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素朴な疑問

1136三吉:2003/12/13(土) 13:56
顕正居士さん。
仏典と比較したら20%なら多いのはそのとおりです。ただ「ほぼ」という語に反応してみた。

そうですね、パウロは中間的だと思います。主観的にもパウロは「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシア人は知恵を求める。しかし私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と言っています。ただ、「グノーシスとユダヤ人教会」というより、広く異邦人的世界観とユダヤ的世界観かもしれません。具体的にはギリシア的な「魂不滅思想」、エジプト神話的「永遠の生」と、ユダヤ的終末思想の止揚を企図したのやもしれません。
ローマ市民権を持っていて、しかもローマ的知識人でもあり、ユダヤ的伝統方面においてもユダヤ教の宗教者であったパウロは、キリスト教の国際化、つまりグレコローマン化を図ったわけです(割礼なしの異邦人-ユダヤ人意外-もキリスト教徒になれる。保守派は反対するが拡大解釈でパウロは乗り切る)。
コリントでパウロの布教は成功を収めます。パウロがいわば自分の信徒に送ったのがコリント書ですね。コリント前書15.3〜5を引用されておられますが、そう、そのイエス復活を巡って、<写本の裏づけがあり最も早いキリスト教文章と見なされる後50年代のパウロの書簡>の一つコリント書は、「肉身をもってよみがえったイエズス-キリスト」をいっていないのです。「死人の復活もまた同様である。朽ちるもので撒かれ、朽ちないものでよみがえり、卑しいものでまかれ、栄光のあるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものでよみがえり、肉体のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」(コリント前書15.42〜44)
パウロが語る主キリスト・イエスの復活は、「肉のからだ」ではなく、「霊のからだ」の復活なのです。
残念ながら「使徒行伝」はパウロの活躍に遅れること80年後に、使徒たちを神話化する目的をもって書かれたものです。そこでは、その後のキリスト教正統派が継承した「肉体の復活」が書かれています。「使徒行伝」をもって神話化されたパウロを語るのと、パウロ書をもってパウロを語るのでは自ずと「パウロ像」は変わります。
ただパウロは純霊を信じたわけではないと思います。「霊肉二元の思想と霊肉複合の思想」という分け方でいえば、二元ではなく複合ではないかとも感じるのですが、私にはよくわからないというのが正直なところです。ただコリント書から明白に言えることは、その後のキリスト教正統派の「肉体の復活」ではなく「霊のからだの復活」とパウロは言っているということです。

仏教と比較するなら「法身」より「報身」がより近似していると思います。ただ後50年代のパウロの書簡(写本の裏づけのある最も早いキリスト教文章)と、世紀前後の法華経の祖師に対する把握の共通点を強調してみました。(コリント前書15.12〜58)


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