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聖典引用 板
1717
:
さくら
:2012/12/03(月) 14:58:55 ID:KZaB1vfg
「静思集」
谷口雅春先生
「寂静にして鳴るなり」このことを悟らざる人の多きを悲しむ。
『智慧の言葉』に「縛られて自由自在」とあるのはこのことである。普通は、縛られていたら自由自在ではないと思う。人生の苦悩は其処から生れる。人生は本来「自由」なる生命が「縛り」(時空の制約)の世界にあらわれたのである。縛られて自由自在「一即多」を悟った境地である。そこに坐りながら、自分の生命が全世界に動いているのである。
「寂静にして鳴るなり」とはそのことである。現象を眼の前に見ながら「現象無し」と知るのも、その境地である。病を眼の前に見ながら「病なし」と知るのも、其の境地である。「寂静にして鳴るなり」「寂静にして病むなり」畢竟病なきなり。風のことに非ず、鈴のことに非ず、われらの生命のことである。
「生死にあり」と観るは、風鈴を鳴るとするのである。如何にも風鈴は鳴るのである。しかも風も鈴もともに寂静なのである。
寂静にして鳴る。
生死なくして生死す。
一点にして無限大。
寂静にして鳴るなり。」
拝
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