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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について
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:
犀角独歩
:2002/10/06(日) 09:12
○広宣流布ということ
「広宣流布を目指す」というのは日蓮門下のための一つの目標、殊に本門戒壇建立・本門寺改称のための到達点みたいに言われていますが、私はこれは日蓮教義に矛盾していると思います。
広宣流布とは『薬王菩薩本事品』の
我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。
(我が滅度の後 後の五百歳の中に 閻浮提に於いて 広宣流布して 断絶せしむることなけん)
から来ているわけです。この一点は不動です。これを日蓮は末法の始めの五百年と定め『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』としたわけです。「五五百歳」とは『大集経』の滅後2000年以降を末法とするうち、500年区切りの第5番目、すなわち2000年から2500年を指すわけです。ですから、漫荼羅讃文は「二千二百三十余年」と記されるわけです。
さて、ここで問題になるのは、この教条性に従えば、“広宣流布は2000年から2500年の間でなくてはならない”ことになります。つまり、日蓮が広宣流布をしたことにしなくては薬王品の記述と合致しないことになります。
ですから、私は日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なければならないのではないのかと考えるわけです。より厳格に言えば三つの法門の成就をこの五百年のうちとするとしたほうがより正確かもしれません。
実際のところ、真跡のみで「広宣流布」を調べると上述の意味を超える日蓮の記述は見られません。あくまで「五五百歳広宣流布」です。
興門僧俗が広宣流布に拘るのは、もちろん、遺誡置文の
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。
でしょう。しかし、この書は元弘3年1月13日の書とされますから、日蓮が言う五五百歳のうちということになります。
結局のところ、現在言われるような広宣流布観は、後世、考えられたものであり、蓮興二師においては少なくとも薬王品の「後五百歳」の範囲を墨守したものであると私は考えます。
つまり、日蓮が三つの法門の建立をもって「日蓮が広宣流布した」と見ることが祖意に添うものであると私は考えます。
以上、日蓮教説の範囲で記しました。
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