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聖典引用 板

1122ハマナス:2012/08/12(日) 21:51:16 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

不安恐怖を除くための祈り

『新版生活の智慧365章』

何よりも心の迷い、恐怖、不安等を取り除きなさい。毎日の祈りの際に、神が無限の供給源であり、無限の生命源であることを念じなさい。そうすることによって、一切の心の迷い、恐怖、不安等を取り除くことができるのです。
「神は無限生命であり無限の供給でありたまう。わたしは神の子であるから、常に神より無限の生命と無限の供給とを与えられているのである。だから私は常に健康であり、裕かであるのである。神は常にわたしを護りたまうが故にわたしには何らの不安も恐怖もない。心は常に明るく愉快で、私は神の生命と財福の供給が無限に流れ入るパイプになっているのである」
と云う風に祈るならば、恐怖心も不安も除かれ、真に「神」の流入する不思議のパイプとなることができて、日常生活に必要なあらゆる物を得ることができるのである。

感謝合掌

1123ハマナス:2012/08/13(月) 22:14:37 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

体験に失敗はない『新版生活の智慧365章』

過去について思い嘆くこと勿れ。過去は既に蚕が、一眠ごとに脱ぎ捨てた皮のようなものであり、蝉の抜け殻みたいなものである。過去の殻の形が如何にあろうとも、それは現在の自己にとって何のかかわりもないことである。真に自分にとって大切なことは、脱ぎ捨てた過去の殻が如何なる形をしているかと云うことでなく、その殻の中にあって如何に自分の魂が生長を遂げたかと云うことである。

如何なる困難も、如何なる失敗も、決して完全なるマイナスと云うものは人生には全然ないのである。エジソンは千百の実験に失敗した後一つの発明を完成しても、その千百の実験を「失敗」と呼ばないで、「こうしたら、こうなる」と云う実験のデータを得たのであるから、それだけ自分は進歩したのだと言ったそうである。

感謝合掌

1124ハマナス:2012/08/15(水) 10:01:53 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
おはようございます。

宇治では大雨の被害があった様ですね。
盂蘭盆供養大祭のご成功をお祈り致します。


病気が消えるための祈り
『新版生活の智慧365章』

あなたが若し病気であれば、あなたの想念を病気の症状に集中してはなりません。症状を超え、現象を越え、“神の子”たる完全なる実相に集中しなければなりません。既に癒されている完全なる状態を心に描いて、その想念を心のうちに持ち続けることが必要であります。次の如く祈りなさい。

「神はわが内なる実相の生命である。実相のみが実在するのである。神は完全であるからわが内なる実相の生命は完全である。実相のほかには何ものも実在でないから、わが全心身は実相そのものである。実相は完全であるから、実相そのものであるところの全心身は健全である。病気と見えているところのものは、それは実相の完全さを知らない迷いの影にすぎないのである。迷いは真理を知ることによって消えるのである。私は今神より叡智の光を受けてすべての迷いが消えたが故に『迷いの産物』なる病も消えたのである。」

感謝合掌

1125ハマナス:2012/08/15(水) 21:32:06 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

消極的な想念の誘惑

『新版生活の智慧365章』

神は人間に完全なる自由を与え給うたのである。この実相に心を振り向けるとき、一切の自分を不幸に陥れる束縛も制約も消え去ってしまうのである。事物を処置するに当って、否定的な消極的な面に心を振向ける者には大なる成功と云うことはあり得ないのである。神が常に自分の仕事を導き給うと云う信念があれば、一時その仕事が如何に行詰(ゆきずま)ったように見えても、また別の道がひらけて其処から素晴らしい仕事の枝が出て来て、主要なる仕事よりも其の枝の収益で損失をおぎなうことも出来るようになるものである。

消極的な考えが起きて来たならば、「神はわが父であり給い、わが求むるすべてのものを神は与えたまうのであるから、必ずわが行くべき道は拓かれるのである。神は無限の智慧をわれに授け給いてわが行くべき道を示し給う」と念ぜよ。


感謝合掌

1126SAKURA:2012/08/16(木) 03:52:32 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

もう…「ご先祖様…」が、お帰りになられましたでしょうか?今年は【二つ部門の聖教】を唱え、
ました次第です。…が?一つは「甘露の法雨」「観世音菩薩賛歌」の“お経”を唱えました…。
皆様も「御先祖様の見送り?」の“お聖経”を、唱えられましたでしょう〜〜〜か?
では、私達にも必要な精神は、…【心の聖典】を〜〜〜開きます〜〜〜♫

■幸福を招く365章
―――――― あなたが幸福になろうと思ったら ――――――――

「神よ、私はあなたに対して今日約束を致します」皆さん、こう云って神様に約束の祈りをし
て下さい。「今日より私は、あなたのお力を得て、私の心よりすべての暗黒なるものを、憎しみ
や、怒りや、悲しみや、嫉妬や、人の不幸を喜ぶ心などを綺麗に洗い流して、再びそのような
感情を私の心の中に起すことなきように誓います。この誓いが実行出来るようお力をお添え下
さい。私はあなたの許しを得て、私の意志と感情と想念とをあなたの中に投げ込みます。あな
たの尊き高き清らかなる意志と想念と感情とを我れに流れ入らしめ給え。わたしの心は既に私
のものではありません。あなた様から与えられ、あなた様に献げられたるものであります。私
は力を尽くしてこの私の心があなた様に献げられたる目的にかないますよう聖らかなるよう努
力いたします。」
                             ( 谷口雅春著 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日は「御先祖様のお見送り」…【お祈り】をしましたが?皆様は如何でしたでしょうか?
私も【祈り…】の後、仏壇に向かって話しかけますが、これがとても照れくさい?のです。…が?
それでも「亡き両親」に、今回の【新聖経…】を、いいのかしら〜〜〜ンと聴きますと?
“ロ−ソクの炎”…揺らぎから〜〜〜良い〜〜〜のでは?と…嬉しそうに、頷いています〜♫〜
私も【甘露の法雨】後に、読誦しますと、とても読み辛くなります事もしばしばです。…が?
その後、段々と“心が爽快”になりまして、不思議と“意志が強く”なってくるのです。

私自身も、まだ読誦しだしてから間がないのです。ですから、先ず!読んでみまして、その後
“効果”がなければ、その時に“対策を講じても”良いのではと思いますが?
私の考えは、読みます前からの批判論(ア〜〜〜ダ?コ~~~ダ?)には??
それなりの“効果”があるものと“信じて祈る!”ですから、“不安とか?”は無く、
其の言葉の“意味を理解”しながらでしょうか〜〜〜?
とても分かりやすい【文章 と 聖典】です!!(しいて言いますと厳格性?でしょうか?)

さて!人は誰もが【幸せ捜し…幸せの青い鳥?】勿論!私もやはり…
“幸せになりた〜〜い”ですモノネ???
今日から、更に【神想観=瞑想】です。この“言葉通り”に…【実行開始!!】
“嫌な感情…不安?恐怖?妬み?嫉妬?…etcネガティブ感情を、遠く遥か彼方へ…捨て去る!!
アウト・プット〜〜〜と「イメ−ジ」で…!そうなのです〰~~ョネ!今日から、私の“メモリ−”に、
【今日の言葉を、一気に暗記しまして、唱えていきま〜〜〜す〜♫】
今から【幸せロ−ドに入る“近道…入門でしょうか?】信じて、
My load〜〜〜on!!!…Come back my load !!!

PS:トキ様 へ
お盆前からの気象庁の情報で【集中豪雨警報…】が?ありましたモノ?
其の結果…?「集中豪雨…被害が各地に〜〜〜><」悲しい出来事が〜〜〜><

さて!【お聖経問題…】ですが、私は先ず!“実行”からしています。…が?
やはり【心 の 法 則】で行きますと、目前の「現象」での理解(心の捉え方)は、当に!
そのような形で現実世界に現れますし…更に【天界からの伝言】では???と思いながら、
今「地質学」を読んでいますと…?なるほどと言った感じが見えて来ましたが、
全てを【新 聖 経 の せ い】になさる根拠は、大変失礼ながら、
昔の【迷 信 世 界】に、戻ってしまった気持になります次第なのです。…が??
                                   再合掌

1127a hope:2012/08/16(木) 07:53:31 ID:r8H4x9xE
人生読本 谷口雅春先生著

「成ろう」と「成れる」との相異


誰でも偉い者に「成ろう」とは思うのですが、そのうちの極わずかな人だけしか偉くなれないのは
「成ろう」と思う考えは捨てないくせに、「成れる」という考えをいつの間にか捨ててしまうからです。

そしていつの間にかそんな人は、「成’ろ’う’と思うけれども成’れ’ぬ’」と言うのです。
そして、そういう人はとうとう偉いものには成’れ’ぬ’のです。

これで「成’ろ’う’」と「成’れ’る’」との相違が判ったでありましょう。
(つづく)

1128a hope:2012/08/17(金) 07:17:28 ID:r8H4x9xE
人生読本 谷口雅春先生著

立身出世の秘訣


皆さん成功の秘訣も、立身出世の秘訣もここにあるのです。
「精神一到」とは、どこどこ迄も、ただ 成’れ’る’――成’れ’る’で突き貫(とお)すことです。

「心」で「成れる」と信じたときには、心のフィルムではすでにそう成っているのです。
心のフィルムに描かれていたことは必ず活動写真に映し出されるように、この世の中に本当に出てくるのです。

しかし、自分がこうあって欲しいことがまだ本当に出てこないうちに、
「成れる」という考えを捨ててしまって、「成れぬ」という考えにいつの間にか成ってしまったら、
その「成れぬ」という考えがこの世に出てくるのですから、運は悪くなるのは当然です。
(つづく)

1129志恩:2012/08/17(金) 07:42:54 ID:.QY5jUA6
 ヨハネ伝講義 谷口雅春先生著


「私を信じる者は私を信じるのではない。私を遣わし給うた者を信ずるのだ。
神は光源であって、私は光である。だから私を見る者は、神を見るものだ。

私が光としてこの世に来ったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に、彷徨わないためである、

人がたとい私のコトバをきいて、それを守らないでも、私は守らない人を審きはしない。
私は審きのために来たのではない。救いのために来たのであるから。

しかし、私を棄て(すて) 私のコトバを素直に受けぬ者を審く者は、別にある。

それは、法則である。
わが語れる神のコトバである。

【私は、心の法則を語るのであって、心の法則にそむいたものは、最後には、その法則によって、審かれるのだ。】

私は、おのれの知恵や力で、しゃべっているのではない。
私を遣わし給いし父自ら 我が言うべきこと、語るべきことを命じたまうのだ。

私は、その命令が永遠の生命であることを知る。さらば私は、天の父が、私に言いたまうままを語るのだ。」

               (十字架に架かる前、このようにイエスは群衆に向かって、大声で説教して言われた。)

1130金木犀:2012/08/17(金) 18:14:39 ID:auusu5IE
志恩様

まさに雅春先生が、言っておられることと同じですね。雅春先生は、ご自分をラッパと言われましたが、
雅春先生の言葉を神の言葉として聞く気持ちのない人間が、総裁ですね。
だから、『甘露の法雨』を補強などと言われるのでしょう。本当に雅春先生の言葉を神の言葉として捉えたら、
補強などという言い方など出来るものではないと思います。

この謹写された文章を見て、戯曲編の耶蘇伝を思い出します。
戯曲の最後では、ユダが、サタンに、あなたは神ですかと聞くと、サタンが、
「まあ、神のようなものだ」と答えて、さらに、「私は心の法則というものだ」と答えますよね。
うろ覚えですから、少し違うかも知れませんが。
あの時、サタンと見えるような人生のあらゆる物事は、心の法則なのだと、
このサタンの言葉が強く印象に残りました。

1131志恩:2012/08/17(金) 18:48:58 ID:.QY5jUA6
金木犀さま

生長の家総裁というお立場の人が、雅春先生のコトバを神のコトバとして聞く気持ちがないのですからね。
すごく切なく悲しいことです。「甘露の法雨」を補強するなんて、どうかしてます。

雅宣総裁は、人が理解できないコトバで語り、理解できない相手を【人間知】だとばかにしたように言いますが、
あまりにも理解できない人ばかりでは、いくらご自分の主張を理解させようとされても、机上の空論となります。

初心者様が、なにを言いたいのか、この1年間以上、ここの掲示板に出ていらして、雅春先生がどうのこのと言って、
どれだけの人を説得で来たでしょう。
理解出来ないわれわれのせいでしょうか。
よき理解者は、極少数の
しっぽりコンビのさくらさんとSAKUAさんぐらいでは、ないですか。

       つづく(今、急用ができましたので、のちほど…)

1132志恩:2012/08/17(金) 19:33:18 ID:.QY5jUA6
私は、さくらさんもSAKURAさんも、雅宣総裁の味方であることは、
別に気にしておりません。ここは、自由な掲示板ですから、それぞれにご自由な発言があるから、いいのだと思っていますので。

本流対策板のほうでは、今日は、ベテランのトキ様、役行者様が、又goro様、金木犀様、うのはな様、如月様、さくら様も、加わって
初心者様と,熱いディスカッションを交わされていましたので、読ませて頂いて、大変勉強になりました。

それから、話変わって,
戯曲編の耶蘇伝ですね。以前、ももんが様がいらしている時、復興G様や、役行者様も加わられて、戯曲編の耶蘇伝の話がでた
ことがありました。
「生命の實相 第31巻」。

「五十鈴川とイスラエル」のお話とかも、復興G様に教えて頂きました.

「磔刑は、人間を殺すことはできない。十字架に釘けられても、死なない人間がいるのだ」というイエスの言葉は、力強さがありますよね。
抹殺しよう,抹殺しようとしても、ほんものの真理は、殺せない、生き返るのだと思います。

ヨハネ伝講義の中に、印象的な場面があります。

イエスを十字架に架けて,処刑するおえらいさんでピラトという人物がいるのですが、イエスを処刑するまえに、ピラトはイエスに聞きます。

(要約)

{ピラトは、イエスに
「真理とは、何じゃ?」と、尋ねました。

しかし、イエスは、黙然として答えなかった。

なぜ,答えなかったというと、答えても、ピラトには理解のされようがない、ピラトに今それを語っても、何も甲斐がないから黙然としていられたのでした。

真理がわかるのは「真理に属する者」だけでありまして、肉体人間に話してもわからないのです。

イエスのこの一黙も恐らく雷の如しであって、ピラトを一黙のうちに威圧しておったに違いないのであります。}

1133ハマナス:2012/08/17(金) 19:51:30 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま

こんばんは。

失敗という観念を拭い去れ

『新版生活の智慧365章』

若しあなたの事業が失敗したように見えようとも、真実何処にも失敗と云うものが存在しないと云うことを知らねばならぬ。「失敗」と云う観念にあなたが固執するとき、「類は友を招ぶ」と云う心の法則によって、益々「失敗」と見えるような事件が重なってあらわれて来るのである。失敗を転じて成功に導こうと思うならば、「失敗」と云う観念を、心の黒板から拭い去ってしまわなければならない。

イエスが「悪に対して抗する事なかれ」と言い、「上衣を盗る者には下着をもとらせよ」と言ったのは、悪と見ゆるものに対して無抵抗であるときは、悪は本来存在しないものであるから、その悪は生長しつつあるかの如き観を呈しつつ実は自壊して行きつつあるものだからである。「陰極は陽転する」と云うのは、暗黒はそれ自身で自壊するからである。

感謝合掌

1134志恩:2012/08/17(金) 20:06:11 ID:.QY5jUA6
ハマナスさま

今日は、おつかれさまでした。猛暑のなか、感謝いたします。
宇治の天気予報を見ましたら、日中は、35℃と載っていました。

こちらは、今日は,今夏で一番暑い日だと感じるほどの暑さでした。
冷房を入れているのに、室内温度は、昼間、28,5℃もありました。
庭仕事は,今日は、やめときました。

いつも、謹写をありがとうございます。

1135志恩:2012/08/17(金) 20:36:04 ID:.QY5jUA6
金木犀さま

耶蘇伝を話し合われていたとき、金木犀様も参加されてましたね。今年の5月初旬頃でした。
すみません。

1136ハマナス:2012/08/17(金) 22:18:54 ID:mR2szZkc
志恩様
こんばんは。
ご丁寧にありがとうございます。

今日は照り返しが強く暑かったですが、美味しいグリーティーを頂き、元気になりました。

お姉様もご奉仕さらているのですね。

今、浄めるの雨が降っています。
明日は晴れてほしいです!

感謝合掌

1137a hope:2012/08/18(土) 10:14:30 ID:r8H4x9xE

ハマナスさま

宇治は、宇治茶が有名ですね。
ご奉仕本当にありがとうございます。

昨晩は、宇治から聖典を謹写してくださったのですね!

>>イエスが「悪に対して抗する事なかれ」と言い、「上衣を盗る者には下着をもとらせよ」と言ったのは、
悪と見ゆるものに対して無抵抗であるときは、悪は本来存在しないものであるから、
その悪は生長しつつあるかの如き観を呈しつつ実は自壊して行きつつあるものだからである。
「陰極は陽転する」と云うのは、暗黒はそれ自身で自壊するからである。<<

この、聖典のお言葉が心に響きました。

「無抵抗」のとらえ方が難しいと感じますが、キリストが十字架にはり付けられた時、
無抵抗であったために、キリストが簡単に「悪に屈してしまった」ように見えてしまうけれど、
その心に信じる「真理」はガンとして貫き通していて、
「本来ない“悪”」を最後まで観ることはなかったのだと感じました。
この、キリストのお言葉を拝読して、「無抵抗」とは「心まで言いなりになる」ことではないのだなと感じました。
もう、本当に、これからはよくなるしかないのですね!

ハマナスさまの毎日の素晴らしい聖典の謹写に心から感謝しています。

1138ハマナス:2012/08/18(土) 22:53:14 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

hope様

ご丁寧なレスをありがとうございました。

こちらこそ、いつも素晴らしい、雅春先生のご文章の謹写をありがとうございます。

感謝申し上げます。

明日は早いのですみません、今日の引用は、お休みします。

感謝合掌

1139a hope:2012/08/19(日) 08:21:29 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

クーエの話

フランスのナンシーという町に、エミール・クーエという薬剤師がおりました。
薬剤師というのは、この薬はどういう成分が入っているから、
どういう病気に効くとういうことを研究した専門家です。

或る日、クーエのところへひとりの病人が薬を買いにまいりまして、
「こういう名前の薬が欲しいから売ってくれ」と申しました。
するとクーエの店にはその名前の薬はありましたが、
もう古くなって成分が変っているから、その薬だけの効目(ききめ)がないことは明らかでした。

クーエは「今その薬はあるにはあるが腐ってしまって成分が変っているから、売ってあげても効きません」とお断りしました。
するとその病人は「その名前の薬であれば効くのだから、腐っていても何でもよいから売ってくれ」と言いまして、
とうとうその薬を無理に買って帰りました。

数日すると、その病人はクーエのところへお礼にまいりました。
「あの薬をのんだら、おかげでその病気が治りました」と言うのです。

クーエはびっくりしてしまいました。
なぜならその薬は腐って性質が変ってしまって、もう効かなくなっていることが、
薬剤師の自分にはよく分かっていたからです。
「効かないはずの薬がなぜ効いたか」クーエは考え始めました。
(つづく)

1140うのはな:2012/08/19(日) 18:06:53 ID:f2bwKGw2
芸者里駒さんの音痴が治った実例

 神戸の生長の家の教化部が花隈という芸者町にあった時代があるんです。
その門前町にあった時代があるんです。その門前に掲示板がかけてありまして、生長の家の
『智慧の言葉』を毎日新しいのを書いて掲示してあったのであります。その時分に里駒さんという
芸者が常磐津を専門の先生について習いに行っておったんですけれども、どうも先天的音痴のようで
どうしてもうまく常磐津の節まわしがうたえないんです。それで先生にいつも叱られる。
彼女は、今日も常磐津の先生のところへけいこに行くんだが、また今日も叱られるかと思いながら花隈の町を
歩いていると、生長の家の教化部の前へ来た。教化部の前に掲示板がかかっておって、それに、
“しようと思うよりできると思え”と書いてあるんです。里駒さんは、何のことだろうと思ってしばらく立ち止まって
それを読んで考えておった。

「私は常磐津を上手に“しよう”と思っているけれどもうまくできない。“しよう”と思うけれども“できない”と私は思いつづけて
いたのだ。それはまちがっておった。常磐津を上手に“歌おう”と思うよりも私は常磐津を上手に“歌うことが出来るんだ”と、こういうように
思えばいいのである」と気がついたのです。
 それから彼女は、師匠のところへ歩いて行くその間中、“私は常磐津が上手にできる、上手にできる、上手にうたえる”と、こう思いながら行ったのです。
それから彼女は、その日は師匠の前で教えられるままに常磐津をうたったら、すばらしく上手にうたえた。それで師匠が大変ほめてくれた。
「あんた音痴かと思っていたら何も音痴ではなかったじゃない、今日はすばらしくよくできたよ」と言ってほめられたというのです。

『生命の根元を培う新しき教育』 谷口雅春 先生著 P93 新教育者連盟 編

1141a hope:2012/08/20(月) 07:31:19 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

「治りたい」と「必ず治る」との相異(ちがい)


「効かないはずの薬がなぜ効いたか」皆さんも考えてみてください。
それはその病人が「この名称(なまえ)の薬なら必ず効く。そして必ず治る。」と思ったからです。

この病人は今まで多くの病院を渡り歩いて来ましたが、病気が重くなる一方で治らなかったのです。
なぜ諸方の病院を渡り歩いたかと申しますと「治りたい」と思ったからです。

しかしどういうものかこの病人は治らなかった。
病院のくれる薬も服(の)んでみましたが、どういうものか治らなかった。

それは「治ろう」と思っても、「必ず治る」と信じなかったし「必ず効く」とも信じなかったからです。
「治りたい」と心に思っても、「治る」と信じなかったら、効きもしないし、治りもしないのです。

「成ろう」と思っても「成れる」と信じなかったら、成功しないし、立身出世もしないのもそのためです。
(つづく)

1142うのはな:2012/08/20(月) 10:33:59 ID:Gsql6f66
   はしがき

 人の偉大なるは人それ自身の本質による。金の良質なるは金それ自身の本質による。
金は鉱石を外から磨いても純金となるのではなく、その本質を抽出するところに純金が顕現するのである。
人間の教育もかくの如く、人間を外より磨くよりも、その本質を内より抽出することによって完成するのである。
併し人は金よりもなお偉大なるものである。金は自然に放任するときは、みずから内よりその純分を析出しないけれども、人は
生命であるから、本当に自然に放任するとき、栗の実が毬を破って出ずる如く、おのずから其の本質の善さを露呈するのである。

 人の偉大なるは縛られて善くなるのではない。「本当の自然にまかす」とき、内在無限の善さが、内在無限の能力が、内在無限の智慧が、
内より露呈して発現するのである。併し「本当の自然にまかす」とは、何であるか。
それはただの放任ではない、大生命を知り、大生命に任せるのである。

 ただの放任は「自然にまかせた」ように見えていて、その実は今迄の「悪しき惰力」に縛らせている場合が多いのである。
悪しき惰力に縛られずして、人それ自身に宿るところの大自然を喚び出して、それにまかせて教育する教育が吾らの生命を培う教育である。
人それ自身に宿るところの大自然とは何であるか。これこそ吾らに内在する神性であり仏性である。
この内在の神仏を呼び出すは言葉の力により、文章の力による。

 吾らの教育の本質と方法とを万人に宣べ伝えて、一挙にして全人類を光明化し、地上に一人の劣等児童なく、虚弱児童なく、家庭争議なく、一切の
歪める思想家なく、神そのものの如き人間を地上に創造せしめんがために、吾らの生命の根元を培う教育を通じて成就せんとする地上天国建設運動に協力せられん
事を庶願う。

『生命の根元を培う新しき教育』 谷口雅春 著 新教育者連盟 編

1143ハマナス:2012/08/20(月) 10:55:44 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。
無事に盂蘭盆供養祭が終わり、本当に良かったです。

心の映写機構  (『新版 生活の智慧365章』P.228)

 人が事物の成就に失敗するのは、心がその成就を裏付けるような心境になれないからで
ある。宇宙に無限に存在する“善き物”を現象界に持ち出すための、「心の映写機構」が
まだ完全に整わないからである。

 現在、如何なる失敗があろうとも、個々の現象的な失敗はそれほど重大視する必要は
ないのである。最も重大視しなければならないのは、個々の失敗そのものではなく、個々の
失敗をあわらわすようにならしめたところの「心境」そのものが今も尚続いていると云う
ことである。人間の潜在意識にあるところの「失敗の傾向」と云うものを取り除かない限り
は再び、三たび、そして幾度もその人は失敗するのである。その人が日々に少しでも一層
明るく、一層よき物を表現しつつあるならばその人の潜在意識内容は改善されつつあると
見てよいのである。

感謝合掌

1144SAKURA:2012/08/20(月) 11:17:04 ID:UeqbdFRM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは……ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

17日から19日まで宇治の【宝蔵神社盆供養大祭】に“参加”して無事に……
この様子を別のボ−ドで……とても素晴らしい「団結力」が伝わり……
今から【新・生長の家…スタ−ト地点】でしょうか〜〜〜??
さて、この素晴らしい教えを、伝える事は、実践!
更に、新しい方々に“伝道”して参りますのは?“言葉の引用”でしょうか〜〜〜?
素晴らしい先輩!まだまだ残られている方々は、【実相・心の目】で、正観できる方なのです…。
それには、感動の連続でしたが…?
さて!久しぶりに「精神の勉強」を、心豊かになる「聖典…」で〜〜〜す。

■【栄える生活365章…】              
第 ハ 篇  “絶対者”を生きる
――――“一粒の麦”の死は――――

吾々は、自己の行為を考うるに、その物質的価値を評価するよりも、先ずその霊的価値を
評価して霊的価値の標準によって行為しなければならないのである。吾々の行為は決して
自己本位のみのものであってはならないのである。すべての人が(少なくとも、出来るだけ多
くの人々が)恵福を受け得ることに関連して吾々は行動しなければならないのである。かく
の如く為すことによってのみあなた自身も、一層多くの恵福を受け得るし、あなたの魂も
発達するのである。人は全体(神と人類)」につながる生物であるから、全体と無関係に孤立
して恵福を受ける事もできないし、魂が発達することもできないのである。出来るだけ多勢
の人々を救け、向上せしめる行為によって、自己も向上し、自己も救われることになるので
ある。「一粒麦死して多くの実を結ばん」とイエスが言った如く一つの犠牲的な勇敢な行為が、
本当は犠牲ではなくして却って多くの実を結ぶのである。   
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

PS;トキ様…

■【吾々は、自己の行為を考うるに、その物質的価値を評価するよりも、先ずその霊的価値を
評価して霊的価値の標準によって行為しなければならないのである】

特に、上記の“言葉”が…心に残ります…。実感なので〜〜〜す。
当に!そうです〜〜〜ョネ?
「人間の価値観も“物質面”でみないで“精神面”で、見て行きますと、
やはりそのような方は、「姿・形」が、外見でも良く見られ傾向が、ある様に思えます〜〜〜ネ!
当然の事でしょうかしら〜〜〜ン!

【精神を中心】にしていきますと、服装も、正しい着こなしに、なりますでしょ〜♫
やはり【精神…】で、全てが整うのです〜〜〜ョネ!
【精神もすべて規律が入って来ます…】と言います事は?【心の法則】でしょうか〜〜〜?

■「トキ様」も、どの様に、思いになられますでしょう〜〜〜か?

  再合掌

1145SAKURA:2012/08/20(月) 11:24:31 ID:UeqbdFRM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは……ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1144投稿文中…訂正致します…。 (あわてて投稿しましたので…ごめんなさい。)

【宝蔵神社盆供養大祭】…    ×

【宝蔵神社盂蘭盆供養大祭】 … ○          再合掌

1146「訊け」管理人:2012/08/20(月) 11:58:29 ID:???

『続 真理の吟唱』267頁より謹写――
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65628910.html

〝心の曇り〟を除り去る祈り

 この世界は無限の叡智の持ち主であらせられる神の創造り給える世界である。この世界は神の一元の叡智によって設計せられ、神の一元の叡智によって創造せられた世界であるから、その内部には完全な調和が充ち満ちており、如何なる矛盾も、如何なる反対抗争も存在しない世界である。それゆえに色彩や構図に於いても無限の変化を顕しながら、互いにそれらが他を生かし合い、完全な美と調和とを、実現している世界であるのである。
 色とりどりの花は咲き乱れて繚乱たる姿を見せているけれども、そこには無限の調和の美が発揮されているのである。色とりどりの鳥は美しき羽根をひろげ、空に翔り、地に舞い、それぞれ個性ある啼声にて歌を唄うといえども、それぞれは個性の美を発揮しながら、すべての楽器が個性のひびきを奏でながら諧話している交響曲のように完全に調和した一体をなしているのがこの世界の実相であるのである。

 もし私たちの周囲に不協和な噪音があらわれ、互いに矛盾衝突し、不協和な争いが起るならば、それはこの世界の実の相があらわれていないのである。それは神の創造し給える完全な実相を何かが覆い隠しているのである。それは恰も常に皎々(こうこう)と照っている月であるのに、地球上に生じたるところの浮雲が月の明光を覆いかくして見えないようにしているのと同じように、吾々の心の中に巻き起こった浮雲のような〝心の迷い〟の波動が、実相の完全な状(すがた)を見えなくしているに過ぎないのである。
 いくら雲が月光を覆い隠していようとも、月そのものは依然として皎々と輝いているのと同じように、私たちが心の曇りによって不完全な姿を顕わしていようとも、私たちの〝いのち〟の実相は少しも曇ることなく、病むことなく、明晃々(めいこうこう)と清浄な光を発しているのである。そして〝心の曇り〟をとり去るならば、直ちに、その実相の清浄な光を現実に顕すことが出来るのである。では〝心の曇り〟を取り除くにはどうすればよいのであろうか。

 人間は〝神の子〟だから本来〝心の曇り〟などは無いのである。〝無いもの〟がアルかの如く顕れているのは〝心の力〟でその仮存在を持ち上げて支えているからであるから、〝心〟で〝心の曇り〟を取り除こうと力んで、それをつかむならば、却ってそれは心の力で持ちあげられて消えないのである。今まで、心の力でその仮存在を支えて来た力を「抜く」ことによってのみ〝無いもの〟は〝ナイ〟と、はっきり消えることになるのである。即ち〝悪〟を思わず、悪しき相を心に描かず、ただ心を一転して、本来実在する〝完全なる実相〟に心を振り向け一心にそれを瞑想し頂礼すれば、一切の〝心の曇り〟も〝心の曇り〟の表すところの一切の悪も消えてしまうのである。この真理を知らしめ給いし神に感謝し奉る。ありがとうございます。

1147うのはな:2012/08/20(月) 16:41:03 ID:zRCwkl8c
假初にも“悪”が実現した如く語ってはならない

 谷口清超氏訳、ステラ・テリル・マン女史原著『怖れなき生活』の中には、
假病をつかったところが本当に盲目になったポラード夫人の実例を書いている。
彼女は良人の愛情が他の美しい婦人に移りつつあることを恐怖して、いろいろ良人の
愛情が自分に帰って来るようにしたが駄目だった。そこで、彼女は最後の試みとして、自動車
に乗ろうとした際に、急に網膜剥離でも起こったように眼が見えなくなった真似をして「急に私、
眼が見えなくなりました。手を引いて自動車に乗せて下さい」と假病を使ってみたのであった。
ところが、良人は妻が本当に盲目になったかと驚いて、心配のあまり、他の女を思うことがなくなったらしいので、
更に心臓病の発作を訴えることによって、良人の自分に対する関心が一層深まるように彼女は工夫したのだった。
その試みには成功したが、良人の愛情を引きつけるために使った「目が見えなくなりました」
「心臓をナイフで刺すように痛みます」などという断定的な夫人自身の言葉が創造の種子となり、ついに言葉の創化力によって
彼女は本当に、失明し、本当に心臓病を起こすようになったというのである。
假りそめにも、ウソでも悪い事が起こったように言ってはならないのである。
言葉は神であり、創造する力をもっているのである。

『愛はかくして完成す』 谷口雅春 先生著 P118

1148うのはな:2012/08/20(月) 18:10:49 ID:uISmJ.rA
  天皇の御代をたたえる君が代

 生長の家は、国歌君が代を、如何にみるか、これについて同誌(三十七年)七月号に
谷口雅春先生がおとき下さって居りますのを、そのまま引用させて頂きます。

 国家の「君が代」の解釈についてですね。旧い時代の“君”はあなたのことであり、
“君が代”とは“あなたの代”の意味で、国歌の内容は「あなたがいつまでも永生きして幸でありますように、
というほどの意味であります。という解釈があるが、これは国民を欺くものだと思います。
こういう解釈は「君が代」の歌を保存するために、わざと国歌の本来の意味を枉げたものであると思うので、その
解釈には僕は反対します。それは、

 大君は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも

というような歌を(柿本人麻呂、万葉集)もあって、天皇を大君とお称びしていることもありますけれども、
「君が代」が国歌として定められ国歌として唱われてきた明治以来の歴史的伝統の意義は、決して新解釈による
民主的な“あなた”という意味の“君”という意味ではなかったわけなんですよ。

『愛国心の教育』 生長の家教育者研修会 P36 昭和37年8月10日発行

1149a hope:2012/08/21(火) 07:23:20 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

「治るという心」を服(の)ます治療法


そこでクーエは薬が効くのは、本当は薬という「物」が効くのではないことに気がついたのです。
「効く」という「心」が効き、「治る」という「心」が治すということに気がついたのです。

「心」の力がわかったクーエは薬剤師を辞めてしまって「心」で病気を治すことを始めたのです。
「効く」という心、「治る」という心―――を服(の)ませて病気を治すことを始めたのです。
そして、それでよく治るので、クーエの方法は「クーエ・メソッド」といって全世界に有名になりました。

「効く」という心、「治る」という心は、どういうふうにして服ませるか、
皆さま、考えてみてください。

それは紙に包んで服ませますか、コップの水で服ませますか、
この「治る」という心、「よくなる」という心を旨く服ましさえしたら病気が治るのですが、
それは「心」でありますから、水で流し込むわけにも口の中で溶かして服むわけにもゆかないのです。
(つづく)

1150「訊け」管理人:2012/08/21(火) 09:04:02 ID:???


『健全の真理』250頁より謹写――

素直に神様に話しかけよ

 祈りにも方法があり、原理がある。それが方法である限りに於いて上手下手があるということは止むを得ないのである。原理を知らない者は正しい方法を用いることは出来ないのである。神は、善人にも悪人にも一様に恵みを与え給うものであるが、その光を上手にうける人と受けない人とがあるのは、太陽の光には依怙贔屓はないけれども、それをうける人の方が斜め向いたりあべこべ向いたりしている時には完全にその光をうけることはできないのである。祈りに上手下手があるというのは、光は同じように照らしているが、光を斜めにうけたり、光に対してあべこべむいたりしているのは祈りが下手なのであり、光に対してまともに向いているのは祈りが上手だといい得るのである。どうしたら神の方へ真正面に向いて神の光を百パーセント受け得るようになるかということが問題なのである。と云って「祈りの大学」というものがあるのではなく大いに何か学問的に勉強しなければ祈りが上手になるということでもないのである。祈りを上手にするには、ただ祈るということが必要なのである。「ただ」である。「ただ」ということは素直と云うことである。子供のようにすなおに神さまの方に心を振向いて自分の欲することを話しかけるのである。

1151「訊け」管理人:2012/08/21(火) 09:05:46 ID:???

『健全の真理』255頁より謹写――

<ピエール博士の祈りのかなえられる十要項>

 神に無条件降服するためには神を信じなければならない、神の善意を信じなければならないのである。神はすべての根源であるということを信じてそれを神に対して全托するのである。『君は如何に祈るべきかを知れりや』の著者であるピエール博士は効果ある祈りの方法として次の十ケ条をあげているのである。

(一) 一人静かに祈るべきまとまった時間を一日のうちに数十分間設けるのである。即ち一定時間に神想観することに当る。まず凡(あら)ゆる問題から心を一転して神に心を振り向けよ。肉体も心も霊も、すねて力みをなくしてしまうのである。即ち全心全霊に我の緊張や硬直がなくなってゆったりとそのままの気持になるのである。
(二) 自分の心にあることを何でも自然に無邪気に神さまに対して話しかけるのである。固苦しく宗教的な、意味が自分にもわからないような難しい文句を使わなければ神に通じないなどと考えてはならない。自分の心持を現わすそのままの言葉で神に話しかけるのはよいのである。すると神はそれを理解し給うのである。
(三) その日の仕事に出掛け乍(なが)ら、その途上で、又仕事をしながら、神に対して話しかけることを実践せよ。電車の中で或いはバスの中で或いは仕事机の前に坐って、暫くの間目をつぶって神に対して短かい言葉で話しかけるのである。この通り実践すれば神が今此処に自分に接触しておられるということを思いだして、神に近づいている実感を深めることになるのである。
(四) 「神は今自分と偕にあり、自分を護ってい給うのである」と機会あるごとに念ずることである。これは「神よ吾に祝福を與え給え」とまだ祝福せられていないものが祝福を求めるような言葉ではよくないのである。「神は今既にその祝福を與えておられるのである」というふうに、祈るものを「すでに受けたり」と信ずる言葉を念ずるがいいのである。
(五) 誰かのために祈ってあげる時には、「自分の祈りが神に達して、神の愛と守りとがすでにその人の周囲をとりまいている」というふうに念ずることがいいのである。
(六) 「病気を癒し給え」とか、「吾が貧しきを憐み給え」とか、消極的言葉を使ってはならないのである。「すでに私は神に守られて健康である」とか、「すでに自分は神の無限の供給を受けているのである」とか、積極的な言葉を念ずるのがよいのである。
(七) 神のみ心を受けるように祈ることが必要である。自分の欲するものを與え給えと云うように祈って、「神さまの智慧に於いて尚一層自分にとって善きものがあるならば、み心の如くならしめ給え」と祈ることはよき方法であるのである。
(八) 自分の好まない人、或いは自分に敵対する人、憎む人を赦してその人のために幸福を祈ってやる言葉をのべることは、自分の心の中に積もっていた不浄物を清掃して神の大いなる力を流れ入らす方法になるのである。
(九) 一日の中時々全世界のために、又自分の住んでいる国家のために、又、自分の属している団体のために、その繁栄と平和を思念することは、それが報恩の行事であると同時に、利己的祈りでないために自分の中にかくれている所の驚くべき力をよびだすためのよき方法となるのである。
(十) 最後に神の最高の善意を信じ、神のみ手にすべてを委ねることを祈り、自分の最善をつくす力を與え給えと祈って、後は神さまのみ心に全托するのである。

1152「訊け」管理人:2012/08/21(火) 09:07:14 ID:???

>トキさま

<削除依頼>

 >>1151とこの投稿ですが、削除ください。

 改行をあらため再度、掲載したいと思います。お手数ですが、よろしくお願い致します。




1153「訊け」管理人:2012/08/21(火) 09:10:10 ID:???
『健全の真理』255頁より謹写――

<ピエール博士の祈りのかなえられる十要項>

 神に無条件降服するためには神を信じなければならない、神の善意を信じなければならないのである。神はすべての根源であるということを信じてそれを神に対して全托するのである。『君は如何に祈るべきかを知れりや』の著者であるピエール博士は効果ある祈りの方法として次の十ケ条をあげているのである。

(一)  一人静かに祈るべきまとまった時間を一日のうちに数十分間設けるのである。即ち一定時間に神想観することに当る。まず凡(あら)ゆる問題から心を一転して神に心を振り向けよ。肉体も心も霊も、すねて力みをなくしてしまうのである。即ち全心全霊に我の緊張や硬直がなくなってゆったりとそのままの気持になるのである。

(二) 自分の心にあることを何でも自然に無邪気に神さまに対して話しかけるのである。固苦しく宗教的な、意味が自分にもわからないような難しい文句を使わなければ神に通じないなどと考えてはならない。自分の心持を現わすそのままの言葉で神に話しかけるのはよいのである。すると神はそれを理解し給うのである。

(三) その日の仕事に出掛け乍(なが)ら、その途上で、又仕事をしながら、神に対して話しかけることを実践せよ。電車の中で或いはバスの中で或いは仕事机の前に坐って、暫くの間目をつぶって神に対して短かい言葉で話しかけるのである。この通り実践すれば神が今此処に自分に接触しておられるということを思いだして、神に近づいている実感を深めることになるのである。

(四) 「神は今自分と偕にあり、自分を護ってい給うのである」と機会あるごとに念ずることである。これは「神よ吾に祝福を與え給え」とまだ祝福せられていないものが祝福を求めるような言葉ではよくないのである。「神は今既にその祝福を與えておられるのである」というふうに、祈るものを「すでに受けたり」と信ずる言葉を念ずるがいいのである。

(五) 誰かのために祈ってあげる時には、「自分の祈りが神に達して、神の愛と守りとがすでにその人の周囲をとりまいている」というふうに念ずることがいいのである。

(六) 「病気を癒し給え」とか、「吾が貧しきを憐み給え」とか、消極的言葉を使ってはならないのである。「すでに私は神に守られて健康である」とか、「すでに自分は神の無限の供給を受けているのである」とか、積極的な言葉を念ずるのがよいのである。

(七) 神のみ心を受けるように祈ることが必要である。自分の欲するものを與え給えと云うように祈って、「神さまの智慧に於いて尚一層自分にとって善きものがあるならば、み心の如くならしめ給え」と祈ることはよき方法であるのである。

(八) 自分の好まない人、或いは自分に敵対する人、憎む人を赦してその人のために幸福を祈ってやる言葉をのべることは、自分の心の中に積もっていた不浄物を清掃して神の大いなる力を流れ入らす方法になるのである。

(九) 一日の中時々全世界のために、又自分の住んでいる国家のために、又、自分の属している団体のために、その繁栄と平和を思念することは、それが報恩の行事であると同時に、利己的祈りでないために自分の中にかくれている所の驚くべき力をよびだすためのよき方法となるのである。

(十) 最後に神の最高の善意を信じ、神のみ手にすべてを委ねることを祈り、自分の最善をつくす力を與え給えと祈って、後は神さまのみ心に全托するのである。

1154金木犀:2012/08/21(火) 09:25:06 ID:VOugKW.o
訊け管理人様

有難うございます。
わかりやすく、見やすく、とてもためになります。
プリントアウトして、毎日見るといいですね。
聞いたことはあっても、いつもは頭の中にごちゃごちゃに入っていて、
整理されていないですから、このような箇条書きは助かりますね。

1155ハマナス:2012/08/21(火) 10:32:38 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。

過去のすべては魂の進歩のための肥料 (『新版 生活の智慧365章』P.224より)

 もう、あなたは過去の失敗について、また過去の過ちについてグジグジ思い煩うことを
しないのである。神は、あらゆる塵芥(じんかい)や糞尿を浄化して、作物がよき実を結ぶ
肥料としたまう如く、過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、よき魂の収穫を得るため
の肥料となしたまうのである。あなたの過去の過ちはあなたの人生観を深からしめ、心の
視野をひろめ、人生の意義を悟らしめるのに非常に役立っているのである。

 あなたは過去を斯く観ずることによって、心の混乱や不安や退嬰(たいえい)や過度緊張
が取り除かれ、心に平和と愛と調和がみたされ、過去に体験したものを、真に自分の魂の
生長に役立たしめることができるのである。また他の人々の過ちについても寛容であれ。
すべての人は一見「過ち」と見えるものを通して魂が進歩しつつあるのである。

感謝合掌

1156志恩:2012/08/21(火) 12:08:32 ID:.QY5jUA6
訊け様

「ピエール博士の祈りの叶えられる…」謹写してくださって、ありがとうございます。
やはり、行を開けた方が、読み易いですね。心に刻みました。

1157SAKURA:2012/08/21(火) 23:26:00 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 昨日とはちがう自分 ) 

―――― 昨日とはちがう自分  ―――――

| ❤いいかえれば、なにをするか、ということよりも、なぜそうするのか、
| が問題なんですね。つまり、選択についての考え方にもどってきたわけ
| ですが、同時にこの考え方は自由についてもあてはまるように思えます
| ね。

 人はつねに選択をしつづけています。しかし、そのことを認めようとはし
ないのです。あなたは自分の選んだ道について責任をもつ限り、自由である
といえます。あなたがもっとも興味ある事柄を選んだときも、同じです。そ
れは言葉でいうほど困難なことではありません。

       ――−――−―― * ――−――−――

PS: トキ様
「生活習慣」と「性格」を、変える事は、出来るのでしょうか〜〜〜?
私は、今でもいやな【自分との戦い】なのですが〜〜〜?
今回の「昨日とは違う自分」のタイトルから、変えられるものなら〜〜〜と?
今はそればかりですが???トキ様は、どう思われますでしょうか〜〜〜??

<つづく>

1158goro:2012/08/21(火) 23:37:49 ID:Cc8Z7oOY
聖典から様々な内容の御紹介を有難く拝読させて頂いています。
御紹介くださる方々に心から御礼申します。

私の場合は聖典の紹介文をPDFに変換してPCのDropboxに保存しアイパッドのDropboxで拝読しています。
Dropboxを家族で共有して夫々のアイパッド・スマホなどで拝読させて頂いています。

ありがたい世になったものです。心から感謝します。

1159SAKURA:2012/08/22(水) 02:30:54 ID:gxBcdBTM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1157に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

■更に、考えましたのですが〜〜〜><
>>1157投稿の続きなのです。…が?
PS:トキ様
「生活習慣」と「性格」を、変える事は、出来るのでしょうか〜〜〜?
私は、今でもいやな【自分との戦い】なのですが〜〜〜?
今回の「昨日とは違う自分」のタイトルから、変えられるものなら〜〜〜と?
今はそればかりですが???トキ様は、どう?思われますでしょうか〜〜〜??

PPS:
今回の【生長の家…お家騒動】での“出来事”は、「現総裁先生」への“人格中傷”を
見ていますと〜〜〜
■【1年近くも批判…中傷…】をしている人々の性格…
つまり世間一般は!社会常識としては、「自分の思い通り…自我通りにならない時は、
必ず“中傷・批判”ばかりの言動しか?しないでしょう〜〜〜と!
つまりは【切り替え…スイッチ】は、余程の事がない限り〜〜〜と見ていますモノですが?
まして…【信仰…奉職者】としての?【人格性??如何でしょうか】
これだけ…【グ−グルにて…世界中に配信ですから???】
どちらに致しましても…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…への世間の目は??
如何でしょうか〜〜〜?

実に!悲しい限りです…。既に!この時点から?「生長の家…」は〜〜〜荒波に〜〜〜??

1160a hope:2012/08/22(水) 06:42:02 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

自己暗示法


そこでクーエは、「治る」という心、「よくなる」という心を
人間にのませる方法を考案しようと思ってその方法を発明しました。
それは「自己暗示」という方法だったのです。
「自己暗示」というのは「よくなる」という観念を言葉の力で自分の心の中へ流し込む方法なのです。

言葉というのは不思議な力を持ったものです。
「あなたは温順(おとな)しい良い子ですね」と言いますと、その子供は温順しくなります。
「「この子は悪戯(いたずら)ッ子で仕方ない子ですよ」と言いますと、
その子供はますます悪戯ッ子になります。

これを言葉の力と申します。
言葉というものは、それを効く人の心に、その言葉とおりの心を流し込む役目をするのです。
(つづく)

1161「訊け」管理人:2012/08/22(水) 07:41:39 ID:???

『あなたは自分で治せる』89頁より謹写――

 どう云う風に祈ったならば一層効果があるだろうかと云うようなことを私は度々、人々からたずねられたのです。私はそれに就いて既に度々書いて来たつもりです。多くの人たちは正しい祈り方をしていながら、その結果をあまりに早く得ようとして、それが得られないものですから、途中で自信を失ってしまって、「この祈りはきかれない」と、折角、今まで「創造の沃地」に蒔いて来たところの祈りの種子を掘り返して捨ててしまうようなことをしていられるのであります。
 祈りは実相の世界に於いては、それが真実の祈りである限りにおいて、既に成就しているのであることを知らなければなりません。「真実の祈りである」と云うのは、既にあるから、それを憶い出さずにはいられなくなり、求めずにはいられなくなると云う意味であります。たとえば誰かが「煙草を喫いたい」と思うならば、一度も煙草を見たことも喫ったこともない人には、「煙草を喫いたい」とは憶い出だしもしないでありましょう。即ち「煙草を喫いたい」と思う人は既に煙草を喫い済みの人であるのであります。この意味に於いて「無限の富を輿えたまえ」と祈る人は既に実相に於いて、「無限の富を得済み」の人であるのであり、「無限の生命を輿え給え」と祈る人は「既に無限の生命を持ち済み」の人であるのであります。
 大体「有限体」は「無限」を想像することも、希求することも出来ない筈なのであります。「有限」と「無限」とは全然範疇が異なるからであります。いやしくも「有限」と見える人間が「無限」を想望し、それに憧れ、希求する所以は、自己の内に、どこか無限なるものが包蔵されているからであります。「真実の祈り」とか「真実の希求」とか云うものは、このように、既に内部にあるものだから自然に祈らざるを得なくなるのでありまして、それは「種子」を蒔くが如きものであります。「種子」の中には肉眼には見えねども、既にその胚子の中に花もあれば収穫もある、それを既に知るがゆえに「種子」を蒔きたくなるようなものであります。
 実に祈りが成就する根本は「わが祈れることは、既に成れるがゆえに、我祈るなり」の信念を有たなければならないのであります。これが聖書にある「神は求むに先立ちてなくてはならぬものを知りたまう」とか「汝ら祈りて何事にても求むるとき、既にそれを受けたりと信ぜよ。即ち汝はそれを輿えられん」と云う祈りの基本法則なのであります。

1162ハマナス:2012/08/22(水) 13:17:54 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんにちは。残暑が続きますが、お変わりありませんか。

賢い与え方   (『新版 生活の智慧365章』P.225より)

 あなたは寛大に人々をゆるし、人々に先ず裕かに与えることによって、神からも豊かに
愛と生命とを与えられるのである。あなたの持てる能力の全部を捧げて人類のために尽く
すが良い。あなたの能力、物資、時間、心身のエネルギー、それらは本来、神から来った
ものであるから、神の栄えをあらわすために、人類に捧げなければならない。神の栄えを
あらわするために、先ず自分の有てるものを捧げることが、自己が健康になり、また富む
ことの主要原因であるのである。

 併し、何時、如何に、何に、誰に、何処に与えるかが問題である。それを知るためには、
先ず充分神に祈って、神からの叡智の流れを汲み取って、その智慧に導かれて与えなければ
ならないのである。「神よ、わたしの有てる全てのものを何時、如何に、何に、何処に、
誰に与えるべきかを教えたまえ」と祈ることは、賢命なる与え方をするために必要である。

感謝合掌

1163トキ:2012/08/22(水) 17:13:59 ID:Sx5WiKRc
>>1159

 谷口雅春先生が、性格を治すのは、病気を治すよりも難しいと生命の実相で書かれています。
自分も省みると、それは痛感します。理屈では分かっていても、つい,我が出ます。

 谷口雅宣先生への「誹謗中傷」の件です。
 
 創価学会の池田大作氏の月刊ペン事件や幸福の科学の大川隆法氏の名誉毀損が裁判になり、
最高裁判所まで争われた事例はあります。結論を言うと、宗教法人のトップは公人に準じる
のでプライバシーの制限は他の人よりも広く認められます。また、宗教家という地位にある
人への人格の議論も認められるとされています。これらは、判例の本に書いてあります。

 他の有名人、例えば会社の経営者の場合などは、能力がメインの問題ですから、人格が問題
にされる事は少ないです。が、宗教家というのは、いわば人格が売り物ですから、激しい評価
を受けるのは仕方がない、という考えがこの判決の背景にあります。

 ただ、相手が公人であるのを幸いに、誹謗中傷の限りを尽くすのは、不当であり、批判される
べきだと思います。この場合、ご本人は立場上も反論ができないのですから、周囲の人が弁護
なり、反論をすべきだと思います。

 その意味で、この掲示板に総裁援護の意見が増えるのも歓迎しております。

 今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1164アボガド:2012/08/22(水) 21:38:58 ID:/egGcx9Y
>>1158
goro様

クラウドとスマホは本当に便利ですね。
私はもっぱらevernoteです。
光明掲示板の伝統様やの書き込みはとっても役に立つので、
掲示板そのままコピー&ペーストをして保存しております。

1166うのはな:2012/08/22(水) 22:07:23 ID:ERSa5h8A
書くところを間違えて失礼しました。
上の1165は削除をおねがいします。

1167SAKURA:2012/08/22(水) 22:46:05 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 昨日とはちがう自分 ) 

―――― 昨日とはちがう自分  ―――――

| ❤いや、それは大変むずかしいことです。わたしは自分の過去をふりか
| えってみて、なにかしらいつも後悔するようなことをしていました。そ
| れが日とともに、はっきりしてきても、依然として後悔しつづけてきた
| し、ときに食べたくもないケーキにむさぼりついたり、あるいは母親へ
| 短気を起こして、金切り声でもあげたくなったものでした。わたしは自
| 分がもう少し賢く、思慮深く、優雅でありたいと思ったことが、これま
| で何百回あったかしれません。しかし、結局そう願望しながら、まるで
| 子どものような振舞いしかできなかったのです。

 しかし、それは誰でもやっていることです。なぜあなたは自分が、親切で
思慮深かったときのことを考えないのでしょうか。なぜ勝利のことを考えず、
敗北のことだけを思い出し、それをくよくよ考えるのでしょうか。こういう
一種の否定的自己催眠にかかっている人たちがあまりにも多いのです。自分
に弱者のラべルを貼りつけているのです。
そういう人たちはよくこういいます。わたしは、(a)ひどい人間であり、(b)
恐ろしいことばかりやっていて、(c)少しも進歩、向上しないのです、と。自
分のしたいことをやる前から実現不可能だなどと決め込んでしまわずに、な
んとか実現できる方策を探すことにそのエネルギ−を使うべきだと思います。

 わたしたちは自分自身を勇気づけなくてはなりません。もし、できないと
信じてしまったら、何事もできるはずはありません。


 あなたがもし自分は高い山に登ったり、人前で演説したりすることが苦手
なタイプだと主張するならば、それは、そのようなことを今日まで実行しな
かったといっているだけのことです。もちろん、ときにはそれさえ真実でな
い場合もあります。というのは、たとえば自分はどうしてもあることができ
ないのだと思いたがっている人の場合、それは実際にやったことがあるのを
忘れてしまおうと無意識のうちに努力しているからです。いえ、たとえその
人たちがほとんどなにも実行しなかった人たちであったとしても、その話の
すべてはその人自身の過去の行動でしょう。その人が将来なにをするか、い
ったい誰が知っているでしょうか。

 もしわたしたちが従来の行為をそのまま繰り返してきたとしたら、人間は
けっして変化しなかったと思います。人はつねに変化しているのです。それ
は、成長とはなにか、という問題でもあります。あなたがいままでに一度も
したことのない事柄、自分にできると夢にも思ったことのない事柄を実行し
てみることによって、あなたは成長していくのです。

PS:トキ様 へ
全ての“夢”は、行動をしなければ何も始まらないのです〜〜〜ョネ!!
今から「スタ−ト地点」です……。「生長の家…」は、“小さな花”でしょうが……今は!
それが、段々【夢実現…】に向けて、高い山に登って行く事でしょう〜〜〜???
きっと【実現…】それは【心の法則…】に、叶うように思えます。私も今!新たに、
もう一度!!挑戦!!【幸せ切符…行進中】で〜〜〜す。

トキ様は「本部職員の方々」が…【本の販売を〜〜〜悪戦苦戦中】と、言っておられました。
…が??長い意味で思いますが〜〜〜?
■【小さな出来事から〜〜〜おおきな出来事になる】のでは、ないのでしょうか?
“経験”から大きくなって行くように、「職員の方々の販売」は、【売るという観点の勉強】では…
その“創意工夫”が必要になるのではないのでしょうかしら〜〜〜ン!
ある面では、「いい勉強…」では、と思いますが〜〜〜?【社会勉強……???】
「トキ様」は、どう思われますでしょうかしら〜〜〜ン??

1168a hope:2012/08/23(木) 06:33:00 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

言葉を心に服(の)ませる法


そこでクーエは考えついたのです。
朝眼が覚めてまだ寝床から出ない前と、寝床に入ってもう眠くなって来た自分に、
「これから毎日一層すべての点で自分は良くなる」
と言う言葉を自分に聞こえるくらいの小さな声で、ニ十ぺん口のうちで唱えて自分に聴かせて、
「ほんとうにそうだ。必ずよくなる」と心から思い込むようにするのです。
これが「精神一到」です。
心で「必ずよくなる」と思い込んで、最後までその思いを変えなければ必ずよくなるのです。

何の病気もなく、これという事柄もない時なら「これから毎日いっそう全ての点で自分はよくなる」
と毎朝、毎晩二十ぺんずつ唱えるだけで、全ての点でその人は必ずよくなりますが、
一日か二日位それをやってみて、「こんな事でよくならぬ」と思って捨ててしまってはなんにもなりませぬ。
それでは「よくならぬ」という心を服(の)んだことになりますから、
その心の通りにすべて「よくならぬ」ということになってしまいます。

特に、病気ででもあるときには、「人間神の子、病気はない、病気のように見えていてもこれは嘘だから、すぐ治る」
と朝晩ニ十ぺんずつ口のうちで称(とな)えるようにするとその病気が速やかに治るのです。
仕事のときでも試験の時でも、まず最初に心の中で「神様と一緒させていただきますから必ずよくできる」
と五、六ぺん称えてから、本当に神様と一緒にいるつもりでおれば必ずよくできるのです。
「できる」という言葉を常にとなえているようにすれば、常に「できる」という心になり、
その心は必ず形にあらわれて、本当にできるようになるのです。

人間は、なりたいものになれるのではなく、なれると思うものになれるのです。
人間は、しようと思うものが必ずしもできるのではなく、できると思うものが必ずできるのです。
運がよくなり、偉くなり、達者になり、立身出世できるようになるには、精神の生かし方を知れねばなりません。
(つづく)

1169ハマナス:2012/08/23(木) 13:02:56 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんにちは。

人類への無条件サービス (『新版 生活の智慧365章』P.229より)

 若しあなたの事業の行末を改善しようと思ったならば、あなたの心に明るさを持つこと、
歓びを持つことが必要である。神は光明であり、歓喜であるから、神の賜を受けるために
心の波長を合わすには是非明るさと歓びとが必要であるのである。つぎに既に今まで与え
られて来た賜について感謝の心を起こすことである。失敗をぐじぐじ思い患う暗黒な感情は、
更に次の失敗を導き出す前触れであるに過ぎないのである。

 次に、「神は自分の父であり、無限供給の本源者である」ことを心の底深く念ずること
である。そしてその無限供給の本源者より、今自分にその無限の供給が既に与えられ既に
現象化しつつあることを信念深き予期の心をもつことである。そしても一つ大切なのは、
今自分の眼の前にある「何か」を人類への無条件愛行(サービス)として実践することである。

感謝合掌

1170SAKURA:2012/08/23(木) 21:35:26 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 昨日とはちがう自分 ) 

―――― 昨日とはちがう自分  ―――――
| ❤わたしは実際、いままでに一回も高い山に登った経験がありませんし、
| また現在もそうしたいと思わないのですが。

 あなたがいままでにそう願ったことがまったくなかったのでしょう。もち
ろん困難なことを実行するためにはかなりの努力が必要ですから、そうした
いと非常に強く願う必要があります。しかし、あなたがたゆまぬ努力をする
ならば、かならずや偉大な成果がもたらされるものです。

 わたしはある若い女性のことを思い出します。彼女は他の分析医からまわ
された患者ですが、そのとき彼女についてなにも知らされていませんでした。
約一年間、彼女を診たのですが、ある日、前の分析医がやってきてこういっ
たのです。「先日、街で彼女に会いましたが、大変はれやかな表情をしてい
ました。生き生きとして、輝かしく、とても幸せそうに見えたんですが、い
ったいあなたはどんな治療をしたのですか」。わたしがその医者に彼女のど
こがいままでとちがうのかを聞いたところ、こういうのです。「知らなかっ
たのですか。あの子は分裂症だったんですよ」。実際にわたしはそんなこと
は知らなかったのです。だからなんの先入観もなく、彼女と接することがで
きたわけです。そしてその結果、快方に向かったのでした。

 同性愛についても同じことがいえます。かっての精神分析医は同性愛的傾
向は治る可能性がほとんどないと考えていました。事実、治療が成功した例
はきわめて少ないのです。しかし、一部の分析医はそうは思っていませんで
した。わたしたちは長い間治療をつづけていて、同性愛の患者でも、ほんと
うに自分が治りたいと思っている人には、ちゃんと治るチャンスがあるとい
うに自分が治りたいと思っている人には、ちゃんと治るチャンスがあるとい
うことに気づいたのです。現在、わたしたちは多くの治療の成功例を耳にし
ます。同性愛の基本的性質は変えることはできなかったのですが、本人の同
性愛にたいする見方は変えることができました。
               <つづく>          NO・Ⅰ

1171SAKURA:2012/08/23(木) 21:37:01 ID:jH5uEFzM
               <つづく>          NO・2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1170投稿の続きです

 これはいわゆる自己実現の一種でしょう。学校で児童が学力が足らない児
童として分類されてしまうと、ますます成績が低下してしまうものです。こ
れは教師の児童にたいする期待とも関連があります。子どもたちはそのこと
に気づいています。そのうえ、児童たちはたとえ、その学級にどんな名称が
つけられていたとしても、自分がどんな学級に入れられているかをつねに気
にしています。したがって、彼らは自己にあまり多く期待しないようになっ
てしまうのです。学力が低い児童といってもその多くは、ちょっと成長が遅
くて、なにかの加減で勉強が阻害されるような問題をもっている子にすぎな
いのですから、適切な勇気づけさえしてやればぐんと成績があがってくるの
です。

 ちなみに、連邦刑務所長は囚人の扱い方について、最近は、つぎのようなこ
とを述べています。

「人を扱うときに、現状のままの人間としてそのひとを扱えば、その人は現状
のままにとどまっていっこうに進歩しないものです。しかし、君たちはこう
あるべきだ、あるいは君たちはこうすることができるといった態度で囚人を
扱えば、おそらく囚人はそのような人間になっていくでしょう」

 わたしたちはみんな自分が考えている以上に、はるかに多くのことを実行
することができるのです。しかし、それにはまず第一に、自分がそう信じる
ことが大切です。みずからにたいして変化あるいは進歩を求めて積極的な自
己催眠を施すことが必要なのです。
                              再合掌

PS:トキ様
この様にみていきますと、“自覚次第“で、人間すべて【霊的人間】です〜〜ョネ!!
努力次第では【自己実現は叶う…?】では?“叶うにはどうしたらいいのか〜〜〜”
勿論!!!【霊的人間=私は神の子無限力】でしょうかしら〜〜〜ン??私の心に
【自己催眠を施す…】のは、それは勿論【祈り…】でしょうか??トキ様は、どう思われますか?

1172ハマナス:2012/08/24(金) 09:10:20 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。

神の供給を受けるメイン・パイプ (『新版 生活の智慧365章』P.230より)

 失敗の最大の原因は、潜在意識内にある生活態度――神観――人生観――人間関係――
と云うようなものが正常でないことである。

 人々は金銭を求めたり、物資を求めたり、協力者を求めたり、健康を求めたり、愛人を
求めたりするけれども、これら個々のものは、全体のものの一部的な断片であって、主要
なものではないのである。全体が既に「実相世界」に於て与えられているのに、人々は
その全体が流入する「心のパイプ」となろうとしないで、個々の断片を求めようとする
のである。主導管(メイン・パイプ)をつめて置いて、枝のパイプで何ものかを得ようと
するのであるから、それらのものが得られる筈がないのである。何よりも神を正しく理解し、
夫婦の心的関係を正常にすることが神の供給を受ける主導管を開くことになるのである。

感謝合掌

1173a hope:2012/08/24(金) 10:15:35 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

一人の若い母親の話


一人の若いお母さまが、まだ生まれて六カ月ばかりの赤ちゃんを負(お)んぶして道場へまいられました。
そして「先生、お陰さまで私の六年間の肺病が治りました。御礼申上げます」と言われるのです。

お陰さまと言われる理由は、この若いお母さんは私の書いた『生命の實相』という本をお読みになって、
心がくらりと一転して肺病を恐れなくなった結果、生きる力が強くなって、
さしもの永い間の肺病も治ってしまって、お陰で赤ん坊までも生まれたと言うのです。
その赤ん坊を生むときもほとんど無痛で痛まないで生まれたと言うことです。

なぜ、この若いお母さんは今まで肺病が治らなかったかと言うと、肺病を恐れていたからです。
人間は何でも恐れる相手には負けるものです。試験に往っても、負けると思ったら及第できません。
普通のお母さんがお産をなさるときに陣痛と言ってお腹が痛むのも、お産を恐れるからです。

この若いお母さんが無痛安産でお産の時に痛まなかったのも、『生命の實相』を読んで
お産は病気じゃないから痛まないのが当然だと思って恐れなくなったからです。
(つづく)

1174SAKURA:2012/08/24(金) 22:17:08 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 積極的に考えよう ) 
――――― 積極的に考えよう  ―――――

|❤それはおそらくク−エがいったような積極的思考法なのでしょうね。
|「わたしは日ごとによくなっていく」といったようなたぐいの元気づけ
|の会話は、アメリカではよくみんなの間でかわされています。しかし、
|こんな会話は、かえってわたしたちにとってマイナスになりはしないかと
|思うのです。困難を否定してみても、それを克服することにはならない
|と思います。それでは問題を解決することにはなりません。かえって困
|難に直面するのを妨げているようなものです。ほほえみを浮かべてなに
|もかもうまくいっているような顔をしている人がいるかもしれませんが、
|じつは相も変わらず古い錨を重々しく引きずりながら生活しているので
|ないですか。

 とすれば、それは残念なことです。積極的思考というのは、そのなかにお
おいなる真理を含んでおり、その効果が過大なこともあるし、ときに発揮さ
れないこともあります。あなたが、ひとつの「決断」をするときに意志の力
を用いたとしても、それは向上のための道具のうちほんのひとつだけを使っ
ているにすぎないのです。とにかく決断力こそ大切なのですが、幸せという
ものは自分自身を無理にそちらに向けても得られるものでないのです。

 すべての幸せを意志の力だけで得ようとするのは、自分自身を尊重してい
ないということになるのです。あなたは、進歩というものはなにか上からの
力によって与えられるべきものであって、自分自身にはそういう意欲はない
ものと考えているようですが、そんなことはけっしてないのです。
 ほんとうの意味での成長というものは自分の内部からのみ起こってくるも
のなのです。あなたは自分というものを動かす方法を身につける必要があり
ます。自分の側に立って意志の力を生かしていく必要があるのです。しかも
その際、あなたの自己が自発的に活動するようにしなければなりません。も
ちろん、そうはいっても、そのための多少の説得の技術は必要となってくる
でしょう。
                 <つづく>         NO・1

1175SAKURA:2012/08/24(金) 22:17:57 ID:jH5uEFzM
 <つづく>         NO・2

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>投稿の続きです

 こうして、あなたが真になしとげたいと願っていることを完遂するために
は、意志力を必要とします。わたしたちはよく達成不可能と思われるような
目標を設定することがあります。「やりたいと思えば」なんでもできると考
えている人は、自分をよく知らない人です。それは限度をわきまえていない
傲慢な考え方です。真の自分との闘いは、際限のないものですが、わたした
ちの実際の能力や興味や努力の程度によって規定されています。わたしが画
家になろうと「決心」しても、その才能がなければ無意味でしょう。しかし
実際は、もし才能がなければ、願望は出てこないのです。

 あなたの真の自己は、見たことも聞いたこともないような事柄を実行しよ
うとは願わないはずです。潜在的な可能性がなければ実現しようと思うこと
もないでしょう。もちろん、人間は自分がこうしたい、こうなりたいという
手前勝手な考えをいくらでももつことができます。しかし、それはあくまで
頭のなかだけの考えであって真の意欲ではないのです。

 自分の内部から必然的に生じた目標ではなく、他人を喜ばすために、ある
いは自分がこうありたいというたんなる空想を満たすために設定した目標に
向かって自分の意志力を行使しようとするならば、わたしたちはみずからを
一種の怪物か、機械人間にしてしまいます。同時に、生き生きとした自分を
あざむくことになるのでしょう。たんある意志力によって統一を保っている
人間はたくさんいます。そんな人は恐ろしいくらい努力しているのですが、
其の結果は努力に値するものではありません。そういう人たちと一緒にいて
も、ちっとも楽しくないし、またその人たち自身も楽しくないのです。

PS:トキ様
一つの「決断」があり、それに向けての行動はやはり“ボディティブな感情”が大事ですネ!!
「意志だけ…」では、という感じは、私にもありますが、これが「精神波動」を、起すのは、
【心の法則…】にはいっていく事!これが出来ることによって【狭い門が?広き門】に、
入れる事なのですかしら〜〜〜ン!!私の意志は、今の「最大の難問題」を、一つだけですが?
【発見…認識…】です!!今から、冷静に対処する為【修正・修正…】です〜〜〜。
トキ様も「意志」を貫くときは、その時の“感情”はどうなんでしょうか〜〜〜???

1176ハマナス:2012/08/25(土) 05:47:25 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。

想念と現実  (『新版 生活の智慧365章』P.231より)

 「善き樹は善き果実を結ぶ、それゆえに果実を見てその樹の善悪を知れ」とイエスは
教えたが、その人が良き運命にめぐまれないと云うことは、その人の想念が「本当のもの」
でない証拠であると云うことができるのである。想念は原因であり、現実は結果であるから
である。

 その人の想念が「本当のもの」でないと云うことは、その人の「本来の姿」即ち実相から
来る想念ではなく、現象にとらわれて実相には存在しないような「不完全さ」を心に常に描
いていると云うことである。もっとその人自身の想念を実相の明るさに近づけ、人を憎む心や、
攻撃精神をなくし、万物と和解して実相そのままの完全な調和した想念にあらしめたとき、
現象界の不完全さは消えてしまい、実相そのままの完全にして調和した状態が現象界にあら
われて来るのである。

感謝合掌

1177a hope:2012/08/25(土) 07:30:21 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

排便(うんこ)の出ない赤ん坊


ところが、この若いお母さんは、お礼を言われるだけで、もうお仕舞いかと思っていましたら、
背中の赤ちゃんがムズかり出しました。
お母さんは赤ちゃんを安慰(あや)すように揺すぶりながら、
「ですけれど先生、ちょっとわたくし引掛りました」と言われるのです。

「何ですか。何に引掛ったのですか」と私が言いますと、
「先生、この赤ちゃんのウンコが出ません。」
「出るときが来れば出るでしょう。」
「だけど先生、ほうって置いたら一週間でも十日でも出ないのですもの。」
「出なかったら、面倒がなくて助かりましょう。」
「イイエ先生、赤ん坊はウンウン呻って泣きだしていかにも苦しそうです。」
「なぜウンコが出ないのかあなたに判りませんか。」
「判りません。先生にそれを教えていただこうと思ってまいりました。」
「それはあなたの心が赤ん坊に引掛っているからです。
あなたは御自分でそうおっしゃったじゃありませんか。」
「ですけれど……」
「ですけど?やはり引掛らせて置きたいですか?」
「先生、心配です。ウンコがでないとウンウン呻るんで、赤ん坊が死にそうなんですもの。」
「死ぬかもしれませんな。」
「死んだら困ります。先生、助けて下さい。」
「引掛っていては思うように出ないのは当たり前じゃありませんか。
だから、その引掛る心を捨てなさい。出るべき時がきたら出るんですから。」
「だって、ウンウン呻って死にそうなんですもの、浣腸せねばいられません。」
「浣腸したかったら、浣腸なすったらよろしい。」
「ですけど、先生、いつまでも浣腸しなければ出ないでは、大人になってから困るだろうと思います。」
「困るでしょうね。」
「先生、困らないようにしてください。」
「困ると思うから困るようになるのです。困らないようになるには困ると思わぬことです。
ウンコは出るようになっているのです。孔があるところに溜まっているのですから、
出るより仕方がないのです。それが出ないのは心にウンコが引掛っているのです。」

こう私は申しまして、この若いお母さんの恐怖心を除(と)ってあげるために、
こんな話をいたしました。次に話すところは本当の話なのです。
(つづく)

1178a hope:2012/08/26(日) 08:08:07 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

肛門の無かった子供


それは東京の本所に住んでいる或る魚屋の主婦(おかみ)さんでありました。
或る日一人の男の子を連れてこられて申されますのに、
「先生、この子供は浣腸しないとウンコが出ないのです。近頃では浣腸してもなかなか出ません」と訴えられます。
そこで私は、「刺激というものは馴れてきますと、強烈な刺激でないと感じなくなりますから、
浣腸のような人工刺激で排便を促していたら、次第にその浣腸薬を強くしなければ出なくなります」と言いますと、
その魚屋の主婦さんは、

「実は先生、この子供は当たり前の肛門がなかったのです。
生まれたときには肛門というものが全然なく、放って置いたら死ぬというので、
早速この辺という所を切開して貰いましたら、もう直ぐそこまで直腸がきておりましたので、
そこへ人工肛門を造っていただきました。
人工肛門ですから肛門括約筋がないので、思うように肛門を締め括(くく)ることも開くこともできないのです。
ですから、毎日適当の時を見計らって浣腸するしか仕方ないのです。」
「なるほど。」
「最初、人工肛門を拵(こしら)えていただきまた頃には、ちょうど適当の大きさでございましたけれども、
だんだん子供が成長するに連れて、孔(あな)の周囲の肉が太ってまいりまして、段々孔が小さくなってきました。
それで浣腸しましても便が出難(でにく)くなったのでございます。」
「あなたは時々腹が立ってムシャクシャしや致しませんか。」
「腹が立つことは悪いと知っていますから腹が立っても怺(こら)えているようにして決して外に出しません。」
「そうでしょう。穢(きたな)いものを腹の中に溜めていて、それを出さない心でいるからだ。」
「そんなら腹の立つときには、その腹立ちを口に出した方がよろしいでしょうか。」
「そうでもありませんね。言葉に出して言い合えば互いにいっそう腹が立って、穢いものが腹に溜るでしょう。」
「それでどうすればよろしいのでございますか。」
「さらりとその腹立ちを水に流すのですね。そしたら、サラリと、そのお子さんの便も流れて出ることになりゃしませんか。」

こう言ってあげましたら、その翌日その魚屋さんの内儀(おかみ)さんがやって来て、
「先生昨日から、この子供の便が浣腸をしないでも自然に出るようになりました」と言われたのです。……
           ※
私はこの話をしてあげました。
そして「人工肛門の子供でさえもこのように母親の心持一つで自然に排便があるようになるのです。
ましてあなたのお子さんなどは自然の肛門があるのですから、あなたの心さえ引掛けねばだいじょうぶですよ。
溜っているのは子供の便でなしに、あなたの心持なのですから。」

こう申上げた翌々日、その奥様は私の道場へ出て来られて、
「先生、今日、生れて初めて赤ん坊が自然に排便をいたしました。もう嬉しくてありがたくて堪りません」
とお礼をいわれるのでありました。
(つづく)

1179うのはな:2012/08/26(日) 22:45:49 ID:DYtKCfk2
  宇治のひととき  谷口輝子 先生

 私たち夫婦は例年のように宇治へ出かけて行った。宇治に於ける四日間は曇り日が
つづき、小雨の降る日もあった。智泉荘の玄関を出ようとする私たちに、係りの人は白の
ビニールの雨ゴートを着ることは初めてであった。着物の裾が一尺ばかり出ていたが、小雨だったので
よごれることはなかった。

 宝蔵神社の大拝殿は、いつもながらの超満員で、信徒たちは毎日のように座を詰めさせられていた。
広い檀上にいた私は、詰めこまれる人たちを気の毒に思ったが、皆さんには苦しそうな表情は見当らず、
明るい輝いた眼をした人が多かった。講習会に出席することは、講師の講話はもとより、体験談を聴くことは、
私の魂の大きな喜びであった。御教えによって救われたことは、話す人も喜びいっぱいで話されるが、聴く人たちも喜び
に満たされるようである。

 体験談は顕著なものばかりなので拍手が止まなかった。中には、若き医学博士が元気な姿で、熱情をこめて語られたのも
珍しかったが、ブラジルよりはるばると、訪日団団長として来られた竹本清光氏(地方講師)の夫人の体験談も異彩を放っていた。
竹本清光氏は、戦後幾度日本へ来られたか知らないが、二、三年前に来日したされた時、飛田給道場に滞在せられた。竹本氏は夫人を
亡くされたが、長男、次男に嫁を貰って家業を継がして居られた。鰥となった竹本氏が飛田給道場で聴講して居られると、氏の隣に中年の
一婦人が座って居られた。隣同士なので、つい話しかけると、その婦人はアメリカから来て居られた未亡人であった。
二人は親しくなっていると、或る日、竹本氏よりプロポーズされた。
“神様の道場で隣りに坐っていたということは、何か神縁であると思う”という意味の言葉であった。
二人はスムーズに婚約することになり、ブラジルの伝道本部で結婚式を挙げられた。その時の式場の写真を、私はかつて見せて貰ったことがあるが、
ブラジル住居の竹本氏と、アメリカで暮らしていた人との結婚式なのに、黒の紋付裾模様姿であった。
いくら外国在住でも、日本人は矢張り日本的な服装をしたいものらしいと嬉しかった。

 竹本夫人は、物静かな誠実な雰囲気をもって雄弁に話つづけられた。
先妻の遺された男四人、女四人の子供たちと仲よく暮し、一家二十人同居し、近所へ嫁入っている娘たちと
毎日顔を合わしているので、二十五人の家族全員什一会員だと言われた。長男が一番生長の家の信仰に熱心だそうだから、
その円満な大家族の楽しい生活が想像されてうれしい。
 私たち夫婦が十三年前にブラジルへ初めて行った時、ノーバエスペランサ市の講習会場へ来られた竹本氏は「一家十二人全員受講
しています」と言われた。その十二人のうち、最初の夫人は亡くなられたが、今は二十人の大家族が、仲よくコーヒーやその他の栽培に
働いて居られる。ブラジル在住の日系人は大家族が多いが、御教えあばこそ大調和して居られることと有難いことに思う。
竹本夫人は、先妻の遺子たちと調和した家庭を作りながら、夫を助けて光明化運動に活躍しておられ、白鳩会員も増加の一途を進んでいる。
私たちの住む智泉荘は訊ねる人は少ないが、夕食後のくつろいだひとときにと、二日目と三日目に訪ねて来た人があった。
三日目の朝、秘書に手紙をことづけたМ子という女性があった。その女性は何年か前に我が家にいたことのある人であった。

『・・・今晩お風呂から上られましてお暇なお時間がございましたら、マテナ(指圧)をさせて下さい。何んとか、かんとか口実を作り、奥様に
甘えてお側へ行かせて頂く機会を作ろうとする私でございます』私はこの率直な手紙を見てほほ笑ましくなり、“来てください”と秘書にことづけた。

つづく

1180志恩:2012/08/27(月) 00:15:00 ID:.QY5jUA6
うのはな様

輝子奥様の慈愛溢れるお人柄が,滲みでている、すてきなご文章を書き込んで下さって、
ありがとうございます。信徒の方々への愛情も、すごく感じられますよね。

宇治大拝殿も、満員で、詰めて詰めて、という状態だったのですね。
東京でも、入り切れないときは、壇上にも、皆様あがって、そこへ正座されて,拝聴していました。

1181「訊け」管理人:2012/08/27(月) 08:14:19 ID:???

 『生命の實相』23巻49頁より謹写――
 
 わたしは今まで諸所の説明において「わが心が迷うて病気を造る」というような意味のことを書いたことがあったでありましょうが、それは一足飛びにこの真理を語るには早すぎたので、曖昧に説明してあったのでありまして、今こそわたしは真実を語るのであります。


(つづき:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65684189.html

1182a hope:2012/08/27(月) 08:21:49 ID:r8H4x9xE
>>1179 うのはなさま

輝子先生の「宇治のひととき」謹写ありがとうございます。
当時の宇治での講習会の様子が、目に浮かんでくるようです。
竹本清光氏(地方講師)の夫人の体験談も素晴らしいでうね!
また、志恩さまがおっしゃっていますが、昔は東京の講習会も人々があふれていたのですね。
それが「真の御教え」や「真の体験談」であれば拝聴するだけで自分の魂も救われるのですから、
人々が集まるのは当然のことなのかもしれませんね。
つづき楽しみです!

1183a hope:2012/08/27(月) 08:24:29 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

嬉しい、ありがたいは何処にもある


皆さん。
あなたたちは毎日自然に排便をしてこのお母さんのように嬉しくありがたく感じなさいますか。
嬉しいありがたいことは到る所に満ちているのに多くの人たちは嬉しいともありがたいとも感じません。

嬉しいありがたいということは、「この事柄」でないとありがたくもないというような一定の事柄ではないのです。
人間の心の目を開いてどこにもある本当のありがたさを悟ったら、
何時でも何処にでも排便の中にでもありがたさがあるのです。

それだのに、毎日不自由なく当り前に暮らさせていただいている私達は、
まるでありがたい中に浸っているのと同じことです。
(つづく)

1184うのはな:2012/08/27(月) 08:39:56 ID:20AcZStc
>>1179つづき

 約束の八時半にМ子はやってきた。夫の仕事の邪魔にならないようにと、奥の八畳へ通した。
近況報告をいろいろ聞きながら、私は座蒲団に坐って彼女に背を向けた。
 М子は私の頭から、ぐんぐん指で強く急所急所を圧しながら、次第に体を下へと圧し進んで行った。
私は痛かったが、しかし快かった。彼女は一風変わったところのある女性で、幼い兄妹と共に、両親に
早く死別したので、母親代りとなって働き、弟妹を養って来た。男勝りだが、男勝りにならざるを得ない境遇であった。
そのために婚期を逸してしまい、今三十を幾つか過ぎて独身である。

 彼女は御嶽山に二年くらい修行に行って、そこの寺の坊さんにマテナを習って帰郷し、目下郷里でマテナを職業としている。
彼女は声をひそめて私に話したことは、世にも珍しいことであった。
彼女は誰かに聞いた福井県敦賀の或る山に出かけ、そこの山に懸る滝に打たれて、谷口先生の長命を祈ろうと決心した。
山を登りつつあるとき、彼女の嫌いな蛇が一匹現れて、彼女を振り返って、じっと彼女の顔を見つめたのでゾッとした。
恐かったが、敗けるものかと元気を出して登って行くと、蛇は彼女の道案内でもするかのごとく、ずっと彼女の行こうと思う方向へ先行した。
寒い冬であった。

「蛇は冬眠しているのじゃないの」「いいえ奥様、蛇は出ていました。それが不思議に思われました」
彼女の声は怯えたような響きをもった。何週間か滝に打たれていると、或る日、滝の中にいる彼女の眼前に、パッと光が射したと思う瞬間、そこに
現れたのは蛇のような眼をした怪物の顔であった。大きな大きなと彼女は両手でバケツくらいの輪を作って、
「こんな大きさの顔でした。恐くて恐くて逃げ帰ろうと思ったが頑張って、翌日また滝に打たれていると、今度はまた鳥のような形の大きな顔が現れました。
私は気が狂ったのではないかと思いながら、敗けまいと敗けまいと頑張りました。
家に帰って来ますと、誰も私が気が狂っていると言う者もなく、常と同じでした。
奥様、ああいう変化の世界があるということを、私は初めて知りました」
と、彼女は繰り返して言った。その山に住む人の家に行ってその変化を見たことを話したら、その家の主人は、「そんな話を聞くことは私は嫌いだ。うちの家内は
そんなことをやっているが、、、」と不快な顔をされたので、そこを去って、その主人の妻である女の行者を訪ねると、「あんたにも見えたかね。あんた霊覚が出来たのだよ」
と言われた。生長の家の教えが多少とも心に入っているМ子は、「あんな怪異の世界は本物ではない」と否定した。

「奥様、それでよろしいでしょうか。私は気が狂ったのではないでしょうね」
「貴女が蛇に見つめられて敗けたり、大きな顔に恐れて敗けたりしたら、貴女は気が狂ったかも知れないけれど、貴女はしっかりしていて、それらの無気味な
ものに敗けなかったから良かった。また、女行者に『霊覚が出来た』とおだてられて、何か偉くなったように自惚れたら、或いはのぼせ上って気狂いのようになってしまったかも
知れないけれど、貴女はそれらの怪しい現象に惑わされることがなくて良かったね。そういう怪しい現象に執われないで、無視してしまったらいいのよ。そういうことに興味をもって惹かれて
行くと、良い運命は得られません、、、、」

 私はМ子と話していると、若い頃のことを追憶するのであった。

つづく

1185a hope:2012/08/27(月) 09:54:22 ID:r8H4x9xE
>>1182訂正
下から3行目

それが「真の御教え」や「真の体験談」であれば・・・
       ↓
それが「正しく悟られた教え」や「真実の体験談」であれば・・・

「真」のという言葉は、使わないことにしたのでした。
すみませんでした。

1186「訊け」管理人:2012/08/27(月) 10:10:45 ID:???

『生命の實相』38巻64頁より謹写――

◇8月27日

 愛するも憎むも心であるが、それは本心ではない。愛憎の心は妄心である。妄心とは本来〝ない〟心である。本心は愛憎を離れた心である。平等の心である。愛憎を離れた平等の本心のみ、よく自己の心中の敵を殺し、自己の内なる敵を殺す者よく自己の外に敵手を必殺する。
 無敵流の兵法(※)の極意はここにある。



<註>

※ 無敵流の兵法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65626135.html(復興Gさまご謹写文です。)

1187ハマナス:2012/08/27(月) 13:03:58 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんにちは。

SAKURA様
宇治盂蘭盆供養祭の詳しい様子をありがとうございます。SAKURA様は、描写がお上手ですね。
お蔭さまで、楽しかった大祭を思い出しました。

例年塔の島で行われる予定の盆踊りが、雨の為、宇治の大拝殿で行われました。
そのおかげで、年配の方の中で、歩かないで済み、盆踊りを見れたと言う人が沢山いました。

毎年盂蘭盆供養祭に来ていましたが、今年は久しぶりに、盆踊りに参加しました。
青年会の方もいらして(浴衣姿が可愛らしい)、教区で、何度も練習したせいか、どうにか
踊れました。
何もかも忘れて、馬鹿になってただただ、踊りました。とっても、楽しかったです!!
ただ、喜んで踊っていると、自然に、心も明るくなり、楽しくなる点で、笑いの練習と、
同じだと、思いました。

古事記の中に、「天照大神が岩戸にお隠れになり、困っていたところ、天宇受賣命
(あめのうずめ)が、裸踊りをしたら、八百万の神が大笑いをしました。それを聞いた、
天照大神が不思議に思い、岩戸をちょっと開けた所、隠れていたアメノタヂカラオが
その手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。そして再び、高天原が明るくなりました。」
と言うお話がありますが、笑うことも、踊ることも大切なのですね。

踊り終り、壇上から降りますと、練成仲間たちが、真ん前で見ていて、「○○さーん、素敵
だったわよ。」と声をかけてくれました。
花道の両サイドにも、教区の方、他教区の方、練成参加者などが、「良かった!」「ゆかたも
きれいだったわよ!」と、握手し、私たちを讃嘆してくれて、あたかもスターになった、気分でした。

フィナーレは、徳島の阿波踊りで、大勢の参加者が輪に加わり、みんなで音楽に合わせて、
踊りました。皆さん、笑顔、笑顔で、大拝殿中が、喜びで満たされ、“一つ生命”を感じました。
あー、生長の家をやっていて、良かった、こんなに素晴らしい、仲間がいる、魂の姉妹、兄弟がいると、
ただ嬉しいそして、楽しい、感動の一夜でした。

大祭奉仕も、割合楽な係りでして、先輩の方々から教えてもらい3日間無事に務めさせて頂きました。
同じ係りでご一緒になった方からは、徳久先生がアメリカで講話された珍しいテープを頂き、色々の方の
お話しも伺えて、楽しかったです。
神様からのプレゼントなのかなと思いました。

皆さま、機会がありましたが、どうぞ宇治の練成に参加されて、ご奉仕されて下さい。
心からの歓びを得られます。
生長の家宇治別格本山の電話番号は、0774(21)2151(代)です。

感謝合掌

1188うのはな:2012/08/27(月) 14:10:47 ID:NhCcI7Jo
>.1184

 私は23歳の時ある宗教に入信した。そこの道場では、多くの信者をずらりと並べて
鎮魂を指導していた。指導者たちは熱心だったが、霊媒を養成しているかに見えた。
霊が憑って来た信者は、さまざまな状態を見せていた。

 私は毎日道場へ通って、冷静にその場の状況を見ていた。憑依現象に未知だった私は、
初めは唯不思議なことに驚異のまなこを見はっていたが、日が経つにつれて興味がうすらいで行った。
何故なら、私と同じ家(今井楳軒宅)に住んでいた青森県人のY女史は、毎日毎日霊界から電話がかかって
来て忙しかった。私の他四人の女性と暮らしていたが、皆で食事中でも、霊界から電話が来ると、Y女史は食事半ば
に箸を投げ出して、霊の示す場所へ飛んで行くのであった。

 それは朝のこともあり、昼のこともあり、夜中のこともあった。或る日などは、着物も羽織も泥まみれの臭い姿で帰ってきたので
「どうなさったの」と訊くと「溝のそばを歩いていたら、狸がここへ這入れと溝の中から呼ぶので、はいったのよ」などと言われた。
私たちは臭さをこらえてYさんのよごれた衣類を洗ってあげた。Yさんの生活は乱れ果てていた。
Yさんは人はよいのだが、霊のおもちゃにされているようで、女子大出のインテリの俤は失われて、唯だらしのない生活をしているので、
私は愛想が尽きる思いをしたものだった。

 Yさんの他、幾人も霊媒的な人を知ったが、それらの人たちは、私は少しも尊敬できるような生活をしていなかった。
むしろ不幸な人たちだと思った。
教団の高い位置にいる人ですら、憑霊にまどわされるのか、事実無根のウソを言うのを知ると、私はいよいよ霊媒現象を
否定するようになってしまった。

 敦賀の山の家に住むそこの主人が、霊異の話に不快な顔をするのは、霊覚のある妻なる女行者によって、彼は幸福を得ていない
ことを意味すると思う。当り前の生活を、愛をこめて生きられたら、それが幸福なのである。

 『愛が魂に目覚める時』 谷口輝子先生 著

1189ハマナス:2012/08/27(月) 20:32:57 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

棘立った想念感情  (『新版 生活の智慧365章』P.231より)

 健康を得ようと欲するならば、先ず自己批判から始めなければならない。自己が周囲に
対する感情又は想念が棘立ったものであるか、円満なものであるか、他の人の欠点が目に
つきすぎて、それを批判し憎むような攻撃精神が多くはないか。

 棘立った想念感情があるならば円満な想念感情に置き換えるようにしなければならないし、
攻撃精神があるならば愛と赦しの想念感情にそれを置きかえなければならない。イライラ
した焦燥の感じがあるならば、心をもっと落ち着けて現象にひっかからないで、事物の底に
ある実相の円満完全さを見るようにしなければならない。欲求不満足の感じがあるならば、
「実相に於ては万事満ち足れり」と念じて、既にあらゆる欲求が満足せしめられている円満
なる状態を神想観中に心で観じて欲求不満足の感を取去るようにしなければならないのである。

感謝合掌

1190SAKURA:2012/08/27(月) 21:48:28 ID:jH5uEFzM

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 積極的に考えよう ) 

――――― 積極的に考えよう  ―――――

|❤アルコ−ル依存症だった人はしばしばそうした印象を与えます。彼らが大きな苦悩
|をもっていることはおわかりでしょう。彼らはそのために大きな犠牲を払っているの
|ですが、だからといって、その努力が価値のないものだとか、こころから自由になり
|たいと願った結果、生じたものではないとはいえないと思うのですが。

 
そのとおりだと思います。彼らの悲劇はつぎの点にあるようです。つまり彼らはエネル
ギ−を自分のいやなことを避けることに使わず、理想像を追う方向にばかり向けていること
です。たしかに彼らは重要な第一歩を踏み出したといえますが、そこからさらに前進する
必要があります。

要するにわたしのいいたいことは、もし自分はこうありたい、このような人間になりたい
と思うならば、いままでに身につけてきたあらゆる事柄、つまり感情、直観、知能、意志力
など自分のすべてを活用しなければならないということです。そうすれば、その結果得られ
るものはきわめて大きいものとなるのです。

          ======== * ========

|❤ではなぜわたしたちはそうしないのでしょうか。なぜそうした生き方をする人が
|少ないのでしょうか。

 
なぜなら、悩みつづけることにもまた隠された見返りがあるからです。ひとつにはわたした
ちは悩むことに慣れきっているのです。かえって、その方がこころ休まる思いがするのでしょう。
昔たどってきた自己敗北の道をもう一度たどり、つぎつぎと誤った行為を繰り返すことによって、
逆に安心感を得ているのです。

 わたしたちはこれからなにを期待したらよいかわかっています。それは、自分たちの世界を
よりよく理解し、その未来を予測し、ある意味で自由に動かせるようになることです。人間に
とってぜひとも必要なことのひとつは、自分が自分で理解できる世界に生きているという実感
です。これは、宗教におけるもっとも深遠な主張のひとつです。今日、わたしたちが安らぎを
得られないのは、さわがしい環境のためばかりでなく、周囲のことがよく理解できなくなって
いるという気がするからです。もはや昔の考え方が通用しないように思えるのです。

PS:トキ様 へ
「アル中依存症の方」は???私は、好きではないのです〜〜〜〜が?
「生命の実相」にも、「雅春先生」が記載されていますが〜〜〜><
“アル中の方”は、やはり(感情、直観、知能、意志力)が発揮できていない
という事なのでしょうか?つまりは【心の弱さ…迷い】からなのでしょうか〜〜〜??
この様な時は??「トキ様」は、どの様に「心の迷い…対処法」を〜〜〜なのでしょうか??

1191「訊け」管理人:2012/08/28(火) 07:53:28 ID:???

『生命の實相』38巻65頁より謹写――

◇8月28日

 これが和解の真理の応用である。和解の真理というものは、都合のいいことだけに和解しているのじゃ足りないのであって、悪く見えるものをそのまま素直に受けて拝む。痛み来たれば痛みに礼(らい)し、熱来たれば熱に礼し、下痢来たれば下痢に礼し、いかなる症状をも敵と思わず、自然療能の催しなりとして感謝して受けるのである。

(全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65684465.html

1192a hope:2012/08/28(火) 07:53:37 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

なぜ、この赤ん坊は治ったか


それはとにかく、なぜ、この赤ちゃんの便(うんこ)が前には出なかったのでしょうか。
それは「便がでなかったら、この赤ちゃんは死ぬかも知れぬ」と恐れていたからです。

それから、私の話をきいてこの赤ちゃんの便が出るようになったのはなぜでしょうか。
それは、「人工肛門の子供でさえも自然に便が出るのだから、
まして当り前の肛門(おしりのあな)のある子供なら大丈夫だ」と便が出ないことを恐れなくなったからです。

本当に恐れるものは皆来るのです。
恐れさえせねば達者であるはずの子供が、恐れたがためにどれほど病気をしているか判りません。

たいていの悪い出来事は、本人か、子供か、親かの恐れる心が映っているのです。
(つづく)

1193うのはな:2012/08/28(火) 15:03:33 ID:uISmJ.rA
私たちの中の二つの「心」 藤原敏之 先生

 私たちの心の中には絶えず二つの心がはたらいているのであります。
一方の心は本能的欲望を満足したときに喜ぶ心でありますが、反面、そのことを喜ばないで
逆にあれはいけないこれはいけないことをしたナーと後悔し苦痛を感ずる心がります。

 この二つの心があるのであります。他人と取引きをしたとき、大変自分に有利に展開して大きな
利益をおさめた時など、“ああうまくやったナ。儲けた”と喜ぶ反面、心の奥底では“あれはちょっとまずいことをしたナ”
と自責の念で苦しむ心がはたらくものであります。犯罪を犯すような悪党とみえる人間でも上手に忍びこんで家人の気のつかぬうちに
沢山の財宝を盗んで逃走してみても、“よかった”と思う反面、悪いことをしたナ。もし捕まったらどうしよう”という不安が伴うのであります。

 これなども悪いことをしたという自覚があるからであります。善いことと悪いこととを誰よりも知っている証拠であります。
動物などはその点罪悪意識ははたらきません。それは動物は人間とちがって肉体についた欲望本能だけで生きておりますから、反省や罪の意識は起こらないのであります。

仏教でも釈尊は十方の衆生に悉く仏性があると仰せられました。また、山川草木国土悉皆成仏とも申しておられます。
人間や生きものだけではない。山も川も草も木も大地までも悉くみな仏であると申しておられます。
これなぞも肉眼で見てもわかるものではありません。生長の家では唯神実相論といって神以外のものは一つとして存在しないと教えられています。
神以外、仏以外のものもあるとする考え方や観方からは、このような深遠な真理は生まれません。

 生長の家は特定の神、仏を御本尊として祀ったり拝んだりする宗教ではありません。
自分の内にある生命を礼拝し、一切の事物の実相(生命と理念)を礼拝する教えであります。実相が神であり、目に見えない生命となって現象の奥にあって
万物を動かし生かしておられるのであります。その神の生命を分ち与えられてこの世に生を受け、今も生かされているのが人間でありますから、肉体としての存在
ではなく、生命としての本もの(実相)の人間は神そのものなのであります。それだから生長の家では人間は神の子であると教えられているのであります。

 すべての人間が神の生命を授かり、神の現れであり、神の心を内に蔵しているということは間違いないのであります。このことを一般には人間は万物の霊長であり、
どんな人間にも良心があるというのであります。この心を仏性、または神性と言うのであります。


『魂のめぐり逢い』 藤原敏之 先生著 P38〜

1194SAKURA:2012/08/28(火) 19:39:23 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171>>1174>>1175>>1190
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 混乱を静める方法 ) 

――――― 混乱静める方法  ―――――

|❤たしかに、わたしたち今日は、なにを頼りに生きたらよいのかわかっ
|ていません。事態はますますふたしかなものになっています。


 社会的な混乱も恐ろしいが、個人の混乱はもっとこわいのです。その混乱
を静めるにはどうしたらよいか考えつづけてきました。人はすべてある種の
科学者として人生を出発するものです。そして徐々に世界をこころで見るよ
うになっています。その見方にもとづいて、行く手に出現する無数の事実を
分類し、あるものは善良で、理想的で安全なものと判断し、他のものは悪で、
危険なものと見なすのです。そして、どういう行為が好結果をもたらし、ど
ういう行為がトラブルをおこしやすいかは、わたしたちが決めるのです。

PS:トキ様
今回の【生長の家…お家騒動】は、
最初の発端は??【社会事業団の行動…】からなのでしょうか〜〜〜??
今回!私自身でも“嫌な言葉=ネガティブ言葉”を、投げかけれますが〜〜〜?
冷静に判断しましても【生長の家の教え…】を、本当に学んだ方なのかしらん〜〜〜><

まるで〜まるで〜「吸血鬼・ゾンビ集団??」の様ですかしら〜〜ン?と
不思議なモノで、その様に見えてしまいます。
■「生長の家…」でよく言われます【調和精神…】を育てる事は“心”から
始まるのはないでしょうか〜〜〜?【“心〜〜”何処〜〜でしょうか?】
この“ボ−ド”を見ていますと本当に「生長の家…信者」なのでしょうか???

本日の“言葉”…当にその通りと思いますが、「トキ様」どの様にお考えでしょうか?

                                再合掌

1195ハマナス:2012/08/28(火) 23:49:08 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

万物はあなたの味方である  (『新版 生活の智慧365章』P.232)

 あなたの中には既に完全なる実相があるのである。あなたの実相は神であり、神聖である。
あなたの実相は神と偕にあるがゆえに、未だ嘗て生れざる不生の存在である。不生の存在で
あるがゆえに無始無終の存在であり決して死せざるものである。

 あなたの実相は神であり、普遍の神と一体であるがゆえにあなたの実相は万物と調和して
いるのである。あなたの実相は万物と調和しているがゆえに、万物はすべてあなたの味方で
ある。万物すべて味方である実相をあなたが悟るならば何らあなたにとって恐怖すべきことは
ないのである。恐怖すべき事がないゆえにあなたの心は平和である。心が平和であるがゆえに、
正しい智慧が湧き出て来て、時に随い、場所に応じて適当な行動をとることが出来るようになり、
凡(あら)ゆることが好都合に行くようになるのである。

感謝合掌

1196a hope:2012/08/29(水) 07:41:51 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

恐れないようになる秘訣


では恐れないようにするには、どうしたらよいのでしょう。
それにはこの世の中には本当に恐ろしいものとては無いことを知ることです。
人間は神の子であり、この世界は神の造り給うた世界であり、
私達は神に護られていることを知ることです。

これを知らないで、恐れるなと言っても駄目です。
だから皆さんは『生命の實相』の本や、この『人生読本』をよく読んで、
なるほど人間は神の子だという事実を知るのがおそれなくなる一番の捷径(ちかみち)です。

高い所へ上がっても恐れて下を見れば、足が顫(ふる)えて堕ちるでしょう。
恐れないでおれば足が顫えないから墜ちないのです。
墜ちると墜ちないとは、恐れると恐れないとで決まります。

ですから皆さんは、常に心の内で「自分は神の子だから、決して悪いことは怒ってこない」と常に自分が神の子であることを思い出す毎に、
こう心の中で、又は口の中で称えて、自分が神の子であるという自覚を強めて、何事にもいかなる時にも恐れない心を養わねばなりません。

凡そ恐怖心は今現に無いことを恐れることが多いのです。
高い所に立って下を見て恐れるのも、墜ちたら怖いと思うのですが、
まだ墜ちていないのですから、墜ちたら怖いという考えは今は無いところの事柄を恐れているのです。

有ることなら恐ろしいのも無理はありませんが、無いことを恐れるのは馬鹿なことです。
試験に辷(すべ)ことを恐れるのも、まだ辷っていないのですから、
無いことを恐れているのですから、恐れるのは愚かなことです。

却って落第してしまった人は、恐れはしないものです。
却って高い所から落ちてしまった人は、痛かったかも知れませんが、もう恐れはしないものです。

凡そ、「恐れる」ということは今は「無い」ことを恐れるのですから、有り得ないウソの心なのです。
(つづく)

1197goro:2012/08/29(水) 11:13:07 ID:Cc8Z7oOY
心の法則「難聴」についての答えがありますので紹介しもす。

生長の家「今昔物語」

大聖師御講義『続々甘露の法雨』第6話 2012年07月16日(月)


聞きたくない心は難聴の症状をつくる

http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/951/

これは度々皆さんに申し上げる体験談ですけれども、滋賀県の大津に野沢宗一という郵便局長がありまして、
その人の御夫人が姑さんと仲が悪かった。そして姑さんの言うことを諾(き)かんもんだから終始小言を
言われておったんですが、或る日のこと、姑さんが憤慨してお嫁さんの頬ぺたをピシャリと殴ったのでした。

そしたらお嫁さんは殴られまいと思ってヒュッと体を躱(かわ)したんですね。その躱したのが却って悪かった、
掌(てのひら)の見当が狂って耳の上を殴ったのです。そのはずみで鼓膜が破れて、それ以来お嫁さんの耳が
聴こえなくなったのです。

しかも、鼓膜が破れた方の耳が聴こえなくなるのなら何も不思議はないんですけれども、鼓膜の破れない方の耳も
聴こえなくなったんです。これは変じゃないですか? もっとも極(ごく)側へ寄って、耳元で、電話口で
ものを言うように口を近づけて大声で話せば、聴えるんですけれども、もう一尺も離れてものを言うと聴こえないのでした。

この、聾(ろう)という病気は大変都合の好い病気でありまして、言いたいことは言い放題、他が弁解しようが、
反対しようが、どうしようが、自分の言う事さえ言えばよいのであって、他(ひと)の言うことは聞いてやらないでも
よいのでありますから、こんな便利な病気はない。

肉体は“心の影”でありまして、この人は“姑さんの言うこと聞きたくない”と心に終始思っておったものですから、
それで、耳の聴こえない病気になったわけであります。つまり、これは自分の生命力自身が聴こえない病気を拵えて、
姑からの小言に対して自己防衛した訳であります。

それは姑が外から殴ったのでありますけれども、すべて外の物に当って怪我するということも、実は、
その怪我しそうな処へ自分の身体を持って行ったということなんです──自分の身体は自分の自由なんですから。
姑は嫁の頬辺(ほつぺた)を殴ろうとしたので、耳を殴ろうとしたんじゃなかった。
耳を殴らせたのは彼女自身であったんです。

1199SAKURA:2012/08/29(水) 15:40:09 ID:JqFULnHI
トキ 様 へ

こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1198の投稿なのですが…「ボ−ド」を間違いましたので「デリ−ト」して下さいませ…。
何卒、宜しくお願い申しあげます…。
                               再合掌

1200うのはな:2012/08/29(水) 17:14:14 ID:0OK1Hwak
生活にあらわれたる“秩序の智慧”

 私たちが“秩序の智慧”即ち「調和の智慧」を得るならば、そしてすべての事物及び人と
秩序の関係にあろうと心掛けるならば、私たちの生活、衣服、時間の割当その他一切の生活様式が
一変して来る筈である。

 其処には食物は簡素となり、残忍な感じのする食物は食膳に出なくなり、
家族相互に交わす言語なども自然におだやかな調和した状態になるのである。
濃厚な食物を食べないと栄養にならないなどと云う間違った栄養の“既成観念”に
捉われてはならないのである。

 小牧実秀氏の『栄養の科学』(東洋経済報社発行)と云う本を読んでみられるならば、今までの
栄養観念とは全く異なる正しき秩序の食物に接しられるであろう。人間は肉食をしなければ栄養が
とれないなどと考えてはならないのである。

 全然肉食をとらない私の養母は九十五歳で健在であるのである。淡白なる食物の適量は却って人間の
精神を清浄に保ち、健康を長く持続せしめるのである。

 『真理』第10巻 実相篇 谷口雅春 先生著

1201SAKURA:2012/08/29(水) 17:54:58 ID:JqFULnHI
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■栄える生活365章

第五章  今、 神の祝福を受けて
――――あなたは絶対価値の存在者である――――

 神は人間を神の最高の自己実現として創造したのである。それにも関らず、唯ひとりとし
て同じ人間は存在しないのである。何故なら神は自己の内に『無限』を蔵し給うのであるか
ら、それを具体化するときには、具体的には『無限』を重複して顕現することができないか
ら、すべて個性ある独特の貴き姿をもって表現せられるのである。それゆえにあなたは、
他の類型のない独得(ユニ−ク)な存在であり、かけがえない絶対価値の存在であるのである。

 各人はすべて絶対価値をもち、独特の尊貴なる内容を表現し、その人でなければならない
独得の能力と、人生に於ける独得の位置と、独得の目的とを与えられているのである。これ
を知るとき、本当に自分の生命の尊さが自覚されるのである。あなたがこの世界から消え
るならば、あなたの代わりになるべき何人も存在しないのである。会社の椅子ならば一人の
社員が退社しても、また別の人がその椅子を埋める事ができるけれども、人生に於ける位置は
何人も代行できないのである。
                            (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■トキ様】へ
今回の「雅春先生…の言葉」これからも先生自身が
>【各人はすべて絶対価値をもち、独特の尊貴なる内容を表現し、その人でなければならない
独得の能力と、人生に於ける独得の位置と、独得の目的とを与えられているのである。これ
を知るとき、本当に自分の生命の尊さが自覚されるのである。】<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この様に、裏を返しますと『生長の家』では“讃嘆…”から始まりましてでしょうか?
私は「この教えの中の…真理の一つ」を持ちまして…
相手への「嫌な“中傷言葉”…つまり“言葉”の暴力」を、投げかけますと、
如何に〜“ネガティブ感情”を与えますを痛切に思いますし、本当の「生長の家…信者」としては、
あり得ない【言動・行為…】と判断しました。…が?

■改めまして本当に「生長の家…信者」なのでしょうか??
そして「分派の方々…」の“イメ−ジ”が、逆に申しますと
【相手への言論の自由…】も、与えない様な「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc
と、捉えられますのではないのでしょうか?
それは、本当に逆に申しますと「マイナス・メリット」であり、むしろ【分派の方々の…】
そこでの【考え・活動体制…】此処にて“アピ−ル”されます事が…いいのではと思います。
それによりまして、更に賛同されます方々が、増えられればいいのではないのでしょうか??

                                     再合掌

1202うのはな:2012/08/29(水) 18:52:39 ID:XnNLNTjU
『生命の實相』第8巻 観行篇 P43 谷口雅春 先生著

 われわれが執着を脱する程度に従って、計らいの心が無くなる程度に従って、
みがきをかければかける程度に従って、内から多量に光を放射するダイヤモンドのごとく、
内から示されてくるものが「神示」であります。

 執着の念をもって「神示」をきくがごときは自己撞着のはなはだしきものであります。
われわれはその本姓において神でありますから「神示」を聴くということは、霊媒的素質の有無
にかかわらず、自己の執着を脱する程度に従って、完全にできるのであります。

「真の人間」は神である。だからわれわれが我執の皮をはいで「真の人間」がそこに出たとき、
その思うところ、感ずるところがことごとく神示であります。ある宗教ではこれを「神格の内流」と
言って霊媒の霊示とは区別しているのであり神示は内流であって大脳に感応し、おおむね直覚的にあらわれます。

 霊示は外から延髄に感応しおおむね霊媒式、二重人格式にあらわれます。
神示は対立を絶した内からの啓示でありますが、霊示は第二者、第三者などの対立せる人格からの意見であります。
神示は、我執に対して答えず、我執を捨てたとき、おのずから現われるものでありますが、霊示は我執にも答えてくれ、
時々的中の明答を得たり、見当違いの答えで背負い投げを喰うこともあります。

 ともかくも、学校教育などのごとく人間の先生に教えを乞うこともよく、霊媒によるがごとく霊界の先生に教えを乞うことも
よいのでありますが、学校の先生の教えにもまちがいがあり、霊媒の答えにもまちがいがあります。
ただまちがわないのは、われらの「神格」の内的啓示に照らして行動するのがよいのであります。

1203SAKURA:2012/08/29(水) 21:37:30 ID:3bLXh3jA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■生活読本
――――人の欠点を見るな――――

常に愉快でいるためには人の欠点を見てはなりません。人間にありがちな最も悪い癖
は、人の欠点(よくないところ)を見る癖です。アラサガシの癖です。人生を不愉快にする
一番悪い癖は、このアラサガシであります。家の中に一人、此のアラサガシの癖をもった人が
いますと、その家庭が面白く愉快になりません。団体の中に一人、仲間のアラサガシをする人が
あると其の団体はバラバラに仲間われがしてしまいます。

 人間は、その人の欠点を見つけて、いくらその欠点をあばき立てたからと云って、それ
によって其人の欠点がなくなる訳ではありません。何でもみとめれば認めるほどハッキリ
あらわれるのが心の法則ですから、欠点をみつければ見つけるほど、その欠点は一層大き
くあらわれてまいります。美点(よいところ)をみとめればみとめるほど美点があらわれて
まいります。ヤミだ、ヤミだとみとめていると、いくらでもヤミが出て来ます。ヤミなんか
みとめないで、ヤミと云う言葉さえもなくなればヤミが出て来なくなるのです。これが
心の法則です。「悪いもの」や「善くないもの」があると云うことをみとめることは、その
悪いもの善くないものにこちらから力を添えてやるようなものです。欠点をなくするには欠点を
みとめないで、美点のみをみとめて行けばよいのです。

 善いもの、美しいもの、素晴らしいもの――調和、平和――こんなもののみが本当はある
のです。悪いもの、醜いもの、貧弱なもの、不調和なもの、争いや、いさかいなどは神
がつくらないから本当は「無い」のです。その無いものがどうして現れるかと云うと、そ
れは「みとめる」心の力で現れて来るのです。たとえば、「あいつと自分との間には争いが
ある」認めてばかりいますと、屹度争いが現れてまいります。今まで世界に起った戦争
はみな、この「争い」を認めた為に、争いが益々大きくなり、ついに戦争になったので
あります。家庭の仲でも面白くない事が起ったり、家族同士が悪くなったりするのは、
互いにその欠点を見つけて、悪いことを「ある」としてそれを言葉に現すからなのです。

                           谷口雅春 著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■>人間は、その人の欠点を見つけて、いくらその欠点をあばき立てたからと云って、それ
によって其人の欠点がなくなる訳ではありません。何でもみとめれば認めるほどハッキリ
あらわれるのが【心の法則…】……云々……

そうなのですョ〜〜〜ネ!【強い意志力にての想念・持続力】は、必ず!成就するモノと、
私自身も認めます…。例えば…
知人の“お兄ちゃん”が大学受験の時、第一希望は“東大”でしたが〜〜♫〜〜
経済観念を持ちまして【九大受験…受かりました…。】この様な断定した言葉にて、
【祈り…】に徹して行かれました事を、覚えています。その通りの事が【実現…】です。

更に【タイムショック…世界一周】此の事を、断定しました【お祈り…】にて、結果は〜〜
その通りの事が、現象界に実現しました…。今は、【世界に羽ばたく企業家…】として
活躍されています…。

■今思いますと、そのお兄ちゃんの“アドバイス”は、【神想観…実相】をと、
私に“口すっぱく”助言して下さった事を、今!思いだしながら【心の法則…駆使】を、
痛切に思う次第です…。但しあくまでも【心の法則…神の御心に叶う】べきなのでしょうかと……
思う次第なのです。……が?

但し「雅春先生」の述べられます様に【心の持ち方!!次第の事が実現】でしょうか?
それならば【ポジティブな事?感情?】を持ちましての【心の法則】を、
駆使すべきかと思う次第なのです。…が?           再合掌

PS:トキ様 へ
この様に私なりの体験(身近な人)を見ての感想を述べました。…が?如何でしょうか?
ある面?この頃「疑問点…」が、生じましたので後にて“投稿…別板”にてさせて頂きますが?

1204ハマナス:2012/08/29(水) 23:41:57 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

今日から、「第九篇 豊かさを得る道」に入ります。
  明るい雰囲気の魅力  (『新版 生活の智慧365章』P.233より)

 事業又は商売の繁栄をきたすには、明るい希望に満ちた殷賑(いんしん)の雰囲気をその
従業員がもつと云うことが必要なのである。明るい銀座街頭に人が集まるように、また昆虫が
燈火を追うて集って来るように、明るいところに生物も人間も集まることをよろこぶのである。
暗い雰囲気は生々とした生物を遠ざけ、黴菌のようなジメジメしたものを引き寄せることになる。
そして従業員の仕事の能率は上がらなくなり、顧客は減少し、事業は沈滞してしまうのである。
従業員の表情から、明るい微笑がなくなって、ただ冷たく沈滞した表情になってしまったならば、
その事業は次第に破局に近づきつつあるのだと言わなければならない。  

 生長の家の飛田給練成道場で毎朝五時十分前から起床の合図に“カッコー・ワルツ”の明るい
曲の演奏を放送して、その音楽の中に目覚めて一日の出発をするところに、多くの病人が恢復し、
ノイローゼが癒え、生活に生き甲斐を感じて来るひとつの原因が、(それは多くの要素中の唯
一つの要素であるが、)潜んでいると云うことができるのである。一日の出発によい音楽を
従業員にきかせて、悦びに満ちた快活な雰囲気で顧客に接せしめるとき千客万来となるもので
あるし、そのような雰囲気が職場に満つるならば、仕事の能率があがり、緻密な仕事が狂いなく
出来るのである。

感謝合掌

1205a hope:2012/08/30(木) 07:44:52 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

恐れる心を無くする方


そこでこんな事が判りましょう。
恐れる心は無い物に対して起こる感情なのですから、
「恐れる心」があるようにみえていても、本当はないものなのです。

それは幽霊と同じように無いものなのですけれども、
あると思っている間だけあるようにみえるのです。
ですから恐れる心は無いものだと知ったときに、恐れる心は消えてしまうのです。

恐れたら悪いから恐れないようにしようと思って、
「恐れまい、恐れまい」と恐れる心を抑えても恐れる心は消えるものではありません。

恐れる心をなくするには、「自分は神の子だから、恐れる心はないものだ。
恐れているようにみえていても、自分はちょっとも恐れていない。
この恐れる心は神の子である自分の心ではない。自分は少しも恐れていない。
自分とは別のありもせぬ心が恐れているのだ。勝手にしろ!」
という気になったら却って恐れる心は消えてしまうものです。

恐れるようなケチ臭い心が自分の心だと思っていたのが悪かったのだ、
自分は神の子だから恐れるものはこの世にひとつもないのだと思うようにし、
どんな難しくみえることでも、喜んで愉快にやることにいたしましょうね。

そうすればあなたは必ず立派な仕事ができて、出世をするのに定(きま)っています。
神の子は恐れないので、その時その時を生かして行くようにすれば、成功するのに定っているのです。
(つづく)

1206ハマナス:2012/08/30(木) 11:02:49 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

朝の出発に心の調律を  (『新版 生活の智慧365章』P.234より)

 一年の計画は元旦にあり、一日の謀(はかりごと)は朝にあると言われている。朝の出発に、
心を調律して歓びの想念感情に波長が合うようにして置くならば、その日一日、悦びの番組が
次から次へとあらわれて来るようになるのであるが、朝の出発に、陰気な不快な不調和な想念
感情のままで、心の調律を怠っているならば、その日一日じゅう不快な出来事が、生活番組と
して出て来ることになるのである。

 人間の心は一種の放送局でもあるし、受信局でもあり、テレビ・セットのように、その受信
した精神内容を形に具体化してその人の身辺に実現することになるのである。宇宙は、過去現在
に於て放送され又は放送されつつある精神波動の貯蔵庫みたいなところであるから、そのうちの
どの波長に自分の“精神テレビ”を同調されるかによって、幸福でも不幸でも失敗でも成功でも
実現することになるのである。

感謝合掌

1207うのはな:2012/08/30(木) 11:35:56 ID:R80If25o
  私と蘭の花とどちらを愛しているの?  渋谷晴雄 先生

 話は再びハワイ時代にさかのぼる。ハワイは太平洋の楽園だといわれている。
私がハワイに行った頃は、本当にそうであった。人々が優しい心をもって、いたわりあっていた。
それをアロハ・スピリットとか、ハワイアン・ホスピタリティとか言っていた。
 前にも述べた通り、私は一九六五年(昭和四十年)から三年間、ハワイ駐在本部講師としてオアフ島に
暮らすことになった。はじめの一年は単身赴任で、のち家内が来て一緒に生活することになった。

 当時はハワイの生活水準は、日本と比べてだいぶ高かったようである。一ドル五十セントだったが、日本の円の
感覚からいうと1000円ぐらいに当った。道路が整備されていて、車もやたらに多くはなく、女性ドライバーには男性は
道をゆずったりした。日本のわれ先に走る車の混雑と比べると、優雅で心あたたまる車の運転で、さすがに太平洋の楽園だ、と思った。

 ある日、白鳩会連合会長といっしょに家庭訪問をした帰り、食事をしに日本レストランに寄った。
そこの店の女主人に、白鳩会長が言った。
 「この方が、日本から来た生長の家の渋谷先生です」私ははじめて会った女主人にあいさつした。彼女は、「日本から来られた生長の家の
渋谷先生ですか。それではきょうの食事の代金は要りません。無料にしますからどうぞ何でも召し上がって下さい」
 私は、この女主人が生長の家の信徒さんだと思った。「どうもそんなにサービスしていただいて恐縮ですね」
ところで、白鳩会長に聞いてみると、この女主人は、生長の家とは何のかかわりもない方だという。
ただ彼女は、どんな宗教でも、その宗教の先生に深切をつくすとゆたかになれる、ということを信じているのだ、という。
私は冗談で、白鳩会長に言った。「それはすばらしい信仰ですネ。世界中に普及したいですネ」

 その女主人はお坊さんにお布施するといったセンスで無料サービスをしてくれたのだった。
そういう宗派にとらわれないやさしい愛の心が、ハワイの人々に息づいていた。

 ある日、教化部で早朝行事が終ったあとのこと。だいたいハワイでは、朝が涼しいので人が集まりやすく、
早朝行事には100人以上が参加した。朝の行事が終ると、人によっては、教化部でパンとコーヒーで朝食を済まし、
会社に出勤した。私は教化部の隣にある、生長の家がオーナーになっているアパートに住んでいた。そして私は毎朝早く教化部の
鍵を開けて皆さんを迎えていた。早朝行事が終ると、教化部で働く人が来るまで一応鍵をかけておく。
だから用事のある信徒さんはアパートの方に訪ねてきた。

 その日は朝食を食べていたら、一人の白鳩会員の方が訪ねてきて、
「先生、これさしあげます」という。何かと思うと靴下だった。そのあと、また一人が訪ねてきて、
靴下をプレゼントしてくれた。私は不思議に思って、ふと自分の足を見た。すると靴下が破れていたのだ。
気がつかず早朝行事で壇上に坐っていた私の靴下から足が見えたわけで、さっそく靴下を買ってきてくれたのだった。
それにしても深切な人々だと感謝したことであった。

つづく

1208うのはな:2012/08/30(木) 16:55:38 ID:TYG5qr22
>>1207 つづき

 こんな楽園にも、なやみがないわけではない。おもに人間関係の問題である。
ある日、永田夫人(仮名・三十五歳位)が私を訪ねてきた。なやみというのはご主人の
ことであった。このご主人は、会社から帰ってくると、カバンを玄関に置くなり、すぐ温室に入ってしまう。
温室では二〇〇鉢以上の蘭を栽培していた。奥さんはご主人が蘭の手入れを終って夕食をたべに来るのを
いつも待っているが、時には二時間も三時間も温室から出てこない。

 あたためた料理が冷たくなってしまう。なんとか、夕食を済ましてから温室に入ってほしいのだが、奥さんが何度たのんでも言うこと
を聴いてくれない。「まるで私より蘭の花の方を愛しているのです。私はしゃくにさわって、蘭の花を見るのもいやです。植木鉢をみんな
壊してしまいたいくらいです」
 永田夫人は、自分は正しく、悪いのは主人だ、といった調子でご主人を非難するのだった。
たしかに、奥さんとご主人をくらべれば、悪いのはご主人の方だろう。しかし、家庭のトラブルは善・悪だけでは解決しない。
やはり夫婦間の“愛”が解決の鍵になる。私は永田夫人といっしょに祈った。
それは“和解の神想観”である。

 ご主人が奥さんに向かってニコニコ笑っている姿を心に描いて、
「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました..........。あなたと私とは神において一体
でございます」ではじまる、よく知られたあの祈りを行ったのであった。
神想観が終って、奥さんが言った。
「はじめのうちは主人がニコニコ笑っている顔なんか思い浮かばなかったんですが、先生が
言ったように、主人は、別に浮気しているわけでもないし、ただ蘭の花が好きなだけだ。やっぱり
考えてみると、主人は心やさしいひとなんだ........こんなように思えてきました。そして、ほんとに主人が
私にニコニコ笑いかけている姿が見えるようでした」

 ハワイの蘭の花はたいへん美しい。オーキッドといって、花の女王ともいうべき高価なもので、たくさんの
人が栽培していた。私は奥さんに言った。「ご主人もそんな美しい花をつくっておられるのだから、心やさしい人ですよ。
そんな人と結婚しているあなたは、幸福だと思わねばなりません」
 この私が言った言葉が、彼女の心に深く残ったようだった。数日たって、永田夫人がふたたび教化部を訪ねてきた。
「先生!おかげ様で解決しました........」彼女の顔はよろこびいっぱいだった。
彼女の言ったことを要約すると次のようだった。

 祈りが終って家に帰ったら、温室に入ってみたくなった。これまでは“うらみ重なるオーキッド!」というわけで、温室から
遠ざかっていた。温室に入ってみると、よごれている。あっちにもこっちにもタバコの吸い殻やゴミが捨ててあって、灰皿にも
吸い殻がいっぱいだった。ごく自然に彼女は温室を掃除した。一時間以上かかって、見違えるようにきれいになった。
「よかったわ。これで主人もきれいなところで花のお世話ができるわ」
ところが、その日の夕方。ご主人はいつものように家に帰ると、すぐ温室に入った。
しかし、三十分もすると温室からでてきて、「おなかすいたよ。食事にして。キミが温室を掃除してくれたのかい。ありがとう。
これまで迷惑をかけてわるかったね。これからは、さきに食事をしてから花の世話をするよ......」

 ほんとうに久しぶりに明るいご主人の顔であった。
それからは、お二人は新婚当時のように仲よくなった、というのである。
美しい蘭の花をめぐるハワイらしいエピソードだと思った。やはり、相手の姿は、こちらの“心の影”であった。
そしてここでも、愛はすべてを解決してくれるものだった。

 『光の国から』 渋谷晴雄 先生著 P67〜

1209ハマナス:2012/08/30(木) 22:59:37 ID:0kyCzJg6

こんばんは。
聖典引用ですので、こちらの版にも投稿します。

『生命の實相』第21巻(甘露の法雨講義)のはしがきを謹写いたします。

『甘露の法雨』はいわゆるインスピレーションによって突然浮かんで来た思想が一種詩的な
リズムを帯びてきたのを書き止めて置いたものである。後より見るとこの聖経は期せずして、
『生命の實相』全巻の真理を集約して歌ったものになっている。それを読誦することによって
いろいろの奇蹟を演じたので、ついに聖経と称せられることになったのである。

その英訳をたんに携帯することによって第二次世界大戦中ハワイの日本民族第二世の軍隊
(第百大隊、四四二部隊)がイタリーの南端から上陸する際に、期間銃弾がその英訳『甘露の
法雨』に命中しながら、それを貫通することができず無傷で大量の兵員が上陸くして戦功を立
てたような奇跡もあり、交通事故に遭いながら、無事だった実例のごときは数限りもないので
ある。この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦去るばかりではなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後
に明らかとなったので、神仏礼拝の際その祭壇に対いて読誦すべき生長の家の聖経となったの
である。
しかし読んで意味の分らないようでは功徳が薄いので、かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の
月光殿においてその大要を講義したものを次に捧げることにした。主として講義の速記によった
ので、わたしの文章だというよりも私の語調が写されているところに特徴があるであろう。
『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、どの講義を読むだけで生命の実相の大要が
摑めることと思う。第一章は当時の講義の筆記漏れを後より再述して完璧としたのである。
   
昭和三十九年一月十日                 著者しるす

1210SAKURA:2012/08/30(木) 23:22:54 ID:jH5uEFzM

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171>>1174>>1175>>1190>>1194
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 混乱を静める方法 ) 

――――― 混乱静める方法  ―――――

|❤ それはどのようにしてあらわれてくるのですか。

  お互いに、「人生とはこんなものだ」という仮説をつくります。人生の早
い時期につくると、これはきわめて卓越していて、生存競争に役立つことが
よくあります。ところが、問題はお互いに歳をとり、経験を積み重ねていく
にもかかわらず、その仮説をいっこうに改訂しようとしないことです。つま
り、新しい経験を古い原則に無理やりあてはめているのです。

         ―――――――― * ―――――――――

|❤子供のころの経験をもとにできた偏見や習慣をいまだにもっている
|ということをほとんどの人が否定すると思いますよ。まして人が原理と
|いえるほどはっきりした形でもっていると考えられないのですが……

 たいていの人は自分がそうした原理をもっていることに気づかないもので
す。なぜなら、それは一度も言葉にあらわしたことがないからです。
 それは漠然とした感情や、表現できない観念、あるいは子どものころ、話
もせず、自分自身でも認めることさえしなかったような事柄などが、混じり
合ってできているのです。この原理は、セックスの衝動や攻撃的衝動のよ
うな人間生活においてもっとも強力な問題を生じるような力に対してかかわ
っています。

 たいていの家庭ではこの問題は手に負えない議論です。そして、現実とは
なんであるかということについて、複雑な考え方をもつようになるのです。
というのは、この現実の本質について、一度も話し合ったことも調査したこ
ともないからです。神はうわのそらで世界を創造してしまった、と述べた人
がいますが、わたしたちもまさにそれと同じことをしているからです。
 
半分ねむりながら世界観をつくりあげ、それにもとづいてあたかも色めが
ねをとおしてものを見るように自分の人生を着色して見ているのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
                  <つづく>


PS:【SAKURA 独り言】……
≪三つ子魂〜〜〜≫体験・経験は、確かに“潜在意識”に、残りますかしら〜〜〜ン!
良いことも?悪いことも?でしょうか〜〜〜?
【言葉…言霊】にて、相手へ“心模様”伝えるにしましても…本当に難し〰〜イ><

こちらの捉え方?相手の捉え方?…現実は、いかんせん…“でしょうか?
【一つ言えます事は…相手への“ポジティブ感情”を抱かせるような“言葉…”を、
駆使出来ましたら〜〜〜そこには、きっと【調和…の世界】が広がるでしょうかしら〜ン!】

1211a hope:2012/08/31(金) 07:18:47 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

ヘレン・ケラーの何処が偉いか


ヘレン・ケラーの言った言葉に、「何でも明るく見る心、光明主義は物事を成しとげる基(もとい)である。
希望がなければ、何事も成しとげることはできない」というのがあります。

ヘレン・ケラーは三歳の時、脳膜炎という病気を思い、その結果、目は見えなくなり、
耳は聞こえなくなり、言葉は言えなくなったのだということですが、
その後眼で見ず、耳で聴かずして、皮膚や指先やにおいなどによって、
世の中の全ての事がよく判るようになったり、人生の三重苦の苦しみを征服した聖女として尊敬されていますが、
それにはヘレン・ケラーを教えたサリヴァン先生の教え方が上手であったのにもよりましょうけれども、
ヘレン・ケラー自身が、盲になり、聾になり、唖になっても少しも失望落胆せず、
心に希望(のぞみ)をもっていたからです。

失望とは心に望みを失うことです。
落胆とは勇気を落して、気が沈んでしまうことです。

眼が見えず、耳が聞えず、口が利けなくとも、希望を失わず、勇気を落さずにいたら、
人間はヘレン・ケラーのように偉い者になれるのです。

眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
自分の目的とするところへ突進して往ったら、どれほど優れた人になれるか、考えてみずとも判るでしょう。
(つづく)

1212ハマナス:2012/08/31(金) 23:16:48 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。早いもので、明日から9月です。

職場の雰囲気 (『新版 生活の智慧365章』P.235より)

 社長や店主や部長、課長と言われる人たちは、その一言一顰一笑(いちごんいっぴんいっしょう)が
その社員、行員、店員たちの感情を左右する力をもっているものである。早朝から社員や店員にたい
して叱りつけるような荒々しい言葉を使ってはならないのである。先ず事業の前途に希望があることを
語り、その前途に光明をみとめしめ、そこに働いていることが悦びであり、事業の伸展とともに自分の運
命も発展して行くものだと云う希望に胸ふくらませるような言葉でその日一日の仕事を出発せしめるよう
にしなければならない。そうすれば、事業も繁栄し、社員、店員の運命も伸びて行くのは実際であり、
それが「想うことは必ず実現する」と云う心の法則なのである。

 社長又は店主と云うものは社員を叱るものだなどと云う感銘を与えてはならない。社長又は店主は
社員又は店員に感謝し、その職場を温かいものにしなければならない。

感謝合掌

1213うのはな:2012/08/31(金) 23:26:23 ID:esvyfr1E
霊的実在とお陰との関係  『真理』第8巻 信仰篇 谷口雅春 先生著

 法華経に三車(牛車、羊車、鹿車の三つ)火宅(火災の起っている家)の譬があります。
火宅はやがて滅びて行く現象世界の譬であり、三車は現象世界の「宝の車」であります。
現象世界の宝に執着している限りは、火宅は焼け落ちて、その下敷になって死ぬほかはならないのであります。
しかし、火宅の下で「現象界の宝」のもてあそびに熱中している子供(幼稚な魂)を救い出すには別の玩具(やがて
くだけるもので、本物ではないお陰)を与えるほかはないのであります。

 これが或る種の宗教で得られる現世利益です。しかしそのお蔭は玩具であって実物ではないのであるから、やがて
壊けるときが来るのであります。その壊けるときに信仰を堕してしまうようでは、本当の信仰ではありません。
すべてのお陰は「影」であるからその本源は霊的実在の世界から来るのであります。

 そして、お蔭は霊的実在を把握させるための方便にすぎないのであります。
いつまでもお陰にしがみついて霊的実在を忘れたら本末顚倒(モトとスエとがあべこべになること)になります。

1214SAKURA:2012/09/01(土) 03:22:09 ID:KIb1uXbE
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ どんな教えが生長の家か
――――目を開けば世界は光に満ちている ――――  藤原先生著

それでは、そのように人類ことごとく救うことの出来る生長の家の救いとは一体どのようなもの
であるかと申しますと、何もむずかしいことではなく、本当に簡単な原理によるものであるというほ
かないのです。

 人間が悩んだり、苦しんだりするということは、すべてのものの観方や考え方がまちがっているか
らだということが出来ます。世の中の不幸はことごとく物事を正しく観ないで、思い違いをしている
結果起るのでありますから、不幸から逃れようと思ったならば、今現れている不幸な状態を何とかし
ようと努力するよりも、その原因であるものの観方や考え方を正すことが、最も大切なものでありま
す。

 此のことを仏教では正見、正思惟と説いてあります。すべてのものを正しく見よというのが政見で
あり、間違った考えをしてはならないということを正思惟というの
であります。

信仰とは、その正しく見る眼を開かせることであり、このことを活眼を開くと申します。真昼間で
も、目をあけている人と閉じている人とがあった場合、一方の人は明るいというでありましょう。も
う一方の人は真暗だというでしょう。このように外部条件は同じであっても意見(思い)は二つにわ
かれることになるのであります。しかも一応は、どちらも間違った意見(思い)ではないのです。し
かしよくよく考えてみると、暗いのは間違いであって明るいのが本当なのであります。暗いと明るい
とふた通りの結果が現れていても、実は明るいのが絶対正しいのであって、暗いのはその人が目を閉
じて光を見ないからなのです。明るい世界をわざわざ眼を閉じて、光を見ようとせず、暗いのが本当
だと思いこんで「暗い暗い」といっているのは、その人にとっては暗いだけのことであって、絶対で
はなく、相対的な出来事なのです。

 素直に目を開いて、真相(明るさ)を正しくみることの出来る人には、もともと闇はないのが本当
ですから、明るくなるのが当たり前なのです。
                        
                          <つづく>

1215a hope:2012/09/01(土) 07:50:29 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

希望は人生の光


希望は人生の光です。
眼が見え、太陽の光や電燈の光が見えていても、
希望を失った人は心に光を失った人で、その人の人生は真暗です。
だから、良く見える眼を持ちながらでも、この世の中は真暗だといって自殺する人もあります。

希望(のぞみ)さえあれば、今はその人がどこにおろうとも前途は明るいのです。
希望は自動車のヘッド・ライトのようなものです。
勇気は自動車のエンジンのようなものです。
希望で前途を照らしながら、勇気のエンジンを駆り立てて毎日進んで行くならば、
皆さんは、たとい今どんな所にいられようとも、前途は必ずよい世界へ出られるのです。
(つづく)

1216SAKURA:2012/09/02(日) 04:02:01 ID:kkC4PA/k
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処しばらく“遠方…”におりましたので〜〜〜“パソコン”を開く時間も?
勿論!投稿する事も?……唯!時折“スマ−ト・ホ−ン”から、第三者的に閲覧させて頂きました、
【SAKURA…】ですが、やっと“時間”が……?でも、いつもと変わらずの“時間帯…”ですが?
今日も【活かす力のパワ−】を、頂きました。では、簡単で分かりやすく、表現されてますので
【人生の近道…切符・スタ−ト】なので〜〜〜す。

■ 【生 活 読 本】
――――― 常に人の美点を見つけましょう ――――――

 常に明るいことのみを心に描きましょう。常に人々の美点をみつけてそれを賞嘆(ほめたたえ)
しましょう。人々の美点を他山の石(じぶんのためにするたとえ)として尚一そう大いなる美に
到達するのを自分の理想といたしましょう。みにくき欠点を見ないで、いよいよ高く美しき理想
を描きましょう。自分の描く理想は自己の生活する人生の性格を一変してしまうものなのです。
人は理想に従って、その人の人生の色彩、匂い、動作、性格、方向、運命等が自ずから変ってく
るものなのです。もし理想が低ければ、吾々の人生の全体の調子が低いものとなってしまうで
ありましょう。そこから、堕落と下向(したえむく)とが始まるのです。
 
 もし吾々の理想(だい一のきぼう)が高く清く尊きものであるならば、それは必ず吾々の日常
言行動作(おこないうごき)に現れるのであります。強いてそれを他に告げずとも人々は、その
人から発する所の雰囲気によってそれを知り、その周囲に自から集まって来て、彼をその高き理
想にまで、おしあげてくれる仕事をしてくれるのであります。かかる人の全身(からだじゅう)
からは何となき崇高(けだかい)なる雰囲気がたちのぼるのです。かくの如き人こそ常に天国
に住む人といわなければなりません。天国に住む人とは、富の俗悪(げびてみにくい)な物質
のがらくたが山積(山のようにつもる)している中に埋もれて住むことではなくして、斯くの如
き天国的な雰囲気の中に住む人こそいうのであります。

 すべてこれらのことは、心の習慣によって人間の雰囲気が変ることを示しているのであります。
今日行う勉強とか教養とか目的は、人間を粗野(いやしくげひん)なる欠点ばかり見つける
習慣から美なるものを見つける崇高な習慣へあらためさせることにあるのであります。常に間断 
(たえま)なく一そう高き理想に邁進(おそれずすすむ)するものは、常によき雰囲気を得るの
であります。偉大なる人格とは常に美点のみ見て欠点を見ず、常に光のみを見て闇を見ず、善
悪ともにそのあたたかき光にて包んでしまう太陽の如き人をいうのであります。すべて欠点
を心に描けば、その暗い影はまず自分の心に印象(きざみつける)せられるのであって、自分
心のを汚す汚点(よごれ)となるのであります。
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:トキ様 へ
今の私の置かれている【環境のこころ構え?】でしょうかしら〜〜〜ン???
着実に“ゴ−サインへ展開中”です…。きっと!必ず!“魂”は、前以上に進歩でしょうか??
【心 の 法 則】しっかり…認識体制?です〜〜〜ョネ!
やはり【難問題…】にぶつかりました時こそ【心の法則…】駆使出来る様に意志力集中…
でしょうか?トキ様は、この件に関しましてどの様に思われますでしょうか?

       再合掌

1217a hope:2012/09/02(日) 06:16:52 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

朝起きたときの心掛け


世の中で最も大きく成功した者はみんな心の明るい愉快な人ばかりです。

朝起きたとき先ず、「自分は楽しい、自分の前途には光が輝いている」
と三べん心の中で言って、微笑してから起きなさい。
微笑をもって一日を迎えるのです。
必ずその日一日楽しく勉強や仕事ができるでしょう。
先生や目上の人から誉められるでしょう。

どんな難かしいことがきても、先ず微笑してその難かしく見える事柄に対(むか)って、
「ねえ、君、君と私と仲よしになりましょう。仲よくなったら、君は私に難かしい顔をしないでしょう」
と微笑み掛けて、その事柄に、愉快に楽しく朗らかにぶつかることです。
必ずあなたは、その難かしく見えた事が、容易(やさ)しくなり、
スラスラと事を運ぶ事ができるでしょう。

朗らかな愉快な微笑は、どんな難かしいことでも易しく滑らかにする油の役目をするものです。
(つづく)

1218ハマナス:2012/09/02(日) 11:49:36 ID:mR2szZkc
神の子の皆さま
ありがとうございます。

職場こそ生き甲斐『新版生活の知慧365章』P.236

其処につとめている人たちは、其の職場の雰囲気を楽しいものにすることができなかったならば、その社員又は店員は、その職場に永続して働く意欲がなくなり、ただ一時の「腰掛け」だと思い、仕事に熱がなくなり、顧客に対する対する対応も、熱情のない誠意のかけたものになるから、益々その事業も商売も発展しなくなるのである。社員や工員や店員がこの職場こそ生き甲斐がある仕事場であり、一生を託して惜しまない気持ちになるようでなければ、その事業の真実の発展は期しがたいのである。

近頃では多くの商社は、昼の休憩時間に、テニスや、ピンポンや色々のレクリエーションの施設をもうけて、従業員の気分を快活にするような試みが行われていることはよいことである。出勤中は、「お前の時間は買い取ってあるのだから」と云うような考えで、従業員の心を縛ってしまうならば従業員は慢性のサボタージュに入るであろう。

感謝合掌

1219goro:2012/09/02(日) 17:36:34 ID:Cc8Z7oOY
ケント・M・キースの祈り 「逆説の十カ条」を紹介します。

心静かに黙読して下さい。感動のさざ波が広がっていきます。
本流派を言い募る掲示板のあり方も考えさせられます。


逆説の十カ条

1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。

2 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。

4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。

9 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。

10 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


【著者について】
ケント・M.キース  1949年、ニューヨーク生まれ。
ハーバード大学在学中に、高校の生徒会のリーダーたちを激励すべく150回以上の講演を行なう。
本書で紹介している「逆説の10カ条」は、その活動の一環として出版した小冊子ではじめて発表された。
その後、オックスフォード大学で哲学と政治学、早稲田大学で日本語を学び、ハワイ州立大学では法学博士号を取得。
1979年よりハワイ州の経済企画開発局の要職を歴任し、同局長として州政府の閣僚も務める。
その後も私立大学の学長、YMCAのリーダーなどを務める。

【本の内容】
1968年、当時大学生だった著者が高校生向けの小冊子に記した「逆説の10カ条」は、30年の年月をかけて、
口づてで、写しで、インターネットで本人の知らない間に、ゆっくりと広まり、世界中で愛される格言となっていった…。

マザー・テレサも感動し、引用した至高の処世訓が指し示す「人がこの世界に生きる意味」とは?
たった10カ条の心構えが、あなたの人生に大きな違いを生みだす!ニューヨーク・タイムズ紙も、
その出版までの不思議な経緯と格言の価値を1面で報じた話題の書。

【出典】 ケント・M・キース 著 「それでもなお、人を愛しなさい」 早川書房

1220SAKURA:2012/09/02(日) 23:34:00 ID:jH5uEFzM

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1214続き投稿です…。

■ どんな教えが生長の家か
――――目を開けば世界は光に満ちている ――――  藤原先生著

宗教とは、このように物事を当り前に観、正しく観ることが出来る人間に育てることなのでありま
す。
一般の人は、宗教といえば、何か特別のことをして、どうにもなりそうもない難問題や、医学や、
常識ではとうてい解決も治癒も出来そうもない事件を信心とか修行とかによって、特定の限られた人
達だけに用のあるもので、普通の人には難かしいものであるかのように早飲みこみして頭から敬遠し
ておられる人もあるようですが、正しい意味の宗教というものは、決してそのようなものではないの
であります。
 
本来明るいものを、わざわざ目を閉じて、暗い暗いといっていたのが、目をあけたとたんに、いっ
ぺんに明るくなるのと同じですから、別におどろくようなことではないのです。ただ長い間、目を閉
じていて暗いのが当たり前だと思いこんでいるのが突然明るくなるので、ちょっとビックリするだけの
ことであります。このビックリするのを懺悔というのです。大いにビックリするのを大懺悔というの
です。信仰とは、常に懺悔し、驚き続ける生活をいうのです。
 
お釈迦様が悟りをお開きになったとき、 「天地六種に震動す」とありますから、この天地が六つに
も割れて、大きな音をたてて砕け散ったという意味であります。
 これは物質の否定であり、現象の否定であったと思うのであります。
 肉眼だけで物を見るところの唯物論の立場からだけこの世界を見ていたのが、自己の霊的自覚を得
て、生命を見る眼が開けることによって、見えている物質がないとわかり、今まで考えたことも、思
ったこともなかった目に見えないもの(神、仏、生長の家では生命の実相という)がハッキリと観られる
ようになり、見えるもの (物質) と見えないもの (霊、生命) とが入れ変わることになるのでありま
す。すなわち、生長の家の教義の基本であるところの「唯神実相論」としての世界の観方に完全に変
ってしまうのであります。
 
世間一般にいうものの考え方は、大きくわけてふた通りに分類されております。
 
一つは科学の立場からだけものを考える唯物論と、哲学の立場からものを考える唯心論とでありま
すが、唯物論は五官という感覚器官、目、耳、鼻、口、皮膚の五つの器官を通してだけ物を観察する
考え方であり、 唯心論とは、 物と物と感じられるのは感ずるという心があるからで、心というものが
なければ、何があってもあると感ずることは出来ない、すべては心によるものであるとする考え方を  
いうのであります。このように一般常識ではその二つしかないのでありますが、 「生長の家」の思想
でいえば、そのどちらもが相対的なものの考え方であって、絶対的なものの考え方ではなく、相対的
にはどちらも正しく、 またどちらも間違っているということになり、 真理 (絶対の法則) ではなく、
そのような曖昧なものの考え方では確信なある答え(結論)が得られないのは当然であります。

                                   <つづく>

1221トキ:2012/09/02(日) 23:53:07 ID:LC0vKgj6
>>1219


 すばらしい御文章ですね。伝道者の座右の銘です。ご紹介、ありがあとうございました。

合掌 ありがとうございます


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