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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

1065犀角独歩:2003/12/02(火) 17:52

「いわゆる小乗に属するとされる部派のジャータカ文献などの仏教文学にも、自分を犠牲にして他者を救うという利他行が述べられていて、その意味で大乗の源流といいうるのではあるが、現実の教団の一般的な優勢としては、阿羅漢中心のエリート主義にかたむいていたのである。
 これに対し、大乗仏教では、すべての人々がブッダ(覚者)になりうる素質をそなえていると考えた。ブッダとなりうる素質が自己にそなわっている人々を菩薩(ボーディ・サットバ)という。(ジャータカなどでは、釈尊の前世を「菩薩」と呼ぶ。)そういう人びとは同時に他の人びとを菩薩にして、そうしてさらにさとりを開きしめたいと願うとされる。観音、文殊、普賢などの菩薩はすでにブッダになる能力をそなえていながら、しかも成仏しないで衆生の救済を続けていくと考えられる。
 このころになると、そういう菩薩の他にも、阿弥陀仏、弥勒仏、薬師如来などのブッダが崇拝されるようになった。これらの仏・菩薩は従来の仏典に登場してこなかったのである。われわれ日本人に親しい仏・菩薩の名は、大乗仏教の経典のなかではじめてあらわれたのである。そして、経典自体の崇拝も盛んになった。エリートではない修行僧や一般の信者は、仏塔、仏、菩薩、大乗経典などの超越的な対象にひたすら帰依することによって救済されることを願ったのである」(P40)

中村元編『仏教語散策』(東書選書)から引用。以上の続きの結論は、殊に具体的な活動をせず、宗教、あるいはその団体の中に埋没して是とする人にとって、強い警鐘となっています。

「きわめて難解な空理空論に没頭するものがおおぜい出てきた。もちろん高級な知的行為として、それはそれでよかったのだが、大多数の一派民衆の心は次第に仏教から離れ…インド国内では仏教は急激におとろえ、大乗仏教は中国、日本、チベットなどの外国のみでもてはやされるようになった」

同様に、経論釈にしかあらわれない架空の菩薩を延々と論じることは分権的な正確さを追求するうえで必要なことは言うまでもありませんが、己心に菩薩“界”を観る蓮師の在り方や、さらに実践の糧として菩薩“行”を考える篤志の模索が必要不可欠なのだとわたしは考えます。

1066ガンコ:2003/12/02(火) 19:21

素朴な意見

わたくしごときが五月雨さんに意見を言うのは恐れ多いですが、二つ三つ申し上げます。

このところ、キリスト教の話題が多いです。ことにマザーテレサに対する評価が高いように思えます。我が顕正会でこんな話をしたら、それこそ外道礼賛の謗法者といわれておしまいでしょうけど、この掲示板ではほとんどタブーがないわけですから、まあ、わたくしは知識がありませんから加わらないだけで、問題はないと思います。
すでに独歩さんがお示しのように、「無辜の悪人」すら「菩薩界の一分」と見るのが大聖人の御見解であり、その直後に「但仏界計り現じ難し」と仰せのことからしても、逆に言えば、仏界以外は現じ易いわけで、必ずしも仏弟子でなければ菩薩とは言えない、ってこともないのだろうと思います。
ちなみに、我が顕正会では“戒壇の大御本尊に縁する以外に仏界をあらわす方法はない”と言うわけですが、この掲示板では、一考を要する、ということなのでしょう。あ、いや、一考どころか十考も百考も要するって言われそうですね。もっとも、こんなこと顕正会の中で言ったら、文句なしの大謗法者で、即刻除名ですけど。
また、きわめて俗っぽい言い方ですが、ある種の人格者に「仏」を冠することもありますでしょ。わたくしもかつては「ホトケのガンさん」なんて呼ばれましたもの。(大うそ)
ですから、タブーなしで考えるならば、仏教徒以外に「菩薩」どころか「仏」を見ることすら視野に入れてもおかしくないし、すでに独歩さんのご所論はだいたいそういう傾向にあると思えます。

>もしも、日蓮さんがマザーテレサのように善行をする人こそ菩薩道を実践していると考えていたなら、慈善家であった極楽寺良観を厳しく批判することは無かっただろうと思います。

これはなかなか鋭いです。「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」ですからね。これは動かないでしょう。しかしまた、この掲示板ではこの点すら疑っているわけです。まったく、おっかないですね、わたくし的には。
そこまで行かないにしても、「智者とは世間の法より外に仏法を行なはず」(減劫御書)とか「まことのみちは世間の事法にて候・・・世間の法が仏法の全体」(白米一俵御書)との仰せは、大聖人御みずから法華経信仰のあり方に深い示唆を与えて下さっていらして、やたら教条的過ぎるとうっかり何かを見失ってしまいかねない、というような思いを懐く、今日この頃です。

1067三吉:2003/12/02(火) 19:30
とりとめなく横から失礼。

①菩薩という人間像は、授記思想から生まれたと平川さんは言われています。
「ジャータカ」「弥勒菩薩」「仏伝文学の中の燃灯仏授記思想」が一般的に菩薩概念と結合して語られ、この掲示板でも「ジャータカ」との関連が当たり前のものとして論じられていますが、「ジャータカ」自体から菩薩概念が生まれたのではなく、元々あったジャータカに後代成立した菩薩概念を紀元前後に結合さし、現代人がジャータカと呼ぶものがジャータカの主流になったと言うことだ思います。ややこしい・・・。
(Aジャータカは、釈尊以前、「現在の人物・事件」に因んで過去を語る形式の単なる教訓話であった。B仏教はこの形式を主に僧侶に対する教訓話として説法の一形式(九部教の一支)として取り入れた。C前2Cバールハットレリーフのジャータカは、初期の生き残りであり、動物が人とが未分化なアニミズム的な素朴な状態を示す。釈尊の前世物語ではなく、釈尊と結びついてないジャータカが主流。D後1C後半マツラーのジャータカは、英雄的なジャータカで発展的な形態を示す。この頃緩やかに釈尊の前世物語に結び付けられる。E五ニカーヤ4阿含に教法が分類されたときジャータカは、あるいはバラバラになり、蔵外に集められ、僧侶に対する説法(生活上の教訓話)から、在家に対する説法と転化した。現代の南伝パーリのジャータカは、おもに在家用である)
弥勒も長阿含の大本経などにまず登場するが、弥勒菩薩というように菩薩として書かれていず、仏として描かれている。つまり弥勒と菩薩は、菩薩概念登場後、結びついた。
仏伝文学を作った最初期の仏弟子たちは、現代人と違い、人間ゴータマの伝記を書こうとしたのではなく、仏陀となるまでの原因、つまり成仏するのにはどれだけの努力が必要かという観点から描いたので、修行の困難さ、時間のかかることをやたらに強調する。「無量百千万劫」「無数劫時」の修行だそうである。しかし彼は、先輩(燃灯仏)を見て、菩提心を起こし、必ず仏になると決意し、しかも仏から将来仏になると保証される。
この将来仏という保証が、仏伝文学の特徴で、菩薩概念は、「仏になることを約束された修行者」としてはじまったといいうるかもしれない。

1068三吉:2003/12/02(火) 19:30
一般的に言われているジャータカと菩薩は、単純に結びつかないということをもう少し・・。
前2Cのバールハット遺跡碑文には、「菩薩」とジャータカレリーフが結びついてないことで知られており、1C後半のマツラー仏塔レリーフのジャータカと「菩薩」は結びつきます。
「菩薩」という語は仏教では古くはなく、部派には遡れるが、初期には遡れない。
前2Cから後1C後半までの間のいつかに部派それぞれに順次に生まれたのではないかと思います。(平川さんは、前2C説に立たれているが実証的ではない)
南伝パーリの「菩薩」は、仏となると確定している者の修行時代の表現として定型句的に使用されているらしい。「私がまだ正覚を得ない菩薩であった時」という定型句が数多く見られ、「成仏以前の釈尊は菩薩と呼ばれるべきだ」という理解があった、ということらしい。
説一切有部が伝持していたと言われている中・雑阿含に「菩薩」の語はないそうです(雑阿含のアショカ王伝の箇所ともう一箇所菩薩は見られるが後世の付加らしい)。ここで大事なのはパーリで「菩薩」と言っている箇所が漢訳中・雑阿含では菩薩が省かれている箇所がみられるということ。パーリに比し、中・雑阿含が特に古形なわけではないので、有部は最初菩薩概念を拒否し、部派時代が進むうちに「発智論」の頃より菩薩概念を受け入れた、と。(しかも一説によると有部には「発智論」を主張したグループと拒否したグループがあると言われている。地域で別れている。詳しい情報は未確認)
しかし、論書「発智論」や「大毘婆沙論」「異部宗輪論」などには菩薩は言及されており、その後有部は、南伝分別説部と菩薩概念を巡って解釈に対立・議論があっていたことをしられている。(32相がないと菩薩といえないと主張する「大毘婆沙論」と、それを批判する南伝派の雄ブッダゴーサ。32相があっても、転輪聖王になれば仏にならないと批判。有部説としてではなく、32相菩薩説は北道派所説として批判)

1069三吉:2003/12/02(火) 19:31
②大乗の菩薩は、誓願の菩薩

大乗の菩薩の特徴は、「仏になることを約束されてない菩薩」である。
個人的には仏となることは約束されてはいないが、でも約束されている存在という意味で菩薩なのであるが、その仏教的根拠は、自性清浄心である。これは部派では大衆部あたりが主張し、法華では、あらゆる人を蔑視しないという不軽菩薩の姿が象徴している。
その後、如来蔵思想や仏性思想になり、この板では評判の悪い天台本覚思想へと完結していくのだが、「伝統的な仏教解釈」は常に変化してきているし、同時代でも立場により菩薩を巡って対立しているし、「新しい仏教解釈」をそれぞれが出し、自分の一番うなづける解釈、ぴんとくる解釈を磨けばよいのではないかと思う。
ある人は、「智慧」がキーワードになるのだろうし、ある人には「善意の実践」なのであろうし・・・。私からすれば、「結果的に仏道に導くハタラキをする者、みな菩薩」だし・・。
ちなみに誓願の菩薩が問題になるのは、大乗の菩薩からであり、発生史的には最初期ではない。最初期は厳密に言っても仏になることを誓うだけで、四弘誓願などは起こさないし、煩悩の断滅も、大乗あるいは部派からであり、初期仏教は小欲知足でokなので、有余無余涅槃を言わない。(釈尊は悟ったと弟子を認めまくる。マハーカッサパは弟子入り後、八日目で悟っている。釈尊自体もたった六年間の修行で悟っている。菩薩という観念は釈尊になかったと思うが、マザーテレサの実践を見て、その宗教的な実践を見て、素晴らしいと感じたものが菩薩という語でテレサを賞賛して何の問題があるのかわからない。仏教語の解釈など元よりバラバラである。)

簡単に言えば(中村元選集。平川彰著作集。杉本卓州「菩薩−ジャータカからの探求」あたりの情報が根拠)、「菩薩」の人間像は、①未熟者②勇猛精進のツータイプに分かれる。
大乗初期には、情けない「退転の菩薩」も説かれるし、パーリジャータカに至っては、犯罪者の菩薩(菩薩が盗賊の首領になり追いはぎして生計をたてた話)すらいる。一方で、自らの財産のみならず、家族や自分の体まで「捨」し、「悟り」を究めんとする極端に勇ましい菩薩まで幅があるのだが(法華の代表的な菩薩はこの路線にいる)、「未熟」と「勇猛精進」という矛盾したものを内包しつつ、その概念は様々に解釈されるのだが、「他者に対する菩薩と言う賞賛」は、賞賛された人よりも賞賛している人にとって仏教的意味あるいは意義を持つのではないだろうか・・・以下略。

1070犀角独歩:2003/12/02(火) 21:23

おお、三吉さん、お久しぶりです。半年、いやいや、9カ月ぶりですか。

要するに、わたしがジャータカの釈尊前世物語を「菩薩」としたのは間違い、というご指摘でしょうか。なるほど。了解しました。本日、やや酩酊状態ですので、明日にも改めて記させていただきます。

実に精査なレス、有り難く拝読しました。

1071犀角独歩:2003/12/02(火) 21:26

読み直したら、間違っていました。

1065、以下、訂正します。

誤)架空の菩薩を延々と論じることは分権的な正確さを
正)架空の菩薩を延々と論じることは文献的な正確さを

1072三吉:2003/12/02(火) 21:57
要約すると、「菩薩」というのは、新しい仏教的な「人間像」である。
部派時代はじまった。(前2Cから紀元後1C後半のある時期)
強引に分ければ①未熟者②勇猛精進の人というツータイプに分かれる。
これは、「部派VS大乗」という分かれ方ではない。部派時代から解釈を
巡り議論があった。

恐らく、②の系譜は、「発智論」「大毘婆沙論」あるいは、マツラー遺跡、
大乗(法華など)へとツナラル系譜ではないかと。
※実証的には西のマツラー遺跡あたりに、勇猛な菩薩がはじめて現れ、
文献的には有部の32相説など神格化と勇猛精進こそが菩薩という説が
ありと。こういう整理法もあるのではと思っています。

1073無徳:2003/12/02(火) 23:52
心者雖念不直相鴨さん今晩は情報ありがとうございました。

しばらく、風邪でダウンしていたのでレスが遅れてすみませんでした。
私が探していますのは日蓮正宗歴代法主全集です。

神保町の東陽堂では15万円近くの価格が付いていましたので、もっと
安く手に入る方法が無いものかと思っています。

1074無徳:2003/12/03(水) 00:16
皆さん今晩は:

五月雨さんによる

>いままで、ここの掲示板では正確な論拠を示しながら、真摯な議論が闘わされたと
>思っていたのですが、
>「菩薩」に関しては違うのでしょうか。
>伝統仏教では菩薩をどう言っているのか関係なくはないと思うのです。
>日蓮さんも、菩薩を伝統仏教で解釈していたのではないですか?
>もしも、日蓮さんがマザーテレサのように善行をする人こそ菩薩道を実践している
>と考えていたなら、
>慈善家であった極楽寺良観を厳しく批判することは無かっただろうと思います

素朴な疑問としての問題提起は私には良く解ります。

そもそも、菩薩という概念は仏教上においての語源的には<悟りを求める人々>
ないしは<悟りを得た人々>を意味するそうですし、特に大乗仏教では菩薩は
悟り(仏)の世界から人間界に降りてきて、人々と共歓同苦しながら衆生救済
に努める存在(岩波の仏教辞典より)とされていますから、この掲示板におい
てのメルクマールとされている、文献主義及び証拠主義からすれば、マザーテ
レサのような方は菩薩的ないしは限りなく菩薩の様な方と形容すべきであって、
菩薩そのものとするのは如何なものでしょう?

1075みかん:2003/12/03(水) 00:44
他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。
それは、クリスチャンが、釈迦や日蓮や親鸞を、キリスト教の文脈で預言者だとか、聖者だとか福者だとかいうのが失礼なのと同様です。
なぜなら、他宗教の宗教的尊厳や、文脈を無視していて、無神経な行為だからです。
殉職した自衛官の妻が、夫を靖国神社に神として合祀されることに反対する訴訟を起こしたことがありますが、アレを想像して頂ければ、多少はわかるんじゃないですか。それでもわからないのであれば、語る余地はないですね。

それはさておき、キリスト者で菩薩とよばれるにふさわしい人というと、わたしはマイスター・エックハルトを思い浮かべるのですが。
マザーテレサはまったく思い浮かばなかったので、大変、マザーテレサが菩薩だとか菩薩に近い人だという言説には、奇異な印象を受けます。

マザーテレサが菩薩だという方は、仏教の根本的な救いなるものがピンと来てないんじゃないかと思います

これはなんとも言ってますが、仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。
(浄土門でもそうです。往生して西方極楽浄土で成仏のための修行をするのです。また、親鸞においては、信心決定して大乗正定聚の数に入るというのは、開悟とほぼ同義です。)
だから、菩薩の善行は、他人を覚らせる、度脱指せる、彼岸にわたす、以外の者ではないのです。

ですので、菩薩の善行ってのは、相手を目覚めさせる、きづかせることだけです。
気づかせるためにあらゆる事(方便を含む)をするのです。(あらゆることってのがピンとこないんでしょうが、それはまた次回)
だから、宅間スレへのわたしの回答はたった一つです。宅間が本尊を持っていようといまいと、宅間が、こころから懴悔し、開悟し成仏すれば救われます。成仏しなければ、救われません。それだけです。

>アネモネさん
仏教と社会の関係については、三種類ぐらいの関係がありますが、(反社会・脱社会してのパーソナルな救いを求めること(釈迦の時代)、悲田院などの慈善事業、鎮護国家)
日蓮が選んだのは、3番目の鎮護国家と、1番目のパーソナルな救いの二種類だけです。日蓮は悲田院を立てるような慈善事業には携わりませんでしたし、批判的だったようです。
後の日蓮門下は悲田院を立てる寺もありましたけどね。身延山久遠寺とか。
これについてもまた次回。

1076アネモネ:2003/12/03(水) 01:16
>日蓮は悲田院を立てるような慈善事業には携わりませんでしたし、批判的だったようです。

ええ、そうですね。
ですから、私はこの点についての日蓮を評価しませんし、どんなに敬慕する日蓮といえども、今の私は、むしろ批判的に捉えています。

1077アネモネ:2003/12/03(水) 04:07
犀角独歩さん

>1065>大多数の一派民衆の心は次第に仏教から離れ…インド国内では仏教は急激におとろえた

このことにより…と言い切っていいのかどうかは自信がありませんが、結局インド国内は依然として厳格な身分制度が今日まで残り続け、その最下層の人々を救ってきたのが、キリスト教徒のマザー・テレサだったということに、私はある種の皮肉めいたものを感じずにはいられません。
さらにそのマザー・テレサの行動を菩薩というキーワードで論じようとしても尚、まだ、その難解な教義が厳格に立ちはだかっていくわけですね。そればかりか石山の僧侶の中には、地獄に落ちたとまで言ったという人もいると聞きますから、私は滑稽にさえ思えるところです。
菩薩であるかないかは、早い話が、いわばレッテル貼りみたいなものでもありますから、どっちだっていいのでしょう。しかし、世間的なことを前にしての、この仏教のあり方、要するに教義議論そのものに終始してしまうところが、私には解せないところでもあります。
遅れてしまいましたが、少し前のレスをご返信いたします。

>まず結論から言って、わたしは菩薩道は後期になるほど“堕落した”…超人化し、加護、祈祷の対象になった菩薩は、もはや菩薩道とは関係のない崇拝対象でした。

「信」についての議論を、「仏教にとって信とは何か」というスレッドでしたことがありました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1043190919/l100

ここで議論にのぼったバクティ運動にも関わってくることのように思えますね。
ちょうどそのときの独歩さんのレスにも、今書かれているようなことを示唆する意味のレスがありました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1043190919/r15

>では、法華経の菩薩はどうか、ここが焦点になります。…換言すれば経典(聖典)崇拝者でもあったわけですね。…これら菩薩は仏と法のために身を捨てていく人々…このような弘教の精神は法華持経者の模範とされるところです。

今ではまたそれがさらに進化して、「御本尊を持つ=法を持つ」となっているようにおもわれますね。日蓮の書いた御書ですら、法華経を御本尊と置き換えて読むようにと指導する僧侶もいたくらいですから、無理もないことで、経典(聖典)崇拝からも堕落していると思えるくらいです。

>しかし、わたしはこの菩薩の在り方に、敢えて疑義を立てます。本来の菩薩精神は違うと異論を述べようと思います。…著名なところで、法隆寺に遺る国宝・玉虫厨子に描かれた物語を例を挙げます。「捨身飼虎」と称される飢えた虎の親子に自分の身を捧げる“菩薩”行を図したものです。

聖徳太子が、自分の子供たちに話して聞かせて仏教物語だと聞きました。後に、その話の心を忘れなかった太子の長兄の山背大兄王は、聖徳太子亡き後、天皇の没後に皇位継承問題がおこると、古人大兄王を天皇にしようとする蘇我氏によって襲撃されたわけですが、そのとき山背大兄王は周りから挙兵して反撃することを勧められたものの、それをしりぞけて斑鳩寺で一族とともに自害したといわれています。多く民衆が戦乱に巻き込まれてしまうことを回避すべく、まさに「捨身飼虎」の精神を貫いた最期だったという解説を聞いたことがありました。
権力にしがみつかないことで、民衆を救ったという、これも菩薩道のひとつの形だと思いますね。そのような教えを説いた聖徳太子は、大乗仏教が説く菩薩精神に基づいて、四天王寺の境内に施薬院、悲田院、療病院、敬田院といった今日でいう、病院などの福祉施設を配置していますね。
http://users.arcmedia.co.jp/hosp/100/01_1.htm
こんなに古い時代に既に仏教を通しての菩薩道が、社会に実践的に生かされていたことに、もっと目を向けるべきだと思います。宗教が目指す高い精神性をいかに現社会に生かしていくかが大事だと思います。そこに本当の、信仰の自己実現があるようにも思います。

1078アネモネ:2003/12/03(水) 04:08
(つづき)
>ここで着目したいのは菩薩が身を捧げたのは、仏・法ではなく、畜生界の虎であったという点です。…わたしは、ここに菩薩道の遡源を見たいと思うわけです。

このことは、大変重要なことだと思います。つまり法華経一経だけでは知り得ない菩薩道の源流がここにあるわけですね。

>ところが現在の信仰者は、菩薩道と言いながら、その布施を捧げるのは、仏・法、あるいは教団、指導者に対してです。不信の人々にはただ法を弘めてそこで終わってしまいます。

私は、そこに菩薩を見る思いは全くないです。

>いかなる慈善行為のなかにも菩薩道は生きていると考えます。

私もそう思います。例えば電車で席を譲る。困っている人に親切にする。悲しみの中にいる人の心に向き合う…こうしたことだって小さくとも立派な菩薩行だと思います。
法は道に置き換えられると、教えてくださいました。私は、子供の頃からの宗教との関わりを振り返って、その時々で教えられたこととは、実は道徳心や倫理観や良心というものだったのではないかと思うのです。
道徳というと、教科のひとつと捉えてしまいがちですが、しかし、字に従うならば、徳の道ですから、まさに宗教の目指す精神性や人間性だと思いますね。徳を積むのが菩薩行であるならば、まさにそこに道(法)があるものだと思います。
世間の善行の中にこそ、菩薩行があると思いたいところです。まあこれは、私の信条的願望ですが。

>神仏を求め、あるいは求めずとも、悩める人・苦しむ人のために、実際の行動をしようとする心が菩提心の原型になっているという意味です。

本当ならば、神仏を求める人が率先垂範で菩薩道の模範を示してしかるべきだと思うんですね。ところが実際には、神仏を求める人の中よりも、かえって求めてもいない人の中に、悩める人・苦しむ人の為に尽くす菩薩を彷彿させる実践行動が見受けられる場合があるわけですね。ところが一方の徳の道を説くはずの神仏を求めさせる教団は、菩薩行だといっては布施ばかりを要求するわけです。そんな信仰活動で生活と時間をきりつめている信仰者は、自分と観念上の仏と法のことで精一杯で、本当の菩薩行であるところの利他行どころではないのが現実でしょうね。その現実を、マザー・テレサを通して突きつけられるとき、ことのほか反発してしまうのが、これも日蓮系の悲しいザガに思えてなりません。この点は、悲しいかな、極楽寺良観を厳しく批判した教祖日蓮にも起因するものなのではないでしょうか。まあ、しかしこれは、菩薩が何であるかがはっきりしていない段階では、私の個人的観測であって、正当な批判にはなり得ないかもしれません。

>教団・指導者に自分の利益を願って散財をするより、支援を必要とする人々に、その罪過を手向けることのほうが、わたしはよほど菩薩の精神に適うと思うものです。

仰るとおりだと思います。
教団・指導者に自分の利益を願って散財をしたのは、菩薩行をした気になったという自己満足か気休めでしょう。それでも、教団そのものが集めた布施でもって慈善活動をしているというならば話は違ってきますが、慈善活動そのものを否定するような指導からして、そのような見識も意識もまるでないものと判断されますね。

1079アネモネ:2003/12/03(水) 04:08
(つづき)
>また、このような菩薩道は、なにもわたしがここに記すまでもなく、日本仏教のなかでもかつて営々と培われ実践されたことでした。この点については『創価学会の功績を考える』のスレッドで、『現代宗教研究』第37巻掲載の『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』を紹介しました。また、このような活動は他教団でも広く認識、実践されているところです。

先ほど書きました聖徳太子の功績として紹介したことは、まさにこのことだったのですね。ここはとても重要なところだと思いますので、そのときの独歩さんのレスを、ここに再度紹介しておきます。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r733
日本の仏教徒は、このことに目を向けて菩薩道とは何かを通して、仏法を鑑みる必要があると思います。

>ただし、アネモネさんが菩薩の蓄財を戒めるのはやや意味が違うかも知れませんね。
仏法名目で財貨を募り、それを着服する横領詐欺行為を糾弾してこのことと拝察いたします。

民衆救済の為の蓄財というのも、現代では、もしかしたら必要かもしれません。
一般民衆は、常に天災や飢饉や戦争の被害に巻き込まれ脅かされている存在なわけですね。そのような時の救済のための蓄財ならば、それも菩薩行といえるかもしれません。
平安時代の米の備蓄という「義倉」の習慣とは、そのような精神に基づくものであり、また実際に多くの民が「義倉」によって天災や飢饉から命を守られたと聞きます。
ところが鎌倉時代になってからは、そのような仏教精神を置き去りにした御政道により、「義倉」の習慣はすっかり忘れられてしまい、天災や飢饉が起きれば民衆はたちまちのうちに生命の危機にさらされてしまっていたわけですね。
日蓮の「立正安国論」はまさにそのような背景から書いたものだとも聞いたことがあります。そのような意味で、日蓮の諌暁という行動原理もまさに菩薩精神に基づく行いだったと思います。さらな行いとしての形は違いますが、極楽寺良観も菩薩精神に基づく行いをされていたと思いますね。私は、民衆のためには、両方必要だろうと思います。

>「神仏に仕えるはずの集団と人間が莫大な布施・献金を着服する。これを中間搾取といわずして、ほかになんと言えばよいのであろうか。それら集団と指導者は、神仏と信者の中間に立ってすべてを持ち去るのである」(拙書『あなたは違う方向に歩いている』前書)

痛切に鋭い指摘ですね。信者は、迷える人々で、迷える人々だからこそ、それが善行だと言われれば、言われるままに従うわけです。そのような善意の布施や献金や供養や財務のお金を、信者がどれほど大変な苦労を経て得たものであるか。その庶民的感覚からして、指導者はわかっていないだろうと思いますね。

>菩薩道はジャータカに見られるものの、それはシャキャムニと遡源できるものではないと思えます。後世の新たな展開であったのでしょう。けれど、人類の秀でた精神活動である菩薩道が、仮にシャキャムニに由来するものでなくとも採用すべきであるというのが、わたしの考えです。

というと、もしかしてもしかすると、「仏の慈悲」ということも、後世の解釈なのでしょうか。いや、お釈迦さまに慈悲がないということではなくて、菩薩と同じくお釈迦さまに慈悲を見い出したのは後世の人なのだろうか…といった疑問です。

>シャキャムニは自身が仏陀(覚者)である自覚はあったでしょうが、自身を崇めさせたり拝ませたりする考えは元よりなかったでしょう。

仏陀(覚者)である自覚を持ちながら、自分を崇めさせなかったということは、非常に大事なポイントだと思います。言い換えれば、仏陀(覚者)を崇めたところで、仏陀(覚者)にはなれないということですよね。だからこそ、本尊とすべきは自灯明と法灯明ということであり、そのための八正道という実践方法が求められるのだろうと思います。…という理解で間違いではないでしょうか。

1080アネモネ:2003/12/03(水) 04:09
(つづき)
>不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝
むしろ、不信にこその礼拝であったというコンセプトの物語ですね

そのように読み学ぶことが重要ですね。この精神はとても崇高な教えだと思います。

>> …裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあった
>これは実に興味深い話であると思いました。
差詰め、日本で言えば「清貧の思想」と言ったところでしょうか。

もっと噛み砕けば、「心は錦」…でしょうか。
日蓮さんの生き方の中には、そんな清貧の思想が強く見られますね。時代的限界もあって、今の私としてはもはや日蓮さんを絶対視は出来ませんが、しかし、そういうところは本当に今でも敬愛しますね。もっと言えば、私の知る、石山の僧侶に日蓮の「清貧の思想」や「心の錦」を見ることが出来なかったというところですね。

>中世キリスト教の悪い面ばかりを取り沙汰してきたものでした。

実際には仰るとおりだったと思います。裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れといった、富裕層の善意も、やがては慈善活動よりも免罪符という形で、聖職者に利用されてきた歴史のほうが大きいですね。結局、古今東西、それが人間の欲望の真の姿なのだろうと思います。だからこそ、そこに陥らない心の錦を持った聖職者が尊く求められるわけですね。今の時代も、潜在的には全く変わらないと思います。

>しかし、ここ10年、多くのキリスト者である聖職者との交流を通じて、彼らの社会活動を見聞し、そして共に歩むなかで、その評価を大きく書き換えてきました。
魔女狩りから慈善運動への変遷、それを日本仏教も見習わなければいけないと考えています。

もともと、日本仏教によって慈善運動の精神は社会的に生かされていたわけですからね。そのことを思い起こす必要があるでしょうね。

>>法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。
>これはちょっとわたしには解せないのですが、どのような意味で仰っているのでしょうか。

言葉足らずでしたね。何で読んだのか教わったのか、その根拠を示せませんが、法華経を創作した人々というのは、商人であったと記憶しています。その信仰によって、富を得て、その報恩のために、宝塔を立て経典を奉ったと聞きました。富の還元ということの、具体的な還元先が違ってはいますが、その志がどこか似ているようにも思えました。

>南無妙法蓮華経は、聖典に帰命し、それを本尊視するものである、これが題目本尊であるわけですから、実に類型をなしていると思えます。

別のスレッドで、「神の名」ということについてレスをしましたが、神の名と題目は、何か共通点を見る思いがします。

>象徴の病が取り沙汰されるのは、健全な精神を封殺し、人間が生み出したものにかえって人間が呪縛されてしまう不健全さを指摘してのことです。

本当に仰るとおりです。人間が幸福に生きるための信仰のはずなのに、信仰によって精神が病んでしまっては、意味がないですね。

>人間は自分たちが生み出した神仏(とその概念)に支配されることなく、健全な精神状態で生きること、その前提からの仏教再考であるべきですね。

賛同いたします。

1081犀角独歩:2003/12/03(水) 04:16

無徳さん:

マザーテレサが菩薩であるかどうかなどという議論はそもそもされているわけではありません。空理空論の菩薩論より、マザーテレサの実践に菩薩を感じるといっているわけです。

如何に高尚な理論を弄んでも、実社会に対して何ら功利的な活動を行わない教義を擁する集団と個人は受け容れられることはない。それが日蓮本仏圏の欠点であるという議論をしているのです。

菩薩に関する現日蓮門下一般の考えは1064に記しましたので、ご参考にどうぞ。

1082犀角独歩:2003/12/03(水) 04:30

みかんさん:

> 他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼

では、マイスター・エックハルトを菩薩と呼ぶにふさわしいと言えば失礼と言うことになりますね(笑)

> 仏教の根本的な救いなるものがピンと来てない

そうではなく、現実社会との接点で、「菩薩」はどうあるべきかを論じる時点で、経釈論を越えて考えると言うことです。ピンと来ていないなどというのは実際の現場に立たないで解釈を弄ぶ側にこそ言えることではないでしょうか。

みかんさんが提示する仏教で言う菩薩の説明を何ら否定しているわけでも何でもありません。けれど、それが、たとえば日蓮宗のビハーラ運動の現場で法華菩薩行を再定義して実践に供するようにされていかなければ、単に絵に描いた餅になってしまうと言っているわけです。みかんさんが言うように、菩薩が「気づき」のみの意味しかないのであれば、実践の現場では、そんな菩薩解釈は何も役に立たない、それだけのことです。

マザーテレサが世界的に評価された慈善実践家であれば、仏教の菩薩解釈のなかにも積極的に採り入れられればよいと言っているに過ぎません。

ここで、マザーテレサが菩薩かどうかを議論しているわけではありません。
菩薩道を標榜する仏教徒はマザーテレサを見習う実践を行うべきであるといっているだけです。

1083犀角独歩:2003/12/03(水) 04:48

日蓮が慈善事業に携わらなかったという意見について

蓮師は慈善事業にこそ携わらなかったかも知れませんが、その布教は、今で言う慈善意識に端を発していたという見方を高木豊師はしています。

「地震…飢饉…鎌倉に在住した日蓮は被害者・罹災者として、この災害を体験している。このことは、多くの罹災者との連帯感を懐かせていったろう。自らが苦しむことによって、ひとはひとつにつながるのである。のちに日蓮は救済のための受苦という考え方に到達する。それは、他の苦しみを自分がかわって受けようとすることで、仏の慈悲の継承展開である。この考えの出発点は、頻発した災害のなかでの人びとの苦しみを共感共有したことにあったと考えるのである。…災害による多数者の死は日蓮に強烈な印象を与えたにちがいないのである。…個人の喜びも悲しみも、社会・国家の安穏なくしてはあり得ないという思いを罹災者であった日蓮はひしひしと感じたであろう。…仏教者として災害の問題を受けとり、仏教者としての解答を出そうとした」(増補改訂『日蓮』太田出版 P52)

1084犀角独歩:2003/12/03(水) 05:04

改めて三吉さん:

> 1067 (1)で仰ることは、要はジャータカの自己犠牲などを語る釈尊の前世物語が発展して菩薩思想になったのではなく、菩薩思想はジャータカとは別に弥勒思想その他で仏教に摂取され、その後、ジャータカに採り入れられたということなのでしょうね。
有り難うございます。参考になりました。

> 弥勒と菩薩は、菩薩概念登場後、結びついた

なるほど。この点も大いに参考になりました。

> 1069 (2)
> マザーテレサの実践を見て、その宗教的な実践を見て、素晴らしいと感じたものが菩薩という語でテレサを賞賛して何の問題があるのかわからない。仏教語の解釈など元よりバラバラである。)

もっともであると思います。賛同します。

問題があるとすれば、単に仏教語を弄んで実践に供しようとしない空理空論のほうですね。日蓮本仏系では、ここに欠陥があります。この欠陥を議論しようとすると、マザーテレサは菩薩ではないとかあるとか、言葉尻で実践議論から脱線するわけです。ここにこの門流の、深刻な現実乖離が存するとわたしは思うわけです。

1085三吉:2003/12/03(水) 07:58
<他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。>

ですね。だから不軽菩薩はみんなから「石を投げつれられた」わけです。
別に仏になりたいと思ってない人に向かい、「あなたは将来仏になる人です。なむぅ」とかなんとか言いましたから。迷惑な話です。
(ただ宗教的行為としてテレサを菩薩と祭っているわけではなく、掲示板で菩薩と賞賛しているのは、言葉はともかく意識としては聖者と賞賛しているのと同列である。靖国が親鸞を神として祭ったら念仏者デモすると思う。が、キリスト教徒が個人的発言として親鸞を聖者と言っても念仏者は喜ぶだけであろう。まず起こったりはしないと思う)
その意識にない人に向かって大乗が「仏・菩薩」と賞賛しうる教義的根拠は「自性清浄心」ですね。極端な立場になると「元々悟っているんだ」となる。浄土教系では「10劫安心」といって、法蔵菩薩が大昔に弥陀になったとき、あらゆるひとが同時に救われたという説になる。「元々救われているんだ」と。

<仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。>

仏教に詳しい方に多い見解なのですが、どうしてこういう実証的ではない誤解が流布するのか不思議です。
これは「出家」はそうなのかもしれませんが、「在家」は違います。
「在家」の基本は「生天」です。釈尊は「出家成仏コース」と「在家生天コース」の2コースを用意した。伝承からは、出家優位主義は釈尊以来なのか、弟子からなのかは不明だが、「在家生天コース」は、次生において悟りを目指すのだよと解釈する立場もありうるが、生天という救いが釈尊以前から用意されており、とりあえず釈尊はそれに乗った。

1086三吉:2003/12/03(水) 07:58
<親鸞・・・開悟とほぼ同義>
蛇足です
ほぼねぇぇぇ、うーむぅ。どれくらいをほぼといわれているのかわからんが汗。
たぶん、真宗にさほど関心のない人に真宗はそもそも理解不能な奇異な仏教観を持っていると感じられるのではないかと思う。で、自分の立場から、「正定聚」は開悟と同義と感じると言われるならば、「なるほどね」という感想しか抱かないのだが、つまり主観ならばね。客観的事実として「ほぼ同義」ならば、疑問がむくむくと起こる。
「即時」に「正定聚」なのであるが、続きがある。「必至滅度」と。必ず滅度に至る。
で、私は「滅度」が「開悟」とほぼ同義だと思うのだが、真宗派のスタンダードでは、「正定聚」は生きているうちで、滅度は死後になる。二種の利益があるんだと言われる。生きているうちに「正定聚」。死んだら、「滅度」と。この二つが一体なんだという解釈は「異端」説と激しく批判されるのたが・・・親鸞は「この世あの世」で二つを分けていない。
滅度は親鸞に拠れば、静かではない動的である。滅度=弥陀になることで、弥陀になるとは、あらゆる姿・形・手段もってみんなを仏道に入れようとするハタラキにほかならない。
「正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは、すなわちこれ常楽なり。常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこれ法性なり。法性はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。(略) 『論註』に曰わく、「還相」とは、かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かえしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて、生死海を渡せんがためなり。このゆえに「回向を首として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに」(論)と言えりと(顕浄土真実証文類四)」

※元々経典では、「正定聚」は浄土に生まれた後の益なのだが、親鸞は「即時」と現在にもってきた。後代弟子たちは、「正定聚」は現在。「滅度」は死後と分けた。なんで真宗の「還相」解釈は混乱している。

1087犀角独歩:2003/12/03(水) 12:07

アネモネさん:

わたしによくメールを下さる社会活動家でもある浄土宗のお坊さんの推薦するサイトを見ると以下のように記されていました。

「いま1000円あれば、

 朝ごはんを食べられない子どもの給食が1ヶ月できます。
 10人の子どもの聴力検査ができます。  (ガザ地区)
 子ども1人の虫歯の治療と、歯ブラシ半年分が買えます。
 乳幼児1人のミルク半年分が買えます。  (レバノン)」
  http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/help/help.html

日本人にとって1000円はわずかな金額です。しかし、その1000円でこれだけのことができるのかとわたしは感嘆しました。

ある日蓮宗のお坊さんが話してくれました。「創価学会や日蓮正宗は、日蓮宗の寺に賽銭箱があることを非難する。冗談じゃない。この賽銭箱で集められたお金で、経済的支援が必要な世界の国に学校を建てて寄進しているんだ」。あまり知られていない話だと思います。

わたしは40歳まで学会から石山で教学に係る立場で生きてきました。
その教学は人と国を救うものであると信じていました。
組織への従属は間接的であれ、自分が世界平和に貢献できる最高の方途であると信じていました。しかし、実際は違っていました。掛け声とお題目だけで、内実は何も伴っていなかったのです。先に『創価学会の功績を考える』スレッドで「創価学会の社会的な功績を上げてください」と問いました。案の定、何一つ、具体的な功績は上がることはありませんでした。しかし、これは学会一つの問題点ではありませんね。顕正会しかり、石山もまったく同様です。ここのところでより明確になったように、日蓮本仏論者は社会活動に無関心な行動の伴わないお題目だけの存在であると映じるだけでした。差詰め、教学に夢中になる様が教学オタクならば、活動に没頭する様は勧誘オタクといったところでしょうか。どんなに難解な教学を弄ぼうが、寝食を惜しんで活動しようが、現実的な支援救済には何の役にも立っていないのです。

反面、宗教を真剣に考える人たちは、その宗教に基づいて自分たちが何ができるのかを真剣に考え出し、実践をはじめています。しかし、その力はまだまだ微力です。

一説に拠れば、創価学会は7兆円、大石寺は1兆円の資産を要していると言います。
創価学会実働会員数400万乃至800万人、石山は10万人程度でしょうか。
8兆円と800万人。もし、この人達が、あるべき姿に目覚め、実践活動に邁進すれば、日本のみならず、世界までも変えることができると、わたしは思っています。
集団内のためではなく、民衆と国家、ひいては世界のために活動をはじめれば、日本と世界を変えられる資金と人的資源を、集団と指導者が出し惜しみをしているわけです。

1088犀角独歩:2003/12/03(水) 12:08

―1087からつづく―

しかし、現実を直視する仏教再考は、ある時、集団と信者に目覚めさせるときがやってこさせるかも知れません。いまのところ、集団と指導者がそのように目覚めることは期待できない状況にあると思えます。であれば、各個人が、いままで集団と指導者に向けてきた献金と労働力を実際に飢え・病み・苦しんでいる人たちに手向けていけばよいとわたしは思うわけです。脱集団志向はここで意味を持ちます。わたしの発想の原点は常にここにあります。

わたしはかつて小著のなかで以下のように記しました。

「わたしが人間を考えるとき、その基本には、障害者として過ごした姉があり、喝采のない家の中で、姉を介護する母の後ろ姿がありました。
 人を愛するとか、慈悲の精神などと、心地よい言葉を吐くことはた易いことであると思います。しかし、そんな心地よい言葉だけでは何も変わりません
 大衆の前で説教を行い一身に尊敬を集める人よりも、汗まみれ・汚物まみれになって働く無名の一人が尊い。わたしの眼にはそう映ります」

いまから5年前に記した一節です。
豪奢な袈裟衣を着して朗々と語られる説法も、びしっとした背広ネクタイ姿で大衆の前で得々と語られるスピーチも、わたしの耳には虚しく響きます。そんな虚飾と名誉で自分を偉く見せることに腐心する“裸の王様”が尊敬される時代は終わりにしなければいけない。罹災の危険を顧みず病の人を抱き起こし、災害に身体の危険を顧みず被災者の救済に向かい、銃弾をくぐり、さらに劣化ウラン弾の放射能被爆の危険を顧みず傷ついた人びとを救い出す人びとにわたしは菩薩を見ます。日本国内にあっても超高齢化社会を迎え、支援を必要とする老人は巷に溢れ、健常者用に構築された社会構造のなかで阻害され、支援を必要とするハンディーを背負う方々は多くいます。そのような社会的、あるいは世界的な弱者の下に赴き、血まみれ・汚物まみれになって実践する心情が、菩薩と無縁であるというのであれば、わたしはそんな菩薩は不要であると断言します。しかし、むしろ、宮沢賢治が「東に病気の子供があれば 行って看病してやり  西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い  南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」と記した人に、法華・日蓮を意識しながら、「そういう者にわたしはなりたい」と思います。

いただいたご返信には改めてレスさせていただきます。
有り難うございました。

1089犀角独歩:2003/12/03(水) 16:45

【1088の訂正】

誤)罹災の危険を顧みず病の人を抱き起こし
正)罹患の危険を顧みず病の人を抱き起こし

1090心者雖念不直相鴨:2003/12/03(水) 18:06
[1073]無得さん:

>私が探していますのは日蓮正宗歴代法主全集です。

大変な、勘違いですみませんでした。今度は、間違えないようにメモしておきますのでお許しくださいm(__)m。

1091犀角独歩:2003/12/03(水) 18:36

わたしがここで呈示する素朴な疑問は、なぜ日蓮本仏論者は具体的なボランティア、人道支援、社会還元等の慈善活動に無関心なのかという点です。

それは宗祖、蓮師に関連することなのか、それとも、その解釈によるのか、天台、または法華経そのものによるのか、あるいは現代の日蓮本仏を語る集団と指導者に起因することなのかという疑問です。

少し長い引用をさせていただきます。
渡辺照宏師は

「仏教者にかぎらず、およそ宗教家としての評価の基準は、その精神的体験の深さとともに、対人間的にどう行動したかという点にあると考えられる。単に信者の喜びそうな文句を綴るとか、、ハッタリで人をおどしつけるだけでは本当の宗教家とは言われない。たとえ後世たまたま大宗教家の開祖と仰がれる幸運を荷ったとしてもこのことに変わりはない。道元の言葉として「仏家には教の殊劣(勝劣)を対論することなく、法の浅深を選ばず、ただし修行の真偽を知るべし」とあるが、その修行の真偽は対人関係においてはじめて識別されると言ってよかろう。わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとは少なくともわたしには納得できない」(『日本の仏教』岩波新書 P42)

最後の一文を読めば、親鸞・日蓮信者は眉をひそめるけれど、わたしはこの渡辺師の指摘に耳を傾けたい。親鸞師のことは、ここ富士門ではさておきます。
蓮師の対する厳しい批評はさらに続きます。

「日蓮自身の言葉…その表現において自己意識過剰であると同時に、内容から見ても、ただ自分一人のみが『法華経』によって日本を救うことができると主張しているのである。彼はまた「此国は神国なり」といい、「国土の泰平、天下の安穏」をねがっているのであるが、自分の言うことを聞かないから『これ偏(ひとえ)に日本国の上下万人、一人もなく法華経の強敵(ごうてき)となりて、年久しくなりぬれば、大禍つもり、大鬼神の各々に身に入る上に蒙古国の牒状に正念をぬかれて狂ふなり』。
 日蓮がいくらりきんでも、彼の声は結局のところ幕府の下層官吏の耳までしか届かなかったし、彼自身の国家観は現実味の乏しい観念的なものにすぎなかった。国家が彼の言うとおりに『法華経』の信仰を唯一の正しいものと認めて、他のすべての宗派を禁止すれば、日本国は栄えるし、そもなければ、国は滅びる他ないというのである。言いかえれば、自分の宗派を唯一の国教として認め、他のすべてを弾圧せよというのである。仏教史全体を通じて、他に類例のない独善主義であって、仏教の寛容の精神から見て、まったく非仏教的な態度と言わなければならない。これは日蓮が『日本第一の智者となし給へ』と幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てた(空海と同じである)というのにもかかわらず、仏教の基礎的知識を欠いているためである。日蓮は志を得ず不遇のままに死去したが、このような独善主義は、後世もしばしば他宗派との間に物議をかもした。日蓮の主張する国家主義は明治以降に復活された。明治13年に田中智学の創始した蓮華会(のちの立正安国会、国柱会)がその著しいものであ、この会は政治家や軍人にも影響してファシズムを鼓舞した。日蓮宗系統の信仰疑似宗教団体には単に個人の救済を標榜するものが多いが、日蓮正宗の外郭団体である創価学会はこの宗派をもって日本の唯一の国教と定め、他のすべての宗教の禁圧を目標とするものであるから、日蓮の国家主義の現代版といえる。ただし日蓮自身は生涯不遇であったから、ただ主観的な構想のみにとどまり、活動が具体化されることはなかったのである。日蓮ないし日蓮の流れをくむ人の考え方は、自分の宗派を国家権力と結びつけ、思想や言論の統制を図ろうとするものであるから、この点、注意すべきである」(同 P50)

1092犀角独歩:2003/12/03(水) 18:37

―1091からつづく―

さらにその批判は法華経にも及びます。

「『法華経は大衆的な信仰の書である。「マハーヤーナ仏教のあらゆる特徴を、長所も短所も含めて知るために『法華経』を読むにかぎる」(ヴィンテルニッツ)という批評はいかにも適切である。…サンスクリット本について見ると、文体はきわめて粗野で単純、一見してあまり教養のない人たちの手によって書かれたものであることがわかる。…
 いつの頃か『法華経』の原型にあたる特殊の信仰形態を持ったひとつのグループが存在していた。彼らは『この教えを信仰し、宣伝に協力するものは、すべての苦しみから逃れ、病気も治り、火にも焼けず、水にも溺れない』と言って信者を集めた。その信仰の強さを示すために、自分の体に油をそそいで火をつけるものさえあった。その執拗さに耐えかねた人々がそれを非難すると『法難だ』と叫んで、ますます結束を固くした。そして、自分たちで『法華経』という名の経典を作成した。一般の人々、ことに仏教の正統派の僧侶たちは大いに迷惑して、国王・大臣・僧侶・一般市民に訴えた。しかしこの狂信グループは「命もいらぬ、教だけが大切だ」と叫んでますます活動を続けた。こうしてグループは発展し、『法華経』も新しい章節を書き加えて、現在見るような形が成立した。…
 インドでは『法華経』を中心とする学派は遂になりたたなかった。この経典は『文芸の作品のうちでもっとも手ひどく考へることを拒絶する種類のもの』(和辻哲郎)であるから、インドの仏教哲学者たちは『法華経』をあまり重要視していない」(同 P177)

さらにまた羅什師、智邈師に及びます。

「クマラジーヴァ(羅什)…彼の翻訳は厳密な意味で必ずしも信頼できない。…ところが天台智邈は南岳慧思の教えを受けて<十如是>ということを言い出した。…そしてこの十如是と空・仮・中の三諦とにもとづいて天台の教義を作りあげた。しかし『法華経』がサンスクリット本からの翻訳である以上、智邈の解釈はまったく成りたたない。そのうえ、ここに用いた空・化・中の三諦の説もインド仏教の資料に対する誤解から来ている。したがって、天台の教義なるものはまったくの無知と誤解のうえに築かれたものと言えよう」(同 P188)

と痛烈な分析を開陳しています。
しかし、その教学上の批判とは裏腹に

「日蓮宗の特色はその熱意と実行力にある。日本山妙法寺の人たちはその真剣さの故にガーンディに愛された。原子核兵器の実験反対にもっとも熱意を示しているのも、日蓮宗の人々である。排他性・宗派性から脱皮して人類平和のために努力する人々の姿は尊い」

とも記しています。この“脱皮”の意味は重要であると考えます。

1093犀角独歩:2003/12/03(水) 18:38

―1092からつづく―

わたしはこの書の『むすび』を何度か紹介した記憶があるのですが、いまは探せません。慈善活動を仏教と分ける人に是非とも読んでいただきたく、紹介します。

「仏教は日本人に何を教えたか。積極的な面では、人々を愛し、助けあい、すべての生命を尊重すべきことを教え、人間が自己完成すると同時に、他の人々を幸福にすべきであるという理想を示した。道登がはじめて宇治橋を架けて以来、多くの仏教者は黙々として道を作り、橋をかけ、池を作り、川を修め、樹をうえた。空海は庶民のために学校(綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を作り、教授と生徒の完全給食を実施した。忍性は病院を建て、ライ患者を助け、馬の病舎を作った。鉄眼は毎日1万人の災民に食事を与えた。こうした例はまだ他にも沢山ある。生命の尊厳を教えて肉食の習慣をやめさせたのも仏教であった。早い時期に死刑制度を廃止させたのも仏教である。人と人との結びつきを教え(袖振れ合うも多生の縁)、人生と自然との和合を示してくれたのも仏教であった。要するに今日ヒューマニズムとよばれるところのもの、それをわれわれは主として仏教から学びとったのである。
 しかし、宗派としての仏教、形式的な宗教儀礼、器械的な僧侶の思考動作は、日本人の生命ある宗教活動を枯渇させてしまった。…
 宗派宗門を主体とし、形式儀礼にこだわる中世的仏教は本当の仏教精神を掩いかくしている。現在でも、一方に老いこんで無力になった既成教団があり、他方には無知で暴力的な信仰疑似宗教がわめいている。自由な立場で仏教を求める人たちは何ものも見いだすことができない。…
 好きなものが集まって説教まがいの講演を聞くと言うだけの組織は、本当の仏教活動にとってはむしろ有害でさえある。なぜかというと、利他の実際活動を伴わない聞法だけで仏教運動に参加しているような錯覚をおこすことによって、上求菩提下化衆生の実践をないがしろにする結果を生むからである」(同 P209)

同書が発刊されたのは1958年1月25日、既に半世紀前に鳴らされた警鐘は少しも生かされることなく、現代の問題になっています。殊、日蓮本仏圏ではその様相は顕著である。わたしは以上の指摘を真摯に受け止める故に素朴な疑問として、慈善活動の問題を俎上に挙げた次第です。

1094五月雨:2003/12/04(木) 00:17

人が善い行いをすることは大切だと思いますが、それを殊更に菩薩道と絡めて強調す
ることは必要なことでしょうか。仏教徒だから、菩薩道があるから「善行」をする、
しなくてはならないというような論調は、本末転倒しているように感じるのです。
仏教徒でなくても、菩薩道を知らなくても、人としての「善行」があるべきではない
でしょうか。
人として、人を思いやる気持ちの中でそれは自然と自ずから施せると思うのです。

議論の中で用いられている「常不軽菩薩品第二十」に著された常不軽菩薩の行いが、
何故に人を救うに転化したのかも疑問に思います。そのまま読めば常不軽菩薩は自らの手で衆生を救っていませんよね。

「常不軽菩薩品第二十」には、常不軽菩薩がいままさに死なんとする時、威音王仏が説いた法華経の二十千万億の偈を聞いて六根清浄を得、
広く人のために法華経を説いたと書かれています。
そしてその常不軽菩薩の姿にそれまで謗っていた人々までもが、皆信伏随従したと説かれています。
この「信伏随従」は自発の意思ではないでしょうか。
いままで自発的に謗っていた人が、自発的に随ったという意味で、常不軽菩薩が人々を救ったということではないですね。
なのに、常不軽菩薩は人を救う菩薩の代表格になっています。
そして、その人を救う菩薩の常不軽に自らの姿を重ねながらの考え方は、これは富士門系で言う“地涌の菩薩”を
“常不軽菩薩”に置き換えているだけではなかろうかと私は思うのです。

1095五月雨:2003/12/04(木) 00:17

私たちは学会から石山から、信者は地涌の菩薩の眷属なんだという誇りを植えつけら
れて、その気にさせられ、無理な折伏をし、どれほど多くの一般の人々に多大な迷惑をか
けてきたことでしょう。これは忘れてはいけない罪だと思います。
これを忘れないことこそ、信仰者に問われる信仰責任なのではないでしょうか。

“常不軽の菩薩道”に基づいた善行は、マザーテレサの善行と同じ意味を持つでしょ
うか。
“常不軽の菩薩道”が“地涌の菩薩の眷属”と同じ轍を踏むのではと、私はとても不
安な思いに駆られるのです。

※ここでもし皆様方が、本来の菩薩の意味を無視して、富士門でいう“常不軽の菩薩道”
をもって、新しい宗教を模索されておられるのでしたら、私の大いなる感違いです。
お赦しください。

1096犀角独歩:2003/12/04(木) 00:34

そういえば、忍性師、慈善活動と蓮師のことについては『他宗、他派をホメよう』スレッドで、現時点さん、またドプチェクさんが触れていらっしゃいましたね。昨年の夏のことでした。取り敢えず、ご紹介まで。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1030610635/l100

1097空き缶:2003/12/04(木) 02:28

犀角独歩さん

お久しぶりです。独歩さんの知識の広さには敬服いたします。

最近のリハビリテーション論では、「パワレス」「エンパワメント」という言葉がよく使用されるそうです。
施設などへの入所は人間を「パワレス」状態(本来もっている力を減退させてしまう)にする傾向にあり、これからの社会福祉施策は「エンパワメント」(もともと人間に内在されている力を最大限に引き出す援助)を中心にすすめられるべきだといいます。

私は忍性師の慈善活動に対する、日蓮聖人の思想は「エンパワメント」思想であったような気がしてなりません。

1098アネモネ:2003/12/04(木) 03:42
横レスすみません

犀角独歩さん

>日本人にとって1000円はわずかな金額です。しかし、その1000円でこれだけのことができるのかとわたしは感嘆しました。
…ある日蓮宗のお坊さんが…冗談じゃない。この賽銭箱で集められたお金で、経済的支援が必要な世界の国に学校を建てて寄進しているんだ」。あまり知られていない話だと思います。

1000円といえば、賽銭箱のない日蓮正宗では、ご祝儀袋に入れなければならないとされていて、結局、暗黙のご供養最低金額だったなあと思い返されます。袋には住所や名前と金額まで明記するのが通例でしたね。私もそれなりに、参詣のときには必ずご供養を包んだものでしたが、お寺の実態を目の当たりにするにつけ、納め続けたお金が、どのようなことに使われているのかに疑問を持つようになったものです。そして独歩さんの掲示板のレスを通して教団の裏事情など真実の一端を知るようになってからは、つくづく無駄な散財をしたものだと思いました。

ところが慈善活動の実践がどんなに尊いことなのかはわかっていても、いざ自分が実践的にやり始めるとなると、なんだかんだと腰が重いものです。いかに自分のことしか頭にないか、いかに自分ばかりが可愛いか、そんな情けなくも狭い心を自分の中に見ます。
自分のためと思って励む宗教活動には、それこそ万難を排す勢いで時間や資金を投入することができるというのに、いざ自分以外の人の為の実践的な慈善活動となると、なんだかんだと理由をつけては、結局わずかばかりの時間もお金も割けなかったりするものです。
法や組織の為には、何万円も何十万円も、いや何百万円だって、それが自分に返ってくるとなれば、全く惜しげもなくつぎ込むというのに、本当に助けを必要としている人たちのための、わずか1000円の援助や寄付が煩わしかったり面倒だったりと思ってしまうものですね。
私は、そんないやーな狭い心も自分の中に見るものですから、だからこそ慈悲の実践活動に身を投じる人を知ると、少しでもどこかで、何かの形で近づきたいと思ったりもするのです。とても同じような真似は出来ないけれど、でも少しでも何かの形で近づきたいと思うのです。

>むしろ、宮沢賢治が「東に病気の子供があれば 行って看病してやり  西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い  南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」と記した人に、法華・日蓮を意識しながら、「そういう者にわたしはなりたい」と思います。

私は、小学校五年生の頃、宮澤賢治の童話をたくさん読みました。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」…、どの作品も独特な世界に没頭して読みふけっていました。その当時の私は、一番熱心に教会に通っていた頃でもあったわけですが、実はなぜか彼の童話の世界にキリスト教精神のメッセージのようなものを感じて読んでいたんですね。宮澤賢治が国柱会の信者であったということは当時の私は全く知らず、そのことを知ったのは、法華講に入ってからのことです。
私の中では、キリスト教と法華経とは、目指す精神性が完全に融合してしまっているといってもいいかもしれません。それが正しいか間違っているかの教義的検証には、根拠をもって答えられるだけの知識は持ち合わせていませんから、これはまるで根拠のない、完全に私の感覚的なところでの話ですが、私の中では融合しているわけです。日蓮の中にイエスを見たり、イエスの中に日蓮を見る、そんな思いが私の個人的リアリティとして確かにあります。
そのことにおいて私にとっては宮澤賢治も、法華経の不軽菩薩の精神とキリスト教の博愛精神が根底的に融合している人のように思えてならないんですね。
確か宮澤賢治は、どこかでキリスト教と関わっていたのではなかったかという、わずかな記憶がありまして、それを頼りに検索してみましたところ次のようなサイトがありました。
http://www.hico.jp/sakuhinn/4ta/donnguri.htm
驚いたことに宮澤賢治は、日蓮も取り上げられているあの「代表的日本人」を書いた、クラーク博士の弟子である無教会主義派の内村鑑三の、その直弟子たちと深い交流があったようですね。そこでキリスト教の博愛精神を学んでいるのだろうと想像できます。もしかしたら、農業改革のバックボーンの一端もここで培われたのかもしれません。

1099アネモネ:2003/12/04(木) 03:50
(つづき)
渡辺照宏師の『日本の仏教』は、独歩さんに勧められて数ヶ月ほど前に読ませて頂きました。
ここに挙げて頂いた文章は、私もいまでも鮮明なインパクトとして記憶に強く残っています。力のある文章ですね。それだけ、この本を通して社会に訴えたかったことは、ある種の危機感ではないかと強く感じられます。石山系の信仰にいる人は、一読してみるべきだと私も思いました。
それまで絶対に正しいと教えられ信じてきたことが、いかに世間的にまったく通用しない偏狭な解釈であるかが露呈されており、幾度となく繰り返される痛烈な日蓮批判に目を覆いたくもなり、時には本を投げつけたくなるほどの衝動にかられるほどの内容かもしれませんが、しかし、それでもここに書かれた内容に目を向けるべきだと思います。
石山系の組織の人は、組織外の本を読むことを謗法だと認識するわけですが、その教えがいかに教団の都合による情報操作を目的としたものであるかということも実感させられる一冊だと思います。

国によって宗教の違いは、もともとの文化や言語や習慣や風土の違によるところもあるわけですから、ごく自然なことだと思います。宗教や文化が違えば、同じ人を見て、そこに何を見るかの、その表現するところの言葉が違うのも当然のことでしょう。マザー・テレサが苦しむ人の中にイエスを見るのと、そのマザー・テレサの手に抱えられ救われる人々が女史の中に、自分が信じる宗教の神を見るのは、同じことなのかもしれません。そしてさらに、仏教文化圏の人の中には、まるで菩薩のようだと見てしまうこともある。どれが正しいとか間違っているということが問題ではなくて、何に感応して、何に心が動かされるのかということの問題だと思いますね。そこに自分の知り得ている宗教や思想や文化における言語を使って表現することは、ごく自然な人間の心のあらわれだろうと思います。

人に心が動かされたとき、それは強い憧憬となって、理想の人間像をそこに求め、やがて「私もそんなふうになりたい」「少しでも近づきたい」と願うものですね。その人の心が何に感応するかは、その人がそれまで培ってきた思想や人格や人間性に大きく関係するものなのかもしれません。
マザー・テレサやガンジー、また日本山妙法寺の人たちのような行動が、多くの人々の心を動かして広がり、救われた人が、今度は別の誰かを救いたいと思うようになっていくわけですね。そこに本当の布教があると思います。

>さらにその批判は法華経にも及びます。

ここに書かれていることは、私にとっては、とても説得力のある文章として響きました。当時の法華経創作者たちがどのような存在の人であったのかということは、非常に重要な点ですし、ここに記されている姿が、そのまま石山系の信仰の姿にそっくりそのままオーバーラップするところが、また驚愕するところでもあります。
結局、慈善活動に対する考え方を大きく左右するのは、法華経はお釈迦さまが説いた最高の教えであるというところを、動かぬ絶対の真理として信じることの限界を認めるかどうかに関わるものではないでしょうか。
なぜなら、そこから動かないことは、つまり自分の「信」に対する絶対的優位性が不動のものであるということに通じるものであり、その独善的思いが同時に、他者差別、他者蔑視につながっていくものであり、独善と差別は表裏一体なのでしょう。
その独善こそ、法華経の中に強く説かれている思想だとすれば、ここを克服するには、成立過程に遡って、その絶対視をやめて限界を知るということではないかと思います。

なぜ、石山系では慈善活動に消極的で冷ややかであり、ときに批判的に捉えるのか。これこそ素朴な疑問といえるでしょう。
結局、教義的なところからくる独善と差別に端を発し、不信の者と関わることに対する謗法の意識というものが心の根底にあるからではないでしょうか。
お寺の中で、不信の人と関わることは謗法に通じるものとして、それを「悪縁」という言葉で忌み嫌っていたことは多く見受けられていたところでした。こういう意識を指導において繰り返し植え付けられている限り、不信の人に対する慈善行為など指導するはずもなく、それどころか逆に否定しなければ教義的に論理矛盾が起きるわけですね。
ところが、>1025において独歩さんは「無縁の慈悲」ということを示してくださいました。これが法華経が説く精神なのかどうかはわかりませんが、ここは非常に重要なところだと思います。「無縁の慈悲」というのは、どこで説かれていることなのでしょう。

1100愚鈍凡夫:2003/12/04(木) 05:50
横レス失礼します。

人の命の尊さを大切にしたマザー・テレサに菩薩を感じることは、別に不思議なことではないですし、宗教的立場は違うけれど、女史を見習いたいと思うことも、これもまた自然なことだと思います。
そして、自分に何ができるのだろうと思うこと。これが最初の一歩でしょうし、その拠り所に仏教を置くことは、仏教を学ぶ者としてこれもまた自然な成り行きだと思います。
誰も、女史を「菩薩」と定義づけようとしているわけではないし、女史の行動力に「菩薩道」を結び付けようとしているわけではありません。
振り返って、それでは仏教で説かれる「菩薩」とは何なのか。そして、「菩薩道」とは如何なる道なのか、それを考えるきっかけとして、女史の実例を取り上げているということだと思います。
端的に言えば、「苦しんでいる人がいる」「助けを必要とする人がいる」、だから少しでも力になりたいと思う。結局はそういうことなんですよね。それを「菩薩道」の一分と見るか、「慈善活動」であって、仏教とは無関係と見るかということだと思います。
個人的見解として、人が自分の足で歩んでいこうとすることを援助することは、「宗教」にとって忘れてはならないことではないかと思います。
ただ、こういった問題の難しいところは、決して強制があってはならないと言うことだと思います。そういった活動をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう。

1101三吉:2003/12/04(木) 07:24
私が法華経をそのまま読めば、
みんなから馬鹿にされていた一人の菩薩が、部派仏教の徒に対して「君らは、将来大乗を行じて、作仏する方たちだ。なむぅ」と「礼拝讃歎」行を実践し、その功徳によって、死ぬ間際、法華に出会えた。法華に出会った功徳で、「六根清浄」を得て、寿命が延び、法華を説法するものとなった。法華の説法を聞くことで、部派の出家在家みなともに、信伏随従し、悟りを得た、と。

常不軽菩薩が救ったのでも、信伏随従という自由意志が救ったのでもなく、救った浄因は、法華経じゃあないだろうか。「法華の功徳は六根清浄」だよがテーマだと思うが。
一つの線として、「馬鹿にされてた者」が「法華」を得れば、一転して尊敬されるという展開になっているので、「法華ってすごいんだぜ」というのも大きなテーマだと思います。

ちなみに私の先の文は不軽菩薩を「迷惑の代表」として書いていますので「救済」に触れていません。恐らく「大乗の菩薩道などに無関心な、とある部派仏教勢力のものたち」に対して、「あなたたちは菩薩道を実践して作仏する」などと言うのは、念仏の徒に題目、題目の徒に念仏で救われるというのといっしょくらい迷惑ですね。「虚妄の授記」という批判は真っ当です。
他教の文脈で実践された人を「菩薩」と賛嘆するのが、「失礼」「迷惑」ならば、法華自体が、あるいは仏教の発想に根深く「失礼」「迷惑」があるといえるのではないかと思います。釈尊もかなり失礼で、阿含を見ますと「火を拝んでる敬虔な信者」「沐浴している真面目な人々」に向かって、「生天したいなら、そんな馬鹿げた努力してもしゃーないやん。正しい実践したほうが効果的よん」と仏教の実践を勧めます。迷惑で失礼な話です。

1102三吉:2003/12/04(木) 07:25
渡辺さんは、「仏教の寛容の精神」と言われるが、疑問点がある。仏教に寛容の精神を根付かせた代表は、アショカ王で、彼は宗教対立を憂い、仲良くしろと指導した。大衆部はそれに乗り、南伝分別説部や他派は大衆部に続いて乗った。(律を改変した)最後まで抵抗を重ね、しぶしぶ従ったのが説一切有部。説一切有部は、「教義解釈が分かれれば相手を認めない」ことに最後までこだわった厳格派(律を改変せずに解釈に変更を加えた)。一方大衆部は、「解釈わかれども儀式同席すれば、仲間」という穏健派。アショカの政策に一番に従ったので全土に繁栄する。有部は独善的な厳格派だったので、当時の中心地の旧マガダなど東北部ではよわく、新興の西北部に進出する。
仏教中に、寛容派、厳格派あり、中間ありで、寛容一辺倒ではない。遡れば、舎利弗VS提婆達多の争いは、「寛容派」と「厳格派」の争いだし、「アナンダ」と「マハーカッサパ」「アヌルッダ」も「寛容」と「厳格」だし、「大衆部」と「上座部」もしかり。
その後、有部はカニシカ王の時代に支持をえるので、長く繁栄するのだが、有部の独善性と、法華の独善は似ているのではないかと思う。渡辺さんの殊更、法華を狂信的なグループの手によるものと見る説は少なくとも多くの学者から批判されている。
私はさほど根拠があるわけではないが、「菩薩観」「厳格派」「地域的特性」からも有部が法華になんらかの影響を与えたか、たまたま似ているのかはわからんが、仏教の中で法華が特異だとは思わない。厳格派の系列だから、厳格派の代表、提婆達多も偏見なく描けたのだと思う。(提婆達多は、独立グループとして存立し続けた。門下にとって提婆達多は仏陀)

1103アネモネ:2003/12/04(木) 13:18
愚鈍凡夫さん

>振り返って、それでは仏教で説かれる「菩薩」とは何なのか。そして、「菩薩道」とは如何なる道なのか、それを考えるきっかけとして、女史の実例を取り上げているということだと思います。

そうなんですね。

>個人的見解として、人が自分の足で歩んでいこうとすることを援助することは、「宗教」にとって忘れてはならないことではないかと思います。

同様に思います。仏教かキリスト教か…といったことではなくて、「宗教」という立場にたってみる議論だろうと思います。

>ただ、こういった問題の難しいところは、決して強制があってはならないと言うことだと思います。そういった活動をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう。

確かにそうだなあと、大事なご指摘だと思いました。
人権思想の基本は、人は幸福に生きる権利があるということだと思います。だから幸福に生きられない、生存権さえ脅かされている人に、援助を差しのべる。そのようなことは相互扶助の精神として、日本の社会に構築されてきたものだっただろうと思います。たぶん、そこには仏教が果たしてきた役割も大きかっただろうと思いますね。
しかし戦後の個人主義思想によって、相互扶助の秩序は崩壊しつつあり、そこに新たな不幸もあるものなのでしょう。日本においては、人知れず心の閉塞感や孤独を抱えている人は潜在的にたくさんいるだろうと思われますね。
そこをできるだけケアしていくとき、まず福祉政策が求められるわけですが、たいてい福祉は後手後手の政策になりがちで、個人の援助活動のほうがきめ細かく先行している場合が多いでしょうね。
だけど、その慈善活動の実践が強調され過ぎては、確かに逆に人を追い詰めるようなことにもなりかねませんね。日蓮の良観批判がそこにあったという一面もあるのかもしれませんが、結局、信仰の強制と同じで、そこに新たな不幸が生まれる場合も考えられます。
ましてや教団信仰であっても、そこに入ってしまった人といういのは、なんらかの苦しみの渦中にいる人が多いわけで、むしろ心のケアを求めている側である場合も多いものでしょう。そのような人に、布教活動であれ慈善活動であれ、何かを強制し追いつめるようなことになってしまってはいけないのかもしれません。
ちなみに、私の知る限りのキリスト教会では、強制ではなく気がついたら信仰活動を通して自然に慈善活動に参加していたみたいなことが多かったです。気負うところはほとんどなかったと思います。
まあ恐らく教えを通して、それこそ無作の心というのでしょうか、気がついたら人を慈しむ心が培われていたとなっていくのが望ましいことかもしれません。
しかし難しいですね。それでもやっぱり、こんなことを書いている今も、どこかで人知れず援助活動に勤しんでいる人がいることを、私は心に留めておきたいと思いますね。

1104アネモネ:2003/12/04(木) 13:18
三吉さん

仏教の流れを体系的に解説してくださっていて、とても勉強になります。

>「法華の功徳は六根清浄」だよがテーマだと思うが。

法華経において、「救済」という言葉は馴染まないものなのだろうということがだいぶわかりました。それでも心が救われるという言葉をよく使うわけですが、結局、心が救われるとは、心が洗われるということかもしれませんね。法華経によって心が洗われれば、六根清浄になる。そんな感じでしょうか。

>仏教中に、寛容派、厳格派あり、中間ありで、寛容一辺倒ではない。遡れば、舎利弗VS提婆達多の争いは、「寛容派」と「厳格派」の争いだし、「アナンダ」と「マハーカッサパ」「アヌルッダ」も「寛容」と「厳格」だし、「大衆部」と「上座部」もしかり。

なるほどなあと思いました。
どれをもってこれこそが仏教だと言い切れるものではなくて、全体でもってバランスがとれているのかなあとも思ったりします。

1105犀角独歩:2003/12/04(木) 14:32

盛ん議論が進んでいますね。
喜ばしいことです。

空き缶さん:

有り難うございます。
ノーマライゼーションなどともに重要な視点ですね。

愚鈍凡夫さん:

アネモネさんが賛同される点、わたしもまったく同様に思います。
それと同時に、ここが宗教に係る掲示板であれば、補足しておきたいことがあります。
愚鈍凡夫さんの言葉をお借りして記せば、

一つの信念体系にあるものは「決して信仰への強制があってはならないと言うことだと思います。そういった宗教をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう」

むしろ、この点から出発して、独善的な排他主義に陥った歴史を有する学会を含む石山系集団=日蓮本仏圏の注意を促し、未来を考える資糧として、浅見定雄師の「何を信じているかではなく、何をしているかで宗教の真価が問われる」という点から、素朴な疑問として、なぜ、日蓮本仏論者はボランティアに無関心なのかと問うたところでした。

アネモネさん:

上述の「なぜボランティアに無関心か」という点についての分析、まったく同感です。
この原因はまさに独善と偏見、そして、他者蔑視という差別にその原因があるとわたしも思います。詳しくはまたレスさせていただきます。


三吉さんの該博な知識に基づく、批正を有り難く拝読しています。
紹介した書の記述は、渡辺師が創価学会に対する嫌悪感から勢い、日蓮・天台・法華批判にまで筆の勢いが及んだと見られます。その後、柔軟姿勢に変わっていったのも事実でした。


さて、これはかなり思い切った憶測ですが、渡辺師が法華経創作者の姿を素描するのにモデルになったのは、むしろ、戦後、日本社会で席巻した創価学会の姿であったのであろうと。

渡辺師の記述内容はもちろん絶対のものではあるわけはありません。研究が進み、日々書き換えられる点も多々あろうかと存じます。それを十分に加味しながら、けれど、そこに指摘された法華・日蓮信奉者への批判は、それでもわたしは真摯に受け止めていきたいと思っています。

日蓮を理解するために、天台を学ばないとよくわからない。ところが、法華経に書かれているところを理解しようとすると、天台の解釈は邪魔になります。これがわたしの経験則でした。

1106ガンコ:2003/12/04(木) 15:21

素朴な連想

五月雨さんの1094〜1095は、全体として何をおっしゃっているのかわかりませんが、いろいろ思うところがありました。

>人が善い行いをすることは大切だと思いますが、それを殊更に菩薩道と絡めて強調することは必要なことでしょうか。仏教徒だから、菩薩道があるから「善行」をする、しなくてはならないというような論調は、本末転倒しているように感じるのです。仏教徒でなくても、菩薩道を知らなくても、人としての「善行」があるべきではないでしょうか。人として、人を思いやる気持ちの中でそれは自然と自ずから施せると思うのです。

わたくしはこのところ、法勝人劣とか法前仏後とか考えてきたのですが、ようするに仏法ってほとけが出現する以前からあったのだと。それでいくと、上記のお考えはなるほどそのとおりだと思います。いわゆる十界論の、わたくしの認識が正しいかどうか・・・恥を覚悟で書けば、菩薩だとか声聞だとか、その名称は後天的なものだけれど、その中味は先天的なもの・・・つまり、十界論の示すところは制度的なものではなく、本然的なもの・・・十界本有常住っていうのはこのことかなあと。

>そして、その人を救う菩薩の常不軽に自らの姿を重ねながらの考え方は、これは富士門系で言う“地涌の菩薩”を“常不軽菩薩”に置き換えているだけではなかろうか
>私たちは学会から石山から、信者は地涌の菩薩の眷属なんだという誇りを植えつけられて、その気にさせられ、無理な折伏をし、どれほど多くの一般の人々に多大な迷惑をかけてきたことでしょう。

まあ、じぶんなんかも、地涌の流類だなんて、ずいぶんとおだてられたものだなあって、思うことありますものね。

>“常不軽の菩薩道”が“地涌の菩薩の眷属”と同じ轍を踏むのではと、私はとても不安な思いに駆られるのです。

う〜ん、同じ轍を踏む・・・ですか。確か今年の春ごろでしたか、わたくしが法華講に移るようなニュアンスを漏らしたところ、おっしゃいましたね。・・・所属教団をサーフィンしたところで何にも変わりやしない、と。
もしかしたら五月雨さんは、掲示板での議論じたいに、限界のようなものを感じ取っていらっしゃるのではないでしょうか?

1107アネモネ:2003/12/04(木) 15:53
私は、蓮祖の諌暁という行動にみられる精神からいっても、宗教は、人の苦しみを生んでいる社会問題について向き合って、取り組んでいくとき、はじめてそこにその教えや思想が実社会に息づき、生かされるものだろうと思います。そのひとつの形が慈善事業なのだろうと思うわけですね。
独歩さんと、pundarikaで議論してきたところの共通の認識がそこにあったと思います。http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html#3
ここでの議論は、一時休止状態にはなっておりますが、法華経は何を訴えたかったのか、そして法華経からは何を学ぶことができるのか、真の菩薩行ということは何かということが次なる議論としてあがってきていたところです。

私の八年間の法華講組織を振り返ってみても、菩薩行が何であるのかを、素朴な疑問からはじまって考え直してみることは、ほぼはじめてのことであり、とても新鮮なことに思えました。つまりそれだけ、法華経が何を説いているのかということが、組織内の指導や説法や法話のなかで、きちんと押さえられていなかったように思うのです。私個人の不勉強ということもあるかもしれませんが、しかし教導する立場の聖職者は、たった一行の経文を通してでも、全体の思想を知らしめることに尽力すべき責務があると思いますし、もっといえば、言葉はなくても、その人の存在そのもので示すことも求められるものだと思いますね。
まさにそれが、独歩さんのレスにある、
>浅見定雄師の「何を信じているかではなく、何をしているかで宗教の真価が問われる」という点
に関わることだろうと思います。しかし残念ながら、そのような啓発を受けるような方は、私の法華講8年の中では、ひとりもお見受けできませんでした。

独歩さんのレス
>1088
>「わたしが人間を考えるとき、その基本には、障害者として過ごした姉があり、喝采のない家の中で、姉を介護する母の後ろ姿がありました。
 人を愛するとか、慈悲の精神などと、心地よい言葉を吐くことはた易いことであると思います。しかし、そんな心地よい言葉だけでは何も変わりません
 大衆の前で説教を行い一身に尊敬を集める人よりも、汗まみれ・汚物まみれになって働く無名の一人が尊い。わたしの眼にはそう映ります」

この文章は、掲示板参加当時に既に読ませて頂いた文章ですが、正直なところ私はショックを受けました。これが正しいと鵜呑みにしてきたことで、なにかもっと大事なことを忘れかけていたんじゃないだろうかと思ったものです。
今の議論は、私にとっては既にこのときから始まっていたといえるかもしれません。
菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思うのです。
そこに宗教の目指す方向が見えてくるようにも思いますし、もしもロムされている方の中に、組織信仰の葛藤のなかにいる人がいるならば、尚更、この議論は有意義なのではないかと思いますね。

1108犀角独歩:2003/12/04(木) 17:29

アネモネさん:

たくさんのレス、有り難うございます。
やや宿題のように溜まってしまいましたが(笑)突っ込んだ議論は、また、pundarika でお願いします。すべてにここでわたしが返しますと、さらに場所を取ってしまいますから。

それでも、このスレッドに特に関係のある点についてだけは記させていただきます。

> 日蓮の諌暁…菩薩精神…極楽寺良観も菩薩精神…民衆のためには、両方必要

さすが。二極志向でお考えになりませんね。
そうなのです。「日蓮か良観か」などという択一はまったく必要ありませんね。

> 「仏の慈悲」…後世の解釈なのでしょうか

これは難しいご質問です。資糧手放しで記すと碩学の叱責を買いかねません。
どなたかにお応えいただければ有り難く存じます。
ただし、わたしは仏を慈悲の体現者であるとする見解には賛同します。
であれば、憎悪からの脱却はまた仏教の大きな課題であるという命題も成り立つと思うからです。

> 本尊とすべきは自灯明と法灯明…そのための八正道という実践方法

概ねこの整理には賛同です。
ただし、わたしはそもそも本尊が果たして必要かという点では懐疑的です。
繰り返しでくどくなりますが、本尊と法はそもそも関係がなかったわけですね。
ですから、本尊というまでもなく、法灯明・自灯明であるとわたしは思っています。
八正道は永遠不動の実践論であると、もちろん思います。

> もともと、日本仏教によって慈善運動の精神は社会的に生かされていた

まったくそのとおりなのです。
それがいつの日からか、実践を欠いたお題目だけになってしまった。日蓮本仏圏では顕著であると嘆いているわけです。

けれど、以前も触れましたが、石山信仰をされていた大正皇后はハンセン病救済活動をされていたことは夙に有名なことでした。また、どなたかが投稿くださっていましたが、石山僧のなかでも同様の活動をなさっていた方がいました。
古いわたしの記憶では、40年ほど前、両親の、創価学会員である知人がハンセン病施設を訪ね、熱心に折伏をしていた体験を、直接、聞いたことがありました。
子供心に「感染しないのかと恐れおののきながら聞いていたものでした。(実際に罹患されたご経験をお持ちの方にはたいへんに失礼な記述である点、お詫びします)しかし、その体験を訥々と語るその方の確信を今でも、わたしは思い出すことができます。けれど、不思議なことに、その方の顔も性別も思い出せないのです。ただ、その人のハンセン病の方々を何とか救いたいという一途な気持ちだけが記憶されているのです。それでも話の断片、施設の灰色の壁のこと…、医療その他が行き届かないこと…、など思い出されるところがありながら、その方がどなたであったか、どんな方であったのか、杳として思い出せません。そんなことから、わたしにとって、その方の存在は、見(まみ)えることができた生身(しょうしん)の菩薩様のように記憶されてきました。ここのところの議論で、埋もれたそんな記憶が思い起こされました。
石山信仰が仏教紛いかどうか、しかし、そのよう教義的な考証は別にしても、この信仰圏でたしかにハンセン病救済を実践する尊い“菩薩”様がたしかにお出でになったのです。
それがいつの日から個人の現世利益、集団利益と拡張、指導者翼賛という愚行に堕落してしまったことを嘆くのです。

1109犀角独歩:2003/12/04(木) 17:31

―1108からつづく―

> 電車で席を譲る…小さくとも立派な菩薩行

そうですね。ここのところの議論で、通仏教でいう「本来の菩薩」がなんであるか、そんな指摘があったわけです。
けれど、わたしは菩薩から慈善活動を考えたわけではないのです。
そうではなく、菩薩界、菩薩道、菩薩行という視点からです。
十界論という教義をわたしはさほど重視しません。しかし、そのなかで菩薩界を己心に観じるという点、そして、そこから、一体、自分が何をしようとするかという視点は重要であると思っています。それが菩薩道、あるいは菩薩行へと発展するか否かという点です。

蓮師との対峙で語られる忍性師はその慈善活動の故に忍性菩薩と崇められたわけでした。わたしはそのような観点が本来の民衆の受容であると思うわけです。それが仏教集団的、あるいは教学的な見地から菩薩とは言い難いというのも別段、異論を唱える気はありません。しかし、一般社会・民衆は、教学解釈より、実践のなかに菩薩を見てきたのでしょう。そんなのは間違った仏教理解である、それもそうかもしれません。しかし、正しい仏教理解であれば、何もしなくてもよいのかという問題が残ります。
教義として正しいか間違っているかは実践の現場ではまるで意味はなしません。支援を必要とする人に何をしているのか、ただそれだけが意味を持つのでしょう。各人が解釈する菩薩道、菩薩行として、実践されたかどうか。仏教徒である支援救済の実践者をつかまえて、「あなたのやっている慈善活動は、教学的な解釈からすれば、菩薩とはいえない」という批判がいったい何の意味を持つのでしょうか。わたしなど、実践者などと言える人間ではありませんが、実際のボランティアの現場で、「あなたのやっていることは菩薩とは言えない」と言われれば、「そうです。わたしは菩薩じゃありません。それがどうかしましたか」と応えるだけです。わたしの知る実践者もまた、同様でしょう。そんなレッテルはどうでもよいことです。重要なことは「何をしているか」ということです。

ここで愚鈍凡夫さんがご指摘くださった点について、再度、賛同の意を表しておきます。わたしは、そのようなことをやらない人を差別する気持ちも、強制する気もありません。ただ、本当に資金と人的資源の不足はどうにもならない現実があるのは事実です。強制することも、市内人を批判する気もありません。けれど、一人でも多く目覚め、それが仏教からでも、キリスト教からでも、一般道徳からでも、哲学でもよい、ともかく、実践される尊い方々が増えることを念願せざるにはおられません。ただそれだけなのです。

> 菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思う

ええ、わたしも同様に思います。

以上、漏れた部分はまた、pundarikaででも、大いに語り合いたいと思います。
もちろん、こちらでも引き続きよろしくお願いいたします。

1110五月雨:2003/12/05(金) 22:36

>>1066 ホトケのガンさん 素朴なご意見を有難うございますw。

あー、しかし、私の言わんとするところを全て外してご理解をされたみたいですね(苦笑

私はここ、富士門流信徒の掲示板では、石山の巧妙に仕組まれたバッタモン教義を解明した後には、日蓮さんは本当は何をどう説いたのかを探求する掲示板だといまの今まで思っていたんです。
だから、毎日のロムを欠かしたことはありませんでした。

だけど、残念ながら、皆様の議論は富士門内での日蓮の解釈をあーでもない、こーでもないと
ずっとループされていたようです。それも大切なことなんだろうとは思いますけどね。
しかしなー、一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……

タブーの無いのはいいことなのか、どうなのか私にはよく分かりまへん。
日蓮を基にすべてを考えようとするならば、その考えは日蓮の教えの中に留まるべきであろうし、日蓮はもう関係ないとするなら、タブーはもうないのでしょう。
キリスト教であろうと浄土真宗であろうと真言宗であろうと、アーレフであろうとなんでも良しでありませう。
まー、そうなると仏教という道から大幅に外れてしまうことになりますよね。
せっかく、仏教の門の前まで来てたのに、勿体ないような気もします。

>これはなかなか鋭いです。「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」ですからね。
これは・・・・・。

以下のガンコさんの文章ですが、びくーりな解釈に私も戸惑ってます。
私のあの文章がこういう解釈になるのは、私の文章力の拙さか
はたまた、ガンコさんの脳内文章変換能力の物凄さかと思っております。
#法華経を捨てるとどこに書いているのだろう、私は………。

私を教条的過ぎると思われているようですが、ガンコさんの方がそう見える。
私の文言をこう受け止めたというのは、教条的に物事を捉えているからでしょう。
確かに教条的な考え方は、ものごとの全体像を見失うかもね。
そんな考えを持っていると仏教の入り口だけを見て、仏教すべてを分かったつもりに
なってしまうような、そんな気がします。

1111五月雨:2003/12/05(金) 22:40
>>1106 同じくガンコさん、素朴な連想有難うございます。

>五月雨さんの1094〜1095は、全体として何をおっしゃっているのかわかりませんが、いろいろ思うところがありました。

私たちは宗教団体というものに騙されてきたのに、ここ富士門流信徒の掲示板で、
また新しい宗派を作るのだろうかという心配を書きました。

>わたくしはこのところ、法勝人劣とか法前仏後とか考えてきたのですが、ようするに仏法ってほとけが出現する以前からあったのだと。・・・・・

ガンコさんの仰ることは全く頭の片隅にもないのですが、法勝人劣とか法前仏後などという難しい言葉を使わなくても、仏法=仏教として考えた時、仏が出現する前に仏教が無かったなら
仏教の辻褄が合わない気がします。

>まあ、じぶんなんかも、地涌の流類だなんて、ずいぶんとおだてられたものだなあって、思うことありますものね。

そうでしょ、私なんかもお調子者だから、その尻馬に乗ってアホ三昧してきました。

しかし、まー、人は中々懲りないもんですかねw。

1112五月雨:2003/12/05(金) 22:41

>う〜ん、同じ轍を踏む・・・ですか。確か今年の春ごろでしたか、わたくしが法華講に移るようなニュアンスを漏らしたところ、おっしゃいましたね。・・・所属教団をサーフィンしたところで何にも変わりやしない、と。

私はガンコさんが受け取られたニュアンスで書いたのではありません。
誰かの勝手解釈で、それが正当なものになった時の危険性を案じているのです。
菩薩道が困っている人への手助けだと個人的に考えることはいいでしょう。
それを人に説いたとき、聞いた人がこれこそ菩薩道だと信じて実践することに、何かおかしくないですか、と私は言いたいのです。
仏教を信仰しているからという以前に、そんな事はひとりの人間として考えるべきではないのかと私は思うのです。
どうして、人に善行を施すことに理由がいるのだろう。
これは素朴な疑問ではありません。大きな疑問だ。

宗教を求める人々は、自分の生きる道をね、自分で探せない人の集まりなのかもしれないですね。
自灯明、法灯明と口にするだけでなく、私はそこにこそ実践があるべきだと思います。

1113五月雨:2003/12/05(金) 22:42

>もしかしたら五月雨さんは、掲示板での議論じたいに、限界のようなものを感じ取っていらっしゃるのではないでしょうか?

私は前述したとおり、掲示板の議論に期待していたのですよ。だって、私はここの掲示板の議論を読んで、石山のおかしさに気づき、蒙昧の世界から現実の世界に帰ってきたのですもの。
この点に関しては深いご恩を感じています。
だけど、皆どうして日蓮その人を語ろうとしないのでしょうね。
日蓮その人を語る時、日蓮死後の書物をいくら読んでも、日蓮は分からないとある人から教わりました。確かにそうだと深く感心したものです。
そう考えると何だかね、視点がすっごくズレているような気がします。

私は掲示板の議論に限界を感じてはいなかったつもりですが、声のおっきい人が勝ちなのかなーとは思うようにはなりました。
声の大きい人の意見がそれがそのまま正しいとは限らないという、読む人の判断能力はいるかもしれないですね。

1114福田里敏:2003/12/05(金) 23:22
五月雨さん
>日蓮その人を語る時、日蓮死後の書物をいくら読んでも、日蓮は分からないとある人から教わりました。
これは、とても重要な事ですね。真筆の遺る、御書から蓮師を考えていく。蓮師は、何を訴えられ、何を後世に望んでいたのか?
そこから、我々は、何をしなければならないのか?この辺は、これからの皆様の議論に、期待したい部分です。

1115ガンコ:2003/12/06(土) 17:35

ふたたび素朴な意見

五月雨さん、いろいろと失礼いたしました。わたくしの脳内文章変換能力は小学生並みですから、そこのところを含みおきください。
しかし、いまいち解せないところがありますので、教えてください。

>一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……

とのことですが、じゅうぶんに考えているのではないでしょうか? 五月雨さんは、大聖人を基準に仏教を考えようとなさっているのか、仏教を基準に大聖人のことを考えようとなさっているのか、それがよくわかりません。申すまでもなく、わたくしは大聖人を基準にすべてを考えようとしております。そこで開目抄の「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。」を引用させていただいたわけですが、いわばこれが大聖人の終始一貫の御見解であられるのですから、動かないだろうとも申したわけです。
ところが次のような御書もあるわけです。
「智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。殷の代の濁りて民のわづらいしを、太公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども、教主釈尊の御使ひとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は、内心に仏法の智慧をさしはさみたりしなり。」(減劫御書)

大聖人の仰せられる世間の法とは何か、この辺が難しいところですが、世間の治世の法というのはケースバイケースであり、まさに臨機応変の世界であろう思うのです。そうであれば、あるいは御書の拝しかたというのは時代によって変わらざるを得ないのでは・・・とも思うのです。(なんだか、えらい学会寄りの意見)
ましてや仏法已前でも、そのおこないが仏法に適っていれば、大聖人はそれを評価せられているわけですから、今日においてもかなりの部分が適用されるのではないかと思います。そこで、「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」との整合性をどのようにつけるべきかが問われるわけで、“たとえ日蓮の教えであってもこのようなものは断じて採用しない”と言いきる方もおられて、わたくしなどもひじょうに悩むわけです。
そういうわけで、教条的というのはわたくし自身にあてた意味が強いのですが、いずれにしても御書を拝するにあたっては、じぶんに都合のいい御文ばかりをあつめても仕方がない、ということを感じる今日この頃です。

1116五月雨:2003/12/07(日) 12:28
>>一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……
>とのことですが、じゅうぶんに考えているのではないでしょうか?

ほにょ、そうなの、考えていたの。そうは見えなかったなー。
あっ、もしかしたらガンコさんは、日蓮の御書の引用がそうだと思っているのでしょうか。
だけどね、引用は引用以外の意味をなさないと思います。

>大聖人を基準に仏教を考えようとなさっているのか、仏教を基準に大聖人のことを考えようとなさっているのか、それがよくわかりません。

日蓮は仏教を学んで、日蓮の教えというものを形成したはず。自ずから順序は分かりますよね。

>そこで開目抄の「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。」を引用させていただいたわけですが、いわばこれが大聖人の終始一貫の御見解であられるのですから、動かないだろうとも申したわけです。

日蓮は法華経こそ正法だと思っていたんですよね、なぜこう考えるに至ったのでしょう。
これを考えることが、日蓮その人を語ることだと思うのです。
日蓮がその考えの基にしたもの、そこに考えが至らないと日蓮その人は見えてこないんでしょうね。

#脳内文章変換能力ですが、私は幼稚園児並みでございます。ここまでアホでございますと、
人の言葉を素直に受け取ることが出来ます。ガンコどのもあと一息かな(^^)

1117犀角独歩:2003/12/07(日) 13:00

ガンコさん:

実に適切な真跡の呈示にご精進を拝察いたしました。
この書『減劫御書』というのでしたね。「ああ、そうであった」と思った次第です。
わたしは『智慧亡国御書』と記憶しておりました。
もう少し前から引用されたほうが脈絡がわかると思います。

「法華経に云く_皆与実相不相違背〔皆実相と相違背せず〕等云云。天台之を承けて云く ̄一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法を能々心へて候を智者とは申すなり」[p1130]

諸法実相を智者は世間の法の外に行わない。世間の法とは治世についての心得であるという脈絡となっています。ですから、次文に「殷の代…」から実例を挙げていらっしゃるわけですね。
類似したところで『事理供養御書』があります。

「まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には、_若深識世法即是仏法〔若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕ととかれ、涅槃経には_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の_一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕の経文に、引き合わせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深信の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地則草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此れをもつてしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなわち命なり。」[p1263]

これらの真跡遺文から、蓮師の法華経観が窺われますね。

1118アネモネ:2003/12/07(日) 13:26
私も、いい御書を提示されているなあと思いました。
「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」は、私も現役法華講員の頃からとても好きな御文でしたが、ガンコさんの提示された御書の前文だったのですね。
私もあらためて、拝してみようと思います。

1119アネモネ:2003/12/07(日) 13:29
「爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。」
この御文もいいですね。これは掲示板に参加してから、知った御文ですが、今でも大好きです。

1120犀角独歩:2003/12/07(日) 14:30

アネモネさん:
愚鈍凡夫さん:

救世主思想ということについて、

昨日、神学者であるA先生に「ミトラ」「キリスト」「ギリシャ語聖書」について、お尋ねしました。
立ち話で、記録を取ったわけでないので、やや不正確な点があります。
この点は先にお詫び申し上げておきます。

「ミトラとは」とお尋ねすると「古代神秘主義のひとつです」と、まずこう説明されました。わたしはキリスト(救主)がこの変形であるとする岩本説を受け入れていたのですが、原始キリスト教の時点では、ミトラ信仰は、否定的にとらえられた異教の神秘主義とする記述が確認できるとのことでした。祖型は同一でありながら、原始キリスト教団成立の頃では既にまったく別の存在と認識されていたという意味と取れました。

「キリスト」については、ここで記された如く、やはり、「救い主」、つまり救世主としての意味を筆頭に挙げられていました。続いて、より原語から意味を説けば「救いの神」ということになるとのことでした。また、キリストと、カリスマは同一の祖型から生じた言葉であるとのことでした。これにはやや驚きました。

「新約聖書がギリシャ語で書かれた」と理由については、1050にLeoさんが記述くださったとおり、当時の共通語であったからということでした。アレキサンダー大王の功績のひとつに数えられるとのことでした。

しかしそうなると、新約聖書の成立は4世紀以降のことになるということになります。
偶然といえるかどうか。羅什が生きた時代でした。

ハーバード・神学を卒業した博士であるこの先生は12カ国語に通達した優秀な学者さんです。しかし、単に学問の世界に留まらず、カルト問題解決の先頭に立ってきた方でした。わたしがもっとも尊敬する方の一人です。

上述、あまりにも大雑把なご報告ですが、皆さんに保管していただければ有り難く思います。


この先生との話とは離れますが、ギリシャ語ということを聞くと直ちにわたしが思い出すのは『ミリンダ王の問い』(ミリンダ王問経)です。ギリシャ人の王・ミリンダとインド人の僧との対話で構成されるこの物語(経)は、東西文化交流、シンクレティズムを探る何かの鍵になるのではないのかとわたしは思っています。
既に、この点に興味をお持ちになってお調べになっている方がいらっしゃいます。その成果を開陳いただければ有り難く存じます。

1121犀角独歩:2003/12/07(日) 14:32

【1120の訂正】

誤)皆さんに保管していただければ
正)皆さんに補完していただければ

1122ガンコ:2003/12/07(日) 21:18

五月雨さん、どうもです。

どうやら、わたくしとはスタンスがちがうようですね。
失礼ながら、ずいぶんと学者チックに感じます。

御在世の四条殿・上野殿などは、大聖人の御書を素直に拝したであろう、わたくしも不遜ながら同じ立場で拝させていただきたいと思っております。

>ガンコどのもあと一息かな(^^)

うふふ、これって、ものすごく意味が深そうですね。

1123ガンコ:2003/12/07(日) 21:22

独歩さん、補足していただき、ありがとうございました。

この二書は、大石寺にあるんだそうですね。だからどうというわけじゃないですけど・・・

1124Leo:2003/12/08(月) 01:28
犀角独歩さんの 1120 に関連しまして、ご参考まで。

新約聖書が正典として確定したのは、4世紀中頃とのこと。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Ezm4m-ootk/sinyaku.html

さらに、ヒエロニムス(342頃-420) によりラテン語訳(ウルガタ聖書)
が完成したのが405年。

羅什(344-413)の法華経の漢訳が完成したのが406年。

羅什が方便品の十如是部分を意訳したことは指摘されるところですが、
ヒエロニムスのエピソードとして有名なのは(モーゼに関連して)
「光」と訳すべきところを「角」に訳してしまったためにモーゼに「角」
があるとされてしまたということがあります。
(ミケランジェロの彫刻でもモーゼに角があります...)

1125Leo:2003/12/08(月) 02:12
(補足です)
>ヒエロニムスのエピソードとして有名なのは(モーゼに関連して)
>「光」と訳すべきところを「角」に訳してしまったためにモーゼに「角」
>があるとされてしまたということがあります。

ヒエロニムスは旧約聖書(ヘブライ語)と新約聖書(ギリシャ語)をラテン語訳しました。
「モーセの角」のエピソードは旧約聖書部分(「出エジプト記」)です。

1126Leo:2003/12/08(月) 02:25
>羅什が方便品の十如是部分を意訳したことは指摘されるところですが

一方、羅什には「舌」の伝説がありますね。「羅什三蔵は舌焼けず」

1127三吉:2003/12/08(月) 07:45
<しかしそうなると、新約聖書の成立は4世紀以降のことになるということになります。
偶然といえるかどうか。羅什が生きた時代でした。>

現在の形で纏められたのは、そうなるのかもですが、イエス運動が「キリスト
教」化したのは、パウロですので、「救世主思想」としては、イエスの死後に
弟子になったパウロの廻心をもってキリスト教は成立したといいうるかと思い
ます。
つまりパウロは、肉体をもったイエスよりも、瞑想であったキリストに価値を置いた。
キリストに対する信の強調路線が一方で深くキリスト教に刻まれた。
もういっぽうで逆に信仰のみのパウロ主義を批判したマタイ教会は、「愛の実践」をパリサイ人以上に求めます。信仰だけでは救われない。愛の実践は神の意思であり、実践するものだけが救われるのであると説きます。
そしてマタイの愛の実践も観念的であったので、律法を完全に守るということでは
パリサイ人は凄く真面目でいっしょのことを言うてるにもかかわらず、彼らに批判
的でありえたし、パウロ主義の後継者たちの「病癒し」はイエスの伝統を引くもの
でもあるのにイエスの実践と切り離して批判しえたのも観念的であったからです。
外部の私からみますキリスト教とは「パウロ的信」と「マタイ的な愛の実践」の二つを
含むように思います。
ここの議論の流れでいえば、「愛の実践」が「菩薩道」に近似した概念にな
りますが、「実践してないやつはだめ」という意識があれば、「裁き」(キリ
スト教概念−「裁くな」から)になりますので、「実践」はあくまでしたい人
がすればよいというスタンスがええと思います。

1128顕正居士:2003/12/08(月) 07:46
>>1124 Leoさん。

>新約聖書が正典として確定したのは、4世紀中頃とのこと。

新約聖書を仏典と比較すると、編纂に幾百年が経過したのは同じです。違うところは。
伝承を取捨選択して正典をあんだこと。正典の中のイエスの言葉はほぼ正しい伝承であり、
外典として外された中のは違うらしい。また確実なパウロの書簡を含んでいる。仏典には
正典はなく、幾千年の間の有名な著述を集成したのが大蔵経(三蔵)であるに過ぎない。
インド大乗仏教は龍樹や世親が事実上の開祖であるから、彼らの発言にもとづいて考え、
無名氏が釈尊に仮託した経は重視しない。対して中国では経の全部を釈尊が説いたとし、
自説の擁護のために任意に経を引用する習慣がはじまった。その悪弊は日本の日蓮に
おいてきわまっただろうか?ギリシア人が新約聖書を正典として確定したことは、その後
のキリスト教と仏教の歴史を大いに違えたのではないだろうか?

*1-ギリシア人-ギリシア帝国のギリシア語をあやつる人達。
*2-大乗仏教は龍樹や世親が開祖であって、釈尊の仏教とは別の宗教なのであるが、
彼らは戒律を同じくし、僧院に雑居したらしい。キリスト教と比較すれば、オーソドックスが
グノーシスを区別しなかった。
*オーソドックス-グノーシスと区別して形成される東西カトリック教会の信条。
*グノーシス-ギリシア帝国全域にひろまった心身二元の思想で、あらゆる宗教に影響を
与え、特定のグノーシス教というものはない。世界史的には東方はこの思想の影響下に
あり続けた。制御した西方から今世紀には逆にその文明に関心がもたれるようになった。

1129三吉:2003/12/08(月) 08:00
2-大乗仏教は龍樹や世親が開祖であって、釈尊の仏教とは別の宗教なのであるが・・

んとね、だったら正確には南伝は5Cのブッダゴーサや12Cのアヌルッダが
開祖で、釈尊とは別の宗教です。仏像も呪文も釈尊はしませんから

1130顕正居士:2003/12/08(月) 08:27
>>1129 三吉さん。ひさしぶりです。幾年かも。

>南伝は5Cのブッダゴーサや12Cのアヌルッダが開祖

トマス・アクィナスが西方カトリック教会の開祖とはいわないでしょう。その辺で形が決まって
あと変わらないけれど。大乗仏教は「釈尊に仮託した別の宗教」、つまり、「イエスに仮託した
別の宗教」(キリスト教グノーシス派)と同じといいたかったのです。大乗仏教もキリスト教の
グノーシス派も釈尊やイエスを取り込んだので、彼らの歴史上の人格はみずからの宗教には
中心的に重要ではないからです。

1131犀角独歩:2003/12/08(月) 08:44

皆さん、活発な横レス、大いに参考になりました。
有り難うございます。

Leoさん:

ご紹介のサイト、よくまとまっていますね。
“角”の話、書き落としましたが、A師も話しておりました。
羅什のことも含めて、誤訳、意訳も数千年生き残り、独自に展開していく…、考えさせられる一面です。

三吉さん:

> 「パウロ的信」と「マタイ的な愛の実践」の二つを含む

これは「なるほど」と。参考になりました。

> 「実践」はあくまでしたい人がすればよい

仰るとおりですね。実践に強制や、義務があっても意味を持ちませんね。
いちおう、弁明です。わたしがここで宗教の実践を言ってきたのは『創価学会の功罪を考える』のスレッドで、「創価学会は世界平和を貢献している」という会員が口にすることにつき、まるで実体がなくお題目だけではないかという指摘からはじまりました。
いわゆる「宣伝に偽りあり」はカルトの特徴をなすことで、この嘘に騙されると個人、並びに社会的な弊害が起きます。そこで「何を信じているかではなく何をしているかで宗教の真価が問われる」という注意予防の見極め方を呈示したわけでした。それが“菩薩”をどのようにとらえるかという活発な議論に発展したわけでした。また、7兆円/800万人、あるいは1兆円/10万人規模の資産と人的資源を持っている団体が社会還元もせず、自宗内に閉じ籠もるのは不健全かつ社会的な責任からしても嘆かわしいという論調でわたしは主張しました。けれど、信仰自体、各人の基本的人権、信教の自由に基づくわけですから、そこから導き出される実践は誰からも強要される筋合いのものでないことは明らかですね。


顕正居士さん:

聖書の仏典の比較、また、箇条書きに整理いただき、理解の便宜に資させていただきました。

> 大乗仏教は龍樹や世親が開祖であって、釈尊の仏教とは別の宗教

南伝については三吉さんがご指摘くださいました。
さっぱりと、このように考えてしまえばよろしいわけですね。
そして、その認識のうえで、シャキャムニにはじまるところを、すべて包括して仏教と括ろうと。


ここ富士門流信徒の掲示板でありながら、キリスト教にも皆さん、実に詳しい。
愚鈍凡夫さん、アネモネさんが聖書に係る記述をされていたわけですが、Leoさん、三吉さん、顕正居士さんからも、これで勝れた投稿をいただけたことをたいへんにうれしく思います。

重ね重ね、皆さんに御礼申し上げます。

1132三吉:2003/12/09(火) 16:58
顕正居士さん ご無沙汰しております。
デビュー当時、多大なるご指導ありがとうございました。

一見、南伝は、イコール初期仏教に見えるし、信仰上南伝の人はそう主張されるけど、実は、南伝も「釈尊に仮託した別の宗教」で大乗とその点は変わらないというのが私のスタンスでございます。(信仰上、私にとってはそうだというのは南伝・大乗ともによいと思います。)
第一、経典は大乗伝承の阿含のサンスクリットは、1C後半です。現存パーリ仏典が纏められたのは5Cです。伝承ではパーリの注釈をスリランカ現地語でしてたのを、ブッダゴーサがパーリに書き換えたとなってますが、おそらく(つまり根拠なく私の想像では)仏典のパーリ化も同時期です。でヨーロッパでさえ、パーリに比べ、漢訳阿含に古層がみられるときづいているそうです。
第二、「釈尊の史的な人格」をありのままに問題にしなかったのは、たぶん大乗誕生前です。32相などの神格化など。その後、クシャーナ朝の世界的性格は、大乗を発展させ、部派をも変質させました。仏像など。
第三、史的イエスは、パウロには意味を持ちませんでした。霊的なキリストとの出会いがパウロをイエス運動弾圧側から改宗させました。つまり「キリスト」とは、「法身」です。「生身より法身」という法華寿量品と同じことをパウロはし、キリスト教が生れたと言えます。つまり、キリスト教もまたはじまりから「イエスに仮託した別の宗教」であります。(パウロ以前は、イエス運動)
第四、そもそも正典化も聖典でもいいのですが、つまるところは「史的な人格」より大事な「宗教的なエトバス」の実体化ではないでしょうか。

蛇足。「正典の中のイエスの言葉はほぼ正しい伝承」とのことですが、色々な研究があり、例えば「イエス・セミナー」は、『五つの福音書』(1993)で、約500あるイエスの言葉のうち、本当の言葉を13、それに類することをイエスが言ったが77で、後は、イエスが言ったは疑わしい、言うはずがないだそうです。厳しく見るグループでは20%足らずです。

蛇足2  有名な「自灯 法灯」が釈尊の言葉かどうかはともかく、これを語る直前、釈尊は自分が教団のリーダーなどではそもそもないと語った上で「自らを灯火にし」でございます。この言葉が、史的釈尊の表明であるならば、釈尊の人格を仏教の中心にそえようという弟子の尊敬の念は釈尊の期待を裏切るものかもしれません。とはいえ、尊敬の心が悪いわけではありません

あいかわらずの暗愚でございますので、斯様に考えております。
ご無礼は宥恕願います。

1133三吉:2003/12/09(火) 17:31
※その後、正統派はイエス復活を現実的肉体の復活と見、グノーシス派は、
霊的な復活と見るそうだが、徹底的に弾圧されたらしいが、詳細事情はしらない。

正統派が現実的な肉体の復活に拘った意味が私にはわからないのだが、
根底には、グノーシス派の霊的な復活の背後にある汎神論的、あるいは、
悉有仏性的な思考に対して、イエスの特別性(神の子)に拘ったためなのであ
ろうか・・・。わからない。

1134MILD SEVEN:2003/12/10(水) 05:14

<ごくあたりまえの事>

無からは、何も生まれない・・・・・無。

神がいた・・・・・完全だから・・・・・いた・・・・・永遠に・・・・・いる。

永遠の神が、無限の努力をして・・・・・ある時、自らの知恵を・・・光を・・・表現した・・・真理 真実。

神には、永遠の経験がある・・・・・だからこそ、尊い。

信じるほどに・・・わかってくる・・・はっきりと。

神には、親は・・・・・いなかった。

妻、息子・娘・・・・・我らの主と共にあって・・・母・父と・・・創造された。

主は、キリストと共に、完全の上の完全。

神は父として、真理の産みの親。

聖なる存在。
                         24.9.1999

上記は、少し時間をかけ、想像しながら読む事をお勧めします。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・

我らの主はイエス様

イエス様は主の本宅、本宮。

主「神」=「愛」はイエス様と共に、「愛情」を完成された。

私は、信じています。いや、確信しています。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page005.html

1135顕正居士:2003/12/12(金) 01:29
>>1132 三吉さん。パウロはグノーシスとユダヤ人教会の中道をとったともいわれます。

>「正典の中のイエスの言葉」…厳しく見るグループでは20%足らずです。
仏典はスッタニパータやダンマパダの20%でしょう。アーガマ全体では2-3%だろうから
それでもおおきな違いがあるのではないでしょうか。

>正統派が現実的な肉体の復活に拘った意味が私にはわからないのだが、
グノーシスについては以下のサイトが詳しいです。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html

西方カトリック教会の元祖はアウグスティヌスですが、この人はもとマニ教を信じていた。
霊肉二元の思想と霊肉複合の思想が対立していたのだとおもいます。使徒信経に
「Credo…carnis resurrectionem,vitam aeternam 肉身の蘇りと終わりなきいのちを信じ奉る」
とあります。たしかにパウロによってイエス教でなくキリスト教ができたのですが、キリストの
「法身」を信じたのでなく、霊肉複合のイエズス-キリストであって、仏教にたとえれば「報身」で
ないでしょうか。『コリント前書』はパウロの真正の書簡とされています。その中にこうあります。

「汝らに伝えた第一の事柄とは、余が経験したことであって、聖経にいうとおりにキリストは
我らが罪の為に死し、かつ葬られて、三日後に聖経にいうとおりによみがえり、ケファスと及び
十二人に現れたことである」 *ケファス−ペテロのこと
3 tradidi enim vobis in primis quod et accepi quoniam Christus mortuus est pro peccatis
nostris secundum scripturas/4 et quia sepultus est et quia resurrexit tertia die secundum
scripturas/5 et quia visus est Cephae et post haec undecim/(Vulugata)

パウロのダマスコ途上の回心はキリストの光に打たれたのであるが、コリント書では彼は肉身を
もってよみがえったイエズス-キリストをいっている。パウロの体験が何であったかはわからないが、
彼が信じたのは純霊のキリストではなかったとおもう。

1136三吉:2003/12/13(土) 13:56
顕正居士さん。
仏典と比較したら20%なら多いのはそのとおりです。ただ「ほぼ」という語に反応してみた。

そうですね、パウロは中間的だと思います。主観的にもパウロは「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシア人は知恵を求める。しかし私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と言っています。ただ、「グノーシスとユダヤ人教会」というより、広く異邦人的世界観とユダヤ的世界観かもしれません。具体的にはギリシア的な「魂不滅思想」、エジプト神話的「永遠の生」と、ユダヤ的終末思想の止揚を企図したのやもしれません。
ローマ市民権を持っていて、しかもローマ的知識人でもあり、ユダヤ的伝統方面においてもユダヤ教の宗教者であったパウロは、キリスト教の国際化、つまりグレコローマン化を図ったわけです(割礼なしの異邦人-ユダヤ人意外-もキリスト教徒になれる。保守派は反対するが拡大解釈でパウロは乗り切る)。
コリントでパウロの布教は成功を収めます。パウロがいわば自分の信徒に送ったのがコリント書ですね。コリント前書15.3〜5を引用されておられますが、そう、そのイエス復活を巡って、<写本の裏づけがあり最も早いキリスト教文章と見なされる後50年代のパウロの書簡>の一つコリント書は、「肉身をもってよみがえったイエズス-キリスト」をいっていないのです。「死人の復活もまた同様である。朽ちるもので撒かれ、朽ちないものでよみがえり、卑しいものでまかれ、栄光のあるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものでよみがえり、肉体のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」(コリント前書15.42〜44)
パウロが語る主キリスト・イエスの復活は、「肉のからだ」ではなく、「霊のからだ」の復活なのです。
残念ながら「使徒行伝」はパウロの活躍に遅れること80年後に、使徒たちを神話化する目的をもって書かれたものです。そこでは、その後のキリスト教正統派が継承した「肉体の復活」が書かれています。「使徒行伝」をもって神話化されたパウロを語るのと、パウロ書をもってパウロを語るのでは自ずと「パウロ像」は変わります。
ただパウロは純霊を信じたわけではないと思います。「霊肉二元の思想と霊肉複合の思想」という分け方でいえば、二元ではなく複合ではないかとも感じるのですが、私にはよくわからないというのが正直なところです。ただコリント書から明白に言えることは、その後のキリスト教正統派の「肉体の復活」ではなく「霊のからだの復活」とパウロは言っているということです。

仏教と比較するなら「法身」より「報身」がより近似していると思います。ただ後50年代のパウロの書簡(写本の裏づけのある最も早いキリスト教文章)と、世紀前後の法華経の祖師に対する把握の共通点を強調してみました。(コリント前書15.12〜58)

1137愚鈍凡夫:2003/12/18(木) 18:20
雑阿含経に命を繋ぐために我が子を殺し、その屍体を両親が食するという、ショッキングな譬えがありますので紹介します。

「世尊告諸比丘。有四食資益衆生。令得住世攝受長養。云何爲四。謂一.麁摶食。二.細觸食。三.意思食。四.識食。云何比丘觀察摶食。譬如有夫婦二人。唯有一子。愛念將養。欲度曠野嶮道難處。糧食乏盡。飢餓困極。計無濟理。作是議言。正有一子。極所愛念。若食其肉。可得度難。莫令在此三人倶死。作是計已。即殺其子。含悲垂涙。強食其肉。得度曠野。云何。比丘。彼人夫婦共食子肉。寧取其味。貪嗜美樂與不。答曰。不也。世尊。復問。比丘。彼強食其肉。爲度曠野嶮道與不。答言。如是。世尊佛告比丘。凡食摶食。當如是觀。如是觀者。摶食斷知。摶食斷知已。於五欲功徳貪愛則斷。五欲功徳貪愛斷者。我不見彼多聞聖弟子於五欲功徳上有一結使而不斷者。有一結繋故。則還生此世。」(雑阿含経)

世尊は諸々の比丘に告げられた。
「四食がある。衆生を助け、衆生を養っている。四食とは何か。麁搏食・細触食・意志食・識食の四つである。
どのように搏食を観察するべきか。
たとえば、夫婦二人があって非常に可愛がっている一人の子供がいた。ところが荒野の難所を渡ることになったが食料が尽き、餓死寸前になり助かる見込みはなかった。彼らはこのように考えた『ここに愛する子供がいる。もし、この子供を食えば三人が死ぬことだけはまぬがれる。』こうして、泣きながら子供を食い、荒野を渡ることが出来た。
比丘、この夫婦は子供の肉が美味しいと思って、たべただろうか」と。
答えて言った「そんなことはありません。世尊」と。
「比丘、荒野を渡るために、強いて食べたのではないか」と。
答えて言った「その通りです。世尊」と。
仏は比丘に告げられた「搏食を食する時は、このように観じなさい。このように観察すれば、搏食を断ずることが出来る。搏食を断ずれば、五欲の中の欲望と愛着を断ずることが出来る。多聞の聖弟子は一結の愛結も断ぜられていないものはない。もし、一結でもあれば、還ってこの世に生ずるのである。

「阿含経の解釈 第一章雑阿含より 四食(子肉経)」
http://www1.ocn.ne.jp/~shodesi/agomenu.htm

いやはや、現代の常識的な倫理観を超越してますね。いくら経典の言葉といえど、
「譬えがちゃうんとちゃうかなぁ。譬えなんやったら、他に譬えようがあるやろうが」
(`ヘ´) プンプン。
というのが正直な感想です。

1138心者雖念不直相鴨:2003/12/19(金) 04:06
愚鈍凡夫さん:

中国で食人の風習があったことは、劉備が猟師の妻の肉を食べる挿話からも有名ですが、これを禁忌とする文化が多いことは、宗教以外の何らかの理由があったような気がします。
われわれは、「食人」をたいへんおぞましく感じるのですが、私たちの若い頃に「アンデスの聖餐」という映画にもなった、ショッキングな事件がありました。当事者の青年たちは、聖書を引いて、その「食人」を正当化しています。

「キリストが人類の救済のために、その肉体と血をお与えになったように、ぼくたちの仲間は、その肉体と血でぼくたちの生命を助けたのです」と。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD11574/story.html

かつて、大変話題になった狂牛病ですが人間が人間を食べた場合も同様な症状が発生します。パプア ニューギニアでは、BSEと同様の症状を呈するクールー病が、1955年に400例を超えていたのが、食人(かって宗教的意味合いから人肉を食する習慣がありました)の風習をやめてから漸減し、1980年以降は年間50例以下となっています。
http://www.sciencemag.org/feature/data/prusiner/medium/se3875740002.gif

食人によるヤコブ病の発生に関しては以下のサイトで詳述されています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gtm/eizuhatomoguikara.htm

昨日は、輸血によるCJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)の可能性が示唆されました。
http://www.asahi.com/international/update/1218/002.html

エホバの証人というキリスト教の教団があり、教義上の理由から輸血を拒否しています。

「ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない」。(創世記 9:3,4)「[あなた]はその血を注ぎ出して塵で覆わねばならない」。(レビ記 17:13,14)「淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう(に)」。(使徒 15:19-21)1

わが国でも、当初はこれを奇異なこととしてみる向きが多かったのですが、上記の事実を見ると、「輸血拒否」の主張に対する、科学的な根拠が強くなってきたように思われます。

1139MILD SEVEN:2003/12/19(金) 05:10

話が変な方向へ行きませんように・・・。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

1140愚鈍凡夫:2003/12/19(金) 05:40
皆さんお早うございます。

>>1138: 心者雖念不直相鴨さん、レス有り難うございます。
MILD SEVENさん御指摘のように、話がオカルト的方向にそれそうですね。 (・・;)
「話振ったんお前やろが」(by 管理人) (`ヘ´) プンプン。

「子肉経」とは関係ありませんが、中国の人肉食について、こんな論文があります(春秋時代まで遡れるそうです)。ただ、出版された昭和2年という時代背景を考えると、多少プロパガンダ的色彩を感じないこともありませんが。青空文庫で公表されていますので、興味のある方はどうぞ。

(「支那人の食人肉風習」 桑原隲藏)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card4270.html

1141心者雖念不直相鴨:2003/12/19(金) 06:32
皆さんおはようございます

言葉足らずで、MILD SEVENさんや愚鈍凡夫さんにはご心配をおかけしてすみません。
極限時の行動を平時の道徳で裁いてはいけないという意味で書き込みをいたしました。

また、こうした極限時の行為に対して救済を与えるような心理的装置を用意することが宗教には求められていると思います。聖書ではそれがお示ししたような方法で可能であったし、仏教でも「子肉経」のような依経をひくことでそれが可能になるということを知り安堵したしだいです。

1142菱村正敏:2003/12/19(金) 07:40
>われわれは、「食人」をたいへんおぞましく感じるのですが、私たちの若い頃に
>「アンデスの聖餐」という映画にもなった、ショッキングな事件がありました。
>当事者の青年たちは、聖書を引いて、その「食人」を正当化しています。

 当事者たちは単に生きるために遺体を食べた。奇跡的生還後に、自らの遺体を
食べた行為に、悔悟の念をもった。それが生きるためには不可欠だったと分かっ
ていてもです。いろいろなストレスが彼らにダメージを与えた。それに対して聖
職者が、当事者たちの立場を正当化してあげることで、彼らは救われたというこ
とだったと思います。

1143愚鈍凡夫:2003/12/20(土) 00:26
菱村正敏さん、始めまして。愚鈍凡夫です。
仰る通りだと思います。
小生が腹立たしく思ったのは、「子肉経」の「即殺其子」の一節なんですよ。
要するに、「食べる目的で我が子を殺す」ということです。
不慮の事故で死んだ我が子を生きんが為に食するのではありません。はっきりと、食糧にする目的で殺害することを言っているのです。

スレ違いですが、玉光順正師の「死刑制度と仏教 いのちは何故尊いのか?」の中の「歎異抄の第三章、悪人正機、悪人正因」は、次の文証だと思います。

**************************************************
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
(歎異抄 第3章)
**************************************************

1144犀角独歩:2003/12/23(火) 19:23

1140 愚鈍凡夫さん:

やや後れての横レスで恐縮ですが…。

> (「支那人の食人肉風習」 桑原隲藏)

いつも吃驚しますが、本当に資料に通じていらっしゃいますね。
読む耽ってしまいました。

「中国の薬膳研究で門外不出のレシピがある、それは胎児料理だ」、しばらく前にそんな話を聞いていました。女帝が不老長寿の薬膳としたという話でした。一種の奇譚と風聞したのですが、それより、肉屋で人肉が公然と販売される事実のほうがはるかに凄惨な話と受け止めました。

1145福田里敏:2003/12/25(木) 21:29
空き缶さん

PCが壊れていたため、いただいた質問が、消えてしまいました。申し訳ありませんが、もう一度、メールをください。お願いいたします。

1146菱村正敏:2003/12/26(金) 00:32
 中国では本草綱目のなかに「人部」がもうけてあるように、人肉は動物の肉など
と同様に食べる目的をもって考えられていたようですね。

1147愚鈍凡夫:2003/12/27(土) 08:47
>>1144:犀角独歩さん、レス有り難うございます。

同一種同士で共食いするのは、チンパンジーとヒトだけと聞いたことがあるように思います。
動物は、知能の発達と共にモラルを失っていくのでしょうか。 (__;)
逆説的に、宗教を必要とするのは人間だけかもしれませんね。

1148心者雖念不直相鴨:2003/12/27(土) 10:53
愚鈍凡夫さん:

横レス失礼します。
共食いはいろいろな動物の間で、広範に見られる現象です。

まずは原生動物
http://web.kagakukan.sendai-c.ed.jp/gensei/33ph1.htm
イカなどの軟体動物
http://dns.fish.metro.tokyo.jp/tokyowatching/umi/ikanokossetsu.html
カマキリで有名な昆虫は省略します。
脊椎動物では、まず魚類
http://www.ne.jp/asahi/iwana-club/smoc/bass-sub05-1-b.html
また、蛙やサンショウウオなどの両生類
www.setuyaku-kakeibo.com/3_1_danna/dan15.htm
http://albatross.biodic.go.jp/reports/2-3/a199.html
恐竜も共食いをしました。
http://www.h5.dion.ne.jp/~sujaku/news-si/news-si39.html
鳥類
suzume.lolipop.jp/enji/amaki.htm
有袋目
http://www1.kcn.ne.jp/~antler/glider5.html
霊長目では、ほかにボノボ。
http://plaza.rakuten.co.jp/majyo/003010
高等動物だけでは、ないのでどうぞご安心ください。空腹で、そこにえさがあれば誰でも食べるといったごく単純な現象です。

1149犀角独歩:2003/12/27(土) 13:28

> 心者雖念不直相鴨さん:共食い…空腹で、そこにえさがあれば誰でも食べる
> 愚鈍凡夫さん:共食い…逆説的に、宗教を必要とする

お二人まとめたレスを続けて恐縮です。
共食いはたしかに各種に見られるのですね。その意味では心者雖念不直相鴨さんの仰ることはわかります。けれど、人間にとってもっとも凄惨に見える出来事である故、愚鈍凡夫さんのご意見があろうかと存じます。

生物的な特徴を観察分析する心者雖念不直相鴨さんの投稿と宗教的視点の愚鈍凡夫さんの投稿を逆時に読むとき、当板の仏教的見地から展開となるように思えました。

1150心者雖念不直相鴨:2003/12/28(日) 18:29
食人に関して、宗教的な見地から論じた書を紹介します。

まず、食人(カニバリズム)の動機については、以下の3つがあるとされ、人を食うという「野蛮」と「聖餐」という文化があるとされます。

*************** 引用開始 **************
1、食通的食人一人肉がうまいから喰う一。
2、儀礼的・呪術的食人一死老の霊力や性格などを吸収したり、死者と一体化したりするため、死んだ近親や生賛、敵の首長や勇者を殺して喰う)。
3、生き残るための食人一食料不昆などの危機的状況のもとで、通常は禁じられている人肉を喰テ一。の三つに大別できる。
大和岩雄:魔女はなぜ人を喰うか、pp10、大和書房、1999
*************** 引用終了 **************

その典型的な例が「子供を喰う」といわれた聖餐に述べられています。

*************** 引用開始 **************
「子供を喰う」といわれた聖餐
『ヨハネ福音書』一6:14一には、
もし人の子の肉を食べず、その血を飲まないなら、あなたがたは生命を得られないとある。「人の子」はイエス・キリストのことだから、「聖体」の肉を喰い、血を飲むのであって、一般の人の子(赤子)の肉を喰い、血を飲むのではない。(中略)紀元前一世紀頃のアレキサンドリアでは、ユダヤ人は儀礼として子供を殺し、子供の肉を喰い、子供の血をすするといわれていたが、キリスト教はユダヤ教を母胎としている。キリスト教・ユダヤ教などエルサレムの一神教の神ヤハウエの祭(過越の祭)に捧げられる生蟄は、仔羊だが、本来は人間の初子(ういご)の男子であった(「出エジプト記」13:2)。
パレスティナでは初子の男子をモレク(セム族の神)に捧げたが、『旧約聖書』(「列王記。下23:10」にも「むすこを火で焼いて、モレクにささげ物とする」とある。ウォーカーは、「モレクはソロモン時代のユダヤ人によって崇拝されていた。ユダヤ人はモレクとヤハウェを同一視していた。彼らは初子を火にあぶってモレクに捧げたが(レビ記。18:21)ヤハウエもまた初子を生贄として捧げることを要求している」と書いている。
大和岩雄:魔女はなぜ人を喰うか、pp36、大和書房、1999
http://www.daiwashobo.co.jp/books/ISBN4-479-75034-7.html
*************** 引用終了 **************
(続く)

1151心者雖念不直相鴨:2003/12/28(日) 18:30
(1150からの続き)

また、やすいゆたかは本説をさらに発展させて、イエスが実際に聖霊を宿した肉と血を弟子たちに食べさせることにより、弟子たちに聖霊を引き継がせることができると考えたという大胆な仮説を展開しています。

*************** 引用開始 **************
 ところで「ヨハネによる福音書」では聖餐は比喩的だったが、それはイエスの死に際しての本当の聖餐を否定してはいないのである。むしろ比喩の形でイエスに対する聖餐を肯定的に表現することで、聖餐の意義を強調し、聖餐があったことを暗示しているのである。聖餐の事実は「福音書」には書けなかった。それは殺人と共に最もおぞましい犯罪とされていたからである。人の肉を食べたり、血を飲んだりする者は、人間ではなく、鬼か悪魔のごとく思われたので、弟子たちがイエスを食べたことが露見するとキリスト教徒たちは皆殺しにされていた可能性が大きいのだ。
やすいゆたか:キリスト教とカニバリズムーキリスト教成立の謎を精神分析する、三一書房、1999
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/jesus.html
************** 引用終了 **************

聖餐は古代においては宗教的な儀式として洋の東西を問わず広く行われたこと、また「喰う」は生かすために殺すこと。人食いはもともと「神を喰う」ことであったこと、など慮所とも、興味深い記述にあふれています。また、熊を食うアイヌのイオマンテ、吸血鬼ドラキュラ、鬼子母神の食人などもこの文脈において考察されるべきであるとされます。

1152愚鈍凡夫:2003/12/28(日) 20:06
以下の引用は犯罪心理分析に関するサイトからの引用です。あまりお勧めできませんのでサイト名は伏せます。悪しからず。 m(_ _)m

**************************************************
イギリスの犯罪学者コリン・ウィルソンの著書「殺人の哲学」には、15世紀ジェームズ1世時代のイギリスで1500人を殺して食べていたソニー・ビーンズという男が妻と共に洞窟に住んでいたという話が載っている。
ウィルソンによれば、殺人は3段階で変化する。一段階が食物の争奪、二段階が欲望と衝動の開放、三段階が倦怠を持て余して存在証明を求める殺人だ。著者の立場は以下の言葉によく表れている。
社会の底にフラストレーションが沈殿している時、その度合いを社会に告げるのは犯罪者である。まったく新しい身の毛のよだつ犯罪が発生した時、これを単に奇怪な一事件と片づけることはできない。それは新型の病気の発生を医学的に奇異な現象として片づけられないと同様である。犯罪研究者にとって、それは社会全体を予知する貴重な窓となる。

殺人の哲学 コリン・ウィルソン 竹内書店 1970.11

(中略)
 心理学の専門家によれば、「何より先に暴力に訴えることは、脳の大脳辺縁系か前頭葉に微細な損傷」が原因であることをCTスキャンで確認できるという「ジョエル・ノリス(シリアルキラー)p44」。他にも著者は栄養失調、不安定な家庭環境、亜鉛やカリウム不足によるホルモンバランス、鉛・コバルトなどの環境汚染物質、動物の虐待などが暴力的傾向を助長するとしてしている。
 ただ「認識が対象を決定する」という言葉の通り、人間の頭脳は自らの認識によって対象を再構築してしまう。つまり、社会的に悪とされている事象を目の前の現象に当てはめてしまうのだ。母親の売春、虐待、同性愛、アルコール依存症、果ては環境汚染物質や栄養失調に至るまで、原因として挙げられている事柄は、アメリカの社会問題の面と、キリスト教的な悪徳の側面とがある。いわば自らが問題だと思っている現象を、猟奇殺人の原因として勝手に措定しているとはいえないだろうか?
(中略)

猟奇殺人の系譜

猟奇殺人の歴史は古い。15世紀フランスの侯爵でジャンヌ・ダルクの部下だったジル・ド・レー(Gilles de Rais)は、農奴の子供を数百人、ただの娯楽のために殺した。16世紀にはドイツのPeter Stubbeなどが知られている。かれは子供を襲い、切り裂いて食べた。恐るべきことにStubbeは自分の子供の体を切断し脳を生で食らった。(The A-Z Encyclopedia of Serial Killers Harold Schechter)
魔女とされた女性を生きたまま公衆の面前で火あぶりにするといった非常に残酷な事件が西洋には多いのは、聖書の影響が大きいだろう。聖書では"悪"とされるものを神が裁くという話に満ちている。イスラム原理主義の指導者オサマ・ビン・ラーディン氏のように、信仰を守るためには手段を選ばなくてもかまわないという考えが、一神教を旨とする人々には一般的だったためだろう。
ただ、漢の高祖の妻呂后が若い妾に嫉妬し、高祖の死後、その妾を囚人に輪姦させ、手足を切断、目をつぶし目鼻を削ぎ落として生きたまま便所の壺の中に入れたという話がある。日本のような宗教戦争のおきたことがない多神教国でも、キリシタンへの処刑は逆さ吊りにして脳の血管が破裂するまでじわじわと苦しませて殺害したということもあった。
こうした点から考えると宗教は人間の残酷な行為の原因ではなく、正当化の理由や意味付けとして使われており、すべての人間はもともと残酷な性質を持っていると考えたほうがいい。ルソーは「エミール」のなかで、人間の本性は無垢で善良なものであり、その天性を素直にのばすことが教育だといったが、これは人間に対する認識を根本的に誤っているものというべきだろう。
19世紀 スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)は「ジキルとハイド」を著したが、人間のこうした矛盾した性質は、地元名士として成功しながら30人以上の少年を殺害し床下に埋めていたゲーシーのみならず、どんな人間にも備わっているものだ。実際に猟奇的な殺害に至る人間は稀だが、両者の違いは残酷な狂気を抑えることができるかどうかという点にしかない。
カナダの人類学者エリオット・レイトン(Elliott Leyton)は、「原始社会では殺人の対象が知らない人間になることは極めて稀だった」としているが、現代になって目立って増えている快楽殺人(Lust Murder)は概して明確な動機がなく、犠牲者は大部分が犯人とはまったく面識がない。
**************************************************

宗教が人間の残虐な一面を正当化する手段ではなく、抑止力として働かないかぎり、その存在自体が「邪悪」となってしまうように思います。

1153犀角独歩:2003/12/30(火) 12:04

1150〜1151 心者雖念不直相鴨さん:

カニバリズムからの(キリスト教ではなく)イエス集団解き。これは実に興味深いものでした。最後の晩餐がイエス食いの予行演習。さもやありなんという感じです。

以前、洗礼者ヨハネが蝗と野蜜を食べて荒野で生きていたという記述を読んだとき、「蝗は昆虫と雖も生物」と思え、仏教徒の殺生感と大きく異なっていると思ったものでした。ところが、それどころか、イエス集団がさらにカニバリズムを前提にしていた…、大胆な推論ながら、否定しきれない面白さを感じました。

古代インドで言えば、仏教の採り入れられた鬼子母神もまた食人風習をモチーフにした物語でしたね。

不殺生、殺人、その延長に、宗教儀礼的な食人風習が連なっているという視点。実に深いものがあります。

1154犀角独歩:2003/12/30(火) 12:20

1152 愚鈍凡夫さん:


猟奇殺人その他、いわゆるサイコパスと呼称される人格障害の視点から分析する試みの話を過去にいたしましたね。わたしも『宅間守と日蓮正宗との相関性をどう感じる』スレッドの313〜315に掛けて一部紹介しました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1055067234/r313
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1055067234/r314
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1055067234/r315

あと、既にお読みになっておられるかもしれませんが、以下の本は参考になりました。

『サイコパスという怖い人々』
あなたの隣にもいる
仮面をかぶった以上人格者の素顔とは――
KAWADE 夢新書
ISBN4-309-50185-0 C0247 Y667E
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309501850/ref%3Dnosim/inktomi-jp-asin-books-22/249-6062772-1564311

(以前にも紹介したかもしれませんが)

1155無徳:2003/12/31(水) 19:34
先日早稲田の古本屋で『日蓮聖人の法華色読史』(蛍澤藍川著)なる本を買いました。

その中に龍象房の食人に関する記述がありましたので、参考までに紹介します。

長文になりますので2回に分けて投稿させていただきます。

建治三年の春、鎌倉に不思議な事件が出来した。それは人肉をたべる事が流行した
事とである、埋葬したばかりの死人の墓をあばいてその肉を食するは素より、甚し
いのになると、死者を運搬する途中などで、ついて居るものゝ眼をかすめて死者の
腕を切取るなどの乱暴もあった。

其當時「龍象房」といふ僧が京都から下って鎌倉に来て居た。この龍象房は比叡山
の僧で、「天台座主記」に龍象上人とあるので見ると相當の地位を占めて居た僧で
あるらしい。
     
処がこれが何かしら非常な不始末を演して比叡山を出奔した。其事は「天台座主記」
の建治元年の條に

 四月廿七日、山門衆徒群下、集會東光寺差遣公友丼犬紳人於寵象上人住房焼払
 之、於中山住房者犬神人等破取之

とあって、住房を焼却するといふ位だから餘程の悪事に違ひないが、その悪事の性
質に就は何とも記載がない。それが日蓮聖人の記述によると、此龍象房は人間の肉
を食したことが露顯したので京都に居る事が出来なくなって逐轄したといふ事であ
る。

聖人が後に四條金吾の潟に認められた「頼基陳状」の中に

 彼龍象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由令露顕間、山門の衆徒蜂起
 して世末代に及で悪鬼國中に出現せり、山王の御力を以て對治を加むとて住所を
 焼失し、其身と誅罰選とする処に、自然に逃失し行方を不知処に、たまたま鎌倉
 中に叉人肉を食之間情ある人恐怖せしめて候に云々

とあるので、其露顯の機會もほぼ知られてわる。

尤も其當時人肉を食するといふ事は龍象房ばかりの問題ではなかった榛である。

聖人の遺文によれば、龍象房などがこの方の先達ではあったが、實は真言の邪法か
ら出て、ついには一般に人肉をたべる事を何とも思はなくなったのである。

今日本國亦後 如 是、真言師禅宗持齋等人を食する者國中に充満せり、是偏に真言
の邪法より事起れり、龍象房が人を食ひしは萬が一顯れたるなり、彼に習て人の肉
を或は猪鹿に交へ、或は魚鳥に切り雑へ、或はたゝき加え、或は鮨として売る、食
する者数を知らず。

続く

1156無徳:2003/12/31(水) 19:40
続き

日本國数年の間打續きけかちゆきて衣食なく、畜類をば食つくし、結句人をくらう
者出來して或は死人、或は小児、域は病人等の肉を裂取て、魚鹿等に加へて売しか
ば、人是を買くへり。

とも記されて、連年の大飢饉で全く食料の欠乏を愬へたといふ事も人肉を食べる一
原因になっにのであるが、そういふ思想を輸入した張本は寵象房などであつだのだ。

ただし龍象房の食入事件は、はじめは誰とも分らなかったが、ある時小袋坂のそば
で、非人が死屍の肉を切取って居るのを、當時其問題がやかましかった為にその犯
人を物色してゐた役人の見るところとなって捕えられた、糺明して見ると意外にも
其非人は、人肉切取りの依頼人が龍象房なることを申立てた。

そこで早速龍象房を糺問すると、龍象房は全く知らないといふことであったので、
更に其非人を取調らべると、今度は化粧坂の燈炉堂の法師にたのまれたという事を
白状した。

その後の記録が不幸にしてないからどうなたか分からぬが、此の奇怪な事件は富木
入道のきくところとなってすぐ様身延へ報告された。

冨木入道の書翰は『四信五品抄問目」といふ名を以て後世に傳へられたばかりでな
く、富木入道の草案が、今も尚中山法華経寺に残って居るそうであるが、それは名
の示す如く「四信五品」の法門を聖人に教示を請ふのが主であるが、そのはじめに
異聞として、前記の龍象房と燈炉堂の法師の事が記されてある。
 
 畏言上、近日稲荷社、八幡宮供人肉事出來候、又有下僧於小袋坂切取葬送死
  人肉之時見付之於由井濱政所加糺問之処、依龍象房之長誂今取之由、令白
  状之間、相尋龍象房之処、全以無其儀之由、依令申、猶被推間彼下僧之処、
  ケハヒ坂燈炉法師之誂令申侯間、又被尋之由風聞候、奇異勝事侯、委細之旨、
  四條金吾定被言上候歎、兼又大進阿闇梨御房下人之便宜令進上愚欣侯シハ令
参着候哉、不預御返報侯間不審侯

恐らく此燈炉堂の法師が動機となって.龍象房の食人は露顕したのであらうが、龍
象房は不敵な人物である上、容易ならぬ侫奸の僧であったから、巧みにこれを瞞過
したものと見ゑて、間もなく彼は鎌倉の宗教界に飛躍する事となった。

1157無徳:2003/12/31(水) 19:48
このように、仏門にある身でましてや高僧とも称される僧侶においても、食人の疑
いが掛けられる程に鎌倉時代は、「立正安国論」の冒頭を思い起こさせるに十分な
危機的状況にあったと言うべきでしょうか?

1158MILD SEVEN:2004/01/22(木) 02:07

悲しき全体主義・北朝鮮問題についても検討しましょう。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1159MILD SEVEN:2004/02/03(火) 05:28

<自衛隊のイラク派兵問題について>

「敵だけど友達」これは以前、イスラム教徒に言われた事。
もちろん私は、キリスト教徒と名乗った上での事。
実際、どのイスラム教徒とも仲良くやって来ました。
相手が真剣ならなお更、深いところでも・・・暗黙の了解はあるのです。

私は現在、<良識の競い合い>をネットワークで提案しています。
世界のイスラム教徒に。

また、後手の対応でも、主にあって先手を用意しておく事は可能です。
主の導きと共に。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1160トリビアの種:2004/02/24(火) 02:40
ある本に、この世で一番最初にサイコロ賭博をやったのは
お釈迦様だと書いてありました。
バクチをやって人を集めて、そこで説教したそうです。
なのでバクチ場で動くお金のことを寺銭と言うとありました。

もう少し詳しく知りたいので、ご存知の方がいらっしゃいましたら
ご教示ください。
ちなみに手持ちの辞書で調べたら下記のように書いてありました。

寺銭 てらせん

博徒が経営する笛博場で笛金に応じてとる手数料のこと。語源については諸説あるが,江戸時代に取締りがゆるやかだった寺社奉行支配下の寺社の境内に,仮設の笛博場をつくり,賽銭勘定場と称し,手数料のもうけを寺へ寄進する形式をとったことに由来するという。のちに一般の笛博場でも寺銭というようになった。関西ではカスリともいう。さいころ丁半笛博の笛場では,勝った客が取得する金額の5%を寺銭とし,2個のさいころがゾロ目といって同じ目になったときだけ,10%の寺銭をとった。笛けをする敷物を盆茣蓙(ぼんござ)といい,その計算が迅速にできないと〈ぼんくら(盆暗)〉といわれた。第2次大戦後はバッタマキという花札3枚ずつでする笛博で,3枚の札の数の合計が10あるいは20になるとブタといい,そのときだけブタハンと称して50%の寺銭をとり,他は寺銭なしの笛場もあった。なお,尾佐竹猛《笛博と掏摸の研究》では,寺銭の〈てら〉はどてら(褞袍)などの〈てら〉と同義で布とか蒲団の意味を包含し,転じて盆茣蓙の意となり,盆すなわち笛博権の使用料,あるいは笛博開帳料となったのではないかと思われるとしている。

1161不安居士:2004/02/26(木) 05:39
(先ほどの投稿はスレ違いでした。ご削除をお願いいたします)
ヤフーBBに加入のみなさん。ご注意ください。

以下の記事を読みました。こうした、匿名の掲示板を通じての書き込みが、たとえば創価学会の関係者により監視されているのでは?との、危惧があります。

……同じく逮捕された竹岡誠治は元創価学会員。産経が報じた通り、共産
党盗聴事件の実行犯でもある。」
http://great.mailux.com/mm_search.php?sh_mm_id=MM3D9411DEDEAA1

「『クレジット情報の流出はなし』と、BBは記者会見で繰り返していま
すが、そんなのはデタラメ。クレジット情報どこから、ホストコンピュー
タの中身を丸ごとぶっこ抜かれているんです。(中略)問題のデータを持っている人間はすでに100人を越えているはずです。2ちゃんねるにデータがバラ撒かれるのも時間の問題だと思います」(中略)
 そして、今、犯人一味に、総会屋と創価学会元幹部がいたことも発覚。
事件は大爆裂寸前なのである!!」
http://by3fd.bay3.hotmail.msn.com/cgi-bin/getmsg?msg=MSG1077722571.7&amp;start=584229&amp;len=11716&amp;msgread=1&amp;imgsafe=n&amp;curmbox=F000000001&amp;a=2d3767d0f4153509547f987155ee9d9d

私の単なる妄想で済めばよいのですが…….

1162Terrible 1:2004/02/28(土) 19:56
1161殿、 小生もヤフー掲示板の政党、選挙スレッドの創価関連に投稿しました。あの大先生がケチョンケチョンに一蹴された言言には、これこそ民主主義の醍醐味だと実感しましてガンガン批判しました、。がしかし、これからは、弾圧が怖くなりました、。 S会にとっては度し難い輩の一員にリストアップされたことになった訳です、。 イヤな時代に逆戻りでしょうか、、?

1163アホー111:2004/02/29(日) 00:13
1162様、、、ご心配はイカガかと存じます、、。  残念至極ながら、、あなた様の住所とPC接続状況は一切合切すべてが創価本部に筒抜けが実証されました、、。 ヤフーの海外=ニュウス欄が昨年末総て削除に成ったのは、、??でしょうか、、? 内部に協力者=創価員が存在すればコソ、、??  ヤフー子会社SST=社長=竹岡氏は副会長級の大大超幹部とは創価内部では周知の様です、、。 つまりは「創価の組織グルミの犯罪、、」の様ですか、、??!!

1164MAX:2004/03/03(水) 03:52
他サイトで見つけたもの

ヤフーBB460万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件あらまし
http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg (週刊ポスト)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/900.jpg(赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-01/15_01.html(日本共産党HP)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg(週刊新潮)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/916.jpg(週刊朝日)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/901.jpg(日刊ゲンダイ1面)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/902.jpg(日刊ゲンダイ2面)
http://www.sankei.co.jp/news/morning/25na1001.htm(産経新聞)

今回のヤフーBB460万人流出データによる脅迫事件は、最高裁でジャニーズのセクハラが認められながらもテレビで語られないのと同様、大マスコミでは語られない。。
34年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士)
同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審控訴も後棄却→宮本に賠償金を払い和解
竹岡はヤフーBB460万流出&脅迫事件前まで、学会幹部(豊島区分区副区長。事件後辞任)
竹岡は宮本宅盗聴事件以降急激に出世、全国副青年部長まで上り詰める(トップ10)。本部勤務経験後、現在聖教新聞広報部部長
竹岡の娘もその夫も学会人。結婚式には神崎、野中両氏が祝福。
竹岡の息子は学会本部勤務。
循環型社会推進議連(浜四津が会長代行)に竹岡が講師を呼んだ経歴あり。
もう一人の実行犯湯浅は北海道のゾーン長か副ゾーン長(現役。今回の事件後辞任)
学会本部に電話すると、両名が学会人であることを認めたが、すでに本人の意向で役職を辞任していることを強調した。


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