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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

24無徳:2002/03/08(金) 23:14
独歩さん:

 いやいや、突っ込みを入れたつもりはありません。

ただ、独歩さんのこれまでの過去レスを拝見させていただきますと、今まで日蓮正
宗が営々として築いてきた日蓮信仰上における教義的パラダイムがほとんど否定さ
れているように思われるのです。

 私も正宗教義がなんでもかんでも十全なものと思っているわけではありません。
しかし、日蓮宗(身延を中心とする)や新興教団(霊友会や立正校正会等)におけ
る信仰実践のありかたや、教義理解が独歩さんのいわれる意味での祖意に適うもの
とは私にはとても思えません。

 そのことは、おそらく独歩さんも私の認識と共通ではないかと推察いたします。
それでは、独歩さんのいわれる意味合いでの真に祖意に適う信仰実践や教義理解を
果たしている宗派や教団は有りや否やと問えば、おそらく独歩さんは否といわれる
に違いありません。

 そのことは独歩さんが宗派主義を容認されていないであろうことも推察できるか
らであります。私自身も宗派主義に対しては基本的には否定論者ですが、はたして
宗派抜きの宗教が成立しうるかと問われると答えに窮するのも現実です。

 私は創価学会を通じて宗派や教団の存立と発展の陰で、多くの信徒が自己の尊厳
と教団の組織原理の狭間で呻吟し、自己犠牲をも余儀なくされてきたことを具に見
て参りましたし、私自身も自己の非力と至らなさを含めて多くの苦悩と辛酸を舐め
てきました。おそらく独歩さんも共通体験をお持ちのことと推察いたします。

 ただ、私は日蓮正宗の教義を基本的には是認する立場です。日蓮本仏論や戒壇の
本尊も含めていわゆる興門教学を信仰上の立脚点と位置づけています。しかしなが
ら、けっして現在の日蓮正宗の在り方そのものを容認しているわけではありません。

 今はひたすらより良き日蓮信仰の在り方を研鑽し探求することを自己の課題とし
ています。 無徳


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