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素朴な疑問

1152愚鈍凡夫:2003/12/28(日) 20:06
以下の引用は犯罪心理分析に関するサイトからの引用です。あまりお勧めできませんのでサイト名は伏せます。悪しからず。 m(_ _)m

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イギリスの犯罪学者コリン・ウィルソンの著書「殺人の哲学」には、15世紀ジェームズ1世時代のイギリスで1500人を殺して食べていたソニー・ビーンズという男が妻と共に洞窟に住んでいたという話が載っている。
ウィルソンによれば、殺人は3段階で変化する。一段階が食物の争奪、二段階が欲望と衝動の開放、三段階が倦怠を持て余して存在証明を求める殺人だ。著者の立場は以下の言葉によく表れている。
社会の底にフラストレーションが沈殿している時、その度合いを社会に告げるのは犯罪者である。まったく新しい身の毛のよだつ犯罪が発生した時、これを単に奇怪な一事件と片づけることはできない。それは新型の病気の発生を医学的に奇異な現象として片づけられないと同様である。犯罪研究者にとって、それは社会全体を予知する貴重な窓となる。

殺人の哲学 コリン・ウィルソン 竹内書店 1970.11

(中略)
 心理学の専門家によれば、「何より先に暴力に訴えることは、脳の大脳辺縁系か前頭葉に微細な損傷」が原因であることをCTスキャンで確認できるという「ジョエル・ノリス(シリアルキラー)p44」。他にも著者は栄養失調、不安定な家庭環境、亜鉛やカリウム不足によるホルモンバランス、鉛・コバルトなどの環境汚染物質、動物の虐待などが暴力的傾向を助長するとしてしている。
 ただ「認識が対象を決定する」という言葉の通り、人間の頭脳は自らの認識によって対象を再構築してしまう。つまり、社会的に悪とされている事象を目の前の現象に当てはめてしまうのだ。母親の売春、虐待、同性愛、アルコール依存症、果ては環境汚染物質や栄養失調に至るまで、原因として挙げられている事柄は、アメリカの社会問題の面と、キリスト教的な悪徳の側面とがある。いわば自らが問題だと思っている現象を、猟奇殺人の原因として勝手に措定しているとはいえないだろうか?
(中略)

猟奇殺人の系譜

猟奇殺人の歴史は古い。15世紀フランスの侯爵でジャンヌ・ダルクの部下だったジル・ド・レー(Gilles de Rais)は、農奴の子供を数百人、ただの娯楽のために殺した。16世紀にはドイツのPeter Stubbeなどが知られている。かれは子供を襲い、切り裂いて食べた。恐るべきことにStubbeは自分の子供の体を切断し脳を生で食らった。(The A-Z Encyclopedia of Serial Killers Harold Schechter)
魔女とされた女性を生きたまま公衆の面前で火あぶりにするといった非常に残酷な事件が西洋には多いのは、聖書の影響が大きいだろう。聖書では"悪"とされるものを神が裁くという話に満ちている。イスラム原理主義の指導者オサマ・ビン・ラーディン氏のように、信仰を守るためには手段を選ばなくてもかまわないという考えが、一神教を旨とする人々には一般的だったためだろう。
ただ、漢の高祖の妻呂后が若い妾に嫉妬し、高祖の死後、その妾を囚人に輪姦させ、手足を切断、目をつぶし目鼻を削ぎ落として生きたまま便所の壺の中に入れたという話がある。日本のような宗教戦争のおきたことがない多神教国でも、キリシタンへの処刑は逆さ吊りにして脳の血管が破裂するまでじわじわと苦しませて殺害したということもあった。
こうした点から考えると宗教は人間の残酷な行為の原因ではなく、正当化の理由や意味付けとして使われており、すべての人間はもともと残酷な性質を持っていると考えたほうがいい。ルソーは「エミール」のなかで、人間の本性は無垢で善良なものであり、その天性を素直にのばすことが教育だといったが、これは人間に対する認識を根本的に誤っているものというべきだろう。
19世紀 スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)は「ジキルとハイド」を著したが、人間のこうした矛盾した性質は、地元名士として成功しながら30人以上の少年を殺害し床下に埋めていたゲーシーのみならず、どんな人間にも備わっているものだ。実際に猟奇的な殺害に至る人間は稀だが、両者の違いは残酷な狂気を抑えることができるかどうかという点にしかない。
カナダの人類学者エリオット・レイトン(Elliott Leyton)は、「原始社会では殺人の対象が知らない人間になることは極めて稀だった」としているが、現代になって目立って増えている快楽殺人(Lust Murder)は概して明確な動機がなく、犠牲者は大部分が犯人とはまったく面識がない。
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宗教が人間の残虐な一面を正当化する手段ではなく、抑止力として働かないかぎり、その存在自体が「邪悪」となってしまうように思います。


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