したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1トキ:2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。


 上記に関連するテーマなら、広く受け付けます。また、教団、本流復活派、中立派など
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、たとえ違う立場の意見でも、お互いに尊重する寛大さ
をお願いします。

 この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。

 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。

 スレッドのルールと方針は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」を考えると、と同じに
考えております。

1771ハマナス:2012/12/08(土) 00:00:32 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

心のレンズ  (『新版 生活の智慧365章』P.307)

その人の肉体と環境との状態は、その人の“心”が如何に「実相」(霊的実在)を翻訳して、
縦横厚みの空間に、それを映し出したかの成績をあらわしているのである。その人の “心”
がその肉体から去れば、その人の環境というものも、その人の肉体と云うのも、共に消えて
しまうのである。それは映写機のレンズが無くなれば、映画の画面に映っていた光景が消え
てしまうようなものである。だから“心”をレンズにたとえて“心のレンズ”と称すること
もある。

“心のレンズ”が変に収縮して波形になっておればスクリーンに映る映像も波形に歪んで
うつるのである。“心のレンズ”が実相に対して完全に焦点距離を合わすことが出来な
ければ、実相が如何に完全であっても、その完全な姿がハッキリとあらわれずボケてあら
われるのである。そして如何に映像が歪んであらわれようとも、如何に映像がボケて現わ
れようとも、実在の景色はハッキリとして美しいのと同じうように、私たちの肉体や環境が
どんなに不完全にあらわれようとも、それは私たち自身の“心のレンズ”の収縮、歪み、
曇りなどが原因で、そのようにあらわれるのであって、“実相の世界”及び“実相の自分”
は完全なのである。

感謝合掌

1772「訊け」管理人:2012/12/08(土) 17:32:58 ID:???

『常楽への道』(吉田國太郎著)296頁より謹写――


 根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きは、その心自身が、如何に尊げな姿に於いて現れ、如何に深度の状態に於いて現れ、宇宙的な迄の高度な状態の如くに現れても、いずれも全てよしなく空しいことである。それは神の心にもとり、実在の相を忘失し、業の輪廻を深めたに過ぎない。業と云い無明と云うは神の去脱状態であり、人の生命の仮死的窒息状態である。神の国、実在の国にあっては悪と困却とは本来無いのであり、悪と困却とをみていることが無明であり、業障の根なのである。

 困却のない生命を観なければなければならない。悪に禍いされていない生命を観なければならない。それを、かくの如くに静的な相(すがた)に於いて観ると同時に、又即時に、動的な相に於いて観なければならない。動的な相、即ちまことに端的に鳴り渡る真理の音をききえなければならない。

<了>

1773「訊け」管理人:2012/12/08(土) 17:33:59 ID:???

九日の経言――

自己を偉大にする言葉


 吾れは吾が心のうちに広大無辺なる宇宙を蔵する。星をみつめて佇む吾れは見詰めらるる星よりもなお広大なのである。吾れは吾れのうちに星を理解する類なき能力のある事を見出すのである。吾れは空の星以上のものである。何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。

 吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋(ひろう)とを超越して生活する。吾れは空の星に比肩せらるべきものである。吾れは、大地をつくり、天空を支えたまう神が、吾れを安固(あんこ)に保護したまうことを信ずるのである。それ故に吾はこころ安らかである。地の造り主、天の造り主と吾れは眞(まこと)に一体である。御親神様に感謝いたします

『日々読誦三十章経』より謹写――

1774とおりすがり:2012/12/08(土) 20:24:51 ID:???


十日の経言――

完全健康の言葉

吾が生きている生命(せいめい)は無限の生命(せいめい)である。
それ故に吾は完全に健康である。

吾がいだいている愛は無限の愛である、
それ故に吾れは完全に幸福である。

吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、
それ故に吾れは平和であり調和である。

今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

吾れは神の無限の生命(せいめい)の内に生きているのである。
無限の愛の内に生きているのである。
無限の智慧の内に生きているのである。

無限の智慧、無限の愛、無限の生命(せいめい)なる
吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1775さくら:2012/12/08(土) 22:52:38 ID:e8ieIrPA
『日常生活の中の真理 無門関・聖書篇』 谷口 雅春先生

「◎◎◎――――仏に遭っては仏を殺し

「仏に遭って仏を殺し、祖に会っては祖を殺す」と禅語にあるのは宗教の祖に遭ったら宗教の師を殺す、そして祖先や父母に会ったら祖先や父母を亡きものにするなどと云う意味じゃないのであります。
師恩は大切でありますが、本当の師は弟子に何を教えようとしたかと言うと「真理」を教えようとしたのであって、決して恩や愛着を売りつけようとしたのではありません。
それなのに「あの先生がやめたら、私もこの教えを止める」などと云う弟子があるが、これは「愛着」を受けとって「真理」を受け取っていないのであります。
この「愛着」を断ち切って真理に直参するのが、「仏に遭っては仏を殺し、祖に会っては祖を殺す」であります。

家庭においても、本当に父母を愛しようと思ったら父母を殺さんといかぬのであります。
こう言っても刀なんかで突いて殺すのではありません。ほんとうの父母を父母たらしめることが出来ないのであります。
僕でも父母を殺しているのです。僕は世間的に謂えば、大変親不孝です。九十幾歳の老母を神戸に放ったらかしておるのです。
あれは恩愛の執着を殺しておるのです。恩愛の情を殺して置かぬと父母が父母として本当に生きることが出来ない。
若し私が「最高理想の生活はこう云う理想の生活だから、お父さんお母さんこう云う具合になさい」と言って連れて来て、そしてその通りにしなさいと言ったらお父さんお母さんは窮屈でとても堪え切れないで、キットお困りになるだろうと思うのであります。
一燈園などでは「棄恩入無為」と言っています。恩愛の情を一度棄て切って、「無為」即ち、「そのまま」の実相があらわれるのであります。」

1776さくら:2012/12/08(土) 22:57:26 ID:e8ieIrPA
ほんとうの父母を父母たらしめることが出来ないのであります。

訂正:本当に父母を父母たらしめようと思ったならば、父母に対する愛着を殺さぬと
父母を父母たらしめることが出来ないのであります。

1777ハマナス:2012/12/08(土) 23:56:13 ID:mR2szZkc

人類意識の大波を超出すべし
(『新版生活の智慧365章』p.308)

「病気は無い」と“心”で念じたら病気が消えるならば、「肉体は無い」と“心"で念じたら肉体が消える筈だが、そんなに念じても肉体は消えないではないかと云う質問があるが、それは“心”と云うものが幾層にも重なっていて、一個人の単なる表層の現在意識で念ずるだけでは、人類全体の意識や、個人の意識にしても深層にある潜在意識面にある観念は容易に消えないと云う理由によるのである。

一個人一個人の意識内容は集団して一個人の人類意識と云う巨大な波動となって、個人個人の意識をその上に浮動させているのである。だから人類意識が「此の毒薬を幾グラム服(の)んだら死ぬ」と知っている毒薬を飲むならば、その人個人は、それが毒薬だと知らなくとも服用すれば、人類意識の“唯識の所現”としてその人は毒薬に当てられて死ぬことになるのである。だから其の人が人類意識の大波を超出するのだけの大信念を起し得るよう、熱心に神想観をして実相の完全さを揺るぎなく瞶(みつ)めない限りは、人類意識の大波のまにまに打ち上げられて破壊されることになるのである。

個人が「肉体がない」と心の表層で念じても肉体が早速には消えないのは、個人自身の潜在意識の中に「肉体がある」と云う観念の惰力が残っているのと、人類意識の中に「人類は肉体をもつ」と云う観念があり、その波から超出出来ないからである。

感謝合掌

1778NANCY:2012/12/09(日) 01:06:41 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766の投稿の続きです。

■ ■  祈るたび毎に あなたの魂は浄められる    谷口雅春著「人生をみつめて」より

なによりもまず祈ることにいたしましょう。
祈りというものは、そのとき神と交通して、神の持ちたまえる、色々の素晴らしい御徳が
自分の方へ流れこむことによって、自分の霊が浄められ、高められんがするものなのです。

常に祈るということが大切です。祈るたび毎にあなたの魂が浄められるのです。

                                  (一部抜粋…)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

今年も残り少ない日時となりましたかと…思います。此処昨今は“暗い出来事”と申しますか、
更にここ【生長の家…お家騒動】も含めまして、人間関係の複雑さと、申しますか…?更に!
本当に「生長の家の信者」なのかと?疑いたくなるような言動には、それ以前の事ですが……
【分派…の方々との思考の相違】…そこからの“悪態”・“中傷”…etc…“暗い出来事”が…><

これは、どの様に考えるべきなのでしょうか?はたまた受け止めるべきなのでしょうか?
❤【感情論…】が先行していますかと、思う次第です。その根底には、やはり【我欲…欲望】が、
あるのではないでしょうか??改めて“言葉…”から伺えますかと?思う次第です。
真の【人 へ の 救 済】??

こういう時こそ【祈り…】すべて神に全托でしょうか?必ず!神の御心に叶うものは【実現…】
そうです〜〜〜ョネ!
この地上…『現実世界に、時間・空間を経て…叶いますでしょう』かと……。
■【 正 し い 祈 り … 現 実 化 !】でしょう。

                                再合掌

1779SAKURA:2012/12/09(日) 02:15:40 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>投稿の続きです… が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」
を〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃ
いました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ

❤心を肉体に引っかからせるな  その①
=====【生命の実相 2巻から抜粋 】=======================
 病気にかかるとすぐ医者のところへ駆けつけて、胃が悪くないか、心臓はよわっていないか、
肺臓にラッセルでも聞こえていやしないかいろいろと詳しい説明をききたがる人がありますが、
…云々…「人類的恐怖がありますかので、その恐怖を「肉体なる影」に映し出していよいよ本
当に肺臓の組織まで悪くしてしまうのであります。心が肉体の生理作用に及ぼす影響は実に恐
ろしいものがあります。〜〜〜たとえば我々が肩に力が入れれば肩がこります。肩が凝るとい
うのは血液が肩に滞って新しい血液と入れ換わらないことをいうのであります。……云々……
                        
                        つづく

1780SAKURA:2012/12/09(日) 02:19:29 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>投稿の続きです… が

❤心を肉体に引っかからせるな  その②
>>1779投稿の続きです…。
…云々…
心が上の方に集注しているから肩におのずから力が入るのであって、決して「筋肉」という物質
が、物質自身の作用でそこに力を入れるというわけではないのであります、心が持とうと思わな
い限り、どうしても鉛筆一本でも持てないでありましょう。で、われわれが肩に力を入れたとい
うのは「心が」肩に力を入れたことであります。「心」が肩に力をいれたとき何が起こるかといい
ますと、「心」の影として最も最初に鋭敏に「心」のとおりに動き出すものは血液なのであります。血は生命の根源ではなく、「心」の作用に最も感じやすい「心の影」なのであります。完全に
血があっても心が死ねば、その人が死ぬ実例は前章にたくさんあげておきました。ただ血は影の
形に添うがごとく心の行くところに添うので、血は古来から霊性があるように思われて、
日本の古書には「霊」のことをチと読ませたところがあります。  (谷口雅春著)                          
===========================================
■そうです〜〜〜ョネ!!心に暗示をかける事でしょうか?そう【アラジンのランプ…」で〜
♫〜ごまひらけ〜♫〜と…心に入れ込む事ですョネ???さらに決めつける「心」からは、何も
生まれないようにも思えます。たとえば”悪口”ばかりいいます人は、寄ってきます人も、
それ好みの方が仲間にでしょうかと???【類の法則…」も、単に”モノ”だけではなく、そう
【心の法則の類の仲間】同士にも、云えます事ではと思えます。当に……!!
❤〜【すべてが”こころ”で決まる】事なんでしょう〜〜〜ネ!!今回、ここでも”固定観念”
で決めつける方が、いらっしゃいます様に思えます。この人は〜〜〜と>< 自分の狭い心で
相手を服従させるような表現が多いです〜〜〜ョネ!そのような時の私の心は、確かに、一瞬!
萎縮して構えます。…が?

■ここが“ミソ”で、まずは、何も自分は変わらないのだから、つかむ事もない!!!と…
”心…”で思いますと、まるで〜まるで〜澄みきった気持ちに、なりますかと。

更に!どうしても落ち着かない場合は、そう〜〜【神想観…」が一番”ピッタリ”でしょうか?
余談ですが?最近!過去を振り向いている自分がいます。そのような時【心は反省】ばかり><
更に、このような人間に出会ったおかげで”私は聴力喪失になった事”…許しがたい!この考え
は、本来の私自身は”楽観主義的思考”なのですが、現在の私に取りまして…あまりにも執拗な
相手の尾行…これも今まで考えなかった事ですから、【心が過去に…タイムマシ−ン】です。

■振り向きますと”過去”にとどまり”前進…”は、ないのです〜〜〜ョネ!!でも少しは、
その過去の【業…】に対しての清算カモ??そうしますと必要な事カモ??と、今の私は、
【強い信念…】で、過去の資料を調べているところです〜〜〜が???

今回頂きました【テキスト該当部分の冒頭から…】
当に【全て…”こころ”で決まる人生とは?全て自分自身の”こころ”で決る。決断!】かと…
あらためまして、思いました。…が???■■【 心の法則 】なのですネ!   再合掌

1781神の子さん:2012/12/09(日) 09:22:05 ID:pic01rm6
いいえ、日本製ですよ

1782「訊け」管理人:2012/12/09(日) 12:33:07 ID:???

◇「悪」を分析しても「善」は顕れて来ない

 「現象悪」を実在すると観て、それを観察し、分析し、「悪」の要素を排撃しようとして「悪」と戦う心を称して「智慧の樹の果」を食べた心と称するのです。併し「悪」と戦う心を起こしても、決して「悪」は減じないのです。それは「水爆」と戦う心を起こせば起すほど、水爆の実験の回数はふえ、地球を取巻く空気は愈々益々ストルンチューム90の放射能で汚染せられる度合が増加するようなものです。若し各国が、相互の相手国の「悪」を見ず、ただ「善」と「愛」とのみを見て親愛の情を深めて行きさえするならば、水爆という〝悪〟は自然に消えて、其処には唯、「原子力の平和利用」と言う〝善〟のみが実現する世界が出て来るのであります。

『眞理』實相篇384頁――



◇暗黒の中に失望してはならない

 暗黒は光明の来るしるしである。あなたは暗黒をおそれないのである。夜明け前には丑満時が来るのである。現象界は暗黒と光明との交錯によってあらわれる映画である。陰極は必ず陽転するのである。暗黒の後に新しい日は生まれる。
 新しい日は光明と自信とに満たされているのである。自信は如何なる暗黒の中にも光明を見て突き進む。既に光明は〝ある〟のである。努力と精進とによって、この暗黒の岩屋を突き破って光明の彼方に出ることができるのである。あなたは神の子であるから、無限の力が宿っており、無限の力は努力によって噴出するのである。信念と努力――これが万事を成就するのである。
 その努力と精進の力も神から来るのである。努力する勇気が湧いてこない時には、「神よ、私に善き事に対して努力する勇気を与えたまえ」と祈るがよい。

『眞理』實相篇128頁――

1783SAKURA:2012/12/09(日) 13:34:48 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ

❤ 血の滞りは心の滞り
======生命の実相 2巻から抜粋=========================

 ともかく「心が」しじゅう滞る場所には血液が滞るのでありまして、「心」が肩に、滞る人
は血が肩に滞って肩が凝り、「心」が首にとどこおって脳充血や脳溢血や不眠症などを起こす
のであります。こういう傾向のある人はとどこおっている箇所を按摩してもらうと一時その
滞っている血を散らすことになって非常によい気持ちでありますが、それは一時的であって、
「心」を滞らせている限り、そこにまた間もなく鬱血して来てそこが凝るのであります。
                              (谷口雅春著…)
===========================================

■以前は〜〜〜私も“肩コリ”…本当に“コリ〜コリ〜”なのです。特に、この寒さが増し
ます処の冬場は…いつも“首を回して”いましたかと。ですが?此処最近は、少々“肩コリ”
もありますが、以前のようには“肩コリ”飛んで行け〜〜〜♫〜〜〜なのです。
アラ〜〜〜?如何してかしらンと、思ってみますと、以前よりそうなのです。小さい物事に
【執着…】しなくなったのです〜〜〜ョネ!!

そして、今年母がなくなりましたが、此処3年間分からない事実が〜〜〜><
❤〜【亡き母の霊界通信…】で、何と「亡き母」からの【直感…】でしょうか???見え
ない事が?理解しがたい事が?今では、物事が良く見えるよな【透視…】が、多少とも
出来出しまして、それからなのでしょうか…??“肩コリ”の材料が、幾分以前より薄れ
てきまして、最近では、前以上に“物事”が見え、それが良し悪しに付けましても、こう
いう時こそ前に進む言動力の傾向にと……!!言えますでしょうかしら〜〜〜ン

■さて“心が滞る事”は、やはりこれも【執着…】からでしょうか???以前の私は、
ある面【執着のかたまり】でしたでしょうか??“コリ〜コリ〜執着?”
今では【放す事…を!すべて神様におまかせ…全托していたら?】という感じでの“行動・
スタイル“なのです!!そうなのです。モ〜〜〜ウ!何の不安もなく、まず!前進!前進!
前に進む事が【人間の使命…】でしょうかと???
それでも“血液の流れ”は滞る事もあり、この時はまだ【執着心…】が?あるのではと、今
頂きました“復興G様のテキスト該当部分”にて改めて思えます。…が?まだまだ足りない
のでしょうか?【心の執着…を放す、そして、おまかせ心になる事が〜〜〜】でしょうかと。

❤〜【私の“肩コリ”は、心の狭さから器量でしょう〜〜〜ネ!!!また、一つですが?
“心の進歩”に、私の“心のエッセンス”です〜〜〜ネ!!】
この素晴らしい〜〜〜【真理…】を勉強させて頂きます機会に感謝です。
                                   再合掌

1784さくら:2012/12/09(日) 20:53:38 ID:e8ieIrPA
『藭ひとに語り給ふ』 
                谷口 雅春 先生   

「              萬教歸一の藭示  

われに姿かたちあるやうに言ふものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である、われは靈性である、智恵である、愛である、生命である。われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方のわが藭姿を示したることあれども、そはわが眞の姿に非ず、見えたる藭姿は靈覚者の心識の所現に非ず。そは、われ藭通力によつて、疑う者の蒙を啓かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の藭姿を示して、藭の客観的存在を實証したにすぎない。

されど、本来われに一定の藭姿はない。如何なる姿も欲ひのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである『吾に藭殿は不要である』と。われは藭殿がないとて身の入れ場所に困るやうな藭ではない。供へ物も要らぬ。わが姿を見んと欲がうものは『生長の家』を讀め。われは言葉である。吾が言葉を盛る雑誌こそ吾が藭殿である。この雑誌をひろがるのこそわが藭殿の大きくなることである。われにすがた形はない。われは靈の海である。大海原である。すべての宗教流れ来たりて吾に入らん。吾は完成する者である。われは『七つの燈臺』に燈を点ずる者である。古道も、佛教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教我に流れ入りて生命を得ん。

われは大いなるものなるかな。すべての教を呑吐して、これに生命を與へ、すべての相争ふ教をその眞髄に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を與へ、すべてに栄養を與へ、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹らず批たず、常に讃事と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその眞髄に燈を点ずる。あらゆる宗教がその眞髄を禮拝して手をつなぐやうにならねば此の現實世界の改造は完成せぬ。精藭界が先で現實界はその影である、元亂れて影完からず、宗教家よ、宗派争いをしてゐる時ではない。

(昭和六年四月五日藭示)」

1785うのはな:2012/12/09(日) 23:14:26 ID:RjJT/itc
   『いつまでも楽しくすこやかに』内田久子 先生著

   発刊のことば 総本山知恩院執事長 おてつぎ運動本部長 寺本哲栄 

 近年、多くの日本人のあいだで「健康」についての関心が高まってきました。
医療の進歩によって日本人の平均寿命が延び、長生きできる時代になりましたのはまことに
結構なことであり、みなさんがいつまでも元気で長生きしたいという願望をお持ちになるのは
当然でございます。

 若い方々は、ややもすれば度を過したり、誤った考えにより健康を損なったりしていますが、
私は、日本の将来のため憂うべきことだと思っています。ところで健康というのは、もともと「健康康心」
から来たことばですから、体が健やかで心が安らかな状態を指すのでありましょう。
また西洋の諺にも「健全な精神は、健全な肉体に宿る」とあります。

 慥かに、体が元気ですと気分も壮快になり、病苦に苛まされますと気分も滅入ったりいたします。
また、精神的なストレスにより、体に悪い影響を及ぼすことがあります。
正しい宗教心をお持ちの方が、とく病を克服されたということもお聞きします。

 私はかねてより、人間の心と体について、宗教心を持たれた医師の方からお話を承りたいと思っていました。
さいわい、長年、病弱な体を克服し、その体験をふまえながら患者の治療にあたってこられた内田久子先生に
講演をお願いすることができました。そのお話の内容がたいへん参考になりますので、おてつぎ講演集の一冊として
とりまとめ刊行することにしたゆえんでございます。

 読者の方々は、その行間に滲み出ている内田先生の宗教心を見過ごされることなく、
心と体の健康について再考されますよう念願し、発刊のことばといたします。、


 おてつぎ運動本部

1786うのはな:2012/12/09(日) 23:29:08 ID:9TO4H8Ho
    はじめに  内田久子 先生

 私は内科医師として、日々病院勤務で診療しておりましたが、この度、このような
素晴らしい知恩院様にご縁をいただくということを伺いまいた時、一時はびっくりいたしましたが、
折角のお申し越しでございますので、喜んでお受けさせていただいたのでございます。

「いつまでも楽しくすこやかに」という今日のテーマと同じ言葉を、拙著『生命医療を求めて』に署名
させていただいております。
 現代社会では、文明や科学が進み、病院も立派になりたくさん医療施設ができて、いろいろ研究され病院も
解明されてきているにも拘らず、病院に行けばどこも満員ですね。これほど医学が発達すれば、病院は閑古鳥が
鳴いてもいいはずなのに、現実はこれに正比例して満員なのは何故でしょうか。
私たちはみな、健康だけでなく、人生を楽しく生きがいをもって生きたいという願いをもっています。

 この題の中の「いつまでも」というのは、今だけでなく、死にぎわも元気で、あの世へ行っても、来世もずっと
楽しくすこやかに、という意味です。

1787「訊け」管理人:2012/12/10(月) 09:27:58 ID:???

十日の経言――

完全健康の言葉

 吾が生きている生命は無限の生命である。それ故に吾は完全に健康である。吾がいだいている愛は無限の愛である、それ故に吾れは完全に幸福である。吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、それ故に吾れは平和であり調和である。今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

 吾れは神の無限の生命の内に生きているのである。無限の愛の内に生きているのである。無限の智慧の内に生きているのである。無限の智慧、無限の愛、無限の生命なる吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1788「訊け」管理人:2012/12/10(月) 12:47:54 ID:???

『真理入門25章』248頁より謹写――


◆ 〝神洲日本〟そして〝神洲清潔の民〟

 日本人は人間のいのちが〝神の子〟のいのちであることを知っていたのと同時に、日本の国も、神が建てた国で、神から頂いた国だという信念を持っていました。それで日本を〝神洲〟といったのであります。支那から漢字が伝わって来ましたら、我が国の名前(国号といいます)を「日本」と漢字で書いて、「やまと」とか「ひのもと」とか読むようにしました。それは『古事記』に伝えられたところによりますと、日本の国は人間が計画して建てた国でなくして、天照大御神という御名前の“宇宙を照らしたもう神”が、「豊葦原の瑞穂国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と、国の根本的設計を示されまして、その設計にしたがって神武天皇さまが天皇中心の国をお建てになったのが国の始めであります。だから日本国は〝神洲〟すなわち〝神国〟なのであります。
 そして、日本人は、この日本国を「日本神国」「日本神国」と呼んでいたのであります。「神国」に〝神の子〟たる日本人が天照大御神の子孫である天皇さまを中心にして住んでいる清らかな国が日本国ほんらいの姿だったのであります。それで日本人のことを「神洲清潔の民」といいました。それなのに西洋の科学文明が入って来て〝国〟というのは、鉱物で出来ている土の塊だくらいに考えて、何も尊いことも何もないと考えはじめました。


◆ 善の代りの語に〝清明心〟といった

 日本人は〝神洲清潔の民〟でありますから、日本人ほど清潔を尊ぶ民族は他にないのであります。『古事記』にある神話の中には天照大御神さまと、須佐之男命さ(スサノオ)さまとが、「受霊」といって、互いの霊を取り交わして、どちらが善かその善悪を定める場面が描かれておりますが、その時に、「心が善い」という言葉の代りに天照大御神は「汝の心の清明(あか)きことはどうしたらわかるか」と仰せられ、須佐之男命は「わが心が清明き故にわたしの魂から、やさしい女の子が生まれた」といっていられます。善とか悪とかいう言葉を使わないで、心が清く明らかで陰気に曇らないのを古代の日本民族は〝善〟であるとしたのでありまして、近代人の考えているような、「こうするのが、悪である」とか「こんな行いが善である」とかいって、事こまかく一々の行ないを定めるのではなく、清く明らかな〝清明心〟をもった者を〝善〟であるとしたのが日本人だったのであります。
 いちいち〝これは善、これは悪〟と分類して、こまかく分けて研究するのは科学的精神でありますが、〝科〟という字は「枝」という意味の字で、科学をこまかく枝を分けて分析的に分析して研究する、「科(えだ)の学」であります。日本人は〝善悪〟といわずに〝清明心〟といったところに、まことに一つにまとめる日本人の心があらわれているのであります。


<了>

1789とおりすがり:2012/12/10(月) 15:03:43 ID:???
>>1784

『藭ひとに語り給ふ』は、光明掲示板でコスモス様がすでに謹写しておられます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=819

1790とおりすがり:2012/12/10(月) 15:06:19 ID:???
十一日の経言(のりごと)――

【善と健康とを実現する言葉】

吾れは善事を求める。善事をのみ求めるのである。
吾れは万物のうちに、そして万人のうちに神の『善』の宿るのを見る。

神は『善』である。
そして吾が求むるもの、吾が思うものを、何よりも先ず与え給う。

吾れは神を吾が『愛深き父』『優しき救い主』だと認める。
吾れは凡てのうちに宿る神の調和と、宇宙にみなぎる愛と心とを感ずる。
神は凡ての者の父であり給う。

それ故に吾れは万人を吾が友、吾が兄弟であると観ずる。
誰も此の世界に吾れに敵対する者もなければ、
吾れも亦此の世界の誰に対しても敵対しないのである。

全人類は吾が親戚であり、吾れは全人類の友である。

吾れはいま万物、万人および宇宙を司どる法則が
吾が心を反映するものであることを知るのである。
―― それ故に、吾れは高き善き想念のみを心に描きつつあるのである。

吾れはいま最も輝かしき信仰と、朗らかな情緒とで満ちあふれているのである。

吾れは、『悪』に与えた力を取り返すのである。
即ち『悪』が実在すると云う思想を撤回する。
それ故に『悪』は今本来の『無』に帰したのである。

吾れはいま円満完全なる神の子である。

吾れは完全なるものと調和せるもののみを思考する。
吾れはいま健全と調和とのみを宇宙より受けるのである。
宇宙の心は吾が想念に全く相応ずる事物を造って呉れつつあるのである。

吾が想念は完全円満である。
吾が信仰は確固不壊である。

吾れは自己が完全に健康であることを思考する。
いま、吾れは既に癒されたのである。

つねに吾が求めを聴き給う神に感謝致します。

いまより吾れは神と偕(とも)に語り、神と偕に歩む。
それ故に吾れは吾れを信じ、総てのものを信ずるのである。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1791さくら:2012/12/10(月) 17:25:22 ID:Ox.iz1Zc
>>1789
通りすがり様

教えて頂いてありがとうございます。
『神ひとに語り給ふ』のすべての神示を拝読でき、コスモス様の素晴らしい愛行ですね!

わたしもこの度、自分の学びのために謹写させて頂いて、この神示の内容の深さに打たれています。

追放されてしまいました掲示板ですが(笑)、
同じ生長の家の真理に触れて学ばせて頂けるとは、
…なんて素晴らしいんだろうと、感激しています。

どうぞまた、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。



1792SAKURA:2012/12/10(月) 20:01:27 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』

❤ 生理的状態は暗示によって感染する   その①
======生命の実相 2巻から抜粋=========================
 精神的感染によって、あくびという生理作用が感染ったり、人の涙を見てこちらも涙が出た
り人の食べるのを見て唾液が出たりする事実は、誰でも知っているところであります。これを
見ればわれわれの心の状態がどんなに生理作用に影響を及ぼすかは考えてみてもわかるのであ
ります〜〜云々〜〜ラジオ・ドクタ−が衛生のことや健康法のことについて説くことは参考に
なります。けれども、黴菌の恐るべきことや、人間が少しでも不注意であれば病気に冒される
ことなどを説いて、恐怖心をそそることは感心しないのであります。それは人々を病気の想念
の中におくことになりますし、病気の想念により喚起された恐怖心によって、生理作用が攪乱
され、病気に対する抵抗力が鈍ってしまいかえって病気になってしまうのであります。予防医
学は社会政策的立場において必要でありますけれども、すでに病気になっている人が、通俗医
学の書を読んだりラジオ・ドクターの病気恐怖の話をきくのは必要でないばかりか、恐怖心を
そそられて病気に対する抵抗力を薄弱ならしめますから、なるべく避ける方が結構であります。
                             (谷口雅春著)
==========================================

■“病気になる事”は、以前の“心の種をまいた結果”でしょうか???たとえばですが?
父親が【癌に侵されて病気】になりまして、悲しいかな?死亡…そうしますと、人間の潜在
意識の中に【自分もいつか〜〜〜“癌…”になって、同じような死を迎える】という
“恐怖心の種”が、無意識に植えつけられて、いつか月日が立ち【時間・空間】でしょうか?
忘れた時に“恐怖の病気の芽”があらわれるのです〜〜〜ョネ!!
                          つづく

1793SAKURA:2012/12/10(月) 20:03:27 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>投稿の続きです。…が


■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
>>1792投稿の続きです…。

❤ 生理的状態は暗示によって感染する  その②
これは【三界の唯心所現】として現れる!「生長の家の人」ならば、必ず知っています言葉!

■私も“5歳の頃交通事故…”に遭い、その時、空中に跳ね跳ばされて運よく“木の枝”が
クッションになり、一命を取り留める結果となりました。…が?ですから“顔のホホ”に、
傷が出来ておりまして“4センチ”くらい縫合しております。当時の医療では難しいのです
が、私の記憶では、車に乗せられて横になって運ばれていく光景を、今でも覚えています。

その後、手術が無事にすみ、目が覚めて“顔のホホを中心に包帯…”更に、腕も骨折です。
ですから、三角巾??みたいな固定していた感じ?当時の包帯をした“姿…”が、この頃よ
く浮かんできます私です。その時、当然の事ながら頭部を打っていますから「体の後遺症」
がと?当時の“両親の恐怖心”は???多大なものであった事でしょう。
ある時…小2の頃でしょうか?「担任先生」が“左の聴力”が、以前より聞こえがオカシイ
のではないのかと言われて、“病院…”へ、その時の病院の担当医の先生は、頭部を打ってい
ますから、今回は、運よく“無事”に乗り切れましたが、今度、なにか事故で…例えば、
頭部を叩かれたり?打ったり?このように“頭部”に何らかの力で、損傷しますと神経系が、
侵かされる事になると…つまり■【聴力喪失…】を言ってた事を「亡き母」は、良く言って
いましたから、私は“潜在意識”で、常に“交通事故…”を、再度!起こさなければいいと
思い、そうしますと、潜在意識に【 “大丈夫!”事故が起きなければいい!! 】と…、
いつかその自覚を、忘れてしまい、そうこうしています内に【21歳の夏の頃…の出来事】…
これが「タタキ男」に叩かれ“出血…”です。
その後、忘れもしませんが“22歳の3月10日の朝”に目が覚めても“音〜♫〜”が全く><
前日の【音のある世界…から…音のない世界】に、当に【暗闇の世界…】に引きずり落とされ
この日が【聴力喪失…日時】に、なりました。

■逆に今思いますと【 心 の 法 則 】 つまり“両親の言葉の念?”で、この様な
“悪い男…タタキ男”に、想念感情から結ぶ事となつたのでしょう〜〜〜。
「種をまく!」のも、やはり“いい種”を巻く事が、その後!結果として“大輪の花”が、
咲くのではと思います。…が?この【タタキ男の執着…】は、今日でも“腹”が立ちます
が、それを「雅春先生の言葉」から…【こころで縛りますと、また同じ繰り返し〜】になり
【四次元の世界…】に入っていくようなモノです〜〜〜ョネ!!この様に、毎日!毎日!
“決めつける事=思い込み事”は、必ずその時は、一時的にごまかしても、必ずや!
化けの皮が、出てくるのですから、そう断言して思うこの頃です。【円環…】

■あの「ヒットラ−の時代」も“永遠”には続かなかった事でしたでしょ〜〜〜う!!
これにならって【必ず!今は善くないけれど…必ず!良くなる事を信じて進む事】に、心を
振り向け…そして【祈る…】事が出来る人が❤〜【人生の勝者…】と思う次第です。

最終的に、相手に“恐怖心”を与える言葉を使用するよりも“希望の言葉”が一番!!
しかも【 正しい希望実現の言葉…】でしょうかと。?

1794ハマナス:2012/12/10(月) 23:45:21 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

野生の鳥は風邪を引かない  (『新版 生活の智慧365章』P.309)

 野生の馬は決して風邪を引かないけれども、人間がそれを捕えて家畜とし、厩に入れて
風邪を引かぬように夜は毛布を掛けてやるようにすれば、毛布を忘れたときは風邪を引く
ようになるものである。野鳥はどんなに寒風に晒(さら)されても風邪もひかず霜焼にも
ならないものであるが、これを捕えて暖かい部屋に入れ、風邪を引きはしないかと人間が
心配してやれば風邪を引くようになるものである。これは人類意識と飼主の病的意識に
巻き込まれてその影響を蒙(こうむ)るからである。謂わば、動物に対して人間が「知恵
の樹の果(み)」を食べさせて病的精神に教育した結果なのである。

 病理学 の本を読み、栄養学の本を読み、薬剤の広告をラジオで聴かされ、テレビで視聴
させられて人間は必ず「病むべきもの」と云う印象を潜在意識にたたき込まれれば、集団
インフルエンザで学童が集団欠席を必要とするような事態を生ずるのである。このような
マスコミの力で「言葉の力による病的観念」を吹き込まれておれば人類は益々不健康になり、
医者と薬が唯一の頼りとなり、医者が集団休診すれば、どうなるかと恐怖しなければなら
なくなるのである。併し、本当に病気を治してくれるものは、自己の生命力そのものだと
知らなければならないのである。

感謝合掌

1795a hope:2012/12/11(火) 08:27:19 ID:ueIDSztA

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦愉快でいることを義務と思え(P94〜)

人間は愉快でいることを義務だと思うようにならなければなりません。
自分の顔は自分の勝手だから、どんなにふくれ面していても、ほって置いてくれたら好いと考える人があるかも知れませんが、それは大変な間違いであります。

自分ひとりが不愉快な顔をしているために、その周囲(まわり)の人たちがどんなに不愉快になるかも知れません。
不愉快な顔をしているだけで、その人は周囲の人たちに大変な害を与えているのです。

家庭で誰かが膨れ面(ふくれつら)をしていて面白くない気分に皆がなったために、その日仕事へいって怪我をしたなどと云うことはよくある例であります。
不調和は不調和を呼び、調和は調和を招くのであります。


明るい心のものは繁栄を引寄せます。
誰でも明るい世界を好むものです。
赤ん坊を寝かせて置いても明るい方へ顔を向けます。
誰でも愉快な楽しい顔を見ることを喜ぶものです。
吾々は本能的(うまれつき)に暗い顔や、ふさいだ顔を見るのを好みません。

日本人はとかく、あまりにも鹿爪(しかつめ)らしく、苦が虫がおおいようです。
そうして暗い不愉快なところには善い仕事は出来ません。

仕事が激しければ激しいほど、心に光をさしこますことが必要なのです。
心に光がさしこまないで激しい仕事に長く堪えることは出来ません。
野球の試合や、ラグビーの試合は、激しい仕事ですけれども、心が愉快で明るい気持でやっているから決して疲れないのであります。

愉快な楽しい顔をしている店員はお客様を沢山ひきよせます。
不愉快な顔をしている店員が店にいては、その品物は上等でも売行はよくありません。
だから普通店番には愉快な愛嬌(あいきょう)のよい娘などを置くのです。

これは別に娘を売物にすると云う訳ではないのです。
人間は他の人々に好感(よいかんじ)を与えるようでないと、他から協力(ちからをあわす)されるものではありません。
よい感じをあたえることそのことが、サービスであり、世のためになることなのです。
(つづく)

1796SAKURA:2012/12/11(火) 20:33:40 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  病気の真の感染原因
======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気は物質的感染によっても起こる場合もありますが、その根本原因は、物質的感染を
容易ならしめる薄弱な抵抗力と、その病気の忌まわしい症状を心に描く連想作用とが、病
気感染の有力なる精神的土台を作るのであります。 食中毒を起こして下痢をして赤痢に
なったというがごときは、赤痢菌の感染による場合もありますが、その食事の時「これは
変だ」と思わしめるのがあったか「あまり水を飲みすぎてお腹がじゃぶじゃぶする」とか、
「お腹が冷えた」とかいう感じが病気を連想せしめて、 胃腸の消化作用を弱め、腸内消
毒作用をもつ胆汁の分泌などを少なくし、ついに病菌に打ち勝った抵抗力をなくして病気
を起こすのであります。                 (谷口雅春著)
==========================================

■病気になりますと、必ず!【原因・結果の法則】があるようにも思えます。ので、病気の
原因をつきとめていきますと、必ず!心からの“精神作用”が多大でしょうかと??まれに
【外部要因…】で起こる事も、本当にありますモノ! 私の経験ですが、今!思いますと、
当にそのような事が、度々起きたのです。…が?

■此処で、当時「千葉の行徳在中の頃」の出来事です。そこの“賃貸住居…”で、やはり?
今振り返りますと【水…】に、何か?異物が混入された感じの経験があります。…が?
その時は、知らずに【水…】を使用していましたら“パ−トナ−”は胸にしこり、そして、
私も“出血”が頻繁に起きるようになり、当時の私の潜在意識には【病気はない!!】と
固く〜固く〜信じていました時に〜〜〜エッ!【パ−トナ−のガンの早期発見】でした。

その時、自分の病気の事に“心を振り向ける”よりも、ひたすら“パ−トナ−のガン”に
集中!!の私でした。…が?当時は、まず【祈り…】そして【治る…】これのみを“集中”
していましたら【検査の結果…】2週間後に“ガンが消えて”いましたが、この時、私も
気がつきますと【自分自身の出血も収まり】当に【祈り…】で、全て治ったのです。ややも
しますと“病気”は不安ですが、此処で【 一念集中して祈り…】に徹し、心を振り向ける
のですから、この時こそ【チ ャ ン ス 到 来】なんでしょうかと思います。それは当に!

今!今しか出来ない事を、神様が私に“振り向かせる事”その気づき…頂いたものと!
本当に【心 の 法 則 の 訓 練】なんです〜〜〜ョネ!!

「唯物論的…原因」??その前に、全ては【心の精神作用での病気】言い換えますと、すべて
【自分の心の影…迷い】ですから、必ず“治る事”を信じることが、そしてこの事への
【持続精神作用…】が必要かと思えます。
【病気こそ正しい道徳観念の気づきをもつ“チャンス到来”】と解釈しても良いかと思えます。

■■“言葉の力”で……プラス思考の暗示を続けましょう。そうしますと、必ず!
【無限の宝庫…】があらわれる〜〜〜〜そう!「なんでも出来る!無限力」

最後に、今の私は、この時の“心境”を思い出し【獅子奮迅にて前に進む事!!】でしょうか?
「病気本来無し…」これこそ【無の境地…】でしょうか〜〜〜?

1797ハマナス:2012/12/11(火) 23:48:11 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

薬剤に服従する勿れ(『新版 生活の智慧365章』P.310)

 栄養学に執(とら)われて、幼児に毎食、食膳にビタミン錠剤を与える習慣は、多くの
場合に於いてその子供に物質殊に薬剤に頼らねば健康が保持できないと云う観念を与える
ことになるのであり、従って幼児に病気が絶えないようになりがちである。かく言えばとて、
ビタミンBや必須アミノ酸が子供の発育促進に必要でないと私は言うのではないのである。
ビタミンB群や必須アミノ酸は発育促進に欠くべからざる栄養素であるけれども、それは、
幼児に“薬を与える”と云うような形式で与えないで、唯、自然の食物を与えているような
形で与える方がよいと云うことである。

 幼い時に潜在意識に「人間が薬剤に屈従する」と云う観念を植えつけると、成人してから
も長く「人間は病むべきもの」と云う観念から脱却するのになかなか手数がかかるものである。
幼いときから子供に対して、「人間は神の子よ。病気なんかには罹(かか)らないものよ」と
常々言ってきかせて置くことは、子供を常に無病にして置く秘訣である。

感謝合掌

1798a hope:2012/12/12(水) 07:03:49 ID:w2ws6uag
みなさま おはようございます。

わたし専用のパソコンの調子が悪いので(今朝は起動すらしません・汗)、
今朝は聖典謹写をおやすみさせていただきます。

感謝 合掌

1799「訊け」管理人:2012/12/12(水) 07:32:16 ID:???

十二日の経言――

愛と繁栄とを実現する言葉

 いま吾が生活を支配する法則は、愛と信仰と繁栄と、そして真理とである。吾れは何の間違もなく吾が未来を透見し得る ―― 何故なら吾れは今日(こんにち)未来の刈入れのために善き種子(たね)を蒔きつつあるからである。
 われは善き収穫を預期する。それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。吾れは神の御手に吾れを委(ゆだ)ねる。神の法則は愛である。愛なる神に感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1800さくら:2012/12/12(水) 08:33:45 ID:e8ieIrPA
『新版 叡智の断片』

谷口雅春先生

「意識的世界に高く向上するためには、無意識の世界に深く没することが必要である。
大寂の世界から浮かび上がって来た生命のみが常に清新である。」

1801SAKURA:2012/12/12(水) 19:52:49 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793>>1796>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  人類意識と個人の潜在意識との問題

======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気の知識のない子どもには、病気に対する恐怖心などというものはないのであろうに、
病気にかかることがあるのは、病気が決して心の作用によるのではなく、じっさいに物質
的原因で起こる証拠ではないか――という人があるかもしれませんけれども、それは赤ん
坊の「意識」といえども「人類全体の潜在意識の大海原」の中に動いている「一波」なので
あります。したがって無邪気な赤ん坊の意識は「人類全体の病気を信ずる心」の波動に常に
乗せられて動いているのでありますから、親が病気を思わないでも、本人が思わないで赤ん
坊は病気にかかるのであります。そしてまた「こうしたら病気が治る」ということをすれば
病気がなおるのであります。               (谷口雅春著)
==========================================

■前回!記しました様に、本当にそうなのです〜〜〜ョネ!と、改めて思います、
【念の波動…】を、知らずに受け入れる!これは「無意識な状態」での事でしょうか???
「雅春先生」のおっしゃる言葉から❤〜【 「人類全体の潜在意識の大海原」 】これが
【念の波動】なんです〜〜〜ョネ!!そうしますと【 密教 】も、それに当たります。

…が?

【 密教 】とは???実際に“行”じています「黒幕デザイナ−」・「吸血鬼」・「ゾンビ」が、
更に「元々元W会長」達…もでしょうか【密教の対象…】にしています「人?」もしくは
「赤ん坊のような素直な心の人?」へ…… 知らず知らずの内に…【潜在意識…】に入れ込む
【念の波動…】が、あるのです〜〜〜ョネ!!
これを知らずに受けた方は??その人の心の中に【悪感情…ネガティブ感情】がありますと
この念波と同調し“アクシデント”が起きる事となりますでしょうか?? 逆に申しますと
この【悪念波…密教】を受けた方が、これを知って“捕まえない心境”そうなのです〜〜ョネ!

■【放つ心…捕まえない心】が、一番の対処法でしょうか?
「生長の家…現象なし!物質は無い!心も無い!……」従いまして…「無い…の世界」かと。
そして、心が【正しい心境・境地】に入っていきますと、この様な
「人類全体の潜在意識の悪波動」を、つまり受けつけない事になるはずなのです。

そうしますとこのような【環境は心の影という事!!】になります〜〜〜ョネ!!今の私は、
彼等の仕業に、更に!彼らの“心の貧しさ?=低級霊”に、引っかからない様にと…
【無我の心境】として…
【人間としての大きな使命観】をもちまして、前に進む事と・・・でしょうか??
                        
  再合掌

1802ハマナス:2012/12/12(水) 23:24:10 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

医者と薬をアクセサリーとする勿れ  (『新版 生活の智慧365章』P.311)

 一寸とした病気にも医者にかかることを、裕福な経済力ある家庭の名誉の如く考えてはならないのである。
なかには医者に罹っていないと、何だか頼りないような気になる婦人もあると云うことである。そうなれば
病膏肓(やまいこうこう)に入ったわけで、医者に罹ることや、薬剤をたしなむことが、一種の生活の装飾
となり、アクセサリーとなるので、それがなければ淋しくなり、淋しくなった時分に病気にかかり、医者に
罹って薬を飲んでそのアクセサリー欲を満足すると、その病気が恢復するのである。

 若し人がこのような状態に陥るならば、それは正に“知恵の樹の実”をたべたアダムとイヴとになって
しまうのである。これらの人はインテリではあるけれども、自分の食った知恵に縛られて自由を失った状態
になっているのである。即ち「エホバ神アダムを召(よ)びて之に言いたまいけるは汝は何処におるや」と
言うようになるのである。最早かれの心は「神の国」にはいないで、迷いの国にいるのである。「エホバ神
彼をエデンの園よりいだし其の取りて造られたるところの土を耕さしめたまえり」(「創世記)、第三章」
と云う楽園追放の状態になるのである。「土」とは物質の象徴であり、唯物論的人生観を耕して、乏しき
世界に悪戦苦闘をしなければならなくなるという意味である。

感謝合掌

1803「訊け」管理人:2012/12/13(木) 10:15:17 ID:???

十三日の経言――

信仰と愛を昂める言葉

 吾れは、神は生命(せいめい)であり、愛であり、そして智慧であることを知る。吾れは神と一体であるが故に、吾れは神の生命と愛と智慧とが吾がうちに宿っていることを知る。吾が裡(うち)には広大なる信仰が植えつけられているのである。吾れは無限愛の持主なる神より流れ出(いで)たところの新しい信念を感ずるのである。吾れのうちに、吾れの上に、吾が周囲に、神が隅々に行き亙(わた)って神の愛は宿っているのである。神のすべての力すべての愛は吾れに与えられているのである。吾が心は完全に浄まっているのである。
 吾れは今神の与え給う最高のものを受けつつあるのである。吾れは今深き歓喜と感謝とに充たされながらそれを受けつつあるのである。吾が求めに常に応えたまう吾(わが)父なるあなたに感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1804SAKURA:2012/12/13(木) 20:05:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793>>1796>>1801>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  通俗医学書の功罪
======生命の実相 2巻から抜粋========================

 したがってわれわれは人類の病理学的知識がどんなものであるか、治療学的知識がど
んなものであるかを知っておくことはある意味からいって必要なのであります。人類の通
念は、それを現在意識が知ると知らざるとにかかわらず(潜在意識はそれを知っているが
ゆえに)それに触れると害せられ、それに従うとつごうがよくゆくのは、法律はそれを知
ると知らざるとにかかわらず、触れた者は罰せられるようなものであります。だから人類
全体または一地方、一時代の多数人が「これは害がある」とか「こうすると病気にかかる」
というようなことはしないほうが「君子危うきに近寄らず」ということになるのでありま
す。しかしここがむずかしいところでありまして、「これはいかぬ」「これは善い」といろ
いろのことを知りますと、いわゆる「知恵の樹の果」をたべた結果となりまして、生活の一
挙手一投足が戦々競々として、ただこれ、栄養学に、衛生学に、予防医学にかなわざらん
ことを希うことになりますから、常に病気恐怖に心がとらえられ、ちょっとしたことにも
病気を連想し、心に描くものが形にあらわれるという原則にしたがってかえって病気にか
かりやすくなるのであります。            (谷口雅春著)

=========================================

■【知識…】は、知らないより知った方が、いいです〜〜〜ョネ!良く言われます処の
【知らずにします事より、知ってした方が大きなやけどもしません】ですから…そう!!
“知識”を習得しますと、潜在意識に無意識なる“行動”が…“ラクな方”を求めやすい
のカモ…そうしますと【楽々に治る!全てが順調にいく!…】この様になりますでしょうか?

たとえば【金…】をもっていれば、なんでも出来ると、考えやすく、そこから本人の
【自己中心的なる行動…】が生じますでしょうか!【楽〜楽〜〜〜〜♫〜〜】たとえ
不利な状態でもそこに“金”という“ステ−タス”を置いていますと、そこに、その人は
猛進なのです〜〜〜ョネ!!相手の“不幸”とか顧みずと…とりあえずは“表面上”を
つくろう形での“行動”ですかと?

このような人種が「黒幕デザイナ−」と「吸血鬼」「ゾンビ」達…でしょうか???そして
「吸血鬼」「ゾンビ達」は、必ずその言葉の中に似た“表現言葉”で、それは、必ずや
【暴力団…ヤクザ…金…】此の言葉が〜〜〜出てきますネ! これは、ある人に取りネガティ
ブ感情を与えますモノと…そして、この人に取りましては、相手の感情を“ネガティブな状況
へと催眠状態…に導く手段“でしょうか〜〜〜??
これは先生のおっしゃいますように「君子危うきに近寄らず」に当てはまります。…が?
ですから【正しい知識】は、大事なのです〜〜〜ョネ!!【真理…】を、正しく表現できる
ように今の私は、前に!又一つ…前に!進む過程なのですが???そして、【正しい心の法則】
を知りますと、こような人達と関わる接点も?必要性も?自然と消滅するのです。

皆様は、本当に“悪しき言葉…”は、それだけの【価値観…】だと思います。…が?
■■悪い「知恵の樹の果」食べないことは【日々…の祈り】になるはずです。…が?

                          再合掌

1805さくら:2012/12/13(木) 20:45:56 ID:e8ieIrPA
『到彼岸の藭示』               谷口 雅春先生
 
             聲字即實相の藭示

吾が第一の藭殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成の年になりて吾が第一の藭殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
七つが事物の顕現の周期律になつてゐる。吾れに藭殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が藭殿は築かれる。

吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が藭殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたのが『生命の實相』の本である。
『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出來て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。

今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁つてゐたから、宇宙の萬物の運行が亂れて生活苦や、病氣や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起つたのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後は何事も急轉直下する。

『生命の實相』を披らくだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相を知り歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟に過ぎない。その歓びの相こそ人間の生命の實相である。

吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披らいて讀むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開けば形の理想世界が成就するのである。

今は過渡期であるから、假相(かりのすがた)の自壊作用として色色の出來事が突發する。
日支の戦ひはその序幕である。
藭が戦ひをさせてゐるのではない。

迷ひと迷ひと相搏つて自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしつかり握つて藭に委せてゐるものは何も恐るる所はない。

(昭和七年一月十一日藭示)

1806ハマナス:2012/12/13(木) 23:08:41 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

神を差し措いた技術 (『新版 生活の智慧365章』P.312)

 神は一切の実在(本当に在るもの)の本源であり、本当に在るものは唯、神のみから生じた
のである。さすれば、本当に癒す力も唯神のみから来るのであることは当然である。神を差し
措いて、自分だけの力で何事にても成そうと考えるところに唯物論者の間違があるのである。
化学薬品はある毒素を分解し、又中和したりして毒性を和げることが出来る。しかしその分解
産物や中和産物を体外に搬(はこ)び出して血液を浄化し、毒素によって荒らされた肉体組織を
新たに修復するのは神(即ち自己に宿る生命力)によるほかはないのである。

 物質は他の力によって動かされ、且つその惰力によって動くほかは、自動することができない
のである。従って、自己に宿る生命(神)の叡智がはたらいて何処に何の成分を保存し、何の
成分を排泄し、如何に分子組織を変化して“生きた細胞”としてそれを組み立てるかは、知性の
ない「物質」それみずからの力にては出来る筈はないのである。つまり、病気や毒物で破壊され
た組織を完全に修復するには、叡智が必要なのであって、その叡智は自己の「内に宿る神」(生命)
の力に俟(ま)つほかはないのである。神を無視した医術などはあり得ようがないのである。

感謝合掌

1807a hope:2012/12/14(金) 06:51:22 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦常に愉快な顔をしましょう(p96〜)

愉快な心を持つことは何をしなくともそれだけで大変よい事をしていることになるのです。
自分が楽しい顔をしておれば、自分の周囲(まわり)の人が、その顔を見るだけでも楽しくなります。

御飯の時にあなたが「おいしい、おいしい」と云ってニコニコしてたべれば、あなたの消化(こなれ)がよくなるばかりでなく、
あなたのお父さんの、またお母さんの、兄さんの、姉さんの、消化もよくなるのです。

福山の佐々木流道(りゅうどう)さんと云われる医学博士は、唾液(くちのなかのつば)の消化力を研究して
医学博士になったひとですが、その人の研究によりますと、普通の時の、普通の人の唾液は千五百単位と云って
唾液(つば)の分量の千五百倍の澱粉(でんぷん)を消化する力をもっています。

澱粉と云うのはお米や、麦や、ウドン、ソーメンなどに沢山ふくまれているもので、
人間にとって石炭のような働きをするものです。
人間の身体(からだ)に「体温」といって温か味があるのは、その澱粉が唾液や膵液(すいえき)の力で砂糖分にかわり、
それが血となって身体をめぐって少しずつ燃えているからであります。

だから澱粉が唾液の力で砂糖分にかわらないと、身体の中で燃えませんから、
石炭や薪(まき)をくべないでお風呂をわかそうとするのと同じで、だんだん人間は元気がなくなり痩せてしまいます。
だから、この唾液の消化力を強くして置くことが必要なのです。

長生きした人の唾液をとってその消化力をためして見ますと、たいてい二万倍の澱粉を消化する力をもっています。
だから長生きしようと思うと、唾液の消化力を強めて置かねばならぬ事がわかりましょう。
(つづく)

1808「訊け」管理人:2012/12/14(金) 12:02:06 ID:???

十四日の経言――

新しき計画を生む言葉


 吾れは創造者なる宇宙霊と一体である。宇宙の心は、吾れに依って完全に自己を表現しようとしているのである。吾れは神とともに創造する使命を与えられたのである。今、吾れは創造せんとする理念と構図でみたされている。
 吾れは一切のものを造りたまいし智慧そのものと一体である。吾れは何を思考し何を造るべきかを宇宙の心に教えられるのである。吾れはいまより神の霊に導かれて巧みにそして完全に創作することが出来るのである。吾れは新しき力と能力とを感ずる。吾れは心も肉体も新生したのである。吾れは歓びと希望とに雀躍(こおどり)している。吾れは智慧そのもの真理そのものが自分に宿っている事を感ずる。それ故に吾が創造力は完全である。創造者たる宇宙霊に感謝し奉る。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1809「訊け」管理人:2012/12/14(金) 21:09:47 ID:???

十五日の経言――

自信力を増大する言葉


 吾れはいま見えざる力に結ばれている。吾れは神と一体である。神のもち給える一切のものを吾れも亦有(も)つのである。天地をつくり給いし神より吾が援(たす)けは来(きた)るのである。神の力は同時に吾が力である。吾れは神の子である。吾れは神の有(も)ちたまえる一切の物の継承者(よつぎ)である。

 神は力そのものである。それ故吾も亦力そのものである。神は智慧そのものである。それ故、吾れはあらゆる場合に神の智慧に導かれる。神は貧しさをしらない。其れ故、吾れも亦貧しさを知らない。神は愛そのものである。其れ故、われは慈悲と愛とにみたされているのである。神が満たしたまわない欲望は吾れに一つだにないのである。神の目は雀をすら見まもり給う。それ故神が吾れを見まもり給わない筈はないのである。吾れは吾がうちに宿れる神性を自覚して歓喜勇躍している。吾れは神と偕(とも)なるが故に、如何なる禍(わざわい)をも恐れない。常に永久に吾れは与えられて不足すると云うことはないのである。

 今、吾が求めはなされたのである。吾が求めは今なされたのである。吾が求めを常にききたまう吾が御祖(みおや)の神に感謝します。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1810さくら:2012/12/14(金) 22:08:31 ID:e8ieIrPA
心の法則”と“平和への道”の藭示            谷口 雅春先生

 吾が來れるは古へ誤れる道徳観念を修正し、新しき正しき生き方を人類に示さんがためである。
『治にゐて亂を忘れず』と云ふのが古き人類の道徳であつたが、『生長の家』の生き方は亂にゐて治を忘れざる生活である。

亂を忘れざる者はつひに亂に逢ふ。亂を忘れざるが故に常に恐怖し、亂を忘れざるが故に武備をたくはへ、武備を蓄ふるが故に近隣を威脅し、近隣を威脅するがために、近隣また恐怖して武備を増す。

かくの如くして近隣兵を増すを見て、また自國は更に兵を加へて互に虎視眈々として近隣相睥睨す。武備に國費を要し、教育費は削られ、俸給は縮められ、民に正色なく、國に寧日なきは當然である。

汝ら、若し治にゐて亂を忘れざらばつひに亂に會ひ、亂にゐて治を忘れざらば平和に逢はん。亂を忘れざるを教へたる古き教も吾前には愚かなる者なるかな。
治にゐて亂を忘れざる者は健康にゐて病ひを忘れざる者である。健康にゐて病ひを忘れざる者は、如何なる善行の者も、如何なる積徳の者も、すべては病ひに逢わん。
忘れずと云ふことは、心の力にて呼び寄せることを意味する。

求めよ、與へられん。呼べよ、答へんと吾れ汝に告げたであらう。
呼ぶものは皆來ることを疑ふな。
高徳の人が病氣になるのは實に不思議だと思ふ人があるかも知れぬが、治にゐて亂を忘れざるを高徳と称すべくんば、健康にゐて病ひを忘れざる高徳者が、病氣になつたとて不思議ではないのである。吾れは汝に、死を豫想するなと言ひ、遺言状を書くなと教へたることがあらう。
また、不幸に對して用意すな、病氣の起る時の用意をして薬をて携へ歩むなと教へたことがあらう。
すべて是れ『心の法則』である。如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。

如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。
汝ら心して亂を思ふこと勿れ、心して病ひを思ふこと勿れ、亂の眞つただ中にゐてすらも、實相の世界の常住平和を思へ。
汝ら眞に實相世界の平和を思へば、汝の世界にも平和は來たるのである。
また汝ら病ひの眞つただ中にゐてすらも、本當の汝の常住健康を思へ。
汝ら眞に實在の汝の健康を念へば健康は來たるのである。

されど悲しいかな。いま實在世界の常住平和を知るものは 寥々なる暁天の星であるぞ。
いま皆のものは一刻と雖も亂を思はない時とてない。
逆の精神波動が積り積つて、汝ら世界はもう累卵の危ぶさである。近いうちに汝らの世界には一大変動が來るであらう。迷ひの自壊作用である。
○○は○○○と戦はねばならぬ。
藭はその時の惨害を出來るだけ少なくするやうに努力してゐるが、人間の方でもその惨害を出來るだけ少なくするやうに協力するやう頼む。

協力と云うても何も難しいことではない。亂の中にゐても心の平和を失はぬ修行をすることである。そのためには常々藭想観の修行をさしてある。

(昭和六年五月三十日夜藭示)

1811a hope:2012/12/15(土) 06:10:00 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦どうしたら唾液の消化力が増すか(p97〜)

それでは唾液の消化力がどうしたら強まるかと云いますと、食べ物を見て「美味しいな、有りがたいな」と喜んで、
感謝して、そして、充分「たべたい」と云う気持を心にしっかり起こしてから食べれば、その唾液(だえき)の消化力は、
二万五千倍の澱粉(でんぷん)を消化する力があると云うことを、佐々木博士は実験せられました。

だから食べ物はよく見もせずに呑み込まずに、充分にその美味しそうな色や形を見て、
「おいしいな、たべたいな」と云う気持ちを起して、
「神様からこんなに美味しい食べ物を頂いて有り難うございます」と感謝しながらたべなさい。
すると、どんな食物でも、よく消化して血となり肉となるのです。

佐々木博士は、また好きな人の顔を見ながら、うれしい気持ちでお食事をすると、
唾液の消化力がすばらしく強くなると云うことを実験なさいました。

ですから御飯をたべるときには、いつもあなたがニコニコしていれば、
可愛いあなたの顔を見ながらお父さまも、お母さまも、兄さまも、姉さまも、みんなうれしくなり、
お父様もお母様も、兄さまも、姉さまも、食べ物がよくこなれて長生きをして下さいます。
(つづく)

1812SAKURA:2012/12/15(土) 21:56:59 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793>>1796>>1801>>1804>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①
❤  病気の精神的感染を防ぐ法

======生命の実相 2巻から抜粋========================
 そこで栄養学や衛生学や予防医学は知っておかねばなりませんが、それはただ参考にし
ておくくらいで、「人間は神の子であるから、かかる学説を自分の道具として使用するこ
とはできるが、かかる学説に支配され奴隷となるものでない。『神の子』たる人間の権威
を自覚した者はいっさいの主人公であって、決して物質の法則には害されないものではない」
と常に確乎とした信念をもっておりましたら、通常なら人類の通念に抵触して病気にかか
るはずのときでも、病気にならないですむのであります。子供がもし人類の病気を起こす
潜在意識に抵触して病気にかかったり、かかりそうな予感がした場合には「自分の子は神
の子であるから、決して人類の病気の通念によって害されるものでない。自分の子は神
の愛に護られ、常に安全であり、ただ健康のみなる実相の世界に住んでいるのであるから
あんしんである」と強く繰り返し念じて、恐怖の観念を取り去り、病気の人類通念から超出
してその波長に合わないようにしてしまうことが必要なのであります、もし人類の病気の
一般的通念からその母親が超出することができましたならば、母親の「人間、神の子。病
気無し」の信念が子供に反省して、子供が病気にかからず、また病気にかかっていてもす
みやかに治ってしまうのであります。 (谷口雅春著)
=========================================

■そうです〜〜〜ョネ…! このような捉え方の尺度を【老人症…】として捉えますと、
近頃は、思うのですが?確かに【長生き…平均寿命は延びましたかと】それと、相反する
に【認知症……ボケ症状】とか【そう欝症】とかの新たなる“病気かと”…??
❤〜「人類の通念に抵触して病気にかかる」余の“念…”でしょうか???これと同様に、
“高齢…”になりますと、誰しも先の将来の不安があるのではないでしょうか……??

■そのような時【決して“人類の認知(ボケ症状)?・老人症?】は無いと…唯、健康で
私は「愛念の世界…」に入っていく“心境へ念を送る事”でしょうかと???そう!!
それは、強い【意志=意識】になるのです〜〜〜ョネ!!

                つづく

1813SAKURA:2012/12/15(土) 21:59:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1812>>投稿の続きです…。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その②
❤  病気の精神的感染を防ぐ法

「亡き母」が“医者の言葉”に、信じきり?という表現になりますでしょうか?
【認知症…】にされましたが…【意志=意識】は、しっかりあると言いながら“矛盾”の
言葉を、医者自身が“言葉”として口に発し使用していた事を、思い出します。…が?
現在の医者は、しばしば高齢化社会という名の基【社会保障…福祉医療…】中心ですから
【ボケ老人…認知症…】拡大でしょうか?

■此処で、極端な例ですが…私の知人で「介護関係…ケアマネ−ジャ−」から直ぐ○○すると
保障があり個人負担は、たった○○で済むのです…申請した方が…云々…
この知人自身、自己負担は少なくて済むが…あくまでも■【介護関連会社…】国への申請にて
かなりの資金が流れてくるのでしょう。最終的には、国の財源・次世代を考えているのかと。
あまりにも…次から次への「申請事…」これでは、将来の『国の財源』はどうなるのか?

■ましてや、自民党時代の旧社保庁の【年金問題…未解明】これを【民主党…】がプロジェクト
組んで処理し始めましたが…此処最近は【原発問題で鈍化】でしょうかと。??

今や【高齢化社会…社会福祉医療…国民負担率??】この件で、【介護関連…会社】を増やす事
が、本来の“彼らの思惑”なのでしょうか??そうしないと確実なる“収入源…”が???で
しょうか???【国の医療の資金が流用】されているのでは??このような
【医者としての使命】が欠けた“医者…”も、今後は、ある面で増えてきているのも事実です。

そのような状態ですから、私達は、将来!もし【老人症…認知症?】になるという……
【社会の人類の通念…】として、“こころ…”が侵されている状況になりつつあります。当に!
【潜在意識にインプット】でしょうか??このような時、本当に【真理…】を真剣に、学ぶ
時期ではと思う次第です。…が?

■■【私は神の子、人間病なし、病気も無し、老人症も無し・・・・その他・・・】かと。
この“信念に送り込む事”が、前に〜前に〜進む事ではと、この頃つくづく思う次第です。
「亡き母」の当時の私の無知に、今日!おおきな“損失”をしましたが、これらの事は、
「亡き母からの伝言」の様にこだまして、響くのです。今!今!!・・・起て!今こそ
【生長の家…】をもう一度なのです。モット!魅力ある“ 聡 明 人 間 ”に…

                             再合掌
PS:トキ様
この様な状態の【老人医療関係…あるいは認知症】を、どう思われますでしょうか??
マ〜〜〜ァ?一般の末端信者の考えは、“くだらない!一言”でしょう〜〜〜かしら〜〜〜ン!!
私自身から見ますと【風見鶏論…方】が、お好きな様ですから〜〜〜今の日本の“現状…”は、
厳しい状態です。…が?今後の事を、考えますと、複雑ですが?如何な考えなのでしょうか?

1814「訊け」管理人:2012/12/15(土) 23:54:35 ID:???

十六日の経言――

災厄除けの言葉

 神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。されば吾れ誰をか恐れんや。神は吾が護りであり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。神が吾れを護り給うとき、吾れに何等の災厄もないのである。神がわれを慰めたまう時、吾れに何等の悲しみもないのである。吾れは神の曇りなき愛、完たき心にいだかれているのである。吾れは神の保護を漏れる恐れを知らない――神の在(い)まさざる所はないからである。
 吾れは『善』そのものに取り巻かれているのである。吾れは『善』そのものの懐にいるのである。神の愛は吾れを取巻きて、吾がうちに、そして吾が外に、周(あま)ねく、在(まし)まして、吾れを見捨て給わないのである。

 吾れ闇を歩むとも、神は吾が光であり給う。吾れ海を航するとも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が伴侶にてあり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れには恐るる所のものも人もないのである。吾れに死は来たらない。生命(せいめい)のみが凡てであることを知るからである。吾れは暗黒に見ゆる谷を歩むとも光明はつねに吾れに附き随う。吾れに禍は来たらない。禍と見ゆるものは進一歩の過程である。吾れは生命(いのち)、神は生命(いのち)、凡ては生命(せいめい)であるのである。吾れはいまより信仰と、自信力とをもって進み行くのである。

 神の恵み深き護りに感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1815ハマナス:2012/12/16(日) 00:39:57 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。

生物発生の大作用を知れ  (『新版 生活の智慧365章』P.313)

 神よりも物質に強く信頼を置くものは神の心に協(かな)わないものである。物質の力に
頼れば頼るほど、内在の神の力は減ずるのである。科学的知識が発達すればするほど、霊感
と云うものは乏しくなる。薬剤に頼れば霊的治病力はそれだけ減ずるのである。天秤の一方の
皿に「神」を置き、もう一方の皿に「科学知識」を置き、化学知識の方に重点を置くほど、
「神」は軽視せられて、科学知識が、“神の叡智”にとって代わるようになるのである。科学
知識が“神の叡智”に代って、人工衛星や、金星ステーションまで射ち上げるようになっても、
神を軽視したこれらの科学兵器は、ただ人類を破壊の恐怖に追いやる役目をしているだけで
あって何ら人間の招福の源泉とはならないのである。

 生命現象と云うものは、「生命」と云う不可視のものが、物質を支配し、物質の法則を支配し、
単に物質の法則だけでは、どうしても出来ないところの「生物」と云う有機体をこしらえ上げた
ところに起こるのである。試験管の中で、アミノ酸似のものを生ずることに成功しても、それは
“生命の起源”ではなく、生命が生産したところの一種の化合物を模倣してこしらえただけで
あって、物理化学の実験ではアミノ酸以上に進んで、生きた生体を作ることは出来ないのである。
生物が其処に発生するには、生命が“物理化学の法則”をも利用しながら、それを超える生命的
なハタラキを演ずることが必須条件となるのである。

感謝合掌

1816さくら:2012/12/16(日) 07:44:51 ID:e8ieIrPA
『生死の教』        谷口 雅春先生

  生死はままならぬと云へども生死は心のままである。
兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。

殺すと云うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺してゐるのである。
周囲の人々の思はくをいかしてやるのがは『兄弟を生かす』の最も大なるものである。
自己の好まざる所を他に転嫁するのは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。

周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。
これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。
口角沫を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾を吐きかける者である。
腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。
かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。

兄弟の心を殺すより尚大いなる殺しがある。
汝の両親の思ひやりを殺し、汝の主君の思ひやりを殺す者である。
本當に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるやうになるまでは、心の波長が違ふから藭の救ひの霊波はうけられぬ。

(昭和六年九月五日藭示)

1817ハマナス:2012/12/17(月) 00:30:03 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。今日から、第十二章に入ります。

第十二章 若さと元気はどこからくるか

「宇宙的な自己」への目覚め (『新版 生活の智慧365章』P.315)

 誰でも人生のある段階に達したとき、人間が単なる物質ではなく、物質以上のもの、肉体
以上のものが自分に宿っており、それに生かされているのであることを悟る瞬間が一度や
二度は必ずあるものなのである。それは何か非常な危険に晒されて、迚(とて)も自分の力
ではその危難から救われる筈がないと思われる瞬間に、何か不思議な力によってその危難から
免れ得たようなとき、または既に医師も家族も、自分も、絶望だと信じ切っていたような瞬間
に、ふと気がついてみたら生きている自分を発見したようなとき、此処に生きている生命
(いのち)は自分の生命ではなく、一層偉大なるものに生かされていると云う自覚が得られる
のである。

 そんな体験をある人は軽く見逃してしまって記憶にとどめないで忘れてしまうが、或る人
にはそれが深い感銘を与えて「人間」を見る眼が一変してしまう。小さな「個」の存在から、
偉大なる「宇宙的な自己」へと目覚める――それが新生である。本当の新生は決して、寄る
年波をかぞえる暦の上での新年を迎えることではないのである。

感謝合掌

1818「訊け」管理人:2012/12/17(月) 05:47:15 ID:???

十七日の経言――

恐怖を消滅する言葉

 吾れは恐れない。神はすべてであり給う。神以外のものは何も存在しないのである。神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。神は護り給う。神は養いたまう。神は吾れを抱きたまう。神は吾れを愛したまう。如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて吾れを看(み)まもり給うのである。吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。吾れは『善』と『真理』とのみを見る。吾れはそのほかの何物をも見ないのである。神は渾(すべ)てでありたまう。吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。一切のものは神のものである。吾れは神の子である。それ故に一切のものは吾がものである。
 神の力のみが実在する力である。神のもち給う一切のものは吾がものである。吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。吾が父なる神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1819a hope:2012/12/17(月) 07:52:21 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦心は自分の運命を変化する

心と云うものは唾液(つば)の性質を変ずる(かえること)だけではなく、人間の運命もかえる力をもっています。
「人を倒そうと思ったらピストルの引金を引く必要はない。ただ心で彼を憎み呪うだけで充分だ」
と英国の哲学者カーライルは云っています。

あなたが成功し、出世し、すぐれて人のためになり、尊敬される人になるには、
先ず自分は「神の子だ、何でもすぐれて充分出来る」という自信をもつことが必要であります。

こんな人もあります。
A君は九歳の時に、お母さんの机の上にあった『光の泉』をふと読み出して以来、
「人間は神の子だ、何でも出来る。成績は優良(すぐれている)なのが当たり前だ」
と自覚(じぶんでおもう)しますと、急に中位(ちゅうくらい)の成績から七番になり、
五番になり、三番になり、ついに主席(いちばん)になって、特待生になりました。

それから海軍兵学校へ楽々入りましたが、終戦となり、学費がたりないので、夜警の仕事をしながら大学に通い、
夜はわずか二時間しか眠らないのですが、「人間は神の子で無限力だ」と云う自覚をもっているために、疲れもせず、
病気にもかからず、益々元気に肥えて最近大学を卒業さられました。
(つづく)

1820うのはな:2012/12/17(月) 15:06:23 ID:r.C5sfeA

 神話的に云ひますならば、日本国家は天照大御神の理念の中に先ず造られて、
それが「千五百秋の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と云ふ天孫降臨の
神勅となってあらはれてをります。

 神話と云ふのは、作者が誰と云ふ一定の人間ではなくて古代の民族が、その民族全体の
精神によって作られたものであつて、民族全体の一致した信念の協同作品と云ひやうなものであります。
この民族全体の協同信念によつて各人が集団して、日本は天皇中心の国家を形作つたのでありますから、
日本国家が天皇中心の国家であると云ふことは最も民主的なことであります。

 この民族全体の協同精神が謂はば日本国家の設計のやうなものであつて、その協同精神の通りに、形の世界の
日本国は、家が色々の材料が集められて徐々に出来上がるやうに、出来たのです。
 だから日本国家の本質及び設計は、天皇国家の姿をとるべく日本民族全体の心の中に既にあつたのであります。
そして、神武天皇が大和に都をはじめ給うたのは、天皇中心の国と云ふ日本民族全体の精神が具現化した第一期工事の
完成だと云ふことになります。

 『真理』第一巻 谷口雅春 先生著

1821SAKURA:2012/12/17(月) 22:08:49 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  
❤  子供の病気の時に母親が動揺してはならない  その①

======生命の実相 2巻から抜粋==========================
 子供が病気にかかったらしい時に母親の心が動揺してはなりません。母親の心の動揺は
ただちに子供に反戦いたします。心の波動そのものは波及いたしますし、顔色や態度や語
調でも子供に影響を与えるのであります。子供の顔色が悪いからといって、「お前顔色が
悪いよ」とか「どこか悪くないの?」「疲れやしない?」「お腹痛くない?」などと言葉の力
で子供自身に不安の念を起こさせたり、病気を連想せしめるような言葉を使ってはならな
いのであります。               (谷口雅春著)
============================================

■子供が病気をしたら“母親”は、動揺しているのでしょうか?それは“ノー!”と、
「亡き両親」の時代は答える事が出来ますでしょうかと。??しかしながら、実の処……?
現代社会に於きましては【現象=現実】では、“断言の言葉”は、言えますでしょうか?

ここで、反対に、自分自身の周辺部の知人が、病気をしたり?仕事先が失ったり?…etc…今!
現状の状態が、悪くなったとしても、それに【心が動揺…】しますのではと??
正直申しますと、日本人の精神面は、以前と比較しますとある面では【軟弱…】でしょうか?
出来る限り、こちらからの“明るい光明面”を、見せる事も、大事なのでしょうかと思うの
です。…が?
つづく

1822SAKURA:2012/12/17(月) 22:12:26 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>投稿の続きです。…が

❤  子供の病気の時に母親が動揺してはならない   その②
>>1821その①の投稿の続きです…。

■私一人が『ローソクの灯…』を照らすとしますと、次に、また一人の方が照らしていく様に、
『心の光明面…』でしょうか?振り返りますと【古き良き時代?…一番いい時代は、国民が
一眼となって、経済面で日本復興との思いでしたかと。】そうですョネ!働いていましたネ!

「亡き両親の時代」ですが、隣の家の“夕食…”が、お互いに判る時代背景でしたのです。
あの頃の状態までは〜〜〜如何に〜〜〜でしょうか??
❤〜【私は太陽だ!!お日様がさんさんと輝いています〜〜と“心…”で唱えていく内に
…そう!人間は“想念の世界”ですから、“あ・うん呼吸”でいきましょうかと???】
その様に、なっていくのでは??全ての物事のに関しまして…健康!経済面!…etc…も、
■【『ローソクの灯』の様に……『心の灯』の連鎖反応・連想…】でしょうかと???

さて!ブレイクしますが…“昔の顔”を見て下さい「生き生き…イキ・スタイル」ですモノ!
これを見ながら…子供の頃の時代から“姉が大ファン…”でしたが【ピーナツ…】
今!振り返り【検索…】しますと、結構“イケてる感!”でしょうか??良いですネ!
いつからか?「日本人の心は何処に?」と思う面も?なきにしもあらず?でしょうか??
もう一度【常にポジティブな…明るい表情…真理の言葉】を、そこからの“スタート”と!

❤〜今から、“一人!一人!の力を合わせて…一本の”ローソクの灯“を〜〜〜”でしょう。
ビックリは【30年前で…この曲を英語で歌った事】は?素敵な感!と“パートナー”が…
私も、かすかな聴力にて、始めて聞こえてきましたが〜><本当に“リズム感・センス”が
“グー”でしょうかと! 本当に、今こそ〜〜〜〜〜!
【いいモノの価値観が認識され、後世に残る処の…“本物志向”でしょうか?】

■■本当に、誠意ある“行動”の時代に入っていく…『時代!それを“リード”する』のは、
私達【生長の家…真理】なのでは〜〜〜その様に、思います。…が?
■皆様…もう一度“原点”に戻りまして、まず!暗黒面を見るべから〜〜〜ず!!です。
そこから【スタート!ガンバロー!!!】と、心が躍動しています。いえ!その様に
“心を方向転換”している最中です。…が?余談ですが、当時の両親達の時代が見えます。
ある面では【妥 協 の 許 さ な い 社 会】でしたでしょうかと?
                               再合掌

1823ハマナス:2012/12/18(火) 00:23:48 ID:x2zmnlqw

悟りと実践  (『新版 生活の智慧365章』P.316)

自己の内に埋蔵されたる「一層偉大なるもの」を発見するのが「新生」であり、仏教的に
謂うならば「悟り」である。併し、その「悟り」が一時的な“魂の光耀”で消え去って
しまう人が多いのは、その「悟り」を実践の上で生かさないからである。白隠禅師が「大悟
十八回」を重ねられたと云うのは、その「悟り」が「悟り」のままで静止し、眠ってしまわ
ないで、動的な「悟り」となり、実践的に、その「悟り」が実現して行く、巨大なる“悟り
歩み”の足跡を振り返ってみて斯く形容されたものだと思われる。

誰でも実践的に使わないところの力は退歩してしまう。“悟り”も実践的にそれを行使しない
とき、折角、その悟られたる「一層大なる力」は徒(いたず)らに眠ってしまう。凡そ人生に
於て偉大に聳(そび)え立つところの人は、その悟りによって把握したところの「一層大い
なる内在の力」を眠らせないでそれを自由に駆使して行った人々である。

感謝合掌

1824「訊け」管理人:2012/12/18(火) 07:19:18 ID:???

十八日の経言――

萬成就の言葉

 神は霊の世界にまします。霊の世界に『悪』は無い。吾れはもう悪を恐れない。何故なら神は吾れと偕にいますからである。如何なる禍も吾身に振りかかっては来ないし、如何なる疫病も吾が住家(すみか)には来たらない。神は吾が往くところに常にその使者(つかい)を遣わして吾れをまもり給うているのである。神の使者(みつかい)の手は吾が身を支えてい給うが故に、吾れを躓かしめる一箇の石だもないのである。
 吾れはまったき愛に懐かれて恐怖心一切は消滅したのである。吾れは最高のもの至美(しいび)のもののみを心に思うが故に、恐怖心は吾れに近寄らない。失望よ、恐怖よ、吾れは今汝を正視して汝を拒絶する。吾れは汝以上のものである。汝は自分に何の関係もないのである。
 吾は自分を憐れまない。何故なら自己憐憫は恐怖心を一層増大するものであるからである。吾れは天に於いても、地に於いても神の全ての力を与えられているのである。吾れは此の吾が内に宿れる神の力を駆使して、一切の欲する事を成就し得て神に感謝し奉る。自己憐憫及び恐怖の情は最早われに対して何の力もないのである。吾れは何人(なんぴと)も自分を憐憫することを許さない。何故なら他から憐れまれるのは自分の弱さを肯定する事である。自分は神の子であるが故に決して弱さをもっていないのである。自分は完全に神と結ばれているが故に、吾は決して恐れはしないのである。

 吾が事業は神に導かれて必ず成就するのである。吾が事業に必要なる一切は、必要な時必要な場所に於て与えられるのである。否既に実相の世界に於て与えられているのである。野の百合をすら装わせ給うた神が吾がことを看まもっていたまうのである。それ故何事かがすらすら進まなかったならばそれは一層善きことが来たらんがためである。吾れはそれを安心して確信することが出来るのである。信念を持て。此れが最も必要なことである。自己を信頼せよ。他(ひと)を信頼せよ。未来を信頼せよ。神を信頼せよ。勇気と信念とだにあれば其の戦(たたかい)は既に半ばは勝ったのである。決断、意志の強さ、勤勉は残りの半分であることを知るのである。吾れは勝利する力があると知るが故に吾れは勝利するのである。吾れは吾が志すことを必ず勝利する。吾れは信念そのものである。吾れは勝利そのものである。信仰は世界を支配する勝利者である。吾が信仰は宇宙にひろがる大きさを有(も)っているのである。

 神よ、あなたは何よりも先(ま)づ吾が求むるものを与え給います。吾れの関係せる事物はすべて都合よく行くことを御親の神に感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1825a hope:2012/12/18(火) 08:05:38 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦周囲の人々と調和せよ

人の成功は、他(ひと)が自分を信じてくれる為であり、人が自分を持ち上げてくれる為であります。
人間は自分のみが幾ら偉くとも他が認めてくれず、協力してくれないならば、大きな仕事は出来るものではありません。

だから、成功しようと思う人は周囲の人々と仲良く調和することが必要で、また他から信じられるには、
自分の自信力が相手の心にうつるのですから、自分自身を自分が信じないような事では、他の人もまた自分を信じてはくれません。

信念と云うものは伝染力をもっているものですから、「自分は神の子で立派なものだ」と云う自分の信念が他にうつって、
他もまた、あなたを「あの人は立派だ」と信じてあなたのことをきいてくれ、
仕事に力を協(あわ)してくれるようになるのであります。

虎の檻の中にはいりましても、その人が、「これは虎ではない、猫である。優しい、優しい、猫である」
と信じていますと、その虎は猫のように優しくなるのです。

柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)が虎の檻の中へ入って害されなかったり、
ペルシャのダニエルと云う人が虎の檻の中で害されなかったりしたのは、こちらの信念の影であります。

先ず自分を「神の子である」と信ずる事が第一です。
(つづく)

1826ハマナス:2012/12/18(火) 23:31:38 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

内部と外部をつなぐスイッチ (『新版 生活の智慧365章』P.317)

 人間は五官に感じられる面から観れば肉体と云う物質的な存在である。しかしその内性を
観ずれば、宇宙大生命が宿っているのである。宇宙大生命は虚空に満ちており、わが内に
流れ入って個々の人々の内部生命を成しているのである。しかし内部に満ちているからとて
必ずしも現実的な力にはならない。蓄電池のうちに電気が満ちているからとて、必ずしも
それが現実的な力となってあらわれて来ないのと同じことである。

 内部の電気的力を現実的な力とし“光”を輝かせ、モーターを回転させるためには、内部と
外部とを繋ぐためにスイッチを入れなければならない。その“内部”の「一層大なる力」と、
“現実”の「有限なる力」とを結び合わすスイッチとなるものは“心”である。“心”の媒介
を通じて、内部の「霊」の無限の力は外界にまであらわれて現実的な力となってくれるのである。

感謝合掌

1827a hope:2012/12/19(水) 08:16:17 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦自己を信ずる力

自己を信ずる者は、他人をして自己を信ぜしめます。
決然、引き結んだ唇、断乎たる眼光(まなざし)、信念に満ちた言葉――これらは人を引きずって、
その人に協力(ちからをあわす)させずには置きません。

信念の力は、魔術的なラジオの波となって八方にひろがり、適当な時に、適当な物を、適当な人を引寄せます。
信じて「波に静まれ」と云ったら波もまた静まるのであります。
信じて「汝病なし」と断言すれば、その人の病は癒えるのです。
信じて「われ神の子なり成績は優良なり」と常に念ずれば、必ず成績は優良になるのであります。

ああ信念の力なるかな。
(第九章終り)


数日間、聖典の謹写をおやすみします。
 
合掌

1828「訊け」管理人:2012/12/19(水) 09:17:40 ID:???

十九日の経言――

神と融合するための言葉


 吾れは今最(い)と高き御親の神の奥殿に這入(はい)ったのである。吾れは神の御前(みまえ)にいて平和である。此の世のものは今わが眼界にない。吾れは今五官の世界を去って霊の奥殿にとじこもるっている。われは渾ての渾てなる者 ―― 神に触れている。吾れはそこから生命と平和と豊富との泉を汲むのである。吾れは神の御前(みまえ)に侍る ―― 神は吾が力を新生したまいつつある。吾が心は開かれ、吾がたましいは啓示を待つ。吾が体は神の無限の治癒力に触れている。此の霊の静かなる奥殿に吾れは恐れなく、いとやすらかにいるのである。如何なる禍も、吾れには降りかかることが出来ない。如何なる悪も吾を悩ますことは出来ない。何故なら吾れは悪を恐れない。悪は実在の力ではないからである。

 吾れは唯善のみを見、善の実を聞くのである。吾が前にはすべてのものは美(うる)わしく、すべてのものは善である。吾れは神の有(も)ちたまう新生力と創造力にうちまかせる。吾れは神を信じて法悦に満たされているのである。御祖(みおや)の神に感謝をささげます。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1829NANCY:2012/12/19(水) 12:14:36 ID:bdP2hNg2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>の投稿の続きです

無事に“衆院選挙投票…”も終わり、残り少ない日々…となりました。…が?早いものでしょうかと。
今年も、あと“半月…をキリ”……>< 全てに於きまして、ラスト・スパ−ト!!

今日は【 清超澄先生……『 「愛」は勝利する 』よりの抜粋…

■【 「心に強く描く」 ことは、全てが「祈り」である

❤〜祈りはかなえられる。それは「心」によってこの現象界が作られて行くものであります
から、「心」さえしっかりと求めるものを描いてはなさなかったならば、やがてそれが或る
時間の経過に実現してくるようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は「祈り」なのであります。   (抜粋投稿)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【 心に強く描く事=祈り 】そうなのです〜〜〜ョネ!
これが当に【 心の法則 】でしょう。
しかしながら?やはり【神様の御心に…】叶わなければならないでしょうかと…

❤〜【祈り…『イブの日に…』夜空の・:・☆・:・:に向かって“祈り” 】

〜♫〜 きよしこの夜 星はひかり
すくいのみ子は
まぶねの中に
ねむりたまう いとやすく

きよしこの夜
み告げうけし
ひつじかいらは
み子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて

きよしこの夜
み子の笑みに
めぐみのみ代みに
あしたのひかり
かがやけり ほがらかに      〜♫〜

■【夢…実現】に向かい…心に強く≪設計図≫を、描きま〜〜〜す。…シ−クレット…  

再合掌

1830ハマナス:2012/12/19(水) 23:20:17 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

内部の霊なる智慧  (『新版 生活の智慧365章』P.317)

 内部の「霊」は「一層大なる自己」であると共に、「一層大なる智慧」である。その智慧の
啓示にしたがって生活する者は、流れに従って航(こう)するようなもので、速やかに進む
ことができるが、その智慧の啓示に従わずして生活する者は流れに逆らって航するもので、
色々の困難を閲(けみ)しなければならないのである。だから、私たちは「内部の霊なる智慧」
を呼び出して来て、その導きに素直に随うようにしなければならないのである。

 ただ肉体脳髄の限られたる知識だけで、不安定な道を遮二無二突き進んで行くだけでは、
肉体的力は消耗(しょうこう)してしまって、ついに完全に物事を成就することは出来ない
のである。この「内部の霊なる智慧」を導き出すのが「心」の働きであって、神想観を実修
して「心」を調節することによって、内部の霊と波長が合い、内部の智慧が肉体面に現実化
してくることになるのである。

感謝合掌

1831「訊け」管理人:2012/12/20(木) 10:07:39 ID:???

二十日の経言――

萬能の自信を強むる言葉


 『神と偕なるが故に一切のこと能(あた)わざるなしである。われは如何なる禍をも恐れない。神われと偕にいますからである。われは神を信ずる。神を愛する人に対しては、一切萬事都合よく行くのである。吾れは今新しき世界を発見しつつあるのである。』

 一日三回、きまった間隔をおいて、三、四分間まったく静かな休養の時間を見出して諸君は自己自身に対し以上の如く繰返されよ。―― こう断乎として決然とした態度で自己自身に云うのである。諸君はこれによって、法則をして諸君の都合よきようにめぐらしめる事が出来るであろう。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1832うのはな:2012/12/20(木) 23:32:38 ID:LB749By6
   『唯神実相の世界を説く』 谷口雅春 先生 P11〜

     唯"善なる神のみ”が実在である

 皆さん、有難うございます。
生長の家の教は、唯心論と唯物論を並べると、唯心論の中に包括されるようではありますけれども、
精しく言うと、体験談の中にも出たようですが、唯神実相論というところの哲学であります。
唯神とは“唯、神のみ”唯、神のみが実在であるということであります。

 神の造り給うた完全な存在のみが実在であって、悪は本来ないのであるーというところの根本的な、
善なる神の存在を信ずる、この根本信念から全てのものは出て来ているのであります。

 私はこの詳密講習会で、どういう話をしようかと考えておったんです。
詳密というのは詳しく緻密に話をしなければならないが、しかしこの生長の家の教を根本的に理解しようと思ったならば、
善なる一つの神の実在を本当に信ずるという、これがまず大切であります。

 “善なる神”のみが本当に実在する。悪意のある神とか、色々の罰を当てたり、呪いをかけたり、腹立てて復讐をする、そういう神を
信ずる信仰から完全に自分自身を脱却させることが必要であります。
 さて、テキストとして書物の名前が数冊出ておりますが、『甘露の法雨』なんかは出ていないけれども、『甘露の法雨』を皆さんはともかく
読んでいますですね。これが根本なんですよ。この『甘露の法雨』をずうっと講義するーそうすればそこに全ての問題が含まれているわけなんです。
ですからこれを講義しながら話をしたいと思うわけであります。

 まず、こう書いてありますね。
『神ー或る日天使い生長の家に来たりて歌い給うー』
 何の気もなしに読むと、文字の表面は、解ったようだけれども、これは非常に
深い意味が書かれているのであります。

 「或る日」というのは、何月何日、某月某日というような意味ではないのです。
「或る日」というのは、あの『奇蹟の時は今』という書物がありますね、あの永遠の今なんです。
何時でも「或る日」です。どの時間にでも其処にましますのは「天使」である。
「天使」とは何かと言うと、これは神様の愛念の放射ですね。念というのは、一つの念波と言って、
光のように波に乗って出て来るんです。それで、神様の愛の念波が人格化してーパーソニファイされて、
そして或る童子のような姿をした、観世音菩薩みたいな姿をして出て来られるー仏教で言えば、一仏一切仏ということ
が含まれているのであります。

 この“一仏一切仏”を忘れていると、仏の名前の数だけ、宗派が別々にあるように考えて、それが対立的になって、派閥的な
宗派的信仰というものが、そこに起ることになるのであります。

1833ハマナス:2012/12/20(木) 23:33:01 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

平和と幸福の大道  (『新版 生活の智慧365章』P.318)

禅宗に「日日是好日」と云う語(ことば)があるが、そのような流れに沿うて仙境を下るような眺めのよい生活を
日々おくるようになるには心が調和して、「肉体」の生活が「内部の霊」の生活と波長が合ったものとならなければ
ならない。神は決して人間を罰したまうことなく、平和と幸福との大道をつくって下さっているのであるけれども、
肉体の歩みが、叡智の導きに従わないがゆえに、時々「神の備えたまわざる道」を歩んで墜落して怪我をするのである。

 即ち私たちが傷つくのは神罰ではなく、智慧の導きを受ける方法を知らないため、又は知っていても、その導きを
受けようとしないために、みずから道をが踏み外して崖から墜落するのである。神は法則を与えた。そして法則を
人間が「心」の力によって発見するように委ねられたのである。

感謝合掌

1834「訊け」管理人:2012/12/21(金) 08:27:10 ID:???


全員が暗いから、
私は明るくいく。



――斎藤一人の言葉

1835うのはな:2012/12/21(金) 17:33:08 ID:R80If25o

この「永遠の開祖、谷口雅春師による真の生長の家の御教え」こそ、
時代を超え、国境をこえて人々の魂を救い、現実の人生から不幸や病を消し、
さらに、人々の人生を、単なる“もの”や“金”や肉体の欲望満足のためのものから、
喜びと生き甲斐にあふれる有意義な人生に一変するものなのである。

 そして、このような「真の生長の家の教え」を、開祖のいのちのひびきと共に世に伝え、
後世にしっかりと伝え残していくことは、われわれにとって最高の生き甲斐でもあり、また
われわれがこの世で為しえる最高の人々への奉仕であり、それぞれの祖国への報恩の道であり、
母なる大地への感謝の実践ともなるのではなかろうか。

「生長の家オーストラリア法人」の独立も、日本の「ときみつる會」の発足も、すべてこの目的の
ためであり、ほんのささやかな団体ではあるが、われわれはあくまでも谷口雅春先生を永遠の開祖と
仰ぎ、「雅春先生による真の生長の家の御教え」を堅く信じ、人々にお伝えし、かつ後世に伝え残すため、
そして開祖の高邁なる理想を現代と未来に向けて実現するために邁進する。

 本章の終わりに、『生長乃家三拾年史』冒頭から谷口雅春先生の御文章を転載させていただく。

 愈々、“生長の家”も発祥以来三十周年を迎えることになりました。色々の宗教が発生し、潰れ、
非難され、受難を受けたなかにいて、生長の家のみは戦前も戦中も戦後も、終始一貫ひたすら真理を
説きながら、受難もなくスクスクと伸びて来ることが出来たのは、神護の灼然なることは無論ですが、
常に、間違った野心を起さず、謙遜に、神授された真理をただひたすら説きつづけて来たからでもあり、
更にその上、誌友や読者や信徒の方々がこの真理を護りつづけて来て下さったお蔭であると感謝せずには
いられないのであります。

 谷口雅春先生のこのお言葉を胸にいただき、これからも先生の説かれた尊い真理を護りつづけて、
雅春先生にさらにお喜びいただけるよう、感謝と報恩のまことをつくそうではありませんか。
雅春先生と輝子先生は今でも、神界からわたしたちをじっと見守っていて下さるのです。

『谷口雅春師に捧げる誓いと信仰』 宮澤 潔・宮澤壽美 先生著

1836SAKURA:2012/12/21(金) 23:05:28 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①

======生命の実相 37 巻から抜粋 ========================

今日は記念すべき本が出る。わたしの『人間死んでも死なぬ』という本。これがわたしが
関東大震災に遭って無一物になって郷里へ帰って、職業もなく養父母の許で居候しながら無
数の心霊現象の原書を取り寄せてそのうちから興味のある事実を取り上げ、系統づけて書き
上げて、小西書店から『心霊現象と宗教思想』と題して出した本を最近に増補改訂したもの
である。類は類を招び、貧しい運命の時には、貧しさを招ぶものと見えて、当時素寒貧のわ
たしに、小西書店は一銭も印税もよこさなかった。わたしはやむをえず印税代わりに紙型を
貰っておいたのを友人鳥谷部君が生活に困っているので、その紙型を差し上げて、原稿料も
活字の組賃も不要で鳥谷部君の生活費の幾分にでもなるように進上した。これは『信仰革命』
と題して再販まででているから鳥谷部君は幾分かこれで助かっているはずである。今この本
にさらに百数十ペ−ジを加えて『人間死んでも死なぬ』と題する本としてだしたのは、戦死
した軍人の遺族への贈り物としてである。人間は肉体ではないから、肉体は死んでも「人間
そのもの」は死んではいない。この理論と哲学とは『生命の実相』のあらゆる部分に書いて
ある。しかしその実証は、死んだ人が出て来て実際に通信した無数の実話、死の刹那に霊魂
の幽体が脱離する瞬間に撮った写真、その死後の状態はそういう状態であるか――

                    つづく

1837SAKURA:2012/12/21(金) 23:07:47 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>投稿の続きです。…が

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ②

>>1836 その①の投稿の続きです…。
■これは
『生命の実相』の「霊界編」にも出ているが、この書に採録したのは英 国 心 霊 大 学
の学長マッケンジ−博士(数年前物故)が精神統一状態中の霊魂出遊現象によって七圏に分
かれている霊界を探検踏査してその状態を記述した記事であって、それには当時「哲学者グ
ル−プの集まっている」霊界の第四圏にいたハ−ヴァ−ド大学のウイリアム・ジェイムス
教授の霊が指導霊となったといわれている。その記録は『生命の実相』中にヴェッテリ二
の霊界通信と符節を合わして霊界存在の真実性をいっそうハッキリ確認せしむるものがあ
る。この書を戦死者の遺族に、また戦死者でなくとも、良人を、妻を、子を、親類縁者を
失える悲しめる遺族たちに贈ることは大いなる意義と慰めとを与うるものであると思う。
                     つづく

PS:「トキ様」へ
『霊界編…』を読んで、更に「浅野先生の書籍」で、詳しく判り、霊界の中身が見えてきまし
た。…が?そうです〜〜〜ネ!長崎に在中の頃でしょうか??本当に『霊界の世界??』が、
あるという“書籍上の言葉”としてだけで、それは、当時の私には、『霊界の妻が語るの本』の
中で、当時の私は「想いを寄せた人」を、浮かべながらも、もし??という時このような関係
は、“素敵だな〜〜〜☆”と思ったものです。…が??【架空の世界…】
“想いを寄せる人”が、今世で縁がなければ『霊界…』ではと思っていましたが『霊界…』
でも、厳しく【類の法則…】なのだと、あらためて、考えされました次第です。…が?今年は
「亡き母」が亡くなってもうすぐ“一年近く”となります。その間に「亡き母かの伝言…」が、
耳元にこだまして、今まで判らなかった“答え…”が、ことごとく“ス〜〜〜っ”と理解出来
るのです。【不思議な気分…】かと。全て〜〜〜「母からのメッセ−ジ」かと??

ちなみに今日の「亡き母のメッセ−ジ」なのですが……【早起きして職場・学校に行く〜♫】
これが、目につきまして、最近?仕事場に行くのが〜〜〜><

そして「今年のおせち料理…」は、まず【喪に服す…】にて出来ません。…が?
「2月の旧暦…」に、作ろうかと思いますが??「雅春先生」のおおらかな“金銭…”にこだ
わらない…【イエスキリスト…パン】を連想しまして、【器…】が、後から大きくなったよう
ですかと、思いますが、私の場合も、後半からの年齢で逞しく【運勢…】をよくするには、まず
【心 の 法 則】しかも【霊界…】でもその様ですので、私がおおきな【心の器…】になれば
もしかしますと【霊界…】にもこだまして、それなりの『類の法則』に、仲間入りで…しょうかと?フト!!!思いました。…が???
                                      再合掌

1838ハマナス:2012/12/21(金) 23:16:11 ID:x2zmnlqw

「心」は人生航路の船長  (『新版 生活の智慧365章』P.319)

 人生はみずからそれの自然の流れに逆らわないで、“そのままの心”で人生の航路を渡る
ならば、そんなに困難な世界でないのである。すべて人生に於て与えられるものは、科学の
世界に属するものも、霊の政界に属するものも、法則を通じて与えられるものなのである。
そして其の法則を発見するのは「心」であり、「心」が法則を発見する方法は、「調心」と
「研究」とである。

 「研究」に一心になるとき、心がそれに統一されておのずから「調心」が得られるので
あるが、研究が正しい方向に向かっているかどうかを知るのは「調心」即ち心を整えることに
よってである。ただ遮二無に努力して航海をつづけるだけでは暗礁に乗り上げるかも知れない
のである。「心」は船長であり、正しい方向に行動の舵をとらなければならない。

感謝合掌

1839うのはな:2012/12/22(土) 02:00:58 ID:eorGcccE
谷口雅春氏に献ぐ(正しき宗教の樹立と促進に関する谷口氏の貢献)

           ハーヴィ・S・ハードマン (関口野薔薇 訳)

 過ぎし歴史の年月の 代々の聖者は 民の指導と教化の為めに
 真理の言葉を口より語り 又は筆もて之を誌した。
   (中略)
 私は精神科学協会の 創立者または頭領として
 北米合衆国内の 門弟及び朋輩と共に
 谷口氏の為め 讃嘆の言葉を捧げよう。
 
 『世に希望と平和を齎らさんとて 皎々として輝く星が
  東洋のみ空に現われた。 その光を仰見る人こそ 幸福なるかな』と。

 斯くは谷口氏を賞讃しつつ 私自身は 私の奉ずる『精神科学』と
 谷口氏の『生命の實相』に 全き調和の存在する事を 嬉しく思うものである。
 西と東と 所を遠く隔って居ても 真理は一つ
 アア、深遠なる哲理よ 神の御声よ

1840うのはな:2012/12/22(土) 02:22:54 ID:Gsql6f66
    わが憂国の戦い

 谷口雅春先生は、昭和二十七年四月の講和条約発効を期して、日本再建の論策を次々と
月刊誌を通じて発表して行かれた。そして、その頂点に立つ論文「日本再建の道を拓くもの」
が『生長の家』昭和二十七年八月号に発表された。

《 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに
  見苦しいものであったにせよ。夜がそれを消してくれたのである。(中略)新しい人生を
  つくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。
  日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。
  しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。

  すでにそれも過去である。過去はないのである。万物は常に新しく生れる。
  過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も
  結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ》

 力強い書き出しで始まるこの論文は、つづいて「暴力を捨てる自由」「無我献身の美徳を復活せよ」
「礼拝合掌の精神を復興せよ」「"家”の制度を復活せよ」「忠孝の感情を育成せよ」
「民主主義を再検討せよ」「人口制限は日本を弱体化する」等々、講和発効後の日本のあるべき姿について
 いち早く喝破されたのであった。

 (後略)

  『神ハ愛也』 谷口雅春先生九十年の足跡

1841「訊け」管理人:2012/12/22(土) 11:26:15 ID:???

二十二日の経言――

消極的暗示を排撃する言葉

 吾れはいま吾が生命にどんな欠陥も感じられない。吾れはいま自分の認めたところのもののみ実在であることを知ったのである。吾れは最早禍と生命の弛緩とに本来なき所の力を賦与しない。吾れは悪と不幸とを見ないのである。吾れは悪と不幸とを聞かないのである。吾れは悪と不幸とを語らない。誰も自分に対しては不正と不完全とに就いて話を持ち出すことは出来ないのである。何故なら自分は不正と不完全とを聴かないからである。吾れは消極的なる思想や暗示に感じない。そのようなものは自分を動かすことは出来ないのである。何故なら自分は其れら以上のものであるからだ。
 吾れは、あらゆる弱さと小ささとを踏み越えてしまっているのである。いま、吾が心は積極的である。自分は果断と、勇気と、そして神、人間、及び自己に対する信頼の念で満たされている。吾れは吾が為す所のものを権威をもってなすのである。吾れは吾が云うところの言葉を断固たる態度で云うのである。自分は強く、力に充ち、沈着で、平静である。吾が背後には神の無限の生命、無限の愛、無限の智慧がひかえているのである。吾れは強き自信力にみたされて揺るがないのである。吾れは天に於ても地に於ても、一切の権(ちから)を与えられているのである。

 吾が御親の神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1842SAKURA:2012/12/24(月) 15:36:03 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ③

>>1836>>1837>> その①②の投稿の続きです…。
 先日高地の一誌友から、戦死せる婚約の青年に殉ずるために戦死の報知を受け取ると同
時にカルモチンを致死量飲んだ令嬢が医者の手当てで蘇生したが、殉死を覚悟せる彼女は、
遺骨到着の日にふたたび自殺すると主張して頑として応じない、そして「わたしは『生命の
実相』の本全一五巻をことごとく読みましたが、その三分の一は運命であり、三分の一は自
己の決定により、その三分の一は霊界の高級の霊魂人の運命の修正により避けうるとある
だけで、自殺は悪いとは「生命の実相」には書いてないから、自殺は悪いとは思えません」
と主張するので、なんとかわたしから自殺を思い止まらす手紙を書いてくれ、という要求
を受け取った。そのわたしからの手紙が到着しない先に遺骨が着いた。彼女は再び遺書の
到着した日に、前回よりも大量の超致死量の薬剤を呑んだ。しかし彼女は死ななかった。
霊界から高級霊の干渉があったのであろう。しかもさらに彼女は第三回の自殺を考え
ていた。そこへわたしからの手紙(家内に代筆させた)が着いた。その手紙によってかろう
じて彼女は慰められ、三回目は自殺は思い止まったのであった。

 
わたしの記憶のうちには、ある霊界通信に因れば、自殺を超越した神の目からは、自殺
は他殺と同じく殺人であると書いてあって、そのことを『生命の実相』の中に書いておいた
と思って『生命の実相』の索引によって検べてみたが見出すことができなかった。だから、
それに対する返事は記憶によって書いたのだった。あとで気がついてみると、それは今度
出る『人間死んでも死なぬ』の本の中に自殺者の霊魂が霊界へ移行しても自殺の時の行為そ
のままの状態で、たとえば短刀を腹に刺したままの状態で永らく苦悶を継続しているのだ
というような霊界通信の実例が書いてあるのであった。

                 つづく

1843SAKURA:2012/12/24(月) 15:38:21 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842投稿の続きです。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ④

>>1836>>1837>>1842 その①②③の投稿の続きです…。
■しかもこの書におさめられている霊界通信の中には、欧州大戦中砲弾の破片に当たって
戦士した兵士の霊魂が、少しも傷つかずに自分の遺骸を眺めながら歩いていたという通信
もある。我執で死ぬのと、国家に捧げて死するのは、死の意義の異なるのがこれで分かる。

 こういうことをこの本によって戦死者の遺族に知らせてやりたい。
 戦死を悲報だと思うのはまちがいである。このまちがいの中から反戦思想が生まれ、戦
後の国家攪乱運動がはぐくまれる。霊界の消息を知るとき、戦死は実に光栄であり、霊魂
の高揚であるのだ。  (一部抜粋論)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:「トキ様」へ
 【自殺…】尊い命を…自ら断つ!!私が“高校時代の友人”はこの「自殺」で……><
振り返りますと、友人は物静かな性格・頭脳優秀の友人でしたでしょうか??
「母子家庭…」で育った友人!しかも、後日知ることとなりましたが“母親の職業”は、
【清掃の仕事…】に携わっており、ついそのそぶりすらも、この友人は、最後まで、私に
見せることなく他界してしまいました。…が?正直、【自殺…】する前迄、私は彼女の自宅に
も行った事がなく、彼女の死後、はじめて“母親の職業”を、知った訳ですが、当時!
高校の学費も、正直言いますと「高い私学…」ですから、きっと、彼女の母親は、
一生懸命彼女の為に働き、苦しいやりくりにもそれなりの【夢…】を、彼女に託していた
モノと思います。

その原因は「年下の男の子に恋?」をして「失恋…」でしょうか?それも、
その「年下の男の子」からの【きつい言葉…一言】にて、投げかけられた“言葉”で…
更に、当時の若い“思春期”ですから、“母親の職業”をひた隠しした当時の【傷つきやすい心】
全てがガラスの破片の様に粉々に…いつしか“彼女の顔”から【笑い…】そのモノが消え去り、
【自殺まで追い込まれた…彼女】…当日は、普断通りに学校に来て、一緒に途中まで帰りま
したが、その後、この事件が起きたのですが〜〜〜?


当時の私はまだ若く、相手の「年下の男の子の自宅」に、文句を云いに行きたくなったくらい
当時、激怒して、しばらくは感情が納まりきれずの状態でしたかと。相手の両親が、一応は、
お詫びに、彼女の家に御焼香に……行った様です。…が?【差別用語…】からの発展劇かと、
最近!理解した次第ですが、きっと友人もある面では【我執…心】で、命を断っています
から、今私は言えるのは『霊の世界…向こう側でも“精神の放浪”なのでしょうか』
今回【宇治別格本山…】に、お位牌を出さなくてはと、改めて思いました。…が?

ブレイクしますが『小泉元総理』は、毎回靖国に参杯されていらっしゃいましたかと…私も
毎年“年の初め…”には【靖国神社へのお参り】には行ったものです。来年は、新年早々の
『講習会…』もありますから、当日、参加しますと、当然ですが、【靖国神社参拝…】を!

■本当に「今日の我が国…日本!」…「日本国の存在」は、この戦死されました方々の
尊い霊魂…の上で成り立っていますモノと…思います。…が?
勿論!あの【明治維新…】でも携わった人々も含めまして、
【我 執 も 無 く し 〜 〜 国 家 安 泰 】という尊い志…にて、
初めて、【私が国…日本!!日いずるところの国…和の国…『日本国が発展』したモノ】と、
断言していいのではないのでしょうか??
心から【この尊き英霊の霊魂…】対して、感謝申し上げます…。

                                  再合掌

1844a hope:2012/12/26(水) 08:54:03 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆感謝する顔と喜ぶ顔は美しい(p112〜)

感謝するということは、金銭よりも、とうといものを、周囲(まわり)の人々におくるということになるのであります。
合掌(てをあわす)して感謝している姿ほど美しいものはありません。

怒っている顔はみぐるしいし、にこにこしている顔は美しいものです。
よろこびを周囲の人にふりまくことは、ほかのものを周囲の人にふりまくよりも、とうといことです。

喜んでいると血液はきよまります。
そして顔色が生き生きと美しくなり、元気になり、達者になり、人からもかわいがられるようになります。
子供が喜んでいる顔ほど楽しいものはありません。
(つづく)

1845a hope:2012/12/27(木) 07:41:11 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人のよろこびを喜びなさい(p113〜)

自分に楽しいものがなかったならば、そして他の人が楽しいものを持っているならば、
人が楽しいものを持っていることを喜びなさい。

誰がたのしんでいても、それが喜べるようになったとき、人のよろこびをうらやむ心はなくなるものです。

人の喜びをうらやむ者は常に苦しいものですが、人の喜びを喜ぶものは楽しいばかりであります。
(つづく)

1846通りすがり:2012/12/27(木) 11:58:46 ID:???
>>1844

a hope様、いつも謹写をありがとうございます。

2012/12/19(水)にて、
「(第九章終り)数日間、聖典の謹写をおやすみします。」と書かれていましたので私もしばらく訪問せず、いま久しぶりにアクセスさせていただきましたが、昨日、第十一章から始まっています。
第十章が見当たりません。私の見落としでしょうか?

1847さくら:2012/12/28(金) 06:14:23 ID:ens0NEME
合掌。
十二月二十八日は、「日本の實相顯現の神示」の天降った日ですので、謹写させて頂きます。

みなさま、今年も残りわずかですが、
よいお年をお迎えくださいますようお祈りいたします。



1848さくら:2012/12/28(金) 06:15:14 ID:ens0NEME
『日本の實相顯現の神示』谷口雅春先生

「 敗戰の原因は多々あれども戰爭を始めたから敗けたのである。
是は過去現在未来永劫に變ることなき眞理である。
戰爭を始めねば敗戰もない。
當り前のことが當り前なのである。
眞理と云ふものは簡單で直截明瞭である。
當り前のことがなかなか解らぬ人が多いから此の世界が亂れるのである。
神が戰をさせてゐるのではない、
迷ひと迷ひと打ち合つて自壊するのだと教へてある。
迷ひの軍隊を皇軍だなどと思つたのが間違だつたのである。

この神の教へは『自給他足・他給自足』と教へてあるのに獨逸にならつて經濟自給圏を確立しようと思つたりしたのが既に相對のこころである。
心に相對があらはれ、彼我對立する心は既に戰ひの心、分裂抗争を豫想しての心であるから、戰爭準備の心である。

世界は一圓相であると云ふことを知らねばならぬ。
世界一環互に手と手を繋ぎ合って、しつかりと和する心になつてゐたらば戰爭もなく敗戰もなく、實相無限の圓満調和世界が實現する筈であつたのに、當時の日本人は氣が狭くて島國根性であり、排他的精神で、我慢自慢獨善精神に陥り、それを日本精神だと誤解して、一人よがりに易々加減な氣持になつて、遂に世界を敵として戰ふやうになつたのである。


(つづく)

1849さくら:2012/12/28(金) 06:16:01 ID:ens0NEME
(つづき)
排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、
切る心は切られる心と教へてある通りに自分が切られる事になつたのである。

切る心は三日月の心であり、利鎌のやうに氣が細く、
角だつてゐて、空にあらはれてゐる時間も少く、その光も弱く、
直に地平線下に沈んでしまふ心である。

心の通りに日本の國が沈んでしまつても、
それは日本人の心みづからの反映であるから、
徒に失望、落膽、放心してしまつてはならない。

『見よ、われすべてのものを新たにするなり』と教へてある。
現象の三日月は沈んでも實相の圓満玲瓏一圓相の満月は依然として虚空に輝いてゐる。

これと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍國主義の似非日本の國は沈んでしまつも、
實相圓満の日章旗のやうにまんまるい日本の國は無くなつてはゐないのである。

有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、
必ずそれは日本人全體の心が圓満になり、實相の波動に日本人全體の心の波動がぴつたりと合ふやうになれば、
現象界にもその不滅圓相のすがたをあらはすのである。

無きものは滅びるほかはない。
軍國日本の如きは本来無き國であるから滅びたのである。

神州日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。
滅びたやうに見えてゐるのは實相が蔽ひ隠されてゐるだけである。
實相を蔽ふ心が眼鏡をかけてゐる心である。
すべて此の世の中の事物は象徴であるから、
その象をよく見てゐれば、世界に何が起こりつつあるかを知ることが出来るのである。」

(昭和二十年十二月二十八に日未明神示)

1850a hope:2012/12/28(金) 07:35:41 ID:E6WSUXC.
>>1846「通りすがり」さま

はじめまして!
わたしが、「第十章」を飛ばしたことに気づいてくださりうれしいです。
わたしは聖典を謹写しながら、この掲示板をご覧のみなさまの幸せをお祈りさせていただいているのですが、
聖典一冊丸ごとの謹写になってしまうと著作権などを侵害してしまう可能性を御指摘いただいたので、
今回、故意に「第十章」を飛ばさせていただきました。


「第十章」は、『今あなたの失望を捨てましょう』 というタイトルで、
「因果の法則」や「心の法則」がわかりやすく説明されています。

これからも、無理のないように聖典謹写をしていきたいと思いますので、
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌

1851a hope:2012/12/28(金) 07:39:42 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆あるまずしい人の喜び

あるところに貴金属商がありました。
そのショーウィンドウには立派なダイヤモンドや黄金(きん)の指輪や、いろいろの宝の玉がかざってありました。
一人のまずしい人がそのショーウィンドーの前に立って、それを見ていました。
しばらくすると、そのまずしい人は、その店へはいって「どうもたくさんのダイヤモンドを見せていただきましてありがとう」と感謝しました。
店の主人はおどろきました。そして、
「あなたは、どうしてそんな事を感謝するのですか。わたしは一個もあなたにダイヤモンドをさしあげていないのに」といいました。
すると貧乏人はいいました。
「わたしは見るだけでたくさんなのです。どんな金持ちでも、ダイヤモンドは見るだけでしょう。そうすると、
私はダイヤモンドを持っている金持ちと同じことです。
ただ、ちがうのは金持ちは、そのダイヤモンドをぬすまれないように心配しなければならぬのですが、私はただ見て楽しむだけで、
ぬすまれないように心配する必要はありません」といいました。

人が持っていても、それをうらやまず喜べたら、金持ちでなくとも、自分はいつでも楽しいのです。

つねに喜んでいる者には、なんとなく喜びの空気みたいなのもが、その人の身体(からだ)から出るものなのです。
その人の身体からでるなんとなき喜びの感じは、人をよろこばせて、その人になんとなくしたしみを感じさせるのであります。
そういう人は、人から人気があって、人をひきつけ、人の頭(かしら)となり、たくさんの崇拝者(うらやむひと)ができて、
えらいものになれるのです。
(つづく)

1852SAKURA:2012/12/28(金) 12:01:10 ID:MAOC5c.E
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843
投稿の続きです…。
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  

======「生命の実相 30 巻」からの抜粋 =======================
―――――― あなたが生きるべき時は、まさに「今」である――――――
  今の他に生きる時は一つもないのであります。「これは善いことだけれども明日に
しよう」などと考えているような人は、とても成功のおぼつかない人であります。「今」思い
たった時に、素直にこれは神が与え給うたことであるとして、ただちに実行に移りうる人は
心の柔軟性を保っている人であります         (谷口雅春著…「生命の実相」より)
==========================================

■そうですョネ〜〜〜!!当に【無限実行…】でしょうか??
先に“言葉”を、発しますと!大変な事に、なる事もあるのです〜〜〜ョネ!!
【有言実行…】がいいと?言いますが〜〜〜??
私の場合は、実に嫌な“思い出”もあります。私の知人関係ならいいのでしょうがと??

この頃では、まず【実行…】する前に“言葉”を発します時は、その時の状態が?果たして、
【生きるか?死ぬか?の問題!!】成功します要因は、思いついた事項は、どんどん取り入れ
る事も…そして、それを実行する事も…大事でしょうかと思います。!!……が?今!私も、
出来る事から、もう一度!!そうなのです〜〜〜ョネ!今日!出来る事から始めて行ってます。
…が?それでも、【人間は想念の世界…】ですので“言葉…”を発する前に【類の法則…】にて、
その仲間になる事が、いいでしょうかと。??

反対に【悪因縁…】を持たれている関係の方からの【想念感情…】は、その人の行動…etcを、
出来ない様にと、相手への“封じ込める想念・感情”があり、従いまして【今!活かす…】
この時は、こちら側は、その人以上の【想念…】を持つ必要性がありますでしょうか??
私は、今回【東京…】に急遽行きまして、以前と変わらずに、のびのび〜〜〜伸びと、話せる
“環境…”に感謝しました。!!やはり【同じ類の法則…】に基ずいて行く“行動”ですと、
どんな事でもやりぬける【意志力…】が、“自然に湧き出でまして、更に、強く!益々と揺るぎ
のないものとなり〜〜〜ますでしょうか??逆に申しますと【反対の環境下…の場合】では、
こちらが【確固たる多大な想念…】を起こす事が必要なります。!!

■【今を活かす事…】とは、ある面では“環境”も自分で“心を切り替える事”ではと???
思いながら、現在の私は 、前に進む!ひたすら進む!この事に焦点を当てている次第です。

                                    再合掌

1853ハマナス:2012/12/28(金) 13:26:36 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまありがとうございます。

ご無沙汰しております。実家に帰っていますので、すみませんが、しばらくお休みさせて頂きます。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

感謝合掌

1854通りすがり:2012/12/28(金) 17:08:16 ID:???
>>1850

a hope様

そうだったのですね、わかりました!
十一章からもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

1855通りすがり:2012/12/28(金) 17:11:12 ID:???
>>1853

ハマナス様

いつもすばらしい謹写ありがとうございます。
ハマナス様も良いお年をお迎え下さいませ。

来年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

1856トキ:2012/12/28(金) 21:44:45 ID:QejVymnY
>>1853

 ハマナス様、いつも素晴らしいご投稿に感謝申し上げます。

 今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
よいお年を御迎え下さい。

合掌 ありがとうございます

1857さくら:2012/12/29(土) 07:33:44 ID:MAv9sFeE
>>1853ハマナス様

いつもありがとうございます。

ご実家は、ハーバードのお近くですか?笑。

どうぞ、ご家族みなさまと、よいお年をお迎えくださいますように…。

ありがとうございます。



1858a hope:2012/12/29(土) 08:33:05 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人をひきつける力ある人となれ

えらい人は、どことなく人をひきつける力をもっているのです。
人をひきつけて、理屈なしに、人をひきずってゆく力をもっており、そのために、よい友だちや、
よい協力者が出来てきて、その人の仕事はいよいよますます大きくなってゆくのであります。

そういう力はどうしたら出来るかというと、いつも感謝し、よろこんでいる人に出来るのです。
だからみなさん、つねに感謝し、よろこぼうではありませんか。
(つづく)

1859a hope:2012/12/31(月) 07:15:48 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心に喜べば形に喜びが出てきます

すべてのものは心の中に出てきたものが、形にあらわれてくるのです。
心の中に喜んでいるものは、きっと喜ぶべき、たのしいことが出てくるのです。
よろこべば喜びがあらわれてきますし、悲しめば悲しみが出てくるのです。
それでは、いつでもにこにこして喜ぼうではありませんか。
(つづく)

わたしの愛する「生長の家」のみなさま、大切な方々と喜びにあふれたすばらしい新年をお迎えください!

1860通りすがり:2012/12/31(月) 07:27:12 ID:???
>>1859

a hope様

合掌 いつもありがとうございます。

良いお年をお迎えくださいませ。

そして来年もよろしくお願いします。

1861トキ:2012/12/31(月) 22:54:10 ID:FptI/wKI
>>1859

a hope様

 すばらしいご投稿をありがとうございます。

 こういう地道で真面目な投稿者様によって、この掲示板は支えられていると痛感します。
本当にありがとうございます。

 来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。

 来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1862トキ:2012/12/31(月) 23:02:43 ID:FptI/wKI
>>1857

さくら様

 ご挨拶、ありがとうございました。いつも、さくら様のご投稿は、熱意と誠意に溢れており、感銘を
受けています。私も学ぶ点が多々あり、さくら様のご投稿を拝見するのが楽しみです。

来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。

 さくら様にとり、来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。

合掌 ありがとうございます

トキ

1863a hope:2013/01/04(金) 09:33:54 ID:E6WSUXC.

トキさま、みなさま あけましておめでとうございます。

わたしは、毎朝、神想観後に聖経「真理の吟唱」を黙読しています。
“神の子”の自覚がさらに深まるような気がします。
すばらしい「生長の家の教え」とこの掲示板のみなさまに出会えたことに心から感謝して、
今年も自分にできることを無理なく頑張っていこうと思います。

みなさま、今年もa hopeをどうぞよろしくお願いいたします。

1864トキ:2013/01/04(金) 09:40:29 ID:G6NygkMI
>>1863

a hope 様

 あけまして おめでとうございます。

 昨年は素晴らしい聖典をご紹介下さり、ありがとうございました。
本当に素晴らしい文章で、感激しています。
 今年も、無理のない範囲で、この掲示板でお会いできれば嬉しいです。

 今年も、a hope 様にとって、幸多い1年でありますよう、お祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1865a hope:2013/01/04(金) 09:42:52 ID:E6WSUXC.

聖経「真理の吟唱」(日本教文社)より

新しき天地に生まれる祈りp138〜


生まれ変わりの時が来たのである。
われわれ自身がまず生まれ変わることが必要なのである。
自分自身の心が生まれ変わることが必要なのである。
釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、
自分の心が生まれ変わることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、
自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。
われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。
これが現象顕現の法則である。
だから、私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、
決して相手の人々を強化して善ならしめることはできないのである。
“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、
悪は一層ハッキリと現象化いきたって収拾がつかなくなるのである。
だから、私たちは、決して人の“悪”をば、肉眼で見ることがあっても、心では見ないのである。
そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、
キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。
私たちは、自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、
環境も運命もただ“善”のみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。

私たちは、まず心を神に振り向ける。
心を神に振り向けるとき、この世界に神があらわれるのである。
神は善であるから、この世界に神があらわれれば、この世界は善のみの世界となることは当然であるのである。
神は病まないのであるから、心を神にのみ振り向けるとき、自分たちは病むことなき状態に到達し得るのである。

心を神にのみ振り向けるとき神は乏しくないのであるからわれわれも求むるのに乏しいということはあり得なくなるのである。

心を神にのみ振り向けるとき神は老いないのであるから、われわれも老いるということが無くなるのである。

すべての病い、貧乏、老衰等の悪現象は神の造りたまうたものないのであって、
人間の消極的想念の産物であるのであるから、われわれが心を神に振り向けるようにのみ心がけるならば、
すべての悪現象は私たちの世界から姿を消してしまうようになるのである。
それはあたかも光の照るところの世界には闇が存在し得ないようにである。

われわれは遷(うつ)り易(かわ)る現象の善悪に心を捕えられてはならないのである。
遷り易るものは本来実在でないから、先のものが消えては、次のものがあらわれ、あらわれてはまた消えるのである。
われわれがこの遷り易る現象世界に住みながら常住不変のただ善のみの世界を諦観(ていかん)するとき、
このうつり変わる現象世界に「永遠の善の世界」が影をうつして、現象世界に、ただ善のみの世界が展開する。
これが地上に永久平和の天国楽園を建設する唯一の道なのである。
この真理をしらせ給いし神に対して深く篤(あつ)き感謝をささげます。

1866a hope:2013/01/05(土) 06:11:06 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心の中の泥棒に気をつけなさい(p116〜)

あなたは家(うち)の中へ泥棒がしのび入って、お金や着物を、うばっていったら、あなたは悲しいでありましょう。
しかしあなたの心の中へ泥棒がはいって、あなたの心の中の「喜び」をうばってゆくのは、
なお悲しいことではありませんか。

あなたの心の中の喜びは、お金や、着物などよりも、もっともっと大切なものです。
お金や着物がどんなにたくさんあっても、なんにもならないではありませんか。
あなたが一つ喜べば、あなたの心の中に一つの「宝物」をふやすことになるのです。
二つ喜べば、二つの「宝物」をふやすことになるのです。
三つ喜べば、三つの宝物をふやすことになるのです。

腹を立てたり、泣いたりすれば、そのたびごとに、この宝物がなくなるのです。
「腹立ち」や「悲しみ」は、あなたの心の中から「喜び」の宝物をうばってゆく泥棒と同じことですから
腹を立てたり、泣いたりしてはなりません。
いつもにこにこ、うれしで感謝しておれば、かならずうれしいことがやってくるのです。
(つづく)

1867うのはな:2013/01/05(土) 21:50:02 ID:XuKa5ZNI
  谷口雅春先生 あなたは既に神から人生を動かす梃子を与えられた

 充分しっかりした支点と、その支点を中心にして動かす充分長い梃子とを与えてくれたならば、
わたしは、その梃子によって地球を動かして見せるといった人がある。
これは紀元前三世紀のギリシャの数学者アルキメデスであるが、これは喩えであるが、梃子とは、
“心の力”の喩えであり、その梃子の支点にたとえられているのは“心の法則”であり、〝地球"にたとえられて
いるのは自分の住む人生である。

 梃子は既に与えられているのである。つまりあなたには“心の力”が既に与えられているのである。
そしてその“心の力”という梃子を支えている支点となる“心の法則”は宇宙普遍の法則として常にあるのである。

  ● しかし“心”は単なる梃子ではない

 アルキメデスのこの考え方は既に、それはそれとして吾々に自信を与えてくれるものである。
しかしながら生長の家の説く真理は、あなたに尚一層の真理と自身とを与えてくれるにちがいない。
 何故なら生長の家の聖経『甘露の法雨』は“心”を定義するのに、単なる人生というものを相手にして
それを動かす力だけではなく、“心”は万物の実質であり、また万物の造り主であり、“心”こそ“全能の神”である
ということを次の如く説いているからである。

 神こそ渾ての渾て、
 神は渾てにましまして絶対なるが故に、
 神の外にあるものなし。
 神は実在のすべてを蔽う。
 存在するものにして
 神によって造られざるものなし
 神が一切のものを造りたまうや・・・(中略)
 如何なる道具も材料も用い給わず、
 ただ〝心〟をもって造りたまう。
 〝心〟はすべての造り主、
 〝心〟は宇宙に満つる実質、〝心〟こそ〝全能〟の神にして遍在したまう。

1868うのはな:2013/01/05(土) 22:00:09 ID:f2bwKGw2
1867 つづき

 わたしは、もう一度、生長の家の真理をたしかめるために『甘露の法雨』を披いて見て、
以上に引用したところまで読み進んで、毎日読んでいる聖句でありながら、それが常とは異る
別の光をもって、別の新しき力をもって、私に迫ってくることを感じたのだった。

〝心〟は単なる人生を動かし万物を動かす梃子ではなく、人生の実質、存在の実質であると同時に、
それは創造神であり、全能の神であり、遍在の神であるから、自分自身にも、その〝全能なる神〟が
宿っているのだという新しき大自覚であった。

 聖経『甘露の法雨』の受持せられるところ、読誦されるところ色々の奇蹟が出現するのは、その内容が
そのように実に深遠なるものであるからだと気がついたのであった。

 『生長乃家』 昭和五十二年四月号 谷口雅春 先生 法語

1869うのはな:2013/01/05(土) 23:23:31 ID:Lu5TENfc
    友達と読み物は明るいものを選べ

   じかに阿弥陀仏の懐へパッと飛びこむのがよいのである(『女の教養』)
 
 子供の友達は快活な明るい者を選ぶがよい。暗い陰気な子供とまじわらしていると、
自分の子供も暗い陰気なものになりやすい。したがって健康も害われやすいのである。
快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、その子供が健康になった実例があります。

 子供の読物は明るい、父母の愛や、友愛にみちた物語、、道徳的な、努力して楽しむ、困難を物ともせず
成功する立志伝または武勇伝などがよい。陰気な物語、お化けの出てくる物語、正しき者が滅びる物語などはよろしくありません。
子供は絶対に叱ってはならないということはない。過って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときのみは、叱っても悪くはない。
けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

 もしそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思いこんでしまい、善に遷る動機と勇気を見失ってしまう。
子供が過ちを犯したら、「あなたは善い子だのに、こんなことをするはずの子ではないのに、悪いと気がつかなかったのね。
もう悪いと気がついたらけっして悪いことをするあなたではありません」と断言するがよい。


『新しい結婚』 谷口雅春 先生著

1870うのはな:2013/01/05(土) 23:59:22 ID:vkulhJXI
『生長乃家』昭和五十一年十一月号 谷口雅春 先生 六日の法語

   ストレスというもの

 精神身体医学の世界的権威であるといわれている、カナダのモントリオール大学の
ハンス・セリエ博士という教授は、総ての病気は心の「ストレス」(stress)
から起ると、こういっているのであります。

「ストレス」というのは、心の沈みとか、歪みとか、あるいは異常痙攣とかいうようなものであります。
この語は本来、材料力学や工学上の用語だったのを、心の歪みに用いるようになったのであります。
例えば此処に屋根があるとします。此の屋根は地球の引力ー言い換えると“重力”で、(書籍の表紙を開いて屋根形に
俯向けて示しながら)こういうふうに重みで歪もうとしているのであります。

 けれども、それがやっぱり真直ぐでいるのは、歪もうとする力に反対の、逆の押し返す力が内部に働いているのでありまして、
その両方の力が平均して、この屋根が歪まないで真直になっているのであります。
この相手の押しつける重力に応じてそれに抵抗して内部に起る逆歪みの力がストレスでありまして、昔はこれを“応力”と訳したものであります。

 例えば家庭に於いて姑が嫁に圧力をかける、すると、こういうふうに(表紙を歪めて見せながら)圧力をかける、それでもそのお嫁さんは、内心は強く
反撥を感じていますけども、すました顔して、そして真直な平常の顔を現わしている。
けれども、これはそのお嫁さんの心が真直ぐなんじゃなくって、心の内部には、相手の圧迫に対する反対歪みという念が起って怺えている。
この何かの圧迫に応じて起る反対歪みの心を「ストレス」(応力)というわけであります。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板