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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

28Libra:2002/03/09(土) 06:31
無徳さん:
独歩さん:

 お二人のお話(>>22-27)を拝見させて頂きながら、宗祖の以下のお言葉を今
改めて噛み締めています。

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  予自他の偏党をなげすて論師人師の料簡を閣いて専ら経文によるに法華経
  は勝れて第一におはすと意得て侍るなり

  (「善無畏三蔵抄」、全集、p. 881、真蹟無)
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   此の経文の心は眼前なり青天に大日輪の懸がごとし白面に黶のあるにに
  たり、而れども生盲の者と邪眼の者と一眼のものと各謂自師の者・辺執家
  の者はみがたし万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん

  (「開目抄下」、全集、p. 218、真蹟曾存)
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  道心あらん人・偏党をすて自他宗をあらそはず人をあなづる事なかれ。

  (同上、p. 219)
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  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説
  に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべ
  からず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・は
  ばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりと
  も用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立
  てしゆへに

  (「破良観等御書」、全集、p. 1293、真蹟無)
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 「道心あらん者」であられるお二人に、そしてこのサイトに参加されている
多くの方々に敬意を表します。

 私が所属しております創価学会では、

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/014.html

というようなことも言われてはいますが、残念ながら、実際には「各謂自師の
者・辺執家の者」が会員の中に圧倒的に多いというのが現状です。

 宗祖が構築された理論を少しでも理解できるように弟子として努力していく
ことはもちろん大切なことですが、その前に(そのためにこそ)、「開かれた
精神」とでもいいますか、宗祖のそういう精神をまず弟子としてきちんと受け
継いでいく必要があるのだと私は思います。


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