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聖典引用 板

1トキ:2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。


 上記に関連するテーマなら、広く受け付けます。また、教団、本流復活派、中立派など
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、たとえ違う立場の意見でも、お互いに尊重する寛大さ
をお願いします。

 この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。

 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。

 スレッドのルールと方針は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」を考えると、と同じに
考えております。

1669「訊け」管理人:2012/11/24(土) 14:34:48 ID:???



『叡智の断片』131頁「道場雑話」より謹写――

 生長の家の根本の教えは、戦争反対である。「七つの燈臺の點燈者」の神示には「汝ら天地一切のものと和解せよ」とあるし、「天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。」と示されている。又「神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いとが自壊しているのである。」とはっきりと『生命の實相』第二巻収録の神示には戦争を否定しているのである。

1670通りすがり:2012/11/24(土) 17:42:23 ID:3Ozkx1gY
>>1669
ご自分のブログで十分

1671トキ:2012/11/24(土) 17:48:30 ID:tLXulRtI
>>1669

 管理人としては、ご投稿に深く感謝しています。

1672ハマナス:2012/11/24(土) 22:24:15 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

神を信ずるか、現象を信ずるか
(『新版生活の智慧365章』P.295)
私たちは、日常生活に於て、神の完全さの実在を信ずるか、現象の相(すがた)の不完全さの実在を信ずるか、二者択一の場に立たされているのである。天秤の両側の秤皿の一方に「神」を置き、他方に「現象」を置いて完全に平均せしめて置くとしよう。「神」を信ずるか、「現象」を信ずるか、そのどちらかを信ずるかと云うことによって、天秤は「物質」の方にも傾き、「神」の方にも傾くのである。そして、それが「物質」の方に傾いたとき、人間は物質的法則の支配下に入り、その人の健康度は、物質の影響を信ずる通りに制約せられる。即ち寒冷の空気に触れれば風邪を引き、病菌に触れれば病気にかかると云う風になるのである。

若し天秤の、もう一方の「神」の方に私たちの信仰が深まるならば、その天秤は「神」の方に傾き、その人の健康は、物質の法則に支配される量が次第に減じて、遂に外界の物質的条件を超えて、如何なる場合にも完全に健康なる実相を現身にあらわすことができるようになるのである。
感謝合掌

1673ハマナス:2012/11/25(日) 12:40:48 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

「縦の真理」と「横の真理」 (『新版 生活の智慧365章』P.296)

 病気が症状としてあらわれるときに病気は起ったのではないのである。それよりズッと
以前に、心の中にその病気に就いての知識、症状、恐怖、不安などが培われ、それが次第に
生長して発芽するようになったのである。発芽の直接契機となったように見えるものは、
植物にたとえれば、春雨が一夜(ひとや)降りつづいたことであり、雨あがりの翌朝見ると
水仙が土を割って芽を吹き蕾をもっていることを発見するようなものである。

 “春雨が一夜降りつづく”と同じように、其の人が、何らかの感情で一夜心を悩ますこと
があるとすると、その翌日、気がついてみると或る病気があらわれているのである。しかし
その病気が現れるまでには、発芽直前になるまで培われた精神的な病的観念があり、それが
一夜の精神的な悩みで愈々現象化することになったのである。結局、「病気」と云うものの
本体は「人間は老い且つ病むべきもの」だと云う根本的な信念であり、その信念が深く底に
あって、色々の精神的又は感情的なショック又は悩みが誘因となって、その「深く底にある
病念」が表面にあらわれて来るのである。そのために「人間は神の子のである」と云う真理
を充分理会し、「深く底にある」ところの「人間は老い且つ病むべきもの」と云う信念を取
去るか、或は誘因となる精神的感情的悩みを取り去るか、どちらかをすれば一時は病気は消え
去るのである。

 「人間は神の子である」と云う実相を知るのは「縦の真理」を知ることである、精神的感情
的な悩みを解きほぐして行くには或は“想念の法則”を説き、“精神分析”をを行うなど相手
に随って色々の方法を用いるのであるが、これは「横の真理」の応用である。

感謝合掌

1674SAKURA:2012/11/26(月) 22:09:37 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ①

===【抜粋文】===================================美
 人間を不幸にするものはわがままである。わがままは他を不幸福にするばかりではなく、自
分自身を不幸にする。精神分析的に見ればわがままとは自己虐待の変形である。わがままは自
分のしたいままをする自己愛撫だと考えられやすいけれどそうでない。わがままは往来で転ん
で、誰が起こしてくれるまで地踏鞴(じだたら)踏んで泣き叫んでいる悪童の延長でしかない。
彼は誰かに迷惑をかけるために自己虐待をしているのである。
 わがままが自己虐待である証拠に、わがままを通そうとする人は常に自分自身が愉快な滑ら
かな感情の楽しさというものを味わうことができない。
 わがままを別語でいえば、「我を出す」または「我が強い」という。「我」という字は、
「われ」という字が書いてあるが、「本当の我(われ)ではない。それは久遠普遍のひろびろ
とした「本当の我(われ)」を縛るところの自己限定である。「本当の自分」は天地にひろが
るひろびろとした大いなる存在であるのに、これだけの部分だけが自分だと自己限定するの
が、「我を出す」ということである。だから「我を出す」というのはかえって自分を限る、自
分を引っ込める、自分を縛る、自分を虐待することになる。
 本当の自分が、天地にひろがる広々とした存在であることに気がついた時には、人間は誰と
も大調和するものである。
 大調和の心は神のままの心である。神のままは自然を縛らない心、わがままは自然を縛る心。
                          谷口雅春著抜粋
==========================================

■「我が強い」といって変に自慢される方が、此処“九州…”に多いです〜〜〜ョネ!!
本人の考え方が“A”とします。ある事から“B”に変更しますと、まるで負けてしまった様な
感じを受けるのでしょうか??分かってても、それを、押し通す。これも【我を通す事!】
でしょうか?FUKに帰郷してからの私は、落ち着きのない日々を送っています。原因は、彼ら
の執着心です。「吸血鬼・ゾンビ達…」は、私達に執着して、それなりのお金になったのでしょう!その原因は、「黒幕デザイナ−の執着」です。黒幕は「吸血鬼・ゾンビ達…」に私達を、包囲
する事、更に尾行!情報収集!更に、仕事が出来ない様にする!!それは「孫娘への想い」か
らでしょうか??私が「障害者…」として、立ちあがっているのに〜〜〜あくまでも
「黒幕デザイナ−の家族の将来性」と「自分の名声…」執着この「黒幕デザイナ−」は、
東北地方に“障害者の関連施設”を〜〜〜><この様に自分自身、黒幕は分かっての行動です。

多々なる理由を上げて、更に「吸血鬼・ゾンビ達…」を使う!彼らがいいますには“お金”
に成るとの【正当化論】で、これも執着■【我…】に成るのではと思います!!私は、これ
に対して、この「黒幕デザイナ−」に対しての、戦いを新たにしているところです。…が?
本当に❤〜【我は相手に対して・・・不愉快なモノ!】だと、思います。
                        
 (つづく)

1675SAKURA:2012/11/26(月) 22:14:20 ID:jH5uEFzM

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>投稿の続きです。…が

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ②
>>1674 ①からの投稿の続きです…。

■今回【分派の方達…】は、まず“認める事”ではないでしょうか〜〜〜?

私は、毎日思いますが■【まず!第一のモノは、今の総裁雅宣先生だと、思えます。】
ある話ですが〜〜〜?ご存じでしょうか〜〜〜?【アメリカの洪水での出来事…】です。
ある時、大量の雨量にて川が氾濫し、洪水が〜〜〜><一気に“家”が流されて、
その地方の山奥に住んでいます処の「ある高齢の一人暮らしのお祖父さん」が、いました。
親戚の方は、心配して「お祖父さんの安否」を、救助隊員に頼みます。ゆっくり空気付きの
ボートをこいで、お祖父さんの処に“声”をかけます。「大丈夫ですか…?」と言って、
「こちらに来て下さいと…?」言います。お祖父さんは、「いえ!いいです。神様から助けて
頂けますから〜〜♫〜〜」といって断り、救助隊員は、次の人への救援活動にてその場を去り
ます。そうこうしていきます内に、水かさが〜〜ドンドン上昇〜〜“危ない!!” ><
ドンドン水が〜〜〜かさんで行きますから、また!救助隊員はまたその場に戻り“声”をかけ
ます。…が?お祖父さんは、また!「神様が助けてくれます…!」と答えて、家の屋根から、
直ぐそこまで水が押し寄せていますのに、救助隊員の助言を聴き入れませんでした。実に!
何度も〜何度も〜救助隊員は行きますが「神様が、必ず!助けて下さいます。」此の一点ばり
で、救助隊員の助言を訊いてくれません。そうこうしています内に、救助隊員が見ています
目の前で、とうとう“家”は〜〜〜アット!!!流されてしまったのです。
これは【アメリカ中にニュ−ス】で放映されていたとの事です。
【神様…】も、ある時は……【横からの真理】にて“アドバイス…”でしょう。この事は、
大事ではないでしょうか〜〜〜と【リ−・ミルティアさん】は、おっしゃつていました。…が?

私も今回の【生長の家…騒動】は、少なくとも中傷されています「現総裁雅宣先生の行動」は、
【天の導き…】と、思います。【エコ−運動】も、行動をしなくては、何も?
この【地球…環境問題】には、変化が?つまり対応策は起きません。一人一人が【輪…】に
なってはじめて【天 の 蔵 が 開 く!】と思います。
古い伝導体制を誇示されます【分派…皆様】をこの「我」と、たとえますと…?
【分派の方達…】は、いつまでも“過去のやり方”では、果たして【人の救済…】は、何処
まで対応できますのでしょうか?【日々…環境は変化?人の心も変化?…etc】 人数的には、
増えないと思います。更に【洗脳された方達?つまりマインド・コントロ−ルされた方々】は、
今となっては【分派…で、活動体制】を、なされましたらと?今!今を活かしきればいいので
しょうかと。そう!!私は思うに【真理…】は、いたるところにあると思います。勉強中!
「我」をなくす事から始まる様に、思います。…が?【執着も…我!!】と思います。


そして、複雑化した現代の時代にそぐわない【真理…】それを今風に“解説”します事が
新たなる【よみがえり〜☆】この事が【天の岩戸が開く】様に、ゆっくり〜ゆっくり〜
開いて行くようです。【真理…伝導】は「現総裁雅宣先生」にもあります。そして、
【日本の歴史は、神武天皇から〜〜〜私たち“祖先”は、世界平和!なのです!!】

■聖徳太子も……【十七カ条憲法】
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)
わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。
                            再合掌

1676ハマナス:2012/11/26(月) 22:34:13 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

迷妄の自壊作用  (『新版 生活の智慧365章』P.297)

 私たちが「人間神の子・本来無病」の“縦の真理”を知り、「唯心所現」の“横の真理”に
よって心の悩みを解きほぐして行くに随って、迷妄の根の浅いものである場合には、速やかに
に症状が消え去るのであるけれども、それが迷妄の根が深いものである場合には、一見その
症状が悪化したように見えることがある。そんな時に驚いてはならないのである。それは迷妄
(にせもの)の上に築き上げられたる高層建築のような重い慢性的な病気は、その迷妄の基礎
工事がくずれ去ると共に、大いなる音を立てて崩れ落ちる。その崩れ落ちる大音響や、崩れ落
ちた残骸の堆積は、以前のそのままで病気の建物が建っていた時よりも、混沌としたいやらしい
光景を呈するのである。これが迷妄(まよい)の自壊せる徴候である。    
   
自然の浄化作用によって、その崩れ落ちた次回の残骸が運び去られるまでは、尚しばらくその
症状はつづくのであるけれども、自壊作用そのものは、病気の精神的基礎が崩れた証拠である
から、もうその時「病気は消えた」と宣言してもよいのである。

感謝合掌

1677a hope:2012/11/27(火) 08:08:57 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦一念集中が成功の要件です

成功に一念集中と云うことが必要であります。
電気の技術者で成功しようと思う者は、常に電気のことを考えていなければなりません。
常に植物の事を考えていれば、植物学者として成功するかもしれなせんが、
電気の技術者として成功するものではありません。

あまりに懸けはなれて反対であるものを考えていては、決して事物は成就しません。
失敗を考えていて成功するものではありません。
成功は成功を心に描くことによってのみ得られるのです。

どんな多くの青少年が、「自分は身体が弱い」と考えたり、
「自分は天分(天からもらったちから)がない」と思って尻込みしたりすることによって、
折角の人生(ひとのよ)に落後者(おちぶれもの)となったことでしょう。
これらの人達は、しっかりした自信力を与えさえしたら立派に社会(よのなか)に成功した筈の人たちなのです。

「自分が弱い」と云う馬鹿々々しい迷信をお捨てなさい。
「自分には力がない」と云う迷信をお捨てなさい。
そんな迷信に誤魔化されてはなりません。
そんな無力な迷信をかなぐり捨てて立ち上がりなさい。
「そして自分は神の子だ。すべての力は与えられているのだ」と思いなおして立ち上がりなさい。
(つづく)

1678ハマナス:2012/11/27(火) 09:50:23 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま

おはようございます。今日は良いお天気に恵まれました。
皆さまにとって、神の愛に満たされた素晴らしい一日でありますように。

薬剤多くして病気繁し (『新版 生活の智慧365章』谷口雅春先生著 P.298) 

 “健康法、健康法”と唱える者ほど病気に罹り易いのである。栄養剤やビタミン剤などに
とりまかれながら脚気になったり、始終風邪を引いたりする人があるのも、その人の信仰の
天秤の“分銅”が「物質」の方に傾いていて、人間の実相の完全さの方の “分銅”が小さ
過ぎるからである。「人間」と云う存在を物質的存在であると思う信念は、薬剤を用うる
度数が多いほど強くなるのである。その結果、「物質と自覚せる人間」は物質の「朽ち果つ
るべき法則」の前に屈従せざるを得なくなり、薬剤愈々多くして病気愈々繁しと云うような
状態となるのである。

 「私は病気のことを考えないのに病気になった」と言って、「心で思うことが肉体にあら
われる」と云う真理に抗弁(こうべん)しようとする人もあるが、病気というものを直接
考えないでも、「人間は物質的存在であり、朽ち果つべき無常の存在である」と信じている
ことそのことが、朽ち果つべき肉体の病気となってあらわれるのである。

感謝合掌

1679「訊け」管理人:2012/11/27(火) 10:29:44 ID:???
○ Climb every mountain
http://www.youtube.com/watch?v=0aUXUr5rogM


『叡智の断片』25頁より謹写――

◆「悪」に抗することなかれ

 「悪に抗することなかれ」と云うキリストの教えは、生長の家の「汝等天地一切のものと和解せよ」の神示によって完成するのである。悪に抗して悪を一時排斥し得たとしても、それは「悪」の存在をみとめているがゆえに、それは存在するところの悪を抵抗によって一時遠ざけたに過ぎないのであるから、「悪」の存在が消えたのではないのである。それは一時締め出しても、亦あらわれる。厳重な家庭に於ける制裁や処罰や威嚇による強制はこれである。何物に対しても和解せず、単に抵抗によってこれを退けんとする者は、結局、空しく抵抗して何物をも支配することは出来ないのである。真の支配は、天地一切のものと和解することによってのみ得られる。天地一切のものと和解するとき、天地一切のものは汝の味方であり、こちらを生かすために働くからである。「悪」を消滅する道は「悪」をみとめないことより始まる。闇をみとめながら闇を撲滅せんと欲しても、到底それは不可能のことである。
 如何に敵対する者も敵だと思わずに味方だと思って愛すればその情愛に感動して、敵と見えていたところの相手が味方にかわるのである。病気の症状に於いても此の事は真実である。熱を敵だと思わずに、味方として愛すれば速かにその熱のために病菌は消滅してその病いは癒えるのである。疼痛、喀血、吐血、発疹、下痢、嘔吐――ことごとく敵だと思わず、治す働きだと――感謝して受けるとき、それは味方となって却って病いを撲滅し健康を回復してくれるのである。凡そ「悪」よりして善徳は生ぜず、「悪」よりして生かす力は生じない。「憎み」は悪であるから「悪」を憎むと云うことは結局は、「悪」に対するに「悪」をもってするに過ぎないのであるから、それは永久循環して再び「悪」は姿を顕わすのである。ただ「善」のみを認め、一切を「善」と信頼して感謝して受ける無抵抗のみが「悪」を消滅する力であるのである。「悪」に抵抗するところの心境に於ては尚「自我」が滅していないのである。ただ相手の利己主義を遠ざけんがために、自己主義の利己を譲らんとするに過ぎない。真に「悪」に無抵抗になるときにのみ、それは「自我」さえも滅し去って、ただ「神」のみ、「善」のみ、実相のみが現前するのである。そのとき「真の自我」実相の自我、絶対自我が本当の姿をあらわして自由自在の境地に達するのである。

<了>

1680「訊け」管理人:2012/11/27(火) 10:33:50 ID:???

『明窓浄机』草創篇269頁より謹写――

◆日本精神を誤解するもの

 兎も角、生長の家は今や海外諸国にまで日本にこういう好い思想が生まれたと云うので、日本の名誉となりつつあるのである。
 近来國體明徴が叫ばれ、日本精神が叫ばれているけれども、日本精神が『大和(やまと)』の意味に於いて、一切包容統一の意味に於いて叫ばれないで、すべて日本的と云うものを非常に狭義に解して、日本的でないという意味に於いて、基督教を排斥し仏教を排斥し、ただ小さき伝統の中にせぐくまってしまおうとする傾向があるのは、大和の日本精神を誤解するものと云わなければならないのである。


 生長の家は在来仏教側からも、基督教側からも、人の道からも商売敵としてその誤れる排他的精神から悪口を云われ、色々の投書を当局へ送った人もあるそうであるが、生長の家は決して他の宗教を排撃するものではなく、常にすべての宗教の味方をし、弁護者の位置に立ってきたのである。日本精神とは一切を包容して、『あれも日本の教えだ』『あれも日本の教えだ、日本に於いて大乗的に成就する教えだ』として、無限包容の精神を持つべきものであると私は思うのである。
 排外的日本人は外人を見て、『あれは外人だ、外人は排斥すべきものだ』と見るが、包容的日本精神は、イギリス人を見れば、『あれも日本人だ、日本人がイギリスと云う土地に生まれたのだ』と見、インド人を見れば、『あれも日本人だ、インドに生まれている日本人をインド人だと云う』と考える。斯くの如くして普天卒土(ふてんそつど)、天上天下、日本の国土ならざるはなく、日本の国民ならざるはなく、仏教も基督教も、日本の教えならざるはないのである。


 兎も角、吾々はそう云う立場に於いて、すべてを排斥する代わりに、欠点を除き、時所不相応のものを撥無(はつむ)し、美点を高揚して、生かすべきものを生かして行きたいのである。
 その目的でキリスト教のためには『完成(ななつ)の聖書』を、『ひとのみち』のためには『去就に迷うひとのみち信徒に与たう』を著(あらわ)したのである。幸いに各読者から熱読せられている。殊に後者は二万部増刷の計画であるから知人の去就に迷える兄弟に御贈呈願いたい。

1681「訊け」管理人:2012/11/27(火) 12:34:44 ID:???

『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾著)342頁より謹写――

 概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。


 吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。


(つづき全文http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

1682神の子さん:2012/11/27(火) 19:30:28 ID:???
>>1679
Youtube貼るのは自分のブログだけにしろよ

1683神の子さん:2012/11/27(火) 19:31:14 ID:???
>>1681
わざわざ宣伝するなよ

1684a hope:2012/11/28(水) 06:35:08 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦困難と戦ってもニコニコと

アメリカ人のあの偉大な「開拓者精神」と云うものは素晴らしいものです。
開拓者精神と云うのはあの広い、殆ど手をつけようもないような地面を、
どこまでも撓(たゆ)まず屈せず、開き耕して往った精神です。

猛獣も多いし、草や木の根も深い、砂漠もある、大きな岩もある、山もある、滝もある、
アメリカは土地がひろいだけに、いろいろな障害物も非常に大きいものです。
それに負けずに、一歩一歩その困難を笑いながら楽しく征服していったのがアメリカ精神の素晴らしいところです。

ドイツ民族なども困難と戦ってきた民族ですが、どこか眉の間に、ニガイ表情(かおつき)があります。
いつもわしは苦難(くるしみ)と戦っているのだと云うような表情をしております。

ところがアメリカ人にはあれだけ広い地面と戦って来ながらどこにも困難と戦って来たと云うようなニガイ眉をひそめた表情はありません。
みんなニコニコしているのは日本にきていたアメリカの兵隊さんの表情(かおつき)でわかります。
そこにアメリカ人の強味があります。

日本は戦争中に誰も彼もニガ虫をかみつぶしたような顔をしていないと非国民だと行って叱られたものです。
そうして泣き面をしていると、「泣き面に蜂」ならぬB29が来て、次へ次へと日本の都市をやいて行きました。

すべて「われより出ずるものはわれに帰る」であります。
「泣き面」をしていると泣くことが群(むらが)り起ってくるのです。
(つづく)

1685うのはな:2012/11/28(水) 21:16:28 ID:Pp0T7lVc
個人指導の実際  谷口雅春 先生 生長の家本部教務局編

    耳の病気は“聞きたくない”という念の表現である

 それですから、耳は“ききたくない”と思っておればきこえなくなるし、
“何でも素直にききましょう”という気持になればきこえる事になる。
 あんまり忙しいので人が周囲で、ものを言うのを「うるさいなあ」というような気持で、
人の言うのを打ち消すような気持でいると、耳鳴りがして止まらないというような事も随分おこってくるのであります。

 或る時赤坂の道場で、一人の奥さんが、「先生、私もう耳鳴りがしてうるさくて仕方がないんです」と言うのでした。
その時、私は、「耳鳴りなんて、何も鳴っておらんじゃないか。どうじゃ、耳が鳴っとらんか、一遍きいてあげよう」私はこう言って、
その人の耳のそばへ私の耳を近づけて「何にも鳴っとらんじゃないですか。実際に鳴っとったら私にも聞える筈じゃ。それは耳が鳴っておるんじゃない、
貴女の心が鳴っているんだ、心が“うるさい、うるさい”と声を打ち消す念を起している
家族がうるさいとか、嫁がうるさいとか、色々そんなことを事を思っているんでしょう。
そういう心の癖から治すんだよ。

 何も耳が鳴っておるんじゃない。貴女の心が鳴っておるんだ」と言ったんですよ。
そうしたらその耳鳴りは治ってしまったのであります。

1686うのはな:2012/11/28(水) 21:29:58 ID:AjOElYbo
    病気を温存したい心で再発 

 それからその治った話を僕が道場で一遍話して、「耳の鳴るに非ず、心が鳴る也」という
真理を皆さんにきかしていた。そしたら、翌日その耳の治った人から手紙が来た。
“先生あの話を道場でしてもろたら困ります。あれは内緒にしといて下さい”と言って手紙が来たのです。
それから数日すると、またその人から手紙が来た。それには“先生、又、耳がなり出しました。何とか、もう一度
治してください”と書いてある。

 それは神様がちゃんとそれを治して下さっているのに、神の栄えをあらわす為にそれを使わないで、治った事実に再び耳を蔽おうとした
からであります。「私はまだ耳鳴りが治っておらん」と言いたかったから、その通りになったのであります。

 キリストが盲目の少年を治された時にですね、弟子が「この盲目の少年が現われているのは、これは親の罪であるか、本人の罪であるか」
と言って問うたのです。「親の罪でもない、本人の罪でもない。神の御業の現われんが為である」それが癒される事によって、神さまの栄えが現われんが
為に、今かりにこういう姿になって出て来ているのである。という意味の事をキリストが言っておられることに注目しなければなりません。

1687さくら:2012/11/28(水) 22:32:44 ID:e8ieIrPA
到彼岸の神示
谷口雅春 先生 著

「本當の信仰についての神示

平和は内界にあるのであつて、外界にあるのではない。
外界は現象であり目眩しく移り戀る世界である。常に戀移する世界を追ひ廻してゐて落ちつかうと思つても落著けるものではない。
一世を支配する権力者の位置にのぼれば誰も自分を脅かすことが出来なかろうと思つて最高の位置にのぼつてみても、高ければ高いほど不安であるのが常である。では、誰よりも下座の地位について、
もうこれ以上は落ちやうのない貧しい生活を送つたら不安がなからうと思つて、乞食の生活を送つてみても、やはり不安は去るものではない。
下座々々と心掛けても、一椀の食にありつくとき、尚、その一椀の食にすらありつき得ない同胞があることを思つたら、その一椀の食も安心して食べられないであらう。所詮は、高く上るも、低く下がるも、比較上の世界に住む以上は、その人の心から不安は去らないのは當然である。何故汝は絶對の世界に住しないのであるか。
目眩同転する圓周の世界を追ひ廻さないで、圓の中心の世界に住しないのであるか。何故汝らは比較を絶した『我れ神の子』の世界に住しないのであるか。
中心の世界に坐せば、上下左右天地四維のいづこに顕現すると不安はないのである。『我は神の子』の世界に住すれば、如何に高き位置につくとも高過ぎると云ふことはなく、如何に低き位置につくとも穢されたと云ふ感じも屈辱の感じも受けるものではないのである。
かくの如き『我れ神の子』の實相に参ぜしめ、無畏怖の境地に入らしめるのが本當の宗教である。
恐怖心を唆つて遷善改過せしめるものは、それは一種の社會施設であり、刑務所であり、懲治場であつて宗教ではないのである。宗教とは己が眞性を自覚せしめ、上下左右天地四維いづれに動いても、いづれに置かれても、縛られない、恐れない、自由自在の『神の子』だる本性を自覚せしめるものを云ふのである。
汝ら恐怖の宗教に心せよ。神の子は、金剛不壊の實相身、無碍自在の無けい礙身であるから、凡そ恐怖すべき何ものもないのである。
恐怖を教へるものは迷を教へるものである。恐怖を唆るものは、迷を唆るものである。病気や天變地變や色々の災厄で恐怖を教へるものは人間の幸福が物質の増減で左右せられ、或は火に焼かれ、或は水に溺れるものだとの迷信に立脚して教へをなすのであり、それを信じる者は、それは信仰は信仰であつても、迷信に堕するものである。
火にも焼けず水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも自由自在な人間の本性に信ずる信仰こそ本當の信仰である。

(昭和八年八月五日神示)

1688うのはな:2012/11/28(水) 23:30:22 ID:shBPIho6
耳の病気はこんな心の影である  谷口雅春 先生

 次に耳の病気は、耳は聞く期間でありますから、“ききたくない”という心が起るとだんぜん耳が遠くなって来るの
であります。実際聾くらい便利なものはないのです。言いたい事は言いたい放題だし向うからいくら何を言っても聞えないから
都合がよい。人の言うことをききたくなくなると、聾という殻を造って其処へ逃避するのです。
だから、そういう気持になりますと、自然と耳が聞えなくなるのであります。

 京都の郊外のある町に野沢宗一という郵便局長さんが居られました。当時、三等郵便局と言ったものです。
その奥さんが、耳が聞えなくなった。聞えないといっても、電話の受話器みたいに、耳に口をくっつけて大声で言うと
辛うじてきこえるのでした。けれども一尺も離れたらもう全然きこえないのです。
姑が物を言ってもきこえないで、「治るまで実家へ帰っておれ」と言うことになって、実家へ帰って医者に半年もかかったが、
その難聴が治らないのです。

 それで先生に一遍指導して欲しいと仰言って、私が東京へ移転して間もなく京都で誌友会があるから一遍来てくれというので、
石川芳次郎さんのお宅で誌友会がある時に行きましたら、その時に野沢さんは夫婦でしめし合わせて、夫は郵便局から、妻は実家から来て、
私に面会せられたのであります。

 その奥さんの話によりますと、姑と仲が悪くて、あるとき姑さんに口ごたえをしたら、姑さんが頬っぺたをなぐった。
それを避けようとしたら姑の手のひらが、耳に当って鼓膜が破れた。それ以来、耳が聞えなくなったと言うのであります。
そうして姑さんが物を言っても知らん顔をしているので、姑さんの気に入らないのです。
「だって鼓膜の破れたのは、一方だけなんでしょう」「はい」
「ところが両方とも一緒にきこえんようになったというところに、其処に、その耳のきこえないのは単に殴られたという物理的原因だけではないものがあるのですよ」
とからか害を受けて、そうして相手をゆるさないで、相手を咎める気持でおったら、その害された状態は、“相手が悪い。私に害を加えた”という“証拠物件”として、
その被害状態を湮滅してはならないと潜在意識がはたらいて、その被害状態を治さないのですよ。あなたは“耳がきこえなくなった”という“証拠物件”を何時迄も保存しておきたいのですよ。
すると、その証拠物件たる難聴が治らないんですよ。治るためには姑をゆるしなさい。姑を許したらもう難聴という証拠物件が要らなくなるから難聴が治るのですよ」
こう言って姑さんをゆるす神想観を二人でしました。

 それから一週間程しましたら、その難聴が治ってよくきこえるようになったのであります。
さて、難聴が治りますと、「治ったのなら、お前嫁入り先へ帰って来い」ということになりまして夫の許へ
帰りましたが、帰りましたら又その姑さんのそばへ寄ると又時々聞えんようになる。
そうして外へ出るとよくきこえる。そういう過渡時代もありましたけれども、よくよく反省して心を改めて「何でも
姑の言うことをききましょう」という気になりましたら、よくきこえるようになったということを、その後、報告されて来たのであります。
その話の後日談でありますが、実は、野沢さんの奥さんは、姑さんと仲が悪い時分に妊娠していたのであります。
そうして「この家を出ようか出まいか」と思っていた時代なんです。その時分にいよいよ出産という時になると、産気づいて二昼夜たっても、
どうも子供が出ないのです。大変な難産でした。それで医者が来て鉗子でつかんで引っぱり出した。
それでやっと産まれたのであります。どうしてそういう難産になったかと言うと「この姑のいる家を出ようか出まいか、出ようか出まいか...]
母体が思い悩んでおるそれがちゃんと肉体に具象化して現われたのです。私は説明いたしました。

つづく

1689うのはな:2012/11/28(水) 23:32:09 ID:shBPIho6


1688つづき

「しかし姑さんに“あんたが殴ったのでこうなった”というような、姑のことを口実にして自分の『言うことをききたくない心』を弁解する気持ではこの耳の病気は治らないですよ」
野沢夫人の話すところによりますと、夫人の耳がきこえなくなって姑の言うことに返事をしなくなりますと姑は野沢夫人に、「お前そんな聞えないような事ではもう家庭におっても仕方ないから
実家へ帰って養生せよ」というので追放されて実家へ帰っているのだということでした。
それだから夫人は実家の方から誌友会へやって来ておられたのでした。

 私は更に耳の病気の原因について説明を続けました。
「あんたの其の殴られん方の鼓膜の破れない耳も聞えなくなったのは、それは何も鼓膜の結果じゃないんじゃないの?
人間と言うものは鼓膜で聴くんじゃないんだよ。心できくんだ。鼓膜なんか無い方が、音が素直に中まではいるんです。
鼓膜なんて、何も拡声器になってやしないんだよ。それだから、耳の聞え難い人が、補聴器を使う場合に、耳につける補聴器もあるけれども、
歯で咬んで聴く補聴器もある。口の中からも鼻の中からでもきける。

 あーんと口を開けておってでもきこえるんですよ。鼓膜は無かった方が余計きこえるのですよ。
鼓膜は中耳へホコリが入らないための襖に過ぎない。その証拠に、あんたラジオ・セットにスイッチを入れておいて、
襖を閉めて襖のこっちからきいてご覧なさい。襖を閉めてある方がきこえ難いから。

そして襖を開けた方がよくきこえる。だから、鼓膜が破れたから聞えないというのは、あんたが姑さんに因縁つけているというもんです。
“姑が殴りやがったからこんなにきこえなくなったんだ、姑の乱暴のおかげじゃ”というのでその姑を憎んでいるから、それできこえないのですよ。
誰からか害を受けて、そうして相手をゆるさないで、相手を咎める気持でおったら、その害された状態は、“相手が悪い。私に害を加えた”という“証拠物件”として、
その被害状態を湮滅してはならないと潜在意識がはたらいて、その被害状態を治さないのですよ。あなたは“耳がきこえなくなった”という“証拠物件”を何時迄も保存しておきたいのですよ。
すると、その証拠物件たる難聴が治らないんですよ。治るためには姑をゆるしなさい。姑を許したらもう難聴という証拠物件が要らなくなるから難聴が治るのですよ」
こう言って姑さんをゆるす神想観を二人でしました。

 それから一週間程しましたら、その難聴が治ってよくきこえるようになったのであります。
さて、難聴が治りますと、「治ったのなら、お前嫁入り先へ帰って来い」ということになりまして夫の許へ
帰りましたが、帰りましたら又その姑さんのそばへ寄ると又時々聞えんようになる。
そうして外へ出るとよくきこえる。そういう過渡時代もありましたけれども、よくよく反省して心を改めて「何でも
姑の言うことをききましょう」という気になりましたら、よくきこえるようになったということを、その後、報告されて来たのであります。
その話の後日談でありますが、実は、野沢さんの奥さんは、姑さんと仲が悪い時分に妊娠していたのであります。
そうして「この家を出ようか出まいか」と思っていた時代なんです。その時分にいよいよ出産という時になると、産気づいて二昼夜たっても、
どうも子供が出ないのです。大変な難産でした。それで医者が来て鉗子でつかんで引っぱり出した。
それでやっと産まれたのであります。どうしてそういう難産になったかと言うと「この姑のいる家を出ようか出まいか、出ようか出まいか...]
母体が思い悩んでおるそれがちゃんと肉体に具象化して現われたのです

1690ハマナス:2012/11/28(水) 23:32:18 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

薬剤は補助的工作 (『新版 生活の智慧365章』P.299)

 治病のための、どんな物質的手段や処置法が発見されようとも、知病の力は「生命」その
ものにあるのであって、薬剤や色々の処置方法は、自然の治癒力を妨げないように補助的
工作をするに過ぎないのである。補助的工作も、坑道の落盤を防ぐために坑木をもって支える
ことが必要なのと同じように、必要ではあるけれども、補助的作用に頼りすぎることは、神
(生命の本源)に頼る心をそれだけ減殺することになるから、一方で或る利益を得ながら、
一方で或る貴きものを失いつつあると言えるのである。

感謝合掌

1691a hope:2012/11/29(木) 06:36:24 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦人間自身が運命の彫刻家

吾々は「自分の心」と云う鑿(のみ)で自分の運命を彫刻している彫刻家のようなものです。
自分の心の動かし方の一つ一つが未来の自分の運命を、良くも悪くも彫(きざ)んでゆきつつあるのです。

心の一つ一つの動きをゆるがせにしてはならないのです。
一寸(ちょっと)した腹立ちの心、一寸した憎しみの心、一寸したイライラした心、ブツブツの心、
それなども必ず肉体の或る形をきざみつつあり、境遇(まわりあわせ)にある形にきざみつつあると云うのは事実です。

あなたが中年や老人になって額や眉間に皺が出来たり、目尻に皺が出来たりするのは、
心の動きで目に見えぬほどずつ積りつもった皺が何十年もするうちにそんな形にあらわれたのです。

あなたの皮膚にニキビやオデキやジンマシンのブツブツが出来るのも
あなたの心のうちにブツブツとふくれる心があるからです。

ゲーテも「吾らの心が吾らの肉体の上に及ぼす力は驚くべきものがある。
されば心をして常に自分の肉体の主人公たらしめよ」と云っています。

心は肉体をそのように彫むだけではありません。境遇をも運命をもきざむのです。
自分が常に明るい心を持っておれば明るい楽しい運命がつくられます。
自分が常に悲しい心を持っておれば、悲しい運命がつくられます。
(つづく)

1692ハマナス:2012/11/29(木) 10:09:01 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま

おはようございます。
私事で、恐縮ですが、今日は子供の誕生日です。私を母と選んで生れてきてくれた事に
感謝いたします。そして神様、ご先祖様ありがとうございます。

「人間」は肉の集合体ではない (『新版 生活の智慧365章』P.300より)

 「人間は物質で構成されている肉体だ」という見解が、蛇の知恵に教えられて人間が食べた
ところの「知恵の樹の果実(み)」である。“蛇の知恵”即ち唯物論は「人間は物質で構成
された部分品の集合体である」と教えるのである。果たして然らば、人間の片腕を切れば、
その人間は「一人」たる資格を失ってしまうであろうか。彼は「人間マイナス片腕」となって
しまうであろうか。そんな事は決して無いのである。片腕又は片脚を失っても、大いに奮起
して、両手両脚を有する人よりも人間的な仕事を為し得る人もあるのである。そうすれば、
人間そのものは、肉体の部分品の増減によって、増減するものでなないことが判るのである。
  
 人間が単なる肉体であるならば、肉屋の店先にぶらさげられている骨のついた牛肉と大差
はないのである。それは目方によって価値が秤(はか)られなければならないが、実際は
そんな事なないのである。目方の少ない小さな人間でも、目方の多い巨人のような人間よりも
価値多きことがあるのである。これによっても、「人間」は単なる物質でないことを知ること
ができるのである。

感謝合掌

1693うのはな:2012/11/29(木) 15:27:51 ID:YT9aDVnY
    今後の日本の進むべき道

 『新しい開国の時代』に総裁谷口清超先生は、この国際時代にわれらは何を為すべきかについて
次のようにお示し下さっている。
《連綿とした継続の中に異なる形や個性が表現されるという「諸法実相」の真理が深く理解されなければならない。この
理解が乏しい時、「異」のみをあげつらって争いを激化させ、「同」のみに固執して「新しい鎖国」を実現しようとする。
こうなると「普遍性」と「個性」とが対立し合い、それを内包して自己同一化することが出来なくなるのである。
かつての時代の「島国根性」は、現代に於いてもしばしば見出され、それをもって「日本精神」と誤解している輩も亦ないことはない。

 しかし、新時代の日本は、どうしてもそのすぐれた中心帰一の天皇国家の個性をどこまでも護持すると同時に、広く全世界に向って普遍的な
愛と正義を実践して行かなければならないのである。(中略)
 こうして必然的に新しい日本は全世界とさらに一層交流を活発にし、輸出もするが、輸入もやるのである。
輸出か輸入か、そのどちらかに偏るのではない。これが『自然流通の神示』に示されているところの古くて新しい教えである。≫(三一四〜三一六頁)
また『伸びゆく日々の言葉』には、次のように述べられている。

《 もしあなたが日本を愛するなら、日本をよい国にしなければならない。日本がよい国になるということは、日本が、独自の個性を発揮し、中心帰一の
 “真理国家”となると共に、世界各国に愛される“国際国家”に成長することである。≫(四二頁)

《 日本国も立派な歴史と文化を創造した。しかし諸外国にもすぐれた国や国民が沢山いることを忘れてはならない。
 それを否定して夜郎自大をきめこみ、増上慢に陥る時、日本人は神意にそむき、進歩発展を停止するか、さもなくば失敗するであろう。
 過去の敗戦の歴史もその一端を示す。それ故、自国を閉鎖し、諸外国の文化やすぐれた産品を除外し、日本を孤立化させてはならない。》(四三頁)

 このようにわれらは世界に誇るべき天皇国日本を護持するために、政治家をふくめた日本国民がすべて天皇の大御心に還帰し、国家エゴイズムを超えた「神の国」
を実現しなければならない。ここに生長の家の国家観と今後の進むべき道があるのである。

『光の国から』渋晴雄 先生著

1694a hope:2012/11/30(金) 06:39:37 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦どんな心の働きでも脳髄に印象せられます

心が肉体から去ったら、肉体は動かなくなります。
肉体を動かしているのは心の力であります。その心がなまけていては肉体は完全に動きません。

その心が「病気になる方が学校を休めて好い」とか
「あまり忙しいから、病気にでもなって一週間も休んで見たいな」などと考えているようでは肉体は達者になりません。

大体、どんな心の作用でも、脳髄に印象せられるのであります。
すべて吾々の霊魂(たましい)は自分の思いを「脳髄」と云うラジオ・セットに送って、
そこから身体(からだ)の各部に命令をつたえます。

だから身体各部を密接(ぴったり)に脳髄に連絡しているのであって、
脳髄で考えられたことは「運動する」と「しない」とに拘わらず、
必ず肉体各部に伝わって何らかの印象なくとも「憂鬱な考え」(おもくるしいきぶん)を心に起しますと、
直(ただち)に脳髄からそれが筋肉につたわり、顔の筋肉が憂鬱な形にふさぎ込みます。

それはただに顔の筋肉に伝わるばかりではなく、全身の神経につたわりますから、
胃腸の働きも憂鬱にして、便秘を起こしたり、消化不良のために下痢を起こしたりします。

血液の中にも毒素が出来ます。
呼吸器や循環器にも影響を与えまして、血のめぐりが悪くなり、したがって、
血液の色も悪くなり、青ざめた顔になったり静脈がゆるんで、皮膚に青すじが太く出来たり致します。

健康になり容貌(かおかたち)が美しくなるためには、
心が晴れやかに、明るい気持にして、生活することであります。
(第八章終り)

1695さくら:2012/11/30(金) 08:22:03 ID:e8ieIrPA
「到彼岸の藭示」谷口雅春先生

自他一體の藭示

『生命の實相』を読んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものはまだ生命の實相を悟つたものではない。眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、其處に『結び』の力が發現するのである。『結び』は愛の力、慈悲の力、藭の力、佛の力である。
これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、ムスビによつて醸生(藭)の力、即ち生々化育の力が發現して来るのである。
 だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、ただ話をするだけで病氣が治るのである。話すのが下手なら『生命の實相』の中の『光明の眞理』のところを、本の由来を話してから讀んで聞かせてもよい。

藭の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。怒つたり、審判いたりするのは心で切るから善くない。離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。『藭』は『道』であると云うのも『道』と云ふものは離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち藭である。結び合はす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも藭に遠い。

 一人の男子が縁があつて一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、それを圓く結んでやるのが道である。藭の道を知り『生命の實相』を知ると云うこともその道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。自分はもう藭と直取引が出来るから掛けになつた人の恩は忘れても好いと思ふやうな人は、自分はもう藭を知つたから藭に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。『生長の家』を知らせてくれる人は其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。

日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。今度の戦ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩の戦ひ、『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戦ひである。
バラバラに分離する働きは結局自滅して『結びの働き』が世界を統一する。
医学でも大和の医学は結合の医学であるが外國の医学は分析の医学である。
『生命』は結合の統體であるからバラバラの医学では解らぬ。
(昭和七年二月四日藭示)

1696うのはな:2012/11/30(金) 11:23:21 ID:rDrPNupg
   聖使命新聞 昭和四十六年十二月十一日号 途中一部抜粋

 神想観を修しているとき、「生長の家の教えをしておられる本尊の神様のお姿を拝ませて
下さい」と一心に祈ったら、観世音菩薩が姿を現わされた。そして、それはまだ生長の家のマークがない
四年前だったのに、その観世音の頭を飾る宝冠の中央にあの生長の家のマークをつけておられたというような、
奇跡的な、神秘的な現象があったということは、もう多くの信徒の知る所でありますが、これは観世音菩薩が人類救済
のため法華経の真理を説くために出て来ておられるのが“生長の家”だということをあらわしている。

 そしてその法華経の真理が説かれたものだから、それを讃歎するために竜宮界の本地に坐します住吉大神ー即ち多宝如来が
“七宝の塔”に乗って地上に出現せられて「善い哉、善い哉、釈迦牟尼仏、法華経を説き給う」と、嘗て讃歎されたように、私が
『生長の家』誌によって、法華経の真理を説いているとき、竜宮界から、住吉大神が顕われて「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を
説き給う」と讃歎せられたのであります。

 その竜宮界にまします多宝如来すなわち住吉大神が出現せられて「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を説き給う」と初めて姿を顕わされた
のが、今神戸市東灘区にある「生長の家発祥道場」となっているところの、あの家の奥座敷に、私と家内とが相対座して神想観をしているその時に、
今、東京の生長の家本部の正門の上に、服部仁郎先生の作であるところの住吉大神(生長の家大神)の像がありますが、あの像の如き住吉大神のお姿で
私の背後の空中に立っておられる白髪の老翁の神のお姿を拝したというわけであります。

 それからあの神姿は霊覚ある熱心な諸方の信者たちの前に姿を顕わされた。
カナダのトロントにもお姿を顕わされたり、インドにもお姿を顕わされたりして、それは単に一人の人が空想的に幻を見たのではないのであって、本当に実在
する神の顕現であるということを証するために別々の人に別々の所で同じ姿をもって顕われておられるわけなのであります。

つづく

1697うのはな:2012/11/30(金) 11:24:02 ID:rDrPNupg
    天照大神の霊統をつぎ給う〝天皇〟

 この神姿が、竜宮の大神・住吉大神・多宝如来のお姿であります。竜宮は一切の富の本源でありますから、
多宝の世界であり、七宝充満せる世界であり、そこは時間・空間以前の世界でありますから、そこは年寄らない世界
であって、浦島太郎の神話にあるように、あの竜宮界へ入って行けば、年寄らないという事になるのであります。

 皆さんも神想観をして、その度ごとに竜宮界即ち実相世界へ入って行く。
言い換えると、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」と、実相の世界に度々お入りになって、現象界の人間は老いるものである
朽ち果てるものであるという妄想を洗い浄められる其の程度に従って、その人は常に若々しく元気で長生きできるということになるのであります。
その多宝如来が、姿を顕わされたその多宝塔の姿に模してこしらえたのが、宇治の別格本山に竣工しましたところの「神癒の社」と言いますのは、
そこは時間・空間を超えた無量寿の生命の世界であるから、あそこへ入れば、一切の地上の妄想、迷い穢れ、及び、憤り、憎しみ、恨み、貪欲、憂え、悲しみ、
その他一切の悪しき地上の想念感情は悉く洗い浄められて、そして本来の実相の完全な生命のすがたを復元するということになるので、
それは、「神様の癒し」というので、仮りに「神癒の社」と名づけた訳であります。

 こうして生長の家の教えは、竜宮の大神・多宝如来・住吉大神が出現せられて、「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を説き給う」と讃歎せられたので、法華経の真理
本当の真理ーが説かれている教えだということがわかるのであります。
その宇宙の真理、実相の世界の姿というものの根本が、天照大神の霊統をつぎ給う天皇を中心とする
「日本国の実相」であるわけです。それだから吾々の運動には自然に、愛国運動とか、明治憲法復元運動というものが起こって来るのであって、決して、谷口雅春が勝手に
なんでありますそんな教えをしたら皆が感心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって私はただ竜宮の大神の説き給う華厳経の真理・法華経の真理を伝えるラッパ
であるという訳なんであります。

1698神の子さん:2012/11/30(金) 17:36:05 ID:???
>>1695
>>これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、

どういう意味ですか?

1699さくら 訂正:2012/11/30(金) 22:06:48 ID:e8ieIrPA
>>これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、

>>これを日本古道でムスビ(産霊)言ひ、

1700さくら 訂正:2012/11/30(金) 22:12:34 ID:e8ieIrPA



観覧者のみなさまへ


聖典謹写の際、気をつけておりますが、
iphonからしか打ち込めないことも多々あり、

打ち間違いがしばしありましたら、深くお詫びいたします。


ご指摘には感謝いたします。




1701ハマナス:2012/11/30(金) 22:57:57 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

「肉体」から「廻れ右」させる「喝」 (『新版 生活の智慧365章』P.301)

 生長の家では「人間は肉体にあらず物質にあらず」と説く。また、「物質は無い、肉体は無い、
現象は無い」とも説く。これらは悉く人間を物資として、又、肉体として把握している人々の心を、
一転して「人間は“神の子”であり“霊的実在”である」と云う自覚に振り向けるための“一転語”
であり “喝”であるのである。

ある西洋人は「 “病気は無い”と念じて病気が消えるのなら、“肉体は無い”と念じたら肉体が
消えてしまう筈ではないか。それなのに肉体が消えないのは論理に矛盾があるのではないか」と
質問したそうである。元来、「肉体は無い」とか「病気は無い」とか言うのは、肉体や病気を、
どうにもならない固定物質として把(つか)んでいて、心で把んでいるから、その心が肉体や
病気に固着していて自由を失ってしまい、本来の“霊的実在”たる人間の実相をさとることが
出来ない状態の人の“心”を、肉体や病気から振り向いて“廻れ右”させるための一転語なので
ある。そしてその一転語が功を奏して其の人が“肉体”や “病気”から念を放してしまった
ときに、念によって「実相の完全さ」が表面にあらわれて健康が恢復するのである。従って
「肉体は無い」と云う念が徹底しても、肉体が消滅することにはならないで、却って肉体に健康
があらわれるのである。

感謝合掌

1702うのはな:2012/12/01(土) 01:14:20 ID:q1/hjc9I
Q 生長の家の教えとはどんな教えですか?その特徴を簡潔に教えてください。

A 谷口雅春先生のご著書『實相研鑽』第二集に、そのご質問の回答に相応しい箇所があります。
要約してお伝えします。
 各宗門は「宗門」と言われますように「門」であります。その門がいいとか悪いとか争っていますが、
これが宗教同士の争いであります。門には良し悪しがあり欠陥があったり、人の気を引くための対機説法で
「人間罪の子」や業を強調したりします。

 しかし「門」はどの門から入っても、奥の院に行くためにあるものです。
奥の院にはただ一つの大真理があるだけであります。しかしこの奥の院の真理に辿り着くためには門に掛かっている鍵を
開かねばなりません。この鍵を開け、その宗門を通って奥の院に導く者こそが生長の家なのです。
その門を開ける鍵は「唯神実相論」という鍵です。「唯神実相論」とは、神のみが実在であって、悪も罪も病気も神はお造りにならなかったから、
それらはことごとく存在しないと断言します。それを“現象なし”と言います。

 これが奥の院に直結している真理でありますが、この真理を印刷物による“文書伝道”という全く新しい独特の方法によって普及して来たのが生長の家
であります。
 第二の特徴は、「生長の家は日本的宗教」だということです。日本的と言うと狭いように聞こえますが、
「日本的宗教であるから広い」のです。なぜなら「天皇信仰の宗教」であり、「天皇」とは実相世界の中心に在す存在であり、「神意の天に成るが如く地にも成らせ給え」
というキリストの祈りを成就する教えだからであります。

 どういうことかと言いますと、「神意の天に成る」世界とは、多くの中心があるのではなく、唯一つの神が中心にあり、その中心に帰一して諸々のものが秩序整然と調和している世界
であります。その「天に成る世界」を「地にも成らせる」世界とは、一つの王がましまして、全ての人間がおのおのの天分に従って、しかも他と衝突することなく調和する世界であります。
「一つの王」とは、天之御中主神(幽の幽なる神)−天照大御神(幽の神)−瓊々杵尊(幽の顕なる神)−天皇(顕の神)の系譜を持つご皇室であり、民が君に中心帰一し調和する一君万民の
姿をもって、祭りと政事(まつりごと)とが一つである祭政一致の実相の理想的模型国家が日本国家であります。
その日本国家のあり方が全世界に拡がることが「神意の天に成るが如く地にも成らせ給え」のキリストの祈りの成就ということになるのであります。

 そして、その成就を使命とするものこそ「生長の家」なのだということであります。

『谷口雅春先生を学ぶ』 生長の家入門 平成十六年五月号

1703さくら:2012/12/01(土) 10:29:12 ID:e8ieIrPA
『秘められたる藭示』  谷口雅春 先生

萬教包容の藭示

 キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると云ひ、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると云ひ、天理教では大和の丹波市が世界の中心であると云ひ、天行居では周防の岩城山が世界の中心であると云ふ。世界の中心争ひも久しいものである。

併しわれは言ふ、それらは悉く皆世界の中心であると。一定の場所が世界の中心だと思つてゐるものは憐れなるかな。生命の實相の教へが最も鮮かに顕れたところが形の世界の中心であるのである。そこは最も世を照らす光が多いからである。

基督教でもイエスの教へがエルサレムに最もよく輝いてゐた時代はエルサレムが世界の中心であつたのである。天理教でも教への光が最もよく輝いてゐた時代は大和の丹波市が世界の中心であつたし、大本教でも教への光が最もよく輝いてゐた時代は丹波の綾部が中心であつたのである。わが行きてとどまるところは悉く世界の中心であるのである。

誰にてもあれ生命の實相を此世に最も多く輝かせた處に吾は行きてとどまり其處が世界の中心となるのである。十字架の本地も、卍の本地も悉く日の本にある。『+』もヒノモトと讀み、卍もヒノモトと讀む。いづれも中心より四方に救ひの慈光の放射された相を形どつたものであるからヒノモトと讀むのである。
古藭道ひとすぢで行く、基督教ひとすぢで行く、阿彌陀ひとすぢで行くと云ふやうな人があり、そのひとすぢの所に誠があらはれてゐて喜ばしいが、大抵は自教の外に他教を認め、他と混りたくない意味で云ふのであるから、自分で自分の崇める藭なり佛なりを小さく貶してゐるのが氣の毒である。
本當の藭は一つであり、他の藭と對立するやうな小さな存在ではない。

本當の古藭道は自餘の一切の教を包括するものであり、本當の基督教は自餘の一切の教へを包括するものであり、本當の佛教は自餘の一切の教へを包括するである。そして如何なる教にてもあれ一切の教へを包括する本當の實相に到達したとき『生長の家(たかあまはら)』と云ふのである。それは天爾の『家』であり『巣』であり『統』であつて教ではない。その家の中にあつて色々の教が生きているのである。

本當の古藭道は『生長の家』の内にあり、本當の基督教は『生長の家』のうちにあり、本當の佛教は『生長の家』の内にあり、生命の實相の顕現する所、説かるる所、讀まるる所、その悉くが世界の中心である。

(昭和七年七月七日朝藭示)」

1704「訊け」管理人:2012/12/01(土) 10:50:49 ID:???

『幸福を招く365章』60頁より謹写――

◆悪に対して悪を以てしてはならぬ

 あらゆる物は神の創造であるから、すべてその実相(ほんとのすがた)は善である。若しそこに善があらわれていないならば、それは其の物から吾々自身が善を呼出さないからである。若し吾々がすべての物から善を呼び出すことに成功するならば、すべての物は「善」に姿をかえてしまうのである。善を呼出す秘密の法は、「あなたは善である。あなたは神の子であるから、悪である筈はない。悪に見えるのは私が心の中に悪を描いて見るからで、誠に申訳ございません」と、人に対してでも、物に対してでも、心の中で強く呼びかけることである。悪に対して、暴力や言葉や威嚇で対抗したり、徒(いたず)らに嘆いて見ても何にもならない。


◆悪に抗するなかれ

 今のことを有り難く受けよ。今の事を素直に受けよ。この世の中に無駄な事は何一つないのである。悪しく見える事は、過去の悪しき想念の力が形にあらわれて消えて行きつつあるのである。「悪に抗する心」を起すとき、吾々は「悪」を実在として身構えするのである。「悪」を実在として観る心を起すとき、「悪」の外見的存在は、それを実在と観る心の力に支えられて、却って消えない事になるのである。相手の「悪」を見ないで、その悪と見える仮相の奥に存在する「善」を見よ。「悪」を見て瞞(だま)されないよりも瞞(だま)されても尚相手の善を信ずる者は幸福である。

1705神の子さん:2012/12/01(土) 19:08:35 ID:???
>>1700
iPhoneから打つと毎日IDが変わるんですけど、さくらさんのiPhoneはずっと同じですね

1706ハマナス:2012/12/01(土) 21:23:16 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

肉体も本来仏の現成  (『新版 生活の智慧365章』P.302)

 「肉体は無い」「物質は無い」と云うことは、換言すれば、吾々は五官の感覚のよって一切の
存在を翻訳して、それを便宜上「物質」と見、「肉体」と見ているけれども、それは日常生活の
便宜上の翻訳であり、寧ろ誤訳であると云うことができると云うのである。翻訳せずに、その
実相を把握すれば、物質と見えているものは物質ではなく「山川草木国土悉皆、仏の現成(げん
じょう)」だと云うことを意味する。肉体と見えているものもそれを誤訳しなかったら、それは
肉体ではなく神の生命そのものの示現なる霊的実在であると云うことを意味する。

 こうして「物質と見えているもの」が実は物質ではなく、仏の現成であり、「肉体と見えて
いるもの」が実は肉体でなく「霊体」であるとするならば、さて、何処にも物質はなく、肉体は
なく、それを物質と見、肉体と見るのは、迷妄であり、幻想であり、誤訳であると言うことが
できるのである。「物質は無い」「肉体は無い」と云う意味はこのような意味なのである。

感謝合掌

1707ハマナス:2012/12/01(土) 21:52:11 ID:x2zmnlqw

『生命の實相』第38巻  幸福篇下 P.158より謹写

 もっともっと気高く生きよう、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も考えまい、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も為すまい。

 他(ひと)を助けよう、
 他(ひと)のためになろう。
 他(ひと)に愛を注ごう。
 愛を注げば、
 愛が自分に還って来る。

 悪い人というのは本来一人もない、
 地獄というものも決してない。
 悪いことがそこに語られるとき
 そこが地獄であり、
 それを語る人が悪い人である。

 汝の世界に天国浄土を実現せんと欲するならば
 決して人の悪を語るな、
 決して人の悪を思うな、
 天国を目指しつつ人の悪を語るものは
 必ずや穽(おとしあな)に陥って地獄へと墜落せん。


 感謝合掌

1708ハマナス:2012/12/01(土) 22:29:22 ID:x2zmnlqw

光明法語〈道の巻」谷口雅春先生著作集  第1巻

   十二月一日の法語   去私すなわち神

「わが魂の底なる神よ。あなたのみ声を誤りなく聴くことが出来ますように。あなたの
み心が私の心となって顕れてまいりますように。我(が)をなくならしめ給え。わたしの
行いがあなたの行いでありますように」。これが私の祈りである。我がなくなったとき、
其処に神が顕れる。神が顕れたとき、其処には完全円満のみが存在するのである。悪しき
ものは存在しない。それは我の顕れに過ぎないのである。私心を去ったとき唯円満完全
のみがあらわれる。あまり自分でたくまぬが好い。

感謝合掌

1709さくら:2012/12/01(土) 23:01:14 ID:e8ieIrPA
到彼岸の藭示
   谷口雅春先生
 
『いのちのゆには』の藭示

見眞道場(いのちのゆには)とは眞(まこと)を見はす齊めの場である。『眞(まこと)』とは『生命の實相(せいめいのまことのすがた)』のことである。齋めるとは迷ひを除くことである。人は藭の子であるから、その實相を見はせば病なく、悩みなく、死なく、一切の不幸は無い。人の世は、藭の子と藭の子とが相寄つて造つてゐる世界であるから、その眞實の相があらはれれば、人と人、階級と階級、國と國との争ひも戦ひも自然に消える。

實相をさとつた人が少ないために皆が苦しむのである。假相を實相だと思ひ誤り、皆が苦しんでゐるのが可哀相であるから、さきには智慧の光で迷を照破するために、聖典『生命の實相』を造らせたのである。これを讀むだけで救はれる人は餘程藭縁の深い人達である。此の藭縁をおろそかにせずに人に傳へて尚々多くの兄弟を救ふやう協力せよ。人はすべて藭に於て兄弟である。人を救ひ道を傳へようと思へば、それが愛即ち藭心であるから、その人に藭は偕にありて藭の言葉を其の人に話さすのであるから、自分はまだ人に話すだけの力がないなどと思はず、其の時に『生長の家』について思出したことを話せば、それが種子となつて相手が救はれる。人は種子を播きさへすれば好い。教への種子は藭が人の心の中へ吹き込むから、思い出すままに語ればそれで相手が救はれる。人ひとりでも救ふのは藭の前に大いなる仕事である。

此の事はだいじである。本だけ讀んで悟れる程の境に達してゐない人のためと、人を救ふために尚一層深く知りたい人のために、智慧の光に、愛の温かさを加へて色々世話をやくやうに智と愛との十字で曼陀羅を織らせるのが見眞道場(いのちのゆには)である。これから人を救ふための天使の靈の宿つてゐる善き人たちが諸方から此の道場へ集まつ来て、奇蹟(てほん)を此の道場(ゆには)で見せる。愛の心で来るものは藭徳を受けて歸るが、審判く心や素見し心で来るものは藭と心の波長が合わぬから其の心が直らぬうちは藭徳は受けられぬ。

(昭和七年三月十四日藭示)

1710さくら:2012/12/01(土) 23:16:00 ID:e8ieIrPA
『生活と人間の再建』  谷口雅春先生
 
「 光に對して眼をひらけ

 人は罪を犯したが故にとて、藭に跪いてその赦しを求めるのであるが、罪とは果して何であるか。罪とは實相に對して目をつぶつてゐることであつて、それは眼をつぶつた目に光の存在しないと云ふことにすぎないのである。

それは罪といふ實物が存在するのではなくして、光に對して目をとぢてゐることだけの消極的状態にすぎないのである。吾々は唯目を開けば好いのである。ただ赦せばよいのである。餘りに赦す心なく、心のレンズを絞るから光が入らないのである。自分自身の心を小さく絞ることをやめよ。」



1711a hope:2012/12/02(日) 10:24:14 ID:ueIDSztA
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦愉快な生々(いきいき)した人になれ

何よりも吾々は人らしい人になることが必要なのです。
神の子の生活と云うのは別に人を離れて神の子の生活があるのではございません。
それでは人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、お釈迦さんは、
「笑うべき時に笑わず、悦ぶべき時に歓ばず、慈心(なさけごころ)を起すべき時に慈心を起さず、
悪を作(な)して恥じず、善を聞いて意(こころ)に著(つ)けない人は確かに人らしくない人である。」そして又こう云われた。
「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪を作(な)して恥じ、善を聞いてそれを意(こころ)に感銘する者は確かに人らしい人である。」

愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳であるのである。
美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。
徳と云う字は「直心(じきしん)を彳(ぎょう)ず」と云うことを文字に組み合わせたものである。
直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。
即ち笑うべき時に笑うことである。歓ぶべきときに歓ぶことである。
なさけの心を起すべきときに、素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。

歓びと云うものは、身体(からだ)の血のめぐりをよくし、勉強や仕事をする力を増し、
悲観したり気が鬱(ふさ)いだリしている人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。

日本人は、古くから、「喜怒(きど)、色に現さず」と云って歓びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても
其(そ)の怒りを顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、これは大変な間違いだったのです。
多くの病気は、心の中に持っているよろこびや悲しみを形にあらわさないために起こるのです。

怒(おこ)ることは感心しませんが、素直な気持で、何でも心に思っていることを出すようにしていますと、
心にものがたまって腐ることがありませんから、怒(いか)ることも自然になくなるのです。
何でも心を自由にしている人間の実相は愉快なのが本当ですから、愉快に楽しくなるほかはないのです。

常にニコニコ微笑している者は身体(からだ)も達者であります。微笑とは「ほほえみ」です。
「頬」に何となく嬉しさの笑(わらい)が浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。人間は愉快な時にも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。

マドリッドには「ラーフ・キュアー」(ニコニコ治療)の病院がありました。
そこでは普通の医療で治らない人たちが、入院して毎日鏡を見て笑う稽古をするのです。
どうしても笑わないヒステリーの患者などは、唇と歯の間に燐寸(マッチ)の軸木(じくぎ)をバネのように突込んで、
その形が可笑しいと云って笑わせたりします。わらっているとズンズン健康になってくるのです。
(つづく)

1712神の子さん:2012/12/02(日) 13:44:08 ID:jBAYE4o2
>>1705
iPhoneの設定もいじれない情弱乙

1713「訊け」管理人:2012/12/02(日) 17:57:26 ID:???


 >>1712は、『生命の實相』(和解例外篇)よりの謹写?


二日の経言――
心の独立を得る言葉

 自分は神の子であるから、今自己の生活を、意識的に自分自身で支配するのである。自分は今より自分の考えようと思う事物をのみ考える。自分は自分の生活に何事が湧いて来ようとも自己の心を支配することによってそれを支配することが出来るのである。吾等は自己の思想を日に日に一層よきものたらしめ、創造を司る宇宙霊が、吾等に一層幸福なる状態に此の世界を創造して呉れることを信ずる。吾等は至上の智慧に導かれんがために、真理についてのみ考えるのである。吾等は、あらゆる智能に優った神的平和を獲(う)るために信仰の事についてのみ考えるのである。
 吾れは今愛の霊に充たされている。吾れは今聖なる宇宙の心と調和している。吾れは今心を開いて至上なるものの感情を胸に受けているのである。吾れは今意識的に愛とそして智慧なる宇宙の心に接触している。吾れは今神の御側(みそば)にはべって、神が吾が力を新たならしめたまうのを待っている。吾が心は今神の上にのみ注がれている。それ故に、吾れはすべての人々に対して、又自分自身に対しても平和なのである。如何なる禍も自分の上には降り濺(そそ)がない。愛の天使が自分の周囲をとり巻いている。吾れはいま吾がいのちが神の子であることを知るが故に、無限なる者の力をうけて歩むのである。吾らは神の子として生きて決して奴隷の如くには屈従しない。われは法則を守り、法則は吾れを護るのである。われは法則に従い、法則はに吾れに従うのである。吾れは無我の聖悦に充たされながら、神に吾が胸を打ちまかすのである。今此の時、吾れは神の援助の慈手(やさしきみて)が吾が上に来ている事を感ずる。吾れは歓喜(よろこび)に充たされている。吾れは強し。吾れは今生命を愛とを吾が裡に感ずる。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1714ハマナス:2012/12/02(日) 22:57:55 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

「肉体」とは「霊的実在の誤訳 (『新版 生活の智慧365章』P.303)

 霊的実在のみが“本当に在る”のである。それを物質と見るのは誤訳に過ぎない。誤訳の文章は
あるかのように見えても、“本当のもの”を表わしていないから、それが表わす意味のものは
「本来無い」ものを「ある」かの如く表現しているに過ぎないのである。「物質はない」「肉体は
ない」と言うのは。そういう意味なのである。

誤訳には何等本当の実質はあり得ない。それと同じく、物質には何ら本当の実質はあり得ないので
ある。従って肉体、そのものもただ誤訳者たる “心”の表現であるほかの何ものでもないのである。
訳者が異なれば誤訳の程度が変わって来て、多少「原文」の意味をあらわして来るように、“心”が
多少真理を理解すれば、多少「実相」の本当の姿がわかって来て、肉体にも、より多く実相の完全な
有様を表現することになるのである。それが即ち、『生命の實相』を読んで真理をさとれば肉体の
健康度が改善される所以である。

感謝合掌

1715a hope:2012/12/03(月) 07:52:02 ID:ueIDSztA
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦人の欠点を見るな

常に愉快でいるためには人の欠点を見てはなりません。
人間に有りがちな最も悪い癖は、人の欠点(よくないところ)を見る癖です。アラサガシの癖です。

人生を不愉快にする一番悪い癖は、このアラサガシであります。
家(うち)の中に一人、此のアラサガシの癖を持った人がいますと、その家庭が面白く愉快になりません。
団体の中に一人、仲間のアラサガシをする人があると其の団体はバラバラに仲間われがしてしまいます。

人間は、その人の欠点を見つけて、いくらその欠点をあばき立てたからと云って、
それによって其人(そのひと)の欠点がなくなる訳ではありません。

何でもみとめれば認めるほどハッキリあらわれるのが心の法則ですから、
欠点をみつければ見つけるほど、その欠点は一層大きくあらわれてまいります。
美点(よいところ)をみとめればみとめるほど美点があらわれてまいります。

ヤミだ、ヤミだとみとめていると、いくらでもヤミが出て来ます。
ヤミなんかみとめないで、ヤミと云う言葉さえもなくすればヤミが出て来なくなるのです。

これが心の法則です。
「悪いもの」や「善くないもの」があると云うことをみとめることは、
その悪いもの善くないものにこちらから力を添えてやるようなものです。
欠点をなくするには欠点をみとめないで、美点のみをみとめて行けばよいのです。

善いもの、美しいもの――調和、平和――こんなもののみが本当はあるのです。
悪いもの、醜いもの、貧弱なもの、不調和なもの、争いや、いさかいなどは神がつくらないから本当は「無い」のです。

その無いものがどうして現れるかと云うと、それは「みとめる」心の力で現れて来るのです。
たとえば、「あいつと自分との間には争いがある」と認めてばかりいますと、屹度(きっと)争いが現れてまいります。

今まで世界に起った戦争はみな、この「争い」を認めた為に、争いが益々大きくなり、ついに戦争になったのであります。
家庭の仲でも面白くない事が起こったり、家族同士仲が悪くなったりするのは、互いにその欠点を見つけて、
悪いことを「ある」としてそれを言葉に現すからなのです。
(つづく)

1716「訊け」管理人:2012/12/03(月) 11:34:12 ID:???



三日の経言――

観音妙智観

 吾れはいま吾が住む世界を観音妙智力の表現であると観ずる。み空の星は観世音菩薩がわれを看(み)まもりたまう瞳である。梢に鳴る風の音(ね)、小川の潺々(せんせん)たる囁(ささや)き、これら全ては観世音の吾れに告げ給う御言葉である。自然界の凡ゆる力は吾れを生かそう生かそうとしている力の顕れである。吾が住む世界は最早未知の世界ではないのである。吾れは此の世界を理解し、此(この)世界は吾れを理解している。

 されば吾れは今より恐るるところはないのである。吾れはいま宇宙に偏在し給う隠れたる力の泉を汲む。吾れはいま宇宙の凡ての力と調和している。吾れはいま真(しん)に『愛』そのもの『智慧』そのものに導かれて平和の道を歩んでいるのである。観音経には、

 『或(あるい)は怨賊(おんぞく)の繞(かこ)みて、各々刀を執(と)りて害を加うるに値(あ)わんにも彼(か)の観世音の力を念ずれば、ことごとく即ち慈心を起さん。呪詛(じゅそ)諸々(もろもろ)の毒薬もて身を害せんと欲する者あらんにも、彼(か)の観世音の力を念ずれば、還(かえ)りて本人に著(つ)きなん。若(もし)くは悪獣に囲繞(いにょう)せられ、利(と)き牙爪(げそう)の怖るべきあらんにも彼(か)の観世音の力を念ずれば、疾(すみや)かに無辺の彼方に走り去らん。』

 と書かれているのである。観世音菩薩は宇宙浄化の智慧であり、宇宙を育みたまう大慈悲である。吾れ観世音菩薩と倶(とも)なるが故に、吾れに抗(さから)う力は何処にもないのである。観世音の大慈悲はいま吾れを愛したまい、吾れを導きたまい、吾れに新しき生命を与えたまう。観世音の妙智力は全てのものに宿り給う。それ故に吾が世界の一切は調和しているのである。吾れ観世音菩薩に感謝し奉る。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1717さくら:2012/12/03(月) 14:58:55 ID:KZaB1vfg
「静思集」
谷口雅春先生

「寂静にして鳴るなり」このことを悟らざる人の多きを悲しむ。

『智慧の言葉』に「縛られて自由自在」とあるのはこのことである。普通は、縛られていたら自由自在ではないと思う。人生の苦悩は其処から生れる。人生は本来「自由」なる生命が「縛り」(時空の制約)の世界にあらわれたのである。縛られて自由自在「一即多」を悟った境地である。そこに坐りながら、自分の生命が全世界に動いているのである。

「寂静にして鳴るなり」とはそのことである。現象を眼の前に見ながら「現象無し」と知るのも、その境地である。病を眼の前に見ながら「病なし」と知るのも、其の境地である。「寂静にして鳴るなり」「寂静にして病むなり」畢竟病なきなり。風のことに非ず、鈴のことに非ず、われらの生命のことである。

「生死にあり」と観るは、風鈴を鳴るとするのである。如何にも風鈴は鳴るのである。しかも風も鈴もともに寂静なのである。

寂静にして鳴る。
生死なくして生死す。
一点にして無限大。
寂静にして鳴るなり。」



1718ハマナス:2012/12/03(月) 23:35:23 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

さくら様、a hope様、訊け様
いつも、素晴らしいご文章の謹写をありがとうございます。感謝しています。


永遠に生き通しの生命  (『新版 生活の智慧365章』P.303)

 聖経『甘露の法雨』には人間は肉体に非ず、物質に非ず、脳髄細胞に非ず。神経細胞に非ず、
血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず、それらすべてを組み合わせたるものにも非ず」と
示されているのである。解剖学は人間を分解して、これらの諸部分に分解して考えるであろう
けれども、それではこれらの諸部分をつなぎ合わせたら「人間」が出来るかと言うと、決して
「人間」にはならないのである。

 「人間」は物質なる部分品をいくらつなぎ合わしても出来ない。肉体は「人間」ではなく
「人間」の産物であり、蛇がぬいだ脱皮の如く、一旦は生命によってつくられたものであるが、
霊的生命が其処を去ると、単なる脱け殻になってしまうものである。「人間」そのものは、
蛇が皮を脱いでも、蛇そのものは生きているように、肉体の皮を脱いでも、永遠に行き通すと
琴の霊的実在なのである。

感謝合掌

1719a hope:2012/12/04(火) 06:48:41 ID:ueIDSztA

ハマナスさま

優しいお言葉をありがとうございます。

感謝 合掌


新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦心に不平を思ってはならぬ

工場で働くにも愉快な人たちは失敗がなく故障がなく、よい仕事が出来、仕事の能率(はか)があがります。
日本が戦争に負けた理由には色々ありますが、其のなかには工場の職工が月給が少ないと云って
ブツブツ不平を思いながら製品をつくったことです。

そう云う不平な心でつくった飛行機は、たいてい、現地まで行くとガタガタになっていました。
また、せっかく空中高く上がったと思うと空中分解(そらのうえでくだける)して、
乗っている兵たいもろとも海中につっこんだりしました。

日本が平和国家として立派に立直るためには生産がふるわなければなりません。
生産とは、働いて物を産み出すことです。
さかんに働いてよい品物をたくさん産み出してこそ、日本は見返り物資の輸出も出来、
外国から食料や必要な原料物資を輸入してもらえるのです。

働かないで、ものを造り出さず、ストライキをして月給だけ沢山貰うようにすれば大変利益のようでありますが、
働かないとものが少なくなり、ものが少なくなって、買う力の給料ばかりがふえますと、ものの値段は益々たかくなるばかりで、
あげて貰った給料よりもまだまだ物の値段が上がりますから、給料を上げてもらって、
前の安い給料の時ほどには沢山ものが買えなくなり、折角ストライクしても、
給料が上がりながら、その給料でも却(かえ)って前ほど物が買えぬことになるばかりであります。

月給は上がらなくとも、物が沢山つくられて物が安く買えるようになりますと、月給が上がったと同じことになります。
だから、ものを作らないでストライキをして月給を上げて貰う運動ほど愚かなものはありません。
国を興(おこ)すには、出来るだけ沢山働いて、出来るだけ沢山ものを造り出すことであります。
(つづく)

1720「訊け」管理人:2012/12/04(火) 09:52:54 ID:???


四日の経言――

無限力を発揮するための言葉

 吾れは今心の眼を開いて、わが魂の神的なる性質を意識する。吾れはいま神にして吾等凡てのものの父なる者とのまつたき結合を意識するのである。神は総ての上に、また凡てに行(ゆき)亙(わた)りて、そして自分の中の凡(あら)ゆるところに内在して坐(ま)しますのである。此の高き自覚を得たのであるから、吾れは敢(あえ)て一切のもののうちの最も善き物を要求することが出来るのである。吾れはいま徒(いたづ)らに他(た)に力を求めない。何となれば神こそ渾(すべ)ての渾てなる力であることを知るからである。
 吾れは吾がうちに絶大なる力が宿っていることを敢て確認する。現在吾が中(うち)に蔵(かく)されたる力が悉くは発(ひら)かれてはいないとは云え、吾れは其の力を所有することを自覚する。吾れは吾れに内在する神の力の全部を次第に発揮しつつあるのである。吾れは無限の生命と一体である。吾れは無限の智慧と一体である。吾れは無限の愛と一体である。

 『祖神(みおやがみ)』の所有し給う一切を吾れも亦所有するのである。吾れは何者にも吾が魂の束縛せられないことを誇りとする。しかも吾れは『祖神(みおやがみ)』と吾れとが完き結合に於いて一体であることを知るが故に平和である。『祖神(みおやがみ)』と吾れとの結合を破るような感情が若しあらば、吾れは今それを永遠に放下(ほうか)するのである。吾れは善その物と一体である。吾れは吾が御親(みおや)、吾が神と一体である。吾れ今吾が魂にこの感じを得せしめ給いしことを感謝し奉る。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1721ハマナス:2012/12/04(火) 12:43:50 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

「心」は実相の翻訳係  (『新版 生活の智慧365章』P.304)

 「人間」は肉体ではなく、“神の子”であり、“霊的実在”ではあるが、五官の感覚には
“霊的実在”は見えないのであるから、五官面にそれが感覚せられるようにあらわすため
には、「実相」を「現象」にまで翻訳し出す翻訳係りが必要なのである。その翻訳係りが
“心”である。

 “心”が「実相」の霊的状態を本当に理会して翻訳すれば、無限次元の実相の荘厳且つ
完全な姿が、縦横厚みの三次元の空間に縮約して翻訳されるのだから、霊的実在としての
人間の荘厳さはあらわれないにしても、三次元は、三次元なりに完全な姿があらわれて来る
ことになるのである。

感謝合掌

1722SAKURA:2012/12/04(火) 19:14:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……   
===【抜粋文】===================================
時間を大切にするということは、いのちを大切にするということである。現象界のいのちは
時間の流れに展開する。時間の流れにしたがっていのちも過ぎて行く。時間を大切にしない
ものは酔生夢死する。しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、そして使わず置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。「使わないことが浪費であって、使えば使うほど殖える」とい
う生長の家の経済学は時間に関していっそう真実である。

 時間は箱詰めにしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。時間
を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。時間を大切
にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。せねばならぬこと
を次に延ばさぬことである。

 せねばならぬことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、その避けている間中、
それは心の負担となっている。行ないは苦しみではなく、心の負担は苦しみである。ぐずぐず
の習慣ほど愚かしきものはない。
 
今を生かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが超時の生命を
今生きることになるのである。
「超時に今」を生きる者は常に生きるものである。ぐずぐずの生活を生きる者は常に死に
つつあるものである。                  (谷口雅春著)
==========================================

■今年も残りわずか〜〜〜今月は【師走…】です。
今日の「雅春先生」の言葉…この月に“ピッタリ”かと…改めて“時間の概念”を、心に刻む
事に!私も今以上に【時間管理…】を???自問自答しながら“反省中”です。…が?
「雅春先生の言葉」通りに、確かに“時間”は放置しても過ぎて行きますモノ「光陰矢のごとし…」でしょうか〜〜〜?
そうなのです〜〜〜ョネ!戻る事もできないのですし?過去を振り返る時が、出来るのは、
【霊界…】の場面でしょうか???そこまで、行きつき更に、走りつづける事でしょうか??

【時間管理】の使い方も、まだ!まだ!甘い私ですが、更に、まだ気持ちばかりが先行し、
手付かず仕舞いの事がありますから…これって「先延ばし??」確かにそうです〜〜〜ョネ!
それを眺めながらの私がいました。毎日!毎日!“心がそこに戻り、ストップ”………
これではいけな〜〜〜い!と“心が焦る私…”がいました。…が?モ〜〜〰ゥ!「先延ばし?」
タイムリミット!!でしょうか?と…改めて、思います。まず“計画表…”を記して、
【時間管理】に入ってゆきます。

■【今!今!生かすことができる人は、人生の勝者…】です〜〜〜ョネ!
私も、今!気づいた地点から〜〜〜【ゴ−!ゴ−!my load start!!】で〜〜〜す。
当に❤〜【つ か え ば 殖 え る 時 間 管 理!!】でしょうか??
                                   再合掌

1723a hope:2012/12/05(水) 07:08:49 ID:ueIDSztA

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦社長又は上役の不機嫌は心の影である


或る会社の社員で後に大成功者になった人はこういっています。

「私は或る朝、自分の仕事を愉快に始めようと決心したのです。
どれほど明るい思想が事業の進展(のびひろがる)の上に
効果(ききめ)があるものかと云うことを試して見ようと決心したのです。

私は本来、憂鬱な陰気の性質の男だったのです。

私は歩行している最中に、
『私は幸福なのだ。世間の人々は皆自分に好意(しんせつな心)を持っているのだ。私はズンズン出世して世間に認められるのだ』
と一所懸命思いつづけるようにつとめながら行きました。

すると私は歩いている足取りも軽くなり、わたしはまるで空中歩行をしているような素晴らしい好い気持になったものです。
やがて私は事務室へ入って行きました。私の側(かたわら)にいる人に気持よく通りがかりの挨拶を致しました。

それは私は今まで出来なかったことだったのです。
私はそれまで気軽に人に物云える性質ではなかったのです。

私の雇われていた会社の社長と云うのは多忙であり、気むつかしやであり、
社長が私にものを云いかけると、又叱られるのではないかとゾッとするような私でした。

しかし、今日は私は気が朗らかになっているので、今日は社長も御機嫌が頗(すこぶ)るよさそうに見えて気持がよい。
結局、社長が御機嫌が悪いと見えたのは、社長自身が御機嫌が悪いのではなくて、
自分の機嫌の悪いのが相手に映っていたのに過ぎなかったのだと気がついた……。」


こう云う風に周囲の人たちは社長さんでも、上役でも、父でも、母でも、
誰でも自分の心の持方で、やさしい親切な好い人になってくれるのです。

だから皆さん、吾々は、どんな時にも、いつもニコニコして周囲に愉快な気持を投げかけようではありませんか。
それは一文もいらない慈善であり、愛であり、サービスであります。
(つづく)

1724「訊け」管理人:2012/12/05(水) 07:21:42 ID:???


『生命の實相』第38巻(幸福篇下)162頁より謹写――

<12月5日>

 ただ真理のみを語れ。多言なるべからず。多言なれば調子にのりて虚偽を語ることあるべし。
 ただ優しき言葉のみを語れ。烈しき語調の言葉は深切より出ずる場合にも、憎悪をもって語るる言葉なりと誤解せらるることあり。心のうちにでも、言葉に現わしても、行ないにあらわしても、人を傷つけてはならない。誠実であれ、虚偽であってはならない。素直に、直截に、かまえることなく、そのままの心で生活し、行ない、言わねばならぬ。

 値(あた)いなしに受けようとしてはならぬ。肉体の汗か、心の汗か、金銭か、物質的な贈物か、いずれにせよ何らかの値(あた)いを払って受けよ。値いなしに受けたものは、いつかは奪い返されることがある。自己の生活が気尚(けだか)き基礎に立つかどうか顧みよ。

 なんじの生活を、愛と赦しと忍耐との上に築きて、怒りと憎みとを常に支配せよ。怒りと憎みとは神と汝とを隔てる最も大なる敵である。

 常に朗らかであれ。不快なこと、争いのこと、憎むべきこと、人の悪しきことを忘れ去れ。忘れ上手が光明生活の第一歩である。

 恩を忘れてはならない。恩を忘れる者は根と培わない樹木の枝のごとく、一時(じ)は生け花のごとく美しくともやがては枯れてしまうであろう。人に深切をつくすのが、最善の宗教である。ただ教えの説教師になってはならないのである。

 一日に1回以上、できるだけ自分の利益にも何にもならないことで、純粋に他(ひと)のために尽くせ。純粋で無我でつくすことはそのこと自体が神に通ずる祈りである。無我の愛でささげたる奉仕は神に献(ささ)げたことになるのである。

 自分の収入の二分ないし一割で、自分の救われた教えを弘めるために真理の小冊子を買って無代進呈することじゃ神に対する恩返しとなる。与えただけが与え返されるのである。

<了>

1725「訊け」管理人:2012/12/05(水) 07:26:57 ID:???


五日の経言――

善と融合する言葉

 吾れは今、『善』そのものと融合して一体であることを感ずる。吾れは最早、『善』そのものと疎隔の感じをいだかない。吾れは『神』の家に住む神の子としての権利を自覚して悦びに満たされているのである。吾れは悪夢より目覚めて『神』の御許に往くのである。いま吾れは吾れに内在する神の生命(いのち)と愛と智慧とを明らかに知るのである。吾れは吾が境遇と運命とが自己自身の想念の反映に過ぎないことをさとったのである。それ故に吾れは最も善きものを、最も潔(きよ)きものを、最も眞なるものをのみ思うのである。吾れは凡てのもののうちに、吾が求むる善きものを見出すことが出来るのである。

 吾れは今、神の智慧と力とで満ち溢れている。吾れは、今宇宙生命(せいめい)と一体なることを感じて歓びに満たされているのである。それ故に吾が求むる一切は必ず成就するのである。

 吾れ此のことを感謝し奉る。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1726神の子さん:2012/12/05(水) 09:01:20 ID:???
聖典謹写は著作権違反になりませんか?

1727さくら:2012/12/05(水) 09:24:13 ID:dXSek0Nw
ハマナスさま

先日はお言葉をありがとうございました。
こちらこそいつもありがとうございます。
お言葉に励まされ、聖典板には謹写させて頂きたいと思います。
こちらで、またご迷惑おかけすることあったら、申し訳ありません。
感謝合掌。

1728さくら:2012/12/05(水) 09:25:45 ID:dXSek0Nw
『新版 叡智の断片』谷口雅春先生

「静寂の生活

道は絶対である。絶対には対立がない。道に乗って生きるとは絶対無我の生活になり切ることである。
一切対立がなくなることである。一切対立がなくなるから一切に和解し、一切を尊び、一切が清まり、一切が寂である。
これが茶道の静寂であり、そのまま清まる日本の道である。

対立する争いをもって生活するが如きは、日本の道ではなかったのである。
道は「寂」であり、動くものなくして動いており、その動くや必ず万物を生かすのである。
対立なき動きは全機であり、無にして 一切であり、○であるから一切と調和するのである。それを大和の道と言う。構える心がないから事を構えず、事を構えないから事が起こらないのである。構えることがなければそのままとなり、其のままは実相であり、実相は善ばかりであるから善きことのみが現れる。
「私」のはからいがないから、全体の動きとピッタリと「一」である。全機である。全即一であり、一即全である。

本当に明るいというのは、全然対立がない「無」になり、無構えになって、天地と一つにとけ合って「寂」となることによって自然に得られる明るさでなければならない。
真の明るさは構えた明るさではない。そのまま天地の明るさがあらわれたとき、真に明るくなり、立ち対うところが悉く明るくなる。」

1729goro:2012/12/05(水) 10:43:08 ID:3Dk63Vjg

 トキ管理人殿

 聖典等の転載について、著作権に抵触する問題が発生する可能性がありますが
 トキ掲示板ではどのようにお考えでしょうか?

 青空文庫などのように著作権が消滅している著作物の転載は問題無いと思いますが、
 公正を期するために、掲示板などでの転載について、法的な問題を確認したほうがいいと思います。

1730goro:2012/12/05(水) 10:44:16 ID:3Dk63Vjg

 追加
 部分参照などについても調べたほうがいいと思います。

1731「訊け」管理人:2012/12/05(水) 10:48:56 ID:???


◆「人類光明化のパテントは諸君に譲られた!」(谷口雅春先生:「生長の家五十年史」より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65704980.html




1732トキ:2012/12/05(水) 13:43:28 ID:/N.xbRE.
>>1729

goro 様

 ご投稿、ありがとうございます。

 著作権上の「引用」については、以下のWikpediaの文章が参考になると思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/引用

日本では、一定の条件を満たした「引用」は、権利者に無許可で行うことができる(32条)。これは著作権侵害にならない。

(中略)

ア 既に公表されている著作物であること
イ 「公正な慣行」に合致すること
ウ 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
エ 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
オ カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
カ 引用を行う「必然性」があること
キ 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

 などの要件が必要とされています。

 インターネットのサイト上では、書籍からの「抜き書き」が広く一般的に行われているのも事実であり、特に、この件
で裁判になったという話は、ないようです。(私が知らないだけで、もし、あった場合は、ご教示下さい。)。私も、他の
「宗教」掲示板をいくつか拝見しましたが、その点が問題になった掲示板はありませんでした。

 この点は、法律に詳しい人に尋ねると、形式的には法律の条文に抵触する場合でも、実質的には問題がない場合は、「一般
条項」(例えば、民法1条や90条)を使って、不問に付するケースが多いみたいです。

 しかし、聖典の文章だけを抜き書きする事は、厳密に言えば、「引用」という点では、好ましくないようです。
ですから、出来れば、聖典を引用する場合は、引用すると共に、投稿者様の感想やご意見なども一緒に書き込んで下さる
ほうが、法律の「引用」の趣旨に合致すると思われます。今後、投稿者様におかれましては、その点、ご協力をお願いでき
れば幸いです。

 その他、出典の本、著者、ページなどは明記する事、内容に改編を加えない事、あまり長文にならない事などは、絶対に
投稿者様にお願いをしたいと思います。幸い、現在のところ、この掲示板では、以上の点は皆様が守って下さるので、問題
はないかと思っています。

 他の掲示板ですが、本を1冊、まるまる読めるようにしたものがありました。
これは、さすがに気になります。ただ、現時点では、、これは問題にはなっていないみたいです。(この掲示板では、それは
ご遠慮願いたいと思います。)

 これらの点も、皆様のご意見を頂戴できれば幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1733SAKURA:2012/12/05(水) 14:36:01 ID:P5ICfcqA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1722>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……   
===【抜粋文】===================================
時間を大切にするということは、いのちを大切にするということである。現象界のいのちは
時間の流れに展開する。時間の流れにしたがっていのちも過ぎて行く。時間を大切にしない
ものは酔生夢死する。しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、そして使わず置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。「使わないことが浪費であって、使えば使うほど殖える」とい
う生長の家の経済学は時間に関していっそう真実である。

 時間は箱詰めにしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。時間
を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。時間を大切
にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。せねばならぬこと
を次に延ばさぬことである。

 せねばならぬことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、その避けている間中、
それは心の負担となっている。行ないは苦しみではなく、心の負担は苦しみである。ぐずぐず
の習慣ほど愚かしきものはない。
 
今を生かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが超時の生命を
今生きることになるのである。
「超時に今」を生きる者は常に生きるものである。ぐずぐずの生活を生きる者は常に死に
つつあるものである。                  (谷口雅春著)
==========================================

■今年も残りわずか〜〜〜今月は【師走…】です。
今日の「雅春先生」の言葉…この月に“ピッタリ”かと…改めて“時間の概念”を、心に刻む
事に!私も今以上に【時間管理…】を???自問自答しながら“反省中”です。…が?
「雅春先生の言葉」通りに、確かに“時間”は放置しても過ぎて行きますモノ「光陰矢のごとし…」でしょうか〜〜〜?
そうなのです〜〜〜ョネ!戻る事もできないのですし?過去を振り返る時が、出来るのは、
【霊界…】の場面でしょうか???そこまで、行きつき更に、走りつづける事でしょうか??

【時間管理】の使い方も、まだ!まだ!甘い私ですが、更に、まだ気持ちばかりが先行し、
手付かず仕舞いの事がありますから…これって「先延ばし??」確かにそうです〜〜〜ョネ!
それを眺めながらの私がいました。毎日!毎日!“心がそこに戻り、ストップ”………
これではいけな〜〜〜い!と“心が焦る私…”がいました。…が?モ〜〜〰ゥ!「先延ばし?」
タイムリミット!!でしょうか?と…改めて、思います。まず“計画表…”を記して、
【時間管理】に入ってゆきます。

■【今!今!生かすことができる人は、人生の勝者…】です〜〜〜ョネ!
私も、今!気づいた地点から〜〜〜【ゴ−!ゴ−!my load start!!】で〜〜〜す。
                                        再合掌

PS: 「トキ様」 へ
当に❤〜【つ か え ば 殖 え る 時 間 管 理!!】でしょうか??この点は、
どの様なお考えでしょうかしら〜〜〜ン?

1734goro:2012/12/05(水) 14:49:10 ID:3Dk63Vjg
トキ管理人殿

http://ja.wikipedia.org/wiki/ ←ウィキペディアへようこそ・・・???

↓著作権侵害について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E4%BE%B5%E5%AE%B3

電子掲示板
裁判において、匿名BBS(電子掲示板)での書き込みが著作物であると判断され、多額の賠償金の支払いが命じられた事例も存在する。

管理人の責任において調査しておいたほうがいいと思います。

1735goro:2012/12/05(水) 14:55:33 ID:3Dk63Vjg
 トキ管理人殿
 
 聖典を転写してくださることで、電子ブックとして場所を選ばず拝読できることは
誠に有難いのですが、法に抵触する場合もありますので要注意です。
尊師を呼び捨てにする人の掲示板などは、ほとんどの文章が著作権に抵触している可能性があると思っています。

1737トキ:2012/12/05(水) 15:44:31 ID:/N.xbRE.
>>1734

goro様

 ご投稿、ありがとうございました。

 ご指摘の部分を拝見しました。言及されていた裁判は、「ホテル・ジャンキーズ」事件だと思われます。
事件の内容は以下の通りです。


「この裁判(東京地裁 平成13年(ワ)第22066号著作権侵害差止等請求事件)は、複数の投稿者がホテル情報に関するWebサイト「ホテル・ジャンキーズ」の掲示板に書き込んだ内容を、サイトの運営者らが出版した文庫本「世界極上ホテル術」(光文社刊)に無断で転載されたとして、掲示板の投稿者が著者と出版社を相手取って損害賠償と当該書籍の出版差止を、東京地裁に請求したもの。」

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20020416/1/

です。簡単に言うと、BBSの投稿を関係のない人が勝手に抜き書きをして、本を1冊作って、売り出したという
話です。これは、どうみても酷い話です。つまり、抜き書きが本1冊という多量であり、目的が営利目的であり、多数の方の
投稿を無許可で引用し、しかも、出典を明記しなかったケースです。裁判になっても、仕方がないケースだと
個人的には感じます。

 上記の事件は、BBSの書き込みを紙媒体の管理人である著者が、著作権侵害をしたケースですが、逆の場合も当然、あり得る
と思います。ですから、管理人としても、今後も気をつけたいと考えています。ただ、今の時点では、問題になる
ようなケースは、この掲示板の投稿に関しては、なかったと考えています。

 が、聖典をめぐる、最高裁判所の判決がまもなく出ますから、気をつけたいとは思います。

 goro様におかれましては、丁寧なご教示とご指摘を下さった事に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1738トキ:2012/12/05(水) 15:45:23 ID:/N.xbRE.
訂正です。

X BBSの投稿を関係のない人が勝手に抜き書きをして
○ BBSの投稿を管理人が勝手に抜き書きをして

お詫びして、訂正させていただきます。

1739goro:2012/12/05(水) 16:18:43 ID:3Dk63Vjg

 トキ管理人殿

では今までどおり、書籍などを転載していいのですね?

1740トキ:2012/12/05(水) 16:23:15 ID:/N.xbRE.
>>1739

goro様

 ご投稿、ありがとうございました。

 私が調べた範囲では、現時点では問題はないと思います。

 ただ、聖典については、投稿者様が、ご自分の感想や意見なども同時に投稿をして
下されば、法律の趣旨にあうと思います。また、出典を明記して下さる事や、内容に
は変更を加えない事、あまり長文にならないように工夫をして下さり、現在、出版さ
れている聖典や出版物については、原本の購入も呼びかけて下さるなら、さらに安心
できると思います。

 以上、もし間違いや気がついた点がありましたら、ご教示下さい。

 今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1741goro:2012/12/05(水) 17:21:50 ID:3Dk63Vjg

 更に確認です。

長期間にわたって聖典一冊を転載することもいいのですね?

1742トキ:2012/12/05(水) 18:12:56 ID:/N.xbRE.
>>1741

goro様

 ご投稿、ありがとうございました。

 うーん、このあたりは微妙ですね。管理人としては、投稿は歓迎しますが、もし、原本の著作権者から
削除要請が来た場合は、対応せずるを得ない場合もあります。

 聖典の紹介は、投稿者様は信仰的には伝道の意図がありますし、閲覧者様にも読んで励まされ、信仰の
深化がはかられる点で、良い事が多いです。投稿者様の動機は純粋で、ご多忙の中、貴重な時間を提供
して下さるのですから、本当に頭が下がります。反面、著作権法という法律の制限がある以上、この
制限を無視する訳にはいかないのも事実です。1冊の本の転載となると、「引用」とは言えない部分も
あり、簡単には返答ができない部分があります。

 例えば、谷口雅春先生は、「365章」シリーズを何冊か発行されておられます。光明法語などもそうです。
こういう本を、1日1章ずつ、365日継続すると、まるまる1冊の本を掲示板で紹介する事になります。

 この場合だと、純粋な法律論だけではなくて、著作権の管理者が、どう感じたか、という点も考慮にいれ
る必要はあります。絶版になった本や神誌などは、紹介に必要性が高いでしょうが、現在も発行されている
本をその形式で紹介するのは、不正競争になりえます。一番良いのは、著作権者の了解を得る事でしょうが、
難しい場合もあります。逆に、吉田國太郎先生のご著書などは、吉田先生は亡くなられてから50年以上は経過
しており、法律上の著作権自体は消滅していますが、現在も日本教文社から著書が発行されているので、まるまる一冊
の紹介は、道義的に見て、問題があるかもしれません。

 つまり、ケースバイケースになるので、もし、1冊の本の全体を紹介したい、という場合は、お手数ですが、事前
にその旨を投稿していただき、皆様で議論をしてから、管理人が決定するというのが好ましい対応かと思い
ます。

 この点については、その方面に造詣の深い方のご意見も募集したいと思います。また、goro様におかれましては、
いつも貴重なご意見を頂戴し、深く感謝申し上げます。

 では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1743NANCY:2012/12/05(水) 19:39:14 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■本日12月5日に於きましての下記…討論
今回は>>1734>>1735>>1737>>1739>>1740>>1741>>1742に関しまして…閲覧しておりますと
「聖典…又!雅春先生著書の数々…」の【著作権…】云々…と言います事は、最終的には、個人的
見解ですが…ここ❤〜【2チャンネル…聖典引用すべて不可】とある面では、捉えてしまう事も、
可能でしょうか?

ましてや!!【WEB誌友会での参考文献】これもすべて「雅春先生著…」ですから、悪く考
えますと、如何なものでしょうか??(一部抜粋文章…云々…とおっしゃいますから?)
ここでは【生長の家…雅春先生の著書の数々の中】から、投稿者のお一人お一人の抜粋を投稿
されていますモノ…更にそこでの“感想”をのべる事が…此処の投稿者の一部の人からの
【ブ−イング】かと??思える“フシ”もありますでしょうか?

尚【学生時代…】教科書の文章の感想を討論するのは当たり前でありますから…それを???
【ア〜ダ!コ~ダ!】おっしゃいます事…この事自体が?理解しがたいものであり、その人自身
の“捉え方?”・“考え方?”をのべて…次なる事が始まるのではないのでしょうか???
■“捉え方”・“感想”その事を拒否?すべきという事は、ある面では?【思考…する事は無用】
という事でしょうか?❤【考える人…】これは返上でしょうか???

しかしながら…書籍を拝読しましての個人個人の感想は、当然のことながら【個性…】となり、
ましてや、冷静に思いますに第三者的には【この様な考えがあるの〜〜〜ですネ】と、逆に、
■【アピ−ル】にもなりますし【分派…投稿者様】の考え方を、伝えます手立てとなります
でしょうかと??思う所存です…。

■■最後に…【SAKURA】 の投稿して頂きました「雅春先生…言葉」私一個人としては、当に!!
■【時 間 の 重 要】を、認識して頂く上でも素晴らしい事と思います。それで再度…
【SAKURA】さんにお願い致したく思います。
                                  再合掌

1744SAKURA:2012/12/05(水) 19:45:25 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……   
===【抜粋文】===================================
時間を大切にするということは、いのちを大切にするということである。現象界のいのちは
時間の流れに展開する。時間の流れにしたがっていのちも過ぎて行く。時間を大切にしない
ものは酔生夢死する。しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、そして使わず置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。「使わないことが浪費であって、使えば使うほど殖える」とい
う生長の家の経済学は時間に関していっそう真実である。

 時間は箱詰めにしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。時間
を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。時間を大切
にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。せねばならぬこと
を次に延ばさぬことである。

 せねばならぬことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、その避けている間中、
それは心の負担となっている。行ないは苦しみではなく、心の負担は苦しみである。ぐずぐず
の習慣ほど愚かしきものはない。
 
今を生かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが超時の生命を
今生きることになるのである。
「超時に今」を生きる者は常に生きるものである。ぐずぐずの生活を生きる者は常に死に
つつあるものである。                  (谷口雅春著)
==========================================

■今年も残りわずか〜〜〜今月は【師走…】です。
今日の「雅春先生」の言葉…この月に“ピッタリ”かと…改めて“時間の概念”を、心に刻む
事に!私も今以上に【時間管理…】を???自問自答しながら“反省中”です。…が?
「雅春先生の言葉」通りに、確かに“時間”は放置しても過ぎて行きますモノ「光陰矢のごとし…」でしょうか〜〜〜?
そうなのです〜〜〜ョネ!戻る事もできないのですし?過去を振り返る時が、出来るのは、
【霊界…】の場面でしょうか???そこまで、行きつき更に、走りつづける事でしょうか??

【時間管理】の使い方も、まだ!まだ!甘い私ですが、更に、まだ気持ちばかりが先行し、
手付かず仕舞いの事がありますから…これって「先延ばし??」確かにそうです〜〜〜ョネ!
それを眺めながらの私がいました。毎日!毎日!“心がそこに戻り、ストップ”………
これではいけな〜〜〜い!と“心が焦る私…”がいました。…が?モ〜〜〰ゥ!「先延ばし?」
タイムリミット!!でしょうか?と…改めて、思います。まず“計画表…”を記して、
【時間管理】に入ってゆきます。

■【今!今!生かすことができる人は、人生の勝者…】です〜〜〜ョネ!
私も、今!気づいた地点から〜〜〜【ゴ−!ゴ−!my load start!!】で〜〜〜す。
                                   再合掌
 
PS: 「トキ様」 へ
当に❤〜【つ か え ば 殖 え る 時 間 管 理!!】でしょうか??この点は、
どの様なお考えでしょうかしら〜〜〜ン?

1745復興G:2012/12/05(水) 19:59:00 ID:vWpLkCzM

goro様
トキ様
皆々さま

合掌 ありがとうございます。

他の著作物からの引用は、>>1732 :トキ様の
http://ja.wikipedia.org/wiki/引用の
< エ 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること>

――上記の意味は、自分の文章が「主」で、引用文は「従」であるべきだということ。つまり、自分の意見を述べるために他の文章を引用するという範囲でなければならない。引用文が主であってはならない、という意味だと思われます。

だとすれば、たとえば、私もweb誌友会のテキストとして『生命の實相』を1章ずつ謹写アップロードするようなことをしてきましたが、これは著作権侵害になる可能性が大であろうかと思われます。

それで、第9回web誌友会からは、テキストの原文アップは控えさせて頂こうと思います。

ありがとうございます。合掌

1746神の子さん:2012/12/05(水) 19:59:31 ID:???
著三権については、教文社にこのサイトを見てもらうのが一番早いかもしれませんね。
何らかの方法でお伝えすることにします。

1747神の子さん:2012/12/05(水) 20:00:31 ID:???
×著三権
〇著作権

1748復興G:2012/12/05(水) 20:04:16 ID:vWpLkCzM

上記の意味は、この聖典引用板に1章まるごとアップすることを控えるという意味で、
web誌友会板で自分の感じたことや意見を述べるために部分的に引用することは、全然差し支えないと思います。

ありがとうございます。

1749goro:2012/12/05(水) 20:12:24 ID:3Dk63Vjg
>>【ア〜ダ!コ~ダ!】おっしゃいます事…<<の問題ではなく
単純に著作権という法律の問題です。

全ては自己責任ですから、言い掛かりをつけるのはみっともないですよ。

1750トキ:2012/12/05(水) 20:34:12 ID:/N.xbRE.
 聖典、特に生命の実相の著作権については、今裁判中ですから、最高裁判所の判決が出てから、許諾の件を話し合う必要があると
思われます。素人考えですが、聖典板だけを見たら、確かに生命の実相の転載は、「引用」には当たりませんが、広く掲示板全体
を見ると、生命の実相の転載は、「引用」に該当するような気がします。この辺りは、少し、調べてみますので、お時間を下さい。

1751蜻蛉:2012/12/05(水) 20:50:43 ID:M7ribEwU
  
  某ウェブサイトの使用上の注意事項で

  聖典から引用する場合は、現在の時点で市場に流通している
  (日本教文社及び世界聖典普及協会で購入できる)聖典・・・

  で、『生命の實相』や『甘露の法雨』等は???

1752トキ:2012/12/05(水) 21:04:59 ID:/N.xbRE.
 結論が出るまでは、web誌友会でも、聖典板で独立して生命の実相を転載するのは避けて、講師や参加者が
聖典を転載した後に、同じ投稿で、注釈なり意見なりを述べる対応なら、問題はないと思います。
 
 皆様のご意見をお願いします。

1753NANCY:2012/12/05(水) 21:34:17 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1743の投稿の続きです。…が???

■今回>>1752の投稿も閲覧させて頂きまして… 考えてみますと???
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■>聖典から引用する場合は、現在の時点で市場に流通している
  (日本教文社及び世界聖典普及協会で購入できる)聖典…で、
『生命の實相』や『甘露の法雨』等は???  (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■この件は、理解しがたいモノでしょうか〜〜〜〜??
【聖典…】この言葉…“捉え方”は、多々ありますでしょうが??意味が、理解しがたいもの
なのですかと〜?尚!【日本教文社…公式サイト】を、閲覧させて頂きましたが〜〜〜?

最後に思いますには【著作権…云々…】この事に関しましての【討論…】事態が?最初の方の
意見投稿?は、個人的に思いますが?疑問点でしたら【別のボ−ド】にて討論投稿すべきモノ
では?なかったのでしょうかと、思う次第です。…が??その様に思いますが??                   
                                    再合掌

PS:「トキ様」 へ
尚!私自身も此処の【ボ−ド板】に記載しておりますので矛盾しております。…が?

1754トキ:2012/12/05(水) 22:09:44 ID:/N.xbRE.
 この件について、「現役地方講師」の方から、メールを頂戴しました。現役なので、掲示板に投稿をした事が
露見すると、問題になるので、管理人経由で意見を述べる、という事です。文面はトキが書き直しましたが、
意味は変更していません。

-----------------------------------------------------------------------------------------

 聖典の引用は、確かに著作権が問題になります。しかし、著作権者から異議申立が出たなら削除を含めた措置を
考える必要がありますが、第三者からの申し出の場合、それほど神経質になる必要はないと思います。聖典の著作
の権利者は、生長の家教団か、生長の家社会事業団のどちらかですが、両者とも聖典の頒布の増進と真理の伝道を
目的にしています。だとすれば、聖典等の紹介は、歓迎されるべきで、どちらの立場にしても、文句を言うはずが
ないです。これが、例えば、著作権を理由に使用の対価を払え、というのなら、これは社会通念上、相当な対価な
ら問題はないが、引用や転載の禁止は、その目的に反する事になります。ですから、今の方針が、法律上、問題が
あるとは思いません。実際、過去、数年に渡り、この掲示板を含めて、複数の掲示板で聖典が転載されているの
ですが、問題になった事はなかったはずです。

 ただ、谷口雅春先生は、聖典を読んだ場合、ただ読んだだけでは駄目で、自分がそれを拝読して、どう感じたか
を言わなければ指導されていました。その観点から言えば、今回のgoro様のご意見は、谷口雅春先生のご指導に
そうものだとも思います。ですから、今後は、この掲示板でも、聖典の投稿をした後、投稿者がご自分の感想
や意見を述べてみてはどうでしょうか?

1755通りすがり:2012/12/05(水) 23:30:32 ID:qL/UdddQ
著作権法に違反しないから大丈夫などという考えはおかしくないですか?
生長の家は相手の立場になって考えるところだと思っています。
法律よりも出版社の立場になって考えたいものです。
本の内容を全て書いてしまっては、本を購入する人が少なくなります。

1756ハマナス:2012/12/05(水) 23:50:32 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

先ず「心」の診断を  (『新版 生活の智慧365章』P.305)

 “想念”(感情を含む)は動力である。ホルモンの分泌に直接関係をもち、細胞の配列や、
栄養成分の分解、消火、吸収、同化等を支配する力をもっているのである。良人が自分の
ほかに愛人をこしらえていたと云うことを知っただけで、その感情のショックによって急激に
衰弱して病床に横たわるようになった婦人もある。このように“心”と云うものは肉体を左右
する力があるのに、人が病気に罹ったら“心”の診断を求めることなしに、医師にただ物質
的な処置のみを求めるのは不合理だと言わなければならないのである。

 “心”の不調和が病気の原因であり、肉体にあらわれた病気は結果であるに過ぎない
のである。原因を修正変化しようとしないで、結果たる肉体の症状だけに医療を加えよう
とするのは、源流を汚濁したままで放置して、下流の水だけを浄めようとするようなもので
ある。物質的医療が適確な永続的効果を挙げ得ず、一時或る病気を治したように見えても、
又再発するか、他に病気が発生して来るのは、源流にあたるところの“心”の状態を修正
して置かないからである。

感謝合掌

1757「訊け」管理人:2012/12/06(木) 09:13:00 ID:???

六日の経言――

人生に主となる言葉

 吾れは今、吾が本性が神とまったく同体であることを覚(さと)ったのである。吾れは神が渾(すべ)てであり、従って神以外に何者も此の世に存在しないことを知ったのである。神は渾ての渾てである。だから吾れが苟(いやしく)も存在する限り神と吾れとは一体なのである。吾れは存在する、それ故に吾れは神と一体なのである。神と一体なるが故に、吾れは神の本性(ほんせい)よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。神の有(も)ち給う総ての物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。
 吾が心は深き聖悦に満たされているのである。神は全能である。それ故に吾れも亦全能なのである。吾れは凡てを知る智慧によって導かれているが故に、吾れも亦全智なのである。神は疲れたまうことなく、倦み給うことなきが故に、吾れは決して失敗を拾うもないのである。吾れは神が必ず吾が力を新たならしめ給う事を信ずる。吾れは神に吾自身をうちまかす。それ故に金剛圍山(こんごういさん)の動かざるが如く、吾が心も不動である。吾れはいま他(た)の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とを持つのである。吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。吾れは他の人々に人間は斯くあるべきとは言葉では語らない。吾れは吾が生活を以って人間は斯くあると行じ示すのである。
 吾れはいま、自分の全意識の解放を得て歓喜勇躍の感に堪えない。自己が神の属性を賦(わか)ちもつと云うことが歓びでなくて何であろうぞ!吾れは永遠である。吾れは本性に於て神とは分ちがたきものである。吾れは生命である。吾れは智慧である。吾が実相は完全であり、神は完全である。それ故に吾れは此の完全さを日毎々々に発揮するのである。吾れは生ける神の子である。吾れ今此の真理に目覚めしめ給いしことを感謝し奉るのである。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1758トキ:2012/12/06(木) 09:50:29 ID:VekO0piE
>>1755

 ご投稿、ありがとうございました。

http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

生長の家傍流掲示板/別板
掲示板・運営/方針 板

にご返答をかかさせていただきました。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます



1759さくら:2012/12/06(木) 10:47:19 ID:e8ieIrPA
『信念にて自己内在の無限力を実現せよ』

世界光明思想全集 第三期

谷口雅春先生
谷口清超先生 共著

「第二十二篇
エマーソンの自己信頼論
(自分が自分の主人公である)

自己信頼の一面は世間の世俗に迎合しない孤高の尊厳を維持することである。
エマーソンは其くの如き人であった。
彼はかう云っている。

孤独は真の社会に先行しなければならない。私はいかなる説教よりも説教の始まる前の沈黙に包まれた教会が好きである。いかに深遠にいかに冷静に、如何に清楚に、人々は見え、各人は一つ一つの区域、一つ一つの聖所にとりまかれている事であらう。

つきる所に吾々は常に坐っていたい。吾々の友人、妻、父、子が吾々の炉辺に坐っている。同じ血を分けたものだと言ふ理由で何故吾々は彼らの欠点を気に病まねばならないであろうか。全ての人間は私の血を分けもってをるし、私は全ての人々の血をもっている。
それだからと言って私は彼らの短気や愚かさをことさらり立てて、それを恥しいものと思ったりはしないのである。

けれどもあなたの取る孤立は機械的の孤立であってはならない、それは霊的なものでなくてはならないのである。即ち高揚された孤立でなければならないのである。

時々全世界はあなたに非常につまらぬことを共謀してせがむ機にも思われる。友人、弁護依頼人、子供、病気、怖れ、欠乏、慈善等が全てただちに折角閉ざした部屋の戸をたたき『さあ、吾々のところにおいでなさい』と言う。されど諸君は諸君の魂をこんな誘惑で転落させてはならないのである。全てを落としてはならない。

汝の常態を保て。
汝自身の天国なる家にとどまりなさい。一瞬たりとも彼らの事件に巻き込まれ、騒々しいあらそひの威声に巻き込まれてはならないのである。
彼らの混乱の上に汝の法則の光をもって照らせ、と。


中々面白いではないか。
これを本編の序曲とする。」

(旧仮名遣いを現代仮名遣いに改めました。)

1760SAKURA:2012/12/06(木) 12:03:34 ID:n9yjoO0g
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1722>>投稿の続きです。…が

今回は、昨日に於きまして“投稿…”いたした内容ですが、モノの1時間にて“奥澱…”…云々
でしたので【再・再投稿…】の形式を取らせて頂きます。今月の【師走…】という事に“ピッタリ”
感が致しますかと。当に【時間管理…】でしょう〜〜か?先生の“言葉”改めて“心”に響きます。

❤ ❤ ❤【 再・再投稿文 】❤ ❤ ❤
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……   
===【抜粋文】===================================
時間を大切にするということは、いのちを大切にするということである。現象界のいのちは
時間の流れに展開する。時間の流れにしたがっていのちも過ぎて行く。時間を大切にしない
ものは酔生夢死する。しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、そして使わず置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。「使わないことが浪費であって、使えば使うほど殖える」とい
う生長の家の経済学は時間に関していっそう真実である。

 時間は箱詰めにしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。時間
を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。時間を大切
にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。せねばならぬこと
を次に延ばさぬことである。

 せねばならぬことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、その避けている間中、
それは心の負担となっている。行ないは苦しみではなく、心の負担は苦しみである。ぐずぐず
の習慣ほど愚かしきものはない。
 
今を生かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが超時の生命を
今生きることになるのである。
「超時に今」を生きる者は常に生きるものである。ぐずぐずの生活を生きる者は常に死に
つつあるものである。                  (谷口雅春著)
==========================================

■今年も残りわずか〜〜〜今月は【師走…】です。
今日の「雅春先生」の言葉…この月に“ピッタリ”かと…改めて“時間の概念”を、心に刻む
事に!私も今以上に【時間管理…】を???自問自答しながら“反省中”です。…が?
「雅春先生の言葉」通りに、確かに“時間”は放置しても過ぎて行きますモノ「光陰矢のごとし…」でしょうか〜〜〜?
そうなのです〜〜〜ョネ!戻る事もできないのですし?過去を振り返る時が、出来るのは、
【霊界…】の場面でしょうか???そこまで、行きつき更に、走りつづける事でしょうか??

【時間管理】の使い方も、まだ!まだ!甘い私ですが、更に、まだ気持ちばかりが先行し、
手付かず仕舞いの事がありますから…これって「先延ばし??」確かにそうです〜〜〜ョネ!
それを眺めながらの私がいました。毎日!毎日!“心がそこに戻り、ストップ”………
これではいけな〜〜〜い!と“心が焦る私…”がいました。…が?モ〜〜〰ゥ!「先延ばし?」
タイムリミット!!でしょうか?と…改めて、思います。まず“計画表…”を記して、
【時間管理】に入ってゆきます。

■【今!今!生かすことができる人は、人生の勝者…】です〜〜〜ョネ!
私も、今!気づいた地点から〜〜〜【ゴ−!ゴ−!my load start!!】で〜〜〜す。
                                        再合掌

PS: 「トキ様」 へ
当に❤〜【つ か え ば 殖 え る 時 間 管 理!!】でしょうか??この点は、
どの様なお考えでしょうかしら〜〜〜ン?

1761神の子さん:2012/12/06(木) 14:39:39 ID:???
>>1759
現代仮名遣いに改めないでください

1763神の子さん:2012/12/06(木) 17:06:25 ID:???
怒りを抑えているさくらさん 笑い

1765SAKURA:2012/12/06(木) 20:32:47 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……   
===【抜粋文】===================================
伸びることを忘れた時に凋落が始まる。樹木を見て、その真理を悟れ。
                               (谷口雅春著)
===========================================

■まさに“当たっている事”と、思います。FUKに帰郷してからの私は、年々”戦う姿勢”が
おかしくなっていくような不安感? 気がつきますと、一体?何故?このような事が〜〜〜><
毎日!毎日!このような事態になるのかしら〜〜〜ン!と自問自答の日々なのです。
毎日が正直申しますと【出口のない堂々巡り…】でしたかと。延々と〜〜〜><
【心の窓…出口のない戦い!!】でした。…が?初めの時は、まだ多少“気力”というモノ
があり、更に!こちらも“身構える姿勢”がありましたが?段々!構えるだけで、一向に
前!前!にすすむ事が出来なくなって行きました。
■そ〜〜〜〜〜う!【生きる気力…】が、失っていたのでしょうか???

あの頃しかも教区の元元元W3期「白鳩会長」が“お金”の持ち出し〜〜〜!!しかも、
その【処罰…】には、当時の教化部長の処置は個人的には、“甘い”ような感なのです。…が?
更に!その事自体を、知っていますのは、ごく少数であり、噂では【分派…】に〜〜〜と聞
いております。この事は、一たび“教区外“では、知る人がいませんから、以前の【肩書…】
を使い、【分派…への勧誘】そして【吸血鬼・ゾンビとの関連?】が〜〜〜と???ある所から、
遂に“噂…”を耳に致す事となりました。…が??こうなりますと其方に【心の窓…焦点】が?
当然のことながら、本来の【目標達成…】への焦点を合わせる事が“先延ばし”でしたかと?
自問自答です。そうなのです〜〜〜ョネ!

❤〜【伸びる事…】を、何処かに忘れていた事に、フト!!気づきました。

■■その時!やはり【 真理・哲学 】は、他人を“救う!”と思います。
私は、ドクタ−モルツ博士のサイコサイバネティクスを【ダイレクト出版】との出会いで
“心に響く言葉…”を頂きまして、ズシ〜〜〜ト!心に響き、それからは、毎日のように、
まず【ダイレクト出版でコメント】をさせて頂きました。その後【此処2チャンネル…】で、
今!今!【雅春先生の言葉…】からもまた【真理の生活に密着した…当に生きた言葉】が、
浮かび、そこから、当に、今の私は、息を吹き返したと申しても過言ではないのです。そう!
少しずつ“息…”を吹き返しています。そして、昨日申しましたが、本当に【時間は大切…】!
改めて“自覚の認識の薄さ”が、今の私であったと思う次第なのです。

■何時か?何故遠回りしたのか?その原因を、何時か【自分のブログ】に投稿しますが??
きっと、次世代をになう“若い方達”が、【人生の舵取り…】失敗しない事を、少し参考になる
のならと〜〜〜要約、その気持ちになりましたが、まず!今の私の考えは……
❤〜【生かす事は、自分を生かす事でしょうか〜〜〜?】毎日!毎日!“心の種”を植えて、
“芽…”が出てきます様に……そして“心の水”をかけて行こうと思います。そうです!!
その“水…”は、無くてはならない【 真理=哲学 】と、思える私の解釈なのです。
最高の“心の水”……【雅春先生の書籍の数々からの真理の言葉……】でしょうかと!!

                                 再合掌

1766NANCY:2012/12/06(木) 22:04:58 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>の投稿の続きです。

■■『 生長の家 』の観相学   ≪谷口雅春先生の言葉より抜粋投稿≫…
―― 人間の幽体は想念感情の座として、心の通りの形になる ――

■>霊体が第二念(本体からの「直接の心の思い」でなく、霊体だけで独立して、次の念を起こ
したのを第二念といいます)を起こしますと、その念(こころ)の波がまたひろがりまして、
ある一定の「体」を形造ります。これを「幽体」ともうします。「幽体」も肉眼には見えませんが、
これは第二念でありますから、濁った部分があるのであります。これは肉体とはちがって、霊妙
な霊的原素でできておりますから、念の通りの形にすぐなるのであります。<(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

そうです〜〜〜ョネ!以前“投稿”させて頂きました“続き投稿内容…”なのですが?
「雅春先生…」の池の中へ小石をほり込んだように波のひろがり〜〜〜この解説から、正直に申し
ますと“理解力…”が、プラスにかと。実は、私事ですが【SAKURA】さんの「亡きお母様」の
“霊様の写真”を見ましてからは、「雅春先生」のおっしゃいます肉眼では見えない世界が…
確かにあると!確信ができるようになりました次第です。❤〜【肉体…エ−テル体…幽体…霊体…】

更に次の「雅春先生の言葉」当にそうなのです〜〜〜ョネ!〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■>たとえば、腹が立ちますと、幽体は凝り固まって図の点線のような形に固く凝り、ふくれ上が
ります。(「怒る」という語源は、「玉の緒が凝る」ということであります)すると、内部の幽体が
ふくれ上がりますから、その外側になる肉体は、それと同じ形にふくれ上がって、腫物となったり
癌となったりすることがあります。顔に皺ができたり、いろいろの斑点ができたりするのも、下部
の幽体が、感情想念の座として、その心の通りの形となり、それがその外側の肉体にあらわれて
くるのであります。だから、念(こころ)を変化すれば人相がかわるとうことになるのであります。
                           (抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

そうなのです。感情が“ネガティブ感情”例えば…相手への悪感情と申しますか〜〜〜?
【 恨み?妬み?怒り?憎しみ?不安感?…云々…】その時の“顔…”を、鏡にて見ますと…
確かに「雅春先生」のおっしゃいます「皺…」が額に??とか〜〜〜>< 顔全体の“筋肉”
も?変に動かす事で…最終的には「皺…」の要因になりますのでしょうか〜〜〜?
また「斑点…」これは“シミ”という事でしょうか??思い浮かべますと、感情が不安定?
その様な時でしょうか?自分自身の体験?と一致しますモノがありますかと。ある日突然…
「シミ=斑点…」になるのでしょう…。更に、当然ですが〜〜〜?
この事に、現代社会では、「オゾン層の破壊…環境問題」は、関連しますでしょうと、思います。
この事は、人類の【モノへの執着心…我欲】が原因でしょうか??

■【想念感情…】つまり心の通りが形としてあらわれることなのでしょうか? 納得です。
そうしますと【想念感情…】は、何時も?何処でも?“ポジティブ感”でしょうかと思います。
あくまでもその【 ポジティブ感は…心から 】かと…そこには素敵な出来事が〜〜〜?
勿論!肉体面でも形として…現われますのでしょう。❤〜【何時も!若々しい〜〜〜い!姿】…

                                再合掌

1767ハマナス:2012/12/06(木) 23:48:18 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

現代医療の盲点  (『新版 生活の智慧365章』P.306)

 あらゆる病気は“心”の産物である。肉体そのものが “心”で翻訳し出したところの一種の
翻訳文であるからである。だから精神指導によって治る病気は、単に機能的疾患だけではなく
器質的な疾患も同様に治るのであり、現に癌のような疾患も心の変化で治る実例を幾つも私たちは
出しているのである。“心”が健全細胞を癌細胞に変化するのである。

 このことは子宮癌や乳癌の患者が、医者自身から出した統計によってでも、家庭的愛情に不満足
であった婦人――結婚して子供がなかった夫人、二号さんを良人がつくったために精神的に悩んで
いた婦人、早くから良人に死別した婦人などと云う兎も角も愛情の不満足又は愛情のもつれのあった
婦人に多いことで示されているのである。しかも医者はその方面のことを指導することを忘れて、
原因はほっておいて、物質的な切除やラジウムの照射や、ザルコマイシンの注射などで、単なる
結果に過ぎないところの症状を抑えようとするのである。

感謝合掌

1768a hope:2012/12/07(金) 07:42:30 ID:ueIDSztA
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦光明の雰囲気を出す人(p93〜)

世界の人々は忙しいのでありますから、皆さんの能力を一々テストしている暇はないのであります。
紙に書いた答案よりも、その人から放射される信念や感情の感じられ方で、
相手の人は、この人は立派だから、重要な職につけてやろうと考えるのです。
そして其の与えられたどんな重要な仕事でも実際にやりとげることが出来る能力もその信念から湧いてまいります。

自信ある人は、其の顔の色、語調(はなすちょうし)、態度(ようす)、悉(ことごとく・みんな)勝利に充ちたものとなります。
そう云う人が保険を勧めにくれば入らずにはいられなくなりますし、商品を売りに来れば買わずにはいられなくなりますし、
雇ってくれと云われれば雇わずにはいられなくなるものです。

こう云う人は何をしても成功します。
それは光明の雰囲気(きぶん)を放射する人になったからです。
愉快に楽しく自信に満ちた生活を送りましょう。
(つづく)

出典 「新版 生活読本」日本教文社  平成八年一月十五日 新版初版発行 


(a hopeの所感)
この、「生活読本」は「人生読本」同様、谷口雅春先生が「生命の實相」の難しい真理を子供やお年寄りにも理解できるようにと、
できるだけ優しい言葉で書いて下さった雅春先生の御愛念のつまった素晴らしい聖典です。
具体的な例がやさしく書かれているのでとても解りやすく、私は、拝読すると必ず元気になり、やる気が出ます。
皆さまにも、お薦めします。


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