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聖典引用 板
1188
:
うのはな
:2012/08/27(月) 14:10:47 ID:NhCcI7Jo
>.1184
私は23歳の時ある宗教に入信した。そこの道場では、多くの信者をずらりと並べて
鎮魂を指導していた。指導者たちは熱心だったが、霊媒を養成しているかに見えた。
霊が憑って来た信者は、さまざまな状態を見せていた。
私は毎日道場へ通って、冷静にその場の状況を見ていた。憑依現象に未知だった私は、
初めは唯不思議なことに驚異のまなこを見はっていたが、日が経つにつれて興味がうすらいで行った。
何故なら、私と同じ家(今井楳軒宅)に住んでいた青森県人のY女史は、毎日毎日霊界から電話がかかって
来て忙しかった。私の他四人の女性と暮らしていたが、皆で食事中でも、霊界から電話が来ると、Y女史は食事半ば
に箸を投げ出して、霊の示す場所へ飛んで行くのであった。
それは朝のこともあり、昼のこともあり、夜中のこともあった。或る日などは、着物も羽織も泥まみれの臭い姿で帰ってきたので
「どうなさったの」と訊くと「溝のそばを歩いていたら、狸がここへ這入れと溝の中から呼ぶので、はいったのよ」などと言われた。
私たちは臭さをこらえてYさんのよごれた衣類を洗ってあげた。Yさんの生活は乱れ果てていた。
Yさんは人はよいのだが、霊のおもちゃにされているようで、女子大出のインテリの俤は失われて、唯だらしのない生活をしているので、
私は愛想が尽きる思いをしたものだった。
Yさんの他、幾人も霊媒的な人を知ったが、それらの人たちは、私は少しも尊敬できるような生活をしていなかった。
むしろ不幸な人たちだと思った。
教団の高い位置にいる人ですら、憑霊にまどわされるのか、事実無根のウソを言うのを知ると、私はいよいよ霊媒現象を
否定するようになってしまった。
敦賀の山の家に住むそこの主人が、霊異の話に不快な顔をするのは、霊覚のある妻なる女行者によって、彼は幸福を得ていない
ことを意味すると思う。当り前の生活を、愛をこめて生きられたら、それが幸福なのである。
『愛が魂に目覚める時』 谷口輝子先生 著
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