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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について
47
:
犀角独歩
:2002/10/06(日) 16:42
あ、やはり、川蝉さんが反論してくれましたね(笑)
嬉しいですね。またご賢察をお伺いできます。
本化妙宗の解釈は、まあ、祖意を考えることなので、私は採りません。
> 上野殿御返事」(1539頁・真)には、
「ただおかせ給え。梵天、帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし。爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそををくをはせずらんめとおぼえ候。」
とあって、一国同帰は将来点
ええ、ですから、この「日本国一時に信ずる」を聖人は自分の在世になせる、換言すれば五五百歳の内に来ると考えていたのであろうと私は思っています。
私は日蓮の無謬性を信じるわけではありませんから、結局、この日蓮の予測は当たらなかった。そのために後代、その整合性を採る必要が生じた。それが高橋師辺りが言うことにつながると考えるわけです。
なお、『報恩抄』の「南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながる」は広宣流布というより「於閻浮提。無令断絶」に適応すべきではないですか。広宣流布は継続しなければ意味はありません。
仮に日蓮の考えが五百年以降、未来広宣流布を言うのであれば、薬王品の文と相違しますから、日蓮は法華経の文を枉げたことになってしまう、そんなはずは無かろうというのが、44に記したことです。
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