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素朴な疑問
1151
:
心者雖念不直相鴨
:2003/12/28(日) 18:30
(1150からの続き)
また、やすいゆたかは本説をさらに発展させて、イエスが実際に聖霊を宿した肉と血を弟子たちに食べさせることにより、弟子たちに聖霊を引き継がせることができると考えたという大胆な仮説を展開しています。
*************** 引用開始 **************
ところで「ヨハネによる福音書」では聖餐は比喩的だったが、それはイエスの死に際しての本当の聖餐を否定してはいないのである。むしろ比喩の形でイエスに対する聖餐を肯定的に表現することで、聖餐の意義を強調し、聖餐があったことを暗示しているのである。聖餐の事実は「福音書」には書けなかった。それは殺人と共に最もおぞましい犯罪とされていたからである。人の肉を食べたり、血を飲んだりする者は、人間ではなく、鬼か悪魔のごとく思われたので、弟子たちがイエスを食べたことが露見するとキリスト教徒たちは皆殺しにされていた可能性が大きいのだ。
やすいゆたか:キリスト教とカニバリズムーキリスト教成立の謎を精神分析する、三一書房、1999
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/jesus.html
************** 引用終了 **************
聖餐は古代においては宗教的な儀式として洋の東西を問わず広く行われたこと、また「喰う」は生かすために殺すこと。人食いはもともと「神を喰う」ことであったこと、など慮所とも、興味深い記述にあふれています。また、熊を食うアイヌのイオマンテ、吸血鬼ドラキュラ、鬼子母神の食人などもこの文脈において考察されるべきであるとされます。
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