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素朴な疑問

1135顕正居士:2003/12/12(金) 01:29
>>1132 三吉さん。パウロはグノーシスとユダヤ人教会の中道をとったともいわれます。

>「正典の中のイエスの言葉」…厳しく見るグループでは20%足らずです。
仏典はスッタニパータやダンマパダの20%でしょう。アーガマ全体では2-3%だろうから
それでもおおきな違いがあるのではないでしょうか。

>正統派が現実的な肉体の復活に拘った意味が私にはわからないのだが、
グノーシスについては以下のサイトが詳しいです。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html

西方カトリック教会の元祖はアウグスティヌスですが、この人はもとマニ教を信じていた。
霊肉二元の思想と霊肉複合の思想が対立していたのだとおもいます。使徒信経に
「Credo…carnis resurrectionem,vitam aeternam 肉身の蘇りと終わりなきいのちを信じ奉る」
とあります。たしかにパウロによってイエス教でなくキリスト教ができたのですが、キリストの
「法身」を信じたのでなく、霊肉複合のイエズス-キリストであって、仏教にたとえれば「報身」で
ないでしょうか。『コリント前書』はパウロの真正の書簡とされています。その中にこうあります。

「汝らに伝えた第一の事柄とは、余が経験したことであって、聖経にいうとおりにキリストは
我らが罪の為に死し、かつ葬られて、三日後に聖経にいうとおりによみがえり、ケファスと及び
十二人に現れたことである」 *ケファス−ペテロのこと
3 tradidi enim vobis in primis quod et accepi quoniam Christus mortuus est pro peccatis
nostris secundum scripturas/4 et quia sepultus est et quia resurrexit tertia die secundum
scripturas/5 et quia visus est Cephae et post haec undecim/(Vulugata)

パウロのダマスコ途上の回心はキリストの光に打たれたのであるが、コリント書では彼は肉身を
もってよみがえったイエズス-キリストをいっている。パウロの体験が何であったかはわからないが、
彼が信じたのは純霊のキリストではなかったとおもう。


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