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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

30問答迷人:2002/03/09(土) 21:42

盛年元気さん

本門戒壇に関して、今、私達が考えなければならないのは以下の諸点であると思います。

『本門の戒壇』と聖人がおっしゃる法門については、三大秘法抄を除いては、名目を示されるのみで、具体的に踏み込んだ御指南がありません。唯一、関係の深い御真筆御書は、何と言っても、やはり、立正安国論で有ろうと思います。国主たる北条時頼に対して、禅宗や、真言宗と言った邪法を政治の根本にするのは間違いであり、その事が災難の根本原因である事を指摘され、仏教の正統である法華経を根本にして、政治を行わなくては国家の安泰はなく、内乱や外敵の侵攻を受け国が滅ぶと、強く諌められたわけです。即ち、正しい宗教を政治の根本とする事によって、その国が栄えると言う原理が、立正安国論の主張で有ったわけです。当時の封建社会にあっては、政治の根本に正しい宗教を置くとは、為政者で有るところの、北条幕府の執権が信徒となって、仏法の教えを元に政治を行う事であった訳です。それが、当時としての理想の政治で有ったと思うのです。この立正安国論の主張の延長に、『国主が入信したとき、本門の戒壇堂を建て、そこで、国主への授戒を実施すると』いう、三大秘法抄等の考えが出てきていると思うのです。

それでは、今日の、社会にあって、「政治の根本に正しい宗教を置く」とは、如何なる事か。『為政者が信徒となって、仏法の教えを元に政治を行う』という事が、今日的には、どのようで有るべきか。そして、それらの事が、本門の戒壇という法門とどのような関係となるのか。こう言った点を理論構築しなくてはならないと考えます。一言で言えば、仏教と国家の関係についての理論構築です。封建社会を前提とした、三大秘法抄の記述は、三大秘法抄が聖人の真蹟であったとしても、やはり、今日の近代化された社会にそのまま持ち込むことは、時代錯誤になるのは間違いの無い事であると思います。仏教と国家という基本原理に立ち帰って、理論構築し直さなければならないのは当然であると考えます。もし、そのまま持ちこんだら、タリバンのあの時代錯誤の姿と同類で有ろうと思います。


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