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聖典引用 板

1724「訊け」管理人:2012/12/05(水) 07:21:42 ID:???


『生命の實相』第38巻(幸福篇下)162頁より謹写――

<12月5日>

 ただ真理のみを語れ。多言なるべからず。多言なれば調子にのりて虚偽を語ることあるべし。
 ただ優しき言葉のみを語れ。烈しき語調の言葉は深切より出ずる場合にも、憎悪をもって語るる言葉なりと誤解せらるることあり。心のうちにでも、言葉に現わしても、行ないにあらわしても、人を傷つけてはならない。誠実であれ、虚偽であってはならない。素直に、直截に、かまえることなく、そのままの心で生活し、行ない、言わねばならぬ。

 値(あた)いなしに受けようとしてはならぬ。肉体の汗か、心の汗か、金銭か、物質的な贈物か、いずれにせよ何らかの値(あた)いを払って受けよ。値いなしに受けたものは、いつかは奪い返されることがある。自己の生活が気尚(けだか)き基礎に立つかどうか顧みよ。

 なんじの生活を、愛と赦しと忍耐との上に築きて、怒りと憎みとを常に支配せよ。怒りと憎みとは神と汝とを隔てる最も大なる敵である。

 常に朗らかであれ。不快なこと、争いのこと、憎むべきこと、人の悪しきことを忘れ去れ。忘れ上手が光明生活の第一歩である。

 恩を忘れてはならない。恩を忘れる者は根と培わない樹木の枝のごとく、一時(じ)は生け花のごとく美しくともやがては枯れてしまうであろう。人に深切をつくすのが、最善の宗教である。ただ教えの説教師になってはならないのである。

 一日に1回以上、できるだけ自分の利益にも何にもならないことで、純粋に他(ひと)のために尽くせ。純粋で無我でつくすことはそのこと自体が神に通ずる祈りである。無我の愛でささげたる奉仕は神に献(ささ)げたことになるのである。

 自分の収入の二分ないし一割で、自分の救われた教えを弘めるために真理の小冊子を買って無代進呈することじゃ神に対する恩返しとなる。与えただけが与え返されるのである。

<了>


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