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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

45犀角独歩:2002/10/06(日) 15:04

○日蓮上行論と戒壇建造論は矛盾する

もう一つ、私が思うのは日蓮を上行菩薩であるとしながら、戒壇の建造は未来に託したとする石山の考えは明らかに矛盾しています。

理由は至ってシンプルです。『法華取要抄』も

是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か

とあるからです。上行菩薩が三つの法門を建立するというのです。
日蓮は上行菩薩である、けれど戒壇は建立しなかったでは、この文意は尽くさないことになります。つまり、日蓮に上行の自覚があったとすれば、戒壇の建立を畢えていなければならないことになります。

つまり、日蓮に上行の自覚があったとしたら。戒壇を法門として建立することを至極としたと考えなければなりません。事壇建立などということは、日蓮上行論と三つの法門と親和性のない考え方であると私には思えます

もちろん私は日蓮上行論にも、事壇建造にも懐疑的です。これまた日蓮教説の範囲でのことですが。


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