議論に結論が出るのを、ずーーーーーーーーーーっと待っているのですよね。
もう2年以上になるのか・・・

629diamonds8888x:2020/04/23(木) 05:15:27 ID:Qix9q/lA
>>625

>常識に反する、というだけではいろいろな解釈が可能ですが、ここでは、私が上で述べたような、論争の対象にすらならないこと。つまり本スレッドでいうところの疑似科学で、理論が正しいか、現実を反映するかとは、別次元の問題と考えてよそしいですか?

 別次元の問題という意味が不明なので直接の返答はできません。
 私の趣旨は「18世紀の人々にとっては(3)は深く染み付いた常識だったので、それを否定する理論は誰も思いつかなかった」という意味です。【20世紀の人間であKenさん】にとっては「最もストレート」なのかも知れませんが、【18世紀の知識体系の中では】ストレートどころか破天荒でムチャクチャな主張と感じられたのでしょうね。

>私は、18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

 ここで「18世紀の知識体系」とは具体的には何を指しますか? もしも(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれるとするならば、(3)の否定は「18世紀の知識体系」の否定なのですから、基準05に違反するに決まっています。

 (3)は「18世紀の知識体系」には含まれないとするならば、(3)を否定するだけの「理論X」は基準05に違反しません。そしてこの理論Xはその中に(1)(2)の理論を両方とも含んでいます。
 ==>ここで(1)(2)(3)について、事実・解釈・理論の違いについてはゲジゲジさん発言からの私の引用と解釈を参照してください。[>>630]

630diamonds8888x:2020/04/23(木) 05:16:04 ID:Qix9q/lA
>>625,>>626,>>627,>>628
ゲジゲジさん、ありがとうございます
 素晴らしい整理の仕方で、私も目からウロコです。

Kenさん、以下にゲジゲジさん発言から提示しますので御参考までに。先の[>>]の理解の参考にしてください。一部に私なりの訂正を入れてあります。

[>>626]-----提示引用----------
久しぶりにヨコから
〜だから論争になったのです。
--------引用終り----------
わかりやすく、また正確にするための訂正(by diamonds8888x)
 [C]において、「理論」==>「理論(の一部)」と訂正。


[>>626]-----提示引用----------
整理すると、[A]の(1)(2)(3)は恐らくほとんどの人が全てを認めていて、その上で[B]と[C]の(1)(3)を肯定して(2)を否定する仮説(粒子説)と、(2)(3)を肯定して(1)を否定する仮説(波動説)との論争が続いたという事です。[B]と[C]において(1)(2)(3)の全てを同時に認めた人はいなかったという事です。
--------引用終り----------
訂正(by diamonds8888x) [B]と[C]==>[C]
解説:[B]では(1)と(2)を同時に認めても(3)を肯定できます。「根拠がある」ことだけなら[A]を認める誰にとっても正しい解釈です。「根拠がある」ことと「である」ということとは違うという見識がゲジゲジさんの発言の肝であり、私もなるほどと納得するところです。

注意:この訂正は[B]の「根拠」という言葉に対する私とゲジゲジさんとの語感の違いに基づくので、必ずしも訂正しなくてもよいようです。
 =>「(観察事実(2)は認めて光波動説の根拠は否定)」と使っているので、ゲジゲジさんの「根拠がある」の語感は私より理論での断定に近い使い方ですね。確かに解釈というのは、観察事実と理論との境界領域ですからねえ。この考え方自体が目からウロコです。


[>>627]-----提示引用----------
*******ココから**********************

実のところ、④〜⑥は同じ事を、表現を変えて述べているだけですね。
いずれも(1)、(2)、(3)のどれも否定せず、全てを肯定する理論です。

だから論争が続いたわけです。
--------引用終り----------
 中間部は特に重要なので明記した。
 引用部分の次からの思考実験のところも私には特に異論はありませんが、Kenさんへの提示としてはややこしいので含めません。

631Ken:2020/04/23(木) 23:58:06 ID:AN9ePMUI
>もしも(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれるとするならば、(3)の否定は「18世紀の知識体系」の否定なのですから、基準05に違反するに決まっています。

まず、

〜(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれる

というのが私の認識です。その点では(3)だけでなく(1)や(2)を否定するのも「18世紀の知識体系」の否定になるでしょう。ですが(1)や(2)を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。それは単に、既存の知識体系に従わない理論を提唱した、ということでしょう。その理論は正しいかもしれないし、間違っているかもしれません。

(3)の否定のみは性質が異なります。粒子と波動の背反関係を否定すれば、それはすなわち「¬P∧P」状態があると主張することだから、基準05違反になるのではありませんか? 粒子説がPなら、波動説が¬Pになるのですから。

基準05の定義は「¬P∧P」の否定であって、その時点での知識体系を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。

もういちど歴史を思い出してみてください。(1)や(2)を否定した人は実在したのです。diamonds8888xさんが言われる「苦しい説明」をした人たちもそうではありませんか。ですが、(3)の背反関係を否定した人がいたという話を、私は読んだことがありません。

(1)(2)と(3)の間の差異はどこからくるのでしょうか? それが基準05ではないのですか?

言い換えれば、(3)は(1)や(2)との間に矛盾を生じるのではなく、(3)単独で、たとえ(1)(2)がなくても、基準05違反になるのではありませんか?


>私の趣旨は「18世紀の人々にとっては(3)は深く染み付いた常識だったので、それを否定する理論は誰も思いつかなかった」という意味です。

問題は、なぜそのような「常識」が深く染み付いたのか、です。18世紀の知識体系の中で粒子と波動の背反関係を否定すれば、それは「¬P∧P」状態になるからではないのですか?

632diamonds8888x:2020/04/24(金) 05:56:18 ID:Qix9q/lA
>>631,>>630
 [>>631]への直接の答えは後ほどとして、史実として注意したい点をひとつ。
  (ただ、[>>631]の内容はもういちど論理的に考えてみてね)

「(3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論」が常識だった理由としてKenさんは以下を挙げています。
*粒子説では質量が移動する :運動するとき、それ自体の質量が移動する
*波動説では質量は移動しない:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する
 [>>604,>>603,>>593,>>600,>>593]


 しかし史実では光の質量も運動量も、その結果予想される放射圧というものも、1900年つまり20世紀までは実験的には確認されていませんでした。すなわち【18世紀の知識体系の中では】[A]の(3)、つまり「粒子と波動は背反関係にあるという前提」の観測的根拠には【質量移動に関する観測は含まれていません】。【18世紀の知識体系の中で】[A]の(3)、つまり「粒子と波動は背反関係にあるという前提」の根拠と人々が考えたものは別のなにかです。例えば以下の鬼塚史朗の論文に書かれているようなことです。
 (3)の根拠が質量移動に関するという考えは【20世紀の人間であるKenさん】が20世紀の知識体系から生み出した考えです。もちろん粒子説の提唱者は粒子だから質量も運動量もあるとは考えましたが、観測はできなかったので、光の粒子はとてつもなく軽いと考えたはずです。

  *) wikipedia「放射圧」
  物体の表面に電磁波が当たると入射面に圧力が働くという事実は1871年にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって理論的に導かれ、1900年にピョートル・ニコラエヴィッチ・レベデフによって、また1901年にエルンスト・フォックス・ニコルスとゴードン・フェリー・ハルによって実験的に証明された。

  *) FN高校の物理:光の圧力[輻射圧]
 [ttp://fnorio.com/0118light_pressure0/light_pressure0.html]
  このような考え方で光の圧力が存在する理由を最初に与えたのはMaxwellです。別稿「エーテルと電気の歴史」第8章p311〜312参照
 [ttp://fnorio.com/0172foresight_Maxwell_equations/Whittaker_1910/Whittaker_1910_08.html#311]

  *) 鬼塚史朗 "光の粒子説と波動説(連載 科学誌)" 物理教育 43巻(1995) 4号
 [ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf/-char/ja]
  粒子説VS波動説の詳しい歴史。歴史上で質量移動に関する議論はなされていない。

633Ken:2020/04/24(金) 20:26:14 ID:AN9ePMUI
・・・放射圧の話が質量移動と無関係なことは>>600で説明し>>603で了解をいただいたと思いましたが。

波動現象を説明するのによく用いられるのが、1列に並べた鋼球に別の鋼球を当てる実験です。実物もしくは動画を見られたことが必ずあるでしょう。

www.youtube.com/watch?v=8dgyPRA86K0

この動画の最初の例のように、列の端の球に別の球を当てると、反対側の球のみが飛び出し、中間の球はどれも動きません。この動かない中間の球が波動の媒質に相当し、波動が質量移動を起こさないとは、中間の球が動かないのと同じ意味です。

これを説明する理論は、17世紀のニュートン力学と、同じく17世紀のフックの法則から容易に導けます。つまり波動とは、慣性力(ニュートン力学)と弾性力(フックの法則)が交互に立ち上がりながら力を伝える現象で、18世紀になれば、プロの科学者でなくても、それこそ大学生でも知っていたでしょう。

>歴史上で質量移動に関する議論はなされていない

それは、粒子と波動がまったくの別物であることは議論の余地がなかったから、わざわざ質量移動の議論などしなかったので、もし、粒子と波動を区別する特徴を明示的に求められたら、

*粒子は質量が移動するが波動は移動しない
*粒子は離散的事象、波動は連続的事象
*粒子の速度は発生源の速度の影響を受けるが、波動は受けない

のような諸点を当時の人は挙げたことでしょう。とくに2番目の、粒子の離散性は、20世紀に光を粒子と再認識するカギになりました。18世紀の人には予測できなかったでしょうけど。


もし上の説明に納得がゆかないのなら、光が粒子でありかつ波動であるという理論Xを唱える人が現れなかった史実のみを考えてはどうでしょうか。理論Xさえ肯定すれば、粒子的特徴を波動として説明し、波動的特徴を粒子として説明するような、強引で苦しい理論を立てる必要などなかったに、なぜ、そうしなかったのでしょうか?

634diamonds8888x:2020/04/25(土) 05:54:55 ID:Qix9q/lA
>>633
 脊髄反射の返答ではなくて、もう少しじっくりと私の一連の発言を考えて、少しはスタンダードな考え方を理解する努力をお願いします。[>>622]で示した資料でわかる史実をちゃんと読んで理解しましたか? この光の粒子説と波動説の論争の史実についてブログに書きましたので御参考までに。
  [ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/db7eb6a1ea6ddddaf6e7319e92aed977]

さて、
>・・・放射圧の話が質量移動と無関係なことは>>600で説明し>>603で了解をいただいたと思いましたが。

 了解してますよ。私は「光の質量が観測されなかった」ことを述べています。光の粒子説からはその質量の存在が予測されますし、結果として運動量も放射圧も予測されます。しかし、質量存在の間接的な証拠である放射圧も観測されていません。すなわち、「(1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実」という観測事実の中には「光は質量が移動する」ということは含まれていないと指摘したのです。

 粒子にあって波にはない特徴として「質量が移動する」としてもよいことには同意しました。というより「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

>もし、粒子と波動を区別する特徴を明示的に求められたら、〜のような諸点を当時の人は挙げたことでしょう。

 それはKenさんの想像であって事実かどうかは不明です。Kenさんの想像には無意識のうちに【20世紀の人間であるKenさん】の知識が紛れ込んでいる可能性があります。【18世紀の知識体系の中で】、そのように具体的特徴を列記するような明晰な思考ができたかどうかは、私には不明です。例えば波の具体的特徴を求められたとしたら、【18世紀の知識体系の中では】電磁波にはないが弾性波にはあるような特徴だけを挙げていた可能性だってあります。まあ史実では干渉性が重要な特徴とされ続けたのですが

>もし上の説明に納得がゆかないのなら、光が粒子でありかつ波動であるという理論Xを唱える人が現れなかった史実のみを考えてはどうでしょうか。理論Xさえ肯定すれば、粒子的特徴を波動として説明し、波動的特徴を粒子として説明するような、強引で苦しい理論を立てる必要などなかったに、なぜ、そうしなかったのでしょうか?

 その問題は歴史と人間心理の問題であって、我々がテーマとしている科学の問題でも論理の問題でもありません。ひとつの仮説としては「【18世紀の知識体系の中】から抜け出ることができなかったから」でしょうね。

635diamonds8888x:2020/04/25(土) 05:56:57 ID:Qix9q/lA
>>631,>>633
>(3)の否定のみは性質が異なります。

 なるほど、その勘違いはどこから来るのでしょうね? 何も違いなどありません。

>ですが(1)や(2)を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。

 「18世紀の知識体系」を前提とするのでしょう? 否定したら基準05違反でしょう?
 否定してもいいのなら「前提として」とはどういう意味なのですか? 論理としてムチャクチャです。

>(3)の否定のみは性質が異なります。粒子と波動の背反関係を否定すれば、それはすなわち「¬P∧P」状態があると主張することだから、〜

 性質は異なりません。粒子と波動の背反関係を否定することは「¬P∧P」状態があると主張することにはなりません。以下の3つの並立は矛盾しておらず基準05違反ではありません。
 (1)光は粒子である → 理論
 (2)光は波動である → 理論
 (3)光は粒子であり、かつ波である → 理論

 「波ではない∧波である」と「粒子である∧波である」とは違います。これ何度も言ってますよ。

>問題は、なぜそのような「常識」が深く染み付いたのか、です。

 その問題は歴史と人間心理の問題であって、我々がテーマとしている科学の問題でも論理の問題でもありません。

636Ken:2020/04/25(土) 18:03:07 ID:AN9ePMUI
>「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

どうしてもこの点が納得がゆきませんか?

ですが、音や光とは異なり、波の動きを直接目撃できる波動は、いくらでもあります。たとえば、長いばねの1端を揺すると波が伝わる現象もそうです。

www.youtube.com/watch?v=ubRlaCCQfDk

見ての通り、ばね(媒質)の各部分は前後に振動するだけで、場所を移動することはありません。こんなことは力学が登場する前から目撃されていたと思いますよ。

さらに、17世紀のニュートンやフックやホイヘンス以降は、波動の数理的解析も行なわれていました。上の動画のように、媒質の1部分が振動し、その振動が隣接部分を押したり引いたりして波が伝わるわけですが、単振動は線形2階微分方程式で現されます。

d²x/dt² = -ω²x (xは変位、tは時間、ωは角振動数つまり単位時間に何回往復するか)

この方程式の解は、周知のように三角関数になります。

x = A cos ωt (Aは初期状態で決まる振幅)

このような関数の形はご存知でしょう。変位xはAと-Aの間を往復し、それより外側に行くことはありません。波の媒質が同じ場所で振動するだけで移動しないことは明らかです。そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。

そういう知見を持っていた人が、波では質量移動が起こらないことを知らないなんてことがあるでしょうか? よしんば言葉で表現しなくても(それもありえないと私は思いますが)数式が語っているではありませんか。

637diamonds8888x:2020/05/08(金) 05:35:41 ID:Qix9q/lA
>>636
 ここにアクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで申し訳ないのですが、ささやかなお願い[>>594](英文に関しては[>>592])を実行していただくのは難しいでしょうか? 再考をお願いします。

 難しい理由を挙げていただければ、技術的問題なら私もアイディアくらいは提供できるかも知れません。


>>「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

> どうしてもこの点が納得がゆきませんか?

 私の文の意味の捉え方がずれています。「科学史には登場していません」という文への返答になっていませんよね?
 私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。

 光の正体に関する波動論vs粒子論の論争の科学史には、「質量が移動するかしないか」ということを焦点とした議論は、私の知る限り登場していません。


 さらに私自身、波動論vs粒子論の論争の科学史には今回調べて新しく知った事実もあり、それは[>>632]等でお知らせしました。それらを読めばKenさんが知らなかったこともあるはずです。それらの新しい知見を取り入れた上での[>>636]なのでしょうか?

 [>>636]発言以降、私の本発言までの2週間の間に、これら科学史上の事実については検討されたのでしょうか? 御自分の知見に古いものがあることは当たり前なのですから、知見の更新の努力はお願いします。

>そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。

 例えばこのことにしても、本当に史実を確認してますか? 私も知りませんから間違いだとは言いませんけど、きちんと信頼できる根拠の元に史実を確認してますか? 確認していたなら幸いですから、参考までに出典など御教示ください。

638Ken:2020/05/09(土) 13:03:43 ID:pdHU4EJo
>私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。

質量が移動しないと知られていたことは同意いただけるのでしょうか? 肝心なのはそこです。知ってはいたが論争にはならなかったのなら、それは論争の余地もなく明らかだったからでしょう。ちょうど今の私たちが、天動説と地動説のどちらが正しいかを論争しないように。

要するに粒子と波動は、その動作が直接観察され、何よりも数式で表現されていたのです。波動の基礎となる単振動は先に書いたように「x = A cos ωt」の形をとりますが、粒子の移動は等速運動なら「x = vt」、等加速度運動なら「x = at²/2」と全く異なる形で、同じものが両方の形をとるのは不可能です。

当時の人は粒子も波動も数学的に捉えており、「質量移動の有無」「離散性と連続性」「発生源速度の影響」などは、数式が表現することを日常的な言葉で置き換えたにすぎません。

>>そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。
>参考までに出典など御教示ください。

単振動の方程式がいつ登場したかは手元に資料がありませんが、それでも推測はできます。

まず、その基礎となるニュートンの運動法則、フックの法則、そして微積分学はすべて17世紀に登場しています。さらに単振動方程式(d²x/dt² = -ω²x)の発展形というべき波動方程式(∂²u/∂t² = c∂²u/∂x²)を解明したのはダランベールに代表される18世紀の科学者たちです。単振動方程式が媒質の1部分を表現し、波動方程式は全体を統一的に表すという違いがありますが、質量移動が起こらないことを示すには単振動方程式で十分でしょう。

要するに、基礎となる知見が17世紀に出揃っており、かつその発展形が18世紀に登場したのだから、必然的に単振動方程式も遅くとも18世紀には知られていたはずです。ちなみに単振動の法則を利用した近代的な時計は17世紀に登場しています。(理論を知らず、経験だけで作った可能性もあるのでしょうが)

>[>>594](英文に関しては[>>592])を実行していただくのは難しいでしょうか? 再考をお願いします。

まず>>592より後では解説なしで英文を読むことを求めていないと思いますが、そういうことがありましたか?

>>594では>>571で問いかけがあると言われていますが、それはこの部分でしょうか?

>「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

私が言いたかったのは、私たちはすべての科学理論を明らかにしたわけではないし、そもそもそんなことは不可能なのだから、どんな現象も絶対に起こらないという証明などできないということでした。

シュレーディンガーの猫を持ち出さないとしても、何度も話題に挙げた2重スリット実験を思い出してください。AとBの2つの穴があり、同じ電子がAを通りかつBを通ったと言ったら、古典力学しか知らない人には、まさしく言葉遊び、マザーグースのたぐいに思えたに違いありません。でもそれは実現することが分かりました。

639diamonds8888x:2020/05/13(水) 05:51:58 ID:Qix9q/lA
>>638
 詳しいレスの時間も不足なので、希望を込めて簡単に。

>まず>>592より後では解説なしで英文を読むことを求めていないと思いますが、そういうことがありましたか?

 英文の方はOKです。感謝します。一応カッコに入れたことで推測できるかも知れないし、できないかも知れませんが、英文はややおまけ気味で、主要点はもうひとつの方です。「アクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで」てのが、お願いの理由のひとつになってることは、御理解いただけると希望します。

 またしばらくはレスが延びるでしょうから、御自分のコメントに訂正なり追加なりすべき点がないか推敲を期待します。私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。ではまた。

640Ken:2020/05/15(金) 00:28:33 ID:pdHU4EJo
>私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。

読み違いがあるかは分かりませんが、私がdiamonds8888xさんの投稿をどう読み、どこに論点を見ているかを整理しておきます。

まず、質量移動が粒子と波動を分けるという議論が18世紀に見られない点について。diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。私の考えは、議論がないのは知見がないためではなく、その逆、その知見が誰の目にも明白だったというものです。そう考える根拠は、この時代に登場し、今の教科書にも載っている数式が、粒子と波動の違いを明白に語っており、質量移動の有無もその数式が示すので、議論にも及ばないからです。

次に、当時の科学者が、光が粒子であり波動でもあるという結論を回避するため苦心をした理由について、diamonds8888xさんは、そういう「心理」が働いたからと言われます。「心理」が何を意味するのか今ひとつ曖昧ですが、おそらくは「思い込み」「感情」「信仰」のような、論理ではないなにものかでしょう。ですが私は、そこにあったのは明白な数式とその背景をなす力学的考察だったと考えます。

そして、そのことから私は、18世紀当時に「光は粒子であり、かつ波動である」という理論を立てれば、それは基準05違反になったはずと考えますが、この点を何度お尋ねしても、そうだという回答をいただけていません。

641ミケ:2020/05/30(土) 13:45:42 ID:liYNNt7Y
以下は感想ですが、
Kenさんがどこで読み違えているかの一例に触れています。
diamonds8888xさんが戻られるまでの間、
これまでの内容をもう一度検討してはいかがでしょうか。

>それはKenさんの想像であって事実かどうかは不明です。
(>>634)

あるいは
>私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。
(>>637)

とあるように

>diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。

という部分が読み違いですね。

今回は討論ではなくて
(Kenさんのための)対話・説明の場なので
Kenさんの読解力がどうであろうともKenさんに分かるように説明するのが
diamonds8888xさんのいわば責任ではありますが…
読み違いがある・誤解があるといわれている部分について
Kenさんのほうでも一度
「どう読み違えていると言われたのだろうか」
と再検討しないといつまで経ってもdiamonds8888xさんの言わんとすることは伝わりませんし
いつまでたってもKenさんが科学の要件を理解する日は来ないでしょう。

642diamonds8888x:2020/06/07(日) 07:27:38 ID:Qix9q/lA
>>640
 まずミケさんの発言[>>641]は全文参照してください。

>まず、質量移動が粒子と波動を分けるという議論が18世紀に見られない点について。diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。

 無かったとは言っていません。あったとも認めていません。どちらかと結論する証拠がない、と言っています。
 Kenさんは「あったはずだ」と結論していますが、

>私の考えは、議論がないのは知見がないためではなく、その逆、その知見が誰の目にも明白だったというものです。そう考える根拠は、この時代に登場し、今の教科書にも載っている数式が、粒子と波動の違いを明白に語っており、質量移動の有無もその数式が示すので、議論にも及ばないからです。

【以下、現時点で緊急に重要だと思う】
 この推論の前提には、人のいや全能の神ならぬ知的生命体の思考についての考え違いがあります。たぶん数学基礎論に匹敵するくらいに基礎的すぎて、納得するのが難しいとは思いますが、少し手間をかけて説明を試みます。ただ、Kenさんも考えてみてください。少しは御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてください。この面倒くさい説明はまた時間がかかりそうなので、今はヒントだけ。


 全能の神ならば、群論の公理(たかだか3つくらい)を一瞥しただけでモンスターの存在も一目瞭然に違いない。けれど人はそうではない。
 ドーキンスの利己的遺伝子理論は、事実としては新しいことは何も言っていない。けれど、それは生物というものの見方を大きく変えた。
 アインシュタインの特殊相対性理論はローレンツの短縮理論と比べて、数式的にはほとんど違わない。けれど、基本となる見方が異なるために前者のほうが物理学を大きく変更することになった。

【追伸】
 御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてくだされば、2週間のうちにあと1-2回くらいはKenさん自身での検討過程を投稿できるのではないかと思うのです。
 実は「数学基礎論に匹敵するくらいに」とか大げさなものではないかも知れませんが、こう言えば少しは真剣に検討していただけるかな、と希望を持って。そんな難しいことわかるわけ無いとか諦められたら逆効果なんですけど、よくわからん。

643Ken:2020/06/07(日) 20:17:19 ID:7/Gvc6ok
>>642

ここで主張されているのは、当時(18世紀)の人は数式を知っていても、その数式が意味するところを、たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった、ということでしょうか?

>ミケさんの発言[>>641]は全文参照してください。

[641]は、そのままdiamonds8888xさんのお考えとして、つまり投稿者名に「diamonds8888x」と入っているのと同じ、と考えてよいわけですね?

644diamonds8888x:2020/06/28(日) 10:59:09 ID:Qix9q/lA
>>643 2つの問には、どちらもYesです。

 「たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった」との状況のイメージが私とKenさんとでは多少は違う可能性はありますが、完全に食い違うとことも、まあないかも。


【再掲】[>>642]
>御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてくだされば、2週間のうちにあと1-2回くらいはKenさん自身での検討過程を投稿できるのではないかと思うのです。

[>>639][>>594]
>英文はややおまけ気味で、主要点はもうひとつの方です。「アクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで」てのが、お願いの理由のひとつになってることは、御理解いただけると希望します。

> またしばらくはレスが延びるでしょうから、御自分のコメントに訂正なり追加なりすべき点がないか推敲を期待します。私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。ではまた。

-----
と、再掲だけで言いたいことは当然伝わると思ったのですが、どうやら元々のお願いの文章をいささかずれて理解されていたことがわかりました。まさしく私の意図を誤読された典型例だったらしいです。食い違いのひとつの傾向はわかったような気がしますので、理解していただけたなら対策をお願いしたいと思います。傾向と対策ですね。

 元々のお願いとは[>>594]
> 薄々お気づきかもしれませんが、〜なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
>  さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、〜。

 では、詳しくは別発言にて[>>645]

645diamonds8888x:2020/06/28(日) 10:59:58 ID:Qix9q/lA
>>644 の続き

 書き手の文章[>>594]
> 薄々お気づきかもしれませんが、〜なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
>  さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、〜。

 読み手のレス[>>638]
>>594では>>571で問いかけがあると言われていますが、それはこの部分でしょうか?

> >「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

 [>>594]には2つの問いがありますが、主要点は最初の問いのつもりで書いています。第2の問いはその具体例のひとつに過ぎません。書き手としては【例えば】という言葉で、第2の問いは例に過ぎないことは示したつもりでいて、まずは最初の問い、というかお願いを聞き届けてくれるのか否かに答えが欲しいと思って書いています。
 ところが読み手は、書き手が例示のひとつに過ぎないと思っている第2の問いにまず答えています。意図が完全に食い違いました。


 さて、ここからは、特に読み手の状況については私の想像を交えたコメントになります。なぜ、このような読み違いが起きたのかという傾向と対策です。

 想像ですが、Kenさんには広い全体よりも具体的で局所的な部分に注目しやすいという傾向があるのではないでしょうか。それは美点にも有利な点にもなりえますが、全体の方を見落とすと読み抜けが起こる危険性がありそうです。
 ということで読み手としての対策は、文章のすべての意図をくんだのかどうかを見直してみるというのはどうでしょうか? 御一考をお願いします。

 書き手の対策としては、以下がありそうです。
  ・ひとつのコメントではひとつの意図のみに絞る
  ・複数の意図のどれが主要なのか明示する
  ・その他
 
 でも今回の[>>594]では、どう書けば誤読を避けられたのでしょうか?
 Kenさんにアイディアがあれば教えてください。こう書けば誤読しなかったよ、という表現があれば。


 ついでに例示の方は、そのうちに・・。

646diamonds8888x:2020/06/28(日) 16:31:34 ID:Qix9q/lA
>>645
 ついでに例示の方ですが、[>>570, >>571, >>594. >>638]と続いたテーマです。
>私が言いたかったのは、私たちはすべての科学理論を明らかにしたわけではないし、そもそもそんなことは不可能なのだから、どんな現象も絶対に起こらないという証明などできないということでした。

>シュレーディンガーの猫を持ち出さないとしても、何度も話題に挙げた2重スリット実験を思い出してください。AとBの2つの穴があり、同じ電子がAを通りかつBを通ったと言ったら、古典力学しか知らない人には、まさしく言葉遊び、マザーグースのたぐいに思えたに違いありません。でもそれは実現することが分かりました。

 猫でも2重スリットでも本質は同じで、量子力学における「波と粒子の2重性」や「混合状態」をどう理解するかというテーマです。正確には、2重スリットは「波と粒子の2重性」の問題であり、シュレーディンガーの猫は「混合状態」の問題です。

 ちゃんとした本の文章を注意深く読めばわかりますが、「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」ということはよく知られていますが、「同時に波と粒子の性質が観測される」などという現象は知られていません。具体的に言えば、
  ・同時に、確定した場所と時間で点として観測され、かつ干渉する。
   a)観測は個々の粒子として。干渉はその結果の集合での統計結果として。
   b)観測は波としてで、干渉も観測される。粒子の性質は観測されない。
    (光電効果で電子が放出される瞬間には波としての性質は観測されない) 

 「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が同時に起きたりはしないのです。
 「あるときは貫かれるし、あるときは貫かれない、その確率はこれこれである」ということならば観測されるでしょうし、普通は実験すればそうなるよね。マクロな現象なら矛や盾のロットの違いとか経時劣化の具合とかで結果が違ったなどと理由付けできるところですが、量子の矛だったら「どの矛も全く同じものであり区別できない」というのが現在の量子力学のセントラルドグマのひとつですから、「その確率はこれこれである」ということだけが観測結果としてわかるというわけです。


 「混合状態」の話はちと複雑です。実際に観測される混合状態と、観測されえない混合状態とがあるからです。「猫が同時に死んでおりかつ生きている」という混合状態は後者の観測されえない例のひとつです。これはシュレーディンガーの思考実験に従えば、「α粒子が原子核内に存在する状態と、原子核外に存在する状態との混合状態」が果たして存在するのかどうかという問題になります。

 量子力学では、【観測されない間は】混合状態として存在している。つまり方程式を解いて波動関数を求めると、原子核内に存在する確率と原子核外に存在する確率とがどちらもゼロではない解が得られます。そして観測としては、【原子核外でα粒子を観測した瞬間に】、原子核内の存在確率はゼロになると考えられます。
 要点は、「原子核内に存在する確率と原子核外に存在する確率とがどちらもゼロではない状態」というものは【観測されない】のです。

 一方、【例えば】水素原子の原子軌道が混合して分子軌道を作る、といったことがあります。この例では水素分子では本当に混合軌道が観測されます。正確に言えば、電子状態が2つの混合軌道の間で変化する際に発生したり吸収したりする光が観測されます。その波長の観測から2つの混合軌道のエネルギー差が観測されることになります。この場合は水素原子の解である軌道は水素分子では観測されません。それは電子の置かれた環境(物理的には電子が受けるポテンシャル)が、単独の原子核と分子とでは異なるのだから当然なのですが。

 要するにシュレーディンガーの思考実験に該当するのは前者の観測されえない混合状態の場合です。

647Ken:2020/06/30(火) 23:44:08 ID:7/Gvc6ok
一般論としては

〜抽象的な数式を知っていても、それが具体世界で何を意味するかをイメージできるとは限らない

ということはあるでしょう。例えばパラボラ曲線(2次関数)は紀元前から知られていましたが、それが放り上げた物体の軌跡と認識されたのは近代物理学以後です。(ですからパラボラを「放物線」と訳すのは歴史認識を混乱させるので、いただけません。)

ですが問題は、18世紀の状況がそれに該当するかです。

>>642
>>質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。
>無かったとは言っていません。あったとも認めていません。どちらかと結論する証拠がない、と言っています。

「どちらかと結論する証拠がない」というのをもう少し詳しく説明できませんか? 知見が無かったのはほぼ確実だがそうではない可能性も残るという意味なのか。知見があった可能性もなかった可能性も、それなりに納得できるのか。知見があったように思えるが100%の確度はないという意味なのか。

今の目的は基準05を検証することです。粒子と波動の背反関係が想定される条件下では、光が粒子でかつ波動と主張するのは基準05違反なのかを考察するわけですから、背反関係が知られていた可能性があるのなら、その条件で思考実験を行なってもよいのではないでしょうか?

私自身は、先に述べたように、知見(具体イメージ)はあったはずと考えます。理由は簡単です。当時の人は具体問題の解決に数式を利用していたからです。

粒子運動の数式が成功した顕著な例は天文学でしょう。天体位置の予測精度が格段に向上したのがこの時代です。天体位置以外にも、砲弾の軌跡を正確に予測する工学利用も始まりました。一方、振動理論が利用された顕著な例は時計でしょう。振り子の周期が一定だとガリレオが気付いたのは16世紀末ですが、17世紀のホイヘンスは振り子の固有振動数が「√(重力加速度/振り子の長さ)」になることを理論的に解明し、時計の製作が一気に合理化しました。18世紀に波動方程式が知られると、波の伝播速度も算出できるようになりました。

このように、当時の人は数式を知ってるだけでなく、具体事象に応用していたのだから、具体イメージがなかったはずがありません。むしろ実態は、ガリレオが発見した振り子の特徴をホイヘンスが数理化したように、ブラーエたちが蓄積した天文データをケプラーやニュートンが数理化したように、具体イメージが先にあって数式は後から加わったとみるべきでしょう。

もう一つ、私が言い続けていることですが、光の正体論争で「粒子であり波動でもある」という理論が決して受け入れられなかったことも重要です。diamonds8888xさんはその理由は「心理」的なものと言われます。

これまた一般論としては、なにかを心理的に、なんとなく信じてしまうことも人間にはあるでしょう。例えば石と羽毛の落下を見て「重い物体の方が早く落ちる」と信じたり、腐肉に蛆がわくのを見て「生物は無生物から生じる」と信じた例があります。まさしく、なんとなく信じただけで、体系的な実証実験も、なぜそうなるかの説明もありませんでした。だからガリレオやパスツールの実験結果が現れると、それまでの考えは誤りだと納得されたのです。

しかし、粒子と波動の関係は事情が異なります。光の粒子的現象と波動的現象の双方が観測されても、背反関係は否定されませんでした。むしろ、粒子説論者は光の屈折や交差のような波動説の根拠を否定するのに懸命になったし、波動説論者はその反対をやったわけで、あくまでも従来の考えに固執しました。これは彼らの根拠が「心理」などという曖昧なものではなく、当時の知識体系に裏打ちされた堅牢なものだったからでしょう。上で述べたように、粒子を扱う物理理論も波動を扱う物理理論も、多くの事象を説明し、事実を正確に予測し、工学応用までされていました。それなのに「粒子でもあり波動でもある」存在などを認めたら、それほど成功している知識体系を御破算にせねばなりません。

つまり、「粒子でもあり波動でもある」という理論は基準05違反になったはずと私は考えるわけです。

PS:最も重要な件から書きました。これ以外の件にも回答しますので、お待ちください。

648diamonds8888x:2020/07/02(木) 05:35:15 ID:Qix9q/lA
[>>640]で残した宿題の説明です。
>【以下、現時点で緊急に重要だと思う】
> この推論の前提には、人のいや全能の神ならぬ知的生命体の思考についての考え違いがあります。
  (以下略)


 [>>643]のKenさんの理解は、たぶん合っていると思います。([>>644]も参照)。
> ここで主張されているのは、当時(18世紀)の人は数式を知っていても、その数式が意味するところを、たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった、ということでしょうか?


 以下、私の言葉での説明です。

1. まず以前に[>>612]で紹介した節操のない者さんのサイトでは、波と粒子との違いについて「空間的な広がり」の観点からの区別を示しています。

 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality.html]
  粒子  空間の1点に局在している
  波   空間に拡がっている
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality_terrible.html]
  狭義の粒子性 1点に存在する性質
  広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性

 この見方について、Kenさんは以前から気づいていましたか? 気づくというのは、言葉で明確に示せる概念としてはっきりと意識できているという意味です。少なくとも私は、言われて初めてそう言えばそうか、と気づいた状態でした。それはKenさんが示した「質量が移動するか否か」という観点からの区別にしても同じことで、Kenさんに指摘されて初めて、そう言えばそうかと気づいたのです。この点はKenさんと議論していたおかげで知見が深められたのであり、大いに感謝しています。
 17-19世紀のトップ科学者たちであれば私よりボンクラなはずはありませんけれど、上記2つの観点からの区別について明確に示された史料というものがなければ、少なくとも学界で公に上記のような区別が意識されていたということは断定できはしません。

 いくら数式で予測が正確にできたとしても、その「物理的な意味」は様々な見方からの様々な意味(解釈かな?)が有りえますから、ある解釈(意味)がはっきりと意識できていたかどうかは、断定できないことだと思います。

2. 数学は公理から定理を導くものです。その証明の道筋は、ひとたびわかれば誰でも辿れる明らかなものとなります。簡単な定理ならば、普通の人でも見た瞬間に明らかに見えるものもありそうです。これがもし全能の神ならば、公理を見た瞬間にあらゆる定理は自明のことに見えるでしょう。同様に全能の神ならば、数式を見た瞬間に、その物理的意味のすべてが明らかに見えてしまうのでしょう。
 けれど人間はそうではありません。

3. ドーキンスの利己的遺伝子理論は事実としては新しいことは何も言っていない、という批判だか事実の指摘だかは時々なされています。確かに彼が示した生物学上の成果の数々は別の研究者によるものが大半です。彼はただ、それらの中に「自然選択される主体は、個体ではなくて遺伝子である」という見方(意味、解釈)を持ち込んだだけです。

 しかし、この見方にはそれまで誰も気付けなかったのです。気付いたとしても、ひとつの筋道の通った体系として示すことはできなかったのです。

4. アインシュタインの特殊相対性理論の場合、数式的にはローレンツの式と同じ結論を得ます。多分。しかしローレンツの段階ではまだエーテルという絶対静止系を仮定していました。しかしアインシュタインは絶対静止系など必要ないことを示しました。つまり特殊相対性理論が革命的だったのは数式そのものではなくて、その見方だったのです。


 以上、数式がわかっていたとしても、かならずしも物理的意味のすべてが明らかなわけではない、という実例です。

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 なお、光の粒子説と波動説の科学史について、ホイヘンスとニュートンの直後からの歴史を少し調べてブログに書きましたが、ご覧いただけたでしょうか?
 (2020/04/25)[tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/db7eb6a1ea6ddddaf6e7319e92aed977]

 ニュートニアンと呼ばれている人たちは、ボンクラではないでしょうが権威主義的ではあったようですね。ニュートンも不肖の弟子たちを持って天国で嘆いていたことでしょう。

649diamonds8888x:2020/07/02(木) 05:36:49 ID:Qix9q/lA
>>647
>粒子と波動の背反関係が想定される条件下では、光が粒子でかつ波動と主張するのは基準05違反なのかを考察するわけですから、背反関係が知られていた可能性があるのなら、その条件で思考実験を行なってもよいのではないでしょうか?

 まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。[>>646]参照。
   1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
   2)「同時に波と粒子の性質が観測される」

650Ken:2020/07/03(金) 00:02:19 ID:7/Gvc6ok
投稿順序にしたがい、まずは>>645>>646に回答します。

>Kenさんには広い全体よりも具体的で局所的な部分に注目しやすいという傾向があるのではないでしょうか。

そのように思われるのかもしれません。基本的な考え方を同じくする者どうしなら、話をいくら広げても問題はないのでしょうが、私たちはそうではないと思われますので、抽象論を極力排し、具体論に沿って、1つずつ進めてゆくしかないと思います。現時点の目的は、

〜diamonds8888xさんから提示された基準05を検証する

ことにあり、検証する主体は私(Ken)ですから、具体的な検証方法を提示するのは私の責任です。そして具体的な方法として、

〜量子力学登場以前に、粒子と波動の背反関係を否定するのは、基準05違反になるのか

という問題提議を行ないました。今はこの問題に集中してはどうでしょうか?

ただし、diamonds8888xさんから問いかけがあったことには、回答してきたつもりです。

〜この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない

という話にまで問題を拡大するのは、上記の基本方針からずれると私には思えるのですが、問われたからには答えるように努めています。

「例示」の方ですが、

>a)観測は個々の粒子として。干渉はその結果の集合での統計結果として。

観測されるのは結果の集合でも、同じ電子が両方の穴を通過しないことには、規則的な干渉縞が現れるはずがありません。ファインマンは最初にそのことを、干渉縞が現れない銃弾の例で説明しています。

両方の穴の通過を可能にするのが「波と粒子の2重性」で、それをもたらしたのが量子力学という新しい知見ですが、私が常に考えるのは、どんな問題でも、それを解決する新しい知見が登場するまでのあいだ、どうするのか、です。18世紀の条件下での光の正体論争を考察するのもそうですし、以前の投稿(>>344)で、マイケルソンたちの実験から量子論の登場までの18年を問題にしたのもそうです。>>638でも「古典力学しか知らない人には」と書きました。

古典力学においては、電子は粒子以外の何物でもありません。観測される電荷が必ず、ある特定の値(電気素量)の整数倍になり、端数というものがないのだから、電子とは離散的な存在つまり粒子なのです。ところが2重スリット実験では干渉縞が現れる。古典力学しか知らない人なら、矛盾を認めるしかないではありませんか。

あるいは、その時は矛盾に思えても、いつの日か矛盾を解決する知見が登場すると信じるのでしょうか? でも、そんな信仰を拠り所にするなら、逆に基準05にひっかかる理論はなくなるでしょう。「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」にしても、今の私たちの知識体系の中では起こりえない、ということではありませんか。

それなら基準05は決して適用されず、存在理由もなくなるのではありませんか?

以上は、質問があったことへの回答です。繰り返しますが、今はここまで話を広げず、18世紀の状況に集中してはどうでしょうか。>>648>>649ではその問題に戻っていると思われますので、次にこちらへの回答を投稿させていただきます。

651Ken:2020/07/03(金) 22:45:15 ID:7/Gvc6ok
>粒子  空間の1点に局在している
>波   空間に拡がっている
>狭義の粒子性 1点に存在する性質
>広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性
>上記2つの観点からの区別について明確に示された史料というものがなければ、少なくとも学界で公に上記のような区別が意識されていたということは断定できはしません。

まず基本的な点として、18世紀の議論に量子力学を持ち込まないでいただけませんでしょうか? 私が舞台を18世紀に設定した理由は、当時の知識体系の中で「基準」を適用したら、どういう結論にいたるかを考えるためです。当時の知識体系ということは、量子論も相対論もマクスウェル理論すらも知られていないことを意味します。

その18世紀に粒子と波動の違いが知られていたかですが、先の投稿(>>647)で述べたように、理論の具体応用を考えれば、知られていたに決まっています。私は、粒子理論が大砲の製作に、振動理論は時計の製作に応用されたと例を挙げましたが、質量移動に関する認識はそこにあるではありませんか。

大砲の砲弾は敵に向かって飛ぶものです。時計の振り子は同じ場所で往復運動をするものです。砲弾が同じ場所にとどまったり、振り子が空を飛んでいったら、製作者が意図した機能を実現することができません。技術者は、そんなことを言葉に出して語るまでもなく、自明すぎることとして大砲や時計を作っていました。それを厳密な理論で説明せよと求められたら、数式を示せばよかったのです。

もうひとつ、何度も繰り返していますが、当時の科学者が「光は粒子であり、かつ波動である」という結論を、あらゆる努力を傾けて回避した原因が「心理」だったとは、当時の人を過小評価しすぎです。光の粒子的特徴と波動的特徴を見せられながら、根拠もなく、ただ心理的に受容できなかったというのでは、正真正銘の疑似科学者ではありませんか。宗教的心情から進化論を排除するのとどこが違うのでしょうか?


>まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。

背反関係を想定する必要がない、という意味です。

光は粒子と主張する人は、光の直進や真空伝播のような粒子的特徴だけ挙げればよく、波動説を対立概念として否定する必要がない
光は波動と主張する人は、光の屈折や交差のような波動的特徴だけ挙げればよく、粒子説を対立概念として否定する必要がない

これなら「光が粒子でかつ波動」と主張できることでしょう。

652Ken:2020/07/04(土) 00:35:15 ID:7/Gvc6ok
当時の人が数式は知っていても具体事象をイメージできなかった、という考えをどうしても捨てられないなら、その数式がどうやって導かれたかを考えてはどうでしょうか? 単振動方程式の例で説明します。

基本となるのはフックの法則、つまり釣り合いの位置からの変位に比例した復元力が働く、というものです。

F = kx  (Fは力、xは変位、kは比例定数で、たとえばばね常数)

ニュートンの運動法則により、力は質量と加速度の積だから、

F = kx = ma (mは質量、aは加速度)

加速度は変位を時間で2度微分したものだから、

kx = md²x/dt²

∴ d²x/dt² = -(k/m)x

この方程式の解は、

x = A cos (√(k/m))t + A sin (√(k/m))t

変位最大の位置から振動が始まる場合は、

x = A cos (√(k/m))t

このように、振動とは変位に対する復元力が働くと認識することから、方程式が立てられ、解が得られるのです。振動は質量が移動しない往復運動で、波動は媒質の各部分が往復運動する弾性体に生じるという具体イメージがなければ、そもそも数式が得られることはありません。

653Ken:2020/07/04(土) 00:46:30 ID:7/Gvc6ok
すみません。式の一部に誤りがありました。復元力は変位と逆方向に働きますから、

F = kx ではなく F = -kx

つまり
kx = ma ではなく kx = -ma
kx = md²x/dt² ではなく kx = -md²x/dt²

でなくてはなりません。
私の学生時代は四半世紀も昔なので、ご容赦ください。

654diamonds8888x:2020/07/25(土) 05:43:55 ID:Qix9q/lA
>>651
まず1点
>まず基本的な点として、18世紀の議論に量子力学を持ち込まないでいただけませんでしょうか? 

 持ち込んでいませんよ?
 「広義の粒子性」の中の「量子性」が気に食わないなら、それだけ外して考えてください。それで古典論だけの話になります。


もう1点
>>まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。

>背反関係を想定する必要がない、という意味です。
>  〜〜中略〜〜
>これなら「光が粒子でかつ波動」と主張できることでしょう。

【再掲>>649
 まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。[>>646]参照。
   1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
   2)「同時に波と粒子の性質が観測される」

 1)と2)のどちらですか?


 他にも読み違いがないかどうか御検討ください。気づいたらコメントください。またしばらくコメントできないかも知れませんので。

655diamonds8888x:2020/07/25(土) 07:11:48 ID:Qix9q/lA
>>652
>当時の人が数式は知っていても具体事象をイメージできなかった、という考えをどうしても捨てられないなら、

 「具体事象をイメージできなかった」という可能性の否定は、私はしていません。あくまでも具体的事例に関してKenさんが独自に考えついた「質量の移動の有無を、波と粒子との重要な違いと考える」という「理論」ないし「解釈」ないし「認識」というものを、19世紀以前の科学者達(自然哲学者達)が思いついていた証拠がない、という主張をしています。

 Kenさんは「質量の移動の有無による違い/有無による区別/有無により定義できる)という認識」を19世紀以前の科学者達の一部は認識していたに違いない、と主張しています。「認識していたかも知れない」という可能性ならば、私も否定しません。しかし、「認識していたはずだ/認識していたに決まっている」と断定するならば、歴史史料に基づく証拠が必要です。

>その数式がどうやって導かれたかを考えてはどうでしょうか?

 20世紀の思考を完全に振り切れるかどうか不明な現代人が、いくら思考実験を重ねても証拠にはなりません。

656diamonds8888x:2020/07/25(土) 08:11:26 ID:Qix9q/lA
>>655  【補足】
> 20世紀の思考を完全に振り切れるかどうか不明な現代人が、いくら思考実験を重ねても証拠にはなりません。

 具体的には、次の考え方はあくまでも現代人のKenさんの頭に浮かんだ考え方であり、それが19世紀以前の人たちにとっても自明かどかうかについては全く不明です。

 ***********************************************************************
 「質量の移動の有無による違い/有無による区別/有無により定義できる)という認識」は数式を考えれば自明だ。
 ***********************************************************************

657Ken:2020/07/26(日) 13:42:48 ID:7/Gvc6ok
>1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
>2)「同時に波と粒子の性質が観測される」
>1)と2)のどちらですか?

その二者択一なら2)です。ただし読み違えたとは思いません。問題は背反関係にあるのですから。背反とはどういうものかを遺伝子を例に説明してみましょう。

たとえば遺伝子について調べたところ、

A:遺伝子とは細胞核中の染色体

と分かったします。さらに調べたところ、

B:遺伝子とはDNAという化学化合物

と判明したとします。2つの認識は、例え同じ一連の実験中であっても、Aが認識される瞬間とBが認識される瞬間には時間差があるはずです。その意味では

〜ある時は染色体であり、ある時はDNAである

といえるわけで、冒頭の1)に該当するでしょう。ただし遺伝子なら、そこからただちに2)の結論にいたります。

〜遺伝子は染色体であり、かつDNAである

染色体であることとDNAであることが同時に成立するのは背反関係がないからです。

光はどうでしょうか? 光の粒子的特徴を探せば見つかるし、波動的特徴を探せばこれまた見つかります。遺伝子の例にならえば、

〜光は粒子であり、かつ波動である

と結論されてよいはずなのに、そうならないのは、粒子と波動には背反関係があると考えられたからではありませんか。

ですから「光が粒子でかつ波動」の意味とは、冒頭の1)が観測された場合に2)の結論にいたるということです。遺伝子を含む多くの対象はそうなるのです。

658Ken:2020/07/26(日) 13:50:41 ID:7/Gvc6ok
>断定するならば、歴史史料に基づく証拠が必要です。
>20世紀の思考を完全に振り切れるかどうか不明な現代人が、いくら思考実験を重ねても証拠にはなりません。

そのようなスタンスをとれば歴史考察などできなくなるではありませんか。

昔の人が何をしたかのみならず、何を知っていて何を考えたかも歴史考察の重要な一部で、それを現代人がやっています。特に今の議論で重要な点は、過去を考察するのに、現代に残る文献以外の資料にも拠ることでしょう。そもそも人類が文字の記録を残すのは、エジプトやメソポタミアでも5〜6千年前からで、日本では2千年に達しません。ですがそれより前の、歴史史料がありえない時代のことも考察されるし、確実視される結論もあります。

例えばメソポタミアでは1万年も前から農耕が行なわれました。

農耕は気の長い根気のいる仕事です。とくに農耕以前の狩猟採集生活にない大問題は、どれだけ空腹でも眼前の食料を全部は食べられないことです。コメやムギの実を食べ尽くしたら次の作物を育てることができません。種まきから収穫まで数ヶ月も我慢をするわけで、なぜ狩猟採集生活をやってた人々が、そんな不都合をおして農耕に転じたのでしょうか? 旧約聖書の創世記には、アダムとイブが神に背いた罰として耕作するようになったと書かれていますが、それを信じる人は圧倒的少数だと思います。

人類が農耕に転じた理由はただ1つ。収穫で得られる食料が狩猟採集とはけた違いに多いからです。18世紀にタスマニア島が発見された時、原住民はすべて狩猟採集生活でした。そして、面積はイギリス(ブリテン島)の3分の1で、気候風土もよく似ているタスマニアの人口が3千人程度だった記録があります。つまりイギリス全土で1万人に満たない人口密度でした。農耕をやらないと、その程度の食料しか得られません。

このことから、私たちは、先史時代の人が持っていた知見について、結論することができます。彼らは、特定の植物を育てることで、何ヶ月か後には大量の食糧が得られること、つまり植物が作る実は植物の元になる実よりもはるかに多いことを知っていたのです。文字に書かれた史料はなくても考察できることです。

さらにまた、メソポタミアなどでは灌漑が行なわれていました。弥生時代の日本でも、あぜを作って田に水を入れています。時間と労力を費やしてそんな土木作業をしたことから、植物に適度な水を与えることで、成長を促進できるという知見があったことが分かります。

話を18世紀の光の正体論争に戻しますが、私は、当時の人が粒子と波動の背反関係を認識していた根拠として3つの事実を挙げました。

(1)粒子理論と振動理論が大砲や時計等の製作に応用されており、質量移動の有無が認識されなければ、大砲も時計も作る意味がない
(2)振動方程式を導くには変位に比例した復元力が働き、実際に復元するという認識から出発する必要がある
(3)光の粒子的特徴と波動的特徴の両方が観測されても、「粒子かつ波動」という結論を回避するべく努力がなされた

私の論点を否定し、背反関係が知られてなかった可能性があると主張されるのなら、冒頭に挙げたような一般論ではなく、(1)(2)(3)のどれからも背反関係を導けないことを具体的に論証されるべきではないでしょうか?

659Ken:2020/07/28(火) 22:00:13 ID:7/Gvc6ok
>>658では文献史料がなくても歴史を考察できると述べましたが、これはdiamonds8888xさんの投稿に応じたもので、私が訴えたい本論ではありません。私の論点は(1)(2)(3)に挙げましたが、とりわけ(2)が本丸です。ここには、

〜18世紀に粒子と波動の背反関係が知られていたことには、数式という史料がある

という考えがあるからです。粒子の動きを表す数式は、

x = xᵢ + vᵢt + at²/2 (xは変位、tは時間、xᵢは初期位置、vᵢは初期速度、aは加速度)

のような形を取るのに対し、振動を表す式は、

x = A cos ωt (Aは振幅、ωは角振動数)

のように全く異なる形になり、一方をどう変形しても他方にはなりません。粒子と波動がまったくの別物であることは明らかです。

ただし、抽象的な数式では感覚的な把握が難しいので、内容を平易な言葉で表現することがあります。質量が移動するしないとはそういう表現の1つにすぎません。当時の専門家(例えば大学教授)が学生に説明するときに質量移動の話をしなかったとは、私には想像しにくいのですが、仮にしなかったとしても、専門家なら数式があれば十分です。

diamonds8888xさんからは、

〜数式を知っていても具体事象をイメージできるとは限らない

という指摘がありました。私は、一般論としてはそういう事態がありうると同意した上で、18世紀の粒子と波動の理論はそれには該当しないと述べました。その根拠は、粒子運動の式も振動の式も、最初に具体イメージがなければ導き出せないからです。>>652では振動方程式の例を挙げて、そのことを説明しました。


以上の説明で、粒子と波動の背反関係が確実に認識されていたと、納得いただけませんか?

660diamonds8888x:2020/08/08(土) 05:23:38 ID:Qix9q/lA
>>654,>>655,>>659
 経緯を整理しましょう。【具体的事例として】光の波動説と粒子説との対立の歴史に題材を取った話は、19世紀以前(量子論出現以前)において以下のような状況があったという想定から始まっています。

 [>>541,>>546,>>547,>>549]科学者達は以下の状況に直面した。
1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

 この状態で私ならどうするかという結論は[>>541]に尽きますし、それは他の科学者達(何世紀の科学者だろうと論理的思考の持ち主である限りは)も同じです。
 Kenさんのおっしゃる通り、1、2、3が全て正しいならば「P∧¬P」という結論に至ります。すなわち矛盾が生じるのであり、論理的思考の持ち主ならばここから「1、2、3の全が正しいことはない」、すなわち「1、2、3のどれかが間違っている」という判断を下します。そして、どれが間違いでどれが正しいかを明らかにすべく探求を続けるのです。

 【具体的に】【史実に基づけば】、光粒子説の論者は1が間違いである、つまり1と見なされた観測事実は実は粒子としても説明できるものであり、「粒子としての特徴」でもあるのだということを理論付けようとしました。逆に光波動説の論者は、2と見なされた観測事実が「粒子としての特徴」でもあるのだということを理論付けようとしました。確かに19世紀以前(量子論出現以前)においては3を否定する理論を提出した者はいません。代わりに1か2のどちらかを否定しようとしたのです。つまり、1も2も本当に「まごうことなき」などとみなした科学者は歴史上存在しなかったのです。

 例えば[>>619]では挙げられた観察事実は、「まごうことなき」が抜けているので当時の科学者達も認めるでしょう。
(1)光には粒子としての性質がある
 観察事実:光は直進する(音のように障害物の背後に廻り込まない)
 観察事実:光は真空中を伝わる
(2)光には波動としての性質がある
 観察事実:光は屈折する
 観察事実:光は交差する

 【具体的に】【史実に基づけば】、「直進する性質」は波の性質でもあることはホイヘンス理論の時点でわかっていました。「光は真空中を伝わる」とは波動説論者は考えていませんでした。波動説論者は「光は真空中に満ちている媒質を伝わる」という理論を立てていて、その媒質をエーテルと呼んでいました。
 また「屈折する」という事実はニュートンが粒子説による説明理論を立てて『プリンキピア』第1巻第14章にも書いています。私のブログ(2020/04/25)を御参照ください[ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/db7eb6a1ea6ddddaf6e7319e92aed977]。この理論は波動説による理論と比べると、水中の光速度が空気中(真空中、エーテル中)の光速度より速いか遅いかという決定的な違いがあり、水中の光速度を測定すれば決着がつくことを明らかにした点が重要なものです。
 「交差する」という事実はホイヘンスが粒子説を否定する根拠のひとつとした事実らしいですが、こんなものは粒子が極めて小さくて粒子同士の相互作用(引力とか斥力とか)がなければ簡単に説明できます。とても「まごうことなき」波動としての性質などと呼べる事実ではありません。実際に【具体的に】【史実に基づけば】、粒子説と波動説との論争の歴史で重要な役割を果たしたような記載が見つけられません。もしホイヘンスやニュートン以降に、「光は交差する」という事実が何か重要な役割を果たしたような記載のある史料があれば御教示ください。

  続く・・・

 ですが、続ける前にまず、「粒子と波動の背反関係は現在では崩れているのか否か?」という問題がありますので、それを検討します。そもそもは、現在は正しいとされている「光は波の性質と粒子の性質を共に持つ」という命題が「19世紀以前には論理的な背反関係そのものだったのではないか?」というのがKenさんの問いかけだからです。

  <==== Kenさんの問いかけの解釈はこれでOKですよね? Y/N?

661diamonds8888x:2020/08/08(土) 05:32:43 ID:Qix9q/lA
[>>660]に関連して

 [>>657,>>658,>>659]にまとめて簡単にコメントしますが、詳しくは説明が必要でしょうから、本発言に早とちりでの反論は控えてください。

>>658
 ・「粒子と波動の背反関係を認識していた」という点は認めます。100%事実とさえ言えます。
 ・(1)の「質量移動の有無が認識されていた」点は可能性はあっても証拠はありません。
 ・(2)は、だから何を結論したいのか不明です。
   背反関係も量移動の有無も、(2)から結論付けられるようには思えません。
 ・(3)の「光の粒子的特徴と波動的特徴の両方が観測された」ということが18世紀(1600-1800年?)において史実であるという点は、「まごうことなき」付きのつもりであれば、否定します。「粒子説でも波動説でも説明理論は提出されていた特徴」や「粒子説でも波動説でも説明できなかった特徴」が観測されていたということが史実です。そしてヤングによる干渉性の発見が「まごうことなき波動の特徴」として、19世紀半ばから後半には認められたのです。


>>657
 「同時に波と粒子の性質が観測される」という意味で考えているのですね。ならば、19世紀以前に「光の粒子的特徴と波動的特徴の両方が観測された」という[>>658]の(3)の記載は、史実としては認められません。また、現在の量子論における「波の性質と粒子の性質を共に持つ」という「波と粒子の二重性」の正しい理解としても間違っています。

>ですから「光が粒子でかつ波動」の意味とは、冒頭の1)が観測された場合に2)の結論にいたるということです。

 完全な論理的間違いです。1)と2)の違いをよく考え直してください。時間ごとに2つ以上の相反する形態を取る存在などいくらでも例があるでしょう? 生物でなら性転換する魚がいますが、カタツムリのような雌雄同体となることはありません。

 「波の性質と粒子の性質を共に持つ」という言い方の正しい意味については、さらに詳しく説明します。これは[>>660]の「続く・・・」の後に述べた問題そのものです。


>>657【なお、別件】
>その二者択一なら2)です。ただし読み違えたとは思いません。

 [>>654]で具体的な読み間違えを指摘したのは、次の部分です。

> >まず基本的な点として、18世紀の議論に量子力学を持ち込まないでいただけませんでしょうか? 

>  持ち込んでいませんよ?

662diamonds8888x:2020/08/08(土) 05:36:31 ID:Qix9q/lA
>>660,>>661
 これは同意してもらえると思いますが、まず事実として、「波の性質と粒子の性質を共に持つ」という発想は量子論以降のものです。
 19世紀以前には波と粒子とは明確に背反するものと考えられていて、ゆえに光について粒子説と波動説との論争があったのです。これは私ははっきりと認めます。

 これは後に詳しく述べますが、19世紀後半には波動説が絶対優勢となり、弱点としてはエーテル問題と光電効果を残すくらいの状況でした。しかしどちらも「波としては(その時点では)説明できない性質」ではあっても「まごうことなき粒子としての特徴」とは認識されてはいませんでした。特に光電効果を古典的粒子説で説明しようとした人はいませんし、プランク以前に光電効果が「粒子としての性質」だと考えた人さえいません。

 Kenさんが設定している問題は、このように「波と粒子とは明確に背反するもの」という知見が常識である19世紀以前の世界で「光は波でありかつ粒子である」という理論を科学的に妥当な仮説として提出できるのか否かという問題です。ここで提出する「光は波でありかつ粒子である」という理論はもちろん、現在の量子論では正しいとされている「光は波でありかつ粒子である」とか「波の性質と粒子の性質を共に持つ」とか表現される理論のことです。

 そこで現代における、つまり量子論における「波の性質と粒子の性質を共に持つ」というのは、実際にはどんな意味なのかが明確でないと、正確な考察ができません。時々、「現代の知見である量子論を持ち込むな」とおっしゃいますが、現代の量子論でも間違っているとされる理論を提出するという思考実験では議論する意義がないでしょう?

 ということで量子論での考え方の話を続けます。

663diamonds8888x:2020/08/08(土) 05:42:55 ID:Qix9q/lA
>>662
 明言してこなかったのでわかりにくかっただろう点をお詫びしますが、「波と粒子の2重性」についての私の認識も[>>648]あたりでの節操のない者さんのサイトを見てから少し変化した(深まった)点がありますので、それ以前の発言とは違っているかも知れません。お手数でしょうが、そこを考慮の上でお読みください。

 量子論における「波と粒子の2重性」には観測事実という点からは2つの場合があります。

 第1は電子や短波長(高振動数)の光の場合です。検出は写真フィルムや乾板、半導体検出器等に衝突することで特定の位置と時刻で検出反応が起きます。つまり検出反応では粒子としての性質を示します。しかし強い流れ、つまり多数の粒子の流れは波の性質である干渉を示します。すなわち二重スリット実験を行えば検出スクリーンに干渉縞が観測されます。
 そしてこの現象は、伝播しているときは波として伝わり、検出時には波が収縮して位置と時刻が確定した粒子として検出されるのだと解釈されています。さらにこの粒子の1個は、伝播する波の振動数に比例するエネルギーという一定のエネルギーをも持ち、それは様々な検出反応のエネルギー収支等から観測できます。
 つまり、伝播しているときにはあくまでも波として伝播しており、ゆえに干渉も回折もしますが、検出されるときには一定のエネルギーを持つ粒子に、いわば変身すると解釈されています。この変身を「収縮」と呼ぶのです。

 第1の場合の別の形の観測事実には、原子核を巡る電子のエネルギー(位置エネルギー+運動エネルギー)が離散的な値しか取らず、それゆえ連続的にエネルギーを放出して原子核に落ち込んだりはしない、という事実があります。これはド・ブロイにより、「電子は定常波として存在するから」として説明されました。このとき電子の「位置」の確率はほとんどが原子核周囲の非常に狭い範囲に、マクロには「点」と思ってもいいくらい狭い範囲に集中してはいます。しかし、ある瞬間にはその非常に狭い範囲の中のどこかの1点に粒子として存在し、次の瞬間には別の点に移動している、つまり粒子として運動しているとは考えられていません。あくまでも原子核周囲の非常に狭い範囲の中の全範囲に、同一時刻にぼやーっと広がった定常波として存在しているのだと考えられています。

 第2の場合については別発言にて。

 ==>続く

664diamonds8888x:2020/08/08(土) 05:46:54 ID:Qix9q/lA
>>662 訂正です。より正確には、次のようになります。
 
 プランク以前に光電効果が「粒子としての性質」だと考えた人さえいません。

 ==>アインシュタイン以前には光電効果が「粒子としての性質」だと考えた人さえいません。

665Ken:2020/08/09(日) 11:11:17 ID:CGdfQfpg
>・「粒子と波動の背反関係を認識していた」という点は認めます。100%事実とさえ言えます。

この一言を聞きたかったのです。これでまた議論が前に進むでしょう。ただし問題の根幹である「背反関係」の定義で行き違いを生じないように、以下の文章を書きます。

「光は粒子であり、かつ波動である」という命題の意味ですが、、

>1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
>2)「同時に波と粒子の性質が観測される」
>1)と2)のどちらですか?

私は、観測事実としては(1)だが、もし理論的な背反関係がなければ、(2)が観測されるのと同じ結論にいたることを、遺伝子の例を挙げて説明しました。しかし、今回のdiamonds8888xさんの投稿を受け、むしろ、

〜古典力学において、上記の命題は、(2)は言うに及ばす(1)の意味でも否定される

と述べるのが、今後の議論に最も資すると考えます。もし「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」ことを認めるなら、光の正体論争は起こらなかったはずです。たとえば、屈折や交差のような波動的特徴(波動説論者はこれらを波動的特徴と考えたわけです)を示す時には光は波であるが、真空を伝わるような粒子的特徴を示す時には光は粒子であると、そう言えばよいので、なにも、正体不明・観測不能の「エーテル」などを強引に想定する必要はありません。

エーテルが必要とされた理由は(1)と(2)のどちらも否定されるからでしょう。つまり、ある時点で波動であり粒子ではない存在は、いついかなる時にも波動であり粒子ではありえないという理論があるのです。たとえば、

〜屈折現象が観測されるときの光は波動であるが、真空を伝わるときの光は粒子である

こんな理論は認めないのが古典力学です。

>「粒子と波動の背反関係は現在では崩れているのか否か?」という問題がありますので、それを検討します。

diamonds8888xさんが言われるように、古典力学の知識体系の中で、粒子と波動の背反関係が、(1)も(2)も認めないという意味で確認されたら、次に量子力学をを論じることになります。

まずは、この投稿で私が述べたことに同意をいただけますでしょうか?

666diamonds8888x:2020/08/10(月) 19:41:50 ID:Qix9q/lA
>>665
>古典力学の知識体系の中で、粒子と波動の背反関係が、(1)も(2)も認めないという意味で確認されたら、

 OKですよ。正確を期して、
  ・古典力学では、(1)も(2)も認めない
  ・量子力学では、(1)は認めるが(2)は認めない
    別の言い方では、波の特徴、粒子の特徴の範囲が古典力学とは異なる

> と述べるのが、〜〜〜
>      (中略)
> こんな理論は認めないのが古典力学です。

 この部分は論理的に正しいとは認めませんが、本論には無関係なのでわざわざ答える必要はありません。そりゃあ、結論自体は事実ですけれど、屈折と真空の例はいただけませんね。


----
 私からも、先へすすめる前の要求があります。

>私は、観測事実としては(1)だが、もし理論的な背反関係がなければ、(2)が観測されるのと同じ結論にいたることを、遺伝子の例を挙げて説明しました。

 遺伝子の例ではたまたま正しくても、普遍的に正しいわけではないことは認めますか?
 それとも魚の性転換の例では納得できませんか?
 遺伝子の例示は、波と粒子の場合の証明にはならないという点は認めますか?

667diamonds8888x:2020/08/10(月) 19:42:44 ID:Qix9q/lA
>>663
 さて第2の場合は、プランクが理論的解明を行った黒体輻射のスペクトル分布という観測事実です。これは大きさの決まった箱の中に光を閉じ込めたときのスペクトル分布を理論的に説明しようとすると、「決まった波長λを持つ光はhλという決まった量のエネルギーの整数倍の値しか取れない」と仮定することにより、観測される分布が正確に計算できたという事実です。「ある量の整数倍の値しか取れない」という状態を「量子化されている」と呼びます。

 均一な粒子の集団、例えば同一速度の粒子の集団の全運動エネルギーは、ニュートン力学では1/2mv^2の整数倍になりますから、「全エネルギーが、ある量の整数倍の値しか取れない」という性質はまさしく粒子の性質のひとつです。もちろん逆は必ずしも真ならずであり、この性質は「まごうことなき粒子としての特徴」ではありませんし、プランクもそんなことは考えてはいませんでした。


 第1の場合と第2の場合との違いですが。第1の場合では、はっきりと粒子として観測されるものが、つまりある時刻にはある位置の1点として観測されるものが、観測されずに移動しているときには波の特徴である干渉性を示します。第2の場合では、波として観測されるものが粒子の特徴のひとつである、最小単位の有限なエネルギーを持つという性質を持つと考えられたのです。

 もっともよく考えると、光(短波長の電磁波)が「波として観測される」と言えるのかどうかは検討が必要です。が、そこはおいておきましょう。これが電波であれば確かに「波として観測される」と言えるのでしょうが。そもそも光がそう簡単に「波として観測される」のであれば粒子説が生まれるはずもありません。そして確かに「波として観測される」長波長の電磁波では、量子仮説によるプランクの式でも、波として求めたレイリー・ジーンズの式も一致するのです。例えばマイクロ波より長い波長の電磁波では、粒子の特徴を明確に捉えた観測事実はないと思います。核磁気共鳴分光(NMR)のマルチバルスによる実験のあるものは量子力学でないと説明できない、なんていうのが一応「量子としては捉えた」と言えるのでしょうけれど。


 このようにいくつかの違うタイプの観測事実があるのですが、波と粒子の二重性に関しては、ひとまず一番最初の、「観測されるときには粒子、移動していて観測されていないときには波」の場合を考えれば十分でしょうから、他の場合についてはこれ以上は触れません。

668Ken:2020/08/14(金) 00:35:18 ID:CGdfQfpg
実は今、サイト管理者のNATROM医師に、新型コロナウィルスに関する質問を集中的に行っており、こちらのスレッドでの回答が遅れています。こちらでは、ちょうど背反関係について合意が得られたようなのでタイミングはよかったと思うのですが。

>遺伝子の例ではたまたま正しくても、普遍的に正しいわけではないことは認めますか?
>それとも魚の性転換の例では納得できませんか?
>遺伝子の例示は、波と粒子の場合の証明にはならないという点は認めますか?

遺伝子の例が波と粒子の場合に適用できない、という意味ならもちろん認めます。そもそも両者が異なることを示すために遺伝子の例を持ち出したのですから。

A:遺伝子は細胞核中の染色体である
B:遺伝子はDNAである

遺伝子についてBを観測するには、染色体を細胞核から取り出し、染色体を破壊する形で分子構造を調べる必要があるでしょう。つまり、Bが観測されるときAの状態は消失しており、AとBを同時に観測することは不可能なのです。それでも、遺伝子がDNAの分子構造をもち、同時に染色体として細胞核中に存在することは、どの教科書にも書いてあります。

光もまた、粒子であることと波動であることは同時には観測できません。そして遺伝子とは異なり、観測できなくても2つの状態が同時に成立することもないという理論が古典力学で確立しています。量子力学の話は次の投稿をお待ちください。

669Ken:2020/08/26(水) 22:53:20 ID:CGdfQfpg
それでは話を続けます。ここからの話には量子力学が入りますが、その前に、18世紀の話題が長く続いたので、議論の全体像を明らかにするために、基本的な背景を述べておきます。diamonds8888xさんには先刻承知の話かもしれませんが、行き違いを生じないためですので、どうか我慢を願います。

まず、私がなぜ光の正体論争を持ち出したかですが。基準に違反する「疑似科学」は、単なる「間違った理論」とは異なるはずという認識があります。「間違った理論」とは、現実を反映しない理論という意味です。科学史には多くの論争があったし、今でもあります。

「光は粒子である」 vs 「光は波動である」
「鳥は樹上生物が進化した」 vs 「鳥は地上を走る恐竜が進化した」
「宇宙は永遠に膨張する」 vs 「宇宙はいずれ縮小に転じる」
「邪馬台国は九州にあった」 vs 「邪馬台国は畿内にあった」

一方の説を唱える人は他方の説を間違った説、現実を反映しない理論と主張しますが、だからといって疑似科学と見なしたわけではありません。ですから、例えば学術論文としては常に邪馬台国九州説を唱え、畿内説を論駁する人が、一般向けの教養書や教科書を執筆する時は、両論を併記するものです。疑似科学と見なす理論を教科書に載せる人はいないでしょう。そして、現実を反映するのはどの理論であるかという論争なら、新しい発見があり知識体系が変わるにつれ、正しいと思われた理論が間違いと分かったり、その逆のことが起こったりします。光の正体論争でも、時代によって粒子説が優勢になったり、波動説が正しいと確信されたことは、diamonds8888xさんがご承知のとおりです。

ところが私は、数理的背反関係にある2つの理論をどちらも認めるのは疑似科学である、という基準を見たときに、ある理論が疑似科学であるのかないのかもまた、知識体系によって変わるのではと思ったのです。ある時代の知識体系の中では疑似科学と見なされる理論が、新しい時代の知識体系の中では疑似科学でなくなるのみか定説にすらなりうるのではないかと。それなら「間違った理論」といわず、ことさら「疑似科学」と称することに何の意味があるのでしょうか。いずれは正しいと分かるかも知れず、よって正当な探求対象たりうる点では「間違った理論」も「疑似科学」も同じではありませんか。

そこでまず、18世紀の知識体系の中で「光は粒子でありかつ波動である」と唱えるのは、基準に照らして疑似科学になることを論証してきました。20世紀以降の知識体系の中でどうなるかは、これから論じてゆきます。

以上が、私が光の正体論争を持ち出した直接の理由ですが、もう1つのより根本的な問題提議を述べておきます。これはdiamonds8888xさんから何度かお尋ねがあったことですが、現在進行中の議論ではそこまで踏み込まないのがよいのではと、私から申し出たもので、ここでは背景説明として述べておきます。

すなわち「(¬P)∧P」を否定するような純粋な数理論だけで、現実の事象を否定できるのかということです。言い換えれば、現実観測からすべてが出発する自然科学と、純粋な抽象対象を扱う数学を、同列に扱えるのかということです。自然科学が数理的に整合性のある理論構築を目指すのはたしかですが、それ以前に自然科学は現実をあるがままに認識するものであり、現実認識と数理的整合性が一致しない場合は前者を優先し、理論的な矛盾を容認するのではないかということです。話が長くなるのでここでは省略しますが、現在、定説になっている理論にすら、究極的には矛盾を含むものがあるのではという疑念を私は抱いています。

以上のような背景と目的のもとに、これから量子力学を取り入れた形で光の正体論争について述べてゆきます。疑問または異論がありましたらご指摘ください。

670diamonds8888x:2020/08/30(日) 09:47:02 ID:Qix9q/lA
>>669
 このまとめはKenさんの基本的考え方がわかりやすく整理されていて、その理解にものすごく助かります。当然ながらというべきでしょうか、多くは同意ですが、微妙に食い違う点もあって、そこがこれまでの食い違いの原因となっているように思えます。

 その点を詳しく述べる前にまず[>>668]でも互いに誤解があるようなので別発言[>>671]にて。

 なお、「量子力学を取り入れた形で光の正体論争」については本発言(669)等へのレスとは関わりなく、まとめていただくことをお願いします。Kenさんが量子力学をどう見ているかが詳しくわかったほうが互いの考え方をよりよく理解できるはずだと思いますから。

671diamonds8888x:2020/08/30(日) 09:47:42 ID:Qix9q/lA
>>668 [>>657]
>遺伝子の例が波と粒子の場合に適用できない、という意味ならもちろん認めます。そもそも両者が異なることを示すために遺伝子の例を持ち出したのですから。

 そういうことですか! わかりにくかったあ。詳しめに、私に見えた互いの食い違いの経緯を示しますので御検討ください。

 まず[>>657]でのKenさんの認識は以下のようなものだったのですね?
 --------------------------
 「>>654 【再掲>>649】」の選択肢の1)と2)を一般化して
   1)「aは、ある時はAの性質を示し、ある時はBの性質を示す」
   2)「aは、同時にAの性質と粒子Bの性質が観測される」

  a=遺伝子、の場合  1)は成立 =>ただちに2)の結論にいたる
  b=光、の場合  1)は成立 =>2)の結論にいたらない
 --------------------------

 了解です。詳細は後として簡単にコメントしておくと、論理的には"b=光の場合"の方が厳密な論理に従った妥当なものです。では"b=遺伝子の場合"にはなぜ【ただちに】2)の結論にいたっても良いのかを検討すべきだと思います。

-------------
 そのまえに「ただし読み違えたとは思いません。」の一文がわからないのですが、どの文章を「読み違え・・」とおっしゃるのでしょうか?

 [>>654]の私の以下の文章ですが、

>他にも読み違いがないかどうか御検討ください。

 まず、ここで指摘した読み違いは、「([>>648]で私が)18世紀の議論に量子力学を持ち込んだ」という認識です。

> >まず基本的な点として、18世紀の議論に量子力学を持ち込まないでいただけませんでしょうか?

 そこで、「持ち込んでいませんよ?」と指摘しました。
 この指摘を踏まえて、[>>654]の最後で、「他にも読み違いがないかどうか御検討ください。」とお願いしました。

 ---------
 なので[>>654]に答えるわかりやすい書き方は、3つの論点のどれに答えたのかがわかりやすいと、ありがたいのです。

 1.「([>>648]で私が)18世紀の議論に量子力学を持ち込んだ」という認識が誤解だったと認めるのか?
    Noならば、その理由

 2. 「1)と2)のどちらですか?」に対する答え
   これは、2)ということで了解しました。

 3.「他にも読み違いがないかどうか御検討ください」に対する答え
   他にもとはむろん、1.の認識以外ということですので、これは思い当たらなければ
  むろん答える必要はありませんし、私も一般的お願いだけのつもりでした。
 ---------

 2.は既に答えていただきました。つまり、Kenさん以下の考えだと理解しましたが、それでよろしいですね?
  現代の量子力学では、「光は同時に波と粒子の性質が観測される」、
 「光は同時に波と粒子の性質を持つ」、「光は同時に波と粒子として存在できる」
 と考えられている。

 そして、そうではなくて、現代の量子力学では、1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」と考えられているのだ、というのが私の言いたかったことです。2人の考えの違いについてはご理解いただけましたか?

 1.は「読み違えたとは思いません。」というのが答えでしょうか? つまり今でも「([>>648]でdiamonds8888xが)18世紀の議論に量子力学を持ち込んだ」という認識だと理解してよろしいのでしょうか?

 もしもそうならば、再度否定します。「[>>648]でdiamonds8888xが量子力学を持ち込んでいる」と未だにお考えならば、[>>654]の私の答えを踏まえて理由をお聞かせください。

>「広義の粒子性」の中の「量子性」が気に食わないなら、それだけ外して考えてください。それで古典論だけの話になります。

672Ken:2020/08/30(日) 21:29:22 ID:Vt0Ycb5Y
とりあえず、ご指摘の件に答えておきます。

>"b=遺伝子の場合"にはなぜ【ただちに】2)の結論にいたっても良いのかを検討すべきだと思います。

理由を突き詰めれば複雑になるかもしれませんが、いま問題になっていることとの関連でいえば、単純でしょう。古典力学では、なにものであれ「粒子であり、かつ波動である」という状態を認めないのに対し、遺伝子が染色体であり同時にDNAであることを否定する理論がないからでしょう。厳密に言えば、取り出した染色体を分析したらDNAだったからといって、生体細胞の中にあったときにもDNAだった、つまり取り出して分析する過程で分子構造を変える反応がおこらなかった、という証明はないはずですが。


私が>>657

>読み違えたとは思いません

と言ったのは、その前の、

>まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。
>1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
>2)「同時に波と粒子の性質が観測される」
>1)と2)のどちらですか?

という質問の意図を私が読み違えた結果、diamonds8888xさんの質問に回答していないと、受け取られたのではないか、と考えたからです。私が「背反関係」というときは、1)と2)のどちらかは問題ではなく、どちらの意味でも「粒子かつ波動」という状態は否定されるという意図でした。

>現代の量子力学では、1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」と考えられているのだ、というのが私の言いたかったことです。2人の考えの違いについてはご理解いただけましたか?

理解しました。ただし、現代の量子力学については、私からも考えを述べさせていただきます。それはdiamonds8888xさんの上記の表現とは異なるかもしれません。投稿をお待ちください。

673diamonds8888x:2020/08/31(月) 06:02:48 ID:Qix9q/lA
>>669
 簡単にコメントしておきます。2人の考えの違いがわかるでしょう。

>基準に違反する「疑似科学」は、単なる「間違った理論」とは異なるはずという認識があります。

 同意

>ある理論が疑似科学であるのかないのかもまた、知識体系によって変わるのではと思ったのです。

 一般論では同意。変わるか否かは疑似科学の基準による。また知識体系の突飛さにもよる。
  例) 「自然現象は神々や妖精により起こされる」という知識体系とかなら変わるでしょう。

 本議論のテーマの基準1-6に限れば、「経験と論理を再重視する、近代科学の考え方に基づく知識体系」であれば、基準1-6は変わらない。ただし、そのことが歴史的にいつごろから、誰がどの程度認識していたのかは科学史の問題である。
 基準5-6(矛盾をはらむ理論を認めない)に限れば、アルキメデスの時代でも変わらない、というのが私の考え。

>18世紀の知識体系の中で「光は粒子でありかつ波動である」と唱えるのは、基準に照らして疑似科学になることを論証してきました。

 「波動は媒質を持たない」と唱えることに関しては、留保中でしたか?
 「波動は媒質を持たない」と唱えることは基準5-6には触れない、というのが私の考え。

 「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」と唱えることは基準5-6には触れない。
 「同時に波と粒子の性質を示す(性質が観測される)」と唱えることは基準5-6には触れ、現代の量子力学でも唱えられてはいない。

>もう1つのより根本的な問題提議を述べておきます

 これをまず正してほしい。はっきり言って、これは言葉だけの空理空論です。というより、矛盾とは何かをちゃんと突き詰めていない??

674Ken:2020/09/02(水) 22:44:09 ID:Vt0Ycb5Y
>これをまず正してほしい。はっきり言って、これは言葉だけの空理空論です。というより、矛盾とは何かをちゃんと突き詰めていない??

私自身もこの問題を整理できているわけではなく、いわば「疑惑」を感じている段階なのです。この場で議論をして結論にいたるのかも分かりませんが、とりあえず私の疑惑を語ってみましょう。矛盾のある理論ではないかと私が疑惑を向けているのは熱力学の第2法則です。この理論は19世紀に確立されて以降あらゆる観測事実によって確認されてきました。工学応用もされており、エンジンや電池等、エネルギー効率が問題になる製品の開発で貢献しています。

一方で、この理論は宇宙論と直結しており、私たちには観測できない長大な時間の中で何が起こるかも語ります。つまり熱力学の第2法則によれば、宇宙全体のエントロピーは常に増大し決して減ることはありません。よって未来に進むほどエントロピーは大きくなり、ついには利用可能なエネルギーがなくなる、いわゆる熱的な死を迎えるというのです。ということは、過去の世界に行くほどエントロピーは小さかったことになります。宇宙の始まりがあったのかはともかく、遠い過去にはエントロピー極小の状態があったということです。

でも、そのようなエントロピー極小状態は、どうやって生じたのでしょうか?

熱力学の第2法則が正しいなら、そんな状態を生じるはずがありません。第2法則とは、それが正しいなら存在しえない世界を支配する法則として、存在しているのではないのでしょうか。自己矛盾を内包した理論、疑似科学ではありませんか?

この疑惑は私の独創ではなく、ファインマンの物理講義の46章「Ratchet and pawl」の5節「Order and entropy」で論じられています。ファインマンは「矛盾」という言葉は使っていませんが。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_46.html

実をいうと、この部分の解説はファインマンらしくもなく多分に曖昧で、数式もありません。私なりに要約しますと、ファインマンは熱力学の第2法則はエントロピーが絶対に減らないと言っているのではなく、確率的に非常に起こりにくいだけだと指摘しています。どれだけ起こりにくいかは言葉で語るだけで数式がありませんが、それほど難しい考察ではないのでやってみましょう。

例えば1枚のコインを放り上げて表が出る確率は1/2です。100枚のコインがすべて表になる確率は1/2¹ººになります。これでも途方もなく低い確率ですが、宇宙のエントロピーが非常に低い状態、例えばエントロピーがゼロの状態を生じる確率は、宇宙全体の素粒子の総数をNとして1/2ᴺになると思われます。ゼロは極端でもっと「容易な」値が目標でも、「天文学的」などの表現では追いつかない途方もない数字であることはたしかです。私たちは奇跡が作った世界に住んでいるのでしょうか?

1つの可能性として、ファインマンは、観測できる宇宙の外からエネルギーが、つまりエントロピーの小さい状態が、入ったかもしれないと述べます。ただし、いくら新しい星を見つけても、既知の宇宙とエントロピー状態が異なる観測例はないから、その可能性は低いとも語っています。何より肝心な点は、外の世界のエントロピーが小さくても問題の解決にはなりません。それなら外の世界を含めた全体系のエントロピーはなぜ小さくなったのか?と、問題を先送りするだけですから。


同じ問題を扱ったもう1つの文章は、アジモフの小説「最後の質問」です。プロットを要約すると下のようになります。

自己進化をする人工知能が主人公です。人間がこのコンピュータに、どうすれば熱力学の第2法則を逆転してエントロピー減らせるか、と尋ねます。コンピュータは答えられず、「情報不足」と繰り返すだけでした。そして長大な時間が経過し、人類は死に絶え、地球も太陽系もすべての星も消滅し、宇宙の熱的な死がきますが、コンピュータは同じ問題を考え続けるのです。そしてついにエントロピーを減らす方法を発見します。ただし小説では「発見した」というだけで、具体的な方法は出てきません。

方法を見つけたコンピュータは、エントロピーを減らして宇宙を再生するコマンドを実行しますが、この部分が『創世記』の冒頭そのままなのです。

「光あれ」・・・・するとそこに光があった (創世記1章3節)

自他の認める無神論者アジモフにして、宇宙の創世には神を持ち出すしかなかったのか、と私には思えます。

675diamonds8888x:2020/09/03(木) 05:34:48 ID:Qix9q/lA
>>672

>理解しました。ただし、現代の量子力学については、私からも考えを述べさせていただきます。それはdiamonds8888xさんの上記の表現とは異なるかもしれません。投稿をお待ちください。

 大歓迎です。楽しみにしています。そもそも違いがなければ議論の必要などないのですから。まずは何がどう違うのかがお互いにわからなければ話になりません。


>私が「背反関係」というときは、1)と2)のどちらかは問題ではなく、どちらの意味でも「粒子かつ波動」という状態は否定されるという意図でした。

 「読み違え」の対象が何だったかは理解しました。読み違えるような文章には見えませんし、いまいち不明点がありますが。
 上に示した最後の一文が気になりますが、私は1)と2)のどちらなのかで大きな違いがあると言っていることは御理解いただけていますか?

 [>>673]も参照のこと。
>「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」と唱えることは基準5-6には触れない。
>「同時に波と粒子の性質を示す(性質が観測される)」と唱えることは基準5-6には触れ、現代の量子力学でも唱えられてはいない。

 まあ、私の考えは御理解いただけた上で、それとは異なるKenさんの量子力学の理解をこれから説明してくださるのだとは思っていますが?

676Ken:2020/09/05(土) 16:01:59 ID:Vt0Ycb5Y
これから量子力学の話をしますが、その前に確認させてください。

>>674で私が述べた論旨、

〜熱力学の第2法則は疑似科学

には、同意いただけますか? もしくは疑問・異論がありますか?

つまり熱力学の第2法則は、>>669で述べた

>現実認識と数理的整合性が一致しない場合は前者を優先し、理論的な矛盾を容認する

に該当するのではという「疑惑」を私はもっているのです。

2つの問題(量子力学と熱力学)を同時並行で議論するのは避けたいので、お尋ねします。

677diamonds8888x:2020/09/06(日) 07:17:50 ID:Qix9q/lA
>>676,>>674
>矛盾のある理論ではないかと私が疑惑を向けているのは熱力学の第2法則です。

 熱力学第2法則についてのKenさんの疑惑はよくわかります。「遠い過去には存在したはずのエントロピー極小の状態は如何にして生じたのか?」という疑問は、「ビックバン以前の宇宙は如何にして生じたのか?」という疑問と同じく、科学的に妥当な設問だし、それを考えていたり考えたことがあったりした物理学者もファインマン初め多数いることでしょう。

 そっと白状すると、私は実は熱力学第2法則自体が間違いではないかという考えを抱いていたりします。Kenさんの疑惑などかわいいものでしょ(^_^)

> 〜熱力学の第2法則は疑似科学

> には、同意いただけますか? もしくは疑問・異論がありますか?

 しかしむろん現在の熱力学第2法則には明確な論理的矛盾も見いだされてはいませんし、観測との食い違いも見いだされていません。もしもどちらかが明確に見いだされれば、そこでこの理論は否定され、替りの新しい理論が提出されることでしょう。熱力学第2法則が科学的に妥当であると認められているのは、基準05,06には反していないと認められていることも理由のひとつです。

 しかし[>>674]での疑惑は熱力学の第2法則が「矛盾のある理論ではないか?」というものです。どうして現在は矛盾がないと広く認められている理論にそのような疑惑の余地が生じるのでしょうか?

 [>>674]での疑惑の場合では、その理由は「該理論が証明された範囲を超えた領域での現象を問題にしているから」というのが一番大きい理由だと考えられます。[>>674]での疑惑を論理的にわかりやすくしてみると次のようになると思います。

 理論p0) 閉鎖系の全エントロピーは時間とともに増加する。(熱力学第2法則)
 仮定u0) 全宇宙は閉鎖系である。

 p0) 全宇宙のエントロピーは時間とともに増加する。(熱力学第2法則)
 p1) ゆえに、全宇宙のエントロピーは過去のある時点で可能な最小値だった。
 p2) そのようなエントロピー最小状態は、どこからどのように生じたのか?
  p2-1) 全宇宙の他の可能な状態から生じた。これは熱力学第2法則と矛盾する。
  p2-2) 全宇宙の外からの影響で生じた。これは仮定u0に反する。
  p2-3) どこからも生じたのではなく、単に存在していた。

 可能性としては、p2-2か、p2-3か、遠い過去では理論p0が成立しないのか、の3択でしょうねえ。

 p2-2はつまり仮定u0が成立しない。つまり閉鎖系である宇宙というものが存在しないことになります。これは宇宙が無限であれば、可能かも知れません。p2-3はつまり、過去が無限に続いているという我々のなんとなくの考えが、実は間違いということを意味するでしょう。どちらにしても観測ではちょっと証明するのが極めて難しそうですよね。「遠い過去では理論p0が成立しない」という理論は、p2-2やp2-3に比べれば観測による証明の可能性はありえるかも知れません。素粒子実験でビックバン以前の超高密度宇宙を再現してみたら熱力学第2法則が破れていたとか。


 熱力学の第2法則が「矛盾のある理論ではないか?」という疑惑の余地が可能な別の理由として、実はこの法則はなんらかの基本原理から誘導されたものではない、ということもあります。例えば分子運動にニュートン力学を適用してみても第2法則を導けはしません。第2法則そのものが第1原理であり、それは熱力学上の観測事実を法則化したものです。つまり、「閉鎖系の全エントロピーは時間とともに増加する」という観測事実はニュートン力学からも量子力学からも相対性理論からも導くことができていません。やむなくこの観測事実をそのまま法則化しているのです。

 ですから例えば遠い過去では、観測事実からは第2法則が成立していないということは十分に可能なのです。

 ちなみに宇宙が膨張と収縮を繰り返すという周期宇宙説があります。収縮したらついにはビックバン状態になり、そこからまた跳ね返って膨張するということなのですが、第2法則が厳密に成立していたとしたら、そして宇宙が閉鎖系であれば、膨張と収縮を永遠に繰り返すということは起きるはずがありません。周期宇宙説が成立するにはどこかで、例えば収縮期間の最終段階などで第2法則が破れていてエントロピーが減少しないと矛盾が生じます。

678diamonds8888x:2020/09/06(日) 07:19:03 ID:Qix9q/lA
>>677
 色々と書きましたが、将来的に熱力学の第2法則の真偽がどうであれ、矛盾のある理論が妥当な理論とされないことには変わりはありません。[>>674]での疑惑は基準05,06に反する理論が科学的に妥当だということにはなりません。

> 〜熱力学の第2法則は疑似科学

> には、同意いただけますか? もしくは疑問・異論がありますか?

 同意しません。ていうか、Kenさん自身も「疑似科学ではないか?」という疑惑を抱いているだけで、はっきりと「疑似科学に違いない」と断定できているのではないのでしょう? その状態で他の人にそんな同意を求めても賛同してもらうのは無理ですよ。

 熱力学の第2法則がある条件下では、1)論理的に矛盾する可能性がある、2)観測事実と一致しなくなる可能性がある、という点は認めます。それどころかそっと白状すると、遠い過去ではなくまさに現在において「観測事実とは異なっているのではないか?」という疑いを私は持っています。Kenさんの疑惑などかわいいものでしょ(^_^)

 しかし、現時点では一応、遠い過去ではなく現在の自然現象の観測においては、明確な論理的矛盾も見いだされてはいませんし、観測との食い違いも見いだされていません。基準05,06には反するという意味での疑似科学でないことはもちろんのこと、間違っているなどとは言えるものではありません。

679diamonds8888x:2020/09/06(日) 07:25:29 ID:Qix9q/lA
>>672, >>671 さらに

>古典力学では、なにものであれ「粒子であり、かつ波動である」という状態を認めないのに対し、遺伝子が染色体であり同時にDNAであることを否定する理論がないからでしょう。

 単純には確かに、そのとおりです。そこは認めときますから誤解なきように。
 ただ、以下の点は御理解いただきたい。

 3つの言葉、というより概念は階層というか、分類というか、種類が違うものです。各用語についてはwikiでも事典にでも載ってますから。

 遺伝子 遺伝を担う何らかの実体(本来の意味)
   現在ではこの実体の正体がわかっているのでDNAやRNAと同義に使われることも多い
   (RNAを遺伝子とするものはウイルスの一部にいる)
 染色体 遺伝を担う実体と判明したもので、核酸とタンパク質の複合体。
   (本来は、)細胞分裂期に現れる構造体。つまり核酸とタンパク質の複合体である「染色体」の細胞分裂期における状態のもの。
   ゆえに、原核細胞やウイルスなど上の2つの意味での「染色体」を持たない生物も多い。
 DNA デオキシリボ核酸の略称。化学用語としてはこの意味のみ。
   当然ながら、遺伝子ではないDNAも多数存在する。

 Kenさんが使った文だと、それぞれの最初に示した意味で使っていることになるはずですが、よろしいでしょうか?

 [>>668]の染色体破壊実験は、「染色体の正体は何か?」という設問に答えるための実験であり、その結果、「染色体の正体はDNAだった」と判明したものです。そこで染色体であることとDNAであることを対立仮説とする人はいませんよ、普通は。

  ・厳密には、染色体の部品の重要なものがDNAだったので、染色体=DNAではないが。
  ・染色体は遺伝を担う機能を持つ。DNAは遺伝を担う機能を持つ。
   (遺伝子とは「遺伝を担う機能をもつモノ」につけられた名前)
  ・遺伝子を「遺伝情報を伝えるモノ」と定義するなら、染色体は遺伝子とは呼びにくい。
   (情報を伝えないタンパク質などの部分も持つので)

680Ken:2020/09/08(火) 22:49:42 ID:Vt0Ycb5Y
まず、基本的な点から。私は>>669で「間違った理論」と「疑似科学」は異なると述べ、>>673で同意をいただきました。そして本スレッドの主題は疑似科学ですから、

>素粒子実験でビックバン以前の超高密度宇宙を再現してみたら熱力学第2法則が破れていた(>>677
>現在において「観測事実とは異なっているのではないか?」という疑いを私は持っています。(>>678

このように、熱力学の第2法則が「間違った理論」である可能性を論じても本論を外れます。むろん、あらゆる自然科学理論と同様、第2法則も新しい発見の結果否定されるかもしれません。ただし、

>ニュートン力学からも量子力学からも相対性理論からも導くことができていません。
>やむなくこの観測事実をそのまま法則化しているのです。
>遠い過去では、観測事実からは第2法則が成立していないということは十分に可能なのです

そうでしょうか? むしろ第2法則は確率論という純粋数学に直接立脚しており、最も否定の難しい自然科学理論に思えます。いずれにせよ、疑似科学とは別の問題でしょう。第2法則には、観測事実との矛盾ではなく、

(1)エントロピーは常に増大する
(2)ゆえに過去にエントロピーの極小状態が存在した
(3)ゆえにエントロピーの極小状態が生じた
(4)ゆえに(1)と矛盾する

という、論理的な自己矛盾(=疑似科学)があるのです。そうではない説明としてdiamonds8888xさんは、

>p2-2) 全宇宙の外からの影響で生じた。(宇宙が無限)
>p2-3) どこからも生じたのではなく、単に存在していた。(過去が無限に続いているという考えが間違い)

を挙げられました。これはしかし、ご自身が言われるように、

>観測ではちょっと証明するのが極めて難しそう

ですし、それ以前に、無限の宇宙とか、無限に続かない過去(因果関係がどこかで切れるという意味ですね)とは、どんなものなのか、イメージの具体化ができないのでは?

もしも、p2-2やp2-3のような可能性を挙げるだけで疑似科学ではないと主張できるのなら、基準05によって疑似科学と判定される理論などなくなると思われます。例えば基準違反として挙げられたこの例ですが。

〜この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない

ご存知のように、量子の世界では、ある物体がある障壁を貫通した状態としなかった状態が並立します(トンネル効果)。量子で起こることが矛と盾で起こらないのは、量子に比べて矛と盾が大きすぎるからですが、「大きすぎる」と判定する基準は何かといえばプランク定数でしょう。つまり、量子なら位置の不確定量が障壁をまたぎうるが、矛と盾ではそれは起こりません。しかし、もしプランク定数が現在の観測値よりも十分に大きくなれば、矛と盾のトンネル効果は起こるはずです。

むろん、大きなプランク定数など1つの観測例もありません。でもそれは、無限大の宇宙も、因果律の断絶も、同じです。矛と盾を基準05違反の例に挙げながら、熱力学の第2法則はそうでないと主張するのは、一貫性がないと思えるのですが。

681diamonds8888x:2020/09/11(金) 05:37:26 ID:Qix9q/lA
>>680
 熱力学の第2法則はKenさんの基本的な考えがわかる良いテーマでした。ご想像の通り、それは私の考えとは違いますが、それをわかりやすく説明しようとすると熟慮を要します。おっしゃる通り「基本的な点」であり、基本的な理論ほど、その一歩奥は非常に難しくなるものです。数学基礎論がいい例ですが。

 というわけで私が説明を考えている間に、Kenさんが量子力学をどう考えているのかの話を楽しみにしていますのて、よろしく。

682diamonds8888x:2020/09/11(金) 05:48:14 ID:Qix9q/lA
>>680, >>681
 同意している点をひとつだけ述べておきますが、「間違った理論」と「疑似科学」は区別している、という点は同意です。ただし具体的に区別する際に2人の間に違いが出てきているのですよね。その大きな理由が[>>680]で説明していただいた「基本的な点」の認識にあると思われます。


>基準05によって疑似科学と判定される理論などなくなると思われます。

 もちろんです。基準05は「(科学的であると自負するならば)まさかこれに違反する理論を提出するような人はいるはずないよね」というものです。「けど、だからこそ、誰もが納得する疑似科学の基準として良い例になるよねえ」というつもりで提出しました。ところがKenさんから思わぬ批判が飛び出して、非常に驚いている次第なのです。

 そもそも(科学的であると自負する人)の提出する理論だったら、本来は疑似科学と判定される理論などゼロであってしかるべきなのですよ。

683Ken:2020/09/12(土) 12:58:05 ID:Vt0Ycb5Y
>>679
>染色体であることとDNAであることを対立仮説とする人はいませんよ、普通は。

その一方で、古典力学では粒子説と波動説は対立関係にあると考えられていました。その違いはどこから来たのか、そして量子力学では対立関係がどうなったのか。それをこれから論じてゆきます。ただし、その前に、熱力学の第2法則の問題を片付ける、ということでよいでしょうか?


>>682
>基準05は「(科学的であると自負するならば)まさかこれに違反する理論を提出するような人はいるはずないよね」というものです。

本当に、基準05に違反する理論が出てこないなら、基準05は適用されることがない、つまり存在理由のない基準になることでしょう。ただし、

>科学的であると自負するならば

という点が問題で、疑似科学理論を出してくる人の中には、主観的には科学的だと自負している人がいるし、だから客観的な基準が必要というのが、diamonds8888xさんの主旨ではないでしょうか。

684diamonds8888x:2020/09/13(日) 09:40:19 ID:Qix9q/lA
>>683
>ただし、その前に、熱力学の第2法則の問題を片付ける、ということでよいでしょうか?

 できれば同時並行で論じてください。熱力学の第2法則の問題も簡単には片付かないでしょうし、量子力学についてのKenさんの考えがわかれば、第2法則についての考えの共通点なりもわかり、相互理解が早くなるはずです。

 【訂正】できればではなくて、ぜひ努力してください。

>本当に、基準05に違反する理論が出てこないなら、基準05は適用されることがない、つまり存在理由のない基準になることでしょう。

 もちろん出てくる可能性はあります。間違いは人の常ですから。間違う可能性がある限り、どんなに当たり前に思えても、基準の存在理由はあります。「人は殺しちゃだめ」がいい例です。それとも科学の範囲ならばユークリッドの公理とか。

>疑似科学理論を出してくる人の中には、主観的には科学的だと自負している人がいるし、だから客観的な基準が必要というのが、diamonds8888xさんの主旨ではないでしょうか。

 そのとおりです。

685Ken:2020/09/13(日) 17:37:12 ID:Vt0Ycb5Y
このスレッドの議論は容易ではなく、誤解や行き違いを生じないように、私たちは慎重に進めてきました。慎重に進めるための1つの工夫として、疑似科学の判定基準を一括して論じるのではんく、基準01、基準02と分けて整理し、1つの基準の議論が終わってから次に進む形を取ることにしました。それどころか、基準01の議論が難しくなりすぎたと判断したら、これを保留して基準05を先にやることに決めたのは、ご承知のとおりです。それを思えば、2つの問題を並行で論じるのは、極力避けたいのです。ただし、

>量子力学についてのKenさんの考えがわかれば、第2法則についての考えの共通点なりもわかり、相互理解が早くなるはずです。

それなら、こうしてはどうでしょうか。

まず私が量子力学が「粒子説vs波動説」問題にどう影響するか、考えを述べます。その説明に不明な点があれば質問してください。ただし、私の考えが明らかになったら、そこにdiamonds8888xさんの考えを出して議論を始めるのは、熱力学第2法則が片付いてからにしては、どうでしょうか?

これなら2つの問題を同時並行に進めることはなく、かつ私の考えも理解していただけるのではないでしょうか。

686diamonds8888x:2020/09/16(水) 05:50:49 ID:Qix9q/lA
>>685
 それでいいです。よろしくお願いします。

687Ken:2020/09/17(木) 23:23:30 ID:2bVYpmOE
それでは、粒子と波動の背反関係が、量子力学でどのように認識されるかを語りますが、その前にまず、「粒子とは何か」「波動とは何か」を明らかにしておきます。

光の正体論争の中で粒子説論者は「真空を伝わる」「回折現象を示さない」という特徴を粒子説の根拠に挙げました。しかし、これらは粒子の定義ではなく、粒子ならそのような特徴があるはずと考察された属性であり、考察次第で粒子固有の属性ではなくなるでしょう。現に波動説論者は、波動でもそのよう特徴を示しうると主張しました。波動説論者が根拠に挙げた「屈折する」「交差する」も同じで、これらは波動の定義そのものではありません。だから、粒子でもそういう属性を持ちうると反論されたのです。

では、粒子と波動の根本的な定義はなんでしょうか。属性を考察するには、まず、あるものを「粒子」として、あるものを「波動」として、認識せねばなりませんが、何をもって認識するのでしょうか?

私はこう考えます。粒子の基本定義は「離散性」にある、と。

物理学においては、天体も粒子です。大砲の砲弾も、ニュートンのリンゴも、デモクリトスが認識したアトムも粒子です。粒子とは離散的な「かたまり」で、「かたまり」としての大きさを持ち、質量をもち、エネルギーを持ちます。粒子のエネルギーとは、運動エネルギー(mv²/2)や位置エネルギー(mgh)などです。

波動は離散的なものではありません。波束のような離散的存在もありますが、それは複数の波の合成がそのように見せかけるだけで、波動自体は離散的な存在としての属性をもちません。このことは数式から明らかで、例えば、音の伝播を表す方程式はこのようになります。

ρ∂²χ/∂t² = -dP/dρ ∙ ∂²χ/∂x² (ファインマン物理の47.4、47.9、47.12式から:www.feynmanlectures.caltech.edu/I_47.html)

この中のρは質量ではなく密度つまり体積あたりの質量なのです。粒子なら「かたまり」としての質量(m)が定義されますが、波動はそうなりません。エネルギーも同様で、波動に現れるエネルギーとは、媒質の部分単位に注目し、その部分がもつ運動エネルギーや弾性エネルギーになります。エネルギーの密度と考えてもよいでしょう。

ただし、粒子の定義は離散性ですが、波動の定義は連続性ではありません。波とは関係ない連続体もありますから。では波動の基本定義は何かといえば「周期性」だと思います。同じ間隔で同じ変化を繰り返すことです。周期には、特定の位置で動きを繰り返す時間的周期と、時間を止めて一定の座標間隔で繰り返す位置的周期があり、どちらも三角関数で表現されます。

ここで、粒子と波動の背反関係が問題になります。粒子と波動の定義が、

〜粒子は離散的なもの、波動は周期的なもの

であるなら、これだけでは背反関係は成立しません。古典力学で背反関係が成立したのは、粒子と波動の属性を考察した結果、例えば、

〜粒子では質量移動が起こるが、波動では起こらない

のような違いがあると分かったからです。


この離散性という粒子の定義こそ、20世紀に光が粒子と再認識された理由でした。

(続く)

688Ken:2020/09/18(金) 22:02:58 ID:2bVYpmOE
量子力学で光が粒子と認識されるのはなぜか。事象を挙げて説明します。

目の前で猛烈な火が燃えている状況を考えてください。耐え難い熱さで、輻射熱だけで火傷を負いそうな火です。一方、好天の日に日光浴をすることを考えてください。適度な日光なら快適に過ごせるでしょう。身に浴びるエネルギーは火の方がはるかに大きいのです。ところが、それほど火のエネルギーは大きく日光は小さいのに、日光では起こるが、火では起こらない現象があります。

それは日焼けすることです。皮膚組織に色素を作る化学反応が起こることです。

いくら輻射エネルギーが大きくても、火で日焼けは起こりません。生命が危険なほどの熱でも、日焼けは起こらないのです。

量子力学では、この現象を、光が離散的な「かたまり」であることで説明します。つまり、ここで問題になるのは、光の「かたまり」の1つ1つが持つエネルギー量なのです。それが周波数にプランク定数をかけた値(hν)なのはご承知のとおりです。

身体が受けるエネルギーの総量も、面積あたりの密度も、火の方が大きいのですが、火の赤い光は、1つずつの「かたまり」が持つエネルギーは小さく、ただ大量の「かたまり」を放出することで、全体量が大きくなります。でも、それで日焼けは起こりません。対して日光に含まれる紫外線は、1つの「かたまり」が持つエネルギーが大きいので、「かたまり」の数は少なくても日焼けを起こします。

日焼けを説明するには、光が離散的な「かたまり」つまり粒子であると考えねばなりません。

同様の例は日焼けだけではありません。

光が目に見える現象もそうです。波長が特定範囲の電磁波が可視光線ですが、量子力学では、これは光の1つの「かたまり」のエネルギーが特定の範囲にあることを意味します。赤外線は目に見えませんが、もし問題になるのがエネルギーの総量や密度なら、赤外線の強さを調整すれば見えるはずです。でも「かたまり」のエネルギーが可視光線より小さい赤外線ではだめなのです。

写真が写る現象もそうです。フィルム上で所定の化学反応を起こすには(CCDカメラなら所定の電荷を生じるには)、入射光の波長が、つまり「かたまり」のエネルギーが、特定の範囲になければなりません。昔の写真店が赤い照明の暗室で現像を行なったのは、余計な反応が起こらないように、できるだけ赤外線に近づけるためでした。

日焼けをするのも、ものが見えるのも、写真が写るのも、光が粒子であることの現われなのです。

(続く)

689Ken:2020/09/19(土) 01:18:48 ID:2bVYpmOE
粒子と波動の関係はどうなるでしょうか。例えば、光の粒子性と波動性を、同時に観測できるでしょうか?

光の「かたまり」を「かたまり」として観測はできません。しかし、ものが見えたり写真に写ることが光の粒子性を示すのだと解釈すれば、話は異なります。

例えば2重スリット実験では光が干渉縞を作り、それを目で見ることも写真に写すこともできます。これは、目に見える/写真に写るという粒子的特徴と、干渉縞を作るという波動的特徴を、同時に観測しているとは言えませんでしょうか?

あるいはまた、天文観測で遠方の銀河が赤方偏移を起こすことが観測され、写真にも取られています。赤方偏移は遠ざかる波源が起こすドップラー効果ですが、これも光の波動的特徴でドップラー効果が起こり、粒子的特徴で写真に写るのだと、つまり粒子と波動の特性が同時に観測されると言えませんか?

観測については以上のようであるとして、光が粒子であり同時に波動であることは、理論的にはどう整合されるのでしょうか? ファインマン物理の38章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_38.html)でそれが説明されていますが、私が理解した内容は以下のとおりです。

やはり光は粒子なのです。ただし量子サイズの粒子なので不確定性原理が働き、粒子の位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どの位置にどれだけの確率で存在するかは、厳密な法則に従うのです。第1節(38–1 Probability wave amplitudes)の3つ目の段落に登場する式が、量子の存在確率を表現します。

e i(ωt - k⋅r) (i以下はすべてeにかかる乗数)

指数関数で表現されてますが、eの乗数が虚数なので、これは三角関数つまり波を表す関数と同じです。量子が粒子であり同時に波動であることを説明すればこうなるでしょう。


まとめると、光が粒子であり同時に波動であるという、古典力学では疑似科学と判定される理論が、量子力学では、観測と理論の両面で支持されることになります。


私からの説明は以上です。不明な点があれば指摘してください。

690diamonds8888x:2020/09/20(日) 10:01:57 ID:Qix9q/lA
>>687,>>688,>>689
 明らかなことなので質問には含めませんが、波と粒子の定義はKenさんオリジナルの考えであり、他の人による出典はないと理解しています。

 全体としては理解しました。不明点は以下の3つです。
  [>>687]に2つ。内容に関するもの。
  [>>688]に1つ。本論には関係ないもの。敢えて答えなくてもいい。
 質問ではなくコメントです。これは別発言にて。
  [>>688]に1つ。私の理解のまとめ。


【*第1[>>687]】
  「質量移動が起こるか起きないかの違いは、属性であって本質的なもの(定義)ではない」と理解していいのですか?
  定義はあくまでも、「離散性」と「周期性」ですね?

【*第2[>>687]】
  波動とは「周期性」を持つものである、と定義するとしたら、例えば以下のものはどう分類するのでしょうか? または、どう位置づけるのでしょうか?
   ・天体の日周運動や年周運動
   ・氷河期の繰り返し
   ・動かない縞模様(トラや豹の模様など)

【*第3[>>688]】
  内容は私の知識と一致してますので私自身はよく理解できます。量子力学や物理学をよく知らない人向けには一般的な事例を上げて説明するというよく使われる説明方法であることもわかります。
  ただ、ある程度物理や量子力学を知っている人に対してはもっと短い説明も可能だと思います。例えば次のように。

   ----------
 光が物質に及ぼす物理作用や化学作用は、光の波長により性質が異なるが、同じ波長であれば強さ(明るさ)が違っても起きる反応そのものが変わることはない。量子力学では、この現象を、光が離散的な「かたまり」であることで説明する。
 (以下略) 若干の例と、プランク理論であることの紹介とか・・。
   ----------

 ある程度物理や量子力学を知っている私に対する説明として、わざわざ3つもの事例を上げて説明したのはなぜなんでしょうか?

  ・単にそういう説明が得意なだけ
  ・Kenさん自身が上記のような簡単過ぎる説明では納得できない
  ・その他、私の想像できない理由

691diamonds8888x:2020/09/20(日) 10:03:16 ID:Qix9q/lA
>>687,>>688,>>689,>>690
[>>689]の私の理解をまとめました。

   ----------
 ものが見えたり写真に写ることが光の粒子性を示すのだと解釈すれば、光は本来は粒子である。(>>687の定義から)。
 ただし量子サイズの粒子なので不確定性原理が働き、粒子の位置を特定できない。
 その粒子の位置の存在確率は波動関数で表される波動である。
 まとめると、光の本質は離散した「かたまり」である「粒子」なのだが、「粒子の位置の存在確率」は波動である。
   ----------

以上です。

692Ken:2020/09/21(月) 20:21:38 ID:2bVYpmOE
>「質量移動が起こるか起きないかの違いは、属性であって本質的なもの(定義)ではない」と理解していいのですか?
>定義はあくまでも、「離散性」と「周期性」ですね?

はい、私の理解はそういうものです。

>・天体の日周運動や年周運動
>・氷河期の繰り返し
>・動かない縞模様(トラや豹の模様など)

周期性というからには、単に「増えたり減ったりする」とか「現れたり消えたりする」だけでなく、同じ周期で同じ変化を繰り返す必要があります。そうなると上の3つのうち2番目と3番目は該当しないでしょう。すくなくとも、氷河期や縞模様が同じ周期で現れるという理論を私は知りません。

ただし周期的でないという断言もできません。

氷河期については、何をもって氷河期と見なすかにもよるのでしょうけど、もし過去の「氷河期」が8万年、23万年、16万年・・・といったような一見不規則な間隔で起こったとしても、そこには、より大きな単位での周期があるかもしれません。縞模様も同じです。数式で表現すれば、

x = A cos ωt

のような単純な波形ではなく、

x = A1 cos ωt + B1 sin ωt + A2 cos 2ωt + B2 sin 2ωt + A3 cos 3ωt + B3 sin 3ωt + ・・・

のような級数になるものです。重要な点は、周期的な波動を起こすのは単振動で、単振動を起こすのは釣り合い位置からの変位に比例する復元力ということです。氷河期や縞模様の出現にそのようなメカニズムがあると明らかになれば、どちらも波動と見なせるでしょう。

天体の周回運動は間違いなく周期的で、時間に沿って座標を記録すれば、きれいな波形になるでしょう。

>わざわざ3つもの事例を上げて説明したのはなぜなんでしょうか?

今回に限らず、私の説明が冗長になっているのは承知してますが、ひとえに行き違いを起こさないためです。つい最近も、私が遺伝子の例を出した意味が当初は伝わらなかったようですし、これからも「くどい」と思われる説明になるかもしれません。

693diamonds8888x:2020/09/27(日) 05:52:02 ID:Qix9q/lA
>>692
> >わざわざ3つもの事例を上げて説明したのはなぜなんでしょうか?

> 今回に限らず、私の説明が冗長になっているのは承知してますが、ひとえに行き違いを起こさないためです。

 了解しました。本筋ハズレのつまらない質問でお手数おかけしました。

694diamonds8888x:2020/09/27(日) 05:57:13 ID:Qix9q/lA
>>692
 もしも追加説明をするつもりだったのでしたら早とちりで申し訳ないのですが、

>天体の周回運動は間違いなく周期的で、時間に沿って座標を記録すれば、きれいな波形になるでしょう。

 これは、天体の周回運動も「波動」の定義に当てはまるということでょうか?
 つまり天体の周回運動も「波動」に含むということでょうか?


>氷河期については、何をもって氷河期と見なすかにもよるのでしょうけど、

 そのとおりですね。地球の気温変化としておきましょう。
 すると四季の気温変化が含まれますが、これは天体の周回運動によるものですから、もしも天体の周回運動も「波動」に含めるならば、四季の気温変化も「波動」に含まれると考えてよろしいですか?
 でも数千年スケールの変化は「単振動的な周期のメカニズムが認められないうちは」波動には含めない、と理解すべきなのですか?

>そうなると上の3つのうち2番目と3番目は該当しないでしょう。

 3番目の「・動かない縞模様(トラや豹の模様など)」は「変化を繰り返す」に当てはまらない、つまり時間的に何も動いていなければ、それは「波動」に含まれないということですね?
 ならば、その点は了解しました。「波動」は時間的変化の要素を含んでいるものである、ということですね。
 私も静止している縞模様などは「粒子説vs波動説」の文脈での波動に含めない方がよいと思います。ただ、そうすると以下の文章の意味を確認したいのです。

>同じ間隔で同じ変化を繰り返すことです。周期には、特定の位置で動きを繰り返す時間的周期と、時間を止めて一定の座標間隔で繰り返す位置的周期があり、どちらも三角関数で表現されます。

 この「時間を止めて一定の座標間隔で繰り返す位置的周期」というのは縞模様などを指すのではないと思いますが、この文章で言いたいことは何だったのでしょうか? 解釈によっては縞模様なども波動に含めると読めてしまいそうなのですが、そうではないのですね?

695Ken:2020/09/27(日) 13:01:17 ID:2bVYpmOE
>>694

波動の定義を平易な言葉で表現すれば「周期性」となるのでしょうけど、より明確な数式で表現すれば、34章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_34.html)の7節(The ω,k four-vector)に登場する関数になるかと思います。その式には番号がふられていませんが、(34.19)と(34.20)にはさまれた段落の最初の行に、

cos (ωt - k⋅r),

とあり、この中のkとxは太字になってることで分かるようにベクトルです。そのベクトルを3次元の要素に分解したのが、直後の式です。2つの式から分かるように、rはx, y, z座標を統合したものです。

ωは角振動数、tは時間ですが、kは式の直後で説明されてるように、距離による位相変化の割合で、kとrはωとtと同じ関係にあります。

このことから波動には、少なくとも物理学でいう波動には、時間的変化と位置的変化があり、両者が線形結合してるということは、時間的変化だけの波も、位置的変化だけの波も、そして両者の結合も存在するということでしょう。たとえば時間的変化だけの波動は単振動で、同じ位置で周回する天体はその1例であるし、縞模様は、もしも周期性があるなら、つまり同じ周期で繰り返すのなら、位置的変化だけの波動だと思います。音や光は、その両方をもつ波でしょう。

「動かない縞模様」は波動とは思えないと私が言ったのは、時間的変化を含まないからではなくて、同じ周期で変化を繰り返すのか分からないからです。もしも同じ周期で位置的変化を繰り返すのなら、上に挙げた式のω=0の場合つまり

cos k⋅r

で、というより縞模様が1方向にだけ広がるならベクトルではなく、

cos kx

と表現されれる波動になるかと思います。

これで回答になってますでしょうか?

696Ken:2020/09/27(日) 16:53:06 ID:2bVYpmOE
すこし説明が足りなかったかもしれません。

>天体の周回運動も「波動」に含めるならば、四季の気温変化も「波動」に含まれると考えてよろしいですか?

四季の「基本的な」変化は波動だと思います。ただし、いうまでもなく四季の気温変化は地球の公転だけの反映ではなく、複雑な気象条件で変わりますから、まったく同じパターンをとるわけではありません。

例えば、振り子は単振動(=時間的変化のみの波動)ですが、風の中でゆれる振り子は複雑な動きをするでしょう。そういう振り子の動きは、釣り合い位置からの変位に比例する復元力で加速される基本成分と、風の力で加速される成分の合成になります。通信でいうところのシグナルとノイズとみなすこともできるでしょう。

四季の気温変化も同様で、地球の公転で変わる太陽光線の入射角に依存するシグナル成分と、気象条件の影響を受けるノイズ成分の合成と考えればよいのではないでしょうか。


>「時間を止めて一定の座標間隔で繰り返す位置的周期」というのは縞模様などを指すのではないと思いますが、この文章で言いたいことは何だったのでしょうか?

>>695で紹介した式の「ω = 0」の場合です。

697diamonds8888x:2020/10/03(土) 05:19:48 ID:Qix9q/lA
>>696, >>695
まとめると、以下の理解でよろしいですか?

 天体の周回運動、季節変化や氷河期の繰り返し、トラの縞模様、はすべて波動に含める。
 ただし、単一周波数や単一波数がその中に認められるならばという条件のもとで。
 あまりに複雑で単純な繰り返しが認められないものは波動には含めない。

698diamonds8888x:2020/10/03(土) 05:21:09 ID:Qix9q/lA
>>696, >>695
こちらはKenさんの知識背景に関する質問ですので別発言にします。

 以前の恐竜の力学関連の議論で、Kenさんは数式がわかり、数式で理解する努力を厭わない人だと思いました。とはいえ物理や他の自然科学における数式については、数学的理解も必要ですが、そこに出てくる変数の物理的意味というものも重要であることは同意していただけると思います。ちょっと以下の質問をします。

 「波数」という言葉はご存知でしたか?
  もしご存知でなかったら調べてみてください。

 フーリエ変換についは以下のどれが当てはまりますか?
 1) 仕事や深い趣味の中で扱ったことがあった。
  または、扱えるくらいには理解していた。
 2) 公式は知っていたが、あまり使ったことはない。
 3) 名前くらいは知っていたが、あまりよく知らなかった。

 何を常識的なことをとお感じでしたらごめんなさい。というか、それならば嬉しいのですが。

699Ken:2020/10/03(土) 09:52:49 ID:9Z8oYPi.
これまでに波動を表す関数を2度紹介しました。>>689の「e i(ωt - k⋅r)」と>>695の「cos (ωt - k⋅r)」です。指数関数と三角関数になってますが、ファインマンは同じものとして扱います。この中の「k」が波数(wave number)です。ファインマン物理での初登場は29章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_29.html)の3節「29–3 Sinusoidal waves」になります。

機械工学科の出身なのでフーリエ変換は教わったはずですが、30年もたつと教授の顔すら思い出せません。現在の知識はファインマンで読んだものです。フーリエ変換は25章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_25.html)の2節で初登場しますが、最も重要な級数展開は50章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_50.html)の2節「50–2 The Fourier series」で説明されています。このような教科書で書かれていることなら理解しているつもりですが、仕事で使う機会はありませんでした。(社会人になって数年で情報部門に転じました)

>天体の周回運動、季節変化や氷河期の繰り返し、トラの縞模様、はすべて波動に含める。
>ただし、単一周波数や単一波数がその中に認められるならばという条件のもとで。
>あまりに複雑で単純な繰り返しが認められないものは波動には含めない。

その説明でよいと思います。ただし

〜単一周波数や単一波数がその中に認められる
〜あまりに複雑で単純な繰り返しが認められない

という部分は誤解を生じないよう慎重を要するでしょう。>>692でフーリエ級数を出しましたが、単一の周波数や波数でなく、どれだけ複雑な波形でも、繰り返しがあれば波動です。さらに言えば、トラの縞模様などに繰り返しが観測されなくても、縞模様が顔で始まり尾で終わるなら、それを基本波長と見なす「強引な」定義がありうるし、実際にそうして縞模様の周波数分析をする人がいるかもしれません。


お尋ねがあったことにはお答えしますが、光の波動性は干渉縞やドップラー効果から明らかで、粒子と波動の背反関係の有無を考察するのに必要なのは、20世紀に明らかになった、光の粒子性であることは、同意いただけるでしょうか?

700Ken:2020/10/03(土) 11:43:40 ID:9Z8oYPi.
>数学的理解も必要ですが、そこに出てくる変数の物理的意味というものも重要

それで1つ思い出しました。数式の数学的理解と物理的理解の違いについてです。

ご承知かと思いますが、本来のオイラーの公式(ja.wikipedia.org/wiki/オイラーの公式)では、

e i(ωt - k⋅r) = cos (ωt - k⋅r) + i sin (ωt - k⋅r)

となります。これが数学的理解ですが、現実世界に複素数的な存在はないから、物理的理解としては、

e i(ωt - k⋅r) = cos (ωt - k⋅r)

と考えるのがファインマンの論旨と理解しています。そうまでして指数関数を用いるのは、三角関数よりも取り扱いが容易だからです。23章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_23.html)の1節「23–1 Complex numbers and harmonic motion」の2つめの段落が、それを説明した最初であると思います。

701diamonds8888x:2020/10/04(日) 14:45:25 ID:Qix9q/lA
>>699
 フーリエ変換の理解についてはわかりました。

 そのファインマンの趣旨は詳しく読んでいませんので勘違いでしたらごめんなさいですが。

>この中の「k」が波数(wave number)です。

 「k」の物理的意味は何らかの量子力学的な物理量を指しているのではないかと思います。もっと広い範囲の、波動一般における波数の意味を述べてください。例えば「周期」なら、「時間的な繰り返しの長さ」でいいですよね?


>トラの縞模様などに繰り返しが観測されなくても、縞模様が顔で始まり尾で終わるなら、それを基本波長と見なす「強引な」定義がありうるし

 どうも観察事実の解釈が私とKenさんとで異なるようなのですが、例えば以下のように様々なトラジマがあります。

ttps://www.google.com/search?q=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AE%E7%B8%9E&client=firefox-b-d&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjN8bbwm5rsAhWXdXAKHWiBDFcQ_AUoAXoECAwQAw&biw=1276&bih=801

 例えばこれなんかは、中央に横方向への4つ〜7,8つの繰り返しが見えるのですが、そうは見えないでしょうか? 人によっては写真全体で繰り返しがあるといいそうですが。
ttps://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25562004077


>>700 のような感想もあるかとは思いますが、本筋には関係ないでしょうから答えなくてもいいですね?

702Ken:2020/10/04(日) 20:57:44 ID:UBlDZ10g
波数(k)が何であるかは>>695で「距離による位相変化の割合」と述べましたが、これでは不足でしょうか?

cos (ωt - k⋅r)

という式が語っているのではありませんか? (ωt - k⋅r)はコサインの引数だから位相で、単位はラジアンです。ωtとk⋅rは線形結合してるから、どちらもラジアンです。そしてr(x,y,zの統合ベクトル)は距離ですから、kは一定の距離で起こる位相の変化量で、単位はラジアン/メーターになります。

音や光のような最も一般的な波は、変位(音なら気圧、光なら電磁場の強さ)が高低を繰り返しながら、空間を伝わってゆきますよね。つまり時間が経っても位置が動いても位相は変わるので、tとrの関数になります。同じ位置に留まって(k=0)時間的変化だけを見れば、cos ωtという単振動になるし、時間を止めて(ω=0)位置的変化だけを見ればcos k⋅rという静止した波模様になります。例えばオシロスコープはcos ωtのような時間的変化をcos k⋅rという静止した波模様(正確には1次元だからcos kx)として見せてくれます。

これでも

>もっと広い範囲の、波動一般における波数の意味

になっていないのなら、どういう説明をするべきなのか、提示していただけませんでしょうか?

>例えば「周期」なら、「時間的な繰り返しの長さ」でいいですよね?

上で述べたことから、周期には時間的なものと位置的なものがある、と考えるべきと思います。ωtとk⋅rが線形結合してるということは、時間的変化と位置的変化は、同じレベルで波動の造形に寄与します。

時間的周期:2π/ω
位置的周期:2π/k

>例えば以下のように様々なトラジマがあります。
>例えばこれなんかは、中央に横方向への4つ〜7,8つの繰り返しが見えるのですが、そうは見えないでしょうか? 人によっては写真全体で繰り返しがあるといいそうですが。

私が波動における「繰り返し」というのは、同じパターンの変化を、時間であれ位置であれ同じ間隔で、繰り返すことです。例えば第50章(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_50.html)のFig.50–1の(b)を見てください。1周期の中では不規則に見えるが、それでも同じパターンの変化が繰り返されているでしょう。(a)にはそのような繰り返しがありません。図の説明に(a)は「NOISE」、(b)は「A MUSICAL TONE」とあります。ここでのMUSICAL TONEは>>696で私が「シグナル」と呼んだものと同じです。

ですから、この場合、トラの縞模様の細部に注目しても意味がありません。どれだけ不規則に見える変化でも、その不規則変化が繰り返されるなら波だと言いました。私が知る限りで、トラの模様にそういう繰り返しがあるという話を聞いたことがないので、>>692で波動には該当しないと思うと言いました。ただし、私はトラの縞模様が作られるメカニズムを知りませんので、もしかすると気温変化のように、シグナルにノイズが入っているだけかもしれない(つまり縞模様は波かもしれない)し、1つの解析手法として、縞模様がある顔から尾までを1波長と定義すれば、単純なフーリエ解析をすることで、ノイズを含まない、シグナルだけの波動として表すことはできるでしょう。

ところで>>699の末尾でも尋ねましたが、波動に関するこのような議論は、本題である「粒子と波動の背反性」を論じるのに必要なのでしょうか? 光の波動性は干渉縞や赤方偏移で明らかなのではありませんか?

703Ken:2020/10/05(月) 00:51:16 ID:UBlDZ10g
>>701

>「k」の物理的意味は何らかの量子力学的な物理量を指しているのではないかと思います。

量子力学的な物理量? それは量子力学では定義されるが、古典力学では定義されない、という意味でしょうか?
でも波数kは古典力学的な波だろうが、量子の存在確率を表す波だろうが、定義できますよね。

それとも量子のエネルギーhνと関連した話ですか?

k = 2π/λ (λは波長)
c = λν  (cは波の伝播速度)

ですから、

量子のエネルギーhν = hc/λ = kch/2π = kcħ

つまり波数に光速と換算プランク定数をかけた値が、量子のエネルギーということでしょうか?

704diamonds8888x:2020/10/05(月) 05:53:26 ID:Qix9q/lA
>>703,>>702
 長々と煩わしいかも知れませんか、同じ言葉を使っていて実はその意味は違うものを思い浮かべていたのでは議論がすれ違いますから、そこをすり合わせるのは大切ではないでしょうか? すり合わせるというよりは、相手の使う言葉はこんな意味なんだと正しく受け取るための、ここしばらくのやり取りですので、しばしお願いします。

>>703
>でも波数kは古典力学的な波だろうが、量子の存在確率を表す波だろうが、定義できますよね。

 もちろんです。そういう前提での「波数」ならば、それで結構です。私と同じ解釈ですから。

>>702
>どういう説明をするべきなのか、提示していただけませんでしょうか?

 ざっと検索すると、コトバンクが単純でいいですかね。私の説明は、さらに以下を参照してください。
 ttps://kotobank.jp/word/%E6%B3%A2%E6%95%B0-114365

>周期には時間的なものと位置的なものがある、と考えるべきと思います。

 それはその通りですが、ある文章の中で「周期」が両方の意味を含むのか、時間的意味だけを含むのかは文脈によりますから、「両方の意味を含む意味にしか使ってはいけない」ということではありませんよね?

 通常、物理科学の中では以下の使い分けをしているはずです。

周期 時間的繰り返しの間隔 単位は例えば[s]、次元は[時間]
波長 空間的繰り返しの長さ 単位は例えば[m]、次元は[長さ]
周波数 単位時間内の波の数(繰り返しの数) 単位は例えば[s-1]、次元は[1/時間]
波数  単位長さ内の波の数(繰り返しの数) 単位は例えば[cm-1]、次元は[1/長さ]

 上記の定義で明らかですが、周波数=1/周期、波数=1/波長、なので、相方の逆数を定義としていることもあります。


>>702
トラジマについてです。

 私には、「黒+黄色」の1対のパターンが多数繰り返しているように見えます。「トラの縞模様の細部に注目」すれば、各パターン同士には微妙な違いは確認できますが、この程度の差異なら荒れた海の波でもあると思えるのですが、そういう解釈は納得できませんか?

705diamonds8888x:2020/10/05(月) 05:56:00 ID:Qix9q/lA
>>702,>>704

 同じもの(例えばトラジマ)を見ているのに、方や波動だ、方や波動ではない、というのでは意思疎通が難しいでしょう?

706diamonds8888x:2020/10/05(月) 07:00:21 ID:Qix9q/lA
>>705
 私には、トラジマは干渉縞とよく似て見える、と言えば、私の感覚がわかっていただけるでしょうか?

707Ken:2020/10/08(木) 00:03:54 ID:2bVYpmOE
問題は言葉の定義ということでしょうか?

*波数

ウィキペディアの記事(ja.wikipedia.org/wiki/波数)によると、波数の定義は、

物理化学や分光学では、1/λまたはν/c
波動力学では、2π/λ

とあります。そうであるなら、この場では2π/λという定義に統一するしかありません。議論の土台が波動力学を含む力学なのですから。それに物理化学や分光学を専攻した人なら、その前に高校か大学教養課程で力学を学んだ時、2π/λの定義を見たはずです。もともとカリフォルニア工大の1、2年生を相手にしたファインマンの講義は、まさしくそれに該当しますが、波数の定義は2π/λしかでてきません。

* 周期

周期(period)は時間的変位を繰り返す間隔として用いられ、位置的変位の間隔には使用されないでしょう。ただし、その周期の逆数である周波数について、日本語の記事(ja.wikipedia.org/wiki/周波数)では「単位時間当たりに繰り返される回数」とありますが、より詳しい英語の記事(en.wikipedia.org/wiki/Frequency)では時間的な「temporal frequency」と位置的な「spatial frequency」が言及されていますし、>>702で紹介した「cos (ωt - k⋅r)」で、時間的変化(ωt)と位置的変化(k⋅r)がどちらも位相を決める成分になってるのだから、時間と位置の両方の周期を定義するのが合理的であり、かつ静止した波模様を波動と見なすのなら、そうするべきでしょう。

ただし、こちらは、さしてこだわる問題ではありません。もともとの論題は光の粒子性と波動性ですし、光は静止した波ではありませんから、周期とはtemporal frequencyのことで、私がいう「位置的周期」は「波長の逆数」と呼べばよいと思います。


ですから「周期」「波長」「周波数」「波数」のそれぞれについて、>>704で示された定義を受け入れます。そして「周期」の定義を時間的なものに限定するのなら、私が波動の基本定義とした「周期性」も時間的な繰り返しです。言い換えればトラの縞模様は波動ではないことになります。

708Ken:2020/10/08(木) 00:20:40 ID:2bVYpmOE
>>707

言い間違えました。

誤:周期とはtemporal frequencyのことで
正:周波数とはtemporal frequencyのことで

709diamonds8888x:2020/10/10(土) 05:51:43 ID:Qix9q/lA
>>707
> 物理化学や分光学では、1/λまたはν/c
> 波動力学では、2π/λ

 λ、ν、cという記号が何を(如何なる物理量を)表しているのかを示さないと、定義にはなりませんよ? もちろん慣用的に、λは波長、νは振動数(周波数)、cは波の速度(光速度)を表すことになっていますから、物理化学に慣れた人ならこれだけでも理解はできますけれど。特に今の文脈、波動一般の物理量を話題にしている文脈では、cは光速度ではなく、一般的な波の速度と解釈すべきですが。

 言葉の定義というよりは、波動が持っている物理量の定義です。再掲しますが、以下の4つは物理学で明確に定義された物理量です。だからこそ単位と次元もはっきりしています。

周期 時間的繰り返しの間隔 単位は例えば[s]、次元は[時間]
波長 空間的繰り返しの長さ 単位は例えば[m]、次元は[長さ]
周波数・振動数 単位時間内の波の数(繰り返しの数) 単位は例えば[s-1]、次元は[1/時間]
波数  単位長さ内の波の数(繰り返しの数) 単位は例えば[cm-1]、次元は[1/長さ]

 ここで波数は空間的量なので1次元、つまりは波の進行方向に沿った線上で測ればスカラー量ですが、2-3次元においてはベクトル量とすると便利なことがあり、Kenさん御紹介のファインマンの文章ではまさにベクトル量として使っています。これは波数ベクトルと呼ばれています。なぜか波長ベクトルというものは使われないのですけどね。

 さて今度は慣用的に使われている記号も示しておきます。波数には上線付きのν(ニュー)も使われるようですが、振動数と混同しそうですよね。なお、これも慣用的に、物理量そのものを示す記号はイタリックで表します。単位は普通の活字体。このあたりはさすがにKenさんにはくどすぎるとも思いますが、一応丁寧に書いておきます。
周期(period) T
波長(wave length) λ(ラムダ)
周波数・振動数(frequency) ν(ニュー)、f(エフ)
波数(wave number)   k (ケイ)、κ(カッパ)


【以外と大事なポイント】
 なお日本語の「周期」は(cycle;繰り返し)の意味もありますが、波の周期と言えばひとつの繰り返しの時間的長さという物理量を指す場合がほとんどです。なので英語では(period)です。
  [h ttps://en.wikipedia.org/wiki/Frequency#Period_versus_frequency]

 一方、Kenさんが波の本質であると考えた「周期性」というのは(cyclic)の意味でいいですよね?

710diamonds8888x:2020/10/10(土) 05:53:21 ID:Qix9q/lA
>>707  [>>708]の再掲からスタート
【以外と大事なポイント】
 なお日本語の「周期」は(cycle;繰り返し)の意味もありますが、波の周期と言えばひとつの繰り返しの時間的長さという物理量を指す場合がほとんどです。なので英語では(period)です。
  [h ttps://en.wikipedia.org/wiki/Frequency#Period_versus_frequency]

 一方、Kenさんが波の本質であると考えた「周期性」というのは(cyclic)の意味でいいですよね?

 ともかく4つの物理量の定義は受けいれるとのことですから、次に進めていただくことにしましょう。

>ですから「周期」「波長」「周波数」「波数」のそれぞれについて、>>704で示された定義を受け入れます。

 けれど以下の「周期」はcycleの意味でありperiodではありませんから、波の定義を時間的なものに限定しなくても構いませんよ。そこはKenさんの自由です。

>そして「周期」の定義を時間的なものに限定するのなら、私が波動の基本定義とした「周期性」も時間的な繰り返しです。言い換えればトラの縞模様は波動ではないことになります。

711diamonds8888x:2020/10/10(土) 05:55:20 ID:Qix9q/lA
>>710 先に進みましょう。

>>704,>>705,>>706 のトラジマについての問いにはまだ答えていただいてませんが、ひとまずKenさんの波動の定義についてのポイントをまとめると以下でよろしいですか?

 A)波動の基本定義は「周期性」であり、時間的周期性でも空間的周期性でも含む
 つまり、波動は次の3つのものに分けられる
  1)時間的周期性と空間的周期性とを併せ持つ ;水の波、地震波、電磁波、など
  2)時間的周期性のみで空間的周期性はない ;天体の周回運動、振り子の振動、など
  3)空間的周期性のみで時間的周期性はない ;サインカーブの図、干渉縞の写真、など

 B)繰り返しが認めがたい複雑な形の時間的変化や空間的変化は波動ではない。
  波動とは認めがたい例) 氷河期の繰り返し、トラジマ、など

 そういうことなら、この定義で進めていただいていいですが、ちょっとコメントします。

 本題のテーマでの波動は、水の波、音波、地震波、電磁波(光波)、物質波(電子波や中性子波など)、重力波、などですべて1)に属するものです。2)や3)の波動はテーマには登りませんから、2)や3)を波動に含めるか含めないかは本題のテーマには無関係でしょう。これは同意していたたけますね?

 B)の基準は具体的な判定が難しいケースが多いのではないかと危惧します。とはいえ、そんな定義をせざるを得ないこともありますし、定義したときは判定は簡単だったはずなのに、科学の進歩で境界領域が見つかってきて判定が難しくなってしまうことも科学の歴史ではあったことですから、判定が難しいこと自体は妥当でない理由にはならないでしょう。
 ただ、現時点でのKenさんの判定をいくつか確認したいので、以下のものは波動に含めるのか含めないのか、それとも難しいのかを教えてください。

  氷河期と間氷期との繰り返しの期間の温度変化
  四季の温度変化
  単発の音声(例えばひとつの子音だけの発声による音とか)
  電磁波のパルス

712diamonds8888x:2020/10/10(土) 06:01:49 ID:Qix9q/lA
**以下は私とのコミュニケーションの参考のために、私の考えた方のくせとでも言うべきものを紹介するものです。それは表現のくせにもなるし、文章を読み取るときのくせにもなります。これを読めば、私がどんな誤解をしやすいかということが、その一部はわかると思いますので、参考にしていただければ幸いです。

 [>>695]でKenさんが紹介した式は、私が示した4つの物理量の慣用的記号表現を知っていれば一般的な波動の式であることは一目瞭然です。太文字kが波数ベクトルであることも知ってる人は知ってます。

 しかしKenさんは「距離による位相変化の割合」というわかりにくい説明を出してきました。他の変数はまともに定義を示しているにもかかわらず。

[>>695]「ωは角振動数、tは時間ですが、kは式の直後で説明されてるように、距離による位相変化の割合で、kとrはωとtと同じ関係にあります。」

 こうなると失礼ながら「もしかして波数のことを知らないのではあるまいか? 波数さえ知らないのでは、そもそも波動について理解していない部分がありはしまいか? それでは今後の議論に差し支えて困る」と思って一連の確認質問をしたのです。


 ここで実は御紹介の英文を確認して見ましたので、その話を先に書きます。

 該当の式(34.19)の【直前に】"wave number" も "wave vector" も登場してるではありませんか。かいつまんで要約すれば、

 -----
 ベクトルk(太文字、ボールド体)を定義する。その絶対値は wave number k(普通文字)になる。
 ベクトルkのx成分kxは「x方向に沿った(with respect to x)位相変化の割合」になる。
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 「距離による位相変化の割合」は定義ではなくて、x成分kx(私が訊いたkのことではなくて)が、結果的に何を意味することになるのかというものですよね。しかも「距離による」という誤訳。
 文章を考える気力が萎えましたので、これ以降はまた後ほどの機会に。

 【ひとまず、このコメントは無視して、先に進んでください。】
 (>>711 から続けてください。)


 補足しておきますが、「波数」は高校までの物理化学では使用頻度の少ない言葉で知らない人も多いかも知れないのです。私も使い始めたのは赤外分光でのcm-1(カイザー)単位の量としてでしたから。

713Ken:2020/10/10(土) 10:08:35 ID:2bVYpmOE
>「距離による位相変化の割合」は定義ではなくて、x成分kx(私が訊いたkのことではなくて)が、結果的に何を意味することになるのかというものですよね。しかも「距離による」という誤訳。

誤訳ですか?
ファインマン物理の該当部分は以下のとおりです。

Using this vector, our wave can be written as cos (ωt - k⋅r), or as cos(ωt - kxx - kyy - kzz). What is the significance of a component of k, say kx? Clearly, kx is the rate of change of phase with respect to x.

ωtのtが時間軸上の変化量であるように、kx xのxは(もっと一般的にはk⋅rのrは)空間座標における変化量ですから、「距離」と解して何の問題があるのでしょうか? 距離でないのなら、どういう物理量を表すのですか?
コサインの引数であるk⋅rは位相の変化量で、rが距離なら、kは「距離による位相変化の割合」になりませんか?


>トラジマについての問いにはまだ答えていただいてませんが

>>707の末尾で「トラの縞模様は波動ではない」と述べました。これはいわば「妥協」です。

これまでのdiamonds8888xさんの発言を見ると、トラの縞模様が波動ではないのでは?と疑いをもつ理由が2つ提示されたと思います。

(1)以下のものはどう分類するのでしょうか?(中略)氷河期の繰り返し(>>690) → 同じ変化を繰り返さないのは波ではない
(2)時間的に何も動いていなければ、それは「波動」に含まれないということですね?(>>694) → 時間的変化がなければ波ではない

(1)については、「同じ変化を繰り返さないのは波ではない」という定義は正しいけれでも、トラの縞模様がそれに該当するかは分かりません、と私は述べました。

(2)については、cos (ωt - k⋅r)の中で時間による位相変化ωtと距離(上で述べたようにrを「距離」と認識します)による位相変化k⋅rが線形結合して、つまり同じレベルで、波の造形を支配すること、また>>707で紹介したように、周波数には時間的周波数と位置的周波数があることを考えると、時間的変化のない「波模様」も波動と考えるのが正しいであろうと、私は思います。

ただ、いくら言葉の共通理解が大切でも、静止した波模様はこの場で深く探求する論点とは思えません。特定の速度で空間を伝わる光は静止した波模様ではありませんから。ですから、肝心の議論を先へ進めるために、現時点では、静止した波模様は波動の定義から除外しましょうと、>>707で提案しました。diamonds8888xさんがcos (ωt - k⋅r)について、私と同じ解釈に立たれるのなら、静止した波模様も波動になります。いずれにせよ、光の粒子性・波動性問題に影響するとは思えません。

以上のことから私が次の4つをどう考えるかは明らかと思いますが、念のために回答します。

氷河期と間氷期との繰り返しの期間の温度変化
→ 同じ間隔で同じ変化を繰り返すという観測例がないので波動ではない。ただし氷河期を発生させるメカニズムが明らかになり、何らかの形で、変位に比例する復元力が認められたら波動と見なされ、期間が不規則なのはノイズと考える

四季の温度変化
→ 波動。ただし気象条件に影響されるノイズ成分がある

単発の音声(例えばひとつの子音だけの発声による音とか)
電磁波のパルス
→ 音声や電磁波自体が波動だから、これらも波動。複数の波が合成することで、一見、波動でないように見えるが、フーリエ解析を行なえば、単純な波動の級数であることは明らかになる。Fig.50-3のように途中で反転するパルスもフーリエ級数で表現されます。(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_50.html)

714Ken:2020/10/10(土) 10:16:32 ID:2bVYpmOE
繰り返しになりますが、いくら言葉の定義と共通理解が重要でも、「波動」の定義がここまで問題になりますか?

光(電磁波)が波の特性を持つことは、干渉縞やドップラー効果により、量子力学以前から明らかでした。20世紀の量子力学が光の粒子性を示したことで、

〜光は粒子であり、同時に波動である

という命題が問題になったのです。ゆえに、この命題の真偽を論ずるなら光の粒子性が問題で、diamonds8888xさんとの議論が生じるなら、そこになるだろうと考えていました。それなのに、波動の方が問題になる意味が分かりません。

干渉縞を作りドップラー効果を示す光の波動性は明らかで、静止した縞模様も、繰り返しのない変化も、関係がないのではありませんか?

715diamonds8888x:2020/10/10(土) 17:01:58 ID:Qix9q/lA
>>710, >>711
「周期」について少し間違えたところもありましたので整理しておきます。

 周期、繰り返し:繰り返し現象そのものを指す言葉 cycle
 周期(物理量としての周期):繰り返し現象の最小単位の時間的長さ period
 周期的 cyclic  (波とは周期的なものである)
 周期性 cyclicity (波は周期性を持つ)

716diamonds8888x:2020/10/10(土) 17:28:38 ID:Qix9q/lA
>>714

>静止した縞模様も、繰り返しのない変化も、関係がないのではありませんか?」

 そこは同意で、[>>711]に書いたとおりです。
> 本題のテーマでの波動は、水の波、音波、地震波、電磁波(光波)、物質波(電子波や中性子波など)、重力波、などですべて1)に属するものです。2)や3)の波動はテーマには登りませんから、2)や3)を波動に含めるか含めないかは本題のテーマには無関係でしょう。これは同意していたたけますね?

>「波動」の定義がここまで問題になりますか?

 私が知りたいのはKenさんの提案した「粒子と波動の根本的な定義」[>>687]、つまり「では波動の基本定義は何かといえば「周期性」だと思います。」[>>687]という文章で提案した定義が、具体的にどんなものを含むことになるのかです。

 [>>711]で示した3分類の中の2),3)まで含む結構広い定義を採用されたので、どこらあたりが境界線になるのかを確かめたかったのです。まあ上記の通り、本題での対象となる波動は分類1)のものだけですから、2)や3)にあまり関わるのは横道ではありますから、[>>711]に異論がなければ、特に回答せずに先に進んでいただけばいいです。

 ただ周期性が認められるか否かという基準は人によって異なりうる判断の難しい基準だと思いますので、Kenさんの現時点での具体的判断は確認しておきたいです。なので、以下には答えがほしいのです。現時点では不明、という回答でも構いません。そういうことも有りえますから。

  1.氷河期と間氷期との繰り返しの期間の温度変化
  2.四季の温度変化
  3.単発の音声(例えばひとつの子音だけの発声による音とか)
  4.電磁波の単発パルス


 以下の方は、ちと問題ありです。現時点で理解できなければ、粒子と波動の2重性に関するKenさんの見解をじっくり伺った後に議論すればよい話ではあるので、今、深く議論するつもりはありませんが、見解だけ述べておきます。なので特に回答しないで次に進んでください。もちろん、コメントしたいことがあれば歓迎します。

>干渉縞を作りドップラー効果を示す光の波動性は明らかで、

 粒子性を観測できるほどの短波長の光(電磁波)の場合、波動性を示す現象は干渉性と回折くらいでしょう。なんらかの観測現象の周期(cycle)を直接観測して確かめてはいませんから。干渉縞を作ることが波動であることの証拠だという点は同意です。ただそのことを、根本的な定義である周期性から、どのように導けばよいのかは私にはわかりません。

 ドップラー効果で、例えば赤方偏移を例にとると、光は粒子であり赤い光は青い光よりも運動量が小さいとしても説明されます。むろん光速度は光源と観測者の相対速度が違っても変化しないので、相対性理論のもとではということになります。仮に光が相対性理論における万物の上限速度cより遥かに小さい速度しか持たないとすれば、もっと単純に赤い光は青い光よりも遅い、として説明できることでしょう。

 遠ざかる光源からの光は赤くなる、という現象だけでは波動説の証拠にも粒子説の証拠にもなりません。


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