したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

1管理者:2002/03/05(火) 22:20

盛年元気さんより、ねスレッドテーマの提案がありました。立ち上げます。要請文は以下の通りです。

5 名前: 盛年元気 投稿日: 2002/03/05(火) 21:41

『「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について』というスレッドの立ち上げを提案します。(自己紹介はそのスレッドに投稿しました)
 富士門の各団体の違いの基本は、「広宣流布、本門の戒壇」の解釈の違いにあるとしてよいのではないのでしょうか。細かなところでは色々とあるのでしょうが。
 で、それぞれの団体又はこのネットワークの参加者個人がどのようにこれを解釈しているのか、その違いを明確にするのは富士門内の相互理解に重要だと思います。
 このネットも含めてINで調べたけれど、他の団体の前述の内容に限定した教義が良く分かりません。それぞれの団体(日蓮正宗、創価学会、正信会、顕正会)の主張は明快に定義されていてしかるべきと思いますが。
 顕正会の場合は昭和35年当時の他の団体と共通の「本門の戒壇=国立戒壇」です。私個人としては「国立戒壇」という名称は「言い得て妙」だと思っています。
 「国立戒壇」を建立するには次のような過程が想定されます(私見です)。
 ①半数以上の有権者の確保(広宣流布)。
 ②国会議員3分の2以上の確保(①が達成されれば選挙法の改正で可能になるか)。
 ③本門の戒壇の建立を国会決議(国会決議されたものは天皇の承認も以って発効する)。
 ④戒壇建立と本門の御本尊の移管。
  なお、「憲法改正」を要することは浅井先生の指摘するところです。

2いちりん:2002/03/06(水) 00:38
う〜ん。
そもそも、いったい、なんのために「国立戒壇」が必要なんでしょうか?

3問答迷人:2002/03/06(水) 07:46

盛年元気さん
いちりんさん

>富士門の各団体の違いの基本は、「広宣流布、本門の戒壇」の解釈の違いにあるとしてよいのではないのでしょうか。細かなところでは色々とあるのでしょうが。

一応、その様に考えられています。しかし、私は、もっと根本的に、本門の戒壇に対する見解の違いが、今日の混乱の原因であると、捉えなくてはならないと考えています。

>顕正会の場合は昭和35年当時の他の団体と共通の「本門の戒壇=国立戒壇」です。私個人としては「国立戒壇」という名称は「言い得て妙」だと思っています。

顕正会の国立戒壇の主張は、三大秘法抄を根拠としています。ところが、正信会の日蓮聖人展で配布されたパンフレットの中で、山川師は三大秘法抄が偽書である可能性が高いと論じています。独歩さんのホームページに挙がっていますのでご覧下さい。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html

宗門や創価学会は、今のところ、三大秘法抄を偽書とはしない立場で物を考えている様ですが、正信会が今回完成させた、『御書システム』(正しくは本年4月28日完成予定)を駆使した、山川師の今回の研究はかなりの説得力があり、注目に値します。これからは、単に、三大秘法抄の解釈論争に留まることなく、もう一度、聖人の仏法の原点に戻って、立正安国論に立脚した形で、本門の戒壇がどうあるべきなのか、という議論がどうしても必要になってくると考えています。それは、いちりんさんが仰る『なんのために「国立戒壇」が必要なんでしょうか?』という議論であると思います。

4問答迷人:2002/03/06(水) 08:13

訂正です。

山川師の今回の研究 ⇒ 山上師の今回の研究

5独歩:2002/03/06(水) 13:03
盛年元気さん:

はじめまして。
国立戒壇、こんな言葉がいまだに生き残っているのですね。
要はポイントとなるのは、言われているような国立戒壇論が、本当に聖人の祖意なのかどうか、ここをまず明確にしてから、行動すべきでしょう。

この点について、かつて顕正会現役信徒である櫻川さんと議論を、私のサイトにアップしてあります。

「日蓮聖人は富士山本門寺戒壇義を述べず」櫻川さん、ワラシナさんと独歩の対話
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/s_w_d_dis.html


なお、1に記される①から④は、40年前に正本堂を建てるときに創価学会が打ち出した路線と大同小異ですね。

驚くのは①ですね。当時、妙信講(現・顕正会)は、池田氏の舎衛の三億の比喩からする「国民の3分1が日蓮正宗信徒になったら広宣流布」という説に公然と意を論じたと記憶しています。一国広宣流布とは「万民一同に南無妙法蓮華経」また「梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし」を論拠に、池田氏の舎衛の三億説に迎合した達師をも公然と批判したものでした。

つまり、万年元気さんは浅井氏の広宣流布の考えを斥けて、一歩、40年前の創価学会の考えに歩み寄ったように見えます。まあ、こう書かれると気分を害されるかもしれません。しかし、自分が一つの主張をし、少なくても人に話し進める限りは“責任”が伴います。まず、しっかり過去の資料を読み込んで、時系列と変遷を頭に叩き込んでから行動されるべきであると、私は思います。

ここでの議論が、そのブレーンストーミングになれば、幸いです。

6独歩:2002/03/06(水) 13:27

お名前を間違えました。万年元気さんではなく、盛年元気さんでした。失礼しました。

7独歩:2002/03/06(水) 14:53

盛年元気さん:

国立戒壇論の変遷については、以下の文章はよく整理されていて参考になります。
(この著者のものがすべてよいというわけではありません)

『日蓮宗の諸問題』に掲載の『日蓮正宗創価学会における「本門戒壇」論の変遷―政治的宗教運動と社会統制』(241頁)西山茂(雄山閣)


この書の特徴は、創価学会のと国立戒壇(本門戒壇)論が、政治的宗教運動の理論的基礎になりながら、ついには切り離される一連の過程を明確にしていることです。

戒壇論は必ず政治的な色彩をはらむので、あるいは顕正会も政界進出を意図するところがあるのだろうか?と私は危ぶんでいます。ただもちろん、これは憶測の域を出ません。

8Libra:2002/03/06(水) 17:19
独歩さん:

> 『日蓮宗の諸問題』に掲載の『日蓮正宗創価学会における「本門戒壇」論の変
> 遷―政治的宗教運動と社会統制』(241頁)西山茂(雄山閣)

 西山氏には、

  「教義解釈の変更をめぐる一仏教教団の葛藤過程──日蓮正宗における妙
    信講問題の事例──」、桜井徳太郎編『日本宗教の複合的構造』、弘
    文堂、1978年、pp. 383-416

もありますね。

9盛年元気:2002/03/07(木) 00:27
私が提案したスレッドを採用していだだいて有り難う御座います。また、早速の皆さんの投稿に提案した甲斐があったと思います。浅学ながら投稿内容に対して反論すべきと考えます。

①いちりんさんへ。
>そもそも、なんのために「国立戒壇」が必要なんでしょうか?
  質問の趣旨が理解できません。「国立戒壇」は40年前には富士門の共通認識だったと教わっています。

②問答名人さんへ
 「三大秘法抄は「真書」を前提とするのが富士門の立場だったと思っていたのですが、そうではないのですか。
 三大秘法抄に真筆がないことは知っており、他の宗派の人の著書に、『「本門の戒壇」とは今題目を唱えている所がそうなのだ』という記述を読んだ記憶もあります。当然ながら三大秘法抄を偽書と判断しているのだと思います。
 私自身は三大秘法抄が真書か偽書かを論ずる意思も能力もありません。ただ゛、
>立正安国論に立脚した形で、本門の戒壇がどうあるべきなのか、という議論がどうしても必要になってくると思います。
 源流に戻って検討する、ということは大事なことですよね。しかし、私には到底議論に参加するだけの能力がないのが残念です。是非、見学者にさせていただきたいと思います。

③独歩さんへ
>驚くのは①ですよね。・・・・
 池田氏が「国民の3分の1が・・」は承知しています。3分の1と2分の1とが根本的に違うと思っているのですが。「有権者の半分」と定義したのは私個人の見解です。憲法改正のための必要条件だからです。
 ところで、「国民の3分の1が日蓮正宗になったら広宣流布」と池田氏(実際には日達上人に言わしめたとなっていますが)が言ったのは昭和51年なので40年前からは大分経っているんですよね。なお、「舎衛の三億」という言葉ははじめて聞きました。意味を教えていただければ有りがたいです。
>つまり、・・・・、と私は思います。
 気分は害しません。独歩さんや問答名人さんは知識の上では先生みたいなものですから、だから積極的に反論して教えてもらおうと思っているです。  
 顕正会が政界進出を考えているとは考えにくいですね。浅井会長の腹の中を知ることは出来ませんが。少なくとも先輩の愚を追いかけることはないと信じたいです。ただ、「国立戒壇」には色々と問題はあるのは認識しています。ただ、現在それを論ずる段階にはないと思っています。「国立戒壇」は富士門の中では異端扱いのようですからね。

10いちりん:2002/03/07(木) 00:36
「国立戒壇」ということばには、ある種のロマンがあるんでしょうね。

●/日蓮さんの「御遺命」であるということ。

偉大なる方、心から尊敬する方、さらには末法の御本仏ともいう方、その方の「御遺命」である。
すなわち、日蓮さんは、末法の究極の宝ともいうべき「三大秘法」のうち、「本門の本尊」と「本門の題目」を完成された。
そして、のこる「本門の戒壇」は、弟子たちに任された。。。
真の日蓮門下であるならば、「本門の戒壇」を建立する使命がある。
……とまあ、そういう情熱が涌いてくるのでありましょうか。

●/「天下取り」のような野望・野心を発動しやすいこと。

「三大秘法抄」によれば、なにしろ「国立戒壇」ですからね。
「国主が此の法を立つ」。すなわち、国の最高権力者が、この日蓮さんの教えに立脚するということですからね。国を動かす、日本の民衆をこの教えによって動かす、そして国を救う、民衆を救済する……というような、ヒロイズムを誘発しやすいでしょうね。

でまあ、創価学会の折伏大行進のエネルギー源のひとつに、この「国立戒壇」の建立があったと思いますね。それはそれで、マジで民衆を救うのだという強烈な思い入れ、思いこみがあったと思います。

なにしろ「日蓮大聖人の教えは真実、正しい、究極」であり、それを実践しているわたしたちは「真実、正しい、究極」のである。
そういう、ものすごい思いこみでがんがんと飛ばしていたんですね。それはそれで、まあカッコいいというか、大きな自己満足というか。。そういうなかで、公明党が出現した。

しかしまあ、言論問題やら、汚職やら、あれやこれやと俗世にもまみれて、「国立戒壇」になるはずの正本堂も破壊されたりして、いろいろと、ロマンは破れていった。

しかし、戸田さん時代の、ある意味での純粋な、アナクロニックな志を継承しているのは、顕正会というところでしょうか。

11独歩:2002/03/07(木) 01:22

盛年元気さん:

> 3分の1と2分の1とが根本的に違うと思っているのですが。「有権者の半分」と定義したのは私個人の見解です。憲法改正のための必要条件だからです。

憲法改正は、しかし、顕正会の主張でしょうね。

>  ところで、「国民の3分の1が日蓮正宗になったら広宣流布」と池田氏(実際には日達上人に言わしめたとなっていますが)が言ったのは昭和51年なので40年前からは大分経っているんですよね。

これは盛年元気さんが創価学会の現場にいなかったから、いわゆる文章資料上の公式見解を基本にしているから、こういう発言になるのではないでしょうか。
実際、創価学会という場所は口コミ、あるいは幹部指導というのが先行するのです。
私の活動ノートにはすでに昭和40年初頭に類する記述が残っています。

> なお、「舎衛の三億」という言葉ははじめて聞きました。意味を教えていただければ有りがたいです。

大智度論に出てくる喩え話です。お釈迦さまの在世に舎衛という国があり、人口が九億人、そのうちの3億人が仏を見、3億人は仏を知っていた、残りの3億人は仏を知らなかったという話です。これを池田氏は「舎衛の三億の客観的原理に基づいて」といい広宣流布の条件としたのです。なお、達師に言わしめたのは事実ですが、池田氏自身も言っていました。あまり古いので資料は取ってありませんが、私のノートには随所に聞き書きが残っています。

なお、国会決議というアイディアも元々は創価学会が言い出したことです。公明会(公明党)結党は国会決議で国立戒壇を建立するというものでした。西山氏の分類で言えば第3段階が、これに当たります。

この段階は、創価学会の政治進出第1期(政党結成と衆院進出抜きの限定的政治進出)にあたる。
創価学会はこの段階で、初めて「国立戒壇の建立」を根拠として政治に進出した。(247頁)

「(国立戒壇建立の)御教書とは衆議院に於て“過半数”の構成をもって発せられるのである故これが獲得の為」(聖教新聞昭和29年1月1日)

と盛年元気さんが現在、思いついている国会決議過半数は、既に47年前に創価学会で言われていたことでした。つまり、国会決議2分の1と国民の3分の1は平行した議論であったわけです。

> 「国立戒壇」は富士門の中では異端扱いのようですからね。

いや、文明年間前後以降の富士門では、国立の言葉はともかく富士戒壇論は一つの流れであったのでしょう。富士原理主義といってもよいでしょう。

しかし、それは興師の富士信仰との関わりのなかで醸造完成されたものであって、聖人に遡源できない点を記したのが先の櫻川さんとの議論です。感想をお聞きしたいものです。
また、当初の戒壇論は戒壇之本尊とはまったく関係のない議論でした。これを一つに束ねたのは寛師なのであって聖人滅後、440年も経ってからのことです。

12独歩:2002/03/07(木) 03:19

盛年元気さん:

11に、私は「盛年元気さんが現在、思いついている国会決議過半数」と記しましたが、よく読みなおすと、盛年元気さんの主張と47年前の創価学会の主張は数の上では違っていますね。ただ、国民であるとか、議員であるとか、そこら辺のコンセプトが、まるで創価学会と一緒であると、そんな印象で、私は記しました。

聖人の感覚は「下万人より上一人」。それと物理的な建造物なんかに拘っていたのでしょうか。三大秘法は聖人に由来する言葉ではなく、三つの法門がそれに契当します。あくまで、法門の確立に主眼があったのでしょう。

それにしても、盛年元気さんは戒壇之本尊を見たことがあるのですか。あると聞いておられるだけでしょう。ないかもしれませんよ。

また、戒壇之本尊は大石寺の持ち物、顕正会とはなんの関係もありません。
国民の過半数が顕正会になろうと、議会の3分の2を掌握しようと、大石寺は顕正会の言うことは、天地がひっくり返っても聞くことはありませんよ。

顕正会を許す猊下が登座する、そんなありもしない夢物語が前提になった話ではないでしょうか。

13いちりん:2002/03/07(木) 11:13
盛年元気さん

>>そもそも、なんのために「国立戒壇」が必要なんでしょうか?
>質問の趣旨が理解できません。「国立戒壇」は40年前には富士門の共通認識だったと教わっています。

「国立戒壇」っていったいなんなのか。
それって、なんのために必要なのか。
そのあたりから、考えていかないと、ものごとの本質が見えてこないと思うんですね。

「そのように教えられているから」とか「共通認識であったから」ということで、無批判に「国立戒壇」を受け入れてしまうのは、どんなものかなあと思います。

●/ まず、当たり前のことだけど、「国立戒壇」って「日蓮さんが主張したことかどうか」ですよね。
「国立戒壇」の考えは、「三大秘法抄」あたりが依文になっているので、その真偽の問題はあります。文献的には真偽未決の範疇ですね。後生の作という見方が一般的でしょうか。わたしは、偽書ととらえていますが。

●/あるいは、もしも日蓮さんが「国立戒壇」を主張したことであったとして、それは、「現代にいておいて意味のあることかどうか」ですよね。そもそも、日蓮さんといえども、その思想には活躍した時代背景ということがありますでしょう。鎌倉時代という封建社会、そして聖武天皇や桓武天皇たちの望んでいた「鎮護国家思想」の流れの中で主張されていたとも考えられるし。

日蓮さんが、いまの現実社会を、よおく観察したときに、はたして「国立戒壇」などというものを主張しようとされるかどうか。そんなことも、考えてみることも必要だと思うし。

●/わたしは、日蓮さんを尊敬していますが、絶対などと思ってもいないし、本仏などともとらえていない、人間だから少なからず誤謬もあったことでしょう。
だから、「日蓮大聖人がこう言ったからこうでなくちゃいけない」という発想じゃなくて、たとえば、おおもとのブッダはどうであったか。
さらには、自分としてどうなのか。自分として、どう考え、どう観察し、どう展開していったらいいのか。そういうあり方なんですね。

14盛年元気:2002/03/08(金) 00:06
独歩さんへ

反論に対応する情報が得られるのでやはりまた反論させてもらいます。
>憲法改正は、しかし、顕正会の主張のようだすね
 昭和35年以前の学会を含めた正宗の主張です。当時の妙信講は吹けば飛ぶような弱小集団だったそうです。

「国民の3分の1が日蓮正宗になったら広宣流布」に関する情報は独歩さんのおっしゃる通りです。昭和40年
池田会長が国立戒壇を放棄したときと一致しますね。「舎衛の三億」の御教示有り難う御座います。
>聖教新聞昭和29年1月1日の内容について。
 これだけの情報から判断すると池田会長はバカですね。「国立戒壇建立」には憲法改正が前提だから、国会議員の3分の2以上の賛成が必要なのだということを理解していなかったことになります。だとしたら、「公明党が憲法違反」だと共産党から指摘されておたついたのは納得できます。しかし、そんなバカなはずはないですよね。どう理解していいのかわかりません。
>つまり、国会決議の2分の1と国民の3分の1は平行した議論だったわけです。
  この意味がよく分かりません。平行とは永遠に交わらないという意味で使われるのが普通です。2分の1も3分の1も学会の主張だから学会批判の意味なのでしょうか。
>・・櫻川さんの議論です。感想をお聞きしたいものです。
 感想はありません。私が理解できるのは昭和35年頃までの富士門が共通の教義に統一されていた時代までです。さらに、寛師をも疑問の対象にするには私の知識のはるかかなたのことです。
 ちょっと質問なのですが、
>・・・440年も経ってからのことです。
というのはどういう意味なのでしょうか。文意からは寛師の書き残したものは信用できない、ということなのでしょうか。だとしたら、同じ理屈で釈迦滅後500年後に作られた法華経も信用できないことになるのではないでしょうか。

>それにしても、戒壇之本尊を見たことがあるのでしょうか。
 勿論見たことはありません。顕正会員は解散命令を受けていらい大石寺の中に入れないのですから。
>ないかもしれません
 この意味はなんでしょう。もともと大石寺あるはずの御本尊がないかも、というこのとなのか、その御本尊が本門の御本尊ではない、ということなのでしょうか。独歩さんの言わんとすることを理解できかねます。

>戒壇之本尊は大石寺の持ち物、顕正会とはなんの関係もありません。
 顕正会の正式名称は「富士大石寺顕正会」です。この意味を御理解いただけるでしょうか。富士大石寺におわします御本尊を本門の御本尊として、朝夕の勤行ではその方向に向かって行っているのです。なんの関係ない、なんてどんでもないことです。

>国民の過半数が顕正会になろうと、・・・大石寺は顕正会の言うことは、・・ありませんよ。
 別に顕正会が過半数でなくても良いんじゃないですか。独歩様がどこの団体に所属しているのか分かりません(自己紹介のスレッドでも見つかりません)が、たとえば法華講が拡大した結果でもよいのではないですか。問答名人様のの期待は富士門が合同することですが、そうなれば更に素晴らしいことですよね。独歩さんは顕正会がカルト教団だというマインドコントロールにかかっいるのではないですか(皮肉、いやみです、無視してください)。

>顕正会を許す猊下が当座する、そんなありもしない夢物語が前提になっている話しではないでしょうか。
 おっしゃる通り正宗が正常に戻ることを期待しています。それが「夢物語」だというのはどういう理由によるのでしょうか。是非伺いたいと思います。他の人も関心あると思います。

いちりんさんへ
申し訳ありませんが、反論したい欲求が生じませんので今回は失礼させてもらいます。

15問答迷人:2002/03/08(金) 07:58

盛年元気さん

横レス失礼の段、お許し下さい。

>この意味はなんでしょう。もともと大石寺あるはずの御本尊がないかも、というこのとなのか、その御本尊が本門の御本尊ではない、ということなのでしょうか。独歩さんの言わんとすることを理解できかねます。

顕正会の主張は、概ね、日寛上人の六巻抄に述べられた、本門戒壇の捉え方の延長に有ると思っています。私は、掲示板御参加の顕正会の方に誘われて、ビデオ放映にも参加させていただきましたし、顕正新聞も毎回、読ませて戴いています。一時期は、殆どシンパとも言えるぐらいに、顕正会を高く評価していた時期もありました。

問題は、この大石寺の戒壇の大本尊様なのです。宗門の上代からの資料をまとめた富士宗学要集という書物があります。59世の日亨上人の編纂になるものです。有る方から、宗学要集全10巻のテキストファイル版を頂戴しまして、様々な角度から、パソコン検索を実施しました。この経過は、この掲示板の過去ログ、『大石寺の歴史について』及び、『続大石寺の歴史』スレッドにおいて書きこませて戴いております。分量がかなりありますが、御覧戴ければ幸いです。(過去ログへは、この掲示板のTOPより入れます)

検索の結果、得られた結論は、大石寺の戒壇の大本尊様は、日蓮大聖人ご自身が御建立されたものとは、到底考えられない、という事です。恐らくは、日顕上人が以前、河辺師に語ったとされる、河辺メモの記述が最も信憑性があるのではないかと、私は現在ではその様に考えています。即ち、日蓮大聖人の御真筆御本尊、恐らくは、日禅授与御本尊の模刻を元に、新しい書写との合成で作られたものであろう、製作者は、恐らく、9世日有上人ではなかろうか。その様に考えて居ります。また、広宣流布達成の段階で建立されるべき本門戒壇堂に、曼荼羅を安置する、というお考えは、恐らく、日蓮大聖人はお持ちでなく、後世の富士門流において考えられた事であろうと考えています。さらに、三大秘法抄についても、内容からして、偽書の疑いが高いのではないかと考えております。

このようなことから、私は、国立戒壇論が、過去において、富士門流の基本的な考え方であった事実を踏まえても、現段階においては、否定的に考えております。何か、御参考になれば幸いです。

16問答迷人:2002/03/08(金) 10:31

訂正です。

戒壇の大本尊様⇒戒壇の大御本尊様

17独歩:2002/03/08(金) 11:51

盛年元気さん:

> 反論に対応する情報が得られるのでやはりまた反論させてもらいます。

反論? そんな感じで書かれているのですか。残念ですね。
私は妙信講以来、顕正会については、過去20年間、見てきました。
それもリアルタイムの情報で受け取ってきたのですよ。この事情は、問答名人さん、いちりんさんも同様であろうかと拝察します。
しかし、盛年元気さんの文章を読むと、すぐわかるのは「過去の情報を特定の方向から与えられ、それを鵜呑みにしている」という点です。まだ関与されてから、著しく日が浅いのだろうと思えます。もっとも、顕正会は会員の入れ替わりがある団体であるから、過去の出来事の“解説”が事実をもっともらし受け取られる構造があるのであろうと観察します。

要するに、3分の1がどう、過半数がどう、というより、こういった“操作された情報と感情”に問題点をおいて、自分の頭で考えようというのは、ここの趣旨です。文章のなかで、私の所属を尋ねていらっしゃいました。私の所属は日蓮・日興という自覚です。団体に対する所属意識はありません。私は団体とその中心者を信仰しているわけではないからです。

>> 憲法改正は、しかし、顕正会の主張のようだすね
> 昭和35年以前の学会を含めた正宗の主張です。

これはかなり不正確な主張です。この時点で、私と家族は創価学会でしたから、当時の事情は思い起こせます。事実と異なっています。

正宗の主張とする根拠はなんですか。それを示す日蓮正宗の資料がありますか。

> 当時の妙信講は吹けば飛ぶような弱小集団だったそうです。

いまの正信会だってたかだか何十万でしょう。吹けば飛ぶ点では、なにも変わっていませんよ。ローマカソリックは7億人、ヒンズー教や、イスラム教でも数億人の単位です。それらの集団があんまり小さくて存在すら知らない、攻撃や批判にも考えない、そんな状況で燃え上がっているだけでしょう。要するに顕正会といわず石山教学を基礎とする団体で、意識されているのは、とりあえず創価学会だけでしょう。下のほうで「顕正会がカルト教団だというマインドコントロールにかかっいる」なんて嫌味を書かれていますが、世間の認識はまさにそのとおりで、「若い右も左もわからない子供たちに過激な勧誘させている」それ以上の認識はありませんでしょうね。ただ、私はより本質的に聖人の教えの改竄に基づく煽動があると危ぶんでいます。

ただ中にいると活気とかその他の集団心理が働くからすごく急成長をし、このまま1千万人にも増えるような錯覚を覚えるでしょう。しかし、それはかつて創価学会で味わった上昇雰囲気と同様でしょうね。数が増えたところで、それは増えたという事実だけです。なんも変わりません。「数が増えると変わる」、そう思わされていませんか。

18独歩:2002/03/08(金) 11:52

―18からつづく―

>> 聖教新聞昭和29年1月1日の内容について。
> これだけの情報から判断すると池田会長はバカですね。「国立戒壇建立」には憲法改正が前提だから、国会議員の3分の2以上の賛成が必要なのだということを理解していなかったことになります。だとしたら、「公明党が憲法違反」だと共産党から指摘されておたついたのは納得できます。しかし、そんなバカなはずはないですよね。どう理解していいのかわかりません。

まず、前提として、人をどのような理由があれ、このような公開の場で「バカ」呼ばわりするのはよくありません。あなたとあなたの所属する団体に対して、かえって物笑いと軽蔑を買うだけです。おやめになるべきです。

さて、これは根本的に取り違えた発言ですね。創価学会は憲法改正を前提にしていません。常に現行憲法擁護の姿勢でしょう。つまり、国立戒壇の建立は国会決議で図ることを前提にしたものですから、公明党が政権与党になることによって現行憲法に基づいて建てるという考えです。もちろん、私はこの考えにも反対です。また、「「国立戒壇建立」には憲法改正が前提」などというのも顕正会が勝手に言うことです。

それにしても、こんな形で建つ戒壇を聖人が喜ぶと思う神経は、どうにも私には理解できません。聖人の教えと人となりに関する根本的な認識の相違があるとしか言いようがありません。

なお、憲法擁護であろうと、憲法改正であろうと超えられない実に高いハードルがあるでしょう。つまり、天皇の帰依です。顕正会は憲法改正には具体的なことを言っていますが、それより更に重要な天皇折伏は具体的にどのように行っているわけですか。
顕正会でも用いる伝説、日目再来説によれば、天皇を折伏するのは目師に限るはずです。目師が天奏に最後に捧持した申状を天皇に示し、それによって天皇が帰依し、建立されるのが戒壇ではありませんでしたか。この最重要事項はいったいどこへ行ってしまったんですか。

もちろん、私はこの伝説は保田妙本寺の正統性を喧伝するために用意されたものを石山が転用したと申し上げてきたわけであり、まったく叙用するものではありません。しかし、顕正会のコンセプトからすれば、この点を看過でくるはずはない点を指摘しておきます。

>> ・・・440年も経ってからのことです。
> というのはどういう意味なのでしょうか。文意からは寛師の書き残したものは信用できない、ということなのでしょうか。だとしたら、同じ理屈で釈迦滅後500年後に作られた法華経も信用できないことになるのではないでしょうか。

「同じ理屈」という論の展開が間違っています。
聖人後、750年の教学史は研究されています。その結果、寛師教学は聖滅100年前後以降に石山に流入した中古天台本覚思想と、他山から精師が収集した相伝・口伝の類を、あたかも聖人已来440年、継承されてきた点が指摘しているのです。
これと法華経の成立史は別の問題でしょう。

単に時間的な隔たりのあるものを認めるという一点に論を絞る難の立て方に問題があります。

19独歩:2002/03/08(金) 11:53

(先の18からは、17からの間違いです)
―18からつづく―

>> それにしても、戒壇之本尊を見たことがあるのでしょうか。
> 勿論見たことはありません。顕正会員は解散命令を受けていらい大石寺の中に入れないのですから。

観たこともないものを、人に勧める神経が私にはわからないわけです。

>>ないかもしれません
> この意味はなんでしょう。もともと大石寺あるはずの御本尊がないかも、というこのとなのか、その御本尊が本門の御本尊ではない、ということなのでしょうか。独歩さんの言わんとすることを理解できかねます。

いみじくも盛年元気さんが記すとおりです。戒壇之本尊は、私は本門の本尊ではないと考えます。その論拠は本尊抄です。他のスレッドで記してきたとおりです。本尊とは五百塵点成道・本門教主釈尊であると聖人は明確に仰っているのです。
「ないかもしれません」と申し上げたのは、自分の目で確認もしていないものを他に進めることは軽率ではないのかということです。
浅井氏を筆頭に、正本堂、また奉安殿、奉安堂に戒壇之本尊があるという日蓮正宗のアナウンスに従っているだけでしょう。それを無責任ではないのかと申し上げているのです。

>> 戒壇之本尊は大石寺の持ち物、顕正会とはなんの関係もありません。
> 顕正会の正式名称は「富士大石寺顕正会」です。この意味を御理解いただけるでしょうか。富士大石寺におわします御本尊を本門の御本尊として、朝夕の勤行ではその方向に向かって行っているのです。なんの関係ない、なんてどんでもないことです。

これは信仰と所有をごたまぜにしていますね。なにを信じようと勝手ですよ、それは。
しかし、(ありえませんが)憲法は改正になった、国立戒壇は建てるとなった、しかし、その所有者である石山住職が「ノー」と言ったら意味はないわけです。つまり、どこに戒壇之本尊を安置するか、石山住職が決めることでしょう。顕正会には関係ないといっているのです。

たとえば、応師が『弁惑観心抄』に

血脈ヲ継承ス…別付ノ法體ト者則吾山ニ秘蔵スル本門戒壇ノ大御本尊是ナリ(212頁)

というのです。つまり、戒壇之本尊の所有者は石山の住職です。
顕正会が戒壇を作って遷座しようだなどという議論は、まったく勝手な議論であって、意味をなさないと言っているわけです。

なお、見たこともない戒壇之本尊の、ただ、単に所在の方向に向かって拝めば、その本尊を拝したことになるというのも、勝手な議論でしょう。
それを信仰の対象と言い、人に勧め、さらには憲法まで改正して、納める堂まで作ろうという人、たとえば盛年元気さん、あなたが、その相貌と由来すら知らないということを、私は無責任であると申し上げているのです。

20独歩:2002/03/08(金) 11:54

―19からつづく―

>> 国民の過半数が顕正会になろうと、・・・大石寺は顕正会の言うことは、・・ありませんよ。
> 別に顕正会が過半数でなくても良いんじゃないですか。独歩様がどこの団体に所属しているのか分かりません(自己紹介のスレッドでも見つかりません)が、たとえば法華講が拡大した結果でもよいのではないですか。問答名人様のの期待は富士門が合同することですが、そうなれば更に素晴らしいことですよね。

つまり、国会決議であればどこででも、ということを言いたいのでしょうか。
これは上述のとおり、所有者が石山住職である以上、空理空論の域を出ません。
所属という点を再掲すれば、聖人に「所属」などという意識も、もっと言えば、興門であるとか、他門であるとかといった派祖意識もまったくなかったでしょう。私は、その聖人の祖意に基づきます。

> 独歩さんは顕正会がカルト教団だというマインドコントロールにかかっいるのではないですか(皮肉、いやみです、無視してください)。

これについては、私は顕正会をけっしてカルト教団と認定するものではありませんが、ハッサンの

皮肉なことに、カルトのメンバーたちはおたがいに、ほかのカルト集団に入ったものを見下げている。すぐ、『あの人たちは、カルトに入っているのだ』とか『【彼らは】洗脳されている』とか認めてしまう。自分自身の状況から抜け出して、自分を客観的に眺めることができないのである(『マインド・コントロールの恐怖』151頁)

という言葉を紹介するのに留めます。

>> 顕正会を許す猊下が当座する、そんなありもしない夢物語が前提になっている話しではないでしょうか。
> おっしゃる通り正宗が正常に戻ることを期待しています。それが「夢物語」だというのはどういう理由によるのでしょうか。是非伺いたいと思います。他の人も関心あると思います。

石山が正常に戻ることは、私も期待します。しかし、正常になることが顕正会を認める・許す意味を含むというのは勝手な解釈でしょう。

何度か記してきましたが、盛年元気さんは顕正会で与えられた視点でしか大石寺、猊下、戒壇之本尊というものを見ていないのではないでしょうか。
石山には、憲法改正で戒壇を作る意図もなければ、顕正会を日蓮正宗の信徒であると見る意識もありません。解散命令をして、葬り去った過去の団体であり、日蓮正宗とは無縁の存在であるという意識があるだけです。

子どもたちが若いタレントに熱を上げて、そのタレントのことであればなんでも知っている、けれど、タレントのほうからすれば、そのファンのことなど知る由もありません。

同じように顕正会が富士だ、日蓮正宗だを名乗るのは、それは自由です。しかし、そのことは石山にも、その住職にも、また、その他僧俗にとってもまったく関係のない団体の騒ぎに異なりません。簡単に言えば問題外であるということです。

ただ、そのような石山の在り方を正しいというわけではありません。しかし、同じく盛年元気さんが、ここにアナウンスする顕正会の憲法改正議論もまた、正しいとは言い難いと私は考えます。


> いちりんさんへ
申し訳ありませんが、反論したい欲求が生じません…

ここでもまた、反論ですか。
ロムの立場から言わせてもらえば、失礼ながら、反論した欲求が生じないというより、反論するだけの知識も考えもないのであろうと観察することになります。
私は、いちりんさんが10にかかれたことは実に当を得た的確な指摘であると判断します。また、問答名人さんが15に書かれることにも同意を表するものです。

22無徳:2002/03/08(金) 18:37
横レス失礼します。独歩さん今晩は、

>石山が正常に戻ることは、私も期待します。

とのことですが、独歩さんにとって石山が正常に戻るとはどういう状態を期待され
てのことでしょうか?

23独歩:2002/03/08(金) 21:00

無徳さん:

>> 石山が正常に戻ることは、私も期待します。
> とのことですが、独歩さんにとって石山が正常に戻るとはどういう状態を期待されてのことでしょうか?

これはけっこう、鋭い突っ込みです(笑)
あまりに、たくさんあり過ぎて書ききれませんね。

聖人の祖意に従おうとしていた精神に戻るというべきでしょうか。
私は日蓮門下の派祖意識は、撤廃されるべきであると思っています。
聖人、本弟子六人を定められた往昔に戻り、大同一致して、広宣流布を目指すときと表しておきましょうか。また、器物崇拝、神秘主義、カリスマ崇拝を停め、聖人の祖意を守ることと換言してもよいかもしれません。


いずれにしても、盛年元気さんの言葉を受けて記したところで、石山がもともと正常で、逸脱したなどという伏線で記したものではありません。

24無徳:2002/03/08(金) 23:14
独歩さん:

 いやいや、突っ込みを入れたつもりはありません。

ただ、独歩さんのこれまでの過去レスを拝見させていただきますと、今まで日蓮正
宗が営々として築いてきた日蓮信仰上における教義的パラダイムがほとんど否定さ
れているように思われるのです。

 私も正宗教義がなんでもかんでも十全なものと思っているわけではありません。
しかし、日蓮宗(身延を中心とする)や新興教団(霊友会や立正校正会等)におけ
る信仰実践のありかたや、教義理解が独歩さんのいわれる意味での祖意に適うもの
とは私にはとても思えません。

 そのことは、おそらく独歩さんも私の認識と共通ではないかと推察いたします。
それでは、独歩さんのいわれる意味合いでの真に祖意に適う信仰実践や教義理解を
果たしている宗派や教団は有りや否やと問えば、おそらく独歩さんは否といわれる
に違いありません。

 そのことは独歩さんが宗派主義を容認されていないであろうことも推察できるか
らであります。私自身も宗派主義に対しては基本的には否定論者ですが、はたして
宗派抜きの宗教が成立しうるかと問われると答えに窮するのも現実です。

 私は創価学会を通じて宗派や教団の存立と発展の陰で、多くの信徒が自己の尊厳
と教団の組織原理の狭間で呻吟し、自己犠牲をも余儀なくされてきたことを具に見
て参りましたし、私自身も自己の非力と至らなさを含めて多くの苦悩と辛酸を舐め
てきました。おそらく独歩さんも共通体験をお持ちのことと推察いたします。

 ただ、私は日蓮正宗の教義を基本的には是認する立場です。日蓮本仏論や戒壇の
本尊も含めていわゆる興門教学を信仰上の立脚点と位置づけています。しかしなが
ら、けっして現在の日蓮正宗の在り方そのものを容認しているわけではありません。

 今はひたすらより良き日蓮信仰の在り方を研鑽し探求することを自己の課題とし
ています。 無徳

25無徳:2002/03/08(金) 23:38
訂正 立正校正会−−−立正佼成会

26独歩:2002/03/08(金) 23:54

無徳さん:

24に記される私へのご推察、まことに仰るとおりです。
立場の相違はあるにせよ、「良き日蓮信仰の在り方を研鑽し探求すること」のブレーンストーミングにこの場で議論がなれば、まことに意味のあることかと存ずるものです。
今後ともよろしくお願いいたします。

27無徳:2002/03/09(土) 01:41
独歩さん:

 こちらこそよろしくお願いします。

独歩さんやLibraさん更には問答迷人さんやtokumeiさん等々、このサイトを通じて
皆さんと共に、新しい仏教信仰の緑野を切り開く一端を担うことが出来うれば幸せ
に存じます。 無徳

28Libra:2002/03/09(土) 06:31
無徳さん:
独歩さん:

 お二人のお話(>>22-27)を拝見させて頂きながら、宗祖の以下のお言葉を今
改めて噛み締めています。

  ─────────────────────────────────
  予自他の偏党をなげすて論師人師の料簡を閣いて専ら経文によるに法華経
  は勝れて第一におはすと意得て侍るなり

  (「善無畏三蔵抄」、全集、p. 881、真蹟無)
  ─────────────────────────────────

  ─────────────────────────────────
   此の経文の心は眼前なり青天に大日輪の懸がごとし白面に黶のあるにに
  たり、而れども生盲の者と邪眼の者と一眼のものと各謂自師の者・辺執家
  の者はみがたし万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん

  (「開目抄下」、全集、p. 218、真蹟曾存)
  ─────────────────────────────────

  ─────────────────────────────────
  道心あらん人・偏党をすて自他宗をあらそはず人をあなづる事なかれ。

  (同上、p. 219)
  ─────────────────────────────────

  ─────────────────────────────────
  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説
  に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべ
  からず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・は
  ばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりと
  も用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立
  てしゆへに

  (「破良観等御書」、全集、p. 1293、真蹟無)
  ─────────────────────────────────

 「道心あらん者」であられるお二人に、そしてこのサイトに参加されている
多くの方々に敬意を表します。

 私が所属しております創価学会では、

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/014.html

というようなことも言われてはいますが、残念ながら、実際には「各謂自師の
者・辺執家の者」が会員の中に圧倒的に多いというのが現状です。

 宗祖が構築された理論を少しでも理解できるように弟子として努力していく
ことはもちろん大切なことですが、その前に(そのためにこそ)、「開かれた
精神」とでもいいますか、宗祖のそういう精神をまず弟子としてきちんと受け
継いでいく必要があるのだと私は思います。

29問答迷人:2002/03/09(土) 08:49

Libraさん
無徳さん
独歩さん

私は、昨年、この掲示板が立ちあがった段階では、殆ど、宗門の姿に絶望していました。それこそ、このまま、自滅して行くのだろうと諦めかけていました。チョンガーさんの勧めがあって、思い直して、掲示板を立ち上げました。それ以来、本当に沢山の方が御参加くださいました。チョンガーさん、アネモネさん、独歩さん、……。みなさんが現状を憂いでいらっしゃいました。返って、私自身が勇気付けられました。本当に有り難い事です。皆さんの御参加に感謝しかありません。一年たって、いよいよ、これからが佳境に入って行くのだと思います。ダメ元で出発した掲示板が、皆様のおかげで、50000アクセスを超え、内容も、極めて充実してきたと思っています。これからも、皆様お一人お一人のための掲示板として、この掲示板が機能する事を期して参ります。どうぞよろしくお願い致します。

30問答迷人:2002/03/09(土) 21:42

盛年元気さん

本門戒壇に関して、今、私達が考えなければならないのは以下の諸点であると思います。

『本門の戒壇』と聖人がおっしゃる法門については、三大秘法抄を除いては、名目を示されるのみで、具体的に踏み込んだ御指南がありません。唯一、関係の深い御真筆御書は、何と言っても、やはり、立正安国論で有ろうと思います。国主たる北条時頼に対して、禅宗や、真言宗と言った邪法を政治の根本にするのは間違いであり、その事が災難の根本原因である事を指摘され、仏教の正統である法華経を根本にして、政治を行わなくては国家の安泰はなく、内乱や外敵の侵攻を受け国が滅ぶと、強く諌められたわけです。即ち、正しい宗教を政治の根本とする事によって、その国が栄えると言う原理が、立正安国論の主張で有ったわけです。当時の封建社会にあっては、政治の根本に正しい宗教を置くとは、為政者で有るところの、北条幕府の執権が信徒となって、仏法の教えを元に政治を行う事であった訳です。それが、当時としての理想の政治で有ったと思うのです。この立正安国論の主張の延長に、『国主が入信したとき、本門の戒壇堂を建て、そこで、国主への授戒を実施すると』いう、三大秘法抄等の考えが出てきていると思うのです。

それでは、今日の、社会にあって、「政治の根本に正しい宗教を置く」とは、如何なる事か。『為政者が信徒となって、仏法の教えを元に政治を行う』という事が、今日的には、どのようで有るべきか。そして、それらの事が、本門の戒壇という法門とどのような関係となるのか。こう言った点を理論構築しなくてはならないと考えます。一言で言えば、仏教と国家の関係についての理論構築です。封建社会を前提とした、三大秘法抄の記述は、三大秘法抄が聖人の真蹟であったとしても、やはり、今日の近代化された社会にそのまま持ち込むことは、時代錯誤になるのは間違いの無い事であると思います。仏教と国家という基本原理に立ち帰って、理論構築し直さなければならないのは当然であると考えます。もし、そのまま持ちこんだら、タリバンのあの時代錯誤の姿と同類で有ろうと思います。

31盛年元気:2002/03/09(土) 22:02
独歩さんへ
 私の「反論」にお付き合い頂き有り難う御座いました。このスレッドを提案し意見を交換できて本当に良かったと思います。
 もう「反論」する気はありません。独歩さんの最後の投稿をちゃんと勉強したいと思っています。その後、教えていただくための質問をするかも知れませんが、そのときは宜しくお願いします。

いちりんさんへ
独歩さんに指摘されましたけれど、失礼があったと思います。あの時点では独歩さんの投稿に対応するのにせい一杯だったのです。改めて、いちりんさんの投稿を読まして頂き質問することがあったらさせていただきたいと思います。反論するのではなく。

32独歩:2002/03/10(日) 17:25

Libraさん

> 28

いつもながら、適切な資料のご提示、有り難うございます。

33独歩:2002/03/10(日) 17:31

盛年元気さん:

私どもは、ともに日蓮聖人の基に集う朋友であると私は信じます。
教団の代理戦争の道具となることを止め、派祖意識も超克し、祖意を鑑み、朋友として語り合いましょう。教団の一人ではなく、同じ聖人の門徒として語り合うことがもっとも稔りあるところであると私は信じます。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

34菊水護国:2002/03/10(日) 19:35
お久しぶりです。メール頂きまして、拝見しました。
本門戒壇については「国主帰依」「戒壇建立」になると思います。次に三秘抄の「勅宣並びに御教書」ですが、有職故事を紐解いて考えますと、勅宣は「陛下の面前に文武百官を揃え、陛下の勅が発せられ、その後に文武百官が万歳をして効力を生じる」そうですから、ただの詔勅ではいけないことになります。御教書は三位以上の公卿の出す公文書または将軍の命令書ですから、勅宣に補完される「太政官奥書」または「将軍の命令書」が考えられます。
さて、現在でもあるのは詔勅で勅宣ではありませんが、即位の大礼における形式が勅宣に近いものと考えられます。総理大臣等国務大臣が即位を祝って万歳をする形式がですが。
さて、伝教大師の戒壇は帝の面前で、南都仏教を破して成立したのですから、現在でも最終的には今上天皇の面前での公開法論が欠くことができないと考えます。
しかるのちに、今上天皇(有徳王)が日目上人(覚徳比丘)に帰依し、御戒壇様に初めて樒を捧げる退任を果たされる事と考えます。
これは右翼である僕の一種の夢ですから、全く宗門の考えは書きませんでした。

35問答迷人:2002/03/10(日) 20:21

菊水護国さん

今日は。早速のご参加、間こことにありがとう御座います。

>これは右翼である僕の一種の夢ですから、全く宗門の考えは書きませんでした。

そうなんですね。お考え、御披露戴きありがとう御座いました。これからも、御参加の程、よろしくお願い申し上げます。

36問答迷人:2002/03/10(日) 20:22

訂正です。

間こことにありがとう御座います。 ⇒ 誠にありがとう御座います。

37独歩:2002/03/10(日) 21:22

菊水護国さん:

お久しぶりです。
二箇相承と三秘抄を肯定的にとらえるとき、34に記されるごとき、解釈は実に当を得たものであると、私も思います。

憲法改正、国会決議は形式上で天皇が賛同したというものですが、しかし、この逆でなければ、上述三書を枉げることになるはずです。

もちろん、これらの書、並びに戒壇建立義については、私は極めて慎重ですが。

ところで、現在、仮に公開法論を行うとしたら再誕・目師は、どこのどなたと法論することによって是非を決するべきであると考えられますか。これは、このスレッドとは関係ないのですが、よろしければ、お考えをお教えください。なお、私にはこの考えはまったくないので、特に議論をしたいとか、そのようなことでありません。参考に資させていただきたいという思いであるばかりです。

38菊水護国:2002/03/10(日) 23:20
まず、国会決議云々も私は考えておりません。なるほど、国会決議を経れば帝の御意志に関係なくして勅が発せられるでしょうが、これでは大聖人様の言われる意味の国主帰依にはならないと考えます。
真の意味での国主帰依は国主が心から帰依しなければ意味をなしません。それに国主=統治主権とも考えておりません。記紀以来の日本国のなりたちから言って、王は政治の埒外の存在と考えます。

さて本題ですが、まず私は新興在家教団達のように広宣流布が、すぐに来るとは、考えていません。それはまさしく御仏意に任せるしかないと考えております。そこで現在の状況から目師再誕の状況を想像するのはおこがましいのですが、あえて考えますと、2段階を踏む必要を感じます。まずは仏法以外の西洋宗教との決戦。
そして第2段階として、仏法については、現在既に東宮護持の曼荼羅(大石寺の御守様)が三代目を迎えております。またもれ伺うところによると、大嘗祭での「ゆうき殿」において寿量品を訓読するそうです。
そこに天皇家の法華帰依の意思は間違いないと確信し、現状の法華帰依を標榜する全教団を相手にするしかないと考えます(そこには大聖人以前の天台宗等も含むと考えます)。なお、創価学会新興宗教系を含むかは全く分かりません。
ちなみに何度も言いますが現状での考えです。私は即座に広宣流布が来るとは思ってませんので、そのときの現状はまた変わっていると思います。なお、全て私見ですよ。

39独歩:2002/03/11(月) 05:57

菊水護国さん:

有り難うございました。参考になりました。

40いちりん:2002/03/13(水) 19:52

三大秘法って、いわば三つのお宝ですよね。
まあ、究極は、本門の本尊でありましょうが。

本門の本尊に向かって題目を唱えること。
ここに、末法の修行の眼目があるわけですよね。
だから、本門の本尊と本門の題目は、わかります。

けど、どうして「戒壇」なのでしょうね。
そもそも、「戒律」など不要なわけですよね。「受持即観心」であって、戒律は不要。

本門の祈願所、本門の道場、本門の寺院、本門のサンガ(和合僧)……と考えてみると、わたしなどは、「本門の戒律」というよりは、「本門のサンガ(和合僧)」がぴったりくるかなあと思いますね。

「戒壇」など所詮は、建物なわけですよね。
そんなものがどおーーんと建てられても、それがどうしたということですよね。
心を一つにして、本門の本尊にむかってお題目を唱えるサンガ(和合僧)こそが本質なんじゃないだろうかと。

まあ、「戒壇」というのは、最澄さんの比叡山の戒壇という意味合いから、出てくるのでありましょうが。
最澄さんのときの戒壇の意義は、天台宗を国家公認の宗教にするということ。いわば、国立総合大学というような意味合いがあったと思いますね。

41問答迷人:2002/03/14(木) 07:43

いちりんさん

私も、『本門の戒壇』という法門の意義をうまく捉える事が出来ずにいます。宗教と国家の関係のありかたに関する法門、もっと身近な言い方をほすれば、信仰者の社会的実践に関する法門ではなかろうかと考えています。御存知の方、教えてください。

43ワラシナ:2002/10/06(日) 00:17
「一つの広宣流布モデル」

0、<要点>
0−1かって二フティーで一回、置時計さんの掲示板で一回、次の観察を述べた。「一箇寺運営に足る所属信徒300名あたりで講中離脱事件としての妙信講独移籍、妙観講移籍問題が発生している。そして、両講中の発展の軌跡がほぼ同じで、20年で50倍になっている。発足時300名前後で20年経った時ほぼ50倍の15000名になっている。」と。
今回三回目の指摘では、この同じ観察を繰り返すのではなく、この観察の応用面を言うことで新鮮味を与える事を狙ったものである。

0−2、どういう応用面に気がついたかといえば、「一つの広宣流布実行モデル」としてである。
ここでは、日本の全国民の日蓮正宗入信を広宣流布達成、とすれば、上の両講発展段階を他の支部も辿らせるようにすれば、ある見通しができる。

日本の総人口を一億二千万として、20年掛かって、一箇寺一万五千名の寺を8千寺作れば総人口になる。従って広宣流布達成時には、半分4000箇寺が浅井講頭のような講頭で、残りの半分4000箇寺が大草講頭のような強力なリーダーシップを持った講頭で占められることになる。

1−、<主張、言いたいこと>

だが、私の今回ここで言いたい事は「上のような広布達成への机上プラン」が出来上がる、という事を示すにとどまっていて、このプランの是非を論じたりすることではないのである。

現実のデータをもとにした具体的な活動目標を伴ったこのような机上プラン、に対しての教界の人々の反応の冷ややかさに、人々のこの問題に対して抱く平均体温的な標準値のような、何かの基準に相当するものが出てはしないか、という提言なのである。

2、上のモデルは全くの極端で誰も本気で採用はしないであろう。第一、日達上人ご自身がs’51説法で広布達成認定基準として、「日本の全国民の日蓮正宗入信」を退けているからである。「日本国民の三分の一以上の正宗入信者達成」というお考えを発表されているからである。

3、確かに、この、極端モデルはリアリティを欠いたところがあって誰も受け入れられないであろう。だが、この極端モデルは、歴史と伝統、過去からの慣習を踏襲する教界にあっては別な価値があると思う。それは、これからも闘争形態として、寺院中心を貫けばどうなるか、の実験結果として、妙信講、妙観講の布教実績データがある、という解釈ができるからである。
あのような強力な指導者の元でどんなに死力を尽くして頑張っても、あの布教実績を乗り越えることは無理だ、あの両講中の成果、あれが一種の限界だ、という解釈ができるからである。

4、これはあたりまえで、発足時のメンバーの資質が同じで、寺院行事絶対優先で予定を組めば、活動時間が限られてくるからである。

5、<結語>

これから何を目指して布教活動をしていくのか、将来どうなっていくのかは、人生に「これから」の残っている若い世代が一番注目しているところであろう。また全ての世代の人にとっても、現代では、予測的、予期的な生き方を可能にする哲学が必要とされている、と思うのである。だからその為にも自分の所属している教団の発展過程の正確なデータを知りたい、と思うのである。

これからも支部活動中心で行くとすれば、(画期的な布教新技術の開発がない限り)その行き着くところは大体見当がつく、その目安を両講中の足跡が示していると思うのである。先輩が命がけで活動した実績であれば、参考にしないわけにはいかない。

44犀角独歩:2002/10/06(日) 09:12

○広宣流布ということ

「広宣流布を目指す」というのは日蓮門下のための一つの目標、殊に本門戒壇建立・本門寺改称のための到達点みたいに言われていますが、私はこれは日蓮教義に矛盾していると思います。

広宣流布とは『薬王菩薩本事品』の

我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。
(我が滅度の後 後の五百歳の中に 閻浮提に於いて 広宣流布して 断絶せしむることなけん)

から来ているわけです。この一点は不動です。これを日蓮は末法の始めの五百年と定め『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』としたわけです。「五五百歳」とは『大集経』の滅後2000年以降を末法とするうち、500年区切りの第5番目、すなわち2000年から2500年を指すわけです。ですから、漫荼羅讃文は「二千二百三十余年」と記されるわけです。

さて、ここで問題になるのは、この教条性に従えば、“広宣流布は2000年から2500年の間でなくてはならない”ことになります。つまり、日蓮が広宣流布をしたことにしなくては薬王品の記述と合致しないことになります。

ですから、私は日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なければならないのではないのかと考えるわけです。より厳格に言えば三つの法門の成就をこの五百年のうちとするとしたほうがより正確かもしれません。

実際のところ、真跡のみで「広宣流布」を調べると上述の意味を超える日蓮の記述は見られません。あくまで「五五百歳広宣流布」です。

興門僧俗が広宣流布に拘るのは、もちろん、遺誡置文の

一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。

でしょう。しかし、この書は元弘3年1月13日の書とされますから、日蓮が言う五五百歳のうちということになります。

結局のところ、現在言われるような広宣流布観は、後世、考えられたものであり、蓮興二師においては少なくとも薬王品の「後五百歳」の範囲を墨守したものであると私は考えます。

つまり、日蓮が三つの法門の建立をもって「日蓮が広宣流布した」と見ることが祖意に添うものであると私は考えます。

以上、日蓮教説の範囲で記しました。

45犀角独歩:2002/10/06(日) 15:04

○日蓮上行論と戒壇建造論は矛盾する

もう一つ、私が思うのは日蓮を上行菩薩であるとしながら、戒壇の建造は未来に託したとする石山の考えは明らかに矛盾しています。

理由は至ってシンプルです。『法華取要抄』も

是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か

とあるからです。上行菩薩が三つの法門を建立するというのです。
日蓮は上行菩薩である、けれど戒壇は建立しなかったでは、この文意は尽くさないことになります。つまり、日蓮に上行の自覚があったとすれば、戒壇の建立を畢えていなければならないことになります。

つまり、日蓮に上行の自覚があったとしたら。戒壇を法門として建立することを至極としたと考えなければなりません。事壇建立などということは、日蓮上行論と三つの法門と親和性のない考え方であると私には思えます

もちろん私は日蓮上行論にも、事壇建造にも懐疑的です。これまた日蓮教説の範囲でのことですが。

46川蝉:2002/10/06(日) 16:07
44: 犀角独歩 さんへ。

本化妙宗の高橋智遍居士が、
大教建立時代(宗祖当時)と大教広布時代にわけていました。
典拠は「撰時抄」の
「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳、当世なる事は疑ひなし。但し、彼の白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、其の国国に八万の王あり、王王ごとに臣下並に万民までも、今日本国に、弥陀称名を四衆の口口に唱ふるがごとく広宣流布せさせ給ふべきなり。」(258頁)
です。
第五の五百歳白法隠没の時は宗祖当時とし、白法隠没の次すなわち宗祖の当世以降に一閻浮提に流布していくべきであると云う意であると解釈できるからです。

建治三年の「上野殿御返事」(1539頁・真)には、
「ただおかせ給え。梵天、帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし。爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそををくをはせずらんめとおぼえ候。」
とあって、一国同帰は将来のこととしています。

「報恩抄」の
「一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経等と、声もをしまず唱ふるなり・・・日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながる(流布)べし。」(328〜329頁)
この文からも、大教建立時代(宗祖当時)と大教広布時代とを考えられて居たことが推せられます。

また、「報恩抄」の最後部分に、
「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」の文を引き、続いて
「此教文若むなしくなるならば、舎利弗は華光如来とならじ、・・・十方の諸仏は八大地獄を栖とし一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし。いかでかその義あるべき、其義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。」
とあります。
「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」によって、必ず日本国一同に南無妙法蓮華経と唱える時が来るに相違ないと云う予測の根拠にもしています。

「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」の文を、宗祖は末法の初めに三大秘法が唱え出され弘通される意と、やがて、日本国乃至一閻浮提に広がって行くと云う意の二意を含んだ経文として扱われています。

>日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なけれ
>ばならないのではないのかと考えるわけです。
とのご意見ですが、宗祖によれば、広宣流布の成就は一国同帰乃至一閻浮提流布にあるようですから、曼荼羅図顕の段階で広宣流布の成就と見ななすことは、如何なものでしょうか。

47犀角独歩:2002/10/06(日) 16:42

あ、やはり、川蝉さんが反論してくれましたね(笑)
嬉しいですね。またご賢察をお伺いできます。

本化妙宗の解釈は、まあ、祖意を考えることなので、私は採りません。

> 上野殿御返事」(1539頁・真)には、
「ただおかせ給え。梵天、帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし。爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそををくをはせずらんめとおぼえ候。」
とあって、一国同帰は将来点

ええ、ですから、この「日本国一時に信ずる」を聖人は自分の在世になせる、換言すれば五五百歳の内に来ると考えていたのであろうと私は思っています。

私は日蓮の無謬性を信じるわけではありませんから、結局、この日蓮の予測は当たらなかった。そのために後代、その整合性を採る必要が生じた。それが高橋師辺りが言うことにつながると考えるわけです。

なお、『報恩抄』の「南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながる」は広宣流布というより「於閻浮提。無令断絶」に適応すべきではないですか。広宣流布は継続しなければ意味はありません。

仮に日蓮の考えが五百年以降、未来広宣流布を言うのであれば、薬王品の文と相違しますから、日蓮は法華経の文を枉げたことになってしまう、そんなはずは無かろうというのが、44に記したことです。

48顕正居士:2002/10/06(日) 20:03
広宣流布

末法の始めの五百歳に上行菩薩が出現し、寿量品を中心にした法華経がその
五百歳の中に南閻浮提に広く宣べ伝えらるであろう、が日蓮の基本的の信念
であったでしょう。
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、広宣流布」は釈尊から500年後の法華経
の作者が仏に仮託して云い、法華経が作成された時を指す。日蓮は五番目の
五百歳と解釈するが、趣旨は同じく日蓮の時代を指す。日蓮は基本的には
上行菩薩の先駆者であると称するが、彼の時代に広宣流布の基いが出来れば、
上行菩薩自身と云ってもよいであろう。それは彼が法嗣を決めなかった理由
でもあるだろう。最澄ではなく義真が初代の天台座主になったように、高弟
の誰かに期待したのだろう。広宣流布の基いはその範囲の時間と考えられる。

日蓮によれば、彼をさかのぼって三国に三師がある。釈尊は在世にマガダ国王
の帰依を受け、智者大師も然り、最澄のみ滅後に、義真に戒壇勅許、天台座主
補任があった。広宣流布とは教法が権威的に流布することであり、そんなこと
は時間がかかってなるものでない。幾百年経過してなるのは王朝文学のような
社会文化の結実である。日蓮宗は実際に広宣流布し、16世紀には日本の人口の
半分が信者であった。しかし、彼らは門徒間闘争に明け暮れ、建設性を有せず
腐敗堕落し、日本の独立と安全を脅威する勢力であったので、信長公、秀吉公
によって邪教とみなされるに至った。

49顕正居士:2002/10/06(日) 20:38
日蓮はサヴォナローラか?

内村鑑三はサヴォナローラに比し、渡部昇一はロヨラに比した。ジュネーブ
の人民を多数、火刑に処し、市の財産を焼き、みづから火刑台に消えた彼と
同じく、日蓮は狂信政治家の候補であったのか?サヴォナローラがその地位に
就いたのは人民の信服による、日蓮はその地位に就かなかったから、何とも
云えない。しかし、ロヨラに比するのは誤りだろう。ロヨラの教団は幾世紀の
間、分裂しない。サヴォナローラが権力を得なければ、サヴォナローラ宗が
今、あるだろうか?

*ジュネーブ市の宝物を焼く際、彼に教皇は買取を提案したが、拒否された。
教皇と秘書官の対話が残っているが、サヴォナローラは狂信の維持のために、
低い経済レべルが必要だと考えている、と教皇は述べた。

50犀角独歩:2002/10/06(日) 21:55

顕正居士さんが、48にまとめてくださったので、より闡明になりましたが、要するに私が記したかったことは以下の通りです

日蓮聖人は薬王品の「後五百年」を「五五百歳」として、(日蓮が考える)釈迦滅後2000年から2500年の間に広宣流布するとしたわけです。
ですから、日蓮が広宣流布を弟子に委託したとなれば、日蓮が立てた500年内広宣流布説は無効となると指摘したわけです。

しかし、私はその整合性を採るために日蓮が建長5年4月28日に唱題を始め、弘安5年10月13日にその一生を終えるまでの30年間に逢難成就し法華経の行者として出生の本懐を遂げたとすることが常不軽菩薩に同じとして、日蓮が広宣流布をしたと解釈すべきではないのかということです。

そうでなければ500年内広宣流布は出来なかったことになってしまうからです。
まだ、わかりづらいのでしょうか。
メールでの質問の方にお約束通り、公開でお応えしました。

51川蝉:2002/10/07(月) 16:26

犀角独歩 さんへ。
宗祖の広宣流布の解釈

「種々御振舞御書」にも
「諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、伝教にもこへよかし。」
とあります。
宗祖は自らを広布の先駆けと任じられていたと言えましょう。
宗祖には初めの内には、若しかしたら公場対論までもってゆけるかもしれないと云う希望はあったであろうことは推測できます。
しかし、竜口法難を境に、ほぼ生存中には公場対論は望めないという気持が強くなったと推測します。

それは、「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。」(1489頁)」
と有ることから推せられましょう。

私はやはり、宗祖は、末法の初めに三大秘法が唱え出され弘通される意と、やがて、日本国乃至一閻浮提に広がって行くと云う意の二意を含んだ経文として「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」を扱われていると思います。

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して」
の文の「広宣流布して」の意を、広宣流布の完了(一国同帰の成就)の意のみと解釈すれば、宗祖は事実上、一国同帰の目的を果たす事が出来になかったのですから、
犀角独歩さんの
>日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なけれ
>ばならないのではないのかと考えるわけです。
と云う通りとなりますね。

そこで原典の口語訳を見てみると、それぞれ次の様に訳されています。
「宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンブー州において(本章が)ひろまり、消失しないように、」
(中央公論社・大乗仏典5・203頁)

「最後の時、最後の期、最後の五百(年)の転現する(時)に於いて、この閻浮提に流布せしめよ、消滅せしむるなかれ」
(平楽寺書店・梵漢対照 新訳法華経・467頁)

「最後の時・最後の折り・最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドブィーパに行われて、消滅しないように」
(岩波文庫・法華経下・207頁)

「広宣流布して」の意は、広宣流布の完了を意味するものでなく、「弘め広げつづける」との意であるようです。
(最後の五百(年)については今の論題ではないので差し置きます)
ゆえに、宗祖が一国同帰を成就できなく、三大秘法の法門を建立し広め初めの先駆けだけにおわっていても、薬王品の文に外れたとは言えないと思います。

52犀角独歩:2002/10/07(月) 18:21

川蝉さん

ご丁寧なご説明、有り難うございます。
私の文章がまずいこともありますが、基本的に私が考えていることと違っていないことを記されてお出でなのであろうと拝察しました。

聖人は妙法蓮華経と本尊を、広く宣べ流布したから、ご自身が説かれた末法の始め500年を成就したというのが私の考えです。その先駆けのお一人であらせられた。その意味での聖人が広宣流布したと記したわけです。

ただ、聖人が述べただけでは、終わってしまいますから、その後、永遠に弟子達が広く宣べ流布しなければその法灯は消えてしまう、その点を私は「無令断絶」に見るわけです。
ですから、仰るとおり、広宣流布は常に現在進行形であろうと思います。
第一、人間の寿命など100年を越えません。つまり、100年すれば人はすっかり入れ替わってしまいます。仮に日本国一同に題目を唱えたとしても100年ということになりますものね。これは国王が法華経を持(たも)って同じことですね。事檀が建立されても、同じことが言えるわけですね。まさに「伝持の人無ければ猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」ですね。

ところで、私がこの日蓮教説に限ったあとに、さらに展開の段階で問おうと思った文章を川蝉さんが引いてくださいました。

岩波、岩本師訳「最後の時・最後の折り・最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドブィーパに行われて、消滅しないように」

この「五十年」を川蝉さんは、どのような解釈されてお出でですか。

53川蝉:2002/10/08(火) 17:34

犀角独歩さんへ。

>この「五十年」を川蝉さんは、どのような解釈されてお出でです
>か。

恐らく、薬王菩薩品の文は正法五百年の後の次の五百年に於ける広宣流布を語るものなのに、鎌倉時代に法華経が広宣流布する、あるいは流布すべしというと言う予言的な経文と受け取れるのか?と云う問題についての私の考えを問うているのかなと推測してコメントを書きます。

岩本博士がテキストとした原典が他の学者が用いた原典と異なるのか、あるいは、平川彰博士が
「梵本の『薬王菩薩本事品』には『五十』となっているが『五百』が正しいのであろう」(初期大乗仏教の研究1・160頁)
と云っています。他の学者も同じく原典に「五十」と有ったのを「五百」と訂正したのかも知れません。
語尾に「t」が有るか無いかの違いだけだそうです。

仏教学者は、「前の五百年」(正法が栄える時)が、「すんだ後の五百年」の事と解釈しています。

本化妙宗の山川智応博士が「基督教と日蓮聖人の宗教」において、6点の理由を挙げ、「前の五百年が、すんだ後の五百年の事でなく、最後の時、最後の期、最後の五百(年)と言う表現は、幾つか有る五百年の最後の五百年の意味ではないか」と論じていますが,

立正大教授の伊藤瑞叡師によると、
「大般若経の後時・後分・後五百歳も、法華経の原文のそれらも同格の換言用語であるから、幾つかの五百歳の意味にはならないのである。すなわち法華経の後五百歳説は、原意の上では第五の五百年ではないようである」(日蓮精神の現代・235頁)
との事です。

しかし、私としては、はたして「同格の換言用語であるから、幾つかの五百歳の意味にはならない」と簡単に、山川智応博士の論を考慮外に置いてしまってよいのだろうか?と言う思いも残ります。

「宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンブー州において(本章が)ひろまり、消失しないように、」
(中央公論社・大乗仏典5・203頁)
とあっても、正法五百年の次の五百年の期間だけ広宣流布すべしと言うことでなく、その後の時代にも、広宣流布すべきであると言う意趣が当然、籠められていると云えましょう。
末世になれば成る程、正法の流布ほ必要性はより高くなるからです。
法華経成文化者もそのように考えていたと思います。

仏滅後一千年内に限らず、その後の時代においても広宣流布しなければならないと言う意がある経文ですから、悪世に法華経が必ず広まっていく意味の経文であると解釈し得るわけです。

宗祖は当時の時代相を観察して、経文通りの悪世末法であると受け止め、末法悪世にこそ正法である法華経が広まる時であり、広めなければならない時であると確信されたのでしょう。

宗祖は、天台・伝教大師の後、両大師より一重立ち入った法華経本門に立脚した法門を把握し、勧持品の偈を色読されたことにより、自らこそ末世の弘教を付属された本化の菩薩であると自覚されたのですが、法華経がその流布を最も要請している所の悪世末世の始まりの時期が到来したから、宗祖の出現があったと見るべきだと私は思っています。
宗祖の出現と云う結果から、逆に考えるわけです。

54顕正居士:2002/10/09(水) 07:53
西元552年、1052年、1552年

「最後の」、「法滅の」時は経の作者が仏に仮託して今をいうから、仏の滅後
500年、1000年とあれば、その頃に作成されたと想像できる。経が作られたのは
滅後500年(大乗)、1000年(密教)に集中してはいる。『方等大集経』のは
4個あるいは5個の500年をいい、ゾロアスター教の「終末史観」を摂取したのか
知れない(トルキスタンで出来た)。今、我々は釈尊がソクラテスと同じ時代
の人であることを知っているが、それは北伝経典に仏の滅後100年に阿育王出世
とあり、彼の年代がギリシャの記録から判るからである。古代の中国人はその
年代を知るすべがなかったので、西元前11世紀に素晴らしい聖人が西方で誕生
したらしい、そういう吉祥があったという記録にこじつけ、700年も昔にして
しまった。この計算を『大集経』に施すと、西元552年に末法に入る。漢末の
大動乱、『三国志』の時代を、魏晋しばらく統一したが、ほどなく南北朝の
異民族侵攻の時代となる。「末法」を背景に浄土教、天台宗など、中国独自の
仏教が発達した。わが国への仏教公伝には538年説があるが、『日本書紀』が
552年とするのは末法元年だからである。しかし藤原政権に衰弱がはじまった
11世紀、『大集経』には5個の500年ともあるゆえ、西元1052年に末法に入ると
日本人は喧伝した。「末法」を背景に日本独自の仏教が発達した。五番目の
500年の説は日本で流行しており、日蓮の創意ではない、責任でもない。だが
五番目の500年の終わる時には、何が起こっただろう。日蓮宗がその使命を
おえるはずの1052年の前後には。天文法華の乱(1536年)である。この頃の
日蓮宗徒は人口の半数であり、最も有力なキリスト教の敵であるとパードレ達
は記した。明治年間に20家の宗教華族が叙爵された際、両本願寺のみ伯爵、他
の18家は男爵、すべて真宗異流と神道家であった。(興福寺門跡は還俗を前提
に叙爵されたので宗教華族に入れない)。

55顕正居士:2002/10/09(水) 08:41
国史に徴すれば

日蓮宗は後の五百歳、室町時代に広宣流布した。上宮太子に始まり、最澄に
よって国民宗教になった法華信仰は衰えず、復興したのだから、日蓮の感性は
正しかったのだ。次の五百歳は真宗の世になったようだ。五百歳のその後も
未来際まで記憶されるだろうという希望も実現している。しかし「去暦昨食」
だから、カルトの発生源となる。真宗の6番目の五百歳もおわりつつあるから、
親鸞会が発生している。では7番目の五百歳に活躍する宗教があるだろうか?
あるとも云えるが、今日の宗教は教会や教団を必要としない、教会や教団は
葬式の他は、カルトの発生源に次第になる。なぜ今日の宗教は教会や教団を
必要としないか、宗教に魅力があったのは経済のレベルが低い頃には、科学者
と芸能家が教会や教団で生活していたからである。科学者も芸能家も独立し、
現代の宗教に貢献するのは企業である。大衆芸能が現代の「経」であり、
科学書が現代の「論」である。教会や教団の「宗教」は「反-宗教」であり、
「マルチ商法」の仲間であることを、はまっていない人なら知っている。

56犀角独歩:2002/10/09(水) 11:14

53 川蝉さん:

有り難うございます。日蓮門下の教科書的なご解答と嘆じました。

正直な感想を記せば、引用いただく本化妙宗の文章から、「解釈が信仰されている」…、個人的な感想ですが…という印象を受けました。

私個人としては「宗祖の出現と云う結果から、逆に考える」ことは、ずっと申し上げているとおり、反対の立場であることを、ここに改めて申し上げておきます。
もちろん川蝉さんを批判することではありません。

私が質問した薬王品の当該箇所は

ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行われて、消滅しないように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンパーダどもが襲撃の機会を得ないように、余はそれを汝に委ねよう。

となっています。私がこの訳文で特に注目したのは50年という点ですが、しかし、それだけではありません。上述の文を漢文訳に充て必要な箇所のみ書き直してみます。

宿王華よ、薬王菩薩本事品が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、この閻浮提に行われて、消滅しないように、…余・釈尊はそれを宿王華・汝に委ねよう。

原文で見る限り、50年が、500年であったとしても、この年月はやはり、薬王菩薩本事品が説かれたあとの50(500)年しか意味していません。また、さらに重要なことはこれを委ねられているのは、上行菩薩ではなく宿王華であるということです。

この経典をどこで誰が創作したのか、私にはわかりません。しかし、たぶん、ここで言われる菩薩達は、その創作者達の信仰対象者、あるいは自分たちの投影であったのであろうと思います。自分たちが生きている時代を、すなわち薬王菩薩本事品が創作された時期を仏滅後50年、あるいは500年と見なして、この経典は創作されたのであろうと私は考えます。つまり、仏滅後2000年という創作者と関係のない未来を予言して書いたのではなく、釈尊に予言をさせる形を採って自分たちのことを書いたのであろうと思うわけです。

そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。

私はやはり、法華経の真実は、日蓮が戻って読んでいくのではなく、法華経から時系列を追って読んでいかない限り、日蓮(解釈)信仰が固定概念化し、正しい認識は得られないと思うわけです。

もちろん、これは川蝉さんの信仰を誹謗するものではありません。
ご丁重なレスに感謝申し上げるばかりです。

57川蝉:2002/10/09(水) 17:18
56 : 犀角独歩 さんへ。

>仏滅後2000年という創作者と関係のない未来を予言して書いたの
>ではなく、釈尊に予言をさせる形を採って自分たちのことを書い
>たのであろうと思うわけです。

勧持品も、法華経信奉者達が、他集団から攻撃を受けた体験をベースにして、(このことは通説になっていますね)将来・悪世に弘通する者は、かかる非難攻撃を受けるであろうと、云うに将来に視点を置いて語っています。

犀角独歩 さんの読み方から云うと、勧持品の「濁劫悪世の中」の意は、法華経創作者当時を指しているだけで、遠い将来世のことなど視野にいれてないと云うことになるのでしょうか。

「見宝塔品」に
「もろもろの仏子等 誰がよく法を護らん まさに大願を発して 久しく住することを得せしむべし」
とあるのは、法華経創作者当時の信奉者に向けているだけの言葉としてしか解釈しないのでしょうか。

薬王菩薩本事品はじめ法華経全編は、当時の信奉者のみを対象にしたものでなく、将来世の悪世を視野に入れたものであり、我々に、現に語りかけられている言葉として受け止めるところに、法華経は生きて来るのだと思います。

これは私の基本的立場です。

「是の故に宿王華、此の薬王菩薩本事品を以って汝に嘱累す。我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ。」
とあり、
たしかに、「宿王華よ薬王菩薩本事品を正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」と云うのが、経の元々の意(原意)と云えます。
しかし、伊藤瑞叡立正大教授が「日蓮精神の現代」において、
「流布すべしとするものは、薬王菩薩本事品ではあるが、これは妙法蓮華の法門に摂せられるものであり、しかも法門の真意は妙法すなわち正法であるから、結句は妙法である。すなわち、法華経は正法(=白法)滅尽の時をモメントとして真の仏法たる正法(=大白法)の興隆が企図さるべきであるとする意志を表明していると解されよう・・法華経においてこの経文の主旨である正法の興隆ということは、原意のままの後五百歳では、その後の仏滅一千年を経過してからは、人類の歴史の上にリアリティを失いかねないものとなってしまう。そこで法華経の原意(事実)ではなくて、その原意生み出した真意(真実)はどこにあるのか、ということが問われるべきであろう。・・常に正法がまさに滅せんとするという正法滅尽の危機意識にあり、そうして正法の興隆にこそあるといえよう。原意に固執して枯死せしめてはならないのである」(233〜236頁)頁)
と論じていますが、こうした、経文の受け取り方が大切だと思います。
「薬王菩薩本事品を広宣流布すべし」とあっても、本文を見れば分かるように、法華経を十諭讃歎し法華経の受持の功徳を讃えている内容ですから、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。

法華経は仏滅後の悪世に弘めるべき価値のある正法であると云うのが、法華経の底にある真意です。「見宝塔品」の教勅が「正法五百年の次の五百年間」の弘通を命じているだけで、遠い将来世の弘通を募っていないとは云えないでしょう。
その遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるというのが、法華経全体に流れる真意でしょう。

「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

ゆえに「そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。」と云う犀角独歩さんの見解には首肯できません。

上に述べましたが、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。
その法華経の中に、上行等が弘通を誓っていると云うことになっているのですから、「上行菩薩ではなく宿王華に委ねられている」としても、「薬王菩薩本事品」が上行菩薩の弘通を無視して、法華経の一品に加えられているとは云えないでしょう。

今回の問題についても、私と犀角独歩さんとは基本的立場が違うようですね。

58犀角独歩:2002/10/09(水) 19:48

57 川蝉さん:

> 基本的立場が違うようです

これはあまりにも当然すぎることではないでしょうか。
しかし、これは立場の違いと言うより、原意を重んじるか、解釈を重んじるかの相違でしょう。

さて、いくつかまるで誤解があるようなので、その点だけは記します。l

> 勧持品の「濁劫悪世の中」の意は、法華経創作者当時を指しているだけで、遠い将来世のことなど視野にいれてないと云うことになるのでしょうか。

そんなことはまったくいっておりません。

> 「見宝塔品」に法華経創作者当時の信奉者に向けているだけの言葉としてしか解釈しないのでしょうか。

これも違いますね。

> 薬王菩薩本事品はじめ法華経全編は、当時の信奉者のみを対象にしたものでなく、将来世の悪世を視野に入れたものであり、我々に、現に語りかけられている言葉として受け止めるところに、法華経は生きて来るのだと思います。

ですから、これは解釈ですね。
ここで記されていることで重要な点は「薬王菩薩本事品はじめ法華経全編」という部分ですね。私は薬王品の該当部分について記しているわけです。それがいつの間にか法華経全体となってしまっています。この差です。宿王華に充てたものが法華経全般に係るとし、さらに大集経の三時にもかかると次々と拡大していくこの解釈の部分です。ここに対して私は疑問を投じているわけです。このことと原文が示すところろは一致しないわけです。
ただし、令法久住、そして、無令断絶の結果、今私たちは法華経を手にしています。その意味で、いまここに法華経が生きているのは事実でしょう。
しかし、「自分たちに語りかけられている」と取るから、法華経が生きているのではなく、先哲の努力によって今に至るまで法華経が伝えられたから生きているのでしょう。

> たしかに、「宿王華よ薬王菩薩本事品を正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」と云うのが、経の元々の意(原意)と云えます。

そのとおりでしょう。

59犀角独歩:2002/10/09(水) 19:48

―58からつづく―

> 伊藤瑞叡立正大教授…

ですから、これは解釈であって原意ではないでしょう。
学者先生が何を言ったから正しいとは限りませんでしょう。

もちろん、どのように解釈し、自分たちに当て嵌めるかは、それは勝手です。
しかし、私が問題にしているのは解釈ではなくて原意です。
ここを取り違えないでください。原意と解釈を同列に並べて、原意はたしかにそうであるけれど、こっちの解釈のほうがいいなどという話をしているわけではありません。
そもそも原意と違う解釈など、何の意味があるのでしょうか。

> 「見宝塔品」の教勅が「正法五百年の次の五百年間」の弘通を命じているだけで、遠い将来世の弘通を募っていないとは云えないでしょう。

そんなことは私は一言も言っていませんが。誤解されておりませんか。

> その遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるというのが、法華経全体に流れる真意でしょう。

これは、その通りであると思いますが。私はその点に何等異論を記しておりません。


> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

> ゆえに「そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。」と云う犀角独歩さんの見解には首肯できません。

私は川蝉さんの原意と解釈のうち、「解釈のほうを優先する」、その読み方が納得できないわけです。解釈であればなんとでもいえるわけです。

たとえば創価学会は「自分たちは仏意仏勅の団体である」というのです。日蓮は本仏であるというのです。板漫荼羅は生きた日蓮であるというのです。そう解釈するのは勝手です。この解釈者はもちろん石山・寛師です。しかし、これが正しいかどうか、それは解釈によっては決するべきではありませんでしょう。厳正に原意を見るしかないことです。私が、ここの議論で解釈論争を避けるのは、そのような理由です。

> 「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。

このように断定できるのは解釈だけでしょう。
そのような自覚で法華経を信奉され、弘通されるのはご勝手です。しかし、それを恰も原意である如く記すべきではないというのが、私の言わんとすることです。

> その法華経の中に、上行等が弘通を誓っている…

ここからはまるで私の立てた問題定義とは全然関係のないことを論じられていますね。

私が言っていることはそんなことではありません。何で薬王品の50年(500年)が仏滅後2000年から2500年を指したことになるのかという点です。

どうしてなると川蝉さんはお考えになるか、それはまた解釈に拠るわけでしょう。結局、法華経の原文・原意からまったくそんなことは言えないわけです。

それとも法華経のなかにインド応誕の釈尊の滅後2000年から2500年の内に広宣流布と書かれているとでも仰るわけですか。

原意と解釈、さてどちらが真実か、私は解釈に拠らず、原意を見ることによって実像というパンドラの箱を開けてみようと思うのです。

この点では川蝉さんとは、交わる点は何もないかもしれませんね。

60犀角独歩:2002/10/09(水) 20:13

【59の訂正】

誤)> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

正)> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

ここで言われている「原意」は原意ではないでしょう。すでに解釈が混じっています。
どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

61犀角独歩:2002/10/10(木) 08:09

達師がまだ精道師の名乗りの頃、まとめた『板本尊偽作論を粉砕す』は私にとって、戒壇之本尊が本物であることを信じる大切な一書でした。その意味から人にも何度となく勧めてきました。しかし、これをいま読み直すと疑問は次々と涌きます。この点を何点か記してみようと思います。

なお、記すに辺り、には深くお詫び申し上げるものです。

いままで、この書を良書として勧めた方々、以下、記すことによって、私の過去の言動、殊に板漫荼羅真作とする発言を改めて、撤回し、お詫び申し上げるものです。

以下、日蓮正宗布教会編の文章ですが、発行者・代表が「細井精道」となっているので達師の言として扱います。

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(1)

P11に「大石寺に於ては信徒の願い出があれば御開扉申し上げている。少しもひた隠しにしていない」

まず、ここで信徒の願いがあれば御開扉をするという。石山で言う「広宣流布の暁まで秘蔵厳護する」というのは、こんな本音と建て前の使い分けなのでしょう。
たとえば石山行事に「不開(あかずの)門開き」というのがあります。広宣流布の暁に天皇の勅使が通るための門であるから勅使門ともいう門です。石山のアナウンスに拠れば、信徒に供養をさせ功徳をえさせるために年に1度はこの門を開けるというものです。広宣流布の暁まで開けない門は、なんということはない、毎年1回は開けられているわけです。こんな本音と建て前、きれい事と現実の使い分けが、石山にはあまりに多い。

純粋な信徒はきれい事を信じ、「広宣流布の暁まで戒壇の御本尊様は秘蔵厳護され、天皇の勅使が来るまで不開門は開かない」と胸を熱くするわけです。ところが信徒の願いがあれば御開扉はするし、供養を受けるために不開門開きなる行事まであるという理想の現実の前に愕然とさせられるわけです。一連の顕正会の理想行動と石山との軋轢は、こんな本音と建て前、理想と現実の大きなギャップに走った大きな亀裂であったのではないでしょうか。

「…信仰のない者に拝ませる必要が何処にあるのか。そういうことは御賽銭稼ぎの他に意義はない。安永君(板本尊偽作論の著者)は自分の門流で御賽銭稼ぎに御開帳をやっている、その頭で律するから、そういふ説を立てる」

まず、ここで立正大学の先生である安永師を、自分たちに誹謗したものである、破折し、教訓してやる、こんな意気込みなのでしょう。「君」付けで一貫して呼んでいます。このような他者蔑視はすでに教義の正邪、団体・指導者の正邪以前の人間性の問題です。実に見苦しい非礼な態度であると批判しておきます。

ここで他山の御開帳を賽銭稼ぎと詰(なじ)っています。
しかし、では、一律の内拝料金を定めて徴収し、かつ、信徒であれば誰でも御開扉を受けさせることと何処が違うのでしょうか。広宣流布の暁まで秘蔵厳護の理想とは大きく隔たった現実です。

他宗と言葉の使い分けをしていますが、対照すれば、

御開帳=御開扉
内拝料=御賽銭

ということになります。つまり達師の言を当て嵌めてみると「内拝料稼ぎの他に意義はない。内拝料稼ぎに御開扉をやっている」となります。まさに点に唾する類の発言でしょう。(つづく)

62犀角独歩:2002/10/10(木) 08:11

【61の訂正】

2段落目「なお、記すに辺り、には深くお詫び申し上げるものです」削除。

63菊水護国:2002/10/10(木) 09:35
> たとえば石山行事に「不開(あかずの)門開き」というのがあります。広宣流布の暁に天皇の勅使が通るための門であるから勅使門ともいう門です。石山のアナウンスに拠れば、信徒に供養をさせ功徳をえさせるために年に1度はこの門を開けるというものです。広宣流布の暁まで開けない門は、なんということはない、毎年1回は開けられているわけです。こんな本音と建て前、きれい事と現実の使い分けが、石山にはあまりに多い。

1個だけ事実相違してますので
開かずの門が年に一度開きますが「信徒」の供養を受けるためでなく「信徒以外」の供養を受けれる儀式です。
勅使門が開くときの勅使は当然、信徒ではありませんから、それを模してる訳です。
「信徒以外の供養を受ける事が出来る」例外と思ってください。

64犀角独歩:2002/10/10(木) 10:35

63 菊水護国さん:

これ本当ですか。そうすると勅使門を使って謗法の施まで受けているわけですか。
これは本当にひどい話ですね。貴重なご指摘有り難うございます。

しかし、勅使は天皇が“帰依”してくるわけですから、謗法の使いではないでしょう。矛盾していますね。要するに謗施でもなんても貰えるための理屈付けというわけですね。

以上、石山の「謗法」義に基づいて記述しました。

65犀角独歩:2002/10/10(木) 11:22

先に簡単に整理すると、達師は

a) 身延の本堂には戒壇之漫荼羅が安置されていた
b) 以前は御影堂に戒壇之漫荼羅は安置されていた
c) 客殿の後ろに広宣流布の暁までしまっておく
d) 信徒から願い出があれば御開扉(開帳)する

と、こんな調子で言うことは変わってきています。

a の如く身延本堂に安置されていたというのであれば、秘蔵厳護でも何でもない。
b の如くで、a に同様。けれど、御影堂は信・不信を問わず参詣できた。
c は広宣流布まで見せない(d の意は含むと思われる)
d は信徒なら見せる

という変遷が見られます。では、どれが正解と見るべきなのか。

a の身延本堂安置の本尊が戒壇之漫荼羅であったとしたら、まさにその場所こそ、戒壇堂であったことになるわけです。なぜならば、本堂といい、戒壇之漫荼羅が安置されているからです。

ところで、ここでは30人、多いときで60人の僧俗が寝食を共にされていたわけです。この状況は秘蔵厳護とは言わないでしょう。しかも秘蔵厳護するはずの本尊を本堂に安置するのは、そもそも現石山義と隔たっています。

次に、江戸時代には御影堂にあって誰でも参拝できた。ところがそのあとに御宝蔵にしまわれて、願いがないと見せないと変遷したことが窺えます。この時期はどうやら江戸時代のことのようですが、なんで、こんな措置が執られたのか。たぶん、この段階で用意された理屈が「広宣流布の暁まで秘蔵厳護」ということなのでしょう。さて、この理由は何であったのでしょうか。

また、この時代までの通日蓮門下教学では戒壇論は理壇・事壇の議論であったわけです。簡潔に記せば、漫荼羅安置の場所は理壇、戒壇堂の建造が事壇です。

ところが、御宝蔵に戒壇之漫荼羅をしまい込んだ頃と時期はそう変わらないときにでた寛師は、この理事戒壇論を踏襲しながら、義事戒壇ということを言いだし本門戒壇の解釈を加えます。漫荼羅処住のところはいずこも義の戒壇、けれど戒壇之漫荼羅安置の場所だけが事の戒壇、それも広宣流布の暁に本門寺と改称して天原原に戒壇堂を建立するとき、そここそが事の戒壇と述べていくわけです。

(義事戒壇論を他門で私は知りません。これは単なる私の不勉強によるかも知れません。間違っていれば、ご叱正ください)

たしかにこんな意義を孕ました戒壇之漫荼羅が誰でも見られるところにあっては、なにかと権威が墜ちる殊になるのは頷けます。しかし、人によっては、この秘蔵は要するに御開帳供養を得るためのものであったとも言います。

理屈があるからそうなるのか、現実が先行して理屈がつけられたのか、この戒壇之漫荼羅の扱いの変遷は、その真議論とは別に興味のあるところです。

66菊水護国:2002/10/10(木) 12:59
1つだけ間違えました。
当宗は「不受不施」の中の「受不施」ですから、信徒以外の供養も受けてもよかったんですよね(開かずの門だけ例外と言うのは訂正します)。
学会がガチガチの考えを流入しただけでしてね。
塔婆も別に入信者でなくとも、願主となれますしね(未だにガチガチの所はありますが)。
ようは、他宗にある事は本宗にもあると考えて良いでしょう。
さて、勅使門の年に1回の開きについては、寛師の深い意味の文献もあるのですが、ちょっと公開できませんね。
皇室にかかる事ですから・・・(おそらく、件のOさんは持ってるかも・笑)。

67犀角独歩:2002/10/11(金) 01:36

66 菊水護国さん:

あれ、寛師ですか。でも有師の

一、他宗難じて曰く、謗施とて諸宗の供養を受けずんば、何ぞ他宗の作くる路、他宗のかくる橋を渡るか、之れを答うるに、彼の路は法華宗の為に作らず、又法華宗の為に懸けざる橋なり、公方の路、公方の橋なるが故なり、法華宗も、或は年貢を沙汰し或は公事をなす、故に公界の道を行くに謗施と成らざるなり、野山の草木等又此くの如し云云。

という一節があるではありませんか。
となると、寛師で変わったわけですか。
もっとも寺請制度に取り込まれて、国家体制に取り込まれていたわけですから、中世以降、謗施もなにもあったもんじゃないですね(笑)

68犀角独歩:2002/10/11(金) 08:18

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(2)

石山では以前から漫荼羅の写真を撮ることは「謗法」なのだという。石山信徒はそのように教えられてきたわけです。

P11に「安永君は熊田葦城氏の『日蓮上人』の初版に(戒壇之漫荼羅)の写真が掲載されているというが、此れは某信徒が葦城氏と相談して写真を出したならば世間に知らしめて非常に効果があると考えて大石寺に願ってやったことである。
 しかるに効果どころか甚だ面白くない結果となったので、その掲載は禁止したのである。その悪い結果とは此の写真を複写して本尊を売買する者があらわれ、或は偽作するものがあるとかいう事であった。恐らく安永君の門流の者の行為ではないか」

戒壇之漫荼羅の写真は石山が許可をして写真にして載せた。しかし、面白くな結果となったのでやめたというわけです。

それが数十年を経るごとに漫荼羅の写真撮影は謗法という口コミに変化していったわけです。

写真撮影が謗法であるというのは以上のようなことですが、では、模刻と作り、あるいはたとえば、戒壇之漫荼羅の臨写を作成したりすることはどうなのでしょうか。
複製を作ることはいけない。私はこれは聖人の考え、あるいは興師の考えに則っていると思います。聖人は自筆漫荼羅が複製されるなどと言うことを前提にしていなかったし、また、興師もこのような軽率な真似を厳しく戒めているわけです。その意味で、この達師の憤りはわからなくもありません。

しかしならば、当の石山は複製を作らないのか?といえば、石山ほど、複製を作るのがお手の物の団体はないわけです。数百万単位の印刷(複製)漫荼羅を作り、俄信者に卸していたわけです。これはいまも続けられています。さらに由緒ある漫荼羅を板に刻んで複製を作ってきました。客殿のいわゆる御座替漫荼羅も紙幅を板にしたものです。講堂の漫荼羅は万年救護を板にしたものですが、なぜ、この板漫荼羅がここにあるのかすら、わかっていません。末寺にも漫荼羅は複製が持っていかれているのであり、たとえば東京品川・妙光寺の本堂の漫荼羅は本山六壺の漫荼羅の模刻です。

古くは有師は紫宸殿漫荼羅と言われるものを板に刻んでいますし、何より、戒壇之漫荼羅の模刻も刻んでいます。石山は否定しますが、戒壇之漫荼羅そのものを板に刻んだのも有師であるとも言います。

戒壇之漫荼羅については、古来より複製が何度が作られたのであり、それは板であったり、紙幅であったりし、石山信徒の耳には届かないようにされていますが、実際は複数の複製を存しているわけです。

他門では複製を作ることがいけないが自分たちならばよい。この理屈は何に基づくのでしょうか。私は、このような自己中心的な発言はまったく説得性がないと思うわけです。

69菊水護国:2002/10/11(金) 11:12
独歩さんの書いたのは「化儀抄」ですよね
有師と寛師そして御当代は時代が違います。
化儀とは時代によって縦横無尽に変化するものです。
ましてや「勅使門」は恐らく有師時代にはありません。
これは仮説ですが25世の宥師時代頃に出来たものと考えられます。
また江戸期までは「法主=管首」ではありませんでした。
権威的象徴「法主」(天皇陛下のような存在)と実質的代表「管首」(将軍、総理のような存在)がいたのです。
いまは、両者が一緒になっているから、少しややこしい事もありますが・・・。

顕正会であれ、誰であれ、何故時代にそぐわない古い言葉に終始するのでしょうか。
やれ「達師がこう言った」「亨師がこう言った」等です。
今には今の真実があり、過去には過去の真実があります。
極端に言えば「戒壇の本尊」と「血脈相承」さえ変わらなければ、その他は縦横無尽に変化して良いものです。
学会出現以来、大きく変わったのは、「石山開山以来一切の変貌無く」と言う論理です。
これは誤りですよね。本当は「石山開山以来、時代に則して変貌して来た」と言った方が正しいのです。

70犀角独歩:2002/10/11(金) 14:37

69 菊水護国さん:

ここに記されていることは、概ね賛同しますよ。

けれど、化儀の変化に併せて教義を変化させたり、言うことをコロコロ変えるのはいかんでしょう。自語相違というものです。

有師と寛師の時代は違う、現在とも違い化儀に変化はある。これはたしかにその通りです。しかし、「大聖人已来の…」というまことしやかな枕詞で、信者を欺いているのは、ほかならぬ石山でしょう。

まあ、実際、こうやって菊水護国さんと私が意見を交換していると、菊水護国さんは石山擁護、私は批判と読まれてしまうかもしれませんが、実は菊水護国さんはきっちりと批判するところは批判されている。この点を私は評価するわけです(笑)

71犀角独歩:2002/10/14(月) 09:36

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(3)

この書の中で、もっとも目を引き、安永師の批判をかわしているのは以下の点です。

P12に「次に安永君は板御本尊の下方の部に仏滅後二千二百二十余年未曾有之大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。一度も拝せずして、世情の余太議論の書を半囓りして論ずるから根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる、茲には御本尊の文はかくかくだということは言はぬ」

達師に拠れば「二千二百二十余年」と彫られているというのは根も葉もない出鱈目であるという。しかし、それなのに、では、なんと書いてあるのかを言わないのである。実に狡猾な文章であると私は思います。

しかしながら、この文章は安永師を嘘つき呼ばわりしているようで、実は自宗の歴代までも、「出鱈目」をいう「あきれる許り」の人物であると言っていることになります。

なぜか。第31世因師は『有師物語聴聞抄佳跡 上』のなかに

「本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後“二千二百廿余年”等と云云』(富要1-251)

と記しているからです。さすがに歴代の文書のなかで戒壇之漫荼羅の仏滅年代に言及しているものは少ないのですが、しかし、ここには以上のように記されています。まさか達師は「二十余年」ではなく「廿(にじゅう)余年」だというのでしょうか。そんな「子供だまし」が通用する話ではありません。

『悪書板本尊偽作論を粉砕す』が発刊されたのは昭和31年9月25日のこと、富士宗学要宗の奥付を見れば『「昭和49年4月2日』となっています。昭和31年当時『有師物語聴聞抄佳跡 上』を載せる富士宗学要宗が発行されていないことをよいことに、このような人を欺く文書を恣にする体質は許されるべきことではありません。私もかつて、この一節に欺かれた一人として、今更ながら憤りを禁じ得ません。

もし、以上、記すことが虚言であり、単なる誹謗であるというのであれば、戒壇之漫荼羅の相貌を宜しく公開し、また、素材鑑定も公開して、実否を計ればよいだけのことです。それを「信仰」という名のオブラートに包み、伝説によって幾百万の人々と、数百億円の財貨を動かし、さらに、「広宣流布の暁まで客殿の奥にしまう」と言いながら、ここ近年だけをとっても、延べ数千万人に公開し利益を得るのみならず、新たな殿堂まで建造して、さらにその愚行の拍車をかける有様は嘆いても嘆ききれるものではありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板