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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

18独歩:2002/03/08(金) 11:52

―18からつづく―

>> 聖教新聞昭和29年1月1日の内容について。
> これだけの情報から判断すると池田会長はバカですね。「国立戒壇建立」には憲法改正が前提だから、国会議員の3分の2以上の賛成が必要なのだということを理解していなかったことになります。だとしたら、「公明党が憲法違反」だと共産党から指摘されておたついたのは納得できます。しかし、そんなバカなはずはないですよね。どう理解していいのかわかりません。

まず、前提として、人をどのような理由があれ、このような公開の場で「バカ」呼ばわりするのはよくありません。あなたとあなたの所属する団体に対して、かえって物笑いと軽蔑を買うだけです。おやめになるべきです。

さて、これは根本的に取り違えた発言ですね。創価学会は憲法改正を前提にしていません。常に現行憲法擁護の姿勢でしょう。つまり、国立戒壇の建立は国会決議で図ることを前提にしたものですから、公明党が政権与党になることによって現行憲法に基づいて建てるという考えです。もちろん、私はこの考えにも反対です。また、「「国立戒壇建立」には憲法改正が前提」などというのも顕正会が勝手に言うことです。

それにしても、こんな形で建つ戒壇を聖人が喜ぶと思う神経は、どうにも私には理解できません。聖人の教えと人となりに関する根本的な認識の相違があるとしか言いようがありません。

なお、憲法擁護であろうと、憲法改正であろうと超えられない実に高いハードルがあるでしょう。つまり、天皇の帰依です。顕正会は憲法改正には具体的なことを言っていますが、それより更に重要な天皇折伏は具体的にどのように行っているわけですか。
顕正会でも用いる伝説、日目再来説によれば、天皇を折伏するのは目師に限るはずです。目師が天奏に最後に捧持した申状を天皇に示し、それによって天皇が帰依し、建立されるのが戒壇ではありませんでしたか。この最重要事項はいったいどこへ行ってしまったんですか。

もちろん、私はこの伝説は保田妙本寺の正統性を喧伝するために用意されたものを石山が転用したと申し上げてきたわけであり、まったく叙用するものではありません。しかし、顕正会のコンセプトからすれば、この点を看過でくるはずはない点を指摘しておきます。

>> ・・・440年も経ってからのことです。
> というのはどういう意味なのでしょうか。文意からは寛師の書き残したものは信用できない、ということなのでしょうか。だとしたら、同じ理屈で釈迦滅後500年後に作られた法華経も信用できないことになるのではないでしょうか。

「同じ理屈」という論の展開が間違っています。
聖人後、750年の教学史は研究されています。その結果、寛師教学は聖滅100年前後以降に石山に流入した中古天台本覚思想と、他山から精師が収集した相伝・口伝の類を、あたかも聖人已来440年、継承されてきた点が指摘しているのです。
これと法華経の成立史は別の問題でしょう。

単に時間的な隔たりのあるものを認めるという一点に論を絞る難の立て方に問題があります。


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