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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

13いちりん:2002/03/07(木) 11:13
盛年元気さん

>>そもそも、なんのために「国立戒壇」が必要なんでしょうか?
>質問の趣旨が理解できません。「国立戒壇」は40年前には富士門の共通認識だったと教わっています。

「国立戒壇」っていったいなんなのか。
それって、なんのために必要なのか。
そのあたりから、考えていかないと、ものごとの本質が見えてこないと思うんですね。

「そのように教えられているから」とか「共通認識であったから」ということで、無批判に「国立戒壇」を受け入れてしまうのは、どんなものかなあと思います。

●/ まず、当たり前のことだけど、「国立戒壇」って「日蓮さんが主張したことかどうか」ですよね。
「国立戒壇」の考えは、「三大秘法抄」あたりが依文になっているので、その真偽の問題はあります。文献的には真偽未決の範疇ですね。後生の作という見方が一般的でしょうか。わたしは、偽書ととらえていますが。

●/あるいは、もしも日蓮さんが「国立戒壇」を主張したことであったとして、それは、「現代にいておいて意味のあることかどうか」ですよね。そもそも、日蓮さんといえども、その思想には活躍した時代背景ということがありますでしょう。鎌倉時代という封建社会、そして聖武天皇や桓武天皇たちの望んでいた「鎮護国家思想」の流れの中で主張されていたとも考えられるし。

日蓮さんが、いまの現実社会を、よおく観察したときに、はたして「国立戒壇」などというものを主張しようとされるかどうか。そんなことも、考えてみることも必要だと思うし。

●/わたしは、日蓮さんを尊敬していますが、絶対などと思ってもいないし、本仏などともとらえていない、人間だから少なからず誤謬もあったことでしょう。
だから、「日蓮大聖人がこう言ったからこうでなくちゃいけない」という発想じゃなくて、たとえば、おおもとのブッダはどうであったか。
さらには、自分としてどうなのか。自分として、どう考え、どう観察し、どう展開していったらいいのか。そういうあり方なんですね。


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