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聖典引用 板
1701
:
ハマナス
:2012/11/30(金) 22:57:57 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。
「肉体」から「廻れ右」させる「喝」 (『新版 生活の智慧365章』P.301)
生長の家では「人間は肉体にあらず物質にあらず」と説く。また、「物質は無い、肉体は無い、
現象は無い」とも説く。これらは悉く人間を物資として、又、肉体として把握している人々の心を、
一転して「人間は“神の子”であり“霊的実在”である」と云う自覚に振り向けるための“一転語”
であり “喝”であるのである。
ある西洋人は「 “病気は無い”と念じて病気が消えるのなら、“肉体は無い”と念じたら肉体が
消えてしまう筈ではないか。それなのに肉体が消えないのは論理に矛盾があるのではないか」と
質問したそうである。元来、「肉体は無い」とか「病気は無い」とか言うのは、肉体や病気を、
どうにもならない固定物質として把(つか)んでいて、心で把んでいるから、その心が肉体や
病気に固着していて自由を失ってしまい、本来の“霊的実在”たる人間の実相をさとることが
出来ない状態の人の“心”を、肉体や病気から振り向いて“廻れ右”させるための一転語なので
ある。そしてその一転語が功を奏して其の人が“肉体”や “病気”から念を放してしまった
ときに、念によって「実相の完全さ」が表面にあらわれて健康が恢復するのである。従って
「肉体は無い」と云う念が徹底しても、肉体が消滅することにはならないで、却って肉体に健康
があらわれるのである。
感謝合掌
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