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聖典引用 板

1711a hope:2012/12/02(日) 10:24:14 ID:ueIDSztA
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦愉快な生々(いきいき)した人になれ

何よりも吾々は人らしい人になることが必要なのです。
神の子の生活と云うのは別に人を離れて神の子の生活があるのではございません。
それでは人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、お釈迦さんは、
「笑うべき時に笑わず、悦ぶべき時に歓ばず、慈心(なさけごころ)を起すべき時に慈心を起さず、
悪を作(な)して恥じず、善を聞いて意(こころ)に著(つ)けない人は確かに人らしくない人である。」そして又こう云われた。
「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪を作(な)して恥じ、善を聞いてそれを意(こころ)に感銘する者は確かに人らしい人である。」

愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳であるのである。
美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。
徳と云う字は「直心(じきしん)を彳(ぎょう)ず」と云うことを文字に組み合わせたものである。
直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。
即ち笑うべき時に笑うことである。歓ぶべきときに歓ぶことである。
なさけの心を起すべきときに、素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。

歓びと云うものは、身体(からだ)の血のめぐりをよくし、勉強や仕事をする力を増し、
悲観したり気が鬱(ふさ)いだリしている人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。

日本人は、古くから、「喜怒(きど)、色に現さず」と云って歓びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても
其(そ)の怒りを顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、これは大変な間違いだったのです。
多くの病気は、心の中に持っているよろこびや悲しみを形にあらわさないために起こるのです。

怒(おこ)ることは感心しませんが、素直な気持で、何でも心に思っていることを出すようにしていますと、
心にものがたまって腐ることがありませんから、怒(いか)ることも自然になくなるのです。
何でも心を自由にしている人間の実相は愉快なのが本当ですから、愉快に楽しくなるほかはないのです。

常にニコニコ微笑している者は身体(からだ)も達者であります。微笑とは「ほほえみ」です。
「頬」に何となく嬉しさの笑(わらい)が浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。人間は愉快な時にも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。

マドリッドには「ラーフ・キュアー」(ニコニコ治療)の病院がありました。
そこでは普通の医療で治らない人たちが、入院して毎日鏡を見て笑う稽古をするのです。
どうしても笑わないヒステリーの患者などは、唇と歯の間に燐寸(マッチ)の軸木(じくぎ)をバネのように突込んで、
その形が可笑しいと云って笑わせたりします。わらっているとズンズン健康になってくるのです。
(つづく)


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