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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

46川蝉:2002/10/06(日) 16:07
44: 犀角独歩 さんへ。

本化妙宗の高橋智遍居士が、
大教建立時代(宗祖当時)と大教広布時代にわけていました。
典拠は「撰時抄」の
「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳、当世なる事は疑ひなし。但し、彼の白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、其の国国に八万の王あり、王王ごとに臣下並に万民までも、今日本国に、弥陀称名を四衆の口口に唱ふるがごとく広宣流布せさせ給ふべきなり。」(258頁)
です。
第五の五百歳白法隠没の時は宗祖当時とし、白法隠没の次すなわち宗祖の当世以降に一閻浮提に流布していくべきであると云う意であると解釈できるからです。

建治三年の「上野殿御返事」(1539頁・真)には、
「ただおかせ給え。梵天、帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし。爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそををくをはせずらんめとおぼえ候。」
とあって、一国同帰は将来のこととしています。

「報恩抄」の
「一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経等と、声もをしまず唱ふるなり・・・日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながる(流布)べし。」(328〜329頁)
この文からも、大教建立時代(宗祖当時)と大教広布時代とを考えられて居たことが推せられます。

また、「報恩抄」の最後部分に、
「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」の文を引き、続いて
「此教文若むなしくなるならば、舎利弗は華光如来とならじ、・・・十方の諸仏は八大地獄を栖とし一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし。いかでかその義あるべき、其義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。」
とあります。
「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」によって、必ず日本国一同に南無妙法蓮華経と唱える時が来るに相違ないと云う予測の根拠にもしています。

「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」の文を、宗祖は末法の初めに三大秘法が唱え出され弘通される意と、やがて、日本国乃至一閻浮提に広がって行くと云う意の二意を含んだ経文として扱われています。

>日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なけれ
>ばならないのではないのかと考えるわけです。
とのご意見ですが、宗祖によれば、広宣流布の成就は一国同帰乃至一閻浮提流布にあるようですから、曼荼羅図顕の段階で広宣流布の成就と見ななすことは、如何なものでしょうか。


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