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素朴な疑問

1131犀角独歩:2003/12/08(月) 08:44

皆さん、活発な横レス、大いに参考になりました。
有り難うございます。

Leoさん:

ご紹介のサイト、よくまとまっていますね。
“角”の話、書き落としましたが、A師も話しておりました。
羅什のことも含めて、誤訳、意訳も数千年生き残り、独自に展開していく…、考えさせられる一面です。

三吉さん:

> 「パウロ的信」と「マタイ的な愛の実践」の二つを含む

これは「なるほど」と。参考になりました。

> 「実践」はあくまでしたい人がすればよい

仰るとおりですね。実践に強制や、義務があっても意味を持ちませんね。
いちおう、弁明です。わたしがここで宗教の実践を言ってきたのは『創価学会の功罪を考える』のスレッドで、「創価学会は世界平和を貢献している」という会員が口にすることにつき、まるで実体がなくお題目だけではないかという指摘からはじまりました。
いわゆる「宣伝に偽りあり」はカルトの特徴をなすことで、この嘘に騙されると個人、並びに社会的な弊害が起きます。そこで「何を信じているかではなく何をしているかで宗教の真価が問われる」という注意予防の見極め方を呈示したわけでした。それが“菩薩”をどのようにとらえるかという活発な議論に発展したわけでした。また、7兆円/800万人、あるいは1兆円/10万人規模の資産と人的資源を持っている団体が社会還元もせず、自宗内に閉じ籠もるのは不健全かつ社会的な責任からしても嘆かわしいという論調でわたしは主張しました。けれど、信仰自体、各人の基本的人権、信教の自由に基づくわけですから、そこから導き出される実践は誰からも強要される筋合いのものでないことは明らかですね。


顕正居士さん:

聖書の仏典の比較、また、箇条書きに整理いただき、理解の便宜に資させていただきました。

> 大乗仏教は龍樹や世親が開祖であって、釈尊の仏教とは別の宗教

南伝については三吉さんがご指摘くださいました。
さっぱりと、このように考えてしまえばよろしいわけですね。
そして、その認識のうえで、シャキャムニにはじまるところを、すべて包括して仏教と括ろうと。


ここ富士門流信徒の掲示板でありながら、キリスト教にも皆さん、実に詳しい。
愚鈍凡夫さん、アネモネさんが聖書に係る記述をされていたわけですが、Leoさん、三吉さん、顕正居士さんからも、これで勝れた投稿をいただけたことをたいへんにうれしく思います。

重ね重ね、皆さんに御礼申し上げます。


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