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科学と疑似科学とを判別する

658Ken:2020/07/26(日) 13:50:41 ID:7/Gvc6ok
>断定するならば、歴史史料に基づく証拠が必要です。
>20世紀の思考を完全に振り切れるかどうか不明な現代人が、いくら思考実験を重ねても証拠にはなりません。

そのようなスタンスをとれば歴史考察などできなくなるではありませんか。

昔の人が何をしたかのみならず、何を知っていて何を考えたかも歴史考察の重要な一部で、それを現代人がやっています。特に今の議論で重要な点は、過去を考察するのに、現代に残る文献以外の資料にも拠ることでしょう。そもそも人類が文字の記録を残すのは、エジプトやメソポタミアでも5〜6千年前からで、日本では2千年に達しません。ですがそれより前の、歴史史料がありえない時代のことも考察されるし、確実視される結論もあります。

例えばメソポタミアでは1万年も前から農耕が行なわれました。

農耕は気の長い根気のいる仕事です。とくに農耕以前の狩猟採集生活にない大問題は、どれだけ空腹でも眼前の食料を全部は食べられないことです。コメやムギの実を食べ尽くしたら次の作物を育てることができません。種まきから収穫まで数ヶ月も我慢をするわけで、なぜ狩猟採集生活をやってた人々が、そんな不都合をおして農耕に転じたのでしょうか? 旧約聖書の創世記には、アダムとイブが神に背いた罰として耕作するようになったと書かれていますが、それを信じる人は圧倒的少数だと思います。

人類が農耕に転じた理由はただ1つ。収穫で得られる食料が狩猟採集とはけた違いに多いからです。18世紀にタスマニア島が発見された時、原住民はすべて狩猟採集生活でした。そして、面積はイギリス(ブリテン島)の3分の1で、気候風土もよく似ているタスマニアの人口が3千人程度だった記録があります。つまりイギリス全土で1万人に満たない人口密度でした。農耕をやらないと、その程度の食料しか得られません。

このことから、私たちは、先史時代の人が持っていた知見について、結論することができます。彼らは、特定の植物を育てることで、何ヶ月か後には大量の食糧が得られること、つまり植物が作る実は植物の元になる実よりもはるかに多いことを知っていたのです。文字に書かれた史料はなくても考察できることです。

さらにまた、メソポタミアなどでは灌漑が行なわれていました。弥生時代の日本でも、あぜを作って田に水を入れています。時間と労力を費やしてそんな土木作業をしたことから、植物に適度な水を与えることで、成長を促進できるという知見があったことが分かります。

話を18世紀の光の正体論争に戻しますが、私は、当時の人が粒子と波動の背反関係を認識していた根拠として3つの事実を挙げました。

(1)粒子理論と振動理論が大砲や時計等の製作に応用されており、質量移動の有無が認識されなければ、大砲も時計も作る意味がない
(2)振動方程式を導くには変位に比例した復元力が働き、実際に復元するという認識から出発する必要がある
(3)光の粒子的特徴と波動的特徴の両方が観測されても、「粒子かつ波動」という結論を回避するべく努力がなされた

私の論点を否定し、背反関係が知られてなかった可能性があると主張されるのなら、冒頭に挙げたような一般論ではなく、(1)(2)(3)のどれからも背反関係を導けないことを具体的に論証されるべきではないでしょうか?


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